歩き

2026年1月14日 (水)

ブータン旅行記

1月11日

 

パロ空港に向かえに来てくれたガイドとともにパロ郊外の博物館に向かう.。博物館の内部は撮影禁止で外観しか写せず、この後も似たような所にたくさん行っているので、何があったか全然覚えてない。ガイドは仕事熱心で詳しくてくれているようだが、ガイドの英語は半分も聞き取れない。だた面倒なので、重要と思われること以外は聞き返さずにわかったふりをしている(重要なことは翻訳アプリで確認)。

 

その後、ホテルに移動して旅装を解く。夕食までしばらく時間があったので、パロの街を散策する。小さい街だからと油断してたら見事に迷ってしまったが、夕食時間までには戻ることごできた。

 

夕食はホテルのレストランで食べたが、骨付きチキンの唐揚げとヤクの焼肉(固かった)、それに各種の野菜料理だったが、スープが少し辛かった以外は日本人の口にも合うものだった。

 

ホテルはWiFiが良く効くので、インターネットは日本と同様に利用できるし、NHKプラスで地上波も見られるので退屈することはない。こうしてブータン1日目は過ぎていった。

 

 

1月12日

 

ホテルのレストランで洋食スタイルの朝食を食べて9時に出発する。最初は山の上にある大仏を見てから

動物園に行くが、広大な敷地はフェンスで囲われているが、中にいるのは鹿か牛と言った珍しくもない動物ばかりで、期待していた雪豹はいないようだった。

その後は首都のティンプーを目指して進むが、街を一望できる展望台からのティンプーは人口も10万程度なので、小ぢんまりした街である。

ティンプーの街に降りてレストランでビュッフェスタイルのランチを食べるが、テーブルにメニューがあっとので見てみると、円換算して約2倍とすると、日本の物価よりもだいぶ安いようである。

午後におとずれたのは体験型の民族博物館で、様々な生活用具に触れたり、民族舞踊を見学したりして、最後はブータンの伝統競技であるアーチェリーの試射(全然的外れだったが)も楽しんだ。



その後はホテルに移動したが、ホテルは中心街からは少し離れた街外れにあったので、居酒屋に行くことはできずに本日は休肝日となってしまった。

1月13日

本日は古都のプナカへの移動である。標高差1000メートルほど登るとチベットとの国境付近のヒマラヤの高峰が見えてくる。しばらく写真を撮ってからプナカに下るが、こちらは標高差で2000メートル近く下るので、降り立つとティンプーよりもだいぶ気温が高く感じた。

プナカのレストランでランチを食べたが、今日はビュッフェスタイルではなくオーダー方式だったので、焼きそばとビールを注文したが、ビールも少し辛いように感じた。

午後は寺院見物と名物の吊り橋を渡ったりしてホテルに入ったが、ホテルは小高い丘の途中にあったので、今晩も夜の街に行くことはできなかった。

1月14日

本日はパロに戻るのだが、途中ほとんど寄り道しなかったので、昼過ぎには戻ることができた。パロのレストランでビュッフェスタイルでランチを摂ったあと、ブータンの民族衣装をまとって写真を撮り、

その後にまた街のはずれの寺院に寄ってからホテルに向かった。さいしょに泊まったホテルと同じで、街にも近いので、夜のブナカにも出てみよう。

1月15日

本日はブータン観光の最大の目的であるタクツァン僧院に向かうほどである。ホテルから30分ほどのドライブで登山口に着く。ここから僧院までの往復は標準タイムで5時間ほどとなっている。最初から急登が続いて高度は順調に稼げる。僧院までの標高差は約700メートルで2時間半ほどでその高さまで到達したので、意外に早く到達できるかと思ったが、そこから僧院までは登り返しがあったので、結構時間がかかってしまった。おまけに登りが自分としてはややオーバーペースだったのか、高度のせいなのかはわからないが、僧院までは意外と時間がかかってしまった。僧院に着くと、すぐに下山したかったのだが、あちこちにある建物の仏像をガイドは案内して英語で説明を始めるものだから、ほとんど内容を理解できないまま時間が経過するのを待つしかなかった。



やがて、仏像の参拝も終わり往路を戻ることになったが、登り返しは完全にバテていて辛いものだった。なんとか下り道に戻れると、また元気になって最近の自分には珍しく先行者を次々と抜いていくことができた。このまま登山口まで降りることも不可能ではなかったが、途中にタクツァン僧院を真正面に眺められる展望台に食堂があったので、ランチを食べながら僧院を眺めることができた。

空腹を満たしてから下山を再開すると間もなく登山口に着き、そこからホテルに車でもどったのは1時過ぎで夕食までは時間がだいぶあったので、街を散策しながらビールが飲める店を探した。ところが他の街でもそうだったが、ブータンには外で飲酒するという習慣がないのか、居酒屋風の店はなかった。またブータン風の食べ物はイヤだなと思っていたらモモ(インドやネパールでは人気のある一種の餃子)がメインの店があったので、それにラッシー(インド等で人気の清涼飲料)をつけて注文した。久しぶりの非ブータン料理はうまかった。

夜も街に出てブータン最後の夜をたのしみたかったのだが、寒そうだったので、前夜に続いてホテルで過ごすことになってしまった。

1月16日

本日はブータン最終日で、当初は空港に戻るだけだったが、フライトは夕方でどこにも行かないのはもったいないので、ガイドの提案でブータンでもっとも人気のある7千メートルであるチョモラリを眺めにチェラ・ラ(ラとは峠のこと)まで車で行くことにした。往復5時間の行程と聞いていたが、が、実際は片道で2時間もきらずにチョモラリの大展望を楽しむことができた。


帰りは空港近くのレストランでランチを食べた後に空港まで送ってもらった際に、予定外のドライブをしてくれたことへの感謝もこめて、ガイドと運転手にはたっぷりとチップをはずんであげた。ブータンではほとんど使い途のなかった現地通貨かたくさん余ってしまったからという面もあったが

早めに空港に着いたので、時間を持て余してしまったが、ろくな土産物もなく、酒が飲める所もなかったので、時間を空費するしかなかった。まあ、これで念願のブータン旅行を終えることができたので良しとしなければないだろう。

 

 

 

 

 

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2026年1月 1日 (木)

神奈川百名山の三山を半日で

1月1日

 

2,026年の新年イベントは神奈川県100名山のうち三浦半島の先端近くにある100〜200メートルほどの三山(三浦富士、武山、仙元山)を登ることにした。JRは終夜運行を行っているが京急は行っていないので、京急の始発に合わせてJRの終夜電車に乗るとなると、自宅を3時頃に出発せざるをえず、待ち時間が長過ぎる気がしたので、途中の渋谷あたりまでは自宅から歩いて新年気分も味わうことにした。

 

自宅を零時に出て除夜の鐘を聞きながら、まずは自宅近くの神社前を通ると、初詣の行列が境内をはみ出して道路のかなり先まで続いていたが、こんな所で時間を無駄にしたくないので、行列の端までは行かずに、一路明治神宮を目指すことにした。

 

明治神宮に着いのは2時半だったが、以前に0時直後に来た時に見たような長蛇の列はなく、横に並んだ賽銭箱の後ろにそれぞれ数10人が並んでいる程度だったので、30分も待たずに終えられそうだったが、天皇家と縁の深い明治神宮を参拝するする気にはならずに素通りしたので、渋谷駅には3時過ぎに着いてしまい、品川駅では始発電車を1時間近く待つ羽目となってしまった。

 

初日号と名付けられている始発電車は6時過ぎに三浦富士の最寄り駅に着いたが、下車するのは私以外はほとんどなく、満員のまま出発する。終点の三崎港までは内陸部を進むので日の出を眺める場所はないはずたが、皆はどこに行くのだろう。

山頂までは標高差で200メートルもないが、日の出の時間が迫っているので気が急く。急いで頂上に着いてみると、既にかなりの人出があったが、雲が水平線上に垂れ込めていて初日は不満足なものしか見られなかった。

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次のピークの武山までは標高差が少なく1時間足らずで着くことができた。ただ山頂と覚しきあたりには標識はなく、その代わりに武山不動という寺院があったので、とりあえず初詣を行ってから下山することにした。
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最後は逗子駅近くにある仙元山まではバスで移動する。仙元山は標高差が100メートルちょっとなので、ほどなく山頂と覚しき地点に着いたが、ここにも山頂の標識が見当たらない。もう少し先まで行ってみるが5万図と対比してみると、明らかに山頂を通り過ぎていることがわかったので、さきほど通過した最高点を頂上と考えて、それを越えてバス停まで一気に下山して、逗子駅まで移動して帰宅したが、低山とはいえ神奈川百名山の三山を午前中に終えることができた。

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2025年12月18日 (木)

関東ふれあいの道と関東百名山

18切符を利用して関東北東部のふれあいの道と百名山の踏破を目指すことにした。

 

12月14日

 

前回行き損ねた千葉県北部5か所のふれあいの道を目指すことにしたが、午前中は天候が思わしくなく、自転車を利用すればさほど時間はかからないだろうと考えて昼過ぎに現地に到着する時間で行動することにした。

 

スタートは小湊線の上総牛久駅である。さほどの登りもなく、八重垣刑部神社に着く。
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解説標識の前で撮影後に茂原駅に向かうが、ここは思っていたよりも遠くて時間がかかってしまったが、電車の接続がまずまずで、3時過ぎには成東駅に着く。ここからは駅の南北に近場と遠方にそれぞれ撮影ポイントがあるが、近場は遅くなってからでも行けるだろうと考えて、南部の食虫植物園に向かうことにした。

 

駅からは思ったよりも遠かったが、途中に案内標識がたくさんあったので、迷うこともなく辿り着いた。冬場は休園だそうだが、園外にある解説標識が撮影ポイントとなっているため、用は済ますことはできた。
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植物園にはまだ明るいうちに着けたが、古墳群に向かう途中て暗くなってしまい、ベッドランプは忘れるは、予備のライトは電池の消耗が激しいと散々で、だましだましなんとか目的地にはたどりつく。ただ予備ライトの明かりが弱いので、不鮮明な写真しかとれず、これでOKかどうかは自信はないが、とりあえずはこれで帰ることにした。
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これから成東駅まで戻っても、ライトの光量不足で不鮮明な写真しか撮れないだろうからと、最寄りの松尾駅に向かい、茨城県の関東百名山を目指して何回かの乗換えの末に日立駅に着いた時は日付は既に変わってしまった。

 

12月15日

 

今日登る予定の神峰山は600メートルにも満たない低山だが、情報が少なくコースも不明瞭であった。ただ国土地理院の5万図を見ると、頂上から南西にまっすぐに伸びる尾根が自動車の通る道に急降下しているので、ここを行けばさほど時間はかからずに往復できるだろうと見当をつけた。

 

日立駅から登山口と思われる日鉱記念館までは距離にして約10キロ弱、標高差は300メートル以上もあって、アプローチだけでもなかなかである(後になってからわかったのだが、路線バスも1日数本はあるらしい)。ところが、登山口の標識も見当たらず登山道も発見できない。どうしたものかと思っていたら、少し下の方に草がボウボウに生えた簡易舗装路が登っているのを発見し、登ってみることにした。

 

登山道はすぐに消えてしまい、踏み跡もほとんど見当たらないが、古いテープは発見できたので、登山道には違いないだろうと判断し、藪も深くない尾根上の登りなので問題はなかろうと登り続ける。

 

1時間ちょっとの登りで頂上に達する。頂上からは太平洋が真下に望める大展望が見事であった。その時、反対側から登ってくる登山者がちょうど登頂してきたので、どこから登ってきたのかと聞くと、神峰公園からで道も良いそうである。さきほどの自転車で登ってきた舗装路の頭上を平行に走る尾根道をきたそうだ。
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自分は自転車を置いてあるので、来た道を戻らざるをえない。踏み跡のない尾根道の下りだから迷いやすいだろうと警戒しながら降りていったが、案の定、尾根を取り違えて右の方に行き過ぎでしまった。セオリーでは元の場所まで戻るべきなのだが、もうほとんど下までおりてしまっていたので、最後の崖の所まで降りたら左の方に向かえば、さきほどの登山口に達するはずだと思ったら、そのとおりであだた。ただ登山口まで達するまでは藪が深くて、なかなかたいへんだった。

 

自転車での下りは楽ちんだったが、日立駅に着いてみると列車の本数は少なく、次の列車に乗っても難台山の登山口に着くのは4時近くになってしむうことがわかった。ヘッドランプを忘れて予備のランプしかないので、夜間登山は避けたいため、岩間駅に駐輪だけしておいて、水戸に戻ることにした。

 

その夜は水戸の駅前の居酒屋で日本酒を嗜んで過ごすことにした。こんなのんびりした1日もたまにはよいだろう。
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12月16日

 

薄暗い岩間駅を出発して難台山登山口の長坂に向かう。日が昇るまでの自転車こぎは寒かった。昨日の神峰山までのアプローチに比べればだいぶ短い距離で長坂に着いた。登山口の標識はなかったが、細い舗装路か分岐していたので、多分この道が登山道に続いているのだろうと、しばらくは自転車を引きながら坂道を登っていく。この方が帰りは早いだろうと思ったのだが、これが大間違いであった。

 

キャンプ場のしばらく先までは踏み跡があったが、途中で道は消えてしまう。ただ地図では少し上の方に道が表示されているので、そこまではがむしゃらに登っていくことにした。やがて地図上の道にでたが、踏み跡もテープもなく、かなりヤブが濃いくて、昨日よりも明らかに悪い道である。

 

強引に登っていくと、尾根上の広い道にでる。長坂からの登山道は地図上には何本か表示されているが、これが本来の登山道のようだ。今までとは比べものにならないほどの歩きやすい道なので、わずかの時間で難台山の頂上に着いてしまう。

 

頂上は昨日ほどの展望はなかったが、じもとでは人気のある山らしく何人かの登山者がやすんでいた。下りは登ってきた道を下りたが、藪のあるコースには入らず、しっかりした道を長坂まで下ったので、登りの版分以下の時間で終えることができた。
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本来ならここから岩間駅まで自転車で一気に下りたいところであるが、キャンプ場の近くまで自転車を引き上げてしまったので、そこまで自転車を回収しに行かなければならないという手間をかける羽目になってしまった。おかげで岩間駅に着いたのは下り列車到着3分前というわけで、次の下りまでは1時間ほど待たなければならないことになり、乗り継ぎ時間も考えると、次の目的であった三毳山の登山口まで明るいうちに着くことは難しくなってきたので、三毳山はあきらめて時間は少々早いが東京に戻ることにした。

 

 

 

 

 

 

 

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2025年12月17日 (水)

本仁田山

12月11日

 

今春にキツネに化かされて行き損なった本仁田山のリベンジを目指す。鳩ノ巣駅から前回、知らぬうちにもと来た道に戻ってしまった個所を再訪して間違えた原因を調べようと思ったが、途中からひとつ上の道を行ってしまい、前回の間違えた原因を調べることはできなかった。

 

本仁田山への登りは思っていたよりも長くて、今日中にもう一つ登頂するのは時間的に無理なことがわかった。頂上は見晴らしのよかったが、誰もおらず、ひととおり展望を楽しんでから下山にうつる。
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下山路はかなり急な上に落ち葉が滑りやすくて歩きにくかったが、軽快なペースで降りてくる若者に追い抜かれてしまった。体力だけでなくバランスも若者には敵わなくなってしまったようだ。

 

奥多摩駅には夕方のまだ充分明るいうちに下山したが、今回はバスの乗り継ぎで帰るつもりだったので、まだまだ先は長いことになる。行程中、川井駅から御嶽駅までを繋がるバスはないが、ここは青梅マラソンのコースで懐かしいところなので、小一時間の歩きも退屈することはなかった。あと問題となるのは御嶽駅から青梅駅までのバスが夜6時半近くの1日1本しかないことだ。早く奥多摩駅に降りてしまうと、長時間の待ち合わせを余儀なくされてしまう。最後の青梅駅から花小金井駅までの都営バスは乗車時間1時間半にもなる都内最長のバス路線である。全部乗り継ぐと5時間近くもかかり、しばらくはもう結構という気がしてきた。

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2025年12月 8日 (月)

関東ふれあいの道と関東百名山

12月2日から六日間にわたって房総に避難生活を行い関東ふれあいの道(千葉県コースNO8,9,10,12,13,14,15,25,26)と関東百名山の大福山と鹿野山に出かけてきた。

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2025年11月26日 (水)

天竺山

元々高い山の少ない東京百名山の中でもとりわけ低い山である天竺山(310メートル)は、これ単独で登りに来るほど
でもないので、他の山の帰りに登ろうと思ってたら、五日市に降りるのがいつも暗くなってしまい、登らずじまいに終わっていた。そこで、今回は天竺山のみを目標として登ることにした。ただそれだけではつまらないので、福生までは自転車を使い、福生から五日市まではシルバーパスを利用することにした。

 

11月24日

 

武蔵五日市駅から天竺山までの標高差は200メートルちょっとなので全然大した登りではないが、危険なアーバンベアが我が物顔にしている地域なので、人家から離れるやいなや熊よけホーンを鳴らしっぱなしにする。というのは、熊鈴が有効なのは、山の熊に対してであって、アーバンベアに対してはむしろ熊を引き寄せかねないものになってしまったからである。

 

大した登りもなく頂上に着いたが、そこから眺められる東京方面の展望はなかなか見事であった。初日の出を見る場所としては絶好の場所かもしれない。
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バスと自転車で行きと同じ道を戻ったが、途中で暗くなってしまい、1日がかりのコースとなった。

 

 

 

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2025年11月23日 (日)

妙義集中登山

 

後期高齢者となり、自分ではまだまだ元気だと思っていてもなにがあっても不思議ではない年齢になっていることを自覚して、今後は単独行はなるべく避けた方がよいと考えて地元の山岳会に入会することになったが、今回は入会後初めての会山行である。

11月15日

荻窪駅でピックアップしてもらって妙義方面に向かう。今回はマルチピッチ主体の山行が組まれているが、1パーティーだけ一般登山路のコースがあったので、久しぶりのアルパインでもあり、初日は一般登山路のコースを歩くことにした。

妙義神社の横から登りだす。1時間ほどの急登で稜線近くまで達する。このあたりから鎖場も現れてちょっぴりスリルも味わえるようになる。稜線に出ると結構登山者も多くなり展望も素晴らしくなってくる。

表妙義は30年以上も前に歩いたことがあるが、どのあたりを歩いたのか全く記憶がない。ただ古い地図をみると、縦走路の南部にある金洞山がわずかの差ながら最高地点となっているので、おそらくそこを登ったのであろう。ただ最新の地図では相馬岳がわずかながら金洞山を上回っているようになっているので、最高点にはまだのぼっていなかったことになり、今回はぜひ相馬岳を登っていなかったことになる。

白雲岳を過ぎてタルワキのコルを過ぎるとすぐ先の相馬岳までは人登りである。相馬岳は今日一番の賑わいである。あまり長居はしたくないところであるが、相馬岳北稜パーティーが間もなく到着しそうだったので、しばらく待つことにする。

1時間ほど待つと北稜パーティーと合流して記念撮影をするが、集中登山らしい雰囲気を味わえた。

北稜パーティーは西側のキャンプ場に直接下山し、我々は反対側の妙義神社近くに駐車してある関係で、彼らと別れて大回りでキャンプ場に向かうが、キャンプ場では焚き火と鍋物で大いに盛り上がった。

11月16日

今日は3人パーティーで金鶏山から筆頭岩のコースに向かう。金鶏山への登りはかなりの急登で、岩場が始まってからもロープを出すほどでもないので、そのまま登り続けたが、神経を多少使うところであった。案の定、1人が掴んだ岩が取れてしまって少し滑り落ちたが、幸い大事にはいたらなかった。
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金鶏山から筆頭岩までは地図上ではさほど距離はないようだが、道が不明瞭で右往左往してしまったり、スラブの横断を慎重におこなったりしたため、筆頭岩の取り付きに着いたのは2時になってしまった。




3ピッチのルートなので、時間的には充分登りきれるはずであったが、積極的に登ろうという意見も出なかったので、これで下山することとなってしまった。

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2025年11月 2日 (日)

東京百名山(万六ノ頭、松生山)

11月1日

 

前日、妻と宿泊した数馬の宿を先に出てバスで笹平に向かう。本日の最初の目的地である万六ノ頭は笹平ではなく手前の柏木野から登ることが判明したので、少し戻ることになる。

 

橋を渡ってから標高差500メートルほどを登ることになるが、しばらく登ってから地図を確認すると、万六ノ頭に直登する分岐点を見過ごしてしまい、巻道に入っていることに気づいたので、万六ノ頭目指して直登することにした。

 

万六ノ頭は展望の利かない所でわざわざ登りに来る価値もないところだが、東京百名山に選定されているので仕方なく登りに来たようなものである。
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下りも退屈な道だったので、熊よけを兼ねて音楽を大音響でかけていたが、登山口近くまで降りたら、下から登ってくる人がいたので、あわてて音響を絞る。こんな山を登りに来る人がいるんだと驚いた。

 

登山口まで降りると、しばらくして数馬行きのバスが来たので乗車し、上川乗で下車して昼食後に浅間嶺経由での松生山を目指す。

 

松生山までの標高差は530メートルあるが、4時半のバスに間に合うためには登りは2時間以内で登頂する必要がある(最終バスまでは十分余裕があるが)。1時過ぎに出発し、いつにない速いペースで登りだす。

 

浅間嶺の少し先からは5万図では道の表示がなくなるが、踏跡はしっかりしており、マーキングも多数あるので、登高には問題はない。傾斜の緩い所では小走りで行き、予定通り2時間弱で松生山に達する。
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頂上で行動食を補給してから下山に移る。浅間嶺の展望台では景色を楽しみたい所だが、そのまま前進する。浅間嶺からは下りとなるので、トレランモードで先を急ぎ、バス停には5分前に着いてなんとかバスに間に合い、思ったよりも早く五日市駅に戻ることができた。

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2025年10月24日 (金)

上高地に全員集合

娘が1歳の誕生日の時に上高地に親族が全員集合したのに続いて、その二十年後にも上高地に集合したが、今年はさらに二十年たったので、三度目の全員集合となった。

 

10月18日

 

第一回の全員集合の時からの常宿である中の湯温泉に送迎バス、路線バス、マイカーとでバラバラに向かい、全員集合は4時半過ぎであった。夕食後にバースデーケーキで娘の41回目の誕生日を祝った。
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孫2人に星空を見せたかったが、あいにく雨模様となってしまった。明日の上高地は晴れてほしいものである。

 

10月19日

 

全員の日頃の行いが良かったせいか、雨は止み天気は回復傾向であった。宿の送迎バスで上高地に移動し、下車すると全員集合の記念撮影を行うべく河童橋に向かう。

 

河童橋に着くと、相変わらず観光客で賑わっていたが、まだ穂高の峰々は雲に覆われていたので、しばらく辺りを散策して天候回復を待つ。

 

小一時間もすると稜線も望めるようになったので、全員集合の記念撮影を行う。
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これで今回のスケジュールは成功裡に終わったが、しばらく時間を潰した後、子供たちは帰宅するためにバスに乗り込み、妻とその妹二人は平湯温泉に向かうので、ここで私は一人になって横尾のキャンプ場に向かう。

 

穂高周辺はほとんど歩き尽くしているが、まだ訪れたことがないところで、前から行きたかった氷河公園の天狗池を訪れるために横尾に泊まり、余裕があればさらに翌日に涸沢も往復してこようという欲張った計画である。

 

10月20日

 

夜中にかなり雨が降ったが、明け方になると天気は回復してきたので、7時に予定どおり出発する。天狗池と横尾の標高差は900メートルちょっとあるが、12時頃には到着し、4時頃には横尾に戻れるだろうと皮算用をしていたが、「取らぬ狸の」であることを思いしらされることになった。

 

必要最小の荷物しか持たず空身とかわらないほどの荷物鹿背負っていないにもき関わらず、まるでぺーすが上がらず、他の登山者に抜かれっぱなしになる。ここで、天狗池の到着予定時間を1時に変更せざるをえなくなった。

 

森林限界を越えると槍沢上部の視界が開けて素晴らしい眺めである。右側には若い頃に登ったことがある赤沢山の岩壁が望めて、嫌が上でも元気が出てくる。その割にはペースは依然として上がらないが・・・
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やがて道は槍沢と別れて天狗池方面に向かうことになる。到着予定時間の1時には目的地の高度近くまでは達したが、天狗池まではしばらくは高度はほとんど上げずに斜めに登っていくことになる。

 

振り返ると、今までは見えなかった槍ヶ岳の穂先が間近に望めて、ここまで来た苦労が報われた気がしてきた。間もなく天狗池に達したが、残念だったのは紅葉はほとんど終わっていたことである。こればっかりは仕方のないことである。
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わずかに残っている紅葉や池に映る逆さ槍を写したりしているうちにあっという間に時間は経ってしまい、下山を開始したのは2時半となってしまい、明るいうちに横尾まで降りられるかどうかは微妙になってきた。まあ暗くなってから下山したからといって別にどうということはないのだが・・・。熊の出没リスクは高まるが、熊ホーンという強力な武器もあることだし(登山者が通らない時間帯でないと、安易な使用には顰蹙を買いかねないが)

 

結局、横尾に戻ったのは6時を回ってしまい、真っ暗になっていたが、疲れ過ぎたためか食欲もあまりなかったため、小屋でロング缶を買い、中の湯から持ち越したツマミで無事成功を祝い、カップ蕎麦で締めることにした。

 

10月21日

 

当初の予定では、本日は涸沢まで往復するということでしたが、昨日の疲れも残っており、天狗池の様子から察すると、涸沢の紅葉も終わっている公算が強いので、涸沢までは行かずに途中の屏風岩の全容が望める地点まで行くことにした。

 

横尾から三十分ほど歩いた地点に屏風岩の全容が望める地点があったので、そこにしばらく滞在して、各ルートの確認をすることにした。四季を問わず通った岩場で10回近く登っているが、振り返れば懐かしい思い出ばかりで胸が熱くなった。30分ほど滞在してから、その場を後にしたが、もうこれで見納めかと思うと去りがたい気持ちで一杯であった。
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横尾から上高地までの下山は数え切れないほど通った道であるが、思い出に浸りながら歩いていると思いの外早く上高地に着くことができた。天気は下り坂であるにもかかわらず、河童橋からの穂高のパノラマは初日の時よりも見事であった。
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上高地のバスは今は予約制になっているので、帰りの時刻が未定で予約をしていなかったことから少し不安があったが、1時間ほど待ち合わせで乗ることができたし、ラストオーダー5分前に食堂に入れてランチにありつけたのはラッキーであった。

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2025年10月 4日 (土)

関東ふれあいの道 茨城県NO1〜5

だいぶ涼しくなってきたので平地での行動も可能と判断して、関東ふれあいの道の茨城県コースの仕上げに向かうことにした。まずは北部のコースのNO1から5までを1日でつなげないかと考えてみた。単純に各コースの参考タイムを合計すると20時間以上となってしまうが、本来のコースは度外視して各コースの撮影ポイントを繋げるだけならば、舗装路だけで60キロ程度なので、多少はアップダウンはあったにしても、自転車ならば1日で行けるだろうとはんだんした。ただ長丁場になることも考えられるので、前夜に小山駅周辺で一泊して、1日をフルに活用することにした。

 

10月4日
朝8時半に真岡鉄道茂木駅を出発して約10キロ先の那珂川に下っていく。那珂川沿いに5キロほど緩やかに下って御前山青少年旅行村への分岐点で那珂川を渡る。旅行村まで300メートルの所から傾斜が急になるので、自転車は置いて歩き始める。旅行村にはほどなく着いたが、撮影ポイントは展望台とのことなので階段を登り始めるが、これが長いったらありゃしない。性根もついた頃にようやく展望台に到着する。

 

ここから本来のNO1のコースは御前山を越えていくのだが、NO2のコースの撮影ポイントである仏国寺に向かってショートカットするために反対側の御前山ダムに向かう。

 

御前山ダムに沿ってしばらくは平坦な道が続くが、そのうちに登りが現れるのだろうと思っていたところ、気が付かないうちに下りに変わって仏国寺の階段下まで来てしまったのには拍子抜けしてしまった。ただ仏国寺の階段がまた長くて往生してしまった。

 

仏国寺からコースNO3の徳蔵寺までは基本下りで楽であった。徳蔵寺にも少し登りがあるだけで辿り着けるが、撮影ポイントである大師堂の建物がどこだかわからず、参拝している人に聞いて、なんとかわかった次第である。

 

ここからは本来はNO4のコースに入るべきであるが、NO5のコースの撮影ポイントである楞厳寺(リョウゴンジ)がコースの始めにあって、そちらに先に寄った方が効率的なので、順序を違えて行くことにする。

 

楞厳寺へは久々に登りとなって、間もなく山門に着く。まだこれから登らなくてはならないのかと思って資料を見てみたら、撮影ポイントは山門とのことなので、ショートカットと決めている本日はこれ以上は登らなくていいことになったのでホッとする。

 

本日の最後のコースとなるNO4の撮影ポイントである佐志能神社に向かって移動するが、途中通過する笠間稲荷神社付近は土曜日といつこともあって、かなりの観光客でにぎわっている。

 

喧騒を逃れて佐志能神社を目指して坂道を登りだすが、途中で雨が降り出してくる。神社の下の駐車場に自転車を置いて神社を目指して登りだすが、神社のすぐ下に天守跡の石碑かあり、こちらも撮影ポイントのようなので、写真を撮っておく。

 

これで降りてもいいようなものだが、佐志能神社はすぐ上にあるようなので、足を延ばしてみる。すると「崩壊の危険があるので立入禁止」の立札がある。ここで思い出したのは、神社のある場所は関東百名山(ただし、同名書籍の新版のみで取り上げられている)の佐白山の山頂でもあり、数年前にも山頂手前までは来たものの、立入禁止ということで引き返してしまい後悔したことがあり、今回登らないと永久に登る機会がないだろうということから、自己責任で登ることにした。

 

立入禁止の柵を越えて神社まで登ってみると、たしかに神社は崩壊寸前だが、東日本の震災以来そのままに放置されているようで、有力な氏子がいないためなのだろうか?まあ建物によりかかりでもしない限りは危険はないが、立入禁止としているのは、万一の場合の責任逃れなのだろう。
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関東百名山(新版分だが)の登頂という思いがけない成果も得て下山し、笠間の駅に着いて自転車を解体すると、それを見計らったように小山行きの電車もやってきて、早い時間に帰宅することができた。

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