« 阿賀野川溯行 二日目 | トップページ | 二王子岳 »

2022年5月29日 (日)

粟ケ岳と八十里越え

新潟の山登りはまずは粟ケ岳からとなる。10年ほど前に山菜採りと粟ケ岳登山の催しがあっあのだが、天気が崩れて粟ケ岳登山は中止となったので、今回はそのリベンジでもある。

 

粟ケ岳登山だけならば、登山口付近に温泉があるためバスのほんすうも多いので便利だが、今回は登山後に八十里越えも予定しているため、歩くとなると15キロもあるので東三条から往復70キロのサイクリングとなる。

 

八十里越えは古くから越後と会津を結ぶ交通の要衝であり、実際の距離は八里(約30キロ)であるが、あまりの険しさからその10倍の長さに感じるということから名付けられたものである。この峠を有名にしたのは、幕末の戊辰戦争の際に長岡藩の家老河合継之助官軍にも奥羽;列藩同盟にも与せず中立の立場をとることを官軍との会談で表名したが、認められずに戦争が勃発し、長岡藩は善戦するも破れて、河合継之助等は会津方面を目指して八十里越えを敗走していった故事のためである。

 

粟ケ岳の登山口を出発したのは12時過ぎで、下山してくる人もちらほら現れる時刻であった。登りは急登の連続で、8合目あたりが森林限界のため、標高は1200メートルちょっとながら、高山の雰囲気を持った山である。
Dsc_1912_copy_396x297

Dsc_1906_copy_408x306

明るいうちに下山し、それから夜道を八十里越えの登り口まで向かい、テントを張る。

 

翌日は早朝から八十里越えを目指して出発するが、さすがに八十里越えというだけあって険しさは格別で、四時間かかっても峠の半分以下の七キロ以下しか進めず、雪にも阻まれて断念して引き返す。

Dsc_1910_copy_341x256

自転車は下り一方で軽快なはずなのだが、真夏のような高温にやられたのか全く不調で、ランニングの人にも抜かれる有り様で、なんとか新発田駅まで辿り着き、ホテルでバタンキューとなる。

|

« 阿賀野川溯行 二日目 | トップページ | 二王子岳 »

歩き」カテゴリの記事

自転車」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 阿賀野川溯行 二日目 | トップページ | 二王子岳 »