« サンティアゴ滞在記 | トップページ | ボリビア北部滞在記 »

2024年3月18日 (月)

アタカマ、ウユニ

3月12日

飲食後に奥の足置きのある席に移った時はまだ誰も座っておらず、このまま朝まで眠っていられれるはずだった。ところが、イースター島のフライトのことが気になって調べてみると、確かに3月下旬にはピーク時よりもかなり料金は下がるが、ウユニから戻って以降だと、イースター島からの帰りの便が4月になってからでないと空きはないことがわかり、どうしたものかと考えていたら目が冴えて眠れなくなってしまった。一方、このラウンジは二階にあるが、下の一般待合室を見下ろすと、さほど混んでなくて2つの座席を繋げて横になって眠れることに気づくが、ラウンジの方はそれぞれが独立した座席なので完全に横にはなれない。これならラウンジを出て下に行った方が眠れるんじゃないかと思われ、意地汚いことではとるが、ラウンジで早めの朝食を取ってから下こ階に移動する。

今度こそ寝れるぞと思ったら、カラマの空港からはアタカマ行きのバスは出ておらず、カラマの町からならばバスは出ているが、バス会社ごとにバス停が違っていて、どのバス停に行っていいかがわからない。おまけにカラマは治安が良くないので明るいうちとはいえ、あまりうろうろしたくない所らしいことがわかると少し不安になって眠れなくなってしまった。

ほとんど寝ないままカラマ行きの飛行機に乗り込み、うつらうつらしながらカラマの空港に着く。最初はカラマの町まではタクシーのつもりで、苦手な値段交渉を覚悟していたら、アタカマと書いてある紙を持った客引きを見つけたので値段を聞いてみる。一万円くらいまでは覚悟していたのだが、なんと二千円ちょっとということだしカード払いできるということだったので、すぐに飛びついた。

運転手にマイクロバスまで案内されると、すでに5、6人は乗っており、私の後に二人連れが乗り込むとすぐに出発したのでほとんど待つこともなかった。案ずるよりうむはやすしであった。あとはアタカマに着いてからのアタカマとウユニまでのツアー選びが残されている。道は砂漠の中を一路アタカマへと辿っていく。

アタカマに着いた第一印象は「町でなく村だ」である。南米の他の観光地であるカラファテやウシュアイアに比べての大きな違いは道が舗装されてない、大きな建物がなく造りも貧相である等、ネパールのトレッキング街道を思わせるものであった。その一角で遅い朝食をとってから予約した宿に行き手続きをする。久しぶりに相部屋でない個室となる。WiFiの設定をしてメールのチェックをしてから旅行代理店にツアーの申込みにいく。

まずはアタカマのツアーとしては、死の谷、月の谷の半日ツアーを申込み、次にウユニ塩湖までの3日間のツアーバスの申込みもおこなった。後者がこんなんに簡単に申込み手続きが終わるとは思わなかった。空席待ちとなることも考えて日程の余裕もみていたのだが、スムーズに行き過ぎたので、余った日程をどう消化するかも考えなければならなくなった。なお、アタカマにもウユニに次ぐ規模の塩湖があって半日ツアーの対象となっているが、世界一の塩湖を見る前に二番煎じのような所へわざわざ行く必要もないので省略することとにして、代わりに休養。

ツアーの開始は3時半なので、その前に遅い昼食をとるとにした。ピザ屋があったので、久しぶりにピザを食べたくなって、メニューにミックスなんとかと書いてあるものを注文した。ミックス以外の文字は読めなかったが、きっといろいろな種類のピザが交じっているのだろうと思ってた。

しばらくして料理が運ばれてきて、目が点になってしまった。なんと大盛りのサラダが運ばれてくるではないか。ミックスなんとかという料理はメニューの最初の方ではなく、後の方の飲物の上に書いてあるのでサラダの中の一つの料理だったのだ。仕方がないのでベジタリアンになったつもりで食べたが、以外とボリューム感があり、これだけでお腹がいっぱいになってしまった。

4時前から月の谷のツアーに参加する。アタカマの町を11人くらいの参加者がマイクロバスに乗って郊外の砂漠地帯を通ってゆくと月面を思わせる異様な岩が多数現れる場所にでる。

あたりには何箇所も展望台があって急坂を上り下りするので靴の中は砂だらけになってしまったが、靴下を履いていかなくて正解だった。一通り見終わってサンセットまでな待ち時間を利用して、マイクロバスの横にテーブルがセットされて酒とつまみが置かれたミニバーの登場である。新婚旅行のペルー以来となるピスコサワーも飲むことができた。ひととおり腹を充たした後、夕陽の展望台として有名な場所まで車で上がって沈みゆく夕陽を眺め、完全に日没となったところで車に戻り、しばらく下るとアタカマの町に帰ってツアーは終了となる。






3月14日

今日は1日休養日ということでゆっくりと寝て、昼前に起き出して町にでる。昨日食べそこねたピザを食べるために昨日の店を探したがわからず他の店に入る。今度は間違えないようにメニューでしっかり確認してマルガリータを注文する。やがて運ばれてきたピザは2人分ではないかと思われるほど大きかったが、朝食を食べてなかったので、しっかり食べられた。

その後は町をぶらついてから宿に戻り、昼寝をして外が少し涼しくなってからまた町に出かけた。ビールを買って宿に帰ってから飲もうと思ったが、どの店にも売ってない。多分、アタカマではアルコールは外で飲むもので家庭には持ち込まないというルールがあるようだ。どうしたものかと思っていたら、INCA COLAというのを見つけて買ってきた。これはペルーに新婚旅行に来た時にCMでよく聞いたので懐かしかった。


3月15日

6時半に迎えのマイクロバスがくる。私の宿は町の外れにあるので、中心部から乗り込んできた人たちで車はすでに十数人が乗っていた。後部座席はまだ空いてたのでそこに陣取る。乗客はほとんどが地元の人のようだ。町を外れて三十分ほどすると、チリのイミグレに着くが、イミグレが開くまでしばらく待たされる。

やがてイミグレが開くと手続き自体は簡単に終わり、ボリビア側イミグレへ進む。なお、この地点の標高4630メートルがこのツアーの最高標高となるかもしれない(実際はさらに数百メートル高いところがあったが)。しばらく進むとボリビアのイミグレとなるが、こちらでも事務所があくまでしばらく待たされる。こちらの手続きも簡単に終わるが、すぐには出発せず車の前にテーブルが置かれてその上に朝食が並べられる。朝食が食べ終わって、いよいよボリビア側のツアーが始まることになるが、ここでマイクロバスを降りてジープ2台に分かれることになる。結局、国境付近の標高4500前後の地点に2時間強も滞在したことになる。

ジープに乗換えたわけはすぐにわかった。マイクロバスでは通行が困難な悪路だからである。グレートジャーニーで関野さんがボリビアを通過した時の記述で「ボリビアでは車を走らせるために道を作るのではなく、車の走った跡(轍)が道になる」という部分があるが、20年経っても状況は変わってないようである。

イミグレを過ぎてしばらくすると公園の入園手続きがあるが、これが難題だった。まずはQRコードで申請フォームをダウンロードする必要があるが、WiFiのサービスがないのでダウンロードができないというピンチに陥った。同じ車に乗っていた人でモバイルWiFiを持っている人がいたので、それを借りてダウンロードだけはできたが、入力する内容がパスポート情報はだけにとどまらず旅行社名や車のナンバーまで書かせる。その度に運転手を掴まえて聞き出してなんとか全ての欄を埋めて終了しようとしたところ、どこかに入力不備があるのか先に進めない。弱ってしまって運転手に助けを求めると窓口に連れて行かれる。

窓口は二つあって、右側はダウンロードした申請フォームに入力した内容を見せて手続きをるということで大勢が行列しているが、左側には誰も並んでいない。そちらに連れて行かれてパスポートを提出すると、係員はパスポートを見ながら必要事項を入力して手続き終了となった。右側の係員は入力作業なしに処理できるが、私のようにそれに対応できない人のために左の窓口も用意してあるのだろう。さだめし私はデジタル音痴の人間だと思われただろう。

公園の入園料3000円強を払っていよいよ公園を進んでいくと、しばらくして温泉が見えてくる。初日に温泉があることはネットの情報で知っていたので、着替えしなくてすむように短パンを下に履いておいた。昨夜もシャワーを浴びたし、温泉も特別入りたいわけではないが、南極の冷たい水に飛び込むのはご免だが、温泉ならば話の種に入っておいてもいいだろう。

温泉の後は隣の建物で昼食をとり、この場所でかなりの時間を費やした。その後も間欠泉で撮影タイムをとった後、最後はフラミンゴの大群落がいる湖で大休止となった。カメラを車の上の荷物な中に入れてしまったため、スマホでは最大限に写してもフラミンゴは小さくしか写らないので、ビクーニャを前景にして移したりした。




最後はわずかの走りでホテルに着いたが、盛り沢山の1日であった。その代わり、1日の進んだ距離はあまり稼げなかったが、急ぐ旅でもないのでよしとしよう。

3月16日

本日はウユニを目指しての500キロほどのロングドライブである。スタートして間もなくして、奇岩が集まっている観光名所があったが、それから先は荒野を進むだけで、これといった見所はなかった。ただ午前中はボリビアアンデスの核心部の麓を行くので、雪に覆われたアンデスの峰々が見られて退屈しなかった。





午後になると道はアンデスを離れてしまうので退屈し、ウユニまであと何キロというのをスマホで表示させながら、なんとか退屈を紛らわした。ウユニの町近くになって町への道と離れて西の方に向かうので、このまま塩湖に行くのかと思ったら、そうでなくて機関車の廃墟を展示してある公園に立ち寄るためであった。

その晩は他の車に乗った人も交えてレストランでの会食があり、これまでの慰労と明日の塩湖訪問への期待を膨らませる場となった。

3月17日

5時出発ということで3時前からウトウトして5時前には玄関まで降りてみるが誰もいない。そのうちに何人かが降りてくるが、肝心の運転手がやってこない。どうもこちらの人は時間にルーズな人が多いようだ(後になってわかったことだが、ボリビア入国時に必要な1時間の時差修正を忘れていたのだ。文句を言ってごめんなさい)。(時差修正前の)6時近くになって運転手が現れるが、グーグルマップによると、塩湖まで2時間近くかかるようになっていたので、これでは日の出に間に合わないではないかと思ったが、その時はその時だと覚悟を決めた。

車は走り出して間もなく町を出て、あたりは真っ暗となる。しばらくすると車は停まって、他の車が運んできた長靴が配られた。するとそのすぐ先は湖で、車はタイヤの先を塩水に浸がら固い塩の地面を進んでいく。わずかな水位ではあるが、水の中を潜って進んでいくのは意外であった。てっきり塩面の上をそのまま進んで行くのだと思っていた。

塩湖を走るようになってからは自転車並みのスピードにダウンしたが、もう塩湖に達しているわけでグーグルマップの塩湖と表示されている地点まで行く必要もなくなったので、少し安心した。やがて東の空が薄明るくなった時に車は停車し、日の出を待つことになった。車の横にはテ
ーブルがセットされて、日の出とともにワインで乾杯が行われた。その後、少し先の塩のホテルで朝食をとる。




その後はパフォーマンス撮影タイムが続いたが、自分はそういうことは好きでないので、妻に頼まれた塩を取ったりしていた。ところが、岸辺に戻ると露店が立ち並んでいて、バックされた塩も200円程度で売ってたので買うことにした。

その後町に戻り昼食をとってからツアーは解散することになったのて、私は次の目的地であるラパスに向かうバスのきっぷを買うためにバスターミナルにむかったが、なかなか場所がわからずウロウロしてると、ネットで評判の良いバス会社の建物を見つけて、そこで翌日の夜行バスのきっぷを買うことができた。それから今夜の宿に向かったが、町外れにあり、途中で犬に何度も吠えられたりしながらたどり着くことができた。ホテル自体はなかなか設備は良く、なんと壁は塩でできていた!ただ近くにレストランはなかったので、近くのミニスーパーで買ったもので夕食は済ませてしまった。

3月18日

本日はラパス行きバスの発車場までに夜の8時半までに行くだけで、他に急ぎの用事はないので、ゆっくりと8時過ぎに食堂にむかう。するとまだ電気もついておらず、朝食付きとなっていた割には飲物とクラッカーが置いてあるだけのちょっと寂しい内容だった(まだ時差修正が必要なことに気づいていなかった)。しょうがないので、これで朝は済ませて昼にしっかりと食べようと思った。その後に何人かのグループがチェックインに訪れた時とほぼ同時に階下から係の人がパンとハムやジュースを持ってきたので多少は朝食らしくなった。もう一度食べ直して部屋にもどったが、部屋はハエが顔のまわりに飛んでくるので、うるさくてならない(寝ている間はフトンを頭から被っていた)。アルゼンチンやチリではハエや蚊は全くいなかったのに、ボリビアに入ると途端にハエに悩まされるのはボリビアの衛生状態を反映しているのだろうか?もっとも食堂にはハエはいなかったのを思い出して、出発の準備だけを済ませると出発するまでは食堂で待つことにした。

チェックアウトの旨を告げてフロントに鍵を返して外に出ると、後ろからホテルの人が追いかけてくる。支払がまだ済んでないということであった。昨日のチェックイン時に支払のことは何もいわれなかったのて、てっきりカード決済で支払は終わっているものだと思い込んでいたのだが、予約確認のメールを読み直してみると、支払は現地払いとなっていたので、ホテル代を現金で支払った。ホテルまで戻ればカード払もできたかれないが、面倒なので現金で払ってしまった。その結果、手元現金が寂しくなったので、キャッシングをすることにした。

昨日も行ったATMにまた行ってみる。昨日は閉店間際で後ろに行列もできていたので、ゆっくりと手続きをする余裕もなかったので、キャッシングは不調だったが、今日は落ち着いて手続きできたので、無事キャッシングができた。ただ上限額が500ボリビアーノ(一万円強)でその下にOTHERSという選択項目もあったので、もっと大きな金額もキャッシングできたのかもしれないが、とりあえずは今日はこれで足りるだろうと思った。

その後は市場を覗いたりしてたが、市場の裏の露店の店で牛丼っぽい(ただしだしはない)のを食べた、日本円で150円相当と安く、今回の旅行での最低食事代かもしれない。アルゼンチンやチリでは安く食べられる外食店が皆無だったが、ボリビアでは町のそこらじゅうにあるようだ。これから行くラパスも同じようなものだろうから、ラパスに長期滞在しても費用は嵩まないだろう。

ウユニでもうひとつ済ませておきたいことがあった。それはカミソリの購入だったが、なかなか売っているところが見つからず、外も暑かったので喫茶店に入って充電も兼ねながら1時間ばかり滞在してから、再びカミソリを探しに行くと、ようやく見つかった。前に買ったカミソリはウシュアイアで買ったもので、高級品しか売ってなかったが、こちらは普及品も売っており、私の趣味に合う町である。

その後は、道の真ん中が遊歩道になっている所で屋根のあるベンチの下で涼しい所でブログ書きをしてから、先ほど行った市場に戻って、市場の中の食堂で早めの夕食を食べることにした。ところが、食堂は午後の休みで1時間以上もまっても一向に開店する気配がないので、しびれを切らして、近くのチキン専門店に行ってしまった。

ウユニは物価も安く、インカの面影を残しているいい町であった。

 

 

 

 

|

« サンティアゴ滞在記 | トップページ | ボリビア北部滞在記 »

旅行」カテゴリの記事

海外」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« サンティアゴ滞在記 | トップページ | ボリビア北部滞在記 »