歩き

2025年11月26日 (水)

天竺山

元々高い山の少ない東京百名山の中でもとりわけ低い山である天竺山(310メートル)は、これ単独で登りに来るほど
でもないので、他の山の帰りに登ろうと思ってたら、五日市に降りるのがいつも暗くなってしまい、登らずじまいに終わっていた。そこで、今回は天竺山のみを目標として登ることにした。ただそれだけではつまらないので、福生までは自転車を使い、福生から五日市まではシルバーパスを利用することにした。

 

11月24日

 

武蔵五日市駅から天竺山までの標高差は200メートルちょっとなので全然大した登りではないが、危険なアーバンベアが我が物顔にしている地域なので、人家から離れるやいなや熊よけホーンを鳴らしっぱなしにする。というのは、熊鈴が有効なのは、山の熊に対してであって、アーバンベアに対してはむしろ熊を引き寄せかねないものになってしまったからである。

 

大した登りもなく頂上に着いたが、そこから眺められる東京方面の展望はなかなか見事であった。初日の出を見る場所としては絶好の場所かもしれない。
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バスと自転車で行きと同じ道を戻ったが、途中で暗くなってしまい、1日がかりのコースとなった。

 

 

 

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2025年11月23日 (日)

妙義集中登山

 

後期高齢者となり、自分ではまだまだ元気だと思っていてもなにがあっても不思議ではない年齢になっていることを自覚して、今後は単独行はなるべく避けた方がよいと考えて地元の山岳会に入会することになったが、今回は入会後初めての会山行である。

11月15日

荻窪駅でピックアップしてもらって妙義方面に向かう。今回はマルチピッチ主体の山行が組まれているが、1パーティーだけ一般登山路のコースがあったので、久しぶりのアルパインでもあり、初日は一般登山路のコースを歩くことにした。

妙義神社の横から登りだす。1時間ほどの急登で稜線近くまで達する。このあたりから鎖場も現れてちょっぴりスリルも味わえるようになる。稜線に出ると結構登山者も多くなり展望も素晴らしくなってくる。

表妙義は30年以上も前に歩いたことがあるが、どのあたりを歩いたのか全く記憶がない。ただ古い地図をみると、縦走路の南部にある金洞山がわずかの差ながら最高地点となっているので、おそらくそこを登ったのであろう。ただ最新の地図では相馬岳がわずかながら金洞山を上回っているようになっているので、最高点にはまだのぼっていなかったことになり、今回はぜひ相馬岳を登っていなかったことになる。

白雲岳を過ぎてタルワキのコルを過ぎるとすぐ先の相馬岳までは人登りである。相馬岳は今日一番の賑わいである。あまり長居はしたくないところであるが、相馬岳北稜パーティーが間もなく到着しそうだったので、しばらく待つことにする。

1時間ほど待つと北稜パーティーと合流して記念撮影をするが、集中登山らしい雰囲気を味わえた。
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北稜パーティーは西側のキャンプ場に直接下山し、我々は反対側の妙義神社近くに駐車してある関係で、彼らと別れて大回りでキャンプ場に向かうが、キャンプ場では焚き火と鍋物で大いに盛り上がった。

11月16日

今日は3人パーティーで金鶏山から筆頭岩のコースに向かう。金鶏山への登りはかなりの急登で、岩場が始まってからもロープを出すほどでもないので、そのまま登り続けたが、神経を多少使うところであった。案の定、1人が掴んだ岩が取れてしまって少し滑り落ちたが、幸い大事にはいたらなかった。
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金鶏山から筆頭岩までは地図上ではさほど距離はないようだが、道が不明瞭で右往左往してしまったり、スラブの横断を慎重におこなったりしたため、筆頭岩の取り付きに着いたのは2時になってしまった。
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3ピッチのルートなので、時間的には充分登りきれるはずであったが、積極的に登ろうという意見も出なかったので、これで下山することとなってしまった。

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2025年11月 2日 (日)

東京百名山(万六ノ頭、松生山)

11月1日

 

前日、妻と宿泊した数馬の宿を先に出てバスで笹平に向かう。本日の最初の目的地である万六ノ頭は笹平ではなく手前の柏木野から登ることが判明したので、少し戻ることになる。

 

橋を渡ってから標高差500メートルほどを登ることになるが、しばらく登ってから地図を確認すると、万六ノ頭に直登する分岐点を見過ごしてしまい、巻道に入っていることに気づいたので、万六ノ頭目指して直登することにした。

 

万六ノ頭は展望の利かない所でわざわざ登りに来る価値もないところだが、東京百名山に選定されているので仕方なく登りに来たようなものである。
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下りも退屈な道だったので、熊よけを兼ねて音楽を大音響でかけていたが、登山口近くまで降りたら、下から登ってくる人がいたので、あわてて音響を絞る。こんな山を登りに来る人がいるんだと驚いた。

 

登山口まで降りると、しばらくして数馬行きのバスが来たので乗車し、上川乗で下車して昼食後に浅間嶺経由での松生山を目指す。

 

松生山までの標高差は530メートルあるが、4時半のバスに間に合うためには登りは2時間以内で登頂する必要がある(最終バスまでは十分余裕があるが)。1時過ぎに出発し、いつにない速いペースで登りだす。

 

浅間嶺の少し先からは5万図では道の表示がなくなるが、踏跡はしっかりしており、マーキングも多数あるので、登高には問題はない。傾斜の緩い所では小走りで行き、予定通り2時間弱で松生山に達する。
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頂上で行動食を補給してから下山に移る。浅間嶺の展望台では景色を楽しみたい所だが、そのまま前進する。浅間嶺からは下りとなるので、トレランモードで先を急ぎ、バス停には5分前に着いてなんとかバスに間に合い、思ったよりも早く五日市駅に戻ることができた。

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2025年10月24日 (金)

上高地に全員集合

娘が1歳の誕生日の時に上高地に親族が全員集合したのに続いて、その二十年後にも上高地に集合したが、今年はさらに二十年たったので、三度目の全員集合となった。

 

10月18日

 

第一回の全員集合の時からの常宿である中の湯温泉に送迎バス、路線バス、マイカーとでバラバラに向かい、全員集合は4時半過ぎであった。夕食後にバースデーケーキで娘の41回目の誕生日を祝った。
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孫2人に星空を見せたかったが、あいにく雨模様となってしまった。明日の上高地は晴れてほしいものである。

 

10月19日

 

全員の日頃の行いが良かったせいか、雨は止み天気は回復傾向であった。宿の送迎バスで上高地に移動し、下車すると全員集合の記念撮影を行うべく河童橋に向かう。

 

河童橋に着くと、相変わらず観光客で賑わっていたが、まだ穂高の峰々は雲に覆われていたので、しばらく辺りを散策して天候回復を待つ。

 

小一時間もすると稜線も望めるようになったので、全員集合の記念撮影を行う。
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これで今回のスケジュールは成功裡に終わったが、しばらく時間を潰した後、子供たちは帰宅するためにバスに乗り込み、妻とその妹二人は平湯温泉に向かうので、ここで私は一人になって横尾のキャンプ場に向かう。

 

穂高周辺はほとんど歩き尽くしているが、まだ訪れたことがないところで、前から行きたかった氷河公園の天狗池を訪れるために横尾に泊まり、余裕があればさらに翌日に涸沢も往復してこようという欲張った計画である。

 

10月20日

 

夜中にかなり雨が降ったが、明け方になると天気は回復してきたので、7時に予定どおり出発する。天狗池と横尾の標高差は900メートルちょっとあるが、12時頃には到着し、4時頃には横尾に戻れるだろうと皮算用をしていたが、「取らぬ狸の」であることを思いしらされることになった。

 

必要最小の荷物しか持たず空身とかわらないほどの荷物鹿背負っていないにもき関わらず、まるでぺーすが上がらず、他の登山者に抜かれっぱなしになる。ここで、天狗池の到着予定時間を1時に変更せざるをえなくなった。

 

森林限界を越えると槍沢上部の視界が開けて素晴らしい眺めである。右側には若い頃に登ったことがある赤沢山の岩壁が望めて、嫌が上でも元気が出てくる。その割にはペースは依然として上がらないが・・・
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やがて道は槍沢と別れて天狗池方面に向かうことになる。到着予定時間の1時には目的地の高度近くまでは達したが、天狗池まではしばらくは高度はほとんど上げずに斜めに登っていくことになる。

 

振り返ると、今までは見えなかった槍ヶ岳の穂先が間近に望めて、ここまで来た苦労が報われた気がしてきた。間もなく天狗池に達したが、残念だったのは紅葉はほとんど終わっていたことである。こればっかりは仕方のないことである。
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わずかに残っている紅葉や池に映る逆さ槍を写したりしているうちにあっという間に時間は経ってしまい、下山を開始したのは2時半となってしまい、明るいうちに横尾まで降りられるかどうかは微妙になってきた。まあ暗くなってから下山したからといって別にどうということはないのだが・・・。熊の出没リスクは高まるが、熊ホーンという強力な武器もあることだし(登山者が通らない時間帯でないと、安易な使用には顰蹙を買いかねないが)

 

結局、横尾に戻ったのは6時を回ってしまい、真っ暗になっていたが、疲れ過ぎたためか食欲もあまりなかったため、小屋でロング缶を買い、中の湯から持ち越したツマミで無事成功を祝い、カップ蕎麦で締めることにした。

 

10月21日

 

当初の予定では、本日は涸沢まで往復するということでしたが、昨日の疲れも残っており、天狗池の様子から察すると、涸沢の紅葉も終わっている公算が強いので、涸沢までは行かずに途中の屏風岩の全容が望める地点まで行くことにした。

 

横尾から三十分ほど歩いた地点に屏風岩の全容が望める地点があったので、そこにしばらく滞在して、各ルートの確認をすることにした。四季を問わず通った岩場で10回近く登っているが、振り返れば懐かしい思い出ばかりで胸が熱くなった。30分ほど滞在してから、その場を後にしたが、もうこれで見納めかと思うと去りがたい気持ちで一杯であった。
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横尾から上高地までの下山は数え切れないほど通った道であるが、思い出に浸りながら歩いていると思いの外早く上高地に着くことができた。天気は下り坂であるにもかかわらず、河童橋からの穂高のパノラマは初日の時よりも見事であった。
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上高地のバスは今は予約制になっているので、帰りの時刻が未定で予約をしていなかったことから少し不安があったが、1時間ほど待ち合わせで乗ることができたし、ラストオーダー5分前に食堂に入れてランチにありつけたのはラッキーであった。

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2025年10月 4日 (土)

関東ふれあいの道 茨城県NO1〜5

だいぶ涼しくなってきたので平地での行動も可能と判断して、関東ふれあいの道の茨城県コースの仕上げに向かうことにした。まずは北部のコースのNO1から5までを1日でつなげないかと考えてみた。単純に各コースの参考タイムを合計すると20時間以上となってしまうが、本来のコースは度外視して各コースの撮影ポイントを繋げるだけならば、舗装路だけで60キロ程度なので、多少はアップダウンはあったにしても、自転車ならば1日で行けるだろうとはんだんした。ただ長丁場になることも考えられるので、前夜に小山駅周辺で一泊して、1日をフルに活用することにした。

 

10月4日
朝8時半に真岡鉄道茂木駅を出発して約10キロ先の那珂川に下っていく。那珂川沿いに5キロほど緩やかに下って御前山青少年旅行村への分岐点で那珂川を渡る。旅行村まで300メートルの所から傾斜が急になるので、自転車は置いて歩き始める。旅行村にはほどなく着いたが、撮影ポイントは展望台とのことなので階段を登り始めるが、これが長いったらありゃしない。性根もついた頃にようやく展望台に到着する。

 

ここから本来のNO1のコースは御前山を越えていくのだが、NO2のコースの撮影ポイントである仏国寺に向かってショートカットするために反対側の御前山ダムに向かう。

 

御前山ダムに沿ってしばらくは平坦な道が続くが、そのうちに登りが現れるのだろうと思っていたところ、気が付かないうちに下りに変わって仏国寺の階段下まで来てしまったのには拍子抜けしてしまった。ただ仏国寺の階段がまた長くて往生してしまった。

 

仏国寺からコースNO3の徳蔵寺までは基本下りで楽であった。徳蔵寺にも少し登りがあるだけで辿り着けるが、撮影ポイントである大師堂の建物がどこだかわからず、参拝している人に聞いて、なんとかわかった次第である。

 

ここからは本来はNO4のコースに入るべきであるが、NO5のコースの撮影ポイントである楞厳寺(リョウゴンジ)がコースの始めにあって、そちらに先に寄った方が効率的なので、順序を違えて行くことにする。

 

楞厳寺へは久々に登りとなって、間もなく山門に着く。まだこれから登らなくてはならないのかと思って資料を見てみたら、撮影ポイントは山門とのことなので、ショートカットと決めている本日はこれ以上は登らなくていいことになったのでホッとする。

 

本日の最後のコースとなるNO4の撮影ポイントである佐志能神社に向かって移動するが、途中通過する笠間稲荷神社付近は土曜日といつこともあって、かなりの観光客でにぎわっている。

 

喧騒を逃れて佐志能神社を目指して坂道を登りだすが、途中で雨が降り出してくる。神社の下の駐車場に自転車を置いて神社を目指して登りだすが、神社のすぐ下に天守跡の石碑かあり、こちらも撮影ポイントのようなので、写真を撮っておく。

 

これで降りてもいいようなものだが、佐志能神社はすぐ上にあるようなので、足を延ばしてみる。すると「崩壊の危険があるので立入禁止」の立札がある。ここで思い出したのは、神社のある場所は関東百名山(ただし、同名書籍の新版のみで取り上げられている)の佐白山の山頂でもあり、数年前にも山頂手前までは来たものの、立入禁止ということで引き返してしまい後悔したことがあり、今回登らないと永久に登る機会がないだろうということから、自己責任で登ることにした。

 

立入禁止の柵を越えて神社まで登ってみると、たしかに神社は崩壊寸前だが、東日本の震災以来そのままに放置されているようで、有力な氏子がいないためなのだろうか?まあ建物によりかかりでもしない限りは危険はないが、立入禁止としているのは、万一の場合の責任逃れなのだろう。
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関東百名山(新版分だが)の登頂という思いがけない成果も得て下山し、笠間の駅に着いて自転車を解体すると、それを見計らったように小山行きの電車もやってきて、早い時間に帰宅することができた。

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2025年9月29日 (月)

群馬新潟の山歩き

今回は関東百名山の残る二座、甲信越百名山の残る一座、関東ふれあいの道群馬県コースの残る3コースを全部終えてしまおうという欲張った計画である。

 

9月25日

 

最初の目標は関東百名山の立岩(たついわ)である。前回は今年の3月にトライしたのだが、思ったよりも雪が多くて途中引き返してしまったので、そのリベンジである。
 
最寄りのバス停を降りたのは12時過ぎで、そこから登山口までは2時間近く歩かなければならず、登山の一般的常識からすれば、遅すぎる出発時間となるのかもしれないが、立岩自体は2〜3時間で往復できる山なので、まあ許してもらおう。

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アプローチからの立岩遠望

登山口まで歩くと、駐車場に車が1台停まっている。出発の準備をしていると、3人の登山者が下山してくる。立岩から不動滝まわりで降りてきたようだが、私がたつに登ると言うと、「今から登るのですか!」と驚きとも非難ともとれる反応だった。「往復するだけなので、明るいうちに降りられると思います」と答えておく。

 

前回は雪に苦しめられた登りも、無雪期は快適に歩ける。この分なら往復2時間以内で歩けるのではないかと思ったが、稜線直下の岩場がそこそこ悪かったし、稜線に出てからも結構時間がかかってしまい、登山口に戻ってきたのは3時間を少々オーバーしてしまったが、なんとか明るいうちには下山できた。

 

その晩は駐車場の横の草地にテントを張ったが、周りには誰もおらず、ネットもラジオも通じるし酒も十分あったので、一人宴会で大音量で深夜まで過ごした。

 

9月26日

 

早朝にテントを撤収して歩き出し、下仁田行きの始発バスにギリギリで間に合う。下仁田からは関東ふれあいの道のコスNO10.11を通って松井田駅に向かうことにする。

 

最初の目標は中之嶽岳神社であるが、距離は14キロであるとわかっているものの、標高差がどのくらいあるのかは調べてこなかったので、出たとこ勝負である。

 

道路脇の標高表示が500メートルを越えるあたりから傾斜も増してきて、たまらずに自転車を降りて歩き始める。キャンプ道具一式を背負っていて荷物が重いので仕方ないんだけど情けない。

 

ようやく中之嶽神社に着いてホッとしたが、資料を良く見ると撮影ポイントは神社ではなく、すぐ先の所から登った第四石門ではないか。どのくらい登るのかはわからないが、空身で往復するのだから何とかなるだろう。
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第四石門

第四石門までの最短路を登りだすと、意外とすんなりと辿り着いた。すぐに自転車の所まで降りて次のコースの撮影ポイントである妙義神社に向かう。

 

道はどんどん下っていくが、妙義神社の手前で登り返しがあるのではないかと少し不安になる。ただ地図を見る限りでは、妙義神社手前の道は曲がりくねってはいないので、まず登りはないだろうと判断したら、その通りであった。

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ここまで楽をさせてもらった反動というべきかどうかは知らないが、神社までの石段の長いこと長いこと。ようやく辿り着いて参拝もそこそこに写真を撮ってすぐに降りてしまう。

 

ここから松井田駅までは数キロの下りだが、グーグルマップて調べると駅の周りには昼前に営業している飲食店はないようなので、神社の近くの飲食店で食事をすることにした。ただし、まだ駅までは自転車に乗るので、ノンアルコールビールで我慢することにした。

 

思ったよりも早く降りられたので。新発田駅近辺のホテルを調べてみると、駅近くで空いているホテルがあったので早速予約した。本当は連泊したかったのだが、翌日は土曜日のため空室は駅周辺にはなく、やむをえず翌日はネットカフェに泊まることにした。

 

その晩は近くの居酒屋に入ったが、九州を本拠とする全国チェーンのため、日本海の海の幸ではなく、トビウオとか明太子を肴に飲むことになってしまった。

 

9月27日

 

今日は登山口までの25キロを自転車で行かなければならないので6時前にホテルを出発するが、不要な荷物をコインロッカーに預けるため駅に立ち寄る。登山口までは標高差は300メートルほどあるが、水平距離も長いので急傾斜はなく、ダム直下のやや急な登りも含めて自転車を降りずに進むことができた。

 

8時半過ぎに登りだすと、すぐ後を登り始めた登山者が、私が自転車で来たことを驚いていたが、彼の登高スピードは早く、あっという間に見えなくなってしまった。

 

中間点である岩岳まで急傾斜が続くが、ここまではなんとかコースタイム通りに来ているので、ここで大休止をする。腹ごしらえをしながら蒜場山の大展望を楽しむ。
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岩岳から先はしばらくはアップダウンが続いて高度が稼げない。途中の顕著なピークである烏帽子岩を過ぎてしばらく登ってから振り返ると先ほどの烏帽子岩に人影が見えたので、頂上に着く前に追い抜かれるかなと思っていたら、さほど時間がしないうちに背後に人の気配を感じて振り返ると、先程の人がもう背後に迫っている。どうやらトレランの人のようである。

頂上に向かって急な登りになってきた頃、まずは朝出会った人が降りてきて、もうしばらくするとトレランの人も降りてくる。私のペースはコースタイムよりは少し落ちたが、それでも2時前には登頂でき、これならばなんとか明るいうちに下山できそうであった。甲信越百名山全山登頂達成の喜びもそこそこに下山に移る。

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下り始めは順調だったが…岩岳手前のアップダウンで参ってしまい、こんなに登り返しがあるとは、思ってもみなかった。その後は登山口までは下り一直線ではあるがペースは上がらず、暗くなる直前になんとか登山口まで降り立った。

 

新発田駅までは緩い下りが続くので、ペダルを漕ぐこともブレーキをかけることもなく、1時間半ほどで着くことができた。駅前で夕食をとるつもりだったが、レストランはなく、居酒屋ばかりだったので、ネットカフェまで自転車で行く関係で駅弁で我慢し、ネットカフェ近くで祝杯をあげようと思ったが、疲れ切っていたので、そのままバタン急となってしまった。

 

9月28日

 

連日の疲れがたまって予定していた関東ふれあいの道群馬県コースの最後となるコースNO18の高山高原展望台までの約15キロを自転車で上がるのは困難に思えたが、せっかく来たのだからタクシー利用でもいいから展望台まで行って写真を撮って群馬県コースを終わらせようと思った。

 

沼田駅からタクシーに乗るが、少しも高度を上げずに日本ロマンチック街道を進んでいく。なんだかなあと思っていると、高山村に入った所で左折してようやく高度を上げていく。

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日曜日ともいうこともあって、展望台には何人かの観光客も来ていた。証拠写真を撮ってから下山に移るが、今来た道だからということで、地図もよく見ずに適当に下っていったら、渋川方面への道を進んだり、はたまた長野原方面の道を進んだりと、全く東西南北がデタラメで、自分の方向感覚のなさを再認識させられた。

 

これではいかんと地図で方向を確認しながら進むことにした。無難なのは、来た道のロマンチック街道に降りる道だが、少し遠回りのように思えたので、ほぼ真東に向かう道路があったので、そちらを進むことにした。上越新幹線のトンネル部分の真上を通るようで、次第に登り道となっていく。そのうちにトンネルが出てくるだほうと期待したが、トンネルはなく峠の上まで登らされてしまった。このくらいだったら、高山高原の展望台までタクシーを使うこともなかったなと思ったが、後の祭りである。

 

沼田駅に着いたのは、高崎行きの電車が発車する直前で乗り遅れてしまったが、次の電車は15時台は1本もなく、1時間半近く待たされることになり、予定していた関東百名山の最後の三毳山には明るいうちに着くことは不可能と思えたので、今回はまっすぐかえることにした。

 

三毳山は標高200メートル台の栃木県佐野市にある低山で、なんで関東百名山に選ばれているのかわからないが(「山高きゆえに貴からず」ではあるが)、今回は高崎からの帰り道に登るつもりですいた。ただ、距離的には東北線の小山駅からの方がはるかに近いので、今度茨城県の関東ふれあいの道のコースを歩く時に併せて訪れてみようと思った。

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2025年9月19日 (金)

富士山精進口登山道

今回富士登山を思いついたのは、3年前に上の孫が小学校2年生時に富士山に連れて行ったので、下の孫が小学校2年生になる5年後に富士山登頂を目指すには、年一回くらいは富士山を登っておかないといけないと思ったからである。因みに我が家では私の母も子供の時に登頂しているし、娘も小学校2年生の時に登っているので4代にわたって富士山を登頂していることになる。ただ今回は新宿から五合目までの始発の高速バスが満席でとれなかったので、鉄道+路線バスで向かうことになって五合目登頂か10時半となるため山頂まで行くのは諦めて八合目往復とすることにした。

 

9月17日

 

五合目に到着すると結構賑わっていたが、ほとんどは観光目的で10日の閉山後は登山目的の人はほとんどいないようである。登山口は厳重に封鎖されているが、それを乗越えて登山道に降り立つと、後ろから同様に乗り越えてきた人はあっという間に視界から消えてしまった。この時期に登りに来る人はどうも常人ではないようである。その後も10人近くに抜かれたが、いずれも外人ばかりで、それも健脚揃いであった。なかには上半身裸で小さいザックだけを背負っているというクレイジーな人もいて、天骨が悪化したらどうするつもりなのか、他人ながら心配になった。

七合目の一番下の花小屋に着くと、ここで昼飯を食べ、最小限の荷物だけを持って軽装で八合目に向かう。帰りのバス等の時間もあり、1時には下山するつもりであったが、1時を少し回った頃に八合目の小屋に着く。ここの高度は三千メートルを少し上回った程度で、本当はもう少し上まで行きたかったが、最近は二千メートルを下回る山行が続いているので、この程度でも多少は「高所順化」の効果はあるかなと思いながら、しばらく休んでから下山に移る。
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六合目まで降りたのは3時半で、スバルライン五合目の店の終了は4時なので間に合いそうもない。夕食用としてフリーズドライを用意はしてあるが、五合目で早めの夕食を摂れればと思ったものの、閉店には間に合いそうもない。

ここで名案が浮かんだ。少し遠回りにはなるが、五合目の佐藤小屋によって食事してからスバルラインに向かえば、最終バスには十分間に合いそうであった(佐藤小屋が営業中のことは確認済であつる)。

佐藤小屋では食事の提供は終わっているとのことだったが、ラーメンなら作ってくれるとのことなので、ビールも注文して一息つくことができた。今夜のテント用としてビールと水も買ってスバルラインに向かうことにした。

スバルライン五合目には5時前に着いたので、最終の一本前のバスに乗れることになった。三合目で下車したが、こんな時間に三合目で降りる人はまずいないだろうから、運転手に不審がられたが、精進口登山道を降りるといったら、そんな道があることは運転手もしらないようだった。実は精進口登山道は五合目から始まるのだが、以前に五合目から精進口登山道を下り始めたのだが、思っていたよりも時間がかかったため、三合目からバスで帰ってしまったので、今回は三合目からのスタートとなる。

三合目から下り始めると間もなく暗くなってくる。熊の活動活発時間帯でもあり、こんな時間に登ってくる人がいるはずもないので、熊鈴だけでなく、熊ホーンを猛犬モードで鳴らし続ける。そのうちに真っ暗になってしまったので、これ以上先を急いでもしょうがないと思い、平らな場所を見つけてテントを張る。テントの中でビールとつまみで夕食の代わりとする。また食後の長い時間はスマホに保存してある音楽を大音響で鳴らして暇つぶしとともに熊よけも兼ねる。まあ周辺には絶対に人がいるはずもないので、良しとしよう。

9月18日

夜明けがだいぶ遅くなってきたこともあり、出発は6時半となってしまった。緩い下りが延々と続いて退屈なので、スマホを鳴らしながら進んでいく。途中に有名な青木ヶ原樹海が通っているので、どんなところかと思っていたら、高原状の草原地帯だったので、拍子抜けであった。また氷結もいくつかあったが、登山道からは少し離れているようなので、素通りしてしまった。
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長い長い歩きで精進口登山道の入口にに降り立った。 これで、村山古道や主杖流といったあまり登られてないコースも含めて富士山を巡る全コースを歩いたことになった。

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その後、湖畔のほとりにあるレストランでビーフカレーと生ビールで無事を祝う。この後は朝霧高原まで移動して、富士市にいる山友達に会いにいく予定なのだが、富士宮までのバスは夕方までないので、時間つぶしをしなければならない。

まずは本栖湖まで移動するのだが、路線バスは2時間近く先なので、歩いた方が速いと炎天下を1時間近く歩く。ここから朝霧高原までの間は東海自然歩道が自動車道を離れて通っているのだが、数年前に歩いた時には時間が足りなくてショートカットして自動車道を歩いてしまったので、今回は自然歩道を忠実にあるくことにより、夕方までの時間潰しを兼ねようと思った。

まずは本栖湖の先で自動車道を離れて迂回して県境に達して自動車道に戻るコースである。なかなか変化に富んだコースで思ったよりも時間がかかり、県境の自動車道に戻った時は5時近くになってしまったので、もう一つある迂回コースはさらに長いコースでもあるため、機会があったら次回に行くことにした。

県境にもバス停はあるのだが、かなりの時間は待たなければならないので、もう少し先にある道の駅まで行けば、店は閉まってしまっていても自販機で喉を潤わせることはできるだろうと峠を下り始める。丁度左側に夕日を浴びた富士山が望めて、2日間に渡った歩きの疲れを癒してくれた。
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道の駅では残っていた食料と缶コーラで空腹を紛らわせ、着替えをしたりして時間を潰し、1日3本しかないバスの最終に乗って富士駅方面に向かい、しばらくぶりに会う山友達と旧交を暖めることができた。

 

 

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2025年9月10日 (水)

猛暑に抗して

猛暑が一段落するまでは登山は避けた方が無難だが、そんな中にあって猛暑の影響を受けにくい方法を考えてみた。

 

8月24日

 

まずは純粋の登山ではないが、関東ふれあいの道の群馬県コースのコースNO18の高山高原牧場である。ホームページではタクシー利用が勧められているが、地元の渋川の駅前プラザでは電動アシスト自転車を朝9時から無料で貸出しているので、これを利用すれば暑くならないうちに目的を達し、昼過ぎに降りてくる計画を組めば、猛暑しらずでサイクリングを楽しめるのではないかと取らぬ狸の皮算用を行った。

 

9時丁度に渋川の駅前プラザで自転車を借り受けるが、まずはルート設定で失敗した。国道沿いの道を行かずに地図上の最短経路で行こうと考えたのだが、実際に行ってみると、アップダウンが激しいだけでなく、道は大きく蛇行していて、最短経路どころか大きく遠回りする道となってしまったのである。

 

1時間ほどロスして、本来のコースに復帰できて、しばらくはそのまま進んでみたが、コース19キロのうち5.5キロを残した所で予定していた引き返す時間となり、バッテリーの残量も乏しくなってきたので、残念ながら引き返すことになった。

 

駅前に戻り和定食の店で喉を潤し、空腹を満たしてから、隣駅の後閑に移動する。午後の目標は関東百名山の三峰山で、駅から登山する道もあるようだが、この猛暑の中をとても登る気がしない。そこで、3時頃まで待ってからタクシーを呼び、標高700メートルくらいの所にある河内神社直下の登山口まで運んでもらってから登山を始めれば暑さはしのげるし、6時ころまでには登山口まで戻れるだろうから、タクシーで登ってきた舗装路ならば暗くなってから下っても問題ないし、暑さ対策にもなって一石二鳥だと思った。

 

山頂までは2時間ほどで問題もなく到達したが、下山に移ると登頂前から降り出していた雨が激しくなってきた。
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雨水は斜面全体を覆ったため、気付かないうちに登路を見失って後閑駅に直接降りる道に進んでしまったようだ。そのことには気づいたが、よく踏まれた道でありマーキングもしっかりしていて、要所には指導標も設置されていたため、この道を降りた方が早いと判断して、そのまま降り続けた。

 

道自体は川の中を歩くような状態だったが、そのうちに両足にちくりという刺激や痒みが頻発するようになったため、ヒルに噛まれたのではないかと思ったが、暗闇が迫る中で立ち止まる気もしなかったので、そのまま歩き続けて後閑駅まで降りてきてしまった。

 

ここで始めて靴を脱いでみて驚いた。靴の中から何十匹というヒルが出てきて、足は無数に噛まれて血に染まっていた。今まで何度もヒルに噛まれたが、多くても数カ所を噛まれる程度で、こんなに無数に噛まれたことは初めてである。ヒルに噛まれてもしばらく血がとまらなくなるだけで、それ以上の実害はないのだが、とにかくヒルを処分することが先決だ。幸い、次の電車まではかなり時間があったので、体や衣服についてしまったヒルを完全に処分してから電車に乗って隣の沼田駅に移動して予約してあるホテルに向かった。

 

ホテルは地図から見る限りは駅からさほど遠くない所にあるように思えたが、沼田駅は谷底にあって町は高台にあるため、ホテルまではかなりの階段を登って行かなければならず、なかなか大変だった。本当はホテル近くの居酒屋にでも行くつもりだったが、ヒル騒動でそれどころではなくなり、ホテルでは見逃したヒルがいないかどうかをさらに調べて確認し、ようやく安心して眠りにつくことができた。

 

8月25日

 

今日はGWの際に途中で断念した関東百名山の笠ヶ岳に向けてのリベンジ山行であるが、沼田駅から尾瀬戸倉までは1時間以上もかかる遠距離路線である。さらにそこから鳩待峠までは普通車乗入れ禁止なので専用車に乗り換えなければならない。この専用車の本数がさほど多くないので、これが尾瀬に入るためのネックとなる。一応時刻表はあるのだが、予定の時刻よりも30分ほど早く出発してくれたので、行程がタイトな自分にとってはありがたい。

 

鳩待峠で下車すると休むこともなく歩き出す。鳩待峠からの帰りの最終バスが3時半なので、行動可能時間は5時間半しかなく、至仏山への道と別れてからのコースタイムは予測し難いときている。まあ最悪の場合は帰宅が翌日となってしまうことも覚悟の上である。

 

至仏山への分岐点までは1時間半と見込んだのだが、実際は2時間かかってしまい、鳩待峠の最終バスに間に合う可能性はかなり低くなってしまう。それでも戸倉まで急いで下れば沼田行き最終バスに間に合う可能性はあったので一縷の望みは残されていた。

 

指導標には分岐点から笠ヶ岳までは3キロと表示されていたが、平地ならいざ知らず、山道でどのくらい時間がかかるか予測しがたい。GWの時は雪のために稜線を進んで悪沢岳の頂上に達したが、夏道は山頂を巻くように作られている。前回は悪沢岳の頂上から笠ヶ岳がはるか彼方に望めて、とても辿り着けないと諦めて引き返したのだが、今回はガスっていて笠ヶ岳方面の展望は全くなく、前進するしかない。 

 

アップダウンはさほどなく踏跡も比較的明瞭なので、最低鞍部までは1時間ほどで到達する。それからしばらく登ったところで、本コースでは初めて他のパーティーとすれ違う。その先で小笠の山頂を巻く所で、笠ヶ岳まで1キロの標識があったので、もう登ったような気持ちになったが、それからが長かった。

 

前方に菅笠の形をしたピークが見えたので、ここで腹ごしらえをして空身で往復することにした。
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食後に歩き始めると、道は山頂を目指して直登するのではなく、山腹をずっと左の方に巻いていって全然高度を稼げないことに少し焦りだす。しばらく横に移動すると標識があって、そこからようやく山頂を目指しての道となるが、岩場が連続してなかなか時間がかかり、山頂に達したのは2時を回っていて、鳩待峠の最終バスに間に合わないことは確実であった。
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しばらく展望を楽しんでから下降に移るが、いくら下りても荷物が発見できずに少々焦る。少しウロウロしてから地図アプリを開くと、標識の所で左に横に移動しなければならないのに、そのまま下降してしまったことがわかり、正しい道に戻って進むと荷物も見つかって事なきを得た。

 

後は来た道を戻るだけだったが、そのうちに雨が降り出し、昨日ほどではないが、かなりの降りとなってきた。雨具は着込んでいるが、それでも長時間振り込められていると、低体温症になる恐れもあるので、笹が生い茂って雨除けができる場所で小降りになるまで雨宿りすることになった。

 

三十分ほど休んでいたが一向に止まず、このまま時間を空費していると、明るいうちに鳩待峠に着けなくなるので、風も吹いてないことだし傘も使えそうだということで歩きを再開した。すると頭上には青空も見え始めて雨も止んだので、なんなく至仏山からの道と合流することができ、後は何の問題もなく、足を前に出していくだけで、鳩待峠まで降りていくことができた。

 

戸倉に降り立ったのは9時で、早速旅館に宿泊を頼もうとしたが、学生相手に貸切となっている所が多く、どこにも泊まれずバス停で一夜を明かす羽目となってしまった。
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2025年8月17日 (日)

戦後80年に原爆巡礼

今から10年前に戦後70年を迎えたことをきっかけとして、広島長崎の原爆式典に参加したが、戦後80年を迎えた今年も広島長崎を訪れることにした。

 

前回の経験から式典前夜の広島近辺の宿は早くから予約しないと無理なことはわかっていたので、発想を転換して、前夜は三原〜広島を自転車でナイトツーリングで踏破することにした。同コースは日本海岸線踏破を目指していた頃に、ランニングでの踏破を試みたことがあるが、海岸線を通らずに内陸部の最短コースを通る結果となり、今回はランニングから自転車に変えてリベンジすることにした。

 

8月4日

 

青春18切符の5日間連続乗車券を利用して初日は大阪を目指すことにした。というのは、数年前に妻と関西旅行した時に大阪の地下鉄全線乗車を狙ったのだが、時間不足で半分近くしか乗車できなかったので、今回はそのリベンジも兼ねているのである。

 

数回の乗り継ぎを経て米原に到着したが、時間があるのでここで寄り道して北に進路を取り長浜に向かう。以前に琵琶湖周回ツーリングの際に秀吉の最初の居城である長浜城に立ち寄ろうとしたが、列車の時間の関係で中には入れなかったので、今回そのリベンジのつもりであった。
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来年の大河は秀吉の弟が主人公でもあり、きっと大勢の観光客がいるだろうと思ったのだが、あたりは静まり返っている。もしやと思って近づいてみると、本日はお休みとのことである。果たして三度目のリベンジはあるだろうか?

 

気を取り直して大阪に向かい、梅田の駅で早速1日乗車券を買う。どの路線でも終点の駅に着くと、改札にも向かわず折り返しの電車に乗って次の路線に急ぐというただ乗車するだけの行為を繰り返す。万博のために一区間だけ新設された夢洲までの路線は時間が遅かったので、万博の客は帰った後で最終電車は終わっているのではと懸念したが杞憂であった。ただどういうわけか夢洲駅だけは1日乗車券では改札を通れないということで(単なる嫌がらせか?)、万博会場も見ることなく、4時間近くの乗り鉄の旅を終えることになった。

青字が今回、赤字が前回の乗車路線


 

8月5日

 

今日は中国方面に向かうので、午前中に前回は開園時間に間に合わなかった二条城を目指して京都に戻ることにした。京都は大阪と同様に外国人観光客で溢れていた。

 

二条城に着いてみると、なんと二の丸の建物内には入れないという。大政奉還の方針が諸大名に申し渡された大広間に行きたかったのになんたることか。庭は見物できるのだが、猛暑の炎天下を1時間近く歩かされて少々体にこたえた。
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午後からは広島県を目指しての18切符の旅であるが、4回の乗り継ぎで広島県内の三原に到着した時は薄暗くなっていた。ここからが前半のハイライトである呉経由のナイトツーリング100キロの始まりである。以前に日本海岸線の踏破を目指した時は、三原・広島間はウルトラマラソンのトレーニングとして走ったのだが、時間不足から最短路の内陸部を通過せざるをえなかったので、今回はそのリベンジを自転車で行おうとするものである。

 

日中は暑くてかなわないので夜間に実行することにしたが、ゆむくりめで行っても三原を7時頃に出れば式典には間に合うだろうという計算をたてて、三原のファミレスでしっかりと食事をしてから式典会場を目指すことにした。気温は30度近くはあったが、直射日光を受けず、登り以外は風も受けるので、比較的快適であった。

 

8月6日

 

2時頃に呉に到着。かつての軍港であり、大和と並ぶ巨大戦艦武蔵を建造した造船所があった所でもある。今回の行程の三分の二あたりで残すは30キロほどなので、成功を確信して駅近くにあるネットカフェに1時間ほど滞在して水分補給と体を冷やした後、式典会場に向かうことにした。

 

4時半には明るくなってきて、このまま何も起こらずに終わるのかと思いきや最後にちょっとしたドンデン返しがあった。というのは、グーグルマップで原爆ドームを目標に検索した道を進んでいたのだが、徒歩モードではなく、自動車モードで検索してしまったようで、行程最後付近の大橋が自動車専用となっていたため、徒歩モードに切り替えてみると、進路は反対側に大きく迂回しており、さらにはかなりのアップダウンを越えてようやく到達するというもので、式典の始まる8時前に辛うじて到着するという危ういものであった。おまけに以前にはなかった荷物検査が行われていたので長蛇の列ができ、黙祷の時間直前にようやく会場に入れるという際どいものであった。

 

会場では広島市長から始まる挨拶が延々と続くが、前回は挨拶を聞いた後に記念館の見学までおこなったものの、今回は早々と退散して、駅前で遅めの朝食をとりながら、テレビから流れる挨拶を聞いてお茶を濁した。
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広島駅からは一路九州へ移動する。佐賀県北部は鉄道を利用して周回したことがあるが、自転車では唐津から伊万里を結ぶ線以北は未踏である。長崎の原爆記念日前の7日と8日はフリーであるが、天気も今ひとつのようだし、どうしたものだろうか?

 

8月7日

 

前夜遅くに泊まった伊万里のネットカフェはローカルなネットカフェで安いだけが取り柄な所だったので、長居は無用と早々に後にする。

 

今朝は雨模様の天気だったので休養するかとも思ったが、炎天下よりはましかと思い直して半島北部を行ける所まで行ってみることにした。天気は思ったほど悪化せず、暑さもそ れほどでもなかったが、アップダウンが激しく行程が遅々として捗らなかった。

 

道が複雑に分岐していたので、道を取り違えないようにと地図アプリを拡大して使用していたが、それがアダになって全体的な進路把握かなされずに、本来進むべき半島の真ん中ではなく、左端を進んでいることに気付いた。正しい道に戻るのもたいへんなので、ここで引き返すことにしたが、出発点である伊万里駅までの距離を調べてみると35キロもある。平地ならば大した距離ではないが、アップダウンの激しい道で行きには5時間ほどもかかっているので、帰りも同じくらいの時間をみなければならない。それならばと唐津駅までの距離を調べてみると、こちらは22キロと比較的短いので、こちらを選択す?ことにした。

 

登り口を除けは、行きほどのアップダウンはなかったので、六時前には唐津駅に着くことができ、唐津線経由で伊万里に戻ることができたが、それからの宿探しがなかなかたいへんだった。前夜のチープなネットカフェにもう一晩泊まる気にはならず、かといって駅前のホテルはどこも満室となっていてホテル難民となりかねなかった。そこで駅から少し離れたところにホテルはないかと探して電話してみると、そのうちのひとつに空きがあってなんとか最悪の事態を避けることができた。

 

8月8日

 

松浦鉄道の1日乗車券を買って、沿線の三つの最西端に行ってみることにした。まずはたびら平戸口の日本最西端の駅である。10年前にも通ったことがあり、その時は途中下車はせずに車内から眺めただけだったが、ホームにはかなりの人がいたので、鉄っちゃんにとっては聖地のひとつなのかと思ったが、今日は誰も降りる人はおらず拍子抜けであった。
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松浦鉄道を南下して小浦駅で下車、そこからバスに乗って本土最西端の神崎公園を目指す。神崎入口で下車してから最西端の碑までは30分近くも歩かされるので、小浦駅から碑までは11キロ程度であり、自転車で来た方が良かったような気もしないではなかったが、かなり気温も高かったこともあり、バス利用は正解ということにしておこう。こちらの碑は何人かの訪問者もあるようで、まあ隠れた観光地なのかもしれない。
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松浦鉄道の終点である佐世保に着くと、そこから先はJR九州の路線となるが、駅前にはJR最西端の碑があるので、ここで最西端の旅の締めくくりとして写真を撮り、朝からろくな物を食べてなかったので、居酒屋で腹ごしらえと喉を潤してから長崎に向かった。
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本来は前半の旅の終了点である長崎でゆっくりと旅装を解きたい所であるが、10年前に来た時も原爆式典参加者が1年前から予約を入れていて長崎市内には空いているホテルはなかったので、今回は鼻から諦めてネットカフェに泊まることにしていた。

 

8月9日

 

早起きしたら長崎の西の方まで往復してこようとも思ったが、雨模様なのでやめてゆっくりと出発する。雨はますます激しくなってくるので、駅近辺に駐輪してバスで平和公園に向かうつもりで駐輪場を探したが、バイク用のものはあっても駐輪禁止と書いてあるので、やむをえず平和公園まで自転車で行くことにした。公園の近くに駐輪するつもりだったが、警備の警官かいっぱいいて、下手に駐輪すると文句を言われかねないので、だいぶ離れた所に駐輪する。

 

公園入口まで行くと、整理券がないと入れないと言われる。コロナの時からの措置だそうである。もっとも大きな荷物は持ち込み禁止となっているようなので、整理券があっても入れなかったかもしれない。
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黙祷が終わってから公園前を後にして自転車を回収して駅に戻る。自転車を解体するのに手間どったりして、新幹線の出発時間が迫っていたため、おにぎりで昼食をすませることになり、長崎の名産は食べずじまいとなってしまった。

 

今晩の宿は熊本地震によって不通となっていた南阿蘇鉄道が数年前に復旧したので、終点の高森の手前の駅近くのところを予約したが、途中で少し寄り道して西鉄本線の南半分を乗車しておくつもりである。西鉄本線の北半分は数年前に妻と太宰府に行った際に乗っているので、支線はともかく本線だけでも完乗しておこうと考えたのである。

 

最初は大牟田から西鉄二日市までを往復するつもりであったが、JR鹿児島線と西鉄本線は平行して走っている部分が多いので、JRの鳥栖からは南下せずに北上して二日市で下車して西鉄本線に乗り換えて大牟田まで乗車することにより、時間も費用も節約しようとするものである。

 

大牟田からは数回の乗り継ぎで南阿蘇鉄道との乗り換え駅である立野に着く。南阿蘇鉄道は熊本地震で被害を受けて不通となっていたが、一昨年にようやく全線開通となり、満を持して今回乗り込むことになったものである。ただ観光客はあまりおらず、乗客のほとんどは地元の人のようであった(全線開通を待ち望んでいた鉄ちゃんはとっくに乗ってしまったのかな)。

 

今夜の宿は南阿蘇鉄道沿線の古民家風で、テレビは懐かしいブラウン管である。ちょっとタイムスリップしたような気分にさせてくれるのがうれしかった。
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2025年8月 1日 (金)

群馬県内への避暑と温泉巡り

草津方面に避暑に来たが、標高が千メートルを越えているだけあって、最高気温も30度を越えることはなく、過ごしよかった(さすがに日中は暑かったが)。

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ライトアップされた草津温泉湯畑


7月22日

ホテルの近くに釣堀があったので行ってみたが、入れ喰い状態で三十分もしないうちに規定の三匹が釣れてしまい、面白くもなんともなかった。

 

釣り上げた魚は調理してくれるので、二匹は唐揚げ、残りは塩焼きにしてもらったが、そばを食べるには腹も減ってなかったので、缶ビールを注文して一匹ずつ食べ、唐揚げ一匹はホテルで留守番している妻へのお土産とした。

 

7月24日

 

草津温泉から1番近い観光地を探していたらチャツボミゴケ公園というのがあってホテルから歩いても半日ほどで往復できそうなので、行ってみることにした。

 

下界ほどではないにしても、猛暑の舗装路を歩くのは嫌だなと思っていたら、バスターミナルの1階の観光案内所でレンタサイクルを利用できるということなので、早速バスターミナルに行ってみる。ところが、観光案内所に行くと、現在はメンテ中で利用できないという。

 

代わりにレンタサイクルが利用できる別の施設を教えてくれたが、ここから30分近くも登り道を進まなければならないスキー場の所ということで出鼻を挫かれたような気分であった。

 

スキー場に着いて電動付きのレンタルサイクルを借りることができたが、ここでコース取りに迷うことになる。最初歩いていくつもりの時は最短コースを考えていたが、その道は舗装が最後までされているか不明で、ある程度降りてしまってから悪路になった場合は、登り返すのも大変だし、かといって悪路を進んでパンクしてしまうのも嫌なので、遠回りではあるが、グーグルマップの検索コースのうち、車によるコースを選択することにした。

 

全体的にゆるやかな下りが続いたが、最低部の橋を渡ると今度は登りが続き、たまらずに電動のスイッチを入れることになる。ところが、バッテリーの残量があまりないことに気付き、傾斜が緩くなるとスイッチを切って節約することになる。ここまで来る時はあまりバッテリーを使わなかったつもりだったが、満タンにはなっていなかったのかしら?

 

公園に近づくとようやくなだらかになり、電動スイッチはOFFのままでも大丈夫になったが、公園の受付を過ぎ、滝に向かう道でまた傾斜がきつくなってきたので、やむを得ずまたスイッチをONにする。

 

滝の周辺は酸に強いコケが生えていて独特な風景を見せてくれている。苦労してここまで来た甲斐はあった気がする。
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滝の上部を回遊してから下りに移って帰路に向かうが、途中から行きの道と別れて最短路に向かう(もし、舗装路が途中で悪路に変わっていたら自転車を降りて引いて行くまでだと開き直った)。

 

ところが、橋を渡るまでは下り一方かと思っていたが、実際は小さい尾根を越えなければならず、なけなしのバッテリーを使ったためにバッテリー残量が最小のマークにまで減ってしまう。

 

下りきって橋を渡り登りに移るが、幸いさほど急な登りではなくバッテリーの消耗も少なくて何とか出発点まで戻ることができたし、最後まで舗装路が続いていた。自転車を返して隣のレストランでラーメンを食べていると突然の豪雨となり、小止みになるまでそこで雨宿りとなったが、自転車に乗っている間でなくてラッキーだった。

 

7月26日

 

前日に草津温泉から赤城温泉に移動したのは気分転換の外に、関東ふれあいの道の群馬県コースのうちの未踏となっている不動大滝のコースを歩くためでもある。

 

朝食後に不動大滝を目指して出発する。舗装路を進んで粕川を渡る手前で山道に移るとすぐに大滝が目の前に現れる。落差20メートルはあるかと思われる見事な滝である。証拠写真を撮影後に来た道をそのまま戻れば近いのだが、ふれあいの道コースNO24番はやや下流の忠治温泉がゴールとなっているので、そこまで歩を進めることにする。

忠治温泉までは小1時間ほどの下りであるが、ふれあいの道にしては悪い道であった。実は今回泊まっている宿は自販機以外には間食の販売はなかったので、忠治温泉まで下れば何か買えるのではないかと期待したのだが、生憎まだ開業しておらず、開業準備のためか作業員が数人働いているだけだったので、食料調達はできないまま宿に戻らざるをえなかった。宿への戻り道は気温が上がってきて辛かったが、カーブごとに番号がふられていて宿の直下のコース番号は23番であることはわかっていたので、気分的にはだいぶ楽であった。

 

7月28日

 

今日は群馬県随一のロッククライミングエリアである有笠山に行くことにした。私の現役時代には登る機会のなかった有笠山だが、高難度ルートが密集しているエリアで一度は登ってみたかった所である。後年になって日本ロマンチック街道という日光から軽井沢までをつなぐロングコースを自転車で通った際に有笠山を遠望することができ、次は間近に見たいものだと思ったのだが、今回それが実現することができた。

 

バスとJRを乗り継いで沢渡には11時頃に着き、そこから小一時間ほどの舗装路歩きで東登山口である。途中、有笠山の岩壁が間近に見えたが、登山口のすぐ上にはフェアリーロックという岩場が聳えていた。何本かのボルトラインが確認できたが、いずれもグレード的にはかなり難度が高く、自分の現役時代でも登れない代物であった。
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西登山口への分岐点から頂上への登山道に移る。途中にはハシゴやクサリもあってスリルが楽しめた。頂上は樹木に覆われて展望は得られなかったが、このあたりの山域は元々不案内なので、展望が得られてもまわりの山名はわからなかっただろう。

 

下りは西登山口に向かったが、登りの時ほどの暑さはなく、思ったより早く林道に降り立つことができた。帰りは往路と同様の経路を辿ったが、歩いているよりも往復のアクセスの方が断然時間がかかったようだ。

 

7月29日

 

草津温泉周辺の目ぼしい観光地はだいたい訪れてしまったが、少し足を伸ばして野反湖に向かうことにする。野反湖は20年以上も前に上越国境尾根縦走の一環として白砂山から下山する際に近くを通ったことはあるが、その時は暗くて湖は見ることができなかった。

 

草津温泉から最短コースを辿れば25キロほどの距離なので、最初はレンタサイクルを利用しようかと思ったが、レンタサイクルにはスポーツタイプがなく、電動アシストタイプしかないので、野反湖手前の坂でバッテリーを使い果たしてしまい、帰りの草津温泉手前の坂ではバッテリーの切れた重い車体を引っ張り上げることになりかねないので断念した。代わりに長野原草津口駅までバスで降りると、そこから野反湖までのバスがあることがわかったので、妻と一緒に行ってみることにした。

 

乗り継ぎ1回と2時間弱の乗車で野反湖に到着するが、野反湖手前の登り坂は延々と続き、自転車で来なくて良かったと思った。足下には美しい湖と高山植物が広がり、長いバス旅の疲れを癒やしてくれた。
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バス停近くにはお店もあったので昼食をとり、3時間ほど後の最終バスで帰るつもりだったが、長時間待っても退屈するだけだし、連日午後になると豪雨となる傾向だったので、1本前のバスに乗って途中で下車して、日本一美しい村と宣伝している六合(クニ)村の山村風景を楽しみながら途中まで歩いて、最終バスで帰ることにした。

 

六合村最上部の花敷温泉で下車し、道の駅までの6キロほどを歩くつもりだったが、炎天下の車道歩きは下り一方とは言え妻には過酷だったようで途中のドライブインでダウン、おまけにドライブインも定休日だったので、ここで最終バスを2時間近く待つわけにもいかず。タクシーを草津温泉から呼んて帰る羽目となってしまった。

 

7月31日

 

最終日は当初の予定では、帰宅する妻と別れて、関東百名山とふれあいの道の未踏部分を行くつもりだったが、ここまでの行動で猛暑の低山は厳し過ぎると思い直して、もう少し涼しくなってから出直すことにした。ただこのまま帰ってしまうのはもったいないので、高崎駅からバスで行くことができる白衣観音を往復してくることにした。

 

白衣観音は高崎駅が近づくと目立つ風景で、前から気になっていたものだが、ふれあいの道のコース途上にあり、コース自体を忠実に歩くと結構な時間がかかるが、白衣観音が撮影ポイントとなっているので、インチキ臭くはあるが、短時間でコース踏破?ができるという絶好の行き先であった。
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高崎駅からは30分弱の乗車時間で観音前で下車、至近距離の観音
直下まで移動して証拠写真を撮り、すぐにバス停に戻って高崎駅行きのバスに乗り込む。この間、わずか10分足らずという駆け足スケジュールであった。

 

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