歩き

2024年9月11日 (水)

稲含山

9月10日


関東百名山も終わりに近づいてアプローチの悪い山ばかりが残ってしまったが、今回の稲含山も最寄り駅から登山口まで20キロ以上あるにもかかわらず、バスもない状態である(以前は途中までは乗合タクシーがあったようだか)。自転車を輪行して行こうかと思ったところ、最寄りの上州福島駅では無料でレンタサイクルが使えるということを知り、利用してみることにした。


8時前に上州福島駅で下車してレンタサイクルを借りる。ママチャリではあるが、5段変速にはなっているので、登り坂もある程度は対応できそうだ。


林道までは傾斜もそれほどではないのでゆっくりではあるが漕いでいくことができたが、林道に入ると傾斜もきつくなるので、自転車を降りて引いていくことが多くなる。幸い、林道は舗装路が続いていたので、登りの辛さを我慢すれば、帰りは楽になることだけを頼りにして進んでいく。


林道の入口には登山口まで3.5キロと書いてあったので、500メートルごとの標識を頼りに進んでいたが、いざ登山口と覚しき所に出ると、通行止めとなっていて、登山口はさらにニキロ先という表示があってガッカリする。


1時間ほどかけて12時半に本当の登山口に着く。そこから頂上までは標高差は500メートル弱で急登が続くが2時前には登頂できる。頂上には標識板があって四方の山名が記載されているが、ガスに覆われて全く展望がないので、標識の写真だけ撮ってすぐに下山する。

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下りは山道も舗装路に下りてからも、登りの何分の一かの早さで駅に戻ることができた。

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2024年9月 8日 (日)

遠見尾根

 日本アルプス支稜の山旅として、以前から気になっていた五竜遠見尾根を登る計画を立てた。3日間の好天が見込めたので、白馬鑓まで縦走して日本一標高の高い所にある鑓温泉に入ってくる計画を立てた。

9月5日

最寄駅の神代駅までは大糸線経由で行くと時間がかかるが、新幹線で長野駅まで行き、そこから白馬方面のバスに乗り代えて白馬五竜でゴンドラ駅行きの連絡バスに乗り継ぐと、標高1500メートルの植物園まで10時頃には着くことができる。そこからは植物園の間の遊歩道をしばらく登ると小遠見山に着き、ここから遠見尾根のいくつかのピークを超えていくことになる。

 出発が遅かったせいか追い抜かれることはなかったが、上からは次々と下山してくる人とすれ違う。あいにく鹿島槍方面はガスに覆われていてカクネ里や北壁を望むことはできない。やがて下山する人もいなくなってくる時間になると、左上に五竜山荘が見えてくる。すぐ近くに見えるのだが、白岳を越えていかなければならないので、結構時間がかかる。翌日は唐松岳方面に行くのだから、わざわざ五竜山荘まで下りなくとも、直接唐松岳方面に向かい、途中でテントを張ってしまうことはできないかとも思ったが、ガスの晴れ間から見える縦走路にはテントを張れる場所は見当たらかったので、大人しく五竜山荘に向かうことにした。

夕方5時頃に小屋に着いてテント設営の申込みをしたところ、予約をしてないと追加料金がかかって倍の六千円だと言われる。北アルプスではみんなそうなのかと聞くと、そうだと言われ、明日の鑓温泉も予約してなければ同じようになると言われる。納得しかねたが、ここでゴネてもしょうがないので言われるままにする。テント場は満員で、辛うじて一張分のスペースが残されていたが、傾斜地で大きなテントでは張るのが困難な場所だった。

9月6日

夜中に風が激しく吹いたが、張り綱をしっかりしておいたので飛ばされることはなかったが、軽量化のためにテントよりも居住性の悪いストックシェルターを使用したため、かなり濡れてしまい良く眠れなかった。もう一晩ストックシェルターで泊まるのは嫌になってしまい、追加料金をまた取られるのも腹立たしかったので、鑓温泉まで行かずに、このまま下りてしまおうかなとも思うようになった。さらには風が朝になっても止まず、この強風下で稜線歩きをするのも大変だったので、来た道を戻ることにした。強風下にもかかわらず五竜岳に向かう人は大勢いたが、白馬鑓までの縦走路と同様に以前歩いたことがある道なので、今回は第一目的である遠見尾根をトレースふるだけで満足することにした。

遠見尾根を下り始めると、あれほど強かった風がピタリと止み、前日は見られなかった五竜や鹿島槍の展望がバッチリだったので、遠見尾根を下りて正解であった。

下山は同年輩の人と一緒になって抜きつ抜かれつ下りたので、さほど退屈することもなくおりられた。リフトの終点にある自販機で買ったビールの味は最高であった。


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2024年8月31日 (土)

蝙蝠尾根

   日本アルプスの主稜線のうち一般的なものは全て歩き通してしまったので、今後は日本アルプスについては支稜線のうち未踏のものを歩いていこうと、前回の南アルプス北部の仙丈岳地蔵尾根に続き、今回は同じ南アルプスの中央部に位置する塩見岳から二軒小屋に延びる長大な蝙蝠尾根を踏破してみようと思った。そこで問題になるのはコース選定である。伊那方面の登山口である鳥倉の標高は約1800メートルであるのに対して、静岡方面の登山口である二軒小屋の標高は約1300メートルなので、前者から入山した方が断然有利である。ただ、ここで問題となるのは、蝙蝠尾根を踏破するためには塩見岳近くの小屋に宿泊せざるを得ないが(なおキャンプは禁止)、この小屋はかなり前から予約しないと満員となってしまうことが難点である。ところが、8月25日までは満員であるが翌日以降は空きがあるのである。なぜだろうと思ったら、鳥倉までのバスは8月25日までが運行期間なので、当日朝の便を利用すれば、夕方には塩見小屋まで達することができるため、25日までは小屋の予約は満員なのであろう。そのため、私は25日のバスは午後の便として、その日は手前の三伏峠にキャンプして、翌日に小屋が空いてから塩見小屋まで登ることにした。

8月25日

昼過ぎに伊那大島駅から乗車した鳥倉行きのバスは途中までの乗客1人を除いて私だけだった。塩見に向かう登山者はマイカーによる塩見ピストンが主流で、最終運行日のバスを利用するにしても朝のバスを利用したのであろう。

鳥倉から先は1番から10番まで番号がついた標識があるので精神的は楽である。小屋近くまで誰にも会わなかったが、その先で二人の若者にぬかれたので驚いた。小屋に着いた時は薄暗くなってきたので直ぐにテントを張ったが、台風が近づいているためか数張りしか設定しておらず快適であった。おまけにキャンプ場には、弱い電波ながらもwifまで通じているのには驚いた。

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  8月26日

今日は塩見小屋までの比較的短い行程なのでゆっくりと出発する。行き違う下山者はそこそこいたが、登りの人はほとんどおらず、登る人も今日中に塩見岳を往復する人だけのようである。今日はまだ台風から遠いためか天気もまずまずで塩見岳方面の展望も良好であった。

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 塩見小屋に着くと、台風を警戒して予約のキャンセルが続出して私の他は泊り客はひとりだけであった。その泊り客も今日中に塩見岳を往復しており、明日は塩見岳方面に向かうのは私だけのようであった。

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 その晩はいつもは経験しない山小屋の食事を味わうことになるが、昔から比べると食事の質はだいぶ上がったように感じた。食事が終わると、あとは何もやることがないので、明日に備えて早く寝ることにした。

8月26日

今日は塩見小屋までの比較的短い行程なのでゆっくりと出発する。行き違う下山者はそこそこいたが、登りの人はほとんどおらず、登る人も今日中に塩見岳を往復する人だけのようである。今日はまだ台風から遠いためか天気もまずまずで塩見岳方面の展望も良好であった。

塩見小屋に着くと、台風を警戒して予約のキャンセルが続出して私の他は泊り客はひとりだけであった。その泊り客も今日中に塩見岳を往復しており、明日は塩見岳方面に向かうのは私だけのようであった。

その晩はいつもは経験しない山小屋の食事を味わうことになるが、昔から比べると食事の質はだいぶ上がったように感じた。食事が終わると、あとは何もやることがないので、明日に備えて早く寝ることにした。

8月27日

暗いうちから起き出して準備を始め、5時から朝食を摂って6時前には小屋を出る。昨日までと違い、今朝は明らかに台風の影響を受けていて風雨の中を登ることになる。塩見岳山頂には10時前に着いたが、休む暇もなく先を急ぐ。

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仙塩尾根を進んでしばらくすると蝙蝠尾根との分岐点に出る。ここまで来ると、引き返すのは困難で前進するしかない。幸い、蝙蝠尾根は思っていたほど悪い道ではなく、風雨さへなければもっと楽に通過できたかもしれない。ただ、その時は風雨で服の内側まで濡れてきて低体温症のリスクも考えられたので、蝙蝠岳の山頂でも写真も撮らずに先を急いで樹林帯に入り、風雨の影響が和らぐとようやくホッとすることができた

徳右衛門岳から二軒小屋までは距離はさほどではないが、標高差は1000メートル以上あるので明るいうちに着けるかどうかが危うくなる。ただ水も食料も充分持っているので、無理に二軒小屋まで行かなくても、テントを張れる場所さへあれば暗くなる前にテントを張ることにした。

結局、二軒小屋よりもだいぶ手前でテントを張ったが、一晩中雨が降って、テントの中は水浸しになり、なかなか辛い夜だった。横になって明日の予定を考えたが、当初の予定では二軒小屋に降りてから転付峠を越えて身延方面に向かうつもりであったが、峠からの下り道が元々あまりよくなく雨でさらに悪くなっているだろうことを考えると、日数と費用はかかっても静岡方面に下った方がよいような気がしてきた。

8月28日

夜が明けるとすぐに出発するが、二軒小屋までは思ったよりも時間がかかってしまった。二軒小屋は営業を休止していたので、そのまま歩き続ける。転付峠に向かうのは問題外なので、10キロ先の椹島を目指していくが、単調な歩きなので30分ごとに休むことにする。椹島ロッジから先はロッジ宿泊者に対しては送迎サービスがあるとのことだが、この時期はかなり前から予約してないと泊まれないようである。ただ今回のような台風襲来時にはキャンセルが続出するだろうから、予約なしでも泊まれるだろうという目論見があった。

椹島ロッジに着いてドキドキしながら聞いてみると、案の定、宿泊者は私ひとりであった。早速、旅装を解いて風呂を浴びビールを飲めば極楽である。宿の夕食を食べ、テレビもwifiも使える環境は前夜とは様変わりである。

8月29日

早朝5時に朝食、6時に送迎車の出発ということで、このまま無事に陸の孤島を脱出できるかと思ったのは甘かった。送迎サービスは本来は畑薙ダムの先のゲート前の駐車場までで、そこからバス停のある白樺荘までは40分ほど歩かなければならないのだが、今日は特別に白樺荘まで送ってもらえたので、その時はラッキーだと思った。なお、同乗者には夏の間、アルバイトで働いていた人が家に帰るということで静岡まで送るとのことだが、私を静岡まで同乗させることは白タクになってしまうので難しいと言われる。まあ今日中に帰宅できればいいやくらいの気持ちで白樺荘の前で下車した。

下車すると、すぐに時刻表を確認したところ、バスの便は午後までしかないことがわかり、待ち時間をどう過ごそうかと考えるながら白樺荘の中に入ると、耳を疑う事実を知らされる。なんと、土砂崩れのために道路が通行止めとなり、台風が通り過ぎるまでバスは走らないとのことである。白樺荘の人の話では、脇道を通ればタクシーならば静岡まで帰れるが、そうでなければ台風通過まで白樺荘に泊まらざるをえないとのことである。白樺荘まで送ってくれた人はバス運休のことは知らなかったのだろうが、後の祭りながら静岡までの同乗を強く頼めばよかったと後悔した。まあ静岡までの交通手段が残されているだけでもラッキーだったと考えることにして、2万4千円を支払って静岡に向かうことにした

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2024年8月16日 (金)

仙丈岳(地蔵尾根)とトランスジャパン応援

日本アルプスの主稜線のうち一般的なものは全て踏破しているので、あとは主稜線から分岐している支稜の踏破を目的とすることとして、6月には立山から大日岳に向かう尾根を歩いたが、今回は仙丈岳から西に延びる地蔵尾根を歩くことにした。実は今回はもうひとつの目的がある。それは2年に1回、日本アルプスを日本海から太平洋まで8日間で踏破するトランスジャパンアルプスレース(TJAR)のコースの一部に地蔵尾根が含まれているので、仙丈岳まで往復しなから選手の応援もしようという計画である。

8月12日


5日間連続で歩いたので(と言っても1日フルに動いたのは2日目の火打~焼だけであるが)、今日は休養と移動にあてていたが、せっかくなのでTJARのコースが中央線の藪原駅を横切るようなので、そこで先頭グループの応援をすることにした。


過去のレースの経過から先頭グループが藪原駅を通過するのは2日目の夜だろうと思って、長野のホテルは午後に出ればいいだろうと考えていたら、ネットで表示される先頭グループの進路は思ったよりも早くて、午前中には藪原駅を通過しそうだったので、ホテルの朝食は放棄して始発電車で藪原に向かうことにした。


塩尻で中央西線に乗り換えたが、ここでもう一度作戦を立て直してみた。それは藪原で下車すると先頭グループには間に合うが、次のグループまではかなり待たなければならなくなる。そこで少し先の原野まで行って、そこで先頭グループの応援をしてから、逆方向の電車に乗って藪原に向かえば、さほど待たされることもなく2番手グループの応援ができるだろうという目論見である。


原野駅は藪原駅から二つ目の駅なので、ずいぶんと待たされることになったが、道の駅やそば屋(有名な店なのかひっきりなしに来店者のある繁盛店のようだった)があるので、後続グループ応援の待機時間を減らずために前の駅まで引き返す必要はなく、食事をしていればよいことになって、原野駅まで来たのは正解だったと、その時は思った。


ところが、原野駅から少し歩いて中山道に出て、木曽駒ヶ岳方面への曲がり道でトップの選手の到着を待っていたところ、GPSトラッキングによれば間もなく到着するかと思いきや、新しい位置表示では、なんと本来のコースから外れてショートカットした地点にポイントがある。そんなのありかよと思ったが、同じ場所に応援に来ていた人の話では、チェックポイントさへ通っていればショートカットは構わないとのことであった。


2番手の選手は1時間ちょっと遅れているようなので、その間に食事を済ませ、通過すると思われる時間の少し前に曲がり角に戻って到着を待ったが、今回もすぐ手前でショートカットしてしまい、応援し損ねてしまった。


後続の選手は5、6時間は遅れているようで、そんなには待てないし、明日になれば地蔵尾根ではたくさんの選手の応援ができるであろうから、今日の応援は諦めることにして下諏訪に向かった。


8月13日


下諏訪から茅野に移動し、仙流荘行きのバス停に向かったが、案に相違してバス待ち客は誰もいなかった。その後、少しづつ客が増えて、最終的には半分程度は席が埋まった。


今回の目的の地蔵尾根の登り口である市野瀨はバスの終点である仙流荘とは少し離れているので、途中で降ろしてもらえないかと運転手に聞いてみたが、ダメだと言われる。仙流荘で下車すると、市野瀨よりも先の分杭峠までバスが出ていることがわかったので、市野瀨で下車させてもらえないかと聞いてみたが、やはりダメだと言われて、仙流荘から市野瀨まで四キロほどは歩いていくことにした。歩き出してしばらくすると、分杭峠行きのバスに追い抜かれて少し悔しかった。


市野瀨まで着くと、仙丈岳登山口の標識があったが、数年前に行った時は、すぐ上にチェックポイントがあってスタッフが常駐していたものだが、どうもその時とは様子が違う。多分、登山口はいくつかあって、前回はもう少し南の登山口の前を通ったのだろうから、両方の登山道は上部で合流するのだろうと思った。少し登ると上から降りてくる人がいたので聞いてみると、トランスジャパンのトップの人とは会ったとのことなので、この道で間違いないと確信した。


当初の予定では、今晩は小屋泊まりだったが、明るいうちに着くのは難しそうだったので、水場があってネットも通じる絶好のキャンプ適地があったため、テントを張ってしまった。ネットが通じているので、トランスジャパンのGPSトラッキングで選手の位置を確認すると、トップは仙丈岳近くまで達しているが、2番手はかなり遅れていて、私の所まで来るにはだいぶ時間がかかりそうた。もし起きていれば応援をしてあげられるのだが


8月14日


結局、夜の間には後続者は到着しなかったようで、明け方に出発の準備をしていると、一人が到着し、その後は、時間をおかずに三人が次々と到着したので、応援のエールを送った。ただ、GPSトラッキングで見ると、その後はしばらくは後続者が見当たらず、このぶんでは仙丈岳に着くまでには追いつかれそうもなかったので、後ろを気にしながら歩く必要もなく、気楽に歩くことができた。


地蔵尾根は長大な尾根なので、アップダウンが多くて時間がかかってしまい、当初の予定では昨晩泊まるはずだった松峰小屋まで2時間以上かかってしまった。松峰小屋に大半の荷物は置いて、軽装で上を目指すことにするが、先日の焼山の時とは違って、天気が今ひとつで悪天となった場合の下降には難儀するので、タイムリミットを3時と決めて、その時間が来れば頂上に着けなくても下山することに決めた。


天気は次第に雨が強くなってきたので、どうしたものかと思案する。今は樹林帯の中なので、多少体が濡れても大丈夫だが、樹林帯を抜けて岩稜帯になると風がまともに当たるので、体感温度はぐっと下がって、低体温症の危険が高まってくる。トランスジャパンの選手たちは、そんななかでも負けずに行動するのだろうが、自分はもう若くないのだから無理はできないと、まだ2時前ではあるが、標高2420メートルの地図上に表示されている地点から引き返すことにした。


松峰小屋に着くまでの間に4人の選手とすれ違って激励のエールを送るが、うち3人の選手は元々知り合いというわけではないだろうに、まとまって行動していた。極限的な環境にあると、同志愛的な気持になるのだろうし、励まし合って進んだ方が精神的にも楽なのだろう。間もなく松峰小屋への下降点に着く。GPSトラッキングでは、1人の選手が市野瀨のチェックポイントあたりにいるので、夜中じゅうに小屋上部の道を通過してしまう可能性が高いが、夜中まで起きて応援するわけにはいかないので、やむをえない。


8月15日


雨は夜の間にやんだようだが、無人小屋とはいえ、雨の日はテントと比べると格段に居住性は高い。登山道に戻ってしばらく進むと、電波状態が良いところがあったので確認すると、昨夜中に通過してしまうだろうと思った選手が依然として前夜と同じ場所でとどまっている。なにかアクシデントでもあったのかと心配になる。


そうこうしているうちに何人もの選手とすれ違う。昨日と同様に何人もの選手がグループのように行動している場合もあれば、苦悶の表情を浮かべてほとんど止まっている選手もいる。あまり苦しそうだったので、大丈夫ですかと声をかけたが、リタイアするつもりはないようだ。ここから三伏峠の関門までは彼の体調からすると、無限に等しい遠さであり、市野瀨の関門まで戻ることがベストと思われるが、それは本人が決めることであり、「次の関門目指して頑張ってください」としかいえなかった。


結局、この日は12人の選手とすれ違い、昨日と併せて20人の選手に応援のエールを送ることができた。それにしても、昨夜から静止していると思われる選手とは結局出会うことはなかった。道が違ったのか、システム上の不具合なのかはわからなかったが、妙な話である。


以前には立ち寄った市野瀨関門の施設には下りでも立ち寄ることはできなかった。登る道が違うのかとも思ったが、一本道で他に登山道はないようなので、おそらくもう少し分杭峠の方に上がった方にあるのかもしれない(前回は自転車利用のため、今回とは距離感感が違いすぎたせいか)。最後の関門通過者を祝福するつもりだったが、制限時間ギリギリの通過者はいなかってようなので、たとえ関門のテントに辿り着けても、期待したような場面には遭遇できなかった可能性は高かったに違いない。


下山口から茅野駅行きバスの発車する仙流荘までは五キロちょっとあり、行きの時よりもだいぶ長く感じた。仙流荘では、バスの発車時間まではだいぶ時間があったので、温泉に入ったり、生ビール付きのランチをしたりと、すっかりくつろぐことができた。


今回は地蔵尾根の2400メートルから上は行くことができなかったので近いうちにリベンジすることを考えている。地蔵尾根を末端からまた登る気にはなれないので、林道バスを利用して北沢峠まで上がってしまい、仙丈岳から地蔵尾根の未踏部分をトレースするのがよいかなとも考えている。

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斑尾山・志賀山

8月10日

ドミトリーを早朝に出て、不要な荷物はコインロッカーにしまって、継走で飯山駅に向かう。飯山駅からは1時間ほどの待ち合わせで飯山高原ホテル行きのバスに乗車する。同乗者はトレランスタイルの人で近辺をトレランする人のようである。バスを降りて歩き始めるが、どうも登山口の位置が判然としない。地図から判断して、この辺りだろうと見当をつけて歩き出すが、どうもスキー場の林間コースを歩いているような感じである。反対側から歩いてくる登山者らしき人がいたので聞いてみると、もう少し先に行くと、登山口の標識があるといくことで一安心する。教えられた通り、道は少し先で道はゲレンデの方に延びていて、そこからゲレンデを直登するようになっている。前日の疲れも残っており、直射日光も受けていることから、なかなか大変な登りであり、さらには下の方から登ってくる二人の登山者が見えたことから、抜かれるのでほないかというプレッシャーもあって、なかなか大変だった。

頂上近くになって登りが直登からジグザグに変わったところで一息ついていると、後続者に追い抜かれ、さらに頂上直下でもう一人に追い抜かれた。頂上に着くと、標識の杭を持った数人がたむろしている。ここは100キロ以上の長丁場である信越トレランコースになっているため、その整備にやって来た人たちであった。頂上直下で追い抜いていった人と話してきると、彼も信越トレランのコースをこれから歩くそうで、どうも一帯はすっかりトレランづいてしまったようである。



下りは同じ道だが、登りの半分以下の時間で降りられる。高原ホテルに戻ったが、バス待ちの時間を利用してホテルのテラスで食事をする。高原を眺めながらの食事は最高である。夕方のバスで帰るつもりだったが、それよりも早いバスもあるので?と思って調べると、私が乗ろうと思った町営のコミュニティバスの他に民営の路線バスもあって、そちらの方がだいぶ高いようだ。急いで帰ってもしょうがないのでゆっくり帰ることにした。その晩のホテル(ドミトリー)は快適であったが、満床に近いためかWifiが繋がりにくいのが難点であった。

8月11日

本日は甲信越百名山の志賀山を登りに行く。長野駅から登山口近くまで直行バスが出ているので、それを利用するのだが、往復5千円近くも払って行くのも勿体ない気はするものの、甲信越百名山全山登頂まで残りわずかとなっている以上はやむを得ないだろう。長野駅から草津温泉行きの直通バスは1日数本出ているが、この時期はほぼ満席である。乗客の三分の一ほどは欧米人だが、日本人と見分けのつきにくいアジア系の人を加えれば、乗客の過半は外国人ということになるだろうか

志賀高原では最上部に近いほたる温泉で下車して、ここから甲信越百名山である志賀山を目指す。ほたる温泉は草津温泉と比べると標高は500メートルほど高く、昼前の温度は24度と肌寒いほどである。志賀高原への道は1時間ほど遊歩道を歩いてから山道に入る。30分ほどの急登で志賀山頂に着く。



1時間ほどで登れれば、北側の道を降りて池巡りをしながら志賀高原山の家まで降りようかと思ったが、今のペースだと山の家まで行っているとバスに間に合わなくなる虞れがあるため、来た道をそのまま降りることにした。降りる前に山頂からく周囲の山の写真を撮ったが、なじみのない山域なので山名もわからなかった(上信国境縦走した時に通過した赤石山が近くにあるはずなのだが)降り始めてしばらくすると、登っている時には気づかなかった神秘的な池が樹木に囲まれてひっそりと神秘的な姿でたたずんでいることに気づいた。さらに遊歩道まで降りて、しばらく歩くと行きは通過するだけだった渋池の横を通るので、行きと違って帰りは時間があるので、休憩して池巡りの気分を味わった。バス停まで降りてみると、近くのホテルの中にコンビニがあるのを発見。早速ビールとつまみを買って無事下山を祝って乾杯し、バス待ち時間を有効に活用する。

 

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火打・焼山

百名山の火打山はかなり前に鍋倉沢を登った際に寄り道して登頂しているが、三百名山の焼山は長い間、火山活動のため登山禁止となっていたのが近年解除されたものの、行程が長いこともあって登る人も少なく、地図ではどこからのコースも破線状態となっている山である。火打から焼への縦走は今年の5月にも試みたが、この時はまだ雪が多いこともあって高谷池までで引き返してきたので、そのリベンジでもある。

8月7日

妙高高原駅から笹ヶ峰までは前回は自転車でいったため苦労して1日がかりとなってしまったが、今回は夏期のみ運行されているバスを利用したので、50分ほどて到着して楽であった。そこから高谷池までの登りも、前回は苦労した雪の斜面の通過は木道歩きとなっていて楽ちんであった。キャンプ場も前回はだだっ広い雪原であったが、今回は湿原の脇の整備された使いやすい所に変わっていたが、平日のためか私を含めて三張りだけだった。


8月8日

今日は焼山まで往復する長丁場となるため4時半に出発する。しばらくは平坦な道を行くと、薄明かりの中で、広々とした湿原か見えてくる。天狗の庭だ。だいぶ昔だが、鍋倉谷を詰めてここに突き上げた時、他の登山者の目を気にしながら登山道に出た時に他の登山者の目を気にしながら。湿原を横切って登山道に出たものである。



天狗の庭を過ぎると一気に傾斜がきつくなる。その代わりに背後には雄大な景色が望めるようになる。頂上が間近になってきた頃に上から人が下りてくる人がいた。私よりも先行している人がいるのには驚いたが、頂上で御来光を迎えるために早出してきたそうである。頂上直下で一人抜き、別の人には抜かされる。先に頂上に着いた人から写真をとってくれるよう頼まれたので撮ってあげるが、自分はと言えば写真も撮らずに先を急ぐ。自分にとっては、火打山は単なる通過点にすぎず、目標はあくまで焼山なのである。

次のピークの影火打までは、登りらしい登りもなく下り一方で到着する。道は火打までよりも格段に悪いが、踏み跡は草で完全に覆われているわけではないので、注意深く歩けば道を踏み外す心配はない。影火打から先は標高差で400メートルほど下った先に焼山のどっしりとした山容が望まれる。

下り一方といっても部分的には不明瞭なところもあるので、あまりペースは上げられない。最低鞍部に着くと、標高差400メートルの焼山の威容が眼前に迫るが、そこから暫くはアップダウンが続き、すぐに登りが始まるわけではない。アップダウンも終わり、いよいよ焼山の登りが始まるが、ほとんどが直登で、草が両側から覆い被っているため、非常に登りにくい。やがて草が多少はまばらになって露岩が出てくると、赤ペンキでマーキングされているので、多少は気持が楽になってくる。

最後のひと踏ん張りで外輪山まで達すると、後は稜線伝いに頂上に導かれる。右側は噴火口と思われるが、今日は噴煙は上がってないようである。頂上に達すると、長居は無用とすぐに下降に移る。下降は登りと比べると格段に楽である。下降が終わり、アップダウンを経て最低鞍部に達するといよいよ長い々々登りが始まる。


今日は午前中は雲が多くて登りやすい天気だったのだが、この頃から雲が晴れて、背後から直射日光を受けるようになる。こんな所で日射病にでもなったら大変なので、20分歩いたら木陰で10分ほど休んで水分を取るようにして日射病予防に努める。その分だけ行程は遅れることになるが、今は日射病予防が最優先課題である。今日は結構風があったことも幸いして、日射病にもならずに登山を続けられた。登りの最後になって傘を日傘代わりにすれば良いことに気づき、それからは頻繁な休みは取らなくても済んだが、もっと早く気がつけば、行程の遅れは避けられたのだが後の祭りである。

影火打に着いた時は雲海に日が沈みかけていたが、これでなんとか暗くなる前に火打山頂に着ける目処がついてホッとした。火打に着きさへすれば、そこから先は道は明瞭なので暗くなっても迷う心配はないのである。火打山頂に着いた時は日没寸前だったが、ここまで来れば何も心配はないと、腹を満たしてからライトを付けて下り始める。



キャンプ場に戻った時は9時を過ぎてしまい、疲れ果てて食事を摂る気もしなかったので、ビールとつまみを夕食代わりにしようと思い、ピールを一口飲んでからつまみを探していたら、なんとカンをひっくり返してしまいピールはテントの底に消えてしまった。落胆したが、しょうがないので、つまみを水と一緒に食べて夕食代わりにしてしまい、すぐに眠りについた。

今回の最大の目的だった三百名山である焼山の登頂をなんとか終えてホッとしている。翌日からの行程はずっと楽な山が続くので、天候にさへ恵まれれば問題は無いだろう。

8月9日

今日は笹ヶ峰まで降りるだけだし、バスの笹ヶ峰発車時間も1時過ぎと遅いので、ゆっくりと起床する。先ずは昨晩飲み損ねたビールを小屋で買い、前日に縦走した山々を眺めながら、無事山行を終えられたことを祝った。

笹ヶ峰までの下り始めは、前日の疲れが出て体が重く時間がかかったが、次第に調子が出てきてバスには余裕で間に合った。当初の予定では、翌日の斑尾山行に備えて麓のキャンプ場まで行くつもりだったが、昨日の疲れもあるし、テント泊まりはもう結構という気もしたので、長野駅近くで泊まり、翌日は飯山から軽装で斑尾山頂を往復するという計画に急遽変更をした。

ここで問題となるのは、盆休み前の金曜日で果たして空いている宿があるかどうかということである。空いていなければネットカフェもやむを得なしという気持で、「今晩 泊まれる」でネットで検索したら、ドミトリーではあるが長野駅近くで3900円という安さの宿があり、しかも旅行社のポイントを差し引て、1900円というネットカフェよりも安い料金で泊まれることになった。その晩は駅近くの居酒屋で山行が無事に終わったことを祝って乾杯したのは勿論である。

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2024年8月 4日 (日)

関東ふれあいの道 群馬県no19~22

8月2日

草津温泉を後にして高崎で妻と別れて上越線の敷島駅に向かう。昨年、坂東33箇所一筆書きをやった際に寄り道をして関東ふれあいの道の赤城山周辺のコースを目指したのだが、その際に歩き残したコースを歩いてしまおうという計画である。なお、敷島駅からコース20の赤城山西側の登山口に向かう途中でさらに西側の利根川を越えた先にコース19があるので、そちらにも寄り道をすることにした。ただこのコースは関東100名山である子持山を登った際にも歩いているので、今回は撮影ポイントである空恵寺を往復するだけで戻ることにした。

舗装路と別れて林道に入ると、いきなりの急登である。たまらずに荷物は置いて空身で登ることにした。しばらく登ると空恵寺までの距離が書いてある標識が次々と現れるので気分的には楽である。空恵寺自体は林道から少し外れた所にあるので、子持山に登った際には気づかずに素通りしてしまったようである。

空恵寺からの下りは駆け足で下ったが、荷物を置いた場所は通らずに舗装路まで下りてしまった。途中で道を間違えたらしいので、また登り返して正しい道を下りて荷物を回収して、利根川の東側に戻った。ここからはしばらくは利根川に沿って北上し、コース20の撮影ポイントであるキンメイチクに向かう。キンメイチクというのは天然記念物らしいのだが、詳しいことはわからなかった!?

コース20はキンメイチクの先は林道を進んで深山に達するが、そろそろ暗くなってきたこともあり夜間の林道を歩きたくなかったので、遠回りとはなるが舗装路経由で深山に向かうことにする。実はもう30分ほど前であれば深山行きの最終バスに間に合ったのだが、やむを得ず歩いていくことにした。1時間半ほど歩いて深山に到着し、その先の道路脇にテントを張る。

8月3日

テントを撤収後は林道歩きをしばらくするとキャンプ場に着く。その少し先から道は山道となって高度を上げていく。

昼前には大沼に到着してしばらく休憩する。ビールを飲みたいところであったが、まだ先は長いので清涼飲料水で我慢する。


大沼から小一時間歩いてコース22の撮影ポイントである覚満淵に着く。尾瀬沼を小さくしたような湿原地帯である。


こここまでは舗装路を直射日光を浴びて歩いてきたので少しバテ気味となり、これからコース23の撮影ポイントである不動大滝の手前の赤城温泉郷まで舗装路を歩いていくのがイヤになってしまい、前橋行きのバスに乗ってしまった。


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草津周辺の山

妻と避暑に草津温泉に行ったが、その際に草津周辺の山にも登ってきた。

7月29日

以前は草津温泉から白根山の頂上近くまでロープウェイが延びていたのだが、火山活動によって同路線は廃止となり、白根山方面への交通機関は1日1便のバスだけとなってしまった。代わりに温泉から天狗山ゲレンデの上までのゴンドラが近年新設されたということで乗ってみることにした。するとゴンドラ終点にあるレストランで食事をすればゴンドラ代がタダになるということなので、早速レストランに予約の電話を入れてゴンドラ代をタダにしてもらった。

レストランではゲレンデを眺めながら寿司を食したが、このままゴンドラで降りても白根山方面のバス発車まではバスターミナルで2時間近く待たなければならないので、下まで降りずに舗装路をこのまま登っていくことにした。スマホの地図では蛇行する舗装路の部分にはショートカットする道がいくつもあるようになっていたので、それらを利用すればかなり時間を短縮できるのではないかと期待したが、火山活動の影響で舗装路が閉鎖されていた間にショートカットする道は荒れてしまったのか発見できずに舗装路をそのまま登らざるをえす、思いの外時間がかかってしまった。

白根山に近づいてくると、硫黄の臭いが立ち込めている場所も出てきて、駐停車が禁止されている箇所やシェルターが設置されている場所も現れてくる。事前に調べた情報では白根山の周辺付近は立ち入り禁止とされているとのことだったので、立ち入り禁止ギリギリまで行ってみるつもりだった。ところが、舗装路以外の道は荒れてしまったということで舗装路以外の道も立ち入りが制限されていたので、白根山の標識のあるレストハウスの所から引き返すことにした。日本100名山は10年ほど前に北海道の幌尻岳で完了したつもりだったが、その中で白根山についてはバスで山頂近くまで行っただけで登ったことにしていたが、今回は下から立ち入り制限の所までは歩いてきたので、まあ登山したことにはなるだろう。

下りは白根山から離れた北側の道を通るつもりで、かなりの時間短縮を期待したのだが、そちらの道も荒れてしまったということで通行が制限されていたため、登りと同じく舗装路を下らざるをえなかったので、ホテルに戻った時は暗くなる寸前であった。

8月1日

1日休養してから関東100名山(新)の岩櫃山を登りに行く。山岳雑誌が発行している「関東100名山」という本では以前は岩櫃山は入っていなかったのだが、新版では新たに入ることになった。これは大河ドラマの「真田丸」の人気によって真田氏の上州側の居城があった岩櫃山を登る人が増えたためであると思われる。

最寄り駅から歩き始めた時は昼前で気温が高く汗がどっとでてくる。ただアプローチの途中から望める岩櫃山頂上直下の岩壁の威容に気がまぎれる。

登山路を3合目あたりまで登ると樹林帯に入って直射日光が避けられるので多少は楽になる。この調子で行けば意外と早く登頂できそうに思えたのだが、その後は鎖場の連続となって結構時間がかかってしまう。

頂上に着いたが、真夏の低山ということもあり無人であった。360°の展望は得られたが、このあたりは地理不案内なため、まわりの山名はよくわからなかった。草津温泉行きの最終バスに接続する列車までは充分に余裕があっちめ、のんびりと下山する。草津温泉はその日はお祭りが行われたので、それを眺めながら、温泉最後の夜を過ごした。


 

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2024年7月15日 (月)

北海道ガイドツアー後半戦

7月13日

午前中にコインランドリーで洗濯を済ませてから北海道二百名山である芦別岳のガイドツアー集合場所である旭川駅に向かう。北海道ガイドツアー後半戦は当初は芦別岳の他に二百名山である夕張岳も登る予定であったが、夕張岳のアプローチが通行不能となったために三百名山である余市岳に変更されることとなった。前半戦は参加者は4人であったが、後半戦は三連休ということもあり11人という大所帯になり、約反芻が駅集合、残りは空港ピックアップで、ガイドは前半と同様のTさんと、もう1人は若いTさんであった。

ワゴン車2台で明日登る芦別岳の登山口近くの宿舎に向かったが、私の隣に座ったのは愛知県日進市から来た私よりも4歳年上のAさんだったが、ビールを立て続けに飲んでいるので、朝からどのくらい飲んでいるのか聞いてみるとロング缶をすでに5本飲んだか聞いてみると、すでにロング缶を5本飲んでいるということで脱帽である。私も名古屋に5年間住んでいたことを話すと、愛知県内の町や山の話題でしばらくは盛り上がった。

宿舎には4時頃に着いたが、食事付きで予約はしてなかったようなので各人が好きな料理を注文した。ジンギスカンがメインのようだったが、昨日もも食べているので今回は生姜焼き定食を注文した。私と同じく生姜焼きを注文した人も多かったのは羊肉が苦手の人が多かったからだろうか 。女性4人以外の男性はAさんを除き生ビールを注文したが、Aさんはさすがにビールが続いたためかワインを注文していた。ところが赤と白を両方注文していたのにはまたまた驚いた。

食後に部屋に戻ったが、3人一部屋でAさんとは同室になったため、誘われて宿舎の庭でビールを飲み続ける羽目に。Aさんこ酒好きはツアー参加者の間では知れ渡っているようで誰も宴に加わってくる人はいなかった。あたりが暗くなってきたのでようやく部屋に戻るが、明日は早いので早々に寝入ることになる。

7月14日

4時前から起き出してカップラーメンを食べて5時には宿舎を出る。近くの駐車場に車を停めると、その裏手は登山口であった。今日は標高差1400メートルを一気に登るため、最初から急登の連続である。と思ったら、その先の立木に板が付けられていて呻吟坂と書いてあり、さらにその下には序曲とまで書いてある。これで覚悟を決めたが、実際はそれほどの急登ではなかった。ただこれほどの人数が登るので、なかには調子を崩す人もいるのではないかと思ったが、全員が元気であったし、単独の人には何人かには抜かれたが、何パーティーかは逆に抜いていったほぉである。最近はもっぱらマイペースでゆっくり登るクセが付いてしまったので、久々の「ハイペース」に付いていくのはたいへんだった。

森林限界を越えると雄大な稜線が見えてきて登高意欲が高まる。また足元には高山植物が咲き乱れるが、件のAさんは高山植物にも滅法詳しい上に、私のすぐ後を歩いていたが、ピタッとくっついてきて全く離れてしまうことはなく、年齢の割には足が達者で化け物のように思われる人である。半面山、霧峰山とコースタイムどおりに通過して北海道のマッターホルンと呼ばれる芦別岳の山頂に着く。カムエクの時と動揺に360度の大展望が楽しめ、今回は本当にラッキーであった。



頂上で30分ほど休んでから同じ道の下降に移るが、依然として快調で登山口には2時前に降り立った。休憩時間を差し引くとコースタイム以下で往復したことになる。私も時々ツアー登山のパーティーと出会うことがあるが、こんな早いツアー登山のパーティーには出会ったことはないような気がする。ここ何年かはゆっくり歩くことに慣れてしまった自分にとっては、カムエクの疲れが残っている状態では少しばかりハードだったようで、ふくらはぎの張りが残ってしまった。

下山後はすぐ近くのコンビニに直行してビールを買い込み、明日の登山口の最寄り駅である小樽駅近くのホテルを目指したが、隣席のAさんは相変わらずロング缶を立て続けに飲んでいて、この人には付き合い切れないなという気がしてきた。途中の富良野ではラベンダー畑を眺め、夕張では名物のメロンを食べて、ちょっぴり観光気分も味わった。

小樽のホテルに着くと明朝の5時までは、仲間て行動するも一人で行動するも自由となった。今晩はシングルの部屋なので、まずは自分の部屋に着いて旅装を解いたが、ふくらはぎの張りが引かないので、しばらくは待機して様子をみることにした。

ただ時間がたっても張りが引く気配がないのでホテル近くで夕食をとることにした。三連休の中日ということもあり、大通りの居酒屋も寿司屋も満員であった。そこでやむをえず、裏通りにある寿司屋に空席があるようだったので、そこに入ることにしたが、ここでトラウマが蘇った。それは昔、妻と小樽で寿司を食べるのを楽しみにして店に入ったが、混んでいる店を避けて空いている店に入ったところ、値段の割には美味くなかったことがあるからである。今回も二の舞となることを心配したが全くの杞憂で、値段もリーズナブルで味も美味であった。多分、観光客相手の店でなく、地元の人相手の店だからだろう。

ホテルに戻った時点では、明朝の回復次第では余市岳参加の可能性も残されていたので、5時出発が可能となる準備はした上で床に着いた。

7月15日

朝目覚めてみると、ふくろはぎの張りはあまり好転はしてなかったので、余市岳登山には参加しないことにした。5時前に姿を現したガイドさんにツアー離脱の旨を告げて、車の中に置いてあった装備を回収し、皆を見送って1週間に及んだ今回のツアーは終わることになった。

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2024年7月13日 (土)

北海道ガイド登山ツアー前半戦

北海道以外の200名山は残すところ一座となり、一時は諦めていた北海道の200名山も登ってみようかという気になり、北海道在住の知り合いに声をかけて一緒に登るつもりでいたところ急遽登れなくなってしまったので、どうしたものかと思案する羽目となった。北海道の100名山はほとんどの山は一人で登ったのだが、その時と比べると体力も落ちているし、昨今はクマの出没が騒がれるようにもなったので、この際はガイド登山のお世話になることにした。そしてどうせガイド登山を行うならば、200名山最難と言われるカムイエクウチカウシ山 (通称カムエク)をまず最初に登り、続いて観光も兼ねて旭川に移動して芦別岳と夕張岳という2つの200名山も併せて登ってしまおうという欲張りな計画を立てた。

7月7日

ガイドさんとの待ち合わせは翌日の昼前に帯広駅又は帯広空港ということなので、本来ならば翌日の早朝に羽田空港を出発した方が楽なのだが、護身用の熊除けスプレーを個人装備としても持参したかったので、スプレーは飛行機には持ち込めないことを考慮して1日早くJRで出発することにした。

帯広まで行くのであればさほど早く出発する必要もなく、また出発日が日曜日なのでラッシュの心配もないということで、七時過ぎに最寄り駅を出発して8時過ぎの新幹線に乗り込んで新函館を目指す。北海道を訪れるのは7年振りのことであるが、幌尻岳で100名山登頂を果たし、その後に自転車で北海道一周を達成してからは主として北海道以外の200名山登頂を果たすために西の方に向かうことが多く、もう北海道に行くことはないだろうと思っていたのに、しばらくはまた北海道通いが続きそうである。

新函館から帯広までは南千歳で特急を乗り継いで夕方に着き、ホテルに荷物を置いてから居酒屋に向かおうとしたが、近くの居酒屋はどこも満員で、かと言って小雨も降り出してきたのであまり遠出もしたくないなと思っていたところ、泊まっているホテルの1階の奥がバーとなっていて満席ではないようなので、入ってみることにした。

最初はひとつ離れた席に男性が座り、その後に間に女性が座ったが、しばらくはお互いに話をすることもなかった。しばらくたってひとつ離れた席の男性がバーのママに山の話をし始めたので私が明日カムエクに登ると言うと、真ん中の女性がクマが怖くて山には登らないか山には大いに関心があるということで、たちまち山の話で盛り上がることになってしまった。

思いがけないことで帯広の夜は盛り上がってしまったが、適当なところで切り上げて部屋に戻り、第①日目は終わることになった。

7月8日

帯広駅でガイドさんと落合い、その後、空港と道の駅でも他の参加者と合流する。メンバーは私を含めて男性3人、女性1人で60代から70代で多分私が最高齢のようである。ガイドの高橋さんは50歳で信濃大町に在住し、7月いっぱいは北海道でガイドをするとのことである。なおメンバーのうち1人は過去にもカムエクのツアー登山に参加して登頂しているが、素晴らしい山だったので再度参加したということであり、女性の参加者は過去2回カムエクの登山ツアーに参加したが途中でリタイアしたので、今回は3度目の正直を狙っているようである。

最初にガイドさんから「アプローチの札内川の水量が多くて渡渉の困難が予想されるので、今日は予備日を使用して麓で待機して明日から行動したい」との話があった。思わぬ発言で少し動揺したが、ガイドさんの意見に従わざるをえず、ガイドさんの判断が吉と出ることを願うだけであった。まあ最悪の場合は来年またチャレンジすればよいだけであり、無理して出かけて難渋することを思えば自重するしかないと云う気かしてきた。

その夜は高橋さんが選んでくれたコテージの1棟借りに泊まることになったが、一人当たり3600円という安さで今まで経験したことのない素晴らしい環境で過ごすことができてラッキーであった。その晩は多少飲み過ぎたようで床につくとバターンキューで寝てしまった。



7月9日

昨夜の飲み過ぎで早めに目が覚めたが、食欲は全くなくパンを少々かじっただけで出発する。ゲートから歩きだすが、昨日下見した時と比べると確かに水量は減っており、ガイドさんの判断力の正しさには脱帽した。ゲートから先は6キロほどは林道を歩くが、ペースが速い上に二日酔いも加わってかなり苦しかった。

林道の終点の少し手前から沢装備に変えて札内川の遡行に移る。渡渉は深くても膝程度だが、流れも速い上に何年もの間、渡渉なんぞはやってないので感覚を忘れてしまい初心者同様となって神経が疲れてしまった。途中からヤブの中を通ることが多くなり渡渉の回数も減って八の沢の出合に着き、テントを張ることになった。

 

その晩もビール、ウィスキー、日本酒とちゃんぽんにして飲み、テントに入るとまたもやバタンキューで寝入ってしまった。

7月10日

今日は長時間行動になるということで3時に起きて4時に出発することになる。残念ながら女性のTさんが理由は不明ながら不参加ということになり、ガイドさん以下4人での出発となる。今朝も二日酔いであったが、登頂日であるということで気を振るい立たせた。

渡渉は昨日ほどではなかったが、深い所ではやはり慎重に歩を進めた。途中で沢靴から登山靴に履き替えてからは滑りやすい所では神経を使った。ただ要所々々にはフィックスがあったので、登りに関してはさほど苦労はしなかった。

カールまでは思ったより時間がかかったが、カールに辿り着くとそこは最低鞍部から山頂まで続く稜線に囲まれ、素晴らしい好天にも恵まれて天国のような所であった。

何時間でもじっとしていたいところであったが、ガイドさんの山頂12時がタイムリミットだという声でギアを切り替えてペースアップすることにした。そのせいもあって11時半前には登頂することができ、360度の展望も楽しむことができた(幌尻岳には雲がかかっていたが)。

 

下りはカールまでは快適であったが、そこから下はフィックスがあるあたりは神経を使うことになり、一箇所濡れている所て不覚にもスリップしかかってしまい、沢靴に履き替えた時にはほっとしたし、朝に比べれば明らかに水量は減っていて渡渉に苦労することもなく、真っ暗になる前にテントに戻ることができた。

無事に登頂できた安堵感からか、酒の量はそれほどでもないにもかかわらず、酒の回りは今回を通じて一番早かったように感じた。その晩はかなり酔いが回っていたので、荷物をテントにしまい忘れて、夜中の雨で荷物を濡らすという失態を演じてしまった。

7月11日

今朝は3日間の中で一番二日酔いがひどかったが、もうゴールも見えてたし、自分を振るい立たせる必要もなくなったのでマイペースで歩いていたら、皆より大きく遅れる羽目となってしまった。ところが、ゲートまで数キロの地点まで来た時に抜かれた人の後ろ姿を見ていたら、突然昔の自分を思い出した。それはマラソンでゴールまで3キロの表示を見たら、それまでどんなに疲れていてもギアを切り替えて全速力で走るというものであった。丁度この時もギアの切り替えに成功してみるみるうちにペースアップすることができた。皆が休んでいる所に追いつくことができたが、ここで休んでしまうと今のペースには戻れないきがしたので、そのままゲートまで行かせてもらうことにした。

ゲートからはそれぞれの車で道の駅まで行き、ラインの交換をした後、FさんとTさんとは別れて残りの3人は風呂で汗を流してから、女性のTさんは空港で降り、私は駅まで送ってもらってから釧路に向かった。釧路ではホテルに荷物を置いてから港近くの屋台村でビールや地酒と地魚で登頂の祝杯をあげた。

考えてみれば、今回の山行は天候にも恵まれたが、それ以上にガイドさんの好判断に負うところが大きかったように思う。カムエクには何度も挑戦しても登れない人がいると聞いているが、一度目でしかもあんな素晴らしい天気の下で登れたのは本当にラッキーだと思う。最後に今回同行してくださったガイドの高橋さんやメンバーの皆さんには心からのお礼を申し上げて報告を終わりたい。

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