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2025年2月

2025年2月27日 (木)

関東ふれあいの道 群馬県コースNO4,5

2月26日

群馬県南部のコースは3番が連絡コースとなっているので、実質的には4番から再開することになる。スタートの上鹿島までは高崎から八高線乗換で群馬藤岡まで行く方法と新町からバスを2回乗り換えて行く方法があり、いずれでも時間と料金は変わらないが、後者だと新町駅の待ち時間が40分もあるのに、バスの乗り継ぎ時間の方が短くて乗り継ぎに失敗する可能性があるかもしれないと思い、前者で行くことにした。

上鹿島で下車すると、すぐに小梨峠への道に分岐することになる。しばらくは舗装路が続くが、物凄い傾斜のキツイ道で歩き始めの体には少々辛く感じる。

しばらく進むと、「小梨峠の先は台風の被害で通行止め」の表示がある。撮影ポイントは小梨峠なので、撮影さへできれば戻ってもいいかと思ったが、小梨峠まで来ても、その先も歩けそうだったので、そのまま先に進む。結局、牛伏山の分岐点まで問題なく進め、あの通行止めの表示はなんだったのだろうか

牛伏山への登りは標高差300メートルほどなので大したことはないのだが、舗装路が延々と続き、実際よりも長く感じた。頂上は鉄塔の立つ細い長い形状をしていた。舗装路が頂上直下まで達しているので休日はかなり賑わうのかもしれないが、平日の今日は閑散としていた。



山は遊歩道の先から急な階段が下の舗装路までずっと続いていた。ただ舗装路の手前で道を踏み外したのか、急な斜面を降りる羽目となってしまった。舗装路から最寄り駅の真庭駅までは1本道ではなく何度も曲がらなければならないので、GPSがないと難渋するところである。

コースNO4のゴールは真庭駅であるが、途中の立寄り場所数カ所は省略して4時頃に到着した。ここからNO5のコースに入るが、時間もないので撮影ポイントの山ノ上碑だけに寄って最寄り駅の西山名駅に降りるつもりだった。ところが、真庭駅に着いてみると、間もなく上り電車が発車するので、これに乗って隣の西山名駅まで行って、そこから山ノ上碑を往復すれば、小一時間は時間短縮できることがわかり、迷わずそうすることにした。

山ノ上碑までの往復は小一時間だが、電車の間隔も1時間だったので、無駄な待ち時間もなく、効率的な行動ができた。コースNO5は少しインチキっぽい気がしないでもなかったが、群馬県のコースは35もあるので、中にはこんなコースもあってもいいかな?

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2025年2月15日 (土)

ふれあいの道 群馬県コースNO1,2,34

2月14日

ふれあいの道の群馬県コースは榛名山から赤城山にかけてと栃木との県境付近のコースは踏破しているが、最初あたりは全く手付かずだったので、一番から歩き始めることにした。

1番と2番を繋げると、距離的には手頃な距離となるのだが、両コースの中継点となる保美濃山には、どういうわけか34番が絡んでくるので、三つのコースをいっぺんにとも考えてはみたものの、一日で踏破するのは時間的に難しいため、2番については妹ケ谷から不動尊を往復するだけでお茶を濁すことにした。

というわけで、最初に妹ケ谷までバスと乗合タクシーで移動して、不動尊を往復することにして、不動尊まで舗装路と参拝道を歩くと、石神峠へは通行止めで立ち入り禁止の立札がある。石神峠は最初からエスケープするつもりだったので、何も影響はなかったが、結果的にはエスケープしたことが正解であった。


次は34番の撮影ポイントである桜山に向かうことになるが、本来のコースは東側から山頂を往復しているようだが、2番コースから繋げて歩くので、西側から登ることにした。

西側の登山口までも2時間近く歩いてようやく着くことができた。標高差300メートル程度の登りだが、かなりの急勾配な上、落葉が積もっていて、なかなかたいへんな登りだった。さらに頂上近くになると動物除けの電気柵が張り巡らせていて、道幅もかなり狭いため、誤って触らないように神経を使わされた。

 

頂上付近は公園になっていて、桜の開花時期にはかなりの人出になるのだろうが、今は誰もおらず静まりかえっていた。頂上でも証拠写真は撮ったが、撮影ポイントは管理棟となっていたのて、それがあるはずの方面に降りてみたか、今ひとつどこなのかがわからず、管理事務所と書いてある建物の前で証拠写真を撮っておいた。

下りは往路を戻るつもりだったが、途中で下に向かう林道があったので、こちらから降りた方が早いかなと思って、そちらに進路をとってみたが、往路とは離れていくばっかりだったので、林道を離れて強引に往路の方向を目指して斜面を降りていくと、往路の道と合流することができた。

舗装路まで降りて、しばらく進んでから今までの道と別れて、神流湖を目指して峠越えを行う。峠越え自体はそれほど大変というわけではなかったが、最終バスの発車時間が迫っていたので、精神的には追い立てられるような気分であった。

最終バスに乗車する予定の下久保バス停の手前にあるトンネルの所まで来て選択を迫られる。このままトンネルを潜って下久保バス停まで行けば、最終の1本前のバスで帰ることができるが、その代わりに1番コースの撮影ポイントには寄れないので、後日にまた来なけれはならない。トンネル手前の道を降りていけば、1番コースの撮影ポイントには着くことができるが、その場合には最終バスに間に合うかどうかは確証が持てない。

思案した結果、選択したのは1番の撮影ポイントまで降りることであった。スマホの地図からの計算では時間的には最終バスにはまず間に合うだろうと思えたし、最悪の場合には帰宅が翌日になるだけで、大きな問題はないと思えたからである。

湖面まで降りてみて宛が外れたのは、ダムの横を降りる道が工事で立ち入り禁止となっていて(おまけに係員までいるとは!)、ダムを対岸まで渡ってからでないと下降ができず、遠回りを余儀なくされることであった。

今さら引き返すわけにもいかず、そのまま前進して下久保ダムの下の橋を渡って、コース1番の撮影ポイントの写真を撮ってから、下久保バス停に着いたのは最終の15分前で、食べ残したパンを食べる時間もあり、終わり良ければ全て良しであった。

 

 

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2025年2月10日 (月)

不老山

寒波がなかなかおさまらないので、寒波の影響をあまり受けない山域に行こうと、新関東百名山の中の未登頂の山である不老山を登ることとし、さらには時間が許せば北方にある同じく新関東百名山のミツバ岳にものぞってしまおうという欲張った計画を立てた。

電車の本数はたくさんあるので、特に出発時間を決めてなかったら、家を出るのが7時過ぎとなってしまい、いくら何でも遅すぎる出発となってしまった。

駿河小山の駅を10時頃に出て登山口に向かう。グーグルマップに書かれている登山道に向かって歩き出したが、その道は採石場に通じる道で登山道には通じてないようだ。

出直ししなければならないかと思ったが、左手に送電線の巡視道があるようなので、そちらを登ることにした。しばらく登ると五万図にある駿河小山駅からの道と合流する。そちらの道を辿った方が近かったことに気付くが、県境に近い所を登りたかったので、遠回りではあったが仕方ない。

不老山までは標高差7百メートルほどしかないが、実に長い尾根で、4時間ほどかかって2時に山頂に達する。頂上近くで二組のパーティーとすれ違ったが、これが今日あった唯一のパーティーで、低山の割には不遇の山のようである。

頂上近くまで来てきずいたのだが、今日登ってきた尾根は10年以上前に関東県境尾根縦走をやってた時に、時間不足から手前の附峠から直接駿河小山駅に降りてしまって、本来の県境尾根は歩いておらずに心残りとなっていた所を知らないうちに歩いていたわけでラッキーであった。

不老山に着くのが遅くなり過ぎたため、ミツバ岳を登るのは無理かなとも思われたが、最終バスは7時過ぎまであるので、ダメ元で行ってみることにした。

世附峠まで降りてからミツバ岳との間にある世附川に向けて降りようとしたところ、通行止めの立て札があるではないか。多少悪い所ごあっても降りられんことはあるまいとも思ったが、橋が流されていると書いてあったので下降を断念した。

地図を見てみると、多少遠回りにはなるが、もう少し西側からも世附川に降りる道があることを発見、こちらの道が世附川を渡る橋は当初降りる予定の道の世附川の橋の道よりもしっかりした道のようなので、そちらを降りることにした。

隣の下降路の所まで行ってみると、こちらには通行止めの表示はなかったので降り始めたが、道は広い林道ながら草ぼうぼうであまり人は通ってないようだ。

しばらく進むと、道が崩壊していて前進が阻まれる。来た道を戻って、世附峠を駿河小山に降りなければならないかとも思ったが、よく見ると、崩壊した部分に倒木が橋のようにかかっているではないか。倒木をつかまって行けば向こう側へ渡れるのではないかと思ってやってみると、なんとか渡れて事なきを得た。

その後も、林道が分岐していたりして、進路に迷うことがあったが、そのたびにスマホの地図を開いて、現在地をGPSで確認して、地図上の道に近い所を通るようにして前進すると世附川まで降りるすることができた。

予想した通り、舗装された橋が川にかかっており、難なく対岸に渡ることができた。しばらく進んで、世附峠からの下降路の橋が地図では表示されている所に来たが、橋の残骸すら全くなかった。ここまで苦労して降りてきて橋がないのではガックリするところだった。夏なら靴を脱げば渡れないことはないだろうが、今の季節では無理で、遠回りしてきて正解だった。

そこからミツバ岳の登山口までは思ったよりも遠くて登山口から頂上までの標高差を考えると、最終バスまでに往復してくるのは無理だと思えたので、ミツバ岳は諦めて、このままバス停まで行き、最終の1本前のバスに乗ることにした。時間的にはなんとか間に合ったが、もし乗り遅れると、最終バスまで自販機もないところで2時間以上待たされるところであった。

今回は不老山ひとつしか登れす、ミツバ岳は次回への持越しとなってしまったが、当初予定していなかった神奈川・静岡の県境尾根の未踏部分の踏破という「成果」もあったので、満足すべきものと言えるだろう。

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2025年2月 2日 (日)

房総に避寒?

夏日のホーチミンから「厳寒」の東京に戻ることになると、体の抵抗力に難のある妻の体調が心配なので、東京に比べれば多少は気温が高めになることが期待される房総に数日滞在することになった。

1月27日

今回宿泊する鴨川グランドタワーはコンドミニアムタイプが中心のホテルで、12畳ほどの部屋が衝立てで寝室と居間に区切られているほか、出入り口の横にも寝室があって、ベッドの数は全体で4個もあるのは驚きである。二人宿泊で一泊13千円だから1人6500円となるが、四人宿泊だと一泊14千円なので1人3500円とお値打ちとなるようだ。

調理器具はひととおり揃っているが、初日の夕食は移動の疲れもあってコンビニ弁当となってしまった。

1月28日

今回の滞在では妻は温泉三昧、私は鴨川周辺のウォーキング三昧で過ごすことにしてあった。ということで、私は房総南部にある関東百名山の未踏峰である高塚山と烏場山を登ることにした。

ますは高塚山に登るべく、千倉駅から登山口近くまでバスで移動すると、祭礼かなにかで露店が立ち並ぶ道の奥にお寺かあり、その横に登山道ごあった。

200メートルそこそこの低山なので、いつのまにか山頂に達する。太平洋が眺められる風景を楽しんだ後に下降に移る。すると、下から次々と人が登ってくるではないか。アプローチが短いので、地元の山好きには恰好な山なのだろう。

下山後は次の関東百名山である烏場山に移動することになるが、まずは千倉駅に戻らなければならない。ところが、千倉駅行きの次のバスまでは1時間半も待たなければならない。お店もない所でそんなに待てないということで歩きだすことに。途中で千倉行きのバスに乗車し安房鴨川方面に戻って江見駅で下車する。





ここから烏場山に登るには、和田浦方面に戻って南面から登る方法と、このまま北側に回り込んで北面から登る方法とがあるが、北面からの登路を通って南面を降りるという変化に変化に富んだコースを取ることにした。

北面の登山口までは舗装路を2時間近く歩かされる長いアプローチであった。登山口から頂上までは標高差で100メートル程度しかないので、1時間もかからずに山頂に着く。

山頂は360度の展望があるし、時間もまだ2時と早いにもかかわらず、人影はなかった。今朝の高塚山の賑わいの違いはなんなのだろう。なぶんもう少し早い時間に登頂を済ませて往路を戻ってしまったのだろうか。

和田浦までの下りも誰にも会わずに静かな山歩きが楽しめた。その夜はホテルの夕食が予約してあったので、天麩羅定食を食べたが、ベトナム高島屋の地下で食べた天麩羅と比べ、期待したほどの味の違いはなかった。

1月29日

今日からは関東ふれあいの道を歩くことになるが、最初に登る元清澄山は昨日登った山よりもかなり登り甲斐のある山のようなので、気合いを入れることにした。

終点の金山ダム入口で下車してダムに向かうが、ダムを通り越してしばらく進んだ所で、撮影ポイントの写真を撮り忘れたことに気付く。今さら後戻りするのも嫌なので、金山ダムの名前の入った標識の写真を撮って代わりとした。踏破申請の際にこれではダメだとは言われないだろう。

元清澄山まではかなりの登りで、ちばの低山とは思えない険しさであった。山名の由来は、これから向かう清澄山にある清澄寺は元々はこの地にあったところから名付けられたそうである。いつ移転されたかについては案内板には記されてなかったが、この地に建設するのはかなりの難工事だったであろうが、この地で寺院を維持するのも大変なため移転それたのでおろうか。

下山に移るとしばらくは急降下が続いた後は、緩やかな下りが続いて清澄寺に着き、今までの静けさとは打って変わって急に賑やかになってくる。撮影ポイントである山門で写真を撮ってから、このコースのゴールである内浦山県民の森に向かうつもりであった。ところが、茶店の前を通りかかって、おでんとビールの看板を見かけた途端、急に気が変わって、ここで休憩してから県民の森には寄らずに最寄り駅まで降りてしまうことにしてしまった。

この清澄寺は日本で一番早く初日の出が見られる所らしくて、普段も参拝者が多く路線バスも通っていたようだが、昨年3月に廃止となってしまったとのことである。ただ最寄り駅まで歩いても1時間ちょっとであり、当初予定の県民の森までは2時間かかることを考えると、このまま県民の森に向かっても、特に見るべきものがあるわけでもないし、この際は最寄り駅まで降りてしまった方が得策であるという結論となった。実際にはホテルまで歩いてしまったので、この日は1日で25キロを歩くという強行軍となってしまった。

1月30日

千葉県のふれあいの道のうち海岸線については坂東33札所一筆書きの際に歩いているため、今回は撮影ポイントだけを訪れるつもりなので、午前中は妻も同行することになった。

最初に訪れたのは日蓮宗の開祖である日蓮聖人が生まれた安房小湊にある誕生寺である。日蓮聖人が誕生した土地にあることから寺の名前が命名されたと思われるので、当然日蓮宗の寺てある。

安房小湊が通っている外房線の本数は上下線ともそれぞれ1時間に1本なのに対して、駅から誕生寺までの往復時間は、これまた1時間のため、下手をすると駅で1時間の待ち時間となりかねず、帰りはかなり急ぎ足で歩く羽目となってしまった。 

次は勝浦駅から八幡岬を目指す。片道30分とのことだが、岬付近は結構アップダウンもある。岬には勝浦城址があり、初代水戸徳川家の母親の出身地だそうである。帰りは途中にある漁港の仲買人直営の食堂で海鮮丼を食べる。

食後は妻は鴨川に帰り、私はふれあいの道の撮影ポイント巡りを続ける。まずは大原まで行って、そこから南下する予定である。大原駅から撮影ポイントの真実一路の碑までは片道30分と見込んでいたが、住宅街の中にあって結構時間がかかり、駅に戻ってきた時には電車に乗り遅れてしまった。
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ここで時間待ちをしていると後の予定に支障が出るので、岩船地蔵尊まではタクシーを利用することにした。タクシー利用だから余裕しゃくしゃくだと思ったのだが、地蔵尊から浪花駅までは走りを交えてやっと電車に間に合う羽目となってしまった。


本日最後の撮影ポイントである鵜原海岸は降り口を間違えて先まで行きすぎてしまい、行き止まりとしてしまったので道を戻ったところ、路傍休憩所があったので、写真を撮ってから鴨川に戻る。本日は1日で5カ所の撮影ポイントを回れて効率は良かったが、以前に海岸線は歩いている
とはいえ、コースの大半をエスケープしてしまうのは、ふれあいの道踏破の趣旨からは外れている気がしないでもない。

1月31日

今日のコース23、24は通して歩いても7時間程度なので1日で十分歩ける距離なのだが、その場合は起点と始点への鴨川からのアプローチが良くないので、中間点である下の台から両コースの撮影ポイントまでを往復することにした。なおコース24の高宕山以北の稜線は関東100名山を目指す際に歩いているので、今回は省略してしまってもいいのかなときがしている。

下の台からの撮影ポイント往復は効率的に行動できるので、昼前に鴨川駅を出発しても日没過ぎには下の台に戻ってこれそうなので、朝食後にゆっくりと温泉に入っていられるほどであった。

下の台に到着してからは短時間で行けそうな豊英大滝を先に行くことにする。コースタイムでは片道50分となっていたが、最初の所で道を間違えてしまったこともあり、大滝までは1時間半もかかってしまったので、帰りは急ぎ足で進んだところ、ほぼコースタイムで歩けた。ただかんじんの大滝は残念ながら枯れていてただの壁となっていた。

 
両コースを繋げて歩く場合には下の台まで戻らずに隣のコースに移れるので、このペースならば十分予定のバスで鴨川に帰れることを確信していた。

高宕山直下までは順調に進んだが、最後は稜線は山頂の東側をまわりこんているので、山頂は後回しにして撮影ポイントである高宕観音に向かう。観音はすぐ先にあり、寺院は岩をくり抜いた中に建てられていた。



そこからは往路を戻るが、せっかく来たのだからと、以前に登ったことはあるものの、高宕山の山頂にも寄ってみることにした。ここからは知った道を戻るということで気の緩みもあったのか、しばらく進んで現在地を確認すると、反対方向に進んでいることに気付く。30分以上は時間をロスしたことになるので、予定のバスに乗れるかどうかは怪しくなってきた。

下りも暗くなってきて道も迷いやすくなってきたので慎重に下り、広い道に出てからは走り出してらなんとか予定のバスに乗車でき、鴨川駅近くの回転寿司で地場の魚の味を楽しんで、「避寒」の旅を終えることとなった。

 

 

 

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