ブエノスアイレス
2月4日
帰りのバスも次第に混んできて隣の席には又もや若い女性が座り、夕方にその女性が降りると入れ替わりに別の若い女性が座って翌朝まで隣合わせだった。日本ではまずないことだが、言葉が通じないのは残念なことである。おそらく私はトイレに行きやすい前方の通路側に座席を取るのに対して、女性は防犯上前方の席を希望し、たまたま空いている窓側を希望してそうなったものと考えられるのである。
2月5日
まずまず眠れて翌朝ほぼ定刻どおりの9時過ぎにブエノスアイレスのバスターミナルに着く。そこからホテルに向かうために地下鉄に乗り換えるのだが、日本のように地下鉄乗換の表示はない。Googleマップで見当をつけて、大きい荷物はターミナルにおいたまま偵察に行く。盗まれはしないかという心配もないわけではないが、仮に持っていかれても今後の行動に著しい支障はないし、むしろ身軽になって行動が楽になるくらいの気分である。しばらく進んで、このまま行けば地下鉄まで行けることを確信してターミナルに戻ると荷物は「残念ながら」無事であった。
地下鉄や近郊バスは現金では乗れず交通カードが必要になるので、まずは交通カードを買って一定額をチャージするシステムである。アルゼンチンの地下鉄は日本最古の地下鉄である銀座線が開業する時にモデルにしたと言われるほどの古い地下鉄である。もっともアルゼンチンではブエノスアイレス以外では、まだ地下鉄はないそうである。なお、アルゼンチンでは車は右側通行だが、地下鉄はどういうわけか左側通行である(路線バスも専用レーンでは左側通行のの所があった)。
最寄り駅で降りてホテルに向かうが、グーグルマップに保存しておいた場所を間違っていたらしく、該当するホテルが見当たらない。予約確認のメール自体はダウンロードしてあったのだが、そこから所在地に辿り着くにはネット環境がないとどうにもならない。たまたま通りかかった喫茶店にWiFiのマークがあったので中に入り、インターネットにアクセスして正しい所在地を確認する。だいぶ行き過ぎてしまったようなので、正しい所在地と思われる地点まで戻る。
ところが、正しい所在地と思われる地点まで戻っても、ホテルの看板は見当たらない。その付近で人が入れそうなのは肉屋だけだったので、出てきた客に聞いてみるがホテルのことはわからないようである。あたりをウロウロしていると肉屋の隣がどうも怪しい。建物の外観がグーグルマップの写真とも一致する。間違いないと確信してブザーを押す。ホテルの人が出て来てチェックインがようやくできた。
一休みしてから早速、昼飯に出かける。ホテルの近くに和食屋があるのだ。日本円で三千円弱とちょっと高めだが、幕の内を注文する。おかずは刺し身と天ぷらに焼き魚と大和煮で、これにご飯と味噌汁が付いている。天ぷらは今ひとつだったが、あとはまあまあであった。カツ丼とか寿司もあったので、今度はそちらを食べてみよう。
夕方に明日出かけるウルガイへ出港する港まで予行演習で行ってみる。こちらも、予約したホテルが偶然最短距離のホテルであった。切符を買うのに随分と時間がかかったので、今日のうちに買っておいてよかった。ところが、帰ってからネットで見ると、私が払った往復のフェリー料金よりも安い料金の日帰りツアーの募集があってショックだった。多分早売りの切符を使っているもので、安い料金分は売り切れとなっているのかもしれない。いや間違いない、そうに違いないと思うことにしよう。
2月6日
前夜は早く寝たので5時前に目が覚め6時過ぎにホテルを出る。前日に下見してあるので港まで迷うことはなかったが、一本道ではないので初めてだと苦労したかもしれない。切符を買った時に7時までに来るように言われてギリギリで間に合ったが、チェックイン受付の前は長蛇の列である。もしかしたら7時からチェックインが始まったのかもしれない。切符売り場はまだ無人となっていて、前日に切符を買っていなかったらどうなったのだろうか?
フェリーで1時間ほどの距離だが、一応国境越えにはなるのでイミグレでの手続きが必要になる。ユーロ圏内は別として、空路以外の国境越えはそれなりにたいへんなものだが、今回は極めて簡単だ。アルゼンチンの出国窓口の後側にウルグァイの入国窓口があり、いずれもフリーパス同然である。船室内は8割方が埋まっている状態であり、まだ空席はあるようなのでギリギリに来ても乗船できたのかもしれない(ヒヤヒヤするかもしれないが)
ウルグァイのコロニアに着いても予備知識がないので、他の乗客の後を着いて行く。ツアー客はガイドの説明のたびに立ち止まって聞いているが、聞いてもなんのことかわからないので先に進む。岬の先端の方に灯台が見えてきたので、ネットの情報では登れるように書いてあったが、違う灯台があるのか知らないが、この灯台は登れないようだし誰も登ってなかった。
セントロの方に出ると古い街並みがあったので、ここが世界遺産なのだろうとは思うが、ポルトガルとスペインの両方の統治の特徴が見られるという所は全くわからなかった(猫に小判である)。坂を登っていくと、観光客向けのレストラン街となる。そのうちの一軒で食事をしたが、ウルグァイの通貨を両替しなかったので、クレジットカードの使える店を探しだすのに結構たいへんだった(アルゼンチンペソやUSドルも大概の店では使えるらしいが)。
港に戻っても予約してある最終便までは7時間もあるので、出港の早いフェリーに変更できないか窓口で聞いてみたがダメだと言われる。港の待合室でもネットに繋がるし、ホテルで休んでも待合室で休んでも同じようなものなので仕方ないか。ここで考えが変わって午前中には行かなかったセントロから北の海岸線を歩いてみると、なにか新しい発見があるのではと考え出かけてみることにした。
結局、格別目新しい発見があったわけではないが、静かな海岸線を散歩するのは気持ちよかったし、行きに海岸線にある食堂が出している縁台でビールを飲んでいる人が羨ましかったので、帰りにアルゼンチンペソが使えるかと聞いて使えるとの返事だったのでビールを注文してしまったが、至福の時間であった。
セントロに戻った時点ではまだ食慾がなかったので、港で食べようと思ってスーパーで飲食物を買うことにした、入口にはVISAのマークが表示されているのに、何らかの理由でキャッシュでしか払えないという。咄嗟にアルゼンチンペソで払えるかと聞いてしまい、払えるという返事だったので払ってしまった。だが、さきほどのビールと言い明らかに割高な値段である。そういえば、ネットの情報では、定期的にアルゼンチンからウルグァイに渡って為替で儲けているという投稿を見たことがある。詳細は不明であるが、どうも両国の為替関係はいびつで、そのことが、ウルグァイ国内でアルゼンチン通貨を不当に低く評価することに繋がっていらのかもしれない。まあ一回きりのことだからいいんだけど・・・
港に戻る直前にまさに風雲急を告げるという空模様となり、港の建物に辿り着く前に土砂降りに会うのは避けられないかと思ったがなんとか無事に帰り着いてヤレヤレと思ったら、風もやんで天気もそれ以上悪くてなることはなかった。一体あの風は何だったんだろう。
港まで着ければ後は時間さへたてばフェリーで帰れるはずだ。だが、そうは問屋が卸さない。イミグレの手続きが終わり、待合室でしばらく待ったあとに乗客が動き出したので、それに付いていき乗船手前の所まできたが、そこで搭乗券のチェックをしている。行きの時は、そんなことはしてなかったのになあと思い券を見せると、乗船を制止されなんとかかんとか言われて向こうに行けと言われる。一瞬、なにか必要な手続きをしてなかったのかなあと思いながら、言われた方向に向かうと別の列があり、その先には私が乗船予定のフェリーの船名が書いてある船体が見える。同じ時間帯に二隻が出航するという紛らわしいことをしていたのだ。そういえば、行列に並ぶ時に最後尾から並ばず途中から並ぶというズルをしたが、最後尾に並んでいれば行き先のチェックを受けたのかもしれない。とまれ、これで予定通りにブエノスアイレスくらうに戻れることになって、まずは一件落着である。
2月7日
今日は翌日のパタゴニア行きを前にして確認しておきたいことがあるので空港に行くことにした。地下鉄で行けるのかと思ってたら、バスに乗り換えないことがわかり、面倒なのでタクシーで行くことにした。今までタクシーには良心的な運転手にばかりあたっており、今回は街なかの流しのタクシーでありメーターもつけていたのでぼられることもあるまいと、事前の料金交渉なしに乗ってしまった。
さほど時間がたたないうちに空港に着いたが、請求金額を見て飛び上がりそうになった。なんと7千円以上である。先日、空港を越えた先にあるターミナルまで倍以上の距離があるにもかかわらず四千円くらいで行ったにもかかわらずである。そのことも翻訳アプリで表示してみせ、四千円を渡してこれ以上、払わないという態度を示した。一方、運転手もノーノーといって負けない姿勢である。5分くらい膠着状態が続いたが、私がもう千円払うということを提案してようやく決着した。
本題の空港での用件とは、明日のパタゴニア方面のフライトは途中の乗継空港での乗継時間が40分しかないが、もし乗継空港で自分で預け荷物の積み替えをするとなるととても間に合わないので、機内持込み(8kg)だけで済むように計画を組み直さなければならないからである。係員に確認したところでは、積み替えは会社の方だけでやるということでひと安心したが、まだ完全に安心できないので預け荷物が届かないことも想定した計画で臨むことにした。
帰りはまたタクシーに乗ることは考えられないので、バスで帰ることにした。バス停は空港からは少し離れた所にあり、グーグルマップでの表示よりも空港寄りであった。行きのタクシーよりも恐らく100分の1ほどの料金で帰ることができた。ホテルに帰る途中で先日の和食店でカツ丼を食べる。少し味が濃かったが、まあ美味かった。
ホテルに戻ってひと眠りしてから、明日からのパタゴニア行きに必要な物品を買いに商店街に行き、帰りにまた同じ和食店で今度はラーメンを食べる。明日から一ヶ月くらいは現地食しか食べられなので、いわば食いだめである。
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