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2025年4月

2025年4月27日 (日)

群馬県のふれあいの道ほか

 4月25日

関東ふれあいの道群馬県コースの終盤であるわたらせ渓谷沿いのコースの踏破を目指すことにした。

一番の目玉は花見が原からの赤城黒檜山登山であるが、その前にコース26番の撮影ポイントである石原万三郎の歌碑の撮影をすましておく。花輪駅で童謡の出迎えを受けたせいか1日中童謡が脳裏をかけめぐった。

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その後は、黒檜山の登山口である花見ケ原を目指して水沼駅の先から上部を目指す。ふれあいのの道のホームページに載っている花見ケ原コースの地図の出発点である麦久保地名が地図アプリでは探せなかったので、どのくらい距離があるかは正確にはわからなかったが適当に進んでいく。やがて麦久保と思われる集落を過ぎると舗装路から砂利道に変わるので自転車を置いて歩き出す。花見ケ原コースの地図では麦久保の先てコースは右折するようになっているか、分岐点は発見できなかったので、五万図に載っている沢沿いの道を進むことにした。ただ五万図には道の表示はあるものの、実際には不明瞭な道でかなりの時間を要してしまった。このまま沢沿いの道を進むとかなり時間がかかりそうなので、沢を離れて上部を目指すと舗装路に出て、しばらく歩くと花見ケ原のキャンプ場に着くことができた。週末のためか、何張りかのテントが張られていた。

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しばらく休んでから黒檜山を目指して登りだす。500メートルごとに標識があるので頂上までの距離がわかって毛持ちが楽になる。花見ケ原から頂上までの標高差は700メートルほどなので2時間もあれば登れると思ったが、実際には2時間半かかってしまった。

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往路を花見ケ原に戻ったが、途中で暗くなってきたため花見ケ原には戻るのには思ったよりも時間がかかってしまった。花見ケ原から自転車を置いてきた麦久保に戻るに際して行きの時と同様に沢沿いに進むのは無理なので、本来のコース通りに進むことにした。登りに際して見落とした分岐点も反対方向からは容易に見つけられることができ、自転車を停めた場所近くまで戻ることができた。そこまで戻れば水沼駅には日付が変わる前に戻れるかもしれないが、最終電車には間に合わないたろうし、桐生まで自転車で戻れば日付が変わってもネットカフェには泊まれるだろうが、明日またわたらせ渓谷まで戻るのは面倒なので、水場のあるこの場所で一夜を明かすことにした。

4月26日

明るくなる前に起き出して水沼駅まで降りて、コースNO25の撮影ポイントである分岐標識に向かう。沢を渡って対岸に移る地点を見落として先に進んでしまい、道が消えてしまったので正しい地点まで戻り、無事に分岐標識に着くことができた。

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 次のコースNO26の撮影ポイントは上板橋バス停であるが、このコースの最高地点でもあり、標高差500メートル以上は登らなければならない。傾斜のきつい所は自転車を降りて引いたりして梨木温泉に着く。ここからは沢を離れて峠越えを行って上板橋バス停に達することになるが、峠を越えた先はゴルフ場で上板橋バス停は見当たらなかった。あたりを探し回ったが発見できなかったので、あきらめることにした。

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ふれあいの道は峠から先は両毛線方面に降りていくことになり、次のコースNO32に行くにはわたらせ渓谷方面に戻らなければならなくなるので、往路を戻ることにした。

コースNO32は撮影ポイントがコース入り口の貴船神社なので、インチキをして撮影だけを行って先の行程はカットしてしまった。

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この後は本日最後のふれあいの道のコースNO33である.,コースは赤城神社 から始まるが、神社の横に山道があるので、撮影ポイントである桐生自然観察の森までは、その道を歩かなければならないかと思ったら、そうではなくて舗装路で行けることがわかり一安心する。

観察の森は広大な森でその中にあるネイチャーランドが撮影ポイントである。ネイチャーランドの建物内には陳列物が多数あって見るべき価値はあるようだったし、コース自体も吾妻山まで延々と続いていたが、次の予定があったので早々とネイチャーランドを後にして桐生駅に向かった。

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桐生駅から両毛線に乗って佐野駅で下車して関東百名山の三毳山に向かう。標高200メートルちょっとの山で、わざわざ東京から登りに来るほどの山にも思えないので、今回のように余った時間に立ち寄るには最適の山だと思われた。五万図で調べると西側に登山道はあるようだし、登山口まではグーグルマップで検索した道を進むと目前に目標の山が見えてきた。

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ところが登山口に進むと思われる道は清掃工場の入り口になっていて、余熱を利用した温水プールでもあるのかマイカーか次々と入っていく。仕方がないので後に続くと、清掃工場の所で道は終わっていて、登山口は見つからなかった。しゃうがないので諦めて帰ることにしたが、後で調べてみたら、三毳山は北側には清掃工場があり、南側には公園があるので、山に登るには南側の公園を目指す道を選ばなければいけなかったようである。次に北関東方面に来る機会があったら、正しい道を通って三毳山に寄り道してみたい。

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2025年4月21日 (月)

神奈川県百名山(ミツバ岳、大野山)

4月20日

ここのところ西丹沢づいてしまっているが、登り残した所の総仕上げに出かける。まずはミツバ岳に向かい、三度目の正直を狙う。

前々回に通過した時は気が付かなかったが、登山口にはちゃんと標識があった。山と渓谷社刊の新版の関東百名山にも選ばれているだけあって、踏み跡はしっかりしているので、途中の標識はないものの、迷う心配はない。

登り出して間もなく、下山してくる人とすれ違う。そこそこは登られているやまなのだろう。頂上直下はかなり傾斜もきつく、滑りやすい道であった。

頂上はだだっ広く、踏み跡は世附権現山方面に延びていた。ただここから見える世附権現山は随分と遠く見え、前回、ミツバ岳から世附権現山経由で畦ヶ丸を目指していたら、果たして一日で畦ヶ丸まで到達できたかどうか?



下りに移り、頂上直下の滑りやすい所はストックを支えにして、なんとか滑らずに進む。そこを過ぎれば、あとは快適な下りである。登りは2時間以上かかった
が、下りは1時間もかからなかった。

下車したバス停には1時前に戻り、これからもうひとつの神奈川県百名山である大野山を登ることになるが、5分くらい登った所に自販機があることを前回通ってしているので、遠回りにはなるがたちよることにする。自販機の横には酒屋も開いていたので、普段は山登りの途中で酒を飲むということはないのであるが、今日はハイキングに毛が生えた程度の山登りであるということで、缶ビールを買う(ただし、スモールサイズ)。

大野山は丹沢湖から直接登る道もあるはずなのだが、地図アプリで経路検索したら、谷峨方面に降りる途中から登るコースを検索してくるので、それに従うことにする。

随分と高度を下げていくので、損をした気分になるが、やむを得ない。やがて道は左折して登りになる。しばらく登ったところで林道は終わり、山道に変わるはずなのだが、それらしき道は見当たらないので、適当に斜面を登っていく。

しばらく登るとよく踏まれた道と出会ったので、林道の終了点でもっと良く探せば、この道を見つけられたのかもしれない。

しっかりした踏み跡を辿っていくと、舗装路に出て頂上まで導かれる。今までは、ハイキングの山にしては道が悪いなと思っていたが、ハイキングで来る人は南側の谷峨方面から来る人がほとんどで、丹沢湖方面から来る人はほとんどいないのだろう。

大野山の山頂に着いたのは5時ごろで、さすがにこの時間になると、ハイキングの山とはいえ、誰も居なかった。あとはしっかりした道を谷峨駅まで下るだけであるが、思っていたよりも時間がかかり、谷峨駅に着いた時は暗くなってしまった。

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2025年4月17日 (木)

関東百名山(帳付山。天丸山)

関東百名山も大詰めが迫ってきたが、登り残してきた山の中で帳付山は別格であった。というのは、登山口までのアクセスが長くマイカーを利用しない限り日帰りは不可能だったからである。ただ路線バスを利用して途中で1泊すれば帰ってこられることがわかり、春か秋には登れる可能性が出てきた。

一方、理由はわからないが、帳付山は山と渓谷社が出版している「関東百名山」という書籍の新板では帳付山が外され、近くの天丸山と入れ替えられていることもわかった。こんな悪いアクセスを2回も通るのは御免なので、一回で両方の山を日帰りで登って、さすがに最終バスには間に合わないだろうから、バス停近くでテントを張ることにした。

4月15日

新町駅で上野村行きのバスに乗り換えるのだが、途中で時間待ちをしている関係もあって、3時間近くもかかって帳付山の登山口に向かう林道の始点にあるバス停で下車した。このバス停は冬場は雪が降るせいだろうか、立派な建物が設備されているので、深夜に山から戻った場合でもテントは張らずに一夜を過ごせそうだし、不要な荷物も置いて行けそうだ。

バス停を出発したのが12時近くで、ここから登山口までは3時間ほどの歩行だが、日帰り用の軽装なので比較的楽に歩くことができた。ただ途中に何か所かで気になる情報がでていた。それは「天丸山へ平成7年の山火事で登山道が荒れたので登山不可能」というものである。令和でなく平成ならば30年近く経っていることになり、そんな長期間登山道が修復されないというのも変だし、国土地理院の五万図にも帳付山の縦走路から分岐する道はちゃんと載っているので、この情報は無視することにした。

登山口まで辿り着いたら、もうひとつ混乱する事態が発生した。それは帳付山に向かう稜線に達する道が五万図では、天丸山の東側の尾根を経由するものと、天丸山の西側の山腹を巻いていくものがあり、時間的には前者の方が早そうなので、そちらを選択するつもりだったが、登山口にある標識では帳付山への登山道は西側の舗装路(多分、天丸山の西側の巻き道に繋がっている道)しかなく、東側の尾根につながる道の案内はないのである。もうひとつの指導標が指し示しているのは天丸山となっているが、これは通行不可能と注意書きがあった道なのだろうか

結局、五万図の帳付山への尾根道あたりに向かってGPSで進路修正しながら登っていったが、登りやすい斜面を登っていると、気がつかないうちに天丸山へ北面から登る尾根に達してしまっていた。

ここで致命的なミスを犯してしまった。というのは天丸山へは尾根を南に向かって行かなければならないのに反対の北に向かってしまったのである。どんどん下っていくので、おかしいと思って地図で確認すると、逆に向かっていることに気付き、後戻りすることになって30分ほどの時間をロスしてしまった。

戻った地点と天丸山との標高差は200メートルほどだから、1時間もあれば登頂できるだろうと考えていたが、結構アップダウンもあるし、迷いやすいところもあったので、2時間近くかかってしまい、天丸山の山頂に達した時は、あたりは暗くなってしまった。

だが、この時点では今日中に下山することをあきらめてはなかった。というのは、ここから帳付山までの尾根道通しの距離は地図上では数キロ程度だし、登山道も天丸山から先は五万図に記載されているので、歩き安い道であれば、夜通し歩けば日付が変わる前には荷物を置いてあるバス停まで帰れるだろうと思ったからである。

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ところが、この考えは甘いことにすぐに気づかされることになった。天丸山からの下りは急斜面で固定ロープを使っての下りが連続することとなる。明るければロープなしでも降りられるところであるが、足場をライトで照らして確認しながら下らなければならないので結構時間がかかる。

ところが、最低鞍部のすぐ上まで降りたところで、固定ロープが見当たらなくなってしまった。下をライトで照らすと最低鞍部までは高さにして10メートルほどで明るければロープなしでも下れそうだが、暗闇の中ではロープなしでの下降は危険すぎる。どこかにロープがあるはずだと左右に移動してみるが見つからない。

暗闇の中で努力するよりも明るくなってから行動した方が良いと判断し、テントを張るだけのスペースはなかったので、倒木に背をもたれて簡易テントを被るビバーク(緊急露営)を行って朝を待つことにした。

4月16日

着られるものを全て着込んだのでさほど寒くはなかったが、あまり眠れず明るくなるのをひたすら待ち続けた。ようやく明るくなってきたので、付近を見回して反対側に回り込むと最低鞍部に向かってロープが垂れ下がっているのが見つかり、やすやすと最低鞍部に降りることができた。

そこから県境尾根までは緩い登りだったが、待望の県境尾根まで着いても、相変わらず道は期待したほどは良くならず、結構迷いやすい所が続いた。関東百名山は90以上は登っているが、帳付山は間違いなく最難関の山だと言える。

踏み跡は一応はあるのだが、指導標は皆無でたまに赤布があるくらいで、急な登りとなると尾根道と巻き道の両方に踏み跡らしきものがあるので、どちらに進むべきか悩んでしまう。

頂上近くまで進んだところで、巻き道をいくら進んでも赤布が見つからなくなり、そんなことを何度も繰り返したためか、突然気持ちが切れてしまい、もう止めようという気になり、引き返し始めた。

ところが、巻き道から尾根道に戻った時に振り返ると、急な尾根の上からロープが垂れ下がっているのが見つかり、正しい道を見つけることができた。これで気持ちが代わり、再度頂上を目指すことになった。

頂上まではひと頑張りでたどり着いたが、なんとしても最終バスに間に合うようにしたいと思い、ゆっくりと休むこともなく下り始めた。

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下りも一度通ったところとは言え、何度も道を間違えた後、天丸山の西側を巻いて下っていく道との分岐点まで下ってきた。当初は天丸山の東側の尾根道を下るつもりだったが、そこまで達するにも難渋することが懸念されたので、下り一方と思われる巻き道を下ることにした。

いやになるほど下っていると、前方に舗装路が見えてきた。最新の五万図をダウンロードしたスマホ地図には記載されてない舗装路であるが、落石が道路上に散乱しており、まだ未開通の道路のようであった。

五万図ではしばらく先で道は昨日の登山口の方へ屈曲しているはずだが、そのような場所は発見できず、仕方なくそのまま舗装路を下り続けた。すると目の前に信じられないような光景が出現した。なんと道路が百メートル以上にわたって寸断されていて、下には足場が組まれているが、そこまでは10メートルほど下りなければならないのである。

今いる上の道路から下までは太いロープが垂らしてあるので、作業員は登下降する器具を使って移動していることが推測されるが、なにも器具がない状態では、降りることは困難である。若い頃はロープを体に巻きつけて崖を降りることはやっていたが、こんな太いロープでやったことはないので、最後の手段として他の方法を考えることにした。

次に反対側の道路に作業小屋があって(無人であった)、そこへ降りていく階段があるようなので、こちら側もある程度の高さまで崖を登ってから崖を階段の方まで移動すれば反対側に降りられることがわかった。そこで崖を少し登りかけたが、崖の横断中にスリップしたり、足下が崩れたりしたらタダでは済まないことがわかり、諦めることにした。

もっと安全な方法はないかと考えたら、道路から斜面を少し降りて、道路の下の斜面を横切っていけば、比較的安全に工事用のパイプの所まで降りられることがわかり、なんとか向こう側の道路に渡ることはできた。

相変わらず不思議な道路を下っていき、昨日の登山口とは反対方向に進んでいるので、遠回りになることは間違いないが、上野村まで降りられることは間違いないので、特に不安はなかった。

暗闇の中をライトをつけながら進み、ようやくバス停まで降りることができた。ここから荷物を置いてきたバス停までは歩くと2時間近くはかかるので、さすがにそこまでの元気はなかったため、ここのバス停も堅固な造りの待合室があったので、そこで一夜を明かして、明日の始発バスで荷物を置いたバス停に移動して、荷物を回収することにした。これから先は不測の事態はおこるはずもないので、非常用のビスケットとコンデンスミルクを平らげて空腹を満たした。バス停の近くに自販機もあったのは幸いであった。

4月17日

前の晩のビバークよりも快適ではあったが、やはり熟睡はできなかった。始発のバスに乗って荷物を置いてあるバス停て下車し、次のバスが来るまでの間、ビールや日本酒とつまみで一人宴会をした。

当初は高崎を経由して、別の山も登るつもりだったが、さすがに疲労が残っているので、次の機会を待つことにした。それにしても帳付山は手強い山であった。ネットで調べ直しても役に立つ情報はほとんどなかった。情報がなくても、現地で対応できる能力がある人でないと登ってはいけない山だとつくづく思った。

 

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2025年4月14日 (月)

神奈川県百名山 鎌倉近辺の低山

4月13日

本日は終日雨の予報なので登山には向かないが、神奈川県百名山のうち鎌倉近辺の標高が数百メートル程度の低山ならば支障はないだろうと出かけることにした。半分観光気分なので、鎌倉に着いたのは10時を回ってしまった。悪天にもかかわらず、駅周辺は観光客で賑わっていたが、ほとんどの人は鶴ケ岡八幡宮のある東口に向かうのに対して、自分は源氏山がある西口に向かう。

♪源氏山から北鎌倉へ というさだまさしの「縁切寺」という歌に出てくる源氏山であるが、北鎌倉も縁切寺も行ったことがあるが、源氏山には行ったことがなかった。標高は100メートルに満たない山なので難なく登れる山であるが、悪天のためもあるのか誰も登っている人はいなかった。


源氏山の下には北条政子の墓もあったが、頼朝の墓はそこから離れたJRを渡った東側にあって隣り合っていないのが妙であった。もっとも別の場所に隣り合った墓もあるのかもしれないが

そのあとは鎌倉宮を経てさらに東に向かうと次に向かう神奈川県百名山の大平山であるが、その登山口の手前叡福寺跡がある。頼朝が奥州平定をした後に戦没者の霊を鎮めるために建立したものだったが、朽ち果てて忘れ去られてしまったが、近年復旧がすすめられているとのことなので、そのうちに観光客も訪れるようになるのかもしれない。



太平山を登り始める頃から雨が本降りとなり、標高200メートル程度の山ながら思わぬたいへんな登山となってしまった。途中で道を間違えたり結構苦労して大平山に着く。その少し先には関東百名山として登った天園もあった。このあたりはだだぴろい丘陵地帯で標識がなければ、どこが山頂かわからない所である。

本日最後の神奈川県百名山である衣張山までは鎌倉郊外の周辺部の丘陵地帯を縫うように進んでいく。ここも標高がわずか120メートルほどの低山のため苦労せずに登れたが、GPSではほぼ衣張山頂と思われる地点にいるにもかかわらず、標識には浅間山となっているのは不思議であった、あたりも歩き回ってみたが、衣張山という標識は見当たらなかったので、浅間山=衣張山と考えることにした。

 

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2025年4月11日 (金)

神奈川県百名山(同角の頭他)

4月9日

前回、畦ヶ丸登山の後に登り損なった同角の頭方面に向かうことにした。一日フルに使えるので、玄倉からユーシン経由で同角の頭に登り、西丹沢ビジターセンターに降りるというロングコースである。玄倉バス停からユーシンロッジの登山口までも3時間ちょっとと時間がかかかるが、それから同角の頭を経て西丹沢ビジターセンターまてどのくらい時間がかかるかはネットで調べても判然としなかったのでたんざ近くの本屋に行ってみたが、丹沢のガイドブックは見当たらなかったので、スマホの地図アプリであるmaps−meの経路時間を参考とすることにした。ただ今までの経験からすると、山岳の経路時間は実際よりもかなり短く表示される傾向があるので、ユーシンロッジから西丹沢ビジターセンターまでの経路時間が3時間半と表示されているのに対して5割増の5時間半を見込むことにした。その場合は玄倉バス停を9時半頃に出れば、西丹沢ビジターセンター近くのバス停には最終便の1時間ほどには着ける見込なので、なんとか日帰りはできるだろうと目算を立てることとなった。

9時過ぎに玄倉バス停で下車する。丹沢湖の湖畔は桜が満開であり、その奥には白い雪をまとった富士山が望める絶景であるが、今日の行程は長いので長居は無用とユーシンを目指して玄倉林道を進んでいく。途中で3人パーティーに抜かれたので、彼らも私と同じかと思い気合を入れてペースを上げて抜き返した際に尋ねると、ユーシンロッジまで行って往路を戻るということで、少しがっかりしてしまった、

ユーシンロッジの先の登山口からはいきなりの急登の連続である。まずは大石山を目指すが、いやになるほど登り続けてようやく山頂に着いた時は3時を回っていて、スマホの地図アプリでの現在地から西丹沢ビジターセンターまでの経路時間では最終バスにギリギリに間に合う時間であり、少々焦り気味となる。

次は行程の最高地点となる同角の頭を目指すが、標高差は300メートル弱程度ながら結構アップダウンがあって時間ばかりがかかり、山頂に着いた時は5時近くになっていて最終バスに間に合うことは絶望的となった。


それでも、こられからは下りとなるのだから、ペースアップすればなんとかなるのではないかと思ったりもしたが、しばらくはアップダウンが続いて高度はなかなか下がらず、下りとなってからも道が悪くて駆け下れるような状態ではなかった。途中でもう一つの神奈川県百名山である石棚山の山頂脇を通り過ぎたが、気がせいていたので写真も撮らずに通り過ぎる。やがて日は陰って暗くなり、ライトを着けてくだるようになる。

もう最終バスには絶対に間に合わないのだから、急ぐことは止めて安全第一で降りることにして、時計を見ることも止めて一歩一歩確実に進んでいく。気が遠くなるほど下ってバス停に着いた時は9時を回っていて、最終バスは2時間も前に出ていってしまった。さあどうしようかと思案する。今からタクシーを呼べばギリギリで最終電車に間に合うかもしれないが、タクシー代もかさむし、今晩中に帰宅しなければならないという事情もないので、妻に電話して明朝帰宅することを告げてから、適当な今夜のねぐらを探すことにした。しばらく歩くと、自販機の裏側にベンチが並べられている場所を発見した。ここならばベンチで横になっても道路側からは見られないので防犯上問題がないので、ここで一夜を明かすことにした。

衣服を全部着込めば寒くもなく快適な夜が送れると思いきや、自販機の温度調整の機器が断続的に発する音がうるさくて眠れなくなってしまった。このまま眠れずに朝までここで過ごすのはつらいし、始発バスは7時半と遅くて帰宅が昼近くなってしまうので、今から最寄り駅まで歩いてしまい、始発電車で帰宅することにしようと考えが変わった。しばらくベンチで休んだために足の疲れも取れたようで、駅まではゆっくりと歩いて3時間以上はかかったが、始発電車には十分間に合って9時頃には帰宅することができた。

帰ってから調べたら玄倉バス停から西丹沢ビジターセンターまでの歩行時間は最終バスの発車時間にぎりぎり間に合うかどうかというもので、今の体力では日帰りは少し無理があったようである。低山ということで準備不足であったということは否めず、少々反省すべき山行であった。


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区内探訪(石神井公園他)

 

4月8日

前日に家の近くの馬橋公園に桜を見に行ったが、以前と比べると桜の木が随分と減っているようにガッカリしたので、ネットに出ていた観泉寺という今川家の菩提寺にいってみる。戦国時代に桶狭間で今川義元が討死した後、その子の氏真が武田信玄の侵攻によって駿河を追われて京都に移って公家と親交を持ったが、徳川家康が関東に移封された後にその旗本となり、今の杉並区内に領地を与えられて今川町という名が残ることとなった。

ネットでは京都の名刹を思わせる素晴らしい寺院と絶賛してあったが、たしかにその通りではあったものの肝心の桜の木は一本しかなかったので、紅葉の時期にゆっくりと再訪することにして、区外ではあるが石神井公園に移動してみる。妻はバスで私は自転車で移動したが、バスの公園下車地がわからなかったので、バスを見失わないようにパスの後ろをピッタリとついて行く。バスは公園の手前で思いがけない方向に曲がって行ったので、後をついていなけれは妻とはぐれるところであった。

石神井公園は子どもの時に乗っていたボートがひっくりかえったり、ランニングをやっている頃には定期的に地元のランニングクラブの練習会に参加したりと思い出深い所である。池のまわりを半周しながら桜を眺めて出発点に戻る。

バスに乗って帰る妻と別れて、前から気になっていた善福寺公園近くの富士塚に行ってみる。江戸時代に富士講が盛んになったが、現地に行けない人のために各地に富士山を模した塚が作られて富士登山の疑似体験ができたそうである。柵に囲まれたわかりにくい所にあり、あまり人も訪れることもないようである。

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2025年4月 6日 (日)

神奈川県百名山(畔が丸と周辺の山)

2日間の好天が予想されたので、前回に引き続き神奈川県百名山に向かう。主脈の南部に位置する未踏峰を全部登ってしまおうという欲張った計画を立てたのだが

4月4日

西丹沢ビジターセンター行きのバスを丹沢湖の先で下車してミツバ岳登山口に向かう。ミツバ岳は前回は時間不足で登り損ねたのだが、その時は登山口を発見できなかったので、トンネルを越した所から地図を出したところ、地図ではトンネルの手前から登り出すようになっている。そんな馬鹿なと思ったが、やむをえず長いトンネルを戻ったところ、確かに階段があって権現山の指導標もある。

登り出してしばらくして、コース全体を見ようと縮尺倍率を下げると、なんと今登っているのはミツバ岳に向かう道ではなく、権現山に直接向かう道であった。スマホ地図は拡大してしまうと、全体の概要がわからなくなってしまうのが盲点である。またしてもミツバ岳は登り損なうことになるがやむをえない。

その後、何人かの登山者とすれ違うが、後半の権現山から畦ヶ丸までは誰とも会うことはなかった。権現山までは思ったよりも時間がかかってしまったし、久しぶりにまともな荷物(と言ってもたいした重さではないが)を背負ったので、かなり疲労を感じ、畦ヶ丸まで到達できるか不安になった。
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そのうちに体が荷物に慣れてきたようで、多少時間はかかっても畦ヶ丸まで行けそうな気がしてきた。権現山と屏風岩山との間は、300メートルほどの登り返しがあったが、そこから先はたいしたアップダウンはなく、比較的なだらかな登り一方という感じで、8時前には畦ヶ丸山頂手前の避難小屋に着くことができた。
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4月5日

小屋は清潔な造りで快適な一夜を過ごせ、熟睡とはいかないが、まあまあ眠ることはできた。小屋には宿泊者ノートが置いてあったので、遡って見たところ、週末を中心にそこそこ利用者はいるようだ。年代も丸をつけるようになっていたが、さすがに70代はいなかったので、少し誇らしげになって70代にまるをてけておいた。
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今日の行程は西丹沢ビジターセンターに降りてから、反対側にある神奈川県百名山をいくつか登るつもりであったが、その前にもう一つの神奈川県百名山である権現山(昨日登った権現山は正確には世附権現山という別の山)を登るのだが、畦ヶ丸から一般コースを経由すると、一度沢に降りてから登り返すことになって時間がかかりそうなので、畦ヶ丸から直接繋がっている尾根を行くことにした。国土地理院の五万図にはその道の記入はないが、ネットにはいくつか記録はあったので歩かれてはいるらしい。
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かすかに踏み跡がある程度でマーキングは皆無であるが、地図とGPSと首っ引きで見通しさへ効いていれば、さほど困難な行程ではないが、尾根が複雑に分岐しているので、油断していると、間違った尾根に入ってしまいがちである。

まずは1070メートルのピークを目指すが、無事そこに到達しても(現在位置を示す緑の三角が到達している)、そこから先も結構迷いやすい箇所が連続する。
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ようやく一般コースと合流できてホッとするが、結構時間がかかってしまい、果たして時間短縮になったのか?である。権現山までは迷う所は全くないが、かなりの急勾配である。頂上近くで足下を通り過ぎるものがあって何かと思ったら犬であった。恐らく猟犬なのだろうが、こんな経験は初めてである。

頂上はだだっ広い所で、標識もなにもないが、GPS地図の現在位置から頂上に達していることは間違いない。ネットの記録では、山頂から直接西丹沢ビジターセンターに降りている記録もあったが、多分、往路を戻るよりも時間がかかるだろうから、大人しく往路を戻って一般コースを通って下山することにした。
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ビジターセンターまで降りるとかなり疲労が蓄積していて、反対側の神奈川県百名山を空身であっても登る元気はなく、今回はこれで終わりにし、登り残した山は次回に登ることにした。

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2025年4月 1日 (火)

神奈川県百名山(風巻ノ頭、袖平山)

神奈川県の山は丹沢と箱根近辺くらいしか登っておらず、丹沢にしても主脈縦走やポピュラーな沢登りをやった程度なので、神奈川県百名山のうち踏破済みなのは半分にも満たない。ヒルが活動する前に登ってみようと、日帰りで行けそうな風巻ノ頭から袖平山への縦走を行うことにした。

3月31日

袖平山方面には橋本駅からもバスが出ているようだが本数が少ないので、藤野駅から登山口までは10キロ以上離れてはいるが、帰りが遅くなっても大丈夫なように自転車を利用することにした。

低山だからたいして時間もかからなぃろうと甘く考えて家を出るのが遅くなってしまったので、上青根に着いたのは11時近くになってしまった。袖平山の登山口はもう少し奥にあるが、風巻ノ頭の登山口から登るつもりなので、ここに自転車を置いて舗装路を歩いて風巻ノ頭の登山口に向かう。

1時間ほど歩いて、風巻ノ頭に向かう山道が五万図に記載されている地点まで達したが、切り立った崖かあるだけで登山道らしきものはどこにもない。しかたなく南面の東海自然歩道経由で登ることにする。

1時間強歩いて東海自然歩道経由の登山口に達する。当初に予定していた登山口よりも標高は100メートルほど高いし、ピークまでの水平距離も短いので、それほど遠回りではないかもしれない。ただ水平距離が短いだけに勾配はきつかった。

1時半に登り出して、標高差500メートルを登り切って風巻ノ頭に着いた時は3時になっていた。途中から雪も降り出したので、吹きさらしの稜線歩きになるようならば、袖平山は諦めて往路を戻るつもりだったが、雪も小降りになってきたので、袖平山に向かうことにした。

袖平山の頂上直下で下山してくる人とすれ違う。登山口に駐車していた人だが、今からならばギリギリ暗くなる前に下山できるだろう。それから少し登って4時半に登頂したが、下山路について思案する。



往路を戻れば安全だが、自転車を置いた場所に戻れるのは8時を過ぎるだろう。一方、当初予定していた北側の尾根を下りれば順調なら7時前に自転車まで戻れるだろうが、コースの詳細はネットでも情報が得られなかったので少し不安は残る。

試しに北側の尾根に足を踏み入れてみたところ、マーキングはしっかりしているし、以前の降雪の上に着けられた踏み跡も認められたので、これならば安全に下れると判断して下ることにした。

最初は順調に下りだしたが、途中からつづら折りの下りとなる。しばらくしてからGPSで確認すると、登山道をだいぶ外していて林業の仕事道を下っているようであった。セオリーならば登山道まで戻るべきだが、あまりにも立派な道だったので、このまま下っても林道まで降りられるのではないかという甘いささやきに負けて下り続けたところ、途中でプツリと道が途絶えてしまった。

登山道まで戻るべきか悩んだが、地図をよく見ると、下から延びている林道が比較的近くまで通じており、そこまでの勾配もさほどきつくないことがわかったので、林道まで慎重に降りて行くことにした。

多少時間はかかったが、なんとか林道まで降りることごでき、自転車の所には9時過ぎには戻ることができた。ここからならば、ゆっくり下っても最終電車には十分間に合うので、腹ごしらえをしてからペダルを踏むことにした。

この頃になって雪が強くなってきたが、雨具の防水がよく効いているので、寒さは感じることはなかった。まずは橋の所まで降りてからトンネルまで約4キロの登りである。勾配がそれほどでもないので、なんとか登り切る。そこから先は藤野駅まで約8キロのくだりであるが、みぞれで路面もブレーキも濡れているので、スリップしないようにブレーキをかけっぱなしで慎重に下っていく。登りよりもだいぶ疲れたが、最終よりも何本か前の電車には間に合うことができた。思っていたよりもだいぶ大変な山行だった。





 

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