自転車

2025年11月26日 (水)

天竺山

元々高い山の少ない東京百名山の中でもとりわけ低い山である天竺山(310メートル)は、これ単独で登りに来るほど
でもないので、他の山の帰りに登ろうと思ってたら、五日市に降りるのがいつも暗くなってしまい、登らずじまいに終わっていた。そこで、今回は天竺山のみを目標として登ることにした。ただそれだけではつまらないので、福生までは自転車を使い、福生から五日市まではシルバーパスを利用することにした。

 

11月24日

 

武蔵五日市駅から天竺山までの標高差は200メートルちょっとなので全然大した登りではないが、危険なアーバンベアが我が物顔にしている地域なので、人家から離れるやいなや熊よけホーンを鳴らしっぱなしにする。というのは、熊鈴が有効なのは、山の熊に対してであって、アーバンベアに対してはむしろ熊を引き寄せかねないものになってしまったからである。

 

大した登りもなく頂上に着いたが、そこから眺められる東京方面の展望はなかなか見事であった。初日の出を見る場所としては絶好の場所かもしれない。
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バスと自転車で行きと同じ道を戻ったが、途中で暗くなってしまい、1日がかりのコースとなった。

 

 

 

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2025年10月 4日 (土)

関東ふれあいの道 茨城県NO1〜5

だいぶ涼しくなってきたので平地での行動も可能と判断して、関東ふれあいの道の茨城県コースの仕上げに向かうことにした。まずは北部のコースのNO1から5までを1日でつなげないかと考えてみた。単純に各コースの参考タイムを合計すると20時間以上となってしまうが、本来のコースは度外視して各コースの撮影ポイントを繋げるだけならば、舗装路だけで60キロ程度なので、多少はアップダウンはあったにしても、自転車ならば1日で行けるだろうとはんだんした。ただ長丁場になることも考えられるので、前夜に小山駅周辺で一泊して、1日をフルに活用することにした。

 

10月4日
朝8時半に真岡鉄道茂木駅を出発して約10キロ先の那珂川に下っていく。那珂川沿いに5キロほど緩やかに下って御前山青少年旅行村への分岐点で那珂川を渡る。旅行村まで300メートルの所から傾斜が急になるので、自転車は置いて歩き始める。旅行村にはほどなく着いたが、撮影ポイントは展望台とのことなので階段を登り始めるが、これが長いったらありゃしない。性根もついた頃にようやく展望台に到着する。

 

ここから本来のNO1のコースは御前山を越えていくのだが、NO2のコースの撮影ポイントである仏国寺に向かってショートカットするために反対側の御前山ダムに向かう。

 

御前山ダムに沿ってしばらくは平坦な道が続くが、そのうちに登りが現れるのだろうと思っていたところ、気が付かないうちに下りに変わって仏国寺の階段下まで来てしまったのには拍子抜けしてしまった。ただ仏国寺の階段がまた長くて往生してしまった。

 

仏国寺からコースNO3の徳蔵寺までは基本下りで楽であった。徳蔵寺にも少し登りがあるだけで辿り着けるが、撮影ポイントである大師堂の建物がどこだかわからず、参拝している人に聞いて、なんとかわかった次第である。

 

ここからは本来はNO4のコースに入るべきであるが、NO5のコースの撮影ポイントである楞厳寺(リョウゴンジ)がコースの始めにあって、そちらに先に寄った方が効率的なので、順序を違えて行くことにする。

 

楞厳寺へは久々に登りとなって、間もなく山門に着く。まだこれから登らなくてはならないのかと思って資料を見てみたら、撮影ポイントは山門とのことなので、ショートカットと決めている本日はこれ以上は登らなくていいことになったのでホッとする。

 

本日の最後のコースとなるNO4の撮影ポイントである佐志能神社に向かって移動するが、途中通過する笠間稲荷神社付近は土曜日といつこともあって、かなりの観光客でにぎわっている。

 

喧騒を逃れて佐志能神社を目指して坂道を登りだすが、途中で雨が降り出してくる。神社の下の駐車場に自転車を置いて神社を目指して登りだすが、神社のすぐ下に天守跡の石碑かあり、こちらも撮影ポイントのようなので、写真を撮っておく。

 

これで降りてもいいようなものだが、佐志能神社はすぐ上にあるようなので、足を延ばしてみる。すると「崩壊の危険があるので立入禁止」の立札がある。ここで思い出したのは、神社のある場所は関東百名山(ただし、同名書籍の新版のみで取り上げられている)の佐白山の山頂でもあり、数年前にも山頂手前までは来たものの、立入禁止ということで引き返してしまい後悔したことがあり、今回登らないと永久に登る機会がないだろうということから、自己責任で登ることにした。

 

立入禁止の柵を越えて神社まで登ってみると、たしかに神社は崩壊寸前だが、東日本の震災以来そのままに放置されているようで、有力な氏子がいないためなのだろうか?まあ建物によりかかりでもしない限りは危険はないが、立入禁止としているのは、万一の場合の責任逃れなのだろう。
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関東百名山(新版分だが)の登頂という思いがけない成果も得て下山し、笠間の駅に着いて自転車を解体すると、それを見計らったように小山行きの電車もやってきて、早い時間に帰宅することができた。

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2025年9月29日 (月)

群馬新潟の山歩き

今回は関東百名山の残る二座、甲信越百名山の残る一座、関東ふれあいの道群馬県コースの残る3コースを全部終えてしまおうという欲張った計画である。

 

9月25日

 

最初の目標は関東百名山の立岩(たついわ)である。前回は今年の3月にトライしたのだが、思ったよりも雪が多くて途中引き返してしまったので、そのリベンジである。
 
最寄りのバス停を降りたのは12時過ぎで、そこから登山口までは2時間近く歩かなければならず、登山の一般的常識からすれば、遅すぎる出発時間となるのかもしれないが、立岩自体は2〜3時間で往復できる山なので、まあ許してもらおう。

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アプローチからの立岩遠望

登山口まで歩くと、駐車場に車が1台停まっている。出発の準備をしていると、3人の登山者が下山してくる。立岩から不動滝まわりで降りてきたようだが、私がたつに登ると言うと、「今から登るのですか!」と驚きとも非難ともとれる反応だった。「往復するだけなので、明るいうちに降りられると思います」と答えておく。

 

前回は雪に苦しめられた登りも、無雪期は快適に歩ける。この分なら往復2時間以内で歩けるのではないかと思ったが、稜線直下の岩場がそこそこ悪かったし、稜線に出てからも結構時間がかかってしまい、登山口に戻ってきたのは3時間を少々オーバーしてしまったが、なんとか明るいうちには下山できた。

 

その晩は駐車場の横の草地にテントを張ったが、周りには誰もおらず、ネットもラジオも通じるし酒も十分あったので、一人宴会で大音量で深夜まで過ごした。

 

9月26日

 

早朝にテントを撤収して歩き出し、下仁田行きの始発バスにギリギリで間に合う。下仁田からは関東ふれあいの道のコスNO10.11を通って松井田駅に向かうことにする。

 

最初の目標は中之嶽岳神社であるが、距離は14キロであるとわかっているものの、標高差がどのくらいあるのかは調べてこなかったので、出たとこ勝負である。

 

道路脇の標高表示が500メートルを越えるあたりから傾斜も増してきて、たまらずに自転車を降りて歩き始める。キャンプ道具一式を背負っていて荷物が重いので仕方ないんだけど情けない。

 

ようやく中之嶽神社に着いてホッとしたが、資料を良く見ると撮影ポイントは神社ではなく、すぐ先の所から登った第四石門ではないか。どのくらい登るのかはわからないが、空身で往復するのだから何とかなるだろう。
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第四石門

第四石門までの最短路を登りだすと、意外とすんなりと辿り着いた。すぐに自転車の所まで降りて次のコースの撮影ポイントである妙義神社に向かう。

 

道はどんどん下っていくが、妙義神社の手前で登り返しがあるのではないかと少し不安になる。ただ地図を見る限りでは、妙義神社手前の道は曲がりくねってはいないので、まず登りはないだろうと判断したら、その通りであった。

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ここまで楽をさせてもらった反動というべきかどうかは知らないが、神社までの石段の長いこと長いこと。ようやく辿り着いて参拝もそこそこに写真を撮ってすぐに降りてしまう。

 

ここから松井田駅までは数キロの下りだが、グーグルマップて調べると駅の周りには昼前に営業している飲食店はないようなので、神社の近くの飲食店で食事をすることにした。ただし、まだ駅までは自転車に乗るので、ノンアルコールビールで我慢することにした。

 

思ったよりも早く降りられたので。新発田駅近辺のホテルを調べてみると、駅近くで空いているホテルがあったので早速予約した。本当は連泊したかったのだが、翌日は土曜日のため空室は駅周辺にはなく、やむをえず翌日はネットカフェに泊まることにした。

 

その晩は近くの居酒屋に入ったが、九州を本拠とする全国チェーンのため、日本海の海の幸ではなく、トビウオとか明太子を肴に飲むことになってしまった。

 

9月27日

 

今日は登山口までの25キロを自転車で行かなければならないので6時前にホテルを出発するが、不要な荷物をコインロッカーに預けるため駅に立ち寄る。登山口までは標高差は300メートルほどあるが、水平距離も長いので急傾斜はなく、ダム直下のやや急な登りも含めて自転車を降りずに進むことができた。

 

8時半過ぎに登りだすと、すぐ後を登り始めた登山者が、私が自転車で来たことを驚いていたが、彼の登高スピードは早く、あっという間に見えなくなってしまった。

 

中間点である岩岳まで急傾斜が続くが、ここまではなんとかコースタイム通りに来ているので、ここで大休止をする。腹ごしらえをしながら蒜場山の大展望を楽しむ。
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岩岳から先はしばらくはアップダウンが続いて高度が稼げない。途中の顕著なピークである烏帽子岩を過ぎてしばらく登ってから振り返ると先ほどの烏帽子岩に人影が見えたので、頂上に着く前に追い抜かれるかなと思っていたら、さほど時間がしないうちに背後に人の気配を感じて振り返ると、先程の人がもう背後に迫っている。どうやらトレランの人のようである。

頂上に向かって急な登りになってきた頃、まずは朝出会った人が降りてきて、もうしばらくするとトレランの人も降りてくる。私のペースはコースタイムよりは少し落ちたが、それでも2時前には登頂でき、これならばなんとか明るいうちに下山できそうであった。甲信越百名山全山登頂達成の喜びもそこそこに下山に移る。

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下り始めは順調だったが…岩岳手前のアップダウンで参ってしまい、こんなに登り返しがあるとは、思ってもみなかった。その後は登山口までは下り一直線ではあるがペースは上がらず、暗くなる直前になんとか登山口まで降り立った。

 

新発田駅までは緩い下りが続くので、ペダルを漕ぐこともブレーキをかけることもなく、1時間半ほどで着くことができた。駅前で夕食をとるつもりだったが、レストランはなく、居酒屋ばかりだったので、ネットカフェまで自転車で行く関係で駅弁で我慢し、ネットカフェ近くで祝杯をあげようと思ったが、疲れ切っていたので、そのままバタン急となってしまった。

 

9月28日

 

連日の疲れがたまって予定していた関東ふれあいの道群馬県コースの最後となるコースNO18の高山高原展望台までの約15キロを自転車で上がるのは困難に思えたが、せっかく来たのだからタクシー利用でもいいから展望台まで行って写真を撮って群馬県コースを終わらせようと思った。

 

沼田駅からタクシーに乗るが、少しも高度を上げずに日本ロマンチック街道を進んでいく。なんだかなあと思っていると、高山村に入った所で左折してようやく高度を上げていく。

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日曜日ともいうこともあって、展望台には何人かの観光客も来ていた。証拠写真を撮ってから下山に移るが、今来た道だからということで、地図もよく見ずに適当に下っていったら、渋川方面への道を進んだり、はたまた長野原方面の道を進んだりと、全く東西南北がデタラメで、自分の方向感覚のなさを再認識させられた。

 

これではいかんと地図で方向を確認しながら進むことにした。無難なのは、来た道のロマンチック街道に降りる道だが、少し遠回りのように思えたので、ほぼ真東に向かう道路があったので、そちらを進むことにした。上越新幹線のトンネル部分の真上を通るようで、次第に登り道となっていく。そのうちにトンネルが出てくるだほうと期待したが、トンネルはなく峠の上まで登らされてしまった。このくらいだったら、高山高原の展望台までタクシーを使うこともなかったなと思ったが、後の祭りである。

 

沼田駅に着いたのは、高崎行きの電車が発車する直前で乗り遅れてしまったが、次の電車は15時台は1本もなく、1時間半近く待たされることになり、予定していた関東百名山の最後の三毳山には明るいうちに着くことは不可能と思えたので、今回はまっすぐかえることにした。

 

三毳山は標高200メートル台の栃木県佐野市にある低山で、なんで関東百名山に選ばれているのかわからないが(「山高きゆえに貴からず」ではあるが)、今回は高崎からの帰り道に登るつもりですいた。ただ、距離的には東北線の小山駅からの方がはるかに近いので、今度茨城県の関東ふれあいの道のコースを歩く時に併せて訪れてみようと思った。

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2025年9月10日 (水)

猛暑に抗して

猛暑が一段落するまでは登山は避けた方が無難だが、そんな中にあって猛暑の影響を受けにくい方法を考えてみた。

 

8月24日

 

まずは純粋の登山ではないが、関東ふれあいの道の群馬県コースのコースNO18の高山高原牧場である。ホームページではタクシー利用が勧められているが、地元の渋川の駅前プラザでは電動アシスト自転車を朝9時から無料で貸出しているので、これを利用すれば暑くならないうちに目的を達し、昼過ぎに降りてくる計画を組めば、猛暑しらずでサイクリングを楽しめるのではないかと取らぬ狸の皮算用を行った。

 

9時丁度に渋川の駅前プラザで自転車を借り受けるが、まずはルート設定で失敗した。国道沿いの道を行かずに地図上の最短経路で行こうと考えたのだが、実際に行ってみると、アップダウンが激しいだけでなく、道は大きく蛇行していて、最短経路どころか大きく遠回りする道となってしまったのである。

 

1時間ほどロスして、本来のコースに復帰できて、しばらくはそのまま進んでみたが、コース19キロのうち5.5キロを残した所で予定していた引き返す時間となり、バッテリーの残量も乏しくなってきたので、残念ながら引き返すことになった。

 

駅前に戻り和定食の店で喉を潤し、空腹を満たしてから、隣駅の後閑に移動する。午後の目標は関東百名山の三峰山で、駅から登山する道もあるようだが、この猛暑の中をとても登る気がしない。そこで、3時頃まで待ってからタクシーを呼び、標高700メートルくらいの所にある河内神社直下の登山口まで運んでもらってから登山を始めれば暑さはしのげるし、6時ころまでには登山口まで戻れるだろうから、タクシーで登ってきた舗装路ならば暗くなってから下っても問題ないし、暑さ対策にもなって一石二鳥だと思った。

 

山頂までは2時間ほどで問題もなく到達したが、下山に移ると登頂前から降り出していた雨が激しくなってきた。
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雨水は斜面全体を覆ったため、気付かないうちに登路を見失って後閑駅に直接降りる道に進んでしまったようだ。そのことには気づいたが、よく踏まれた道でありマーキングもしっかりしていて、要所には指導標も設置されていたため、この道を降りた方が早いと判断して、そのまま降り続けた。

 

道自体は川の中を歩くような状態だったが、そのうちに両足にちくりという刺激や痒みが頻発するようになったため、ヒルに噛まれたのではないかと思ったが、暗闇が迫る中で立ち止まる気もしなかったので、そのまま歩き続けて後閑駅まで降りてきてしまった。

 

ここで始めて靴を脱いでみて驚いた。靴の中から何十匹というヒルが出てきて、足は無数に噛まれて血に染まっていた。今まで何度もヒルに噛まれたが、多くても数カ所を噛まれる程度で、こんなに無数に噛まれたことは初めてである。ヒルに噛まれてもしばらく血がとまらなくなるだけで、それ以上の実害はないのだが、とにかくヒルを処分することが先決だ。幸い、次の電車まではかなり時間があったので、体や衣服についてしまったヒルを完全に処分してから電車に乗って隣の沼田駅に移動して予約してあるホテルに向かった。

 

ホテルは地図から見る限りは駅からさほど遠くない所にあるように思えたが、沼田駅は谷底にあって町は高台にあるため、ホテルまではかなりの階段を登って行かなければならず、なかなか大変だった。本当はホテル近くの居酒屋にでも行くつもりだったが、ヒル騒動でそれどころではなくなり、ホテルでは見逃したヒルがいないかどうかをさらに調べて確認し、ようやく安心して眠りにつくことができた。

 

8月25日

 

今日はGWの際に途中で断念した関東百名山の笠ヶ岳に向けてのリベンジ山行であるが、沼田駅から尾瀬戸倉までは1時間以上もかかる遠距離路線である。さらにそこから鳩待峠までは普通車乗入れ禁止なので専用車に乗り換えなければならない。この専用車の本数がさほど多くないので、これが尾瀬に入るためのネックとなる。一応時刻表はあるのだが、予定の時刻よりも30分ほど早く出発してくれたので、行程がタイトな自分にとってはありがたい。

 

鳩待峠で下車すると休むこともなく歩き出す。鳩待峠からの帰りの最終バスが3時半なので、行動可能時間は5時間半しかなく、至仏山への道と別れてからのコースタイムは予測し難いときている。まあ最悪の場合は帰宅が翌日となってしまうことも覚悟の上である。

 

至仏山への分岐点までは1時間半と見込んだのだが、実際は2時間かかってしまい、鳩待峠の最終バスに間に合う可能性はかなり低くなってしまう。それでも戸倉まで急いで下れば沼田行き最終バスに間に合う可能性はあったので一縷の望みは残されていた。

 

指導標には分岐点から笠ヶ岳までは3キロと表示されていたが、平地ならいざ知らず、山道でどのくらい時間がかかるか予測しがたい。GWの時は雪のために稜線を進んで悪沢岳の頂上に達したが、夏道は山頂を巻くように作られている。前回は悪沢岳の頂上から笠ヶ岳がはるか彼方に望めて、とても辿り着けないと諦めて引き返したのだが、今回はガスっていて笠ヶ岳方面の展望は全くなく、前進するしかない。 

 

アップダウンはさほどなく踏跡も比較的明瞭なので、最低鞍部までは1時間ほどで到達する。それからしばらく登ったところで、本コースでは初めて他のパーティーとすれ違う。その先で小笠の山頂を巻く所で、笠ヶ岳まで1キロの標識があったので、もう登ったような気持ちになったが、それからが長かった。

 

前方に菅笠の形をしたピークが見えたので、ここで腹ごしらえをして空身で往復することにした。
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食後に歩き始めると、道は山頂を目指して直登するのではなく、山腹をずっと左の方に巻いていって全然高度を稼げないことに少し焦りだす。しばらく横に移動すると標識があって、そこからようやく山頂を目指しての道となるが、岩場が連続してなかなか時間がかかり、山頂に達したのは2時を回っていて、鳩待峠の最終バスに間に合わないことは確実であった。
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しばらく展望を楽しんでから下降に移るが、いくら下りても荷物が発見できずに少々焦る。少しウロウロしてから地図アプリを開くと、標識の所で左に横に移動しなければならないのに、そのまま下降してしまったことがわかり、正しい道に戻って進むと荷物も見つかって事なきを得た。

 

後は来た道を戻るだけだったが、そのうちに雨が降り出し、昨日ほどではないが、かなりの降りとなってきた。雨具は着込んでいるが、それでも長時間振り込められていると、低体温症になる恐れもあるので、笹が生い茂って雨除けができる場所で小降りになるまで雨宿りすることになった。

 

三十分ほど休んでいたが一向に止まず、このまま時間を空費していると、明るいうちに鳩待峠に着けなくなるので、風も吹いてないことだし傘も使えそうだということで歩きを再開した。すると頭上には青空も見え始めて雨も止んだので、なんなく至仏山からの道と合流することができ、後は何の問題もなく、足を前に出していくだけで、鳩待峠まで降りていくことができた。

 

戸倉に降り立ったのは9時で、早速旅館に宿泊を頼もうとしたが、学生相手に貸切となっている所が多く、どこにも泊まれずバス停で一夜を明かす羽目となってしまった。
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2025年8月17日 (日)

西日本後半戦の旅 やり残したコースの埋め合わせ

原爆慰霊の旅は終わったが、せっかくはるばる西日本まで来ているので、今までにやり残したコースをトレースしておこうと思った。

 

最初は10年前に戦後70年の原爆慰霊の旅の、ついでに日本百名山として九重山を登った際に、最高峰中岳山頂から望めた坊ガツルの展望が印象に残り、今度はぜひ坊ガツルにキャンプしたいと思ったことから、今回も坊ガツルにキャンプして300名山の大船山に登りたいと思っていた。

 

ところが本年は九州地方には線状降水帯が居残り、登山には不向きな天気が続いたので、登山は諦めて高森から阿蘇市への阿蘇高原縦断を行うことにする。もっとも、長崎原爆式典の時のような豪雨の場合には峠越えは厳しいだろうから、大人しく往路を戻って立野から豊肥線に乗り換えるつもりだったが、思ったほどの悪天にはならなかったので、予定どおり阿蘇高原縦断に向かうことにした。

 

8月10日

 

まずは高森までは南阿蘇鉄道で行かなければならないが、10時過ぎの電車に乗車する予定なので、宿をゆっくりと出発する。高森行きの電車は結構混んでいて人気のある路線のようである。高森駅で下車すると、観光客はあちこちに向かってのバスに乗り込んでしまい、自転車の組み立てが終わった頃には誰もいなくなってしまった。

 

乗り始めてしばらくは北上する道がわからず右往左往してしまい時間をロスする。正しい道を進みだしても、心配したほどには傾斜はなく順調に進んでいける。左手には阿蘇の山並みも望めて高原を縦断する気分を満喫することができた。

 

やがてつづら折りの道となってくると、峠は間近い。峠の先には阿蘇市の標識が現れて快適なダウンヒルとなる。途中には放牧している牛も見られて高原らしい雰囲気に浸れる。今晩は大分名物の赤牛料理が食べられるかな
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道は阿蘇市方面に向かう道と、波野に向かう道に分岐しているが、波野に向かう道の方が短いようなので、そちらに進路をとる。急坂が連続してほどなく波野駅に降り立つが、1日5本の便しかなく、次の電車までは3時間待ちとのことなので、次の滝水駅まで行ってみることにした。幸い下り道の連続だったので苦労することなく着くことができた。

 

滝水駅の前には酒屋もあったので、酒を買ってここで時間待ちをすることにした。2時間待ちでようやく電車に乗ることができたが、大分までの直通ではなく豊後竹田で1時間半の待ち合わせとなる。郊外にある岡城阯は荒城の月のモデルとなった所なので行きかけたが、歩きでは時間的に無理だし、自転車の組立と解体するのも面倒なため、途中から駅に引き返すことにした。

 

大分には8時頃に着いたが、事前に付近のホテルの空室情報を調べたところでは泊まれそうな所はなかったので、ネットカフェに泊まることにしたが、比較的早い時間だったので空きはあったものの、遅い時間だったら危なかったかもしれない。

 

8月11日

 

今日は何としても九州を脱出したいが、当初予定通りに竹田津からのフェリーを利用する場合は、フェリーが予定通り運航するかどうかと、最寄り駅の宇佐駅から竹田津までの30キロ弱のツーリング中にどの程度の雨が降るのかが気になるところである。前者については電話で確認すると、運航には問題がないことがわかったが、念の為に下関経由で陸路で向かうことも考えたものの、福岡県内では電車は止まっているとのことなので、多少の雨でも竹田津に向かうことを覚悟した。

 

大分を電車が出る頃はたいした雨は降ってなかったが、次第に雨は強まり、国東半島の付け根にあたる山間部に差し掛かると豪雨となってきたので、大分にまた引き返そうかとも思ったが、山を越えて宇佐まで下ってくると雨も小降りになってきたので、なんとか出発しようかという気にはなった。

 

宇佐から竹田津までは海岸沿いだから平坦な道だろうと甘くみていたが、後半はある程度のアップダウンがあったものの、フェリー出港時間の1時間半前には竹田津に着いて、なんとか九州脱出の目途が立った。乗り場には大学生の女性チャリダーが先客としていたので、あいさつを交わしたところ、はるばる鹿児島からやってきたそうで、連日雨にたたられたとのことであった。乗船時間までは、彼女と話もできたので退屈はしなかったが、宛が外れたのは、乗り場では軽食くらいは食べられるだろうと思っていたものの、自販機しかなくてランチは夕方に到着予定の徳山までお預けになりそうだったことである(船内にカップ麺の自販機があって、それを食べたが)。

 

山口県に上陸したのを待ち構えていたかのように、線状降水帯も中国山陰に移ってきたようで、土砂降りの雨の中を走らされることになる。豪雨に我慢しきれなくなって、近くにあった台湾料理屋に逃げ込んで休憩がてらに昼兼夕食を食べる。食事をしながら地図を見ていると近くにネットカフェがあることを発見して、今日はもう前進は無理と判断して、そこに泊まることにした。

 

8月12日

 

線状降水帯は山陰や北陸に向かっていて四国は雨の心配はなくなりそうなので、四国に向けて出発することにした。このネットカフェから四国に渡る柳井港までは30キロ近くあり、そこまで自転車で行くと早い時間のフェリーには乗り遅れてしまうので、光駅に駐輪して柳井港までは山陽本線で行くことにした。幸い山陽本線は下関〜山口までは不通だが、そこから東は平常どおり運転されているとのことであった。

 

柳井港から松山までの航路は島々を縫って進むもので、なかなか風光明媚な景観が楽しめる。今回はすっかりフェリーづいてしまったようで、来月に予定している北海道のクルーズはもう行かなくてもいいような気がしないでもない。
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三津浜に上陸すると、まずは腹ごしらえである。三津駅の少し手前にある居酒屋風の店に入るが、昼前という時間のせいか他の客はおらず、あまり流行ってはいないようだったが、注文した漬け丼は美味かった。空腹を満たした後は、道後温泉で汗を流すつもりだったが、着いてみると行列ができていて、1時間以上待たなければならないという。グーグルマップでみてみると、すぐ近くに別館というのがあり、こちらは待たずにはいれそうである。本館は以前に行ったことがあるので、今回は別館に行くことにする。

 

入浴後、すぐ近くにあるコインランドリーで洗濯をおこなった。洗濯の待ち時間に近くの居酒屋で名産のじゃこ天を揚げたカツを肴に生ビールで喉を潤した。飲食中にダメ元で今夜の宿を検索していたら、最後の1室をゲットすることができてラッキーだった。きっと連休の谷間に当たっていたのだろう。洗濯が終わると、明日の300名山行きのバスの出発点である伊予西条行きのバスに乗り込むつもりでバス停に向かったが、本数が少ないため、長時間待たされることになった。
 
伊予西条のホテルに荷物を置いて夕食を食べに出かける。近くに回転寿司のチェーン店が2軒あったので行ってみたが、どちらも満員で客が多数待っていたので諦めてコンビニ弁当を買って帰る。帰宅翌日が自分の誕生日なので、寿司はそれまでとっておこう。

 

8月13日

 

今日登る予定の瓶ヶ森は数年前の晩秋に四国に来た時に途中まで登ったことがあるが、その時は中腹より上は雪が積もっていて、アイゼンもチェーンスパイクも用意してこなかったので断念した山で、今回はそのリベンジでもある。

 

西之川行きのバスの乗客の大半は石槌山ロープウェイで下車してしまい、終点の西之川までの乗客は私を含めて数人であった。西之川からのコースは西之川をそのまま進むものと、東之川登山口に向かうものと二つあるが、私以外はみな西之川のコースを行くようである。私は東之川登山口経由の方が若干時間が短いので、そちらを選んだが、最終バスまでの行動可能時間が8時間半なのに対して、東之川登山口のコースタイムが8時間とかなり余裕がないスケジュールである。西之川コースに向かった人も最終バスに間に合うかどうかを気にしていた。

 

東之川登山口までは比較的緩やかな舗装路だが、そこから先は急登が連続する。今回は自転車関係のもの等、登山とは関係ないものまでザックに入っていたため、西条駅で不要なものはコインロッカーに入れておくつもりだったのだが、手違いでホテルが駅から遠く、コインロッカーに入れる時間がなかったため、軽装で往復するという目算が狂ってしまったのだ。

 

途中の通過時間を確認すると、コースタイムを上回ってしまっている。これでは最終バスに間に合わなくなるので、お昼を早めに食べて、それから先は最小限の荷物を背負うだけとしてスピードアップを図ることにした。軽装になると途端にベースは上がり、途中でタイムの遅れは取り戻し、前方の視界が開けて先行の登山者が見えてくるころになると、最終バスまでの余裕時間(以後をコースタイムで進んだ場合の到着時間と最終バスの発車時間との差)も40分になるまでになった。

 

ところが頑張り過ぎたつけが回って両足に痙攣が走るようになってしまった。やむを得ず、しばらく休んでからだましだまし歩き始める。しだいに足の状態は良くなってきたし、頂上に続く草原の景観は素晴らしいの一言なので、景色を楽しみながらゆっくりと登っていく。
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リベンジを果たせた頂上は時間があればゆっくりとしていきたい所であったが、最終バスの時間が気になるので長居はせずに下山する。下りも快調に進めたが、次第にある心配が頭をもたげてくる。それは荷物を置いた場所を見落としてしまうのではないかということである。だいぶ降りた所で荷物を発見した時はほっとした。置いた場所の高度くらいは確認しておくべきであった。

 

最終バスの発車20分くりい前にバス停に着いたが、今朝会った登山者の姿はない。1本前のバスに乗ったのかとも思ったが、3時間前に発車しているので、いくらなんでもそんなに早くは降りられないだろうから、売店乗場のあるロープウェイ乗場のバス停まで降りてしまったのかなとも思ったが、次のロープウェイ乗場のバス停かろ乗り込んできた人の中にも見当たらなかったので、どうしたのだろうと少し心配になったが、どうしようもなかった。

 

西条駅で電車待ちの間に駅前の居酒屋で地場の刺身を肴に生ビールで喉を潤してから松山行きの電車に乗り込んだ。

 

8月14日

 

本日の行き損ねのリベンジは四国最西端の佐田岬である。四国お遍路の際には行程が遅れ気味で立ち寄ることができなかった所である。八幡浜を出発点とするとすっきりするが、行程が長くなってしむうため、三崎港まではバスを利用することとし、三崎港近辺でレンタサイクルが利用可能ということなので、岬先端まではそれを利用することとして、自転車は四国には持ち込まなかった。もうひとつの問題は行程が不確かなため宿の予約がしてなかったが、お盆の時期にあたったため、行程が固まった直前では三崎港近辺の宿は全て満室となっていたことである。これに対しては雨で中止となった九重連山登山のためにキャンプ用具を持参していたので、テントを張って過ごすことで解決することにした。

 

八幡浜から三崎行きのバスは満席に近かったが、終点まで行く乗客はわずかであった。バスを降りた所の隣の観光案内所がレンタサイクルを扱っていた。草津温泉でレンタサイクルを利用した時は、途中でバッテリーを使い果たしてしまって苦労したが、案内所の人の話ではほとんどの人が半分以上使い残してきているというので安心したし、パンクした際には迎えが来てくれるらしいので心強い。

 

登りでは観光案内所を出てからすぐ先と最後の灯台の所の2箇所で登りきってからはそれほどアップダウンはない。ただ灯台の登りは半端ではなく心が折れそうになるほどであったが、バッテリーをスポーツモードに切り替えると大した負荷もなく、Eバイクの威力は抜群であった。

 

駐車場から灯台までは思ったよりも遠く、禁止はされてなかったようなので、自転車を乗り入れてしまったが、顰蹙を買うだけでほとんど効果はなく、最後は駐輪して歩いてしまった。灯台の裏側には四国最西端の碑があり、佐田岬に来た目的を果たすことができた。
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灯台の往復に思ったよりも時間がかかったために、案内所が閉まる5時までに帰れるか心配であったが、なんとか時間までに自転車を返せてホッとした。佐田岬に無事到達したお祝いしようと三崎の町を歩いてみたが、じゃこ天の弁当を売っている店くらいしかなく、あきらめて町外れのコンビニまで行きかけたら、手前に居酒屋があり、そこで刺身を肴に生ビールで乾杯した後、しらすイクラ丼を食べて、今回の四国の旅が無事に終わった(のはずだったが)ことを喜んだ。

 

今夜はテント泊まりということで、町外れの公園に出かけてみると、岸壁ではまだ釣りをしている人がいるし、近所の子供連れが花火をしていたので、コンビニまで行ったりして時間をつぶし、公園に誰もいなくなってからテントを張り、四国最後の夜を過ごすつもりだった。ところが中に入ってみると暑いったらありゃしなく、とても眠れるものでない。それでも気が付かないうちにうとうとしたが、目覚めると汗びっしょりで、とても眠れたものではない。かといってファスナーを開けると蚊が入ってくるので、それもできない。今回の旅の最大のピンチである。

 

ここで思い出したのは観光案内所の横にベンチがあることである。あそこならば、ここよりは快適だろうと夜明けまで過ごそうと移動を開始した。案内所の周りには予想に反して夜明け前にもかかわらず車がひっきりなしにやって来る。九州方面行きの朝イチのフェリーに乗船する人たちであろうか。ここも快適というわけではないが、しかたなく座り続け、薄明るくなる頃にテントに戻って片付けてからバス停に向かい、始発バスに乗って八幡浜に戻った。

 

八幡浜では、松山方面の電車に上手く乗り継げるはずであった。ところが、その電車は特急で私の18切符では乗れずに、普通の松山行きは2時間近く待たなければならない。どうしたものかと思っているうちに、特急は発車してしまう。次の普通に乗車すると、予定していたフェリーには乗れないことになり、今日の行程は滅茶苦茶になるが、約1時間後の特急でも予定したフェリーには乗れることがわかり、18切符は山口県に上陸後も使えることだからと、次の特急に乗ることにした。

 

次の特急は松山が終点なので、フェリーの乗場である三津浜までは乗り換えなければならない。乗り換えも終わって三津浜に向かっている途中で睡魔に襲われて気がついた時は、電車は三津浜駅を既に発車していた。やむを得ず次の駅で下車したが、反対方面の電車が奇跡的に時間を置かずに来てくれたので、タクシーにさへ乗れれば予定していたフェリーに乗れる可能性がでてきた。タクシーもつかまり、これで一件落着となったが、三津浜駅からフェリー船着場までは結構距離があり、行きの豪雨直後には歩いていったものの、今の炎天下では歩いていくのは熱中症のリスクがあってタクシー利用は正解であった。

 

フェリーには2時間くらい乗船していたが、さすがに眠りに落ちてしまったので退屈せずにすんだし、その間にスマホとモバイルバッテリーの充電もできたので、一石二鳥であった。

 

柳井港よりも西の光駅に駐輪してあったが
まずは本日の宿泊予定の岩国に向かい、駅近くのコインロッカーに荷物を入れて身軽になってから光駅に向かった。その間の移動にはもちろん18切符を使ったので、本日分のモトはとったことになる。光からは岩国を目指すが、前回は内陸部を進んだので、今回は海沿いに進むことにする。

 

まずは南端の柳井市を目指すことになるが、走りやすい道だったので、夕方の明るい時間に着き、早めの夕食を済ませてから岩国を目指すことになる。ところが、柳井港を過ぎて北上するようになると道は狭くなり、街灯もほとんど無くなって暗い夜道を後続の車に神経を使いながら進むのは危険を感じて、岩国市に入った神代駅で電車に乗ることにした。まだ9時前で、岩国駅までの距離は20キロほどで、ゆっくり走っても2時間はかからないが、安全を最優先として今回の旅を実質的に終えることとした。

 

8月16日

 

本日は帰宅日なので終電で帰宅してもかまわず急ぐ必要もないのだが、始発に乗ってしまった。ところが、お盆休み中の特別ダイヤにダイヤアプリが対応してないのか、アプリうえのダイヤと実際のダイヤが一致しないので、来た電車に乗っていくことにした。最初のうちはそれでよかったのだが、岡山駅で乗り換える際に失敗をしてしまった。

 

飲食物を買いに改札を出てホームに戻ってきてら、ホームには相生行きと播州赤穂行きが止まっていて、相生行きはまもなく発車だったのだが、かなり混んでいたため、それは見送って播州赤穂行きに乗り込んだ。このまま播州赤穂まで行って相生行きに乗り換えれば良かったのだが、東岡山駅で山陽本線に乗り換えようとしたとらケチが着いた。次に来た電車にそのまま乗ってしまったら、少し先の瀬戸という聞いたこともない駅(瀬戸の花嫁ならしってるけど)が終点で、登り線はホームを変えなければならず、エレベーターもないため自転車を担いで階段を登らなければならず、酷い目にあってしまった。おまけに快速は通過するので、次の電車までは1時間近く待たされた挙句、その電車は各駅停車ときているため相生駅までもかなり時間がかかってしまった。

 

幸い相生駅では野洲行きの新快速に接続できたので、これで遅れは多少は取り戻せたようである。以後は比較的順調に行程をこなし、Uターンラッシュにも遭わずに、ほぼ予定どおりの時間に帰宅できた。今回は悪天等の影響で一部消化できなかったものもあったが、以前にやり残した行程はほぼ順調に終えることができ、満足できる結果であった。後期高齢者になろうとする人間がやる行動ではないという意見もあろうが、それだけ元気が余っているということで許してもらおう。

 

 

 

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戦後80年に原爆巡礼

今から10年前に戦後70年を迎えたことをきっかけとして、広島長崎の原爆式典に参加したが、戦後80年を迎えた今年も広島長崎を訪れることにした。

 

前回の経験から式典前夜の広島近辺の宿は早くから予約しないと無理なことはわかっていたので、発想を転換して、前夜は三原〜広島を自転車でナイトツーリングで踏破することにした。同コースは日本海岸線踏破を目指していた頃に、ランニングでの踏破を試みたことがあるが、海岸線を通らずに内陸部の最短コースを通る結果となり、今回はランニングから自転車に変えてリベンジすることにした。

 

8月4日

 

青春18切符の5日間連続乗車券を利用して初日は大阪を目指すことにした。というのは、数年前に妻と関西旅行した時に大阪の地下鉄全線乗車を狙ったのだが、時間不足で半分近くしか乗車できなかったので、今回はそのリベンジも兼ねているのである。

 

数回の乗り継ぎを経て米原に到着したが、時間があるのでここで寄り道して北に進路を取り長浜に向かう。以前に琵琶湖周回ツーリングの際に秀吉の最初の居城である長浜城に立ち寄ろうとしたが、列車の時間の関係で中には入れなかったので、今回そのリベンジのつもりであった。
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来年の大河は秀吉の弟が主人公でもあり、きっと大勢の観光客がいるだろうと思ったのだが、あたりは静まり返っている。もしやと思って近づいてみると、本日はお休みとのことである。果たして三度目のリベンジはあるだろうか?

 

気を取り直して大阪に向かい、梅田の駅で早速1日乗車券を買う。どの路線でも終点の駅に着くと、改札にも向かわず折り返しの電車に乗って次の路線に急ぐというただ乗車するだけの行為を繰り返す。万博のために一区間だけ新設された夢洲までの路線は時間が遅かったので、万博の客は帰った後で最終電車は終わっているのではと懸念したが杞憂であった。ただどういうわけか夢洲駅だけは1日乗車券では改札を通れないということで(単なる嫌がらせか?)、万博会場も見ることなく、4時間近くの乗り鉄の旅を終えることになった。

青字が今回、赤字が前回の乗車路線


 

8月5日

 

今日は中国方面に向かうので、午前中に前回は開園時間に間に合わなかった二条城を目指して京都に戻ることにした。京都は大阪と同様に外国人観光客で溢れていた。

 

二条城に着いてみると、なんと二の丸の建物内には入れないという。大政奉還の方針が諸大名に申し渡された大広間に行きたかったのになんたることか。庭は見物できるのだが、猛暑の炎天下を1時間近く歩かされて少々体にこたえた。
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午後からは広島県を目指しての18切符の旅であるが、4回の乗り継ぎで広島県内の三原に到着した時は薄暗くなっていた。ここからが前半のハイライトである呉経由のナイトツーリング100キロの始まりである。以前に日本海岸線の踏破を目指した時は、三原・広島間はウルトラマラソンのトレーニングとして走ったのだが、時間不足から最短路の内陸部を通過せざるをえなかったので、今回はそのリベンジを自転車で行おうとするものである。

 

日中は暑くてかなわないので夜間に実行することにしたが、ゆむくりめで行っても三原を7時頃に出れば式典には間に合うだろうという計算をたてて、三原のファミレスでしっかりと食事をしてから式典会場を目指すことにした。気温は30度近くはあったが、直射日光を受けず、登り以外は風も受けるので、比較的快適であった。

 

8月6日

 

2時頃に呉に到着。かつての軍港であり、大和と並ぶ巨大戦艦武蔵を建造した造船所があった所でもある。今回の行程の三分の二あたりで残すは30キロほどなので、成功を確信して駅近くにあるネットカフェに1時間ほど滞在して水分補給と体を冷やした後、式典会場に向かうことにした。

 

4時半には明るくなってきて、このまま何も起こらずに終わるのかと思いきや最後にちょっとしたドンデン返しがあった。というのは、グーグルマップで原爆ドームを目標に検索した道を進んでいたのだが、徒歩モードではなく、自動車モードで検索してしまったようで、行程最後付近の大橋が自動車専用となっていたため、徒歩モードに切り替えてみると、進路は反対側に大きく迂回しており、さらにはかなりのアップダウンを越えてようやく到達するというもので、式典の始まる8時前に辛うじて到着するという危ういものであった。おまけに以前にはなかった荷物検査が行われていたので長蛇の列ができ、黙祷の時間直前にようやく会場に入れるという際どいものであった。

 

会場では広島市長から始まる挨拶が延々と続くが、前回は挨拶を聞いた後に記念館の見学までおこなったものの、今回は早々と退散して、駅前で遅めの朝食をとりながら、テレビから流れる挨拶を聞いてお茶を濁した。
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広島駅からは一路九州へ移動する。佐賀県北部は鉄道を利用して周回したことがあるが、自転車では唐津から伊万里を結ぶ線以北は未踏である。長崎の原爆記念日前の7日と8日はフリーであるが、天気も今ひとつのようだし、どうしたものだろうか?

 

8月7日

 

前夜遅くに泊まった伊万里のネットカフェはローカルなネットカフェで安いだけが取り柄な所だったので、長居は無用と早々に後にする。

 

今朝は雨模様の天気だったので休養するかとも思ったが、炎天下よりはましかと思い直して半島北部を行ける所まで行ってみることにした。天気は思ったほど悪化せず、暑さもそ れほどでもなかったが、アップダウンが激しく行程が遅々として捗らなかった。

 

道が複雑に分岐していたので、道を取り違えないようにと地図アプリを拡大して使用していたが、それがアダになって全体的な進路把握かなされずに、本来進むべき半島の真ん中ではなく、左端を進んでいることに気付いた。正しい道に戻るのもたいへんなので、ここで引き返すことにしたが、出発点である伊万里駅までの距離を調べてみると35キロもある。平地ならば大した距離ではないが、アップダウンの激しい道で行きには5時間ほどもかかっているので、帰りも同じくらいの時間をみなければならない。それならばと唐津駅までの距離を調べてみると、こちらは22キロと比較的短いので、こちらを選択す?ことにした。

 

登り口を除けは、行きほどのアップダウンはなかったので、六時前には唐津駅に着くことができ、唐津線経由で伊万里に戻ることができたが、それからの宿探しがなかなかたいへんだった。前夜のチープなネットカフェにもう一晩泊まる気にはならず、かといって駅前のホテルはどこも満室となっていてホテル難民となりかねなかった。そこで駅から少し離れたところにホテルはないかと探して電話してみると、そのうちのひとつに空きがあってなんとか最悪の事態を避けることができた。

 

8月8日

 

松浦鉄道の1日乗車券を買って、沿線の三つの最西端に行ってみることにした。まずはたびら平戸口の日本最西端の駅である。10年前にも通ったことがあり、その時は途中下車はせずに車内から眺めただけだったが、ホームにはかなりの人がいたので、鉄っちゃんにとっては聖地のひとつなのかと思ったが、今日は誰も降りる人はおらず拍子抜けであった。
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松浦鉄道を南下して小浦駅で下車、そこからバスに乗って本土最西端の神崎公園を目指す。神崎入口で下車してから最西端の碑までは30分近くも歩かされるので、小浦駅から碑までは11キロ程度であり、自転車で来た方が良かったような気もしないではなかったが、かなり気温も高かったこともあり、バス利用は正解ということにしておこう。こちらの碑は何人かの訪問者もあるようで、まあ隠れた観光地なのかもしれない。
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松浦鉄道の終点である佐世保に着くと、そこから先はJR九州の路線となるが、駅前にはJR最西端の碑があるので、ここで最西端の旅の締めくくりとして写真を撮り、朝からろくな物を食べてなかったので、居酒屋で腹ごしらえと喉を潤してから長崎に向かった。
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本来は前半の旅の終了点である長崎でゆっくりと旅装を解きたい所であるが、10年前に来た時も原爆式典参加者が1年前から予約を入れていて長崎市内には空いているホテルはなかったので、今回は鼻から諦めてネットカフェに泊まることにしていた。

 

8月9日

 

早起きしたら長崎の西の方まで往復してこようとも思ったが、雨模様なのでやめてゆっくりと出発する。雨はますます激しくなってくるので、駅近辺に駐輪してバスで平和公園に向かうつもりで駐輪場を探したが、バイク用のものはあっても駐輪禁止と書いてあるので、やむをえず平和公園まで自転車で行くことにした。公園の近くに駐輪するつもりだったが、警備の警官かいっぱいいて、下手に駐輪すると文句を言われかねないので、だいぶ離れた所に駐輪する。

 

公園入口まで行くと、整理券がないと入れないと言われる。コロナの時からの措置だそうである。もっとも大きな荷物は持ち込み禁止となっているようなので、整理券があっても入れなかったかもしれない。
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黙祷が終わってから公園前を後にして自転車を回収して駅に戻る。自転車を解体するのに手間どったりして、新幹線の出発時間が迫っていたため、おにぎりで昼食をすませることになり、長崎の名産は食べずじまいとなってしまった。

 

今晩の宿は熊本地震によって不通となっていた南阿蘇鉄道が数年前に復旧したので、終点の高森の手前の駅近くのところを予約したが、途中で少し寄り道して西鉄本線の南半分を乗車しておくつもりである。西鉄本線の北半分は数年前に妻と太宰府に行った際に乗っているので、支線はともかく本線だけでも完乗しておこうと考えたのである。

 

最初は大牟田から西鉄二日市までを往復するつもりであったが、JR鹿児島線と西鉄本線は平行して走っている部分が多いので、JRの鳥栖からは南下せずに北上して二日市で下車して西鉄本線に乗り換えて大牟田まで乗車することにより、時間も費用も節約しようとするものである。

 

大牟田からは数回の乗り継ぎで南阿蘇鉄道との乗り換え駅である立野に着く。南阿蘇鉄道は熊本地震で被害を受けて不通となっていたが、一昨年にようやく全線開通となり、満を持して今回乗り込むことになったものである。ただ観光客はあまりおらず、乗客のほとんどは地元の人のようであった(全線開通を待ち望んでいた鉄ちゃんはとっくに乗ってしまったのかな)。

 

今夜の宿は南阿蘇鉄道沿線の古民家風で、テレビは懐かしいブラウン管である。ちょっとタイムスリップしたような気分にさせてくれるのがうれしかった。
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2025年8月 1日 (金)

群馬県内への避暑と温泉巡り

草津方面に避暑に来たが、標高が千メートルを越えているだけあって、最高気温も30度を越えることはなく、過ごしよかった(さすがに日中は暑かったが)。

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ライトアップされた草津温泉湯畑


7月22日

ホテルの近くに釣堀があったので行ってみたが、入れ喰い状態で三十分もしないうちに規定の三匹が釣れてしまい、面白くもなんともなかった。

 

釣り上げた魚は調理してくれるので、二匹は唐揚げ、残りは塩焼きにしてもらったが、そばを食べるには腹も減ってなかったので、缶ビールを注文して一匹ずつ食べ、唐揚げ一匹はホテルで留守番している妻へのお土産とした。

 

7月24日

 

草津温泉から1番近い観光地を探していたらチャツボミゴケ公園というのがあってホテルから歩いても半日ほどで往復できそうなので、行ってみることにした。

 

下界ほどではないにしても、猛暑の舗装路を歩くのは嫌だなと思っていたら、バスターミナルの1階の観光案内所でレンタサイクルを利用できるということなので、早速バスターミナルに行ってみる。ところが、観光案内所に行くと、現在はメンテ中で利用できないという。

 

代わりにレンタサイクルが利用できる別の施設を教えてくれたが、ここから30分近くも登り道を進まなければならないスキー場の所ということで出鼻を挫かれたような気分であった。

 

スキー場に着いて電動付きのレンタルサイクルを借りることができたが、ここでコース取りに迷うことになる。最初歩いていくつもりの時は最短コースを考えていたが、その道は舗装が最後までされているか不明で、ある程度降りてしまってから悪路になった場合は、登り返すのも大変だし、かといって悪路を進んでパンクしてしまうのも嫌なので、遠回りではあるが、グーグルマップの検索コースのうち、車によるコースを選択することにした。

 

全体的にゆるやかな下りが続いたが、最低部の橋を渡ると今度は登りが続き、たまらずに電動のスイッチを入れることになる。ところが、バッテリーの残量があまりないことに気付き、傾斜が緩くなるとスイッチを切って節約することになる。ここまで来る時はあまりバッテリーを使わなかったつもりだったが、満タンにはなっていなかったのかしら?

 

公園に近づくとようやくなだらかになり、電動スイッチはOFFのままでも大丈夫になったが、公園の受付を過ぎ、滝に向かう道でまた傾斜がきつくなってきたので、やむを得ずまたスイッチをONにする。

 

滝の周辺は酸に強いコケが生えていて独特な風景を見せてくれている。苦労してここまで来た甲斐はあった気がする。
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滝の上部を回遊してから下りに移って帰路に向かうが、途中から行きの道と別れて最短路に向かう(もし、舗装路が途中で悪路に変わっていたら自転車を降りて引いて行くまでだと開き直った)。

 

ところが、橋を渡るまでは下り一方かと思っていたが、実際は小さい尾根を越えなければならず、なけなしのバッテリーを使ったためにバッテリー残量が最小のマークにまで減ってしまう。

 

下りきって橋を渡り登りに移るが、幸いさほど急な登りではなくバッテリーの消耗も少なくて何とか出発点まで戻ることができたし、最後まで舗装路が続いていた。自転車を返して隣のレストランでラーメンを食べていると突然の豪雨となり、小止みになるまでそこで雨宿りとなったが、自転車に乗っている間でなくてラッキーだった。

 

7月26日

 

前日に草津温泉から赤城温泉に移動したのは気分転換の外に、関東ふれあいの道の群馬県コースのうちの未踏となっている不動大滝のコースを歩くためでもある。

 

朝食後に不動大滝を目指して出発する。舗装路を進んで粕川を渡る手前で山道に移るとすぐに大滝が目の前に現れる。落差20メートルはあるかと思われる見事な滝である。証拠写真を撮影後に来た道をそのまま戻れば近いのだが、ふれあいの道コースNO24番はやや下流の忠治温泉がゴールとなっているので、そこまで歩を進めることにする。

忠治温泉までは小1時間ほどの下りであるが、ふれあいの道にしては悪い道であった。実は今回泊まっている宿は自販機以外には間食の販売はなかったので、忠治温泉まで下れば何か買えるのではないかと期待したのだが、生憎まだ開業しておらず、開業準備のためか作業員が数人働いているだけだったので、食料調達はできないまま宿に戻らざるをえなかった。宿への戻り道は気温が上がってきて辛かったが、カーブごとに番号がふられていて宿の直下のコース番号は23番であることはわかっていたので、気分的にはだいぶ楽であった。

 

7月28日

 

今日は群馬県随一のロッククライミングエリアである有笠山に行くことにした。私の現役時代には登る機会のなかった有笠山だが、高難度ルートが密集しているエリアで一度は登ってみたかった所である。後年になって日本ロマンチック街道という日光から軽井沢までをつなぐロングコースを自転車で通った際に有笠山を遠望することができ、次は間近に見たいものだと思ったのだが、今回それが実現することができた。

 

バスとJRを乗り継いで沢渡には11時頃に着き、そこから小一時間ほどの舗装路歩きで東登山口である。途中、有笠山の岩壁が間近に見えたが、登山口のすぐ上にはフェアリーロックという岩場が聳えていた。何本かのボルトラインが確認できたが、いずれもグレード的にはかなり難度が高く、自分の現役時代でも登れない代物であった。
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西登山口への分岐点から頂上への登山道に移る。途中にはハシゴやクサリもあってスリルが楽しめた。頂上は樹木に覆われて展望は得られなかったが、このあたりの山域は元々不案内なので、展望が得られてもまわりの山名はわからなかっただろう。

 

下りは西登山口に向かったが、登りの時ほどの暑さはなく、思ったより早く林道に降り立つことができた。帰りは往路と同様の経路を辿ったが、歩いているよりも往復のアクセスの方が断然時間がかかったようだ。

 

7月29日

 

草津温泉周辺の目ぼしい観光地はだいたい訪れてしまったが、少し足を伸ばして野反湖に向かうことにする。野反湖は20年以上も前に上越国境尾根縦走の一環として白砂山から下山する際に近くを通ったことはあるが、その時は暗くて湖は見ることができなかった。

 

草津温泉から最短コースを辿れば25キロほどの距離なので、最初はレンタサイクルを利用しようかと思ったが、レンタサイクルにはスポーツタイプがなく、電動アシストタイプしかないので、野反湖手前の坂でバッテリーを使い果たしてしまい、帰りの草津温泉手前の坂ではバッテリーの切れた重い車体を引っ張り上げることになりかねないので断念した。代わりに長野原草津口駅までバスで降りると、そこから野反湖までのバスがあることがわかったので、妻と一緒に行ってみることにした。

 

乗り継ぎ1回と2時間弱の乗車で野反湖に到着するが、野反湖手前の登り坂は延々と続き、自転車で来なくて良かったと思った。足下には美しい湖と高山植物が広がり、長いバス旅の疲れを癒やしてくれた。
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バス停近くにはお店もあったので昼食をとり、3時間ほど後の最終バスで帰るつもりだったが、長時間待っても退屈するだけだし、連日午後になると豪雨となる傾向だったので、1本前のバスに乗って途中で下車して、日本一美しい村と宣伝している六合(クニ)村の山村風景を楽しみながら途中まで歩いて、最終バスで帰ることにした。

 

六合村最上部の花敷温泉で下車し、道の駅までの6キロほどを歩くつもりだったが、炎天下の車道歩きは下り一方とは言え妻には過酷だったようで途中のドライブインでダウン、おまけにドライブインも定休日だったので、ここで最終バスを2時間近く待つわけにもいかず。タクシーを草津温泉から呼んて帰る羽目となってしまった。

 

7月31日

 

最終日は当初の予定では、帰宅する妻と別れて、関東百名山とふれあいの道の未踏部分を行くつもりだったが、ここまでの行動で猛暑の低山は厳し過ぎると思い直して、もう少し涼しくなってから出直すことにした。ただこのまま帰ってしまうのはもったいないので、高崎駅からバスで行くことができる白衣観音を往復してくることにした。

 

白衣観音は高崎駅が近づくと目立つ風景で、前から気になっていたものだが、ふれあいの道のコース途上にあり、コース自体を忠実に歩くと結構な時間がかかるが、白衣観音が撮影ポイントとなっているので、インチキ臭くはあるが、短時間でコース踏破?ができるという絶好の行き先であった。
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高崎駅からは30分弱の乗車時間で観音前で下車、至近距離の観音
直下まで移動して証拠写真を撮り、すぐにバス停に戻って高崎駅行きのバスに乗り込む。この間、わずか10分足らずという駆け足スケジュールであった。

 

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2025年7月 5日 (土)

二股口古戦場巡り

7月4日

 

北海道ツアーの最終日は戊辰戦争の最終盤である函館戦争の際に旧幕府軍が拠点とした五稜郭を攻めるべく、日本海側から上陸した新政府軍の進軍を阻止すべく二俣口に陣を敷いた土方歳三軍が猛火を浴びせた所である。

 

13時過ぎに新函館北斗駅を自転車で出発して11キロ先の二股口古戦場跡を目指すが、新幹線の最終列車の予約は済ませてあるので、十分にそれには間に合う時間である。
 
江差に向かう道は峠越えの道なので基本的には登り坂だが、勾配が緩いので登り坂であることはほとんど気が付かないほどである。

 

人家が途切れたあたりから、熊ホーンを鳴らして警戒態勢に入る。車の往来はそこそこあるのだが、どうも最近の熊は車に対してはほとんど無警戒に近いようなので、人間側が注意するのに越したことはない。

 

古戦場跡は車道から少し山側に入った所にあるようだが、分岐点を見過ごして行き過ぎてしまったようだが、中央分離帯がある為、反対車線に移動することができない。幸い大した勾配ではないため、分離帯のなくなる所まで進んでみることにした。すると少し先に分離帯が途切れている所があったので、そこから反対車線に移り、少し進むと古戦場の案内板があり、そこから山の方へ道が伸びている。
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いかにも熊が出そうな所だったので、熊ホーンを鳴らしっぱなしで進んでみる。道はすぐに山道となるが、雨脚が強くなってきたせいもあって道はドロンコ状態となっていたので、前進を諦めて新函館北斗駅に戻る。

 

予定どおり早く戻れたので、帰りの新幹線を1本早めて帰ることにした。運良く最後尾の空席がある車両があったので、早速変更してホームに向かい、該当車両の後部座席の出口に1番乗りして荷物を置く。これで到着した電車ドアが開いたら1番乗りして、自転車を最後尾座席の後ろに置けるはずだった。ここで弁当を買っていないことを思い出し、長丁場の乗車には弁当は不可欠なので、上の階の売店に向かうが長蛇の列となっている。入線時間も迫ってきて焦ってしまうが、なんとか列車のドアが開くのと同時に荷物の所に戻り、三人座席の後ろに自転車を置くことができた。私の後ろに自転車を持った人が二人いて、1人は二人座席の後ろに自転車を立てて置き、もう1人はデッキに自転車を置いていたので、もう少し出遅れたら私もそうなっていただろうからラッキーだった。最後までヒヤヒヤだったが、これで長かった旅もなんとか終わりを迎えることができそうであった。

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2025年6月30日 (月)

天塩川ツーリング

 

200名山ツアーの合い間に天塩川を中流から河口までツーリングの予定であったが、諸般の事情から士別から幌延までは宗谷本線を輪行し、岩尾内キャンプ場から士別駅の間と幌延駅からの往復のみ自転車で走ることにした。まあ考えてみれば、来年に予定している天塩岳登山に際しての上流及び源流の遡行に関しても、岩尾内キャンプ場から天塩小屋までの間は車利用になるわけだから、交通機関が利用できる所は利用するというスタンスでも問題はないだろう。それに登山と自転車という違いはあるものの、連日の行動では体がもたないので、間に休養日を設けることは望ましいと考えられる。

 

6月28日

 

行程の変更により、初日の今日は愛別駅から岩尾内キャンプ場を経由して士別駅までの70キロ弱のツーリングのみとなり、士別から名寄までは輪行となったので、旭川駅から愛別までの列車も旭川駅発が9時ぎと遅いものになった。

今日は行動時間が比較的短いため、旭川駅を9時過ぎと遅いスタートとなった。愛別駅で下車して36キロ先の岩尾別湖を目指すが、途中にトンネルがあることは知っていたものの、トンネルに着くまでにどのくらい登らければならないかを調べてこなかったので、少し不安を感じながら進んだ。

 

まあ大した登りもなくトンネルに着き、トンネルを出ると下り一方となったので、このまま下りが続くのかと思いきや、岩尾内ダムの手前で緩やかながら登りが始まり、心の準備ができていないだけに心が折れそうになってしまった。

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ただダムを過ぎると平坦な道が続き、宗谷本線の士別駅までは快適なツーリングができた。宗谷本線まで達すると、なにかアクシデントがあっても輪行すれはいいだけなので気は楽になった.

 

士別駅に着いてみると、今晩の宿のある名寄までの列車までは1時間以上の待ち時間があったので、このまま自転車で行ってみようかとも思ったが、20キロ以上あるということで、大人しく輪行で向かうことにした。

 

6月29日

 

名寄から幌延までは特急なら1時間ちょっとで着いてしまうが、各駅で行くと半日がかりの旅となる。なにしろ反対方向からのすれ違い列車を待つために1時間近くも待ち合わせることもあるのだ。

 

列車は天塩川に沿って進んでいくが、線路と川が多少離れているため、車内からは天塩川は見えず、見えるのは森林と草原だけである。

 

幌延に近づく頃になってようやく天塩川が車窓から眺められたので、天塩川を旅するという目的は果たせたかな。

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6月30日

 

今回の目的のひとつである「天塩川を旅する」の最後の仕上げとして、幌延からオロロン街道に出て、天塩川の河口まで達して幌延に戻ってきた。約50キロの走行距離だったが、以前にも日本列島縦断の際に歩いたオロロン街道も通れて懐かしかった。
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幌延に戻って駅前でトナカイ丼を食べ終えて旭川行きの特急を待つ。トナカイの肉は北欧でも食べたことがあるが、珍しいだけで固くて特に美味いものではない。
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帰りは特急なので、行きよりも格段に早いのだが、車窓から時折かぃまみられる天塩川の流れを眺めていると、さすがに天塩川は日本
第四の長さを誇る大河だなとしみじみと感じられた。当初は、ここも片道は自転車で走行する予定だったが、これだけの長い距離を熊におびえながら走行するのは肉体的にも精神的にも辛いものがあり、往復とも列車にしておいて良かったとしみじみと思った。

 

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2025年6月 2日 (月)

関東ふれあいの道茨城県コースNO12~16番

6月1日

前回、茨城・千葉県境の利根川から土浦駅までふれあいの道を自転車でツーリングした際に立ち寄れなかったコースNO16の霞ヶ浦総合公園を目指して土浦駅を出発する。途中道を間違えたりしたが、30分以内で着くことができた。撮影ポイントは風車ということであったが、仮に前回、ここにたどり着いても、暗くて写真を撮ることはできなかったろう。

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次のNO15つくばエキスポランドまでもコース全体が舗装されていて自転車で快適に走ることができた。茨城県の各コースの中で全コースが舗装路となっているのは18番から15番までで、他のコースは未舗装路ないし山道が含まれているので、コースどおり忠実に歩くとかなりの日数を要することになってしまう。そのため、今回はこれ以降は撮影ポイントだけを繋いで走ることにより、1日で多くの撮影ポイントを回ることにした。

 

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次のコースNO14の撮影ポイントである小町の館へは最短経路で進む。観光スポットのようで結構賑わっている。小野小町の墓があるらしいので、小町の館という名前がついているらしいが、京都住まいのはずの小町の墓が東国の片田舎にあるというのはマユツバである。

 影ポイントである水車の前で写真を撮って次のコースに向かう。

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コースNO13はだいぶ東側の方なので、コースNO12の不動峠の方に先に行くことにする。峠の取り付きまでは山越えをしなければいけないかと思ったらトンネルかあったので助かった。2キロ近い長さがあるトンネルだが、柵で仕切られた歩道があったので、後ろから来る車を恐れることなく通過することができた。

不動峠までは舗装路が続いていたが、急坂では自転車を降り、傾斜が落ちるとまた自転車を漕ぐの繰り返しで峠に着く。峠には珍しく年配のチャリダーがいて、お互いの健闘を称え合う。土浦方面に下る彼を見送った後、撮影ポイントである石碑の前で写真を撮ってから来た道を戻る。

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コースNO13の起点である五輪堂バス停は石岡駅方面の途中にあり、そこから撮影ポイントである権現山の御野立所の碑までも登りながら舗装路が続いているので自転車で進むことができる。権現山の山頂直下で山道になるので自転車を置いて歩き出すが、すぐに標識があって右側は権現山、左側は御野立所となっているので左側を進むが、下り気味の道で地図で確認すると御野立所からは離れていくことがわかった。そこで標識まで戻って確認すると、左側に階段状に登って行く道があるので、そちらを登っていくことにした。この道はしばらくは右側の山頂へ向かう道と並行し、途中で別れて左上していくので、こちらに標識を立てれば迷わなくて済んだのにと思った。

左上するとすぐに東屋があり、その上部には石碑あったが、これは戦前の陸軍特別演習を昭和天皇が視察したことを記念して建てられたものだそうだ。

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撮影ポイントの御野立所の碑が上の写真かどうかが確信を持てなかったのでさきほどの東屋での写真も撮っておいた。

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五輪堂バス停まで戻り、石岡駅を目指すつもりだだったか、石岡から乗車すると、土浦でまた電車を乗り換えなければならなくなるので、まだ5時前で時間もあることだしと土浦駅を目指すことにした。緩い下りが続く道だったので1時間もかからずに土浦駅に着き、本日の予定は無事終了した。

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