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2023年5月

2023年5月29日 (月)

板東33カ所巡礼と関東百名山  茨城県南部編

今回から茨城県の札所巡りである。27番の清瀧寺までは土浦の市街地を行く。やがて田園風景になってきて、横道にそれると清瀧寺に続く石段が見えてくる。銚子の飯沼観音(円福寺)から実に90キロ以上離れており、そこを出てから四日目でようやく到達したことになる。
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次の札所の26番つくば山大御(おおみ)堂までの地図上での最短コースは山道伝いであるが、アップダウンがあるので下道を回りこんだようが早いようである。後者を選択してつくば山が間近に見えてくる頃になると、夕方が近づいてくる。納経受付は4時までと聞いていたので少々焦ってくるが、札所直下はかなりの急勾配なので残りの距離の割には時間がかかる。

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終了時間ギリギリに間に合って納経を済ませ、来た道は戻らすに明日の加波山方面を目指して北側に向かう。閉店間近のラーメン屋に滑り込んでラーメン、ギョウザ、ビールの定番コースで腹を満たす。食事中にスマホの緊急地震速報がなって少し焦るが大事には至らなかった

 

食後は1時間近く歩いてから国道を離れて調整池に向かい、畔のブッシュの陰にテントを張る。調整池の周りの道はまず車が通らないし、通ったとしても車からはテントは見えないので、職務質問に合う可能性は極めて少ないと言える。

 

翌朝は散歩に来る人もいるかもしれないと、薄暗いうちからテントは撤収する。関東100名山の加波山登山口までは結構時間がかかり、加波山神社に着いた時はお昼が近かった。加波山は700メートルほどの低い山だが勾配がきつく、意外と時間のかかる山だった。

 

頂上付近には社がいくつか建っているが、一番奥の社が建っているのが頂上らしい。山頂の標識は見当たらなかったが、これより前方には高い山は見当たらずGPSも山頂直下を指しているので、山頂到達に間違いないと下山を開始する。
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次の札所の雨引観音までは、一度下に降りてしまうと登り返しとなってしまうので、山腹を巻くようにして行くことにする。緩い下りの林道で歩きやすい道なのだが、雨引観音までわざわざ行く人はいないようで誰にも会わなかった。雨引観音とほぼ同高度まで降りた所で、林道を離れて下の林道まで沢沿いに下るようになっている。下り始めは踏み跡も標識もなく、藪に突っ込んでしまうと時間がかかってしまい、納経受付に間に合わなくなることが懸念されたが、直に標識も出てきて下の林道に出ることができた。昨日の札所の納経受付は4時までだったので、今日も同じだとすると間に合いそうもないので、電話して聞いてみると五時までやっているということで一安心。ひとっ走りで雨引観音に着いたが、結構賑わっていた。雨引観音からの下りは思ったよりも長く、下から登ってきたならば、なかなかたいへんな所であった。

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その晩は岩瀬駅近くで食事したが、ラーメン屋しかあいていなかったので、今夜はレバニラ炒めと生ビールとした。もっとも〆はラーメンとなってしまったが。その晩は水戸まで行って宿を探すことも考えたが、移動が面倒になったので、街外れまで歩いてから国道近くではあるが奥まっていて絶対に職務質問に会う心配のない所を見つけてテントを張った

 

翌朝は国道沿いに二駅近くあるいてから、関東百名山の吾国山を目指して南下する。すぐに高速道路を越えるのであるが、高速の南側はゴルフ場と隣接しており利用者以外は立ち入り禁止となるため、そこを避ける道がなかなかわかりにくく、思いがけずに時間を要してしまった。

 

吾国山の麓に着いても登山口の標識はなくハイキングコースの標識ばかりである。西側にある3本のコースのうち真ん中のコースを行くことにしたが、標識も踏み跡もないものの、藪は刈り払われているので、全く歩かれていないわけでもないようだ。

 

途中で舗装道路にでたが、その上は全く道がなくなってしまう。やむをえず沢沿いに進んでみたが、結構時間がかかってしまう。標高から考えると左側の斜面を少し登れば頂上直下の尾根に上がるにちがいないと判断して登ってみると、少しの登りで立派な登山道にでた。地図にあった左側の道がよく歩かれている道でそこに出たようだ。

 

すぐに山頂と覚しき所にでたが、ここも標識はない。ただ先客はいたし、後から登ってきたパーティーもあったので頂上に間違いはない。予定では午前中に登頂するはずであったが、思わず悪路を登らさせられる羽目になったために2時となったために、今日予定した次の札所まで行くのは困難と判断した。
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来た道を戻れば早いが、次の札所までの道に繋がる笠間駅まての12キロを歩くことにした。すぐに舗装道路に出るので楽ではあるが、退屈なことこのうえない。時間を気にせずチンタラアルイタラ四時間半もかかってしまった。駅近くにはまたしてもラーメン屋しかなかったが、あえてカツカレーでシメルことにした。

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2023年5月25日 (木)

札所空白部分の踏破

 今回は札所巡りではなく二日間の舗装道路歩きである。というのは、銚子と土浦にある札所間の距離は90キロ近くあり、前回はそのうち30キロ近く歩いたので、今回は二日間で残りの60キロを歩くことにしたわけである。

 

最初はしばらくは千葉県側を歩くが、前回とは逆方向とはいえ同じ道は歩きたくなかったので土手を目指す。ところが土手との間には狭い用水が流れていて渡れず、やむを得ず歩きにくい畦道を進まなければならなかった。しばらくしてようやく土手につながる道に達して土手の上の舗装路を歩くことができるようになった。

 

土手の上を歩いていると間もなく見覚えのある所に出た。前回はレストランに向かうためにここから土手を離れて国道に向かったのだ。前回歩いた土手の道をしばらく進むと、橋が架かっていて茨城県側に渡ることができた。そこからはやっと茨城県側の土手を歩くことができた。前回も茨城県側は歩いているのだが、利根川からはかなり離れた所を歩いてきたので、利根川沿いの道を歩くのは初めてである。
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500メートルごとに標識があるので精神的にも楽なためか行程も捗り、いつしか川から離れて道は北に進路を変えはじめた。やがて、前方に街が現れて飲食店も散在するようになる。そろそろ夕食の時間も近いということでたまたま通りかかったバーミアンに入ることにした。朝からまともなものを食べてなかったのでしっかりと食事をしたが、ビールは控えることにした。というのは、今夜の泊まり場まではまだ五キロほど歩かなければならないからである。

 

バーミアンを出て歩きだした途端に足に異常を感じた、左足のかかとに豆ができてしまったようで、一歩歩くたびに痛みを感じるようになった。本来ならばなんでもない五キロの道に苦労してえらい時間をかけてようやく目的地である霞ヶ浦の一角にたどり着いたので、早速テントを張って初日の行程を終えた。

 

翌朝起きてみると足の豆の状態は芳しくない。前夜に水泡の水を抜いておいたにもかかわらず、かかとに荷重すると痛くて歩けない。これではリタイアかと思ったが、土踏まずの部分に布を重ねて靴底に敷いたところ、荷重してもかかとには当たらず歩けることを発見、これでなんとか歩けそうだ。

霞ヶ浦の南側を土浦目指して歩いていく。霞ヶ浦の北側は霞ヶ浦マラソンで何度か通っているが、南側は初めてだ。奥に望めるつくば山方面の山並みの眺めだけが気晴らしである。
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夕方に霞ヶ浦駅に到達し、なんとか銚子から土浦までの札所空白部分を踏破することができた。

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2023年5月16日 (火)

板東33ヶ所 千葉県内の参拝完了

千葉県内の坂東三十三箇所のうちの七箇所の一筆書きを完成すべく前回足の豆のためにリタイアした続きを本千葉から開始する。ただし、京成線の津田沼からちはら台までを乗車したかどうかについて記憶が定かでないので(千葉駅周辺のモノレール各線を完乗している記憶はあるのだが)、この際乗車しておいたので、京成線の千葉中央駅からJR本千葉駅までは歩くことになる。

 

今回の最初の参拝先である滑川山龍正院は前回最後の千葉寺からは58キロも離れているので、初日は成田近辺あたりで泊まらざるを得ない。幸い、成田近辺にはネットカフェがかなりあるので、その時の進み具合で最寄りのネットカフェを選べばよいので、下手にホテルを予約してしまって行程が縛られるよりも好都合である。結局は成田市内の真ん中あたりにあるネットカフェに泊まったが、一番遠くのネットカフェに比べると、明日の札所までの距離は3キロ長くなることになった。

 

翌日は初っ端から方角を間違えて進むという失敗をしてしまい、30分ほど時間をロスする。滑川への道は歩道もない狭い道を車が引っ切り無しに通る上に、天気予報が外れて土砂降りの雨となったものだから、かなり神経を擦り減らされた。地図を見ると細い道が並行しているようなので、そちらを通ったところ途中で大きく迂回していて、またまた時間ロスをしてしまった。

 

滑川山は山門にしめ縄が飾ってある妙な寺だった。訪れたのが昼時だったので、昼休みが終わるまで記帳は待たされるかなと思ったが、そんなことはなく助かった。
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この日も行程が読めなかったのでホテルの予約はせず、近辺にはネットカフェもなかったので、Googleマップで検索した公園の写真からいくつかをキャンプ候補地としてピックアップしていた。佐原の街に着いたのは夜の8時頃で時間も適当だったので、ピックアップしていた公園に行ってみると街のど真ん中にあり、こんな所にテントを張ったら職務質問必至である。町外れまで行ってみようかなと思ったが、目の前にホテルが見えたので、土曜日なので満室かもしれないと思いつつ駄目元で電話すると運よく空いていた。Wi-FiもBSも使えなかったけど、泊まれただけでも良しとしよう。

 

今回の二番目の札所である円通寺までは佐原からだと1日では到達できそうもない距離だが、最終日くらいはホテルでゆっくりしたいと銚子にホテルを予約済みなので、行ける所まで行ってから電車で銚子まで行き、やり残した所は翌日回しということにせざるを得ない。

 

最初は利根川沿いの土手の上を進んだので、誰もおらずに快適に進めたのだが、飲食物を一切持たずに来てしまったことに気づいて少々慌てる。すぐさまどうこうというこよはないのだが、レストランを検索して適当な所から土手を離れる。

 

レストランで食事後は国道を進んだのだが、やはり1日で銚子まで歩くのは無理だとわかり、二つ手前で電車に乗り、その部分は翌日回しとした。ホテルから翌日参拝する札所までは徒歩10数分と至近距離にあり(朱印帳への記帳があるので、夜行くわけにはいかないが)、今回の目的は達成したような気分になって居酒屋で祝杯をあげる。

 

翌朝は始発で二駅戻って、銚子に向かって歩き出す。最初は土手に沿って道は進んでいたが、しばらくして、土手の道は工事中で立入禁止となり、舗装道路は大きく南に迂回していた。時間はまだ6時頃であり、こんな時間に工事関係者が来るはずもないと、立入禁止を無視して工事中の道を進んでみる。無人のブルドーザーの横を進むが、道が大きく切れ込んでいたりしてなかなか簡単には進めない。そのうちに7時近くなったので、工事関係者がそろそろ来る時間かもしれないと、隣の畑を通って一般道に下りると、案の定、重機を乗せたトラックとすれ違った。一方、先ほど南に迂回していた道路とはまた合流するようにはなったが、果たして近道になったのかどうか。

 

今日は荷物の大半は部屋に置いたままで来ており、参拝後にホテルに戻ればチェックアウトの10時までには余裕があるつもりであった。ところが、9時過ぎに飯沼観音円通寺に来てみると、納経所の受付には誰もいない。しばらく待っていたが、奥の方で人の気配がしたので声をかけると、記帳は9時半からだけど多少遅れるかもしれないという。少し離れた所にある円福寺ならば8時半から納経を受付ているという。え~。円福寺と飯沼観音は別の所にあるの。ホテルのチェックアウトの時間は迫っているし、ここで待っていてもラチがあかないかもしれないと思って、円福寺に移動して記帳してもらいホテルに急ぎ、数分の超過で事なきを得た。
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これで千葉県内の巡礼は終わり、茨城県の土浦の先にある札所までの90キロ近くも離れた巡礼が始まる。この距離は板東33ヶ所の札所間距離では最長でまさに修業の道である。今までは利根川を河口に向かって進んでいたものが、今度は上流に向かって進むことになる。一度通ったところはパスできるならば楽であるが、一筆書きにこだわっているので、今までは千葉県側の利根川沿いを歩いていたが、今度は茨城県側の利根川沿いを歩くことにする。
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まずは、利根川の最も河口に近い地点に架かっている橋を渡って茨城県側に移る。鹿島線の今日の最終電車に間に合えば千葉県側を歩かずに済むのだが、35キロも距離があり、残された時間は9時間を切っている状況ではなかなか難しい。茨城県側は土手上には道はなく国道を進まざるを得ないので、単調でペースが上がらない。夕方にギブアップしてまた橋を渡って千葉県側に戻り、成田線で帰ることにする。その際に来た時とは違う道を通るようにしてなるべく一筆書きが乱れないように努めた。

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2023年5月 6日 (土)

毛勝山敗退

早朝に金沢を発って魚津に向かう。東京から車で来る仲間が魚津に到着するにまでの時間待ちをするが、秋田からツーリングをしてきた人が電車に乗るために自転車を解体していたのでサイクリング談義で暇を潰す。彼を見送った後、まだ時間があったので、魚津市内周遊のバスにでも登ってみようかと思ったが、1時間近くかかるということで、その間に仲間が到着してしまうとまずいので、駅前の散策だけにとどめる。

 

仲間が到着後、スーパーで食材を購入してから片貝山荘に向かう。山荘付近にはかなり車が停まっていたが、テント泊や車内泊なのか山荘は我々だけの貸切だった。登山口まで偵察した帰りに仲間は釣りや山菜採りを行い、山荘に帰ってからは宴会となる。
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翌朝は二時起きで三時過ぎには出発する。最初は息もつけないほどの急な登りが続くが、明るくなってくるにつれて傾斜も少しゆるくなってくる。やがて雪も現れてアイゼンをつけるが、だんだんスピードが落ちてきて、山頂まで行くのは無理と判断して二千メートルにやや足りない高度だが、山頂が正面に見えるあたりで引き返すことにした。
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下りも長かったが五時前には山荘にたどり着き、連夜の宴会となる。翌朝も二時起きで渋滞を避けて帰京することができた。毛勝山は思った以上に遠かったが、今度行くときは零時出発、夜道下山も覚悟してトライしてみよう。

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金沢観光

今日は魚津に移動するだけの行程なので余裕たっぷりである。宿からバス停までは歩くと1時間半ほどかかるが、宿の好意で車で送ってもらう。これも他の客は一組だけだったから可能となったことで、1日遅れて連休に入っていたら無理だったかもしれない。

 

コミュニティバスで終点までは行きと同じ経路だが、それから先は行きと同じ経路だと小一時間ほど歩いた小松駅に通じているバス停まで歩かなければならないが、こちらに着いてから気づいたことなのだが、北陸鉄道のバスがコミュニティバスと一部並行して走っており、どういうわけがグーグルマップの経路検索ではコミュニティバスは検索可能だが、北陸鉄道のバスは検索されないのである(逆のケースはよくあることなのだが)。ネットで時間を調べた所、30分ほどの待ち合わせで鶴来駅行きのバスに接続しており、こちらの方が歩く時間も半分以下で済むので断然有利である。

 

バスは定刻通りに着き、鶴来駅からは北陸鉄道に乗り換える。北陸鉄道の終点のちょっと手前にある新西金沢駅がJR線に接続しており、多くの乗客はそこで下車したが、私は終点まで乗っていく。終点の駅からも金沢駅行きのバスは出てるし、石川線の完乗をしたかったからである。

 

金沢駅に着くとまずはコインロッカーに直行である。GW期間中ということもあり全て使用中であったが、しばらく待っていると空きはでた。ただ荷物の全部は入りきれず、標識竿だけは手に持つ羽目になる。

 

その後は北陸鉄道の浅野川線で内灘へ。これで中部地方の私鉄未乗車は長野県の別所温泉に行く路線のみとなる。内灘は海岸があるだけの所で観光地というわけではないが、私が生まれて間もない頃に米軍の射爆場反対闘争が起き、数年後に米軍の使用が停止されて闘争も消滅したが、その記憶がいまだに残っていた所で、現地には当時の施設が今も保存されていた。
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金沢市内に戻って、金沢城や武家屋敷を観光して1日を終えた。
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2023年5月 1日 (月)

笈ヶ岳敗退

北海道以外の二百名山は北陸の三山を残すのみとなったので、三年越の計画となった毛勝山とともに藪が雪で隠れてこの時期しか登れない(はずの)笈ヶ岳を登ることにした。登山口となる中宮温泉方面にはコミュニティバスが通ってはいるのだが、本数が少ない上に日祝日は運休だったり、中宮温泉まで行く便は限られて他は6キロほど手前までしか行かないなどと、今ひとつ利用勝手は良くない。

 

4月30日に乗車した北陸新幹線はくたかはがら空きで、混雑を見越して1時間も前から並んだのは空振りであった。小松からバスを乗り継いで中宮温泉方面に向かうのだが、小一時間歩かなければならない上に途中でテント泊を余儀なくされるという有様である。

 

翌朝、バスで中宮温泉の手前のスキー場まで行ったが、そこからは6キロほどのアップダウンの道を進まなければならないし、山が近づいてきても雪が全くなく
藪こぎ必至と思われ、前途多難のアクセスであった。

 

登山口にあるインフォメーションセンターに言ってみると、今年は異常なほど雪がなく、先日も山岳救助隊が登ったが藪が濃くて登頂を断念したというイヤな情報しかえられなかった。これで九割方は諦めたが、藪の状態を自分の目で見ないことには諦められないと思って登ってみることにした。

 

登山道は遊歩道から分かれて巻き道を進むが、ジライ谷の手前の朽ちた小屋の所までは踏まれた道があったが、その先は道は消えているようであった。ジライ谷も飛び石伝いに行くには滑りそうでためらわれるし、靴を脱げば渡れるだろうが、藪の突破が出来ないことはわかっているのに、そんな苦労をするのもためらわれると思っていたら上から人が下りてきて、息が苦しく死にそうなので敗退したという話を聞いて、すっかり気持ちが萎えてしまい自分も下山することにした。

 

さあてこれからどうしよう。今からでは下界には下りられないし、くもいきも怪しくなってきた中でテント泊もためらわれる。そこで、近くの温泉に電話してみると、連休の谷間ということで空きがあり(実際はがら空きだった)、テント泊を免れた。部屋に入ってしばらくすると本格的な雨となったが、キャンプ場にしろ首尾よく稜線に上がれたにしろ、テント泊が避けられたのはラッキーだった。

 

 

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