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2024年7月

2024年7月16日 (火)

小樽からの帰京

7月15日

ガイド登山ツアーを離脱して今日は函館まで行くだけで余裕があるので、マッサンで有名になったニッカ余市工場に寄ってみる。

前に来た時と異なり、予約がないと正面入口からは入れず、10分以上遠回りする裏口まで歩かされた。しかも、無料試飲には予約が必要とのことで踏んだり蹴ったりだった(3連休なので予約は一杯)。まあここ1週間は飲み過ぎた気がするので、今日は休肝日とすることにした。

その後は倶知安乗り継ぎで長万部に到着。ここで遅めの昼食として駅前で名物のかに飯弁当を買う。以前にも買ったことがあり、見た目ほどカニの風味はしないことはわかっていたが、昼時を過ぎていて営業している飲食店もないことはわかっていたが、他に選択肢はなかった。ただ前回は気がつかなかったが、売店の隣の建物の中には特急の座席の再利用で自由席が設けられていて、壁にはスクリーンがあって先頭車両の風景やドライブやフライトの動画が流れていて旅気分を味わえるようになっていた。

長万部からは室蘭本線と合流するので特急もそこそこ走っているのだが、早く函館に着いてもやることがないので、各駅を待ったものだから2時間も待つことになってしまった。

 

函館ではホテルに荷物を置いてから函館ラーメンを食べに外に出る。居酒屋系のラーメン屋はたくさんあるが、みな騒がしそうだし、今夜は休肝日なので、酒の臭いのしない所で食べたいと思い、ラーメン専門店に入る。本当は海鮮ラーメンを食べたかったんだけど、入った店にはなかったので海鮮は明朝の海鮮丼で我慢することにした。メニューには海鮮のものは見つけられなかったが、注文した後に海老ワンタンというのがあるのを発見したが、後の祭りだった。

 

7月16日

 

早起きが習慣になってしまってきるので、早朝の朝市に向かう。海鮮料理の店はたくさんあるけど、一番手前の店に入って特上の海鮮丼を注文する。メニューの写真ほど豪華じゃないけど、まあいいか。

函館から新函館北斗まで戻って新幹線に乗るが、そのまま東京まで直行せず奥津軽いまべつで下車してタクシーで津軽中里まで移動し、津軽鉄道に乗車する。東日本の私鉄の中では唯一未乗車となっているからである。

 



ただひとつ合点がいかないのは、津軽中里よりも数10キロ北方の海沿いにある小泊という港町から秋田方面に向かって自転車でツーリングした際に、そこまでどういう経路で行ったのかはブログを読み返しても書いてなく、記憶にも全く残っていない。ひとつの可能性としては、津軽鉄道を利用して中里まてわ行き、そこから小泊まで自転車で移動したということも考えられるが、それならば日本海を南下中にわざわざ海岸線を離れて津軽鉄道の金木駅近くにある太宰治記念館に立ち寄ったりせず(この時は閉館後だったため入場できなかったが)、行きに金木駅で途中

下車して立ち寄ったはずだし、津軽鉄道経由で小泊に行くのは非常に時間がかかるので、合理的に考えれば先ほどタクシーに乗ってきた経路で奥津軽いまべつから小泊まで自転車で移動してきたはずで、そうであるならば津軽鉄道は東日本で唯一の未乗車として残されている私鉄であるという記憶は正しいことになる。

 

津軽鉄道は津軽中里から五所川原までを繋ぐ鉄道であるが、途中の金木駅で下車して、前回は入館し損ねた太宰治記念館を見学してくることた。記念館は太宰治(本名は津島修二)の生家を改修したものであり、戦前は大地主であった津島家も戦後は没落して邸宅も人手に渡り、一時は旅館として使われた後に現在に至っている。記念館には津島家時代の遺品が多数展示されていて、3連休後の平日であるにもかかわらず、多くの見学者が訪れていた。

金木駅に戻って終点の五所川原駅まで行き、後は五能線、奥羽線と乗り継いで新青森まで行き、そこからは新幹線で帰京することになった。

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2024年7月15日 (月)

北海道ガイドツアー後半戦

7月13日

午前中にコインランドリーで洗濯を済ませてから北海道二百名山である芦別岳のガイドツアー集合場所である旭川駅に向かう。北海道ガイドツアー後半戦は当初は芦別岳の他に二百名山である夕張岳も登る予定であったが、夕張岳のアプローチが通行不能となったために三百名山である余市岳に変更されることとなった。前半戦は参加者は4人であったが、後半戦は三連休ということもあり11人という大所帯になり、約反芻が駅集合、残りは空港ピックアップで、ガイドは前半と同様のTさんと、もう1人は若いTさんであった。

ワゴン車2台で明日登る芦別岳の登山口近くの宿舎に向かったが、私の隣に座ったのは愛知県日進市から来た私よりも4歳年上のAさんだったが、ビールを立て続けに飲んでいるので、朝からどのくらい飲んでいるのか聞いてみるとロング缶をすでに5本飲んだか聞いてみると、すでにロング缶を5本飲んでいるということで脱帽である。私も名古屋に5年間住んでいたことを話すと、愛知県内の町や山の話題でしばらくは盛り上がった。

宿舎には4時頃に着いたが、食事付きで予約はしてなかったようなので各人が好きな料理を注文した。ジンギスカンがメインのようだったが、昨日もも食べているので今回は生姜焼き定食を注文した。私と同じく生姜焼きを注文した人も多かったのは羊肉が苦手の人が多かったからだろうか 。女性4人以外の男性はAさんを除き生ビールを注文したが、Aさんはさすがにビールが続いたためかワインを注文していた。ところが赤と白を両方注文していたのにはまたまた驚いた。

食後に部屋に戻ったが、3人一部屋でAさんとは同室になったため、誘われて宿舎の庭でビールを飲み続ける羽目に。Aさんこ酒好きはツアー参加者の間では知れ渡っているようで誰も宴に加わってくる人はいなかった。あたりが暗くなってきたのでようやく部屋に戻るが、明日は早いので早々に寝入ることになる。

7月14日

4時前から起き出してカップラーメンを食べて5時には宿舎を出る。近くの駐車場に車を停めると、その裏手は登山口であった。今日は標高差1400メートルを一気に登るため、最初から急登の連続である。と思ったら、その先の立木に板が付けられていて呻吟坂と書いてあり、さらにその下には序曲とまで書いてある。これで覚悟を決めたが、実際はそれほどの急登ではなかった。ただこれほどの人数が登るので、なかには調子を崩す人もいるのではないかと思ったが、全員が元気であったし、単独の人には何人かには抜かれたが、何パーティーかは逆に抜いていったほぉである。最近はもっぱらマイペースでゆっくり登るクセが付いてしまったので、久々の「ハイペース」に付いていくのはたいへんだった。

森林限界を越えると雄大な稜線が見えてきて登高意欲が高まる。また足元には高山植物が咲き乱れるが、件のAさんは高山植物にも滅法詳しい上に、私のすぐ後を歩いていたが、ピタッとくっついてきて全く離れてしまうことはなく、年齢の割には足が達者で化け物のように思われる人である。半面山、霧峰山とコースタイムどおりに通過して北海道のマッターホルンと呼ばれる芦別岳の山頂に着く。カムエクの時と動揺に360度の大展望が楽しめ、今回は本当にラッキーであった。



頂上で30分ほど休んでから同じ道の下降に移るが、依然として快調で登山口には2時前に降り立った。休憩時間を差し引くとコースタイム以下で往復したことになる。私も時々ツアー登山のパーティーと出会うことがあるが、こんな早いツアー登山のパーティーには出会ったことはないような気がする。ここ何年かはゆっくり歩くことに慣れてしまった自分にとっては、カムエクの疲れが残っている状態では少しばかりハードだったようで、ふくらはぎの張りが残ってしまった。

下山後はすぐ近くのコンビニに直行してビールを買い込み、明日の登山口の最寄り駅である小樽駅近くのホテルを目指したが、隣席のAさんは相変わらずロング缶を立て続けに飲んでいて、この人には付き合い切れないなという気がしてきた。途中の富良野ではラベンダー畑を眺め、夕張では名物のメロンを食べて、ちょっぴり観光気分も味わった。

小樽のホテルに着くと明朝の5時までは、仲間て行動するも一人で行動するも自由となった。今晩はシングルの部屋なので、まずは自分の部屋に着いて旅装を解いたが、ふくらはぎの張りが引かないので、しばらくは待機して様子をみることにした。

ただ時間がたっても張りが引く気配がないのでホテル近くで夕食をとることにした。三連休の中日ということもあり、大通りの居酒屋も寿司屋も満員であった。そこでやむをえず、裏通りにある寿司屋に空席があるようだったので、そこに入ることにしたが、ここでトラウマが蘇った。それは昔、妻と小樽で寿司を食べるのを楽しみにして店に入ったが、混んでいる店を避けて空いている店に入ったところ、値段の割には美味くなかったことがあるからである。今回も二の舞となることを心配したが全くの杞憂で、値段もリーズナブルで味も美味であった。多分、観光客相手の店でなく、地元の人相手の店だからだろう。

ホテルに戻った時点では、明朝の回復次第では余市岳参加の可能性も残されていたので、5時出発が可能となる準備はした上で床に着いた。

7月15日

朝目覚めてみると、ふくろはぎの張りはあまり好転はしてなかったので、余市岳登山には参加しないことにした。5時前に姿を現したガイドさんにツアー離脱の旨を告げて、車の中に置いてあった装備を回収し、皆を見送って1週間に及んだ今回のツアーは終わることになった。

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釧路から旭川への移動

釧路から網走行きの列車に乗ると間もなく車窓から釧路湿原が見えてくる。釧網線は逆コースで冬に通ったことがあるが、夏には小型の遊覧船も運航されているようで(写真参照)、機会があったら乗ってみたいものである。


その後、摩周駅で下車して摩周湖に向かうが、天気は良くないのが気がかりだったところ、案の定、霧の摩周湖であった(昔、来て全く何も見えなかった時と比べると、外輪山の中腹までは見えるだけマシであったが)。

摩周湖の麓の駅に戻ったけれど、網走行きは1日4本しかなく3時間半の待ちあわせとなる。駅前のレストランは豚丼とラーメンがメインらしいが、豚丼は帯広、釧路と食べてきたし、ラーメンは山では毎朝カップ麺だったし、今晩の旭川が本場なので、ジンギスカンとする。食後にオレンジーナコーヒーという不思議なものを飲んだが、もう一回飲みたいとは思わないものだった。

食後に駅に戻るが、駅周辺には見事になにもない。バスを一緒に降りた人はみんな同じレストランに入ったが、食後にホテルからの送迎バスに乗ってしまい、待合室は私一人となる。まだ次の電車まで2時間もあるから、往復30分近くかかるけどコンビニまで行ってビールでも買ってこようかなと歩き出す(待合室の観光案内所兼売店にはサッポロビールのショーケースはあるというのに水しか入ってなかった)。しばらく歩くと酒屋を発見してビールとつまみを買い、コンビニまで歩くのは避けられた。さらに駅前に足湯があるのも発見してなんとか時間を潰すことができた。

 

網走までは各駅停車しか走ってないので時間がかかる。それでもオホーツク海が見えてくると気が紛れる。さらに進むと原生花園にさしかかり、今が盛りと花が咲き乱れる様は車窓の風景としては見事なものであった。

列車はやがて網走に近づくが、旭川行きの特急列車との乗り継ぎ時間がわずかしかないので、果たして夕食が買えるかどうかが気がかりだったが、やはり無理であった。後は車内販売に期待したが、これもないようだったので、後は酒屋で買ったつまみの残りで我慢するしかなかった。

 

すっかり暗くなってしまい、外の景色も見えなくなってしまったので、ブログの原稿書きで時間を潰したが、旭川に近づいた辺りで、床下に衝撃を感じて列車は急停車する。しばらくして車内放送があり、熊と接触したので点検をするためにしばらく停車するとのことであるが、あの床下の衝撃からすると、絶対に接触などという甘いものではなく、ひき殺してしまったに違いない。おかげで旭川到着が1時間遅れとなってしまったが、まあ山で熊に会わなかっただけでよしとしよう。到着遅れで旭川ラーメンが食べられるかどうかが気がかりだったが、なんとか深夜まで営業している店を見つけて、これで本当に旭川に到着した気分になることができた。

 

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2024年7月13日 (土)

北海道ガイド登山ツアー前半戦

北海道以外の200名山は残すところ一座となり、一時は諦めていた北海道の200名山も登ってみようかという気になり、北海道在住の知り合いに声をかけて一緒に登るつもりでいたところ急遽登れなくなってしまったので、どうしたものかと思案する羽目となった。北海道の100名山はほとんどの山は一人で登ったのだが、その時と比べると体力も落ちているし、昨今はクマの出没が騒がれるようにもなったので、この際はガイド登山のお世話になることにした。そしてどうせガイド登山を行うならば、200名山最難と言われるカムイエクウチカウシ山 (通称カムエク)をまず最初に登り、続いて観光も兼ねて旭川に移動して芦別岳と夕張岳という2つの200名山も併せて登ってしまおうという欲張りな計画を立てた。

7月7日

ガイドさんとの待ち合わせは翌日の昼前に帯広駅又は帯広空港ということなので、本来ならば翌日の早朝に羽田空港を出発した方が楽なのだが、護身用の熊除けスプレーを個人装備としても持参したかったので、スプレーは飛行機には持ち込めないことを考慮して1日早くJRで出発することにした。

帯広まで行くのであればさほど早く出発する必要もなく、また出発日が日曜日なのでラッシュの心配もないということで、七時過ぎに最寄り駅を出発して8時過ぎの新幹線に乗り込んで新函館を目指す。北海道を訪れるのは7年振りのことであるが、幌尻岳で100名山登頂を果たし、その後に自転車で北海道一周を達成してからは主として北海道以外の200名山登頂を果たすために西の方に向かうことが多く、もう北海道に行くことはないだろうと思っていたのに、しばらくはまた北海道通いが続きそうである。

新函館から帯広までは南千歳で特急を乗り継いで夕方に着き、ホテルに荷物を置いてから居酒屋に向かおうとしたが、近くの居酒屋はどこも満員で、かと言って小雨も降り出してきたのであまり遠出もしたくないなと思っていたところ、泊まっているホテルの1階の奥がバーとなっていて満席ではないようなので、入ってみることにした。

最初はひとつ離れた席に男性が座り、その後に間に女性が座ったが、しばらくはお互いに話をすることもなかった。しばらくたってひとつ離れた席の男性がバーのママに山の話をし始めたので私が明日カムエクに登ると言うと、真ん中の女性がクマが怖くて山には登らないか山には大いに関心があるということで、たちまち山の話で盛り上がることになってしまった。

思いがけないことで帯広の夜は盛り上がってしまったが、適当なところで切り上げて部屋に戻り、第①日目は終わることになった。

7月8日

帯広駅でガイドさんと落合い、その後、空港と道の駅でも他の参加者と合流する。メンバーは私を含めて男性3人、女性1人で60代から70代で多分私が最高齢のようである。ガイドの高橋さんは50歳で信濃大町に在住し、7月いっぱいは北海道でガイドをするとのことである。なおメンバーのうち1人は過去にもカムエクのツアー登山に参加して登頂しているが、素晴らしい山だったので再度参加したということであり、女性の参加者は過去2回カムエクの登山ツアーに参加したが途中でリタイアしたので、今回は3度目の正直を狙っているようである。

最初にガイドさんから「アプローチの札内川の水量が多くて渡渉の困難が予想されるので、今日は予備日を使用して麓で待機して明日から行動したい」との話があった。思わぬ発言で少し動揺したが、ガイドさんの意見に従わざるをえず、ガイドさんの判断が吉と出ることを願うだけであった。まあ最悪の場合は来年またチャレンジすればよいだけであり、無理して出かけて難渋することを思えば自重するしかないと云う気かしてきた。

その夜は高橋さんが選んでくれたコテージの1棟借りに泊まることになったが、一人当たり3600円という安さで今まで経験したことのない素晴らしい環境で過ごすことができてラッキーであった。その晩は多少飲み過ぎたようで床につくとバターンキューで寝てしまった。



7月9日

昨夜の飲み過ぎで早めに目が覚めたが、食欲は全くなくパンを少々かじっただけで出発する。ゲートから歩きだすが、昨日下見した時と比べると確かに水量は減っており、ガイドさんの判断力の正しさには脱帽した。ゲートから先は6キロほどは林道を歩くが、ペースが速い上に二日酔いも加わってかなり苦しかった。

林道の終点の少し手前から沢装備に変えて札内川の遡行に移る。渡渉は深くても膝程度だが、流れも速い上に何年もの間、渡渉なんぞはやってないので感覚を忘れてしまい初心者同様となって神経が疲れてしまった。途中からヤブの中を通ることが多くなり渡渉の回数も減って八の沢の出合に着き、テントを張ることになった。

 

その晩もビール、ウィスキー、日本酒とちゃんぽんにして飲み、テントに入るとまたもやバタンキューで寝入ってしまった。

7月10日

今日は長時間行動になるということで3時に起きて4時に出発することになる。残念ながら女性のTさんが理由は不明ながら不参加ということになり、ガイドさん以下4人での出発となる。今朝も二日酔いであったが、登頂日であるということで気を振るい立たせた。

渡渉は昨日ほどではなかったが、深い所ではやはり慎重に歩を進めた。途中で沢靴から登山靴に履き替えてからは滑りやすい所では神経を使った。ただ要所々々にはフィックスがあったので、登りに関してはさほど苦労はしなかった。

カールまでは思ったより時間がかかったが、カールに辿り着くとそこは最低鞍部から山頂まで続く稜線に囲まれ、素晴らしい好天にも恵まれて天国のような所であった。

何時間でもじっとしていたいところであったが、ガイドさんの山頂12時がタイムリミットだという声でギアを切り替えてペースアップすることにした。そのせいもあって11時半前には登頂することができ、360度の展望も楽しむことができた(幌尻岳には雲がかかっていたが)。

 

下りはカールまでは快適であったが、そこから下はフィックスがあるあたりは神経を使うことになり、一箇所濡れている所て不覚にもスリップしかかってしまい、沢靴に履き替えた時にはほっとしたし、朝に比べれば明らかに水量は減っていて渡渉に苦労することもなく、真っ暗になる前にテントに戻ることができた。

無事に登頂できた安堵感からか、酒の量はそれほどでもないにもかかわらず、酒の回りは今回を通じて一番早かったように感じた。その晩はかなり酔いが回っていたので、荷物をテントにしまい忘れて、夜中の雨で荷物を濡らすという失態を演じてしまった。

7月11日

今朝は3日間の中で一番二日酔いがひどかったが、もうゴールも見えてたし、自分を振るい立たせる必要もなくなったのでマイペースで歩いていたら、皆より大きく遅れる羽目となってしまった。ところが、ゲートまで数キロの地点まで来た時に抜かれた人の後ろ姿を見ていたら、突然昔の自分を思い出した。それはマラソンでゴールまで3キロの表示を見たら、それまでどんなに疲れていてもギアを切り替えて全速力で走るというものであった。丁度この時もギアの切り替えに成功してみるみるうちにペースアップすることができた。皆が休んでいる所に追いつくことができたが、ここで休んでしまうと今のペースには戻れないきがしたので、そのままゲートまで行かせてもらうことにした。

ゲートからはそれぞれの車で道の駅まで行き、ラインの交換をした後、FさんとTさんとは別れて残りの3人は風呂で汗を流してから、女性のTさんは空港で降り、私は駅まで送ってもらってから釧路に向かった。釧路ではホテルに荷物を置いてから港近くの屋台村でビールや地酒と地魚で登頂の祝杯をあげた。

考えてみれば、今回の山行は天候にも恵まれたが、それ以上にガイドさんの好判断に負うところが大きかったように思う。カムエクには何度も挑戦しても登れない人がいると聞いているが、一度目でしかもあんな素晴らしい天気の下で登れたのは本当にラッキーだと思う。最後に今回同行してくださったガイドの高橋さんやメンバーの皆さんには心からのお礼を申し上げて報告を終わりたい。

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