5月9日 米山
米山は三百名山の中では、比較的登りやすい山だと思われるが、実は過去に何度か計画しながら登れてない山である。と言うのも、登りやすい山ということで、他の山を登った後に最後に登る計画を立てたために、時間不足や体力消耗で断念したためである。ということで、今回は最初に米山を登る計画として、早朝に東京を出て昼前に米山駅に着くことにした。
初っ端から道を間違えて手前の道を進みだしたが、すぐにダートの道になったので、変だなと思って地図を確認したら、ひとつ手前の道をすすんでいることに気づいて後戻りして、正しい道を進んだが、ダートにならずに舗装路が奥まで続いていたら、もっと先まで進んでしまったかもしれない。
標高は千メートルに満たない山であるが、海抜ゼロメートル近くから登るので、結構登りがいのある山である。
登山口に自転車を置いて登りだすが、急登が続いてなかなかしんどい山である。30分ほど登ったところで、上から降りてくる人とすれ違う。この時間に降りてくるのは、相当早く登りだしたのだろう。結局、この日は彼一人しか登山者とは会うことがなかった。
急登はしんどいが、背後には日本海か眺められるので、気が紛れる。また米山山頂も見えてくるので、やる気が出てくる。千メートル未満の山とは思えないほどの堂々たる山容である。
最後の急登を終えると米山山頂である。時間は3時半で登山口までは1時間半、登山道は2時間半を要したことになる。頂上からは日本海が一望できる絶景である。

下りは同じ道を利用したが、米山駅までは2時間で登りの半分の時間で降りられた。その後、直江津駅で下車して駅前お店で、地魚の寿司とビールで一息ついた後、おでんと地酒で体を暖めて、1日目の夜を終えた。

5月10日 笹ヶ峰キャンプ場
春日山駅から妙高高原駅まで移動するために電車に乗ろうとしたら、通学の高校生で電車は満員で自転車を持ち込むことは無理なので、30分後の電車に乗ることにした。次の電車はさほど混んでなく乗ることができたが、次の駅でほとんどの乗客はおりてしまいがら空き状態となる。こんなことなら、次の駅まで移動してから乗車すれば良かったと思った。
車窓から眺めると、妙高はそうでもないが、火打から焼にかけてはかなりの雪が残っており、ストックと軽アイゼンだけで大丈夫か少し不安になるが、無理そうならば引き返すだけだと腹を決めた。
妙高高原駅から笹ヶ峰キャンプ場までは距離は20キロ、標高差は800メートルあり、そこを20キロ近い荷物を担いで自転車で登ることになるので、かなりの労力を要することになるが、急坂は自転車を降りて引いて行けばなんとかなるのではと考えた。
コースはオフラインでも使えるMapsMeの自転車モードを選択して、笹ヶ峰キャンプ場までの経路を進むことにしたが、途中で舗装路から砂利道に変わることが多く、そのたびに引き返すことになり、無駄な時間がかかってしまう。私の乗っているロードバイクの細いタイヤでは砂利道を長く走っているとパンクしてしまう可能性が高いけらである、舗装路限定の自転車モードというものが有ればよいのだけど。
ようやく、夏季は笹ヶ峰まで運行しているバスが通る道を探し出し、これで道に迷う心配はなくなったが、ノロノロペースのため行程が捗らず、二人連れのチャリダーにあっという間に抜かれる。当初の予定では今日は笹ヶ峰キャンプ場を通って四時間ほど歩いた高谷池でキャンプするつもりだったが、このペースでは笹ヶ峰キャンプ場が関の山と思われたので、今回は引き返して夏季のバスが運行している時に出直そうかと弱気になったが、とにかくやるだけやってダメなら諦めることにした。
休み休み登っていたら、先ほど抜かれたチャリダーが快適に下ってくるのとすれ違うが、他人のことを気にするこ
ともなくなり、黙々と登っていくと、やっと下りになってしばらくすると笹ヶ峰に着いた。
今日は金曜日だから、キャンプ場は賑わっているかと思ったら、まだ営業しておらずデントは皆無で、何台か泊まっている車の人も車内で泊まるようであった。何故かと思ったら炊事場の水道の水が出ないからのようだ。やむを得ず、10分歩いた先にある川に水を汲みに行く。広々としたキャンプ場に自分ひとりというのもいいものだ。明日は目的の焼山まで行けるかどうかは明日になってみないとわからないが、明日は明日の風が吹くである。
7月11日 高谷池
五時前にキャンプ場を出発して高谷池に向かう。標高差は800メートルほどだが、重荷のためぺースが上がらず、次々と後続者に抜かれる。中にはスキーを担いだりして、私よりも荷物が重そうな人もいたが、体力が落ちた今の自分にとってはやむを得ないことである。おまけに夏道が雪に隠れてコースが判然とせず、さらに時間を要してしまう。
最後に斜面を横切って高谷池に向かう所では、部分的に踏み跡が狭く雪が崩れ安い所もあって、安全のために軽アイゼンを装着する。これで多少は快適となり、高谷池には12時に到着した。谷池周辺はGWの尾瀬からは想像できないような大量の雪で、雪用テントシートを持ってきてない自分は、予約していたキャンプのキャンセルをして、小屋に宿泊を依頼しようと思った。まだ時間は早いので、今回の目的地である焼山までは無理としても、火打岳までは往復しようと思っていたが、ベンチで休んでいた人から「山頂まで行くのですか?」と聞かれて「ええ、まあ」と答えたものの、他の人は全員山頂には行かずに、ここから下山することがわかった。火打の山頂まではべったり雪が付いていて、果たして軽アイゼンで安全に降りられるかどうか不安があった上に、ここで体力を使うと次の斑尾山を登る余力があるかどうか心配にもなったので、私も彼らの後を追って下山を始めた。

しばらく降りてから、小屋にキャンプ予約のキャンセル忘れていることに気づいたが、電話しようと思ったところ、圏外で連絡できないことがわかり、無断キャンセルとなるので予約金が没収されるだけのことだろうと考え、まさか警察と連動して、遭難の可能性に繋がるとは考えもしたかった。そのまま下山を続けて斜面の横断を終えて一安心したが、そこから先はコース取りが難しくGPSに頼りっぱなしで、十二曲がりの所まで下りた所で、たまたま見通しがよかったので自宅からの電話が繋がった。すると地元の警察から自宅に連絡があり、私に電話しても繋がらないので明日までに繋がらなければ捜索に入るとのことであった。そういえば、私のスマホには見知らぬ番号の受信歴があり、警察からかもしれないと思って電話してみても、圏外で繋がらないままだったので、何か連絡することがあるのかぐらいしか考えてなかったが、まさか遭難を疑われているとは思ってもいなかった。そこですぐに警察に連絡すると運よく電話が通じたので、無事であることを連絡して一件落着した。その際にキャンプ場の予約がキャンセル手続きがされてないことも、遭難の疑いを強めていることもわかり、キャンプ場にもキャンセルの連絡をしておいた。
今回の件を考えてみると、全く濡れ衣のような迷惑な話であった。なぜならば、登山届は各登山口に置いてあり、必要に応じて届け出を出しているが、下山の確認を地元からされたことは皆無であり、また谷川岳の岩場を登る際にも群馬県登山条例により登山計画書の提出を求められているが、その場合も下山届出の提出を求められることはなかったし、下山の確認もされたことはなかったので、今回、なぜ警察が下山の確認を行ったのか理解ができない。なお、今回、焼山登山については通常の登山届ではなく警察への届け出を求められたのは、焼山が火山活動による立入禁止の解除直後のためのようだが、スマホの圏外区域にいる登山者に下山確認の連絡をして、連絡がつかないから捜索に進むというのはナンセンスと言わざるを得ない。
それはさておき、当日は笹ヶ峰キャンプ場まで下山して翌日からの予定を考える。キャンプ場はスマホの圏外であるが、フリーWIFIが使えることがわかり早速確認してみると、翌日の午後から下り坂ということがわかったので、斑尾山登山はあきらめて帰京することにした。
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