歩き

2025年4月21日 (月)

神奈川県百名山(ミツバ岳、大野山)

4月20日

ここのところ西丹沢づいてしまっているが、登り残した所の総仕上げに出かける。まずはミツバ岳に向かい、三度目の正直を狙う。

前々回に通過した時は気が付かなかったが、登山口にはちゃんと標識があった。山と渓谷社刊の新版の関東百名山にも選ばれているだけあって、踏み跡はしっかりしているので、途中の標識はないものの、迷う心配はない。

登り出して間もなく、下山してくる人とすれ違う。そこそこは登られているやまなのだろう。頂上直下はかなり傾斜もきつく、滑りやすい道であった。

頂上はだだっ広く、踏み跡は世附権現山方面に延びていた。ただここから見える世附権現山は随分と遠く見え、前回、ミツバ岳から世附権現山経由で畦ヶ丸を目指していたら、果たして一日で畦ヶ丸まで到達できたかどうか?



下りに移り、頂上直下の滑りやすい所はストックを支えにして、なんとか滑らずに進む。そこを過ぎれば、あとは快適な下りである。登りは2時間以上かかった
が、下りは1時間もかからなかった。

下車したバス停には1時前に戻り、これからもうひとつの神奈川県百名山である大野山を登ることになるが、5分くらい登った所に自販機があることを前回通ってしているので、遠回りにはなるがたちよることにする。自販機の横には酒屋も開いていたので、普段は山登りの途中で酒を飲むということはないのであるが、今日はハイキングに毛が生えた程度の山登りであるということで、缶ビールを買う(ただし、スモールサイズ)。

大野山は丹沢湖から直接登る道もあるはずなのだが、地図アプリで経路検索したら、谷峨方面に降りる途中から登るコースを検索してくるので、それに従うことにする。

随分と高度を下げていくので、損をした気分になるが、やむを得ない。やがて道は左折して登りになる。しばらく登ったところで林道は終わり、山道に変わるはずなのだが、それらしき道は見当たらないので、適当に斜面を登っていく。

しばらく登るとよく踏まれた道と出会ったので、林道の終了点でもっと良く探せば、この道を見つけられたのかもしれない。

しっかりした踏み跡を辿っていくと、舗装路に出て頂上まで導かれる。今までは、ハイキングの山にしては道が悪いなと思っていたが、ハイキングで来る人は南側の谷峨方面から来る人がほとんどで、丹沢湖方面から来る人はほとんどいないのだろう。

大野山の山頂に着いたのは5時ごろで、さすがにこの時間になると、ハイキングの山とはいえ、誰も居なかった。あとはしっかりした道を谷峨駅まで下るだけであるが、思っていたよりも時間がかかり、谷峨駅に着いた時は暗くなってしまった。

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2025年4月17日 (木)

関東百名山(帳付山。天丸山)

関東百名山も大詰めが迫ってきたが、登り残してきた山の中で帳付山は別格であった。というのは、登山口までのアクセスが長くマイカーを利用しない限り日帰りは不可能だったからである。ただ路線バスを利用して途中で1泊すれば帰ってこられることがわかり、春か秋には登れる可能性が出てきた。

一方、理由はわからないが、帳付山は山と渓谷社が出版している「関東百名山」という書籍の新板では帳付山が外され、近くの天丸山と入れ替えられていることもわかった。こんな悪いアクセスを2回も通るのは御免なので、一回で両方の山を日帰りで登って、さすがに最終バスには間に合わないだろうから、バス停近くでテントを張ることにした。

4月15日

新町駅で上野村行きのバスに乗り換えるのだが、途中で時間待ちをしている関係もあって、3時間近くもかかって帳付山の登山口に向かう林道の始点にあるバス停で下車した。このバス停は冬場は雪が降るせいだろうか、立派な建物が設備されているので、深夜に山から戻った場合でもテントは張らずに一夜を過ごせそうだし、不要な荷物も置いて行けそうだ。

バス停を出発したのが12時近くで、ここから登山口までは3時間ほどの歩行だが、日帰り用の軽装なので比較的楽に歩くことができた。ただ途中に何か所かで気になる情報がでていた。それは「天丸山へ平成7年の山火事で登山道が荒れたので登山不可能」というものである。令和でなく平成ならば30年近く経っていることになり、そんな長期間登山道が修復されないというのも変だし、国土地理院の五万図にも帳付山の縦走路から分岐する道はちゃんと載っているので、この情報は無視することにした。

登山口まで辿り着いたら、もうひとつ混乱する事態が発生した。それは帳付山に向かう稜線に達する道が五万図では、天丸山の東側の尾根を経由するものと、天丸山の西側の山腹を巻いていくものがあり、時間的には前者の方が早そうなので、そちらを選択するつもりだったが、登山口にある標識では帳付山への登山道は西側の舗装路(多分、天丸山の西側の巻き道に繋がっている道)しかなく、東側の尾根につながる道の案内はないのである。もうひとつの指導標が指し示しているのは天丸山となっているが、これは通行不可能と注意書きがあった道なのだろうか

結局、五万図の帳付山への尾根道あたりに向かってGPSで進路修正しながら登っていったが、登りやすい斜面を登っていると、気がつかないうちに天丸山へ北面から登る尾根に達してしまっていた。

ここで致命的なミスを犯してしまった。というのは天丸山へは尾根を南に向かって行かなければならないのに反対の北に向かってしまったのである。どんどん下っていくので、おかしいと思って地図で確認すると、逆に向かっていることに気付き、後戻りすることになって30分ほどの時間をロスしてしまった。

戻った地点と天丸山との標高差は200メートルほどだから、1時間もあれば登頂できるだろうと考えていたが、結構アップダウンもあるし、迷いやすいところもあったので、2時間近くかかってしまい、天丸山の山頂に達した時は、あたりは暗くなってしまった。

だが、この時点では今日中に下山することをあきらめてはなかった。というのは、ここから帳付山までの尾根道通しの距離は地図上では数キロ程度だし、登山道も天丸山から先は五万図に記載されているので、歩き安い道であれば、夜通し歩けば日付が変わる前には荷物を置いてあるバス停まで帰れるだろうと思ったからである。

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ところが、この考えは甘いことにすぐに気づかされることになった。天丸山からの下りは急斜面で固定ロープを使っての下りが連続することとなる。明るければロープなしでも降りられるところであるが、足場をライトで照らして確認しながら下らなければならないので結構時間がかかる。

ところが、最低鞍部のすぐ上まで降りたところで、固定ロープが見当たらなくなってしまった。下をライトで照らすと最低鞍部までは高さにして10メートルほどで明るければロープなしでも下れそうだが、暗闇の中ではロープなしでの下降は危険すぎる。どこかにロープがあるはずだと左右に移動してみるが見つからない。

暗闇の中で努力するよりも明るくなってから行動した方が良いと判断し、テントを張るだけのスペースはなかったので、倒木に背をもたれて簡易テントを被るビバーク(緊急露営)を行って朝を待つことにした。

4月16日

着られるものを全て着込んだのでさほど寒くはなかったが、あまり眠れず明るくなるのをひたすら待ち続けた。ようやく明るくなってきたので、付近を見回して反対側に回り込むと最低鞍部に向かってロープが垂れ下がっているのが見つかり、やすやすと最低鞍部に降りることができた。

そこから県境尾根までは緩い登りだったが、待望の県境尾根まで着いても、相変わらず道は期待したほどは良くならず、結構迷いやすい所が続いた。関東百名山は90以上は登っているが、帳付山は間違いなく最難関の山だと言える。

踏み跡は一応はあるのだが、指導標は皆無でたまに赤布があるくらいで、急な登りとなると尾根道と巻き道の両方に踏み跡らしきものがあるので、どちらに進むべきか悩んでしまう。

頂上近くまで進んだところで、巻き道をいくら進んでも赤布が見つからなくなり、そんなことを何度も繰り返したためか、突然気持ちが切れてしまい、もう止めようという気になり、引き返し始めた。

ところが、巻き道から尾根道に戻った時に振り返ると、急な尾根の上からロープが垂れ下がっているのが見つかり、正しい道を見つけることができた。これで気持ちが代わり、再度頂上を目指すことになった。

頂上まではひと頑張りでたどり着いたが、なんとしても最終バスに間に合うようにしたいと思い、ゆっくりと休むこともなく下り始めた。

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下りも一度通ったところとは言え、何度も道を間違えた後、天丸山の西側を巻いて下っていく道との分岐点まで下ってきた。当初は天丸山の東側の尾根道を下るつもりだったが、そこまで達するにも難渋することが懸念されたので、下り一方と思われる巻き道を下ることにした。

いやになるほど下っていると、前方に舗装路が見えてきた。最新の五万図をダウンロードしたスマホ地図には記載されてない舗装路であるが、落石が道路上に散乱しており、まだ未開通の道路のようであった。

五万図ではしばらく先で道は昨日の登山口の方へ屈曲しているはずだが、そのような場所は発見できず、仕方なくそのまま舗装路を下り続けた。すると目の前に信じられないような光景が出現した。なんと道路が百メートル以上にわたって寸断されていて、下には足場が組まれているが、そこまでは10メートルほど下りなければならないのである。

今いる上の道路から下までは太いロープが垂らしてあるので、作業員は登下降する器具を使って移動していることが推測されるが、なにも器具がない状態では、降りることは困難である。若い頃はロープを体に巻きつけて崖を降りることはやっていたが、こんな太いロープでやったことはないので、最後の手段として他の方法を考えることにした。

次に反対側の道路に作業小屋があって(無人であった)、そこへ降りていく階段があるようなので、こちら側もある程度の高さまで崖を登ってから崖を階段の方まで移動すれば反対側に降りられることがわかった。そこで崖を少し登りかけたが、崖の横断中にスリップしたり、足下が崩れたりしたらタダでは済まないことがわかり、諦めることにした。

もっと安全な方法はないかと考えたら、道路から斜面を少し降りて、道路の下の斜面を横切っていけば、比較的安全に工事用のパイプの所まで降りられることがわかり、なんとか向こう側の道路に渡ることはできた。

相変わらず不思議な道路を下っていき、昨日の登山口とは反対方向に進んでいるので、遠回りになることは間違いないが、上野村まで降りられることは間違いないので、特に不安はなかった。

暗闇の中をライトをつけながら進み、ようやくバス停まで降りることができた。ここから荷物を置いてきたバス停までは歩くと2時間近くはかかるので、さすがにそこまでの元気はなかったため、ここのバス停も堅固な造りの待合室があったので、そこで一夜を明かして、明日の始発バスで荷物を置いたバス停に移動して、荷物を回収することにした。これから先は不測の事態はおこるはずもないので、非常用のビスケットとコンデンスミルクを平らげて空腹を満たした。バス停の近くに自販機もあったのは幸いであった。

4月17日

前の晩のビバークよりも快適ではあったが、やはり熟睡はできなかった。始発のバスに乗って荷物を置いてあるバス停て下車し、次のバスが来るまでの間、ビールや日本酒とつまみで一人宴会をした。

当初は高崎を経由して、別の山も登るつもりだったが、さすがに疲労が残っているので、次の機会を待つことにした。それにしても帳付山は手強い山であった。ネットで調べ直しても役に立つ情報はほとんどなかった。情報がなくても、現地で対応できる能力がある人でないと登ってはいけない山だとつくづく思った。

 

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2025年4月14日 (月)

神奈川県百名山 鎌倉近辺の低山

4月13日

本日は終日雨の予報なので登山には向かないが、神奈川県百名山のうち鎌倉近辺の標高が数百メートル程度の低山ならば支障はないだろうと出かけることにした。半分観光気分なので、鎌倉に着いたのは10時を回ってしまった。悪天にもかかわらず、駅周辺は観光客で賑わっていたが、ほとんどの人は鶴ケ岡八幡宮のある東口に向かうのに対して、自分は源氏山がある西口に向かう。

♪源氏山から北鎌倉へ というさだまさしの「縁切寺」という歌に出てくる源氏山であるが、北鎌倉も縁切寺も行ったことがあるが、源氏山には行ったことがなかった。標高は100メートルに満たない山なので難なく登れる山であるが、悪天のためもあるのか誰も登っている人はいなかった。


源氏山の下には北条政子の墓もあったが、頼朝の墓はそこから離れたJRを渡った東側にあって隣り合っていないのが妙であった。もっとも別の場所に隣り合った墓もあるのかもしれないが

そのあとは鎌倉宮を経てさらに東に向かうと次に向かう神奈川県百名山の大平山であるが、その登山口の手前叡福寺跡がある。頼朝が奥州平定をした後に戦没者の霊を鎮めるために建立したものだったが、朽ち果てて忘れ去られてしまったが、近年復旧がすすめられているとのことなので、そのうちに観光客も訪れるようになるのかもしれない。



太平山を登り始める頃から雨が本降りとなり、標高200メートル程度の山ながら思わぬたいへんな登山となってしまった。途中で道を間違えたり結構苦労して大平山に着く。その少し先には関東百名山として登った天園もあった。このあたりはだだぴろい丘陵地帯で標識がなければ、どこが山頂かわからない所である。

本日最後の神奈川県百名山である衣張山までは鎌倉郊外の周辺部の丘陵地帯を縫うように進んでいく。ここも標高がわずか120メートルほどの低山のため苦労せずに登れたが、GPSではほぼ衣張山頂と思われる地点にいるにもかかわらず、標識には浅間山となっているのは不思議であった、あたりも歩き回ってみたが、衣張山という標識は見当たらなかったので、浅間山=衣張山と考えることにした。

 

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2025年4月11日 (金)

神奈川県百名山(同角の頭他)

4月9日

前回、畦ヶ丸登山の後に登り損なった同角の頭方面に向かうことにした。一日フルに使えるので、玄倉からユーシン経由で同角の頭に登り、西丹沢ビジターセンターに降りるというロングコースである。玄倉バス停からユーシンロッジの登山口までも3時間ちょっとと時間がかかかるが、それから同角の頭を経て西丹沢ビジターセンターまてどのくらい時間がかかるかはネットで調べても判然としなかったのでたんざ近くの本屋に行ってみたが、丹沢のガイドブックは見当たらなかったので、スマホの地図アプリであるmaps−meの経路時間を参考とすることにした。ただ今までの経験からすると、山岳の経路時間は実際よりもかなり短く表示される傾向があるので、ユーシンロッジから西丹沢ビジターセンターまでの経路時間が3時間半と表示されているのに対して5割増の5時間半を見込むことにした。その場合は玄倉バス停を9時半頃に出れば、西丹沢ビジターセンター近くのバス停には最終便の1時間ほどには着ける見込なので、なんとか日帰りはできるだろうと目算を立てることとなった。

9時過ぎに玄倉バス停で下車する。丹沢湖の湖畔は桜が満開であり、その奥には白い雪をまとった富士山が望める絶景であるが、今日の行程は長いので長居は無用とユーシンを目指して玄倉林道を進んでいく。途中で3人パーティーに抜かれたので、彼らも私と同じかと思い気合を入れてペースを上げて抜き返した際に尋ねると、ユーシンロッジまで行って往路を戻るということで、少しがっかりしてしまった、

ユーシンロッジの先の登山口からはいきなりの急登の連続である。まずは大石山を目指すが、いやになるほど登り続けてようやく山頂に着いた時は3時を回っていて、スマホの地図アプリでの現在地から西丹沢ビジターセンターまでの経路時間では最終バスにギリギリに間に合う時間であり、少々焦り気味となる。

次は行程の最高地点となる同角の頭を目指すが、標高差は300メートル弱程度ながら結構アップダウンがあって時間ばかりがかかり、山頂に着いた時は5時近くになっていて最終バスに間に合うことは絶望的となった。


それでも、こられからは下りとなるのだから、ペースアップすればなんとかなるのではないかと思ったりもしたが、しばらくはアップダウンが続いて高度はなかなか下がらず、下りとなってからも道が悪くて駆け下れるような状態ではなかった。途中でもう一つの神奈川県百名山である石棚山の山頂脇を通り過ぎたが、気がせいていたので写真も撮らずに通り過ぎる。やがて日は陰って暗くなり、ライトを着けてくだるようになる。

もう最終バスには絶対に間に合わないのだから、急ぐことは止めて安全第一で降りることにして、時計を見ることも止めて一歩一歩確実に進んでいく。気が遠くなるほど下ってバス停に着いた時は9時を回っていて、最終バスは2時間も前に出ていってしまった。さあどうしようかと思案する。今からタクシーを呼べばギリギリで最終電車に間に合うかもしれないが、タクシー代もかさむし、今晩中に帰宅しなければならないという事情もないので、妻に電話して明朝帰宅することを告げてから、適当な今夜のねぐらを探すことにした。しばらく歩くと、自販機の裏側にベンチが並べられている場所を発見した。ここならばベンチで横になっても道路側からは見られないので防犯上問題がないので、ここで一夜を明かすことにした。

衣服を全部着込めば寒くもなく快適な夜が送れると思いきや、自販機の温度調整の機器が断続的に発する音がうるさくて眠れなくなってしまった。このまま眠れずに朝までここで過ごすのはつらいし、始発バスは7時半と遅くて帰宅が昼近くなってしまうので、今から最寄り駅まで歩いてしまい、始発電車で帰宅することにしようと考えが変わった。しばらくベンチで休んだために足の疲れも取れたようで、駅まではゆっくりと歩いて3時間以上はかかったが、始発電車には十分間に合って9時頃には帰宅することができた。

帰ってから調べたら玄倉バス停から西丹沢ビジターセンターまでの歩行時間は最終バスの発車時間にぎりぎり間に合うかどうかというもので、今の体力では日帰りは少し無理があったようである。低山ということで準備不足であったということは否めず、少々反省すべき山行であった。


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2025年4月 6日 (日)

神奈川県百名山(畔が丸と周辺の山)

2日間の好天が予想されたので、前回に引き続き神奈川県百名山に向かう。主脈の南部に位置する未踏峰を全部登ってしまおうという欲張った計画を立てたのだが

4月4日

西丹沢ビジターセンター行きのバスを丹沢湖の先で下車してミツバ岳登山口に向かう。ミツバ岳は前回は時間不足で登り損ねたのだが、その時は登山口を発見できなかったので、トンネルを越した所から地図を出したところ、地図ではトンネルの手前から登り出すようになっている。そんな馬鹿なと思ったが、やむをえず長いトンネルを戻ったところ、確かに階段があって権現山の指導標もある。

登り出してしばらくして、コース全体を見ようと縮尺倍率を下げると、なんと今登っているのはミツバ岳に向かう道ではなく、権現山に直接向かう道であった。スマホ地図は拡大してしまうと、全体の概要がわからなくなってしまうのが盲点である。またしてもミツバ岳は登り損なうことになるがやむをえない。

その後、何人かの登山者とすれ違うが、後半の権現山から畦ヶ丸までは誰とも会うことはなかった。権現山までは思ったよりも時間がかかってしまったし、久しぶりにまともな荷物(と言ってもたいした重さではないが)を背負ったので、かなり疲労を感じ、畦ヶ丸まで到達できるか不安になった。
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そのうちに体が荷物に慣れてきたようで、多少時間はかかっても畦ヶ丸まで行けそうな気がしてきた。権現山と屏風岩山との間は、300メートルほどの登り返しがあったが、そこから先はたいしたアップダウンはなく、比較的なだらかな登り一方という感じで、8時前には畦ヶ丸山頂手前の避難小屋に着くことができた。
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4月5日

小屋は清潔な造りで快適な一夜を過ごせ、熟睡とはいかないが、まあまあ眠ることはできた。小屋には宿泊者ノートが置いてあったので、遡って見たところ、週末を中心にそこそこ利用者はいるようだ。年代も丸をつけるようになっていたが、さすがに70代はいなかったので、少し誇らしげになって70代にまるをてけておいた。
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今日の行程は西丹沢ビジターセンターに降りてから、反対側にある神奈川県百名山をいくつか登るつもりであったが、その前にもう一つの神奈川県百名山である権現山(昨日登った権現山は正確には世附権現山という別の山)を登るのだが、畦ヶ丸から一般コースを経由すると、一度沢に降りてから登り返すことになって時間がかかりそうなので、畦ヶ丸から直接繋がっている尾根を行くことにした。国土地理院の五万図にはその道の記入はないが、ネットにはいくつか記録はあったので歩かれてはいるらしい。
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かすかに踏み跡がある程度でマーキングは皆無であるが、地図とGPSと首っ引きで見通しさへ効いていれば、さほど困難な行程ではないが、尾根が複雑に分岐しているので、油断していると、間違った尾根に入ってしまいがちである。

まずは1070メートルのピークを目指すが、無事そこに到達しても(現在位置を示す緑の三角が到達している)、そこから先も結構迷いやすい箇所が連続する。
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ようやく一般コースと合流できてホッとするが、結構時間がかかってしまい、果たして時間短縮になったのか?である。権現山までは迷う所は全くないが、かなりの急勾配である。頂上近くで足下を通り過ぎるものがあって何かと思ったら犬であった。恐らく猟犬なのだろうが、こんな経験は初めてである。

頂上はだだっ広い所で、標識もなにもないが、GPS地図の現在位置から頂上に達していることは間違いない。ネットの記録では、山頂から直接西丹沢ビジターセンターに降りている記録もあったが、多分、往路を戻るよりも時間がかかるだろうから、大人しく往路を戻って一般コースを通って下山することにした。
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ビジターセンターまで降りるとかなり疲労が蓄積していて、反対側の神奈川県百名山を空身であっても登る元気はなく、今回はこれで終わりにし、登り残した山は次回に登ることにした。

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2025年4月 1日 (火)

神奈川県百名山(風巻ノ頭、袖平山)

神奈川県の山は丹沢と箱根近辺くらいしか登っておらず、丹沢にしても主脈縦走やポピュラーな沢登りをやった程度なので、神奈川県百名山のうち踏破済みなのは半分にも満たない。ヒルが活動する前に登ってみようと、日帰りで行けそうな風巻ノ頭から袖平山への縦走を行うことにした。

3月31日

袖平山方面には橋本駅からもバスが出ているようだが本数が少ないので、藤野駅から登山口までは10キロ以上離れてはいるが、帰りが遅くなっても大丈夫なように自転車を利用することにした。

低山だからたいして時間もかからなぃろうと甘く考えて家を出るのが遅くなってしまったので、上青根に着いたのは11時近くになってしまった。袖平山の登山口はもう少し奥にあるが、風巻ノ頭の登山口から登るつもりなので、ここに自転車を置いて舗装路を歩いて風巻ノ頭の登山口に向かう。

1時間ほど歩いて、風巻ノ頭に向かう山道が五万図に記載されている地点まで達したが、切り立った崖かあるだけで登山道らしきものはどこにもない。しかたなく南面の東海自然歩道経由で登ることにする。

1時間強歩いて東海自然歩道経由の登山口に達する。当初に予定していた登山口よりも標高は100メートルほど高いし、ピークまでの水平距離も短いので、それほど遠回りではないかもしれない。ただ水平距離が短いだけに勾配はきつかった。

1時半に登り出して、標高差500メートルを登り切って風巻ノ頭に着いた時は3時になっていた。途中から雪も降り出したので、吹きさらしの稜線歩きになるようならば、袖平山は諦めて往路を戻るつもりだったが、雪も小降りになってきたので、袖平山に向かうことにした。

袖平山の頂上直下で下山してくる人とすれ違う。登山口に駐車していた人だが、今からならばギリギリ暗くなる前に下山できるだろう。それから少し登って4時半に登頂したが、下山路について思案する。



往路を戻れば安全だが、自転車を置いた場所に戻れるのは8時を過ぎるだろう。一方、当初予定していた北側の尾根を下りれば順調なら7時前に自転車まで戻れるだろうが、コースの詳細はネットでも情報が得られなかったので少し不安は残る。

試しに北側の尾根に足を踏み入れてみたところ、マーキングはしっかりしているし、以前の降雪の上に着けられた踏み跡も認められたので、これならば安全に下れると判断して下ることにした。

最初は順調に下りだしたが、途中からつづら折りの下りとなる。しばらくしてからGPSで確認すると、登山道をだいぶ外していて林業の仕事道を下っているようであった。セオリーならば登山道まで戻るべきだが、あまりにも立派な道だったので、このまま下っても林道まで降りられるのではないかという甘いささやきに負けて下り続けたところ、途中でプツリと道が途絶えてしまった。

登山道まで戻るべきか悩んだが、地図をよく見ると、下から延びている林道が比較的近くまで通じており、そこまでの勾配もさほどきつくないことがわかったので、林道まで慎重に降りて行くことにした。

多少時間はかかったが、なんとか林道まで降りることごでき、自転車の所には9時過ぎには戻ることができた。ここからならば、ゆっくり下っても最終電車には十分間に合うので、腹ごしらえをしてからペダルを踏むことにした。

この頃になって雪が強くなってきたが、雨具の防水がよく効いているので、寒さは感じることはなかった。まずは橋の所まで降りてからトンネルまで約4キロの登りである。勾配がそれほどでもないので、なんとか登り切る。そこから先は藤野駅まで約8キロのくだりであるが、みぞれで路面もブレーキも濡れているので、スリップしないようにブレーキをかけっぱなしで慎重に下っていく。登りよりもだいぶ疲れたが、最終よりも何本か前の電車には間に合うことができた。思っていたよりもだいぶ大変な山行だった。





 

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2025年3月29日 (土)

都内史跡巡り(四谷から新宿へ)

 本日は地元の郷土史愛好家が主催する史跡見学会に参加するつもりだったが、雨で中止になったため代わりに1人で四谷から新宿までの史跡を巡ってみることにした。

3月29日

四谷駅で下車して東側に向かうと、外堀の石垣が一部残っているので、それを眺めた後に西側の西念寺に向かう。
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服部半蔵の墓があるとのことであったが、なかなか見つからない。そこで墓参りに来ていた人に場所を教えてもらい、写真を撮ってから、次の史跡に移る。
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次に訪れた愛染院には国学者の塙保己一の墓があるとのことであったが、墓地の入口には鍵がかかっていたため中には入れずに諦めた。
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その後は新宿駅方面に向かい、成覚寺に向かう。ここは遊女の投げ込み寺だったそうである。
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著名人の墓があるわけでもないので、写真だけとって、最後の目的地である花園神社に向かう。桜満開間近ということで、雨にもかかわらず見物客で賑わっていた。
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今回は寺や神社しか訪れることができなかったが、次回はもう少し史跡っぽい所にも行ってみたい。この程度ならば、足が今よりも衰えても歩ける限りは楽しめるだろう。

 

 

        

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2025年3月27日 (木)

青春18切符

青春18切符が3日間または5日間の連続利用に「改悪」されてから初めて利用してみることにした。利用先は関東ふれあいの道や関東百名山であるが、体力が落ちてきている現在、毎日連続して行動するのは辛いものがあり、果たしてどうなることやらである。

3月22日

5日連続18切符利用の初日は関東ふれあいの道群馬県コースのうち、妙義山と榛名山の間のコースである。最初のコースNO14は次に繋げるコースNO13の始点近くに撮影ポイントがあるので、全コースは歩かずに撮影ポイント近くまでバスに乗り、そこからコースNO13の始点までもバスに乗るというインチキをやって時間短縮を図ることにした(歩いても小一時間程度なのだが)。
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次のコースNO13の撮影ポイントである風戸峠までは手抜きをせずにコース通りに歩くことにする。初っ端から急登が続くが、ある程度登ると傾斜が落ちてダラダラ歩きが続くことになる。昼過ぎに峠に着いてから、今後の予定を検討することになる。
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コースNO13の後半は恵宝沢のバス停に向けて降りることになるのだが、次のコースNO12の撮影ポイントである仙ケ滝は風戸峠よりもかなり西側にあるのに対して、恵宝沢は逆に東側にあり、両コースの間は無茶苦茶離れていることに気が着いた。

通常は隣接しているコースが離れている場合は、番号だけ付した空のコースを連絡コースとして設定してあるのだが、今回、NO12と13の間には連絡コースは設けていなかったので、両コースがこんなに離れていようとは思ってもみなかった。

こうなってしまった以上は恵宝沢には向かわずに線ヶ滝への最短コースを選ぶしかない(それでも4時間近くはかかりそうだが)。単独のコースを行くよりもはるかに多くの時間をかけて線ヶ滝に向かい、なんとか暗くなる前に到着して、撮影ポイントの写真を撮ることはできた。
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後は信越線まで下るだけだが、最後は時間との競争でなんとか列車に間に合った。1本逃すと1時間近くのロスとなるだけに危ないところであった。時間的には帰宅も可能であったが、翌朝早出するのもたいへんなので、小山駅近くのネットカフェに泊まることにした。ただ駅からかなり遠い所にあったので、途中で足が痛くなって、なかなか大変だった。

3月23日

今回の18切符を利用しての旅は茨城県のふれあいの道のうち、つくば北方の連山を縦走するコース8番、9番を繋げる予定である。以前なら一日で歩いたであろうが、今は到底無理なので2日行程となるが、途中に宿泊する施設もないので、一度麓まで下りなければならない。その場合には同じ道を登り返すこととなって不経済なので、どうしたものかと思ったが、昨日の思わぬ長丁場の疲れも残っているところから、今日は山の上までは上がらずに撮影ポイントだけを往復することとした。

撮影ポイントまでは思った以上に時間がかかってようやく辿り着いたと思ったら、なんとそこには車が止めてあって、車にはボルダリングマットが立てかけてあるではないか!上の方を見上げると人影があって岩の苔を落としているようであった。やがて降りてきたので話を聞いてみると、近くの笠間のボルダー(私も何度か登ったことがあるが)は混んでいるので、新しいボルダーエリアを探しに来たそうである。

彼とはしばらく話しこんだ後に往路を戻るが、下りは早い上にバスの接続もよかったので、6時頃には帰宅できた。

3月24日

5日間も連続で行動するのはつらいので、今日は休養も兼ねて伊豆高原の大室山に行き、帰りに城ヶ崎の岩場も見物してくることにした。

のんびりと出かけたので、大室山登山口に着いたのは2時近くになってしまった。平日にもかかかわらず、大勢の観光客で賑わっていて、リフトには順番待ちまでできている。

たった数百メートルの標高差しかなく、裏側まで行けば登山道もあるようなので、しばらく進んでみると、地図上では登山道があるはずの所に登山禁止の立札がいっぱい立っている。ウソーと思ってネットで調べてみると、大室山全体が天然記念物に指定されたため数年前から徒歩による登山が禁止されたとのことである。リフト乗り場まで戻るのも面倒だったし、特別登りたいとというわけでもないので、登頂は諦めることにした。

仕方ないので、山腹をまわって城ヶ崎海岸まで歩くことにしたが、途中で変なおばさんにつかまってしまい、「この道は危ないのであなたを保護します」とか言って、ずっと後ろから車でついてくる。うるさいので車では通れない道を下って、なんとか巻くことができたが、こんなことは初めての経験である。彼女はいわゆる痴女なのか、私がよほど魅力的だったのか(笑)?

城ヶ崎には暗くなる前になんとか着いたが、あれほど通った岩場なのに、前に登ったルートが全然わからず、浦島太郎のような気分であった。
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その後は水戸までの長い々々鉄路の旅で明日のふれあいの道の最寄り駅である岩瀬駅に近い水戸まで移動して、駅前のネットカフェに辿り着いた。

3月25日

始発電車に乗り遅れてしまったが、行程には余裕があるので、全然問題はない。JRとバスを乗り継いでスタート地点には8時過ぎに着く。撮影ポイントの燕山まではここからは標高差550メートルの登りである。コースNO8は本来は雨引観音からスタートするのだが、雨引観音は坂東三十三箇所一筆書きの時に行ったことがあるので、今回はパスすることにした。

今回のコースは燕山への最短コースではあるが、あまり歩かれていないようで、マーキングはほとんどないものの、踏み跡はしっかりしているので迷うことはない。

昼前には燕山の山頂に着き、今後の予定を検討する。撮影ポイントでの撮影は済んでいるので、このまま帰ってしまってもいいのだが、時間もまだ早いので、もう少し先まで進んでみることにする。
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次のピークの加波山は以前に登ったことがあるので、今回は素通りしたが、その少し先に下山路の分岐点があったので、あっさりと降りることを決めてしまった。このまま稜線を進むと2時間ばかりは稜線歩きをしなければならないが、とりたてて魅力的なピークがあるわけでもなく、なんか歩くのがいやになってしまったからである。

バス停には3時過ぎに着き、このまま水戸に帰ると明るいうちになってしまうなあと思っていたら、とんでもないことになってしまった。というのは、事前に調べてあったバスの到着時間をバス停の時刻表で確認して、少し遅れて到着したバスに乗り込んだのだが、しばらくしてから反対方向のバスに乗ってしまったことに気がついた。

反対方向のバスがちょうど同じ時間に出るので(道も平らだったし)、うっかり間違ってしまったようで、次のバス停で下車しようかとも思ったが、自販機もないバス停で長時間待たされるのもイヤだったので、終点まで行って乗り換えることにした。料金は一律200円だし、時間ももて余していたからである。

終点は筑波山の登山口で、筑波山から下山してきた人が何人かいたが、今回の失敗を知られたくなかったので、彼らとは話をしないように気を付けて座った。1時間ほどの乗車時間だったが、なんとか話しかけられずには済んだ。それでも暗くなる前にはJRの駅に着いたが、水戸に着いた時はようやく暗くなって居酒屋タイムに入ることができた。

3月26日

水戸駅を早朝に出発して常磐線の十王駅に向かう。関東百名山の竪破山(たつわれやま)に登るためである。関東百名山の中で最も歩行距離が短くて(ただし、山と渓谷社刊の旧版掲載分に限るが)、かつ公共交通機関によるアクセスが難しい山であるだろう。東京からだと前夜に近隣都市に宿泊しないと午前中1本のみの始発のバス(しかも平日のみの運行)に間に合わないときているが、駅から20キロ近くは離れているため、歩くには遠いし、タクシーを利用すると割ないむ高になるため、マののよなイカーを利用できない者にとっては敷居の高い山である。

マイクロバスの乗客は私1人で、30分ほどかけて最奥の集落である鬼越に着く。舗装路はまだ先に続いているが、ここから先は登山口まで小一時間歩かなければならない。

登山口に着くと車が1台停まっていて、どうやら下山してきた人らしい。関東百名山に選ばれているだけあって、多少は登られているようだ。

前半は少し急な登りだが、途中から傾斜が落ちてくる。標高差200メートル程の登りなので、1時間もしないうちに頂上に着く。頂上の見晴らしはあまりよくないが(10メートル以上の高さの塔が建っているので、そこに登れば多少は展望がきくのかも)、それよりも、頂上周辺には巨岩が点在しているので、それが百名山に選ばれた理由かもしれない。
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頂上に着いた時点で、帰りのバスの時間までは2時間半以上はあり、ゆっくり下ってもバス停までは1時間半はかからないだろうから、しばらくは頂上に滞在していたが、風が強くなって寒くなったので下山することにした。

バス停まで降りると、発車時間まではまだ1時間以上はあり、近くにはコンビニはおろか自販機もなく時間を持て余すところであったが、幸いブログの原稿書きがあったので、なんとか時間をつぶすことができた。

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2025年3月10日 (月)

下仁田周辺の歩き

下仁田の宿をベースに関東百名山と関東ふれあいの道群馬県コースを歩いてきた。

3月6日

下仁田駅から虻田までバスで行き、そこから大桁山を目指す。登山口には雪はなかったが、しばらく登ると雪が現れる。たださほど潜るほどでもなかったので、靴カバーは着けなかった。わたる

頂上は撮影ポイントになっているので写真を撮ってから往路を戻るつもりだったが、コース通りに行った方が雪が少なそうだったので、そのまま前進する。




コースNO9は大桁山を下山後に千平駅へ下って終わっているが、千平駅には寄らずにコースNO8の撮影ポイントである旧茂木家住宅跡を目指す。

目的地まではさほど遠いというわけではないが、単調な舗道歩きが続くので精神的には疲れる。ポイント近くまで来たはずなのに住宅跡が見つからない。反対側からやって来る通行人に聞いてみると、前方に見える小高い丘の上にあるという。他の撮影ポイントで◯◯住居跡というのは、みな道沿いにあったのだが、丘の上にあるとは思わなかった。

階段を登って住居跡の写真を撮ってから、NO7の撮影ポイントである貫前神社に急ぐ。と言うのは、日没が迫ってきているので、撮影が可能なうちに着く必要があるからだ。

暗くなる直前に貫前神社の鳥居の下に着く。本当は鳥居の下まで上がって撮影したかったが、坂をかなり登らないといけないので、そこまで行くと暗くなってしまうということで、神社への方向を指示している標識と石碑があるところで撮影してお茶を濁す。

NO7コースのゴールまではまだ3時間ほど歩かなければならないが、それでは宿に着くのが遅くなってしまうので、ここから最寄り駅に向かうことにした。

今晩の宿がある下仁田に向かう上信鉄道は1時間に1本か2本ほどしか電車がないので乗り遅れると宿に着くのが遅くなるため、必死に歩いて下仁田行きにギリギリで間に合った。

宿に着いて靴を脱ぐと靴擦れとなっていた。靴擦れはひさしぶりだが、雪が染みた濡れた足で舗装路を長時間歩いたためだろう。水疱に針を通して水を抜いておいたので、多分良くなってくれるだろう。

3月7日

本日からは関東百名山の登山である。初日の立岩は二日目の鹿岳と比べると、登山口までの歩きが時間も長いし、傾斜もきついうえ、標高差も二百メートルほど多いので、かなりハードな山登りとなりそうだ。

結局、登山口まででコースタイムを1時間以上かかってしまい、登頂に赤信号が灯る。ここで不要な荷物は置いていき、身軽になって頂上を目指す。

無雪期のコースタイムでも登頂ギリギリなので、登山口から積雪のある状態では登頂は難しいが、行ける所まで行ってみることにした。

雪は次第に深くなり、小一時間登った所で地図を確認すると、頂上までの半分程度しか登っていないことがわかり、ここで登頂を断念して、雪のない時期に再起を図ることにした。

 

 

 

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 下りでは時間があったので、線ヶ滝の展望台に寄り道したりして、のんびりとバス停まで下る。登山口までの傾斜が思った以上あったので、今度来るときは、不用な荷物はバス停に置いていこうと思った。

宿には早く着けたので、のんびり出来たが、今日もだいぶ足が濡れてしまったため、昨日と反対側の足にも靴擦れができてしまった。昨日の靴擦れは豆を潰して水を出したので、具合は良くなったが、今日新たにできた靴擦れは固くて水を出せないので、治るまでに時間がかかりそうた。

3月8日


靴擦れの跡は治ってないごが、鹿岳は立岩よりも歩行時間は短いので、行ってみることにした。歩きだすと、さほど痛まないし、傾斜もそれほどでもないので

、登山口まではコースタイムを少しオーバーするくらいで着くことができた。

登山口の上部に不用な荷物は置いていき、身軽になって登りだす。途中から雪が現れるが、潜るほどではないので、靴のままで登ることができた。

頂上直下では尾根も細くなり、ロープも現れたので慎重に登っていく。頂上にはコースタイムよりも1時間ちょっとの遅れで到着する。360度の展望があるが、このあたりの山にはなじみがないので、間近の山の名前はわからない。

 



ぐに下山に移るが、予定しているバスに間に合うためにはコースタイムよりも30分ほどしか余裕がないものの、安全を期してスリップ防止のためにチェーンスパイクを付けて慎重に下っていく。

安全地帯まで降りてからペースアップしたが、それでも登山口に着いたときは、バスの発車時間までの時間はコースタイムよりも10分遅れることとなった。最終バスはさらに2時間後にあるのだが、そんなに待つわけにはいかないので、早足で歩き始める。

半分くらい歩いたところで地図で現在地を確認してバス停の到着時間をコースタイムから逆算すると、バスの通過時間にはまだ数分遅れているので、そこからは駆け足に切り替える。

通常は田舎のバスは5分程度は遅れるものなので、それを見込めばなんとか間に合うかと期待して、通過時間を2分遅れてバス停に着くと、ほとんど同時にバスがやってくる。5分も遅れなかったわけで危ないところであった。

今回登れなかった立岩は雪の消えた4月にリベンジするつもりで、その際には他の関東百名山やふれあいの道も併せて踏破してくるつもりだ。

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2025年3月 4日 (火)

東京都の百名山(五日市周辺の三山)

3月2日

日本二百名山や関東百名山、甲信越百名山も踏破間近となり、次の目標を探していたところ、身近な百名山として東京都、神奈川県、埼玉県の百名山が浮かんできた(山梨県については踏破済だが、3都県についてはまだ半分程度しか登ってない)。手始めに武蔵五日市駅から徒歩でアプローチできる所を登ることにした。たまたま南岸低気圧が通過して数日は悪天が続く見込みであるが、標高数百メートル程度の低山ならば問題はないだろうと出かけることにした。

8時ちょうどに武蔵五日市駅を出発して五日市街道を西に向かい、黒茶屋の先で細い道に入って9時頃に戸倉城山の登山口に着く。これから先は山道になるが、雨のために部分的に泥道になるので、靴を濡らさないように神経を遣う。山頂までの標高差は200メートルほどだが、急勾配と足元が悪いために意外と時間がかかり、山頂に着いたのは10時になってしまった。

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下山は往路を戻り黒茶屋の先で南に向きを変えて網代城山に向かう。ところが、地図上で網代城山と表示されている所の少し手前でトンネルに入ってしまう。15分くらい歩いてトンネルを出たが、GPSで確認すると網代城山は通り過ぎてしまっている。トンネルで網代城山の下を潜ってしまったことに気付き、トンネルの右側の階段を登り、しばらく山道を登ると舗装路に出たので、このまま進めば山頂に達するのかと思っていたら、「この道はゴルフ場の管理棟専用道なので部外者は立ち入り禁止」の標示が現れる。無視して前進しかかったが、管理棟らしき建物も見えてきたので、トラブルを起こしたくないため前進をあきらめて下山することにした。

気勢をそがれたので、このまま帰ってしまおうかなとも思ったが、近くにもう一つの東京都百名山である雹富山があるので、せっかくここまで来たのだからと寄っていくことにした。幸い頂上直下まで舗装路が続いているので、足元は気にせずに歩けて助かった。

山頂には標識もなく鳥居があるだけだったので、写真を撮ってから往路を戻った。予定では武蔵五日市駅まで戻って、北方にある東京都百名山である天竺山も登るつもりだったが、雪も本降りとなってきたので、最寄りの武蔵増子駅に向かう。

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武蔵五日市の奥の檜原方面にも東京都百名山がいくつかあるようだが、アプローチは徒歩では無理でバスとなるので、6月になったらシルバーパスを購入して登ってこようと思っている。

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