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2023年12月 6日 (水)

四国の私鉄完乗するも三百名山登頂はならず

早朝にホテルを出て徳島行きのバス停に向かう。昨夜に場所を確認してあったので迷う心配はないが、そうでなければ違うバス会社の徳島行きのバス停に行きかねないところである。しかんしわも随分と離れた所にあるのだ。出発5分前にバス停に到着すると程なくして明石大橋を渡って淡路島に渡る。淡路島経由で四国に渡るのは何回か経験があるか、いずれも夜行だったので明るい時は初めてである。自転車で淡路島を一周したことはあるが、自転車では橋を渡れないのでフェリーを利用した。

徳島駅に着いたのはJR阿波海南行きの電車の発車1時間前だったので、駅ナカの喫茶店でモーニングを食べて時間をつぶす。海南駅からは阿佐海岸鉄道に乗り換えるが、これが今回の目玉であるDMV(デュアルモードビーイクル)搭載車である。レールのある所は気動車として走り、レールのない所はタイヤが上から降りてきてバスとして走るというものである。ただ残念だったのは、切替時に乗客を降ろしてはくれないので、切替操作を生で見ることはできないことである。
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室戸岬からは奈半利までバスで移動した後、四国で唯一未乗車だった私鉄のくろしお鉄道で御免まで行き、そこからはJR土讃線と予讃線を乗り継いで伊予西条まで移動した。JR区間は200キロを下回るので、大人の休日倶楽部の割引対象外だと思っていたら、少し先の石鎚山駅までの切符を買えは三割引の対象となるということでラッキーだった。ただ午前中から体調が下降気味だったのが、この間にさらに悪化し、伊予西条駅に着いた時は食欲がわかない状況で、少量食べただけで寝てしまった。

夜中にはかなり咳き込んで熟睡できない状態で、翌日の三百名山瓶ヶ森に果たして行けるかが危ぶまれたが、とりあえず歩いてみて調子が悪ければ引き返そうということで出発することにした。9時前にバスを降りて、歩きだしてみると特に辛くもなくなんとか歩けそうであったが、標高差1500メートルを往復するには登り5時間半、下り3時間半として2時半には登頂しないと行けないことになる。

雲に覆われていて全容は望めなかったが、一瞬晴れ間が出て山が望めた時は思いがけず雪に覆われた山容を見てイヤな気がした。というのは雪を予期してなくアイゼンを持参してなかったからである。この時点で山頂に達するのは無理だなと思えたが、もう少し進んで見ようと考えた。しばらく進んでいると、上から女性の登山者がチェーンスパイクをつけて降りてきたので、上部の雪の状態を聞いてみると雪がかなり多そうで、引き返す地点はどこにするかを考えるようになる。

急登を登りきり台ヶ森を越えて山頂まで標高差が350メートルとなった時点で荷物を下ろすと道端には氷まででてきたので、この時点で下山を決意する。
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下り始めは雪で滑りやすいのでスピードがでなかったが、雪が消えてしまうと登りの時の倍ほどのスピードでくだれて暗くなる前に林道に降り立つことができた。予約した下の温泉宿への到着予定時間である6時まではだいぶ時間があったので、林道をもう少し登ってみて瓶ヶ森の山頂が見える所まで行ってみて、今回、初めて山頂を目にして、次回の登頂を期することにした。
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温泉宿に着いて風呂に入ってからビールで喉を潤し料理に舌鼓をうったが、登頂ができなかったことに加えて体調が不良なこともあって、今ひとつ気分がすぐれなかった。その晩は相変わらず咳が止まらず熟睡できなかった。

翌日は当初の予定では四国山地の盟主である石鎚山に登ることになっていたが、体調不良と雪の状態からこのまま帰京することにした。岡山で新幹線に乗り継いたが、それでも丸一日かかってしまった。

 

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