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2024年10月

2024年10月30日 (水)

大杉谷

大杉谷は長年通行止めとなっていたが、近年通行が再開されたということで妻との南紀旅行の後に立ち寄るつもりだったが、登山口までの路線バスはなく、週末に予約制のマイクロバスが運行されているのみで、かなり前から申し込まないと乗車は難しいということで諦めて、大台ケ原から往復することにした。

10月27日

早朝に松阪駅を出発して大和八木駅に向かい、そこから大台ケ原行きのバスに乗り込むが、選挙投票日のためか乗客は皆無で貸切り状態で大台ケ原に向かう。3時間以上をかけて大台ケ原に着くが、こちらも人はまばらである。大台ケ原は20年ほど前にサマーコレクションというクライミングルートを登った際に立ち寄ったことかあるので、今回は山頂は素通りしてすぐに大杉谷方面の下降路に向かう。途中で下から登ってくる何人かの登山者に出会ったが、週1回のマイクロバスを利用してきた人たちだろう。

下降路は比較的明瞭で大杉谷に降りる途中にある小屋に泊まった。軽量テントも持参はしていたが、いつ雨が降り出してもおかしくない天気だったので、3時前と少し時間は早かったが、谷までは降りずに小屋で泊まることにした。夜中にかなり雨が降ったので小屋泊まりにして正解だった。

10月28日

谷までの下降路は多少は悪いところもあったが、それほどのこともなく谷に降り立つことができた。堂倉滝が谷に落ち込む所から対岸まで橋を渡ったところで引き返すことにした。時側があればもう少し先まで歩いてみたかったが、帰りのバスに乗り遅れると大変なので、一応は大杉谷を歩いたということにして戻ることにした。

登りは意外と時間がかかってしまい、バス停に戻れたのは出発1時間前だった。食堂のラストオーダーにはなんとか間に合い、ビールで乾杯をすることができた。

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熊野古道 中辺地

熊野古道のうち、小辺地、大駆、伊勢路の一部は今まで歩いたことはあったが、平安時代からのメインであった中辺地はまだ歩いたことはなかったので、妻と関西旅行の途中で立ち寄ることにした。

10月25日


紀伊田辺から中辺地の事実上の起点である滝尻王子までは妻と一緒にバスに乗車し、そこからは妻は次のバスで湯の峯温泉に向かい、私は中辺地を歩くことにした。と言っても1日で湯の峯温泉まで行くのは無理なので、最終バスに間に合うまで歩いてあとはバスで湯の峯温泉に向かい妻と合流することにした。


滝尻王子からはいきなりの急登になるが、本日は体調も良くて先行者を次々と追い抜いて行く。ところが、歩いているのは外人それも西洋人ばかりで日本人は皆無なのはどうしたことだろうか。土日であれば若い人も参加しやすいので、日本人もそれなりに歩いているのだろうが、中高年にとっては少しハードすぎるコースのためだろう。また外人が多いのは世界遺産としての魅力がインターネットで知られるようになったからだと思われる。


高原までの急登を上り詰めると登ってきた滝尻方面の展望を望むことができるが、そこから先も多少緩やかにはなるものの、登りが続くことになる。そこから先も先行者を抜いていき、いつしか先行者もいなくなった。やがて滝尻王子で別れた自動車道と合流すると、牛馬王子のバス停に着く。しかし最終バスまでは1時間半近く待たなければならないことかわかり、次の近露王子まで行くことにする。


近露王子に着いた時は薄暗くなりかけていたが、運良く停留所脇には酒の自販機があったので、ビールを飲みながら最終バスを待ち中辺地の旅は終わった。

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2024年10月20日 (日)

ふれあいの道 埼玉県コース6,7番

2024年10月18日

コース6番、7番を忠実に最初から最後まで歩くと1日ではきついので、インチキして秩父鉄道から両コースの撮影ポイントを往復するだけでお茶を濁してしまった。なお6番の撮影ポイントである蓑山と7番の撮影ポイントである宝登山はいずれも山と溪谷社出版の関東100名山の新版の方の山だったので、こちらもクリアできて儲かったような気分であった。

Simg_20241018_111904 蓑山

 

Simg_20241018_145451 宝登山

 

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ふれあいの道 埼玉県コース6,7番

2024年10月18日

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2024年10月15日 (火)

関東ふれあいの道 わたらせ渓谷鉄道沿い(北部)

関東ふれあいの道のわたらせ渓谷鉄道沿いのコースはほとんどが手付かずであるが、北部から順次進めていくことにする。

10月12日

わたらせ渓谷鉄道の南部の起点である桐生までは新幹線と在来線の乗り継ぎで達し、そこから北部の終点である間藤までは1時間強の道程である。

今回は全て歩くとなると相当時間がかかりそうなので、舗装路は自転車を利用し、それ以外の所だけを歩くことにした。最初のコースはわたらせ渓谷鉄道沿線のコースで唯一、栃木県のコースとなる舟石峠経由、備前楯山のコースである。こちらもご多分に漏れず、傾斜がきつくなると、自転車を下りて歩き出すことになる。比較的見通しがきく道だったので、峠が近づいてきたことがわかり、休むことなく最後の頑張りで峠に達する。

峠からは舗装路を離れて撮影ポイントに指定されている山頂を目指して尾根筋を登っていく。途中、上から降りて来る人に出会ったが、キノコ取りの人のようであった。峠にたくさんの車が駐車してあったにもかかわらず、山で会う人が希だったのは、大半がキノコ取りが目的であるためだったかららしい。

峠から頂上までは1.5キロと短かったが、意外と時間がかかってしまった。頂上は無人かと思ったら、少し先の方に二人の登山者が休んでいたので、全く人気のない山でもないようだ。

峠に降りて昼食をしていると、さきほど頂上の先で昼食をしていた二人連れが降りてきた。彼らは車で帰るのかと思ったら、私と同じく銀山平に向けて歩き出したのは意外であった。

しばらく休んでから銀山平に向けて下りだすと、間もなく先行していた二人連れが前方を歩いているのを発見する。黙って追い抜くのも失礼だと思い、挨拶をしながら追い抜いたが、やはり「文明の利器」の威力は絶大である。

渓谷沿いの道に降りてからも下りの道が続き、間もなくして沢入(そうり)の駅に着く。ここは何年か前に袈裟丸山に登った時にコースの起点及び終点となったところである。その途中に寝釈迦という奇岩があって、ふれあいの道の撮影ポイントとなっているので、袈裟丸山登山の時に一度通過しているはずなのだが、写真を撮っていなかったので、今回また行かなくてはならなくなった。

かなり上部まで舗装路が続いているようではあったが、傾斜が強いために下の方から歩かざるを得なかった。明るいうちに寝釈迦を往復してくるつもりが、到底無理なことに気づき、舗装路終点の少し下辺りにテントを張らざるを得なくなった。本格的なテントではなく簡易テントであったため、夜になって降りだした雨のためにかなり濡れてしまった。

10月13日

朝になるとすっかりいい天気になっていて雨の中を歩かなくて済んだのはせめてものことであった。濡れたテントを乾かすためにテントははったままで、軽装ででかける。しばらく進むと道はダートになってきたので、自転車は道端に置いて歩き出す。

道は間もなくして本格的な山道となるが、1時間以上もかかってようやく寝釈迦に到着する。

証拠写真を撮ってからすぐに下山に移る。途中で自転車、さらにはテントを回収して沢入駅に戻る。ここからはわたらせ渓谷沿いに下りが続くが、途中に蕎麦屋があったので、天麩羅そばを食べる。久し振りにまともなものを食べた気がした。

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渓谷沿いの道はさらに下りが続き、途中の撮影ポイントである不動滝で写真を撮った後に更に下り続けると小中駅に達し、ここから本日最後の撮影ポイントである袈裟懸け橋に向かうことになる。傾斜もそれほどではないので、自転車をおりることなく、こぎ続けたが、昨日からの疲労がたまったのか、太ももにけいれんが起こりそうになったので、やむを得ず自転車を降りて歩き出すことになる。


だましだまし歩いてなんとか袈裟懸け橋に着き、写真を撮ってから小中駅目指して一気に降りて、登りの何分の一かの時間で小中駅に着き、後は電車を乗り継いで帰宅することができた。

渓谷沿いのふれあいの道はまだかなり残したままになっているが、順次、踏破していくつもりである。

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2024年10月 6日 (日)

鉢盛山

10月5日

日本三百名山でもあり甲信越百名山でもある鉢盛山は以前に木曽川源流からの登頂を目指したが、アプローチが長いために敗退したことがあるが、今回は友人の車に便乗させてもらって、短いアプローチで登頂することができた。

深夜1時頃に塩尻インターを降りたあたりの道の駅に停車し、1時間ほど車内で小宴会をした後、短い仮眠を行い、明け方に朝日村に向かう。村の指定場所で林道ゲートの鍵を受け取って登山口まで車を走らせる。登山口では小雨が降っていたが、行動できないほどの雨ではないので、7時過ぎに登山を開始する。

急な登りを1時間ちょっと行うと傾斜が落ちて緩やかな登りとなるが、水たまりの多い泥道が続くので快適ではない。最後にまた急坂を1時間ほど登ると頂上に着き、登山口からは3時間ほどの行程であった。頂上は見通しが効かないので、少し先の電波塔のある広場までいってみるが、あいにくの天気のため展望は得られなかった。

しばらく休憩してから同じ道の下降に移ると、途中で本日唯一の他のパーティーとすれ違う。三百名山の割には人気がない山のようだが、林道の利用許可を申請しなければならず、手続きが面倒なので敬遠されているのだろうか?登山口には1時前には着き、休憩時間も含めて6時間以内の行程だったので、ほぼコースタイムどおりであった。このくらいだと、ほとんど疲労も感じずお手軽な登山であった。

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2024年10月 3日 (木)

関東ふれあいの道 栃木県6番7番

暑関東ふれあいの道 栃木県6番7番

暑かった夏もようやく終わる気配を見せ始めたので、お休みしていた関東ふれあいの道の歩きを再開することにした。そうは言っても平地を歩くのはまだ暑いので、丘陵地帯を歩くことにして栃木県の6番と7番を繋げると歩行時間は約8時間となるので、日帰りコースとしては良い選択だと思えた。ただ、足利駅からスタート地点までの始発バスに間に合うには5時過ぎには家を出なければならないので、果たして起きられるかどうかが問題で

9月29日

寝過ごして目覚めたのは5時を過ぎていたので、一時は出発を諦めかけたが、思い直して電光石火で準備を行って家を飛び出し予定の電車になんとか間に合った。足利駅には定刻に着いたが、グーグルマップによるとスタート地点までのバスは足利駅から15分ほど歩いたところで乗り換えるようになっているものの、むしろ乗り換えずにそこまでは歩いた方が面倒はないと考えたのが間違いの始まりであった。

足利駅で下車した時にコンパスで方位を確認するのを怠り、思い込みで進路を決めてしまったが、しばらくしてから方位を確認すると、北に進むべきところを南に進んでいることに気づき、始発バスには間に合わないことが確実となり、愕然となった。次のバスは3時間半後なので、それまで待つわけには行かないのでバスの通る道を歩くことにした。ただ歩くとなると3時間近くはかかる道なので、順調にいってもたいして時間短縮とはならないが、駅で3時間以上待ちくたびれるよりはましだろうと考えた。

しばらく歩いていると、私が目指している峠の道は工事のため通行止めという標示が次々と現れていやな予感がする。車は通れなくても人は通れないことはないだろうと思うものの、どうしたものかと考えていたら、峠の少し南側の稜線上まで通じる道が地図に記載されていることを発見したので、バス道を外れてそちらの道を進むことにした。ところが、その道は上部でいくつかの道に分かれてしまい、どの道を進んでも稜線に達する道には繋がらないことか判明したので、引き返さざるをえなくなった。

結局、30分以上も時間をロスしてしまいバス道に戻ると、その間に次のバスも通過してしまっており、踏んだり蹴ったりであった。しかも通行止めの標示をよく見ると、土日は除くと書いてあり、最初からバス道を進んでいれば良かったことに気づいたが、後の祭りである。大幅に行程が遅れることになったため方針を変更して、コースを忠実に歩かずに撮影ポイントだけを通って、あとはショートカットすることにした。

やがて傾斜は増して峠に着き、ここからは稜線上の山道となる。ハイキングコースの標識もあるが、傾斜もきついし、蜘蛛の糸がしょっちゅう顔に纏わりつくので、あまり人は歩いてないコースのようであった。ただコース上には標識が多く、目的地までの距離表示もあるため、安心して歩くことができる。


コース7番に入り撮影ポイントである行道山・浄因寺に達した時点で、今日初めて人に会う。すぐ下まで舗装路が延びているので、車で来た人のようである。時間は既に4時を回っており、このまま7番コースを尾根通しに進んでしまうと、足利駅に着く前に暗くなってしまうのは必至なので、舗装路に降りて足利駅まで歩いて行くことにした。中途半端な1日ではあったが、6番7番の撮影ポイントで写真は撮れたので良しとしよう。

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