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2024年11月

2024年11月28日 (木)

関東ふれあいの道 栃木県コースNO8,9

11月25日

 前回のふれあいの道ではNO6から7にかけて歩いたが、NO7の撮影ポイントである行道山浄因寺(清心亭)については浄因寺自体は行ったものの、清心亭の場所がわからなかったため、浄因寺の案内板をバックに写真を撮っただけで終わったが、コースNO7は浄因寺に行ったのみで尾根道も全く歩いてなかったので、今度は忠実にNO7を歩き、さらにはNO8にも繋いでみようと思った。

足利駅のバス停からはそこそこの人が乗り込み、大半は行道山へのハイキングの人らしかった。終点から浄因寺までは舗装路の登りを進むと、見覚えのある浄因寺の山門をくぐることにる。前回は清心亭の場所がわからなかったので近くに休んでいる人に聞いてみると、小高い丘の上にある建物が清心亭だそうである。ただ丘の上に通じる道は立入禁止となっていたので、下から見上げて写真を撮らざるをえなかった。


行道山から足利方面に登山道は続いているが、あまり歩く人はいないようでハイキングコースの割には迷いやすいところもあった。尾根道は次第に高度を下げて北関東自動車道の下をくぐって市街地に入っていく。その先は駅には戻らずにコースNO8の撮影ポイントである樺崎八幡宮に向かう。

八幡宮のまわりは池をめぐらした公園となっていて気持ちの良いところである。しばらく休憩してからゴールの出原流弁天池に向かうが、ふれあいの道は山中の道沿いとなっていて時間がかかり最終バスに乗り遅れる恐れがあるので、南周りの舗装路を通っていくことにした。バス停付近まで歩いていくと暗くなってきたので、時間的には弁天池を往復することもできたが、暗闇の池に行ってもしょうがないので、大人しくバスで佐野駅に向かうことにした。

 

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2024年11月15日 (金)

箱根神山

箱根の最高峰である神山は日本三百名山と関東100名山(旧版掲載分)に該当しているが、10年ほど前の箱根の火山活動が活発になった際に立ち入り禁止となり、その後に火山活動が沈静化して神山一帯は立ち入り禁止区域から外れたものの、神山へのハイキングコースは荒れてしまったということで登山禁止が続いた状態である。ただネットの情報ではコース自体は特に問題はないようなので、自己責任で登るつもりで他の予定と兼ねて何回か計画したが、他の予定に時間を取られたりして登らず仕舞いであった。たしかにこの山だけを登りに行くのはもったいない気もするが、いつまで待っていても埒があかないので、この際登ってくることにした。

11月12日

小田原駅から1時間ほどバスに乗って芦ノ湖付近のパノラマパークで下車して少し戻ったところが登山口である。登山口には10数人がたむろしているので何かと思ったらテレビ撮影の人たちであった。先に行かせてもらって登っていくと、下山してくる一組の外人パーティー以外には誰にも会わずに神山と駒ケ岳の分岐点に達した。

ここからは立ち入り禁止区域であると、少し気を引き締めて登っていったが、昔のハイキングコースがそのまま残っていて全然荒れておらず少し拍子抜けであった。分岐点からは小一時間で山頂に着いたが、ガスに覆われていて展望がない上、風向き等によっては有毒ガスの危険もあるために早々に下山に移った。

分岐点に戻ったのは2時を少し回っており、駒ケ岳を往復してから下山するかを迷ったが、駒ケ岳に向かってもガスで何も見えないだろうし、下手すると下山の途中で暗くなる恐れもあったので、割愛してそのまま下山することとした。

舗装路に降り立った時は3時半頃で、行きと同じバスに乗って帰ると早すぎる気もしたので、箱根の旧街道を湯本まで歩いて帰るつもりだったが、思いの外時間がかかったので、湯本の少し手前の畑宿からバスに乗っていくこおにした。

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2024年11月 8日 (金)

関東ふれあいの道 埼玉県(NO8,13)

関東ふれあいの道の埼玉県コースを年内に終わらせたいと欲張って、3コースを1日で踏破する計画をたてたが、結局は二コースのみの踏破で終わってしまった。

11月7日

コースNO13は全コースを歩くと、それだけで1日がかりとなってしまうか、本コースの大半は秩父七峰を歩いた際に踏破しているので、撮影ポイントである二本木峠周辺のみを目指し、余った時間は他コースに向かうことにした。

二本木峠に向かう最短コースは秩父鉄道親鼻駅を起点とすることが考えられるが、自転車がどこまで使えるかは現地に行ってみないとわからず、出たとこ勝負で向かうことにした。駅から5キロほどは舗装路で進めたが、峠方面への分岐路は舗装されておらず駐輪して歩くこおになった。

地図には太線で書かれていた道だったので、もう少し良い道を期待していたのだが、ほとんど廃道に近い道を2時間近く歩いて峠近くの舗装路に出てしばらく歩くと峠に着いた。思ったより時間がかかってしまったので、予定していたあと二つのコースを踏破するのは赤信号が灯った。当初の予定では往路を引き返す予定だったが、思ったよりも悪い道だったので遠回りにはなるが、稜線通しに北に向かい途中から脇道にそれて駐輪してある場所に向かうことにした。

自転車の所に戻ったのは1時半だったので、今回はコース8番のみを目指すことにして風戸入口を目指す。風戸入口までは秩父巡礼で何度も通っているので迷うこともなく進む。風戸から先が山道となるが、撮影ポイントである猿岩の案内表示が見当たらず、そのまま進んでしまうと破風山頂に出てしまう。このコースは本来は札立峠を回って秩父34札所の満願となる水潜寺に向かうのだが、札立峠から先は巡礼時に歩いているので、破風山からは往路を戻り猿岩の案内表示をもう一度探すことにした。

猿岩の所まで戻りよく探すと案内表示は見つかったが、コースマップには案内表示はコースの東川にあるように記載されていたので先ほどは東側ばかり探していたところ、実際には西側にあったので見落としたようであった。下山には思いの外時間がかかり、風戸入口に降りた時は真っ暗になっていた。



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2024年11月 2日 (土)

東ふれあいの道 栃木県北部(35~31番)

栃木県北部の35~30番が未踏で残されており、効率よく歩くためには途中1泊して二日間連続で歩くことが必要だが、途中に適当な宿泊施設が少ないためテント泊まりとすると、寒くなる前に片付けてしまおうと急遽出かけることにした。

10月31日

黒田原駅からバスで伊王野に向かい、そこから東方面の撮影ポイントである三森家住宅を往復し、その後に北方面の撮影ポイントである芦野氏陣屋裏門を往復すると、四時間半近くかかってしまうようだが、伊王野から南方向の稲沢行きのバスの発車時間までは黒田原からのバスが伊王野に着いてからだと4時間10分しかなく、かなり頑張らないと間に合わなくなる可能性がおる。

ふれあいの道のホームページでは下町で下車するようになっていたので、そこで下車したが、実際には一キロほど先の伊王野までバス路線は延びていたので、歩行距離を短縮し損ねてしまった。

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伊王野のバス停に着いて時刻表を見てみると、後半の撮影ポイントである芦野氏陣屋裏門方面のバスが9時20分に出ているので、これに間に合うと行程が大幅に短縮できることになり、それに間に合うようにピッチを早めることにした。

ただ三森家住宅までは思ったよりも時間がかかり、とても伊王野発のバスには間に合いそうもなかったが、ペースを早めて歩いたので、伊王野から稲沢行きのバスに乗るためには多少は余裕ができたかなと思った。

三森家住宅は道路沿いにはなにも案内板なかったのでわこりにくかったが、それらしき住宅の庭に無断で立ち入ると、庭に案内板はあったので、早速写真を撮らしてもらった。

道路に戻ると、素晴らしい情報を得ることができた。すぐ近くから伊王野方面に向かう町営バスが出ており、しかもあと数分で発車する予定ではないか!間もなくやって来たバスに乗車すると、伊王野でも路線バスに乗り換えられて思わずラッキーと喜んでしまった。

 

次の撮影ポイントである芦野氏陣屋裏門の最寄りの停留所を運転手に聞いてもわからなかったので、地図で判断して適当な所で下車するが、撮影ポイントの近くまで来たはずなのに、右往左往してようやく辿り着けた。

おかげで随分と時間の余裕が生まれたので、伊王野に戻って道の駅でゆっくりと食事し、さらに菅原までも1時間ほどの歩きということでバスには乗らずに歩くことにした。

 次の撮影ポイントである修験光明院跡に向かうが、道端の案内板に従って崖を登ってみたが、寺院の跡を残っていないようだった。その代わりに芭蕉の句碑が立てられていたが、そう言えば、ここ黒羽という地区は、芭蕉が奥の細道を歩いた際に1週間以上滞在した所であちこちに句碑があるようだ。私が奥の細道を歩いた時には、黒羽は奥州街道からは少し東に位置していたため寄らず仕舞いだったが、図らずも今回訪れることができてラッキーだった。

その晩は笠石神社あたりで泊まるつもりだったが、少し手前に公園があったので、そこにテントを張ることにした。

11月1日

翌朝、笠石神社を過ぎてしばらくすると、撮影ポイントである下侍塚古墳がある。それもひとつだけの古墳ではなく、たくさんの古墳があたりに散在していた。

次の遺跡ポイントは那須官衛跡で古代の役所跡らしい。そこから次の撮影ポイントであるゆりがねの湯は比較的近いのだが、那珂川に隔てられていて近くに橋はないため大きく迂回せざるを得ず、けっこう時間がかかってしまう。

ゆりがねの湯で昼食をとりながら午後の予定を検討したところ、予定していた馬頭車庫まで歩くと昼過ぎの西那須野行きのバスには間に合いそうもなく、次は夕方まで便がないので、長時間待たされることになってしまう。それに対して今来た道を戻って少し進むと西那須野行きのバスにもギリギリ間に合いそうなので、食事もそこそこにバス停に向かい、駆け足でがんばったりおかげで発車10分前にはバス停に着いて、暗くなる前に帰京することもできた。   

          

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