栃木県北部の35~30番が未踏で残されており、効率よく歩くためには途中1泊して二日間連続で歩くことが必要だが、途中に適当な宿泊施設が少ないためテント泊まりとすると、寒くなる前に片付けてしまおうと急遽出かけることにした。
10月31日
黒田原駅からバスで伊王野に向かい、そこから東方面の撮影ポイントである三森家住宅を往復し、その後に北方面の撮影ポイントである芦野氏陣屋裏門を往復すると、四時間半近くかかってしまうようだが、伊王野から南方向の稲沢行きのバスの発車時間までは黒田原からのバスが伊王野に着いてからだと4時間10分しかなく、かなり頑張らないと間に合わなくなる可能性がおる。
ふれあいの道のホームページでは下町で下車するようになっていたので、そこで下車したが、実際には一キロほど先の伊王野までバス路線は延びていたので、歩行距離を短縮し損ねてしまった。




伊王野のバス停に着いて時刻表を見てみると、後半の撮影ポイントである芦野氏陣屋裏門方面のバスが9時20分に出ているので、これに間に合うと行程が大幅に短縮できることになり、それに間に合うようにピッチを早めることにした。
ただ三森家住宅までは思ったよりも時間がかかり、とても伊王野発のバスには間に合いそうもなかったが、ペースを早めて歩いたので、伊王野から稲沢行きのバスに乗るためには多少は余裕ができたかなと思った。
三森家住宅は道路沿いにはなにも案内板なかったのでわこりにくかったが、それらしき住宅の庭に無断で立ち入ると、庭に案内板はあったので、早速写真を撮らしてもらった。
道路に戻ると、素晴らしい情報を得ることができた。すぐ近くから伊王野方面に向かう町営バスが出ており、しかもあと数分で発車する予定ではないか!間もなくやって来たバスに乗車すると、伊王野でも路線バスに乗り換えられて思わずラッキーと喜んでしまった。
次の撮影ポイントである芦野氏陣屋裏門の最寄りの停留所を運転手に聞いてもわからなかったので、地図で判断して適当な所で下車するが、撮影ポイントの近くまで来たはずなのに、右往左往してようやく辿り着けた。
おかげで随分と時間の余裕が生まれたので、伊王野に戻って道の駅でゆっくりと食事し、さらに菅原までも1時間ほどの歩きということでバスには乗らずに歩くことにした。
次の撮影ポイントである修験光明院跡に向かうが、道端の案内板に従って崖を登ってみたが、寺院の跡を残っていないようだった。その代わりに芭蕉の句碑が立てられていたが、そう言えば、ここ黒羽という地区は、芭蕉が奥の細道を歩いた際に1週間以上滞在した所であちこちに句碑があるようだ。私が奥の細道を歩いた時には、黒羽は奥州街道からは少し東に位置していたため寄らず仕舞いだったが、図らずも今回訪れることができてラッキーだった。
その晩は笠石神社あたりで泊まるつもりだったが、少し手前に公園があったので、そこにテントを張ることにした。
11月1日
翌朝、笠石神社を過ぎてしばらくすると、撮影ポイントである下侍塚古墳がある。それもひとつだけの古墳ではなく、たくさんの古墳があたりに散在していた。
次の遺跡ポイントは那須官衛跡で古代の役所跡らしい。そこから次の撮影ポイントであるゆりがねの湯は比較的近いのだが、那珂川に隔てられていて近くに橋はないため大きく迂回せざるを得ず、けっこう時間がかかってしまう。
ゆりがねの湯で昼食をとりながら午後の予定を検討したところ、予定していた馬頭車庫まで歩くと昼過ぎの西那須野行きのバスには間に合いそうもなく、次は夕方まで便がないので、長時間待たされることになってしまう。それに対して今来た道を戻って少し進むと西那須野行きのバスにもギリギリ間に合いそうなので、食事もそこそこにバス停に向かい、駆け足でがんばったりおかげで発車10分前にはバス停に着いて、暗くなる前に帰京することもできた。
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