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2024年7月15日 (月)

北海道ガイドツアー後半戦

7月13日

午前中にコインランドリーで洗濯を済ませてから北海道二百名山である芦別岳のガイドツアー集合場所である旭川駅に向かう。北海道ガイドツアー後半戦は当初は芦別岳の他に二百名山である夕張岳も登る予定であったが、夕張岳のアプローチが通行不能となったために三百名山である余市岳に変更されることとなった。前半戦は参加者は4人であったが、後半戦は三連休ということもあり11人という大所帯になり、約反芻が駅集合、残りは空港ピックアップで、ガイドは前半と同様のTさんと、もう1人は若いTさんであった。

ワゴン車2台で明日登る芦別岳の登山口近くの宿舎に向かったが、私の隣に座ったのは愛知県日進市から来た私よりも4歳年上のAさんだったが、ビールを立て続けに飲んでいるので、朝からどのくらい飲んでいるのか聞いてみるとロング缶をすでに5本飲んだか聞いてみると、すでにロング缶を5本飲んでいるということで脱帽である。私も名古屋に5年間住んでいたことを話すと、愛知県内の町や山の話題でしばらくは盛り上がった。

宿舎には4時頃に着いたが、食事付きで予約はしてなかったようなので各人が好きな料理を注文した。ジンギスカンがメインのようだったが、昨日もも食べているので今回は生姜焼き定食を注文した。私と同じく生姜焼きを注文した人も多かったのは羊肉が苦手の人が多かったからだろうか 。女性4人以外の男性はAさんを除き生ビールを注文したが、Aさんはさすがにビールが続いたためかワインを注文していた。ところが赤と白を両方注文していたのにはまたまた驚いた。

食後に部屋に戻ったが、3人一部屋でAさんとは同室になったため、誘われて宿舎の庭でビールを飲み続ける羽目に。Aさんこ酒好きはツアー参加者の間では知れ渡っているようで誰も宴に加わってくる人はいなかった。あたりが暗くなってきたのでようやく部屋に戻るが、明日は早いので早々に寝入ることになる。

7月14日

4時前から起き出してカップラーメンを食べて5時には宿舎を出る。近くの駐車場に車を停めると、その裏手は登山口であった。今日は標高差1400メートルを一気に登るため、最初から急登の連続である。と思ったら、その先の立木に板が付けられていて呻吟坂と書いてあり、さらにその下には序曲とまで書いてある。これで覚悟を決めたが、実際はそれほどの急登ではなかった。ただこれほどの人数が登るので、なかには調子を崩す人もいるのではないかと思ったが、全員が元気であったし、単独の人には何人かには抜かれたが、何パーティーかは逆に抜いていったほぉである。最近はもっぱらマイペースでゆっくり登るクセが付いてしまったので、久々の「ハイペース」に付いていくのはたいへんだった。

森林限界を越えると雄大な稜線が見えてきて登高意欲が高まる。また足元には高山植物が咲き乱れるが、件のAさんは高山植物にも滅法詳しい上に、私のすぐ後を歩いていたが、ピタッとくっついてきて全く離れてしまうことはなく、年齢の割には足が達者で化け物のように思われる人である。半面山、霧峰山とコースタイムどおりに通過して北海道のマッターホルンと呼ばれる芦別岳の山頂に着く。カムエクの時と動揺に360度の大展望が楽しめ、今回は本当にラッキーであった。



頂上で30分ほど休んでから同じ道の下降に移るが、依然として快調で登山口には2時前に降り立った。休憩時間を差し引くとコースタイム以下で往復したことになる。私も時々ツアー登山のパーティーと出会うことがあるが、こんな早いツアー登山のパーティーには出会ったことはないような気がする。ここ何年かはゆっくり歩くことに慣れてしまった自分にとっては、カムエクの疲れが残っている状態では少しばかりハードだったようで、ふくらはぎの張りが残ってしまった。

下山後はすぐ近くのコンビニに直行してビールを買い込み、明日の登山口の最寄り駅である小樽駅近くのホテルを目指したが、隣席のAさんは相変わらずロング缶を立て続けに飲んでいて、この人には付き合い切れないなという気がしてきた。途中の富良野ではラベンダー畑を眺め、夕張では名物のメロンを食べて、ちょっぴり観光気分も味わった。

小樽のホテルに着くと明朝の5時までは、仲間て行動するも一人で行動するも自由となった。今晩はシングルの部屋なので、まずは自分の部屋に着いて旅装を解いたが、ふくらはぎの張りが引かないので、しばらくは待機して様子をみることにした。

ただ時間がたっても張りが引く気配がないのでホテル近くで夕食をとることにした。三連休の中日ということもあり、大通りの居酒屋も寿司屋も満員であった。そこでやむをえず、裏通りにある寿司屋に空席があるようだったので、そこに入ることにしたが、ここでトラウマが蘇った。それは昔、妻と小樽で寿司を食べるのを楽しみにして店に入ったが、混んでいる店を避けて空いている店に入ったところ、値段の割には美味くなかったことがあるからである。今回も二の舞となることを心配したが全くの杞憂で、値段もリーズナブルで味も美味であった。多分、観光客相手の店でなく、地元の人相手の店だからだろう。

ホテルに戻った時点では、明朝の回復次第では余市岳参加の可能性も残されていたので、5時出発が可能となる準備はした上で床に着いた。

7月15日

朝目覚めてみると、ふくろはぎの張りはあまり好転はしてなかったので、余市岳登山には参加しないことにした。5時前に姿を現したガイドさんにツアー離脱の旨を告げて、車の中に置いてあった装備を回収し、皆を見送って1週間に及んだ今回のツアーは終わることになった。

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