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2022年11月

2022年11月30日 (水)

松山から宮崎へ

 

昨夜、開けられなかったコインロッカーの所に行き、今朝もだめなら業者にクレームの電話をしようと思ったらなんと今回は開いてしまった。キツネにつままれた気分てあるが、トラブルが解消したのだからよしとしよう。当初の計画では今日は佐田岬の先端まで行き、翌日に三崎港から九州に渡るつもりだつもりだったが、雨模様のため佐田岬行きは取りやめ、今日は松山泊まりとして明日、八幡浜から九州に渡ることにした。そのため今日は急ぐ旅でもなくなったので、松山までは各駅停車で行くことにした。

 

松山の観光と言えば道後温泉と松山城が有名だが、前者はお遍路の際に立ち寄ったことがあるので、お遍路の際に下から見上げるだけでまだ行ったことがない松山城に行くことにした。

 

最初はあるきて行くつもりだったが、思ってた以上に足が疲れていたので、県庁までは路面電車で行き、そこから歩くことにした。まずは麓の二の丸に行き、今は公園となっている庭園を眺める。ここから見上げる本丸や天守閣はるかに高く、やめようかとも思ったが、せっかくだからと頑張ることにした。
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階段を登りだすと連日連夜の疲れが出て、後から来た人に抜かれっばなしになる。本丸と天守閣の前まで来たが、建物内に入って急な階段を登るのもいやだったので、松山城まで来たということにして街に戻ることにした。

 

翌日は八幡浜に移動して、そこからフェリーで別府に渡り、サらに日豊本線を乗り継いで宮崎に達し、宮崎在住の姉に久しぶりに会ってきた。
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四国の二百名山登頂

東赤石山の登山ルートをネットで調べると南側からのものばかりだが、南側からだとマイカーが主体てバスは本数が少ないため利用しづらい。北側からも地図には道が出ているので登れないことはないだろうが、最寄り駅の関川から登山口までの15キロの道がどこまで舗装してあるかは事前には調べられなかったので、出たとこ勝負となる。

 

関川駅から上り坂となるが、このくらいの傾斜ならたいしたことはないので、登山口までこの程度の坂ならいいなと思っていたら、五キロ程度進んだ所で舗装が途切れ砂利道となる。登山口までは倍以上の距離をあ歩かなければいけないのでガツカリする。歩きだしてすぐの所に水場があったので肩からぶら下げているボトルには水を入れ粉末スポーツドリンクを加えたが、ザックの中の水筒は次の水場で休憩がてらにザックを下ろした時に入れればいいやと考えてそのまま歩きだす。ところが、次の水場はないままに登山口まできてしまう。稜線上には水場はないたろうから、このままでは水不足となることは目に見えている。こかで地図を見直すとコースは稜線通しに行くものの外に、左側から回り込んで稜線に達するコースもあることに気づいた。こちらの方は途中で沢を横切っているので水を補給できるし、傾斜が多少緩くなっている分だけ登りが楽に思えた。その割にはコースタイムは10分長いだけなので断然有利に思えた。

 

後者のコースを行くこととして左の林道を進み、そろそろ林道から山道が分かれるあたりまできたが、山道への分岐点が一向に見つからない。だが注意深く見てみると、かすかに踏跡らしきものが見てとれる。ここ以外に登り口はないと判断して登りだすと、踏跡も多少はしっかりしてきた気はするものの、不明瞭であることにかわりなく、標識やマーキングは相変わらず全くない。やがて沢を横切る箇所に出たので水は補給できたが、対岸の稜線に登る道が見つからない。適当に登っていると小尾根に突き上げ、小尾根をしばらく登り続けると稜線に達することができた。
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ここから頂上までは標高差にしてまだ800メートルもあり先はまだ長い。道は四国電力の電線巡視道も兼ねており、一定間隔で鉄塔が立っているので多少は気がまぎれる。道は不明瞭な部分もあるが、マーキングは多少はあり頭上には高圧線が走っているので迷う心配はない。相変わらず急登が続くが、遠くに見えていた権現山から東赤石山に続く主稜線が少しづつではあるが近づいてくるのに気を紛らわす。

主稜線に着いた時には日が東赤石山から左に続く尾根に沈みかけており、日没までに頂上につけるか時間との競争になるが、ここまで来た以上は登り切るしかない。頂上までの道は岩と樹木の入り混じった歩きにくい道で距離の割には時間がかかるが、真っ暗になる前になんとか頂上に到着する。もちろん、こんな時間に他の登山者がいるはずもない。
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長居は無用と下山に移るが、登りでさへ踏跡が不明瞭だったのに暗闇ではライトをつけても踏跡を辿るのは困難なの
で、スマホのGPS対応の地図とにらめっこで、現在位置が登山道を外してたら、コンパスで正しい方向を確認して登山道に戻ることを繰り返したので、迷うことなく登山口まで下りることができた。だが、ここから駐輪してある舗装路の終点までの長かったことといったらありゃしない。

 

自転車を回収してしばらく進むと人家が見えてきたので電波が通じるだろうと思って、今夜の予約したホテルに電話したところ、チェックインは何時でも可能だというではないか。ホテルの最寄り駅である西条までの最終電車は終わってしまっているが、距離的には20キロ程度なので時間にこだわらなければ辿り着けると判断して、ホテル近くまで着いたら電話することにした。

 

国道を西条方面に向かうと道は下り一方になる。楽は楽だが後ろから猛烈なスピードで追い抜いていくので怖くなり歩道に進路を変えると、凸凹があったり雑草が生い茂ったりとスムーズには進めなくなったが、そのうちに旧街道の矢印かあったのてそちらに進むとスムーズに前進できた。旧街道が終わって一般道になると多少迷うようにはなったが、なんとかホテルにたどり着くことができた。実に長い一日だった。

 

翌日は疲れていて8時まで寝ていた。今日は雨が降って休養日とすることを期待したが、残念ながら今日は天気が持ち、明日は荒天になるとの予報なので出発せざるをえない。幸い、今日の笹ヶ峰の登山口はかなり標高が高く、そこから頂上までは5時間で往復できるようなので、ゆっくり出発しても大丈夫だろうと、自転車で遠出してファミレスで朝食をとってからタクシーに乗り込んだ。

 

ここから誤算が始まる。まずは運転手に登山口までは車は入れないと言われる。ネットでは車で入っている記録がたくさんあると言ったら、四駆てないと無理だと言われる。まあ少しでも奥まで入ってもらいたいものだと思ってたら、林道の分岐点の所でここまでだと言われる。別にゲートがるわけでもないし進入禁止の表示があるわけでもないので進めないことはあるまいと思えたが、前に笹ヶ峰に向かった人を乗せた時も、ここで降りてもらったと言うのでやむをえない。ここから登山口まで歩くとなると3時間かかるので時間的にはかなり苦しくなつてくる。

 

傾斜はそれほどきつくはないので急なところだけは自転車を降り、他はゆっくりと漕いでいけば、歩くよりは速く進めそうである。ところが、登山口まで三キロ弱の所から先は舗装のない砂利道となっていたのが第二の誤算であった。ネットの情報でも登山口手前で舗装は終わっているとあったが、こんな下から歩かされるとは思わなかった。1時間ほど歩いて登山口に着いたが、そこからの登りが昨日の疲れで調子が出ず、こんなベースではいつ頂上に着けるかわからないと思えてきた。

 

歩きだすにつれてだんだんと調子が出てきたので、なんとか明るいうちには頂上に着きたいと思ったが、頂上直下で暗くなってしまったので、風の当たらない所で防寒防風の支度とライトを着けて頂上に向かう。頂上は強風が吹き荒れていて、写真を取るや否や(と言っても三角点しか写ってないが)下山に入る。かぜが弱まってきたあたりで考える余裕も出てきたので、今後の進路を登山口までの下山、林道のうち未舗装部分のジョギング、林道の舗装部分の自転車ダウンヒル、国道のサイクリングの四つな部分にわけて時間を計算してみると、今晩のホテル予約してある松山までの最終電車にギリギリで間に合いそうなことがわかった。
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頑張ったおかげで、なんとか最終電車にギリギリで西条駅に着いた時に最後の誤算というかアクシデントが起きた。それは朝荷物を預けたコインロッカーを開けようとしたら開かないのである。業者への連絡時間は過ぎていて明日にまで待たなければならない。これで今日中に松山へ行けないことは確実となった。すぐに松山のホテルにキャンセルの電話を入れ、西条駅前でホテルをさがしたが、幸いすぐに見つかってホッとした。今日もたいへんな一日だったが、四国の二百名山全山登頂を祝って駅前の居酒屋で一人て祝杯をあげた。

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2022年11月26日 (土)

東海自然歩道と本州一周の空白部分を埋める

今回の旅の主目的は大分から長崎までの600キロ走破により2009年から続けてきた日本列島海岸線一周を達成することであるが、副次的にはJR全線乗車達成と西日本の200名山全山登頂達成もある。さらには、前回の旅で東海自然歩道はゴールの箕面公園には到達しているが、時間不足からショートカットしてしまった部分を踏破しておくということもある。というわけで、初日は大阪府の高槻駅で途中下車して、前回、ポンポン山からの下山に際して早く下山し過ぎてしまった出灰までバスで移動して、本来の下山口である原立石まで歩き、そこから東海自然歩道に合流して前回最終日のスタート地点である忍頂寺までの半日行程(のつもりだった)の歩きである。

 

出発地の最寄り駅である高槻へは京都までは新幹線、その後は在来線で行ったが、うっかりして自由席特急券を買ってしまったため、車内の最後尾席の後ろの特大荷物スペースに収容することができずにドアの横に立てかけることになったが、ホーム側のドアに立てかけると出入りの邪魔になるため反対側のドアに立てかけなければならないが、品川と新横浜はどちらが開くか不明だったので、すぐに移動できるように自転車の横で待機し、静岡と浜松は駅の構造上どちらが開くかわわかっていたので、ホーム側と反対側のドア横に立てかけ途中で駅員に聞くと名古屋も同じ側のドアが開くということなので京都まで客室に戻ることにした。

 

京都から在来線で高槻まで移動して、自然歩道に行っている間は自転車は不要なので駅近くの駐輪場に停めておく。駐輪場はレールにタイヤを入れるとロックされて2時間までは無料、それを超えると有料となるタイプだったが、レールに入れるために自転車を組み立て、戻ってから分解する手間が面倒だったので、袋に入れたまま車体を柱に固定して駐輪することにした。駐輪場をケチることが目的ではないのだが、係員に見つかって文句を言われたら料金を払えばいいやということで、前回の出灰までのバス停までバスで移動した。

出灰を出発下のは12時過ぎで、自然歩道との合流点となる原立石までは下りなので2時間もかからずに着いてさまったので、この分では明るいうちにゴールの忍頂寺に着けるかなと思ったが甘かった。原立石からしばらくは自然歩道の案内標があったが、途中からそれも見失いGPS対応の地図に導かれながら進む。峠の手前で自然歩道と合流したが、依然として道は不明瞭で通過に時間を要した。「大阪では東海自然歩道は忘れさられている」という前回の教訓がよみがえってきた。さらに時間が経過して日が陰ってくると、残照が木立に当たる影と赤テープの違いが見分けにくくて進路の選択に苦労する。

 

なんとか暗くなる前に舗装路まで降り立ったが、今日こゴールの忍頂寺までの間には竜王山という東海自然歩道の最後のピークを越えなければならない。前回、自然歩道最後のピークだと思い違いしたポンポン山と比べれば張るかに楽な山とは思うが、暗くなりかけていることもあり、夜道の山越えは時間が読めないこともあり、遠回りかもしれないが、舗装道路を忍頂寺まで行くことにした。忍頂寺までは登り主体となることもあり意外と時間がかかり、最終バスの15分前に忍頂寺バス停にようやくつ着く。忍頂寺自体はバス停からさほど時間がかからずに着けるかもしれないが、真っ暗な中を行っても仕方ないので大人しく最終バスを待つ。

 

バスは高槻よりも少し先の茨木行きなのて、茨木駅のみどからりの窓口が閉まる直前に四国の割引切符を買ってから高槻駅に戻り、夕食と買い物を済ませてから自転車を回収して関西圏での唯一のJR未乗車区間を埋めるために桜島駅(ユニバーサルスタジオ駅の次の駅)に向かう。そこで下車してまた自転車を組み立てて明日乗車する南海なんば駅近くのネットカフェに着いたのは日付が変わる直前であった。

 

翌朝は、本州一周の唯一の未走区間である和歌山のみさき半島周遊に向かう。前回は時間不足でみさき公園から先は電車に乗ってしまったので、そのリヘンジであるが、その前にみさき公園から支線の余奈川までを往復しておく。私鉄の全線乗車まてはする気はないが、乗れる分はできるだけ乗っておこうと思っている。

 

その後は、いよいよ本州一周達成を目指してのスタートである。余奈川までは内陸を行くが、しばらくすると海が見えてくる。海岸沿いの道はアップダウンも少なく快適である。加太は太平洋側にはりめぐされたサイクリングロードの起点となる所だそうで、そのうちの一部は自分も通っているはずである。自転車乗りの聖地のような場所らしくたくさんの自転車乗りが来ていた。
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地図を見ると、海岸線の道はさらに続いているようなので進んでみたが、「私有地のため立入禁止」の表示があったので引き返す。一路和歌山市駅を目指すが、途中から小雨も降りだしたので、雨宿りを兼ねてラーメン屋に寄ったりしてチンタラ々々行く。有吉佐和子の小説の題名にもなっている紀ノ川を渡ると、もう和歌山市駅であるが、まだ1時であり、このまま四国に渡るために港に行くと時間があ早すぎるので加太までの南海電鉄の支線の往復もしておいた。

 

加太から戻ってもまだ1時間以上待ち時間があったので、和歌山城にも行ってくる。和歌山城はだいぶ以前に職場の同僚が和歌山に転勤になった後に和歌山に会いに行った際に行っているはずなのだが、全く記憶がないので二度目であっても新鮮な感じがした。天守閣も登ってみたが、印象としてはあまり堅牢さを感じさせない城であった。石垣の傾斜も緩く簡単に登られそうだし、枡形という敵を四方から攻撃できる通路の造りもないようだった。これは和歌山という位置が対西国外様大名の防衛ラインとしては重要性を欠いていたからかもしれない。
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お城でゆっくりし過ぎたせいか、フェリーへの乗り継ぎがギリギリでヤキモキしてしまった。港までは南海の支線で向かったが、今日は南海電鉄の本線と支線三本を乗車するという鉄チャン顔負けの一日で、夕陽を見ながら和歌山湾を横断するという経験もできて盛り沢山の内容だった。
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明日は西日本の二百名山全山登頂達成の第一弾として東赤石岳を関川駅から自転車も利用して往復するということで、今夜は高松まで移動して明日に備えることにした。

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2022年11月11日 (金)

東海自然歩道 ゴール到達

いよいよ東海自然歩道歩きも大詰めである。今日中に京都を離れて大阪に向かうことになるが、その前に東海自然歩最後の山となるポンポン山を越えなければならない。登山口である善峰寺までは車で行くのが一般的だが、そこまで歩くとなると実に長い。結構な登りで登山口まで着くと、上からどんどん人が下りてくる。登り出すにつれて下りてくる人が減ってくるので頂上にはもう誰もいないかと思ったらまだ結構な人がいたので、そこそこ人気のある山のようである。
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ほとんどの人は来た道をもどるようだが、自然歩道は反対側に向かっているので、また静かな山歩きとなる。途中の小ピークで道は二分するが、コースをよく調べなかったものだから、自然歩道のコースは南の本山寺ではなく西側の尾根を行くものと勘違いしてしまい、そちらの方に進んでしまった。道自体はしっかりしており、赤布やテープもたくさんあって通行に問題はなかったが、自動車道路に降り立つと、予定していた地点よりもだいぶ上流側におりてしまったことに気づいた。コースの取り違えで明日一日でゴールにたどり着くのは難しくなってきたが、どう対応するかは町に下りてから考えることとして、茨木行きのバスを待つことにした。茨木ではゴールが翌日までに近づいたことを祝って居酒屋で一人祝杯をあげる。

 

最終日となるべき本日は昨日の遅れを取り戻すためにコースを一部カットして忍頂寺からゴールの箕面公園を目指すことになった。出発点となる忍頂寺のバス停に下りて戸惑ったのはこれから進むべきコースについての情報(指導標、案内板等)が一切見当たらないことである。仕方ないので、ネットからダウンロードした概略図に従って上音羽方面の道を進もうとしたところ、災害のため通行禁止の立札があり、やむを得ず下の舗装道路を自然歩道との合流点まで歩くことにする(一部はショートカットしたが)。合流してしばらく進むと、道は北摂霊園方面へのものと分岐し、かなりの勾配で高度を稼いでいく。1時間以上登って大阪方面が見渡せる広大な霊園に出る。もうゴールまで登りはないのだと思うとホッとする。ゴールの箕面公園までの延々と続く舗装道路を下って行くとダム湖に着き、グーグルマップでは箕面公園まで500メートルと表示されている。ところが、ここて問題がおきた。グーグルマップでは箕面公園までの道が湖面を斜めに横切るように表示されているが、そんな道はないではないか。そこでオフラインても使えるダウンロード済みの地図で見てみると、湖面を渡った対岸に箕面公園まで繋がる小道が表示されていたので、やっと公園まで辿り着ける目処が立った。

 

公園に着いて驚いたのは東海自然歩道についての表示が一切ないことてある。グーグルマップでは東海自然歩道 西の起点と表示されているのに現地では完全に無視されているのである。そういえば、大阪府に入ってから、自然に関する表示がほとんどなくなっているのは、大阪人にとっては自然歩道は関心の対象外からだろうか。
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西の起点というからには、これから先はさほど歩くないだろうと思っていたら、最寄り駅までは下りながら10キロ以上歩かなければならないし、近くのバス停としては30分ほどの緩い坂を登らなければならない。究極の選択を迫られたが、後者を選択することにした。最後の頑張りで勝尾寺のバス停についてみると、平日は一日三本しかなく次のバスまでは2時間以上待たされるうえ、あたりには人家もなくて飲食もできないことがわかりガッカリする。最後の最後で自然歩道から冷たい仕打ちを受けた気がしないでもないが、4年間の頑張りをたたえるのは大阪の街におりてからにしよう。

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奈良・京都旅行+東海自然歩道

コロナでのびのびとなっていた夫婦での奈良・京都旅行がやっと実現した。

初日は奈良に行く前に東海道五十三次で最も宿場町の町並みが良く保存されている関宿に立ち寄った。10数年前の

五十三次を歩いた時は日程の余裕がなかったので観光する余裕がなく通り過ぎただけだったし、今年歩いた東海自然歩道の鈴鹿峠越えの後に食料調達のために峠下から関駅までバスで往復した際には、目と鼻の先にある宿場跡には立ち寄ることさへなかったが、今回は資料館立ち寄ったり、宿場沿いの店で食事をしながらじっくりと宿場巡りを楽しんだ。
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奈良に着いてからは定番の寺社巡りに行くのではなく、最近になって復元が進められているという平城宮跡を見に行った。奈良の寺社巡りは中学校の卒業旅行以来、何度も行っておりめぼしい所はだいたい訪れているが、その頃はまだ平城宮跡の復元は行われておらず、復元後の状況をぜひ見たいと思ったからである。

実際に行ってみると復元されているのは朱雀門と大極殿だけで他は手付かず状態なため完全復元には相当時間がかかりそうで、多分自分が生きてる間は無理だろうが、それでも平城京の昔に思いを馳せるには十分であった。一通り見終わって宮跡の北端まで来ると、そこから今日のホテルまでは30分ほどの歩きの距離だったので、来た道を戻らずにホテルを目指す。

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ホテルで小休止の後に奈良の中心街に向かう。駅近くの繁盛店での夕食後にライトアップされている(はずの)東大寺に向かうが、全く明かりがついてない。ネットで調べてみると東大寺がライトアップされるのは土日だけということであった。さらに調べると近くの興福寺は金曜日の今日がライトアップされることがわかり、そちらに移動したところ期待したほどではないにしろライトアップはされてたので来た甲斐はあったということで宿に戻った。
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二日目は京都へ移動したが、JR奈良線の沿道には見所がいくつかあるので途中下車して観光していく。まずは平等院鳳凰堂である。中学の卒業旅行で行ったような気もするが、記憶が定かではないので寄って行くことにした。建物内部に入るには別料金が必要な上に2時間待ちだということで止めたが、正面からの鳳凰が翼を広げた姿を見るだけで十分である。資料館にも立ち寄ったが、名前の由来として聞いていた「建設資金の一部を寄付に頼ったが、寄付の多寡にかかわらず平等にご利益があるから」の説明がなかったのは、現世過ぎるからか

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次は伏見稲荷に立ち寄ったが、電車が駅に滑り込むとホームは乗り込もうとする乗客で立錐の余地もないほどだ。聞

いていた以上にすごい人気だ。外国人も多かったが、ゼロコロナが解除されて中国人も来るようになったら、どんなことになるのだろうか。それはともかくとして、外人にまじつて?赤い鳥居をくぐって行くが、鳥居の列はエンドレスのように続くので、適当な所で切り上げて京都駅に向かう。
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京都のホテルには早めに着いたので、夕食までの時間に前から行ってみたかった三十三間堂に行ってくる(妻は行ったことがあるので留守番)。近場ということで行きは歩いて行ったが、クローズ30分前に着き一通りは見られた。やはりなかなかの迫力である(建物内部は残念ながら撮影禁止)。その後、妻と駅地下のお店に行き京料理を食べる。もっと薄味かと思ったら、しっかりした味付けであった。

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妻と一緒の旅行も最終日である。今日は紅葉目当ての比叡山である。京都の紅葉は代表的な嵐山をはじめとして11月下旬が見頃であるが、比叡山は標高があるだけに一月ほどは早いようである。京都からの比叡山は、バスとケーブルを乗り継いで最後は若干の歩きだと思っていたら、山頂まで直通のバスがあったのは意外だった。

比叡山の中心的存在である根本中堂は数年前に訪れた時と同様に修復中で建物全体に覆いがかけられている。以前の姿に戻るにはまだ数年かかる見込みだが、原寸通りに戻すには緻密な作業が必要なので時間がかかるのだろう。あたりの紅葉は思ったほどではなかったし、帰りのバスの本数も限られていたので、妻は早めのバスで帰ってしまい、ここからは一人旅となる。

ここから比叡スカイラインを横に見ながら主稜線に沿って横川中堂まで続く道は以前に一度歩いているのだが、仰木峠から大原まで下りる東海自然歩道につなげるためには重複とはなるが、歩かなければならないのだ。途中、東塔さらには西塔あたりはかなり紅葉が見事で、妻に見せられなかったのは残念だった。西塔を過ぎるとめっきり人は減り、トレランコースになっているので、練習する人がたまに通る程度である。

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大原にはなんとか明るいうちに下りられ、自然歩道は三千院や寂光院もコース途上にあるので、寄り道をしていく。三千院は以前のブームも去って静まり返っていると聞いていたが、どうしてどうしてなかなかの人出である(昨日の伏見稲荷ほどではないが)。三千院の入口にはクローズの30分ほど前には着いたが、案内図を見ると敷地はかなり広くて短時間では回れそうもないので、入場料を払うこともあるまいと入り口で引き返すことにした。自然歩道は寂光院にも立ち寄ることになっているので向かうことにさたが、着いたのはクローズ時間直前だったので素通りする。

その後はライトをつけて江文峠と竜王坂を越えて鞍馬寺の下に着く。門はないので入ることはできるが、真っ暗のなかを参拝してもしょうがないので(牛若丸なら天狗とあそぶのだろうかが)、今夜は市内に戻り明日出直すことにした。

翌朝戻ってくると、まだ早い時間なのに結構大勢の参列者が階段を登っている。小高い所にある鞍馬寺まで登ってから来た道を戻って二瀬まで下りる。峠を越えて金閣寺の北を回って京都市の北部を西に進んで行く。さらにもう一つの峠を越えて北に向かうと舗装道路と合流して進路を南に変える。しばらく歩くと高雄に着くが、有名な観光地だけに人出が多くなる。あたりは暗くなってきたが、今晩中に嵐山まで下りたいので先を急ぐ。清滝もただ通過するだけで景色もわからずに嵐山に着くが、このあたりの紅葉の見頃は11月下旬らしいので、いつか出直すことにしよう。

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