鉄道によるマレー半島縦断
空港の近くまで来たところで、反対側に渡らないといけないことに気付くが、横断歩道はなく交通量が激しいのでとても道路を渡ることはできない。そこでGPS対応地図を大縮尺にして歩行者モードで国際空港と表示されている地点までを検索すると、少し戻った所にある立体交差を通っていくように指示されている。この立体交差はさきほども気付いていたのだが、自動車専用だと思っていたので、通り過ぎてしまったのだった。しかし、歩行者モードで経路として表示されているのだから問題はないのだろうと、向こう側に移動することができた。
次に空港の建物への入口を探さなければならないのだが、gps対応地図のうちオフライン用のグーグルマップには歩行者モードがなくmaps-meにはあったため、こちらをホテル出発から使用してきたが、空港建物の位置が判然としないため適当な所で右折したところ迷路にはまってしまい、放し飼いの犬には吠えられるわで散々な目にあった挙げ句、さきほど通った場所に戻ってきてしまった。
グーグルマップに切り替えると、空港建物への経路が明瞭となったので無事空港建物に入れたが、この時点で出発1時間半前となっていて、eチケットの注意書きにあった3時間前には着いているようにとの指示からは大きく遅れることとなった。さらにエアアジアのチェックインカウンターに着くと長蛇の列であった。自分の順番が回ってきた時には出発1時間前を切っており、タイムアウトとなることも覚悟し、便数も多いし値段も安いので次の便でもいいやと思ったが、ラッキーなことにチェックインすることができた。
次は遅めの朝食をとることだが、プライオリティーパスが使えるラウンジがあるとの情報がネットにあったので、あまり時間はないが、大急ぎで簡単な食事くらいはできるだらうとラウンジを探す。ネットの情報ではマレーシア航空のラウンジの近くにあると書いてあるが、マレーシア航空のラウンジは見つかったが、目的のラウンジは見つからないので諦めて軽食コーナーに入る。喉がカラカラだった のでビールを飲みたいところであるが、イスラム教のお国柄かビールは置いてないようなので、コーラを注文するとそれもなくホットコーヒーしかないと言われる。頭に来て売店で缶コーヒーとナッツを買って待合室の椅子で空腹をほんの少しだけ癒す。
出発時間が迫っているのにゲート前は静まり返っている。不思議に思って係の人に聞くと40分の遅れとのこと。だったら、あんなに慌てなくてもよかったのだ。やがて飛行機が到着して、三日間過ごし二度と来ることはないだろうと 思われるコタキナバルを後にすることになる。キナバルに登れたので、もう何も思い残すことはない。、
2時間ちょっとのフライトでクアラルンプール空港に着陸する。空港は市内からだいぶ離れており、 市内までのアクセスはバス、タクシー、鉄道のいずれかになるが、今回は鉄道が中心の旅行となるため、ノンストップのエクスプレスで行く。二千円弱の料金を払ったら手持ちのマレーシア通貨は400円程度となってしまった。いまさら両替しても使い切れなくなるので、今夜の夕食はカードの使える所にしか行けなくなる。
空港からのエクスプレスの終点で下車して、日本で予約した国境方面のeチケットを自動改札にタッチしたらブザーがなってしまう。一瞬慌てたが、係の人が来てくれてハンディの端末で処理してくれた。私の予約したのはクアラルンプール駅からだったが、セントラル駅はちょっと手前にある駅だったためにエラーとなったようだが、料金は変わらないようであった。電車に乗り込むとコーヒーとお菓子のサービスがあった。現地通貨をほとんど使い果たしていたので、現金でしか払えなかったら困るなと思ったが、サービスであった。フリーwifiも使えるし接続用の端子も備えていてビジネス用のフライト並であった。
この電車は有名な観光地であるペナン島への連絡港であるベターワース行きで、コロナ前のバンコクまでの直通列車があった頃はベターワース発バンコク行きが出ていたことがネットには多数出ていたので、ベターワースまでの切符を予約したのだが、直通列車が廃止されてからはベターワースからは国境行きの列車もなくなったことを後になってから知った。そのためキャンセルして切符を取り直そうかとも思ったが、キャンセル料15パーセントはともかくとして手続きは出発駅まで出向く必要があることがわかったので、キャンセルはせずに途中下車して、クアラルンプール発の夜行電車に乗り換えることとした。
どこで乗り換えることにするかを考えたが、ベターワース行きと国境行きの分岐点近くで乗り換えた方が無駄となる区間が少なくて経済的であるが、国境が近すぎてほとんど寝る時間がなくなるので、もう少し手前のイポーで乗り換えることにすれば、イポーはマレーシア第三の都市であり、食事場所に困ることもないだろうと考えたからである。
イポーに着いたのは6時半頃ですっかり暗くなっていた。駅前は旧市街で官庁や企業事務所が多く商店は少ないので、コタキナバルの中心街の方が賑やかだったなと思ったりしたが、川を渡った新市街の方に行くと商店がたくさん現れて賑やかになってくる。昨夜はホテルに戻ったのが遅くてキナバルの登頂祝いができなかったので、イポーの名産とされているチキンとモヤシ料理て祝おうと考えた。ただひとつ問題があったのは、マレーシア通貨をほとんど使ってしまったのでカードが使える店しか利用できないことであった。
新市街の中心まで来るとたくさんの飲食店が軒を連ね地元の人で賑わっていたが、前述の制約条件があるためどの店にでも入れるというわけではない。夜市が開かれている通りに面した中国料理店の入口にVISAが使える旨の表示があったので、そこで食事をすることにした。名産のチキンとモヤシを使っていそうな料理を注文し、味もまずまずだったが、マレー料理だったら、もっと名産らしい料理をたべられたのかもしれないが、制約条件があるのでやむを得ない。
帰りに夜市も覗いてみたが、店の数の多さの割に はお客さんは少なかった。この程度の人出で毎日やっているとしたら採算がとれるのか心配になってきた。駅に戻ってから夜行電車か到着するのには3時間ほどあったので、時間待ちの間は退屈な上に睡魔にも襲われてなかなか大変だった。
深夜に到着した国境の街ペダンバザール行きの電車はクアラルンプールから乗車してきた電車と同様に指定のリクライニングシート付きの一人席なので快適である。飲み物とお菓子付きなのは同様であるが、さらに弁当まで付いてきたのには驚いた。これで朝食の心配もなくなったことになる。
早朝に10分遅れでペダンバザールに電車が到着したときはまだ真っ暗であった。改札を出ると人だかりがしてたので、なにかと思って除くとタイで利用できるSIMカードの販売所であった。外に出てみると、案の定、何もない町であった。イミグレーションの扉はまだ閉まっており、何時に開くかは わからないが、数時間は待つ覚悟が必要である。こんなことならイポーで途中下車せずにペダンバザールまで行き、早朝の電車でここに来た方がよかったかなとも思えてきた。
30分ほど過ぎると人の動きがあり、半数くらいの人が外に出て行ったが、ツアーかなにかの人のようでタイへ出国する人ではないようだ(もしかしたら団体用の出国窓口があるのかもしれないが)。車内でもらった弁当を食べていると第二陣の動きがあって車に分散して消えてしまい、待合室に残っているのはわずかとなってしまった。あれほど大勢の人がSIMカードを買ってたわけだから、やはり団体用の出国窓口が別にある可能性が高いように思えてきた。自分の理解できない事態が進んでいるのは愉快ではないが、人数か減ってイミグレの待ち時間が減ったと前向きに考えるしかない。
そうこうするうちに電車が到着して、また待合室が混みはじめた。国境なんたらと書いてあってイミグレの事務所かと思っていたのはワッフルの売場とわかってがっかり。マレーシア鉄道の切符売り場は開いていて隣のタイ国鉄の売場は閉まっているので、何時に開くのかと聞いたら9時(タイ時間では8時)に開くという。ついでにイミグレの場所を聞くと下の階だと言われたので、降りようとしたら階段の扉が閉まっている(鍵はかかってないが)。ちょうど下から警官が上がってきたので、イミグレが開く時間を聞くと10時(タイ時間では9時か)ということで2時間以上待たなければならないことになる。それに近いことは最初から覚悟していたし、バンコク行きの夜行寝台は夕方発なので全然焦らないが、マレーシアの人はタイと行き来するにはイミグレを通らなくてもよいようだ。
9時近くなってタイ国鉄の切符売り場に行列ができはじめた。ようやく同類の人が現れたようで少し安心した。その後も続々と人が増え、9時の切符売出時には長蛇の列となっていた。無事切符も入手し、出入国カードを書き終えてイミグレオープンを待つだけとなったところでひとつの疑問が生じてきた。以下はタイ時間で記すが(タイの方が1時間遅れ)、列車は8時55分発なのにイミグレが9時始まりでは多少出発時間を遅らしても、これだけの人を乗せられるはずがないということである。
イミグレに通ずる階段前は人であふれかえっているのに、9時をだいぶ過ぎてもオープンしない。一日に二本しか動かないのに乗客を置き去りにして列車が発車してしまうはずはないと思ったが、9時15分にオープンすると拍手が湧き起こる。皆もじりじりしていたのだろう。乗客全員の手続きを待っていたようなので、一時間半遅れの出発である。まあダイヤはあってないようなものなのだろう。なお今回は虫眼鏡を持参して大正解であった。出入国カードに印刷されている小さな文字は裸眼では読むのに苦労したに違いないからである。
列車はマレーシアで乗ったものと比べるとかなり質は落ちる。列車に限らず多くのものがマレーシアがヨーロッパ的なのに対してタイはアジア的である(といっても程度の差に過ぎないが)。どちらかどっちというわけではないが、反対コースで行った方が体力的精神的には楽だったかもしれない。列車は昼過ぎに終点のハジャイに着く。夕方の夜行寝台までこの街で過ごさなければならないが、暑さの中で外歩きはしたくないので、まずは昼食がてらにケンタッキーで涼むことにした。次は駅前の喫茶店で引き続き涼むが、街を探訪しようという意欲が全く湧いてこない。
ネットの情報では小高い丘の上にある金ぴかの仏像をイチ押しの観光地に上げてたが、時間的には可能なものの、今ひとつ魅力に欠ける上、連日のハードワークで疲労が溜まっているだろうし、今回の旅行の最大の山場である国境越えを無事成し遂げた直後なので、十分休養して鋭気を養った方が旅行の後半戦に向けて得策であると判断して、夜行寝台の出発まで駅前の喫茶店に留まることとした。
出発時刻の1時間ほど前に喫茶店を出てホームに向かう。その際に売店で飲食物を買っていったが、ビールを含めたアルコール類が全然売っていないのである。イスラム教の 国であるマレーシアでさへコンビニではビールを売っていたのに、仏教の国であるタイでアルコールを売らないのはどういうわけだろう。おかげで意図せざる休肝日を過ごすことになってしまいそうだ。
今回は出入国手続きが無事に終わったことの慰労とお祝いを兼ねて個室の一等寝台でバンコクまで行くことにした。一等寝台に乗るのは妻と行ったシベリア鉄道以来だろうか(一等寝台に乗っている人がLCCを利用するとは誰も思わないだろう)。ところが、個室であることをすっかり忘れてしまい、車体に書かれている2の文字を2等車ではなく、2号車と誤認して乗り込んでしまい、車掌さんに間違いを指摘されることになってしまった。どうも慣れないことをするとろくなことがないようだ。
6時前に定刻通り列車は出発し、マレー半島縦断後半戦が始まる。弁当の注文に来てくれて届けてくれる。私の乗っている二号車から食堂車までは遠いので、届けてくれるのはありがたい。夕日に染まっていく空や町明かりを眺めながらの食事は格別である。これに酒があれば最高なのだが、贅沢を言ったらきりがないか。食事が終わったら音楽を聴きながらブログを書いたりするのが通例だが、今夜は半世紀前にマレー半島を私とは逆方向から縦断した沢木さんの「深夜特急」を再読してみる(たまたまこの巻はタブレットにダウンロードしてあった、)。
深夜特急を読みながら眠りに落ち込んでいると、係員に起こされてしまい、2段ベッドの上段への移動を迫られる。個室の独り占めができると踏んでいたのだが、同室者が乗り込んできたようである。知らない者との同室となると個室車両よりも開放車両の方がよいように思える。まあ、今夜は寝るだけなので、翌朝ちょっとの時間我慢するだけだ。
翌朝目覚めると同室者はまだ睡眠中のようだ。個室で窮屈な思いをするよりも、多少遠くても食堂車で食事した方がよいように思えたので移動する。朝食用のメニューがあったので、サンドイッチのセットを注文する。車窓を流れる景色を眺めながらの食事は旅情を誘ってくれる。左側には帯状に広がった岩壁が見えてくる。10年以上前に行ったプラナンの岩場を思わせるが、今走っているのは半島の東側であるのに対してプラナンの岩場は西側にあるはずだ。同じような岩場は外にもあるということなのか


部屋に戻ったのは9時過ぎなので、もうベッドはしまってあると思ったら、同室者は眠っていてベッドはそのままだ。係員がベッドをしまいにきた時に、同室者は寝ていたのでそのままにされたのだろう。それならそれで構わない。
バンコクには定刻よりも2時間ほど遅れて到着する。マレーシアの鉄道はほぼ定刻通り到着していたが、インドでもこの程度の遅れは普通だったから、アジアの王道を歩んでいると行ってよいだろう。バンコクに着いて最初にすべきことはwifi環境のある所へ行ってバンコクに無事到着したことを妻に報告することであるが、駅構内はwifi環境はなかったし、周辺にも襲われたwifiが使えそうな店はなかったので、日本に帰る時に利用する空港への乗り継ぎ駅近くで不要な荷物をコインロッカーに入れるつもりなので、その近くで探すことにした。
地下鉄の乗り継ぎ予定駅で下車し、スタバの前まで来るとwifiの表示が見えたので、店の前で接続しようとしたら店の人が出てきて、手伝ってくれる上に店の中まで招き入れて水まで出してくれる。悪いのでコーヒーとパンを注文したが、しっかりつながって我が家の様子がわかった外、近くのコインロッカーの位置や今夜のホテルまでの経路もスクリーンショットで保存しておいたのて、効率的に動けるはずであった。
まずはスクリーンショットした地図を頼りにコインロッカーを探しに行く。ところが近くとおぼしき所へ行っても全く見当がつかないのである。だが、よく考えてみると当面の不要品としてコインロッカーに入れようとしたのは五キロ程度に過ぎないので、それを背負っても別に負担にもならないし、ロッカーの一日使用料か500円とこちらの物価水準からすると割高で三日分となると結構な額になるのでコインロッカーは利用しないことにした。
次に市内観光をどうするかであるが。王宮は西の方で遠すぎるし、30年ほど前の事務所の旅行で大体は行ってるはずなので(どこに行ったかはよくはわからないが)、近くの夜市に行くこととし、それが始まるまでは隣のショッピングモールを覗いてみることにした。さすがにコタキナバルよりも格段にスケールは大きかった。
適当な時間になったので夜市に移動する。こちらもマレーシアのイポーのものとはスケールが違っていた。

一通り見てからお店に入ってビールと食事を愉しむ。ほろ酔い気分になったので、ホテルに向かうことにした。そこでスクリーンショットしておいた経路図に従ってホテルに向かうことにした。最短コースは地下鉄を降りてから別の路線に乗換えるようになっているのだが、別の路線の駅がわからないのである。結局、遠回りの経路の国鉄利用でホテルに辿り着けたのだが、ホテルに着いてから調べると、別の路線は鉄道ではなくてエアポート バスであった。
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