北海道以外の200名山は残すところ一座となり、一時は諦めていた北海道の200名山も登ってみようかという気になり、北海道在住の知り合いに声をかけて一緒に登るつもりでいたところ急遽登れなくなってしまったので、どうしたものかと思案する羽目となった。北海道の100名山はほとんどの山は一人で登ったのだが、その時と比べると体力も落ちているし、昨今はクマの出没が騒がれるようにもなったので、この際はガイド登山のお世話になることにした。そしてどうせガイド登山を行うならば、200名山最難と言われるカムイエクウチカウシ山 (通称カムエク)をまず最初に登り、続いて観光も兼ねて旭川に移動して芦別岳と夕張岳という2つの200名山も併せて登ってしまおうという欲張りな計画を立てた。
7月7日
ガイドさんとの待ち合わせは翌日の昼前に帯広駅又は帯広空港ということなので、本来ならば翌日の早朝に羽田空港を出発した方が楽なのだが、護身用の熊除けスプレーを個人装備としても持参したかったので、スプレーは飛行機には持ち込めないことを考慮して1日早くJRで出発することにした。
帯広まで行くのであればさほど早く出発する必要もなく、また出発日が日曜日なのでラッシュの心配もないということで、七時過ぎに最寄り駅を出発して8時過ぎの新幹線に乗り込んで新函館を目指す。北海道を訪れるのは7年振りのことであるが、幌尻岳で100名山登頂を果たし、その後に自転車で北海道一周を達成してからは主として北海道以外の200名山登頂を果たすために西の方に向かうことが多く、もう北海道に行くことはないだろうと思っていたのに、しばらくはまた北海道通いが続きそうである。
新函館から帯広までは南千歳で特急を乗り継いで夕方に着き、ホテルに荷物を置いてから居酒屋に向かおうとしたが、近くの居酒屋はどこも満員で、かと言って小雨も降り出してきたのであまり遠出もしたくないなと思っていたところ、泊まっているホテルの1階の奥がバーとなっていて満席ではないようなので、入ってみることにした。
最初はひとつ離れた席に男性が座り、その後に間に女性が座ったが、しばらくはお互いに話をすることもなかった。しばらくたってひとつ離れた席の男性がバーのママに山の話をし始めたので私が明日カムエクに登ると言うと、真ん中の女性がクマが怖くて山には登らないか山には大いに関心があるということで、たちまち山の話で盛り上がることになってしまった。
思いがけないことで帯広の夜は盛り上がってしまったが、適当なところで切り上げて部屋に戻り、第①日目は終わることになった。
7月8日
帯広駅でガイドさんと落合い、その後、空港と道の駅でも他の参加者と合流する。メンバーは私を含めて男性3人、女性1人で60代から70代で多分私が最高齢のようである。ガイドの高橋さんは50歳で信濃大町に在住し、7月いっぱいは北海道でガイドをするとのことである。なおメンバーのうち1人は過去にもカムエクのツアー登山に参加して登頂しているが、素晴らしい山だったので再度参加したということであり、女性の参加者は過去2回カムエクの登山ツアーに参加したが途中でリタイアしたので、今回は3度目の正直を狙っているようである。
最初にガイドさんから「アプローチの札内川の水量が多くて渡渉の困難が予想されるので、今日は予備日を使用して麓で待機して明日から行動したい」との話があった。思わぬ発言で少し動揺したが、ガイドさんの意見に従わざるをえず、ガイドさんの判断が吉と出ることを願うだけであった。まあ最悪の場合は来年またチャレンジすればよいだけであり、無理して出かけて難渋することを思えば自重するしかないと云う気かしてきた。
その夜は高橋さんが選んでくれたコテージの1棟借りに泊まることになったが、一人当たり3600円という安さで今まで経験したことのない素晴らしい環境で過ごすことができてラッキーであった。その晩は多少飲み過ぎたようで床につくとバターンキューで寝てしまった。

7月9日
昨夜の飲み過ぎで早めに目が覚めたが、食欲は全くなくパンを少々かじっただけで出発する。ゲートから歩きだすが、昨日下見した時と比べると確かに水量は減っており、ガイドさんの判断力の正しさには脱帽した。ゲートから先は6キロほどは林道を歩くが、ペースが速い上に二日酔いも加わってかなり苦しかった。
林道の終点の少し手前から沢装備に変えて札内川の遡行に移る。渡渉は深くても膝程度だが、流れも速い上に何年もの間、渡渉なんぞはやってないので感覚を忘れてしまい初心者同様となって神経が疲れてしまった。途中からヤブの中を通ることが多くなり渡渉の回数も減って八の沢の出合に着き、テントを張ることになった。

その晩もビール、ウィスキー、日本酒とちゃんぽんにして飲み、テントに入るとまたもやバタンキューで寝入ってしまった。
7月10日
今日は長時間行動になるということで3時に起きて4時に出発することになる。残念ながら女性のTさんが理由は不明ながら不参加ということになり、ガイドさん以下4人での出発となる。今朝も二日酔いであったが、登頂日であるということで気を振るい立たせた。
渡渉は昨日ほどではなかったが、深い所ではやはり慎重に歩を進めた。途中で沢靴から登山靴に履き替えてからは滑りやすい所では神経を使った。ただ要所々々にはフィックスがあったので、登りに関してはさほど苦労はしなかった。
カールまでは思ったより時間がかかったが、カールに辿り着くとそこは最低鞍部から山頂まで続く稜線に囲まれ、素晴らしい好天にも恵まれて天国のような所であった。

何時間でもじっとしていたいところであったが、ガイドさんの山頂12時がタイムリミットだという声でギアを切り替えてペースアップすることにした。そのせいもあって11時半前には登頂することができ、360度の展望も楽しむことができた(幌尻岳には雲がかかっていたが)。

下りはカールまでは快適であったが、そこから下はフィックスがあるあたりは神経を使うことになり、一箇所濡れている所て不覚にもスリップしかかってしまい、沢靴に履き替えた時にはほっとしたし、朝に比べれば明らかに水量は減っていて渡渉に苦労することもなく、真っ暗になる前にテントに戻ることができた。
無事に登頂できた安堵感からか、酒の量はそれほどでもないにもかかわらず、酒の回りは今回を通じて一番早かったように感じた。その晩はかなり酔いが回っていたので、荷物をテントにしまい忘れて、夜中の雨で荷物を濡らすという失態を演じてしまった。
7月11日
今朝は3日間の中で一番二日酔いがひどかったが、もうゴールも見えてたし、自分を振るい立たせる必要もなくなったのでマイペースで歩いていたら、皆より大きく遅れる羽目となってしまった。ところが、ゲートまで数キロの地点まで来た時に抜かれた人の後ろ姿を見ていたら、突然昔の自分を思い出した。それはマラソンでゴールまで3キロの表示を見たら、それまでどんなに疲れていてもギアを切り替えて全速力で走るというものであった。丁度この時もギアの切り替えに成功してみるみるうちにペースアップすることができた。皆が休んでいる所に追いつくことができたが、ここで休んでしまうと今のペースには戻れないきがしたので、そのままゲートまで行かせてもらうことにした。
ゲートからはそれぞれの車で道の駅まで行き、ラインの交換をした後、FさんとTさんとは別れて残りの3人は風呂で汗を流してから、女性のTさんは空港で降り、私は駅まで送ってもらってから釧路に向かった。釧路ではホテルに荷物を置いてから港近くの屋台村でビールや地酒と地魚で登頂の祝杯をあげた。
考えてみれば、今回の山行は天候にも恵まれたが、それ以上にガイドさんの好判断に負うところが大きかったように思う。カムエクには何度も挑戦しても登れない人がいると聞いているが、一度目でしかもあんな素晴らしい天気の下で登れたのは本当にラッキーだと思う。最後に今回同行してくださったガイドの高橋さんやメンバーの皆さんには心からのお礼を申し上げて報告を終わりたい。
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