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2023年6月

2023年6月30日 (金)

関東ふれあいの道 千葉県コース27番

関東ふれあいの道というものがあることは以前から知っていたし、他の目的で歩いていてたまたまその上を歩いていることもあったが、特に関心のある対象ではなかった。現在は坂東33箇所一筆書きをやっているが、年内中に終わ
る予定なので、その後に何をやろうかと考えた時に関東ふれあいの道が面白そうかなと思えてきた。この道は関東一円を貫いており、全長1700キロあるが、そのうち主要な部分が各県ごとにコースとして指定されており、ひとつのコースは長くても16キロ程度であり、今までは1日30キロ程度歩くのを目処としてきたが、だんだん長い距離を歩くのが大変になってきたところ、この程度の距離ならば当面は問題はないように思えるし、各県30程度の指定コースを踏破すると、認定証をもらえるという励みもあるので、老後の趣味としては格好な対象と思えたきた。

 

マレーシア・タイの10日間の旅行を終えて成田空港に朝8時に到着したものの特に疲労も感じてないし、このまま帰宅するのはもったいない気がしたので、成田近辺のふれあいの道のコースを歩くこととした。成田近辺は坂東33箇所一筆書きの際も歩いてはいるが、関東ふれあいの道とはコースが異なるので千葉県コース27番の約14キロを歩くこととした。

 

JRで成田駅に移動し、荷物をコインロッカーに預けて軽荷となってから成田線に乗換えて滑川駅で下車し、龍正院れることになっている。

 

水門から先は利根川の土手下の道をしばらく進むが、下に見えた神社に立ち寄ったため道を見失い、草むらを踏み分けて進まざるを得なくなったが、自動車が走っている道路に出てから道なりに進むと正しい道に合流し、しばらく山裾を進むと安食駅と龍角寺の分岐点に出る。前者へ向かうのが正しいコースで、後者に向かうのはサブコースであったのだが、誤って後者を選択してしまった。しばらく進むと広い通りに出て安食駅行きのバスも通っているが、バスの発車時間まではだいぶ時間があったので、このまま駅まで歩くつもりだった。ところが駅まで二キロほどの地点までのバス停まで来ると近くにスーパーがあったため、誘惑に負けてビールを買って飲みだしたため、次のバスに乗って駅に向かうことになってしまった。

 

 

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2023年6月26日 (月)

チェンマイ、アユタヤ観光

キナバル登頂とマレー半島鉄道縦断を予定通り終え、後は付録のようなものであるが、チェンマイとアユタヤの観光をしてバンコクに戻るという周遊で今回の旅を締めることとなった。

バンコクには二つこ空港があるが、チェンマイ行きはサブ的なドンムアン空港からの出発である。市内中心からはスワンナプーム空港よりも若干遠いので、前夜に空港近くに宿を取り余裕で出発することができた。今回はラウンジが無料で使えるプライオリティーカードは成田空港で使っただけて、インチョンとコタキナバルの両空港では諸事情により使えなかったので、今日は思う存分使おうという賎しい根性で朝食もとらずにホテルを早朝に出る。

チェックインを済ませると、制限区域外にあるラウンジのミラクルスペースに向かう。ネットに載っていたとおりに進むとそのラウンジがあったので、搭乗券とプライオリティーカードを見せると、カードは使えず1時間500バーツ(二千円強)と言われる。またしても失敗かとガッカリしながら進むと、同名のラウンジがあって今度はカードが使えた。紛らわしいことである。

まずは小手調べということで小腹を満たす程度にしておいて搭乗ゲートの近くのラウンジで本格的に朝食をとる。普段は朝はビールを飲まないのであるが、今日は二缶も飲んでしまった。腹も脹れてこれなら昼食はいらないかなと思うほどである。けっしてケチっているわけでなく、観光時間を有効に確保したいからなので誤解のないように

飛行機は予定どおり飛び立ち1時間ほどでチェンマイ空港に降り立った。ここから市内へはバスが出ているようなのでそれを利用することにした。今回の旅行でバスに乗るのは初めてである。ところが、グーグルマップで表示されているバス停はタクシー乗場の先にあるのだが、実際には乗場はみつからない。リムジンバスは廃止された可能性が大きいが、今さらタクシー乗場に戻るのは、さきほどタクシー運転手の勧誘攻勢をかいくぐってきた身としては格好が悪い。市街地までの距離は先日のコタキナバル空港の時の半分にも満たないのだから歩いてしまうことにした。

ここでひとつ問題が生じた。GPSに対応したオフライン地図のうちmaps-meについてはタイ北部のダウンロードを忘れてきたことと、グーグルマップについてはダウンロードこそしてあったが、オフラインの場合は自動車モードしかないことである。すなわち歩行者モードが使えないので、遠回りのコースを選択してしまう可能性があるということである。

ただそんなに長く歩くわけではなく、1時間も歩けば寺院群に着いてしまうので、実際問題としては特に影響はなかったといえる。タイの寺院は昔も見ているので目新しさはないが、あの金ぴかはどうも好きになれない。もっとも奈良の大仏も装建当時は金ぴかだったのが今は禿げてしまったと言われているが、タイの寺院は禿げないのだろうか。まさか純金というわけではないだろうに
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旧市街の有名な寺院を三箇所見た後に新市街の市場に向かう。市場に近づくと雨が降り出したが、土砂降りになる直前にはからくも市場に逃げ込むことができた。市場は屋根付きなので、どんなに激しい雨でも平ちゃらだ。雨宿りを兼ねて端から端まで見て回った。食料品と衣類が中心だが一部玩具もあったので孫に買っていけるものはないかと探したが、なかなかこれというものは見つからなかった。

雨が止んでから歩きだすと、しばらくしてチェンマイ駅近くまでやってこれた。結局、乗り物は一切使わずに西端の空港から東端の国鉄駅まで歩いてしまったことになる。夜行列車の発車まではだいぶ時間があったので、駅前の飲食店でてんぷらとサラダのセットにビールを注文した。サラダはスパイスが効いていて美味かったが、天ぷらはカリカリし過ぎて具の味が全くせず、半分以上を残してしまった。夜中に空腹になると困るので、コンビニでパンと飲み物を買っておいた。

飛行機だと1時間のバンコクとチェンマイも列車だと半日がかりとなる。もっとも今回はバンコク手前のアユタヤまでなので下車は早朝となる。今回は二等寝台にランクダウンしたので個室ではなく開放型(カーテンはあるが)だが、こちらの方が気楽である。座席番号で寝台の上下が決められているらしく、前回同様に上段となってしまった。寝相が良い(?)ので落ちる心配ないし、上段への上り下りもお手の物であるが、私の年配ならは上段の利用には困難を感じる人もいるだろうに、下段にさっさっと入ってしまった若者は上下の交替を申し出る配慮がなかったのが残念だった。

翌朝 アユタヤには20分遅れで到着。タイ国鉄にしてはまずまずか。遺跡群があるのは駅から4、5キロ離れた辺りだが、その時はまだ暑くなかったので、行きは何カ所かをはしごしながら歩き、帰りはツクツクに乗ればいいやと考えた。だが歩くに連れて暑くなり、コンビニに立ち寄って飲み物を補給しながらの前進となる。

有名なアユタヤ朝時代の遺跡を二カ所見て回ったが、昨日の金ぴかの寺院よりも見応えがあった。
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午前中で観光を終えアユタヤ駅に戻ることにする。歩き出してしばらくするとツクツクが待ち構えていたので、それに乗る。駅までの料金は約700円との言い値で、本来ならば値下げ交渉を行うべきだが、面倒になったのでそのまま乗ってしまう。そのためバーツの手持ち残が寂しくなったが、駅に着いてから小額外貨の両替をすればいいやと考えていた。
ところが駅についてみると、チェンマイでは至る所にあった両替屋がアユタヤには一軒もない。ホームにATMがあるというのでカードで手続きしてみるが、このカードは使えませんとの表示が出てピンチとなる。手持ちの現地通貨は300円程度しかないので、これで果たしてバンコクまで戻れるのか心配になっだが、エアコンなしの三等車は100円程度だったのでホッとした。おかげでバンコク近郊の田園地帯を各駅停車でのんびりと旅することもできた。今回は個室の一等寝台から二等寝台を経て三等車両まで経験することができた。

この路線はチェンマイに行くときに空港のあるドンムアンまで乗った線に繋がるもので、テレビて放映されることがある線路ぎりぎりまでお店の商品が並べられる名物路線とは残念ながら違うようである。ドンムアンに行く時は各駅停車だったのだが、今回はドンムアンを過ぎるとノンストップとなった。しかもドンムアンに行く時はバンコク駅(実際は別の駅名なのだが)の新装された構内から発車したのに、今回は構内から少し離れた路面電車のようなホームに到着したのだ。駅名がバンコクとは違っていることも含めて、初めてだったらバンコクに到着したとは知らず降り損ねてしまうところだが、前に来てバンコクの駅の外観は記憶にあったので、なんとか下車することできた。

バンコクまでは辿り着いたが、所持金200円程度では空港まで辿り着けないので両替する必要がある。地下鉄の切符売り場付近に各社のATMが何台もあるが、どのATMでも現金引き出しができない。日本語表示されるATMでは「このカードは支払停止になっている」とのメッセージが表示される。数日前のイポーでは支払に使えたのに、何と言うことか。同じ機械で何度も失敗するとカードが吸い込まれて出て来なくなるということを読んだことがあるので、違う機械で試しても同じである。

駅のインフォメーションでどこかに両替できるところはないかと聞くと、二つ先の駅で両替できると教えてもらい、5ドル札と併せて二千円程度をバーツと交換できたのでメデタク空港まで行くこどができるようになった。最後の最後にえらい苦労をさせられてしまった。教訓として「両替はできる時にしておけ」、元の教訓は「酒は買える時に買っておけ」だったが(アメリカ自転車横断中に作ったもの)

空港には早めに着いたものの、チェックインまでは3時間以上待たれることになり、ラウンジはそれまでお預け。最後までなかなか楽をさせてくれないようだ。

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2023年6月25日 (日)

鉄道によるマレー半島縦断

昨日、キナバルで一緒だった人からマレーシアやタイで使える格段に料金か安くなるタクシーアプリを教わったので、インストールしようとしたがうまくいかず、ホテルでタクシーを呼んでもらうと割高になるので、どうしたものかと思っていたところ4時前に目が覚めてしまったので、これならば歩いて行っても出発3時間前には空港に着けると判断してホテルを出発する。

空港の近くまで来たところで、反対側に渡らないといけないことに気付くが、横断歩道はなく交通量が激しいのでとても道路を渡ることはできない。そこでGPS対応地図を大縮尺にして歩行者モードで国際空港と表示されている地点までを検索すると、少し戻った所にある立体交差を通っていくように指示されている。この立体交差はさきほども気付いていたのだが、自動車専用だと思っていたので、通り過ぎてしまったのだった。しかし、歩行者モードで経路として表示されているのだから問題はないのだろうと、向こう側に移動することができた。

次に空港の建物への入口を探さなければならないのだが、gps対応地図のうちオフライン用のグーグルマップには歩行者モードがなくmaps-meにはあったため、こちらをホテル出発から使用してきたが、空港建物の位置が判然としないため適当な所で右折したところ迷路にはまってしまい、放し飼いの犬には吠えられるわで散々な目にあった挙げ句、さきほど通った場所に戻ってきてしまった。

グーグルマップに切り替えると、空港建物への経路が明瞭となったので無事空港建物に入れたが、この時点で出発1時間半前となっていて、eチケットの注意書きにあった3時間前には着いているようにとの指示からは大きく遅れることとなった。さらにエアアジアのチェックインカウンターに着くと長蛇の列であった。自分の順番が回ってきた時には出発1時間前を切っており、タイムアウトとなることも覚悟し、便数も多いし値段も安いので次の便でもいいやと思ったが、ラッキーなことにチェックインすることができた。

次は遅めの朝食をとることだが、プライオリティーパスが使えるラウンジがあるとの情報がネットにあったので、あまり時間はないが、大急ぎで簡単な食事くらいはできるだらうとラウンジを探す。ネットの情報ではマレーシア航空のラウンジの近くにあると書いてあるが、マレーシア航空のラウンジは見つかったが、目的のラウンジは見つからないので諦めて軽食コーナーに入る。喉がカラカラだった のでビールを飲みたいところであるが、イスラム教のお国柄かビールは置いてないようなので、コーラを注文するとそれもなくホットコーヒーしかないと言われる。頭に来て売店で缶コーヒーとナッツを買って待合室の椅子で空腹をほんの少しだけ癒す。

出発時間が迫っているのにゲート前は静まり返っている。不思議に思って係の人に聞くと40分の遅れとのこと。だったら、あんなに慌てなくてもよかったのだ。やがて飛行機が到着して、三日間過ごし二度と来ることはないだろうと 思われるコタキナバルを後にすることになる。キナバルに登れたので、もう何も思い残すことはない。、

2時間ちょっとのフライトでクアラルンプール空港に着陸する。空港は市内からだいぶ離れており、 市内までのアクセスはバス、タクシー、鉄道のいずれかになるが、今回は鉄道が中心の旅行となるため、ノンストップのエクスプレスで行く。二千円弱の料金を払ったら手持ちのマレーシア通貨は400円程度となってしまった。いまさら両替しても使い切れなくなるので、今夜の夕食はカードの使える所にしか行けなくなる。

空港からのエクスプレスの終点で下車して、日本で予約した国境方面のeチケットを自動改札にタッチしたらブザーがなってしまう。一瞬慌てたが、係の人が来てくれてハンディの端末で処理してくれた。私の予約したのはクアラルンプール駅からだったが、セントラル駅はちょっと手前にある駅だったためにエラーとなったようだが、料金は変わらないようであった。電車に乗り込むとコーヒーとお菓子のサービスがあった。現地通貨をほとんど使い果たしていたので、現金でしか払えなかったら困るなと思ったが、サービスであった。フリーwifiも使えるし接続用の端子も備えていてビジネス用のフライト並であった。
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この電車は有名な観光地であるペナン島への連絡港であるベターワース行きで、コロナ前のバンコクまでの直通列車があった頃はベターワース発バンコク行きが出ていたことがネットには多数出ていたので、ベターワースまでの切符を予約したのだが、直通列車が廃止されてからはベターワースからは国境行きの列車もなくなったことを後になってから知った。そのためキャンセルして切符を取り直そうかとも思ったが、キャンセル料15パーセントはともかくとして手続きは出発駅まで出向く必要があることがわかったので、キャンセルはせずに途中下車して、クアラルンプール発の夜行電車に乗り換えることとした。

どこで乗り換えることにするかを考えたが、ベターワース行きと国境行きの分岐点近くで乗り換えた方が無駄となる区間が少なくて経済的であるが、国境が近すぎてほとんど寝る時間がなくなるので、もう少し手前のイポーで乗り換えることにすれば、イポーはマレーシア第三の都市であり、食事場所に困ることもないだろうと考えたからである。

イポーに着いたのは6時半頃ですっかり暗くなっていた。駅前は旧市街で官庁や企業事務所が多く商店は少ないので、コタキナバルの中心街の方が賑やかだったなと思ったりしたが、川を渡った新市街の方に行くと商店がたくさん現れて賑やかになってくる。昨夜はホテルに戻ったのが遅くてキナバルの登頂祝いができなかったので、イポーの名産とされているチキンとモヤシ料理て祝おうと考えた。ただひとつ問題があったのは、マレーシア通貨をほとんど使ってしまったのでカードが使える店しか利用できないことであった。

新市街の中心まで来るとたくさんの飲食店が軒を連ね地元の人で賑わっていたが、前述の制約条件があるためどの店にでも入れるというわけではない。夜市が開かれている通りに面した中国料理店の入口にVISAが使える旨の表示があったので、そこで食事をすることにした。名産のチキンとモヤシを使っていそうな料理を注文し、味もまずまずだったが、マレー料理だったら、もっと名産らしい料理をたべられたのかもしれないが、制約条件があるのでやむを得ない。

帰りに夜市も覗いてみたが、店の数の多さの割に はお客さんは少なかった。この程度の人出で毎日やっているとしたら採算がとれるのか心配になってきた。駅に戻ってから夜行電車か到着するのには3時間ほどあったので、時間待ちの間は退屈な上に睡魔にも襲われてなかなか大変だった。

深夜に到着した国境の街ペダンバザール行きの電車はクアラルンプールから乗車してきた電車と同様に指定のリクライニングシート付きの一人席なので快適である。飲み物とお菓子付きなのは同様であるが、さらに弁当まで付いてきたのには驚いた。これで朝食の心配もなくなったことになる。

早朝に10分遅れでペダンバザールに電車が到着したときはまだ真っ暗であった。改札を出ると人だかりがしてたので、なにかと思って除くとタイで利用できるSIMカードの販売所であった。外に出てみると、案の定、何もない町であった。イミグレーションの扉はまだ閉まっており、何時に開くかは わからないが、数時間は待つ覚悟が必要である。こんなことならイポーで途中下車せずにペダンバザールまで行き、早朝の電車でここに来た方がよかったかなとも思えてきた。

30分ほど過ぎると人の動きがあり、半数くらいの人が外に出て行ったが、ツアーかなにかの人のようでタイへ出国する人ではないようだ(もしかしたら団体用の出国窓口があるのかもしれないが)。車内でもらった弁当を食べていると第二陣の動きがあって車に分散して消えてしまい、待合室に残っているのはわずかとなってしまった。あれほど大勢の人がSIMカードを買ってたわけだから、やはり団体用の出国窓口が別にある可能性が高いように思えてきた。自分の理解できない事態が進んでいるのは愉快ではないが、人数か減ってイミグレの待ち時間が減ったと前向きに考えるしかない。

そうこうするうちに電車が到着して、また待合室が混みはじめた。国境なんたらと書いてあってイミグレの事務所かと思っていたのはワッフルの売場とわかってがっかり。マレーシア鉄道の切符売り場は開いていて隣のタイ国鉄の売場は閉まっているので、何時に開くのかと聞いたら9時(タイ時間では8時)に開くという。ついでにイミグレの場所を聞くと下の階だと言われたので、降りようとしたら階段の扉が閉まっている(鍵はかかってないが)。ちょうど下から警官が上がってきたので、イミグレが開く時間を聞くと10時(タイ時間では9時か)ということで2時間以上待たなければならないことになる。それに近いことは最初から覚悟していたし、バンコク行きの夜行寝台は夕方発なので全然焦らないが、マレーシアの人はタイと行き来するにはイミグレを通らなくてもよいようだ。

9時近くなってタイ国鉄の切符売り場に行列ができはじめた。ようやく同類の人が現れたようで少し安心した。その後も続々と人が増え、9時の切符売出時には長蛇の列となっていた。無事切符も入手し、出入国カードを書き終えてイミグレオープンを待つだけとなったところでひとつの疑問が生じてきた。以下はタイ時間で記すが(タイの方が1時間遅れ)、列車は8時55分発なのにイミグレが9時始まりでは多少出発時間を遅らしても、これだけの人を乗せられるはずがないということである。

イミグレに通ずる階段前は人であふれかえっているのに、9時をだいぶ過ぎてもオープンしない。一日に二本しか動かないのに乗客を置き去りにして列車が発車してしまうはずはないと思ったが、9時15分にオープンすると拍手が湧き起こる。皆もじりじりしていたのだろう。乗客全員の手続きを待っていたようなので、一時間半遅れの出発である。まあダイヤはあってないようなものなのだろう。なお今回は虫眼鏡を持参して大正解であった。出入国カードに印刷されている小さな文字は裸眼では読むのに苦労したに違いないからである。

列車はマレーシアで乗ったものと比べるとかなり質は落ちる。列車に限らず多くのものがマレーシアがヨーロッパ的なのに対してタイはアジア的である(といっても程度の差に過ぎないが)。どちらかどっちというわけではないが、反対コースで行った方が体力的精神的には楽だったかもしれない。列車は昼過ぎに終点のハジャイに着く。夕方の夜行寝台までこの街で過ごさなければならないが、暑さの中で外歩きはしたくないので、まずは昼食がてらにケンタッキーで涼むことにした。次は駅前の喫茶店で引き続き涼むが、街を探訪しようという意欲が全く湧いてこない。

ネットの情報では小高い丘の上にある金ぴかの仏像をイチ押しの観光地に上げてたが、時間的には可能なものの、今ひとつ魅力に欠ける上、連日のハードワークで疲労が溜まっているだろうし、今回の旅行の最大の山場である国境越えを無事成し遂げた直後なので、十分休養して鋭気を養った方が旅行の後半戦に向けて得策であると判断して、夜行寝台の出発まで駅前の喫茶店に留まることとした。

出発時刻の1時間ほど前に喫茶店を出てホームに向かう。その際に売店で飲食物を買っていったが、ビールを含めたアルコール類が全然売っていないのである。イスラム教の 国であるマレーシアでさへコンビニではビールを売っていたのに、仏教の国であるタイでアルコールを売らないのはどういうわけだろう。おかげで意図せざる休肝日を過ごすことになってしまいそうだ。

今回は出入国手続きが無事に終わったことの慰労とお祝いを兼ねて個室の一等寝台でバンコクまで行くことにした。一等寝台に乗るのは妻と行ったシベリア鉄道以来だろうか(一等寝台に乗っている人がLCCを利用するとは誰も思わないだろう)。ところが、個室であることをすっかり忘れてしまい、車体に書かれている2の文字を2等車ではなく、2号車と誤認して乗り込んでしまい、車掌さんに間違いを指摘されることになってしまった。どうも慣れないことをするとろくなことがないようだ。
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6時前に定刻通り列車は出発し、マレー半島縦断後半戦が始まる。弁当の注文に来てくれて届けてくれる。私の乗っている二号車から食堂車までは遠いので、届けてくれるのはありがたい。夕日に染まっていく空や町明かりを眺めながらの食事は格別である。これに酒があれば最高なのだが、贅沢を言ったらきりがないか。食事が終わったら音楽を聴きながらブログを書いたりするのが通例だが、今夜は半世紀前にマレー半島を私とは逆方向から縦断した沢木さんの「深夜特急」を再読してみる(たまたまこの巻はタブレットにダウンロードしてあった、)。
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深夜特急を読みながら眠りに落ち込んでいると、係員に起こされてしまい、2段ベッドの上段への移動を迫られる。個室の独り占めができると踏んでいたのだが、同室者が乗り込んできたようである。知らない者との同室となると個室車両よりも開放車両の方がよいように思える。まあ、今夜は寝るだけなので、翌朝ちょっとの時間我慢するだけだ。

 

翌朝目覚めると同室者はまだ睡眠中のようだ。個室で窮屈な思いをするよりも、多少遠くても食堂車で食事した方がよいように思えたので移動する。朝食用のメニューがあったので、サンドイッチのセットを注文する。車窓を流れる景色を眺めながらの食事は旅情を誘ってくれる。左側には帯状に広がった岩壁が見えてくる。10年以上前に行ったプラナンの岩場を思わせるが、今走っているのは半島の東側であるのに対してプラナンの岩場は西側にあるはずだ。同じような岩場は外にもあるということなのか
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部屋に戻ったのは9時過ぎなので、もうベッドはしまってあると思ったら、同室者は眠っていてベッドはそのままだ。係員がベッドをしまいにきた時に、同室者は寝ていたのでそのままにされたのだろう。それならそれで構わない。

バンコクには定刻よりも2時間ほど遅れて到着する。マレーシアの鉄道はほぼ定刻通り到着していたが、インドでもこの程度の遅れは普通だったから、アジアの王道を歩んでいると行ってよいだろう。バンコクに着いて最初にすべきことはwifi環境のある所へ行ってバンコクに無事到着したことを妻に報告することであるが、駅構内はwifi環境はなかったし、周辺にも襲われたwifiが使えそうな店はなかったので、日本に帰る時に利用する空港への乗り継ぎ駅近くで不要な荷物をコインロッカーに入れるつもりなので、その近くで探すことにした。
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地下鉄の乗り継ぎ予定駅で下車し、スタバの前まで来るとwifiの表示が見えたので、店の前で接続しようとしたら店の人が出てきて、手伝ってくれる上に店の中まで招き入れて水まで出してくれる。悪いのでコーヒーとパンを注文したが、しっかりつながって我が家の様子がわかった外、近くのコインロッカーの位置や今夜のホテルまでの経路もスクリーンショットで保存しておいたのて、効率的に動けるはずであった。

まずはスクリーンショットした地図を頼りにコインロッカーを探しに行く。ところが近くとおぼしき所へ行っても全く見当がつかないのである。だが、よく考えてみると当面の不要品としてコインロッカーに入れようとしたのは五キロ程度に過ぎないので、それを背負っても別に負担にもならないし、ロッカーの一日使用料か500円とこちらの物価水準からすると割高で三日分となると結構な額になるのでコインロッカーは利用しないことにした。

 

次に市内観光をどうするかであるが。王宮は西の方で遠すぎるし、30年ほど前の事務所の旅行で大体は行ってるはずなので(どこに行ったかはよくはわからないが)、近くの夜市に行くこととし、それが始まるまでは隣のショッピングモールを覗いてみることにした。さすがにコタキナバルよりも格段にスケールは大きかった。

 

適当な時間になったので夜市に移動する。こちらもマレーシアのイポーのものとはスケールが違っていた。
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一通り見てからお店に入ってビールと食事を愉しむ。ほろ酔い気分になったので、ホテルに向かうことにした。そこでスクリーンショットしておいた経路図に従ってホテルに向かうことにした。最短コースは地下鉄を降りてから別の路線に乗換えるようになっているのだが、別の路線の駅がわからないのである。結局、遠回りの経路の国鉄利用でホテルに辿り着けたのだが、ホテルに着いてから調べると、別の路線は鉄道ではなくてエアポート バスであった。

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2023年6月22日 (木)

キナバル登頂

朝7時前に登山口まで送迎してくれる車に乗り込む。別のホテルで二人が乗り込むということで中心街の方に向かう。停車したホテルは私の泊まったホテルよりもだいぶグレードが高いようであった。しばらくして二人連れが車せに乗り込んでくる。顔が良く見えなかったが、外人であることに疑い差し挟む余地がなかったので、「グッドモーニング」と挨拶をかける。その後もしばらくは気がつかなかったが、トイレ休憩で下車して車に戻ってきた時に日本語で話し掛けられてビックリする。船橋在住で現在はクアラルンプールに駐在している夫婦であった。
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10時頃に登山口に着き、入山手続きを済ませてからガイドと一緒に登りだす。日本人夫妻とは別のガイドで私の方が先行する。登山口の標高は2000メートル弱で山頂は4000メートル強だから標高差は2000メートル強となる。国内の山では最近は一人で登ることが多く、抜かれぱなしとなるのが珍しくないが、今日はガイドのペースに合わせて登ったので、抜きっばなしとなった。私の体力もまだ捨てたものでもないようだ。

天気は今ひとつて途中から雨が降り出したが、樹林帯の登りなのでさほど気にならない。一応上下の雨具を着けたが、傘だけでもいいくらいであった(ガイドはそうしていた)。展望もなく単調な登りで、途中で小屋が現れるたびに泊まり場に着いたかとぬか喜びしたが、外国人が泊まれる小屋ではなかった。

標高が3000メートルを越えると疲れが出てきたのかいつものペースに戻ってしまい、途端に抜かれっぱなしになってしまった。少し登った3200メートルを越えた地点に泊まり場の小屋があった。キナバルの岩壁を背後に控えた素晴らしい立地条件である。小屋到着は3時で、濡れた衣類を着替えたり、荷物の整理をしてから食堂兼ホールに下りて、外の景色を眺めながらコーヒーを飲んでのんびりする。小屋の夕食はバイキング形式で5時頃に食事する。明日の朝食は1時で2時出発なのでその間の睡眠はほとんど仮眠のようなものである。6時近くになってそろそろ部屋に戻ろうかと思った時に日本人夫妻が小屋に到着するが、奥さんはだいぶお疲れのようであった。私の隣の席で夕食を食べられたので、マレーシアについてのいろいろな情報を教えてもらった。

夕方から深夜にかけてかなり雨が激しく降ったが、1時に起床して外に出ると雨は止んでいて星さへ見えている。朝食を食べ終わり、2時半にガイドと出発するが、かなりの数の登山者が行列状態でキナバル山に向かっている。歩き始めは毎度のことながら調子が出ないので抜かれっぱなしになる。しばらくは樹林帯を登るので風も当たらず、厚着をしてきたために暑いくらいであった。

樹林帯を抜けて岩壁に入るが、太いロープが切れ目なく張られているので安心である。ただ夜中に降った雨で足もとがかなり濡れていたので、滑りやしないかとおっかなびっくりだったが、思ったよりも摩擦が効いているようであった。

夜が明けてくると前方にセントジョーズピークの鋭い岩峰が見えてくる。岩登りの対象で一般道はなく、めったに登られないようである。それに対して今回の目標であるロウズピークは五メートル高いだけであるが、一応は最高峰であり登りやすいということもあって四季を問わず多くの登山者が訪れているようである。

ロウズピークは稜線近くまで登ると見えてくるが、こちらも威圧感のある立派なピークである。最初に姿を現した時は夜明け前だったので登山者のヘットランプが点々と繋がっていたのが印象的であった。私が登った時はすっかり明るくなっていたが、相変わらず登山者は数珠繋ぎであった。登山路は明瞭で特別の苦労もなく登頂できたが、格別の感慨はなかった。長年暖めてきたわけではなく、ふっと思いついた計画だからだろうか。ただ知り合いにも話していたので、登頂できてホッとしたというのが実感である。
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登頂のお決まりである記念写真を撮ってから下山を開始したが、すぐに例の日本人夫妻のご主人とすれ違う。奥さんは調子が悪く断念したとのことである。もう少し下りたあたりで今日往復したコースを振り返って眺めると、すごい所にコースを作ったものたと感心する。その後は小屋に戻って今日二度目の朝食を食べる。といっても深夜用と同じメニューであるが(作り置きしておいたのだろう)

朝食後に登山口目指しての下降を開始する。小屋まで降りてきて登山は終わったような気分に一瞬なりかけたが、標高差1300メートルをまだ降りなければならないのだ。この標高差は富士山山頂から五合目までの標高差に匹敵するので、今日の行程は五合目から富士山までを往復して五合目に降りてきてバスに乗らずに浅間神社まで降りていくようなものである。小屋までの登りは5時間かかったので、登山口までの下りは1時間以上短縮できるかと思ったが、雨で濡れているヶ所が多く滑らないように慎重に下ったので、30分短縮できただけである。登りはもちろんだが、下りでも滑りやすいヶ所ではストックを用意しておいてよかったと思ったが、翌日からの旅行では無用の長物となるため、ガイドにチップ代わりにプレゼントしておいた(ストックの値段とチップの相場がほぼイコール)。

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2023年6月19日 (月)

コタキナバル

当初予定していた時間よりもだいぶ早く成田空港に着いたので、どう時間を潰そうかと思ったが杞憂であった。というのは、今回キナバル登山に際して向かったコナキタバルには直行便ではなく韓国インチョン空港乗り換えであるところ、航空会社を確認したつもりが二番目のものしか確認しておらず、最初の便も当然同じものと思い込み第三ターミナルに向かったのだが、最初の便は第一ターミナルだったので戻る時間が必要となったからである。ただLCC専用の第三ターミナルにはラウンジがなく、ラウンジを利用するために取得したプライオリティーパスが成田空港では使えないと思っていたのだが、最初の便はLCCでありながら第一ターミナルなので、ビジネスラウンジが利用できてラッキーであった。
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ただいいことばかりは続かない。インチョン空港には1時半には着いたのだが、次の便とは航空会社が違うため成田では搭乗券はもらえずインチョンでチェックインする必要があったところ、4時半までチェックができなかったため搭乗券無しではラウンジに入れなかったのである。ようやくチェックインができて搭乗券を持ってラウンジに向かったところ、3時クローズの看板が・・・。やむを得ず売店で軽食を買う羽目に。国際線では初めてLCCに乗るということで、良きにつけ悪しきにつけたいへんな一日だった。

搭乗して1時間半ほど経ったところでビールとつまみを注文しようと思った。LCCでは水以外は有料なのでメニューの値段を見ると、ウォン、ドル、円の三種類で標記してあり両方で千円だったので、千円札を出すと使えないという。ドルはないかと言われるが、100ドルを出してウォンでおつりをもらっても困るので、マレーシアに向かうのだからマレーシアの通貨ではダメかと聞くとダメだと言われる。それならクレジットカードで払おうとしたら、今度はハンディリーダーで読み取れないと言われる(空港の売店では使えたのに)。全く踏んだり蹴ったりでいい加減に頭にきたので、チェジュ航空では絶対に物は買わないぞと心に誓う。

飲まず食わずでコナキタバルの空港まで頑張り、売店でサンドイッチを食べてから空港のタクシー受付所で行き先を行ってクーポンを買う。この方法だと運転手にぼられる心配もないので、よその空港でも真似してほしいものである。空港からホテルまでは地図で見ると近そうにみえたので、帰りは朝だし歩いてもいいかなと思ったが、とても歩ける距離ではなかった。近そうに見えたのは滑走路の先端からの距離であってターミナルからだとそれなりの距離はあった。ホテルは中心街からは遠いが、一泊三千円にしてはまずまずのホテルであった。
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翌日は休養日であったが、ホテルの近くで食事してから中心街まで歩いて行ってみることにした。思った以上に遠い外、強い太陽に長時間照らされて少々グロッキー気味になったので、中心街に着いてからは涼みがてらにショッピングモールに入り、スターバツクスで長時間の休憩をとり、同じ階のレストランでランチを食べて充分な休養を取ってから意を決して外に出た。幾分は気温が下がったのか体が慣れてきたのか、午前中ほどは暑さが気にならなくなっていた。

中心街を更に東に進み、ネットに出ていたイチ押しの観光地サピ島への渡航地であるジェッセルトン・ポイントに向かう。ところが、桟橋の待合室に行ってみても誰も待っていない。嫌な予感がして近くの店の人に聞いてみると、クローズで明日だという。ネットの情報では島の施設の入園は5時までとなっていたので、島までは15分かかるらしいから3時に桟橋に着けば充分間に合うと思っていたのが大誤算であった。まあ暇つぶしに行こうと思っただけだから、行けなくてもどうということはないのだと気持ちを切り替える。
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ホテルに戻るには歩くには少し遠いので、途中でタクシーを捕まえようと歩き出したが、すぐ手前にもショッピングモールがあったので寄ってみる。午前中にショッピングモールに寄った時もストックがないかとスポーツ店を探したのだが見つからず諦めていたのだが、帰りのお店では一発で見つかった。今回、後半の旅行でじゃまになるからとストックは持っていかないことにしたのだが、やはりストックはあった方が楽なので、安物があれば使用後は処分してもいいかなと思っていたのである。サピ島に行っていれば帰りは遅くなるのですぐにタクシーに乗ってしまい、このショッピングモールに寄ることはなかっただろうから、万事塞翁が馬である。

 

しばらく歩くと空港行きのバス停があり、そう待たずに次のバスが来るようなので乗っていくことにした。途中で下車すれば、ここからよりははるかに短い歩きで済むだろうし、バス代は200円程度でタクシー代は千円ちょっとだろうからだいぶ安いし、タクシーを捜したり値段交渉する煩わしさもないのが好都合であった。ところが16時15分のバスはいつまで待っても現れず、次の17時のバスも15分待っても現れないので痺れを切らして歩きだした。ホテルまで4キロだから途中で食事をすれば気にならない距離になると考えたのである。

 

中間点あたりで夕食をとり、あとちょっとだと思って歩き始める。とかろが大きな団地に差し掛かったあたりで、またもや問題が起きる。団地は自動車道路と接しているのだが、鉄条網でしきられていて行き来ができないようになっている。ホテルは団地の裏側にあるので、どこかに入口はあるのだろうとそのまま進んでみたが、いつまでたっても鉄条網に囲まれたままである。そこでGPS対応の地図を取り出してホテルまでの最短経路を調べてみると、このまま進んでもホテルには到達せず、一度戻って大きく南側に迂回しなければならないことがわかった。しょうがないので、その通りにしたが、あの団地は一体なんだったのだろうか。裏通りに面した方に一箇所だけ人と車の出入口があったが、門番が居て厳重にチェックしているようであった。

 

なんか今日は良いことと悪いことが交互にある一日だったが、今回の旅行の中では唯一付録のような一日だったので、退屈しなかったことがなによりなのかもしれない。

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2023年6月14日 (水)

板東33ヶ所札所巡り(最難関の茨城県を終える)

茨城県は板東33ヶ所札所巡りにおいて最難関の県であると言える。千葉県との境に位置する土浦の札所が隣の銚子の札所から90キロ以上離れていて、板東33ヶ所札所間では最長となっている外、最北にある21番の日輪寺が隣の札所との距離はいずれも70キロ前後と長い上に往復10キロ以上の急坂を有しているのである。

 

今回はその日輪寺を目指すことになるのだが、初日は前回男体山から下山した上小川駅から日輪寺麓の常陸大子駅までの10キロ程度の短い行程である。今夜の宿はその常陸大子の駅前にある昔ながらの旅館だが、これより奥に進んでも町はなく集落が点在して雑貨屋が数軒あるのみなので、時間的には勿体ない気はするものの、ここに泊まらざるをえないのである。

 

常陸大子はシャモの名産地だそうなので、地元の専門店に行ってみる。シャモを名産品として売り出したのは、そう古いことではなく、地元の仕掛人の発案が当たって、今では60店もがシャモ料理を扱っているとのことである。焼鳥のコースを注文したが、一見したところではブロイラーのものと区別がつかないが、食べてみると気のせいか独特の味わいが感じられた(ということにしておこう)。ニコル氏の色紙も飾ってあったので地元でも有名な店らしかったが、値段の方もそこそこであった。
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翌日は長丁場が予想されたために5時には宿を出る。人家もまばらな田園地帯を進んでいくと、栃木県方面から来る道と合流する。明日はこの道を栃木方面に進むので、ここにテントを含めた荷物を置いていってもいいのだが、この先にあるはずの雑貨屋で食料を補給する予定なので、そのまま荷物を担いでいく。

しばらく歩いて雑貨屋に着いたので、今日の行動食とテント泊時の飲食物を買い足す。ここから札所までは往復22キロあるので不要な荷物は置いておきたいところだが、まわりには人家もそこそこあるので、道端に荷物を置きっぱなしにしておくのも憚れると思って、もうしばらく進むことにした。すると郵便局があって庇の下は雨もあたらず荷物を置くには絶好である。しかも今日は日曜日で郵便局はお休みだし、まわりに人家もないとお誂えむきである、

荷物を二つに分けて軽い方を担いで出かけようとした時に郵便局の隣に屋根付き駐車場なのか倉庫なのかわからないが、雨が降ってもテントが濡れずにすむ場所があるのを発見する。郵便配達の車が昼間は出払っていて夜になると戻ってくるのかもしれなかったが(事実、その後に郵便配達車と道で出会った)、その場合は別の場所にテントを張ればいいやと、札所を目指して出発する。

しばらく進むと人家もなくなり、那須方面への道と別れて札所に向かう往復16キロの道に入る。下の方は傾斜が緩かったが、次第に傾斜がきつくなってくる。前回は自転車を利用したのだが、よくこんな坂を登ったものだと感心する。札所に近づいてくると雨も強くなってくる。お寺の前には車が一台停まっているが、外に参拝者もいないようなので住職のものだろう。

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参拝を済ませて長い々々を下っていると、さきほどの住職の車に抜かれる。寺には泊まらずな麓から毎日通っているのだろう。郵便局に戻ってきた時はもう暗くなっていたが、隣の建物は相変わらずからっぽだった。途中で出会った配達車はどこへ行ってしまったのだろうと思ったが、有り難くテントを張らしてもらい、夜中の雨にもテントが濡れずにラッキーであった。
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翌朝は薄暗いうちから出発して、茨城から栃木への県境越えを目指す。今日は30キロ弱のほぼ下りだから楽勝だろうと思ったのだが、足が重くて行程がはかどらず、昼食時までにスーパーに辿り着けるかどうか心配になってくる。もちろん、途中には飲食店もコンビニも一切ないのである。いやになるほど歩いて栃木県に向かう国道に出て一安心するが、道は緩やかながら登りになってくる。ここまで来て登りかよと思ったが、その先は峠で栃木との県境であつた。ようやく茨城県を抜けられたという喜びもあったが、空腹となってきていたので、早くスーパーに着いて弁当でも買いたかった。
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重い足取りでスーパーがあるはずの地点まて下りたのだが、あるはずのスーパーが見当たらない。ぐーぐるマップではスーパーがあるはずの場所はなんと空地になっているではないか。やむを得ず持参していた干し芋で空腹を充たしてバス停に向かう。バス停からJR氏家駅まては乗りでがあったが、駅での接続も良く宇都宮行きに乗り換えて、宇都宮で名物の餃子にありつくことができた。
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2023年6月 9日 (金)

板東33ヶ所札所巡り(茨城県中部)と関東百名山(奥久慈男体山)

前回時間切れとなってしまった笠間駅からの続きとして佐伯観音に向かう。実はこのあたりはボルダリングの名所としても有名で10数年前に何度か来たことがあるのだった。参拝を終えると、その足でボルダリングのエリアに向かう。まずは大黒石の横を通って佐伯山に向かう。大黒石自体も何本かの課題があってトライした記憶がある。山道を登って佐伯城跡の本丸跡を過ぎた先に立入禁止の立札がある。この先にある神社が東日本震災で損傷して立入が危険なためらしいが、ずいぶんと長期間に渡ってボルダリングエリアへの立入も制限されてきたわけだ。もっとも禁止の看板は無視して登っている人もいるかもしれないが、今日は大人しく引き返すことにした。
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大黒石からは来た道とは反対側の道を下って国道に出てからはJR水郡線の瓜連駅までの長く単調な道が続く。おまけにかんかん照りでなかなかたいへんな一日であった。途中、かなり長い間、コンビニどころか自販機もなかったが、瓜連駅のちょっと手前にコンビニがあって一息つけた。行動中はビールは飲まないことにしているが、今日のゴールは目の前だということでロング缶を買って飲んだところ腹に染み渡った。二つ先の上菅谷で下車して駅近くのネットカフェの隣に居酒屋があるようにクーグルマップには載っているが結局見つからずネットカフェに直行する。

翌朝は上菅谷駅前のコンビニで朝食を買うつもりだったか、オープンが朝7時といことでそれまでまて待てないと、昨日のコンビニまで電車で戻ることにした。こちらは24時間営業だったが、昔は7時オープンが当たり前だったのだけどね
22番札所の佐竹寺までは7キロちょっとしかないのに意外と時間がかかってしまった。佐竹寺は戦国時代まで長らくこの地を治めていた佐竹氏の庇護を受けていたために名前が残っているようである。佐竹氏は江戸時代になると、秋田方面に転封されたが、寺自体は佐竹氏の名前を残したままこの地に留まったようである。
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これて、今回の札所二カ所の参拝は終わったが、次の札所の日輪寺までは70キロほとも離れているため、少しでも前進しておく必要があるし、途中にある関東百名山の奥久慈男体山にも寄り道するということで、その最寄り駅の西金駅を目指すことにした。最短路は何度か道を曲がっていくようになっていたが、面倒なのでスマホの音楽を聴きながら国道を直進していたら、ずいぶんと遠回りとなっていることに気づいた。夕方近くになっていることもあり、最短のコンビニを目指すことにしたが、ほぼ真西に10キロほど進まなければならないことかわかった。

 

地図で調べてみると、コンビニまでのコースは山を二つ越えて行かなければならないことがわかり、距離以上に時間かかかることを覚悟したが、いずれも途中にトンネルがあって稜線までは登らなくてよくて助かった。それでもコンビニに着いた時は真っ暗になっていたが、そこで弁当を食べてから今後の予定を検討する。当初予定していた西金駅まではまだ14キロもあり、今晩中に着くのは無理だが適当な所でテントを張ることにして場所を探しながら歩いていると、ゲートが閉まっている林道が分岐している所があったので、ここなら車が進入してくる心配かないのでテントを張ることにした。夜中に雨が本降りになったが、簡易テントでもなんとか一夜をしのげることができた。

 

明け方近くには雨も上がり西金駅までの12キロの国道を歩きだすが全く調子が出ず、8時頃には着くだろうと思っていた西金駅に着いたのはなんと10時を回っていた。ここから奥久慈男体山を目指して国道を離れて沢沿いの道を進むが、最初は平坦だった道が傾斜を増すあたりから漸く調子が出てきていつものペースに戻れたかなと思ったのだが、二人の登山者にたちまち追いぬかされて、すっかり馬力が落ちてしまったことを痛感した。

 

奥久慈男体山を目指す人の多くは別コースからの舗装道路が登山口まで延びているのて、そちらの駐車場に車を置いて山頂を往復しているようだが、今登ってきた道から登山口までは少し下りになっているので、なんだか損したような気分になる。登山口から見上げる奥久慈男体山は400メートル以上の標高差のある壁を思わせる圧倒的な威圧感をもって聳えていた。頂上までのコースは健脚コースと一般コースがあり、以前なら迷わず健脚コースを行く所だが今日は迷わず一般コースを行く。
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一般コースと言ってもなかなか大変なコースで、おまけに稜線に出てからも山頂までは一度鞍部におりてからの登り返しがあって、とても600メートル台の山とは思えない大変な山であった。時間はまだ2時だったので、ここからはあまり登られていない袋田の滝方面を目指すことにした。袋田の滝は那智や華厳の瀧とともに日本三大名瀑の一つとされており、若い頃にアイスクライミングで来たことがあるが(最近は結氷しないことが多いらしいが、)、しばらく訪れてないので懐かしいという気持ちが強かったのである。
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北側に進路を取ってしばらく進むと、西金駅の隣の上小川駅に降りる(車を利用しない場合の)最短の下山路への分岐点を通り越して袋田の滝方面への良く踏まれた道を北に進む。30分ほど進むと道は東の方に進路を変えていく。GPS対応の地理院の五万図では東の尾根には入らずにそのまま斜面を北上するようになっていたので、このまま進むべきか判断に迷う。時間は4時を回っており、このまま前進して袋田の滝に向かう途中で暗くなってしまうとコースを見失う恐れがあったので、確実に下りられる上小川駅方面への下山口までの分岐点まて戻ることにした。分岐点に戻ったのは5時過ぎで、30分ほどの下りで林道に降り立ち、後は1時間ほどの下りで駅に着き水戸行きの電車に乗ることができた。

帰ってからネットで調べると袋田の滝方面への登山路は五万図よりもかなり東側を通っていたので、あのまま東に進んでいたら間もなく分岐点の表示があって袋田の滝方面への道を進むことができたのかもしれない。なまじ、GPS対応の地図などに頼ってしまったために袋田の滝に行き損ねてしまったが、日没までの時間の余裕があまりなかったことも考慮すれば、この時の判断には誤りはなかったものと思われる。

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