歩き

2024年4月20日 (土)

関東ふれあいの道東京都編踏破達成

関東ふれあいの道のうち東京都編は南米に行く前に終わらせるつもりだったのだが、二区間が残ってしまったので、1日で両区間を歩いてしまって東京都編を終わらせるつもりだ。JR中央線、五日市線と乗り継いで五日市駅から始発バスで上養沢に向かう。途中で後ろの座席でクライミングの話が聞こえてきたので、こんな所に岩場があったっけと思ったら、彼らは曽郷里橋のバス停で降りていく。ああそうだ、天王岩はこのあたりだったっけと昔よく登った岩場を思い出した。

終点の上養沢で下車して、しばらくは車道を歩いてから山道に入る。日の出山はすぐだと思ったら意外と時間がかかってしまった。山頂はまだ時間が早いせいか誰もいなかった。日の出山から御岳にかけての稜線は、日本山岳耐久レース等で何回も来ている所だが、桜の咲いている時期に来たのは多分初めてかもしれない。もっとも今日は曇っているので、桜も今ひとつ映えないのが残念である.。


御岳神社の手前で稜線から離れて舗装された道を多摩川に向かって下って行く.。かなり急な道を駆け足で下って行ったので、足に負担をかけてしまい、翌日以降も疲労が残ってしまった。ロープウェイの滝本駅の下から御岳駅に向かうバスが停まっていたが、急ぎ足で行けば時間的には大差はないだろうと思ったが、バスにはすぐに抜かれて30分ほどたってようやく駅に辿り着いた。

御岳の河原にはボルダリングの練習に適した岩が多数あり、以前は冬場になると毎週のように通ったものなので、久しぶりに来て懐かしかったため、ちょっと寄り道してみることにした。一番良く登った溶けたソフトクリーム岩は平日のため誰もあなかったが、凹角やキックマントルといった課題は懐かしく、今はとても登れないか触ってみるだけはしてみた、一番人気の忍者返しの岩は平日だというのに数人が取り付いていて、平日に来るだけあって上手い人が多かった。

30分ほど見物して駅に戻るが、以前はあったコンビニがなかなっているので、食料を買い足すことができない。そこで、唯一営業していたお店でおにぎりを食べてから、関東ふれあいの道東京都編の最後のコースを登り始めることにした。撮影ポイントである棒の峰までは尾根コースと沢コースがあり、以前に妻と一緒に登った時はどちらを登ったのか記憶にないが、多少時間はかかるものの展望が期待できる尾根コースを行くことにした。

稜線上には惣岳山、岩茸石山、黒山といったピークが連なっており、意外と時間がかかる。権次入峠には4時過ぎに着き、ここから棒の峰までは往復30分である。山頂では東京都コース最後の撮影ポイントで写真を撮り、後は河又まで下山するだけである。河又までは2時間ほどの歩きだが、この下りは関東ふれあいの道埼玉編のコースになっており、途中に撮影ポイントがあるので、1時間ほど下ったあたりではポイントを見過ごさないように気をつけなければならない。

峠に戻って河又に向かって下りはじめるが、けっこう急な下りで段差の大きい所が多いため、意外と時間がかかる。1時間はどくだったので、そろそろ撮影ポイントが現れるのではと注意して下っていくが、一向にポイントは現れない。もしやと思って地図を取り出すと、何たることか。ふれあいの道は峠のすぐ下で左に曲がっているではないか。一瞬戻ろうかと思ったが、時間的に厳しくなるので、今日は撮影ポイント到達は諦めて次回に下からポイントまで往復することにした。

道は相変わらず急な下りで、暗くなってしまっだためライトをつけて歩くので行程は遅々として捗らない。ただ少しづつ近づいてくる町の灯りを頼りに歩き続ける。舗装道路まで降り立つとバス停はすぐそばで、最終の一本前のバズにたいした待ち時間もなく乗れるということがわかり安心した。ただバス停の周りにはお店はおろか、自販機もないのにはがっかりした。その代わり、バズで小一時間揺られた終点の飯能のラーメン屋でふれあいの道東京都編踏破たぅせいのしゅチャーシュー麺、餃子、生ビールで二千円弱だったが、アメリカではラーメンだけで三千円だったことを考えると、つくづく日本はいいなと思った、


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2024年4月 4日 (木)

ボストン

4月2日

今日はボストンへの移動の日だが10時発なので、1時間前に着くとして8時にドミトリーを出るつもりだッたが、15分近く遅れてしまった。さらにバスターミナルの最寄り駅のひとつ手前の駅で10分近く停車したままになったので焦ってしまった。バスターミナルに着いたのは40分前であったがまだそれほどの行列はなかったので、上の階に食料を買いに行って帰ってきたら、係の人がチケットをチェックしてまわっていた。そこで、私もチケットをを見せると、隣の列に移れと言われる。理由もわからないまま渋々従ったが、最初の列にそのまま残った人はバスに乗り込んで行き、後から来た人まで乗っていくのに何故なんだという気がしないでもなかったが、隣の列に並ばされた人(最初からそちらに並んでいる人もいたが)からも別に不満は出てなかったので、恐らく増発のバスに乗れるんだろと思ったし、念のために前の人に「ボストン?」と聞くと、そうらしかったのでひとまず安心した。

10時少し過ぎにそのバスは発車し、それから我々は隣のバスに誘導された。こちらのバスはがら空きで1人で二人席を占領でき、結果的には大成功であった。6時間近くの行程だが、特に見所があるわけではないので、WiFiが使えることもあってNHKプラスのテレビを見ていたりしたら退屈することはなかった。

ボストンに夕方に着き、すぐに翌日向かうバッファローの切符を買うが、ここで私が買うつもりの切符よりも30ドルも安い切符を見つけて思わず買ってしまう。ところが、後から気付いたのだが、一度ニューヨークに戻ってからバッファロー行きに乗り換えるものであった。同じ道を戻るのもなあとは思ったが、キャンセル料5ドルも払って高い切符を買うのも馬鹿らしいので、ボストンは最初から往復するつもりで来たと思うことにした。

ターミナルから宿までは近いのだが、道を間違えてしまったため思いがけず時間がかかってしまった。宿はチャイナタウンに隣接しているので、久しぶりに中華料理を食べることとし、まずは荷物を宿に置いていく。宿はドミトリーではあるが、ロビーなどは先日泊まったヒルトンと遜色ないもので、ランドリー設備も備えられていた。

一休みしてから中華料理を食べに行くが、どこも客でいっぱいで値段もかなり高い。少し大通りから外れた所にあって値段も割安の店を見つけて、三品とビールを頼んだが味もそこそこであったし、値段9千円も日本から考えると高いが、現地の相場からすると安い方である。ただ最近は腹八分目を守っているので胃が小さくなってしまったのか完食はできなかった。

4月3日

昨夜はランドリーが混んでたので、今朝ランドリーを使用することにした。だが初めてなので使い方がわからない。QRコードからアプリをダウンロードするよう説明されているが、そのアプリを起動してもそれから先のやり方がわからない。すると、他の人がやってきてカードだけで簡単に動かしている。私も見様見真似でやってみるが上手くいかない。音をあげてしまい、彼にやり方を教えてもらいやっと動いたが、カードを画面にタッチさせるところがポイントのようだった。しばらく動きを見ていたが、どうもおかしい、洗濯ではなく乾燥をしているからだった。上下に4台ずつ機械があるので、上が乾燥機、下が洗濯機だと思っていたら、下の4台のうち3台は洗濯機だが、1番右は乾燥機だったのだ。そこで左隣の洗濯機に洗濯物を移して、そちらを動かしたが、右の乾燥機はまだ空で動いたままである。やがて洗濯機は停止したが、乾燥機は後20分以上動くようなので、そちらで乾燥をすることにした。ただ20分では乾燥の時間が足りなかったようで、ズボンや上着はまだ湿っていたが、着ているうちに乾くだろうと着てしまう。こうして2ヶ月半もの間、着た切り雀であった服をようやく洗えることができた。

今回、ボストンを北米横断の出発点に選んだのは、ボストンがニューヨークよりま東に位置しているということの他にボストンが自分にとって大きな意味を持っていたからである。それはマラソンを走っていた頃、走り始めの時期には、たまたま旅先でアテネマラソンに参加したことなどはあったが、記録更新を狙いだすと、わざわざ海外のレースに出ようなどという気はなかったが、記録が落ち目になってくると、海外のレースにも目がいくようになった。そんな時、ボストンマラソンには年齢別に参加資格があって、当時の自分は4時間を切れば参加資格が得られることがわかった。自己ベスト更新を狙っている頃ならば問題なくクリアできる記録だったが、落ち目になっている頃にはなかなか厳しい記録であった。当時、市民ランナーが参加できるレースとしては大田原マラソンが制限時間4時間と最も厳しいもので、これを完走できればボストンマラソンの参加資格が得られるということで、3年連続で出場したが、いずれも37キロの関門を時間内に突破できず、ボストンマラソン参加資格は得られなかった。

そんなわけでボストンマラソンには強いこだわりがあったので、全コースは無理だがゴール付近だけでもトレースしてみたいと思い、35キロ付近からゴールまでを歩くことにした。最寄りの地下鉄駅までは宿の近くの駅から乗り換えずにいけたのであるが、バスターミナルまで戻ってしまったので、だいぶ遠回りとなってしまった。名物の心臓破りの坂というのはここよりも少し手前にあるようだが、そこからだとゴールまでは遠すぎるのでカットしてしまった。35キロから先は比較的なだらかで、カーブのない一本道で走りやすそうであった。松坂大輔が所属していたレッドソックスのホーム球場があるあたりからコースがわからなくなり、グーグルマップで場所はわかっているゴール地点に向かって適当に進んでいく。

ゴール地点にはなにか標識でもあるのかと思ったら何もなく、ただ3週間ほど後に開かれる今年のボストンマラソンのポスターが掲示されているだけであぅた。

そこから比較的近かったので、そのまま歩いて荷物を回収してからバスターミナルに向かい、私のボストンの旅は終わった。世界四大博物館のひとつとされているボストン博物館にも行かなかったが、パリでもルーブル美術館には行ってない人間なのでよしとしましょう。

 

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2024年3月28日 (木)

イースター島

3月26日

日付が変わった12時過ぎに保安検査口に行ってみると違う係員がいたが、私の搭乗券を見て、自分の腕時計を見せながらダメだと言っているようだ。彼女は英語がしゃべれないというので(まあ私も同じようなものだけど)、これ以上やりとりしてもムダだと思い、朝まで待つことにする。

一般の国内便客が待つ上の階は床に寝転んでいる人もたくさんいるほどこんでいるが、この階はイースター島行き専用のため、それほどこんでなく三つの椅子を占領して完全に横になれた(これならラウンジのソファーより安眠できる!)。

目が覚めると4時半だったが隣の椅子の寝ている人はいなくなっていた。6時を待たずに保安検査口は手続きが始まったようなので、慌てて検査口へ急ぐ。

イースター島は準外国扱いで保安検査前の個人情報登録をスマホで行うのだが、何度やってもエラーが出てしまって最初からやりなおしとなり、最後は係員の助けも借りてなんとかクリアしたが、1時間くらいかかってしまい、冷や汗ものだった。朝に宿を出て手続きをしていたら完全にアウトとなるところだった。QRコードでダウンロードした申請書への個人情報入力は他の所でも増えてきたが、自分にとっては鬼門だ。

保安検査場の先で一般の国内便の乗客と合流し、先日も利用して勝手知ってるラウンジなので、そちらへ向かったが、その前にトイレに行こうと思ったところ、トイレは曲がり角の先にあるのだが、そちらから長蛇の列が続いていて全然動く気配がない。しばらくは待ってみたが、どうもおかしいと思って、曲がり角の先まで行ってみると、その列は別の搭乗口への列であることがわかり、安心してトイレに寄ってからラウンジに向かった。ラウンジ受け付けでは、通常は搭乗券とカードだけでO.K.なのにパスポートの提示まで求められて、イースター島はやはり準外国なのだと思った。

イースター島行きのフライト4時間前からラウンジで朝食を食べられることになったが、まだバーは閉まっていてアルコールは飲めないものの、そのうちに開くだろう。もっとも飛行時間は四時間ながら、1時間の時差があって到着は一時近くになるものの、この航空会社は他で利用した際も国際便で昼時にもかかわらず、スナック菓子しかださなかったので今度も同様と思われ、しっかり昼の分まで食べておかなければならないだろう。

そのうちに利用客も増え係員も増えたのでビールを飲みたいと係員に言ったところ、10時からだと言われて、それでは離陸後になってしまうので、まあ朝から酒を飲むということは自分のポリシーにも反するので、残された1時間余りは昼食の先食いに充てようと思った。アコンカグアと南極では、1週間以上は禁酒したんだし(前者は高度のため、後者はドル現金を節約するためと理由は違うが)、三日間ぐらいの禁酒(外出禁止、移動のための慌ただしさ、ラウンジでの飲酒のために我慢と日々理由は違うが)はどうと言うことはないだろう。

ラウンジの情報板には私の乗る便の搭乗口までは2分と表示されていたので急ぐこともあるまいと30分前にラウンジを出たのだが、乗るべき搭乗口が見つからず、保安検査口まで来てしまう。一瞬ガーンとなったが、途中に見取り図があったことを思い出し、そこまで戻って確認すると、目指す搭乗口は上の階にあることを発見し、保安検査口の横に通路があったので、そこをずっと行くと、目指す搭乗口があってホッとした。まるで迷路ようだったし、サンティアゴ空港からの搭乗は苦労の連続だった。

離陸後40分くらいして予想してなかった機内食が配られる。考えてみれば、サンティアゴからの距離はブエノスアイレスやラパスからよりもイースター島の方が遠いのだ。やはりイースター島は国際線扱いされているのだろう。こんなことなら、ラウンジで頑張り過ぎなければよかったと思ったが、どうも今回はアテが外れてばかりである。もっとも「据え膳食わぬは武士の恥」でしっかり完食はしたが・・・。よし、これなら午後はしっかり観光に時間を使えるぞと思った。

空港着陸後に中心地のハンガロアに向かって歩きだす。他の乗客はみな迎えの車を利用するようで、空港から歩いて来るのは私だけである。ハンガロアまでは30分くらいであるが、世界的に有名な観光地だからカラファテやウシュアイアのように一見して観光の町とわかる所かと思ったら、ごく一部を除けば普通の田舎町であった。海岸沿いに歩いて育と、さっそくモアイ像とのご対面である。独立したものから5体が並んだものまであって、もうこれで帰ってもいいなやもいう気にもなった。ただ写真を撮ると逆光でモアイ像の顔が黒くなってしまうのが残念である。一番端のモアイ像まだ行ってから引き返してホテルに向かったが、ホテルは中心街からかなり離れているので思いがけず時間がかかってしまった。



3月27日

今日はレンタサイクルで島中を回るつもりで地図に出ていたお店に向かったが、そこにはお店はなかった。そこで、近くのお店で翻訳アプリでレンタサイクル店の場所を地図上で教えてくれといっても、スペイン語でぺらぺら喋りだすのでさっぱりわからない。その人が指さす方向に歩いてもお店はなく海に出てしまう。海岸沿いにはマリンスポーツ関係のレンタル店はあるのだが自転車はない。すると、ツアーの募集がでていたので、ツアーでもいいかなと思ったが、聞いてみるとツアーは午前中からスタートするものばかりで、午後からのものはないということで、お昼近かったので諦める。ではタクシーで行くことをかんがえたが、タクシーが全く見当たらないので、お巡りさんに聞いてみると、タクシーはないという返事である。ガイドブックにはタクシーのことは書いてあるのだが、コロナで客足が落ちた時にタクシーは消滅してしまったのか

こうなったらしかたないので、モアイ像ではないが近くにあるカルデラ地形の中に多数の池があって地元の水源ともなっている所に歩いて行こうと思って歩きだすと、すぐの所にレンタサイクル店があった。1日で3200円だからツアーよりも一万円くらい安い計算だ。すぐに借りることにしてまずは先ほど歩いて登ろうとしたカルデラに行ってみることにした。

飛行場の脇を登って行くが傾斜5%程度だから、それほどきつくない。ところが最初はポツリと降っていた雨がだんだんと強くなり、ついには本降りとなる。カルデラの登り口に自転車を置いて山道を登りだしたが、展望もほとんどないので、ここが最高点と思われる所で引き返す。途中、チラッとカルデラの底の池が見えて絶景ではあったが、すぐに見えなくなってしまだた。

下り始めても雨は止まず、全身が濡れてくる。やっとの思いでホテルに戻りシャワーを浴びて体を温める。しばらく雨は止みそうにないが、せっかくイースター島に来て、昨日のモアイ像だけではもったいないので、別のモアイ像も見てみたいと、日没は8時頃と遅いので小止みになるのを待つことにした。

夕方になっても雨はやまず、イースター島は雨期に入ってしまったのだろうか?航空運賃が下がったのはそのせいだろうか?などと考えてしまう。時間も5時を回ってしまったので、しびれを切らして出発する。ただし、8時までに自転車を返さないといけないので6時半には引き返すことにする。雨は止むどころかかえって激しくなってくるようだ。目的のアモイ像まで届かずとも、一体でもアモイ像があれば、そこで引き返すことにした。願いが通じたのか、目標地点よりもだいぶ手前であったが、一体のアモイ像に出逢った。


写真をとってからすぐに引き返すが、この時間なら自転車屋が閉まる8時までには十分間に合うと安心したが、別の心配がでてきた。それは街なかを通ることになるので、放し飼いの犬(ほとんどの飼い犬は放し飼いである)が自転車に対してどういう反応をするかであった。ところが、数十匹の犬に出逢ったのに吠えてきた犬は一匹だけであった。それも一回吠えただけで追いかけてくるわけでもなかった。なかにはこちらの姿を見ただけで逃げ出す犬もいるほどであった。きっと犬にとって自転車はふだんはあまり見かけないものであり、関わりたくないものなのかもしれない。もっともチリ本土では走っている自動車に飛びかかっている犬も見たし、グレートジャーニーでは自転車に乗っているとしょっちゅう犬に追いかけられたようなので、自転車嫌いの犬はイースター島に限ったことかもしれないが。

自転車を返した後、すぐにでもホテルに戻って暖かいシャワーを浴びたい所であるが、ホテルの近くにはレストランはないので腹ごしらえをしなければとレストランに入る。濡れた服のままじっとしていると、風邪をひいてしまうのでマナー違反かもしれないが、その場でTシャツを着替える。着替えはビニール袋に入れておいたのだが、やはり濡れているものの、今までよりは多少はましなようだ。料理は適当に頼んだのだが、出されたのは目玉焼きの乗ったステーキとポテトフライと玉ねぎをいためたもので日本のファミレスの料理のようであった。おまけにライスは茶碗にはいっているので、日本人旅行者御用達の店かもしれない。そういえば、遠くの方に日本人と覚しき人も見えた。

ホテルへの帰り道は歩くと30分くらいだが、自動車モードだと遠回りになるので、ほぼまっすぐ行けそうな歩行者モードの道を選んだが、あるはずの道が途中で消えてしまったりして、その度にスマホを出して、道を確認していたら、どうもUSB端子に水が入ってしまい、充電ができなくなるという事態に繋がってしまった。さらに悪いことには、やたらと放し飼いの犬が多い所で、そこらじゅうで吠えられてしまう。なかには至近距離まで来る犬もあったが、この頃になると、犬の扱いにも慣れてしまい、放し飼いの犬は本気で人を襲うつもりはなく、単に威嚇しているだけなので、目をそらさずにゆっくりと後ずさりして離れれば無関心になるということがわかってきた。結局は自動車モードの道に戻ってホテルに着いたが、1時間以上かかってしまった。大変な1日だったが、シャワーを浴びて横になれば極楽である

3月28日

本日も朝から雨がふっている。イースター島はすっかり雨季になってしまったのかもしれない。航空運賃が大幅に下がったのには理由があったのか、まあ初日の天気が良かっただけでも儲けか。ホテルの料金がまだ支払ってないようなのが気になってオーナーに言ってみてもカードで支払済のような返事があるが、旅行社からのメールでは現地払いとなっていた気がする。まあ何らかの手違いがあれば連絡が来るだろうと静観することにする。

10時にホテルの車で送ってくれる。まあ歩いても空港までは10分くらいなのだが、雨が降っていることと、そして何よりも途中で犬とのバトルをしなくても済むことが助かる。チェックインに際してはサンティアゴ空港と違い他の便はないのでeチケットを見せる必要はなく、パスポートの提示だけで済んでしまう。チェックインが終わった乗客はそのまま保安検査口に並んでいくが、他の便がないためすぐには検査は始まらず、検査口の列は進んでいかないので、しばらくは並ばずに椅子に座って待つことにする。どうせ検査が終わってもラウンジがあるわけでもなく、急いで検査を終える必要もないからである。

検査列の列がだいぶ短くなり始めた頃にようやく検査の列に並び始める。サンティアゴ空港では苦労した検査場の突破も、ここでは問題なく終えることができた。小雨の中をタラップまで走って機内に入る。席は最後尾の通路側というトイレに近い自分にとっては最適の席だ。さあこれから5時間近い長旅に備えようと思っていたら、まだ搭乗時間の20分前だと言うのに、機体は動きだした。出発が遅れることは珍しくないが、こんなのってありかよと思ったが、機体はイースター島を離れてサンティアゴ目指して飛び立った。

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2024年2月14日 (水)

アルゼンチン・パタゴニア

2月8日

ブエノスアイレスには随分と長くいるような気がするが4日間に過ぎないのだ。しかし、それも今日でしばらくのお別れだ。ホテルに不用な荷物を預けて空港に向かう。前日の失敗に懲りてタクシーは使わず、地下鉄で終点まで行き、そこから路線バス(コレクティーボ)に乗って空港まで行くことにする。乗車するバスの番号はグーグルマップで調べてきたのだが、地下鉄終点のバス停はたくさんありすぎて、どこから乗っていいのかわからない。そこで係の人に聞くと、だいたいの方角は教えてくれたので、そちらに向うと大きな旅行カバンを持った人がたくさんいたので、ここに違いないと確信し、次にきたバスに乗りこむ時に、運転手にも確認をとった。

これで第一関門はクリアしたものの、乗継時間が40分しかないため、果たしてスムーズに乗り継げるかという問題は依然クリアできてない。ところがもっと深刻な問題が発生した。時ならぬ雨で出発が1時間半以上遅れて、予定便よりも後の運航次第では今日中にカラファテに着けない可能性もあることである。まあ最悪の場合は空港で一夜明かしても構わないし、 カラファテに着くのが1日遅れても何の問題もおきないのであるから、なるようにしかならないという気分である。空港には日本の若者グループもいたので、なにか情報でも持っているかと思って聞いてみたが、特にはないようである。

1時間ほどのフライトでロサリオ空港に着き、さてこれからどうなるかが一勝負である。だが、私のそんな気持ちとは裏腹に、通常の乗り継ぎと同様に進行していき、乗継便が遅延便を待って出発するというだけのことのようである。まあ考えてみれば、ロサリオからカラファテまで行く乗客のほとんどはブエノスアイレスからの乗継客であり、その乗客を乗せずに空に近い形で出発してしまうという方がありえないことなのだろう。今夜の宿には特に到着時間は伝えてないので、多少遅くなっても問題はないであろう。

空港から宿まではシャトルバスを利用した。タクシーと違い料金が固定されているので安心だ。ネットでは2人以上ならタクシーの方が安いと書いてあったが、ペアで乗っているカップルも多かったのは何故だろう。空港から10分ほどのドライブでカラファテの街に近づくが、シャトルは乗客全員の宿泊先に寄っていくので、中心部に宿を取った自分と違い、周辺部で降りる乗客が多く、自分が下車したのは最後から2番目となってしまい、結構時間がかかった。ただカラファテの街をドライブしていると思えば、それも悪くはなかった。

今夜の宿はやけに安いなと思ったら6人用のドミトリーであった。ただメンドーサで泊まったドミトリーと比べると清潔感はあり、ホールなどの施設も充実しているので連泊する気にはなった。ただ到着したのが遅く、まわりにはレストランもあまりないようだったので、ビールとつまみを買ってホールで食べて夕食代わりとしてしまった。こうして、憧れだタゴニア第一日の夜は無事に終わっていった。

2月9日

朝食を食べに行ったら、同年輩の日本人二人と一緒になった。一ヶ月くらいの予定で前半は陸路をのんびり、後半はクルーズでこれまたゆったりと過ごすそうだ。彼らからみたらハードスケジュールの私とは好対照である。とまれ、日本人と久しぶりにゆっくりと話ができたのはよかった。

朝食後にフロントに延泊を申し込んだところ、空きがないと言われる。さあ、どうする。ここで発想の一大転換をし、今回一番見たかったのはフィッツロイなんだから、この際、一気にエルチャルテンまで行ってしまい、フィッツロイ近くのキャンプ場まで今日のうちに行ってしまおうと思い立った。

早速、チェックアウトの手続きをし、手持ちが少なくなってきたペソを100ドル分だけ両替してバスターミナルに向かうが、宿でターミナルまでの経路をグーグルマップに徒歩モードで表示したものは、オフライン地図になると消えてしまって方向を見失ったので、細い道を無理矢理東に進んでいく。すると、たくさんの犬が出てきて吠えられてしまう。みな飼い犬で野犬ではないだろうが、こちらは放し飼いが多いようだ。出発前に狂犬病の予防注射をしていったからいいようなもの、そうでなかったら、ちょっと心配になるところであった。

途中、キャンプ場の横を通ったが、ここならばバスターミナルにも近く、中心部にもそう遠くはないので、エルチャルテンから戻ったら、ここにテントを張ろうと思った。

バスターミナルには10時半過ぎに着き、早速、切符を買うことにした。往復で買うと割引があるらしいが、帰りの予定は不透明なので片道だけ買う。11時の切符が買えたので大して待たずに乗ることができた。私の席がある二階は半分以下の乗客しか乗っていないがら空き状態だった。

バスはいよいよパタゴニアの荒涼たる平原を進んでいく。とうとうここまで来たんだなあという感を深くする。やがて、遠くの白く輝く峰々の右端に憧れのフィッツロイが見えてきた。今回の旅で一番見たかったシーンである。

wifiの使えるレストランに入って家にlineで連絡を入れる(と言っても日本は深夜だが)。牛肉のサンドイッチを食べてから出発の準備に入る。本当はもう少しボリュームのあるものを食べたかったけど、こんなものしかない店だった。

日本からはフリーズドライ食品を持ってきているが、それだけでは足りないのでスーパーで食料品を買い足す。日本のようにカップめんとかレトルト食品が売ってないので、買えるものには限りがある。

次にガスコンロの燃料カートリッジ(飛行機には積み込めないため持参せず)を買おうとして3軒目の登山用品店でようやく見つけるが、日本では見かけないメーカーのもので、持参したバーナーのノズルと互換性があるかどうかが不明である。また小型のカートリッジはなく中型しかないので、仮に互換性に問題がなくてもお湯を沸かすだけでは大半を余らすことになるうえ(飛行機には積み込めないため持ち帰れない)、値段が日本の倍近くするようなので、お買上にはならず地図だけを買うことにした。なおフリーズドライ食品は時間はかかるが、水だけでも食べられるので、まあなんとかはなる。

最近はGPSに頼り切りで地図の読図力が落ちているのか、最初は自分がどちらの方向に向かっているのかわからなかったが、やかてセロトーレ方面に進んでいることがわかった。最初はフィッツロイ方面に行くつもりだったが、時間的なことを考えると最初はセロトーレで正解だったようである。出発が4時であったにもかかわらず、次から次へと上から人が下りてくる。9時頃まで明るいから不思議ではないのだが

だらだらした登り下りが続き、なかなか目的地に着かなかったが、8時過ぎにようやくセロトーレの展望台ともいえるキャンプ場に着いた。ここは無人のキャンプ場なので。当然料金はいらない。そのせいもあるのか数十張りのテントが張ってあった。さすがに私のようにストックを支柱代わりにしたテントはなかったが、雨さえ降らなければ、それほど居住性が悪いわけではない。ビールを飲んで食事を済ませれば何もやることもないので、明朝のセロトーレのモルゲンロート(ドイツ語で、山が朝日で染まること)を期待して寝るだけである。

2月10日

期待どおりの快晴でセロトーレのモルゲンロートがバッチリ撮影できた。撮影後はすぐに出発してもよいのだが、今日の行程は短いので外が暖かくなるまで待ってから行動を開始する。最初は昨日来た道を行くつもりだったが、ちょっと北の方に行き過ぎたことに気がついたので、北回りの道経由で引き返すことにした。

本来の北回りの道は湖の畔を通って行くのだが、そのためにはちょっとした丘を越えて行かなければならないので、ショートカットして直進したのだが、あまり良い道ではなく果たして短縮できたのかどうかは不明である。ともかく湖の方から続くと思われる道とは合流でき、しばらく進むと前日の道とも合流できた。

前日の道はセロトーレに向かう人で朝早くから大賑わいであった。ところが、途中でフィッツロイのビューポイントに進む道に進路を変えると途端に人の数が少なくなった。セロトーレとフィッツロイのビューポイントは別々に行く人が多く、2つを繋ぐ人は少ないからだろう。だが、この道は前半は草原、後半は湖と絶景を辿る素晴らしい道であった。

4時前にはフィッツロイのビューポイントであるキャンプ場に着いた。前日歩き始めた時間よりも早く、まだ太陽は高かったが、これ以上進む所もないので、早めの夕食をとった(と言っても水で戻したパスタだけだが)。当地でも350mlのビール瓶があれば今夜の分も持ってきたのであるが、さすがに500ml2缶は重かったので今夜は久々の休肝日となってしまった。やることもないので明日もモルゲンロートが見られることを期待して早めに寝ることにした。

2月11日

夜半から強風が吹き荒れていて心配した通り、朝方は小雨が降っていて手前の山は見えるが、フィッツロイは全く見えない。出発の準備をして早々に下山する。天気が良ければモルゲンロートを見に来る人で賑わうのだろうが、今朝はそれほどでもないので、煩わしさが少なくて助かる。それでも天気が回復傾向にあるためか、下るにつれて登ってくる人が増えてくる。

ゆっくり下っても四時間ほどで街に下りられる。途中で菓子を食べたため、腹は空いてなかったので、初日にも入った喫茶店でビールを飲んで休肝日を打ち切る。その後、予約してあるドミトリーに荷物を置いてからターミナルに行き、明日のカラファテ行きの切符を買う。一日3便あるとのことなので、一番早い8時の便にする。

その後、ドミトリーに戻ると、4人の定員のところ、カップル二人が同部屋で二人でいちゃいちゃしているのにはまいった。早々に街に出て、ぶらついたりして、ほどよい時間になったので、レストランに入り、ハーフサイズのピザと赤ワインのグラスを注文する。ベエノスアイレスを出てから、初めてまともな食事をした気がする。明日は麓からもフィッツロイのモルゲンロートが見られることを期待して、今夜はNHKプラスでも見ながら夜をすごそう(と思ったが、ネットの電波状態が悪くみられなかった)

2月12日

暗いうちから起き出して通りに出て、フィッツロイのモルゲンロートを待つ。東の空が明るくなってくるとともにフィッツロイにも赤みが差してきたが、その後に東の空に雲がかかってきたため、フィッツロイの赤みも消えて今日はこれまてと思って帰りかけたが、せっかくだからもう少し粘ろうと思い直したところ、フィッツロイに再び赤みが戻り、先ほどよりもモルゲンロートらしくなってきて、写真もほぼ満足できるものが撮れたので宿に戻る。

荷物をまとめてバスターミナルに向かう。カラファテ行きのバスはほぼ満員に近かったが、2階の後部座席だけは空席となっていたので、ゆったりと座れてラッキーだった。足かけ4日間の滞在であったエルチャルテンにもお別れである。車窓から遠ざかっていくフィッツロイに別れを告げてカラファテに向かった。

カラファテのターミナルではまず、明後日に向かうチリのプエルトナタレス行きの切符を買い、次に翌日のモレノ氷河への往復切符を買う。ターミナルからカラファテ初日にも泊まったドミトリーまでは30分強の歩きであるが、今回は街に下っていくのでよいのだが、ターミナルに向かう時は坂道を登っていくので少々きつい。後、登り二回、下り一回はしなくていけないことになる。なお当初はカラファテでキャンプするつもりだったが、ドミトリーに空きがあったので予定を変更した。

ドミトリーの近くにガイドブックおすすめのレストランがあるとのことで探して見たが見当たらなかった。ガイドブックはコロナ流行直前にパタゴニアに行こうと思って買ったものの、コロナ流行で今回まで出発が延びたものだが、日本でも流行中に多くの飲食店が廃業を余儀なくされたように、その店も廃業してしまったのかもしれない。

しょうがないので、店の前に写真が張りだしてある所があり、その中にスパゲッティ風のものがあったので、それに誘われて中に入りメニューを見たら、その料理が見つからない。しょうがないので、パスタの中から適当に選んだら、今回もまたスパゲッティを食べ損ねてしまった。

食後にホテルに行きチェックインをしていると、声をかけられたので振り返ると、私と同年輩の日本人男性でひと月ほど前から南米を放浪しているそうた。しばらく話をした後、夕食を一緒にすることを約束して別れて部屋に戻った。

8時過ぎに日本人男性と再び落ち合って夕食に出かける。昼食べた所と同じ店に行き、ビフテキ風の料理を食べる。こんなにボリュームのある料理は久しぶりである。海外旅行談義は食後も続き、エンドレスになりかねなかったが、明日のこともあるので10時前には店を後にする。宿に戻る途中、音楽が聞こえてきたので寄り道をすると、民族舞踊をやっていたので、しばらく観てから宿に戻った。

2月13日

昨日、会った日本人男性とは朝食会場でまた会いましょうと言ったものの、食後もしばらく待ったが姿を現さずバス発車時間も迫ってきたので挨拶もせずに別れることとなった。旅の出会いと別れは常にあるものなんだけど

バスターミナルまで歩いてモレノ氷河行きのバスに乗る。1時間近く走った所で止まり、入場料約二千円を現金で支払う。そこから少し進んだ所でバスは停まり、連絡バスに乗り換えて展望台の上に着く。

展望台からは遊歩道が下っており氷河の全容が眺められる。氷河の上には薄いながらも虹もかかっており、絶景ムードを高めている。最初は氷河の末端の崩壊は頻繁にあるのかと思ったら、1時間近く近く待っても全く崩壊はなく、時折、崩壊らしき音は聞こえても、遊歩道からは見えない裏側の方ばかりであった。七千円ほどでボートに乗って下から氷河を眺めるオプションもあったが、氷河に近づき過ぎると崩壊した時に被害受ける恐れがあるためか、氷河から随分と遠い所までしか行かず、これなら遊歩道から見るのと大差ないように思われた。また氷河歩きのオプションもあるらしいが、いやというほど氷河は歩いた経験はあるので、今更というものであった。

帰りのバス発車まで四時間ほどの滞在時間があるが、2時間もしないうちに飽きてしまい、休憩所で休んで時間を潰すことになった。展望台にはレストランというほどではないが、軽食程度は出す所と売店はあったが、山の食料の残りがあり、翌日の国境越えに際しては、チリ側の検査が厳しく食料品は没収される可能性が高いので、極力残りものを消費するようにしたため、なにも買うことがなかった。

最後にまだ30分ほど時間があったので、先程は通ってなかった下側の遊歩道から氷河への接近をしてみた。こちらの方から崩壊の音が聞こえた気がしたのだが、特に崩壊の跡はみられなかったので、先ほどの崩壊の音は別の所でしたのだろう。先端近くまで行ってしばらく滞在してみたが、結経、崩壊は見ることはできなかったので、諦めてバス停に戻る。するとバス停の手前で昨日の日本人男性とバッタリ会う。午後のバスで来たようだが、バスの出発時間が迫っていたので、挨拶だけして別れる。でも最後に挨拶だけでもできてよかった。

これでアルゼンチン・パタゴニアの行程は全て終わり、次はチリ・パタゴニアとなるため、明日はバスで国境を越えてチリに入る予定である。

 

 

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2024年2月 4日 (日)

登山活動

1月27日

今日はベースキャンプ近くの5千メートル峰に登るのがスケジュールとなっているが、体力低下の自分にはとても無理と思われたものの、行ける所まで付いていこうと思った。ところが、ベースキャンプを出てすぐに皆に引き離されてしまう。ガイドからは、明日の行動にも差し支えるから、このあたりで引き返そうと言われ、やむを得す従うことに。

 

ベースキャンプに戻ってから考えた結果、このままベースキャンプに滞在しても、上部キャンプまで装備や食料を自力で担ぎ上げられない以上は、ベースキャンプで皆が戻るまで何日も待つのは、あまりにも無駄であると判断して、明日、皆がキャンプ1まで荷物を担ぎ上げるのに同行し(もちろん自分は荷揚げはしないが)、行ける所まで登ってベースキャンプに戻り、翌日ヘリコプターで麓まで戻ることにした。

 

余計な出費とはなるが、これが最善の策だと思われ、早めに下山して余裕ができた日程は、イグアスの滝をブラジル側まで足を延ばし、観光しながらブエノスアイレスに戻って、その後は予定どおり、バタゴニアトレッキングに向かうこととした。

1月28日

皆は今日はキャンプ1まで荷揚げに向かうのだが、私はキャンプ1までの往復のみということで、皆よりも1時間早くガイドと一緒に出発する。

昨日と比べるとだいぶ体調は良く、他の登山者に抜かれるのはいつも通りだが、自分としてはまずまずのぺーで登れ、本隊のメンバーに抜かれることもなくキャンプ1に着くことができた。もっとも本隊のメンバーは上部キャンプ用の食料を一人10キロかついでいるので、スピードが上がらないのは当然なのだが。

 

下りは別の道を下ったが、かなり急な道で時間短縮にはなるだろうが、神経はかなり使う道であった。登りは四時間ちょっとかかった所を半分ほどの時間で下れ、本隊よりも1時間半ほど早く下りることができた。

 

ずっと私に付き合ってくれたガイドにはプラスチックブーツと羽毛服上下をプレゼントすることにした。私が二度と使うことがないだろうから。

 

その後は、アコンカグア最後の夜をおしみながら、眠りに着く。

 

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ベースキャンプまで

1月21日

メンドーサのホテルで休んでいると、夜になってガイド3人が装備の点検にやってきた。あまりにも細かく調べるので、やりたくはなかったのだがガッシャーブルムの登頂証明書の画像を見せて、その時の装備で今回も来ているのだと説明すると納得したらしく、なにも問題がなく終了した。

1月22日

翌日は午後から出発ということで、ランチは同行者と一緒に食べることになった。メンバーは客8人とガイド3人で、多国籍のメンバーと一緒に登るのは2011年のストックカンリ以来で、あの時は英語の環境が3週間ほど続くので、ひょっとして英会話が上達するのではないかという期待もあったが、結局全く効果はなかったので、今回はそのような期待は持たずに最小限の意思疎通ができればいいと割り切ることにした。

 

本日の宿があるペニテンテスは一昨日のツアーの時にも少し先まで往復したところであり、特に目新しいこともない。因みに3月始めにアルゼンチンからチリに移動する時ももう一度ここを通過することを予定している。

 

夕方にペニテンテスに着いて荷物の仕訳をしてからピザを食べて、これが夕食かなと思って部屋に戻ったら、しばらくして夕食の連絡があり食堂に戻ると分厚いステーキが待っていて、これを今から食べるのかとゲンナリした。自分は半分も食べられなかったが、皆はペロリと平らげており、農耕民族と狩猟民族との違いを痛感させられた。

 

夕食後も、皆は英語とスペイン語のチャンポンて話し続けていたが、英語の単語が断片的にわかるだけで、会話には全くついていけなかったので、適当な所で切り上げて部屋に戻り、持参してきた関野さんのグレートジャーニーをしばらく読んでから眠りについた。時差ボケはようやく解消したようで、日本とは半日の時差があるが、すぐに眠りにつくことかできた。

1月23日

翌朝は3時頃に目が覚めたので、5時間くらいは熟睡できたようだ。日本でも加齢のためか6時間以上眠るのは苦痛になっているので、睡眠リズムは正常に戻ったようだ。この時間、外はまだ真っ暗だが、アルゼンチンの時刻は首都ブエノスアイレスを基準に決められているようで、メンドーサを含むチリ国境に近い西部地域は夜明けは6時半頃で、日没は9時過ぎのようである。

外が明るくなりかけた頃にカメラを持って写真を撮りに行く。しばらくすると西にある尖ったピークが朝日を浴びて明るくなってきたので写真を何枚か撮る。その時はアコンカグアかとおもったのだが、後でガイドに聞くと違う名前の山であった。

8時に朝食を摂り、不要な荷物は帰りに回収するという違うことで宿に置いて、登山口の  車場までは車で進み、そこからはいよいよ登山の始まりである。

1月23日

11時出発の予定が、30分遅れて出発。途中で管理人がいる所で手続きをして、すぐ先の駐車場で下車して歩き出す。前半は調子が良かったのだが、昼食後、ガイドのすぐ後ろを歩く連中が、ハイペースで飛ばすので、それに追いつこうとしてオーバーペースになってしまい、苦しくなってきた。そこでガイドのすぐ後ろを歩くことにしたので、ガイドもそう飛ばさなくなり、なんとかキャンプ場まで着くことができた。

キャンプ場は巨大なテントが林立しており、食事用テントや多数のベッドがセットされているテントもあった。キャンプ場につ着いてしばらくは疲れから酸素飽和度が80台前半まで下がり、脈拍も80台となったが、段々と落ち着いてきて、夕食後には90まで回復した。なお本日の夕食もすごい量で半分しか食べられなかった。


1月24日

一晩寝て体調は回復し、酸素飽和度の数値も平地に近いものがでるようになった。昨日はスピードが早すぎて体調不良となったと思われ、今日は高所順化の往復だけだから、皆から遅れても構わないのでゆっくり歩こうと思った。

結局、ガイドの一人と一緒に私は皆の後をゆっくりと歩いていくことにした。最初のうちは皆に追いついたりもしたが、次第に離れてしまい、私は途中で引き返すことになった。

 

1月25日

私は皆より1時間早く6時にガイドと一緒にBCに向けて出発することになった。前半は平坦な所を行くので調子よく進めたが、後半は登りとなるので次第に疲れが出てくる。特に途中で本隊に追いつかれて精神的なダメージも加わって足の疲労が顕著になってきた。BCが眼の前に見えても全く足が前に進まず、疲労困憊の末にやっとBCに辿り着いてバターンキューとなり、その晩は夕食も食べられなかった。

 

1月26日

今日は1日BCで停滞だ。1晩ぐっすり寝たせいで足に少し疲労がある以外は体調は元に戻り、食欲も出てきた。湖の方に出かける人もいたが、私は体力温存を優先して、グレートジャーニーの本を読んだり、記録を書いたり、パタゴニアやチリ観光のスケジュールをまとめりたりして1日を過ごした。

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2024年1月15日 (月)

鎌倉近辺

坂東33箇所一筆歩きは達成したものの、三番札所の納経が時間切れで間に合わなかったので、南米出発前に終わらせておきたいということで、またもや鎌倉近辺に出かけることにした。

最初は関東百名山の天園に向かうことにする。ただ天園ハイキングコースは地図に記載されているものの、肝心の山頂がどこにあるのかがわからないまま出かけることにした。まあハイキングコースに入れば、山頂の情報も得られるだろうと考えた。

天園ハイキングコースは鎌倉アルプスとも呼ばれており、結構賑わっていた。大平山を越えると天園山頂は目の前に見えてくる。もうひと頑張りで天園山頂と覚しき所に立ったが、山頂の標識は見当たらなかった。ただ横浜市内最高地点という標識はあったので、そこが山頂だろうと判断して鎌倉に向けて下山を開始した。

鎌倉駅の少し先に三番札所があり、ここで納経を済ませて33番札所の納経すべてが完了した。この後は三浦半島の先端まで行き、そこにある三か所の関東ふれあいの道の撮影ポイントに行くつもりだったが、半日では時間的にとても無理だとわかり、鎌倉近辺を回ることにした。

まずは、鶴岡八幡宮から続く若宮大通りを海まで行き、そこから海岸沿いに稲村ヶ崎を目指す。稲村ヶ崎は関東ふれあいの道の撮影ポイントではないと思って前回は通り過ぎてしまったが、稲村ヶ崎がする撮影ポイントとして記載されている資料もあるので、一応写真を撮っておくことにした。撮影後は鎌倉駅まで江ノ電で戻り、ライトアップされている鶴岡八幡宮をおまいりし、その後は鎌倉幕府の堅固な防御網であった切通しの下を貫いているトンネルをくぐって北鎌倉に向かった。途中には建長寺や円覚寺といった名刹があるが、ライトアップされておらず真っ暗だったので、そのまま通り過ぎた。

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2024年1月 8日 (月)

関東ふれあいの道 東京都コースNo4

今回のふれあいの道もつづら岩までは過去に何度も歩いた道である。千足でバスを降りて、そこから馬頭刈尾根まで一気に登るコースで稜線直下が特に傾斜がきつい。荷物が重いこともあってコースタイムをオーバーしてつづら岩に着く。今日のつづら岩は誰も登っていない。正月や連休の前ならば本番に備えた練習で登りに来る人もそこそこはいるだろうが

遅れを取り戻すためつづら岩では休まずに、そのまま富士見台を目指す。稜線では反対側から来る人と何人かすれ違ったが、富士見台に着く頃には反対側からの人も皆通り過ぎた後なのか、頂上は一人占めであった。快晴ならば山名の通りに富士山の眺望が素晴らしいのだろうが、残念ながら富士山方面は雲の中である。

富士見台から大岳山に向かう途中で稜線と別れて大滝方面に下る。道は急な上に落葉で滑りやすく、思ったよりも時間がかかる。舗装道路まで降りてからは多少はペースを上げたが、バス停に着いたのは4時近くのなってしまった。もう少し早く着ければ、コースNo5にも足を延ばせたのだが、今から登りだすと、撮影ポイントである日の出山に着くのは暗くなってしまうので、このまま帰ることにした。


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2024年1月 4日 (木)

坂東33箇所札所巡り一筆書き達成

坂東33箇所札所巡り一筆書きの最後として大晦日の晩に国府津駅をスタートし、途中で湘南平に寄り道して仮眠後に初日の出を眺めながら大磯方面に下山する。そこから先は国道一号線を離れて相模湾沿いの道を進む。東海道五十三次を歩いた時は一号線を進んだので、違う道を歩くのは多少は気が紛れる。

江ノ島が近づくと人が急に多くなる。江ノ島と結ぶ橋は人が数珠つなぎとなっているが、そこは素通りして隣の小通(こゆるぎ)岬に向かう。というのは関東ふれあいの道の撮影ポイントがあるからである。ところが岬の先端に繋がると思われる道を進もうとしたら、ロープが張られていて「1月1日は通行止め」と書いてある。しかたがないので、そこで写真を撮ったが、後日もう一度来てみても撮影ポイントとなる場所がわからず、適当な場所と東側の神社の二箇所で写真を撮っておいた。


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やがて鎌倉市内に入ったが、夕方近くとなってきて4箇所の札所全部で納経を済ませるのは困難となってきたが、納経ができなかった札所は後日に再訪することとし、今日は一筆書き歩きの達成だけを目指すこととした。四番札所には納経受付終了の10分前に着きギリギリセーフとなった。本堂前からは相模湾が見渡せてのんびりしたいところであるが、時間の余裕がないので先を急ぐ。



鎌倉駅手前の三番札所には5時10分前に着いたのでひょっとしたら間に合うかもしれないと淡い期待もしたが、既に門は閉められていたので二番札所に向かうことにする。二番札所の手前で道を間違えて寺の裏側の道を通ってしまった。正しい道に戻ろうかとも思ったが、どうせ山門が閉まっているに違いないので、戻ってもしょうがないと思い直して、そのまま一番札所に向かうことにした。ちなみに後日、二番札所に納経のために来た時はこの道から直接二番札所に向かってみたが、藪漕ぎをさせられるたいへんな道で遠回りでも正規の道を行った方がずっと楽であった。

ゴールの一番札所までは緩い登り坂が続き、重荷が肩に食い込んでつらかった。苦労の末にゴールに辿り着いた時はほっとしたが、山門は暗闇の中だったのでバスで鎌倉駅に向かった。昨年の1月から始めた一筆書き歩きもなんとか終えることができ、もう歩かなくてもいいという安堵感に浸る一方で、一抹の寂しさも感じることとなった。

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2023年12月29日 (金)

坂東33箇所札所の一筆書き達成にリーチ

 

今日は長丁場になりそうなので、5時過ぎに家を出る。前回の続きで鶴巻温泉駅からスタートする。7番札所の光明寺までは小一時間の歩きだが、早く着きすぎて納経受付まで待たされるのではないかと心配したが、8時半からの受付だったので問題はなかった。
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ここから次の札所までの経路は山間部を通るものと相模湾まで南下して、海岸線を行くコースがあり、距離的にはほとんど変わらないようである。後者を行くと帰り道に同じコースを歩く部分が多いので、最初は前者のコースを行くつもりだったが、後者はほとんどが関東ふれあいの道の神奈川県のコースNo7と重複していることがわかったので、一石二鳥となる後者のコースをとることにした。

後者のコースは鷹取山という標高200メートルちょっとの山を越えていくのだが、山頂は稜線から少し離れていて通り過ぎてしまったようなので、どうしたものかと思ったら、このコースでの証拠写真となる撮影ポイントは山頂ではなく、神社であることがわかったので、神社をバックに写真を撮って、山頂には寄らずに大磯方面に下山した。
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国道1号線に降りたってからは、単調な歩道歩きが続くが、5番札所の閉門までには充分余裕をもって着けることがわかっていたので、気持的には楽であった。

閉門の1時間半前の3時半に札所に着いたので、荷物を整理してから納経を済ます。これで33番から5番までの納経か終わり、残すは鎌倉近辺の4札所のみとなり、次回で33番札所の一筆書きも達成できる見通しとなった。そこで少し戻った所のラーメン屋で達成の前祝いを兼ねてビールで乾杯をした。
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ただ鎌倉までは随分と距離があるので、今日のうちに少しでも先に進んでおきたいところではあるが、アコンカグア登山のトレーニングとして担いできた10キロほどの荷物が肩に食い込んでいたくなったため、当初予定していた二宮駅の一つ手前の国府津駅までで今日はお終いとすることにした。まあ五キロほど次回の歩行距離が長くなることとなるが、その程度なら問題はないだろう。

 

 

 

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