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2024年1月

2024年1月21日 (日)

メンドーサの休日

初日のホテルは街の外れで買い物等に不便だったので、中心街の方へ移ることにする。ダウンタウンの方へ歩いて行くと、さすがに真夏だけあって標高が800メートルほどの高地であるにもかかわらず、真夏だけの朝だというのに暑く感じる。といっても、日本の真夏よりははるかにすごしやすいが。

 

カードの使えるカフェテラスで朝食をとってから、両替できるところをさがしに行く。少し先にあった銀行で両替しようと思ったら、ここではできないといわれる。両替できる場所を教えてもらって、そちらに歩きかけたが、よく調べると今日の泊場の近くなので、荷物を泊場のドミトリーに置いてから両替に行くことにした。ところが、ドミトリーの場所がどうしてもわからない。予約確定時のメールにあった略図で病院の裏手にあることは間違いないのだが、どの建物にもなんの表示がないので、どの建物が目的地なのかがわからない。ところが、向こうからバックパッカーらしき人がくるので、聞いてみると、すぐそこだと言う(実際は色々な説明をしていたようだが、よくわからなかった)。そこで、メールにあった住所も頼りに捜すとなんとかたどり着くことができた。

 

8人部屋に案内されて荷物を整理してから、再度両替屋の場所を確認して出かける。両替所の近辺まで来ると、両替に来たのかと大勢の人に聞かれる。多分、よからぬ事をたくらんでいる人に違いないと無視を決め込む。目標の両替屋には着いたが、1軒しかなく長い行列ができている。日本の両替屋と違い、一人当たりの処理に時間をかけている。しかも、窓口での対応が終わると別室に連れて行かれて、なかなか帰ってこない。もしかしたらサラ金も兼ねているのかもしれない。私の場合は別室に連れて行かれることはなかったが、150ドルを渡したら172と書かれた計算書が出てきて、なんだかわからないが50ドルを追加でだすと、分厚い札束を渡された。そのせいでお大尽にでもなった気分となり、近くのカフェテラスで昨日のビールお預けの仇を取って、料理もたらふく食べることになった。

 

食事を済ませてからは、アコンカグア登山を運営している会社を訪問して費用の支払と情報入手を行うことにした。場所は住所から探しあてたが、入っている建物の1階のカギがかかっていて中に入れない。そこで電話してカギを開けてもらって、会社の階まで行って無事用件を済ませてきた。

 

これで今日の用件はひととおり終えたので宿に戻ってのんびりするつもりだったのだが、ベッドに横になってウトウトしていると、足の前方がつった状態になって痛み出した。しばらくして痛みは治まるが、しばらくして両方の足の前部がつってしまう。やはりしばらくすると元に戻るが、エコノミー症候群かなとも思ったが、その後は再発はしないので、エコノミー症候群とも違うようである。症状的には昔アメリカ大陸を自転車で横断した時に、毎晩睡眠時に足の前部がつってしまった時と症状は同じである。今回は疲労があったわけではないが、足が自由に動かせなかったことによるダメージのためだろう。いずれにしても、アコンカグア登山を前にして幸先の悪い事である。

 

翌日は日程の余裕があったため、チリとの国境に近いアツコンカグアの展望台までいくツアー申し込んであったので、暗いうちから宿を出る。このツアーはホテルまでの送迎つきなのだが、さすがにドミトリーまでの送迎はしてくれないだろうと思って初日に泊まったホテルを送迎場所として連絡しておいたが、かなり距離があるので、このくらい早くから出発しないといけないのである。

 

初日のホテル前にはピックアップ時間の5分前に着きバスを待つが、一向にバスは現れない。30分ちょっと経過して、諦めて帰ろうとした矢先にツアーバスが現れてビックアップしてくれる。危ないところであった。

 

車内はほぼ満席だったが、最後尾の四人席が空いてたので、そこを独り占めかと思ったら、最後に乗り込んできた男女のペアか私の横に座りこんできた。乗客は私以外は全員アルゼンチンのようで、ガイドがスペイン語でまくし立てていて、ムーチョ(英語のvery)以外は一語もわからないが、ちょうど良い子守唄にはなる。

 

途中の見所には必ずといっていいように立ち寄るのは、土産物屋に誘導するとともに高所順化も兼ねているのだろう。アコンカグアが正面に見える所でも小休止したが、本番ではこの谷を詰めて行くのだろう。
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さらに進むと国境越えする舗装路と別れて、展望台に向かう未舗装路の急坂を登って行く。つづら折りの道は運転を誤れば谷底に真っ逆さまだが、道が広いので特に怖さは感じない。やがて、ちょっとした広場に着くとクリスト像が建っており、ツアーのゴールのようである。

クリスト像の少し上まで登って高度を測ると3850メートルであった。低酸素室で6000メートルの酸素濃度を経験している自分にとっては、富士山程度の高度に達したからといって特に意味はないのだが、まあ暇潰しと時差ボケ解消のための日程消化としておこう(ルートも途中までは本番と同じなのだが)。

 

帰りは少し降りた所にあるレストランでバイキング料理を食べてからメンドーサ市内に戻る。アルゼンチンワインの一大産地であるメンドーサではワインとパスタを食す。日本ではワインなどほとんど飲んだことがなく、ワインについて語る資格は全くないが、これから山に入るとワインを飲む機会もなくなるだろうから、メンドーサ滞在中にしっかりとワインを味わっておこう。

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ドミトリー最終日は登山エージェントが予約しているホテルに移動してガイドと登山の打合せをするだけだが、時間が余るので今後のスケジュールを再検討することにした。まずはアコンカグア登山を終えてメンドーサに戻った翌日のブエノスアイレスまでのフライトを予約した。次に南米最南端のウシュアイアまでのフライトを予約しようとしたら、空席があまりないか、あってもすごく高い便しかないのに驚く。ここでピーンときたのは春節の時期に当たっており、中国人旅行者が大挙して押し寄せているに違いないということである。この分ではホテルの空室も多分見込めないだろうから、予定を変更してまずはパタゴニアに行き、春節が終わってからウシュアイアに行くことにした。今回の旅行の最大目標はパタゴニアなのだから、パタゴニアに先に行くことの方が自然だろうと思える。

ドミトリーとエージェント予約のホテルとは歩くと小一時間はかかるようなので、一般的にはタクシーで行くのだろうが、ホテルならばともかくドミトリーではタクシーを捕まえるのも大変だし、メンドーサでは流しのタクシーもほとんど見かけない。路線バスはたくさん走ってるし、グーグルマップで路線番号もわかるのだが、こちらのバス料金は現金払いではなくプリペイドカード払いということのようで、カードの売り場もわからないし、いくらチャージしたらよいかもわからないので旅行者にとってはハードルが高く思える。そこでやむを得ず歩いていくことにしたが、大きな荷物を携えてやってきたのでホテルの従業員も呆れていたかもしれない。

 

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2024年1月19日 (金)

南米大旅行がいよいよ始まる

南米までの直行便はほとんどないのて、南米へのアプローチは北米乗換が一般的だが、今回はパリ乗換となる。ウクライナ戦争に対する経済制裁への報復で、西側の飛行機はシベリア上空の飛行ができなくなったので、ベーリング海峡から北極圏を通ってヨーロッパに向かうことになる。そのため、一度日付変更線を跨いで前日に戻ってから、北極圏の経度間隔が狭い所を東に向かうため短時間で翌日になって日付が元に戻るので時差ボケが激しくなる。


パリのドゴール空港は巨大な空港だが、乗り継ぎ便のゲート表示が見当たらないので迷ってしまう。係員に聞いて乗換ゲートはわかったが、ラウンジのあるゲートとは随分と離れているようだし、ラウンジも飲物しかないようなので、3時間以上ある乗り継ぎ時間をラウンジですごすという予定はパヤとなってしまった。


パリ到着直前に機内で軽食が出たので特別空腹ではなかったが、売店を覗いて見ると、ジュース缶でも300円近くするので買う気を失った。円安の影響を肌身で感じたが、これから行く南米は日本同様に通貨が暴落しているようなので、こんなことにはならないだろうと期待する。


長い待ち時間を経て深夜のフライト便に乗り込み南米に向かうことになるが、今度も12時間以上の長いフライトである。眠ってしまえば、長時間のフライトも気にならないだろうが、時間の感覚がが完全におかしくなっているので、目が冴えて全然眠れない。今回の時差ボケ解消にはある程度の日数が必要なようだ。


サンチャゴ空港に着いて、まずはチリの通貨を少額換金しようと両替屋を探したが見つからず、空港の係員に代わりにATMを教えてもらう。チリの通貨ペソのレートも知らずに最低単位の一万ペソ(ネットで調べたら約1600円くらいだった)を引き出すが、8千ペソほどの手数料がかかっているのに驚く。金額に比例してかかるわけではないだろうが、手数料が高いとは聞いていたが、これではATMのキャッシングはカードが使えない買い物専用とし、通常の支払はカード払いとせざるをえないだろう。


昼食後に登山口のメンドーサ行きのフライトのチェックインをしに行ったが、私が買ったチケットは荷物代は入っておらず別料金が必要であった。航空券1万8千円に対して預け荷物二個で103ドルは高い気がしたし、登山靴を履いて乗れば預け荷物を一つとして、荷物代を半減することもできるのだが、元々大した金額ではないので、二つとも預けることにした。


飛行機の出発まではしばらくは時間があったので、プライオリティパスで利用できるラウンジに行く。軽食の内容はそこそこであったが、アルコールがなかったのが残念だった。


夕方に登山口メンドーサ行きの飛行機に乗る。1時間のフライトであったが、これでも国際線であり、アルゼンチンに入国したことになる。メンドーサの空港には迎えの車を頼んでいたので、ホテルに直行するが、ホテルの周りにはATMはないとのことなので、近くの比較的大きなレストランに行ってクレジットカードが使えることを確認してから入店する。メニューを見たが、スペイン語で書かれているので、何を注文してよいかわからない。辛うじてパスタの文字が見えたのでとりあえずそれを注文する。併せてビールも注文しようとしたのだが、全く通じない。タブレットをホテルに置き忘れなければ翻訳アプリを使えたのだが、これほど英語が通じないとは思わなかった。おかげで、ラウンジで飲み損ねたビールをまた飲めずに意図せざる休肝日となってしまった。


さらにパスタを注文してから30分近くしても一向に持ってこないので、注文が通ってないのかと心配したが、こちらは遅まきながら持ってきてくれたので、最悪の事態は避けることができた。

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2024年1月15日 (月)

鎌倉近辺

坂東33箇所一筆歩きは達成したものの、三番札所の納経が時間切れで間に合わなかったので、南米出発前に終わらせておきたいということで、またもや鎌倉近辺に出かけることにした。

最初は関東百名山の天園に向かうことにする。ただ天園ハイキングコースは地図に記載されているものの、肝心の山頂がどこにあるのかがわからないまま出かけることにした。まあハイキングコースに入れば、山頂の情報も得られるだろうと考えた。

天園ハイキングコースは鎌倉アルプスとも呼ばれており、結構賑わっていた。大平山を越えると天園山頂は目の前に見えてくる。もうひと頑張りで天園山頂と覚しき所に立ったが、山頂の標識は見当たらなかった。ただ横浜市内最高地点という標識はあったので、そこが山頂だろうと判断して鎌倉に向けて下山を開始した。

鎌倉駅の少し先に三番札所があり、ここで納経を済ませて33番札所の納経すべてが完了した。この後は三浦半島の先端まで行き、そこにある三か所の関東ふれあいの道の撮影ポイントに行くつもりだったが、半日では時間的にとても無理だとわかり、鎌倉近辺を回ることにした。

まずは、鶴岡八幡宮から続く若宮大通りを海まで行き、そこから海岸沿いに稲村ヶ崎を目指す。稲村ヶ崎は関東ふれあいの道の撮影ポイントではないと思って前回は通り過ぎてしまったが、稲村ヶ崎がする撮影ポイントとして記載されている資料もあるので、一応写真を撮っておくことにした。撮影後は鎌倉駅まで江ノ電で戻り、ライトアップされている鶴岡八幡宮をおまいりし、その後は鎌倉幕府の堅固な防御網であった切通しの下を貫いているトンネルをくぐって北鎌倉に向かった。途中には建長寺や円覚寺といった名刹があるが、ライトアップされておらず真っ暗だったので、そのまま通り過ぎた。

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2024年1月 8日 (月)

関東ふれあいの道 東京都コースNo4

今回のふれあいの道もつづら岩までは過去に何度も歩いた道である。千足でバスを降りて、そこから馬頭刈尾根まで一気に登るコースで稜線直下が特に傾斜がきつい。荷物が重いこともあってコースタイムをオーバーしてつづら岩に着く。今日のつづら岩は誰も登っていない。正月や連休の前ならば本番に備えた練習で登りに来る人もそこそこはいるだろうが

遅れを取り戻すためつづら岩では休まずに、そのまま富士見台を目指す。稜線では反対側から来る人と何人かすれ違ったが、富士見台に着く頃には反対側からの人も皆通り過ぎた後なのか、頂上は一人占めであった。快晴ならば山名の通りに富士山の眺望が素晴らしいのだろうが、残念ながら富士山方面は雲の中である。

富士見台から大岳山に向かう途中で稜線と別れて大滝方面に下る。道は急な上に落葉で滑りやすく、思ったよりも時間がかかる。舗装道路まで降りてからは多少はペースを上げたが、バス停に着いたのは4時近くのなってしまった。もう少し早く着ければ、コースNo5にも足を延ばせたのだが、今から登りだすと、撮影ポイントである日の出山に着くのは暗くなってしまうので、このまま帰ることにした。


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2024年1月 4日 (木)

坂東33箇所札所巡り一筆書き達成

坂東33箇所札所巡り一筆書きの最後として大晦日の晩に国府津駅をスタートし、途中で湘南平に寄り道して仮眠後に初日の出を眺めながら大磯方面に下山する。そこから先は国道一号線を離れて相模湾沿いの道を進む。東海道五十三次を歩いた時は一号線を進んだので、違う道を歩くのは多少は気が紛れる。

江ノ島が近づくと人が急に多くなる。江ノ島と結ぶ橋は人が数珠つなぎとなっているが、そこは素通りして隣の小通(こゆるぎ)岬に向かう。というのは関東ふれあいの道の撮影ポイントがあるからである。ところが岬の先端に繋がると思われる道を進もうとしたら、ロープが張られていて「1月1日は通行止め」と書いてある。しかたがないので、そこで写真を撮ったが、後日もう一度来てみても撮影ポイントとなる場所がわからず、適当な場所と東側の神社の二箇所で写真を撮っておいた。


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やがて鎌倉市内に入ったが、夕方近くとなってきて4箇所の札所全部で納経を済ませるのは困難となってきたが、納経ができなかった札所は後日に再訪することとし、今日は一筆書き歩きの達成だけを目指すこととした。四番札所には納経受付終了の10分前に着きギリギリセーフとなった。本堂前からは相模湾が見渡せてのんびりしたいところであるが、時間の余裕がないので先を急ぐ。



鎌倉駅手前の三番札所には5時10分前に着いたのでひょっとしたら間に合うかもしれないと淡い期待もしたが、既に門は閉められていたので二番札所に向かうことにする。二番札所の手前で道を間違えて寺の裏側の道を通ってしまった。正しい道に戻ろうかとも思ったが、どうせ山門が閉まっているに違いないので、戻ってもしょうがないと思い直して、そのまま一番札所に向かうことにした。ちなみに後日、二番札所に納経のために来た時はこの道から直接二番札所に向かってみたが、藪漕ぎをさせられるたいへんな道で遠回りでも正規の道を行った方がずっと楽であった。

ゴールの一番札所までは緩い登り坂が続き、重荷が肩に食い込んでつらかった。苦労の末にゴールに辿り着いた時はほっとしたが、山門は暗闇の中だったのでバスで鎌倉駅に向かった。昨年の1月から始めた一筆書き歩きもなんとか終えることができ、もう歩かなくてもいいという安堵感に浸る一方で、一抹の寂しさも感じることとなった。

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