日光周辺の関東100名山
6月26日
日光周辺の関東100名山として今回計画したのは、太郎山と石裂(オザク)山だが、いずれも過去に登ろうとして登れなかった山である。なお太郎山は関東100名山の他に日本300名山にもなっている山であり、過去に三回挑みながら登れなかったら因縁の山である。。
まずは短時間で登れる石裂山から登ることにする。前回は南側から取り付いたが、途中で道が消えて廃道になってしまい登れなかったので、今回は北側から取り次ぐことにした。
終点の石裂(オザク)で下車したのは私一人であった。10分ほど歩いた神社の階段のある所に不用の荷物を置いて身軽になって登り出す。
しばらく登ると回遊コースの登りコースと下りコースの分岐点となるが、もちろん登りコースを選択する(下りコースは急坂が続くので、登りにとると大変そうだから)。
登りコースは奥宮の手前からハシゴと鎖場が連続するので思ったより時間がかかる。奥宮へは長いハシゴを伝って登っていくが、登り終えると横に下降路があるので、別に登らなくてもよかったみたいだ。
奥宮から先で小尾根を乗越すが、尾根の向こう側には下っていく踏み跡があり、その先には赤布もついているので、何の疑いもなく進んだが、だんだん踏み跡が乏しくなってくるし、どんどん下っていくので、おかしいと思って引き返すと、さきほど乗越した尾根の上部にも踏み跡があって、マーキングも見つけたので、こちらが正解ルートだとわかったが、慣れてない人だと遭難しかねないコース取りであった。
その後も鎖やハシゴが次々と現れて、思ってたよりも多くの時間をかけて登頂することができた。
下りは急な道をどんどん下って行くだけなので、登りのように苦労することはなく、1日二本のバスのうち、午後の便に間に合うことができた。ネットの情報では長時間の待ち合わせで時間を持て余したと書いてあったが、私の場合は40分ほどの待ち時間なのでそれほどでもなかったが、まわりにはお店はおろか自販機もないので、長時間の待ち合わせとなる場合は大変だろう。
6月27日
前夜に光徳の道路脇にテントを張り早朝に太郎山登山に向けて出発する。五万図やMAPSmeでは光徳から太郎山と山王烏帽子との鞍部に直接登るコースが図示されているので、そこを登るつもりで山王峠に向けての舗装路を進んで行ったが、地図では舗装路から分岐しているあたりに行っても、乏しい踏み跡があるのみなので前進をあきらめて舗装路に戻る。しばらく行くと地図には載ってない舗装路が分岐しているが、そちらは立入禁止となっていた。この道が地図に載ってない理由は新しくできた道だからか、立入禁止の道だからかはわからないが前者だとすると、新道ができてからは新道より下の道は歩かれずに廃道となってしまったと考えると納得できる。事実、新道よりも上部にはマーキングが続いていたので、この道を進めば鞍部まで到達できることを確信した。もし、新道を進んでも鞍部に達する手がかりがなければ、さきほどの立入禁止の標識の地点まで戻って舗装路を引き続き進んで山王峠に達し、そこから山王烏帽子山経由で太郎山との鞍部に達する遠回りのコースを取らざるをえなくなるが、その心配はなくなったようで安心した。
だが実際に鞍部に通ずると思われる道を歩きだすと、踏み跡はあるものの思ったほどの良い道ではなく、鞍部に達するまでにはかなりの時間を要することが予想された。なお地図上のコースは鞍部の手前から右側に進路を変えて太郎山沿いの稜線に達しているが、そちらを進むと時間がかかりそうなので直接鞍部に出ることにしたが、それでも鞍部に達した時は予定時間の倍くらいかかってしまった。さらに鞍部から少し登ったあたりで、地図に表示されている道が稜線に達する地点にはロープで立ち入りができないようになっていたが、たしかに昔は人の歩ける道なのだったろうが、今はほとんど歩かれてないようで踏み跡も見いだせなかった。
鞍部から先は通常のコースなので行程は捗ったが、光徳にランチの営業時間までに戻るなどということはとんでもないことであった。やがて一見したところ頂上間近とも思える地点に出たが、GPSで確認していたので本当の頂上はまだまだ先であることはわかっていたものの、もしそうでなければ、「偽の」ピーク直下まで来て小太郎山の標識に気付き、そこからはるかかなたの本峰を眺めた時には落胆することになるだろう。本峰までは標高差は50メートルしかないが、アップダウンが続くので小一時間ほどかかってようやく登頂することができた。頂上は200名山であるにもかかわらず他の登山者はおらず独り占めできたが、奥深いのでなかなか取り付きにくい山なのだろう。
下山は唯一のコースのはずである赤薙コースを降りようとするが、なんと道が二手に分かれていて、一方の標識の行き先は赤薙、他方は三本松とある。二本もコースがあるはずはないので、両方のコースはいずれ合流するのだろうと思っていたら案の定すぐ下で合流していたが、紛らわしい標識であった。コースはすぐ下でお花畑と呼ばれるカルデラの底のような平地に降り立つが、名前とは裏腹に花は咲いておらず草だけが生い茂っていた。カルデラの端まで歩き外輪山を少し登ると、そこから先は薙に沿った急な下りの連続である。
だいぶ下って傾斜も少し落ちてきたあたりで後ろから来た人に抜かれる。山王峠から烏帽子山を経由してきたとのことで、足早に先を急いで見えなくなってしまったが、私も同じコースを歩いていたら今頃はどの辺りを歩いているだろうか?光徳に戻ると、少し前に光徳経由の日光行き最終バスは出てしまったので、この後の日光行きバスは光徳入口まで戻らなければいけないことになり、ホテルの売店で買ったビールを飲みながら光徳入口に向かって歩いて行くと、向こうから湯元行きのバスが来るではないか。あわてて次のバス停まで急ぎ、光徳入口までのわずかな距離ではあるが歩かずに済んた。入口で下車して日光行きのバスを待ったが、四度目の正直でようやく太郎山に登ることができて大満足の山行であった。
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