ベトナム旅行記(前半)
昨年はマレー半島からタイ北部までの鉄道による縦断を行ったので、今度はベトナム統一鉄道を利用してベトナムを南北に縦断することにした。ただ今回は妻と一緒なので前回のような貧乏旅行ではなく、個室寝台による「豪華」旅行に格上げされ、さらには避寒を兼ねてホーチミンに数日滞在してから帰国することにした。
1月15日
羽田空港ではプライオリティパスを利用してラウンジでビールとつまみで出発間際までのんびり過ごす(ただし、パスは本人しか無料にならないので、妻は自分のカードで利用できるラウンジで飲物だけで過ごしたようである)。ハノイまでの空路はベトナム航空のプレミアムエコノミーを利用したので快適なフライトが楽しめた。ハノイの空港には約6時間のフライトでほぼ定刻通りの21時(日本よりも時差2時間遅れの現地時間)前に着いたが、イミグレが混んでいて通過には三十分ほどを要する。ただその後は両替した所でタクシーの手配までやってくれたのでスムーズに事が運び、22時頃にはホテルに着いて旅の第一日を終えることとなった。
1月16日
宿泊したホテルはネットで適当に選んだもので、小ぢんまりしているが食事も設備も良くて当たりであった。本日は夜行列車まで時間が十分あるので、ホテルでのんびりしてから市内観光に出かける。ハノイの観光としては郊外にある世界遺産のハロン湾が有名であるが、10年ほど前にクルーズ観光をしたことがあるので、今回はもうひとつの世界遺産であるタイロン城に行くことにした。ホテルからは徒歩で二十分ほどの行程と聞いていたので、時間も十分あることだしと、荷物はホテルに預けて軽装で歩いていくことにした。ところがGoogleマップで検索した経路通りに進むと、城の敷地に入れるはずの入口の扉にはカギがかかっていて入ることがてきない。やはり同じ所で立ち往生している西洋人のカップルが来た道を戻って別の所から入るような仕草をしていたので戻りかけたが、別の観光客と思われるグループがそのまま前進していくので、戻るのもしゃくなので、後をついて行くと城の敷地に入れる道があり、チケット売り場もあった。ところか敷地に入ったにも関わらず、世界遺産らしき建造物は全くなく、見すぼらしい建物が続くばかりで拍子抜けであった。おまけに休憩しようとしたレストランでは、空席が十分あるにもかかわらず、休憩を断られる始末で散々であった(旧正月であるテトを控えて忘年会の貸切りとかち合ったためか?)。仕方なくそのまま進むと敷地の端まで来てしまい、いったん道路に出ざるをえなくなった。道路に出てみると観光客のグループが歩いていたので後をついて行くと、前方には城の敷地への入口と思われるところがあり、そこでチケットを見せて入場すると、今度は多少は世界遺産らしい景観に出会うことができた(先ほどまで歩いてきた敷地はいったん何だったのだろうか)。今度はレストランでの食事もできたが、出されたのはインスタントのようなラーメンでガッカリした。他に見るべきものもないので、城跡を後にしてハノイ駅に向かう。途中、踏切があってテレビによく出てくるような線路の両側に店がある風景であったが、テレビでは線路の両側に露店が並んで列車が近づくと商品を片付け、列車が通り過ぎると商品を線路の上に並べ直すというのが定番となっているが、目の前に展開しているのは、それとは違って線路の両側には観光客相手の店が立ち並び、露店の代わりに飲食する観光客の椅子が並んでいた。テレビで見られる定番のシーンは別の場所なのだろうか?
その後、ハノイ駅まで移動して、市内周遊のバスが発着していれば、市内観光がてらに乗ってみようと思ったが、駅からはバスは発着せず、1キロほど離れたところから発着していることがわかったので、そちらに移動しようと思ったが、ハノイ駅はwifiが使えることがわかったので、やりかかっていたesimの設定の続きを行い、wifi環境がなくても現地のネット回線を利用できる環境を目指すことにした。
esimの設定が一段落したので、バスターミナルに移動してみると、最終の市内周遊バスは既に終わってしまっていたので、旧市街まで歩いていってしまうことにした。旧市街は土産物屋が林立しているが、荷物になるので買うのはホーチミンでとし、見るだけにした。夕食には少々早かったので、一度ホテルに戻り、妻は併設しているスパに行き、私はesimの設定の仕上げをすることにした。1時間ほどで両方とも完了したので、ホテルの近くのレストランで食事をしてホテルに戻り、しばらくすると迎えの車が来てハノイ駅に移動し、フエに向かう夜行列車に乗り込んた。ぜいたくにも個室の2人部屋を予約したので、他人に気兼ねすることもなく、のんびりと過ごすことができた。
1月17日
夜中に何度も目覚めながらも朝を迎える。朝食はフォー(ベトナム風のそば)が配られる。前日のホテルの朝食でも食べたが、日本人の口に合う味で毎日食べても飽きないようだ。食後は荷物の整理をしたりしていると、まもなく目的地のフエに着く。駅にはガイドが迎えに来ていて、運河の船着場に向かう。船の帆先が龍の頭の形になっているドラゴンボートに乗って下流に向かう。下流の船着場で降りて寺に向かうのだが、ここでアクシデントが発生する。足元にロープが張られていたのだが、妻がそれに気づかずに足を引っ掛けてしまい、うつ伏せに転んて左手を強打してしまったのである。幸い大事には至らなかったように見えたので、そのまま行動を続けることとなった。
寺院をひととおり見学した後、レストランで宮廷料理を楽しむ。写真にあるようなメニューのコース料理だが、個人旅行ではなかなかお目にかかれないような味だけでなく目も楽しませる料理であった。
午後は本日のハイライトである世界遺産の王宮見学である。昨日に続く世界遺産であるが、その見事さは比較にならないものであった。ガイドも詳しく説明してくれるのだが、その日本語にはやや難があり、半分ほどしか聞き取れなかったのは残念であった。
ひととおり見終わってホテルに向かったが、ホテルに着くと、妻が腕の痛みを訴えるので、薬局に湿布薬を買いに行く。かなり遠くまで歩いて薬局に辿り着いたが、湿布薬は置いてないという。仕方ないので、別の薬局を教えてもらって行くと、その薬局には湿布薬があるばかりか、痛み止め等の薬も用意してくれるだけでなく、アフターケアのためのLINE交換の手続きもしてくれるという親切な対応であった。帰り際にホテルの近くにピザの持ち帰りができる店があったので、腕の痛みで食事に外出するのもしんどそうな妻のために持ち帰りをすることにした。夕食を食べて薬も使用すると、腕の痛みも多少は和らいだようで、まずは一安心である。
1月18日
本日はダナン駅乗り継ぎで世界遺産の町ホイアンまで移動するだけのゆっくりした行程である。妻の腕の状態もだいぶ良くなったようなので、旅行は予定どおり続けられそうである。予定どおり10時20分に迎えにきたガイドとともに車でフエ駅に向かう。ホイアンは世界遺産観光だけでなく湿布薬を求めて町中を歩き回ったので思い残す所はない。
列車は昨日のガイドを帯同して小一時間遅れてフエ駅を出発する。ダナンまでは90キロ程度の距離だが、3時間ほどかかるという。なぜ、そんなにかかるのだろうと思ったが、電車が山間部にかかると理由がわかった。自転車に毛の生えた程度のスピードしかでないのである。地盤の問題なのか登板力の問題なのかはわからないが、海岸線近くまで進むとまたスピードアップしてきた。
ダナンはベトナム第五の人口を有する百万都市だが、私の世代にとってはベトナム戦争の際の米軍の北爆基地としての記憶が生々しい。現在はベトナム屈指のビーチリゾートとして世界的にも知られているらしいか、今回はそちらには寄らずに小一時間南下した所にある世界遺産のあるホイアンに向かう。
ホテルに到着したのは4時頃で夕食には早かったので、しばらくはベッドに横になって寛ぐ。今日は車に乗っているだけで、ほとんど歩いてはいないのだが、連日の行動となると知らないうちに疲れがたまってきているようである。2時間近く休んでから夕食を食べに外に出る。海岸近くなので魚を食べたいと思い魚料理で検索した店に行ってみるが、やはり肉料理が中心で、エビのサラダと魚のすり身のフライが辛うじて魚料理と言えるものであった。
帰りは夜市の露店を見ながらホテルに戻った。
1月19日
午前中はホイアン中心から車で1時間ほど西に行ったところにあるチャンバ王国のミーソン遺跡を見学に行く。駐車場から遺跡の入口までは歩くと1時間はかかりそうだが、連絡カートが運転されているため歩きはわずかで済む。仏教国のベトナムにあってチャンバ王国はヒンズー教国のため、遺跡の印象は前に訪れたことがあるカンボジアのアンコールワットの規模を小さくしたようなものに感じられる。
一通り見学し終わって入口に戻ったのは正午を過ぎていたので、この近くでランチかと思ったが、また1時間ほどかけてホイアンまで戻り、旧市街のレストランでコース料理を食べることになった。初日の宮廷料理ほどではないが、珍しいベトナム料理を味わうことができた。
食後はしばらくガイドと一緒に町を散策した後、夕方まで世界遺産の町ホイアンでのフリータイムとなったが、土産物屋を覗いてもホーチミンに着くまでは荷物を増やしたくなかったので、買い物はせずにをベンチで休んで町を眺めるだけであった。ホイアンはかっては交易の町として栄えた所で中国風の建物が立ち並び、御朱印船が行き交った頃は日本人が1000人以上も住んでいたそうである。今は欧米人や中国人が多数観光に訪れる外、地元のベトナム人も若い女性はアオザイで着飾って目を楽しませてくれる。
ガイドと落ち合って絹織物の工場兼売り場を見学した後、ダナンに戻るが、駅に着く前に夕食を摂ることになる。ランチからさほど時間が経ってないので、あまり食欲はなかったが、無理やり詰め込み、食べきれない分は車内用として持ち帰ることにして駅に向かった。駅には出発の2時間以上前に着いてしまったので、まだ閑散としていて退屈な時間を過ごすことになる。
ガイドの説明では列車は1時間ほど遅れているとのことでさらに待ち時間が長くなるようだ。待合室では次第に改札待ちの乗客も多くなり、ガイドに改札口を通るように言われる。ここでガイドは自分は改札内に入れないので、後は自力で乗車するようにと言われるが、これは早く帰りたいがための言い訳のようだ。何故なら、ハノイから乗車した時は、ガイドが個室まで案内してくれたからである。まあ、こちら側としても、ガイドがついていると、聞き取りにくい日本語に付き合わされて疲れるので、早めに別れた方が楽でもあるのだが。
改札内の待合室も満室になり、やがて列車の到着を告げているのであろうアナウンスの後に皆が動き出したので、我々も列車に乗り込むことになる。切符に印刷された寝台個室に辿り着くが、今まで乗ってきた車両よりも明らかに設備が悪い。そういえば、日本での旅行会社とのやりとりで、予定していた寝台の確保ができなかったので、連結している私鉄の車両にせざるを得なかったと言われたのは、このことだったのかと気がついた。まあ4人分のベッドを二人で使用するので、他人との同室がないだけでも良しとしなければならないだろう。後はホーチミンまでの長い旅を楽しむ(苦しむ?)だけである。
1月20日
夜中に何度も目が覚めたが、朝が近づいているようである。といっても、まだ外は真っ暗であるが。当座の問題は、朝の弁当が予定どおり支給されるかどうかである。ハノイからフエに向かった時は朝はフォーが支給されたので、今回も同様だと思われるが、寝台車のランクが落ちているので、一抹の不安はある。もっともホームに降りれば露店はたくさんあるのだが、停車時間もわからないので、列車に乗り遅れることなく買い物ができるかが問題である。
幸い車内販売があって弁当、水といった当座の必要なものは買えたので、ホームに降りる必要はなくなり、まずは一安心である。ネットでベトナム鉄道の時刻表を検索してみたが、ここまでの所ではダナン時点での遅れ1時間は取り戻せているどころか、むしろ拡大しているようである。
昼飯は持参したカップ麺で済ませればよいと思っていたら、昼前にまた弁当を売りに来たので一人分だけを買い、これでホーチミンまでは心配がなくなり、結局は1時間少しの遅れの18時ちょっと前にホーチミンに到着することができた。延々19時間をかけてのダナンからの、そして5日間をかけてのハノイからの長旅はピリオドを迎えることができた。
迎えの車でホテルまで送られて旅装を解いたあと、連日のベトナム料理に少し飽きがきていたこともあり、日本から進出しているラーメン屋で妻はチャーハン、私はラーメンを食して元気を取り戻して明日からの後半戦に向かうことにした。
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