ウシュアイア滞在記
2月21日
朝食のために1階に降りるとテーブルには先客が一人いたが、彼は私より一つ年下の日本人男性で1週間ほど前からこの宿に泊まっているそうである。今回はひと月ほど前から南米に来ており、この後アフリカに向かうそうである。彼の話を聞くと、若い頃から世界中を旅しており、今回が最後の海外旅行としてやってきたそうである。カラファテで出会った人といい、どうも南米は日本人の老人天国のようである。若い人が少ないのは南米は費用と期間の面でハードルが高いのに対して、老人はいずれもクリアできているからだろう、
食後に下の街に降りて、南極クルーズの出発直前の安い、いわゆるラストミニッツを探しにいく。最初に入った旅行代理店では約1週間後に出発するクルーズの価格を約60万円で呈示される。正規の価格の3分の1以下であり十分魅力的であったが、他の旅行代理店の情報も得た上でと思って即答は避けた。その後に、他の代理店にも向かったが、入り口に先ほどと同額の価格が掲示されていたので、それがラストミニッツの相場なのだと考えられて中には入らずに先ほどの店に戻った。
クレジットカードも出して申込直前寸前であったが、ここでひとつ問題が発生した。現地で事故が発生した場合に日本に送還する費用をカバーする保険に加入することが申込の条件であるということである。店から教えられた番号に電話するが、スペイン語で話をされて全くわからなかったので、店の人に代わりに電話してくれないかと頼んだが、申込み者がやるべきこととして断られる。その代わりに日本語での対応が可能な電話番号を教えられ、これは日本国内の電話番号だと言われたので、日本の国番号をつけて電話してみるが、無効な番号として表示されて繋がらない。代わりにメールで連絡することを思いついてアドレスを教えてもらい、ホテルに戻ってwi-fiから送信することにした。
昨夜の宿は街から遠くて旅行代理店と往復したりするのに不便だし、長期滞在するには割高なので、街なかにある安いドミトリーに移ることになり、宿のWiFiに接続すると早速保険会社宛てのメールを送信しておいた。その後にグーグルマップに載っていたすし店の場所を確認してから前の宿に向かい、朝会った日本人を誘って一緒にすしを食べるつもりであった。ところが、最初の店は開店時間と表示されている5時を過ぎているにもかかわらず、閉まったままで店の中は開店準備をしているようにも見えなかったので次の店に行くと、こちらも同様に暗いままである。どうも、すし店は日本人客が集中する年末年始のみ営業し、他の時期は休んでいるのかもしれない。そういえば、街を歩いていても、我々二人以外は日本人には出会わないし、東洋系としては中国人に数回会ったくらいである。中華料理店を見かけないのも、中国人客は春節の時に集中するからかもしれない。
もう1軒のすし店があるはずの辺りにも行ってみたが、店は発見できなかったので近くのカニ店に入ることにした。テーブルに座ると、店の人が生簀から見事なカニを取り出して見せてくれるが値段を聞いてビビリ、もう少し小ぶりのカニを頼むことにした。カニを肴にビールを飲みながら旅行談義をして、それぞれの宿に戻ることにした。
2月22日
このドミトリーはまずまずだったので宿泊を延長しようとしたら、中心街にあって便利なためか延長は難しいようだったので、もう少し郊外にあって料金も少し安いドミトリーに移動することにした。そのドミトリーは思ったよりも遠かったが、すぐ近くにミニスーパーもあるので便利ではあった。
チェックイン時間までは時間があるので、旅行代理店まで行って保険手続きの相談をすることにした。メールの返事がまだ来ないことと電話による申込みにはトライしたものの難しいことを話すと、代理店の人が代行してくれることになった。保険料一万円ちょっとのささいな保険の加入に過ぎないのに、2時間近く時間をかけて途中で近くの別の代理店にも何のためか分からぬまま行かされたりして、ようやく手続きが完了した。後は翌日にクルーズチケットの受け取りと料金の支払いを行って申込みは完了する。なかなかハードルは高かったが、ようやく手続きに目処がついてホッとした。港に行ってみるとクルーズ船が数珠つなぎとなっており、あの中のどれかに乗るかもしれないと思うと胸が高鳴った。
まだ時間があるので、世界の果て号という列車に乗ってみようかなと思ったが、チケット売り場がよくわからず、風が吹いてきて寒くもなってきたので宿に戻ることにした。帰ってから調べると駅はだいぶ離れた所にあり、タクシーかシャトルバスで行かなければならないということなので、公園入園料とセットになったツアーもありかなと思えてきた。チケット売り場を探すのに手間どって昼食に少量のパンを食べただけだったので、3時にカップ麺を食べたため、夕食はワインとつまみのチーズ&サラミで済ませた。クルーズ成功を祈ってワインで乾杯した。
このドミトリーは2泊を予定しているので、クルーズ出発までの3泊をどうしようかと考えたが、クルーズ中は相部屋が続くので個室の方が良いだろうと考えて検索すると、中心街に近い所に手頃な料金のホテルがあったので予約しておく。これで当面は日々の宿探しの面倒からは解放されることになった。
2月23日
今日はチリに旅立つ日本人を見送ってから、旅行代理店に行ってカードでクルーズ代金を支払って後はノンビリするつもりだったのが、全て目算が外れた。先ずはバスが出発すると思われる場所(ウシュアイアにはバスターミナルはないので、グーグルマップの経路図から予想)に行ってみたのだが、バスも乗車待ちの人も見かけず見送りを断念せざるを得なかった。次に旅行代理店に行ってカードで支払いをしようとしたら、「このカードでは支払えません。違うカードで支払って下さい」というメッセージがでてしまう。結局3枚のカードで試してみたが、いずれも同じ結果であった。3枚のカードとも月の使用限度額以内ではあったが、ひょっとすると1回あたりの使用限度額というのもあるのかもしれないと考えて、金額を3枚のカードに分割して払おうとしたが、それでも同じメッセージが出て支払いができない。次に考えたのは、通常の支払いだとカード情報の入力だけですむところなのに、クルーズ料金の支払いの場合には支払人の郵便番号や住所まで記載しなければならなくなっていたが、都道府県については選択方式なので漢字で表示されるが、市区町村は入力方式なので現地のPCでは当然漢字入力はできず、ローマ字で入力したため、それがカード会社に登録されている情報(当然、市区町村は漢字表記であろうから)と異なっているためにエラー扱いされるのではないかと考えて、自分のスマホで漢字表記した市町村名を代理店のメールに送ってコピペして漢字表記で入力してもらったが、それでもダメで万事休すとなった。
代理店の人はカード会社に電話して対応してもらうように言うので電話してみたが、日本とは12時間時差があるので自動音声の対応しかなく、今回のような事案に対応できるはずもなかった。代理店の人は日本時間の営業時間(9時からだろうが、果たして土曜日でも対応可能かどうかは不明)に電話するように言うが、それで繋がったとしても代理店のシステムがわからないだろうから、カード会社が有効な解決策を出してくれる可能性は極めて低いと考えられ、この時点では、クルーズ不参加もやむを得なしと考えるに至った。
他に方法はないかと考えたところ、日本から送金してもらうという方法もあるが、間に土日があって送金可能な日は出発前日となり、時間的に間に合わないだろうし、妻はこの手のことは得手でないので現実的な方法ではないことはあきらかであった。次に考えたのは、現金で払えないかということである。ドルの手持ちでは2千ドル不足するが、日本円を御守り代わり(換金率が非常に悪く、換金は現実的でないらしいので)に多少持ってきていたので、これをドルに換金して二千ドルになればOKのはずである(全額を現金払いも可能なことは確認済みである)。そこで近くの両替屋に行って二千ドルを受け取るためには、日本円がいくら必要か聞いてみると、38万円だという。1ドル=190円の計算となり1ドル=150円の為替相場と比べて、これだけで8万円の損失となるが背に腹は代えられないし、手持ちの日本円は39万円とまさに首の皮一枚で繋がった状態だが、夜にカード会社に電話して良い結果が得られなければ、最後の手段として現金払いをすればなんとか支払いは済ませそうだという見通しは持てた。日本時間の朝9時になってからカード会社に電話してみるが、私のカードにエラーの記録はないとのことで、カード会社で対応できることはないようなので、やはり現金払いをせざるを得ないようだ。
夜になってから同じ部屋に若い日本人カップルが入ってきた。1年間かけてアジア、ヨーロッパを経て南米に来たとのことで、色々と旅の話をして過ごした。調子に乗って今までの私の体験談も話したらびっくりしていたが、私にしたら1年間も海外に行ってられる方が驚きで、私の場合は経済的にも精神的にも3ヶ月が限度かなと思う。
2月24日
ドミトリーを引き払って両替屋に向かうが、9時過ぎに両替屋についてみるとドルへの換金は10時からだと言われる。ニューヨーク市場の取引開始を待ってからと言うことだろうか?たまたま本日から3泊滞在するホテルが両替屋の隣なので、チェックイン前ではあるが、荷物だけは置かしてもらって身軽になり、ドル持参が遅くなることを旅行代理店に連絡してから、再び両替屋に戻る。すると、二千ドルに必要な日本円は昨日は38万円だと言ってたのに、今は39万円だと言う。1日でそんなに相場が変わるのだろうか。なにか騙されているような気がするが、1万円札1枚を手元に残してもあまり意味はないので要求に応じ、必要額ぴったしの金額を持ってきた幸運に感謝する。ただ二千ドルを100ドル札でなく20ドル札100枚でくれるものだから、数を数えるのが大変だっただけでなく、一枚一枚チェックしていかなければならないので大変である。うち1枚に書き込みがあるのを発見して別の札に変えてもらう。
なんとかオールキャッシュでクルーズ料金を支払えるようになったので、そのまま旅行代理店に直行する。すると、こちらでもドル札のチェックが始まる。日本から持ってきた札は問題がなかったが、両替屋からの札には何枚か問題があるということで、それらを含む20ドル札5枚を日本から持ってきて手元に残してあった100ドル札と交換させられる。まるでババ抜きをしているかのようである。
次に膨大な記述のある契約書にサインさせられる。メクラサインというわけにはいかないが、かと言って膨大な記述のすべてを解読するのは至難な技である。そこで金額の表示があったり、なにか問題になりそうな部分を感を交えて見つけ出して読み込んで、いくつかについては質問して最後にサインをする。次に私の個人情報を健康面を含めてPCに入力し始めて、いくつかについては質問を受けて、それに答えた。時々担当者が上司と相談する場面があり、なにか問題が起きたのかとヒヤヒヤする。
2時間近くかかって本日の手続きは全て終了したので、私の方からは環境省に提出する届出書に記載する事項で不明な点につき質問し、次に手元に残るドルは300ドルを切り、これを残り少なくなっているペソへの両替に使ってしまうわけにはいかないので、カードでキャッシングするためにATMのある場所を聞き出して代理店を後にした。
さっそくATMに向かうが、数枚のカードでトライしてみたものの、キャッシングができない。まあアルゼンチンペソは残してしまっても、チリでは半値にしか評価されないので、これから先はペソをクルーズ中に使うことはないだろうし、下船後はカード利用可能な店だけを選べば、あえてアルゼンチンでキャッシングする必要はあるまいと考えられた。
ホテルに戻り、部屋に入って久しぶりの個室となって落ち着けたが、問題が二点あった。ひとつはWiFiが弱くて、特にタブレットの方はほとんどインターネットに繋がらないことである。さらにお湯を沸かすことが出来ず、せっかくチリから持ってきたカップ麺を食べられないことである。そこでクルーズ終了後にウシュアイアに最低一泊しなければならないが、その宿は別の所を捜さなければならなくなった。次にウシュアイアからブエノスアイレスとブエノスアイレスからサンチャゴへのフライトとブエノスアイレスで荷物を預かってもらっているホテルの宿泊予約も行った。最後にウシュアイアで買うべきお土産の目星をつけるために街に出て、本日のやるべきことは全て終了した。
2月25日
朝食のために1階に降りてみると、お湯が使えることを発見する。朝食と言ってもパンと飲み物だけの簡単なものなのでカップ麺も一緒に食べることには何の支障もない。クルーズ終了後とブエノスアイレスでも一個ずつ食べればチリから持ち込んだ分は全部消化できることになる。チリでは入手できアルゼンチンでは入手できないカップ麺をアルゼンチン内で消化できるのは喜ばしい。一個百円程度のものではあるが
今日は特に予定がないので、本来ならばウシュアイアの観光に宛てたいのだが、ウシュアイアの観光客と言えば、ダーウィンが通ったビーグル水道のクルーズ、ペンギンが棲息している島への上陸、世界の果号乗車といつのが定番だが、前二者は南極クルーズで体験することであるし、後者については日曜日は運休らしいので、代わりに裏山にでも登ってみようかと思った。別に頂上に登るのが目的ではなく、ウシュアイアの町全体が展望できる場所に行ってみたかっただけである。
最初に行こうと思った道は私道らしくて住人に前進を阻止される。やむを得ず自動車道を進むことにしたが、しばらくすると日光のイロハ坂のような曲りくねった登りとなり、その横を遊歩道が直上するようになっていたので、勿論後者の道を選択した。幅の広いよく踏まれた道でおまけにマーキングがしっかりついているので迷う心配ない。ところが、しばらくすると、遊歩道は自動車道からは大きく離れて沢沿いに進むようになっているので下り気味になっている。ところが川まで降りると橋があったので、それを渡ってしまったのが間違いであることが、後で地図を見てわかったのであるが、その先も下りが続いており、いくらなんでもちょっと下り過ぎじゃないかと思ったら、なんと「イロハ坂」の起点に戻ってきてしまった。きっと橋の所にスペイン語で表示がされていたのだろうが、それを見落としてしまい、沢に降りるまでは下り基調になるという意識があったので、間違いを冒してしまったのだろう。
再度登り返す元気はないので下に降りることにしたが、町に向かわずに空港に向かうことにした。というのは、ブエノスアイレスに帰る時に空港に行くのは他の交通機関はないので、タクシー利用が一般的であるが、歩けない距離ではないので事前に試し歩きをしておこうと思ったからである。だが実際に歩いてみると思った以上に距離があり、10キロ以上の荷物を背負っていくのは、かなり大変だと感じてタクシー利用はやむを得ないと思った。こちらのタクシーはカードが使えないので、アルゼンチンペソを補充しておく必要があるが、こちらのATMではどうもキャッシングがうまくできない以上は換金をせざるをえない。ただネットで調べたところでは空港までは千円以下らしいので、20ドルも換金すれば充分と思われ、手持ちの現金が少ないなかではあるが、その程度はやむをえないだろう。
町に戻って孫へのみやげのペンギングッズを買おうと思ったら、日曜のために休みの店が多く、お目当ての店も休みだったのて、明日出直しすることになった。夕食をどこかのレストランでとろうかとも思ったが、明後日からのクルーズではご馳走三昧になるので、今は粗食にしておいた方が経済面だけでなく健康面でもよいだろうと考え、ハムとチーズを挟んだパンとピールを買い、部屋で食べることにした。
2月26日
本日は10時にクルーズチケットを受け取れるはずだったが、店に行ってみると準備が遅れているので12時半に出直してくれといわれる。この場所にはいつ来ても予定通り事が運んだことはなく何らかの問題が起きているので、もう慣れっこになっている。そして12時半過ぎに再訪すると、今度はチケットを受け取ることができた。ここまで辿り着くのにいろいろな苦労があったなあと感慨深かった。この店にはもう来ることもないだろうが、もし来るようなことがあれば、それは何らかのトラブルが起きたときだろうから、そうならないことを望む。
午後はまるきり空いていたので、昨日途中までしか行けなかった裏山の氷河下まで登ってみることにした。ただ同じ所をまた歩くのは嫌なので車で行ける所まではタクシーを利用した。ウシュアイアではまだタクシーに乗ったことがなかったので、ブエノスアイレスに戻る時にウシュアイア空港までタクシーに乗る予行演習の意味もあった。特に運賃はメーター計算によるので事前交渉の必要はないということがネットに書いてあったが、それが事実かどうかを確かめたかった。
終点近くになると結構な人が歩いて登っていた。終点まででメーター計算で7百円程度を払って下車したが、8キロほどの道程だったから日本に比べるとかなり安く思えた。舗装道路の終点からの山道は二つに分かれるが、行きは沢沿いの傾斜の緩い方の道を選んだが、今日は調子が良くて先行者をゴボウ抜きして行く。先日のアコンカグアでは若い人について行けず、もうダメかと思われたが、一般の人に比べればまだまだ捨てたものではないと変な所で自信がでた。
氷河末端直下まで着くと、結構な人数が休んでいた。今日は小雨交じりの昨日と比べるとまずまずの天気でウシュアイアの町が足下に望めて、昨日は途中までしか登れなかったのが今となっては却ってラッキーであったと思えてきた。こんな千メートルに満たない山なのに氷河があるのは緯度が高いからだろう。まわりの山が鋭く尖った山ばかりなのは、地球の寒冷期においてはこの辺りは大氷河に覆われていた名残りだろう。
しばらく休んでから下山に移ったが、途中で道が分岐する所からは傾斜のきつい方を下り結構なペースで降りたつもりだったが、今日初めて他人に抜かれることになり、元気な若い人には勝てないことを再認識した。舗装道路にでてからは、そちらは行かずに山道を下って行ったが、ほとんどの人は舗装道路を車で降りて行ったとみえて誰にも会わなかった。やがて昨日間違って下降してしまった地点まで降りると合流点になにやら書いてあり、それを読めればここが登りと下りの分岐点になっていることがわかるのだろうが、スペイン語のわからない自分はもう一度昨日の道から合流点に達しても、やはり間違って下山する方の道を選んでしまったであろう。今日はタクシーで終点まで行って正解であった。
山道を下りきって舗装道路に達し、後は港まで最短路を下って行った。港に着いたのは夕方になっていたが、今夕はクルーズ船は一隻しか停まっていなかったので、翌日の夕方にはあの船に乗って出航することになるのであろう。あまり大きな船ではないようなので船内で迷子になることはないだろうが、ドレーク海ではかなり揺れることは覚悟しなければならないだろう。船に関する情報は全くなく、乗船時に説明はあるのだろうがちんぷんかんぷんであることは間違いないので、状況を完全に把握するまでは大人しくして、後で無駄な請求をされることがないようにしよう。いずれにしても明日はいよいよ出航だと思うと胸の高まりを抑えきれない。
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