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2024年2月14日 (水)

アルゼンチン・パタゴニア

2月8日

ブエノスアイレスには随分と長くいるような気がするが4日間に過ぎないのだ。しかし、それも今日でしばらくのお別れだ。ホテルに不用な荷物を預けて空港に向かう。前日の失敗に懲りてタクシーは使わず、地下鉄で終点まで行き、そこから路線バス(コレクティーボ)に乗って空港まで行くことにする。乗車するバスの番号はグーグルマップで調べてきたのだが、地下鉄終点のバス停はたくさんありすぎて、どこから乗っていいのかわからない。そこで係の人に聞くと、だいたいの方角は教えてくれたので、そちらに向うと大きな旅行カバンを持った人がたくさんいたので、ここに違いないと確信し、次にきたバスに乗りこむ時に、運転手にも確認をとった。

これで第一関門はクリアしたものの、乗継時間が40分しかないため、果たしてスムーズに乗り継げるかという問題は依然クリアできてない。ところがもっと深刻な問題が発生した。時ならぬ雨で出発が1時間半以上遅れて、予定便よりも後の運航次第では今日中にカラファテに着けない可能性もあることである。まあ最悪の場合は空港で一夜明かしても構わないし、 カラファテに着くのが1日遅れても何の問題もおきないのであるから、なるようにしかならないという気分である。空港には日本の若者グループもいたので、なにか情報でも持っているかと思って聞いてみたが、特にはないようである。

1時間ほどのフライトでロサリオ空港に着き、さてこれからどうなるかが一勝負である。だが、私のそんな気持ちとは裏腹に、通常の乗り継ぎと同様に進行していき、乗継便が遅延便を待って出発するというだけのことのようである。まあ考えてみれば、ロサリオからカラファテまで行く乗客のほとんどはブエノスアイレスからの乗継客であり、その乗客を乗せずに空に近い形で出発してしまうという方がありえないことなのだろう。今夜の宿には特に到着時間は伝えてないので、多少遅くなっても問題はないであろう。

空港から宿まではシャトルバスを利用した。タクシーと違い料金が固定されているので安心だ。ネットでは2人以上ならタクシーの方が安いと書いてあったが、ペアで乗っているカップルも多かったのは何故だろう。空港から10分ほどのドライブでカラファテの街に近づくが、シャトルは乗客全員の宿泊先に寄っていくので、中心部に宿を取った自分と違い、周辺部で降りる乗客が多く、自分が下車したのは最後から2番目となってしまい、結構時間がかかった。ただカラファテの街をドライブしていると思えば、それも悪くはなかった。

今夜の宿はやけに安いなと思ったら6人用のドミトリーであった。ただメンドーサで泊まったドミトリーと比べると清潔感はあり、ホールなどの施設も充実しているので連泊する気にはなった。ただ到着したのが遅く、まわりにはレストランもあまりないようだったので、ビールとつまみを買ってホールで食べて夕食代わりとしてしまった。こうして、憧れだタゴニア第一日の夜は無事に終わっていった。

2月9日

朝食を食べに行ったら、同年輩の日本人二人と一緒になった。一ヶ月くらいの予定で前半は陸路をのんびり、後半はクルーズでこれまたゆったりと過ごすそうだ。彼らからみたらハードスケジュールの私とは好対照である。とまれ、日本人と久しぶりにゆっくりと話ができたのはよかった。

朝食後にフロントに延泊を申し込んだところ、空きがないと言われる。さあ、どうする。ここで発想の一大転換をし、今回一番見たかったのはフィッツロイなんだから、この際、一気にエルチャルテンまで行ってしまい、フィッツロイ近くのキャンプ場まで今日のうちに行ってしまおうと思い立った。

早速、チェックアウトの手続きをし、手持ちが少なくなってきたペソを100ドル分だけ両替してバスターミナルに向かうが、宿でターミナルまでの経路をグーグルマップに徒歩モードで表示したものは、オフライン地図になると消えてしまって方向を見失ったので、細い道を無理矢理東に進んでいく。すると、たくさんの犬が出てきて吠えられてしまう。みな飼い犬で野犬ではないだろうが、こちらは放し飼いが多いようだ。出発前に狂犬病の予防注射をしていったからいいようなもの、そうでなかったら、ちょっと心配になるところであった。

途中、キャンプ場の横を通ったが、ここならばバスターミナルにも近く、中心部にもそう遠くはないので、エルチャルテンから戻ったら、ここにテントを張ろうと思った。

バスターミナルには10時半過ぎに着き、早速、切符を買うことにした。往復で買うと割引があるらしいが、帰りの予定は不透明なので片道だけ買う。11時の切符が買えたので大して待たずに乗ることができた。私の席がある二階は半分以下の乗客しか乗っていないがら空き状態だった。

バスはいよいよパタゴニアの荒涼たる平原を進んでいく。とうとうここまで来たんだなあという感を深くする。やがて、遠くの白く輝く峰々の右端に憧れのフィッツロイが見えてきた。今回の旅で一番見たかったシーンである。

wifiの使えるレストランに入って家にlineで連絡を入れる(と言っても日本は深夜だが)。牛肉のサンドイッチを食べてから出発の準備に入る。本当はもう少しボリュームのあるものを食べたかったけど、こんなものしかない店だった。

日本からはフリーズドライ食品を持ってきているが、それだけでは足りないのでスーパーで食料品を買い足す。日本のようにカップめんとかレトルト食品が売ってないので、買えるものには限りがある。

次にガスコンロの燃料カートリッジ(飛行機には積み込めないため持参せず)を買おうとして3軒目の登山用品店でようやく見つけるが、日本では見かけないメーカーのもので、持参したバーナーのノズルと互換性があるかどうかが不明である。また小型のカートリッジはなく中型しかないので、仮に互換性に問題がなくてもお湯を沸かすだけでは大半を余らすことになるうえ(飛行機には積み込めないため持ち帰れない)、値段が日本の倍近くするようなので、お買上にはならず地図だけを買うことにした。なおフリーズドライ食品は時間はかかるが、水だけでも食べられるので、まあなんとかはなる。

最近はGPSに頼り切りで地図の読図力が落ちているのか、最初は自分がどちらの方向に向かっているのかわからなかったが、やかてセロトーレ方面に進んでいることがわかった。最初はフィッツロイ方面に行くつもりだったが、時間的なことを考えると最初はセロトーレで正解だったようである。出発が4時であったにもかかわらず、次から次へと上から人が下りてくる。9時頃まで明るいから不思議ではないのだが

だらだらした登り下りが続き、なかなか目的地に着かなかったが、8時過ぎにようやくセロトーレの展望台ともいえるキャンプ場に着いた。ここは無人のキャンプ場なので。当然料金はいらない。そのせいもあるのか数十張りのテントが張ってあった。さすがに私のようにストックを支柱代わりにしたテントはなかったが、雨さえ降らなければ、それほど居住性が悪いわけではない。ビールを飲んで食事を済ませれば何もやることもないので、明朝のセロトーレのモルゲンロート(ドイツ語で、山が朝日で染まること)を期待して寝るだけである。

2月10日

期待どおりの快晴でセロトーレのモルゲンロートがバッチリ撮影できた。撮影後はすぐに出発してもよいのだが、今日の行程は短いので外が暖かくなるまで待ってから行動を開始する。最初は昨日来た道を行くつもりだったが、ちょっと北の方に行き過ぎたことに気がついたので、北回りの道経由で引き返すことにした。

本来の北回りの道は湖の畔を通って行くのだが、そのためにはちょっとした丘を越えて行かなければならないので、ショートカットして直進したのだが、あまり良い道ではなく果たして短縮できたのかどうかは不明である。ともかく湖の方から続くと思われる道とは合流でき、しばらく進むと前日の道とも合流できた。

前日の道はセロトーレに向かう人で朝早くから大賑わいであった。ところが、途中でフィッツロイのビューポイントに進む道に進路を変えると途端に人の数が少なくなった。セロトーレとフィッツロイのビューポイントは別々に行く人が多く、2つを繋ぐ人は少ないからだろう。だが、この道は前半は草原、後半は湖と絶景を辿る素晴らしい道であった。

4時前にはフィッツロイのビューポイントであるキャンプ場に着いた。前日歩き始めた時間よりも早く、まだ太陽は高かったが、これ以上進む所もないので、早めの夕食をとった(と言っても水で戻したパスタだけだが)。当地でも350mlのビール瓶があれば今夜の分も持ってきたのであるが、さすがに500ml2缶は重かったので今夜は久々の休肝日となってしまった。やることもないので明日もモルゲンロートが見られることを期待して早めに寝ることにした。

2月11日

夜半から強風が吹き荒れていて心配した通り、朝方は小雨が降っていて手前の山は見えるが、フィッツロイは全く見えない。出発の準備をして早々に下山する。天気が良ければモルゲンロートを見に来る人で賑わうのだろうが、今朝はそれほどでもないので、煩わしさが少なくて助かる。それでも天気が回復傾向にあるためか、下るにつれて登ってくる人が増えてくる。

ゆっくり下っても四時間ほどで街に下りられる。途中で菓子を食べたため、腹は空いてなかったので、初日にも入った喫茶店でビールを飲んで休肝日を打ち切る。その後、予約してあるドミトリーに荷物を置いてからターミナルに行き、明日のカラファテ行きの切符を買う。一日3便あるとのことなので、一番早い8時の便にする。

その後、ドミトリーに戻ると、4人の定員のところ、カップル二人が同部屋で二人でいちゃいちゃしているのにはまいった。早々に街に出て、ぶらついたりして、ほどよい時間になったので、レストランに入り、ハーフサイズのピザと赤ワインのグラスを注文する。ベエノスアイレスを出てから、初めてまともな食事をした気がする。明日は麓からもフィッツロイのモルゲンロートが見られることを期待して、今夜はNHKプラスでも見ながら夜をすごそう(と思ったが、ネットの電波状態が悪くみられなかった)

2月12日

暗いうちから起き出して通りに出て、フィッツロイのモルゲンロートを待つ。東の空が明るくなってくるとともにフィッツロイにも赤みが差してきたが、その後に東の空に雲がかかってきたため、フィッツロイの赤みも消えて今日はこれまてと思って帰りかけたが、せっかくだからもう少し粘ろうと思い直したところ、フィッツロイに再び赤みが戻り、先ほどよりもモルゲンロートらしくなってきて、写真もほぼ満足できるものが撮れたので宿に戻る。

荷物をまとめてバスターミナルに向かう。カラファテ行きのバスはほぼ満員に近かったが、2階の後部座席だけは空席となっていたので、ゆったりと座れてラッキーだった。足かけ4日間の滞在であったエルチャルテンにもお別れである。車窓から遠ざかっていくフィッツロイに別れを告げてカラファテに向かった。

カラファテのターミナルではまず、明後日に向かうチリのプエルトナタレス行きの切符を買い、次に翌日のモレノ氷河への往復切符を買う。ターミナルからカラファテ初日にも泊まったドミトリーまでは30分強の歩きであるが、今回は街に下っていくのでよいのだが、ターミナルに向かう時は坂道を登っていくので少々きつい。後、登り二回、下り一回はしなくていけないことになる。なお当初はカラファテでキャンプするつもりだったが、ドミトリーに空きがあったので予定を変更した。

ドミトリーの近くにガイドブックおすすめのレストランがあるとのことで探して見たが見当たらなかった。ガイドブックはコロナ流行直前にパタゴニアに行こうと思って買ったものの、コロナ流行で今回まで出発が延びたものだが、日本でも流行中に多くの飲食店が廃業を余儀なくされたように、その店も廃業してしまったのかもしれない。

しょうがないので、店の前に写真が張りだしてある所があり、その中にスパゲッティ風のものがあったので、それに誘われて中に入りメニューを見たら、その料理が見つからない。しょうがないので、パスタの中から適当に選んだら、今回もまたスパゲッティを食べ損ねてしまった。

食後にホテルに行きチェックインをしていると、声をかけられたので振り返ると、私と同年輩の日本人男性でひと月ほど前から南米を放浪しているそうた。しばらく話をした後、夕食を一緒にすることを約束して別れて部屋に戻った。

8時過ぎに日本人男性と再び落ち合って夕食に出かける。昼食べた所と同じ店に行き、ビフテキ風の料理を食べる。こんなにボリュームのある料理は久しぶりである。海外旅行談義は食後も続き、エンドレスになりかねなかったが、明日のこともあるので10時前には店を後にする。宿に戻る途中、音楽が聞こえてきたので寄り道をすると、民族舞踊をやっていたので、しばらく観てから宿に戻った。

2月13日

昨日、会った日本人男性とは朝食会場でまた会いましょうと言ったものの、食後もしばらく待ったが姿を現さずバス発車時間も迫ってきたので挨拶もせずに別れることとなった。旅の出会いと別れは常にあるものなんだけど

バスターミナルまで歩いてモレノ氷河行きのバスに乗る。1時間近く走った所で止まり、入場料約二千円を現金で支払う。そこから少し進んだ所でバスは停まり、連絡バスに乗り換えて展望台の上に着く。

展望台からは遊歩道が下っており氷河の全容が眺められる。氷河の上には薄いながらも虹もかかっており、絶景ムードを高めている。最初は氷河の末端の崩壊は頻繁にあるのかと思ったら、1時間近く近く待っても全く崩壊はなく、時折、崩壊らしき音は聞こえても、遊歩道からは見えない裏側の方ばかりであった。七千円ほどでボートに乗って下から氷河を眺めるオプションもあったが、氷河に近づき過ぎると崩壊した時に被害受ける恐れがあるためか、氷河から随分と遠い所までしか行かず、これなら遊歩道から見るのと大差ないように思われた。また氷河歩きのオプションもあるらしいが、いやというほど氷河は歩いた経験はあるので、今更というものであった。

帰りのバス発車まで四時間ほどの滞在時間があるが、2時間もしないうちに飽きてしまい、休憩所で休んで時間を潰すことになった。展望台にはレストランというほどではないが、軽食程度は出す所と売店はあったが、山の食料の残りがあり、翌日の国境越えに際しては、チリ側の検査が厳しく食料品は没収される可能性が高いので、極力残りものを消費するようにしたため、なにも買うことがなかった。

最後にまだ30分ほど時間があったので、先程は通ってなかった下側の遊歩道から氷河への接近をしてみた。こちらの方から崩壊の音が聞こえた気がしたのだが、特に崩壊の跡はみられなかったので、先ほどの崩壊の音は別の所でしたのだろう。先端近くまで行ってしばらく滞在してみたが、結経、崩壊は見ることはできなかったので、諦めてバス停に戻る。するとバス停の手前で昨日の日本人男性とバッタリ会う。午後のバスで来たようだが、バスの出発時間が迫っていたので、挨拶だけして別れる。でも最後に挨拶だけでもできてよかった。

これでアルゼンチン・パタゴニアの行程は全て終わり、次はチリ・パタゴニアとなるため、明日はバスで国境を越えてチリに入る予定である。

 

 

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