アメリカ大陸横断後半戦
4月7日
デンバーからグランドキャニオンの入口であるフラッグスタッフまでは直通はなくアルバカーキーで乗り換えるのであるが、昨日ターミナルで自動券売機で検索した際には、ネットではアルバーキーからフラッグスタッフ方面のバスは2時間ほどの待ち合わせで接続するようになっているにもかかわらず、フラッグスタッフ行きはないと表示されてしまう。どうも、この機械はおかしいようなので、とりあえずアルバーキーまでの切符だけでも買おうとターミナルに向かう。す
今日はちゃんとフラッグスタッフまで乗り継ぐ切符が表示されるのでまともな状態になったかなと思われたが、1枚目の切符が最後の所で尻切れトンボになって出てきて、2枚目は出てこなかった。画面にはエラーで印刷できない旨と予約番号が表示されていたので、その画面はスマホで写真をとっておいた。近くにいた係員にそれを見せるとOKだというので、このまま前進することにした。それにしても2日続きの不具合が起きる自販機に巡り合わせてしまったものだ。
バスの発車待ちの間にターミナルの上にあるアムトラック鉄道のデンバー駅の待合室で朝食をとったが、12年前にここからサンフランシスコに向かって列車に乗り込んだところである。やっとその時の思い出に巡り会えた気がした。朝食を終えて戻ってくると、バスは発車直前で危ないところであった。
12年前にデンバーを目指した時は、ロッキーの山岳地帯を登ってきたものだが、今回は一転してロッキーの山裾を通って平原地帯を進んで行く。バスは南に向かって進路を取り、ロッキー山脈の雪景色もも次第に見えなくなってしまった 。単調な景色が延々と続くのは、シベリア鉄道に乗車した時とどこか似ている気がする。6時でもまだ日は高いが、アルバカーキーに着く頃には日は地平線に沈んでいるだろう。
時間は7時でだいぶ日は傾いてきたが、日没まてにはまだ1時間くらいはかかるだろう。終点のアルバーキーに着く頃と日没は同じ頃になるか。今、車が通っている少し北の方には観光地として有名なサンタフェがあり街並みも見えるが、バスはサンタフェは通らず南側を通過して一路アルバカーキーに向かう。
日没よりも30分ほど遅れてアルバカーキーに到着する。ここで2時間の待ち合わせでフラッグスタッフ行きに乗り換えるが、ターミナルには菓子類の自販機しかないので、街まで出てスーパーに入ったらすしが売られてたので、明日の朝食分も含めて買って戻るとターミナルの扉はロックされてたので、しょうがないから外で食べることになる。
フラッグスタッフまでのバスに乗るのに心配だったのは、デンバーで券売機の故障で2枚目の切符が印刷されてなかったため、はたしてちゃんと乗車できるかどうかという点であったが、使用済みの1枚目の切符と印刷失敗の表示がされている券売機の画面の写真を見せたら問題なく乗車できた。あとは最後の経由地フラッグスタッフに向かうだけだ。
4月8日
明け方と言うよりも、まだ深夜のフラッグスタッフターミナルで下車。ターミナルの本体には鍵がかかってて入いれないが、手前の部分だけは入れる。ただ完全密閉はされてないので多少は寒い。
夜明けまではまだしばらく時間がかかりそうだったが、出遅れるとまずいので、荷物を置くためにモーテルに向かう。方向や道を間違えたため、モーテルまでは意外と時間がかかり、身軽になってモーテルを出たときはグランドキャニオン行きのバスの発車時間までは30分となっていたが、駆け足で行けば十分間に合うと思っていた。
グランドキャニオン行きのバスは先ほど下車したターミナルよりも少し先の鉄道の駅から出るのだが、そこまで行くのに意外と時間がかかり、駅に到着したのは発車時間ギリギリとなってしまった。
駅前でバスを探すが見当たらない。しまった!間に合わなかったか。次の発車は五時間後となってしまい、現地滞在時間がほとんどなくなり、行ってきましたというだけになるが、やむをえまい。もう一日帰国を延ばして翌朝出直すということも考えられるが、早く帰国したいという気持ちの方が強かった。
次のバスまで十分時間があるので、昨夜の残りのすしを食べたり、街中を歩いたりしていたが、ふと街角の時計を見ると1時間遅れているのに気づく。さらに進むと次の時計を見つけたが、やはり1時間遅れている、あ!時差修正が必要なんだと気づく。
アメリカ入国の時にスマホの時差は自動修正に切り替えており、2回の時差修正も自動的に行われていたし、デンバーからの移動は南北が主で東西の移動距離はそれほどでもないので油断していたのだ。しかも時差修正が必要なことに気づいたのは、始発バスが出てから後のことだったのだ。
始発バスに乗れなくて現地滞在時間が短くなってしまうことは残念だが、もし時差修正の問題がなくて滑り込みでセーフになった場合には別の問題が発生したかもしれないのだ。それは往復のバス代と国立公園入園料で125ドルが現金で必要となるが、手持ちのドルはそれを若干下回っていたのだ。アメリカ入国以来、支払はほとんどカードでおこなっていたので、現金のことはついつい忘れがちであった。現地にATMがあれば問題はないが、そうでない場合には立ち往生しかねなかった。もちろん、現地にもホテルはあるが、空室があったとしても馬鹿高い料金を払う羽目になっていたことだろう。万事塞翁が馬とはこのことか
昼の便に乗るつもりで待っていると、やはりキャニオン村に向かうと思われる人が二人待っていたので、発車時間が近づいたので、私もそちらに移ったが、彼らは空港シャトルの車にのりこんでしまった。一人残された私はキャニオン村行きのバスが来るのを待ったが、ついにくることはなかった。
案内所でたずねると、空港シャトルの車が空港経由でキャニオン村に行くとのことで、一日を棒に振ってしまったことになった。それでは翌日は間違いなく乗れるだろうと思ったところ、車内で現金払いではなく、事前にオンラインで申し込まねばならないということで、アクセス先をきいておいた。
宿に戻ってから、予約しようと必要事項を入力したら、最後にクーポンコードの入力を求められた。クーポンコードとは何のことかわからないので予約も断念した。どうもこのことで、糸が切れてしまったようで、グランドキャニオンには行かずにロスにむかい、早目に帰国することした。
今夜の宿はドミトリーではなく今回初のモーテルだ。12年前に自転車で来た時は街の外れで泊まることが多かったのでモーテルに泊まることも多かったが、今回は街の中心に泊まることが多かったためモーテルに泊まる機会がなかったが、今回はたまたまターミナルが街の外れにあったためモーテルに泊まる機会を得たが、ドミトリーに比べるとはるかに居住性は優れている。
モーテルの隣はマクドナルド、そしてさらに隣はサブウェイだったが、ファストフードの店はもう食べ飽きてしまったため、さらに隣のレストランに行く。もうアメリカ滞在もわずかなので、値段は気にせずに食べたいものを食べることにした。選んだのは野菜と肉を煮込んだものをトルティーヤとともに食べるものであったが、このあたりになるとメキシコ文化の影響をかなり受けているようで、いろいろな表示にも英語とともにスペイン語も使われるようになってくる。
4月9日
早起きしたので、洗濯するとともにシャワーも浴びようと思ったが、いつまで待ってもお湯にならないので諦める。南極の梅に入る人の気がしれない。その後は帰国が早まることに伴う航空券とロサンゼルスの宿泊の変更手続きをしようとしたが、航空券については代理店での受付はされたが、要望にそえられるかどうかはわからないとのことで、帰国がいつになるかは今のところ未定である。また宿の変更は申し込んであった宿では対応できないとのことだったのでキャンセルし、別の宿を予約することにした。
久しぶりのモーテルを引き払ってフラッグスタッフのターミナルに戻る。歩いて30分くらいの距離だが何度往復したことか。結局、フラッグスタッフはなんのために滞在したのだろうか、気を揉むことだけに終始した1日であった、ターミナルでは出発まで1時間以上あったので、朝の洗濯物を柵に干して半乾きにすることができた。
フラッグスタッフに降りたときは、わずかの乗客しか降りなかったが、今回はかなりの乗客が乗り込んだ。私の席は今まで経験したことがないほどの肥満体の人と隣り合ってしまった。自分の座席から弾き出されそうなほどで、早く次のバスストップに着かないかなと待ち遠しかった。2時間ほどでフェニックスのターミナルに着き、喜んで下車した。ところがトイレに行ってからバスに戻ろうとすると、ドアに鍵がかかって戻れない。係の人に言ってもダメだと言われる。ところが、バスは動き出すではないか。置き去りにされるのではないかという恐怖心から反対側から道路に出てバスが停まっている所に回り込もうとしたが、フェンスで囲まれていて入れない。ここでネットで検索すれば、途中停車ターミナルの到着時間と停車時間が分かることに気付き、調べるとフェニックスでは80分も停車することがわかり安心する。そこで飲み物でも飲もうと自販機の所に行くが、カードで課金はされているようだが、品物の番号を押しても品物が出てこない。現金でも買えるようなので、1ドル札は切らしていたので、2ドル札をいれるが、1ドル札しか使えないようだ。飲み物は2ドル50セントのものと1ドル50セントのものがあるが、手持ちのコインは1ドル25セントしかなくて結局飲み物は買えなかった。フェニックス大嫌い!(咲)
ロサンゼルス行きの前に別の行き先のバスが発車したが、ターミナルにいた乗客のほとんどがそちらに乗ってしまい、ターミナルに残った乗客はわずかになってしまったので少し心配したが、ロサンゼルス行きの改札が始まって乗車すると車内はガラ空きであった。おかげで隣の席に半乾きの洗濯物を干すことができた。これからは下車する前にネットで停車時間を確認しておこうと思ったが(他の乗客は車内アナウンスで知っているのだろうが)、そんなことに気づくのかまグレイハウンドの旅の最後の最後になってからとは、少し遅すぎたかな。
夕方にスーパーの横に停車し食料の買出しに下車したが、今までとは明らかに違う南国の陽気であった。ここはもうカリフォルニア州でロサンゼルスまで300キロちよっとのところである。長かったアメリカ大陸横断もいよいよラストスパートである。バスに揺られる毎日が日常となってしまったが、こんな生活もあと少しで終わりかと思うと少し寂しい気もする。一生のうちで二度とできない生活だろうから、残された数時間をじつくりと味わっていきたい。
今日は東西にかなり移動したので時差修正が必要かと思ったが、結局その必要なかったようだ。国土が広いのでしかたがないとはいえ時差修正というのはやっかいなものだ。バスは間もなく市街地に入り、ユニオンステーションと直結しているターミナルに入る。これで正味6日間に亘るアメリカ横断旅行はピリオドを打つことができた。移動総距離5500キロ、9台のバスを乗り継ぎ、時差修正3回を数える大移動だった。しかし、今晩の宿に辿り着くまでは本当のフィナーレとは言えない、ロサンゼルスは治安が悪いと聞いていたので、今回のように夜遅く着く場合はタクシー利用もありかなと思っていたが、地下鉄の始発駅がバスターミナルと直結しており、下車駅から通りに上がった向かい側に宿があるそうなので、タクシーの利用は不要と判断したが、その通りであった。
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