走り

2020年8月27日 (木)

温泉と山 鉢盛山ならぬ木曽川源流

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昨日一昨日と部屋の露天風呂にしか入ってなかったので、早朝に大浴場にも入ってみる。がら空きだったし、広い浴場の方がやはり気持ちいい。朝食後も9時半頃まで部屋でのんびりする。今日の目的の鉢盛山は標高は2400メートルほどだがアプローチが長く長丁場となるのだが、出発点となる藪原駅までの本数が少なく、ホテルで朝食をとってからとなると、松本発10時半まで列車がないため不本意いながらのんびりせざるを得ないのだ。その代わり、当日に帰京できない時は塩尻駅周辺のホテルでもう一泊することとした。 藪原駅で下車したら、もう一人自転車を持った年配の人が降りてくる。ひょっとして同一方向かなと思って聞いて見ると、藪原駅に車を置いて松本までまでツーリングして電車で藪原に戻ってきたところだと言う。電動サイクルをキャスター付きのキャリーで運んでいたが、自分の足腰が弱ってしまっても、こういう方法もありなのかと感心してしまった。 出発に際してスマホのGPS地図でコースを再確認しておこうと思ったが、お昼近くの強い光線で画面が良く見えなく確認ができなかったが、記憶を過信して確認せずに出発してしまった。そして一時間ほど乗って急坂の途中の木陰で休んでスマホの地図を確認したところ、見事に道を取り違えて5キロ以上も進んでいることがわかった。 正しい曲がり角まで坂をドンドン下っていくのは嫌な気分だが、自分が不注意だったのだから仕方がない。30分以上のロスで鉢盛山登山には黄色信号が灯ったが、とにかく今は前進するしかない。正しい道はダムまでは急坂だが、ダム湖に沿っては平坦な道が続く。途中には何ヵ所かゲートがあるが、車両の進入禁止であって自転車は対象外だろうと解釈して自己責任で前進する。 ところが3番目のゲートの先で舗装道路は終わって砂利道となっているではないか。マウンテンバイクならともかく、ロードバイクの細いタイヤではたちまちパンクしてしまうに違いないので、自転車はその場に置いてジョギングで登り出すが、登山口まではまだ9キロもあるのだ。事前にネットで調べた限りでは自転車の記録はなく、登山口まで舗装されているかどうかはわからなかったが、仮に舗装されてなくてもこんな下から砂利道になっているとは思いもよらなかった。 これで鉢盛山登山は無理となり、木曽川源流ツーリングに目的を切り替えることとなった。木曽川はさきほど道を間違えたところから河口までは歩きと自転車でトレース済みだったが、源流部分だけは未踏だったので、その踏破も鉢盛山登山とともに目的としていたのだが、鉢盛山登山が不可能になっても、もう一つの目的が達成できればいいやと思えた。6キロほど前進すると、木曽川の最後の流れを渡る(写真)。と言っても、流れ自体はまだ上の方に続いているのだが、道は沢から離れていくので、ここを源流として引き返すことにした。なお、源流には源流の碑があるということをネットに書いてあったのを思い出して捜してみたが、見つからなかった。帰ってからネットでよく調べたら、引き返した地点のちょっと下辺りにあるらしいが、いずれも現地のNPO主催のツアーで訪ねたものなので、一般の人にはなかなか敷居が高いもののようだ。 下りは同じ6キロでも断然楽な道のりである。途中で振り返ると、目的だった鉢盛山が真正面に見えた(写真)。今回のように南側からはアブローチが長くてほとんど登られていないが、次回は一般的なコースである北側からか、東側から登ってみよう。なお、今回は動物に良くであった。猿の群れには行きも帰りもあったし、行きには猪の親子連れが数百メートル先の川をわたっていたし、帰りには数百メートル先の行く手の林道を熊が横断していた。この時はさすがに、しばらくじっとして笛を吹き続け、安全を確認してから急いで通過すると、ダム湖が見えてきて、藪原駅はもうすぐであった。ハプニング続きだった1日も無事に終わり、最終の特急にも乗れて当日中に帰宅することもできた。

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2020年8月15日 (土)

北高尾山稜トレランもどき

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お盆に高尾の墓地に墓参りしたついでに八王子城跡から北高尾を縦走して堂所山に至り、そこからいつもの高尾~陣馬トレイルに出で高尾登山口まで行くというコースである。
高尾霊園まではいつもは歩いて行くのだが(小一時間)、今日は時間と体力をセーブするためにバスに乗っていく。彼岸の時期には霊園までの道も渋滞するし、バスも満員となるのだが、渋滞もなくバスもがら空きであった。東京ではお盆の墓参りというのはメジャーではないのかもしれない(そう言えば私もお盆に墓参りするのは初めてかもしれない)。

墓参り後に八王子城跡に向かうが、猛暑の中を走る気がせず急ぎ足で歩く。本丸跡まではけっこう人が来るが、そこから先となるとめっきり人が入らないようだ。と思ったら先行者の二人パーティーがいたが、先に行かせてもらう。泉台に着いて食事をしていると、追い抜いた二人パーティーがやってきて、休みを取らずに裏高尾の方に向かって行った。ここでしばらく思案する。というのは、泉台で縦走路は堂所山方面に向かう北高尾縦走路と裏高尾縦走路に分かれるのだが、当初予定していた北高尾縦走路はとても長い尾根だが、途中に峠があってエスケープが可能なので、いざとなったらそこから下山すればいいやと思ってた。ところが、去年の台風で峠から下りる道が通行止めとの表示があったため弱気になり、さきほどの二人連れが向かった裏高尾の方に向かおうかなとも思った。その時、トレイルランナーらしき人が堂所山方面に向かってかけ降りていくのに出会った。それを見て闘争心が掻き立てられて、そのランナーを追って行くことになった。もっとも現役のトレイルランナーに追い付けるはずもなく一人旅が続いたが、アップダウンの連続ではあるものの、いずれも大した登りではないので、3時前には堂所山に着くことができた。そこから先は、お馴染みの高尾山までのトレランコースを進んだ。

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2020年8月 4日 (火)

猛暑の中の高尾~陣馬トレラン

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梅雨明けてから数日がたって縦走路のぬかるみもそろそろ解消しただろうと久しぶりの高尾~陣馬(往復30キロ)のトレランに出かける。最近は夜間に走っていて、体が暑さに慣れていないせいか、1号路前半の急坂部分で今までに経験したことがないダメージを感じて、今日は高尾山往復でやめようかとも思う。そのためペースダウンして山頂を目指すが、おかげで55分と過去のベストタイムの倍以上かかってしまう。ただ、体が慣れてきたようなので、景信山まではいってみようと思い直す。トレラン中は景信山では休憩しないのだが、今日は景信山頂で大休止したため、だいぶ元気も回復したようだし、陣馬山まではそれほどの登りはないので、予定どおり前進する。

帰途は走るのは下りと平坦地のみで、ちょっとでも登りになると、急ぎ足にならざるをえなかった。そのため、登山口駅に到着したのは8時間半とベストタイムの倍以上の時間がかかってしまった。

私の年で高尾~陣馬のトレランをやっている人はまずいないだろうが、来年以降に延期となったパミール登山のためにやらざるをえないと思っている(本当はこんなシンドイことはやりたくないんだけど)

高尾山は休日は人出が多いので、感染をさけるために平日に行ってみたのだが、いつも休日に行ってるので、かけ下って駅に着くと売店でビールを買って飲むのが楽しみだったのだが、平日は休みでビールを飲み損ねてしまった。

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2020年8月 2日 (日)

ブログ開始前の山行記録アップ

当ブログは2009年6月から開始したのだが、それ以前の山行記録もアップしておいた。
ブログ右端の一番下のHPリンクの中の一番下にある「ブログ開始前の山行記録」をクリックしてもらうか、以下のサイトを直接
呼び出してもらってもよい。

http://vibram.world.coocan.jp/kako.htm

なお、2004年前半までは以前契約していたプロバイダーのサイトにあったデータを自分のPCに保管してあったのだが、それもリンクを張りなおしてニフティのサイトに登録しておいたので、上のリンクから見れるようになっている。

2014年後半から約5年間の記録は今回新たに書いたのだが、改めてその当時の記憶が蘇り、コロナ渦で遠出がしにくい中での絶好の疑似山行ができたようで楽しかった。これでネット上で自分の過去の山行のほとんどを見ることができるようになったので、もっと年をとって山に行けなくなっても退屈することはないだろう。

また、ブログ右端の一番下のHPリンクの中にある「海外山行の履歴」についても最新のものに更新しておきましたので、よろしかったらご覧ください。

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2020年7月29日 (水)

空白記録の復元

このブログは2009年6月から開始しているが、それ以前の記録については2004年6月までは以前契約していたプロバイダーのホームページに掲載してあったものは、ハードディスクに保存してあったのだが、それ以降の約5年間については海外登山以外については記録をつけてなかった。だが、よく考えてみると、自分の拙いアルパインの記録の中ではまあまあの記録を残していたのもこの時期であった。パミール登山中止、コロナ、長雨といった条件が重なった今、記録しておかなければ、忘れてしまいそうな気がしたので、錆びつきかけた記憶を呼び起こして年月とアルパインの記録の概要だけは以下のように書くことができた(一部はトレランを含む)。記録の詳細についてはおいおい書き出して、機会があれば発表していきたい。 

 

200410 瑞牆 ベルジュエール(ガイド山行) 

200504 瑞牆 調和の幻想 

200506 丹沢ボッカ駅伝 5位入賞 1区3区ダブルエントリー 

200508 瑞牆ベルジュエール 核心である大フレークは越えるも次のチムニーで敗退 

200508 ボリビア ワイナポトシ登頂

200510 錫杖二ルンゼ 

200510 大台ケ原 サマーコレクション登攀及び登頂 

200510 二子中央稜 上部の簡単な所で先行パーティーが墜落して救出

200512 涸沢岳西尾根 滝谷を狙ったが、涸沢岳登頂のみ、下山時に雪洞を見失い荷物を残置

200602 小同心クラック

200603 権現岳東稜

200605 屏風雲稜  前穂までの縦走はならず

200606 涸沢岳西尾根(前年末に残置した荷物回収)、錫杖敗退(増水で渡渉不可)

200607 富士山 高所訓練及び登山競争 

200608 シャモニ 赤い針峰群、ミディ南壁

200610 日本山岳耐久レース  自己ベスト 14時間23秒

200610 明星南壁  マニフェストの上部城塞で敗退、その翌日のフリースピリッツは完登

200704 丸山東壁右岩稜

200705 白馬主稜 強風の中での完登 

200707 グランドジョラス北壁ウォーカー稜を狙うも大量の降雪直後のため、取付き手前で敗退

200708 南アルプス シレイ沢(単独) 

200712 剣岳早月尾根 豪雪のため、早月小屋で敗退、手の指を第二度の凍傷に見舞われるも切断は回避

200802 阿弥陀岳 広河原沢右俣

200803 一ノ倉沢 一ノ沢二ノ沢中間リッジ~東尾根

200805 富士山での高所訓練(数回)

200806 富士山での高所訓練(数回) 

200807 ガッシャーブルムⅡ無酸素登頂 

200808 妙義 谷急沢(単独)

200809 北岳バットレス ピラミッドフェース~4尾根主稜

200811 富士山 頂上で吹雪に遭いまたもや同じ指に凍傷を負う

200903 鹿島槍北壁 天狗尾根~正面尾根(悪天のため、天狗のコルで敗退) 

200905 唐沢岳幕岩 S字状ルンゼ(流水のため敗退

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2020年2月 4日 (火)

外秩父ハイキング

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日曜日に急遽、秩父のハイキングに行ってきた。寄居から登山口までは自転車を利用するつもりなので、寄居までの東上線乗車は始発駅の池袋からではなく、途中駅の成増まで自転車で行くことにした。中村橋までは真っ直ぐな道があるが、そこから成増までは道に迷いながら行ったので時間がかかり、登山口に着いたのは11時半となってしまったので、大霧山から笠山まで馬蹄形に縦走するのは時間的に厳しいので、関東百名山の大霧山と笠山をピストンすることにした。 登山口に駐輪して、まずは笠山への登山を開始する。ハイキングコースなのに誰も登ってないなと思ったら、途中で何度も林道と交差するので、大半のハイカーは山頂近くまで車で行って山頂を目指すようだ。そのため、山頂近くには大勢のハイカーがいて、子連れの家族まで休んでいた。頂上からは関東平野が一望できる素晴らしいロケーションで人気があるのも頷ける。 稜線に出てから山頂まではかなり南下したので、ここから登山口まで降りて大霧山まで登り返すのだったら、このまま馬蹄形に大霧山まで縦走しても大差ない気がして、当初の予定どおり縦走をすることにした。すぐ隣の堂平山に向かうと途端にひと気がなくなると思ったら、山頂にドームが設置してある堂平山の頂上直下の平坦地はパラグライダーをやる人で大にぎわいであった。そこからしばらくは自動車道路と平行したり車道を歩いたりで、ちょっと興ざめであった。 白石峠から城峰峠までは縦走路の山道と山腹を巻く林道に別れるが、時間を短縮するために後者の道を走って行くことにした。城峰峠から先は林道と別れて稜線を行き大霧山に向かう。大霧山に着いたのは日没直後で勿論誰もいなかった。、山頂で衣服を着込んでから下山を開始し、粥新田峠からは林道に降りて登山口まで走って戻る。当初の予定では寄居まで戻って寄居北方の関東百名山の鐘撞堂山も登るつもりだったが、時間的に無理なので途中の八高線折原駅から帰ることとなった。自転車、歩き、走りとフル回転のなかなかたいへんな「ハイキング」だった。

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2020年1月19日 (日)

57キロでリタイヤ

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朝5時にスタートした100キロマラソンは57キロでリタイヤして完走はならなかった。20キロまでは快調だったが、その後はいつものことで、足に疲れがたまり思うように走れない状態となる。46.5キロの関門は制限時間一時間前に通過して80キロの関門を目指す(そこまでは走る権利があるので、80キロの関門リタイアはやむ無しということで)。ところが、足の疲労はたまる一方で60キロ先からの高度差100メートルの登りをクリアできる自信がなく、57キロのエイドでギブアップして収容車に乗るはめになってしまった。足の筋力の衰えはいかんともしがたく、100キロを走りきる走力は失われてしまったことは重々承知しているが、まあヒマラヤのための体力トレーニングにはなったし、宮古島を南北に縦断して、それぞれの島に橋を渡って行くこともできて、ちょっぴり観光気分も味わえたので、よしとしよう。

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2019年12月15日 (日)

曲岳、黒富士

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金峰山

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瑞牆山

 

山梨百名山のうち、甲府北方で未登の8山を年初から登り出したが、曲岳と黒富士山が残ってしまったので、年内に片付けようと登りに行った。この2山は甲府からは20キロほど離れている上にバスもないので、マイカー利用でないと行きづらい山である。前回は猛暑日に太刀岡山を加えた三山を、一度に登ってしまおうと目論んで、アプローチに自転車を利用したのだが、暑さにやられてグロッキーとなり、太刀岡山のみの登頂で終わってしまった。今回はトレーニングを兼ねて、竜王駅から曲岳登山口までの距離20キロ、標高差1100メートルの登りと黒富士下山口から竜王駅までの16キロの下りをランニングでやってみることにしたが、スピードは別として何やら一筆書きで百名山を登っている田中陽希君めいてきて年甲斐もなくと思わないでもなかった。

 

8時半に竜王駅を出て4時間で登山口に着く予定だったが、観音峠直下が急傾斜で走ることはできなかったので、4時間半かかってしまった。登山口から曲岳山頂までは200メートルの登りだけなのだが、ロードを走ってきた(つもりの)疲れで苦しい登りとなってしまった。山頂の少し手前に展望台があったが、山頂で眺めればいいやと展望台には寄らなかったところ、山頂は樹木に覆われてほとんど展望はきかなかった。

 

ここから黒富士までは大したアップダウンはないのだが、黒富士手前でミスを犯してしまった。それは今まで通ってきた道が急に不明瞭となり、左側に分岐する道に標識があって「升形山 黒富士」とあったので、地図には書いてないが、升形山という小ピークがあって、それを越えて黒富士にたどり着くのだと勘違いしてしまった。実際は升形山はまったくの寄り道で、一見不明瞭な道をそのまま行くと黒富士にたどり着くのであった。枡形山に着くと黒富士が正面に見えたので、それを目指して進んだつもりだった。実際は来た道を戻っていたのだが、黒富士の方ばかり見ていたので、うかつにもそのことに気がつかなかったのである。

 

黒富士山頂も樹木に覆われてはいたが、八ヶ岳や奥秩父方面の展望は得られた。特に奥秩父の金峰山や瑞牆山は間近に見られて迫力があった。展望を楽しんだ後、来た道を戻ったが、枡形山の分岐点では、寄り道した山だということには気づいていないので、また登りだして、山頂から先の道を歩きだした。一応踏跡はあったし赤テープもあったので先に進んでみたが、どうもこんな不明瞭な道を歩いた記憶はないので、元の場所に戻り地図と磁石を総動員して検討したところ、枡形山は寄り道であることに気づき正しいコースに戻れたが、かれこれ一時間近くは時間をロスしてしまったことになった。なんとか真っ暗になる前には下山口に降りられ、16キロのロード走に移ることができた。体は疲れていたが、下り一方なので、なんとか走り通すことはできた。竜王駅に着いたのは8時半で、ちょうど12時間の50キロ近い耐久レースとなってしまった。

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2019年12月10日 (火)

入笠山

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南アルプスの主要なピークや縦走路は踏破しているが、北部の前衛峰のうち300名山にもなっている入笠山は以前から登ろうと思いながらチャンスがなかったもので、今回ようやく登ることができた。入笠山は頂上直下まで自動車道路が通じているし、ロープウェイもあるので、下から登る人は稀なようだが、トレーニングを兼ねてすずらんの里駅から標高差千メートル以上を登ることにした。

 

地図に載っている道を登っていくが、「この道は自転車専用です。入笠山には登れません」という注意書きが何ヵ所もでてくる。自転車専用と言ったってこんな急な砂利道はマウンテンバイクでもたいへんな道であり、何のための注意書きなのか理解に苦しむので、無視することにした。やがて道は消えて急な斜面の踏跡を登っていくようになる。山慣れしていないと前進は困難なので、「入笠山には登れません」という注意書きはそういう意味だったのかと納得する。やがて尾根の上に出ると歩きやすい道となってくる。

 

急な尾根道を登って行くと、右からロープウェイが近づいてくる。人工スキー場がオープンしていて、平日だというのにそこそこ利用客はいるようだ。ロープウェーの終点で道は合流するが、あたりはだだっ広いところで、入笠山頂上に向かう道が判然とせず、近道をしようとしたら見事に失敗して元いた所に戻ってきてしまった。そこで、先程は遠回りになると思って敬遠した湿原に一度降りてから頂上に向かう道が急がば回れで正解のようであった。湿原は初夏にはすずらんが美事で大勢のハイカーが訪れるようだが、今は静まりかえっている。

 

頂上に向かう途中で2バーティーに出会ったが頂上は独り占めで、北アルプス、南アルプス、富士山、八ヶ岳と360度の眺めが得られ、この眺めだけでも300名山の価値はあると思われた。頂上は寒かったので長居をせずに下山に移ると、しばらくして舗装道路に出て、後は富士見駅までの10キロばかりの長い々々ランニングが待っていた。

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2019年12月 2日 (月)

辺野古と那覇マラソン

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早朝のバスで名護を出発して辺野古に向かう。ところがゲート前のテント着いてみると、人っ子一人いない。早く来すぎたのかと思って辺野古の海岸に降りると大勢のカヌー隊の人がいて、今までどおり変わらないようである。それからゲート前に戻るが、やはり誰もいないし、ゲート前の警備員も少しいるだけである。これで今日の搬入はないことがはっきりとしたが、何故なのか?とネットで必死に検索すると、少し前からゲート前への搬入がなくなったので、運動はもっぱら本部港の安和桟橋に絞られているということであった。そう言えば、昨日本部港に行った時に安和セメントの前で数人の人が抗議行動をしていたが、あの後に大勢が集まったのだろうか?今から本部港に行ってみようかと思ったが、那覇から毎日バスを現地に出している団体があって、そのホームページに出ているバスのスケジュールでは土日は書いてなかっので、多分土日の行動はないのだろうと判断して那覇に戻ることにした。その際に那覇で今日の3時から辺野古の勉強会が開かれることがバスを運航している団体のホームページに載っていたので、那覇マラソンの受付手続きをしてから参加することにした。

那覇に到着して受付手続きを終えても3時の勉強会までは大分時間があったので、ホテルに荷物を置いてから勉強会に参加することにした。2時間の勉強会の内容は多岐に亘っていたが、結論としては、オール沖縄側の知事が続く限りは、政府側の思惑通りに事が運んでも、技術的困難性と法的対応の必要から完成までに20年はかかるということで、両者の我慢比べが続くことになるのだろう。私自身は年齢的にもそれほど長くは運動には加われないが、果たして結末を見ることができるだろうか

勉強会の後は、同じ場所で忘年会ならぬ望年会が開かれた。参加者はほとんどが地元の常連のようであったが、県外からも私を含めて3人が参加していた。料理は地元の名産がたくさん用意され、アルコールも泡盛からマッコリ、ワイン等と各種あったが、明日のレースに影響しないようにとビールだけにとどめておいた。散会後にホテルに戻ったが、酒が効いたのかバタンキューであった。

前夜に早く寝すぎたため、深夜から目覚めてしまい、寝過ごすことを恐れてそのまま起きてしまった。会場にはまだ暗い内に到着して夜明けを待つ。そのうちに参加者が次々とやって来て賑やかになってくる。前回の那覇マラソン出場は15年以上前で、前の日に地元のクライミングジムで登り過ぎたために足にダメージを受けてしまい、当時としては失敗レースとなる3時間41分という記録だった。今となっては夢のような記録で、今回はマラソン復活後初の5時間切りを目指すタイムで申告したが、それでも後ろのグループに回されてしまい、レース開始後スタート地点に到達するまでに15分かかってしまった。

最近は捻挫の古傷が悪化して、関節が温まって痛みがなくなるまではスローペースで進んだため後続のランナーにも抜かれっぱなしとなったが、国際通りが終る頃には関節も温まってきたのでペースアップし、東海岸に出るまでの登り坂でもどんどんとランナーを抜いて、この分なら5時間を切れるなと思ったのも束の間、気温がどんどん上昇して25度まで上がったために急激に足が動かなくなり、歩きも入る有り様であった。

完走に赤信号が灯り始めた頃、33キロの関門手前で突然「後1分」のアナウンスがなされる。回りが一斉に全力疾走に移ったので、つられて自分も全力疾走となる。関門横に待機していた高校生が一斉に横になってランナーの進入を阻もうとするが、なんとかかいくぐって障碍を突破したと思ったのも束の間、いきなり足に強い負担がかかったために足に痙攣が起きて激痛が走る。多少の痙攣ならば、しばらく休んで走り出せるのだが、今までに経験したことがない激しい痛みで、レース続行は不可能と判断して、関門をクリアできなかったランナーたちと一緒にリタイアバスで帰ることにした。もし症状が軽くてそのまま走ったとしても、あのペースでは時間内に完走できなかっただろうから、競技場まで9キロを目標もなく自力で帰らなければならないところで、リタイアしたのはある意味でラッキーであった。今回は思いがけずリタイアという不本意な結果に終わってしまったが、意欲はあるものの体力の衰えはいかんともしがたく、「老兵は消え去るのみ」ということであろうか

競技場に戻って着替えてから、先日火災事故があった首里城に行ってみる。守礼門が火災を免れたことは知っていたが、本殿は全焼したものと思っていたら、本殿あたりと思われる建物も下から望むことができたのは意外だった(本殿付近には立ち入れなかったので、全容は不明であるが)。首里城の帰りに近くにある石畳道にもよってみたが、こちらはどこにでもある感じで、世界遺産ではなく県の文化財に指定されているというのは、首里城に関連付けられて価値があるということだろうか

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