走り

2020年7月29日 (水)

空白記録の復元

このブログは2009年6月から開始しているが、それ以前の記録については2004年6月までは以前契約していたプロバイダーのホームページに掲載してあったものは、ハードディスクに保存してあったのだが、それ以降の約5年間については海外登山以外については記録をつけてなかった。だが、よく考えてみると、自分の拙いアルパインの記録の中ではまあまあの記録を残していたのもこの時期であった。パミール登山中止、コロナ、長雨といった条件が重なった今、記録しておかなければ、忘れてしまいそうな気がしたので、錆びつきかけた記憶を呼び起こして年月とアルパインの記録の概要だけは以下のように書くことができた(一部はトレランを含む)。記録の詳細についてはおいおい書き出して、機会があれば発表していきたい。 

 

200410 瑞牆 ベルジュエール(ガイド山行) 

200504 瑞牆 調和の幻想 

200506 丹沢ボッカ駅伝 5位入賞 1区3区ダブルエントリー 

200508 瑞牆ベルジュエール 核心である大フレークは越えるも次のチムニーで敗退 

200508 ボリビア ワイナポトシ登頂

200510 錫杖二ルンゼ 

200510 大台ケ原 サマーコレクション登攀及び登頂 

200510 二子中央稜 上部の簡単な所で先行パーティーが墜落して救出

200512 涸沢岳西尾根 滝谷を狙ったが、涸沢岳登頂のみ、下山時に雪洞を見失い荷物を残置

200602 小同心クラック

200603 権現岳東稜

200605 屏風雲稜  前穂までの縦走はならず

200606 涸沢岳西尾根(前年末に残置した荷物回収)、錫杖敗退(増水で渡渉不可)

200607 富士山 高所訓練及び登山競争 

200608 シャモニ 赤い針峰群、ミディ南壁

200610 日本山岳耐久レース  自己ベスト 14時間23秒

200610 明星南壁  マニフェストの上部城塞で敗退、その翌日のフリースピリッツは完登

200704 丸山東壁右岩稜

200705 白馬主稜 強風の中での完登 

200707 グランドジョラス北壁ウォーカー稜を狙うも大量の降雪直後のため、取付き手前で敗退

200708 南アルプス シレイ沢(単独) 

200712 剣岳早月尾根 豪雪のため、早月小屋で敗退、手の指を第二度の凍傷に見舞われるも切断は回避

200802 阿弥陀岳 広河原沢右俣

200803 一ノ倉沢 一ノ沢二ノ沢中間リッジ~東尾根

200805 富士山での高所訓練(数回)

200806 富士山での高所訓練(数回) 

200807 ガッシャーブルムⅡ無酸素登頂 

200808 妙義 谷急沢(単独)

200809 北岳バットレス ピラミッドフェース~4尾根主稜

200811 富士山 頂上で吹雪に遭いまたもや同じ指に凍傷を負う

200903 鹿島槍北壁 天狗尾根~正面尾根(悪天のため、天狗のコルで敗退) 

200905 唐沢岳幕岩 S字状ルンゼ(流水のため敗退

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2020年2月 4日 (火)

外秩父ハイキング

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日曜日に急遽、秩父のハイキングに行ってきた。寄居から登山口までは自転車を利用するつもりなので、寄居までの東上線乗車は始発駅の池袋からではなく、途中駅の成増まで自転車で行くことにした。中村橋までは真っ直ぐな道があるが、そこから成増までは道に迷いながら行ったので時間がかかり、登山口に着いたのは11時半となってしまったので、大霧山から笠山まで馬蹄形に縦走するのは時間的に厳しいので、関東百名山の大霧山と笠山をピストンすることにした。 登山口に駐輪して、まずは笠山への登山を開始する。ハイキングコースなのに誰も登ってないなと思ったら、途中で何度も林道と交差するので、大半のハイカーは山頂近くまで車で行って山頂を目指すようだ。そのため、山頂近くには大勢のハイカーがいて、子連れの家族まで休んでいた。頂上からは関東平野が一望できる素晴らしいロケーションで人気があるのも頷ける。 稜線に出てから山頂まではかなり南下したので、ここから登山口まで降りて大霧山まで登り返すのだったら、このまま馬蹄形に大霧山まで縦走しても大差ない気がして、当初の予定どおり縦走をすることにした。すぐ隣の堂平山に向かうと途端にひと気がなくなると思ったら、山頂にドームが設置してある堂平山の頂上直下の平坦地はパラグライダーをやる人で大にぎわいであった。そこからしばらくは自動車道路と平行したり車道を歩いたりで、ちょっと興ざめであった。 白石峠から城峰峠までは縦走路の山道と山腹を巻く林道に別れるが、時間を短縮するために後者の道を走って行くことにした。城峰峠から先は林道と別れて稜線を行き大霧山に向かう。大霧山に着いたのは日没直後で勿論誰もいなかった。、山頂で衣服を着込んでから下山を開始し、粥新田峠からは林道に降りて登山口まで走って戻る。当初の予定では寄居まで戻って寄居北方の関東百名山の鐘撞堂山も登るつもりだったが、時間的に無理なので途中の八高線折原駅から帰ることとなった。自転車、歩き、走りとフル回転のなかなかたいへんな「ハイキング」だった。

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2020年1月19日 (日)

57キロでリタイヤ

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朝5時にスタートした100キロマラソンは57キロでリタイヤして完走はならなかった。20キロまでは快調だったが、その後はいつものことで、足に疲れがたまり思うように走れない状態となる。46.5キロの関門は制限時間一時間前に通過して80キロの関門を目指す(そこまでは走る権利があるので、80キロの関門リタイアはやむ無しということで)。ところが、足の疲労はたまる一方で60キロ先からの高度差100メートルの登りをクリアできる自信がなく、57キロのエイドでギブアップして収容車に乗るはめになってしまった。足の筋力の衰えはいかんともしがたく、100キロを走りきる走力は失われてしまったことは重々承知しているが、まあヒマラヤのための体力トレーニングにはなったし、宮古島を南北に縦断して、それぞれの島に橋を渡って行くこともできて、ちょっぴり観光気分も味わえたので、よしとしよう。

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2019年12月15日 (日)

曲岳、黒富士

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金峰山

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瑞牆山

 

山梨百名山のうち、甲府北方で未登の8山を年初から登り出したが、曲岳と黒富士山が残ってしまったので、年内に片付けようと登りに行った。この2山は甲府からは20キロほど離れている上にバスもないので、マイカー利用でないと行きづらい山である。前回は猛暑日に太刀岡山を加えた三山を、一度に登ってしまおうと目論んで、アプローチに自転車を利用したのだが、暑さにやられてグロッキーとなり、太刀岡山のみの登頂で終わってしまった。今回はトレーニングを兼ねて、竜王駅から曲岳登山口までの距離20キロ、標高差1100メートルの登りと黒富士下山口から竜王駅までの16キロの下りをランニングでやってみることにしたが、スピードは別として何やら一筆書きで百名山を登っている田中陽希君めいてきて年甲斐もなくと思わないでもなかった。

 

8時半に竜王駅を出て4時間で登山口に着く予定だったが、観音峠直下が急傾斜で走ることはできなかったので、4時間半かかってしまった。登山口から曲岳山頂までは200メートルの登りだけなのだが、ロードを走ってきた(つもりの)疲れで苦しい登りとなってしまった。山頂の少し手前に展望台があったが、山頂で眺めればいいやと展望台には寄らなかったところ、山頂は樹木に覆われてほとんど展望はきかなかった。

 

ここから黒富士までは大したアップダウンはないのだが、黒富士手前でミスを犯してしまった。それは今まで通ってきた道が急に不明瞭となり、左側に分岐する道に標識があって「升形山 黒富士」とあったので、地図には書いてないが、升形山という小ピークがあって、それを越えて黒富士にたどり着くのだと勘違いしてしまった。実際は升形山はまったくの寄り道で、一見不明瞭な道をそのまま行くと黒富士にたどり着くのであった。枡形山に着くと黒富士が正面に見えたので、それを目指して進んだつもりだった。実際は来た道を戻っていたのだが、黒富士の方ばかり見ていたので、うかつにもそのことに気がつかなかったのである。

 

黒富士山頂も樹木に覆われてはいたが、八ヶ岳や奥秩父方面の展望は得られた。特に奥秩父の金峰山や瑞牆山は間近に見られて迫力があった。展望を楽しんだ後、来た道を戻ったが、枡形山の分岐点では、寄り道した山だということには気づいていないので、また登りだして、山頂から先の道を歩きだした。一応踏跡はあったし赤テープもあったので先に進んでみたが、どうもこんな不明瞭な道を歩いた記憶はないので、元の場所に戻り地図と磁石を総動員して検討したところ、枡形山は寄り道であることに気づき正しいコースに戻れたが、かれこれ一時間近くは時間をロスしてしまったことになった。なんとか真っ暗になる前には下山口に降りられ、16キロのロード走に移ることができた。体は疲れていたが、下り一方なので、なんとか走り通すことはできた。竜王駅に着いたのは8時半で、ちょうど12時間の50キロ近い耐久レースとなってしまった。

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2019年12月10日 (火)

入笠山

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南アルプスの主要なピークや縦走路は踏破しているが、北部の前衛峰のうち300名山にもなっている入笠山は以前から登ろうと思いながらチャンスがなかったもので、今回ようやく登ることができた。入笠山は頂上直下まで自動車道路が通じているし、ロープウェイもあるので、下から登る人は稀なようだが、トレーニングを兼ねてすずらんの里駅から標高差千メートル以上を登ることにした。

 

地図に載っている道を登っていくが、「この道は自転車専用です。入笠山には登れません」という注意書きが何ヵ所もでてくる。自転車専用と言ったってこんな急な砂利道はマウンテンバイクでもたいへんな道であり、何のための注意書きなのか理解に苦しむので、無視することにした。やがて道は消えて急な斜面の踏跡を登っていくようになる。山慣れしていないと前進は困難なので、「入笠山には登れません」という注意書きはそういう意味だったのかと納得する。やがて尾根の上に出ると歩きやすい道となってくる。

 

急な尾根道を登って行くと、右からロープウェイが近づいてくる。人工スキー場がオープンしていて、平日だというのにそこそこ利用客はいるようだ。ロープウェーの終点で道は合流するが、あたりはだだっ広いところで、入笠山頂上に向かう道が判然とせず、近道をしようとしたら見事に失敗して元いた所に戻ってきてしまった。そこで、先程は遠回りになると思って敬遠した湿原に一度降りてから頂上に向かう道が急がば回れで正解のようであった。湿原は初夏にはすずらんが美事で大勢のハイカーが訪れるようだが、今は静まりかえっている。

 

頂上に向かう途中で2バーティーに出会ったが頂上は独り占めで、北アルプス、南アルプス、富士山、八ヶ岳と360度の眺めが得られ、この眺めだけでも300名山の価値はあると思われた。頂上は寒かったので長居をせずに下山に移ると、しばらくして舗装道路に出て、後は富士見駅までの10キロばかりの長い々々ランニングが待っていた。

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2019年12月 2日 (月)

辺野古と那覇マラソン

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早朝のバスで名護を出発して辺野古に向かう。ところがゲート前のテント着いてみると、人っ子一人いない。早く来すぎたのかと思って辺野古の海岸に降りると大勢のカヌー隊の人がいて、今までどおり変わらないようである。それからゲート前に戻るが、やはり誰もいないし、ゲート前の警備員も少しいるだけである。これで今日の搬入はないことがはっきりとしたが、何故なのか?とネットで必死に検索すると、少し前からゲート前への搬入がなくなったので、運動はもっぱら本部港の安和桟橋に絞られているということであった。そう言えば、昨日本部港に行った時に安和セメントの前で数人の人が抗議行動をしていたが、あの後に大勢が集まったのだろうか?今から本部港に行ってみようかと思ったが、那覇から毎日バスを現地に出している団体があって、そのホームページに出ているバスのスケジュールでは土日は書いてなかっので、多分土日の行動はないのだろうと判断して那覇に戻ることにした。その際に那覇で今日の3時から辺野古の勉強会が開かれることがバスを運航している団体のホームページに載っていたので、那覇マラソンの受付手続きをしてから参加することにした。

那覇に到着して受付手続きを終えても3時の勉強会までは大分時間があったので、ホテルに荷物を置いてから勉強会に参加することにした。2時間の勉強会の内容は多岐に亘っていたが、結論としては、オール沖縄側の知事が続く限りは、政府側の思惑通りに事が運んでも、技術的困難性と法的対応の必要から完成までに20年はかかるということで、両者の我慢比べが続くことになるのだろう。私自身は年齢的にもそれほど長くは運動には加われないが、果たして結末を見ることができるだろうか

勉強会の後は、同じ場所で忘年会ならぬ望年会が開かれた。参加者はほとんどが地元の常連のようであったが、県外からも私を含めて3人が参加していた。料理は地元の名産がたくさん用意され、アルコールも泡盛からマッコリ、ワイン等と各種あったが、明日のレースに影響しないようにとビールだけにとどめておいた。散会後にホテルに戻ったが、酒が効いたのかバタンキューであった。

前夜に早く寝すぎたため、深夜から目覚めてしまい、寝過ごすことを恐れてそのまま起きてしまった。会場にはまだ暗い内に到着して夜明けを待つ。そのうちに参加者が次々とやって来て賑やかになってくる。前回の那覇マラソン出場は15年以上前で、前の日に地元のクライミングジムで登り過ぎたために足にダメージを受けてしまい、当時としては失敗レースとなる3時間41分という記録だった。今となっては夢のような記録で、今回はマラソン復活後初の5時間切りを目指すタイムで申告したが、それでも後ろのグループに回されてしまい、レース開始後スタート地点に到達するまでに15分かかってしまった。

最近は捻挫の古傷が悪化して、関節が温まって痛みがなくなるまではスローペースで進んだため後続のランナーにも抜かれっぱなしとなったが、国際通りが終る頃には関節も温まってきたのでペースアップし、東海岸に出るまでの登り坂でもどんどんとランナーを抜いて、この分なら5時間を切れるなと思ったのも束の間、気温がどんどん上昇して25度まで上がったために急激に足が動かなくなり、歩きも入る有り様であった。

完走に赤信号が灯り始めた頃、33キロの関門手前で突然「後1分」のアナウンスがなされる。回りが一斉に全力疾走に移ったので、つられて自分も全力疾走となる。関門横に待機していた高校生が一斉に横になってランナーの進入を阻もうとするが、なんとかかいくぐって障碍を突破したと思ったのも束の間、いきなり足に強い負担がかかったために足に痙攣が起きて激痛が走る。多少の痙攣ならば、しばらく休んで走り出せるのだが、今までに経験したことがない激しい痛みで、レース続行は不可能と判断して、関門をクリアできなかったランナーたちと一緒にリタイアバスで帰ることにした。もし症状が軽くてそのまま走ったとしても、あのペースでは時間内に完走できなかっただろうから、競技場まで9キロを目標もなく自力で帰らなければならないところで、リタイアしたのはある意味でラッキーであった。今回は思いがけずリタイアという不本意な結果に終わってしまったが、意欲はあるものの体力の衰えはいかんともしがたく、「老兵は消え去るのみ」ということであろうか

競技場に戻って着替えてから、先日火災事故があった首里城に行ってみる。守礼門が火災を免れたことは知っていたが、本殿は全焼したものと思っていたら、本殿あたりと思われる建物も下から望むことができたのは意外だった(本殿付近には立ち入れなかったので、全容は不明であるが)。首里城の帰りに近くにある石畳道にもよってみたが、こちらはどこにでもある感じで、世界遺産ではなく県の文化財に指定されているというのは、首里城に関連付けられて価値があるということだろうか

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2019年11月11日 (月)

陣馬トレラン

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今年7月に北丹沢で十数年ぶりのトレランに挑戦したが、コースコンディション不良でまともなレースができず、関門リタイアとなったため、リベンジとしてもう少しマイルドな陣馬トレイルにチャレンジすることにした。今回で19回目の大会だが、距離22.5キロと短いため、昔はエントリーしようとも思わなかった。ただ今の自分の体力にはちょうど合っているかも。今回は確実に完走すべく三週間前にコース試走も行ったが、制限時間4時間半のところを5時間かかってしまったので、よほど頑張らないと完走は難しいことがわかった。また土砂崩れでコースが変わり、距離は2キロ弱短くなったが、獲得標高は100メートル以上増えたことがタイムにどう影響するかも心配であった。 レース当日は抜けるような青空の絶好のレース日和であった。9時にレースはスタートし、車道からすぐに山道に入るが、そこが隘路となって5分ほと待たされる。ようやく登りに入ると快調なペースとなり、陣馬山には試走時よりも20分早く着く。頂上には休まずに落合に向けて下りだしたが、試走時よりもペースは上がり、関門は制限時間30分前に通過できた。ここまでは予定通りの時間である。 ここからはまた登りが始まり、標高差は600メートルである。関門まで頑張ったのが影響したのか足に痙攣が起きそうになり、スプレーをかけたり痙攣しそうな足には荷重しないようにしたりしてダマシダマシ登ったので、登りきった奈良子峠に着いた時は予定時間を10分遅れてしまった。遅れを取り戻すためには下りで頑張らなければならないのだが、年のせいで動体視力が衰えたのか木の根っこに足を引っかけて転倒するのが怖くなり、昔のように坂道を一気に駈け下ることができなくなってしまった。そのため、後続ランナーに抜かれ放しとなってしまったが、このままでは制限時間に間に合わなくなることに気付き、昔取ったキネヅカではないが、ギアチェンジしてスピードを上げて制限時間に間に合う可能性がでてきた。結果的には、制限時間を1分少々オーバーしてのゴールだったが、完走証をもらうことはできた。 会場は中央本線の藤野駅と相模湖駅の中間にあり、藤野駅の方がやや近いので行きは藤野駅から歩いたのだが、帰りは3キロほどはあるが相模湖駅まで歩くことにした(藤野駅までのシャトルバスはあるようだが)。というのは、相模湖周辺の東海自然歩道で未踏の部分(自動車道を通ってしまった)をこの際に歩いてしまうつもりなのだ。 東海自然歩道が自動車道に降り立つ部分には一時間に一本のバスがあるが、そこまでの相模湖発のバスには乗り遅れたので、バスは帰りに乗ることとして、反対側の登り口までは歩いていく。すると、登り口には「台風で道が崩壊しているため通行不能」の立て札があったのでどうしたものかと思っていたら、上から大勢の人が降りてくるではないか。これなら問題ないだろうと登り始める。 嵐山までけっこうな登りを疲れた足で登りきると、前方には縄が張ってあり通過できないようになっている。ここまで来て引き返すのもシャクなので、とりあえず前進してみることにした。すると、大規模な崩壊が起きていて前進不能となっていたが、ずっと上の方まで行けば突破可能なようなので、やってみることにした。時間をかけて向こう側まで渡り時間を確認すると、なんとか相模湖駅行のバスには間に合いそうであった。 ところが、しばらく進むとまた崩壊により前進できない場所があった。先程と同様に時間をかけて高巻きをすれば突破できるだろうが、バスには間に合わなくなるのは間違いなかった。 バス停まで下りてみると、次のバスまではかなり時間があり駅までは三キロ弱なので、走れば次のバスよりも早く駅に着くことが出来そうなので走ることにした。トレラン終了後に山を越えてさらにランニングをするなどとは正気の沙汰ではなかったが、頑張ったお陰で次のバスに乗るよりも1本早い電車に乗り込むことができた。

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2019年8月26日 (月)

藤原湖レース~秋山郷

ランニング仲間に誘われて群馬の藤原湖15k レースに参加することになったが、わずか15キロを走るために群馬くんだりまで出向くのはもったいない気がして、近くに寄る所はないかなと探したら、前から登ってみたかった佐武流山という二百名山が乗り物の接続もうまく繋がるようなので足を伸ばすこと した。

 

最寄り駅の始発に乗って池袋で下車して、ランニング仲間の車に便乗させてもらって藤原湖に向かう。藤原ダムの完成を記念して開催されるようになった大会で今回で62回を数えるとのことで、そう言えば昔走っていた頃にも興味を持ったことがある大会だが、当時はフルマラソンを中心に走っていたので、15キロを走るためにわざわざ群馬まで行くのはもったいない気がして行かずじまいとなってしまったようだ。

 

コースの予備知識もほとんどなくて参加したが、アップダウンが結構あ ムとほぼ同じで、後半も大してペースダウンすることなく前半よりも30秒落ちただけなのでまずまずであった。
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ゴール後は湯檜曽駅まで送ってもらい、そこで仲間と別れて一人旅となる。越後湯沢で下車してバスに乗り、途中2回乗り換えて栃川高原キャンプ場には4時前に着く。、いつもは暗くなってからテントを張るのに、今回はまだ日の高いうちから張れて余裕綽々である。おまけに広いキャンプ場は独り占めできて(後から一組のオートキャンパーが来たが)非常にまったりした気分となる。たまにはこんなキャンプもいい藻のだ。
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2019年7月30日 (火)

北丹沢耐久レース

丹沢耐久レースの記録をアップし忘れていたので遅ればせながらアップします。

7月7日

日本三大トレランレースの一つと言われる北丹沢12時間耐久レースに参加してきた。三大レースのうち、他の日本山岳耐久レース(ハセツネ)と富士登山競争には元気な頃には何度も完走しているのだが(因みに富士山では2勝2敗で制限時間内完走ができなかった年もあるが)、北丹沢は走ったことはなかった。これは、富士登山競争を本命視していたので、北丹レースの時期は富士山のコース試走にあてていたということもあるが、コース取りがハセツネのように尾根通しに行くのではなく、無理矢理コースを作って高低差だけを稼いだもので、山屋の感覚すると魅力的なコースではないということも出場しなかった理由ではある。ただ来年の70歳で七千メートル峰登頂のための坂道トレーニングとして、十数年ぶりにトレランレース復活を考えた場合に、三大レースのうち予選会等なしにエントリーできるのが北丹だけだというのが最大の参加理由である(もっとも富士登山競争は今の体力ではとても無理ではあるが)。今大会のトレーニングとして、高尾~陣馬往復を2回やったが、トレランレースに出場していた頃のタイムの1.5倍もかかってしまい、ロードと同様にトレランでも体力が落ちているのを痛感したが、45キロを12時間以内なのだから平均時速は3.5キロということになり、これなら比較的楽なペースだと甘く考えていた。ところが、コースの約3分の2にある第二関門の制限時間が高尾~陣馬往復の練習時のタイムだとギリギリであることがわかり俄然焦り始めた。本番では渋滞もあることを考えると、練習時よりも少しペースアップするくらいで走らないと関門を突破できないと考えて気を引き締めることにした。

藤野駅からスタート地点までのシャトルバスは当日朝も用意されているので、始発で行ってもギリギリ間に合うのだが、それではあまりに忙しないので、前日早めに行って近くのキャンプ場にテントを張ることにした。会場に着いて受付をしていると、衝撃的な報せが入ってきた。先日の大雨で第一関門と第二関門の間の当初予定のコースが通行不能となり、両関門を通っている林道経由のコースに変更となったので、第二関門は設置されず、コース全体の制限時間も10時間半に短縮されることになったということである。その結果、コース全体の距離も30キロ強に短縮されることになったので、距離だけでみれば高尾~陣馬往復と大差ないことになり、一挙にハードルが下がってしまった。頭を切り替えて作戦を立て直して、目標を9時間内の完走とすることにした。そうは言っても、第一関門への制限時間内到達がそれほど簡単でないことには変わりはないのだが・・・

天気予報では曇りだったが、夜中じゅう雨が降り続いた。朝になっても雨は止まず、今日は雨中行軍を覚悟する。渋滞を避けるため、2グループに分けられ30分の時間差でスタートする。60歳以上は当然、後発の7時スタートする。終日雨が降り続くことが予想されたため上下雨具にスパッツ着装の重装備で臨んだが、皆はもっと軽装で特に先発グループの前列はランシャツ・ランパンである、山の上で低体温症にならないか他人事ながら心配である、最初から舗装路の急登である。先発グループを見送ってから後発の我々のスタートである。最近は足の調子が悪くて関節が暖まるまではゆっくり走っているものだから、たちまち追い越されて最後尾になる。まあ山道に入れば抜けるだろうとマイペースで行く。しばらく進むと上からランナーがどんどん降りてくる。折り返しはなかったはずだがと思っていると、「先頭が道を間違えた!」と教えられて慌てて引き返す。正しい道に戻った時には15分のロスがあり、第一関門突破に黄色信号が灯った。やがて山道に入ったが、大渋滞が待ち受けていた。道がぬかるんでいて滑りやすいため、まともに登れないのだ。やがて下りになると、登りほどの渋滞はなかったが、慎重に降りないとスリップするため、スピードがだせないのだ。初っ端のアクシデント続きで第一関門突破は絶望的になったが、まあ頑張れるだけ頑張ることにした。

山道が終わると小刻みのアップダウンが続く林道が10キロほど続く。後続のランナーは山道での遅れを取り戻そうとキロ4、5分のスピードで次々に追い抜いていく。自分と言えば、初っ端の登高と下降で体力を消耗したのか、キロ6、7分、登りでは10分以上かかってしまう。まあ、この程度のスピードでも、山道が普通の状態ならば第一関門はクリアできたはずなのだが

林道のランが終わり、鐘撞山~県境尾根への登り口に着いた時は、このまま登っても第一関門の制限時間を突破できないことは明らかであった。そのため、リタイアしてしまうランナーもいたが、標高差800メートルの急登は格好のトレーニングになると考えて登ることにした。速いランナーは通り過ぎてしまっているので渋滞はなかったが、道のぬかるみはますますひどくなり、田んぼの中を歩いているようで、レースというよりも泥んこ遊びをしているようであった。下りもぬかるみがひどくてとても歩けたものではなかったので、登山道の横の踏みあとのない斜面を降りて行ったが、気を付けないと登山道を見失ってしまうので、これまた神経を使わされる。長年山登りをしているが、こんなぬかるみ道は初めてだった。第一関門に着いたのは、中止となった第二関門の当初の制限時間も越えてしまったが、泥んこ遊びをしてきたのだからしょうがないか

今回は思い返すと予期しない事態の連続だった。一番は悪天によるコース変更だが、それだけではなかった。まずは前夜から張っていたテントはレース会場の対岸にあって、いわゆる沈下橋(欄干がなく増水時には水面下に沈む)で結ばれているが、夜間中降り続いた雨のため朝から上流ダムが放流したというアナウンスは流し続けていたものの、さほど深刻には考えずに、テントを撤収してレース会場に預けることはせずに、夕方には多分小降りになるだろうからテントは張ったままレースに出ることを選択してしまった(大雨の中の撤収は大変という理由で)。ところが、レースが終わってテントの撤収に戻ろうとすると、なんと沈下橋は増水のため立ち入り禁止となっているではないか。大会スタッフに聞くと、藤野駅までの送迎バスに乗って途中で降りればキャンプ場には行くことができるとのことであった。まあ何とかテントの撤収はできたが、そこからレース会場まで戻っても藤野駅までの送迎バスの最終に乗れる可能性は低いが、藤野駅までは歩いても10キロちょっとだから、歩いていくしかないと覚悟を決めて歩き出すと、しばらくして送迎バスに追い抜かれたが多分最終バスだったのだろう。だが、トラブルはそれだけでは終わらなかった。というのは、行きに通った道でもあり北に向かえば藤野駅にはたどり着けるだろうと安易に考えていたのだが、スマホ用にモバイルバッテリーは持参したものの、充電用ケーブルを忘れるという痛恨のミスをしてしまったため、スマホのバッテリー残量は10%を切っていたため、GPS地図もコンパスも起動せずに勘で進んでいたところ、知らない間に南東方向に進んでしまい、藤野駅までは15キロ以上もある地点まで来てしまっていて橋本まで行くのと大差ないことがGPS地図を起動してみてわかった。

コンビニを見つけて充電ケーブルを入手し、バッテリーで充電してスマホのネット情報を利用できるようになったので検討してみると、橋本までの途中にある三ケ木まで行けば最終の橋本行きバスに間に合いそうなことがわかった。そこでコンビニで買った弁当で腹ごしらえをしてから歩き出して、何とかその日中に帰宅することはできたが、当初予定よりもかなり遅い帰宅となってしまった。

十数年ぶりのトレランレースがとんでもないコンディションに遭遇してしまったが、これに懲りずに次のレース参加を検討している。11月の陣馬トレランである。距離は23.5キロだが獲得標高600メートルを制限時間四時間半というのは、今の自分にとってはかなり高いハードルである。年寄りの冷水だと笑われそうだが、ヒマラヤのトレーニングだと割りきって、結果は二の次でトライするつもりだ。

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2019年6月24日 (月)

石巻復興マラソンと竜飛岬

昨夜は石巻の寿司屋で美味しい海鮮丼を食べたが酒は控えておいた。翌日のレースに備えてだが、記録は二の次になってしまった今はどうでもよいようにも思うが、昔の習慣はなかなか変わらないようである。どしゃ降りの中を明日の天気を案じながらホテルに向かい早めに床に着く

翌朝は打って変わった好天でマラソン日和である。レース会場の運動公園は駅から歩くと1時間近くかかるということで駅前からシャトルバスが出ているとのことだが、当初は会場までは自転車で行くつもりだった。というのは石巻から金華山方面に延びる牡鹿半島の先端を目指すツーリングを以前に二回トライしながら途中で引き返してきたので、今回は運動公園から先端を目指して直行することを計画していたからだ。ただ冷静に考えてみると、レース後に長距離のツーリングをする体力は今の自分にはないことを自覚したため、牡鹿半島行きは止めて大人しくシャトルバスに乗っていくことにした。

会場に着いてしばらくすると開会式が始まり、ゲストランナーとして「市民ランナーの女神?」谷川真理さんの外に年代別の世界記録を出している80台の女性ランナーも登場した。何でも、70歳から走り始めたそうだが、フルもハーフも自分の今の記録をかなり上回っているから恐れ入る。自分も頑張ればという気にもなったが、多分そのようにはなれないだろうという諦めの気持ちの方が強いようだ。
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ハーフレースの方は10キロまでは快調で、一昨年のレース復帰以降のベストタイムがでるかなと思わせたが、気温がどんどん上昇してきたためか急に足に疲れがたまってペースも落ち出す。15キロを通過した時点では、なんとかこのペースを維持して最後の2キロで頑張ろうと思ったか、何度も足が痙攣寸前まで行き、そのたびに歩きに変えざるをえなかった。最後の2キロになった時は勝負をかけるどころか歩いたり止まったりの状態となってしまった。前半の貯金が効いていたので、関門リタイアの心配はなかったが、ワースト記録を大幅に更新してのゴールとなった。暑いレースに弱いのは昔からだったが、こんなにもダメージが大きかったのは始めてである。

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レース後は牡鹿半島行きが中止になって時間に余裕ができたので、以前にボランティアに来たときにテントを張った石巻専修大学のグラウンドに向かうことにした。運動公園から少し外れた所に仮設住宅が立ち並んでいたが、人の気配は感じられなかったので、大半の人は仮設住宅から出ることが出来たのだろうか。そこからしばらく行くと、真新しい住宅がずらりと並んでいる。古い家屋は皆無だったので、おそらくこのあたりは津波で全滅したために、建て直された家ばかりなのだろう。
グランド近くまできたが、こちら側には石巻市街地につながる橋はないようなので、来た道を戻ってシャトルバスで渡った橋を通って石巻駅に戻る。ここで、これからの予定を検討する。最初の予定では、明日は仙台近郊の300名山を登るつもりだったが、明日は終日雨の予報だったので、予定を変更することにした。ただ休日倶楽部パスの利用範囲である関東甲信越は軒並み雨マークなので、どうしたものかと思ったら、青森県だけには晴れマークが出ているではないか。そこで、数年前に津軽半島の先端部を冬に歩いた時に、日数が足りなくなって竜飛岬からJR津軽線の終点付近まではバスを利用したことを思い出して、そのコースを自転車で往復することを決めて、急遽青森駅近くのホテルを予約して青森に向かった。

翌朝は始発で津軽線の終点の三厩に向かう。三厩から竜飛岬までは通常は海沿いの平坦な道を行くが、少し山側に竜泊ラインというアップダウンのある道もある。往復とも海岸添いの同じ道を行くのは芸がないので、行きは多少時間がかかるが、山側の道を行くことにする。この道は別名あじさいロードとも呼ばれているようだが、あじさいは所々には咲いているものの、道路名にするのは少々大袈裟という感は否めない。
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高台を行く道だけに展望は素晴らしく、予報どおりの好天下で青い海が素晴らしかった。また車の通行も希なため静かなツーリングが楽しめ、途中で猿の親子に遭遇することもできた。やがて十三湖方面からの道と合流すると、竜飛岬は目の前である。前回は立っていられないほどの強風だったが、今日は地元の人でもめったにないという穏やかな日でラッキーだった。灯台のある高台には前回登っているので今回は割愛し、前回は雪で立ち入り禁止となっていた階段国道を下りてみることにした。ここは全国で唯一、階段のある国道とのことだが、もちろん車のためには別の迂回路があるが、もっばら観光用として今も国道の名前を使っているのだろう。

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帰りは海沿いの平坦な道なので早めに三厩付近に着く。ただ津軽線は1日数本しか列車がないので、次の列車までの待ち時間がかなりあるうえ、駅周辺には飲食店もないため、飲食店を求めて先の駅まで行ってみることにした。先の道路沿いには飲食店は何軒かはあったが、いずれも営業時間外のようだったので、結局、コンビニで弁当を買って今別駅から乗車することになった。予定外の行動となったが、思いがけずに懸案を解決できてラッキーであった。

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