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2022年12月

2022年12月12日 (月)

帰途

長かった旅もいよいよ最終日である。
東京に帰る途中で少々立ち寄る所がある。

 

JR全線乗車を果たすために、まずは小野田線の乗車である。小野田線は途中で二つに分かれるが、長門本山に向かう路線は1日に3本しかなく、朝夕の限られた時間にしか乗車できない。鉄ちゃんの間でも有名らしく、何人もの鉄ちゃんが乗っていた。もうひとつの小野田線は居能駅で宇部線に合流するもので、宇部線はすでに乗車済みなので乗車時間の短い宇部行きの方に乗車した。
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次に広島北方の可部線の乗車であるが、その前に岩国で途中下車する。昨夜ホテルでもらった三千円分のクーポンは山口県内でしか使えないからである。岩国は日本一周その他で何度か来たことがあり、居酒屋にも行ったことがあるが、クーポンの使えるランチとなるとなかなか探すのが難しいし、あってもランチだけでは三千円を使うのは難しい。そこで余ったクーポンはコンビニでお土産を買うことでなんとか使い切ることができた。

次に向かう可部線は可部駅までは以前に乗車したことがあるのだが、その後、可部周辺は宅地化が進んで可部線はあき亀山まで延伸されることになったため(だいぶ以前はもっと奥まで可部線は通っていたようだか)、今回また可部線に乗る羽目となった。あき亀山まで到達したことによってJR全線乗車は達成したことになるが、JR全線乗車は日本一周その他を行った際についでに行ってきたものなので達成してもさほどの感慨はない。在来線の新設はないだろうが、2年後には北陸新幹線の敦賀延伸があり、2030年には北海道新幹線の札幌延伸もある。また時期は不明ながらリニア新幹線の開通や九州新幹線の佐賀県通過もある。自分の体力低下を睨んでどこまでトレースてきるだろうか
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英彦山

九州の二百名山で唯一の未登となった英彦山を登るために早起きして何本もの列車を乗り継いで最寄り駅の添田に向かう。乗車した列車が走った区間はほとんどが未乗車区間だったので一石二鳥だった。実は元々の最寄り駅は彦山駅だったが、数年前の水害で日田彦山線が添田~日田が不通となってしまったため(同路線は以前に完乗済)、現在は添田駅が最寄り駅となってしまったため、登山口までは12キロもあることとなり、疲労の蓄積も考えてタクシーを利用することを予定していた。ところが、添田駅に着いてみると不通区間は代行バスが走っているというではないか。これならば彦山駅から登山口までの距離は8キロ程度なので自転車で行くことにした。

 

登山口までの勾配もそれほどキツクはなかったので苦労はしなかったが、苦労したのは登山口を見つけることであった。登山口の表示は一切なく、英彦神社関係の○○宮という表示ばかりだったので、どこを登ればいいのかさっぱりわからない(後でわかったのだが、もっと下のロープウエイ横の参道がメインの登山口のようであった)。少し上まで行った所にキャンプ場があったが、今は閉鎖中で誰もおらず道を聞くこともできず、あきらめて少し下に戻ると車が何台か停めてあるので、このあたりが登山口かなと思って登り出すと神社に出て、大勢の人が正月用のしめ縄を作っていた。

 

ここからようやく登山道となるが、今回登る英彦山は標高も1200メートル以下と低く、今回登ってきた四国九州の二百名山と比べると奥深くもないせいか、全くファイトが出ず、あえぎあえぎの登りとなる。これではいかんと早めのお昼をとるとようやく元気が出てふだんの登りができるようになる。ところが、頂上直下で登山道にローブが張ってあり、「作業中のため通行禁止」と書いてある。「ここまで登らせておいてそれはないだろう」と自己責任で登りつづけることにする。頂上まで着いてわかったのは、頂上の社が倒壊の危険があり、人が社に立ち入って事故が発生するのを避けるために通行禁止としているらしいということである。社のある北山よりも若干高い南山を往復してから同じ道を下山する。
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添田までは代行バスを利用せずに直接降り、福北ゆたか線、若松線(いすれもかつては筑豊本線と称していた)と乗り継いで、九州地方の二百名山とJRの路線の全てを終わらせて関門トンネルをくぐって九州を後にした。本当は関門トンネルは歩きと自転車で通過したかったのだが、時間が遅くなってしまったために断念した。ただ夕方から激しい雨が降ってきたので、時間があつてもトンネル通過の前後が厳しかったかもしれない。

 

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2022年12月11日 (日)

日本一周達成

日本一周の最終日は長崎駅までの41キロのサイクリングである。距離的に楽勝だと思ったのが甘かった。きついアップダウンの連続で距離が稼げない。長崎市の標識を見つけた時はほっとしたが、まだまだ先は長い。やがて市街地に入ったので長崎駅は近いかと思ったら、まだ10キロ以上もあるのでガッカリする。
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気持ちを切り替えて市内観光のつもりで進み、名所に出会うたびに以前に行った記憶を蘇らせていると案外早く長崎駅に着き、日本一周はなんとか達成できた。このあとは、西九州新幹線とリレーかもめ号の特急券を含む博多方面の乗車券をジパングの割引で買うためにみどりの窓口に向かう。なお一昨日に乗車できなかった唐津線経由で博多の手前でJRを離れて地下鉄に入るため距離不足でジパングは利用できないと言われる。ネットの時刻表では博多までJR線と表示されているのだがやむを得ない。特急利用部分は通常料金で、他は本日から使用できる18切符を利用することにした。

 

その後は長崎名物のチャンポンで日本一周達成を祝う。2009年に東京湾のサイクリングを始めた時には日本一周まで続くとは思わなかった。伊能忠敬のように地図を作成するわけではないので海岸線を忠実に進まずに内陸部を経由している所もあるが、そういった所は今後も機会があれば海岸線をトレースして行きたい。
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西九州新幹線に乗車した印象は、やはりあまりにも短い運転区間だということである。しばらくは観光需要は見込めるだろうが、長期的な経済効果を生じさせるには佐賀県内での一刻も早い新幹線開業が望まれるだろう。私の元気なうちに実現できるだろうか
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佐賀駅でリレーかもめ号を下車して西唐津行きに乗換えて、一昨日乗り損ねた唐津線を完乗する。もっとも夜間では沿線の景色は楽しめなかったが・・・。終点の唐津だけでなく、伊万里や有田といった陶芸の産地を今回は通ったが、お店に一度入ってはみたものの、審美眼はないし、ワレモノを自転車で運ぶわけにも行かずお買上なしとなった。どうも不粋な旅が続くが、極め付きは香椎駅からの香椎線北部の終点である西戸崎駅までの最終電車での往復だった。単に乗車しただけという味気ないものだった。

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2022年12月10日 (土)

日本一周に王手

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朝暗いうちから'起き出して昨夜の駐輪した駅に移動し伊万里まで戻る。順調に降りたつもりなのに1時間以上かかってしまい、昨夜駐輪したのは正解だった。

 

伊万里からは平戸方面はパスすることは決めてあったので、佐世保の南の早岐に向かう。比較的平坦で2時間程度で着く。ここから佐賀方面に延びている佐世保線が乗車しているかどうかがはっきりしていない。家族でハウステンボスに行った時に、行きは寝台車だったから長崎本線のはずだが、帰りにもしかしたら乗っている可能性もある。不確かなので一応乗っておこうと思うが、今回長崎からの帰りに乗る予定の西九州新幹線から乗り継ぐリレーかもめが佐世保線をいくので武雄温泉までの往復でいいことになる。

 

武雄温泉の往復後に今日の泊まり場がある西海市に向かう。始めは海沿いの平坦な道で内海の風光明媚な眺めながら行く楽しい道だったが、西海市側に出るために山越えするところは思っていた以上にきつく、ホテル到着はまたしても暗くなってからであったが、長崎市に隣接する西海市に到達したことで日本一周に王手をかけることになった。

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九州北部後半戦初日 早くも長崎県内へ

 

夜遅くに東京から博多にとんぼ返りして博多駅で荷物を回収しようとしてコインロッカーに向かったのだが、前夜収納した際の場所をよく確認しなかったものだから駅構内を右往左往してしまい大いに焦る。駅員さんの力も借りてなんとか荷物を回収できたが、今晩乗車予定の列車を乗り過ごしてしまう。それでもなんとか未乗車区間であった吉水から桂川を乗車でき、最終列車て前日に自転車をあずけた香椎駅に着くことができた。自転車を回収して近くのネットカフェに着いた時は日付は変わっていた。

 

翌日は玄界灘を目指して海岸線を進むが、もう一つの目的は元冦の役に際して日本側が防御に使用した防塁の跡を見ることであった。最初に行った防塁の跡はなにもない公園で、もう防塁は現存してないとあきらめかけていたら、次に行った所は大学の校内で防塁がそのまま残っていたのには驚いた。来た甲斐があつたと云える。
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その後は玄界灘に沿って進んだか、唐津に着いたのは4時半となってしまった。予定では未乗車の唐津線を西唐津から久保田まで往復することであったが、3時間近くかかり、今日の宿泊予定の松浦までは到達できなくなる恐れがあったために断念することとしたが、これでJR全線乗車という目的が達成できなくなる恐れが出てきた。善後策は後で考えることとし、唐津に向かうことにする。
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唐津までは最初は最短路を取っていたが、唐津線とはかなり離れたあたりを通っているので、もしパンク等のアクシデントが起きた場合、夜間では対応が難しいので、遠回りとはなるが唐津線に沿った道を行くことにした。途中で考えを巡らした結果、今日乗り損ねた唐津線は長崎からの帰りに乗れば良いことをことを思い付き、今回でJR全線乗車達成ができる見込みがたってホッとした。

ただ遠回りしたツケで伊万里到着が遅くなってしまいそうなので、唐津の四つ手前の駅に自転車を駐輪して、最終電車で伊万里に向かい、明日引き返してサイクリングの続きを行うことにした。なお今夜の宿泊を伊万里ではなく、その先の松浦にしたのは、当初は平戸から佐世保までグルッと回るつもりであったためだが、行程の遅れから平戸方面はキャンセルし、明日は伊万里か佐世保の南の早岐に直通向かうことにしたのて、松浦に宿をとる必要は結果的にはなかったことになる。なお以前に松浦鉄道で平戸方面を回ったことはあるので、それで代替することとしよう。

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2022年12月 8日 (木)

前半戦最終日

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大分から長崎までのサイクリングも本日の福岡市までで前半戦を終了して、一端帰京することとしている。

 

小倉を出発して若松に向かうが、その際には若戸大橋を渡らなければなない。自分が子供だった頃に日本における長大大橋の先駆けとなる若戸大橋の完成を知り興味を持ったものだが 、残念ながら自動車専用で自転車は通れない。その代わりフェリーが利用でき、フェリーから若戸大橋を見上げることができた。

 

対岸に渡り折尾に向かう。昨年他界した高校時代の友人が住んでいた所である。彼の自宅の前を通って冥福を祈ってから西に向かうが、今日の夕方には福岡から飛行機で一時帰京するのでのんびりとはしてられない。

 

やがて福岡市内に入り香椎駅に着く。駅近くの駐輪場に自転車を預け香椎線終点の宇美を往復してJR全線乗車に一歩近づく。その後はJRと地下鉄を乗り継いで福岡空港に向かい、一時帰宅することとなった。

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大分から福岡への県境越え

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今日は大分から福岡への県境越えである。ところが気付かないうちに豊前市に入ってしまい、そこはもう福岡県であることを後から知った。今の福岡県は昔の筑前国と豊前国を合わせたもので豊前国の中心都市は中津であるが、その中津に昼前に着くことができた。

 

中津の観光地としては市内には中津城や福沢行雄の旧居があるが、郊外には日本の三大紅葉名所の一つにあげられている耶馬溪がある。駅からは30キロ近くあるので気軽に自転車で行ける距離ではないが、バスだと数時間で戻ってこれるものの本数が少ないのが難点である。ところが中津駅前にはバス発車の少し前に着いたので 駐輪してバスに乗り込むことができた。

 

有名な青の洞門で下車したが、紅葉シーズンが終わっているせいか観光客は皆無であった。トンネルの中には旅の途中でたちよつた○○上人が村人のために掘った手掘りの跡も残されているが、この洞門掘削の話を題材に菊池寛が小説化しているものを昔、教科書て読んだことかある。たた対岸には開けた土地があるので、橋を架けるか渡し舟を使えば、苦労してトンネルを掘ることもなかったのにと思ってしまった。こんな話をしたら菊池寛に叱られるかな

 

中津駅前に戻って、さきほどの市内の名所を巡ってから北上する。当初は門司まで行って関門トンネルを往復してから小倉に向かうつもりだったが、時間が足りなくなったので、関門トンネルは帰りに寄ることにして小倉に直接向かった。

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2022年12月 5日 (月)

国東半島は根元の横断にとどまる

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四国~九州の二百名山かひととおり終わり、次は大分から長崎までのサイクリングであるが、ぶっ通しでやるとつらいので、博多までの前半が終わった時点で一度帰京し、用事を片付けた後に博多にとんぼ返りして残りのサイクリングを行うことにした。


初日は大分をスタートして国東半島をぐるっと回って半島付け根の豊後高田までの行程を考えていた。大分を出発して間もなくすると別府湾が眼前に、遠くには国東半島が眺められる。だが別府湾を進んでいるうちに気が重くなってくる。というのも、延岡から大分までのJRの移動に時間がかかってしまった上、大分でも買物等で時間を浪費したこと、さらには山の疲れも蓄積していることを考えて、半島一周は断念して豊後高田までの半島付け根の横断にとどめることにした。


計画の縮小で楽勝かと思いきや、意外と時間がかかってしまい、またもや夜間行動となってしまった。豊後高田まで13キロとなった時点で妙なことを考えてしまった。そもそも豊後高田に宿を求めたのは、国東半島を一周して最初にまともな宿がある場所だったからであるが、今進んでいる道は豊後高田よりも福岡県よりの宇佐を経由して豊後高田に至ることになるが、そうすると翌日はまた同じ道を戻らなければならなくなるので、何か損をしたような気分になりかねない。そこで、地図で検討すると、もう少し内陸を通る道があり、豊後高田までの距離は同じく13キロとなっているが、こちらは宇佐を経由せすに豊後高田に達っしている。同じ距離でも内陸を行くようなのでアップダウンはあるだろうが、多少のことは仕方ないと思った。


ところが行ってみると多少どころではなかった。時間も体力も余分に消費してホテルに着いたが、コンビニ弁当を食べるとバタンキューとなってしまった。豊後高田は「昭和の町」を売り物にしているレトロな町で、早めに着いていれば夜の町を散策することもできただろうに、妙なところに意地を張って損をした。

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大崩山登頂

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二百名山リベンジの第二弾は大崩(くえ)山である。9月には台風直後の増水で沢を渡れず敗退したが、'今の時期ならば水量は少ないものの水が冷たいだろうから、コースは荒れているらしいが徒渉のない二枚ダキコースを選んだ。また前回は延岡駅から登山口までの30キロ近くを自転車で漕いで登り、その先の無人小屋で一泊してから翌日に登りだすつもろだったが。今の時期に無人小屋に一泊すると荷物も重くなり自転車で行くのは大変なので、行きはタクシーに自転車を積み込み,、帰りは自転車でという日帰りの計画を立てた。


朝のタクシーで1時間ほどで登山口に着くと、数台の車が停まっている。こんな時期でも結構登る人がいるのは予想外だった。先行パーティーがいるということで前回と同じコースにしようかと心が動いたが、やはり当初予定通り二枚ダキコースを登ることにした。

二枚ダキコースの登山口までは林道をもう少し進まねばならないが、しばらくは舗装されているので自転車を組み立てていると、時間を置かずに二台の車が二枚ダキコースの登山口方面へ去っていく。めったに登られない二枚ダキコースに先行パーティーがいることになるとは驚きである。林道の舗装状態が悪くなる手前に車二台が止めてあったが、うち一台は北海道ナンバーであった。

林道の未舗装部分や登山口から先の沢の登路はネットに書かれているほど悪くはなくマーキングもしっかりしていて、念のために用意した赤布も不要だった。ただ沢の上部でルートを誤りガレ場に出てしまい、少し苦労した。


尾根に出ると踏み跡がしっかりしているせいか。マーキングがほとんどなくなったが、せっかく持って来たのだからと、一定間隔で赤布をつけていった、いつすれ違うかと思った先行パーティーとは出会うことなく山頂に着いてしまったので周回コースを行ったようである。また小積ダキからの登山者と山頂で会うこともなかった。


下山に移ってすぐに自分がつけた赤布とは違うマーキングが立て続けに現れたので変だと思って磁石で確認ずると、隣の尾根を降りていることがわかり、山頂に戻ってから正しい尾根を下った。間違った尾根は二枚ダキコースよりもさらに人が入らないコースのはずなのに、あんなにマーキングがしてあったのはなぜだろう。なお下りはGPSとにらめっこしていたし、踏み跡もしっかりしていたので迷う心配はないのだが、それでも自分がつけた赤布を見つけるとほっとするのは妙なものである。

沢の降り口はGPSを頼りに下って行ったので、登りの時のような悪い箇所に出ることもなく、暗くなる前に林道に降り立つことができた。ただ自転車の所に戻った時は真っ暗になる直前であった。さらに、そこからホテルまではなんと四時間もかかってしまった。

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2022年12月 2日 (金)

尾鈴山登頂

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今日からは9月に台風で登れなかった二百名山のリベンジである、。まず最初は都農駅から25:キロ近く離れた所に登山口のある尾鈴山である。タクシーの利用も考えたが、遠方から呼ばなければならないし、次に登る予定の大崩山はタクシー利用を予定しているので、今回は自転車を利用することにしたが、登山口手前の数キロまでは舗装されており傾斜もきつくはないので、順調に来られた。

 

登りだしたのはお昼を回っていたが、一合目ごとに標識があるし道もよいので苦労せずに三時半には登頂する。途中で下山してくる3人パーティーとすれ違ったが、他の登山者と会うのは四国の山も通じて初めてある。めずらしく頂上で長居してから下山したが、暗くならないうちに登山口まで降りることができた。もっとも林道を歩いている途中で暗くなり、最後はお決まりのナイトサイクリングとなる。

 

残されたリベンジの山は大崩(くえ)山だが、初日の東海自然歩道以来、休みなく1週間連続して行動して疲れが溜まっているし、大崩山の二枚ダキコースは道が良くなく長丁場となりぞうなので、山行前日は完全休養して英気を養うこととしたい。

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