飯豊連峰は自分が山を登り始めた頃に初めて本格的な縦走を試みたが、集中豪雨にぶつかって縦走を途中断念して下山したものの、縦走中に全身ずぶ濡れとなったことが響いて一年ほど体調不良が続いたこともあって思い出に残る山となっている。その後はクライミングにのめり込んだりして再訪することがなかったが、結婚して「現役」を引退してから、前回途中下山してしまったコースを登り返して飯豊本山までの縦走は果たした。ただ、この時も縦走中に悪天にぶつかって主稜線からは外れているが最高点となっている大日岳には行かず仕舞いとなっていたことが、ずっとひっかかっていた。
自分の山登り人生の幕引きが近づいていることもあり、登り残した飯豊連峰の大日岳は登っておきたいということから今回の山行となったわけだが、最初は石転び沢雪渓から登ってダイグラ尾根を下りるという計画をたててみたものの、いずれのコースも登山地図では実線ではなく破線で書かれた一般的ではないコースであり、前者は三キロにもわたる長い雪渓で上部は40度の急傾斜があり、後者は滑落事故も起こっている悪い尾根だということから、今の自分の体力ではやや無理とも思えたので不本意ながら南側の安全性の高いコースから往復することにした。
お盆の時期に出かけるので割引切符は使えないため久しぶりに18切符を利用することになったが、そのため野沢駅まで7回もの乗換を余儀なくされた。テレビの旅番組の六角さんの真似をして飲み鉄をしながら行こうかとも思ったが、お盆休みに差し掛かってどの列車も混んでおり、飲酒はためらわれた。ただ野沢駅では西会津町民バスが利用でき、その日のうちに登山口の小屋付近まで入れることは好都合であった。
翌朝は三国小屋までの余裕ある日程の同宿者と違い、本山小屋までと欲張っていた自分は先に出発することになった。ただその意気込みとは裏腹にさっぱりペースは上がらず、後続者にたちまち追い抜かれることになる。
途中の水場で水を補給し、松平峠まで上がると飯豊連峰の主脈の展望が開けてくる。
峠から急登を経て稜線に上がると、今回の目的である大日岳が本山の左に大きな山容を見せてくる。そこから三国小屋までは高度的にはほぼ変わらないのだが、小刻みなアップダウンが続くので意外と時間がかかる。三国小屋に着いたのは2時を回っていたが、当初の目的の本山小屋は論外としても、切合小屋までは是が非でも行かなければならない。
この時間となると登山者はめつきり減ってくるが、それでも何人かには追い抜かれる。5時少し前にやっと切合小屋に着く。テントも持参はしているが、小屋もそれほど混んではいなかったので、素泊まりとすることにした。自炊部屋で他の宿泊者と話していると台風の接近が話題になり、稜線に閉じ込められるとヤバイので、明日は暗いうちから出発して大日岳を往復したら、台風の接近いかんでは夜を徹して歩いて安全地帯まで下りることも考えることとした。
ほとんと仮眠状態で深夜に起き出して3時に小屋を出発する。ところが出発時に方位を確認せずにいたものだから、見事に逆方向に向かって歩きだしてしまい、かなり歩いてから気づいて戻ったものの、1時間ほど時間をロスしてしまった。それでも小屋をスタートした先頭ではあったが、間もなく後続者に抜かれ、以後は抜かれっぱなしになる。
本山直下の直登を頑張るとテント場に出る。水場は稜線から下ったところにあるらしいが、手持ちの水で足りそうだったので素通りする。本山小屋、本山頂上と続くが、既に以前に来たことがあるところなので、今回の目的である大日岳に向けて気がはやる。
比較的平坦な道を進んで 御西小屋に到着する。小屋から北上すれば門内小屋方面の主稜だが、今回は主稜から離れた大日岳を目指す。地図には小屋付近に水場の記入があるが、付近にはテントも見かけないので涸れてしまったのかと思い、先ほど通過した本山下の水場までなんとか持たせることにした(少々不安ではあったが)。
小屋からすぐに大日岳の登りが始まるのかと思ったら、一度下らなければならないことがわかり、少しガッカリする。大日岳は魅力的なピラミダルな山容だが、頂上へ続く急峻な尾根は不安と期待の入り混じった妙な気分にさせてくれる。だが気持ちが高ぶったせいか頑張りが効いて、今回初めてコースタイム通りに歩くことができた。
目的を果たしたので早く切合小屋に戻りたいところであるが、切合小屋まではまだまだ遠い。先ずは御西小屋まで下りて主稜に戻らなければならない。小屋まで戻ると先ほどと違い数張りのテントが見られる。これは水場があるに違いないとみ水の位置を聞こうと小屋に入るが、水場は稜線からだいぶ下らなければならないようなので水場をあきらめる。その代わり炭酸飲料水を買って水不足を補う。
本山までの登り返しは長かったが、本山下の水場を目指して頑張る。今日二度目となる本山は素通りして先を急ぐ。本山下の水場はかなり急峻な道を下って行かなければならず、切合小屋とはえらい違いである。ここで腹一杯水を飲んで切合小屋に向かう。既にネットで調べて翌日はまだ台風の影響はさほど受けないことかわかっていたので、夜を徹して歩いて安全地帯まで下りる必要もないことがわかっていたので、ゆっくりと下っていく。
ところが切合小屋が見えるあたりまで下りて来ると、キャンプ場が立錐の余地がないほどにテントが密集しているのをみて驚く。山の日を迎えて登山者数のピークとなっているらしいが、この分では山小屋も超満員となりそうなので、今晩はテントにした方がいいかなと考え直した。下のキャンプ場は満杯でも上のキャンプ場は傾斜地ながら、自分の小さなテントを張るくらいのスペースくらいは残っているはずだと考えたからである。
案の定、スペースは見つかったが、雑草地の近くだったこともありブヨの密集地で、テントの外に出る時は防虫ネットを被らないといられないほどであった。やむを得ず、その晩はテントの中で火を使わずに食事を済ませる。
飯豊の最終日は予約してあるデマンドバスが16時ということもあり、6時出発でも充分余裕があると考えてテントを撤収してから小屋前に移動して、そちらで炊事を始める。ところが、ブヨを餌にするトンボが今朝は皆無て小屋前もブヨが多く、こちらでも防虫ネットを被りながらの行動となる。
小雨混じりの中を6時に小屋を出発して三国小屋を目指すが、ほとんど最終の出発となるので後続者に抜かれる心配もなくなった。相変わらずブヨが多いので防虫ネットを被ったまま行動したが、今度は汗をかいて不快となり、とうとうネットを脱いでしまう。
三国小屋に近づく頃には、早朝に本山から下山したと思われる登山者に抜かれるようになるが、なんとか三国小屋にたどり着き、ここまで下りれば一安心である。ほとんどの登山者は私と違って川入に下りるようで、弥平四郎への道に入ると登山者は途端に少なくなる。距離も交通の便も変わらないと思うのだが、川入コースの人気が高いのは岩稜があるからだろうか
疣岩山を越えて分岐点まで達した所で休憩を取りながら、どちらのコースを取ろうか思案する。行きに利用した松平峠コースは状態がわかっている分だけ安心だが、最後の急傾斜の部分が濡れてどうなっているかが心配だ。一方、上ノ越コースは未知なだけに不安もある。両方から登ってくる登山者にコースの状況を聞くが、甲乙をつけがたいようだったので、行きと同じコースを行くのもつまらないと考え上ノ越コースを選ぶことにする。
後て聞いた話だが、上ノ越コースでは数日前に高齢者が滑落事故を起こしたそうで、滑りやすいザレ(大粒の砂混じりの状態)場がたくさん出てきた。注意して歩けばどうということはないのだが、不用意に歩くと大事に至りかねない所である。この下りで、昨日の半から張りが出ていた右足の筋が痛みだした。上ノ越からの下りではさらに痛みは増してだましだましの状態となる。
駐車場までなんとか下りて、後はデマンドバスの発着所まで四キロ程度下るだけだがヨレヨレの状態となる。半分ほど進んだ所で地元の親切なおばさんが軽トラに乗せてくれる。このまま歩いていても発車時間には充分間に合ったのだが、早く着いた分だけ時間があったので、汗まみれの服を洗って干す時間ができた。もちろん、短時間で乾くはずもないので、着干(濡れたまま着て体温で乾かすこと)しとならざるを得ないが。
JRの駅に着いて、このまま帰宅してしまいたい気もしたが、新幹線利用なら別だが、18切符では間に合わないので、予定通り300名山の米山に向かうことにする。当初の予定では夜のうちに登山口まで行ってテントを張り、涼しいうちに登頂して下りてくるつもりだったが、台風接近で雨の心配もあったことや、連日のテント暮らしに嫌気をさしたこともあって、途中の長岡で一泊して翌朝の始発で米山駅まで行き、そこからタクシーを利用することにした。問題は盆休みの真ん中の土曜日に果たしてホテルの空きがあるかどうかである。
ネットで調べるとやはり空きはないようだったが、長岡駅からはだいふ離れた所にはあるが、ネットカフェがあるということがわかり電話してみると、数席だけは空きがあるとのことであった。歩くと30分以上かかるようなので、その間に満席になってしまっては身も蓋も無いので、タクシーで駆けつけることにした。
翌日は始発電車で米山駅に向かう。米山駅にはタクシーは
泊まってないので、近くのタクシー会社のいくつかに電話してみるが、すぐには行けないという返事だったり、電話が通じなかったりと気勢をそがれてしまう。さらには朝から猛烈な暑さでこんな状態で千メートル以下の低山に登ったら熱中症にもなりかねないし、昨日痛めた足の筋も心配だったので、あっさりと帰京することにした。
米山は今までも何回か計画の最後に行くことにしながら、毎回諸事情で果たせずに今に至っているが、またもや持ち越しとなってしまった。300名山は関東甲信越にある山だけは全部登ることにしていて、残すは長野県三山と新潟県ニ山となっているが、前者は今年中に登るつもりだし、後者は来年中に登ることとしよう。新潟県のもう一つの未登の300名山である焼山は長らく火山活動とコース荒廃で登山禁止となっていたものが、昨年からようやく登れるようになったということなので、来年あたりに併せて登るのにはちょうど良いかもしれないと思えるようになってきた。
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