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2023年4月

2023年4月25日 (火)

坂東33札所巡り(30番高倉観音から29番千葉寺)

今回は国東半島でできた足のマメが完治していなかったためどうしたものかと思ったが、とりあえず出発だけはしてみることにした。

歩き始めは足裏に加重すると痛みを感じたが、次第に慣れてきたのかさほど感じなくなり、高倉観音に着いた頃にはいつも通り歩けるようになっていた。



高倉観音から先は長い単調な歩きなのでタブレットの音楽を聴きながら時間を潰した。久留里線を渡って内房線が近づいたあたりから、今日の泊り場をどうするかを決めなければ」いけなくなった。最初は足のマメでの長時間歩行を心配して木更津あたりでとも思ったが、意外と調子が良かったので五井あたりまで進むことにした。

その晩の食事は袖ヶ浦で済ませてから五井に向かうつもりで、グーグルマップで飲食店を探したところ、道路沿いに焼き鳥屋があるようなので行ってみると、小さな店で営業しているかどうかもわからないところだったので、近くの居酒屋に行ってみることにした。ところが最初の居酒屋には「コロナのため常連様以外はお断り」の張り紙が、隣の店は狭い所に客がいっぱいという有様で居酒屋に行く気もなくなり、フッァミレスに入ることにした。タブレットで注文するのだが、ドリンクの所にはアルコールが見つからずやむを得ずノンアルのビールを注文したが、店員が持ってきたのは普通のビールではないか。ところが、店員は慌ててノンアルと交換してしまう。そのままでもいいよと思ったが、これからまだ⒉時間近く歩くのだから、ノンアルの方がいいかと思い直した。料理の注文ではハンバークとチキンのソテーを選んだのだが、次の画面でいろいろ聞いてくるので適当に答えていたら、ハンバーグのトッピングまで注文してしまったようで、カロリーの取りすぎとなってしまった。


食後は満腹で歩きのもしんどかったが、なんとか頑張って歩き、最初の予定の倍近くを歩いてしまった。

翌日は前日の無理が祟って、足のマメが悪化して歩くのも大変になってきた。途中でリタイアしようかとも思ったが、当初の予定の千葉寺までは行こうと思い直して足を引きずりながら頑張った。千葉寺では昼休み中でしばらく待たされたが無事ご朱印をもらい、これで今回の巡礼は終わりにすることにして一日早い帰りとなった。






 

 

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2023年4月19日 (水)

九州旅行最終日

九州旅行の最終日は福岡空港への移動がメインであるが、途中であちこち寄り道をしていくつもりである(大部分は乗り鉄の旅であるか)。

 

宇佐駅から日豊本線で北上するが、福岡空港方面に向かう鹿児島本線には小倉では乗り換えずに日豊本線の終点である門司港駅まで乗車する。というのは、関門トンネルには歩行者専用のトンネルかあるので、一度そこを通ってみたからである。

 

門司港駅で下車してバス乗り場に向かうとバスが停まっていたが、果たしてトンネル入り口まで行くバスかどうかわからずにぐずぐずしていたら発車してしまった。結局そのバスでよかったのだが、次のバスは1時間後ということで、それまで待てないのでタクシーに乗ってしまった。運転手にいろいろ教えてもらったので、それはそれで良かったのだが。

トンネルを歩くなんて物好きだけがやるのかと思ったら、結構な人が歩いていた(走っている人もいたが)。別に景色が見えるわけでもなく、全くの自己満足なのだが。
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下関側に上がると、源平合戦、巌流島、下関砲台といった歴史上の名所が多いのだが、山陽道をツーリングした際に一通りは見ているので、最初に来たバスで下関駅に向かいJR線に乗り込む。

 

本日後半の目的は博多駅周辺のJR、西鉄、地下鉄の未乗車区間を乗車するということで、まずは西鉄に乗り換えるためにJRを博多の手前で下車して西鉄貝塚線の始発駅に移動。終点の貝塚駅で地下鉄に乗り換える。地下鉄は1日乗車券を買ったほうかだいぶ得するようなので買うことにした。博多の鉄道は西鉄が鉄道と相互乗り入れをしてないどころか駅間の距離も離れているし、地下鉄間の接続もよくないといった改善べき課題が多い。
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博多市内を東西に走る二本の路線のうち、海沿いを走る路線は以前に唐津から帰ってくる時に乗っているの今回は内陸を走る七隈線に乗車した。終点の橋本駅では折り返し運転になるので乗車したままでもよいのだが、改札を出て街の様子を見ないと乗車したことにはならないような気がしたので外に出てみる。

 

帰りは博多駅まで直通となるが、これは先月終わりに七隈線が博多まで延伸されたために可能となったことで、以前は乗換を余儀なくされたようで、先ほど乗り継ぎが不便だと書いたが、少しは改善されているようだ。

 

博多からは博多南線で博多南駅を往復する。昨年の九州ツーリング後の乗り鉄でJR全線乗車は達成したつもりになっていたが、博多南線は九州新幹線の線路は使用するものの、JR西日本の管轄で別路線であるということで、この際に乗車しておくことにした。
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無事に博多南線も乗車して、予定はほぼ完了して福岡空港に戻ることができ、10日間に渡る九州旅行も終わりを迎えた。

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国東半島と傾山

妻との旅行の最後は国東半島の史跡めぐりだ。前回、自転車で国東半島に来た時も行ってみたかったのだが、登りがかなりありそうなのであきらめたのだが、今回は定期観光バスを利用することにした。

最初の訪問は宇佐神宮である。全国の八幡神社の総本山だそうである。

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その後に訪れた国東半島の山寺の多くも神仏混合のた関係で宇佐神宮のゆかりのものだそうである。圧巻は岩壁に彫られた熊野摩崖仏と言いたいところだが、期待が大き過ぎたので思ったほどの迫力はなかったものの、それでも路線バスでは来られない所に来られたのは観光バスならではである。
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夕方には観光が終わり大分空港で下車し、そのまま帰京する妻と別れてJR杵築駅まで20キロの道を歩く。前回、断念した国東半島一周を今回は歩きで行うためだが、その前に祖母山系の300名山である傾山を登るために一度大分に戻る必要があるので、逆コースとはなるが前回国東半島で到達した北端のJR杵築駅と大分空港の間を歩いておこうと思ったわけである。

翌朝は大分駅から1時間ほど熊本方面に戻って緒方駅で下車。ここから傾山登山口行きのコミュニティーバスに登るつもりだったのだが、駅前のコミュニティーバスの乗り場に行ってみると、乗車予定のバスが見当たらず「4月1日ダイヤ改正」の文字がある。そういえば、ネットで調べた時刻表には「最新の時刻改正には対応していない」とあり、嫌な予感がする。結局、乗車予定の時間を過ぎてもバスは現れず、やむをなくタクシーに乗車する。六千円の出費だったが、バス停から登山口までの1時間ほどの歩きを免れただけでも良しとするか。

登山口には多くの車が停まっていて、ほとんどの車が地元だったが、中には本州ナンバーの車がも停まっていて、さすがに300名山だけのことはある。私の到着時間は10時半だったが、マイカーの人たちは早朝スタートだろうから、彼らと会うのは彼らの下山時だろうが、なるべく山頂に近いあたりで会いたいものである。

 

登山口の標高は400メートルで頂上は1600メートルだから標高差1200メートルを登るわけだが、標高600メートルあたりからは緩やかな巻き道が続き標高が稼げなくなるので少々焦ってくる。このあたりで早くも下山してくるパーティーと出会う。いくら早くてもこんな時間に下山できるはずはないので途中で登頂を断念したのだろうと勝手に決め込む。  

標高800メートルあたりから急登が始まり、左手には傾山の岩峰が見えてきてファイトが出てくる。九折越まで登りきると標高は1200メートルを越えるが、ここから先は緩やかなアップダウンが続き、山頂がなかなか近づかない。下山するパーティーとたくさんすれ違うようになり、なかには心配して「頂上まで行くのですか」と尋ねられることもあったが、下山の途中でテントを張りますからと答えるが、その時は絶対に今日中に登山口まで下山すると決めていた。

山頂に近づくにつれて風が強くなってきて、冬山なみの強風となってくる。少し弱気になってきて、双子峰となっている頂上のうち手前のピークだけでお茶を濁そうかなどと考えたりもする。ところが、手前のピーク(後ろ傾)に着くと、そこには標識も何もなく登頂の証拠写真が撮れないので、隣のピークまで行かなければと思っていると、隣のピークまではしっかりとした道が付いているので行かざるをえなくなる。

隣のピークに達すると時間は四時半で明るいうちに登山口までたどり着くのは難しくなる。相変わらず強風が吹き荒れており、写真を撮って早々に下山を開始する。時間との競争で下ったが、標識800メートルまで下った所で暗くなってきたのでライトをつける。その先で沢を渡った後に道がわからなくなる。明瞭な踏み跡はなく、標識の赤テープもライトの弱い明かりでは見つけられないのだ。

しばらく歩き回ったが、暗闇の中でルートを見出すのは困難と判断してテントを張る場所を捜すことにする。といっても沢の周辺には平ら所はないが、少し登った岩壁の下に上半身くらいは横にできそうなスペースを見つける。普通のテントならとても張れそうもないが、愛用のストックシェルターは出口の幅分さへ確保できれば居住性はともかくとして張ることはできるのだ。また背後の岩壁は前傾しているので 、上からの落下物に対しても安全性は問題ない。とにかく、今夜はここで一夜を明かすことにする。

 

翌朝は暗いうちから行動を開始する。薄明かりの中で目をこらせば、前夜発見できなかった赤テープも見つけられて登山口までの下山は問題はなかった。ただ7時過ぎのバスには間に合わなかったので3時間以上行程が遅れることになり、国東半島一周が予定どうり行けるかどうか微妙になってきた。

 

大分経由で空港まで戻って半島歩きを再開するのだが、JRの通し切符が買ってあるので日出駅まではJRで行き 、そこから空港行きのバスに乗り換えることにした。日出駅からバス停までの乗り継ぎがグーグルマップではわずかとなっていたので息を切らして駆けつけてみると、バス停の時刻表では20分ほど余裕があり、4月改正の文字が。グーグルマップは最新改正には対応していなかったようだ。

 

空港で下車して半島一周を再開することになるが、当初予定よりも3時間半の遅れとなる。歩き出してみると山の疲れが残っていてペースが上がらない。結局、空港から17キロ進んだ所で脇道にそれた空き地にテントを張ることになるが、半島一周には赤信号が点り始めた。

 

翌朝も暗いうちから行動するが、依然として疲れが抜けておらずペースが上がらないうえに、左足の踵に豆ができてしまい、杖なしでは歩行に支障をきたすほどになってしまった。それでも半島最先端の竹田津から5キロ手前の道の駅まで到達し、今後の予定を検討する。足の豆は水を抜いたにもかかわらず痛みはやわらかず、気温も30度近くまで上がっていることを考慮して竹田津まで行って一周を断念することにした。

 

国東半島一周は東側が距離も長い上にアップダウンもあってたいへんなのだが、そこは踏破でき最先端の竹田津まで到達できたので良しとしよう。なお竹田津港から対岸の山口県の徳山港まではフェリーが通っているが、以前に山陽道をツーリングした際には徳山と岩国の間の半島は先端まで行かずにショートカットして半島付け根を横断していたので、今度こちら方面に行く機会があるならば、国東半島西側と掛け合わせて行けば好都合なことがわかった。
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竹田津からはバス乗り下車した豊後高田で予約してある旅館に向かったが、そこは多数の部屋のある一棟がまるまる私一人の貸切という妙な経験をした。今回は唐津のホテルでも似たような経験をしたが、妙なことが重なるものである。前回、豊後高田に来た時は国東半島の付け根を自転車で横断するのに疲れ果てて、コンビニ弁当を食べてバタンキューだったが、今回は「昭和の町」と名付けられた界隈にある居酒屋で今回の旅が実質的には終わったとして祝杯をあげた。
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2023年4月14日 (金)

九州横断旅行

佐賀から大分までの九州横断旅行は唐津をスタートして、伊万里、有田と焼き物の産地を巡って資料館の見学や陶磁器店のウインドショッピングを楽しむ(ただし、荷物になるので、お買い上げはせず)。
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その後は吉野ヶ里遺跡に立ち寄る。日本の古代遺跡の見学としては、子供が小さかった頃に行った三内丸山遺跡以来である(三内は縄文時代、吉野ヶ里は弥生時代の違いはあるが)。吉野ヶ里遺跡が発見された当時は卑弥呼の邪馬台国のものではないかと言われて邪馬台国=北九州説が有力になりかけたが、その後に奈良地方で纒向遺跡が発見されて邪馬台国=畿内説が盛り返しているようである。

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王や大人(有力者)の住居か多数復元されていて、最初は興味深く見ていたが、次第に飽きてきて中には入らずに外から見るだけになる。それでも1時間近くは見て回って駅に戻る。その後は宿泊地の熊本に向かったが、夕食を熊本城の近くでとったため、何度も熊本城を訪れていて(熊本地震のボランティアに何回か訪れたことがあるため)初めてライトアップされた熊本城を眺めることができた。
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翌日は阿蘇に立ち寄って大分まで九州を横断する予定であるが、あいにく悪天が予想されたため阿蘇はあきらめた方が良いかなとも思われた。たた天気予報を詳しく調べると午前中は下り坂ながらも、なんとか雨には逢わずに済みそうな感じであったので、予定よりも早い電車で出発することにした。

出発時間を早めたことが奏効して、今にも降り出しそうな天気ながら何とか雨は免れただけでなく、阿蘇の荒々しい山並みも堪能することができた。阿蘇登山そのものは若い時に最高峰の高岳に登頂しているのだか、火口を見たかどうかは記憶がさだかでないので、火口往復バスにも乗って火口見物もしておいた。
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阿蘇駅に下山後は再び カルデラ横断に乗って大分を目指して、九州横断の旅は成功狸に終わることとなった。

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2023年4月12日 (水)

対馬・壱岐「クルージング」

福岡発着のニッポン丸による隠岐・五島クルーズに申し込んだところ完売だったためキャンセル待ちとなったが、キャンセルが出ることを見越して福岡までのフライトは確保しておいていた。なかなかキャンセルがでないので、その場合は確保したフライトを活かすため対馬・壱岐旅行に切り替えることにした。結局キャンセルは出なかったので思いがけずの対馬・壱岐旅行に行く羽目となってしまった。

 

初日は博多に到着後に太宰府天満宮に立ち寄ったが、日曜日ということもあってか、大勢の参拝客であふれていた。あいにく、本殿は修復中ということで実物大の写真が飾られていたが、裏手に回ると実物が眺められ、有名な「東風ふかば~」の和歌で名高い梅の木も植わっていた。
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帰りは博多随一の繁華街である中洲で郷土料理を楽しむつもりが、お目当てのイカが入荷していないということで、急遽川端でのビュッフェスタイルでの食事となり、明るいうちにホテルに帰り着いた。

 

2日目は対馬までの「クルージング」であるか、ニッポン丸での豪華船旅とは真逆の二等での貧乏船旅である。対馬までの航路は高速船により直行するものとフェリーによる壱岐経由のものがあるか、前者は当初自転車を輪行する予定だったので(妻の反対で断念したが)、高速船が対馬北部到着後に中心部である南部の厳原までの90キロの1日での走破は時間的に厳しいと判断して、南部に向かうフェリーを選択していた。
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フェリーに乗船していた客のほとんどは壱岐で下船したので、対馬まではがら空きで行くこととなった。壱岐を離れると完全に外洋に出た雰囲気となり、周辺には島影も見えなくなるが、しばらくして遠くに島影が現れると対馬であった。フェリーが到着した対馬南部の厳原(いずはら)は対馬全体での中心地である。ホテルに着いたのは三時頃だったので、近くの博物館などを見て回った後に寿司を食べに行ったが、回転寿司しかなかったのは残念であった。

 

三日目は対馬旅行のハイライトとなる和多都美神社と烏帽子岳展望所が主目的となるが、バスの発車が11時頃となるため、それまでにレンタサイクルを利用して市街地周辺にある朝鮮使節の資料館、対馬藩主の墓地、武家屋敷跡を回ったが、効率的に時間を活用できた。対馬交通のバスは1日乗車券が1040円で購入できるが、前記の観光名所の近くまで行くだけで軽く元が取れるという便利なものてある。ただ展望所まではかなりの距離と登りがあるのでタクシーを利用た。

 

展望所付近はコロナ前は韓国の旅行者を中心に大賑わいで、2坪程の展望所は立錐の余地もないほどだったそうだが、今日は我々だけの貸切で静かなものであった。ただあいにく霞がかっていることもあり、韓国まで見渡せることはできなった。その代わりというか、島々が浮島のように散在している風景は他所では見られないものであった。
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展望所から下りて待ってもらっていたタクシーで和多都美神社まで送ってもらってから参拝したが、こちらも他の参拝者はいなかった。竜宮伝説に由来しているとのことてわあるが、海の中に鳥居があったりしてユニークなところであった。
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参拝後に小一時間歩いてバス停に戻ったが、このままホテルに戻っても時間を持て余すし、1日乗車券もあることだしと、北部の比田勝まで往復してから厳原に戻った。

 

最終日は壱岐経由で唐津に向かう。3日間滞在した対馬を離れるが、随分長くいたようにも感じられる。壱岐はわずかの滞在の駆け足であるが、対馬からの到着は東側の芦辺港であるのに対し、唐津への出発は南側の印通寺港で、その間は20分ほどではあるがバスで移動するため小旅行の気分も味わえる。
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途中で横を通った遺跡公園は、印通寺港での待ち時間を利用してレンタサイクルで行ってみようかとも思った所であるが、休館との表示がでていたし、バスからも復元した住居は見られたので(明日の吉野ヶ里遺跡ではもっと本格的な遺跡が見られるだろうし)、パスすることにした。おかげでママチャリで急坂を登ることは免れることができた。

 

印通寺港では海の幸を味わおうと寿司屋を探したが、2軒とも昼間は営業しておらずラーメン屋で済ませることになった。食後に港近くの観光名所を何カ所か廻ってから唐津行きのフェリーに乗り込んで、対馬・壱岐の「クルージング旅行」を終えることになった。

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2023年4月 4日 (火)

吾妻耶山

坂東33ヶ所巡りがしばらく中断しているのでそろそろ再開すべきなのだが、低山や中級山岳は5月頃からヒルが出没するので、今の時期は関東100名山を優先することにした。候補としては日留賀岳と吾妻耶山があがったが、前者は行程も長いしバスを利用するため最終バスに間に合う必要から行動時間が限られるため、東京からの日帰りは厳しく塩原温泉泊まりとなる可能性も高い。それだったら、いつか機会を作って妻と温泉でゆっくりした翌日に早出して日帰り登山をした方が良いだろうと考えて、今回は吾妻耶山を登ることにした。

 

上越線上牧駅からスキー場までは七キロ近くあるが、バスは利用できないので歩かざるをえない(スキーシーズン中は水上までのバスはあるようだが)。自転車利用も考えたのだが、距離が中途半端で車内携行や解体・組立の煩わしさの方が勝るような気がしたので歩くことにした。それに今日の行程は短いので、歩いても十分に日帰りは可能だし、実際に歩いてみると傾斜がきつく自転車では登りに苦労しただろうなと思われた。
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歩き始めて谷川連峰を仰ぐ

スキー場からは五万図では道が書かれているが実際には道はなく、急斜面を適当に登っていくことになる。傾斜のきつい所では横に寝たスズタケが滑りやすくて苦労する。スキー場の上に出るとやっと山道となるが、それもちょっとだけですぐに山頂に出る。今日の前半はほとんどが舗装道路で後半は大半がスキー場の急斜面で、通常の山道は山頂直下だけという変な山行であった。
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スキー場の急斜面

 

頂上は谷川連峰の展望が真っ正面で、西は苗場方面まで見渡せ、東は平ヶ岳から尾瀬、日光方面までの大展望が楽しめた。9時に出発して1時半に登頂したから、明るい間に下山できることは確実なので、頂上でのんびりして展望を楽しむことにした。最近は慌ただしい登山が多く、頂上でのんびりと展望を楽しむということが少なかっただけに貴重な時間であった。しかも他の登山者がおらずに展望を独り占めできたのだから。
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下りは往路を戻り3時間ほどで駅に着く。近くのお店でビールを買い、電車が来るまでの時間を雪をまとった谷川岳や今日登った吾妻耶山をホームのベンチで眺めながら喉を潤したが至福の時間であった。こんなのんびりとした山行もたまには良いものだ。
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ホームからの眺め
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吾妻耶山
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谷川岳

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