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2023年8月

2023年8月29日 (火)

日本アルプス二百名山全山登頂と伊藤新道入口

今夏40年振りの再開通となった北アルプスの伊藤新道に行ってきた(正確には覗いてきたと言うべきか)。
当初予定では湯俣から三俣山荘までを登りか下りで踏破するつもりだったが、今の体力ではテントまで担いで通過することは困難が予想されたし、山小屋利用ではかなり前から予約しなければならず、好天をつかんでの山行は難しい。そこで変則的ではあるが、ブナタテ尾根から烏帽子、野口五郎を経て竹村新道を湯俣まで下り、そこから伊藤新道の川の部分の終点である茶屋までを往復することにした。この予定では伊藤新道を軽装で行動できる外、前進が困難な場合にも撤退が容易というメリットがあるだけでなく、過去三回近くを通過しながら登頂できていなかった烏帽子岳を登って日本アルプスの二百名山全山登頂を果たすこともできるのだ。

伊藤新道の徒渉を考えると本来ならば沢靴と山靴の両方を用意すべきであるが、それでは荷物が多くなりすぎるので、山靴はやめて原則的には沢靴で山道を歩くこととし、可能な所はサンダルでも歩くこととした。GWの毛勝でも雪が出てくる所まではサンダルで登り特に問題はなかったので、ブナタテ尾根でも可能な所まではサンダルで登ることとした。ただ沢靴を入れたナップザックを肩にかけて、いつでも履き替えられるようにした外、サンダルが脱げてしまわないように後ろの部分のゴムバンドで固定するようにした。

果たして成果はいかに。なんと、稜線までサンダルで問題なく上がれてしまい、コースタイム6時間の所を休憩を含めて7時間で上がれてまずまずであった。テン場は小屋から少し離れていて、水やビールを買いに行くのが少し不便であったが、それだけ静かなキャンプを楽しめた。テントを張り終えて景色を眺めながらビールを飲む至福の時を過ごしてから、未踏の烏帽子岳登頂に向かう。

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烏帽子岳は名前の通り尖った烏帽子型をしているので、岩場も出てくるかもしれないと思い、沢靴を履いていくことにした。頂上までは細かいアップダウンが続くが、いざ山頂目指しての登りになると、意外にも樹林帯の登りが続くことになったが、最後には岩場が出てきたので、やはりサンダルで来なくてよかったと思った。
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帰り道で小屋の前を通った時に水を買って行こうかなとも思ったが、必要量は晩と朝の食事が終わった時点の水の残量を確認してからの方が良いと思い直して、明日の朝の出発前に買いにくることにした。

翌朝4時に水を買いに行くと、水の販売は5時からだと言われる。手持ちの残量は一リットルほどで、次に水が買えるのはコースタイムで3時間半とされている野口五郎小屋だが、ここで1時間も待つわけにはいかないので、節約してなんとかもたせることにした。

ただ烏帽子キャンプ場から野口五郎までの長い行程では前日の疲れと雨に濡れたテント等の重さからペースが上がらず、小屋まではコースタイムの倍近くかかってしまった。小屋で1.5リッターの水を買い、これでなんとか湯俣までもつだろうと考えたが甘かった。湯俣に直接下りる竹村新道はかなりの難路で時間がかかり、暗くなる前に湯俣岳山頂手前の平坦地にテントを張らざるを得なくなった。水は節約してなんとか0.5リッターは翌日分として残すことができた。 

翌日、湯俣に着いたのが昼近くとなり、第一吊橋までの往復に計画縮小となった。第一吊橋までは徒渉なしに右岸通しに行けるのだが、途中で左岸にある温噴丘に立ち寄ったため二回徒渉することとなったものの、好天が続いたせいか水量も膝程度までで、特に困難は感じなかった。ただ途中でサブサックのジッパーが壊れてしまい、荷物が背負えなくなってしまったのは困った。とりあえず空身で第一吊橋まで行って戻り、水や食料は平らげ、厚着した衣服のポケットに装備を詰め込んでなんとか帰ることができた。
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第一吊橋から第二吊橋までが核心部とのことで、そこを通過してないのでなんとも言えないが、中級適度の沢登り経験者ならば特に困難は感じない(多分)コースであると思われた。伊藤新道は50年ほど前は地図にも記載されていたコースで、いつかは行こうと思っていたら廃道になって行き損ねのコースとなってしまったが、今回の再開通に合わせて『覗き見」が出来たので大満足したため、再度訪れることはないだろうと思う。

最終日は高瀬ダムまでの八キロほどのコースだが、高低差が100メートルほどなので、ゆっくりした下りが続くのかと思いきや、前半はかなりのアップダウンが続き、全く下っているという感じはしなかった。後半は工事車両用の道でほぼ緩い下りが続いたか、前日の徒渉で濡れてしまった沢靴を履く気になれずサンダルを履いたため、細かい砂利が足裏に溜まってしまい歩きにくかった。それでもほぼコースタイム通りに高瀬ダムに着くことができた。

ダムにはタクシーが2台客待ちをしていたが、タクシーで乗り継ぐ七倉からのバスは午後は3時過ぎまでないので、あまり早く着き過ぎても時間を持て余すと思い、相乗り客を待っていたら、20分ほどでブナタテ尾根から下りてきた登山者がいて、七倉には1時前には着くことができた。七倉では名物のダムカレーと生ビールで数日間の貧弱な食生活に別れを告げ、露天風呂で疲れを癒やして帰途に着くこととなった。
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2023年8月13日 (日)

飯豊連峰・大日岳

飯豊連峰は自分が山を登り始めた頃に初めて本格的な縦走を試みたが、集中豪雨にぶつかって縦走を途中断念して下山したものの、縦走中に全身ずぶ濡れとなったことが響いて一年ほど体調不良が続いたこともあって思い出に残る山となっている。その後はクライミングにのめり込んだりして再訪することがなかったが、結婚して「現役」を引退してから、前回途中下山してしまったコースを登り返して飯豊本山までの縦走は果たした。ただ、この時も縦走中に悪天にぶつかって主稜線からは外れているが最高点となっている大日岳には行かず仕舞いとなっていたことが、ずっとひっかかっていた。

 

自分の山登り人生の幕引きが近づいていることもあり、登り残した飯豊連峰の大日岳は登っておきたいということから今回の山行となったわけだが、最初は石転び沢雪渓から登ってダイグラ尾根を下りるという計画をたててみたものの、いずれのコースも登山地図では実線ではなく破線で書かれた一般的ではないコースであり、前者は三キロにもわたる長い雪渓で上部は40度の急傾斜があり、後者は滑落事故も起こっている悪い尾根だということから、今の自分の体力ではやや無理とも思えたので不本意ながら南側の安全性の高いコースから往復することにした。

 

お盆の時期に出かけるので割引切符は使えないため久しぶりに18切符を利用することになったが、そのため野沢駅まで7回もの乗換を余儀なくされた。テレビの旅番組の六角さんの真似をして飲み鉄をしながら行こうかとも思ったが、お盆休みに差し掛かってどの列車も混んでおり、飲酒はためらわれた。ただ野沢駅では西会津町民バスが利用でき、その日のうちに登山口の小屋付近まで入れることは好都合であった。

 

翌朝は三国小屋までの余裕ある日程の同宿者と違い、本山小屋までと欲張っていた自分は先に出発することになった。ただその意気込みとは裏腹にさっぱりペースは上がらず、後続者にたちまち追い抜かれることになる。
途中の水場で水を補給し、松平峠まで上がると飯豊連峰の主脈の展望が開けてくる。

 

峠から急登を経て稜線に上がると、今回の目的である大日岳が本山の左に大きな山容を見せてくる。そこから三国小屋までは高度的にはほぼ変わらないのだが、小刻みなアップダウンが続くので意外と時間がかかる。三国小屋に着いたのは2時を回っていたが、当初の目的の本山小屋は論外としても、切合小屋までは是が非でも行かなければならない。

 

この時間となると登山者はめつきり減ってくるが、それでも何人かには追い抜かれる。5時少し前にやっと切合小屋に着く。テントも持参はしているが、小屋もそれほど混んではいなかったので、素泊まりとすることにした。自炊部屋で他の宿泊者と話していると台風の接近が話題になり、稜線に閉じ込められるとヤバイので、明日は暗いうちから出発して大日岳を往復したら、台風の接近いかんでは夜を徹して歩いて安全地帯まで下りることも考えることとした。

 

ほとんと仮眠状態で深夜に起き出して3時に小屋を出発する。ところが出発時に方位を確認せずにいたものだから、見事に逆方向に向かって歩きだしてしまい、かなり歩いてから気づいて戻ったものの、1時間ほど時間をロスしてしまった。それでも小屋をスタートした先頭ではあったが、間もなく後続者に抜かれ、以後は抜かれっぱなしになる。

 

本山直下の直登を頑張るとテント場に出る。水場は稜線から下ったところにあるらしいが、手持ちの水で足りそうだったので素通りする。本山小屋、本山頂上と続くが、既に以前に来たことがあるところなので、今回の目的である大日岳に向けて気がはやる。
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比較的平坦な道を進んで 御西小屋に到着する。小屋から北上すれば門内小屋方面の主稜だが、今回は主稜から離れた大日岳を目指す。地図には小屋付近に水場の記入があるが、付近にはテントも見かけないので涸れてしまったのかと思い、先ほど通過した本山下の水場までなんとか持たせることにした(少々不安ではあったが)。


小屋からすぐに大日岳の登りが始まるのかと思ったら、一度下らなければならないことがわかり、少しガッカリする。大日岳は魅力的なピラミダルな山容だが、頂上へ続く急峻な尾根は不安と期待の入り混じった妙な気分にさせてくれる。だが気持ちが高ぶったせいか頑張りが効いて、今回初めてコースタイム通りに歩くことができた。
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目的を果たしたので早く切合小屋に戻りたいところであるが、切合小屋まではまだまだ遠い。先ずは御西小屋まで下りて主稜に戻らなければならない。小屋まで戻ると先ほどと違い数張りのテントが見られる。これは水場があるに違いないとみ水の位置を聞こうと小屋に入るが、水場は稜線からだいぶ下らなければならないようなので水場をあきらめる。その代わり炭酸飲料水を買って水不足を補う。

 

本山までの登り返しは長かったが、本山下の水場を目指して頑張る。今日二度目となる本山は素通りして先を急ぐ。本山下の水場はかなり急峻な道を下って行かなければならず、切合小屋とはえらい違いである。ここで腹一杯水を飲んで切合小屋に向かう。既にネットで調べて翌日はまだ台風の影響はさほど受けないことかわかっていたので、夜を徹して歩いて安全地帯まで下りる必要もないことがわかっていたので、ゆっくりと下っていく。

 

ところが切合小屋が見えるあたりまで下りて来ると、キャンプ場が立錐の余地がないほどにテントが密集しているのをみて驚く。山の日を迎えて登山者数のピークとなっているらしいが、この分では山小屋も超満員となりそうなので、今晩はテントにした方がいいかなと考え直した。下のキャンプ場は満杯でも上のキャンプ場は傾斜地ながら、自分の小さなテントを張るくらいのスペースくらいは残っているはずだと考えたからである。

 

案の定、スペースは見つかったが、雑草地の近くだったこともありブヨの密集地で、テントの外に出る時は防虫ネットを被らないといられないほどであった。やむを得ず、その晩はテントの中で火を使わずに食事を済ませる。

 

飯豊の最終日は予約してあるデマンドバスが16時ということもあり、6時出発でも充分余裕があると考えてテントを撤収してから小屋前に移動して、そちらで炊事を始める。ところが、ブヨを餌にするトンボが今朝は皆無て小屋前もブヨが多く、こちらでも防虫ネットを被りながらの行動となる。

 

小雨混じりの中を6時に小屋を出発して三国小屋を目指すが、ほとんど最終の出発となるので後続者に抜かれる心配もなくなった。相変わらずブヨが多いので防虫ネットを被ったまま行動したが、今度は汗をかいて不快となり、とうとうネットを脱いでしまう。

 

三国小屋に近づく頃には、早朝に本山から下山したと思われる登山者に抜かれるようになるが、なんとか三国小屋にたどり着き、ここまで下りれば一安心である。ほとんどの登山者は私と違って川入に下りるようで、弥平四郎への道に入ると登山者は途端に少なくなる。距離も交通の便も変わらないと思うのだが、川入コースの人気が高いのは岩稜があるからだろうか

 

疣岩山を越えて分岐点まで達した所で休憩を取りながら、どちらのコースを取ろうか思案する。行きに利用した松平峠コースは状態がわかっている分だけ安心だが、最後の急傾斜の部分が濡れてどうなっているかが心配だ。一方、上ノ越コースは未知なだけに不安もある。両方から登ってくる登山者にコースの状況を聞くが、甲乙をつけがたいようだったので、行きと同じコースを行くのもつまらないと考え上ノ越コースを選ぶことにする。

 

後て聞いた話だが、上ノ越コースでは数日前に高齢者が滑落事故を起こしたそうで、滑りやすいザレ(大粒の砂混じりの状態)場がたくさん出てきた。注意して歩けばどうということはないのだが、不用意に歩くと大事に至りかねない所である。この下りで、昨日の半から張りが出ていた右足の筋が痛みだした。上ノ越からの下りではさらに痛みは増してだましだましの状態となる。

 

駐車場までなんとか下りて、後はデマンドバスの発着所まで四キロ程度下るだけだがヨレヨレの状態となる。半分ほど進んだ所で地元の親切なおばさんが軽トラに乗せてくれる。このまま歩いていても発車時間には充分間に合ったのだが、早く着いた分だけ時間があったので、汗まみれの服を洗って干す時間ができた。もちろん、短時間で乾くはずもないので、着干(濡れたまま着て体温で乾かすこと)しとならざるを得ないが。

 

JRの駅に着いて、このまま帰宅してしまいたい気もしたが、新幹線利用なら別だが、18切符では間に合わないので、予定通り300名山の米山に向かうことにする。当初の予定では夜のうちに登山口まで行ってテントを張り、涼しいうちに登頂して下りてくるつもりだったが、台風接近で雨の心配もあったことや、連日のテント暮らしに嫌気をさしたこともあって、途中の長岡で一泊して翌朝の始発で米山駅まで行き、そこからタクシーを利用することにした。問題は盆休みの真ん中の土曜日に果たしてホテルの空きがあるかどうかである。

 

ネットで調べるとやはり空きはないようだったが、長岡駅からはだいふ離れた所にはあるが、ネットカフェがあるということがわかり電話してみると、数席だけは空きがあるとのことであった。歩くと30分以上かかるようなので、その間に満席になってしまっては身も蓋も無いので、タクシーで駆けつけることにした。

 

翌日は始発電車で米山駅に向かう。米山駅にはタクシーは
泊まってないので、近くのタクシー会社のいくつかに電話してみるが、すぐには行けないという返事だったり、電話が通じなかったりと気勢をそがれてしまう。さらには朝から猛烈な暑さでこんな状態で千メートル以下の低山に登ったら熱中症にもなりかねないし、昨日痛めた足の筋も心配だったので、あっさりと帰京することにした。

 

米山は今までも何回か計画の最後に行くことにしながら、毎回諸事情で果たせずに今に至っているが、またもや持ち越しとなってしまった。300名山は関東甲信越にある山だけは全部登ることにしていて、残すは長野県三山と新潟県ニ山となっているが、前者は今年中に登るつもりだし、後者は来年中に登ることとしよう。新潟県のもう一つの未登の300名山である焼山は長らく火山活動とコース荒廃で登山禁止となっていたものが、昨年からようやく登れるようになったということなので、来年あたりに併せて登るのにはちょうど良いかもしれないと思えるようになってきた。

 

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2023年8月 1日 (火)

鷄冠山

山梨百名山で唯一登ってなかった鶏冠山(とさかやま)に登ってきた。一般登山道がなく、山梨百名山最難の山とされているが、ローブや鎖が多すぎるほどあり(写真の第二岩峰直下の鎖などは一度も触らなかった)、標識も完備している上に踏み跡もしっかりしていて、ある程度山に慣れている人にとってはどうということのない山である。
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私が山梨百名山の最難の山を選ぶのであれば、迷うことなく源氏山である。車を利用出来れば北側から丸川林道経由でハイキング程度で登れる山のようであるが、そうでない場合は、南側から長い尾根道を辿っても、最後の所で土砂崩れで道がふさがれ、そこを突破するのは自殺行為と思われるし、東側からのアプローチも、山腹の道は途中から廃道となっているし、尾根通しの道はアップダウンの連続である。 

鶏冠山自体は問題がないとしても、奥秩父の主稜まで縦走するとなると実に長く、途中で1泊する羽目となってしまった。狭い稜線でテントを張るスペースは皆無であったが、わずかに上半身だけは横になれるスペースを見つけて時間は早かったが行動を打ち切ることにした。

翌朝、主稜に達して54年前に山梨百名山を初めて登った山である甲武信ケ岳にも登ってきた(当時は百名山という呼称はまだなかったが)。
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甲武信ケ岳は名前の通り、山梨県、埼玉県、長野県にまたがる山で、それぞれ笛吹川(下流は富士川)、荒川、千曲川(下流は信濃川)の水源からの登頂もしたことがあるし、北側や東西に延びる稜線からの登頂も何度も行ったが、今回、鶏冠山からの尾根も登ったことにより、一般的なコースは全て足跡を残したことになる。

下山は刃渡り尾根を下り、近丸新道との分岐点では福ちゃん新道を選択したが、部分的にはずり落ちそうになる急な道だった。

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