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2025年3月

2025年3月29日 (土)

都内史跡巡り(四谷から新宿へ)

 本日は地元の郷土史愛好家が主催する史跡見学会に参加するつもりだったが、雨で中止になったため代わりに1人で四谷から新宿までの史跡を巡ってみることにした。

3月29日

四谷駅で下車して東側に向かうと、外堀の石垣が一部残っているので、それを眺めた後に西側の西念寺に向かう。
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服部半蔵の墓があるとのことであったが、なかなか見つからない。そこで墓参りに来ていた人に場所を教えてもらい、写真を撮ってから、次の史跡に移る。
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次に訪れた愛染院には国学者の塙保己一の墓があるとのことであったが、墓地の入口には鍵がかかっていたため中には入れずに諦めた。
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その後は新宿駅方面に向かい、成覚寺に向かう。ここは遊女の投げ込み寺だったそうである。
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著名人の墓があるわけでもないので、写真だけとって、最後の目的地である花園神社に向かう。桜満開間近ということで、雨にもかかわらず見物客で賑わっていた。
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今回は寺や神社しか訪れることができなかったが、次回はもう少し史跡っぽい所にも行ってみたい。この程度ならば、足が今よりも衰えても歩ける限りは楽しめるだろう。

 

 

        

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2025年3月27日 (木)

青春18切符

青春18切符が3日間または5日間の連続利用に「改悪」されてから初めて利用してみることにした。利用先は関東ふれあいの道や関東百名山であるが、体力が落ちてきている現在、毎日連続して行動するのは辛いものがあり、果たしてどうなることやらである。

3月22日

5日連続18切符利用の初日は関東ふれあいの道群馬県コースのうち、妙義山と榛名山の間のコースである。最初のコースNO14は次に繋げるコースNO13の始点近くに撮影ポイントがあるので、全コースは歩かずに撮影ポイント近くまでバスに乗り、そこからコースNO13の始点までもバスに乗るというインチキをやって時間短縮を図ることにした(歩いても小一時間程度なのだが)。
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次のコースNO13の撮影ポイントである風戸峠までは手抜きをせずにコース通りに歩くことにする。初っ端から急登が続くが、ある程度登ると傾斜が落ちてダラダラ歩きが続くことになる。昼過ぎに峠に着いてから、今後の予定を検討することになる。
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コースNO13の後半は恵宝沢のバス停に向けて降りることになるのだが、次のコースNO12の撮影ポイントである仙ケ滝は風戸峠よりもかなり西側にあるのに対して、恵宝沢は逆に東側にあり、両コースの間は無茶苦茶離れていることに気が着いた。

通常は隣接しているコースが離れている場合は、番号だけ付した空のコースを連絡コースとして設定してあるのだが、今回、NO12と13の間には連絡コースは設けていなかったので、両コースがこんなに離れていようとは思ってもみなかった。

こうなってしまった以上は恵宝沢には向かわずに線ヶ滝への最短コースを選ぶしかない(それでも4時間近くはかかりそうだが)。単独のコースを行くよりもはるかに多くの時間をかけて線ヶ滝に向かい、なんとか暗くなる前に到着して、撮影ポイントの写真を撮ることはできた。
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後は信越線まで下るだけだが、最後は時間との競争でなんとか列車に間に合った。1本逃すと1時間近くのロスとなるだけに危ないところであった。時間的には帰宅も可能であったが、翌朝早出するのもたいへんなので、小山駅近くのネットカフェに泊まることにした。ただ駅からかなり遠い所にあったので、途中で足が痛くなって、なかなか大変だった。

3月23日

今回の18切符を利用しての旅は茨城県のふれあいの道のうち、つくば北方の連山を縦走するコース8番、9番を繋げる予定である。以前なら一日で歩いたであろうが、今は到底無理なので2日行程となるが、途中に宿泊する施設もないので、一度麓まで下りなければならない。その場合には同じ道を登り返すこととなって不経済なので、どうしたものかと思ったが、昨日の思わぬ長丁場の疲れも残っているところから、今日は山の上までは上がらずに撮影ポイントだけを往復することとした。

撮影ポイントまでは思った以上に時間がかかってようやく辿り着いたと思ったら、なんとそこには車が止めてあって、車にはボルダリングマットが立てかけてあるではないか!上の方を見上げると人影があって岩の苔を落としているようであった。やがて降りてきたので話を聞いてみると、近くの笠間のボルダー(私も何度か登ったことがあるが)は混んでいるので、新しいボルダーエリアを探しに来たそうである。

彼とはしばらく話しこんだ後に往路を戻るが、下りは早い上にバスの接続もよかったので、6時頃には帰宅できた。

3月24日

5日間も連続で行動するのはつらいので、今日は休養も兼ねて伊豆高原の大室山に行き、帰りに城ヶ崎の岩場も見物してくることにした。

のんびりと出かけたので、大室山登山口に着いたのは2時近くになってしまった。平日にもかかかわらず、大勢の観光客で賑わっていて、リフトには順番待ちまでできている。

たった数百メートルの標高差しかなく、裏側まで行けば登山道もあるようなので、しばらく進んでみると、地図上では登山道があるはずの所に登山禁止の立札がいっぱい立っている。ウソーと思ってネットで調べてみると、大室山全体が天然記念物に指定されたため数年前から徒歩による登山が禁止されたとのことである。リフト乗り場まで戻るのも面倒だったし、特別登りたいとというわけでもないので、登頂は諦めることにした。

仕方ないので、山腹をまわって城ヶ崎海岸まで歩くことにしたが、途中で変なおばさんにつかまってしまい、「この道は危ないのであなたを保護します」とか言って、ずっと後ろから車でついてくる。うるさいので車では通れない道を下って、なんとか巻くことができたが、こんなことは初めての経験である。彼女はいわゆる痴女なのか、私がよほど魅力的だったのか(笑)?

城ヶ崎には暗くなる前になんとか着いたが、あれほど通った岩場なのに、前に登ったルートが全然わからず、浦島太郎のような気分であった。
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その後は水戸までの長い々々鉄路の旅で明日のふれあいの道の最寄り駅である岩瀬駅に近い水戸まで移動して、駅前のネットカフェに辿り着いた。

3月25日

始発電車に乗り遅れてしまったが、行程には余裕があるので、全然問題はない。JRとバスを乗り継いでスタート地点には8時過ぎに着く。撮影ポイントの燕山まではここからは標高差550メートルの登りである。コースNO8は本来は雨引観音からスタートするのだが、雨引観音は坂東三十三箇所一筆書きの時に行ったことがあるので、今回はパスすることにした。

今回のコースは燕山への最短コースではあるが、あまり歩かれていないようで、マーキングはほとんどないものの、踏み跡はしっかりしているので迷うことはない。

昼前には燕山の山頂に着き、今後の予定を検討する。撮影ポイントでの撮影は済んでいるので、このまま帰ってしまってもいいのだが、時間もまだ早いので、もう少し先まで進んでみることにする。
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次のピークの加波山は以前に登ったことがあるので、今回は素通りしたが、その少し先に下山路の分岐点があったので、あっさりと降りることを決めてしまった。このまま稜線を進むと2時間ばかりは稜線歩きをしなければならないが、とりたてて魅力的なピークがあるわけでもなく、なんか歩くのがいやになってしまったからである。

バス停には3時過ぎに着き、このまま水戸に帰ると明るいうちになってしまうなあと思っていたら、とんでもないことになってしまった。というのは、事前に調べてあったバスの到着時間をバス停の時刻表で確認して、少し遅れて到着したバスに乗り込んだのだが、しばらくしてから反対方向のバスに乗ってしまったことに気がついた。

反対方向のバスがちょうど同じ時間に出るので(道も平らだったし)、うっかり間違ってしまったようで、次のバス停で下車しようかとも思ったが、自販機もないバス停で長時間待たされるのもイヤだったので、終点まで行って乗り換えることにした。料金は一律200円だし、時間ももて余していたからである。

終点は筑波山の登山口で、筑波山から下山してきた人が何人かいたが、今回の失敗を知られたくなかったので、彼らとは話をしないように気を付けて座った。1時間ほどの乗車時間だったが、なんとか話しかけられずには済んだ。それでも暗くなる前にはJRの駅に着いたが、水戸に着いた時はようやく暗くなって居酒屋タイムに入ることができた。

3月26日

水戸駅を早朝に出発して常磐線の十王駅に向かう。関東百名山の竪破山(たつわれやま)に登るためである。関東百名山の中で最も歩行距離が短くて(ただし、山と渓谷社刊の旧版掲載分に限るが)、かつ公共交通機関によるアクセスが難しい山であるだろう。東京からだと前夜に近隣都市に宿泊しないと午前中1本のみの始発のバス(しかも平日のみの運行)に間に合わないときているが、駅から20キロ近くは離れているため、歩くには遠いし、タクシーを利用すると割ないむ高になるため、マののよなイカーを利用できない者にとっては敷居の高い山である。

マイクロバスの乗客は私1人で、30分ほどかけて最奥の集落である鬼越に着く。舗装路はまだ先に続いているが、ここから先は登山口まで小一時間歩かなければならない。

登山口に着くと車が1台停まっていて、どうやら下山してきた人らしい。関東百名山に選ばれているだけあって、多少は登られているようだ。

前半は少し急な登りだが、途中から傾斜が落ちてくる。標高差200メートル程の登りなので、1時間もしないうちに頂上に着く。頂上の見晴らしはあまりよくないが(10メートル以上の高さの塔が建っているので、そこに登れば多少は展望がきくのかも)、それよりも、頂上周辺には巨岩が点在しているので、それが百名山に選ばれた理由かもしれない。
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頂上に着いた時点で、帰りのバスの時間までは2時間半以上はあり、ゆっくり下ってもバス停までは1時間半はかからないだろうから、しばらくは頂上に滞在していたが、風が強くなって寒くなったので下山することにした。

バス停まで降りると、発車時間まではまだ1時間以上はあり、近くにはコンビニはおろか自販機もなく時間を持て余すところであったが、幸いブログの原稿書きがあったので、なんとか時間をつぶすことができた。

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2025年3月15日 (土)

千葉・茨城県境付近のふれあいの道

ふれあいの道は原則として徒歩で行くことにしているが、千葉・茨城の県境付近のふれあいの道はほとんどが平地の舗装路なので自転車を利用すれば1日でかなりの数のコースを回れることに気づいた。

3月14日

出発点の下総松崎駅までは千葉と成田乗り継ぎで比較的頻繁に発車しているので時間の心配はないということで寝過ごしてしまい、家を出るのが遅れた。さらに錦糸町で人身事故があったため手前の両国駅で70分も足止めを食らう羽目となる。下総松崎駅には当初

2時間近く遅れて到着する。そこから千葉県NO3コースの撮影ポイントである龍角寺を目指すが、グーグルマップに表示されている龍角寺の場所は立入禁止と書かれているゴルフ場内の道を経由するようになっているので、そこには入らずにもう少し先を左折して裏側から行けないかとトライしてみるが、うまくいかずに元に戻り、今度はゴルフ場の中の道を進むと資材置き場のような場所に出てしまい、そこから龍角寺と表示されている地点までの道は見当たらない。近くにいたゴルフ場の職員らしき人に聞いてみると、「地図が間違っているらしくて、よくこちらに迷いこんで来る人がいる」とのことで、正しい道を教えてくれた。教えられた通りに行くと確かに龍角寺はあったが、そこからグーグルマップで龍角寺と表示されている地点までは数百メートルも離れていた。



この思わぬアクシデントでさらに一時間あまりロスしてしまい、今日は初っ端から散々である。先行きが思いやられたが、気を取り直して先に進むが、次の撮影ポイントである楽満時、その先の神崎神社ともに比較的スムーズに進むことができ、

その後は利根川を渡って茨城県に移り、茨城県のふれあいの道のコースをめぐりながら土浦駅を目指すことにする。

茨城県コースの最初となるコース18番まではかなり遠くて二時間近くかかり、初めて霞ヶ浦を目にすることになる。

ここまでは現在地を確認するためにグーグルマップを頻繁に見ていたため、スマホの電池容量が30%を切ってきたために予備のバッテリーで充電しようとしたところ、フル充電してきたはずのバッテリーからの充電ができないという事態に陥り、以後はグーグルマップの閲覧は必要最小限に留めざるを得なかった。

この後は、次の撮影ポイントである木原水神宮に向かうのだが、グーグルマップではその所在が表示されないので、ふれあいの道のHPの地図の水神宮が記載されているあたりの地形をグーグルマップでも確認することにより、グーグルマップ上での水神宮の場所を推定して辿り着くことができた。踏破認定のための撮影は暗闇のため不鮮明で鳥居がかろうじて確認できるだけになってしまったがやむをえない。

なお後からわかったことだが、HPでは「水原」と記載されていたためにグーグルマップでは検索できなかったが、正しくは「木原」であり、それで検索していれば表示できたのである。今回は地図の間違いに泣かされ続けてしまった。

後は土浦駅までの約12キロを進むだけだし、グーグルマップで確認しなくても問題はないので気分的には楽になった。気がかりなのは途中でパンクすることだけだったが、いざとなったらタクシーを呼ぶこともできるし、距離によっては自転車を引いて歩いて帰ることもできるのである。なお土浦駅に着いてからわかったことであるが、コースNO16の撮影ポイントである霞浦総合公園の風車の近くも気づかずに通過していたようだが、気づいたとしても、暗がりの中では風車の撮影は無理だったろう。

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東京百名山(浅間山他)

日本二百名山、関東百名山、甲信越百名山が踏破間近となり、次の目標として近県の百名山があげらるようになり、まずは地元の東京百名山から始めることになった。と言っても半分以上は登頂済みなので、残りの半分近くを登るだけであるが

3月12日

本日は雨の予報であるが、雨が強まるのは夕方からということだったので、瑞穂駅近くの六道山(194メートル)を登ることにした。アクセスとしては立川駅からバスを利用するのが一般的らしいが、家から30キロくらいの距離なので、自転車で行っても大差はないだろうと久しぶりに自転車で行くことにした。

登山口まで3時間程度かかることを見込んでいたが、途中で道を間違えたこともあり、1時間遅れの3時に六道山公園に着いたが、あたりはだだっ広い丘陵地帯で、歩き回ってみたものの山頂がどこにあるのかわからなかった。

公園の案内図があちこちにあるが、そこには山頂の表示はなく、五万図にも記載はないので困っていたところ、雨の降り方が激しくなってきたので、次回を期して本日はこれにて帰ることとし、雨の中を帰路につくことにした。

3月13日

本日は1日中晴天が予想されたので、東京百名山のうち、我が家から1番近い浅間山(80メートル)に行ってくることにして昼食後にわが家を出発した。

浅間山は多磨霊園の西側だということで、近くまでは地図を見ることもなく行くことができた。

最後は少し迷ったが、こちらは山頂の位置も明瞭だったので、なんとか「登頂」ができた。立派な山頂の標識もカメラに収めることもできた。

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帰りは行きとは違う道を進んだが、大して迷わずに進めたが、帰宅した時には真っ暗になってしまった。

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2025年3月10日 (月)

下仁田周辺の歩き

下仁田の宿をベースに関東百名山と関東ふれあいの道群馬県コースを歩いてきた。

3月6日

下仁田駅から虻田までバスで行き、そこから大桁山を目指す。登山口には雪はなかったが、しばらく登ると雪が現れる。たださほど潜るほどでもなかったので、靴カバーは着けなかった。わたる

頂上は撮影ポイントになっているので写真を撮ってから往路を戻るつもりだったが、コース通りに行った方が雪が少なそうだったので、そのまま前進する。




コースNO9は大桁山を下山後に千平駅へ下って終わっているが、千平駅には寄らずにコースNO8の撮影ポイントである旧茂木家住宅跡を目指す。

目的地まではさほど遠いというわけではないが、単調な舗道歩きが続くので精神的には疲れる。ポイント近くまで来たはずなのに住宅跡が見つからない。反対側からやって来る通行人に聞いてみると、前方に見える小高い丘の上にあるという。他の撮影ポイントで◯◯住居跡というのは、みな道沿いにあったのだが、丘の上にあるとは思わなかった。

階段を登って住居跡の写真を撮ってから、NO7の撮影ポイントである貫前神社に急ぐ。と言うのは、日没が迫ってきているので、撮影が可能なうちに着く必要があるからだ。

暗くなる直前に貫前神社の鳥居の下に着く。本当は鳥居の下まで上がって撮影したかったが、坂をかなり登らないといけないので、そこまで行くと暗くなってしまうということで、神社への方向を指示している標識と石碑があるところで撮影してお茶を濁す。

NO7コースのゴールまではまだ3時間ほど歩かなければならないが、それでは宿に着くのが遅くなってしまうので、ここから最寄り駅に向かうことにした。

今晩の宿がある下仁田に向かう上信鉄道は1時間に1本か2本ほどしか電車がないので乗り遅れると宿に着くのが遅くなるため、必死に歩いて下仁田行きにギリギリで間に合った。

宿に着いて靴を脱ぐと靴擦れとなっていた。靴擦れはひさしぶりだが、雪が染みた濡れた足で舗装路を長時間歩いたためだろう。水疱に針を通して水を抜いておいたので、多分良くなってくれるだろう。

3月7日

本日からは関東百名山の登山である。初日の立岩は二日目の鹿岳と比べると、登山口までの歩きが時間も長いし、傾斜もきついうえ、標高差も二百メートルほど多いので、かなりハードな山登りとなりそうだ。

結局、登山口まででコースタイムを1時間以上かかってしまい、登頂に赤信号が灯る。ここで不要な荷物は置いていき、身軽になって頂上を目指す。

無雪期のコースタイムでも登頂ギリギリなので、登山口から積雪のある状態では登頂は難しいが、行ける所まで行ってみることにした。

雪は次第に深くなり、小一時間登った所で地図を確認すると、頂上までの半分程度しか登っていないことがわかり、ここで登頂を断念して、雪のない時期に再起を図ることにした。

 

 

 

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 下りでは時間があったので、線ヶ滝の展望台に寄り道したりして、のんびりとバス停まで下る。登山口までの傾斜が思った以上あったので、今度来るときは、不用な荷物はバス停に置いていこうと思った。

宿には早く着けたので、のんびり出来たが、今日もだいぶ足が濡れてしまったため、昨日と反対側の足にも靴擦れができてしまった。昨日の靴擦れは豆を潰して水を出したので、具合は良くなったが、今日新たにできた靴擦れは固くて水を出せないので、治るまでに時間がかかりそうた。

3月8日


靴擦れの跡は治ってないごが、鹿岳は立岩よりも歩行時間は短いので、行ってみることにした。歩きだすと、さほど痛まないし、傾斜もそれほどでもないので

、登山口まではコースタイムを少しオーバーするくらいで着くことができた。

登山口の上部に不用な荷物は置いていき、身軽になって登りだす。途中から雪が現れるが、潜るほどではないので、靴のままで登ることができた。

頂上直下では尾根も細くなり、ロープも現れたので慎重に登っていく。頂上にはコースタイムよりも1時間ちょっとの遅れで到着する。360度の展望があるが、このあたりの山にはなじみがないので、間近の山の名前はわからない。

 



ぐに下山に移るが、予定しているバスに間に合うためにはコースタイムよりも30分ほどしか余裕がないものの、安全を期してスリップ防止のためにチェーンスパイクを付けて慎重に下っていく。

安全地帯まで降りてからペースアップしたが、それでも登山口に着いたときは、バスの発車時間までの時間はコースタイムよりも10分遅れることとなった。最終バスはさらに2時間後にあるのだが、そんなに待つわけにはいかないので、早足で歩き始める。

半分くらい歩いたところで地図で現在地を確認してバス停の到着時間をコースタイムから逆算すると、バスの通過時間にはまだ数分遅れているので、そこからは駆け足に切り替える。

通常は田舎のバスは5分程度は遅れるものなので、それを見込めばなんとか間に合うかと期待して、通過時間を2分遅れてバス停に着くと、ほとんど同時にバスがやってくる。5分も遅れなかったわけで危ないところであった。

今回登れなかった立岩は雪の消えた4月にリベンジするつもりで、その際には他の関東百名山やふれあいの道も併せて踏破してくるつもりだ。

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2025年3月 4日 (火)

東京都の百名山(五日市周辺の三山)

3月2日

日本二百名山や関東百名山、甲信越百名山も踏破間近となり、次の目標を探していたところ、身近な百名山として東京都、神奈川県、埼玉県の百名山が浮かんできた(山梨県については踏破済だが、3都県についてはまだ半分程度しか登ってない)。手始めに武蔵五日市駅から徒歩でアプローチできる所を登ることにした。たまたま南岸低気圧が通過して数日は悪天が続く見込みであるが、標高数百メートル程度の低山ならば問題はないだろうと出かけることにした。

8時ちょうどに武蔵五日市駅を出発して五日市街道を西に向かい、黒茶屋の先で細い道に入って9時頃に戸倉城山の登山口に着く。これから先は山道になるが、雨のために部分的に泥道になるので、靴を濡らさないように神経を遣う。山頂までの標高差は200メートルほどだが、急勾配と足元が悪いために意外と時間がかかり、山頂に着いたのは10時になってしまった。

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下山は往路を戻り黒茶屋の先で南に向きを変えて網代城山に向かう。ところが、地図上で網代城山と表示されている所の少し手前でトンネルに入ってしまう。15分くらい歩いてトンネルを出たが、GPSで確認すると網代城山は通り過ぎてしまっている。トンネルで網代城山の下を潜ってしまったことに気付き、トンネルの右側の階段を登り、しばらく山道を登ると舗装路に出たので、このまま進めば山頂に達するのかと思っていたら、「この道はゴルフ場の管理棟専用道なので部外者は立ち入り禁止」の標示が現れる。無視して前進しかかったが、管理棟らしき建物も見えてきたので、トラブルを起こしたくないため前進をあきらめて下山することにした。

気勢をそがれたので、このまま帰ってしまおうかなとも思ったが、近くにもう一つの東京都百名山である雹富山があるので、せっかくここまで来たのだからと寄っていくことにした。幸い頂上直下まで舗装路が続いているので、足元は気にせずに歩けて助かった。

山頂には標識もなく鳥居があるだけだったので、写真を撮ってから往路を戻った。予定では武蔵五日市駅まで戻って、北方にある東京都百名山である天竺山も登るつもりだったが、雪も本降りとなってきたので、最寄りの武蔵増子駅に向かう。

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武蔵五日市の奥の檜原方面にも東京都百名山がいくつかあるようだが、アプローチは徒歩では無理でバスとなるので、6月になったらシルバーパスを購入して登ってこようと思っている。

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