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2024年6月23日 (日)

能登ポランティア(2回目)

6月19日

 

本日は七尾にボランティアに行く予定だったが、疲労で寝過ごしまったためサボることになってしまった。午後からボランティアに行くはずだった七尾に行くつもりで金沢で早めの昼食をとってから電車に乗り込んだ。

 

七尾の町に近づいても、街並みはどこの田舎町とも変わらない平穏な様子で被災地に来たという印象は全くなかった。

とりあえずはボランティアセンターに寄ってみることにしたが、その途中に七尾城資料館というのがあったので、そこに立ち寄ることにした。七尾城は戦国時代に畠山氏の居城があった山城で、本家筋の加賀畠山氏は家督争いで応仁の乱の一因ともなった一族であり、上杉謙信と織田軍との手取川の戦いもこの城の攻防が原因となったということで、歴史的にも興味深い所なのだが、震災の影響かどうかはわからないが、城跡への道は全て通行禁止となっているとのことだった。

 

そこからボランティアセンターまでは歩けない距離ではないが、昨日の疲れもあり、七尾市内の循環バスは均一100円なので、気軽に乗れて便利なので、バスに乗っていく。センターに着いてみると全く閑散としていて、ボランティア帰りと思われる人が数人いるだけで、今まで経験してきたセンターのような活気がない。思うに七尾自体はあまり深刻な被害は受けておらず、ボランティアのニーズも高くないので、そのへんの事情もわかっている人は、他の被災地からの募集に応じているため、他の被災地の募集はすぐに定員に達するのに、七尾だけがいつも定員割れとなっている原因と思われ、無理して参加しなくて正解だったかなと思われた。

 

次は循環バスで、七尾市内の繁華街である一ツ柳通りにいってみる。入り口の所で、初めて倒壊している建物を見る。川の袂にあるので地盤が弱かったのであろうか、震災直後のネット情報では軒並み休業とあったが、今はほとんどの店は営業しているようで、先ほどの倒壊家屋以外は復興しているようであった。

以上で七尾の町の主要な所は回ってきたが、まだ時間があったので、七尾市内てはあるが、隣町となる和倉温泉まで足を延ばしてみることにした。こちらまでは循環バスではなく、地元の路線バスで10分ちょっとである。

 

ネットの情報では、かなり深刻な影響を受けていて温泉街は軒並み休業となっているようであった。お祭り会館前で下車したが、会館は休館となっていて、その先にある温泉街のホテルやお店も外観はさほど影響は受けてないように見えても、内部では影響が大きいのか軒並み休業となっていた。その中で、辛うじて営業していた料理屋で、復興の一助にでもなればと思い、地魚の西京焼きを肴に生ビールを飲んだが、1時間に1本しかバスがないので、まだ飲み足りなかったものの近くのバス停から七尾駅に戻り、駅近くの居酒屋(残念ながら全国チェーンの店しか無かったが)で飲み直してから金沢に戻った。

 

6月20日

 

今回の北陸訪問の最後となる能登ポランティアに出かける。金沢から3時間近くかけて輪島に向かうが、今まで行ってきた各地に比べると輪島の被害は甚大で、復興までには相当長期の時間がかかるなという気がした。

 

体の疲労がまだ抜けきってないので、今日は力仕事はやらないつもりで、私以外は全員女性というグループでの軽作業に従事した。

 

午前中は小学校に併設された学童クラブの部屋の片付け、午後は輪島塗の箸の業者の箸洗いという作業で体力は使わないものであったが、なにか孫たちへの支援と輪島塗の絵師であったご先祖様への恩返しをしているような妙な気分であった。

 

金沢に戻って銭湯に入ってさっぱりしてから上手いものを食べて帰京することになった。

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