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2025年8月

2025年8月17日 (日)

西日本後半戦の旅 やり残したコースの埋め合わせ

原爆慰霊の旅は終わったが、せっかくはるばる西日本まで来ているので、今までにやり残したコースをトレースしておこうと思った。

 

最初は10年前に戦後70年の原爆慰霊の旅の、ついでに日本百名山として九重山を登った際に、最高峰中岳山頂から望めた坊ガツルの展望が印象に残り、今度はぜひ坊ガツルにキャンプしたいと思ったことから、今回も坊ガツルにキャンプして300名山の大船山に登りたいと思っていた。

 

ところが本年は九州地方には線状降水帯が居残り、登山には不向きな天気が続いたので、登山は諦めて高森から阿蘇市への阿蘇高原縦断を行うことにする。もっとも、長崎原爆式典の時のような豪雨の場合には峠越えは厳しいだろうから、大人しく往路を戻って立野から豊肥線に乗り換えるつもりだったが、思ったほどの悪天にはならなかったので、予定どおり阿蘇高原縦断に向かうことにした。

 

8月10日

 

まずは高森までは南阿蘇鉄道で行かなければならないが、10時過ぎの電車に乗車する予定なので、宿をゆっくりと出発する。高森行きの電車は結構混んでいて人気のある路線のようである。高森駅で下車すると、観光客はあちこちに向かってのバスに乗り込んでしまい、自転車の組み立てが終わった頃には誰もいなくなってしまった。

 

乗り始めてしばらくは北上する道がわからず右往左往してしまい時間をロスする。正しい道を進みだしても、心配したほどには傾斜はなく順調に進んでいける。左手には阿蘇の山並みも望めて高原を縦断する気分を満喫することができた。

 

やがてつづら折りの道となってくると、峠は間近い。峠の先には阿蘇市の標識が現れて快適なダウンヒルとなる。途中には放牧している牛も見られて高原らしい雰囲気に浸れる。今晩は大分名物の赤牛料理が食べられるかな
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道は阿蘇市方面に向かう道と、波野に向かう道に分岐しているが、波野に向かう道の方が短いようなので、そちらに進路をとる。急坂が連続してほどなく波野駅に降り立つが、1日5本の便しかなく、次の電車までは3時間待ちとのことなので、次の滝水駅まで行ってみることにした。幸い下り道の連続だったので苦労することなく着くことができた。

 

滝水駅の前には酒屋もあったので、酒を買ってここで時間待ちをすることにした。2時間待ちでようやく電車に乗ることができたが、大分までの直通ではなく豊後竹田で1時間半の待ち合わせとなる。郊外にある岡城阯は荒城の月のモデルとなった所なので行きかけたが、歩きでは時間的に無理だし、自転車の組立と解体するのも面倒なため、途中から駅に引き返すことにした。

 

大分には8時頃に着いたが、事前に付近のホテルの空室情報を調べたところでは泊まれそうな所はなかったので、ネットカフェに泊まることにしたが、比較的早い時間だったので空きはあったものの、遅い時間だったら危なかったかもしれない。

 

8月11日

 

今日は何としても九州を脱出したいが、当初予定通りに竹田津からのフェリーを利用する場合は、フェリーが予定通り運航するかどうかと、最寄り駅の宇佐駅から竹田津までの30キロ弱のツーリング中にどの程度の雨が降るのかが気になるところである。前者については電話で確認すると、運航には問題がないことがわかったが、念の為に下関経由で陸路で向かうことも考えたものの、福岡県内では電車は止まっているとのことなので、多少の雨でも竹田津に向かうことを覚悟した。

 

大分を電車が出る頃はたいした雨は降ってなかったが、次第に雨は強まり、国東半島の付け根にあたる山間部に差し掛かると豪雨となってきたので、大分にまた引き返そうかとも思ったが、山を越えて宇佐まで下ってくると雨も小降りになってきたので、なんとか出発しようかという気にはなった。

 

宇佐から竹田津までは海岸沿いだから平坦な道だろうと甘くみていたが、後半はある程度のアップダウンがあったものの、フェリー出港時間の1時間半前には竹田津に着いて、なんとか九州脱出の目途が立った。乗り場には大学生の女性チャリダーが先客としていたので、あいさつを交わしたところ、はるばる鹿児島からやってきたそうで、連日雨にたたられたとのことであった。乗船時間までは、彼女と話もできたので退屈はしなかったが、宛が外れたのは、乗り場では軽食くらいは食べられるだろうと思っていたものの、自販機しかなくてランチは夕方に到着予定の徳山までお預けになりそうだったことである(船内にカップ麺の自販機があって、それを食べたが)。

 

山口県に上陸したのを待ち構えていたかのように、線状降水帯も中国山陰に移ってきたようで、土砂降りの雨の中を走らされることになる。豪雨に我慢しきれなくなって、近くにあった台湾料理屋に逃げ込んで休憩がてらに昼兼夕食を食べる。食事をしながら地図を見ていると近くにネットカフェがあることを発見して、今日はもう前進は無理と判断して、そこに泊まることにした。

 

8月12日

 

線状降水帯は山陰や北陸に向かっていて四国は雨の心配はなくなりそうなので、四国に向けて出発することにした。このネットカフェから四国に渡る柳井港までは30キロ近くあり、そこまで自転車で行くと早い時間のフェリーには乗り遅れてしまうので、光駅に駐輪して柳井港までは山陽本線で行くことにした。幸い山陽本線は下関〜山口までは不通だが、そこから東は平常どおり運転されているとのことであった。

 

柳井港から松山までの航路は島々を縫って進むもので、なかなか風光明媚な景観が楽しめる。今回はすっかりフェリーづいてしまったようで、来月に予定している北海道のクルーズはもう行かなくてもいいような気がしないでもない。
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三津浜に上陸すると、まずは腹ごしらえである。三津駅の少し手前にある居酒屋風の店に入るが、昼前という時間のせいか他の客はおらず、あまり流行ってはいないようだったが、注文した漬け丼は美味かった。空腹を満たした後は、道後温泉で汗を流すつもりだったが、着いてみると行列ができていて、1時間以上待たなければならないという。グーグルマップでみてみると、すぐ近くに別館というのがあり、こちらは待たずにはいれそうである。本館は以前に行ったことがあるので、今回は別館に行くことにする。

 

入浴後、すぐ近くにあるコインランドリーで洗濯をおこなった。洗濯の待ち時間に近くの居酒屋で名産のじゃこ天を揚げたカツを肴に生ビールで喉を潤した。飲食中にダメ元で今夜の宿を検索していたら、最後の1室をゲットすることができてラッキーだった。きっと連休の谷間に当たっていたのだろう。洗濯が終わると、明日の300名山行きのバスの出発点である伊予西条行きのバスに乗り込むつもりでバス停に向かったが、本数が少ないため、長時間待たされることになった。
 
伊予西条のホテルに荷物を置いて夕食を食べに出かける。近くに回転寿司のチェーン店が2軒あったので行ってみたが、どちらも満員で客が多数待っていたので諦めてコンビニ弁当を買って帰る。帰宅翌日が自分の誕生日なので、寿司はそれまでとっておこう。

 

8月13日

 

今日登る予定の瓶ヶ森は数年前の晩秋に四国に来た時に途中まで登ったことがあるが、その時は中腹より上は雪が積もっていて、アイゼンもチェーンスパイクも用意してこなかったので断念した山で、今回はそのリベンジでもある。

 

西之川行きのバスの乗客の大半は石槌山ロープウェイで下車してしまい、終点の西之川までの乗客は私を含めて数人であった。西之川からのコースは西之川をそのまま進むものと、東之川登山口に向かうものと二つあるが、私以外はみな西之川のコースを行くようである。私は東之川登山口経由の方が若干時間が短いので、そちらを選んだが、最終バスまでの行動可能時間が8時間半なのに対して、東之川登山口のコースタイムが8時間とかなり余裕がないスケジュールである。西之川コースに向かった人も最終バスに間に合うかどうかを気にしていた。

 

東之川登山口までは比較的緩やかな舗装路だが、そこから先は急登が連続する。今回は自転車関係のもの等、登山とは関係ないものまでザックに入っていたため、西条駅で不要なものはコインロッカーに入れておくつもりだったのだが、手違いでホテルが駅から遠く、コインロッカーに入れる時間がなかったため、軽装で往復するという目算が狂ってしまったのだ。

 

途中の通過時間を確認すると、コースタイムを上回ってしまっている。これでは最終バスに間に合わなくなるので、お昼を早めに食べて、それから先は最小限の荷物を背負うだけとしてスピードアップを図ることにした。軽装になると途端にベースは上がり、途中でタイムの遅れは取り戻し、前方の視界が開けて先行の登山者が見えてくるころになると、最終バスまでの余裕時間(以後をコースタイムで進んだ場合の到着時間と最終バスの発車時間との差)も40分になるまでになった。

 

ところが頑張り過ぎたつけが回って両足に痙攣が走るようになってしまった。やむを得ず、しばらく休んでからだましだまし歩き始める。しだいに足の状態は良くなってきたし、頂上に続く草原の景観は素晴らしいの一言なので、景色を楽しみながらゆっくりと登っていく。
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リベンジを果たせた頂上は時間があればゆっくりとしていきたい所であったが、最終バスの時間が気になるので長居はせずに下山する。下りも快調に進めたが、次第にある心配が頭をもたげてくる。それは荷物を置いた場所を見落としてしまうのではないかということである。だいぶ降りた所で荷物を発見した時はほっとした。置いた場所の高度くらいは確認しておくべきであった。

 

最終バスの発車20分くりい前にバス停に着いたが、今朝会った登山者の姿はない。1本前のバスに乗ったのかとも思ったが、3時間前に発車しているので、いくらなんでもそんなに早くは降りられないだろうから、売店乗場のあるロープウェイ乗場のバス停まで降りてしまったのかなとも思ったが、次のロープウェイ乗場のバス停かろ乗り込んできた人の中にも見当たらなかったので、どうしたのだろうと少し心配になったが、どうしようもなかった。

 

西条駅で電車待ちの間に駅前の居酒屋で地場の刺身を肴に生ビールで喉を潤してから松山行きの電車に乗り込んだ。

 

8月14日

 

本日の行き損ねのリベンジは四国最西端の佐田岬である。四国お遍路の際には行程が遅れ気味で立ち寄ることができなかった所である。八幡浜を出発点とするとすっきりするが、行程が長くなってしむうため、三崎港まではバスを利用することとし、三崎港近辺でレンタサイクルが利用可能ということなので、岬先端まではそれを利用することとして、自転車は四国には持ち込まなかった。もうひとつの問題は行程が不確かなため宿の予約がしてなかったが、お盆の時期にあたったため、行程が固まった直前では三崎港近辺の宿は全て満室となっていたことである。これに対しては雨で中止となった九重連山登山のためにキャンプ用具を持参していたので、テントを張って過ごすことで解決することにした。

 

八幡浜から三崎行きのバスは満席に近かったが、終点まで行く乗客はわずかであった。バスを降りた所の隣の観光案内所がレンタサイクルを扱っていた。草津温泉でレンタサイクルを利用した時は、途中でバッテリーを使い果たしてしまって苦労したが、案内所の人の話ではほとんどの人が半分以上使い残してきているというので安心したし、パンクした際には迎えが来てくれるらしいので心強い。

 

登りでは観光案内所を出てからすぐ先と最後の灯台の所の2箇所で登りきってからはそれほどアップダウンはない。ただ灯台の登りは半端ではなく心が折れそうになるほどであったが、バッテリーをスポーツモードに切り替えると大した負荷もなく、Eバイクの威力は抜群であった。

 

駐車場から灯台までは思ったよりも遠く、禁止はされてなかったようなので、自転車を乗り入れてしまったが、顰蹙を買うだけでほとんど効果はなく、最後は駐輪して歩いてしまった。灯台の裏側には四国最西端の碑があり、佐田岬に来た目的を果たすことができた。
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灯台の往復に思ったよりも時間がかかったために、案内所が閉まる5時までに帰れるか心配であったが、なんとか時間までに自転車を返せてホッとした。佐田岬に無事到達したお祝いしようと三崎の町を歩いてみたが、じゃこ天の弁当を売っている店くらいしかなく、あきらめて町外れのコンビニまで行きかけたら、手前に居酒屋があり、そこで刺身を肴に生ビールで乾杯した後、しらすイクラ丼を食べて、今回の四国の旅が無事に終わった(のはずだったが)ことを喜んだ。

 

今夜はテント泊まりということで、町外れの公園に出かけてみると、岸壁ではまだ釣りをしている人がいるし、近所の子供連れが花火をしていたので、コンビニまで行ったりして時間をつぶし、公園に誰もいなくなってからテントを張り、四国最後の夜を過ごすつもりだった。ところが中に入ってみると暑いったらありゃしなく、とても眠れるものでない。それでも気が付かないうちにうとうとしたが、目覚めると汗びっしょりで、とても眠れたものではない。かといってファスナーを開けると蚊が入ってくるので、それもできない。今回の旅の最大のピンチである。

 

ここで思い出したのは観光案内所の横にベンチがあることである。あそこならば、ここよりは快適だろうと夜明けまで過ごそうと移動を開始した。案内所の周りには予想に反して夜明け前にもかかわらず車がひっきりなしにやって来る。九州方面行きの朝イチのフェリーに乗船する人たちであろうか。ここも快適というわけではないが、しかたなく座り続け、薄明るくなる頃にテントに戻って片付けてからバス停に向かい、始発バスに乗って八幡浜に戻った。

 

八幡浜では、松山方面の電車に上手く乗り継げるはずであった。ところが、その電車は特急で私の18切符では乗れずに、普通の松山行きは2時間近く待たなければならない。どうしたものかと思っているうちに、特急は発車してしまう。次の普通に乗車すると、予定していたフェリーには乗れないことになり、今日の行程は滅茶苦茶になるが、約1時間後の特急でも予定したフェリーには乗れることがわかり、18切符は山口県に上陸後も使えることだからと、次の特急に乗ることにした。

 

次の特急は松山が終点なので、フェリーの乗場である三津浜までは乗り換えなければならない。乗り換えも終わって三津浜に向かっている途中で睡魔に襲われて気がついた時は、電車は三津浜駅を既に発車していた。やむを得ず次の駅で下車したが、反対方面の電車が奇跡的に時間を置かずに来てくれたので、タクシーにさへ乗れれば予定していたフェリーに乗れる可能性がでてきた。タクシーもつかまり、これで一件落着となったが、三津浜駅からフェリー船着場までは結構距離があり、行きの豪雨直後には歩いていったものの、今の炎天下では歩いていくのは熱中症のリスクがあってタクシー利用は正解であった。

 

フェリーには2時間くらい乗船していたが、さすがに眠りに落ちてしまったので退屈せずにすんだし、その間にスマホとモバイルバッテリーの充電もできたので、一石二鳥であった。

 

柳井港よりも西の光駅に駐輪してあったが
まずは本日の宿泊予定の岩国に向かい、駅近くのコインロッカーに荷物を入れて身軽になってから光駅に向かった。その間の移動にはもちろん18切符を使ったので、本日分のモトはとったことになる。光からは岩国を目指すが、前回は内陸部を進んだので、今回は海沿いに進むことにする。

 

まずは南端の柳井市を目指すことになるが、走りやすい道だったので、夕方の明るい時間に着き、早めの夕食を済ませてから岩国を目指すことになる。ところが、柳井港を過ぎて北上するようになると道は狭くなり、街灯もほとんど無くなって暗い夜道を後続の車に神経を使いながら進むのは危険を感じて、岩国市に入った神代駅で電車に乗ることにした。まだ9時前で、岩国駅までの距離は20キロほどで、ゆっくり走っても2時間はかからないが、安全を最優先として今回の旅を実質的に終えることとした。

 

8月16日

 

本日は帰宅日なので終電で帰宅してもかまわず急ぐ必要もないのだが、始発に乗ってしまった。ところが、お盆休み中の特別ダイヤにダイヤアプリが対応してないのか、アプリうえのダイヤと実際のダイヤが一致しないので、来た電車に乗っていくことにした。最初のうちはそれでよかったのだが、岡山駅で乗り換える際に失敗をしてしまった。

 

飲食物を買いに改札を出てホームに戻ってきてら、ホームには相生行きと播州赤穂行きが止まっていて、相生行きはまもなく発車だったのだが、かなり混んでいたため、それは見送って播州赤穂行きに乗り込んだ。このまま播州赤穂まで行って相生行きに乗り換えれば良かったのだが、東岡山駅で山陽本線に乗り換えようとしたとらケチが着いた。次に来た電車にそのまま乗ってしまったら、少し先の瀬戸という聞いたこともない駅(瀬戸の花嫁ならしってるけど)が終点で、登り線はホームを変えなければならず、エレベーターもないため自転車を担いで階段を登らなければならず、酷い目にあってしまった。おまけに快速は通過するので、次の電車までは1時間近く待たされた挙句、その電車は各駅停車ときているため相生駅までもかなり時間がかかってしまった。

 

幸い相生駅では野洲行きの新快速に接続できたので、これで遅れは多少は取り戻せたようである。以後は比較的順調に行程をこなし、Uターンラッシュにも遭わずに、ほぼ予定どおりの時間に帰宅できた。今回は悪天等の影響で一部消化できなかったものもあったが、以前にやり残した行程はほぼ順調に終えることができ、満足できる結果であった。後期高齢者になろうとする人間がやる行動ではないという意見もあろうが、それだけ元気が余っているということで許してもらおう。

 

 

 

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戦後80年に原爆巡礼

今から10年前に戦後70年を迎えたことをきっかけとして、広島長崎の原爆式典に参加したが、戦後80年を迎えた今年も広島長崎を訪れることにした。

 

前回の経験から式典前夜の広島近辺の宿は早くから予約しないと無理なことはわかっていたので、発想を転換して、前夜は三原〜広島を自転車でナイトツーリングで踏破することにした。同コースは日本海岸線踏破を目指していた頃に、ランニングでの踏破を試みたことがあるが、海岸線を通らずに内陸部の最短コースを通る結果となり、今回はランニングから自転車に変えてリベンジすることにした。

 

8月4日

 

青春18切符の5日間連続乗車券を利用して初日は大阪を目指すことにした。というのは、数年前に妻と関西旅行した時に大阪の地下鉄全線乗車を狙ったのだが、時間不足で半分近くしか乗車できなかったので、今回はそのリベンジも兼ねているのである。

 

数回の乗り継ぎを経て米原に到着したが、時間があるのでここで寄り道して北に進路を取り長浜に向かう。以前に琵琶湖周回ツーリングの際に秀吉の最初の居城である長浜城に立ち寄ろうとしたが、列車の時間の関係で中には入れなかったので、今回そのリベンジのつもりであった。
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来年の大河は秀吉の弟が主人公でもあり、きっと大勢の観光客がいるだろうと思ったのだが、あたりは静まり返っている。もしやと思って近づいてみると、本日はお休みとのことである。果たして三度目のリベンジはあるだろうか?

 

気を取り直して大阪に向かい、梅田の駅で早速1日乗車券を買う。どの路線でも終点の駅に着くと、改札にも向かわず折り返しの電車に乗って次の路線に急ぐというただ乗車するだけの行為を繰り返す。万博のために一区間だけ新設された夢洲までの路線は時間が遅かったので、万博の客は帰った後で最終電車は終わっているのではと懸念したが杞憂であった。ただどういうわけか夢洲駅だけは1日乗車券では改札を通れないということで(単なる嫌がらせか?)、万博会場も見ることなく、4時間近くの乗り鉄の旅を終えることになった。

青字が今回、赤字が前回の乗車路線


 

8月5日

 

今日は中国方面に向かうので、午前中に前回は開園時間に間に合わなかった二条城を目指して京都に戻ることにした。京都は大阪と同様に外国人観光客で溢れていた。

 

二条城に着いてみると、なんと二の丸の建物内には入れないという。大政奉還の方針が諸大名に申し渡された大広間に行きたかったのになんたることか。庭は見物できるのだが、猛暑の炎天下を1時間近く歩かされて少々体にこたえた。
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午後からは広島県を目指しての18切符の旅であるが、4回の乗り継ぎで広島県内の三原に到着した時は薄暗くなっていた。ここからが前半のハイライトである呉経由のナイトツーリング100キロの始まりである。以前に日本海岸線の踏破を目指した時は、三原・広島間はウルトラマラソンのトレーニングとして走ったのだが、時間不足から最短路の内陸部を通過せざるをえなかったので、今回はそのリベンジを自転車で行おうとするものである。

 

日中は暑くてかなわないので夜間に実行することにしたが、ゆむくりめで行っても三原を7時頃に出れば式典には間に合うだろうという計算をたてて、三原のファミレスでしっかりと食事をしてから式典会場を目指すことにした。気温は30度近くはあったが、直射日光を受けず、登り以外は風も受けるので、比較的快適であった。

 

8月6日

 

2時頃に呉に到着。かつての軍港であり、大和と並ぶ巨大戦艦武蔵を建造した造船所があった所でもある。今回の行程の三分の二あたりで残すは30キロほどなので、成功を確信して駅近くにあるネットカフェに1時間ほど滞在して水分補給と体を冷やした後、式典会場に向かうことにした。

 

4時半には明るくなってきて、このまま何も起こらずに終わるのかと思いきや最後にちょっとしたドンデン返しがあった。というのは、グーグルマップで原爆ドームを目標に検索した道を進んでいたのだが、徒歩モードではなく、自動車モードで検索してしまったようで、行程最後付近の大橋が自動車専用となっていたため、徒歩モードに切り替えてみると、進路は反対側に大きく迂回しており、さらにはかなりのアップダウンを越えてようやく到達するというもので、式典の始まる8時前に辛うじて到着するという危ういものであった。おまけに以前にはなかった荷物検査が行われていたので長蛇の列ができ、黙祷の時間直前にようやく会場に入れるという際どいものであった。

 

会場では広島市長から始まる挨拶が延々と続くが、前回は挨拶を聞いた後に記念館の見学までおこなったものの、今回は早々と退散して、駅前で遅めの朝食をとりながら、テレビから流れる挨拶を聞いてお茶を濁した。
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広島駅からは一路九州へ移動する。佐賀県北部は鉄道を利用して周回したことがあるが、自転車では唐津から伊万里を結ぶ線以北は未踏である。長崎の原爆記念日前の7日と8日はフリーであるが、天気も今ひとつのようだし、どうしたものだろうか?

 

8月7日

 

前夜遅くに泊まった伊万里のネットカフェはローカルなネットカフェで安いだけが取り柄な所だったので、長居は無用と早々に後にする。

 

今朝は雨模様の天気だったので休養するかとも思ったが、炎天下よりはましかと思い直して半島北部を行ける所まで行ってみることにした。天気は思ったほど悪化せず、暑さもそ れほどでもなかったが、アップダウンが激しく行程が遅々として捗らなかった。

 

道が複雑に分岐していたので、道を取り違えないようにと地図アプリを拡大して使用していたが、それがアダになって全体的な進路把握かなされずに、本来進むべき半島の真ん中ではなく、左端を進んでいることに気付いた。正しい道に戻るのもたいへんなので、ここで引き返すことにしたが、出発点である伊万里駅までの距離を調べてみると35キロもある。平地ならば大した距離ではないが、アップダウンの激しい道で行きには5時間ほどもかかっているので、帰りも同じくらいの時間をみなければならない。それならばと唐津駅までの距離を調べてみると、こちらは22キロと比較的短いので、こちらを選択す?ことにした。

 

登り口を除けは、行きほどのアップダウンはなかったので、六時前には唐津駅に着くことができ、唐津線経由で伊万里に戻ることができたが、それからの宿探しがなかなかたいへんだった。前夜のチープなネットカフェにもう一晩泊まる気にはならず、かといって駅前のホテルはどこも満室となっていてホテル難民となりかねなかった。そこで駅から少し離れたところにホテルはないかと探して電話してみると、そのうちのひとつに空きがあってなんとか最悪の事態を避けることができた。

 

8月8日

 

松浦鉄道の1日乗車券を買って、沿線の三つの最西端に行ってみることにした。まずはたびら平戸口の日本最西端の駅である。10年前にも通ったことがあり、その時は途中下車はせずに車内から眺めただけだったが、ホームにはかなりの人がいたので、鉄っちゃんにとっては聖地のひとつなのかと思ったが、今日は誰も降りる人はおらず拍子抜けであった。
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松浦鉄道を南下して小浦駅で下車、そこからバスに乗って本土最西端の神崎公園を目指す。神崎入口で下車してから最西端の碑までは30分近くも歩かされるので、小浦駅から碑までは11キロ程度であり、自転車で来た方が良かったような気もしないではなかったが、かなり気温も高かったこともあり、バス利用は正解ということにしておこう。こちらの碑は何人かの訪問者もあるようで、まあ隠れた観光地なのかもしれない。
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松浦鉄道の終点である佐世保に着くと、そこから先はJR九州の路線となるが、駅前にはJR最西端の碑があるので、ここで最西端の旅の締めくくりとして写真を撮り、朝からろくな物を食べてなかったので、居酒屋で腹ごしらえと喉を潤してから長崎に向かった。
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本来は前半の旅の終了点である長崎でゆっくりと旅装を解きたい所であるが、10年前に来た時も原爆式典参加者が1年前から予約を入れていて長崎市内には空いているホテルはなかったので、今回は鼻から諦めてネットカフェに泊まることにしていた。

 

8月9日

 

早起きしたら長崎の西の方まで往復してこようとも思ったが、雨模様なのでやめてゆっくりと出発する。雨はますます激しくなってくるので、駅近辺に駐輪してバスで平和公園に向かうつもりで駐輪場を探したが、バイク用のものはあっても駐輪禁止と書いてあるので、やむをえず平和公園まで自転車で行くことにした。公園の近くに駐輪するつもりだったが、警備の警官かいっぱいいて、下手に駐輪すると文句を言われかねないので、だいぶ離れた所に駐輪する。

 

公園入口まで行くと、整理券がないと入れないと言われる。コロナの時からの措置だそうである。もっとも大きな荷物は持ち込み禁止となっているようなので、整理券があっても入れなかったかもしれない。
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黙祷が終わってから公園前を後にして自転車を回収して駅に戻る。自転車を解体するのに手間どったりして、新幹線の出発時間が迫っていたため、おにぎりで昼食をすませることになり、長崎の名産は食べずじまいとなってしまった。

 

今晩の宿は熊本地震によって不通となっていた南阿蘇鉄道が数年前に復旧したので、終点の高森の手前の駅近くのところを予約したが、途中で少し寄り道して西鉄本線の南半分を乗車しておくつもりである。西鉄本線の北半分は数年前に妻と太宰府に行った際に乗っているので、支線はともかく本線だけでも完乗しておこうと考えたのである。

 

最初は大牟田から西鉄二日市までを往復するつもりであったが、JR鹿児島線と西鉄本線は平行して走っている部分が多いので、JRの鳥栖からは南下せずに北上して二日市で下車して西鉄本線に乗り換えて大牟田まで乗車することにより、時間も費用も節約しようとするものである。

 

大牟田からは数回の乗り継ぎで南阿蘇鉄道との乗り換え駅である立野に着く。南阿蘇鉄道は熊本地震で被害を受けて不通となっていたが、一昨年にようやく全線開通となり、満を持して今回乗り込むことになったものである。ただ観光客はあまりおらず、乗客のほとんどは地元の人のようであった(全線開通を待ち望んでいた鉄ちゃんはとっくに乗ってしまったのかな)。

 

今夜の宿は南阿蘇鉄道沿線の古民家風で、テレビは懐かしいブラウン管である。ちょっとタイムスリップしたような気分にさせてくれるのがうれしかった。
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2025年8月 9日 (土)

戦後80年に原爆巡礼

今から10年前に戦後70年を迎えたことをきっかけとして、広島長崎の原爆式典に参加したが、戦後80年を迎えた今年も広島長崎を訪れることにした。

前回の経験から式典前夜の広島近辺の宿は早くから予約しないと無理なことはわかっていたので、発想を転換して、前夜は三原〜広島を自転車でナイトツーリングで踏破することにした。同コースは日本海岸線踏破を目指していた頃に、ランニングでの踏破を試みたことがあるが、海岸線を通らずに内陸部の最短コースを通ったことがあったが、今回は自転車ランニングから自転車に変えてリベンジすることにした。

8月4日

青春18切符の5日間連続乗車券を利用して初日は大阪を目指すことにした。というのは、数年前に妻と関西旅行した時に大阪の地下鉄全線乗車を狙ったのだが、時間不足で半分近くしか乗車できなかったので、今回はそのリベンジも兼ねているのである。

数回の乗り継ぎを経て米原に到着したが、時間があるのでここで寄り道して北に進路を取り長浜に向かう。以前に琵琶湖周回ツーリングの際に秀吉の最初の居城である長浜城に立ち寄ろうとしたが、列車の時間の関係で中には入れなかったので、今回そのリベンジのつもりであった。

来年の大河は秀吉の弟が主人公でもあり、きっと大勢の観光客がいるだろうと思ったのだが、あたりは静まり返っている。もしやと思って近づいてみると、本日はお休みとのことである。果たして三度目のリベンジはあるだろうか?

気を取り直して大阪に向かい、梅田の駅で早速1日乗車券を買う。終点の駅に着くと、改札にも向かわず折り返しの電車に乗って次の路線に急ぐ。万博のために一区間だけ新設された夢洲までの路線は時間が遅かったので、万博の客は帰った後で最終電車は終わっているのではと懸念したが、杞憂であった。ただどういうわけか夢洲駅だけは1日乗車券では改札を通れないということで(単なる嫌がらせか?)、万博会場も見ることなく、4時間近くの乗り鉄の旅を
終えることになった。

8月5日

今日は中国方面に向かうので、午前中に前回は開園時間に間に合わなかった二条城を目指して京都に戻ることにした。京都は大阪と同様に外人観光客で溢れていた。

二条城に着いてみると、なんと二の丸の建物内には入れないという。大政奉還の方針が諸大名に申し渡された大広間に行きたかったのになんたることか。庭は見物できるのだが、猛暑の炎天下を1時間近く歩かされて少々体にこたえた。

午後からは広島県を目指しての18切符の旅であるが、4回の乗り継ぎで広島県内の三原に到着した時は薄暗くなっていた。ここからが前半のハイライトである呉経由のナイトツーリング100キロの始まりである。以前に日本海岸線の踏破を目指した時は、三原・広島間はウルトラマラソンのトレーニングとして走ったのだが、時間不足から最短路の内陸部を通過せざるをえなかったので、今回はそのリベンジを自転車で行おうとするものである。

日中は暑くてかなわないので夜間に実行することにしたが、ゆむくりめで行っても三原を7時頃に出れば式典には間に合うだろうという計算をたてて、三原のファミレスでしっかりと食事をしてから式典会場を目指すことにした。気温は30度近くはあったが、直射日光を受けず登り以外は風も受けるので、比較的快適であった。

8月6日

2時頃に呉に到着。かつての軍港であり、大和と並ぶ巨大戦艦武蔵を建造した造船所があった所でもある。今回の行程の三分の二あたりで残すは30キロほどなので、成功を確信して駅近くにあるネットカフェに1時間ほど滞在して水分補給と体を冷やした後、式典会場に向かうことにした。

4時半には明るくなってきて、このまま何も起こらずに終わるのかと思いきや最後にちょっとしたドンデン返しがあった。というのは、グーグルマップで原爆ドームを目標に検索した道を進んでいたのだが、徒歩モードではなく、自動車モードで検索してしまったようで、行程最後付近の大橋が自動車専用となっていたため、徒歩モードに切り替えてみると、進路は反対側に大きく迂回しており、さらにはかなりのアップダウンを越えてようやく到達するというもので、式典の始まる8時前に辛うじて到着するという危ういものであった。おまけに以前にはなかった荷物検査が行われていたので長蛇の列ができ、黙祷の時間直前にようやく会場に入れるという際どいものであった。

会場では広島市長から始まる挨拶が延々と続くが、前回は挨拶を聞いた後に記念館の見学までおこなったものの、今回は早々と退散して、駅前で遅めの朝食をとりながら、テレビから流れる挨拶を聞いてお茶を濁した。

広島駅からは一路九州へ移動する。佐賀県北部は鉄道を利用して周回したことがあるが、自転車では唐津から伊万里を結ぶ線以北は未踏である。長崎の原爆記念日前の7日と8日はフリーであるが、天気も今ひとつのようだし、どうしたものだろうか?

8月7日

前夜遅くに泊まった伊万里のネットカフェはローカルなネットカフェで安いだけが取り柄な所だったので、長居は無用と早々に後にする。

今朝は雨模様の天気だったので休養するかとも思ったが、炎天下よりはましかと思い直して半島北部を行ける所まで行ってみることにした。天気は思ったほど悪化せず、暑さもそ まもなく樽石樽石ですお降りの方はお忘れ物のないようお気をつけください れほどでもなかったが、アップダウンが激しく行程が遅々として捗らなかった。

道が複雑に分岐していたので、道を取り違えないようにと地図アプリを拡大して使用していたが、それがアダになって全体的な進路把握かなされずに、本来進むべき半島の真ん中ではなく、左端を進んでいることに気付いた。正しい道に戻るのもたいへんなので、ここで引き返すことにしたが、出発点である伊万里駅までの距離を調べてみると35キロもある。平地ならば大した距離ではないが、アップダウンの激しい道で行きには5時間ほどもかかっているので、帰りも同じくらいの時間をみなければならない。それならばと唐津駅までの距離を調べてみると、こちらは22キロと比較的短いので、こちらを選択す?ことにした。

登り口を除けは、行きほどのアップダウンはなかったので、六時前には唐津駅に着くことができ、唐津線経由で伊万里に戻ることができたが、それからの宿探しがなかなかたいへんだった。前夜のチープなネットカフェにもう一晩泊まる気にはならず、かといって駅前のホテルはどこも満室となっていてホテル難民となりかねなかった。そこで駅から少し離れたところにホテルはないかと探して電話してみると、そのうちのひとつに空きがあってなんとか最悪の事態を避けることができた。

8月8日

松浦鉄道の1日乗車券を買って、沿線の三つの最西端に行ってみることにした。まずはたびら平戸口の日本最西端の駅である。10年前にも通ったことがあり、その時は途中下車はせずに車内から眺めただけだったが、ホームにはかなりの人がいたので、鉄っちゃんにとっては聖地のひとつなのかと思ったが、今日は誰も降りる人はおらず拍子抜けであった。

松浦鉄道を南下して小浦駅で下車、そこからバスに乗って本土最西端の神崎公園を目指す。神崎入口で下車してから最西端の碑までは30分近くも歩かされるので、小浦駅から碑までは11キロ程度なので、自転車で来た方が良かったような気もしないではなかったが、かなり気温も高かったこともあり、バス利用は正解ということにしておこう。こちらの碑は何人かの訪問者もあるようで、まあ隠れた観光地なのかもしれない。

松浦鉄道の終点である佐世保に着くと、そこから先はJR九州の路線となるが、駅前にはJR最西端の碑があるので、ここで最西端の旅の締めくくりとして写真を撮り、朝からろくな物を食べてなかったので、居酒屋で腹ごしらえと喉を潤してから長崎に向かった。

本来は前半の旅の終了点である長崎でゆっくりと旅装を解きたい所であるが、10年前に来た時も原爆式典参加者が1年前から予約を入れていて長崎市内には空いているホテルはなかったので、今回は鼻から諦めてネットカフェに泊まることにしていた。

8月9日

早起きしたら長崎の西の方まで往復してこようとも思ったが、雨模様なのでやめてゆっくりと出発する。雨はますます激しくなってくるので、駅近辺に駐輪してバスで平和公園に向かうつもりで駐輪場を探したが、バイク用のものはあっても駐輪禁止と書いてあるので、やむをえず平和公園まで自転車で行くことにした。公園の近くに駐輪するつもりだったが、警備の警官かいっぱいいて、下手に駐輪すると文句を言われかねないので、だいぶ離れた所に駐輪する。

公園入口まで行くと、整理券がないと入れないと言われる。コロナの時からの措置だそうである。もっとも大きな荷物は持ち込み禁止となっているようなので、整理券があっても入れなかったかもしれない。

黙祷が終わってから公園前を後にして自転車を回収して駅に戻る。自転車を解体するのに手間どったりして、新幹線の出発時間が迫っていたため、おにぎりで昼食をすませることになり、長崎の名産は食べずじまいとなってしまった。

今晩の宿は熊本地震によって不通となっていた南阿蘇鉄道が数年前に復旧したので、終点の高森の手前の駅近くのところを予約したが、途中で少し寄り道して西鉄本線の南本分を乗車しておくつもりである。西鉄本線の北半分は数年前に妻と太宰府に行った際に乗っているので、支線はともかく本線だけでも完乗しておこうと考えたのである。

最初は大牟田から西鉄二日市までを往復するつもりであったが、JR鹿児島線と西鉄本線は平行して走っている部分が多いので、JRの鳥栖からは南下せずに北上して二日市で下車して西鉄本線の乗り換えて大牟田まで乗車することにより、時間も費用も節約しようとするものである。

大牟田からは数回の乗り継ぎで南阿蘇鉄道との乗り換え駅である立野に着く。南阿蘇鉄道は熊本地震で被害を受けて不通となっていたが、一昨年にようやく全線開通となり、満を持して今回乗り込むことになったものである。ただ観光客はあまりおらず、乗客のほとんどは地元の人のようであった(全線開通を待ち望んでいた鉄ちゃんはとっくに乗ってしまったのかな)。

今夜の宿は南阿蘇鉄道沿線の古民家風で、テレビは懐かしいブラウン管である。ちょっとタイムスリップしたような気分にさせてくれるのがうれしかった。

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2025年8月 1日 (金)

群馬県内への避暑と温泉巡り

草津方面に避暑に来たが、標高が千メートルを越えているだけあって、最高気温も30度を越えることはなく、過ごしよかった(さすがに日中は暑かったが)。

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ライトアップされた草津温泉湯畑


7月22日

ホテルの近くに釣堀があったので行ってみたが、入れ喰い状態で三十分もしないうちに規定の三匹が釣れてしまい、面白くもなんともなかった。

 

釣り上げた魚は調理してくれるので、二匹は唐揚げ、残りは塩焼きにしてもらったが、そばを食べるには腹も減ってなかったので、缶ビールを注文して一匹ずつ食べ、唐揚げ一匹はホテルで留守番している妻へのお土産とした。

 

7月24日

 

草津温泉から1番近い観光地を探していたらチャツボミゴケ公園というのがあってホテルから歩いても半日ほどで往復できそうなので、行ってみることにした。

 

下界ほどではないにしても、猛暑の舗装路を歩くのは嫌だなと思っていたら、バスターミナルの1階の観光案内所でレンタサイクルを利用できるということなので、早速バスターミナルに行ってみる。ところが、観光案内所に行くと、現在はメンテ中で利用できないという。

 

代わりにレンタサイクルが利用できる別の施設を教えてくれたが、ここから30分近くも登り道を進まなければならないスキー場の所ということで出鼻を挫かれたような気分であった。

 

スキー場に着いて電動付きのレンタルサイクルを借りることができたが、ここでコース取りに迷うことになる。最初歩いていくつもりの時は最短コースを考えていたが、その道は舗装が最後までされているか不明で、ある程度降りてしまってから悪路になった場合は、登り返すのも大変だし、かといって悪路を進んでパンクしてしまうのも嫌なので、遠回りではあるが、グーグルマップの検索コースのうち、車によるコースを選択することにした。

 

全体的にゆるやかな下りが続いたが、最低部の橋を渡ると今度は登りが続き、たまらずに電動のスイッチを入れることになる。ところが、バッテリーの残量があまりないことに気付き、傾斜が緩くなるとスイッチを切って節約することになる。ここまで来る時はあまりバッテリーを使わなかったつもりだったが、満タンにはなっていなかったのかしら?

 

公園に近づくとようやくなだらかになり、電動スイッチはOFFのままでも大丈夫になったが、公園の受付を過ぎ、滝に向かう道でまた傾斜がきつくなってきたので、やむを得ずまたスイッチをONにする。

 

滝の周辺は酸に強いコケが生えていて独特な風景を見せてくれている。苦労してここまで来た甲斐はあった気がする。
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滝の上部を回遊してから下りに移って帰路に向かうが、途中から行きの道と別れて最短路に向かう(もし、舗装路が途中で悪路に変わっていたら自転車を降りて引いて行くまでだと開き直った)。

 

ところが、橋を渡るまでは下り一方かと思っていたが、実際は小さい尾根を越えなければならず、なけなしのバッテリーを使ったためにバッテリー残量が最小のマークにまで減ってしまう。

 

下りきって橋を渡り登りに移るが、幸いさほど急な登りではなくバッテリーの消耗も少なくて何とか出発点まで戻ることができたし、最後まで舗装路が続いていた。自転車を返して隣のレストランでラーメンを食べていると突然の豪雨となり、小止みになるまでそこで雨宿りとなったが、自転車に乗っている間でなくてラッキーだった。

 

7月26日

 

前日に草津温泉から赤城温泉に移動したのは気分転換の外に、関東ふれあいの道の群馬県コースのうちの未踏となっている不動大滝のコースを歩くためでもある。

 

朝食後に不動大滝を目指して出発する。舗装路を進んで粕川を渡る手前で山道に移るとすぐに大滝が目の前に現れる。落差20メートルはあるかと思われる見事な滝である。証拠写真を撮影後に来た道をそのまま戻れば近いのだが、ふれあいの道コースNO24番はやや下流の忠治温泉がゴールとなっているので、そこまで歩を進めることにする。

忠治温泉までは小1時間ほどの下りであるが、ふれあいの道にしては悪い道であった。実は今回泊まっている宿は自販機以外には間食の販売はなかったので、忠治温泉まで下れば何か買えるのではないかと期待したのだが、生憎まだ開業しておらず、開業準備のためか作業員が数人働いているだけだったので、食料調達はできないまま宿に戻らざるをえなかった。宿への戻り道は気温が上がってきて辛かったが、カーブごとに番号がふられていて宿の直下のコース番号は23番であることはわかっていたので、気分的にはだいぶ楽であった。

 

7月28日

 

今日は群馬県随一のロッククライミングエリアである有笠山に行くことにした。私の現役時代には登る機会のなかった有笠山だが、高難度ルートが密集しているエリアで一度は登ってみたかった所である。後年になって日本ロマンチック街道という日光から軽井沢までをつなぐロングコースを自転車で通った際に有笠山を遠望することができ、次は間近に見たいものだと思ったのだが、今回それが実現することができた。

 

バスとJRを乗り継いで沢渡には11時頃に着き、そこから小一時間ほどの舗装路歩きで東登山口である。途中、有笠山の岩壁が間近に見えたが、登山口のすぐ上にはフェアリーロックという岩場が聳えていた。何本かのボルトラインが確認できたが、いずれもグレード的にはかなり難度が高く、自分の現役時代でも登れない代物であった。
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西登山口への分岐点から頂上への登山道に移る。途中にはハシゴやクサリもあってスリルが楽しめた。頂上は樹木に覆われて展望は得られなかったが、このあたりの山域は元々不案内なので、展望が得られてもまわりの山名はわからなかっただろう。

 

下りは西登山口に向かったが、登りの時ほどの暑さはなく、思ったより早く林道に降り立つことができた。帰りは往路と同様の経路を辿ったが、歩いているよりも往復のアクセスの方が断然時間がかかったようだ。

 

7月29日

 

草津温泉周辺の目ぼしい観光地はだいたい訪れてしまったが、少し足を伸ばして野反湖に向かうことにする。野反湖は20年以上も前に上越国境尾根縦走の一環として白砂山から下山する際に近くを通ったことはあるが、その時は暗くて湖は見ることができなかった。

 

草津温泉から最短コースを辿れば25キロほどの距離なので、最初はレンタサイクルを利用しようかと思ったが、レンタサイクルにはスポーツタイプがなく、電動アシストタイプしかないので、野反湖手前の坂でバッテリーを使い果たしてしまい、帰りの草津温泉手前の坂ではバッテリーの切れた重い車体を引っ張り上げることになりかねないので断念した。代わりに長野原草津口駅までバスで降りると、そこから野反湖までのバスがあることがわかったので、妻と一緒に行ってみることにした。

 

乗り継ぎ1回と2時間弱の乗車で野反湖に到着するが、野反湖手前の登り坂は延々と続き、自転車で来なくて良かったと思った。足下には美しい湖と高山植物が広がり、長いバス旅の疲れを癒やしてくれた。
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バス停近くにはお店もあったので昼食をとり、3時間ほど後の最終バスで帰るつもりだったが、長時間待っても退屈するだけだし、連日午後になると豪雨となる傾向だったので、1本前のバスに乗って途中で下車して、日本一美しい村と宣伝している六合(クニ)村の山村風景を楽しみながら途中まで歩いて、最終バスで帰ることにした。

 

六合村最上部の花敷温泉で下車し、道の駅までの6キロほどを歩くつもりだったが、炎天下の車道歩きは下り一方とは言え妻には過酷だったようで途中のドライブインでダウン、おまけにドライブインも定休日だったので、ここで最終バスを2時間近く待つわけにもいかず。タクシーを草津温泉から呼んて帰る羽目となってしまった。

 

7月31日

 

最終日は当初の予定では、帰宅する妻と別れて、関東百名山とふれあいの道の未踏部分を行くつもりだったが、ここまでの行動で猛暑の低山は厳し過ぎると思い直して、もう少し涼しくなってから出直すことにした。ただこのまま帰ってしまうのはもったいないので、高崎駅からバスで行くことができる白衣観音を往復してくることにした。

 

白衣観音は高崎駅が近づくと目立つ風景で、前から気になっていたものだが、ふれあいの道のコース途上にあり、コース自体を忠実に歩くと結構な時間がかかるが、白衣観音が撮影ポイントとなっているので、インチキ臭くはあるが、短時間でコース踏破?ができるという絶好の行き先であった。
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高崎駅からは30分弱の乗車時間で観音前で下車、至近距離の観音
直下まで移動して証拠写真を撮り、すぐにバス停に戻って高崎駅行きのバスに乗り込む。この間、わずか10分足らずという駆け足スケジュールであった。

 

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