2月27日
いよいよ南極へ出発する朝が来た。前夜は興奮したのかあまり良く眠れなかった。朝食前に昨日予約しておいたスポーツ店にレンタルの防寒服を受取りに行く。十日間のレンタル料が1万5000円くらいで、アコンカグアでガイドに私のダウン服をあげなければ借りる必要はなかったのだが、その場合はメンドーサからここまで、さらには下船後は帰国まで運ばなければならないことと帰国後は使う可能性はまずないことを考えると、やはり手放してしまってよかったと思う。
ホテルに戻ってから朝食を食べてチェックアウトの10時まで粘る。クルーズ着のチェックインが3時半だから、まだだいぶ時間があるが港にある案内所で時間をつぶすことにする。あそこならばクルーズのチェックイン場所と近いし、WiFiも一応は通じるようだ。港にくると昨夜一隻だけ停泊していて、あれに乗船するのかと思っていたクルーズ船は出航してしまい、新たに3隻のクルーズ船が着岸しているので、そのうちのどれかに乗船することになるのだろう。
チェックインは3時半でだいぶ時間があるが、こんな大きい荷物を持って出かけるあてもないので観光案内所でそのまま待機する。案内所には大勢の観光客が出入りするが、日本人は見かけなかった。やはり日本人は正月前後の限られた時期に集中するのだろう。そのせいか、今の時期はグーグルマップに載っていたウシュアイアのすし店も軒並み閉店していた。
集合場所がわからなかったのでチケットを見せて案内所の人に聞くと、正面の船着き場の待合室だという。たしかに待合室には大きな荷物を持った人が何人か座っているが、クルーズ船の乗客にしては人数が少なすぎる気がした。そのうちに少しづつは大きな荷物を持った人も集まってきた。そして係員の呼びかけがあり桟橋の方に誘導された。桟橋には6隻のクルーズ船が停泊していたが、その中でクルーズ船とは思えないほど小さい船が私の乗る船であった。他の大型船に向かう乗客もいたが、彼らはほとんどが身軽な格好で来ているが、私の乗る船に向かってくる人は皆大きな荷物を携行している。その違いの理由はすぐにわかった。大型船に向かう乗客は、荷物はどこかで船会社の方で預かって部屋に運び入れてくれるので身軽で来られるが、我々は自前で船まで運ばなければならないのである。

ここで私が支払ったクルーズ料金が一般のクルーズ料金と比べて三分の一以下となっている理由もわかった気がした。たしかにひと昔前は、出航直前のクルーズについてはラストミニッツと言って正規料金よりも大幅に値下げした料金で乗船できることも珍しくなかったが、最近は中国人旅行者の増大により大幅な値下げは難しくなっていると聞いていたのに、今回は昔のラストミニッツ並の値下げかと思われるような値段で募集していたのは、正規料金自体が大型船のそれよりも安いことも与っているのだろう。もちろんラストミニッツとしての値下げはあるのだろうが。まあ豪華客船の旅を楽しみに来ていたわけではなく南極に行くことが目的なのだから、多少サービスが悪くとも安い方がいいに決まっている。歌の文句じゃないが、「南極に変わりがあるじゃなし、着いてしまえば皆同じ♪」である。ただドレーク海峡での揺れが大型船に比べて激しいであろうことは覚悟しなければならないだろう。ただ小さい船だから迷わないだろうと思ったのは大間違いで、迷路のようになっていて迷ってばかりいた。
船内に入って自分の部屋に行くと、後から相部屋となる人が入ってきた。オーストラリアから来た若者で人柄も良さそうだったので、十日間生活を共にする相手としては安心した。船内には他に日本人カップルが一組、台湾からは3人乗船しているほかは、総勢百人弱のうち欧米系の人が大半であった。食事のテーブルでも英語の会話が中心となるが、苦手な英会話ではアコンカグア登山の時と同様に苦手であることを知ってもらえば、必要なこと以外は話しかけてこないので気が楽である。
ちんぷんかんぷんのオリエンテーションが終わるとディナーの時間となったが、これも一般にイメージするような豪華な食事ではなく質素なものであり、アルコールも飲み放題ではなく有料で現金払いのようなので、クルーズ料金を現金払いしたために金欠病になりかかっている自分としては、休肝日が続いてもやむを得ないかなとも思えた。昨年のクルーズでは栄養過多となって一時的に体調を崩したが、今回はアコンカグアでも禁酒が続いたこともあり、普段よりも健康的な生活をしているかもしれない。また、この船には富裕層はまず乗ってないだろうから、富裕層に気を使う必要がないことはありがたい、
明日は問題のドレーク通路である。どれほど揺れるのか、半分心配、半分楽しみである。
2月28日
例によって早朝から目覚めたが、隣のオーストラリア人は熟睡している。船は既にドレーク通路に入ったようであるが、それほどの揺れではない。外が明るくなってきたので甲板に行ってみたが、女性が1人いただけで皆さんはまだお休みのようである。まわりには島影は全く見えない大海原である(後方にはフェゴ島方面が見えるはずだが、ボート等が積載されてるので見通しがきかない)。
8時に朝食なので、少し前からホールに出てコーヒーを飲む。やがてホールにいた連中も食堂の方に移動しはじめたので後に着いて行く。朝食はハム、チーズ、ベーコン、スクランブルエッグに果物が用意されている一般の朝食スタイルである。テーブルは狭いし会話には加われないので、食事が終わると早々に席を外して隣のホールに戻る。まあ十日間だからどうということもないが、これが世界一周で3ヶ月以上も続くとなると、ちょっと厳しいかもしれない。
ホールではタブレットの音楽を聞きながら(もちろんイヤーホーンで)、持参した関野さんの「グレートジャーニー」を再読していれば退屈することもないし、眠くなれば、そのままソファーでも部屋に戻ってベッドでも眠ってしまえばよいので極楽である。映写室では南極の自然についてのレクチャーがあり、説明は全然わからなかったが画像と説明の文字があったので、多少は理解できた。
危険防止のため甲板に出ることは禁じられているので窓から眺めるしかできないが、波は高いものの船の揺れはそれほどでもなく、この程度であれば船酔いの心配は全くない。大型客船ならば乗客を退屈させないために様々なアトラクションがあるのだろうが、この船ではそのようなサービスは期待出来ず、乗客個人々々の忍耐力が問われている。
昼食もサラダとお粥っぽい混ぜご飯の簡単なものであった。食後にホールでコーヒーを飲んだ後に充電したタブレットを取りに部屋に戻ると、相部屋のオーストラリア人は寝ていた。夜もあれだけ良く寝ていたのにまだ眠れるなんて若い証拠だ。年を取ると、眠るのも体力がいるということを痛感する。午後になって波は依然として高いものの青空が広がってきた。と言ってもまだドレーク通路の真っ只中でまわりには島影は全く見えない。GPS対応のオフライン地図アプリのmaps-meで見ると、行程の四分の一から三分の一ほどを消化した感じか。この調子ならば、明日中には大陸にかなり近づくことも可能か
しばらくしてから昼寝をしようと部屋に戻ると、オーストラリア人はまだ寝ていた。本当によく寝る人だ。自分は30分ほどウトウトしたが、あまり寝ると夜眠れなくなってしまうので起き上がってまたホールに戻る。ちょうどオヤツの時間だったので、どんなオヤツかと楽しみにテーブルを覗いてみたが、ケーキ類とは程遠い駄菓子のようなものがお皿に盛ってあるだけだった。まあ無いよりはましだけど。ランチが12時でディナー(と呼ぶには少々おこがましい内容だが)が8時だから、ちょっと間が空き過ぎる。事前にわかっていれば菓子類を持参したのだが、ネットで記録を読んた限りではその必要は感じなかったのだが。もっとも、ほとんど体を動かしてないので腹が減っているわけではなく、単に暇つぶしに小腹を満たしたいだけなんだけど。
夕食前に現在地を確認するとだいぶ前進していて、行程の三分の一は優に越えており、大陸の一部である半島ではなく、手前にある島までならば十分半分は達しているだろう。そういえば朝から1時間に1回は現在地確認をしているみたいだ。このブログを書くのも時間潰しには役立っている。夕方に薄ら寒く感じたので部屋に戻ってセーターを着てからホールに戻ったら誰もおらず、予定より30分ほど早くスタートしたディナーに出かけてしまったようなので、あわてて食堂に向かう。今日のディナーは昨晩よりも多少はグレードアップしたようである。決して安くはない費用を払っているのだから、このくらいの食事は出してもらわないと。
食後はスマホに保存してあった孫たちの写真や動画を見て楽しむ。普段はいつでも見られるということで見ることはなかったが、こういう機会に見てみると孫たちの成長の跡が追いかけられて実に楽しく、これで数日は楽しめそうだ。明日の航海を乗り切れば半島間近まで近づけるだろうから、明後日はいよいよ待望の南極上陸が実現できるだろう。待ち遠しいものである。
2月29日
今朝は珍しく目が覚めると外はもう明るくなっていた。緯度が高くなって夜明けも多少は早くなったのかもしれない。ホールに上がって地図を確認すると、南極はもう目の前である。ホールからは前方は見えないのでまだ大陸は見えないが、もうしばらくすると大陸手前の島を回り込むために旋回するだろうから、そうしたらホールからも大陸が真横に見えてくるはずだ。初めて見る南極大陸の姿が楽しみだ。
朝食の後に翌日の上陸に備えて貸与されるブーツのサイズの申告しなければならなかったので、通常よりも1センチ大きい27.5cmで申告しておいた。今日は曇っているせいもあるが、半島手前の島までは100キロほどに近づいているにもかかわらず、なかなか姿が見えずじらされているような気分になる。
ホールの隣の映写室は1人用の椅子がいくつかあって他人に煩わせずに寛げるので休んでいると、南極の観測の歴史についてのレクチャーがあり内容は全く理解できなかったが、参加者からは活発な質問が出ていて参加者は熱心な人ばかりなようなので自分も真剣に聞いているふりをしながらイヤホーンで音楽を聞いていた(ゴメンナサイ)。
昼食も前日よりもレベルアップした内容で、このレベルで続いてほしいものである。食後は翌日の南極大陸上陸を控えて注意事項とライフジャケットと長靴の貸与があった。その中で日本人がもう一人参加していることが判明。若い女性で8月から中南米の方から来て、クルーズ後は南米の北上を予定しているそうだ。
夕方になると船は島の間の狭い海峡を通るようになり、ナイフで切り落としたような岩壁と分厚い雪に覆われた島が迫ってくる。ついに南極に来てしまったんだという実感が湧いてくる。夕食前に最後のミーティングがあったが、翌日は朝食が1時間早まって7時になることと、荷物のチェックが8時過ぎにあることは聞き取れたが、あとは全然わからなかった。まあ皆に付いていけばなんとかなるでしょう。その晩は興奮したのかなかなか寝付かれなかった。

3月1日
なかなか寝付かれなかった割には5時前には目が覚めてしまった。緯度が高いせいかもう外は明るかった。部屋の窓は小さいのでホールに出てみると、まわりは流氷だらけで南極に来たんだなあという感を深くする。朝食を食べてしばらくすると、係の人が各部屋に荷物のチェックにやってくる。念入りに調べていき、パーフェクトのお墨付きをもらう。あとは小舟に乗り込んで上陸するだけだ。
9時過ぎに小舟に乗り移って少し離れた小島に向かう。1隻に乗客8人が乗って4隻でピストン輸送するが、かなり揺れるし水も浴びてしまう。上陸した地点は石だらけの浜辺であたりには全く雪がないので、南極に来たという感じがあまりしない。アザラシだかオットセイだかよくわからないがうじゃうじゃいるし、ペンギンもたくさん見られるが、環境保護のため近寄れないので動物園で見るのとあまり変わりはない気がする。せめて雪の上にいるペンギンを見てみたいものだ。今日は午後にも上陸があるのでそれを期待したい。

毎回のことだが、食事の時間は食事自体は楽しみだが会話についていけないのが辛い。今回のアコンカグア登山でも同様であるが、ただあちらの方は私の英会話能力(特に日常会話能力)がないことがわかってから、必要なこと以外は話しかけてこないのだが、クルーズ船の場合は4人席ないし2人席のメンバーは毎回変わるので、私に英会話能力がないことを毎回知ってもらわなければならないのが、辛いところである。クルーズの食事はまだ10数回あるが、それを乗り切ればあとはまた気楽な一人旅に移れるので、もうしばらくの辛抱である。クルーズは途中で離脱するわけにはいかないし、会話に入らないからといって別に危害を加えられるわけでもなく、ただ空気のような存在になればいいだけなのだか
午後からも上陸が予定されていたのだが中止のアナウンスがあって(ヒアリング能力の不足で理由は不明)、上陸予定地を離れて別の場所へ移動していく(多分、翌日の上陸予定地)。その途中で巨大な氷の島(浮いているだろうけど)がいくつも現れて目を楽しませてくれる。こういった景色を見ているとはるばる南極に来たんだなあという感を深くする。
夕食前に多分翌日の行動についてだと思うがレクチャーかあったけれど、例によってチンプンカンプン。ただ南極クルーズでは恒例になっているらしい海へのダイビングのことと、起床時間が5時半、朝食が6時と早いことだけはわかった。なお、ダイビングについては希望者の挙手を求めていて勿論挙手しなかったが、8割方(若い人はほぼ全員)が挙手していたのには驚いた。夕食も例によってまた蚊帳の外であるが、多少は私に気を使ってゆっくりとしゃべってくれる人もいたので、少しは楽だった。
3月2日
今日は5時半起床と今までで一番早かった。少し眠かったが起床時間前に起きてホールに行き、6時半からの朝食に備える。今朝は一つの作戦を考えた。朝はバイキングなので着席するとすぐに食べられる。そこで食堂が開く前の順番待ちの先頭近くに並び、食堂が開いて皿に料理を盛り付けたら一番遠くの4人席まで行ってすぐに食事を始めるのだ。私よりも後に並んだ人はだいたい手前の方から座って行くから、私の席は食べている間は同席者はなくて、会話に煩わせることがなく食事を終えることができる。日本では考えられない不必要なことだが、苦肉の策として考えつき大成功であった。
今日の午前中の上陸は内海のような所から取り付くので大型船では多分接近ができないだろう。ゴムボートに乗っている時間もわずかで浜辺に着く。浜辺には廃墟のような建物の残骸と居住していた当時に使用されていたと思われるタンクが残っている。これらについては前日のレクチャーで解説があったのだろうが、全く理解できなかったので分からずじまいである。

今日の上陸地は雪山に囲まれていて昨日の上陸地よりも南極らしいところである。近くにはペンギンやオットセイがたくさんいるが、自分とのツーショットを撮ろうとしても、近づきすぎるとガイドに注意されるので、ペンギン等は小さくしか写らないのが残念である。近くには小山があって皆が登っているので後を付いていくと、噴火でできた丘のようで噴火口の後は池になっていた。
上陸地点に戻ると皆は荷物を置いていっせいに脱ぎだした。南極クルーズ名物のダイビングの始まりである。私は寒さには強いが、冷たいのは苦手なので見物だけにとどめる。見回すと、私よりも年輩と思われる人まで結構ダイビングしているので驚く。ボートでクルーズ船に戻ると、ダイビングした人はすぐにシャワーで体を温めているため、まだ空いているホールでコーヒーを飲んだりリンゴをかじったりして時間を潰す。

昼食を終えて一休みしてからペンギンの営巣地に向かうと雪山の麓の乾いた浜辺がペンギンの大営巣地になっていた。今まで来た三か所の中で一番南極っぽい所のような気がする。これだけたくさんのペンギンを見ると、もうペンギンは見飽きたというと贅沢になるが、ペンギンを見てもあまり感動しなくなるような気がする。浜辺を小一時間ほど歩いた所にボートが待っててくれたので、道を戻らずにそのままボートでクルーズ船に帰ることができた。

夕食前にまたミーティングがあったが、今まで以上に内容が理解不能だったし、理解しようという気も起きなかった。まあ最悪の場合は場合は仮病を使ってベッドで休んでいれば船は間違いなくウシュアイアに着くだろうし、南極ではペンギンやアザラシ等の動物も見たし氷山や雪山も見たので、これ以上は見なくても心残りはないと思われる。それにしてもクルーズ船の旅が言葉の壁でこんなに苦労するとは乗船するまでは思っても見なかった。
ミーティングが終わると夕食時間となったので、皆は食堂に向かってぞろぞろ歩き出したが、私は時間差作戦を取るため部屋に戻り、三十分ほど経ってから食堂に向かう。すると、ほとんどの席は埋まっていたが、奥の別室のような所だけは空席があるようだった。まだ、その別室には行ったことはなかったが、4人席がまるまる空いていた。これはシメタと思い、これで日常会話の相手をする煩わしさから逃れられると喜んで座ってまわりを見回すとアフリカ系と思われる人ばかりであつた(1人は手で食べていたからインド人かもしれない)。これは隔離政策ではと一瞬思ったが、まあ自分も有色人種なんだからいいやと考え直した。この方法と朝1番でバイキングから離れた席に座ることとの併用で残る5日間もなんとか乗り切る目処が付いた。
夕食後に映写室で映画をやるということでちょっと覗いてみたが、期待していたような南極の自然を映し出すものてはなかったので、部屋に戻ってグレートジャーニーの続きを読むことにした。
3月3日
本日も朝食は一番乗り作戦で2人席を確保し、同席者なしで日常会話に答える煩わしさから解放される。食後間もなくして三日目の上陸が始まる。船の横には雪がべったりついた半島が見えて一体どこに上陸するのかと思ったら、船の後ろから出発して正面の小島に上陸するということである。これで上陸したのは島ばかりで大陸そのものにはまだ上陸していない。まあどうでもいいと言ったらどうでもいいのだが、今日の午後はボートによるクルージングで上陸はしないようなので、上陸のチャンスは明日の午前中が最後かもしれないが、果たしてどうなることやら。

今回の上陸では初めて雪の上を歩き、多少は南極らしさを味わう。ペンギンも相変わらずたくさんいたが、ペンギンは見飽きたというのが正直なところで早い順番のモーターボートに乗って本船に戻ってきてしまった。昼食は例によって「隔離室」の2人席に座るが、私の席の向かいは四方を他の座席で囲まれていて入りづらいので、まずは他人が座ることはないだろうという絶好の席を見つけたので、これからはここを自分の指定席とすることにしよう。さらに、この「隔離室」だけにはチャパティという北インドの主食である薄く焼いたパンが配られて、まるでインドにいるみたいな気がした。ひょっとして春節の頃は拉麺が配られたりして!と思ったら、乗客の1人が持ち込んだものが周りの人に配られていたようだ。ウシュアイアで焼いてきたのかな。
午後はモーターボートで1時間ほど氷山巡りをして本船に戻った。今回のクルーズの中でもっとも南極らしいところであったが、モーターボートの乗客がみな大騒ぎしている中で私だけ静かにしていたので、変な目で見られてしまった。夕食前にホールで休んでいると、みんなが大騒ぎしているのでなにごとかと思ったらクジラの出現であった。昨年の慶良間でクジラは堪能しているので、さほど珍しくはなかったが、あの時はクジラのウォッチングだけを目的に行ったのに対して、今回は副産物として見られるのだから、初めて見た人にとってはラッキーだと言える。
夕食は例によって指定席に座っていると、昼も私の後ろの2人席で食べていた日本人夫婦が、ここが居心地がいいと言って、また私の後ろに座ったので、ますます有色人種の溜り場になってきたようである。夕食のメニューは野菜炒めと豆のスープに白米というベジタリアンメニューだったが、意外とボリュームがあってこれで十分だと思ってたら肉団子にマッシュポテトを添えた料理が運ばれて、それを食べたら最近は小食傾向となっている自分の胃袋にとっては食べ過ぎらしく、南米に来て初めて胃薬を飲む羽目となった。
夕食後は明日の行動についてのレクチャーがあり、例によって細かいことは理解できなかったが、今までそれで困ったことはないので、わからなくても全然心配しなくなった、それが良いことかどうかはわからないが。
3月4日
相部屋のオーストラリア人はまだ暗いうちからどこかに出かけて行ったが、だいぶ経って明るくなってからホールに行ってみてもいなかった。夜も遅くなるまで部屋に戻ってこないので、きっとどこかの部屋の住人と仲良くなって、そちらの部屋に入り浸っているのだろう。自分の部屋に戻っても、言葉が十分通じない年寄りがいるだけでつまらないだろうから。
今日もまたどこかに上陸するのだろうが、正直もう飽きてしまったものの、昨日のレクチャーでは最後に半島そのものに上陸するような説明もあったのでそれに期待したい。せっかく南極に来ても島ばかりで大陸自体に上陸しないのでは物足りない気がするからだ。実は南極に着いた初日か二日目に半島の先端に上陸する予定であったが、上陸予定地の状態が悪いということで上陸が中止されていたのだ。
朝食後に本日のスケジュール表を良く見たら、午前午後ともモーターボートによるクルージングとなっている。1日に2回もクルージングに行くのは億劫だし、少し風邪気味で1時間ほどのクルージング中に強い風を受け続けるのは1日一回に抑えたいとも思ったし、昨日のクルージングの経験で、隣の女性客が喋り続けているのに少々うんざりしたという面もあった。
ところが今日は2回ともクルージングだと思ったのは私の勘違いで、午前中は対岸の半島にある観測基地の真下まで行って引き返してきたようである。観測基地を訪問することもできないことはないようだが、いろいろと手続きが面倒なようである。モーターボートのクルージングは午後一回のようなので、そちらも参加しないことを相部屋のオーストラリア人に告げて一寝入りしたが、彼はクルーズ用の服を着て部屋から出ていったものの、いつまで経っても救命胴衣を取りに来ない。変だなと思って外を見るとクルーズ船は動いているではないか。ということは、午後のモーターボートクルージングは中止になったということなのだろう。外はどんよりと曇っていたので、天候不良が中止の理由だろうか。まあずる休みが一回ですんだのは良かったが。
ところが5時過ぎに船が止まり、モーターボートを下ろし始めた。こんな時間に何事が始まるのかと思ったら、たしかに対岸の島は目の前なので午後の行動ができなかったので、希望者だけでも行動するということか。こんな時間に島に渡ってもしょうがないと思うが、フルに行動したいという熱心な連中が多いのだろうか。この分では夕食の時間が遅れてしまうかな。そろそろ空腹になってきたのだが
6隻のモーターボートが出発し、すぐに戻ってくるのかと思ったら1時間以上も対岸の島の近くを巡って戻ってきた。すると、先発のボートに乗り切れなかった人たちが入れ替わりに乗り込んで出発していった。雪まで降ってきたというのに元気な人たちである。私はもうウシュアイアどころかブエノスアイレスあたりの気温の高いところに戻りたくなってきたのにである。
8時過ぎには夕食たなって指定席に座ったが、周りのインド人たちの喧騒がたまらなくなり、早々と席を離れる。そういえば今夜は純粋のベジタリアン料理だった。まあウシュアイアに戻ったらたらふく肉を食おう。食後は翌日の予定の説明があるのだろうが、早くひとりになりたかったので部屋に戻ってしまった。明日の予定表はどうせ張り出されるだろうし、それ以上のことは聞いてもわからないのだから。
3月5日
朝目覚めると雨が降っていた。一応午前中は行動予定があり、午後はドレーク海峡に向かって進む予定となっているが、この天気では午前中の行動はないかもしれない。まあ、それならそれでいいけど。
朝食後にアナウンスがあり、天候が悪いので午前中の行動は中止となってドレーク海峡に向かうことになったようである。まあ南極は十分に堪能したので、これで無事にウシュアイアに戻れればそれで満足だが。あとはドレーク海峡での揺れが我慢できるほどのものであることを祈るだけである。
昼食後にいよいよドレーク海峡に向けて進んでいるようで船の揺れが激しくなってきた。通路を歩く時には物に掴まらないと進むことが困難になってくる。まだドレーク海峡のほんの入口でこれだけの揺れだから、これから先が思いやられるが、この洗礼に耐えないと楽園?には辿り着けないのか
夕方頃から揺れが一段と激しくなってきたせいか、夕食のテーブルも空席が目立った。同じ部屋のオーストラリア人も船酔いが激しいらしく昼頃からずっと寝たままで食欲がないようなのでリンゴを持ってきてやった。私はと言うとまったくへいちゃらで、自慢じゃないけど生まれてこのかた70数年で乗物酔になったのは、屋久島からの帰りに一度あっただけである。あの時は、今回のように単に横揺れするだけでなく、ジェットコースターのように高い所から奈落の底に突き落されるような揺れが続いて、さすがに少し気持ちが悪くなったことがあるが、このくらいの揺れならば1日中続いても平気で、まあ船が転覆さへしなければノープロブレムである。
3月6日
まだドレーク海峡の半ばには達してないが、揺れは多少は静まってきたようである。この調子で行けば、明日中にもウシュアイアに着いてしまいそうだが、そうなると明晩の宿も新たに確保しなくてはならないので、多分、その場合は港に停泊して朝まで待つことになるのだろう。早く下船したい人だけは下船させてくれるかもしれないけれど、その場合でも私は船にとどまるつもりだが、一方では、ネットに早く繋げたいので、案内所のWiFiが夜間にはクルーズ船内にまで届くとよいのだが
昼食後に地図を見たら行程の半分ほどは来ており、翌日中にウシュアイアに着く可能性は高くなってきた。揺れは多少は弱まった基がするが、隣のオーストラリア人はランチも食べずに寝ていて船酔いはだいぶ深刻なようなので、3時過ぎにりんごを二つ持ってきてあげた。だんだんと揺れも静かになってくるから、酔もおさまってくるだろう。
夕食の時間となり、オーストラリア人も空腹と言ってたので一緒に行こうと誘ったが、なんとかかんとか言って(実際は何と言ってるのか聞き取れなかったのだが)、来なかったので1人で行くと、またもやベジタリアン食であったのは食材が切れてきたためだろうか?まわりのインド人はベジタリアンが多いのか満足しているようだが、別室の西洋人はこんな食事で満足しているのだろうか(西洋人にもベジタリアンはいるだろうけど)。
私自身について言えば、クルージング中は野菜中心の食事に加えて、アルコール飲み放題の期待が外れて現金払いとなっており、金欠病の身としては断酒せざるを得ないので、きわめて健康的な生活を送っている気がする。もちろん下船すればカードでキャッシングはできるのだが千円ほどの手数料がかかる上、キャッシングし過ぎてアルゼンチンペソを余らすとチリでは両替できても価値が半減してしまうので、下船後の2日半のアルゼンチン滞在ではカード払いで済ませてアルゼンチンペソをなるべく使わないつもりでいるのだ。
ホールでコーヒーを飲み終えて部屋に戻ると、当然食堂に行っているであろうと思ったオーストラリア人はベッドで寝たままである。不審に思ったが理由はあえて聞かなかった。どうせ説明されても理解できない可能性が高く、想像するに空腹ではあっても食べると戻したりするかもしれないから食べないのだろうが(これだけのことをネイティブの言葉でしゃべられると、多分理解できない可能性が高い)、まあ、勝手にしやがれである。そういえば先ほど電話番号を聞かれて教えたんだけど、下船後に英語で電話をかけてこられても困るな。もっとも、日本からの不用の電話がかかってきて国際電話料金をこちらが負担することになってはかなわないので、海外旅行中は通信SIMは使用しない設定になっているため、仮に電話をかけてきたとしても繋がらないのだが
3月7日
ドレーク海峡の最も荒れる部分は通り過ぎたのかだいぶ揺れもおさまってきた。明るくなると同時にホールに上がって現在地を確認すると、ビーグル水道も間近であった。いつもは朝食は一番乗りしていたが、日本人の女性客と話をしていて出遅れてしまったため、食堂が空くのを待って入ると、さすがにこの時間になると四人席でも結構空いていた。これがクルーズ最後の朝食となるのか、最終日は8時下船だが早めの朝食があるのか、今のところは不明である。
午前中はバーで飲んだ飲物の精算をやっていた。私は無料のコーヒー以外は一切飲んでないので関係ないが、累計が100ドル以下はドルの現金払いで、それ以上はカード払いが可能と書いてあったので、もし利用していれば100ドル以上になって貴重な現金を使わなくて済むように細かく消費金額のチェックをしていなければならないところであった。またチップを任意の金額で払わなければならないのだが、そちらはカード払いが可能なようなので何とかなるが、こんなものは料金の中に含めてほしいものである。
ところがところかである。カードでチップを払おうとしたら、クルーズ申込みの時と同様にどのカードも使用不可のメッセージが出てチップが払えないのである。やむを得ず、チップの最低は150ドルらしいのだが、100ドルに負けてもらって現金で払うことにした。手持ちのドルが少なくなるのは寂しいことではあるが、100ドルを手放しても大勢に影響はないことなので、アルゼンチンではカード払いができる支出のみをすることにして、チリに行ったら手数料は高いがATMでキャッシングすれば何とかなるだろう。
その後、ホールで全員に南極上陸の証明書が手渡されシャンパンで乾杯してセレモニーは終わって夕食に移り、最終日の予定は全て終わった。いや、正しくは、預けてあるパスポートをまだ返してもらってないのでその手続きだけが残っている。これを忘れて下船してしまうと、たいへんなことになってしまうので、寝てしまう前に忘れずに返してもらわなければならない。なんでも全員の支払完了を確認してから返却するとのことで、私がカード決済不良で支払が遅れたことも原因の一つに無っているのかもしれないが。
間もなくしてパスポートも戻り、あとは翌日の朝食を食べて下船するだけとなった。
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