« イースター島 | トップページ | アメリカ入国とニューヨーク市内観光 »

2024年4月 1日 (月)

さらばチリよ、南米よ

3月28日

イースター島を飛び立った飛行機はほぼ定刻どおりにサンティアゴ空港に着陸した。これでニヶ月半近くに及んだ南米・南極の行程は全て終了し、後は北米に移動するだけとなった。この間、病気も事故もなく終えることができたことをまずは感謝したい。あす、明後日と2日間は完全にフリーなので、土産物を買ったりして過ごすことになるだろうか。最初はアルゼンチンとの国境を越えてブエノスアイレスからサンティアゴまでを陸路で踏破したことにしようかなとも思ったが、陸路での国境越えはなかなか大変であり、それを1日に二回も行うのは精神的負担が大きいので、止めるこおにした。

空港バスを降りて地下鉄を探して街中を歩いていると、ブエノスアイレスもそうだが、犬に吠えられることがないのが何よりたすかる。もっとも同じ首都でもラパスはそういうわけにはいかないが。ブエノスアイレスとサンティアゴはいずれも長く滞在した街である。ブエノスアイレスは南米のパリと言われているが、私にとっては、サンティアゴの方が洗練されたされているように思える。ただサンティアゴで困るのは、地下鉄の入口と出口が完全に別になっていることである。その結果、サンティアゴで地下鉄の入口を探すのにえらく苦労することになる。一方、ブエノスアイレスで困るのはバス専用レーンがある所では道幅が広くなっているため、青信号を一回で渡るのは至難の業となってしまうことである。一方、両国に比べて経済的に遅れているボリビアの首都ラパスは坂が多くて大変であるが、ひとついい点は公衆便所があちこちにあるてんである。旅行者にとっては非常に助かる点である。

3月29日

今日は土産を買いに行った。嵩張らず軽いものに絞って買ったが、アルゼンチンでマテ茶を買いそこねたのは返す返すも残念である。一度、宿に戻ってメールをチェックしていたら、ニューヨークまで乗る航空会社から入国に際してはアメリカ政府に対してつぎつぎの書類を提出しなければならないとのことで、その中で、ニューヨークでの宿の住所だけでなく、郵便番号はも記載しなければいけなくなっていた。住所は予約確認のメールに書いてあるのでわかるが、郵便番号はわからないので宿にメールで問い合わせたが、明日中に返事がなければ、自分で調べるか適当に書いてしまおうか?未提出のために入国拒否にでもなったらたまらないし。ESTA申請さへしてあれば、大丈夫だと思ってたのに

夜は先日行った和食店で昨夜しそこなったイースター島の慰労会をするつもりだったが(南米・南極の慰労会は明日の最終日のつもり)、お休みだったので近くの洋食店(というのも妙なネーミングだが)に変更となった。歩道に並べられたテーブルからサンティアゴの街を眺めながら海鮮料理を食べビールを飲んで、雨にも負けず犬にも負けずにイースター島から無事に帰ってこられたことを喜んだ。

3月30日

コロナワクチン接種証明に代わるアメリカ在住時の連絡先に関する情報提供が航空会社を通して義務付けられたようだが、その書類の入力に不足があるのか、航空会社に送ることができないので、最悪の場合は入国拒否となってしまうかなと考えたり(ワクチン接種証明は持っているんだけど、それじゃダメだろうな)、入手拒否されたらカナダのオタワあたりにでも行ってしまおうかなと思ったりもしたが、カナダの場合もいろいろやっかいなことがえるようなので、サンティアゴから一気に帰国してしまおうかなどと考えて悶々としていたが、なにかの拍子に航空会社で書類が受け付けられて、「」の文字が出たので、それをスクリーンショットにとって保存し、無事アメリカに入国できる見通しが立った。

その後はドミトリーをチェックアクトして予約してあるホテルに向かうことになるが、今まではドミトリーや安いホテルばかりに泊まっていたが、今晩は四ツ星のヒルトンホテルである。別に南米最後の夜だから贅沢しようと思ったわけではなく、手洗いできない分厚いものを洗うためにランドリーのある所を探していたら、結果的にそうなっただけである。

ところが何たることか、ランドリーはないというではないか、日本語表示のランドリーのあるホテルの検索画面を見せてもしょうがないので諦めたが、代わりにランドリーがあると教えてくれた場所に行ってみたが、巨大なショッピングモールであり、この中で探すのは不可能だと諦める。それにたとえあったとしても、洗濯屋である可能性も高いという気がする。まあ手洗いできないものは洗わなくてもどうということはないのだが

その後は土産物屋が多数集まっている繁華街にでかける。お目当てはラビスラズリである。この青い石はアフガニスタンと並んでチリが特産地とされている。古来、金よりも高く評価されたそうで、シルクロードを語る時、必ず出てくる特産品である。ただ偽物も多いそうで、自分にはとてもそんな審美眼はないので、偽物をつかまされてもやむを得ないと思っている。余りそうだったチリ通貨もなんとか消費できて、これで安心してアメリカに飛び立つことができることになった。

南米最後の晩餐は和食でと思っていたのだが、近くにある和食店2軒かいずれも土曜の夜は営業休止といくことで、地元以外の料理で近くで食べられるのはインド料理しかないので、先日に引き続きインド料理を食べることになった。ただ先日よりもちよっと高級な店で、今度はナンも注文した。

3月31日

5時起きをするつもりだったのに目が覚めたのは6時を過ぎていた。慌てて支度しチェックアウトをして地下鉄駅に向かう。ところが、地下へ降りる駅の入口は道の両側にある二つとも閉鎖されているではないか。始発はもう出ているはずなのだやむを得ず、タクシーで行くことにしたが、チリペソの手持ちは4万5千ペソ程度で、昨日ホテルまでタクシーに乗った距離と料金から考えると、空港までは、3万ペソくらいだろうから十分足りると判断してタクシーを止めて料金を、聞くと、やはり3万ペソという返事が返ってきた。

空港に着いて電光掲示板を観ると、私が乗るはずの午前中のフライトが掲示されてない。びっくりして、紙に印刷してあったeチケットを確認すると、私としたことが何たることか、夜の便を午前中の便と間違えるという大失態をしてしまった。まあ逆でなくてよかったけれど。最近予約したやつはネットからダウンロードして紙に印刷してないので、画面でよく見ていたが、今日のフライトはだいぶ前に予約して紙にも印刷してあったので、誤って記憶したままで、確認することを怠っていたのである。

地元の航空会社であれば、早い時間からチェックインができるので、保安検査を終えてしまえばラウンジに入れるのだが、今回はそうでないので、出発の四時間前にならないとチェックインができず、そのため通常の席での待ち時間が非常に長くなってしまうが、その間に北米横断の詳細を検討しようと思った。南米については事前にある程度は計画を詰めていたが、北米はほとんど手つかずだったからである。

北米横断計画な詳細は後日報告することとして、南米旅行の報告はひとまず終わりたい。旅行そのものについてはあまりに多くのことがあり過ぎて、今は何を書いていいのかわからないが、無事に終えられたことを妻と健康に感謝したい。

 

 

|

« イースター島 | トップページ | アメリカ入国とニューヨーク市内観光 »

旅行」カテゴリの記事

海外」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« イースター島 | トップページ | アメリカ入国とニューヨーク市内観光 »