老後は冬場は 暖かい場所で過ごすことが理想ではあるものの経済的理由等によりなかなか実現は難しいが、可能な限りそれに近づけるということで、前回の房総に続いて今回は沖縄方面に出かけることにした。沖縄は本島の有名所はほとんど行っているが、離島となるとまだ訪れてない所も多く、その中で今回は座間味島を選んでみた。座間味島は、沖縄戦で米軍が最初に上陸した島ということで以前にも訪れようとしたことがあったが、欠航訪れることができず手前の渡嘉敷島に変更となったため今回はそのリベンジでもあるが、今回はホエールウォッチングが主目的である。
今回は出発前に10年に1度の大寒波に襲われて海上も大しけが続き座間味航路も欠航が続いたので本島に待機することも覚悟していたが、出発当日は運よく冬型が一時的に弱まり座間味航路は復活したので、なんとか座間味島に渡ることができたのはラッキーであった。今回の座間味島での宿泊はコンドミニアムなので、おにぎり弁当が提供される朝食以外は自炊を考えていたが、隣が島内では数少ないレストランであったこともあり、ほとんどが外食続きとなってしまった。
二日目からは冬型がまた発達したようで、本島との航路はフェリーも高速船も欠航し、予定していたホェールウォッチングも中止となったので、午前中は宿の自転車を借りて半島北部に一人でサイクリングをしてきた。結構アップダウンもあったが、一応は変速ギアは付いていたので何とか北端までは行くことができた。最後は山道となったので歩いていったが、島内最高峰まではヤプ道となるのであきらめた。座間味島にはハブは棲息してないようだが、それよりも大人しいとはいえヒメハブはいるらしいので御身大事を考えて自重した。
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午後は妻と一緒に島の西部の展望台巡りをした。展望台は何カ所かあり、ここからクジラの活動状況をチェックしてホェールウォッチングの出航先等を判断しているとのことだが、相当の倍率の双眼鏡でしているに違いなく肉眼ではクジラの観察をすることは全く不可能であった。展望台からは来た道を戻らずにそのまま海岸線(といっても海面ははるか下たが)をぐるっとまわったので、今日一日て座間味島はほぼ踏破したことになった。
三日目も波浪注意報は解除されず、本島との航路やホェールウォッチングは引き続き中止となったが、座間味村に属する阿嘉島への村内交通は運航するとのことなので、 行ってみることにした。10分ほどで阿嘉島に着いたが、そこからは更に対岸の慶留間島まで橋で結ばれていて渡ることができるので、レンタサイクルを借りて行ってみることにした。宿の自転車と違いギアの切り替えができないという代物であったが、阿嘉島の海岸線を走る道は比較的アップダウンが少なかったため、なんとか走ることはできた。ただ更に南にある外地島とも橋で結ばれていたために渡ってみたが、飛行場までは激坂が続くのて自転車下りて歩いてしまった。
飛行場は現在は定期便はなくチャーター便だけなので休業状態で(島全体も多分無人か)、チャーターした場合は一人12万円かかるのが、本島との航路が欠航した場合は村の補助があって一人3万円で利用できるそうだが、そうならないことを祈るのみである。午後の出航まではしばらく時間があったので、近くのビーチでのんびりしてから座間味島に戻る。もう行く所もなくなってしまったので、明日は是非ともホエールウォチィングをしたいものである。
四日目は朝目覚めると久しぶりに晴れ間が見えているので日の出を見に行く。残念ながら水平線から上がる日の出ではなく渡嘉敷島の山稜から上がるものたったが、幸先の良い一日の始まりだった。宿に戻って朝食を終えると電話があり、今日はホエールウォッチングの船が出航するとのことでヤッター、待ったかいがあったというものである。
ウォッチング船は我々の他に数人の人も乗り込んだが、いずれも今朝の高速船で那覇からやってきた人たちの様である。船着き場から出航してしばらくはスビードあげたが、観察地が近くなるとスピードを落としてクジラが浮上する場所を探す。やがてあちこちでクジラが観察されるようになるが、写真を撮るとなると広い海面から短期間に浮上するだけなので、決定的なシーンを撮るのは難しい。間近て眺められたことも何度かあったが、写真におさめられなかったものの、脳裏に焼き付けたもので我慢しよう。1時間以上にわたるウォッチングに大満足して港に戻ったが、午後は目的を果たした安堵感で何もせずに一日を終えた。
最終日は当初の予定では、午前中はウォッチングのスペアとして確保し、午後のフェリーで那覇に戻るつもりだったが、前日にウォッチングも無事終えたことでもあるので、対岸の渡嘉敷島には妻は行ったことがないので、早朝の船で渡嘉敷島に渡ることにした。渡嘉敷島については予習してなかったので、9時過ぎに島に到着してから調べてみると、那覇行きの船が出ている山向こうの渡嘉敷港行きのバスは3時までないことがわかり、こちらの船着き場付近に長時間いてもしょうがないので、タクシーで山越えをして渡嘉敷港に移動することにした。前回、私が一人で来てレンタサイクルで苦労して山越した道もタクシーはスイスイと越えていき、10時の那覇便には余裕で間に合った。渡嘉敷島自体にはこれといった見所もないので、夕方の便を待たずに那覇を目指すことにした。
那覇への船からの渡嘉敷島
那覇のホテルは座間味のコンドミニアムと違って四つ星の我々としては高級ホテルなので、早めに入ってゆっくりしたいと思ったが、3時までは入れないということで近くの公園で時間をつぶし、途中のスーパーで買ったパンを昼食代わりとする。高級ホテルのレストランで食事をして時間をつぶすということをしないところが我々らしい。3時前にホテルに戻り部屋に入ってから温泉で汗を流してから、ホテル近くのリーズナブルな店をグーグルマップで見つけて夕食をする。
翌日は妻はホテルでチェックアウトまで温泉三昧のようだか、私は久々の辺野古ゲート前の座り込みに参加するために県庁前から平日は毎日9時に平和団体が出している貸し切りバスに乗って辺野古に向かう。現在、辺野古では9時、12時、3時と三回のトラックによる基地内への資材等の搬入がそれぞれ100台以上で行われており、搬入前には座り込みを行っているが、以前と比べると緊迫感が薄くなっている気がするものの、理由はいま一つはっきりしない。参加者が前よりも減っているせいかもしれない。
貸し切りバスを利用する人は朝の座り込みには間に合わないので昼と夕方の座り込みに参加するのが通常だが、私は今日は昼の座り込みだけにして、夕方の座り込みには参加しないつもりた。というのは、辺野古からバスを乗り継いで本部港に移動して伊江島に向かうフェリーの17時の最終便に乗りたいからである。伊江島には以前に一度行ってレンタサイクルで一周したことがあるのだが、その時に眺めた伊江島を代表する城山という城塞を思わせる山が岩登りをしなければ登れない山だと思い込んで登らずに帰ったら、後で調べると裏側からは容易に登れることがわかり、機会があったら是非とも登りたいと思っていたからである。
伊江島港に着いた時はだいぶ日は傾いてはいたが、まだしばらくは明るさがつづきそうだったので、真っ暗になる前に山頂にたてるかどうかが気掛かりであった。柄にもなく夜間登山を避けたく思っているのは、山頂付近の道にヤブがあるとハブを見つけにくくなるからである。その場合は翌朝に出直そうかとも思っていたが、登山口まで来ると暗くはなってきたものの、階段が続いているようだったので、これならばハブの心配をせずに登れると安心した。無事に登頂して宿に着いたので、明日は朝の便で辺野古方面に戻ることができるそうであった。
翌日は8時の船に乗ったので、昼の座り込みに間に合わないこともなかったが、途中で寄って行きたいところがあった。というのは最近は辺野古とは反対側の西海岸にある琉球セメント前の積み出し港から埋立用の土砂を搬出した後に、辺野古まで海上輸送を行って埋立中の海に投棄しており、その積み出しの抗議行動が行われているからである。
現地に行ってみると、抗議行動はごく少人数で行われており、一度行動に加わると途中では抜け出しにくい雰囲気だったため、反対側の歩道から眺めるだけにした。というのは、辺野古の午後からの座り込みに参加したかったからである。その後、名護に戻って昼食をとったが、すぐに辺野古に向かうと3時頃の座り込みまで時間を持て余してしまいそうなので、名護城址の満開の桜を見物してから辺野古に向かった。
辺野古の座り込みが終わった後、帰京するために那覇空港に向かったのだが、いつもは名護市内に戻って高速バスに乗るのだが、そうすると空港でかなりの待ち合わせとなりそうであったため、辺野古から出ている路線バスに乗ってみることにした。ところが、途中で渋滞に巻き込まれ飛行機の時間に間に合うかどうかヤキモキさせられた。結局は十分に間に合ったのだが、今回の旅行中でもっともヒヤヒヤした時間であった。
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