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2024年8月16日 (金)

仙丈岳(地蔵尾根)とトランスジャパン応援

日本アルプスの主稜線のうち一般的なものは全て踏破しているので、あとは主稜線から分岐している支稜の踏破を目的とすることとして、6月には立山から大日岳に向かう尾根を歩いたが、今回は仙丈岳から西に延びる地蔵尾根を歩くことにした。実は今回はもうひとつの目的がある。それは2年に1回、日本アルプスを日本海から太平洋まで8日間で踏破するトランスジャパンアルプスレース(TJAR)のコースの一部に地蔵尾根が含まれているので、仙丈岳まで往復しなから選手の応援もしようという計画である。

8月12日


5日間連続で歩いたので(と言っても1日フルに動いたのは2日目の火打~焼だけであるが)、今日は休養と移動にあてていたが、せっかくなのでTJARのコースが中央線の藪原駅を横切るようなので、そこで先頭グループの応援をすることにした。


過去のレースの経過から先頭グループが藪原駅を通過するのは2日目の夜だろうと思って、長野のホテルは午後に出ればいいだろうと考えていたら、ネットで表示される先頭グループの進路は思ったよりも早くて、午前中には藪原駅を通過しそうだったので、ホテルの朝食は放棄して始発電車で藪原に向かうことにした。


塩尻で中央西線に乗り換えたが、ここでもう一度作戦を立て直してみた。それは藪原で下車すると先頭グループには間に合うが、次のグループまではかなり待たなければならなくなる。そこで少し先の原野まで行って、そこで先頭グループの応援をしてから、逆方向の電車に乗って藪原に向かえば、さほど待たされることもなく2番手グループの応援ができるだろうという目論見である。


原野駅は藪原駅から二つ目の駅なので、ずいぶんと待たされることになったが、道の駅やそば屋(有名な店なのかひっきりなしに来店者のある繁盛店のようだった)があるので、後続グループ応援の待機時間を減らずために前の駅まで引き返す必要はなく、食事をしていればよいことになって、原野駅まで来たのは正解だったと、その時は思った。


ところが、原野駅から少し歩いて中山道に出て、木曽駒ヶ岳方面への曲がり道でトップの選手の到着を待っていたところ、GPSトラッキングによれば間もなく到着するかと思いきや、新しい位置表示では、なんと本来のコースから外れてショートカットした地点にポイントがある。そんなのありかよと思ったが、同じ場所に応援に来ていた人の話では、チェックポイントさへ通っていればショートカットは構わないとのことであった。


2番手の選手は1時間ちょっと遅れているようなので、その間に食事を済ませ、通過すると思われる時間の少し前に曲がり角に戻って到着を待ったが、今回もすぐ手前でショートカットしてしまい、応援し損ねてしまった。


後続の選手は5、6時間は遅れているようで、そんなには待てないし、明日になれば地蔵尾根ではたくさんの選手の応援ができるであろうから、今日の応援は諦めることにして下諏訪に向かった。


8月13日


下諏訪から茅野に移動し、仙流荘行きのバス停に向かったが、案に相違してバス待ち客は誰もいなかった。その後、少しづつ客が増えて、最終的には半分程度は席が埋まった。


今回の目的の地蔵尾根の登り口である市野瀨はバスの終点である仙流荘とは少し離れているので、途中で降ろしてもらえないかと運転手に聞いてみたが、ダメだと言われる。仙流荘で下車すると、市野瀨よりも先の分杭峠までバスが出ていることがわかったので、市野瀨で下車させてもらえないかと聞いてみたが、やはりダメだと言われて、仙流荘から市野瀨まで四キロほどは歩いていくことにした。歩き出してしばらくすると、分杭峠行きのバスに追い抜かれて少し悔しかった。


市野瀨まで着くと、仙丈岳登山口の標識があったが、数年前に行った時は、すぐ上にチェックポイントがあってスタッフが常駐していたものだが、どうもその時とは様子が違う。多分、登山口はいくつかあって、前回はもう少し南の登山口の前を通ったのだろうから、両方の登山道は上部で合流するのだろうと思った。少し登ると上から降りてくる人がいたので聞いてみると、トランスジャパンのトップの人とは会ったとのことなので、この道で間違いないと確信した。


当初の予定では、今晩は小屋泊まりだったが、明るいうちに着くのは難しそうだったので、水場があってネットも通じる絶好のキャンプ適地があったため、テントを張ってしまった。ネットが通じているので、トランスジャパンのGPSトラッキングで選手の位置を確認すると、トップは仙丈岳近くまで達しているが、2番手はかなり遅れていて、私の所まで来るにはだいぶ時間がかかりそうた。もし起きていれば応援をしてあげられるのだが


8月14日


結局、夜の間には後続者は到着しなかったようで、明け方に出発の準備をしていると、一人が到着し、その後は、時間をおかずに三人が次々と到着したので、応援のエールを送った。ただ、GPSトラッキングで見ると、その後はしばらくは後続者が見当たらず、このぶんでは仙丈岳に着くまでには追いつかれそうもなかったので、後ろを気にしながら歩く必要もなく、気楽に歩くことができた。


地蔵尾根は長大な尾根なので、アップダウンが多くて時間がかかってしまい、当初の予定では昨晩泊まるはずだった松峰小屋まで2時間以上かかってしまった。松峰小屋に大半の荷物は置いて、軽装で上を目指すことにするが、先日の焼山の時とは違って、天気が今ひとつで悪天となった場合の下降には難儀するので、タイムリミットを3時と決めて、その時間が来れば頂上に着けなくても下山することに決めた。


天気は次第に雨が強くなってきたので、どうしたものかと思案する。今は樹林帯の中なので、多少体が濡れても大丈夫だが、樹林帯を抜けて岩稜帯になると風がまともに当たるので、体感温度はぐっと下がって、低体温症の危険が高まってくる。トランスジャパンの選手たちは、そんななかでも負けずに行動するのだろうが、自分はもう若くないのだから無理はできないと、まだ2時前ではあるが、標高2420メートルの地図上に表示されている地点から引き返すことにした。


松峰小屋に着くまでの間に4人の選手とすれ違って激励のエールを送るが、うち3人の選手は元々知り合いというわけではないだろうに、まとまって行動していた。極限的な環境にあると、同志愛的な気持になるのだろうし、励まし合って進んだ方が精神的にも楽なのだろう。間もなく松峰小屋への下降点に着く。GPSトラッキングでは、1人の選手が市野瀨のチェックポイントあたりにいるので、夜中じゅうに小屋上部の道を通過してしまう可能性が高いが、夜中まで起きて応援するわけにはいかないので、やむをえない。


8月15日


雨は夜の間にやんだようだが、無人小屋とはいえ、雨の日はテントと比べると格段に居住性は高い。登山道に戻ってしばらく進むと、電波状態が良いところがあったので確認すると、昨夜中に通過してしまうだろうと思った選手が依然として前夜と同じ場所でとどまっている。なにかアクシデントでもあったのかと心配になる。


そうこうしているうちに何人もの選手とすれ違う。昨日と同様に何人もの選手がグループのように行動している場合もあれば、苦悶の表情を浮かべてほとんど止まっている選手もいる。あまり苦しそうだったので、大丈夫ですかと声をかけたが、リタイアするつもりはないようだ。ここから三伏峠の関門までは彼の体調からすると、無限に等しい遠さであり、市野瀨の関門まで戻ることがベストと思われるが、それは本人が決めることであり、「次の関門目指して頑張ってください」としかいえなかった。


結局、この日は12人の選手とすれ違い、昨日と併せて20人の選手に応援のエールを送ることができた。それにしても、昨夜から静止していると思われる選手とは結局出会うことはなかった。道が違ったのか、システム上の不具合なのかはわからなかったが、妙な話である。


以前には立ち寄った市野瀨関門の施設には下りでも立ち寄ることはできなかった。登る道が違うのかとも思ったが、一本道で他に登山道はないようなので、おそらくもう少し分杭峠の方に上がった方にあるのかもしれない(前回は自転車利用のため、今回とは距離感感が違いすぎたせいか)。最後の関門通過者を祝福するつもりだったが、制限時間ギリギリの通過者はいなかってようなので、たとえ関門のテントに辿り着けても、期待したような場面には遭遇できなかった可能性は高かったに違いない。


下山口から茅野駅行きバスの発車する仙流荘までは五キロちょっとあり、行きの時よりもだいぶ長く感じた。仙流荘では、バスの発車時間まではだいぶ時間があったので、温泉に入ったり、生ビール付きのランチをしたりと、すっかりくつろぐことができた。


今回は地蔵尾根の2400メートルから上は行くことができなかったので近いうちにリベンジすることを考えている。地蔵尾根を末端からまた登る気にはなれないので、林道バスを利用して北沢峠まで上がってしまい、仙丈岳から地蔵尾根の未踏部分をトレースするのがよいかなとも考えている。

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