秩父34札所の巡667礼は10年ほど前に妻と二年かけて一部はバスも利用して全札所を回ったのが最初で、二回目は数年前に一人で三日かけて一筆書きで回ったが、自転車を利用すれば一日で回れるのではないかと考えるようになった。ただ、秩父に行くだけで時間がかかってしまい、朝自宅を出ると行動時間が限られてしまうので、前夜から秩父に泊まることにした。もっとも初日を秩父への移動だけで使うのはもったいないので、別計画も実行することにした。
初日はやり残したプランがいくつかある寄居に向かうことにした。寄居までは東上線で行くのが便利であるが、池袋回りとすると、自転車を輪行してラッシュの電車に乗り込まねばならないので、途中駅の和光市までは自転車で行くことにした。自宅付近の中杉通りは、終点の中村橋までは一本道なのだが、そこから先の和光市までは曲がりくねっていて解りにくいのだが、事前によく復習しておいたのでスムーズに行くことができた。
かつて寄居と秩父を結ぶ主要な峠道のひとつであった粥仁田峠は明治の初めに自由民権運動に触発されて秩父地方で発生した暴動(秩父事件)に際して秩父の民衆と大宮からの警察隊との攻防が行われた所で、だいぶ以前に自転車で訪れようとしたことがあるが、パンクのために断念し再訪がかなわなかったところである。一方、寄居自体は何年か前に秩父七峰縦走を2回に亘って行った際に、アプローチで鉢形城址の横を通ったので、寄居の北方にある低山の鐘突堂山登山とともに、縦走が終わった残りの時間にやろうと思ったものの、時間不足でやり残したままとなっている。
今回、やり残しを済ませるために、まずは鉢形城址を訪れることとしたので、それならば寄居まで行かずに手前の鉢形城址をみてから鐘突堂山を登った方が効率的だろうと考えて鉢形駅で下車した。鉢形城は戦国時代の北条氏の支城で川に挟まれた要害堅固の地であったが、豊臣秀吉の小田原攻めの際にあっけなく落城した。今は曲輪の跡がわずかに残っているだけである。
一通り見学した後に鐘突堂山に向かう。関東百名山にも選ばれているが、標高はたかだか300メートル程度の低山なのでろくに調べもせずに取り付く。大した登りもなく頂上に着くと10数人の団体さんで賑わっていた。頂上には山名のいわれとなる鐘とお堂があった。先ほどの鉢形山の見張り台の役目をしていて、敵が近づくと鐘を鳴らして危急を伝えたそうである。
団体が下山してしばらく時間をおいてから自分も下山するが、すぐに団体に追いついてしまう。追い抜く際に大勢に足止めさせるのは申し訳けないので、一定の距離を保って歩くことにする。そのうちに下山方向がおかしいことに気付くが、ほとんど下まで降りてしまっているので、頂上まで登り返すよりも下から回りこんで自転車を回収した方がよいだろうと考えて前進することにした。
低山だと侮って下山時に方向を確認せずに団体の後をついていってしまった失敗だが、グーグルマップで調べると1時間以上かかることがわかる。隣の谷に通じる尾根を越える地図にはない里道がきっとあるはずだと思って前進すると、思ったとおり里道があって40分ほどで自転車の所までたどり着いた。下から回りこむよりも早かったが、無駄な時間を費やしてしまった。
ラーメン屋で遅い昼食を食べてから粥仁田峠に向かうが、また鉢形城址の横に出てしまい、こんなことなら鐘突堂山、鉢形城址の順に行った方が時間を省略できたと思えてきたが、後の祭りである。粥仁田峠を登る際の懸念は、どこまで舗装してあるかだったが、道は次第に狭くなってくうものの峠まで自転車を下りずに漕ぎつづけることできた。ところが峠を越えて下り初めると間もなく舗装が途切れて砂利道となってしまったので、やむなく自転車を引いて行く羽目になる。
麓の集落に着いた時には暗くなってしまったが、これからどうするか思案する。ここから札所1番までは比較的近いので巡礼を開始するには好都合だが、夜を徹して巡礼するのは少々気が重い。そこで今夜中に行ける所まで行き、秩父駅近くにあるネットカフェで仮眠して、翌朝から巡礼を再開することにした。暗くなると多くの札所が門を閉じてしまうが、元々1日で全ての札所を回るには本堂での参拝は省略して山門までしか行かないことを決めていたので、夜間の参拝となっても支障はないことになる。
1番札所は前2回の巡礼では最寄り駅から向かったので登りがそこそこあったが、今回は峠から下ってきたので楽だったが、2番札所は一度下りてから登り返したので結構たいへんだった。その後は、さしたる苦労もなく10番札所まで進んだが、時間もかなり遅くなったのでネットカフェに向かおうかなと思ったが、念のために11番札所を確認したところ、3キロほど戻ったところにあるではないか。明日、ここまで戻ってくるのもたいへんなので今夜中に行っておこうと行ってみると、なんだかさきほど来たような気がする。もう一度ネットで調べると、ここは3番常泉寺で、11番は一字違いの常楽寺でネットカフェの近くにあることがわかった。とんだ間違いでネットカフェに着いたのは零時を回っていた。
仮眠を終えてネットカフェを出たのはまだ暗い5時過ぎであった。11番から12番に向かう途中のすき家で朝食をたべる。そこから先は札所間の距離は近く、どんどん先に進める。10時に前には前半のハイライトとも言うべき23番の音楽寺を目指してヘアピンカーブを喘ぎながら登って行く。音楽寺は秩父市内全体を眺められる展望の良い所で、駐車場からもその景色は眺められるのだが、肝心の音楽寺に向かう道が見当たらない。遊歩道が下っているので、そちらに向かってみるが、寺は見当たらない。時間をかなり空費したので諦めて帰りかけた時に参道を発見してなんとか音楽寺に辿り着けた。今までは巡礼道を下から登ってきたので迷うこともなかったが、駐車場からの道はかなり解りにくかった。
その後は荒川に下って札所を何カ所か回って、28番の橋立堂に着く。ここは鍾乳洞も隣接しているので観光客も多いが、圧巻はお堂の背後に聳える圧倒的な大岩壁である。
景観を眺めた後、お昼も近かったのでそば屋で山菜そばを注文する。実は妻と秩父札所を訪れた際に二カ所で食べたそばのまずさが語り草となっていて、今度もまずかったら本物だという気持ちがあったのだが、出されたそばはやはりねっとりしていて予想を違わぬものであった。もっとも、道の横には「そばの里 秩父」とかかれたのぼりを見かけたので、地元の人には好評なのだろう。
その後に札所の中では一番南に位置する30番に着いたのは2時頃で、いよいよ最後の頑張りということになるが、ここから31番もあって札所間の最長距離となる15キロもあり、しかも山を越えた向こう側の谷間まで行かなければならないのだ。異を決して坂道を登り出すが、結局山越えはなくて途中からトンネルをくぐって向こう側の谷に下りたので拍子抜けしてしまった。
札所際奥の31番の山門に着いたのは4時だったので、明るいうちに巡礼を終えるのは難しくなってきた。31番の山門から本堂までの往復は小一時間かかるのでパスして32番に向かう。距離は12キロあって前半は下り、最後は登りとなるが、小一時間で終えることができた。33番までもなな7キロ近くあるが、平坦な道なので問題はなかった。
最後の34番までは山を回り込むことになるので、一度荒川に下ってから登り返すことになる。登り返しに入って道が分岐しているところで多くの車が右折するので、それに釣られてしまう。しばらくしてから気づいて来た道を戻るが一時は気弱になってリタイアしてしまおうかとも思ったが、まだ6時をすこしまわった程度だったので、気を取り直して34番の水潜寺に向かい、7時前にはなんとかゴールできた。時間の余裕があったので、前2回の時には寄れなかった満願の湯にも立ち寄ることができた。巡礼を終えて満願を果たした者が立ち寄る所とされているが、来場者の大半は巡礼とは関係ない人のようであった。食堂も併設してあったので名物のわらじかつどん(さしてうまくはないが)を食べられて大満足であった。ただ、西武秩父までは15キロほど自転車をこがなければならず、ビールを飲めなかったのが残念であった。
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