走り

2020年11月 9日 (月)

秩父札所一筆書き 最終日

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一筆書きによる秩父札所巡りを目指しているわけだから、本来は昨日の最終地点である白久駅からスタートすべきであるが、白久駅から31番札所までは18キロもあってめちゃくちゃ遠いので、31番と32番の順序を入れ替えて、32番を先に参拝することとする。これならば武州日野駅からは10キロほどの距離ですむことになる。ただその場合には白久と武州日野の間は片道しか通ってないことになり、札所間を歩きで繋げることはできても、一筆書きとはならないことになる。これについては、だいぶ昔ではあるが、荒川の源流から河口まで細切れではあるが走っているので、それで代用させてもらうことにした。

 

スタート直後は足が痛むのでゆっくり歩いたが、そのうちに関節が温まってくると痛みもなくなってきたので、ジョギングと早歩きを混ぜて進んで行く。32番の登りは思ったほどではなかったが、小鹿野へはかなりの下りとなり、小鹿野からの登りを選択しなくてよかったと思った。

 

初めは31番を目指して西に向かうが、帰りは33番を目指して東に進むので、平行した道があるところは、行きと帰りは違う道を通るようにして退屈しないようにした。31番の仁王門から先の登りは100段以上の階段が続き、秩父札所の中では最もたいへんな登りである。 32番と33番への札所間の距離はいずれも10キロはどあるが、33番への移動は緩い下りが続くので楽である。

 

33番に着いたのは4時前で、いよいよ残すのは34番のみである。ネットで調べた資料では15キロとされていたが、グーグルマップで調べると山道に入らずに車道を進むと10キロとなっていたので、距離の短さもさることながら、途中で暗くなるであろうから車道の方が良いだろうと判断をした(因みに前回は山道を行った記憶がある)。ただ車道は途中から狭くなり傾斜も増してきた外、いくつもの派生する道があって迷いやすく、けっして楽なものではなかった。

 

3時間ほどかかって34番札所に着いた時は真っ暗となってしまったが、門がなくて参拝はできたのはラッキーだった。ただストロボがないので、寺全体を写すことはできなかったが、ライトをあてて証拠写真だけは撮っておいた。もう最終バスはとうに出てしまっているので、皆野駅までの長い長い下りが待っていた。途中で満願の湯を通り過ぎる。34ヵ所札所の参拝を終えて満願の湯に入るというのがならわしとなっているそうだが、前回と同様に今回もバスせざるをえなくなった。

 

皆野駅について長い1日は終わったが、今日の移動距離はなんと50キロを越えていた。帰宅は最終となり、怒涛の1日の幕を閉じた。

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2020年9月22日 (火)

ハセツネコースを何とか踏破

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登り残したハセツネのコースである鋸岳から日和田山のコースを登ってきた。四連休最終日の秋晴れということもあって、奥多摩駅から鋸岳のコースも大にぎわいであったが、高尾~陣馬のコースと違ってトレランの人はおらず、ハイカーばかりだったので、ごぼう抜きにして2時間弱で登頂できた。その調子で大岳山まで向かったのだが、頂上直下まで来た時に凄い勢いで登ってくる人がいて、今日初めて抜かれてしまう。早い人もいるものだ(当たり前か)。

大岳山頂はかなり賑わっていたので、感染予防のために休憩せずに御岳山との鞍部まで行って休む。御岳神社入りく口もかなり賑わっていたが、日の出山方面に向かうと急に人気がなくなる。すると、後ろから足音がしたかと思うと、あっという間に現役のトレランランナーに抜かれる。多分、始発のバスで数馬まで来て、三頭山経由で走って来たのかもしれない。昔は自分も、あのくらいのスピードで走れたのかなあと思いながらもマイペースで進む。

日の出山頂も少ないながらも人はいたが、ほとんどの人は距離が近い青梅線の日向和田駅に降りるようで、五日市線側に降りる人も山頂直下のバス停に降りており、ハセツネコースとなっている五日市市街地まで連なっている長い々々金比羅尾根を下る人は皆無だった。無人の尾根を一人下っていると、後から足音が聞こえてきたので振り返ると、今度もトレランランナーだった。今年のハセツネレースは恐らく中止なのだろうが、例年だと開催直前の今頃はコース試走のトレランランナーで大にぎわいなのだろう。

長~い金比羅尾根もようやく終わりに近づいた頃に見覚えのある貯水池の横を通り過ぎる。しばらくして、コースは貯水池の脇を通っていくことを思い出したが、今から戻るのも面倒なので、そのまま降りたために少し遠回りになってしまったが五日市駅に降り立つことができた。


全コース71キロを十数年前の本番では一昼夜で踏破したところを三日間もかかってしまったわけだが、三日間の踏破距離の合計はコースのエスケープ地点から駅やバス停までの距離を含めると105キロとなり一回平均は35キロなので、そこそこ頑張ったとは言えると思う。

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2020年9月 5日 (土)

ハセツネ コース後半戦を目指したのだが

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先日のハセツネコースの後半戦を目指して三頭山に向かう。もっとも暑い時期の奥多摩は歩きたくないので、夜から午前中にかけての暑くない時間に行こうと、最終バスで数馬に向かう。終点のだいぶ前からバスは他の乗客は降りてしまって貸し切りとなる。数馬で下車して、都民の森方面に歩き出すと、しばらくして数馬の湯の灯りが見えてくるが、全館にわたって煌々と灯りが灯されている。GOTOキャンペーンの東京除外の影響で都内でも秘境気分がちょっぴり味わえる檜原村の人気が出ているのだろうか?

自動車道と別れて林道に入ってしばらく行くと、いくつもの遊歩道に分岐する。三頭山に向かう一番近そうな道を選んだつもりだったが、三頭山からはだいぶ下の鞘口峠に向かう縦走路に出てしまったので、三頭山までは往復することとなった。三頭山西峰の少し手前で奥多摩湖に下る分岐点まで来て、前回と繋がることになるので引き返す。三頭山というだけあって、西峰の東側には中央峰、東峰と三つのビークが連なっているが、ハセツネコースはそれらの下の巻き道を通っているので、帰りは忠実に稜線を進んで、初めて三山全てを登ることになった。

三頭山からは急降下をして鞘口峠に降り、そこからはアップダウンを繰り返してハセツネコースの第二関門のある月見夜の駐車場に着く。本番では選手やスタッフで賑わう懐かしい所だが、今はだれもおらずに静まりかえっているので、休まずに先を急ぎ、御前山の手前の小河内峠に着いた時は4時でまだ真っ暗だった。峠には幅の広いベンチが設置されていたので、明るくなるまで仮眠することにした。

30分ほど眠って明るくなってから御前山に向かう。7時前に山頂着いたが、行程が遅れているので、五日市までのコース全部を歩くと夕方過ぎとなり、その間は千メートル以下の低山を炎天下に歩かなければならないので、途中から奥多摩側に降りることにした。御前山からも奥多摩側に降りることができるが、まだ時間的に早すぎるので、鋸山までは稜線を進むことにした。

鋸岳の手前に林道が突っ切ている大ダワという鞍部があり、本番では 私設のエイドがある。今朝も1台車が停まっているので、鋸岳に向かうのかと思ったが、降りてきた人の格好からすると山に登るようでもないらしい。

最初は鋸岳に登ってから奥多摩側に降りるつもりだったが、山頂を通らずに奥多摩側に下る巻き道があったので、鋸岳は今度、武蔵五日市までトレランで行く時に登ることとして、今日は奥多摩側に降りることにした。奥多摩側に降りる途中で下から登ってくる人に10人ほどにすれ違ったが、この暑い時によく登ってくるなと感心した。昼過ぎには無事奥多摩側に降り立ち、駅前でビールで下山を祝った。

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2020年8月27日 (木)

温泉と山 鉢盛山ならぬ木曽川源流

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昨日一昨日と部屋の露天風呂にしか入ってなかったので、早朝に大浴場にも入ってみる。がら空きだったし、広い浴場の方がやはり気持ちいい。朝食後も9時半頃まで部屋でのんびりする。今日の目的の鉢盛山は標高は2400メートルほどだがアプローチが長く長丁場となるのだが、出発点となる藪原駅までの本数が少なく、ホテルで朝食をとってからとなると、松本発10時半まで列車がないため不本意いながらのんびりせざるを得ないのだ。その代わり、当日に帰京できない時は塩尻駅周辺のホテルでもう一泊することとした。 藪原駅で下車したら、もう一人自転車を持った年配の人が降りてくる。ひょっとして同一方向かなと思って聞いて見ると、藪原駅に車を置いて松本までまでツーリングして電車で藪原に戻ってきたところだと言う。電動サイクルをキャスター付きのキャリーで運んでいたが、自分の足腰が弱ってしまっても、こういう方法もありなのかと感心してしまった。 出発に際してスマホのGPS地図でコースを再確認しておこうと思ったが、お昼近くの強い光線で画面が良く見えなく確認ができなかったが、記憶を過信して確認せずに出発してしまった。そして一時間ほど乗って急坂の途中の木陰で休んでスマホの地図を確認したところ、見事に道を取り違えて5キロ以上も進んでいることがわかった。 正しい曲がり角まで坂をドンドン下っていくのは嫌な気分だが、自分が不注意だったのだから仕方がない。30分以上のロスで鉢盛山登山には黄色信号が灯ったが、とにかく今は前進するしかない。正しい道はダムまでは急坂だが、ダム湖に沿っては平坦な道が続く。途中には何ヵ所かゲートがあるが、車両の進入禁止であって自転車は対象外だろうと解釈して自己責任で前進する。 ところが3番目のゲートの先で舗装道路は終わって砂利道となっているではないか。マウンテンバイクならともかく、ロードバイクの細いタイヤではたちまちパンクしてしまうに違いないので、自転車はその場に置いてジョギングで登り出すが、登山口まではまだ9キロもあるのだ。事前にネットで調べた限りでは自転車の記録はなく、登山口まで舗装されているかどうかはわからなかったが、仮に舗装されてなくてもこんな下から砂利道になっているとは思いもよらなかった。 これで鉢盛山登山は無理となり、木曽川源流ツーリングに目的を切り替えることとなった。木曽川はさきほど道を間違えたところから河口までは歩きと自転車でトレース済みだったが、源流部分だけは未踏だったので、その踏破も鉢盛山登山とともに目的としていたのだが、鉢盛山登山が不可能になっても、もう一つの目的が達成できればいいやと思えた。6キロほど前進すると、木曽川の最後の流れを渡る(写真)。と言っても、流れ自体はまだ上の方に続いているのだが、道は沢から離れていくので、ここを源流として引き返すことにした。なお、源流には源流の碑があるということをネットに書いてあったのを思い出して捜してみたが、見つからなかった。帰ってからネットでよく調べたら、引き返した地点のちょっと下辺りにあるらしいが、いずれも現地のNPO主催のツアーで訪ねたものなので、一般の人にはなかなか敷居が高いもののようだ。 下りは同じ6キロでも断然楽な道のりである。途中で振り返ると、目的だった鉢盛山が真正面に見えた(写真)。今回のように南側からはアブローチが長くてほとんど登られていないが、次回は一般的なコースである北側からか、東側から登ってみよう。なお、今回は動物に良くであった。猿の群れには行きも帰りもあったし、行きには猪の親子連れが数百メートル先の川をわたっていたし、帰りには数百メートル先の行く手の林道を熊が横断していた。この時はさすがに、しばらくじっとして笛を吹き続け、安全を確認してから急いで通過すると、ダム湖が見えてきて、藪原駅はもうすぐであった。ハプニング続きだった1日も無事に終わり、最終の特急にも乗れて当日中に帰宅することもできた。

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2020年8月15日 (土)

北高尾山稜トレランもどき

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お盆に高尾の墓地に墓参りしたついでに八王子城跡から北高尾を縦走して堂所山に至り、そこからいつもの高尾~陣馬トレイルに出で高尾登山口まで行くというコースである。
高尾霊園まではいつもは歩いて行くのだが(小一時間)、今日は時間と体力をセーブするためにバスに乗っていく。彼岸の時期には霊園までの道も渋滞するし、バスも満員となるのだが、渋滞もなくバスもがら空きであった。東京ではお盆の墓参りというのはメジャーではないのかもしれない(そう言えば私もお盆に墓参りするのは初めてかもしれない)。

墓参り後に八王子城跡に向かうが、猛暑の中を走る気がせず急ぎ足で歩く。本丸跡まではけっこう人が来るが、そこから先となるとめっきり人が入らないようだ。と思ったら先行者の二人パーティーがいたが、先に行かせてもらう。泉台に着いて食事をしていると、追い抜いた二人パーティーがやってきて、休みを取らずに裏高尾の方に向かって行った。ここでしばらく思案する。というのは、泉台で縦走路は堂所山方面に向かう北高尾縦走路と裏高尾縦走路に分かれるのだが、当初予定していた北高尾縦走路はとても長い尾根だが、途中に峠があってエスケープが可能なので、いざとなったらそこから下山すればいいやと思ってた。ところが、去年の台風で峠から下りる道が通行止めとの表示があったため弱気になり、さきほどの二人連れが向かった裏高尾の方に向かおうかなとも思った。その時、トレイルランナーらしき人が堂所山方面に向かってかけ降りていくのに出会った。それを見て闘争心が掻き立てられて、そのランナーを追って行くことになった。もっとも現役のトレイルランナーに追い付けるはずもなく一人旅が続いたが、アップダウンの連続ではあるものの、いずれも大した登りではないので、3時前には堂所山に着くことができた。そこから先は、お馴染みの高尾山までのトレランコースを進んだ。

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2020年8月 4日 (火)

猛暑の中の高尾~陣馬トレラン

梅雨明けてから数日がたって縦走路のぬかるみもそろそろ解消しただろうと久しぶりの高尾~陣馬(往復30キロ)のトレランに出かける。最近は夜間に走っていて、体が暑さに慣れていないせいか、1号路前半の急坂部分で今までに経験したことがないダメージを感じて、今日は高尾山往復でやめようかとも思う。そのためペースダウンして山頂を目指すが、おかげで55分と過去のベストタイムの倍以上かかってしまう。ただ、体が慣れてきたようなので、景信山まではいってみようと思い直す。トレラン中は景信山では休憩しないのだが、今日は景信山頂で大休止したため、だいぶ元気も回復したようだし、陣馬山まではそれほどの登りはないので、予定どおり前進する。

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帰途は走るのは下りと平坦地のみで、ちょっとでも登りになると、急ぎ足にならざるをえなかった。そのため、登山口駅に到着したのは8時間半とベストタイムの倍以上の時間がかかってしまった。
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私の年で高尾~陣馬のトレランをやっている人はまずいないだろうが、来年以降に延期となったパミール登山のためにやらざるをえないと思っている(本当はこんなシンドイことはやりたくないんだけど)

高尾山は休日は人出が多いので、感染をさけるために平日に行ってみたのだが、いつも休日に行ってるので、かけ下って駅に着くと売店でビールを買って飲むのが楽しみだったのだが、平日は休みでビールを飲み損ねてしまった。

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2020年8月 2日 (日)

ブログ開始前の山行記録アップ

当ブログは2009年6月から開始したのだが、それ以前の山行記録もアップしておいた。
ブログ右端の一番下のHPリンクの中の一番下にある「ブログ開始前の山行記録」をクリックしてもらうか、以下のサイトを直接
呼び出してもらってもよい。

http://vibram.world.coocan.jp/kako.htm

なお、2004年前半までは以前契約していたプロバイダーのサイトにあったデータを自分のPCに保管してあったのだが、それもリンクを張りなおしてニフティのサイトに登録しておいたので、上のリンクから見れるようになっている。

2014年後半から約5年間の記録は今回新たに書いたのだが、改めてその当時の記憶が蘇り、コロナ渦で遠出がしにくい中での絶好の疑似山行ができたようで楽しかった。これでネット上で自分の過去の山行のほとんどを見ることができるようになったので、もっと年をとって山に行けなくなっても退屈することはないだろう。

また、ブログ右端の一番下のHPリンクの中にある「海外山行の履歴」についても最新のものに更新しておきましたので、よろしかったらご覧ください。

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2020年7月29日 (水)

空白記録の復元

このブログは2009年6月から開始しているが、それ以前の記録については2004年6月までは以前契約していたプロバイダーのホームページに掲載してあったものは、ハードディスクに保存してあったのだが、それ以降の約5年間については海外登山以外については記録をつけてなかった。だが、よく考えてみると、自分の拙いアルパインの記録の中ではまあまあの記録を残していたのもこの時期であった。パミール登山中止、コロナ、長雨といった条件が重なった今、記録しておかなければ、忘れてしまいそうな気がしたので、錆びつきかけた記憶を呼び起こして年月とアルパインの記録の概要だけは以下のように書くことができた(一部はトレランを含む)。記録の詳細についてはおいおい書き出して、機会があれば発表していきたい。 

 

200410 瑞牆 ベルジュエール(ガイド山行) 

200504 瑞牆 調和の幻想 

200506 丹沢ボッカ駅伝 5位入賞 1区3区ダブルエントリー 

200508 瑞牆ベルジュエール 核心である大フレークは越えるも次のチムニーで敗退 

200508 ボリビア ワイナポトシ登頂

200510 錫杖二ルンゼ 

200510 大台ケ原 サマーコレクション登攀及び登頂 

200510 二子中央稜 上部の簡単な所で先行パーティーが墜落して救出

200512 涸沢岳西尾根 滝谷を狙ったが、涸沢岳登頂のみ、下山時に雪洞を見失い荷物を残置

200602 小同心クラック

200603 権現岳東稜

200605 屏風雲稜  前穂までの縦走はならず

200606 涸沢岳西尾根(前年末に残置した荷物回収)、錫杖敗退(増水で渡渉不可)

200607 富士山 高所訓練及び登山競争 

200608 シャモニ 赤い針峰群、ミディ南壁

200610 日本山岳耐久レース  自己ベスト 14時間23秒

200610 明星南壁  マニフェストの上部城塞で敗退、その翌日のフリースピリッツは完登

200704 丸山東壁右岩稜

200705 白馬主稜 強風の中での完登 

200707 グランドジョラス北壁ウォーカー稜を狙うも大量の降雪直後のため、取付き手前で敗退

200708 南アルプス シレイ沢(単独) 

200712 剣岳早月尾根 豪雪のため、早月小屋で敗退、手の指を第二度の凍傷に見舞われるも切断は回避

200802 阿弥陀岳 広河原沢右俣

200803 一ノ倉沢 一ノ沢二ノ沢中間リッジ~東尾根

200805 富士山での高所訓練(数回)

200806 富士山での高所訓練(数回) 

200807 ガッシャーブルムⅡ無酸素登頂 

200808 妙義 谷急沢(単独)

200809 北岳バットレス ピラミッドフェース~4尾根主稜

200811 富士山 頂上で吹雪に遭いまたもや同じ指に凍傷を負う

200903 鹿島槍北壁 天狗尾根~正面尾根(悪天のため、天狗のコルで敗退) 

200905 唐沢岳幕岩 S字状ルンゼ(流水のため敗退

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2020年2月 4日 (火)

外秩父ハイキング

日曜日に急遽、秩父のハイキングに行ってきた。寄居から登山口までは自転車を利用するつもりなので、寄居までの東上線乗車は始発駅の池袋からではなく、途中駅の成増まで自転車で行くことにした。中村橋までは真っ直ぐな道があるが、そこから成増までは道に迷いながら行ったので時間がかかり、登山口に着いたのは11時半となってしまったので、大霧山から笠山まで馬蹄形に縦走するのは時間的に厳しいので、関東百名山の大霧山と笠山をピストンすることにした。

 

登山口に駐輪して、まずは笠山への登山を開始する。ハイキングコースなのに誰も登ってないなと思ったら、途中で何度も林道と交差するので、大半のハイカーは山頂近くまで車で行って山頂を目指すようだ。そのため、山頂近くには大勢のハイカーがいて、子連れの家族まで休んでいた。頂上からは関東平野が一望できる素晴らしいロケーションで人気があるのも頷ける。
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稜線に出てから山頂まではかなり南下したので、ここから登山口まで降りて大霧山まで登り返すのだったら、このまま馬蹄形に大霧山まで縦走しても大差ない気がして、当初の予定どおり縦走をすることにした。すぐ隣の堂平山に向かうと途端にひと気がなくなると思ったら、山頂にドームが設置してある堂平山の頂上直下の平坦地はパラグライダーをやる人で大にぎわいであった。そこからしばらくは自動車道路と平行したり車道を歩いたりで、ちょっと興ざめであった。

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白石峠から城峰峠までは縦走路の山道と山腹を巻く林道に別れるが、時間を短縮するために後者の道を走って行くことにした。城峰峠から先は林道と別れて稜線を行き大霧山に向かう。大霧山に着いたのは日没直後で勿論誰もいなかった。
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山頂で衣服を着込んでから下山を開始し、粥新田峠からは林道に降りて登山口まで走って戻る。当初の予定では寄居まで戻って寄居北方の関東百名山の鐘撞堂山も登るつもりだったが、時間的に無理なので途中の八高線折原駅から帰ることとなった。自転車、歩き、走りとフル回転のなかなかたいへんな「ハイキング」だった。

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2020年1月19日 (日)

57キロでリタイヤ

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朝5時にスタートした100キロマラソンは57キロでリタイヤして完走はならなかった。20キロまでは快調だったが、その後はいつものことで、足に疲れがたまり思うように走れない状態となる。46.5キロの関門は制限時間一時間前に通過して80キロの関門を目指す(そこまでは走る権利があるので、80キロの関門リタイアはやむ無しということで)。ところが、足の疲労はたまる一方で60キロ先からの高度差100メートルの登りをクリアできる自信がなく、57キロのエイドでギブアップして収容車に乗るはめになってしまった。足の筋力の衰えはいかんともしがたく、100キロを走りきる走力は失われてしまったことは重々承知しているが、まあヒマラヤのための体力トレーニングにはなったし、宮古島を南北に縦断して、それぞれの島に橋を渡って行くこともできて、ちょっぴり観光気分も味わえたので、よしとしよう。

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