歩き

2023年1月14日 (土)

坂東33箇所札所巡り 33番那古寺

坂東33箇所札所巡りは以前に1番から33番まで回っているし、これに四国88箇所、西国33箇所、秩父34箇所を加えた188箇所は全て回っているのだが、秩父を除くと他は一筆書きで回っていないので、自宅から比較的近い坂東だけは一筆書きに挑戦しようと思い立った。ただ一筆書きといっても、連続して回るわけではなく、近場は日帰りで、遠方は数日間をかけて歩いて、前回の終了点からスタートするという擬似的な一筆書きである。

 

札所巡りの順番は前回とは逆に33番から後戻りすることとし、寒気の厳しい冬場は関東南部を、気候の温暖な春秋は関東北部を歩いて(夏場はどこでも暑いのでお休み)、1年間で終わらせる計画である。33番から32番までは70キロ以上あって数日間の行程となるので、途中の温泉で妻と落ち合うこととして家族サービスも兼ねることとした。

 

初日は早朝の電車で房総半島の南端付近を目指すのだが、途中の乗り換え駅で寝過ごしてしまい、乗り換えに失敗して1時間ほど時間を無駄にしてしまい前途多難を思わせるスタートとなった。気落ちを切り替えて那古船形駅で下車して33番札所(那古寺)に向かう。ここは駅から15分ほどの至近距離にあるが、こんなに駅から近い札所は湘南地区にある札所と都内唯一の札所である浅草寺くらいである。

 

今回の札所参拝で今までと異なるのは、御朱印をもらうことにしたことである。御朱印をもらうには3時くらいまでに目的の寺に着いていなければならないので、日程の余裕のなかった今までの札所参拝ではパスしていたのだが、今回は日程に余裕を持たせて「正式」の札所参拝をしてみようという気になったのである(年のせいかな)。
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那古寺からは進路を東にとって房総半島を横断して外房を目指す。半島は海岸線以外は丘陵地帯となっているが、高度自体は低いので比較的平坦な道が続くので楽である。数時間は歩いて前方に外房の海が見えてきた時はさすがにホッとした。

 

外房に出ても今夜の泊まり場である安房鴨川まではまだ遠い。水平線に日が沈んで夜間歩行となってしばらくすると、妻から連絡があり夕食時間間に合うようにと催促を受ける。やむなくジョギングモードに切り替えたので夕食時間には間に合ったが、その際に古傷のくるぶしを少し痛めてしまったようである。
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翌日の宿は同じ鴨川市内ではあるが少しグレードアップしたので、滞在時間を長くしないと勿体ないということで、歩くのは早めに切り上げて宿に入ることにした。当初は勝浦あたりまで行くつもりだったが、昨日の最後のジョギングで足を痛めたため安房小湊までしか行けなかった。

 

最終日は安房小湊までバスで戻り、日蓮上人生誕を記念した誕生寺を訪ねた後に房総半島を北上して次回の32番札所の最寄り駅となる三門まで30キロ近くを歩いた。
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2022年12月12日 (月)

英彦山

九州の二百名山で唯一の未登となった英彦山を登るために早起きして何本もの列車を乗り継いで最寄り駅の添田に向かう。乗車した列車が走った区間はほとんどが未乗車区間だったので一石二鳥だった。実は元々の最寄り駅は彦山駅だったが、数年前の水害で日田彦山線が添田~日田が不通となってしまったため(同路線は以前に完乗済)、現在は添田駅が最寄り駅となってしまったため、登山口までは12キロもあることとなり、疲労の蓄積も考えてタクシーを利用することを予定していた。ところが、添田駅に着いてみると不通区間は代行バスが走っているというではないか。これならば彦山駅から登山口までの距離は8キロ程度なので自転車で行くことにした。

 

登山口までの勾配もそれほどキツクはなかったので苦労はしなかったが、苦労したのは登山口を見つけることであった。登山口の表示は一切なく、英彦神社関係の○○宮という表示ばかりだったので、どこを登ればいいのかさっぱりわからない(後でわかったのだが、もっと下のロープウエイ横の参道がメインの登山口のようであった)。少し上まで行った所にキャンプ場があったが、今は閉鎖中で誰もおらず道を聞くこともできず、あきらめて少し下に戻ると車が何台か停めてあるので、このあたりが登山口かなと思って登り出すと神社に出て、大勢の人が正月用のしめ縄を作っていた。

 

ここからようやく登山道となるが、今回登る英彦山は標高も1200メートル以下と低く、今回登ってきた四国九州の二百名山と比べると奥深くもないせいか、全くファイトが出ず、あえぎあえぎの登りとなる。これではいかんと早めのお昼をとるとようやく元気が出てふだんの登りができるようになる。ところが、頂上直下で登山道にローブが張ってあり、「作業中のため通行禁止」と書いてある。「ここまで登らせておいてそれはないだろう」と自己責任で登りつづけることにする。頂上まで着いてわかったのは、頂上の社が倒壊の危険があり、人が社に立ち入って事故が発生するのを避けるために通行禁止としているらしいということである。社のある北山よりも若干高い南山を往復してから同じ道を下山する。
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添田までは代行バスを利用せずに直接降り、福北ゆたか線、若松線(いすれもかつては筑豊本線と称していた)と乗り継いで、九州地方の二百名山とJRの路線の全てを終わらせて関門トンネルをくぐって九州を後にした。本当は関門トンネルは歩きと自転車で通過したかったのだが、時間が遅くなってしまったために断念した。ただ夕方から激しい雨が降ってきたので、時間があつてもトンネル通過の前後が厳しかったかもしれない。

 

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2022年12月 5日 (月)

大崩山登頂

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二百名山リベンジの第二弾は大崩(くえ)山である。9月には台風直後の増水で沢を渡れず敗退したが、'今の時期ならば水量は少ないものの水が冷たいだろうから、コースは荒れているらしいが徒渉のない二枚ダキコースを選んだ。また前回は延岡駅から登山口までの30キロ近くを自転車で漕いで登り、その先の無人小屋で一泊してから翌日に登りだすつもろだったが。今の時期に無人小屋に一泊すると荷物も重くなり自転車で行くのは大変なので、行きはタクシーに自転車を積み込み,、帰りは自転車でという日帰りの計画を立てた。


朝のタクシーで1時間ほどで登山口に着くと、数台の車が停まっている。こんな時期でも結構登る人がいるのは予想外だった。先行パーティーがいるということで前回と同じコースにしようかと心が動いたが、やはり当初予定通り二枚ダキコースを登ることにした。

二枚ダキコースの登山口までは林道をもう少し進まねばならないが、しばらくは舗装されているので自転車を組み立てていると、時間を置かずに二台の車が二枚ダキコースの登山口方面へ去っていく。めったに登られない二枚ダキコースに先行パーティーがいることになるとは驚きである。林道の舗装状態が悪くなる手前に車二台が止めてあったが、うち一台は北海道ナンバーであった。

林道の未舗装部分や登山口から先の沢の登路はネットに書かれているほど悪くはなくマーキングもしっかりしていて、念のために用意した赤布も不要だった。ただ沢の上部でルートを誤りガレ場に出てしまい、少し苦労した。


尾根に出ると踏み跡がしっかりしているせいか。マーキングがほとんどなくなったが、せっかく持って来たのだからと、一定間隔で赤布をつけていった、いつすれ違うかと思った先行パーティーとは出会うことなく山頂に着いてしまったので周回コースを行ったようである。また小積ダキからの登山者と山頂で会うこともなかった。


下山に移ってすぐに自分がつけた赤布とは違うマーキングが立て続けに現れたので変だと思って磁石で確認ずると、隣の尾根を降りていることがわかり、山頂に戻ってから正しい尾根を下った。間違った尾根は二枚ダキコースよりもさらに人が入らないコースのはずなのに、あんなにマーキングがしてあったのはなぜだろう。なお下りはGPSとにらめっこしていたし、踏み跡もしっかりしていたので迷う心配はないのだが、それでも自分がつけた赤布を見つけるとほっとするのは妙なものである。

沢の降り口はGPSを頼りに下って行ったので、登りの時のような悪い箇所に出ることもなく、暗くなる前に林道に降り立つことができた。ただ自転車の所に戻った時は真っ暗になる直前であった。さらに、そこからホテルまではなんと四時間もかかってしまった。

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2022年12月 2日 (金)

尾鈴山登頂

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今日からは9月に台風で登れなかった二百名山のリベンジである、。まず最初は都農駅から25:キロ近く離れた所に登山口のある尾鈴山である。タクシーの利用も考えたが、遠方から呼ばなければならないし、次に登る予定の大崩山はタクシー利用を予定しているので、今回は自転車を利用することにしたが、登山口手前の数キロまでは舗装されており傾斜もきつくはないので、順調に来られた。

 

登りだしたのはお昼を回っていたが、一合目ごとに標識があるし道もよいので苦労せずに三時半には登頂する。途中で下山してくる3人パーティーとすれ違ったが、他の登山者と会うのは四国の山も通じて初めてある。めずらしく頂上で長居してから下山したが、暗くならないうちに登山口まで降りることができた。もっとも林道を歩いている途中で暗くなり、最後はお決まりのナイトサイクリングとなる。

 

残されたリベンジの山は大崩(くえ)山だが、初日の東海自然歩道以来、休みなく1週間連続して行動して疲れが溜まっているし、大崩山の二枚ダキコースは道が良くなく長丁場となりぞうなので、山行前日は完全休養して英気を養うこととしたい。

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2022年11月30日 (水)

四国の二百名山登頂

東赤石山の登山ルートをネットで調べると南側からのものばかりだが、南側からだとマイカーが主体てバスは本数が少ないため利用しづらい。北側からも地図には道が出ているので登れないことはないだろうが、最寄り駅の関川から登山口までの15キロの道がどこまで舗装してあるかは事前には調べられなかったので、出たとこ勝負となる。

 

関川駅から上り坂となるが、このくらいの傾斜ならたいしたことはないので、登山口までこの程度の坂ならいいなと思っていたら、五キロ程度進んだ所で舗装が途切れ砂利道となる。登山口までは倍以上の距離をあ歩かなければいけないのでガツカリする。歩きだしてすぐの所に水場があったので肩からぶら下げているボトルには水を入れ粉末スポーツドリンクを加えたが、ザックの中の水筒は次の水場で休憩がてらにザックを下ろした時に入れればいいやと考えてそのまま歩きだす。ところが、次の水場はないままに登山口まできてしまう。稜線上には水場はないたろうから、このままでは水不足となることは目に見えている。こかで地図を見直すとコースは稜線通しに行くものの外に、左側から回り込んで稜線に達するコースもあることに気づいた。こちらの方は途中で沢を横切っているので水を補給できるし、傾斜が多少緩くなっている分だけ登りが楽に思えた。その割にはコースタイムは10分長いだけなので断然有利に思えた。

 

後者のコースを行くこととして左の林道を進み、そろそろ林道から山道が分かれるあたりまできたが、山道への分岐点が一向に見つからない。だが注意深く見てみると、かすかに踏跡らしきものが見てとれる。ここ以外に登り口はないと判断して登りだすと、踏跡も多少はしっかりしてきた気はするものの、不明瞭であることにかわりなく、標識やマーキングは相変わらず全くない。やがて沢を横切る箇所に出たので水は補給できたが、対岸の稜線に登る道が見つからない。適当に登っていると小尾根に突き上げ、小尾根をしばらく登り続けると稜線に達することができた。
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ここから頂上までは標高差にしてまだ800メートルもあり先はまだ長い。道は四国電力の電線巡視道も兼ねており、一定間隔で鉄塔が立っているので多少は気がまぎれる。道は不明瞭な部分もあるが、マーキングは多少はあり頭上には高圧線が走っているので迷う心配はない。相変わらず急登が続くが、遠くに見えていた権現山から東赤石山に続く主稜線が少しづつではあるが近づいてくるのに気を紛らわす。

主稜線に着いた時には日が東赤石山から左に続く尾根に沈みかけており、日没までに頂上につけるか時間との競争になるが、ここまで来た以上は登り切るしかない。頂上までの道は岩と樹木の入り混じった歩きにくい道で距離の割には時間がかかるが、真っ暗になる前になんとか頂上に到着する。もちろん、こんな時間に他の登山者がいるはずもない。
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長居は無用と下山に移るが、登りでさへ踏跡が不明瞭だったのに暗闇ではライトをつけても踏跡を辿るのは困難なの
で、スマホのGPS対応の地図とにらめっこで、現在位置が登山道を外してたら、コンパスで正しい方向を確認して登山道に戻ることを繰り返したので、迷うことなく登山口まで下りることができた。だが、ここから駐輪してある舗装路の終点までの長かったことといったらありゃしない。

 

自転車を回収してしばらく進むと人家が見えてきたので電波が通じるだろうと思って、今夜の予約したホテルに電話したところ、チェックインは何時でも可能だというではないか。ホテルの最寄り駅である西条までの最終電車は終わってしまっているが、距離的には20キロ程度なので時間にこだわらなければ辿り着けると判断して、ホテル近くまで着いたら電話することにした。

 

国道を西条方面に向かうと道は下り一方になる。楽は楽だが後ろから猛烈なスピードで追い抜いていくので怖くなり歩道に進路を変えると、凸凹があったり雑草が生い茂ったりとスムーズには進めなくなったが、そのうちに旧街道の矢印かあったのてそちらに進むとスムーズに前進できた。旧街道が終わって一般道になると多少迷うようにはなったが、なんとかホテルにたどり着くことができた。実に長い一日だった。

 

翌日は疲れていて8時まで寝ていた。今日は雨が降って休養日とすることを期待したが、残念ながら今日は天気が持ち、明日は荒天になるとの予報なので出発せざるをえない。幸い、今日の笹ヶ峰の登山口はかなり標高が高く、そこから頂上までは5時間で往復できるようなので、ゆっくり出発しても大丈夫だろうと、自転車で遠出してファミレスで朝食をとってからタクシーに乗り込んだ。

 

ここから誤算が始まる。まずは運転手に登山口までは車は入れないと言われる。ネットでは車で入っている記録がたくさんあると言ったら、四駆てないと無理だと言われる。まあ少しでも奥まで入ってもらいたいものだと思ってたら、林道の分岐点の所でここまでだと言われる。別にゲートがるわけでもないし進入禁止の表示があるわけでもないので進めないことはあるまいと思えたが、前に笹ヶ峰に向かった人を乗せた時も、ここで降りてもらったと言うのでやむをえない。ここから登山口まで歩くとなると3時間かかるので時間的にはかなり苦しくなつてくる。

 

傾斜はそれほどきつくはないので急なところだけは自転車を降り、他はゆっくりと漕いでいけば、歩くよりは速く進めそうである。ところが、登山口まで三キロ弱の所から先は舗装のない砂利道となっていたのが第二の誤算であった。ネットの情報でも登山口手前で舗装は終わっているとあったが、こんな下から歩かされるとは思わなかった。1時間ほど歩いて登山口に着いたが、そこからの登りが昨日の疲れで調子が出ず、こんなベースではいつ頂上に着けるかわからないと思えてきた。

 

歩きだすにつれてだんだんと調子が出てきたので、なんとか明るいうちには頂上に着きたいと思ったが、頂上直下で暗くなってしまったので、風の当たらない所で防寒防風の支度とライトを着けて頂上に向かう。頂上は強風が吹き荒れていて、写真を取るや否や(と言っても三角点しか写ってないが)下山に入る。かぜが弱まってきたあたりで考える余裕も出てきたので、今後の進路を登山口までの下山、林道のうち未舗装部分のジョギング、林道の舗装部分の自転車ダウンヒル、国道のサイクリングの四つな部分にわけて時間を計算してみると、今晩のホテル予約してある松山までの最終電車にギリギリで間に合いそうなことがわかった。
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頑張ったおかげで、なんとか最終電車にギリギリで西条駅に着いた時に最後の誤算というかアクシデントが起きた。それは朝荷物を預けたコインロッカーを開けようとしたら開かないのである。業者への連絡時間は過ぎていて明日にまで待たなければならない。これで今日中に松山へ行けないことは確実となった。すぐに松山のホテルにキャンセルの電話を入れ、西条駅前でホテルをさがしたが、幸いすぐに見つかってホッとした。今日もたいへんな一日だったが、四国の二百名山全山登頂を祝って駅前の居酒屋で一人て祝杯をあげた。

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2022年11月26日 (土)

東海自然歩道と本州一周の空白部分を埋める

今回の旅の主目的は大分から長崎までの600キロ走破により2009年から続けてきた日本列島海岸線一周を達成することであるが、副次的にはJR全線乗車達成と西日本の200名山全山登頂達成もある。さらには、前回の旅で東海自然歩道はゴールの箕面公園には到達しているが、時間不足からショートカットしてしまった部分を踏破しておくということもある。というわけで、初日は大阪府の高槻駅で途中下車して、前回、ポンポン山からの下山に際して早く下山し過ぎてしまった出灰までバスで移動して、本来の下山口である原立石まで歩き、そこから東海自然歩道に合流して前回最終日のスタート地点である忍頂寺までの半日行程(のつもりだった)の歩きである。

 

出発地の最寄り駅である高槻へは京都までは新幹線、その後は在来線で行ったが、うっかりして自由席特急券を買ってしまったため、車内の最後尾席の後ろの特大荷物スペースに収容することができずにドアの横に立てかけることになったが、ホーム側のドアに立てかけると出入りの邪魔になるため反対側のドアに立てかけなければならないが、品川と新横浜はどちらが開くか不明だったので、すぐに移動できるように自転車の横で待機し、静岡と浜松は駅の構造上どちらが開くかわわかっていたので、ホーム側と反対側のドア横に立てかけ途中で駅員に聞くと名古屋も同じ側のドアが開くということなので京都まで客室に戻ることにした。

 

京都から在来線で高槻まで移動して、自然歩道に行っている間は自転車は不要なので駅近くの駐輪場に停めておく。駐輪場はレールにタイヤを入れるとロックされて2時間までは無料、それを超えると有料となるタイプだったが、レールに入れるために自転車を組み立て、戻ってから分解する手間が面倒だったので、袋に入れたまま車体を柱に固定して駐輪することにした。駐輪場をケチることが目的ではないのだが、係員に見つかって文句を言われたら料金を払えばいいやということで、前回の出灰までのバス停までバスで移動した。

出灰を出発下のは12時過ぎで、自然歩道との合流点となる原立石までは下りなので2時間もかからずに着いてさまったので、この分では明るいうちにゴールの忍頂寺に着けるかなと思ったが甘かった。原立石からしばらくは自然歩道の案内標があったが、途中からそれも見失いGPS対応の地図に導かれながら進む。峠の手前で自然歩道と合流したが、依然として道は不明瞭で通過に時間を要した。「大阪では東海自然歩道は忘れさられている」という前回の教訓がよみがえってきた。さらに時間が経過して日が陰ってくると、残照が木立に当たる影と赤テープの違いが見分けにくくて進路の選択に苦労する。

 

なんとか暗くなる前に舗装路まで降り立ったが、今日こゴールの忍頂寺までの間には竜王山という東海自然歩道の最後のピークを越えなければならない。前回、自然歩道最後のピークだと思い違いしたポンポン山と比べれば張るかに楽な山とは思うが、暗くなりかけていることもあり、夜道の山越えは時間が読めないこともあり、遠回りかもしれないが、舗装道路を忍頂寺まで行くことにした。忍頂寺までは登り主体となることもあり意外と時間がかかり、最終バスの15分前に忍頂寺バス停にようやくつ着く。忍頂寺自体はバス停からさほど時間がかからずに着けるかもしれないが、真っ暗な中を行っても仕方ないので大人しく最終バスを待つ。

 

バスは高槻よりも少し先の茨木行きなのて、茨木駅のみどからりの窓口が閉まる直前に四国の割引切符を買ってから高槻駅に戻り、夕食と買い物を済ませてから自転車を回収して関西圏での唯一のJR未乗車区間を埋めるために桜島駅(ユニバーサルスタジオ駅の次の駅)に向かう。そこで下車してまた自転車を組み立てて明日乗車する南海なんば駅近くのネットカフェに着いたのは日付が変わる直前であった。

 

翌朝は、本州一周の唯一の未走区間である和歌山のみさき半島周遊に向かう。前回は時間不足でみさき公園から先は電車に乗ってしまったので、そのリヘンジであるが、その前にみさき公園から支線の余奈川までを往復しておく。私鉄の全線乗車まてはする気はないが、乗れる分はできるだけ乗っておこうと思っている。

 

その後は、いよいよ本州一周達成を目指してのスタートである。余奈川までは内陸を行くが、しばらくすると海が見えてくる。海岸沿いの道はアップダウンも少なく快適である。加太は太平洋側にはりめぐされたサイクリングロードの起点となる所だそうで、そのうちの一部は自分も通っているはずである。自転車乗りの聖地のような場所らしくたくさんの自転車乗りが来ていた。
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地図を見ると、海岸線の道はさらに続いているようなので進んでみたが、「私有地のため立入禁止」の表示があったので引き返す。一路和歌山市駅を目指すが、途中から小雨も降りだしたので、雨宿りを兼ねてラーメン屋に寄ったりしてチンタラ々々行く。有吉佐和子の小説の題名にもなっている紀ノ川を渡ると、もう和歌山市駅であるが、まだ1時であり、このまま四国に渡るために港に行くと時間があ早すぎるので加太までの南海電鉄の支線の往復もしておいた。

 

加太から戻ってもまだ1時間以上待ち時間があったので、和歌山城にも行ってくる。和歌山城はだいぶ以前に職場の同僚が和歌山に転勤になった後に和歌山に会いに行った際に行っているはずなのだが、全く記憶がないので二度目であっても新鮮な感じがした。天守閣も登ってみたが、印象としてはあまり堅牢さを感じさせない城であった。石垣の傾斜も緩く簡単に登られそうだし、枡形という敵を四方から攻撃できる通路の造りもないようだった。これは和歌山という位置が対西国外様大名の防衛ラインとしては重要性を欠いていたからかもしれない。
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お城でゆっくりし過ぎたせいか、フェリーへの乗り継ぎがギリギリでヤキモキしてしまった。港までは南海の支線で向かったが、今日は南海電鉄の本線と支線三本を乗車するという鉄チャン顔負けの一日で、夕陽を見ながら和歌山湾を横断するという経験もできて盛り沢山の内容だった。
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明日は西日本の二百名山全山登頂達成の第一弾として東赤石岳を関川駅から自転車も利用して往復するということで、今夜は高松まで移動して明日に備えることにした。

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2022年11月11日 (金)

東海自然歩道 ゴール到達

いよいよ東海自然歩道歩きも大詰めである。今日中に京都を離れて大阪に向かうことになるが、その前に東海自然歩最後の山となるポンポン山を越えなければならない。登山口である善峰寺までは車で行くのが一般的だが、そこまで歩くとなると実に長い。結構な登りで登山口まで着くと、上からどんどん人が下りてくる。登り出すにつれて下りてくる人が減ってくるので頂上にはもう誰もいないかと思ったらまだ結構な人がいたので、そこそこ人気のある山のようである。
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ほとんどの人は来た道をもどるようだが、自然歩道は反対側に向かっているので、また静かな山歩きとなる。途中の小ピークで道は二分するが、コースをよく調べなかったものだから、自然歩道のコースは南の本山寺ではなく西側の尾根を行くものと勘違いしてしまい、そちらの方に進んでしまった。道自体はしっかりしており、赤布やテープもたくさんあって通行に問題はなかったが、自動車道路に降り立つと、予定していた地点よりもだいぶ上流側におりてしまったことに気づいた。コースの取り違えで明日一日でゴールにたどり着くのは難しくなってきたが、どう対応するかは町に下りてから考えることとして、茨木行きのバスを待つことにした。茨木ではゴールが翌日までに近づいたことを祝って居酒屋で一人祝杯をあげる。

 

最終日となるべき本日は昨日の遅れを取り戻すためにコースを一部カットして忍頂寺からゴールの箕面公園を目指すことになった。出発点となる忍頂寺のバス停に下りて戸惑ったのはこれから進むべきコースについての情報(指導標、案内板等)が一切見当たらないことである。仕方ないので、ネットからダウンロードした概略図に従って上音羽方面の道を進もうとしたところ、災害のため通行禁止の立札があり、やむを得ず下の舗装道路を自然歩道との合流点まで歩くことにする(一部はショートカットしたが)。合流してしばらく進むと、道は北摂霊園方面へのものと分岐し、かなりの勾配で高度を稼いでいく。1時間以上登って大阪方面が見渡せる広大な霊園に出る。もうゴールまで登りはないのだと思うとホッとする。ゴールの箕面公園までの延々と続く舗装道路を下って行くとダム湖に着き、グーグルマップでは箕面公園まで500メートルと表示されている。ところが、ここて問題がおきた。グーグルマップでは箕面公園までの道が湖面を斜めに横切るように表示されているが、そんな道はないではないか。そこでオフラインても使えるダウンロード済みの地図で見てみると、湖面を渡った対岸に箕面公園まで繋がる小道が表示されていたので、やっと公園まで辿り着ける目処が立った。

 

公園に着いて驚いたのは東海自然歩道についての表示が一切ないことてある。グーグルマップでは東海自然歩道 西の起点と表示されているのに現地では完全に無視されているのである。そういえば、大阪府に入ってから、自然に関する表示がほとんどなくなっているのは、大阪人にとっては自然歩道は関心の対象外からだろうか。
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西の起点というからには、これから先はさほど歩くないだろうと思っていたら、最寄り駅までは下りながら10キロ以上歩かなければならないし、近くのバス停としては30分ほどの緩い坂を登らなければならない。究極の選択を迫られたが、後者を選択することにした。最後の頑張りで勝尾寺のバス停についてみると、平日は一日三本しかなく次のバスまでは2時間以上待たされるうえ、あたりには人家もなくて飲食もできないことがわかりガッカリする。最後の最後で自然歩道から冷たい仕打ちを受けた気がしないでもないが、4年間の頑張りをたたえるのは大阪の街におりてからにしよう。

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奈良・京都旅行+東海自然歩道

コロナでのびのびとなっていた夫婦での奈良・京都旅行がやっと実現した。

初日は奈良に行く前に東海道五十三次で最も宿場町の町並みが良く保存されている関宿に立ち寄った。10数年前の

五十三次を歩いた時は日程の余裕がなかったので観光する余裕がなく通り過ぎただけだったし、今年歩いた東海自然歩道の鈴鹿峠越えの後に食料調達のために峠下から関駅までバスで往復した際には、目と鼻の先にある宿場跡には立ち寄ることさへなかったが、今回は資料館立ち寄ったり、宿場沿いの店で食事をしながらじっくりと宿場巡りを楽しんだ。
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奈良に着いてからは定番の寺社巡りに行くのではなく、最近になって復元が進められているという平城宮跡を見に行った。奈良の寺社巡りは中学校の卒業旅行以来、何度も行っておりめぼしい所はだいたい訪れているが、その頃はまだ平城宮跡の復元は行われておらず、復元後の状況をぜひ見たいと思ったからである。

実際に行ってみると復元されているのは朱雀門と大極殿だけで他は手付かず状態なため完全復元には相当時間がかかりそうで、多分自分が生きてる間は無理だろうが、それでも平城京の昔に思いを馳せるには十分であった。一通り見終わって宮跡の北端まで来ると、そこから今日のホテルまでは30分ほどの歩きの距離だったので、来た道を戻らずにホテルを目指す。

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ホテルで小休止の後に奈良の中心街に向かう。駅近くの繁盛店での夕食後にライトアップされている(はずの)東大寺に向かうが、全く明かりがついてない。ネットで調べてみると東大寺がライトアップされるのは土日だけということであった。さらに調べると近くの興福寺は金曜日の今日がライトアップされることがわかり、そちらに移動したところ期待したほどではないにしろライトアップはされてたので来た甲斐はあったということで宿に戻った。
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二日目は京都へ移動したが、JR奈良線の沿道には見所がいくつかあるので途中下車して観光していく。まずは平等院鳳凰堂である。中学の卒業旅行で行ったような気もするが、記憶が定かではないので寄って行くことにした。建物内部に入るには別料金が必要な上に2時間待ちだということで止めたが、正面からの鳳凰が翼を広げた姿を見るだけで十分である。資料館にも立ち寄ったが、名前の由来として聞いていた「建設資金の一部を寄付に頼ったが、寄付の多寡にかかわらず平等にご利益があるから」の説明がなかったのは、現世過ぎるからか

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次は伏見稲荷に立ち寄ったが、電車が駅に滑り込むとホームは乗り込もうとする乗客で立錐の余地もないほどだ。聞

いていた以上にすごい人気だ。外国人も多かったが、ゼロコロナが解除されて中国人も来るようになったら、どんなことになるのだろうか。それはともかくとして、外人にまじつて?赤い鳥居をくぐって行くが、鳥居の列はエンドレスのように続くので、適当な所で切り上げて京都駅に向かう。
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京都のホテルには早めに着いたので、夕食までの時間に前から行ってみたかった三十三間堂に行ってくる(妻は行ったことがあるので留守番)。近場ということで行きは歩いて行ったが、クローズ30分前に着き一通りは見られた。やはりなかなかの迫力である(建物内部は残念ながら撮影禁止)。その後、妻と駅地下のお店に行き京料理を食べる。もっと薄味かと思ったら、しっかりした味付けであった。

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妻と一緒の旅行も最終日である。今日は紅葉目当ての比叡山である。京都の紅葉は代表的な嵐山をはじめとして11月下旬が見頃であるが、比叡山は標高があるだけに一月ほどは早いようである。京都からの比叡山は、バスとケーブルを乗り継いで最後は若干の歩きだと思っていたら、山頂まで直通のバスがあったのは意外だった。

比叡山の中心的存在である根本中堂は数年前に訪れた時と同様に修復中で建物全体に覆いがかけられている。以前の姿に戻るにはまだ数年かかる見込みだが、原寸通りに戻すには緻密な作業が必要なので時間がかかるのだろう。あたりの紅葉は思ったほどではなかったし、帰りのバスの本数も限られていたので、妻は早めのバスで帰ってしまい、ここからは一人旅となる。

ここから比叡スカイラインを横に見ながら主稜線に沿って横川中堂まで続く道は以前に一度歩いているのだが、仰木峠から大原まで下りる東海自然歩道につなげるためには重複とはなるが、歩かなければならないのだ。途中、東塔さらには西塔あたりはかなり紅葉が見事で、妻に見せられなかったのは残念だった。西塔を過ぎるとめっきり人は減り、トレランコースになっているので、練習する人がたまに通る程度である。

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大原にはなんとか明るいうちに下りられ、自然歩道は三千院や寂光院もコース途上にあるので、寄り道をしていく。三千院は以前のブームも去って静まり返っていると聞いていたが、どうしてどうしてなかなかの人出である(昨日の伏見稲荷ほどではないが)。三千院の入口にはクローズの30分ほど前には着いたが、案内図を見ると敷地はかなり広くて短時間では回れそうもないので、入場料を払うこともあるまいと入り口で引き返すことにした。自然歩道は寂光院にも立ち寄ることになっているので向かうことにさたが、着いたのはクローズ時間直前だったので素通りする。

その後はライトをつけて江文峠と竜王坂を越えて鞍馬寺の下に着く。門はないので入ることはできるが、真っ暗のなかを参拝してもしょうがないので(牛若丸なら天狗とあそぶのだろうかが)、今夜は市内に戻り明日出直すことにした。

翌朝戻ってくると、まだ早い時間なのに結構大勢の参列者が階段を登っている。小高い所にある鞍馬寺まで登ってから来た道を戻って二瀬まで下りる。峠を越えて金閣寺の北を回って京都市の北部を西に進んで行く。さらにもう一つの峠を越えて北に向かうと舗装道路と合流して進路を南に変える。しばらく歩くと高雄に着くが、有名な観光地だけに人出が多くなる。あたりは暗くなってきたが、今晩中に嵐山まで下りたいので先を急ぐ。清滝もただ通過するだけで景色もわからずに嵐山に着くが、このあたりの紅葉の見頃は11月下旬らしいので、いつか出直すことにしよう。

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2022年10月27日 (木)

会津朝日岳

本日の目的地の会津朝日岳は先日の御神楽岳よりも登山口からの標高差で200メートル以上多くあるが、登山口までは自転車で行けそうなので、歩く時間は短くて済みそうだ。

 

6時にキャンプ場を出て8時前に登山口手前のそばの店に着く。ここから登山口までは400メートルほどだが、砂利道となるため自転車を置いて歩き出すのだが、舗装道路の最後の所で前輪の空気が急に抜けてしまう。パンク修理には多少時間がかかるため下山してからすることにした。そば店は9時~16時営業とのことなので、頑張ればそばを食べてから修理すればいいやと、この時は思っていた。

 

登山口まで歩いていると、登山者の乗った車1台に抜かれる。登山口から登り出すと、しばらくして後続の登山者に立て続けて抜かれる。どうも私とは歩くスピードがかなり違う。連日の行動による疲れでスピードが出ないこともあるが、残念ながら加齢による体力低下があること否めないだろう。普段は出発時間が遅いことが多くて他の登山者と登山口付近で出会うことは稀だが、今回のように出発時間が他の登山者と近いと自分の体力低下を意識せざるをえない。

 

登山口からは赤倉谷を進むが、沢を離れてひと頑張りすると稜線に着く。ここから山頂までの標高差は300メートルちょっとなのでもう少しと思ってしまったが、少し登った叶の高手からは100メートル以上下降してから登り返すことになるので、意外に時間がかかってしまう。そのうちに先行していた登山者が次々と下りてくるので、思った以上に差がついてしまったことに気付く。

 

やがて眼前に朝日岳の堂々とした山容が見えてくるとファイトが湧いてくる。最後はちょっとした岩場を登り切ると絶頂に達する。三角点は稜線を少し北上したところにあり、到着したのは2時だったのでソバは諦め、次の目標は暗くなる前に自転車の所まで下りてパンクを修理することであった。
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下山を始めてしばらくして避難小屋の横を通ると人の声が聞こえてくる。多分、早朝に登山口を出たのであろう私と同年輩の登山者二人と頂上直下ですれ違ったので、そのふたり連れは下までは下りずに小屋泊まりとしたのだろう。

これが年相応の山登りなのかとは思いつつも、なかなかそこまで思いきれない自分であった。

下りは同じ道を下りるだけなので、迷うこともなく登山口に着いたが、すでに真っ暗となっていた。ライトの明かりでパンク修理するのは嫌だなと思いながら自転車に近づき、もしやと思って前輪に空気を入れてみると空気漏れしないではないか。そのまま暗闇の中を1時間ほど自転車を漕いで県道に出れたのは奇跡に思えた。少し先のコンビニにはまだ明かりがついていたので飲食物を買って店を出ると、まだ7時を少し回った時間だというのにコンビニの明かりは消えてしまった。タッチの差で間に合ってラッキーだったが、もし間に合わずに只見の町まで行ってもコンビニは閉まっている可能性が高かっただろう。今日は最後になって幸運の女神が微笑んでくれたようだ。

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2022年10月25日 (火)

八十里越え断念

八十里越とは古来より越後と会津をつなぐ峠道であり、長岡藩家老の河井継之助が官軍との北越戦争に敗れて会津に落ちのびるために越えた峠として司馬遼太郎作「峠」に登場して知られており、最近では同名の映画も上映されている。実際の距離は30キロ(約八里)程度だが、険しい難路で実際の距離の10倍に感じることから名づけられたとされている。私も今春に300名山の粟ヶ岳を登った帰りに越後側から八十里越えを目指したが、思った以上に時間がかかって断念してしまった。

会津側から登った方が距離が短いようなので、今回只見方面に来たのを機会にリベンジすることにした。

問題となるのは、八十里越えの道が地図上では確認できないことである。国土地理院の五万図では峠を越える赤色の道路が記入されているが、これが建設中の国道と関係あるものかどうかは不明である。また古道というのもあるようだが、地図上には記入されてないので詳細は不明である。また越後側から会津側へ八十里越えを行った記録がネット上ではいくつか見られるが、只見方面に下降するあたりの記述としては「建設中の国道に降りてしまった」程度のもので、全然参考とならない。
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今回はさしあたり、地理院五万図の赤色の道路を行くことにした。グーグルマップでは、叶津の少し先から道が細くなっているので多分そこにゲートがあるのだろう。ネットの情報ではゲートの先にも開放前の国道が延びているとのことなので、自転車ならば前進できるだろうと考えた。

起床時に自転車を点検すると後輪の空気が完全に抜けている。一ヶ月ほど前に酒田の手前でパンクしてチューブ交換したばかりなのに‥‥、古いチューブを使ったからだろうか?いやな気分でキャンプ場を出ると、叶津の少し先に浅草岳と八十里越え古道の登山口の標識があった。心が動いたが、前日訪れた河井継之助記念館にあった八十里越えの概念図では古道は現在では廃道と書かれていたので無視することにした。

未解放ながら完成済みの国道は川沿いに地図上の赤色の道を辿っていたが、トンネルの部分だけは川沿いの赤道とは離れていた。いくつかのトンネルを過ぎて五万図を確認すると、赤道は川を離れて尾根を登っているのに、国道は川沿いに続いているのだった。

そこでやむをえず戻ってトンネルの手前から赤道上のあたりを登り出した。ところがいくら登っても踏み跡は皆無で、人が立ち入った形跡もない。そこで前進を断念して先程の古道登山口まで戻ることにした。

浅草岳登山道と古道は同じで歩きやすい道だった。快調に鞍部まで登ると、浅草岳山頂付近までは明瞭な登山道があるのに反し、八十里越え方面と思われる沼の平に至る標識のある道はロープが張ってある。それを無視して前進すると道が二手に分かれて、いずれにもロープが張ってあって立ち入り禁止となっているが、左手の道は不明瞭だったので右手に進むと、次第に下って行き朝登りかけた地点の方へ降りるようであった。午前中から降りだした雨もひどくなってきたので前進を諦めて来た道を戻ることにした。
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只見の町に戻って、夕食を食べようと飲食店を捜したが、只見の夜は早く(というよりまだ薄明るかったのに)、「本日は閉店しました」の店ばかりであった。やむをえずコンビニ弁当を買い、ついでにつまみだけ買い、ビールはキャンプ場の管理棟の自販機で売っていることを思い出して買わずにキャンプ場に戻ったら、7時を少し過ぎただけなのに管理棟には鍵がかかって入れなかった。町に戻っても24時間営業のコンビニではないので閉まっている可能性もあり、酒なしで我慢することにした。ついてない1日であった。

八十里越えは越後側から泊まりで行うのが一般的のようなので、機会があったらやってみたい。

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