« ベトナム旅行記(後半) | トップページ | 不老山 »

2025年2月 2日 (日)

房総に避寒?

夏日のホーチミンから「厳寒」の東京に戻ることになると、体の抵抗力に難のある妻の体調が心配なので、東京に比べれば多少は気温が高めになることが期待される房総に数日滞在することになった。

1月27日

今回宿泊する鴨川グランドタワーはコンドミニアムタイプが中心のホテルで、12畳ほどの部屋が衝立てで寝室と居間に区切られているほか、出入り口の横にも寝室があって、ベッドの数は全体で4個もあるのは驚きである。二人宿泊で一泊13千円だから1人6500円となるが、四人宿泊だと一泊14千円なので1人3500円とお値打ちとなるようだ。

調理器具はひととおり揃っているが、初日の夕食は移動の疲れもあってコンビニ弁当となってしまった。

1月28日

今回の滞在では妻は温泉三昧、私は鴨川周辺のウォーキング三昧で過ごすことにしてあった。ということで、私は房総南部にある関東百名山の未踏峰である高塚山と烏場山を登ることにした。

ますは高塚山に登るべく、千倉駅から登山口近くまでバスで移動すると、祭礼かなにかで露店が立ち並ぶ道の奥にお寺かあり、その横に登山道ごあった。

200メートルそこそこの低山なので、いつのまにか山頂に達する。太平洋が眺められる風景を楽しんだ後に下降に移る。すると、下から次々と人が登ってくるではないか。アプローチが短いので、地元の山好きには恰好な山なのだろう。

下山後は次の関東百名山である烏場山に移動することになるが、まずは千倉駅に戻らなければならない。ところが、千倉駅行きの次のバスまでは1時間半も待たなければならない。お店もない所でそんなに待てないということで歩きだすことに。途中で千倉行きのバスに乗車し安房鴨川方面に戻って江見駅で下車する。





ここから烏場山に登るには、和田浦方面に戻って南面から登る方法と、このまま北側に回り込んで北面から登る方法とがあるが、北面からの登路を通って南面を降りるという変化に変化に富んだコースを取ることにした。

北面の登山口までは舗装路を2時間近く歩かされる長いアプローチであった。登山口から頂上までは標高差で100メートル程度しかないので、1時間もかからずに山頂に着く。

山頂は360度の展望があるし、時間もまだ2時と早いにもかかわらず、人影はなかった。今朝の高塚山の賑わいの違いはなんなのだろう。なぶんもう少し早い時間に登頂を済ませて往路を戻ってしまったのだろうか。

和田浦までの下りも誰にも会わずに静かな山歩きが楽しめた。その夜はホテルの夕食が予約してあったので、天麩羅定食を食べたが、ベトナム高島屋の地下で食べた天麩羅と比べ、期待したほどの味の違いはなかった。

1月29日

今日からは関東ふれあいの道を歩くことになるが、最初に登る元清澄山は昨日登った山よりもかなり登り甲斐のある山のようなので、気合いを入れることにした。

終点の金山ダム入口で下車してダムに向かうが、ダムを通り越してしばらく進んだ所で、撮影ポイントの写真を撮り忘れたことに気付く。今さら後戻りするのも嫌なので、金山ダムの名前の入った標識の写真を撮って代わりとした。踏破申請の際にこれではダメだとは言われないだろう。

元清澄山まではかなりの登りで、ちばの低山とは思えない険しさであった。山名の由来は、これから向かう清澄山にある清澄寺は元々はこの地にあったところから名付けられたそうである。いつ移転されたかについては案内板には記されてなかったが、この地に建設するのはかなりの難工事だったであろうが、この地で寺院を維持するのも大変なため移転それたのでおろうか。

下山に移るとしばらくは急降下が続いた後は、緩やかな下りが続いて清澄寺に着き、今までの静けさとは打って変わって急に賑やかになってくる。撮影ポイントである山門で写真を撮ってから、このコースのゴールである内浦山県民の森に向かうつもりであった。ところが、茶店の前を通りかかって、おでんとビールの看板を見かけた途端、急に気が変わって、ここで休憩してから県民の森には寄らずに最寄り駅まで降りてしまうことにしてしまった。

この清澄寺は日本で一番早く初日の出が見られる所らしくて、普段も参拝者が多く路線バスも通っていたようだが、昨年3月に廃止となってしまったとのことである。ただ最寄り駅まで歩いても1時間ちょっとであり、当初予定の県民の森までは2時間かかることを考えると、このまま県民の森に向かっても、特に見るべきものがあるわけでもないし、この際は最寄り駅まで降りてしまった方が得策であるという結論となった。実際にはホテルまで歩いてしまったので、この日は1日で25キロを歩くという強行軍となってしまった。

1月30日

千葉県のふれあいの道のうち海岸線については坂東33札所一筆書きの際に歩いているため、今回は撮影ポイントだけを訪れるつもりなので、午前中は妻も同行することになった。

最初に訪れたのは日蓮宗の開祖である日蓮聖人が生まれた安房小湊にある誕生寺である。日蓮聖人が誕生した土地にあることから寺の名前が命名されたと思われるので、当然日蓮宗の寺てある。

安房小湊が通っている外房線の本数は上下線ともそれぞれ1時間に1本なのに対して、駅から誕生寺までの往復時間は、これまた1時間のため、下手をすると駅で1時間の待ち時間となりかねず、帰りはかなり急ぎ足で歩く羽目となってしまった。 

次は勝浦駅から八幡岬を目指す。片道30分とのことだが、岬付近は結構アップダウンもある。岬には勝浦城址があり、初代水戸徳川家の母親の出身地だそうである。帰りは途中にある漁港の仲買人直営の食堂で海鮮丼を食べる。

食後は妻は鴨川に帰り、私はふれあいの道の撮影ポイント巡りを続ける。まずは大原まで行って、そこから南下する予定である。大原駅から撮影ポイントの真実一路の碑までは片道30分と見込んでいたが、住宅街の中にあって結構時間がかかり、駅に戻ってきた時には電車に乗り遅れてしまった。
Spxl_20250130_054231321

ここで時間待ちをしていると後の予定に支障が出るので、岩船地蔵尊まではタクシーを利用することにした。タクシー利用だから余裕しゃくしゃくだと思ったのだが、地蔵尊から浪花駅までは走りを交えてやっと電車に間に合う羽目となってしまった。


本日最後の撮影ポイントである鵜原海岸は降り口を間違えて先まで行きすぎてしまい、行き止まりとしてしまったので道を戻ったところ、路傍休憩所があったので、写真を撮ってから鴨川に戻る。本日は1日で5カ所の撮影ポイントを回れて効率は良かったが、以前に海岸線は歩いている
とはいえ、コースの大半をエスケープしてしまうのは、ふれあいの道踏破の趣旨からは外れている気がしないでもない。

1月31日

今日のコース23、24は通して歩いても7時間程度なので1日で十分歩ける距離なのだが、その場合は起点と始点への鴨川からのアプローチが良くないので、中間点である下の台から両コースの撮影ポイントまでを往復することにした。なおコース24の高宕山以北の稜線は関東100名山を目指す際に歩いているので、今回は省略してしまってもいいのかなときがしている。

下の台からの撮影ポイント往復は効率的に行動できるので、昼前に鴨川駅を出発しても日没過ぎには下の台に戻ってこれそうなので、朝食後にゆっくりと温泉に入っていられるほどであった。

下の台に到着してからは短時間で行けそうな豊英大滝を先に行くことにする。コースタイムでは片道50分となっていたが、最初の所で道を間違えてしまったこともあり、大滝までは1時間半もかかってしまったので、帰りは急ぎ足で進んだところ、ほぼコースタイムで歩けた。ただかんじんの大滝は残念ながら枯れていてただの壁となっていた。

 
両コースを繋げて歩く場合には下の台まで戻らずに隣のコースに移れるので、このペースならば十分予定のバスで鴨川に帰れることを確信していた。

高宕山直下までは順調に進んだが、最後は稜線は山頂の東側をまわりこんているので、山頂は後回しにして撮影ポイントである高宕観音に向かう。観音はすぐ先にあり、寺院は岩をくり抜いた中に建てられていた。



そこからは往路を戻るが、せっかく来たのだからと、以前に登ったことはあるものの、高宕山の山頂にも寄ってみることにした。ここからは知った道を戻るということで気の緩みもあったのか、しばらく進んで現在地を確認すると、反対方向に進んでいることに気付く。30分以上は時間をロスしたことになるので、予定のバスに乗れるかどうかは怪しくなってきた。

下りも暗くなってきて道も迷いやすくなってきたので慎重に下り、広い道に出てからは走り出してらなんとか予定のバスに乗車でき、鴨川駅近くの回転寿司で地場の魚の味を楽しんで、「避寒」の旅を終えることとなった。

 

 

 

|

« ベトナム旅行記(後半) | トップページ | 不老山 »

歩き」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« ベトナム旅行記(後半) | トップページ | 不老山 »