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2022年8月

2022年8月31日 (水)

市房山

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前日に続いての二百名山として市房山を登ってきた。

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高千穂峰

午後の便で帰京する妻をホテルに残して、二百名山の高千穂峰の登山口である高千穂河原を目指して自転車で出発する。霧島神宮の鳥居付近までは下りのはずだからと西に向かう下り坂をなんの疑問もなく下り始めた。ところが下りがいつまでも続き、一向に鳥居が見えてこないし、行きの送迎バスの時の車窓の景色とも違うので地図で確認すると、なんと一本南の駅に直接つながる道路を下降中であった。あわててホテルまで登り返したが、40分ほど時間と体力を浪費してしまった。

仕切り直しでホテル前から再スタートとなる。反対側の東に向かう道は二手に分かれ左の道に入ると大きく迂回して進路を西に変えて鳥居に向かうというもので、全く紛らわしい道である。登山口に向かう道は鳥居の手前で右に曲がり、そこから登りが始まる。さほど急な登りではないが、荷物が重いこともあり、勾配がきつい所では自転車を下りて進み、1時間半程度で登山口に着いた。
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高千穂峰は登山口からは往復3時間半程度と比較的近いのだが勾配はかなりある。下から見ると二つのピークを尾根は繋いでいるように見えるが、実は外輪山なのである。外輪山に登って最高地点まで行けば終わりかと思ったら、その背後に本当のピークがあって数百メートル登らなければならないのである。
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頂上を往復して高千穂河原に戻り、そこから霧島神宮駅に下りたが、そこから先が忙しい。JRに乗って西都城で下車して自転車を駐輪場に預けてからバスを乗り継いで人吉駅に移動し、駅前のホテルに入る。予約は一泊しかしてなかったが、テントの支柱代わりに使うストックを自転車のフレームにつけたまま預けてしまったのでテントを張れないのため、連泊に変更してもらおうと思ったら、明日は満室だという。
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部屋に入ってからネットで検索すると、人吉近辺の宿は全て満室であった。夏休みも終わろうとしているこの時期に何故だと思ったがやむを得ない。そこで、明日は二百名山の市房山を登りにバスを1時間以上乗るので、その途中の宿を検索したら空いてる宿があり、一件落着となった。

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2022年8月29日 (月)

沖縄~鹿児島

コロナ前には年に数度は辺野古ゲート前の座込みに参加していたが、2年半前の宮古島マラソンに出場した帰りに立ち寄って以来の沖縄に9月11日投票の知事選の公示日に併せて訪れた。


まずは那覇市内のボランティアセンターに出かけてチラシの封筒入れ等の雑用を行う。ただ運動初日ということもあり、ボランティアの数はまばらでスタッフ(彼らもボランティアだろうが)の方が多いくらいだ。夕方には県庁前でデニー候補の那覇市での出発式の街宣があり、支持者を中心に数百人が集まった(デニーさん自身の第一声は当日朝に出身地のうるま市で行われ、辺野古を経て各地を南下しながら街宣して那覇市に戻ったようだ)。


前回は急逝された翁長前知事の弔い合戦ということもあってデニーさんが相手候補に圧勝したが、その時の主張である「観光立国の沖縄に基地は不要」というものが、コロナ禍での観光不振では通りにくくなっていることもあり、今回は激戦が予想されている。万一、ここで敗れれば、その影響は単に沖縄のみならず日本全体民主勢力への打撃となるだけに、何としても勝ってほしいものである。


翌日は久々のゲート前座込みをするために那覇を去って辺野古に向かう。辺野古でバスを下りてまずは海岸に向かう。ここには海上での工事阻止を行うカヌー隊の出撃基地であるテント村があるのだが、行ってみると無人でありあたりにも人の気配はない。次にゲート前近くのテント村に行ってみるが、以前は百人以上もいた参加者が数名しかいない。そこで常連さんらしい人に聞いてみると、最近はゲートからの搬入はめっきり減り、海上からの土砂搬入あ中心となってるとのことである。すっかり浦島太郎になってしまったが、座込みのない辺野古にいてもしょうがないので立ち去ることにする。


途中、幾度となく座込みをしたゲート前を通るが、警備員だけが意味もなく前と同様に整列していた。その後、辺野古の反対側の二見海岸に下りて大浦湾を眺める。数隻の浚渫船が浮かんで埋め立て工事を行っているようだが、海底90メートルという箇所に軟弱地盤があって地盤改良工事は技術的に困難と言われており、基地完成の目処は全く立っていない状態である。


結局、座込みは空振りとなったので早めに名護に着き、ホテルで妻と合流し、翌朝、鹿児島行きのフェリー乗船するため本部港に向かった途中で安和港という県外等から運ばれた土砂を辺野古沖に向かう船に積替える地点にも行ってみたが、土曜日で作業も行われないためか反対行動もみられなかった。


本部港から鹿児島港までは途中、奄美大島その他三箇所に立ち寄り、ほぼ丸一日かけて移動する。鹿児島では、南の指宿、北の霧島という温泉に泊まり、両者の間を自転車で移動して、大分から長崎までの南回りの走破が完成することとなった



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2022年8月17日 (水)

子持山

関東百名山にも選ばれている群馬県の子持山に登ってきた。とい
子持山というと一般的にはあまり知られていないようだが、フリークライミングの岩場のある山ということで以前から名前は知っていたものの、遠方ということもあって訪れたことはなかった。
最寄り駅の敷島駅から子持神社までは約五キロだが、バスは通ってないので徒歩か自転車かタクシーとなるが、タクシー会社は遠方にしかないので追加料金が必要となることから除外、歩けない距離ではないが日帰り登山の上に往復のJRが18切符利用で時間がかかるためアプローチの時間を短縮したいということから、今回も自転車  を利用することにした。

 

神社まではたいした登りはあるまいと思っていたが、案外急な登りが続き急坂では自転車を下りて歩いてしまう。地元のスピーカーからは「熱中症の危険が高いので高齢者は外出しないように」とのアナウンスがあり苦笑する。神社から登山口までの数キロの道も舗装されていたので、帰りが楽だろうと自転車を下りて引いて行く。車止めのある駐車場には数台の車が停まっているが、車止めの先も舗装はされていたので、登山口まで自転車を引いていく。

 

登山道に入ると直ぐに屏風岩に突き当たる。正面のハング帯にはフリークライミング以前に開拓されたルートがあり、古いハーケンやボルトが残されており、その左側の垂壁には数本のフリーのルートが開かれている。屏風岩と別れて沢沿いの七号登山道を登って行く。
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1時間ほどの登りで稜線に上がると、しし岩に上がる道としし岩の下を巻いて子持山へ続く尾根を行く道に分かれる。しし岩にもフリーのルートがあるらしいので行ってみたい気もしたが、帰りに時間があれば寄ることにした。子持山までは1時間ほどの登りであったが、途中からは振り返るとしし岩の偉容が見事であった。

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子持山の登山道は何本かあり、まだ3時なので駐車場に停めてあった車の登山者がいるかなと思ったが無人だった。帰りの電車の本数も限られているし、展望もえられなかったので早々に下山する。しし岩も十分に眺められたし、帰りの電車の時間もかぎられていたので、しし岩には寄らずに同じ道を登山口まで下る。駐車場にはすでに車はなかった。途中で出会わなかったのは、子持山で一番人気のある岩場は登山道からは外れた所にあるらしいので、そちらに向かったクライマーの車だったのかもしれない。

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ここから敷島駅までは自転車で一気に下りたいところであるが、ブレーキの調子が悪くなってしまったので、スピードを抑えてゆっくり下りる羽目になってしまったが、なんとか予定の電車にはまにあって帰ることができた。

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2022年8月14日 (日)

南アルプス300名山周回 最終日

予定を1日早めた最終日は伊那から下諏訪に移動して300名山の鉢伏山をサクッと登って帰宅するつもりだった。ただ鉢伏山は以前に登り損ねた山ではあった。その時は妻と美ヶ原温泉に泊まった際に、自転車で登山口まで行き鉢伏山に続く尾根の末端から登ろうとしたが、時間が足りなくなって登頂を諦めたものである。下諏訪側から登山口まで自転車でアプローチすればコースタイムは六時間程度となっていたので、時間的には問題ないと考えた。

 

下諏訪駅で荷物をコインロッカーにしまったり、自転車でのアプローチに手間取ったりして、登山開始が10時と予定よりも一時間遅れてしまった。登山口には崩壊のため通行止めの立札があったが、実際には明瞭な道が通じていた。どうも行政側は責任逃れからか、人気コース以外は通行止めとしてしまうことが多いようだ。

 

道自体はよいものの、緩やかな登りが長く続くので、のんびりと歩きすぎてしまったようである。途中から急登に変わるので、そこからはしっかりと登ったものの、二ツ山の山頂に着いたのは1時過ぎとなり、登山口から三時間を要してしまってコースタイムを一時間オーパーする不覚をとってしまった。ここから鉢伏山までは四キロ強という表示があったので、往復三時間とすると、最終に間に合わなくなるかもしれないと考えて焦りだしたが、もう少し先までは進んでみることにした。
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稜線から諏訪湖方面を望む
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二ツ山頂上
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鉢伏山はまだ遠い

すぐ先には二人の登山者がいたが、追い抜いてかなり離すことになった。このベースならば鉢伏山までいけるかなともおもったが、しばらく登っても、まだ鉢伏山かなり遠くに見えたので、ここで諦めて下山することにした。先ほどの登山者とすれ違った際に、鉢伏山に行くのかと聞いたら、鉢伏山に車を置いてあるというので驚いた。鉢伏山は車で登るのが一般的なので、登山口に通行止めの立て札があったのかもしれない。逆に私が下諏訪の方から登ってきたといったら、その登山者は驚いていた。

 

下りは順調に進み、最終まではだいぶ時間を残して下諏訪駅に着いたので、居酒屋で今回の周回登山が無事に終えたことを祝って1人で乾杯をした。今回は宿題をいくつか残してしまったが、次の機会にまたトライしてみよう。

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2022年8月11日 (木)

南アルプス300名山周回 七日目

今日は大桑村から分杭(ぶんき)峠を越えて仙丈岳の地蔵尾根コースの登山口である市野瀬に向かい、そこから地蔵尾根途中の松峰小屋まで達する予定であった。百名山の仙丈岳は別コースから2度登っているにもかかわらず今回地蔵尾根を登ろうとしたのには訳がある。それはトランスジャパンアルプスレース(TJAPRと略)という日本海から太平洋までの日本アルプスを八日以内に完走するという日本一過酷なレースがあり、市野瀬のチェックポイントから地蔵尾根を登って南アルプス主脈に達するというのがコースになっているので、地蔵尾根上で選手を応援し翌日に市野瀬に戻って最終の関門通過者を迎えるつもりであったからである。前日の奥茶臼岳でのフル行動の疲れが抜けず予定どおり行動できるか心配であったが、とりあえず出発することにした。

 

分杭峠は日本随一の断層帯である中央構造線が通過していて地球内部のエネルギーがほとぼり出るらしくパワースポットとして有名である。因みに中央構造線は西に延びて伊勢湾から紀伊半島を通り、四国を横切って九州に達しているが、そこでエネルギーを気として感じとることが出来た人が神秘的な場所であるとして伊勢神宮や高野山の創建に繋がったということである。
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峠自体は標高差600メートルほどであり、大桑村側からは徐々に傾斜がきつくなっていくため比較的登りやすい

はずであるが、昨日の疲れが大きいために少し傾斜がきつくなると自転車を下りて歩いてしまう羽目となり15キロを3時間近くかけてようやく登りきった。峠付近には、パワーを感じ取れるらしい施設もあったが立ち寄らずに伊那市側に下りたか急傾斜の連続で、こちら側から登らなくてよかったと思った。

 

傾斜が弱くなったあたりに食堂があったので昼食をとり、そこから少し先にはTJARの市野瀬のチェックポイントがあった。もう荷物を背負って松峯小屋まで登る元気は残ってなかったので、明日の最終関門通過者を見届けることはあきらめ、たまたま入ってきた30人中12位の選手にエールを送って先に進むことにした。 
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ここから伊那市街地までは20キロちょっとなのだが、少し立ち寄るところがあった。それはTJARではないが、日本海から太平洋までの日本アルプスを30年ほどかけて縦走した際に戸台口から戸台バス停(当時)の五キロほどが未踏となっていたため、この際に踏破しておこうと思ったのだが、三分の一はど進んだ所で通行止めとなっていたために引き返して、途中の日帰り温泉に入ってから伊那市街地に向かった。

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2022年8月10日 (水)

南アルプス300名山周回 六日目

今日は長丁場となるので4時に出発する。しばらく歩くと道が上下に分かれる。地図では分岐するようにはなっえないので、どちらを行くか迷ったが、地図の道は大きく迂回しているので、上の道を行けばショートカットできるのではないかと思って上の道を行くことにした。上の道は途中で消えてしまったので、斜面を適当に登ってたら、さきほどの分岐した道と思われる道に這い上がれたので、一応ショートカットできたのだと思うことにしよう。

 

林道はまもなく終わり、奥茶臼岳という立札はあったが、道は途端に不明瞭となりガレ場の横断が何ヵ所もでてくる。ネットの地図では林道の終点から稜線までは40分となむていたが、実際には二時間 以上もかかってしまった。

 

ネットの地図では稜線から奥茶臼岳までは一時間半となっていたが、これも二時間以上かかってしまって頂上に着く。頂上は思った通り誰もいなかった。メインコースのシラビソ平からの道は地蔵峠が通行止めとなっているので、浜松方面からしか来れないが、ちょっと遠すぎるのだろう。
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下りはちょっと間違った方向に降りてしまったが、すぐに修整して正しい道を降りることができた。問題は稜線鞍部から林道までのおり方であった。最初は順調に行くかなと思ったのだが、どこまで降りれば林道に辿り着けるのかが、皆目見当がつかないのである。そこで地図とGPSで検討すると、現在地からほぼ水平に移動していくと林道に突き当たることが判明して問題解決の糸口が掴めた気になった。

 

最初は不確かな踏み跡であったが、次第にはっきりした踏み跡となり、だだっ広い倒木帯に出て、その奥に林道はあった。これで帰れる目処はたったが、今まであえて考えないようにしていた何時に町に戻れるかということを考えてみた。林道を17キロ歩き、さらに自転車で13キロ進んで予約していた民宿にたどり着くことになる。もうキャンセルせざるをえないのだが、ずっと圏外で連絡がつかないのだ。どうにもならないことにヤキモキしても仕方ないので、目前の課題をひとつづつ片付けていくだけだ。

 

暗くなってしまった林道下部の崩壊箇所を慎重に渡ること、急傾斜の夜道を自転車で慎重に下ること、電波の通ずる所に出てからの民宿へのキャンセルの連絡、これらをひとつづつこなして行ってから、今夜のねぐらの確保である。町外れの通行のない道端の草地が今晩のねぐらである。

 

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南アルプス300名山周回 五日目

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思いがけず長居してしまった龍泉閣を去って飯田線に乗り伊那大島で下車する。今日の予定は300名山の奥茶臼岳の登山口か少し上部まで行くことである。と言っても駅から登山口までは30キロ近くある上にアップダウンも結構あるので、これだけで一日がかりである。

 

伊那大島からまずは大鹿村を目指す。スマホの地図では標高差300メートルほどの登りが2回あるようになっていたので、それなりの覚悟をしていたが、新しいトンネルがたくさん出来ていて、ほとんど登りなしに大鹿村に着けたので拍子抜けしてしまった。道の駅のレストランの注文が2時までとなっていたので、時間に間に合うか気がかりだったが、余裕で着くことかできたので、行動食のお世話にならずに済んで良かった。

 

大鹿村から奥茶臼岳を目指すオーソドックスなコースは地蔵峠を越えてシラビソ平を経由するものだが、自転車で向かうにはアプローチが長すぎるので、地蔵峠を登らずに手前から左折して長い林道を辿るコースを行くことにしていた。あまり一般的なコースではないが、ネットで調べた限りは特に通行に問題はないようだ。

 

大鹿村から地蔵峠方面に向かうと、そこ らじゅうに地蔵峠は崩壊のため全面通行止めの表示があるではないか。一瞬焦ったが、よく調べると私のコースは地蔵峠の下で左折するので問題ないようなので安心した。地蔵峠が通れなくなったので、奥茶臼岳のメインの登山口であるシラビソ平は浜松方面からしか行けなくなったようだ(まあ、私には関係ないことたが)。

 

地蔵峠の道と別れて青木林道に入ると途端に道が悪くなり、自転車だけでなく車も通行不能な道だった。崩壊箇所も何ヵ所かあるが、通行できないというほどではない。 二時間ほど歩いたところでテントを張り、明日は軽装で奥茶臼岳を往復するつもりである。

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2022年8月 7日 (日)

南アルプス300名山周回 四日目

 テントの外が明るくなってきた頃、広場に駐車していたバイクが上流を目指して走っていく。羨ましい限りだが、やむを得ない。黒法師岳を目指したのは2回目だが、前回は反対側の寸又峡温泉から登り、前法師岳までで時間切れとなってしまった。次回、黒法師岳にトライする時は、前回同様のコースならば雪のある時期か水を豊富に持って行き2日行程とするか、今回と同じコースならば友人の車に乗せてもらうか往復ともタクシーを利用することになるだろう。いずれにしてもヒルの多い時期は避けるのが賢明だ。この山域では過去にも二回ヒルにやられた経験があるのだから
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後ろ髪を引かれる思いで水窪に下り、飯田線で平岡に移動する。平岡で今回宿泊する龍泉閣は過去にも二回宿泊したことがある。最初は愛知県最高峰を登るために訪れ、二回目は200名山の熊笹山を登るために来たもので、その際に周辺はほぼ行き尽くしているので、午前中に着いたもののホテル内での温泉三昧となった。山歩きに来たのか温泉巡りに来たのかわからなくなってきた。
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南アルプス300名山周回 三日目

今日の予定を検討した結果、黒法師岳登山は明日に回し、午前中は湯谷温泉までの移動、午後は湯谷温泉での休養、夜は黒法師岳登山口までの移動とすることにした。湯谷温泉は昨日キャンセルした宿に罪滅ぼしで行くことも考えたが、その宿の日帰り温泉の営業時間は短く料金も割高だったので、別の施設に行くことにした。また、長野県南部の降水確率は50パーセントで簡易テントを登山口付近に張るのは如何がものかとも思えたが、登山口手前に無人の小屋があって開放されているという情報をネットでえたので、今夜中に登山口まで行ってしまえば、明日の行程が楽になるので、30キロ以上だけど頑張ることにした。

 

朝、ネットカフェを出て駅隣の駐輪場から自転車を回収しようとしたら、なんとカギが開かないではないか。ここの所、カギの開きが悪くなっていたので、そろそろ新品に変えようかと思っていた矢先であった。予備のカギも試して30分近く経っても開く気配がない。

 

自転車を放置していかなければならないかなとも思ったが、ネットで調べてみると潤滑油を差すと治ると書いてある。自転車用の油は持参しているので、藁にでもすがるつもりで差してみる。だが、指した直後には状況が改善する気配がなかったので、もつひとつの対策として書いてあったワイヤーカッターを隣町にあるダイソーに買いにいかなければならないかなと考えたが、しばらく経ってから試すと今までのことがウソのように開いて一件落着となった。油が奥の方まで染み込むのに多少時間がかかったのだろう。

 

一時間ほど時間を要したが、なんとか昼前に湯谷温泉に着き、風呂に入った後にアユのフライをつまみに生ビールで喉を潤す。湯谷温泉は東海自然歩道の愛知県コースを歩いている時の最終日に寄るつもりが、時間が足りずに行けなかった上に、昨日も行けずに鬼門となっていたが、なんとかリベンジを果たすことができた。その後は休憩所で休んだ後に早めの夕食を食べてから、黒法師岳の最寄り駅である水窪に移動する。
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水窪駅で下車して水窪川に沿ってしばらく進むと右に橋を渡って急傾斜になる。たまらず自転車を降りて歩き出す。大きく迂回してトンネルをくぐると水窪ダムに出る。ここまでは駅から八キロ、標高差300メートルだが先は長い。しばらくは舗装路を行くが、その先で道が二つに別れて黒法師岳に向かう湖水沿いの道はダートとなっているではないか。しばらく進んでみたが舗装路が現れる気配はないので、黒法師岳を断念することにした。なにしろ登山口まではまだ20キロ近くあり、歩いていくには遠すぎる。ダム広場に戻って屋根のある休憩所にテントを張ることにした。

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2022年8月 6日 (土)

南アルプス300名山周回 二日目

今日は長丁場なので薄暗いうちから出発する。雨を覚悟していたのに、星空であった。駐車場から先も林道は続いているがダートなのでロードバイクで細身のタイヤの私の自転車は置いて歩いていく。小一時間歩いて蕎麦粒山の南尾根登山口から登り出す。林道は三キロほど奥にある山の犬段駐車場まで延びており、ほとんどの人は車で山の犬段まで入り、そこから蕎麦粒のを目指すようだが、歩きの場合は南尾根登山口からの方が近いようだ。

 

最初から急登の連続のため、初っ端からは調子の出ない私はコースタイムをかなりオーバーしているようである。途中から少しずつペースを上げ始めたものの、コースタイム一時間半のところを二時間半もかけてしまった。三等三角点のある頂上は意外にも誰もいなかった。昨日たくさんの車が林道を下っていったのは蕎麦粒山からの帰りの車だと思われるが、頂上に誰もいないのは時間が早すぎるからだろうか。

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蕎麦粒山から高塚山までは往復四、五時間の道のりだが、両山の標高はほぼ等しいものの、途中に標高差100メートルと200メートルの鞍部があり、そこそこ登りがいがある。両山ともガスに覆われて展望は得られなかったが、南アルプスの奥深い印象を味わうことはできた。
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往路復路ともほぼコースタイムどおりに歩けたので、この分ならば今晩の宿を予約してある湯谷温泉に今日中に着く大井川鐵道の5時過ぎの電車には間に合うだろうと思った。

 

蕎麦粒山に戻ったのは2時前だったが、相変わらず無人であった。南尾根登山口まで下り一時間と表示されていたので、スピードを上げて下り始めた。途中までは痩せ尾根だったので迷うこともなく順調に下れたが、中間部あたりから尾根が広くなってくると、布やテープのマーキングが少ない上に踏み跡が不鮮明な箇所もあるため、迷いやすくなってくる。気がつくと、隣の尾根に迷いこんでしまった。迷った時の鉄則は元の場所まで戻ることたが、正しい尾根の方に向かってかすかな踏み跡が続いていたため、そちらを辿ることにした。ところが踏み跡も途中で消えてしまったため、登り返して元の尾根まで戻り下降を再開したが、この間違いで湯谷温泉泊まりに赤信号が灯りかけた。

 

さらに下降を続けたが、忽然と道が消えてしまい少々あせる。マーキングのある所まで戻り、地図、磁石、GPSを総動員してコースを点検してみたが確信がもてなかった。一応こちらの方向だろうと思って下り始めたが、鮮明な踏み跡は見当たらなかった。林道がすぐ下を通っているはずなので、いつもならば適当に下って林道に降りてしまうところだが、地図で見ると林道の山側にはずらりと崖記号が並んでいるので、このまま降りても最後に行き詰まってしまうことは目に見えている。そこで稜線下の斜面横切って進めば低くなってくる尾根と合流するはずであると判断して進んでいくと、案の定合流して間もなく林道に降り立つことができた。この失敗は最後のマーキングまでしか戻らなかったことにある。コースを外れたところにマーキングがあることも珍しいことではないので、もうひとつ前のマーキングまで戻ってみるべきだった。

 

最後の道迷いで湯谷温泉泊まりは完全に不可能となった。もっとも、自転車を置いた場所から駅まで約15キロあり、下りだから一時間で着くだろうと思っていたのが、夕方から振りだした雨のために路面おブレーキが濡れてブレーキの効きが甘くなってスピードが出せないために二時間灯りもかかってしまったために、道迷いがなくても湯谷温泉にはまきあわなかったであろつ。

 

 

湯谷温泉にキャンセルの連絡をしたところ、キャンセル料は不要とのことで安心したが、代わりの宿を探さなければならない。週末のため、空室探しは難しいだろうと、駅に近いネットしを探したら、静岡方面に二つ戻ったところに駅前にネットカフェがあるのを見つけ、そこに泊まることにした。行ってみるとたしかに駅前だったが、そこまで自転車を担いで行くのも面倒なため、駅の駐輪場に袋にしまったまま置いて、ペダルと駐輪場の柱をワイヤーで繋いでかぎをかけたのだが、これが翌日たいへんなことになるとは思いもしなかった。

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2022年8月 4日 (木)

南アルプス300名山周回 初日

南アルプスは主脈、白峰南嶺他の縦走路は全て歩き尽くし、同山域の100名山、200名山も全て登っているが、周辺の300名山となると未踏の山が結構あるので、西側を半周する形で登ってみることにした。まずは深南部とされる山の中でも最南に位置する高塚山である。

 

高塚山に登頂するオーソドックスなコースとしては寸又峡温泉からとなるが、長大な尾根をアップダウンを繰り返しながら登ることになるので体力の必要なコースである。比較的よく登られるのは、南赤石林道を車で登って先ほどの尾根の上部に出て、そこから登頂するものである。最初はタクシー利用も考えたのだが、15キロのほどの距離だし勾配も六パーセント程度なので、自転車で行くことにした。

 

大井川鐵道の田野口駅には10時頃に着いたが、いきなり雨が降りだしたので気勢をそがれて、しばらく天候待ちをする。ただカンカン照りの中を登るよりも、雨の中を登った方がまだましだと思い直して出発することにした。

 

林道に入ると、6キロほど奥の集落から先は崩壊のため通行止めとの表示が現れて嫌な予感がする。まあ行けるところまで行って自転車の通行が困難ならば、そこからは歩けばいいやと考えて前進することにした。

 

集落を過ぎてしばらくするとゲートがあり車両通行止めと書いてあるが、自転車ならばよいのだろうとゲートをくぐり抜ける。ところが、しばらく進むと上から何台も車が降りてくる。一体どうなっているのかと思いながら進むと、またゲートがあり今度は歩行者も通行禁止と書いてある。今までの状況から、当地の表示には全く信用がないと思われたので、そのまま前進すると、果たして上の方からまた車が何台も降りてくる。

 

傾斜の強い所は自転車を引きながら歩いて進むと、大札山を巻いて肩に上がり広場となる。ここで振り返ると「ここから下は崩壊のため通行禁止」の表示がある。どこが崩壊してるんだ!いい加減な表示は止めろといいたくなった。そして表示を無視して車が何台も降りていった。

 

予定では、もう少し登って蕎麦粒山の頂上あたりでテントを張るつもりだったが、雨中で頂上付近でテントを張った場合の状況がどうなるかは予測できなかった上、地図にはでてない 蕎麦粒山を巻いて高塚山への登路にでる道があることがわかったので、ここにテントを張って明日は暗いうちから、軽装で高塚山を往復することにした。

 

予定が変更して時間が余ったので、巻いてきた大札山を往復してくることにした。大札山は小一時間で往復できる距離にあり、時間潰しにはちょうどよい近さであった。残念ながら悪天のため頂上からの展望は選られなかったが、それはそれでよしとしよう。
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肩に戻り夕食の準備をする。ベンチのある所でキャンプするなんて普段はないことであるが、たまにはいいだろう。トイレ、水場付きながら管理人もいないので無料である。もっともテントを張っているのは自分一人であるが
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