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2024年6月

2024年6月29日 (土)

関東ふれあいの道 栃木県NO14、13

 日光周辺の山の後は当初は関東ふれあいの道の栃木県コースの最北部を3日間かけて歩くつもりだったが、太郎山に思ったよりも時間がかかって疲れが残ってしまったことと、後半には暑さが戻って平地を歩くのは辛そうだったので予定を変更して、一日だけ近場のコースを歩くことにした。

スタートは前回のNO15コースのゴールの小金井駅である。ここから西に向かって東武線沿線を目指す。今回のNO14コースの撮影ポイントである摩利支天古墳はやや南方向にあるので、途中で進路を南にとる。しばらく歩くと前方に古墳らしきものが見えてきたので目的地に着いたかと思ったが、そこは琵琶塚古墳で摩利支天古墳はもう少し先にあった。近くには古墳資料館があって小学生が遠足で見学に来ており、遺跡の宝庫のような所であった。近くには下野国分尼寺、国分寺跡があり、さらに行くと国司の政庁である国府があって一部の建物は復元されている。

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国府の近くには食物屋があるようだが新栃木駅とは方向が違っており雨も強くなってきたため、駅に向かう途中にあるコースNO13の撮影ポイントである大宮神社の近くにある食物屋まで我慢することにした。ところが大宮神社で撮影してから食物屋まで行ってみると、時間が遅くなったために準備中となってしまい、食べ損なってしまった。結局、駅近くのコンビニで小腹を満たしただけで東京方面の電車に乗り込んだ。


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日光周辺の関東100名山

6月26日

 

日光周辺の関東100名山として今回計画したのは、太郎山と石裂(オザク)山だが、いずれも過去に登ろうとして登れなかった山である。なお太郎山は関東100名山の他に日本300名山にもなっている山であり、過去に三回挑みながら登れなかったら因縁の山である。。

 

まずは短時間で登れる石裂山から登ることにする。前回は南側から取り付いたが、途中で道が消えて廃道になってしまい登れなかったので、今回は北側から取り次ぐことにした。

終点の石裂(オザク)で下車したのは私一人であった。10分ほど歩いた神社の階段のある所に不用の荷物を置いて身軽になって登り出す。

しばらく登ると回遊コースの登りコースと下りコースの分岐点となるが、もちろん登りコースを選択する(下りコースは急坂が続くので、登りにとると大変そうだから)。

 

登りコースは奥宮の手前からハシゴと鎖場が連続するので思ったより時間がかかる。奥宮へは長いハシゴを伝って登っていくが、登り終えると横に下降路があるので、別に登らなくてもよかったみたいだ。

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奥宮から先で小尾根を乗越すが、尾根の向こう側には下っていく踏み跡があり、その先には赤布もついているので、何の疑いもなく進んだが、だんだん踏み跡が乏しくなってくるし、どんどん下っていくので、おかしいと思って引き返すと、さきほど乗越した尾根の上部にも踏み跡があって、マーキングも見つけたので、こちらが正解ルートだとわかったが、慣れてない人だと遭難しかねないコース取りであった。

その後も鎖やハシゴが次々と現れて、思ってたよりも多くの時間をかけて登頂することができた。

 

下りは急な道をどんどん下って行くだけなので、登りのように苦労することはなく、1日二本のバスのうち、午後の便に間に合うことができた。ネットの情報では長時間の待ち合わせで時間を持て余したと書いてあったが、私の場合は40分ほどの待ち時間なのでそれほどでもなかったが、まわりにはお店はおろか自販機もないので、長時間の待ち合わせとなる場合は大変だろう。

 

6月27日

 

前夜に光徳の道路脇にテントを張り早朝に太郎山登山に向けて出発する。五万図やMAPSmeでは光徳から太郎山と山王烏帽子との鞍部に直接登るコースが図示されているので、そこを登るつもりで山王峠に向けての舗装路を進んで行ったが、地図では舗装路から分岐しているあたりに行っても、乏しい踏み跡があるのみなので前進をあきらめて舗装路に戻る。しばらく行くと地図には載ってない舗装路が分岐しているが、そちらは立入禁止となっていた。この道が地図に載ってない理由は新しくできた道だからか、立入禁止の道だからかはわからないが前者だとすると、新道ができてからは新道より下の道は歩かれずに廃道となってしまったと考えると納得できる。事実、新道よりも上部にはマーキングが続いていたので、この道を進めば鞍部まで到達できることを確信した。もし、新道を進んでも鞍部に達する手がかりがなければ、さきほどの立入禁止の標識の地点まで戻って舗装路を引き続き進んで山王峠に達し、そこから山王烏帽子山経由で太郎山との鞍部に達する遠回りのコースを取らざるをえなくなるが、その心配はなくなったようで安心した。

 

だが実際に鞍部に通ずると思われる道を歩きだすと、踏み跡はあるものの思ったほどの良い道ではなく、鞍部に達するまでにはかなりの時間を要することが予想された。なお地図上のコースは鞍部の手前から右側に進路を変えて太郎山沿いの稜線に達しているが、そちらを進むと時間がかかりそうなので直接鞍部に出ることにしたが、それでも鞍部に達した時は予定時間の倍くらいかかってしまった。さらに鞍部から少し登ったあたりで、地図に表示されている道が稜線に達する地点にはロープで立ち入りができないようになっていたが、たしかに昔は人の歩ける道なのだったろうが、今はほとんど歩かれてないようで踏み跡も見いだせなかった。

 

鞍部から先は通常のコースなので行程は捗ったが、光徳にランチの営業時間までに戻るなどということはとんでもないことであった。やがて一見したところ頂上間近とも思える地点に出たが、GPSで確認していたので本当の頂上はまだまだ先であることはわかっていたものの、もしそうでなければ、「偽の」ピーク直下まで来て小太郎山の標識に気付き、そこからはるかかなたの本峰を眺めた時には落胆することになるだろう。本峰までは標高差は50メートルしかないが、アップダウンが続くので小一時間ほどかかってようやく登頂することができた。頂上は200名山であるにもかかわらず他の登山者はおらず独り占めできたが、奥深いのでなかなか取り付きにくい山なのだろう。

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下山は唯一のコースのはずである赤薙コースを降りようとするが、なんと道が二手に分かれていて、一方の標識の行き先は赤薙、他方は三本松とある。二本もコースがあるはずはないので、両方のコースはいずれ合流するのだろうと思っていたら案の定すぐ下で合流していたが、紛らわしい標識であった。コースはすぐ下でお花畑と呼ばれるカルデラの底のような平地に降り立つが、名前とは裏腹に花は咲いておらず草だけが生い茂っていた。カルデラの端まで歩き外輪山を少し登ると、そこから先は薙に沿った急な下りの連続である。



だいぶ下って傾斜も少し落ちてきたあたりで後ろから来た人に抜かれる。山王峠から烏帽子山を経由してきたとのことで、足早に先を急いで見えなくなってしまったが、私も同じコースを歩いていたら今頃はどの辺りを歩いているだろうか?光徳に戻ると、少し前に光徳経由の日光行き最終バスは出てしまったので、この後の日光行きバスは光徳入口まで戻らなければいけないことになり、ホテルの売店で買ったビールを飲みながら光徳入口に向かって歩いて行くと、向こうから湯元行きのバスが来るではないか。あわてて次のバス停まで急ぎ、光徳入口までのわずかな距離ではあるが歩かずに済んた。入口で下車して日光行きのバスを待ったが、四度目の正直でようやく太郎山に登ることができて大満足の山行であった。

 

 

 

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2024年6月24日 (月)

関東ふれあいの道 栃木県コースNO17,16,15

梅雨入り直前の晴れ間に関東ふれあいの道の栃木県コース3本を一日で踏破する。
まずは真岡鉄道の真岡駅をスタートしてNO17の撮影ポイントである桜町陣屋跡に向かう。桜町陣屋は二宮尊徳が小田原から送られて桜町の復興に尽くした場所とのことである。



桜町陣屋を後にしてコースは高田山専修寺を経由することになるが、今回はショートカットして直接、長栄寺に向かう。当コースのゴールである久下田駅への最短路から長栄寺も少し外れているので本来なら長栄寺もショートカットしてもよかったのだが、長栄寺方面にコンビニがあったので、長栄寺にも立ち寄ることにした。長栄寺の先のコンビニには目ぼしい弁当がなかったので、ゴールの久下田駅は素通りして少し先のラーメン屋に向かうことにする。

ラーメン屋で空腹を満たした後、NO16コースの撮影ポイントである長沼八幡宮に向かう。八幡宮は休日ということもあって、そこそこ参拝者が見られた。



これで3コースを一日で踏破する目途が立ってきたので、最短コースで撮影ポイントの箕輪城址を目指す。途中でグーグルマップで箕輪城址からの公共交通機関による帰りの時間を調べると、六時過ぎに箕輪城址に着けば少しの待ち時間で小金井駅行きのバスに乗れるように思ってしまい、あと少しだと奮い立たせて頑張った。

箕輪城址に着いて写真を撮って、さあバスに乗ろうと思ったが、どこにもバス停などない。そのとき気づいたのは、さきほど調べたグーグルマップの公共交通機関はてっきりバスだと思っていたのは、実はタクシーだったのである。ガーンであるが、歩いて帰らなければならない。ここからだと自治医大駅が一番近いが、コースのゴールは小金井駅であり、距離は500メートルばかり遠いだけなので、小金井までを最短コースで4キロ弱歩きことにした。最後は足が痙攣しそうになったが、なんとかたどり着くことができた。

 

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2024年6月23日 (日)

能登ポランティア(2回目)

6月19日

 

本日は七尾にボランティアに行く予定だったが、疲労で寝過ごしまったためサボることになってしまった。午後からボランティアに行くはずだった七尾に行くつもりで金沢で早めの昼食をとってから電車に乗り込んだ。

 

七尾の町に近づいても、街並みはどこの田舎町とも変わらない平穏な様子で被災地に来たという印象は全くなかった。

とりあえずはボランティアセンターに寄ってみることにしたが、その途中に七尾城資料館というのがあったので、そこに立ち寄ることにした。七尾城は戦国時代に畠山氏の居城があった山城で、本家筋の加賀畠山氏は家督争いで応仁の乱の一因ともなった一族であり、上杉謙信と織田軍との手取川の戦いもこの城の攻防が原因となったということで、歴史的にも興味深い所なのだが、震災の影響かどうかはわからないが、城跡への道は全て通行禁止となっているとのことだった。

 

そこからボランティアセンターまでは歩けない距離ではないが、昨日の疲れもあり、七尾市内の循環バスは均一100円なので、気軽に乗れて便利なので、バスに乗っていく。センターに着いてみると全く閑散としていて、ボランティア帰りと思われる人が数人いるだけで、今まで経験してきたセンターのような活気がない。思うに七尾自体はあまり深刻な被害は受けておらず、ボランティアのニーズも高くないので、そのへんの事情もわかっている人は、他の被災地からの募集に応じているため、他の被災地の募集はすぐに定員に達するのに、七尾だけがいつも定員割れとなっている原因と思われ、無理して参加しなくて正解だったかなと思われた。

 

次は循環バスで、七尾市内の繁華街である一ツ柳通りにいってみる。入り口の所で、初めて倒壊している建物を見る。川の袂にあるので地盤が弱かったのであろうか、震災直後のネット情報では軒並み休業とあったが、今はほとんどの店は営業しているようで、先ほどの倒壊家屋以外は復興しているようであった。

以上で七尾の町の主要な所は回ってきたが、まだ時間があったので、七尾市内てはあるが、隣町となる和倉温泉まで足を延ばしてみることにした。こちらまでは循環バスではなく、地元の路線バスで10分ちょっとである。

 

ネットの情報では、かなり深刻な影響を受けていて温泉街は軒並み休業となっているようであった。お祭り会館前で下車したが、会館は休館となっていて、その先にある温泉街のホテルやお店も外観はさほど影響は受けてないように見えても、内部では影響が大きいのか軒並み休業となっていた。その中で、辛うじて営業していた料理屋で、復興の一助にでもなればと思い、地魚の西京焼きを肴に生ビールを飲んだが、1時間に1本しかバスがないので、まだ飲み足りなかったものの近くのバス停から七尾駅に戻り、駅近くの居酒屋(残念ながら全国チェーンの店しか無かったが)で飲み直してから金沢に戻った。

 

6月20日

 

今回の北陸訪問の最後となる能登ポランティアに出かける。金沢から3時間近くかけて輪島に向かうが、今まで行ってきた各地に比べると輪島の被害は甚大で、復興までには相当長期の時間がかかるなという気がした。

 

体の疲労がまだ抜けきってないので、今日は力仕事はやらないつもりで、私以外は全員女性というグループでの軽作業に従事した。

 

午前中は小学校に併設された学童クラブの部屋の片付け、午後は輪島塗の箸の業者の箸洗いという作業で体力は使わないものであったが、なにか孫たちへの支援と輪島塗の絵師であったご先祖様への恩返しをしているような妙な気分であった。

 

金沢に戻って銭湯に入ってさっぱりしてから上手いものを食べて帰京することになった。

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称名川を囲む山

日本アルプスの主稜線は通常登られている所は全て踏破し、支稜のうち途中に顕著なピークや山小屋があって、良く登られているコースを踏破しようと思っているが、手始めに立山北方の別山から大日岳方面に延びる尾根に向かうことにした。別山から奥大日岳までは以前に往復したことはあるのだが、奥大日岳に直接登るコースはないようなので、奥大日岳までは重複することにはなるが、大日岳までの未踏のコースを歩くことにした。

 

6月16日

 

夜行バスで早朝の富山駅前に着き立山駅に向かう。初日は雷鳥沢でキャンプする予定なのでアルペンルートで室堂に向かうのが一般的だが、それではあまりに安易なので、称名滝バス停の先からアルペンルートに向かって登り出し、弥陀ヶ原付近のいつもはバスで通過してしまう広大な高原を木道を歩きながら楽しもうというプランである。

 

立山駅の始発のバスは8時半と遅く、1時間ほど時間待ちとなる。それでも、乗り合わせた乗客は私の他にもう一組だけというがら空き状態である。なんでも一般の観光客はもう少し遅いバスで来るとのことである。

 

終点で下車して登山者カードを提出してから歩きだす。しばらくすると、大日岳登山道の登り口があり、それを過ぎるとすぐに称名滝の展望台に続く道が分岐する。称名滝は室堂へのバスの途中から何度も見ているが、間近から見てみたいということで、今回足を延ばすことにした。

展望台から正面に仰ぐ称名滝は落差日本一と言われるだけあって迫力満点である。この滝もいくつからのルートから完登されているようであるが、往年の私の力量でもとても不可能な所である。

 

展望台には下から走ってきたトレランの人が何人か登ってきていたが、そういえば、立山の室堂まで走るトレランレースがあるようで、彼らもこの後、私が登ろうとしている弥陀ヶ原までの山道を走る人がいるかなと思ったが、そのコースを登る人がいるかなと思ったが、そのコースには通行止めの表示が出ていて、誰も立ち寄る人はいないようであった。もっとも、通行止めの表示は観光客向けのものであって、登山者には関係ないもののようである。何となれば登山者向けのものならば、どこそこが崩壊していて通行できない等の理由が書いてあるはずだからだ。なお、室堂までのトレランレースはこの山道ではなく、立山駅から美女平に向かう有料道路経由とのことである。

 

山道を登り出すといきなりの急登である。ただ背後に称名滝の景観が眺められるので、だいぶ辛さも和らげられる。道は所々に倒木があったりして、あまり登られてないよ

うである。

 

急登が終わり緩やかな道になるとアルペンルートに出る。ここからしばらくは木道はなく、舗装道路を歩かされる

日曜日と言うこともあってか、アルペンルートのバスがひっきりなしに通るが、マイカーは通れないので渋滞はない。やがて道は木道となり、天気が良ければ弥陀ヶ原の広大な景色が眺められる所であるが、あいにくの天気で残念である。

 

弥陀ヶ原のバス停まで来ると、係員が数人待機していて、「どこに行くのか?」「天気が悪いのでバスに乗った方が良いのでは」と引き止められる。時間的に当初予定の雷鳥沢までは無理だが、天狗平山荘までならば2時間くらい歩けばいけるのではと思ったが、天気が悪くて展望のない中を歩いてもしょうがない気もしたので、大人しく室堂までバスに乗ることにした。日曜日のこんな時間に室堂室堂まで行く人はあるまいと思ったら、ぼぼ満員に近い状態でバスが来たので、乗れないかと思ったら、団体客は弥陀ヶ原で下車とのことで、室堂まで行く人は私を含めて数人だった。

 

室堂近くの雪の大谷では5メートルほどの雪壁が残っていて、思っていた以上に残雪が多いのに驚く。室堂に着くと、雷鳥沢まで行くのが面倒になったので、ホテルに泊まろうかなと考えが変わって係員に聞いてみると、宿泊だけで三万円以上と言われて即座に却下。近くの室堂山荘に泊まることにした。こちらは一万二千程度で2食付き、大風呂、wifi利用可という条件で大満足でした。

 

6月17日

 

雪の量が思ったより多いので、立山三山は諦めて雷鳥沢から直接大日岳方面にむかうことにした。雷鳥沢までは何度も歩いたことがあるコースだが、雪のある時期は初めてである。

 

雷鳥沢からは別山乗越方面に向かう登山者はそこそこいるが、奥大日岳方面に向かうのは私だけである。夏道は雪に隠れて見えないので適当に登りやすい所を登っていく。大して雪はあるまいと思って軽アイゼンしか持ってこなかったが、これだけ雪が多いと八本歯以上のアイゼンを持ってくるべきだった。なにしろ軽アイゼンでは爪を雪面に垂直に立てるだけては不安で、つま先を一度蹴り込むという作業が加わるので、疲労も多くなってしまう。やっと稜線に出て奥大日岳方面に向かうが、その間にも何度か雪渓を横切る箇所がでてくるが、やはり軽アイゼンだと神経を使い疲労すも大きくなってしまう。

やがて奥大日岳の頂上手前で雪渓を横切る所が出てくる。ここは今までよりも傾斜が急でスリップしたらただでは済みそうもない。アイゼン、ピッケルを持参していれば問題はないが、軽アイゼンとストックだけでは不安なので、どうしたものかと思案していたら、少し上まで登れば雪渓は切れていることを発見、草付きの急な斜面は軽アイゼンがバッチリ決まるので苦もなく上がる。雪渓の上部を渡って反対側を下ろうかと思ったが、頂上ほ間近なので先ほどの道も雪渓を渡った後に頂上に向かうに違いないと判断して稜線に沿った雪田を歩くと案の定、下からの道と合流して奥大日岳の頂上直下の大日岳への分岐点に着く。奥大日岳は一度登っているので素通りしても良いようなものだが、せっかく来たのだからと頂上まで行ってみる。

 

頂上はすぐ近くで、大日岳方面のコースがよく見通せる。今までと違ってだいぶ雪が少なく、雪のない時と比べて大幅なタイムオーバーはしなくてすみそうだ。ただ時間は3時半であり、日没前に大日岳に到達できるかが気がかりである。

その後は比較的順調に進み、頂上手前で日没を迎える。ただ、その色がどす黒いような赤で、こういう色の夕焼けは悪天の前触れであると聞いているので、少しいやな気がした。頂上手前のピーク付近でまた雪が現れたので、少し手間取ったが、なんとか薄明かりの中で頂上手前の小屋を発見する。悪天が間違いないので小屋に入りたかったが、無人小屋は完全に閉め切っていて残念ながら小屋には入れない。その代わり、資材を収納してある物置には入れたので、なんとか風雨は防げそうだ。安全な場所を確保できたので、現金なもので早く雨が降ってくれないかと思ったが、不気味な風の音がするだけでなかなか雨は降ろうとしなかった。

 

6月17日

 

壁にもたれかかって夜を過ごしたの良く眠れなかったが、うつらうつらしていると、空は明るくなっていたが、弱い雨が降りだしていた。まずは往復で30分ほどかかる大日岳の山頂を往復するかどうかである。今回の目的は大日岳に続く尾根を踏破することであり、大日岳の山頂に立つこと自体は主目的ではないので、雨の中を展望もない山頂に立っても仕方ないといくことで、雨が小降りになったらげざしようと待機してきたが、弱くなるどころか却って強くなってきたので、7時半に下降を開始した。

 

大日平までの急な下りの前半は雪の上を歩くこともなく順調に進めたが、後半は雪の斜面を横切ったり、下降することが多くなり、軽アイゼンでは通過に時間を要することとなった。大日平小屋に降り立つまでは最終バスに間に合わなくなるということは、全く念頭になかったが、小屋前で時間を計算し直すと、ギリギリの時間であることがわかりペースを上げたつもりであったが、連日の行動による疲れもあり、結局は大してペースも上がらず、称名滝に続く林道に降り立った時は、最終バスの時間よりも1時間ほども遅れてしまった。ギリギリでまにあわなかったのであれば腹が立つが、これほど遅れると腹も立たなかった。何故ならば、その時は下からタクシーを呼べばいいと思っていたからである。

降り立った林道からは称名滝は見えなかったが、称名滝の右側に一昨日には見えなかった滝が雨で増水したことにより出現して儲かったような気になった。考えて見ると、今回の山行は称名滝を含む称名川を一週するものであったなと満足しながらバス停まで下り、スマホが圏外でタクシーが呼べないため、そこにある土産物屋兼食堂で用を足してからタクシーを呼んでもらうはずだった。ところが、店にはカギがかかっており、厨房には電気がついたままなのに、ドアを叩いたり呼びかけても一向に反応がない。ついに根負けして、下の駐車場まで下れば管理人がいるはずだからタクシーを呼んでもらおうと思ったが、なんと無人の駐車場であり、タクシーは利用できずに立山駅まで3時間近く歩かなければならないことがわかり愕然とした。

 

基本的には下り一方なので、順番に足を前に出して行けば駅にたどり着けると言うことはわかっていたが、3日間の疲れも加わって次第に耐えがたいものになってきた。特に立山駅の直前になって登り坂になってきた時は一歩進むごとに休む羽目になった。ようやくたどり着いたのは、立山駅の西口だったので、もうひと頑張りして踏切を渡って東口まで行ってみることにした。と言うのは、東口には何軒かの店やがあるので、そこで最終電車のまでの1時間近くを過ごせるとおもったからである。ところが東口に行ってみると、最終電車がまだあるというのに店は統べて閉まっていたのである。

 

自販機で飲物だけを買って時間まで待って富山駅に向かい、富山駅の売店でビールとおにぎりを買って金沢行きの新幹線の発車時間までホームのベンチで過ごそうと思ったが、疲れ過ぎたためかお握りは1個しか食べられなかった。

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2024年6月11日 (火)

関東ふれあいの道 栃木県コースNo23

6月10日

 

夜中中激しく降っていた雨も朝には小降りとなり、宿を出る時はほとんど気にならないほどになった。自転車は車止めのゲートを過ぎて舗装路がなくなる所に荷物とともにデポした。

 

しばらくは沢沿いの林道を進むので、マウンテンバイクだったらまだ乗っていられたのにと思ったりした。一の鳥居から先は本格的な山道となる。しばらく上っていると、もう降りてくる人がいる。朝一番で登りにきたそうである。

 

この道も10年以上前に皇海山を登りに来た時に歩いたことがあるが、写真を撮ってないので、撮影ポイントである庚申山荘までは登らなければならないのである。

 

庚申山荘は不具合があって休業中だそうだが、山荘をバックに自画像を撮下山する。ここまでくれば、庚申山頂も間近ではあるが、一度登ったことがあるほか、ガスっていて展望のない山頂に行ってもしょうがないし、できればもう一カ所の撮影ポイントにも行きたいので即下山することにした。

わたらせ渓谷まで下山して、次の撮影ポイントである群馬県コースNo30の登山口である沢入駅まで進んで今後の予定を考えたが。今の時間は3時半であり、明るい間の行動時間としてはあと3時間ほどしかないことを考えると、時間的に無理だということになり、明日もう1日滞在しても

中途半端になるようにおもわれたので、一日早く予定を切り上げて起業することにした。

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関東ふれあいの道 栃木県コースNo2、3、4

6月8日

 

栃木県から群馬県にまたがる地域のコースをまとめて登ってしまおうという欲張りな計画をたてた。さらに欲張って関東百名山の石裂(おざく)山を先に登ってから、ふれあいの道に進むことにした。石裂山に1000メートル以下の低山ということもあり、下調べもせず、五万図に記載されている登山路を行けばいいのだろうと、軽い気持で考えていた。

 

鹿沼駅をスタートした時は平らだった道も次第に傾斜を増してくる。土曜日ということもおり、チャリダーも何人かいて、例によって抜かれていく。五万図で石裂山への登山路が記入されている所で、自転車と荷物を置いて空身で登り出す。入口には山頂まで2時間と表示された案内板があり、標高差は約500メートルだから、そんなものかと思った。

 

緩やかな傾斜の林道を30分ほど歩くと沢に突き当たり、頂上まで1時間半という案内板はあるが、そこから先はどこを探しても道がない。山頂方向を示す標識は沢の方を指しており、半信半疑ながら沢に沿って歩いていく。

 

途中で、標識が示す登山路は廃道になってしまったのだろうと考えたが、歩けない所ではないので、しばらくは進んでみることにした。

 

2時間近く登っても、頂上までは標高差にして200メートル近くあり、今までのペースからすると、2時間近くはかかるだろうし、下りもそう早くは降りられそうにもないので、下山できるのは日没近くになりそうだ。この山だけを目標にしてきたのならばともかく、この後も自転車でなるべく高い地点まで行きたいので、ここで降りることにした。後で調べてみると、やはり南面から登る道は廃道に近い状態で、北面から登る道の方が良いようなので、機会があったら北面から登ってみたいものである。

 

登山口に戻って、また自転車で登り出すが、この頃になると、ペダルを漕ぐよりも、自転車から降りて引いていく方が多くなってしまう。

 

前日光温泉を過ぎ、バスの終点を過ぎてもまだ先に進まなければならない。もう少し進んで左右に道が分かれる所でどちらに進むべきか検討する必要がある。

 

右に進む道は古峰神社の方へ少し下ってから登り返すことになるが、案内図では神社から古峰高原方面には通行止めの記載があるのが気になる。一方、左の道は五万図では二本線の道が続いているが、オフライン地図のMapsMeでは途中から破線になっているので、これも気にかかる。

 

結論は夜じっくりと考えてから決めることにして、ここにテントを張ることにした。夜に熟考した結論は左の道を進むことだった。たしかに左の道は舗装路が続いている保証はないが、もともと登りは自転車を降りて引いていく方が多いので、砂利道となっていても問題はないことに気づいたからである。

 

6月9日

 

昨夜決めた左の道を進んでいくと、「前日光ハイランドロッジ方面には行けません」の表示がある。自転車なら行けないことはないだろうが、ダメなら引き返そうと思って進んでみると、土砂崩れが2カ所あり、たしかに車は通行できないが、自転車ならばかついて進めば何の問題もなかった。

 

やがて道は前日光ハイランドロッジから続く遊歩道に出て、観光客と出会うことになる。No4コースの撮影ポイントである象の鼻展望台で写真をとってから、ロッジに向かい、これで一件落着かと思ってしまった。

県のホームページにあるふれあいの道の地図ではNo2と3の撮影ポイントはロッジから進んだ道の突き当たり付近にあるようになっていたが、実際にはその近辺には該当する場所はなく、少々焦ってしまう。ここまで苦労して来ながら、撮影ポイントが発見できないでは、認定証をもらえないことになってしまうので、手持ちの地図で必死に探すとなんとか場所を発見できて、ホットした。県の地図が間違っていたせいで、とんだ苦労をする羽目になってしまった。




 

後はわたらせ渓谷に向かって千メートル近い標高差をダウンヒルするだけである。幸いさほど急な下り坂ではなかったので、それほど神経を使わずに降り立つことができた。

 

足尾駅まで降りて、駅前の雑貨店で食料を買い足して、荷物の積み替えをやっていると、いきなり強い雨がふりだし、今夜の銀山平でのキャンプに赤信号が灯りだした。今回は荷物をキョクリョク減らすために、軽量のテントを持ってきているため、雨降りの中でのキャンプはかなり悲惨なものになるからだ(出発前の天気予報では今日は降らないはずだったのに)。

 

そこで急遽キャンプを中止して、キャンプ場近くの旅館を探すと、運良くキャンプ場の手前の旅館に泊まれることになりホット安堵した。

 

雨も止んできたので、この機会を逃さずに旅館に向かい、温泉で体を温め、ビールで喉を潤して夕食で腹を満たした。外はかなりの雨が降っていて、キャンプせずに済んだことを喜んだ。

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関東ふれあいの道 埼玉県No5 大霧山

 

前回は大野峠まで到達できずに稜線から芦ヶ久保駅に降りてしまったので、今回は芦ヶ久保駅から大野峠を目指す。

 

大野峠ひ直接向かう道はわからず、笠山経由となっていたので、まずは笠山を目指すことにする。笠山まではかなりの登りとなっていて、前半というか取り付きの段階で時間を食ってしまい、大霧山に着くのはまだ先のことになりそうだ。

 

笠山で早めの昼食をとってから縦走路に向かう。縦走路に出てから大野峠に向かうのは少し逆戻りになるので、大野峠は割愛して大霧山方面に向かう。と言っても、大霧山はまだまだ先で、途中には白石峠、城峰峠、旧城峰峠を経て行かなければならない。

 

大霧山には4時過ぎに着く。今日の当初の予定では、ここから更に粥新田峠、高原牧場バス停を経て秩父鉄道の親鼻駅までであるが、途中で真っ暗になるのは間違いないので、高原牧場からバスで西武秩父駅に向かうことにした。

バス停につくと、少し前にバスは発車していて、次のバスまでは1時間ほど待たなければならいので、待ち時間の少ないバス停まで歩くことにした。秩父札所一番の前にあるバス停まで来ると、さほど待たずにバスが来ることがわかったので、ここから乗車することにした。定刻より少し遅れて誰も乗車してないバスがやって来たが、運転手はわたしのことを札所巡りの人だと思っただろう。

 

 

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