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2026年1月

2026年1月20日 (火)

シッキム旅行記

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ヒマラヤ訪問第二弾はインド領シッキムである。インドはあちこち行ったが、東北部に位置してかっては独立国だったシッキムにはまだ行ったことはなかったので、ブータンと繋いで行きたいとおもっていた。以前はブータンのプンツォリンから国境を越えて陸路でシッキムに入りたいと思っていたが、路線バスが走っているわけではないので、自分で車の手配をしなければならず、この年になってから、そのようなことをするのもたいへんなので、飛行機を利用してブーンのパロ空港からシッキムのバグドクラ空港まで45分で一気に飛んでしまうことにした。

わずか45分の飛行時間ではあるが、チョモラリを初めとするブータン西部の山々から世界第三位の高峰であるカンチェンジュンガの連山(支峰も含めると8千メートル峰が4つもある)までを眺められる山好きにとっては応えられないフライトである。

間もなくバグドグラ空港に着陸したが、まわりの乗客は一向に降りようとしないので、私も着席したままでいたら、CAに降りるように言われる。まわりの乗客はほとんどがデリー方面に向かう客だったのだろう。危うく降り損なう所であった。

空港からはプリペイドタクシーでシルグリの街に向かうが、目的地近くまで来ても運転手はホテルを見つけられなくなっている。というのは、ホテルのある場所は道路がこうかと地上に分かれていて、ホテルは地上に面しているのにタクシーは高架部分を走ったために通り過ぎてしまったからである。そこで、戻ってもらっえ地上部分を走ってもらったにもかかわらず、目的地の近くでもホテルを見つけられなくなっているのである。そこで車を降りてグーグルマップ上にあるホテルを目指して少し歩くと目的のホテルを見つけることができた。

これは予約したホテルがブータンで利用したようなしっかりしたホテルではなく、雑居ビルの3階にあるというわかりにくい立地のためであった(一応看板は出ているのだが)。

ホテルに荷物を置いて食事をするために街に出てみたが、パロ空港で胃腸に感じた異変がひどくなっている気がしたので、ここで刺激の強い食事をすると、胃腸には良くないだろうと考えてスナックと水だけを買ってホテルに戻ることにした。

ホテルに戻るとどっと疲れが出て食欲もなかったので、こんな時は何も食べないに限ると、そのまま眠ってしまうことにした。

1月17日

朝目覚めると、依然として食欲はないので、胃腸薬を飲んで絶食を続けることにした。今日の行程はダージリンまでの1日がかりの列車の旅だが、席は予約されているので、座っているだけなろば体調5万全でなくても問題ないだろうと予定通りダージリンに向かうことにした。

外国の観光列車としては一昨年に南米で乗った「地球の果て」号があるが、あちらは数時間の乗車時間だが、こちらは半日がかりである。車ならば数時間で行ける距離なのに、そんなに時間がかかるのは、機関車の性能のためなのか、観光客に長く楽しんでもらうためなのか、あるいはその両方のためこもしれない。

イギリスの統治時代から走っている列車で世界遺産にも選ばれている人気列車で数カ月前から申し込む必要があるが、急ぐ旅でもないからと申し込んだものである(帰りはさすがにタクシーで直接空港まで直行するつもりだが)。

ホテルから始発駅のニュージャルパイグリまでは歩いても小一時間の距離だが、荷物が重いのと体調が万全でないためにリキシャ(オート三輪のタクシー)で向かう。

しばらく待って乗り込むと車内は満席だった。途中の街なかはショートカットして山岳部分だけを乗車しているものもあるが、今日の乗客はながたびを楽しむ(耐える)客ばかりのようである。もっともショートカットする客は日程に余裕のない日本人客ばかりかもしれない。

実際に乗車してみると、実に遅いしよく停車する。自転車よりも遅いくらいだが、これこそが悠久の大地を進むのに適した乗物なのかもしれない。

列車はあえぎながら徐々に高度を上げてダージリンを目指していくが、行程は遅々として捗らない。到着予定時刻の4時半になってもまだダーリジンまではまだ40キロ近くある。インドの鉄道の時刻はあてにならないというのは、何度も経験済みなのに、そのことをすっかり忘れていた。

ホテルまではグーグルマップでは10分ほどの歩きということだったので、急坂でもない限り歩いてもいけると思ったが、タクシーが捕まればそれに越したことはないと思っていた。

ところが、終点で下車したために
乗客全員がタクシー乗り場に殺到してタクシーはいつ捕まるはわけらない状態であった。やっと戻ってきたタクシーにのろうとすると、行く先を知った運転手はそんな近場はいやだったらしく、歩いていけと言われて乗車拒否に合う。

しかたなく歩き出すと、恐れていた急坂が現れる。短い距離だからと我慢して歩いていると、グーグルマップでのホテルまでの最短路は細い道に入っていくが、そこにほ放し飼いの犬が四匹も待ち構えている。南米で犬に散々吠えられた経験があるので、もし吠えられたらすぐに退散して遠回りしていこうと思ったが、大人しい犬ばかりで無事に通過できた。

ホテルに着くと真っ先に確認したのはシャワーでお湯が使えるかどうかであった。トレッキングから帰ってきた後に温かいシャワーで汗を洗いながしたかったからである。そこで、帰りのダージリンの宿は多少割高ではあるが、急遽温泉付きの宿を予約しておいた。雪朝は早いので早めにベッドに入った。

1月18日

6時過ぎに集合とのことだったので、早めに指定された場所に向かうが、指定された建物は見当たらないし、ガイドも現れない。そこで通りかかった人に聞くと、正しい場所を教えてもらった。道を1本取り違えていたようである。

やっとガイドとも合うことができ、なんとかトレッキングを始められる目途がたった。実は今回のトレッキングに関しては日程と必要な持ち物以外には知らされておらず(聞きもしなかったのだが)、持ち物にも寝袋はなかつたが、ネットの情報では冬場のロッジは寒いので冬用の寝袋が必要だとあったため、夏用の寝袋とアンダーウェアを多目にもってきたため、大きなザックと小さいザックを用意してきた。またどの程度歩くのかもわからなかったが、ガイドから行程を聞いたところでは、そこそこは歩くようなのでポーターが必要だということになって、払い込んだ料金にはポーター代は入ってないということなので、その料金を確認したところ、5日間で2万円弱とのことだったので、追加でどるでしはらうことにした。

やがて車がやってきたのて乗り込むか、途中から見知ら人も乗り込んできたので、専用車ではなく、乗合車のようであった。さらに急遽依頼したポーターも乗り込んできたが、暇だったということだろうか?途中で牛肉入りヌードルを遅めの朝食で食べたが、ホテルでの朝食が早かったので丁度良かった。

インドの公用語は英語とヒンディー語なので、ガイドにとっても英語は母国語なのだろうが、先日のブータンのガイドよりもはるかにききとりやすかった。もっともブータンの場合にはお寺巡りが中心で、聞き慣れない宗教関係の単語がたくさんでてきたことも影響しているかもしれなかったが 

登山口のリンビックからはいきなりの急坂で、ガイドのペースに合わせて登ると息が切れそうになったが、しばらくして私を先頭にして登らせてくれたので、マイペースで登れてさほど苦しまずに登ることができた。

昼食は途中の食堂で摂ったが、インド定番のタルカリ(野菜のカレー煮)とダルスープ(豆のスープ)である。久しぶりに食べたので珍しかったが、これが毎日続くと飽きちゃうだよなあ

午後は途中に一カ所急坂はあったが、2時間ほどの歩きでグルドゥムの小屋に着くことができた。途中、ガイドがカンチェンジュンガが見えると教えてくれたが、山頂付近が見えただけなので、全容の展望は先のお楽しみにとっておこう。

クルドゥム小屋てで休んでお茶を飲んでいると、小屋の人がオヤツにサモサ(野菜コロッケ)わ出してくれた。日本でもイベントで提供されることがあり、とても値段が高いが、インドでは庶民のオヤツとして食べられていて、外で買ってもたいへん安いものである。

夕食はカレー料理ではあるが、おかずのバリエーションは豊富であり、チキンも提供されているので、若い時にネパールの山中で1週間ほどタルカリとダルバートが続いて肉を食べなかったら、麓まで降りて放し飼いの豚を見た途端によだれが出てきたというようなことにはならなくてすみそうだ。

1月19日

8時半にグルドゥム小屋を出発してサンダクブーを目ざすが、標高差1200メートルも登るので急登の連続である。1時間に200メートルの高度を稼ぐペースでゆっくりと登っていく。しばらく登っていくと、手前の尾根の向こうに白い峰々が見えるようになってくる。

12時頃に休憩所に着きヌードルを食べるが、胃腸の調子が今ひとつで半分ほどしか食べられなかった。30分も休まずに登山を再開し、午前中とほぼ同じペースで登り続けたので、3時頃にはサンダクブーに着ける見込みが立った。

右手の方にはカンチェンジュンガの連山が望めてくるが、樹林に遮られているので、写真を撮るのはサンダクブーに着くまでお預けとなった。

サンダクブーまでは1時間もしないあたりまできた時にここ数日調子の良くなかった胃腸かますます悪くなり吐き気もするようになった。別に頭痛がするわけでもないので高山病かどうかはわけらないが、以前は富士山くらいの高度では高山病とは無縁であったが、加齢により高山病になりやすくなったのかもしれない。

サンダクブーにはなんとか着いて小屋に入れてホッとした。昨日の小屋もそうだったが、個室で専用のトイレがあるのもうれしい。もちろん、ホットシャワーが利用できるわけではないが。部屋でしぱらく休んでいると、ガイドが呼びに来てサンセットが見えると言う。ついていくと、カンチェンジュンガの連山からジャヌーまてが真っ赤に燃えており、少し遠くにはマカルーからエベレストまで見渡せる。夢中で写真を撮ったが、これでシッキムに来た目的は果たせたような気になってしまった。

夕食時にガイドには翌朝の調子で予定どおりに山歩きを続けるか、車をチャーターしてダージリンまで一気に戻るかを決めるとは言っておいたが、気持ちはすでに決まっていた。目的を果たした以上は下界に早く降りて楽な生活をしたいというのが本音であった。それにダージリンにそんなに長居してもしょうがないので、シッキムの州都であるガントクにも足を延ばしたいという気もあった。

1月20日

暗いうちから起き出して日の出と朝焼けのカンチェンジュンガを見るために小高い場所まで行くと、既に先客でいっぱいであった。東の空が白じんでくると、カンチェンジュンガの連山が真っ赤に燃え出してくる。

ひととき、絶景を楽しんだ後に喫茶店に入ってコーヒーを飲んだが、その際にガイドに今日中に車でダーリジンまで下りたいということを告げる。当初の予定どおりにプルートまで尾根伝いに歩けば20キロほどはカンチェンジュンガに近づくことになるが、景色自体はここからと大差ないだろうとし、概ね平坦とはいえ20キロも歩くのはしんどいし、翌日以降も1000メートル以上も下降しなければならないのはたいへんである。車のチャーター代をガイドに聞くと、一万円くらいだと言ってたのが、本部に電話で確認したら、当初に払い込んだ料金でカバーされるということで良心的な旅行社である。

9時ころにジープは出発したが、まるで崖を下るようなスリル満点なドライブである。500メートルほど高度を下げたところで、ようやく普通の山道になり1時休憩となる。その後も舗装路(と言ってもあなぼこだらけだが)になってもスリルのある道が続く。ようやく谷間近くまで降りて旅行社の車に乗り換えてダージリンに着く。

ダージリンではとりあえず初日に泊まったホテルにまた泊まることにする。ダージリンでは最終2日間はスパの予約をしてあるので、その間は市内見学でもするつもりだが、早めに降りてきてしまった2日間をどう過ごすかが問題だ。当初はシッキムのガントクにでもいこうかと思ったが、シッキムの入域申請手続きがなかなかたいへんそうだし、許可がおりるまで結構時間がかかるとのことなので、それほどまでして行く価値がありそうにもないし、むしろ、許可のいらないカリンポンにでも行ってみようかとも思っている。

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2026年1月14日 (水)

ブータン旅行記

1月11日

 

パロ空港に向かえに来てくれたガイドとともにパロ郊外の博物館に向かう.。博物館の内部は撮影禁止で外観しか写せず、この後も似たような所にたくさん行っているので、何があったか全然覚えてない。ガイドは仕事熱心で詳しくてくれているようだが、ガイドの英語は半分も聞き取れない。だた面倒なので、重要と思われること以外は聞き返さずにわかったふりをしている(重要なことは翻訳アプリで確認)。

 

その後、ホテルに移動して旅装を解く。夕食までしばらく時間があったので、パロの街を散策する。小さい街だからと油断してたら見事に迷ってしまったが、夕食時間までには戻ることごできた。

 

夕食はホテルのレストランで食べたが、骨付きチキンの唐揚げとヤクの焼肉(固かった)、それに各種の野菜料理だったが、スープが少し辛かった以外は日本人の口にも合うものだった。

 

ホテルはWiFiが良く効くので、インターネットは日本と同様に利用できるし、NHKプラスで地上波も見られるので退屈することはない。こうしてブータン1日目は過ぎていった。

 

 

1月12日

 

ホテルのレストランで洋食スタイルの朝食を食べて9時に出発する。最初は山の上にある大仏を見てから
動物園に行くが、広大な敷地はフェンスで囲われているが、中にいるのは鹿か牛と言った珍しくもない動物ばかりで、期待していた雪豹はいないようだった。

 

その後は首都のティンプーを目指して進むが、街を一望できる展望台からのティンプーは人口も10万程度なので、小ぢんまりした街である。

 

ティンプーの街に降りてレストランでビュッフェスタイルのランチを食べるが、テーブルにメニューがあっとので見てみると、円換算して約2倍とすると、日本の物価よりもだいぶ安いようである。

 

午後におとずれたのは体験型の民族博物館で、様々な生活用具に触れたり、民族舞踊を見学したりして、最後はブータンの伝統競技であるアーチェリーの試射(全然的外れだったが)も楽しんだ。

 

その後はホテルに移動したが、ホテルは中心街からは少し離れた街外れにあったので、居酒屋に行くことはできずに本日は休肝日となってしまった。

 

1月13日

 

本日は古都のプナカへの移動である。標高差1000メートルほど登るとチベットとの国境付近のヒマラヤの高峰が見えてくる。しばらく写真を撮ってからプナカに下るが、こちらは標高差で2000メートル近く下るので、降り立つとティンプーよりもだいぶ気温が高く感じた。

 

プナカのレストランでランチを食べたが、今日はビュッフェスタイルではなくオーダー方式だったので、焼きそばとビールを注文したが、ビールも少し辛いように感じた。

 

午後は寺院見物と名物の吊り橋を渡ったりしてホテルに入ったが、ホテルは小高い丘の途中にあったので、今晩も夜の街に行くことはできなかった。

 

1月14日

 

本日はパロに戻るのだが、途中ほとんど寄り道しなかったので、昼過ぎには戻ることができた。パロのレストランでビュッフェスタイルでランチを摂ったあと、ブータンの民族衣装をまとって写真を撮り、その後にまた街のはずれの寺院に寄ってからホテルに向かった。さいしょに泊まったホテルと同じで、街にも近いので、夜のブナカにも出てみよう。

1月15日

本日はブータン観光の最大の目的であるタクツァン僧院に向かうほどである。ホテルから30分ほどのドライブで登山口に着く。ここから僧院までの往復は標準タイムで5時間ほどとなっている。最初から急登が続いて高度は順調に稼げる。僧院までの標高差は約700メートルで2時間半ほどでその高さまで到達したので、意外に早く到達できるかと思ったが、そこから僧院までは登り返しがあったので、結構時間がかかってしまった。おまけに登りが自分としてはややオーバーペースだったのか、高度のせいなのかはわからないが、僧院までは意外と時間がかかってしまった。僧院に着くと、すぐに下山したかったのだが、あちこちにある建物の仏像をガイドは案内して英語で説明を始めるものだから、ほとんど内容を理解できないまま時間が経過するのを待つしかなかった。

やがて、仏像の参拝も終わり往路を戻ることになったが、登り返しは完全にバテていて辛いものだった。なんとか下り道に戻れると、また元気になって最近の自分には珍しく先行者を次々と抜いていくことができた。このまま登山口まで降りることも不可能ではなかったが、途中にタクツァン僧院を真正面に眺められる展望台に食堂があったので、ランチを食べながら僧院を眺めることができた。

空腹を満たしてから下山を再開すると間もなく登山口に着き、そこからホテルに車でもどったのは1時過ぎで夕食までは時間がだいぶあったので、街を散策しながらビールが飲める店を探した。ところが他の街でもそうだったが、ブータンには外で飲酒するという習慣がないのか、居酒屋風の店はなかった。またブータン風の食べ物はイヤだなと思っていたらモモ(インドやネパールでは人気のある一種の餃子)がメインの店があったので、それにラッシー(インド等で人気の清涼飲料)をつけて注文した。久しぶりの非ブータン料理はうまかった。

夜も街に出てブータン最後の夜をたのしみたかったのだが、寒そうだったので、前夜に続いてホテルで過ごすことになってしまった。

1月16日

本日はブータン最終日で、当初は空港に戻るだけだったが、フライトは夕方でどこにも行かないのはもったいないので、ガイドの提案でブータンでもっとも人気のある7千メートルであるチョモラリを眺めにチェラ・ラ(ラとは峠のこと)まで車で行くことにした。往復5時間の行程と聞いていたが、が、実際は片道で2時間もきらずにチョモラリの大展望を楽しむことができた。帰りは空港近くのレストランでランチを食べた後に空港まで送ってもらった際に、予定外のドライブをしてくれたことへの感謝もこめて、ガイドと運転手にはたっぷりとチップをはずんであげた。ブータンではほとんど使い途のなかった現地通貨かたくさん余ってしまったからという面もあったが

早めに空港に着いたので、時間を持て余してしまったが、ろくな土産物もなく、酒が飲める所もなかったので、時間を空費するしかなかった。まあ、これで念願のブータン旅行を終えることができたので良しとしなければないだろう。

 

 

 

 

 

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2026年1月13日 (火)

ブータンへのアプローチ

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ヒマラヤは過去10回ほど訪れているが、ブータンはまだ訪れたことがなかった。それは旅行が完全自由化されておらずに全てガイド同行で、旅行社に支払う料金の一部は環境や福祉の名目で国に吸い取られるので、旅行費用が他のヒマラヤと比べてとても高いため、自由化されるのを待っていたのだが、待ちきれなくなって出かける決心をした。

1月10日

ブータンまでの直行便はないので、デリー、カトマンズ、バンコク乗り継ぎとなるが、便数や料金(他のヒマラヤ圏よりも割高だが)からデリー経由とし、デリーまでも直行便よりも安いスリランカ経由のものとした。

フライト3時間前に成田空港に着き出発までを待つ。三連休の初日だが、さすがにスリランカまで行く日本人はいないようだ。機内は満席に思えたが、隣席の人が後部座席に空席を見つけたのか移動してくれたので窮屈な思いをせずに助かった。

10時間のフライトで夕方のスリランカ首都のコロンボに着いたのは夕方であったが、さすがに緯度が低いだけあって20度以上あって暑いくらいであった。

乗継時間が6時間近くあったので、プライオリティパスが使えるラウンジで時間を潰す。ラウンジの滞在上限の3時間近くなったのでロビーに戻ったが、電光掲示板のデリー便はまだ搭乗口が決まってないようだが、出発時間は1時間近く遅れるとの表示であったので、ロビーのいすで時間を潰す。

1月11日

日付が変わってようやく搭乗口が決まったようなので移動するが、その後も出発時刻や搭乗口がたびたび変わり、うっかりしていると乗り過ごすところであった。

結局、当初よりも9時間遅れてデリー便に搭乗できたが、出発は2時を過ぎており、ほとんど眠れないままにデリー空港に着く。

ブータン便は6時間後なので、チェックインカウンタも決まっておらず、またもや時間待ちである。ようやくチェックインが出来てラウンジに向かうが、全くショボいラウンジで1時間ほどで退出し、搭乗口の待合室で時間を潰す。

ブータンのパロ空港への飛行機は窓際の席だったので、ヒマラヤの眺めが得られてラッキーだった。パロ空港は谷間にあって危険な空港と聞いていたが、それほどのこともなかった。

無事パロ空港に着陸してブータンの土を踏むことができた。延べ36時間の行程であった。空港を出るとガイドとも会えてブータンの旅が始まることになる。

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2026年1月 1日 (木)

神奈川百名山の三山を半日で

1月1日

 

2,026年の新年イベントは神奈川県100名山のうち三浦半島の先端近くにある100〜200メートルほどの三山(三浦富士、武山、仙元山)を登ることにした。JRは終夜運行を行っているが京急は行っていないので、京急の始発に合わせてJRの終夜電車に乗るとなると、自宅を3時頃に出発せざるをえず、待ち時間が長過ぎる気がしたので、途中の渋谷あたりまでは自宅から歩いて新年気分も味わうことにした。

 

自宅を零時に出て除夜の鐘を聞きながら、まずは自宅近くの神社前を通ると、初詣の行列が境内をはみ出して道路のかなり先まで続いていたが、こんな所で時間を無駄にしたくないので、行列の端までは行かずに、一路明治神宮を目指すことにした。

 

明治神宮に着いのは2時半だったが、以前に0時直後に来た時に見たような長蛇の列はなく、横に並んだ賽銭箱の後ろにそれぞれ数10人が並んでいる程度だったので、30分も待たずに終えられそうだったが、天皇家と縁の深い明治神宮を参拝するする気にはならずに素通りしたので、渋谷駅には3時過ぎに着いてしまい、品川駅では始発電車を1時間近く待つ羽目となってしまった。

 

初日号と名付けられている始発電車は6時過ぎに三浦富士の最寄り駅に着いたが、下車するのは私以外はほとんどなく、満員のまま出発する。終点の三崎港までは内陸部を進むので日の出を眺める場所はないはずたが、皆はどこに行くのだろう。

山頂までは標高差で200メートルもないが、日の出の時間が迫っているので気が急く。急いで頂上に着いてみると、既にかなりの人出があったが、雲が水平線上に垂れ込めていて初日は不満足なものしか見られなかった。

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次のピークの武山までは標高差が少なく1時間足らずで着くことができた。ただ山頂と覚しきあたりには標識はなく、その代わりに武山不動という寺院があったので、とりあえず初詣を行ってから下山することにした。
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最後は逗子駅近くにある仙元山まではバスで移動する。仙元山は標高差が100メートルちょっとなので、ほどなく山頂と覚しき地点に着いたが、ここにも山頂の標識が見当たらない。もう少し先まで行ってみるが5万図と対比してみると、明らかに山頂を通り過ぎていることがわかったので、さきほど通過した最高点を頂上と考えて、それを越えてバス停まで一気に下山して、逗子駅まで移動して帰宅したが、低山とはいえ神奈川百名山の三山を午前中に終えることができた。

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