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2023年4月19日 (水)

国東半島と傾山

妻との旅行の最後は国東半島の史跡めぐりだ。前回、自転車で国東半島に来た時も行ってみたかったのだが、登りがかなりありそうなのであきらめたのだが、今回は定期観光バスを利用することにした。

最初の訪問は宇佐神宮である。全国の八幡神社の総本山だそうである。

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その後に訪れた国東半島の山寺の多くも神仏混合のた関係で宇佐神宮のゆかりのものだそうである。圧巻は岩壁に彫られた熊野摩崖仏と言いたいところだが、期待が大き過ぎたので思ったほどの迫力はなかったものの、それでも路線バスでは来られない所に来られたのは観光バスならではである。
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夕方には観光が終わり大分空港で下車し、そのまま帰京する妻と別れてJR杵築駅まで20キロの道を歩く。前回、断念した国東半島一周を今回は歩きで行うためだが、その前に祖母山系の300名山である傾山を登るために一度大分に戻る必要があるので、逆コースとはなるが前回国東半島で到達した北端のJR杵築駅と大分空港の間を歩いておこうと思ったわけである。

翌朝は大分駅から1時間ほど熊本方面に戻って緒方駅で下車。ここから傾山登山口行きのコミュニティーバスに登るつもりだったのだが、駅前のコミュニティーバスの乗り場に行ってみると、乗車予定のバスが見当たらず「4月1日ダイヤ改正」の文字がある。そういえば、ネットで調べた時刻表には「最新の時刻改正には対応していない」とあり、嫌な予感がする。結局、乗車予定の時間を過ぎてもバスは現れず、やむをなくタクシーに乗車する。六千円の出費だったが、バス停から登山口までの1時間ほどの歩きを免れただけでも良しとするか。

登山口には多くの車が停まっていて、ほとんどの車が地元だったが、中には本州ナンバーの車がも停まっていて、さすがに300名山だけのことはある。私の到着時間は10時半だったが、マイカーの人たちは早朝スタートだろうから、彼らと会うのは彼らの下山時だろうが、なるべく山頂に近いあたりで会いたいものである。

 

登山口の標高は400メートルで頂上は1600メートルだから標高差1200メートルを登るわけだが、標高600メートルあたりからは緩やかな巻き道が続き標高が稼げなくなるので少々焦ってくる。このあたりで早くも下山してくるパーティーと出会う。いくら早くてもこんな時間に下山できるはずはないので途中で登頂を断念したのだろうと勝手に決め込む。  

標高800メートルあたりから急登が始まり、左手には傾山の岩峰が見えてきてファイトが出てくる。九折越まで登りきると標高は1200メートルを越えるが、ここから先は緩やかなアップダウンが続き、山頂がなかなか近づかない。下山するパーティーとたくさんすれ違うようになり、なかには心配して「頂上まで行くのですか」と尋ねられることもあったが、下山の途中でテントを張りますからと答えるが、その時は絶対に今日中に登山口まで下山すると決めていた。

山頂に近づくにつれて風が強くなってきて、冬山なみの強風となってくる。少し弱気になってきて、双子峰となっている頂上のうち手前のピークだけでお茶を濁そうかなどと考えたりもする。ところが、手前のピーク(後ろ傾)に着くと、そこには標識も何もなく登頂の証拠写真が撮れないので、隣のピークまで行かなければと思っていると、隣のピークまではしっかりとした道が付いているので行かざるをえなくなる。

隣のピークに達すると時間は四時半で明るいうちに登山口までたどり着くのは難しくなる。相変わらず強風が吹き荒れており、写真を撮って早々に下山を開始する。時間との競争で下ったが、標識800メートルまで下った所で暗くなってきたのでライトをつける。その先で沢を渡った後に道がわからなくなる。明瞭な踏み跡はなく、標識の赤テープもライトの弱い明かりでは見つけられないのだ。

しばらく歩き回ったが、暗闇の中でルートを見出すのは困難と判断してテントを張る場所を捜すことにする。といっても沢の周辺には平ら所はないが、少し登った岩壁の下に上半身くらいは横にできそうなスペースを見つける。普通のテントならとても張れそうもないが、愛用のストックシェルターは出口の幅分さへ確保できれば居住性はともかくとして張ることはできるのだ。また背後の岩壁は前傾しているので 、上からの落下物に対しても安全性は問題ない。とにかく、今夜はここで一夜を明かすことにする。

 

翌朝は暗いうちから行動を開始する。薄明かりの中で目をこらせば、前夜発見できなかった赤テープも見つけられて登山口までの下山は問題はなかった。ただ7時過ぎのバスには間に合わなかったので3時間以上行程が遅れることになり、国東半島一周が予定どうり行けるかどうか微妙になってきた。

 

大分経由で空港まで戻って半島歩きを再開するのだが、JRの通し切符が買ってあるので日出駅まではJRで行き 、そこから空港行きのバスに乗り換えることにした。日出駅からバス停までの乗り継ぎがグーグルマップではわずかとなっていたので息を切らして駆けつけてみると、バス停の時刻表では20分ほど余裕があり、4月改正の文字が。グーグルマップは最新改正には対応していなかったようだ。

 

空港で下車して半島一周を再開することになるが、当初予定よりも3時間半の遅れとなる。歩き出してみると山の疲れが残っていてペースが上がらない。結局、空港から17キロ進んだ所で脇道にそれた空き地にテントを張ることになるが、半島一周には赤信号が点り始めた。

 

翌朝も暗いうちから行動するが、依然として疲れが抜けておらずペースが上がらないうえに、左足の踵に豆ができてしまい、杖なしでは歩行に支障をきたすほどになってしまった。それでも半島最先端の竹田津から5キロ手前の道の駅まで到達し、今後の予定を検討する。足の豆は水を抜いたにもかかわらず痛みはやわらかず、気温も30度近くまで上がっていることを考慮して竹田津まで行って一周を断念することにした。

 

国東半島一周は東側が距離も長い上にアップダウンもあってたいへんなのだが、そこは踏破でき最先端の竹田津まで到達できたので良しとしよう。なお竹田津港から対岸の山口県の徳山港まではフェリーが通っているが、以前に山陽道をツーリングした際には徳山と岩国の間の半島は先端まで行かずにショートカットして半島付け根を横断していたので、今度こちら方面に行く機会があるならば、国東半島西側と掛け合わせて行けば好都合なことがわかった。
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竹田津からはバス乗り下車した豊後高田で予約してある旅館に向かったが、そこは多数の部屋のある一棟がまるまる私一人の貸切という妙な経験をした。今回は唐津のホテルでも似たような経験をしたが、妙なことが重なるものである。前回、豊後高田に来た時は国東半島の付け根を自転車で横断するのに疲れ果てて、コンビニ弁当を食べてバタンキューだったが、今回は「昭和の町」と名付けられた界隈にある居酒屋で今回の旅が実質的には終わったとして祝杯をあげた。
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