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2023年11月

2023年11月26日 (日)

埼玉県内の札所歩き 3回目

埼玉県内に残った最後の札所を巡ってきた。前回は北本駅手前のバス停まで歩いたので、今回はそこからがスタートとなる。今回の札所までの経路は大通りを行くと遠回りになってしまうため、最短経路を辿るとなると地図とにらめっこする必要があり、バッテリーの消耗も激しい。なんとかバッテリーが切れる前に札所まで到達し、納経も1時間以上の余裕を残して済ますことができた。これで残る札所は東京都一カ所、神奈川県八カ所となったが、神奈川県の札所はさほど離れたところはないので、年内中には終了する目処が立ってきた。

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2023年11月24日 (金)

坂東33ヶ所札所巡り 埼玉編2回目

今日は埼玉県を東西に横断して札所二ヶ所を巡る予定だが、ほぼ平坦な道を進むのでトレーニングとして水を8リッター担ぐことにする。関東バス、西武鉄道、JRと乗り継いで、前回の終点の明覚駅に着いたのは8時半だった。最初の札所の正法寺までの経路は出発時に地図を見て確認したつもりだったので、その後はほとんど地図を見ないで進んでいたら見事に道を取り違えてしまってだいぶ回り道をしてしまった。

正法寺近くの駐車場までは行けたのだが、そこから正法寺までの道がわからずウロウロする。元に戻って少し下って階段を降りたら山門横の広場に出られたのだが、少し判りにくいところであった。今までもそういうことがあったが、札所の順番とは逆に回っていると裏口から入ることが多く、それで道が分かりにくくなっているようだ。

参拝と納経を終えて次の岩殿寺に向かうが、12キロあるところを3時側半以内で行かねば納経に間に合わないので、昼飯抜きとなりチョコレートを噛りながら空腹を紛らわす。途中に名所である吉見百穴があって前回も行きそこねたので時間があれば寄りたかったのだが、今回もお預けとなってしまった。その代わりに納経締切りの30分前には着くことができたが、これも逆回りのために納経所に行くためには本堂から階段をかなり降りなければならず、納経を済ませたら再び階段を登るのが面倒になり、本堂には戻らずに山門の下から参拝するという手抜きで済ませてしまった。

後は最寄の駅まで歩くだけだが、かなり空腹だったので近くの飲食店をスマホで探しているうちにだいぶ南の方まで来てしまい、当初予定の鴻巣駅ではなく二つ先の桶川駅までも行けそうな所まで来てようやく営業している中華料理店に辿り着いた。生ビールとエビチリセットを注文したが、物すごい量で食後はしばらくは歩くのが億劫になるほどだった。

そのお店から桶川駅までは10キロ、一つ手前の北本駅までは6キロでどちらに向かうかの判断がつきかねたので、しばらくは真東に向かう道を進んで決定を先延ばしにする。1時間ほど歩いたところで桶川駅まで歩くと時間がかかり過ぎると判断したが、北本駅まで歩くとなると、せっかく北本駅よりもだいぶ南の方まで進んだのにまた北方向まで戻るのは損する気になってしかたなかった。ここで気づいたのは北本駅行きのバスが1時間に数本は出ており、もう少し先まで進めば、次の札所までの距離が北本駅からとほぼ同じくなる地点があるので、そこからバスに乗って北本駅に向かえば30分ほどの歩きが省略できることとなった。

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坂東33ヶ所札所巡り 埼玉編1回目

今回から埼玉県内の札所巡りが始まるが、ここまでは33番からひとつずつ若い番号の札所となって一筆書き歩きをしてきたものの、どういうわけか前回の群馬県内の札所15番の次の若い番号の札所14番はどういうわけか埼玉県ではなく神奈川県に飛んでしまっているので、やむをえず番号は無視して位置が近い順に札所巡りを行っていくこととした。前回は途中寄り道をしたこともあって、予定していた寄居駅の二つ手前の松久駅までしか行けなかったので、今回は歩き始めの駅から札所までの距離が28キロもあり、山門が閉まる前に到着しなければならないので、始発近くの電車で出かけることとなった。

今回は舗装路ばかりを歩くため、楽と言えば楽だが単調でもある。ただ目的の札所到着が夕方になりそうなので、納経の可能な時間につけるかどうかが微妙なため、あまりゆっくりもしていられない。グーグルマップでは今日の札所は五時まで営業とはなっていたが、納経も五時までやってもらえるかどうかわからないので急ぐに越したことはなきのである。

あと五キロくらいまでは道も平坦で順調に来て、この分では3時過ぎには余裕で到着するかと甘い予想をしたのだが、最後は急坂となってペースが落ち、4時ぎりぎりに札所に着く。なんとか納経は間に合ったが、納経は4時までだそうで危ない所であった。

後は明覚駅までの八キロ弱の歩きだけだが途中で暗くなってしまった。本日の歩行距離は35キロ超と久々のロングコースとなってしまった。


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2023年11月16日 (木)

大楠山

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会社勤をしていた若い頃の職場の同僚と約50年を経て再会することで、同期生が在住している大船の居酒屋に集まることになった。当日は午前中は妻と鎌倉の鶴岡八幡宮を訪れ、午後は妻と別れて三浦半島にある関東百名山の大楠山を登ってきた。なお大楠山を巡る登山道は関東ふれあいの道の神奈川県コースのNo4ともなっているので一石二鳥ともなることになった。

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2023年11月13日 (月)

坂東札所巡りも群馬県から埼玉県へ

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札所巡りも今日中に埼玉県に入ることになるが、次の札所は遠いので今回は札所巡りなしの一筆書き歩きだけとなってしまう。なお、今までは33番から順番に若い番号の札所を巡ってきたが、群馬最後の15番札所の一つ若い番号の札所はどういうわけか、埼玉県と東京都を飛ばして神奈川県となっているので、順番にまわるのはいかにも不経済なので、これ以降は順番にはこだわらずに、近い札所を辿って一筆書きを行っていきたい。ただ札所巡りなしの一筆書き歩きをするだけでは勿体ないので、新町駅からバスで下久保を往復して関東ふれあいの道の埼玉県コースの北端のNo10コースの撮影ポイントである叢石橋で証拠写真だけを撮ってくることと、トレーニングとして水を10リッター担いで歩くこととした。

まずは倉賀野から新町までの約7キロの歩きである。最初はなんともなかった10キロの水も時間が経つにつれて肩に食い込んでくる。まあ新町までは短い距離なのでなんとかしのぐことができた。新町駅ではバスの待ち時間が10分ほどあったので、早めの昼食をとることにする。

下久保までは1時間ほどの乗車である。土日は一日乗車券が使えて終点近くまで行く時は断然有利となるが、下久保は中間あたりなのでどうしたものかと思ったところ、一日乗車券を買った方が往復でわずか180円ではあるが安くなるようなので一日乗車券を買うことにした。

バス停から撮影ポイントの叢石橋までは急な下りを10分ちょっとで降りる。叢石橋と覚しき所に降り立ったが、そこには封鎖されて立ち入り禁止と書かれている橋はあるが、橋の名前の表示は見当たらない。ただ地図から判断する限りはこの橋に間違いないと考えて証拠写真を撮る。

下久保での滞在可能時間はバスの本数が少ないため40分しかなく、乗り遅れると2時間待ちとなるため、急な坂を必死で登って発車自間の5分前になんとかバス停に戻ることができた。No10のコースをほとんど歩かず撮影ポイントだけ行ってコースNo10を踏破したのはいささか後ろめたいが、機会があればコース全体を踏破しておこう。とまれ、かなり奥まった地域で撮影ポイントに行くだけでも大変な所なので、とりあえず行って来れたのは良かった。

新町駅に戻って一筆書き歩きを再開する。歩き出してしばらくすると、先ほど写真を撮った叢石橋が架かっている神流川の下流を渡って埼玉県に入る。これで年内中の33カ所一筆書き歩きの完成に一歩近づいた気がした。

その後は主として幹線道路沿いの道を進んだが、水10リッターの重さもあってペースが上がらず、予定の寄居駅よりも7キロほど手前の松久駅までしか行けなかった。次回は札所の開門時間中に到着しなければならないし、登りもかなりありそうなので、軽装で臨むことにしよう。

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2023年11月 9日 (木)

盛り沢山な群馬旅行(家族旅行、関東ふれあいの道、坂東33札所、関東百名山)

私が居住している杉並区が提携している群馬県の保養施設を妻と2泊3日で利用した。初日は現地までの移動だけで終わったので、実質的な行動は二日目からである。二日目の午前中は妻と一緒に施設の近くにある岩櫃城趾に出かける。ここは戦国時代の真田氏の山城である。真田と言えば信州の上田城が有名であるが、武田の家臣であった真田は北条の勢力圏であった関東にも侵食し、この岩櫃に堅固な山城を築いていた。もっとも江戸時代になって一国一城の制度によって城郭は破却されて、本丸や二の丸の跡地が残っているだけであるが、本丸までの急な上り道や本丸下の深い掘り跡が往時の様子を偲ばせてくれる。

 

当初の予定では、岩櫃城趾見学後は妻と別れて岩櫃山に行くつもりであったが、岩櫃城までの登りが思ったより悪く妻一人で帰すのが心配になったので、岩櫃山には行かずに妻と一緒に帰り、保養施設の下で妻と別れて吾妻線で渋川駅に移動した。これは坂東33ヶ所札所の一筆書きの続きで渋川から16番札所の水沢寺に繋げるためである。もっとも今日は水沢寺には行かず、グリーン牧場から関東ふれあいの道のコースNo17を通って吾妻線の金島駅に降りる。途中、撮影ポイントである甲波宿禰神社で証拠写真を撮ったが、思いの他に手間取ってしまい、1時間1本の電車に滑り込みセーブとなる。
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帰りの電車が当初予定していたのよりも二本早かったので、午前中に行き損ねた岩櫃山に寄るために、保養施設の最寄り駅の次の駅まで行くつもりであった。ところが、最寄り駅で窓から眺めると、保養施設の送迎車が駅前に停まっているのが見えたので慌てて下車する。他の宿泊客が送迎を依頼したもののようであったが、頼んで乗せてもらう。なにしろ登りだと小一時間はかかる急な道程なので、ラッキーであった。思いがけず夕方に時間の余裕ができたので、夕食前にゆっくりと風呂に入り、ビールで喉を潤す。

 

最終日は妻は10時のチェックアウトまでゆっくりとするようだが、私は一番の送迎バスで駅近くまで送ってもらい、役場前から伊香保温泉方面に向かい、下車後に昨日通ったグリーン牧場を経て水沢寺を目指す。途中、水沢寺の手前には大きな公園があって、グーグルマップでは迂回するようになっていたが、公園内を直進したところ最後は草むらを行くことにはなったが、かなりショートカットして水沢寺に行くことができた。

 

水沢寺では参拝後に名物のうどんを食す。名物に上手いもの無しの諺どおりであったが、見回してもうどん屋しかないので致し方ない。次の、15番札所白岩観音までは15キロ程度で、営業時間は16時までで有るが4時間の余裕があり、下り一方の道のようなので問題あるまいと思っていた。ところが、急な下りをずいぶんと下ってからグーグルマップを見てみると最短コースをだいぶ外していて、このまま進むと時速四キロで行かないとまにあわないし、下り過ぎたので全体的には平坦で一部は登りがあることがわかった。
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ここでギアチェンジして閉門10分前にはなんとか着いて御朱印も間に合ったが、住職は用事があるとかで4時5分前には門を閉めて車で出かけてしまった。4時ギリギリに到着したのでは間に合わず、危ないところであった。
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ここから高崎中心街までは12キロあるが、時間的制約は何もなかったのでのんびりと歩いていく。中心街に着いてからは居酒屋で予定を無事終了したことを祝って祝杯をあげる。といってもまだもう一日予定がある。明日は関東百名山の御荷歩山であるが、始発バスが高崎から二つ先の新町から出るが7時前の出発なので、高崎は6時過ぎには出ないといけないことになり、ホテルに泊まっても滞在時間が短くてもったいないので、ネットカフェに泊まることにする。

 

翌朝は寝過ごしてはいけないと思って4時前から目が覚める。ここで気づいたのだが、このネットカフェは高崎駅からは西へ二キロほど離れているので、高崎駅に戻って電車で新町に向かうよりもひとつ手前の倉賀野駅まで歩いて南下し、そこから一駅だが新町まで乗車した方が次回の一筆書きの歩行距離が三キロばかり少なく済むのだ。新町まで歩けばさらに次回が楽になるが、新町まではさらに七キロ歩かなければならず、今日の行程にもひびくのでやめておいた。その代わり倉賀野駅直前は東に向かって進むので、次第に白じんでくる空を眺めながら朝日を迎えることができた。

 

新町からは1時間以上バスに乗って万場まで行き、そこから関東百名山の西御荷歩山に向かう。コースは稜線直下まで進む舗装道路を経由するものと尾根道を行くものがあるが、後者はコースタイムが不明なのに対して前者はネットの地図である程度はわかる外、昨日の歩きて足に疲労や痛みが残っている状態を考えると足への負担の少ない舗装道路の方がよいだろうと考えて前者を行くことにした。ただ800メートルの高度差を距離8キロで獲得するため勾配は10パーセントにも及ぶことになる。

 

歩きだしてしばらくすると、後ろから何台もの車に追い抜かれる。平日だというのに、こんなに大勢の登山者がいるのかと驚く。川から離れる直前に水を補給して単調な舗装道路登りを続ける。青空に映える紅葉だけが単調さを紛らわしてくれた。
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4時間ほどかけて稜線直下まで上がるが、予想していた登山者の駐車が一台もない。さきほど追い抜いていった何台もの車は登山者のものではなく、単に東京方面に向かうためだけに通過していったのだろうか。いやいやそんなはずはない。1時間以上前に追い抜いていったのだから、山頂を往復後に往路を戻らずに東京方面に抜けていったのだろう。

 

舗装道路を離れて山頂を目指すが、落ち葉が滑りやすく歩きにくい道であった。山頂には1時前に着くが、予想通り誰もいなかった。360度の展望が得られたが、このあたりの山域には詳しくないので、山名はほとんどわからなかった。帰りのバスは4時台から6時台まで1時間おきにあるので乗り遅れる心配はないが、4時過ぎのバスに間に合うかどうかは微妙であった。登山口まで下りて舗装道路を下り始める。登りのほぼ倍のスピードで下れたので、半分ほど下りた時は4時過ぎのバスに間に合うことは確実であった。ところが、後ろから来た地元の人が車に乗せてくれるというではないか。遠慮なく好意に甘えることにして、バスの時間よりも30分近く早く登山口に着くことができた。さらにラッキーなことには近くに酒屋もあったので、待ち時間もビールとつまみで退屈することはなかった。

 

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