サンティアゴ滞在記
3月10日
ブエノスアイレスからサンチャゴに向かうフライトはチリとの国境手前でアコンカグアを間近に見ることができる。アコンカグアはパタゴニアや南極に向かう途中にあるから登ってみようかと思っただけで、さして思入れのある山ではないが、途中で断念しただけに目前にすると複雑な気持ちは否定できない。
アンデス山脈を越えるとサンチャゴ目指して機体は下降を始める。サンチャゴ空港はアコンカグアの登山口となるメンドーサへの乗り継ぎで一度来たことはあるのだが、空港の外には出てないので実質的には初めてのようなものである。前に来た時は空港のATMでお試しにキャッシングを少額してみたら、ほぼ同額の手数料を取られてキャッシング拒否症になってしまったが、まとまった金額をキャッシングすれば手数料の負担感はそれほどではないはずなので、前にキャッシングしたATMでキャッシングしようとしたがカードが入らない。何回やってもだめなので、諦めて明日にでも市内で行うことにした。チリペソについては多少の現金は持っているので、特に空港でキャッシングする必要もなかったのだが
空港から市内に向かうにはタクシー、ミニバス、空港バスのいずれかになり、ブエノスアイレスのように路線バスはないが、タクシーがのさばっていて、空港バスの乗り場は国際線のターミナルにはなく、少し離れた国内線のターミナルまで歩かないとないことは、ガイドブックを見ても書いてないのである。地球の歩き方の読者のほとんどはツアー利用者でツアー会社の迎えの車に乗るからなのだろうか
バスのチケットを買う時に「・・・だけどいいか」のように聞かれたが、わからなかったのでそのまま乗車すると、市内中心まで行くと思ったバスはかなり手前で終点となってしまった。一瞬焦ったか、地下鉄駅に接続していることがわかったので、地下鉄で行くことにした。ブエノスアイレスと同様に交通カードシステムを採用していたが、ブエノスアイレスで経験済みなので、問題はなかった。
地下鉄で下車した駅から今晩の宿までは至近距離だったが、手続きを済ませてドミトリーの部屋に通されると、なかなか清潔そうな感じであった。無事にサンチャゴに着いたお祝いに祝杯をあげたが、空港でサンドイッチを食べてきているので、とてもフルサイズのピザは食べられないと思って、ビールのみで我慢してドミトリーに戻った。
3月11日
本日の最大の目的はATMでチリペソをある程度キャッシングしておくことである。南極クルーズの申込みで手持ちのドルをほとんど使い果たしてしまっているので、ボリビア通貨とも交換可能なチリペソの必要性は高いし、余ってもチリに戻ってから使えるので無駄にはならない。宿の近くのATMをグーグルマップで調べて保存しておいた。ところが、ATM自体の場所は大体はわかったのだが、画面の表示がアルゼンチンのそれと違ってスペイン語表記のものばかりで、英語表記を選択できる画面がみあたらないのである。
昼食後に宿に戻り、サンチャゴのATMの表示についてネットでなにか情報が得られるか検索してみたが特に役に立つ情報はなかったので、午後はATMの画面に表示されたスペイン語を翻訳してみるしかないと思った。だが、画面は一定時間たつと切り替ってしまうのでなかなかうまく翻訳できない。かと言って、何回もエラーを繰り返すとカードが使用できなくなったり、最悪の場合は吸い込まれたままで戻って来なくなるということも聞いたので、何度も処理を繰り返すわけにはいかない、そこで思いついたのは画面をスマホで撮影して、それをゆっくりと翻訳することだった。そして隣の喫茶店で翻訳をしていったが、きなかなか解決につながるような言葉はでてかなかった、ところが最後に外国人という文字を見つけたので、これだと思ってATMの所に戻って外国人の文字をクリックすると、英語が選択できるようになってキャッシングにようやく成功したのだった。
これでウユニ塩湖に行けるメドがようやく立ったので、フライトや宿泊で予約可能なものは予約して出発に備えることにして、夕食はスーパーで買ったビールとつまみで軽くすました。
3月12日
今日は夜に空港に着けばよいし、宿のチェックアウトも12時なのでゆっくりと起き出す。今日はキャッシングの追加をちょっとするぐらいしかやるべきことはないし、キャッシングのやり方は昨日わかったので問題はない。ウシュアイア以来、連日慌ただしかったり緊張したりの連続で、こんなにのんびりできたことはない。
午後には宿を出て近くの露店で地元の食べ物を注文しようと思ったらアメリカンドックしかなかったが、財布の小銭を減らしかったので注文する。その後、2枚のカードで引出し上限額を引出し、これでキャッシュ不足からは解放される。先程のアメリカンドックだけでは少し足りないので、歩行者天国のような所でランチを食べていると、少人数のデモ隊が現れて反対側の歩道で騒ぎ始めた。プラカードの文字をアプリで翻訳しようとしたができなかった。日常生活では使われない政治用語だからかもしれない。ところが、その中にガルシアという文字があった。ガルシアと言えばチリの軍事政権の終焉を描いた映画の主演俳優のことかもしれないし、それに関連した行動なのかもしれない(うがち過ぎかな)。
昼食後にいくつかの観光名所を見てからモネダ宮殿にむかった。ここは先程も述べた軍事政権が50年ほど前に南米初の社会主義政権のアジェンダ大統領に対してクーデターを起こして双方の激戦が行われた所である(現在の建物はもちろん再建されたものである)。今回の旅は自然を対象としたものがほとんどで、他の歴史的遺産としてはマゼラン海峡を前にしたマゼラン像くらいしかないが、歴史好きな自分としては、ここで歴史的遺産と巡り会えたことは喜ばしいことである。
その後は地下鉄とバスを乗り継いで空港に向かう。コロナ以前はサンティアゴからアタカマまで丸一日かけて行くバスがあったらしいが、今は乗り継がないとならないので時間がかかり過ぎるため、アタカマの近くにあるカラマまで飛行機で行き、そこから1時間ちょっとのバスでアタカマに向かうことにしたのだ。カラマまでのフライトは1日何便かあって早朝の便は他の半額ほどになるので魅力的だが、それに間に合うために空港で近くのホテルに泊まらなければならないと思われ、その場合のホテル代が高ければフライト代の安さを帳消しにしてしまうので、どうしたものかと思ってたところ、ネットでこれを解決する情報を見つけたのだ。
それは国内線ではあるが、プライオリティカードで朝までいられるラウンジが利用できるというのだ。ラウンジは通常はセキュリティを過ぎた所にあるので、まずはチェックインをしなければいけない。空港に着いたのは出発の14時間も前で、こんな前ではチェックインは無理だろうと思ったが、ダメ元でやってみたらなんとチェックインができて搭乗券をもらえてしまった。だが、さすがにセキュリティはまだ早すぎると思って出発12時間前になってからセキュリティ場に向うと、案の定、係員に明日のフライトだからまだダメだと言われる。それなら何時からならばいいのかと聞くと、そういうルールはないようで係員は回答に窮してしまい、通っても良いと言わせてしまった。これで堂々とラウンジに入れることになったが、場所がなかなかわかりにくいところでネットを読んでなかったら辿り着けなかったかもしれない。
多くのラウンジは3時間程度の制限があるのだが、入る時に何も時間のことは言われなかったので多分朝までいられるのだろう。飲食の内容は大したことはないが、アルコールもOKだし飲食はテーブル席で行った後に奥の席に移動すると、足置きのある椅子も用意されているので仮眠も可能なのである。これで2食代と一泊の宿泊費が節約できることになる。たいした金額ではないが、長期の旅ではありがたいことである。
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