ボリビア北部滞在記
3月18日
バス会社の事務所に行くと、バスは事務所前に停車していた、事務所の中には先客はすでに1人いたが、東洋系ではあるが日本人ではないようだ(韓国人か?)。その後、西洋人が何人か来た後に、今度は正真正銘の日本人カップルがやってきた(受付で日本のパスポートを提示しているのが見えたから日本人だとわかった)。その後も乗客はやってきたが、出発時間直前にしては集まりが悪いなと思いながら事務所の時計を見たら、1時間遅れているではないか。ここで初めてビーンときて、さきほどの日本人に聞いてみると、やはり1時間の時差修正が必要なことがわかった。チリとアルゼンチンは時差はなく、ボリビアは両国の中間に位置しているので、時差はないものと思い込んでいた、またスマホの設定で日時が自動修正となっていなかったことも時差に気付かなかった一因ではある。そこで日時を自動修正に変えたら、正しい時刻に変更されていた。ツアーでは昨日から時間が変だなと感じていたが、これで謎が解けた。
ラバスまでのバスは各社によって運営されているが、その中でサービスと安全性の面で評価が高い(値段も高い)トド社のバスを選択したが、評判に違わず飛行機のビジネスクラスのようなゆったりとした座席で自分が選択したのは1人席なので他人に煩わされずに寝ることができ、しかも夜食のサービスまで付いているという至れり尽くせりぶりである。バスは定刻よりも5分ほど遅れてラパスに向かって出発した。
3月19日
バスがラパス直前まで着くと朝食が配られるという飛行機並みのサービスである。定刻よりも1時間ほど早くラパスのバスターミナルに到着し、これから1週間近くのラパスの滞在が始まることになる。まずはターミナル内外でWiFiが使えるところはないかと探してみたが見つからないので、諦めて市内観光に向かうことにする。
ラパスには18年前にワイナポトシという山を登った時にもきたことがあるが、その時と一番の違いは、すり鉢状になっている市内のてっぺんから底までロープウェイが張り巡らされている点である。その時は高所登山のダメージで坂道を歩くことがかなわなかったので、今回はまずはすり鉢のてっぺんまで行ってみようと思った。
てっぺんまでは一回の乗り継ぎが必要だが、一回あたり70円弱という安さである。ロープウェイは10年ほど前に作られ、住民の上下への移動の負担を減らすためであったが、観光客にもよく利用されているようで、すり鉢状の斜面にへばりつくように建てられている住居の景観はここでしか見られないものである。
写真をとりまくりながらてっぺんに達すると意外な景観が広がっていた。てっぺんはてっきり山の中だと思っていたら、そこにも下と変わらぬ町が展開していたのである。露店もいくつかあったので、現地食を注文してみた。何の肉かわからぬがコラーゲンのかたまりのようなものをなんとか完食したが、しばらくは食べたくないものだった。
下りは歩いていこうと思っていたが、かなり迂回していかなければならないようなので、途中まではロープウェイに乗り、途中から中心街を歩いて下ったが、露店の多さには驚いた。
今晩からはドミトリーに4泊の予定だが、チェックインの14時まではしばらく時間があったので、近くの食堂に朝の口直しのつもりで入ったのだが、味が今ひとつで当地ではグルメは期待できないことがわかった。食後は市内観光の続きですり鉢の底まで行ってみようと、行きは下りだからと歩いていくことにした。
最後のロープウェイの所までは道は比較的明瞭だったが、すり鉢の底に降りる部分が道が見つからず、かなり迂回してみたが下降は不可能と判断してロープウェイを利用することにした。ロープウェイができる前までは道はあったのだろうが、ロープウェイができてからは廃れてしまったのだろう。
ロープウェイの終点まで降りたが、底まではまだかなり歩かなければならなかった。他所の土地では山の手が高級住宅地で、下町は庶民の住宅地というのが普通だが、ラバスは空気が薄いので底の部分に金持ちが住んでいるとは聞いていたが、確かに上の部分では見られない高層アパートはちらほらあったが、高級住宅地というイメージではなかった。道はいつまで経っても下っていき底の部分には辿り着けなかったが、完全なすり鉢になっているわけではなく、一箇所だけ切れ目があってそこから川が流れ出していることがわかったので、川まで降りた時点で引き返すことにした。
ロープウェイを利用して市内に戻ってから、近くの中華料理店(とグーグルマップにはでていた)にいってみるが、メニューは若干のバリエーションはあるものの基本的には単一で、中国人が知ったら怒りそうな内容である。量も半端でなく多く半分ほどは残してしまった(美味しければもうちょっと食べたんだろうが)。
3月20日
今日は天候もまずまずだったので、ラパスの北側に位置するワイナポトシという山と南側に位置するイリマニという山の両方が見られる展望台に上がることを予定していた。特に前者は18年前に登ったところだけに懐かしく、ぜひ見たいと思った。最初はタクシーで行くつもりだだったが距離を測ってみると2キロちょっとしかないので、これなら歩いても行けると考えて歩くことにした。
展望台に向かって歩きだすと、展望台方向の道はどこも車の進入が規制されている。なにかと思ったら市内の複数の高校(多分)の生徒たちによる音楽パレードが行われるためである。タクシーを利用していたらかなりの遠回りを余儀なくされていただろう。歩き出すにつれて傾斜がきつくなってくるが、それにしても足の疲労が半端ではない、これも高所に弱くなった現れだろうか。また途中で何度も犬に吠えられ、今にも飛びかかられそうになってヒヤリとさせられた。狂犬病の予防接種をしていなかったら、戦々恐々だっただろう。
展望台に着いてみると、頭上は晴れているのにまわりの山は雲に隠れて見ることはできずに残念だった。来た道を戻るつもりだだったが、すぐ近くにロープウェイの駅があり、そこから昨日も行ったすり鉢の底近くまで行けるので、来た道を戻るよりも大分時間短縮ができそうであった。すり鉢の底近くの駅まで下りて、ネットに出ていた月の谷方面に行くバスの番号のバスが来るのをまったが、やって来るのは違う番号のバスばかりであった。
時間も昼時であったため、少し先のレストランでランチを食べることにした。メニューはスペイン語でしか表示されてないので、わかるのはサンドイッチとビザだけだったか、サンドイッチはしばらく食べてなかったように思ったのでサンドイッチを注文し、飲み物はアイスコーヒーとした。しばらくして運ばれたサンドイッチはつけ合わせのサラダとともに凄い量だったしアイスコーヒーがなかなか来ないので忘れられているのかと思ったら、店員が氷が入った袋を持って来たので他所に買いに行ったようで間もなくアイスコーヒーは運ばれてきた。サンドイッチ自体の味はまずまずで、ラパスに来て初めてまともな物を食べた気がした。ただ量が半端でなく食べきれないので、残りは持ち帰ることにした。
レストランで食事中も通過するバスの番号をチェックしていたが、一向にネットに出ていた番号のバスは通らないので平行している別の道を通過しているのかもしれないと思いタクシーで行くことにした。こちらのタクシー料金はメーターではなく事前交渉が必要とのことで聞いてみると700円弱とのことである。距離からするとちょった高いかなとは思ったが、日本の初乗り料金とほぼ同額ということもあり、面倒な料金交渉はせずに乗車することにした。
月の谷への道は前日の記述ですり鉢には1箇所出口があると書いたが、その口を進んで途中から対岸の道を登って月の谷に着くと、ツアーバスが何台も停まっていて人気の観光地のようであった。
先日のアタカマ砂漠でも同名の地をツアーで行ったが、それと比べるとこちらはこじんまりした箱庭的な景観であった。ひととおり見終わったので帰るることにしたが、還りのバスの時刻がわからないのでしばらく待ったが、時刻も運転間隔もわからないため途中で次のバス停まであるいた。
次のバス停に着く前にそれと覚しきバス(番号は違っていたが)に抜かれたが、やむを得ないと割り切り、次のバス停で待つことにした。次のバス停に着く前に雨が降出し、雷も加わってほしい豪雨の様相を呈してきた。30分ほと雨宿りして少し小降りになったように思われたので、歩きだすとまた雨足が強くなり、雷も活発になってきた。この程度の雨は経験済みだが、急峻な地形のため道路を滝のように水が流れるのには参ったし、橋を渡っている時に上流から高波のように激流が押し寄せて来た時は一瞬たじろいでしまった。
やっとのことでロープウェイの駅に着いてみると、豪雨のためにロープウェイは運転を停止していたので、運転再開を駅前で待つこととなった。その間に着替えを行ったが、ザックの中に入れてあった着替えがほとんど濡れてなかったのはラッキーであった。運転再開後はロープウェイを乗り継いで最寄り駅で下車して宿に向かった。宿に着くとすぐにセーターを一番下に着込んで風邪をひかないようにした。また昼食の残りで夕食も足りそうなので食を求めて外出する面倒もなかったのはラッキーであった。
3月末21日
朝5時半に宿を出てターミナルに向かうが、ズボンと靴は前日の雨でねれたままでほとんど乾いていない。その代わり、砂漠を歩いてついてしまった砂や塩湖を歩いていてついた長靴から上の部分の塩はきれいに洗い流してくれていた。。ネットではチチカカ湖畔のコパクバナル行きのバスは7時半と8時発のものしか出てなかったが、7時発のものもあることがわかり、それに乗ることにした。恐らくネットでも把握できない零細業者のものなのだろうが、太陽の島に向かうフェリーの時刻がネットでも把握できない以上は少しでも早く現地に着いておいた方が安心できるからである。もっとも距離当りの運賃が先日のウユニからの豪華バスの半額なので全然期待はしていなかったが、実際のバスを見てそのオンボロ加減に驚いたが、まあ4時間程度のことだから我慢することとしようと思った。
出発するた前の座席の人からニーハオと挨拶される。ハポンだと訂正したが、そんなに間違われるほど中国人がたくさん来るなら、中華料理店もなんとかしてほしいものである。出発時点ではがら空きだったが、すり鉢のてっぺんの町まで来たらどっと乗り込んできて、ほぼ満席になった。しばらくすると、前日は見られなかったワイナポトシがくっきりと見られて目を楽しませてくれた。それから先は単調な景色が続くのであるが、世界一高い所にあるチチカカ湖と繋がった湖が左手に見えてきて、対岸に向かって高度が下がっていく。
対岸との間は海峡(正確には湖峡か)となっているので、そこには橋がかかっているのだろうと思ったら、橋はなくフェリーで渡るのだときづいた、たしかにフェリーというよりははしけと呼ぶ方がふさわしい船が何艘も岸辺に並んでいる。こんな小さな「フェリー」でバスに乗ったまま対岸まで移動するのは初めてだ。バス一台と一般車一台が乗ったらもういっぱいになる。エンジンはついているものの、岸から離れる時は船頭が長い棒で岸を押しているようである。こんな小さな船で大丈夫なのかと心配にはなったが、これで毎日運行しているのだから大丈夫なのだろう。
フェリーへの乗船の待機と両岸でかなりの乗客の乗り降りがあったのでかなり時間を要してコパクバナルまでの乗車予定時間4時間はかなり超過しそうであった。実際は30分遅れの11時半にコパクバナルに到着し、すぐに岸辺に下りて行った。岸辺ではなにかのお祭りらしく、民族衣装を着た男女が音楽に合わせて行進して行く。行進の合間をぬってむこう側の太陽の島行きのフェリーの切符売り場まで行くと、次のフェリーは13時半で本日の最終だという。だいぶ時間があるので、また行進を横切ってレストランに入って二階から42年振りのチチカカ湖を眺めながら名物のニジマス料理を食べることにしたが、焼き魚は南米に来てから初めてかもしれない。行進はエンドレスかのように続くので、ひょっとして同じ人間が何回も行進しているのではないかと思って、特定の人間がまた通らないかを見守ったが、確認が取れない間に行進は終了した。
発車10分前に切符売り場に行き、指示された船着き場から太陽の島行きの船に乗り込む。しばらくしてから「日本人ですか」と若者に声をかけられる。カラファテからウシュアイアにかけては同年輩の日本人に何人かあったものだが、ウシュアイア以降は出会う日本人は若者ばかりである。その若者はラバスに一ヶ月ほど滞在していて最初は高度障害でダウンしていたそうだが、それにしても回復後は何をしていたのだろうか?彼は島の一番手前の船着き場で降りて、島には泊まらずに最終便でコパクバナルに戻って一泊してからラパスに戻るそうだ。
私は終点の船着き場から下船して今晩の宿に向かう。船着き場からいきなり急登が始まりなかなか苦しいが、30分ほどでホテルに着く。ホテルは東湖岸が一望できる位置にあり、正面にペルーアンデスの峰々が眺められて美しい。このホテルにはレストランはないので、もう少し上まで登って西湖岸が眺められるレストランで夕食をとりながらサンセットを眺めるつもりであった。残念ながら水平線に雲があってサンセットは見られなかったが、優雅な気分を楽しめた。
3月22日
ペルーアンデス方面からの日の出を期待したのだが、夜中から雷鳴を伴う悪天が続いてかなわなかった。朝食はなかなかの内容でこれが含まれて1泊3400円などというのはチリやアルゼンチンでは考えられない料金である。食後は部屋に戻って荷物の整理をしてチェックアウトを行い船着場に向かう。
港にはコパカバーナ行きの船に乗り込む人がかなりまっている。予定通り10時半に出航したが、行きはかなりの空席があったのに対して帰りはぎゅぎゆう詰めである。つぎの11時の便ならば、もう少し空いているのかもしれないが、なにがあるかわからないので、乗れるうちに乗っておくのが望ましい。
船底のような席で立ち上がらないと外が見えないが、ブログ書きをしていると、なんとか退屈せずにコパカバーナに着くことができた。上陸するとすぐにラパス行きのチケットを購入。発車までは2時間近くあったので、レストランに入る。WIFIも使えるし、今までなかなかお目にかかれなかったスパゲッティも食べられたので(ただし、味は今ひとつ)、出発間際まで滞在する。
ほぼ定刻に出発して順調にフェリーの乗り場まで来た時に予期せぬできごとが起きる。全員にバスを降りるよう指示がでたのである。本日は波が高くて(そのようには見えないが)乗客を乗せたままでは危険と判断されたのかどうか理由は不明であるが、このような時は無理して合理性を求めるよりは、まわりの流れを読んで、その流れに身を任せるのが一番であると思うようになってきた。
降ろされた乗客はモーターボーの券を買わされて、乗客なしでフェリーで先行するバスを追いかけることになったが、幸い対岸に着くとバスは我々を待ってくれていて、全員乗車後は何もなかったかのように一路ラパスに向かって走って行った。
順調に進んで行ったので、この分ではラパスにかなり早く着くかなと思われたが、ラパスに近づくに連れて渋滞が激しくなって走るのと停まっているのと同じくらいになってきた。その代わりに街の様子をじっくり眺めることができ、従来言われてきたようなすり鉢の底には金持ちが住み、てっぺんには庶民が住んでいるというのは必ずしも当たってないように思われた。何故ならば底の部分は開発の余地が乏しいのに対しててっぺんの部分は無限の発展可能性を秘めているからである。この傾向に拍車をかけているのが2014年以降に各地に張り巡らされたロープウェイである。確かに底に住んでいる金持ちも多いのかもしれないが、その傾向は徐々に薄れていくだろう。何しろ標高差で800メートルの差があるだけだから、慣れてしまえば行動能力にそれほどの差が出るとま思えないのであるし
また車中から18年前に登ったワイナポトシの姿がじっくりと望めたのも渋滞のおかげである。数日前にワイナポトシとイリマニの展望台に上がりながら雲に遮られて展望が得られなかったことのリベンジがワイナポトシに関しては果たせたことはラッキーであった。
宿にはほぼ予定どおりの6時半には着いたが、ランチの量が多かったせいか全く食欲がなく、ビールだけで済ませてしまった。ボリビア滞在が実質的には翌日1日だけなのに対してボリビア通貨の手持ちがかなりあり、できるだけ通貨を使いたいところではあったが。まあ明日1日あるので、他に予定はないことでもあるし、消費に頑張ってみるし、最悪の場合はレートは悪いかもしれないが、チリペソやUSドルへの両替の道も残されているのだから
3月23日
実質的なラパス最終日ということで、朝食後にドミトリーを出て三つ星ホテルに移動することになるが、チェックインまでには時間があるので市内観光地に出かける。今日は快晴で先日見られなかったイリマニ山もはっきりと見えるので、後でロープウェイで展望台にでも上がってみようと思ったりした。人通りがほとんどなく警官がやたらに多いなとは思ったが、まだ異変には気付いていなかった。
夜にでも行こうと思ったラーメン屋の下見をしようと店の前まで来た時に後ろから来た警察の車に乗せられ宿泊予定のホテルを聞かれて連行される。静まりかえった街を見て外出禁止になっていることはわかったが、軍隊は出てないので戒厳令でないことは想像できた。ホテルに入ると午前中であるにもかかわらずチェックインはできた。ホテルには次々と客が入って来てロビーも客でいっぱいになる。外出禁止の理由をフロントで聞こうと思ったが、客の対応で忙しそうだったし、たとえ英語が通じても理解できない可能性が高いので、ネットで日本大使館のサイトを見てみることにした。すると、国勢調査のために本日は終日外出禁止となっていることがわかった。念のために明日の出国は可能かどうかを領事宛にメールしておいた。
外出禁止のために外に食事に出られず、せっかく今日行くつもりであったラーメン屋とカレー屋に行くことはできなくなったが、ホテルにレストランはあるので食いっぱぐれることはなさそうだ。本日の昼食は昨日に続いてのパスタとなった。ラーメンやカレーはサンチャゴに着いてからのお楽しみにとっておこう。大使館からの返信も来て、明日の出国には問題がないとの回答でホッとして明朝のタクシーの予約もフロントに頼んでおく。
この後もホテルでの滞在は今しばらくは続くが、なにも起きそうにないのでブログは一応更新することにしよう。
| 固定リンク
「旅行」カテゴリの記事
- ベトナム旅行記(後半)(2025.01.22)
- ベトナム旅行記(前半)(2025.01.18)
- 小樽からの帰京(2024.07.16)
- 釧路から旭川への移動(2024.07.15)
- ひたち海浜公園 はとバスツアー(2024.04.25)
「海外」カテゴリの記事
- ベトナム旅行記(後半)(2025.01.22)
- ロサンゼルス滞在と帰国(2024.04.13)
- アメリカ大陸横断後半戦(2024.04.10)
- アメリカ大陸横断前半戦(2024.04.07)
- ボストン(2024.04.04)
コメント