« 河井継之助記念館 | トップページ | 会津朝日岳 »

2022年10月25日 (火)

八十里越え断念

八十里越とは古来より越後と会津をつなぐ峠道であり、長岡藩家老の河井継之助が官軍との北越戦争に敗れて会津に落ちのびるために越えた峠として司馬遼太郎作「峠」に登場して知られており、最近では同名の映画も上映されている。実際の距離は30キロ(約八里)程度だが、険しい難路で実際の距離の10倍に感じることから名づけられたとされている。私も今春に300名山の粟ヶ岳を登った帰りに越後側から八十里越えを目指したが、思った以上に時間がかかって断念してしまった。

会津側から登った方が距離が短いようなので、今回只見方面に来たのを機会にリベンジすることにした。

問題となるのは、八十里越えの道が地図上では確認できないことである。国土地理院の五万図では峠を越える赤色の道路が記入されているが、これが建設中の国道と関係あるものかどうかは不明である。また古道というのもあるようだが、地図上には記入されてないので詳細は不明である。また越後側から会津側へ八十里越えを行った記録がネット上ではいくつか見られるが、只見方面に下降するあたりの記述としては「建設中の国道に降りてしまった」程度のもので、全然参考とならない。
Screenshot_20221025191443_copy_345x146_1

今回はさしあたり、地理院五万図の赤色の道路を行くことにした。グーグルマップでは、叶津の少し先から道が細くなっているので多分そこにゲートがあるのだろう。ネットの情報ではゲートの先にも開放前の国道が延びているとのことなので、自転車ならば前進できるだろうと考えた。

起床時に自転車を点検すると後輪の空気が完全に抜けている。一ヶ月ほど前に酒田の手前でパンクしてチューブ交換したばかりなのに‥‥、古いチューブを使ったからだろうか?いやな気分でキャンプ場を出ると、叶津の少し先に浅草岳と八十里越え古道の登山口の標識があった。心が動いたが、前日訪れた河井継之助記念館にあった八十里越えの概念図では古道は現在では廃道と書かれていたので無視することにした。

未解放ながら完成済みの国道は川沿いに地図上の赤色の道を辿っていたが、トンネルの部分だけは川沿いの赤道とは離れていた。いくつかのトンネルを過ぎて五万図を確認すると、赤道は川を離れて尾根を登っているのに、国道は川沿いに続いているのだった。

そこでやむをえず戻ってトンネルの手前から赤道上のあたりを登り出した。ところがいくら登っても踏み跡は皆無で、人が立ち入った形跡もない。そこで前進を断念して先程の古道登山口まで戻ることにした。

浅草岳登山道と古道は同じで歩きやすい道だった。快調に鞍部まで登ると、浅草岳山頂付近までは明瞭な登山道があるのに反し、八十里越え方面と思われる沼の平に至る標識のある道はロープが張ってある。それを無視して前進すると道が二手に分かれて、いずれにもロープが張ってあって立ち入り禁止となっているが、左手の道は不明瞭だったので右手に進むと、次第に下って行き朝登りかけた地点の方へ降りるようであった。午前中から降りだした雨もひどくなってきたので前進を諦めて来た道を戻ることにした。
Img_20221023_141950_copy_328x246

只見の町に戻って、夕食を食べようと飲食店を捜したが、只見の夜は早く(というよりまだ薄明るかったのに)、「本日は閉店しました」の店ばかりであった。やむをえずコンビニ弁当を買い、ついでにつまみだけ買い、ビールはキャンプ場の管理棟の自販機で売っていることを思い出して買わずにキャンプ場に戻ったら、7時を少し過ぎただけなのに管理棟には鍵がかかって入れなかった。町に戻っても24時間営業のコンビニではないので閉まっている可能性もあり、酒なしで我慢することにした。ついてない1日であった。

八十里越えは越後側から泊まりで行うのが一般的のようなので、機会があったらやってみたい。

|

« 河井継之助記念館 | トップページ | 会津朝日岳 »

歩き」カテゴリの記事

自転車」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 河井継之助記念館 | トップページ | 会津朝日岳 »