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2023年12月

2023年12月29日 (金)

坂東33箇所札所の一筆書き達成にリーチ

 

今日は長丁場になりそうなので、5時過ぎに家を出る。前回の続きで鶴巻温泉駅からスタートする。7番札所の光明寺までは小一時間の歩きだが、早く着きすぎて納経受付まで待たされるのではないかと心配したが、8時半からの受付だったので問題はなかった。
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ここから次の札所までの経路は山間部を通るものと相模湾まで南下して、海岸線を行くコースがあり、距離的にはほとんど変わらないようである。後者を行くと帰り道に同じコースを歩く部分が多いので、最初は前者のコースを行くつもりだったが、後者はほとんどが関東ふれあいの道の神奈川県のコースNo7と重複していることがわかったので、一石二鳥となる後者のコースをとることにした。

後者のコースは鷹取山という標高200メートルちょっとの山を越えていくのだが、山頂は稜線から少し離れていて通り過ぎてしまったようなので、どうしたものかと思ったら、このコースでの証拠写真となる撮影ポイントは山頂ではなく、神社であることがわかったので、神社をバックに写真を撮って、山頂には寄らずに大磯方面に下山した。
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国道1号線に降りたってからは、単調な歩道歩きが続くが、5番札所の閉門までには充分余裕をもって着けることがわかっていたので、気持的には楽であった。

閉門の1時間半前の3時半に札所に着いたので、荷物を整理してから納経を済ます。これで33番から5番までの納経か終わり、残すは鎌倉近辺の4札所のみとなり、次回で33番札所の一筆書きも達成できる見通しとなった。そこで少し戻った所のラーメン屋で達成の前祝いを兼ねてビールで乾杯をした。
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ただ鎌倉までは随分と距離があるので、今日のうちに少しでも先に進んでおきたいところではあるが、アコンカグア登山のトレーニングとして担いできた10キロほどの荷物が肩に食い込んでいたくなったため、当初予定していた二宮駅の一つ手前の国府津駅までで今日はお終いとすることにした。まあ五キロほど次回の歩行距離が長くなることとなるが、その程度なら問題はないだろう。

 

 

 

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2023年12月25日 (月)

札所巡り 丹沢南面を行く

前回、山門閉門後に到着した星谷寺を再度訪れ、今回はしっかりと納経を済ませる。ここから次の札所まではほぼ真西に10キロ進むのだが、ペースはまずまずと思ったのだが、意外に時間がかかってしまった。次の札所は順番からすると七番のはずだが、どういうわけか六番となっている。前回聞いた同心円上の何たらかんたらが関係しているのかもしれないが、9~14番の所で順番通りに進んでないので、この際、細かいことは無視することにした(順番通り7番から六番という順番で回るとかなり遠回りになってしまうため)。
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六番札所の長谷寺(「はせでら」という札所は何カ所かあるが、この札所は「ちょうこくじ」と読む)から先は関東ふれあいの道に入り、男坂を登って白山展望台に着き、そこから進路を南に変えて尾根通しに進む。
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緩やかなアップダウンを繰り返して撮影ポイントである順礼峠に着く。ここから先もふれあいの道は尾根通しに進むようであるが、日没も迫ってきたことだし夜の山道はできれば避けたい所なので自動車道を目指して下降して、次の撮影ポイントである太田道灌の墓に向かう。
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太田道灌の墓に着いた時は真っ暗になってしまったが、私のスマホのカメラにはフラッシュ機能はないので、1台のヘッドランプは下から墓碑を照らし、もう1台は横から自分を照らして、なんとか証拠写真を撮ることができた。あとは1時間ほど歩いて小田急線の鶴巻温泉駅まで着き、次回はいよいよ相模湾まで達する目処がついた。
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2023年12月24日 (日)

札所巡り 神奈川県横断

今日は30キロ以上の長丁場になるので6時前に家を出る。前回の到達点である神奈川新町駅には8時過ぎに到着し、14番札所の弘明寺を目指す。九キロほどの距離があるが2時間ちょっとの時間で行けたので、まずまずのペースっある。


いつもは納経所で料金を払ってご朱印をもらうだけだが、ここではどうしても聞いておきたいことがあった。それは札所の番号の順と札所の位置がここ14番から9番(埼玉県西部)までが順番通りになっていない(15番は群馬県南部)のが不思議だったからである。納経所の人の答は、遍路は近い順に回るのではなく、同一円周上で回るからだというわかったようなわからないようなものだったが、こんな所で議論してもしょうがないので、わかったふりをしてその場を去った。

この調子ならば、次の札所までも4時半までに着けるかなと思ったが、昼食をとったら途端にペースが落ちてきて、微妙になってきた。次の札所までは23キロと長いが、数日前に仕事で来た辺りを通過するので、多少は気が紛れた。札所巡りの日程調整を上手くやれば、趣味と実益を兼ねた効率的なスケジュールが出来たかもしれない。

大和駅まで来たときに閉門前に次の札所まで達することは不可能なことが確実になったが、遅くなってもよいから次の札所までは行ってみることにした。8番札所の星谷寺に着いたのは6時過ぎで真っ暗になっていた。以前の札所巡りならば、これで8番札所はクリアとなるところだが、今回の坂東33札所巡りは納経を

してもらっているので、後日に再訪が必要となってしまった。

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2023年12月20日 (水)

弘明寺には届かず

今日は午後に横浜方面で仕事の打ち合わせがあるので、川崎駅をスタートしてできれば14番札所の弘明寺、悪くても横浜駅までは行くつもりであったが、足の調子が悪くて横浜駅の2キロほど手前の神奈川新町駅までしか行けなかった。まあこんな日もあるだろう。

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札所間歩きで神奈川県に到達

本日は夕方に立川方面で用事があるため川崎までしか行かないつもりなので、移動距離は12キロと少なめである。途中には特別見るべきものもないので退屈するところではあるが、距離が短いので我慢できる範囲内ではある。


大井町、大森といった昔、仕事でよく通った所を過ぎると多摩川(六郷川)で、そこから先はいよいよ神奈川県である。千葉県から始まって、反時計回りに歩いていよいよ最後の県に入ったことになる。多摩川を渡り終えると川崎市で、旧東海道川崎宿の史跡がいろいろあって、退屈しのぎにはなった。

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2023年12月17日 (日)

都内札所間歩き

札所間歩きは当初は今日中に神奈川県に達するつもりだったが、急遽、翌日の夕方に立川方面に行かなければならなくなったので、本日は大崎止まりとして、翌日に大崎から川崎まで歩いて、南部線経由で立川に向かうことにした。


大崎までは特に見るべきものはないが、ついでなので泉岳寺に立ち寄ってきた、前にも二度来たことがあるが、日曜ということもあって結構賑わっていた。それにしても、討ち入った吉良屋敷のある本所から泉岳寺までは随分とあり、その間、尋問も受けずに徒党を組んで進めたのは不思議である。幕府公認のヤラセ説が唱えられるのももっともである。

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2023年12月15日 (金)

関東ふれあいの道 東京都コースのリーチはならず

関東ふれあいの道のうち東京都についてはほとんど踏破済みなのだが、認定証をもらうための撮影ポイントでの証拠写真はなかったため、それを写すために何度か歩いてきたが、今回は「リーチ」をかけるため、No4から6までを一部はバスも使って撮影ポイントを渡り歩こうとした。


まずはNo4のコースを五日市から1時間近くバスに乗った上川乗けらスタートする。撮影ポイントの浅間嶺まではネットの情報だと1時間20分となっていたので、嶺に着いたらふれあいの道を離れて反対側に降りれば、次のコースの出発点近くの千足方面のバスに乗り継げると踏んでいたのだが、実際には2時間以上かかってしまい、計画はパーとなってしまう。まあこんなこともあるだろうと、後はハイキングだと気持を切り変え、No5から先は次回回しとすることにした。

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2023年12月12日 (火)

坂東33札所 浅草寺

今回の札所は都内の浅草寺で近場なので妻も同行してくれる。埼玉県南部の草加駅をスタートして毛長川というあかな№小さな川を越えると東京都内である。このあたりは若い時に住んでいたので懐かしいところである。

日光街道をスカイツリーを目指して10キロほど進むと台東区に入り、急に人が増えてくると浅草寺である。今までの札所とは少し違う観光地に来てしまったような場違いの雰囲気で納経を済ますとすぐにその場を後にする。


妻は最寄りの駅から帰宅したが、自分はもう少し歩いて東京駅まで足を延ばして次に繋げることにした。


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2023年12月 6日 (水)

四国の私鉄完乗するも三百名山登頂はならず

早朝にホテルを出て徳島行きのバス停に向かう。昨夜に場所を確認してあったので迷う心配はないが、そうでなければ違うバス会社の徳島行きのバス停に行きかねないところである。しかんしわも随分と離れた所にあるのだ。出発5分前にバス停に到着すると程なくして明石大橋を渡って淡路島に渡る。淡路島経由で四国に渡るのは何回か経験があるか、いずれも夜行だったので明るい時は初めてである。自転車で淡路島を一周したことはあるが、自転車では橋を渡れないのでフェリーを利用した。

徳島駅に着いたのはJR阿波海南行きの電車の発車1時間前だったので、駅ナカの喫茶店でモーニングを食べて時間をつぶす。海南駅からは阿佐海岸鉄道に乗り換えるが、これが今回の目玉であるDMV(デュアルモードビーイクル)搭載車である。レールのある所は気動車として走り、レールのない所はタイヤが上から降りてきてバスとして走るというものである。ただ残念だったのは、切替時に乗客を降ろしてはくれないので、切替操作を生で見ることはできないことである。
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室戸岬からは奈半利までバスで移動した後、四国で唯一未乗車だった私鉄のくろしお鉄道で御免まで行き、そこからはJR土讃線と予讃線を乗り継いで伊予西条まで移動した。JR区間は200キロを下回るので、大人の休日倶楽部の割引対象外だと思っていたら、少し先の石鎚山駅までの切符を買えは三割引の対象となるということでラッキーだった。ただ午前中から体調が下降気味だったのが、この間にさらに悪化し、伊予西条駅に着いた時は食欲がわかない状況で、少量食べただけで寝てしまった。

夜中にはかなり咳き込んで熟睡できない状態で、翌日の三百名山瓶ヶ森に果たして行けるかが危ぶまれたが、とりあえず歩いてみて調子が悪ければ引き返そうということで出発することにした。9時前にバスを降りて、歩きだしてみると特に辛くもなくなんとか歩けそうであったが、標高差1500メートルを往復するには登り5時間半、下り3時間半として2時半には登頂しないと行けないことになる。

雲に覆われていて全容は望めなかったが、一瞬晴れ間が出て山が望めた時は思いがけず雪に覆われた山容を見てイヤな気がした。というのは雪を予期してなくアイゼンを持参してなかったからである。この時点で山頂に達するのは無理だなと思えたが、もう少し進んで見ようと考えた。しばらく進んでいると、上から女性の登山者がチェーンスパイクをつけて降りてきたので、上部の雪の状態を聞いてみると雪がかなり多そうで、引き返す地点はどこにするかを考えるようになる。

急登を登りきり台ヶ森を越えて山頂まで標高差が350メートルとなった時点で荷物を下ろすと道端には氷まででてきたので、この時点で下山を決意する。
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下り始めは雪で滑りやすいのでスピードがでなかったが、雪が消えてしまうと登りの時の倍ほどのスピードでくだれて暗くなる前に林道に降り立つことができた。予約した下の温泉宿への到着予定時間である6時まではだいぶ時間があったので、林道をもう少し登ってみて瓶ヶ森の山頂が見える所まで行ってみて、今回、初めて山頂を目にして、次回の登頂を期することにした。
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温泉宿に着いて風呂に入ってからビールで喉を潤し料理に舌鼓をうったが、登頂ができなかったことに加えて体調が不良なこともあって、今ひとつ気分がすぐれなかった。その晩は相変わらず咳が止まらず熟睡できなかった。

翌日は当初の予定では四国山地の盟主である石鎚山に登ることになっていたが、体調不良と雪の状態からこのまま帰京することにした。岡山で新幹線に乗り継いたが、それでも丸一日かかってしまった。

 

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2023年12月 5日 (火)

関西地区の私鉄未乗車区間の乗車と三百名山登頂

トロッコ嵯峨駅で京都を後にする妻と別れて、阪急嵐山線に乗車するために再び渡月橋を渡って同線の嵐山駅に向かう。渡月橋はこの時間はすごい人出かと思ったら朝とは大した違いはなかったのは意外であった。

阪急嵐山線は桂までの短い区間であり、ここからは阪急京都線、地下鉄を経由して嵐山鉄道に乗車する。嵐山鉄道のもう一つの路線である北野線に乗車するためである。北野線は帷子の辻で分離する短い区間の路線だが、独立の路線であるため乗らないわけには行かない。終点の北野白梅駅は他の鉄道とは接続していないため、バスを利用して二条城に向かうことにした。

二条城は中学の修学旅行で行った記で憶はあるのだが、大河ドラマでやっている家康と秀頼の会見や幕末の最大事件の一つである大政奉還の舞台ともなっているので、現時点でまた行ってみたいと思ったのである。ところが、二条城に着いたのは4時半で駆け足ならば行けるかなと思ったら、入場は4時までだったので諦めることにした。

その後は地下鉄を利用して京都駅まで行き、そこからは未乗車の近鉄京都線に乗ることにした。明日は三百名山のひとつである具曽爾山に登る予定のため、できるだけ南の方まで行きたいところである。ただこの機会に近鉄線の未乗車区間の乗車のために寄り道もするつもりなのでなかなか忙しいのである。

まずは田原本駅で下車して隣接している西田原本駅から未乗車の田原本線を生おわやいなやなをと07g駒駅まで乗車、生駒駅からも二本の未乗車路線があるが、今晩は時間がないので次回に回すこととして、大阪線経由で京都線に戻ることにした。

大阪線への乗り継ぎに際して、急行への乗り継ぎができれば、その後の行程がスムーズにいくのであるが、時刻表で調べた限りは無理に思えたが、ラッキーなことにはその急行が3分遅れということで乗り継ぎが可能になった。おかげで京都線に戻ってからも余裕ができて、未乗車の天理線も往復することができた。

その晩は京都線の終点である橿原神宮駅の少し手前にある笠縫駅で下車して、翌日の登山に備えることとした。

翌朝は大和八木駅で乗り換えた後に名張駅で下車して始発のバスで具曽爾山の麓の集落まで行き、そこから登り始めて登頂後ははんたいがわに降りてバスで名張駅まで戻るつもりだった。ところが、11月末までは登山口の曽爾高原までバスが運行しており、今日がその最終日であることかわかった。ただその便は行き帰りとも1日1便しかなく、行きは1時間半後に発車するということなのだが、1時間半もあれば麓から登山口まで歩ける気もしたのでどうしたものかと迷った。帰りは反対側に降りるに登山口まで戻る方が断然有利だが、行きは名張駅で1時間半も待つのも退屈だなあと思った。

そこで始発で麓まで行き、そこから30分ほど歩いた所にある道の駅のような所で飲食をしてれば、さほど待つことなく登山口までのバスに乗れるだろうと考えた。ただ実際はかなりの時間を待たされて登山口までのバスに乗るなったが、バスに乗ってみるとかなりの登山者が乗り込んでいるのには驚いた。そこそこ人気のある山らしい。

終点の曽爾高原は九州の久住高原を思わせるような広々とした気持のよい所であった。マイカーで来ている人も多く、結構人気のある山のようである。実は以前に東海自然歩道の派生コースを走破しようと自転車で麓まで来た時に時間があれば登ろうと思ったのだが、時間不足で登れなかった時は訪れる人もほとんどない不遇の山だと思い込んでいたのである。

峠までは階段が整備されて歩きやすく?(普通の道の方が歩きやすいのだが)なっていて、大勢の人が登っていたが、そこから上は緩い登りが続いて登り安そうであるにもかかわらず、誰も登っていないのである。風が強いせいかもしれないが、冬山を考えればたいした風ではないのだが、皆は風で怖じけ付いたのだろうか。


実際に登ってみると、風は強いものの歩行を妨げるほどのものではなかった。結局この日は頂上手前で三人組のグループとすれ違っただけで、他の人は登山を断念したようである。無人の頂上はだだっ広いがあまり展望はきかなかった。頂上から降りてくる途中の階段道で中学生の遠足らしい集団とすれちがったが、彼らが頂上まで登ったかどうかはわからず終いであった。

登山口まで降りてきたのは、帰りのバスの発車時間の1時間ほど前だったが、帰りのバスは停まっているにもかかわらず、一緒に乗ってきた人たちは誰もいない。時間を持て余したので麓まで歩いて下山してしまい、早い時間のバスで駅まで降りてしまったのかなとも思った。そのうちに一人の登山者が歩いて来たので聞いてみると、他の人は私が行きに休んだところまで降りて飲食をしているとのことで、彼もそこにいたのだが、暇をもてあまして、ここまでまた登り返したそうである。彼に頂上の写真を見せたら、少しうらやましかれた。

そのうちにバスが動きだし、次のバス停では例の人たちが乗り込んで来て、ほぼ満席状態に戻った。名張駅では接続も上手くいき、その後も順調に乗り継ぎ、高野山に行った時に利用した高野線のうちの未乗車であった後半部分を乗車してなんばに着き、予約しておいたホテルにとまった。

本日は関西の都市部の私鉄未乗車区間を乗車するだけなので、チェックアウト時限の10時までホテルにとどまり、それから行動を開始する。まずは一昨日に時間不足で見送った生駒駅からの近鉄支線に乗車し、地下鉄でなんば駅に戻ってから阪神線で尼崎方面に向かい、途中で乗り換えて梅田駅に到着。ここからは阪急線で宝塚駅に向かい、そこで乗り換えて今津に向かう。今津からは阪神線で武庫川団地に向かう。

大阪府内の私鉄未乗車区間は地下鉄がほとんど手付かずの他、いくつかの支線も未乗車のままだが、再来年の関西万博を控えて新線の開業も予想されるので、後日に再度のトライを行うこととして、大阪方面は一応の区切りをつけて神戸方面に向かうことにする。

三宮駅に到着してから、この後どうするかを思案する。神戸市内及び周辺部には未乗車の私鉄が何本かあるが、いずれも乗車後に戻ってくるとなると時間がかかりそうなので、今回は地下鉄のみの全線乗車を行うことにする。神戸市の地下鉄は本数も少なく距離も短いので、全線乗車してもさほど時間はかからないだろうと思って、一日乗車券を購入して全線乗車に向かう。

全線乗車を終えて三宮に戻り、明日の徳島行きのバスの出発場所を確認してから遅めの夕食をとる。神戸と言えばステーキが有名だが、ネットで調べると馬鹿だかいのに驚き、牛は牛でも牛丼でお茶を濁す。その後に予約しておいたカプセルホテルに向かい、明日に備えて早めに寝ることにした。


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2023年12月 1日 (金)

京都旅行 女一人ならぬ妻と二人

昨秋、妻と二人で奈良〜京都を旅行した際に、次は紅葉の嵐山に行こうという話が出たので、ついでにデュークエイセスのヒット曲「女一人」に引っ掛けて大原三千院と栂尾高山寺も訪れることにした。三千院は昨秋の妻との旅行の後に歩いた東海自然歩道のコースにもなっているので訪れたのだが、着いたのが4時半で30分ではとても見きれないということで門の前から引き返した所であり、高山寺は元々は妻が気に入っている鳥獣戯画を保存していた所で後に東京国立博物館に移されたが、数年前に一般公開されるということで見学する予定ことだが、ところ、コロナ禍で公開が中止となってしまったもののレプリカは訪問者に公開されているとのことである。このように両寺院とも我々にとっては因縁浅からぬものがあるので、今回の旅行はなにか運命的なものがあると言ったら言い過ぎだろうか。

アプローチは新幹線で直接京都まで行くのが一般的だが、妻がまだ湖西線に乗ったことがないということで、米原から先は在来線で行くことになった。途中のびわ湖バレーでロープウェーを利用してびわ湖と紅葉の眺めも楽しめるということで立ち寄ることにしていた。ところが、最寄りの駅で下車すると、駅前は閑散としていて観光客もほとんど見かけない。狐につままれたような気分になってバス停に近づくと、ロープウェイとバスの運行は先週の日曜までで終了の張り紙が、ガーンである。

次の予定は京都に入って比叡山の中腹までケーブルで上がり、そこから京都の夜景を楽しむことだが、当初の予定では夕方頃に着くつもりが、思わぬアクシデントのために明るいうちから展望台に着き、暮れゆく京都をゆっくりと堪能して市内のホテルでチェックインをした。本来ならば市内に戻るのは遅い時間のはずなので、食事も簡単なもので済ませるつもりでホテル近くのグルメ情報も予習セロで行き当たりばったりででかけたが、結果は散々だった。予約してないと客扱いされなかったり、味が今ひとつの店で我慢することとなった。

翌日は午前中は大原三千院と寂光院、午後は高山寺と市内をあちこち回るのでバスの一日乗車券を買おうと思ったら今年の9月いっぱいで廃止されたということで、少し割高の地下鉄も併せた一日乗車券でも割安になりそうなので、そちらを利用することにした。三千院行きのバスは満員でやってきたのでラッシュアワーの影響かなと思ったら、乗客はほとんどが観光客で欧米人がその半分以上であった。

三千院はなかなか見応えがあり抹茶を味わいながら眺める庭の紅葉も見事であった。庭の遊歩道もかなり歩きがいがあり、途中で切り上げて寂光院に向かった。寂光院は三千院からは30分ほど歩いた所にあるが、三千院ほどの見ごたえはないせいか観光客はそれほど多くはなかった。本堂では坊さんによる寂光院の由来についての簡単な説明があったが、それが終わると後はそれほど見るべきものもないようなので、バスで市内に戻った。

駅ビルのレストラン街はどの店も行列ができていたが、比較的空いていた串焼き屋に入ったら当たりの店で昨夜のリベンジはできた気がした。午後は高山寺に向かうのでグーグルマップで検索した経路のバスに乗ったが、途中で近すぎて変だなと思って調べると別の高山寺を検索してしまったようで、目的の高山寺のある栂尾にはJRバスで行く必要があることがわかり、乗り換えることにした。栂尾行きのバス停がわからずウロウロしていたら、地元のおばちゃんが親切に教えてくれて無事に高山寺に着くことができた。高山寺は鳥獣戯画のレプリカだけでもっている所でこれが無ければ訪れる人も稀だろう(若い人はデュークエイセスも知らないだろうし)。それなのに入場料を最初と鳥獣戯画の所とで二度も取るのはどういうことか。本物の鳥獣戯画の一般公開ならば、長い行列の後に見るのはそれなりの感動があるかも知れないが、レプリカとなると感動も今ひとつで、見終わると早々に高山寺を後にした。

夕食は前日の失敗に凝りて、ある程度下調べしてから出かける。コースの日本料理をお願いしいたが、広い個室が用意されたし料理もまずまずで当たりであった(値段もそこそこではあったが)。食後は妻が祇園に行ってみたいというので、バスに乗って行ってみる。どうもイメーてジと違ったようで早々に引き揚げたが、こんなことならバスの途中で外人さんが大挙して下車したのはライトアップされた清水寺に向かったようで、我々もそちらに向かった方が良かっのののたと思ったが後の祭りであった。

その後は妻はホテルに戻ったが、私は一日乗車券を使って京都の地下鉄を全線乗車してきた。正確には計算してないが、一日乗車券の料金に対して妻は2倍以上、私は3倍以上の区間料金の合計となる区間を利用したので、随分とお得な券であった

最終日はお待ちかねの嵐山である。駅前から直行バスもでているが、私鉄乗車も目的としているので、嵐電の始発駅まではバスで行き、そこからは一部は路面を走行して嵐山に向かう。嵐山に着くとまずは渡月橋に向かうが、朝も早いせいか思ったほどの混雑はなかった。その後はトロッコ乗車の予約をとるためにトロッコ嵯峨駅に向かう。午前中はほとんど満席だったが、午後は帰りならば辛うじて予約を取れたので、次の目的地である大覚寺に向かう。バスもあるらしいが、歩いても10分ちょっとの距離である。

大覚寺自体はデュークエイセスの曲がなければ、ほとんど知られることもなかったかもしれないが、渡月橋とは比べるまでもないものの、そこそこは観光客も来ていた。別料金の広沢の池はそれなりに来る価値はあった。帰りにはこれも名所とされる竹林の小径を通ってJR嵯峨嵐山駅に向かい、駅前で食事してからJRに乗ってトロッコ亀岡駅の最寄り駅に向かう。トロッコは保津川沿いに走るもので、紅葉と保津川の流れ、さらには保津川下りの舟も眺められて、旅の最後を飾るに相応しいものであった。トロッコ嵯峨駅に到着すると、今回の京都旅行の予定は全て終わり、京都を離れる妻とはここで別れることとなった。

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