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2025年1月

2025年1月22日 (水)

ベトナム旅行記(後半)

1月21日

ベトナム旅行もいよいよ後半に入り、ホーチミンを拠点として各地を巡る旅が始まる。初日の本日は夕方涼しくなってから市内観光バスに乗るだけなのだが、午前中は妻は部屋で休養してもらって、私は空港まで行くバスの乗車体験をしておくことにした。

ホテルからバス停までは何度も曲がって10分以上歩かなければならないが、屋外でのインターネット接続を可能にするesimを設定してグーグルマップを利用すれば迷う心配はない。

バス停に着いてすぐに空港行きがやってきたので、乗車しようと立ち上がったが、素通りされてしまう。他の行き先のバスもたくさん停まるので、手を上げたりして合図しないと停まってくれないようだ。

10分以上待ってようやく空港行きのバスが来たので乗車する。均一料金ではないらしいので、乗車したバス停を表すチケットはどうやって入手するのかと思ったら、車掌がいて30円でチケットをくれた。タクシー料金の何十分の安さである。

終点まで乗って下車したら、そこは国際空港前で、国内空港はひとつ手前で降りる必要があった。といっても歩いても5分くらいの距離であるが。

帰りもバスを利用し、昼食用のおにぎりと寿司をコンビニで買ってホテルに戻る。部屋で昼食を摂ってから郵便局に行き、孫にエアメールを出した後、高島屋の冷房の効いたレストランで氷を食べたらすっかり身体が冷え、夏日の暑さも大してこたえなかった。

その後は、先月開通したばかりのベトナム初の地下鉄で郊外の公園まで行ってみる。事前の情報では、開業後しばらくは無料とのことだったが、無料期間は過ぎてしまったのか有料となっていた(といっても片道120円程度だが、バス代の4倍はする)。終点には公園があるとのことであったが、草ボウボウの広場があるだけだったので、往路をそのまま帰ることにした。

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ベンタイン駅に戻ってオペラハウスに移動して、予約してあった二階建てバスに乗って市内観光を行う。45分程度の観光であったが、日没を挟んで夕闇にそまっていくホーチミン市内の風景が眺められたので正解であった。

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バスから降りてホテルに帰る途中、日本人向けの居酒屋風レストランがあったので、寄ってみる。カツカレーを注文したが、カツが少し固かったのは減点対象であったものの、数日前に隣のテーブルで見て羨ましかったイカのリングのフライは美味った。ホーチミンに来るまではベトナム料理ばかりを食べていたが、ホーチミンでは各国の料理が何でも食べられそうなので、ベトナム料理からは足が遠のいてしまうもしれない。

1月22日

本日は日本から予約しておいたメコンデルタの1日ツアーである。ガイドさんはフエからダナンまで同行してくれたガイドさんよりは日本語が上手そうなので安心した。一昨日、駅からホテルまで送ってくれたガイドさんの話ではこのツアーは我々二人だけの参加と聞いていたが、もう1人日本人の女性も参加していた。妻と1週間べったりだったから、気分転換にはなるかな。

2時間ほど走ってメコン川の支流に着き、船で島に渡る。養蜂が盛んな島で、ロイヤルゼリーから蜂蜜まで各種製品を販売していたが、日本での売値の5分の1という言葉につられて、ロイヤルゼリーのセットを購入する。

その後は南国の果物を味わったり、ニシキヘビを首に巻いて記念撮影をしたり、ボートでマングローブに囲まれた川を進んだりした後、島を後にして陸地に戻り、レストランで食事を済ませてから、ホーチミンに帰ることとなった。

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1月23日


本日の訪問地であるクチトンネルはベトナム戦争の際にベトコンが隠れて米軍を攻撃した戦跡である。ホーチミン中心部から50キロ程度の距離なので路線バスでも行ける距離なのだが、グーグルマップで調べると3時間以上もかかるようだし、格安の現地ツアーもあったので、ツアーを利用することにした。

連絡を受けた案内ではホテルで7時半にピックアップしてもらえるはずだったが、7時から8時まで待っても迎えが来ないため、旅行社にキャンセルと返金請求の通知をして、妻は部屋に戻ってしまった。私はもうしばらく待ってみようとフロントにとどまっていると、しばらくして迎えがやってきて、遅れたことを詫びるでもなくピックアップしてクチに向かってはしりだした。

乗客は30人弱で西洋人ばかりで日本人は他にはおらず、我々が最後のピックアップ対象であった。バスは途中でトイレ休憩を兼ねて貝を加工した壁掛けの工房を見学してからクチに向かう。グーグルマップで史跡クチトンネルと表示されている所よりもだいぶ手前に施設はあって、そこでガイドからチケットを渡される。

施設に入って全体的な説明を受けてから、個々の施設の見学に移る。有名な草でカムフラージュされた穴や底が剣山となっている落とし穴などを見た後にトンネルの中を匍匐前進させられて見学は終わる。終了後にタロイモがお皿に並べてあったので、ツアーの説明にあった軽食というのは、このことかなと思ったが、バスに乗ってから菓子パンは別に配られた。

帰りも渋滞があり、ホーチミンの中心街にもどったのは3時過ぎとなってしまったが、土産物を買う時間もあって、有意義な時間の潰し方ができた。

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1月24日

実質的にベトナム観光の最終日となる本日はベトナム南部のリゾート地であるフーコック島に日帰りで足を延ばすことにした。フーコック島へは午前中に2便のフライトがあるので、早い方の9時55発を予約して7時前にホテルを出てバスで空港に向かったのであるが、1時間弱の遅れでホーチミン空港を飛び立つこととなった。まあフーコック島に行っても、これと言った予定があるわけではなく、海を見ながら食事をする程度なので、このくらいの遅れは全然問題とならないなのであるが。

フーコック空港には1時間ほど遅れて到着。空港からはタクシーで最も近いビーチであるロングビーチに向かい、ちょうどお昼時だったのでレストランに入り、海の見える席でランチを食べる。ちょっぴり豪華なランチだったが、二人で二千五百円程度と割安だった。

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このあたりの海岸は人気のビーチが連続しており、このロングビーチも家族連れで賑わっていて、我々もせっかく来たのだから、ビーチサンダルで水際を少し歩いてみた。時間は、まだ十分あったが、手持ち無沙汰になってきたので、少し早めに空港に戻ることとし、東南アジアで普及しているタクシーアプリのGrabの利用してみることにした。一昨年、マレーシアでもトライしたが、アカウントを作るところまではやったが、カードを認証させるところでつまずいてしまった過去がある。今回はタクシーを呼べないと戻れなくなってしまうので背水の陣で臨んだところ、なんとか成功して空港に戻れたし、行きのタクシー(メーターで動いていたはずだが)よりも、かなり安い料金で済むことができた。

フーコック空港ではかなりの待ち時間があったが、行きの時のような大幅な遅れはなかったので、8時半頃にはホーチミン空港に着き、そこからはまたグラブを利用したタクシーで10時前にはホテルに戻ることができ、今回の旅行の全ての行程はほぼ予定どおり終えることができた。 

1月25日

本日は空港に向かう以外は予定がないので朝はめずらしくゆっくりと起きる。チェックアウトの正午まではホテルに滞在していたが、正午前にホーチミンからハノイまでバイクでツーリングするという日本人の10人ほどのグループがホテルに到着した。きっとテトの休みを利用してのことだろうが、この時期はさぞ空港は混雑するだろうと覚悟する。

今回もグラブを利用して空港までタクシーを利用したが、空港は思ったほどではないものの混んでいた。我々のチェックインできる時間まではまだ8時間以上あるので、時間のつぶし方が悩ましい。何軒かの喫茶店をハシゴするしかないが、一度離席してしまうと次の喫茶店で空席が見つかるかどうかわからないので、見せの人に退席を迫られるまでは座席に留まっているつもりである。本当は荷物はホテルに預けて昼中は観光をしていればいいのだが、ホーチミンの市内や近辺の観光はあらかた終えているし昼間は暑いので、混んでいても涼しい空港内の方がマシなのである。

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2025年1月18日 (土)

ベトナム旅行記(前半)

 昨年はマレー半島からタイ北部までの鉄道による縦断を行ったので、今度はベトナム統一鉄道を利用してベトナムを南北に縦断することにした。ただ今回は妻と一緒なので前回のような貧乏旅行ではなく、個室寝台による「豪華」旅行に格上げされ、さらには避寒を兼ねてホーチミンに数日滞在してから帰国することにした。

 1月15日 

 羽田空港ではプライオリティパスを利用してラウンジでビールとつまみで出発間際までのんびり過ごす(ただし、パスは本人しか無料にならないので、妻は自分のカードで利用できるラウンジで飲物だけで過ごしたようである)。ハノイまでの空路はベトナム航空のプレミアムエコノミーを利用したので快適なフライトが楽しめた。ハノイの空港には約6時間のフライトでほぼ定刻通りの21時(日本よりも時差2時間遅れの現地時間)前に着いたが、イミグレが混んでいて通過には三十分ほどを要する。ただその後は両替した所でタクシーの手配までやってくれたのでスムーズに事が運び、22時頃にはホテルに着いて旅の第一日を終えることとなった。 

 1月16日

 宿泊したホテルはネットで適当に選んだもので、小ぢんまりしているが食事も設備も良くて当たりであった。本日は夜行列車まで時間が十分あるので、ホテルでのんびりしてから市内観光に出かける。ハノイの観光としては郊外にある世界遺産のハロン湾が有名であるが、10年ほど前にクルーズ観光をしたことがあるので、今回はもうひとつの世界遺産であるタイロン城に行くことにした。ホテルからは徒歩で二十分ほどの行程と聞いていたので、時間も十分あることだしと、荷物はホテルに預けて軽装で歩いていくことにした。ところがGoogleマップで検索した経路通りに進むと、城の敷地に入れるはずの入口の扉にはカギがかかっていて入ることがてきない。やはり同じ所で立ち往生している西洋人のカップルが来た道を戻って別の所から入るような仕草をしていたので戻りかけたが、別の観光客と思われるグループがそのまま前進していくので、戻るのもしゃくなので、後をついて行くと城の敷地に入れる道があり、チケット売り場もあった。ところか敷地に入ったにも関わらず、世界遺産らしき建造物は全くなく、見すぼらしい建物が続くばかりで拍子抜けであった。おまけに休憩しようとしたレストランでは、空席が十分あるにもかかわらず、休憩を断られる始末で散々であった(旧正月であるテトを控えて忘年会の貸切りとかち合ったためか?)。仕方なくそのまま進むと敷地の端まで来てしまい、いったん道路に出ざるをえなくなった。道路に出てみると観光客のグループが歩いていたので後をついて行くと、前方には城の敷地への入口と思われるところがあり、そこでチケットを見せて入場すると、今度は多少は世界遺産らしい景観に出会うことができた(先ほどまで歩いてきた敷地はいったん何だったのだろうか)。今度はレストランでの食事もできたが、出されたのはインスタントのようなラーメンでガッカリした。他に見るべきものもないので、城跡を後にしてハノイ駅に向かう。途中、踏切があってテレビによく出てくるような線路の両側に店がある風景であったが、テレビでは線路の両側に露店が並んで列車が近づくと商品を片付け、列車が通り過ぎると商品を線路の上に並べ直すというのが定番となっているが、目の前に展開しているのは、それとは違って線路の両側には観光客相手の店が立ち並び、露店の代わりに飲食する観光客の椅子が並んでいた。テレビで見られる定番のシーンは別の場所なのだろうか?

その後、ハノイ駅まで移動して、市内周遊のバスが発着していれば、市内観光がてらに乗ってみようと思ったが、駅からはバスは発着せず、1キロほど離れたところから発着していることがわかったので、そちらに移動しようと思ったが、ハノイ駅はwifiが使えることがわかったので、やりかかっていたesimの設定の続きを行い、wifi環境がなくても現地のネット回線を利用できる環境を目指すことにした。 

esimの設定が一段落したので、バスターミナルに移動してみると、最終の市内周遊バスは既に終わってしまっていたので、旧市街まで歩いていってしまうことにした。旧市街は土産物屋が林立しているが、荷物になるので買うのはホーチミンでとし、見るだけにした。夕食には少々早かったので、一度ホテルに戻り、妻は併設しているスパに行き、私はesimの設定の仕上げをすることにした。1時間ほどで両方とも完了したので、ホテルの近くのレストランで食事をしてホテルに戻り、しばらくすると迎えの車が来てハノイ駅に移動し、フエに向かう夜行列車に乗り込んた。ぜいたくにも個室の2人部屋を予約したので、他人に気兼ねすることもなく、のんびりと過ごすことができた。 

1月17日 

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夜中に何度も目覚めながらも朝を迎える。朝食はフォー(ベトナム風のそば)が配られる。前日のホテルの朝食でも食べたが、日本人の口に合う味で毎日食べても飽きないようだ。食後は荷物の整理をしたりしていると、まもなく目的地のフエに着く。駅にはガイドが迎えに来ていて、運河の船着場に向かう。船の帆先が龍の頭の形になっているドラゴンボートに乗って下流に向かう。下流の船着場で降りて寺に向かうのだが、ここでアクシデントが発生する。足元にロープが張られていたのだが、妻がそれに気づかずに足を引っ掛けてしまい、うつ伏せに転んて左手を強打してしまったのである。幸い大事には至らなかったように見えたので、そのまま行動を続けることとなった。

寺院をひととおり見学した後、レストランで宮廷料理を楽しむ。写真にあるようなメニューのコース料理だが、個人旅行ではなかなかお目にかかれないような味だけでなく目も楽しませる料理であった。

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午後は本日のハイライトである世界遺産の王宮見学である。昨日に続く世界遺産であるが、その見事さは比較にならないものであった。ガイドも詳しく説明してくれるのだが、その日本語にはやや難があり、半分ほどしか聞き取れなかったのは残念であった。

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ひととおり見終わってホテルに向かったが、ホテルに着くと、妻が腕の痛みを訴えるので、薬局に湿布薬を買いに行く。かなり遠くまで歩いて薬局に辿り着いたが、湿布薬は置いてないという。仕方ないので、別の薬局を教えてもらって行くと、その薬局には湿布薬があるばかりか、痛み止め等の薬も用意してくれるだけでなく、アフターケアのためのLINE交換の手続きもしてくれるという親切な対応であった。帰り際にホテルの近くにピザの持ち帰りができる店があったので、腕の痛みで食事に外出するのもしんどそうな妻のために持ち帰りをすることにした。夕食を食べて薬も使用すると、腕の痛みも多少は和らいだようで、まずは一安心である。

1月18日

本日はダナン駅乗り継ぎで世界遺産の町ホイアンまで移動するだけのゆっくりした行程である。妻の腕の状態もだいぶ良くなったようなので、旅行は予定どおり続けられそうである。予定どおり10時20分に迎えにきたガイドとともに車でフエ駅に向かう。ホイアンは世界遺産観光だけでなく湿布薬を求めて町中を歩き回ったので思い残す所はない。

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列車は昨日のガイドを帯同して小一時間遅れてフエ駅を出発する。ダナンまでは90キロ程度の距離だが、3時間ほどかかるという。なぜ、そんなにかかるのだろうと思ったが、電車が山間部にかかると理由がわかった。自転車に毛の生えた程度のスピードしかでないのである。地盤の問題なのか登板力の問題なのかはわからないが、海岸線近くまで進むとまたスピードアップしてきた。

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ダナンはベトナム第五の人口を有する百万都市だが、私の世代にとってはベトナム戦争の際の米軍の北爆基地としての記憶が生々しい。現在はベトナム屈指のビーチリゾートとして世界的にも知られているらしいか、今回はそちらには寄らずに小一時間南下した所にある世界遺産のあるホイアンに向かう。

ホテルに到着したのは4時頃で夕食には早かったので、しばらくはベッドに横になって寛ぐ。今日は車に乗っているだけで、ほとんど歩いてはいないのだが、連日の行動となると知らないうちに疲れがたまってきているようである。2時間近く休んでから夕食を食べに外に出る。海岸近くなので魚を食べたいと思い魚料理で検索した店に行ってみるが、やはり肉料理が中心で、エビのサラダと魚のすり身のフライが辛うじて魚料理と言えるものであった。

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帰りは夜市の露店を見ながらホテルに戻った。

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1月19日

午前中はホイアン中心から車で1時間ほど西に行ったところにあるチャンバ王国のミーソン遺跡を見学に行く。駐車場から遺跡の入口までは歩くと1時間はかかりそうだが、連絡カートが運転されているため歩きはわずかで済む。仏教国のベトナムにあってチャンバ王国はヒンズー教国のため、遺跡の印象は前に訪れたことがあるカンボジアのアンコールワットの規模を小さくしたようなものに感じられる。

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一通り見学し終わって入口に戻ったのは正午を過ぎていたので、この近くでランチかと思ったが、また1時間ほどかけてホイアンまで戻り、旧市街のレストランでコース料理を食べることになった。初日の宮廷料理ほどではないが、珍しいベトナム料理を味わうことができた。

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食後はしばらくガイドと一緒に町を散策した後、夕方まで世界遺産の町ホイアンでのフリータイムとなったが、土産物屋を覗いてもホーチミンに着くまでは荷物を増やしたくなかったので、買い物はせずにをベンチで休んで町を眺めるだけであった。ホイアンはかっては交易の町として栄えた所で中国風の建物が立ち並び、御朱印船が行き交った頃は日本人が1000人以上も住んでいたそうである。今は欧米人や中国人が多数観光に訪れる外、地元のベトナム人も若い女性はアオザイで着飾って目を楽しませてくれる。

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ガイドと落ち合って絹織物の工場兼売り場を見学した後、ダナンに戻るが、駅に着く前に夕食を摂ることになる。ランチからさほど時間が経ってないので、あまり食欲はなかったが、無理やり詰め込み、食べきれない分は車内用として持ち帰ることにして駅に向かった。駅には出発の2時間以上前に着いてしまったので、まだ閑散としていて退屈な時間を過ごすことになる。

ガイドの説明では列車は1時間ほど遅れているとのことでさらに待ち時間が長くなるようだ。待合室では次第に改札待ちの乗客も多くなり、ガイドに改札口を通るように言われる。ここでガイドは自分は改札内に入れないので、後は自力で乗車するようにと言われるが、これは早く帰りたいがための言い訳のようだ。何故なら、ハノイから乗車した時は、ガイドが個室まで案内してくれたからである。まあ、こちら側としても、ガイドがついていると、聞き取りにくい日本語に付き合わされて疲れるので、早めに別れた方が楽でもあるのだが。

改札内の待合室も満室になり、やがて列車の到着を告げているのであろうアナウンスの後に皆が動き出したので、我々も列車に乗り込むことになる。切符に印刷された寝台個室に辿り着くが、今まで乗ってきた車両よりも明らかに設備が悪い。そういえば、日本での旅行会社とのやりとりで、予定していた寝台の確保ができなかったので、連結している私鉄の車両にせざるを得なかったと言われたのは、このことだったのかと気がついた。まあ4人分のベッドを二人で使用するので、他人との同室がないだけでも良しとしなければならないだろう。後はホーチミンまでの長い旅を楽しむ(苦しむ?)だけである。

1月20日

夜中に何度も目が覚めたが、朝が近づいているようである。といっても、まだ外は真っ暗であるが。当座の問題は、朝の弁当が予定どおり支給されるかどうかである。ハノイからフエに向かった時は朝はフォーが支給されたので、今回も同様だと思われるが、寝台車のランクが落ちているので、一抹の不安はある。もっともホームに降りれば露店はたくさんあるのだが、停車時間もわからないので、列車に乗り遅れることなく買い物ができるかが問題である。

幸い車内販売があって弁当、水といった当座の必要なものは買えたので、ホームに降りる必要はなくなり、まずは一安心である。ネットでベトナム鉄道の時刻表を検索してみたが、ここまでの所ではダナン時点での遅れ1時間は取り戻せているどころか、むしろ拡大しているようである。

昼飯は持参したカップ麺で済ませればよいと思っていたら、昼前にまた弁当を売りに来たので一人分だけを買い、これでホーチミンまでは心配がなくなり、結局は1時間少しの遅れの18時ちょっと前にホーチミンに到着することができた。延々19時間をかけてのダナンからの、そして5日間をかけてのハノイからの長旅はピリオドを迎えることができた。

迎えの車でホテルまで送られて旅装を解いたあと、連日のベトナム料理に少し飽きがきていたこともあり、日本から進出しているラーメン屋で妻はチャーハン、私はラーメンを食して元気を取り戻して明日からの後半戦に向かうことにした。

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2025年1月 9日 (木)

ふれあいの道栃木県コース踏破達成

1月8日

ふれあいの道栃木県コースは北部コースを歩いた際に予定していたコスNO30を残してしまったが、これだけを単独でやるのは不経済なので、南部コースと併せて自転車を利用して1日で済ませて栃木県の全コース踏破も達成してしまおうという欲張った計画をたてた。

スタート地点となる烏山駅へは途中の宇都宮まで新幹線を利用すると8時到着となるが、在来線のみだと1時間遅れの9時となってしまう。ただ始発の新幹線は全車指定席なので、寝過ごして乗り損なうとやっかいだし、9時スタートとなっても暗くなる前には最後の撮影ポイントまで行けそうだったので、在来線のみで行くことにした。

烏山駅からコースNO30の撮影ポイントである唐の御所までは地図上で測ると12キロ程度なので、1時間あれば行ってこれると思ったが、路面が部分的に凍っていてスリップの危険があるためスピードが出せず、さらに御所までは山道をかなりのぼらされたため、御所までは予定の倍近くの2時間かかってしまった。



次に向かう撮影ポイントは大瀬橋であるが、ここも2時間を予定していたのが3時間もかかってしまい、全コース踏破に赤信号がともり始めた。

次の撮影ポイントである鎌倉山は、大瀬橋のすぐ近くではあるが、思っていた登りが長く、明るいうちでの全コース踏破は絶望的になったが、ライトを使えばはんとかなるのではないかと考えて、全コース踏破を目指すことにした。

鎌倉山から登山口に戻り、真岡線の茂木駅の手前にある城山公園を目指す。夕暮れが気になる時間となってきたが、自転車での移動なのでなんとか明るいうちに山頂に着くことができた。山頂からは茂木の町が一望できるが、時間が遅かったからか、あまり人は見かけなかった。

城山への登りは苦労したが、下りはあっというまである。茂木駅を過ぎた少し先に撮影ポイントである安楽寺がある。ここまではなんとか暗くなる前に撮影できたが、最後の撮影ポイントである能仁寺までは10数キロはあるので、到着は日が落ちてからになるのは避けられない。ただ撮影ポイントは能仁寺の山門となっているので、寺院は闇に包まれてしまっても、山門くらいならばライトを当てれば写るかもしれないと期待して先を急ぐ。

能仁寺に着いてみると、案の定真っ暗となってしまい、山門にライトを当ててみても、ヘッドランプの明かりくらいではほとんど見ることはできない。そこで、山門横の案内板に光を当てて、これで代わりをしてもらうことにしたが、果たしてこれでokとなるであろうか

  

一応、これでふれあいの道栃木県コースは全て踏破したことになるが、ここから更に最寄り駅までは10キロほど進まなければならない。気温も低下し始めた中でやっと真岡駅に着いてみると、下館行きの電車は発車寸前であった。自転車の解体時間を考えると絶対に間に合わないので、次の電車にしようと思っていると、次の電車までは一時間20分もあることが判明する。駅の周辺には時間待ちができるような飲食店もないことから、さらに10キロ以上西に進んだJR宇都宮線の石橋駅まで行くことにした。ただ途中でゆっくりと夕食をとったにもかかわらず、1時間20分待ちをして真岡線、両毛線と乗り継いで帰るよりも20分ほど帰宅が遅れるだけですんだのはラッキーであった。

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2025年1月 5日 (日)

関東ふれあいの道神奈川県コース踏破達成

関東ふれあいの道神奈川県コースの踏破達成には三浦半島の先端付近の三コースを残すだけとなったので、大晦日の夜に逗子駅を出発して南下することになった。逗子駅までは以前に湯河原駅から細切れではあるが歩いているので、三浦半島先端まで歩けば相模湾は歩き通したことになるわけだ。

1月1日

逗子駅から歩き続けて海岸線が近づく頃には年が明けて新年を迎えた。いつもなら、深夜に荷物を担いで歩いていると、不審者と思われて職務質問されかねないが、今夜は初詣に向かうと思われる人が結構歩いているので、職務質問される心配はなかった。今回の最初の撮影ポイントである荒崎弁天島を目指して大通りから離れて細い道を西の方に進んでいく。さすがに、この時間になると全く人気がなくなる。しばらく歩くと荒崎公園と書かれた標識の所に出る。グーグルマップやマップスミーでも、ここから弁天島までは道の表示はなく点線で繋がれているだけだ。地図では弁天島はほぼ西の位置にあるのだが、その間にはホテルのような建物があって直進することができない。回り道はないかと探してみたが見つからない。それではと、少し北に向かって海岸に降りて海沿いに弁天島に辿り着けないかとトライしてみたが行き詰ってしまったので元に戻り、公園の標識の所で写真を撮って、次の撮影ポイントである油壷方面に進むことにした。

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弁天島探しで一時間ほどかかってしまったので、初日の出に間に合うかどうか微妙になってきた。大通りに戻る途中で数人の若者に自転車で追い抜かれた。恐らく初日の出を迎えに行く連中なのだろうが、自転車ならば間に合ったとしても、歩きとなるとよほど頑張らないと難しいかもしれない。

油壷入口でまた大通りを離れて西に向かうことになる。この頃から空が白じみ始めたので、多少は焦ってくる。海岸線に近づいて坂を下っていくと、ヨットハーバーがあった。油壺ヨットハーバーの表示は見つけられなかったが、地図から判断すると間違いないと考えて写真を撮っておく。

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最後の撮影ポイントである盗人狩まではまだ遠いが、三崎港までは一時間もかからないようなので、そこまで行けば初日出が見られるのではないかと歩を急がせる。三崎港には日の出時間にぎりぎり間に合ったものの、東側には山が連なっていて水平線からの日の出は見られないことがわかりがっかりする。おまけに期待していた朝市もないようで、空腹のまま盗人狩に向かうことになる。

最後の撮影ポイントである盗人狩へは最短コースで進んだつもりであったが、地図アプリではそこへ下りられるようになっている道の入口には「盗人狩方面通行不可」との表示があるではないか。そんなはずはあるまいと、表示を無視して降りていったものの、盗人狩には行けないことがわかり到達を断念して、先ほどの表示まで戻って撮影だけをしておく。

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NO1コースはまだ先があるが、そこまで行くと帰宅が妻に約束した午前中を過ぎてしまいそうなので、これでふれあいの道神奈川県コースは踏破したことにして油壷入口のバス停まで戻ることにした。

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雪の上高地

12月30日

20数年ぶりに雪の上高地に行ってきました。

前夜に中ノ湯の駐車場で車内泊し、始発の送迎バスで釜トンネル入口まで送ってもらう。以前の釜トンエルは天井がデコボコで染み出した水が凍って無数のツララがぶら下がり、ヘルメットを被らないと落下するかもしれないツララが危険な上、路面も凍っていて転倒に注意が必要だったが、今は天井も滑らかになっていて染み出しもなく安全に通過できるようになっていた。それでも、傾斜が10%を超えていて登りは結構しんどかった。

当初の予定では小梨平まで行ってテントを張って宴会をする予定だったが、大正池の畔まで来ると格好の平坦地があったので、テントを張ってあんこう鍋で宴会を始めた。ところが、しならくしてツアー客の一団がやってきて、その中のガイドと思われる人が「ここはテント設営禁止なので、間もなくやって来る警察の人に怒られますよ」と言われて、仕方なくテントを撤収して雪の上での宴会に変わったが、風もなく快適に過ごすことができた。


大正池の向こうには雪に覆われた穂高の峰々も眺められて、ちょっぴり冬山に来た気分も味わえた。11時頃には荷物をまとめて往路を戻ることにした。

帰りも釜トンネルは長かったが、出口でしばらく待っていると来てくれた迎えのバスに乗れば、後は中ノ湯でのまったりの時間が待っていた。温泉は越年すると思われる泊り客」で満室であったが、我々は一泊だけして大晦日に帰京することになった。

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