自転車

2022年10月 5日 (水)

最上川下降と奥の細道

神室山下山後に真室川駅まで戻り、在来線と新幹線を乗り継いで米沢に移動し、そこから最上川の源流を目指す。実際の水源はもう少し奥にあるのだろうが、一般的には米沢から20キロほど北方にある火焔の滝が最上川の水源とされているので、そこを目指すことにした。最初は平坦な道だったが、次第に傾斜を増してくると今までの疲れも出て、喘ぎ々々前進する羽目となる。目的地まで数キロまでとなった時点で検討した結果、今のペースでは目的地までは1時間以上かかるのは必至で、その場合は今後の予定が苦しくなるため、残念ではあるが引き返すことにした。

 

米沢まで戻ってコインロッカーから荷物を回収し、ホテルを予約してある山形駅方面に向かう。夜道の国道を進むため安全第一で進んだのでペースが上がらず、20キロ手前から在来線で山形まで行くことにした。日程的にはまだ余裕があったので、この程度の遅れは充分回復できると思えた。

 

翌朝は昨日の到達点まで在来線で戻り、そこから最上川の下降を続けると書きたい所だが、昨日のゴール付近から最上川はJRを離れて山間部を進むので、しばらくは最上川を離れてJRに沿って進むことにした。次に最上川と合流するのは、三日前に鳴子温泉から峠を越えて最上川に達した大石田である。このあたりは最上川が激しく蛇行しているが、最上川の北端あたりまでは三日前に走破しているので、酒田までの最短距離を目指すことにした。ここから酒田までは70キロ以上あり既に3時を回っているが、今夜の宿は予約してないので酒田への到着時間が遅くなればネットカフェに泊まればいいやと考えた。

 

峠を越えて蛇行を終えた最上川に降り立ち、最上川沿いに酒田を目指した時は既に暗くなっていた。しばらくして陸前西線と合流してからは、いざとなったら終電で酒田まで行き、残りの部分は翌日回しとすることができるので気が楽になった。そしてさらに進んで酒田まで30キロ近くになった時に後輪がパンクしてしまった。予備のチューブは持っているが、狭い夜道で交換作業をするわけにはいかないので、二キロほど先にある駅まで自転車を引いていくことにした。

 

最初は駅で仮眠して翌朝にパンクを修理してから酒田に向かうつもりだったが、駅の周辺にはコンビニもないので予備食で一晩を過ごすのはわびしい気がしていたところ、三つ先の駅近くにはホテルやコンビニもあることがわかり、電話してみると泊まれるということだったので、自転車は駅に置いて最終の代行バス(JRは工事中で運休のため)でホテルのある駅に向かうことにした。

 

最終日は代行バスで昨日の駅に戻り、パンクを修理してから酒田に向かう。酒田には午前中に着き、最上川の河口まで行って奥の細道の完全踏破(平泉~酒田以外は以前に済んでいる)と最上川下降の完成を確認した。急いで帰ってもしかたないので、酒田市内を観光することにした。
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まずは港近くの日和山公園に上がり市内を見渡したが、公園には松尾芭蕉の句碑が立っており、奥の細道踏破のフィナーレを飾るに相応しいものであった。酒田の一番の観光名所としては本間家の屋敷があるが、ここは以前に行ったことがあるので、代わりに山居倉庫に足をのばしてみた。少し遠いので前回は行かなかったが、今回は自転車があるので問題はなかった。そこは庄内米の貯蔵庫として使われたものであるが、わざわざ出かけるほどの価値があるかどうかは疑わしい。
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観光が一段落したので、ランチを食べてから帰ることにして、海鮮丼を食べようとグーグルマックでお店を検索した。ところが、お店でメニューを見ると海鮮丼がない。まあ海鮮ならなんでもいいやと海鮮〇〇という料理をよく確認もせずに注文したら、なんと海鮮フライの盛り合わせで当てが外れてしまった。終わりよければすべてよしとならなかったのは残念だった。
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2022年10月 4日 (火)

神室山

一昨年に奥羽本線沿いの二百名山を和賀岳、焼石岳とピークハントしながら南下し、最後は神室山を登るつもりだったのだが、連日の深夜に及ぶ行動で疲れがたまっていたことと、最終日は雨模様だったため登山を断念したため持ちこしとなっていた神室山登山を奥の細道からは少し寄り道となるが今回実施することにした。

 

最寄り駅の真室川から神室ダムの先の登山口までは約20キロあるので、時間がかかることを覚悟していたが、ダムの手前以外はさほど傾斜はなかったので2時間ほどで着くことができて、行動に多少余裕ができた。登山口には10台程度の車が停まっていて、さすが200名山のことだけはあるなと思った。

 

登山口からは沢沿いの道を多少のアップダウンを交えながら2時間ほど歩くと、ここから尾根が急登が始まる。ここで昼食をして12時半に登りだすと、もう下りてくる人に出会う。短パン姿であったからトレランのトレーニングの人なのだろう。

 

登山口から稜線までは標高差700メートルの急な登りであるが、その後は誰にも逢わないなと思ったら、稜線間近で多くの下山者とすれ違う。その頃にはうっすらと色づいた山頂へと続く稜線も眺められてファイトがかき立てられる。
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稜線に出ても山頂までは30分以上かかるが、ここですれ違った最後の下山者から、頂上の小屋に泊まるのかと聞かれる。時間は3時を回っていたので、まともな登山者ならば頂上の小屋に泊まる時間であるが、まともでない自分は「今日中に下山します」と答えたものだからあきれらてたかもしれない。

 

頂上直下では反対側の斜面から登ってきた4、5人のパーティーを追い抜く。こちらは、まともな登山者?のようで頂上の小屋に泊まると言う。先に頂上に着いた私は彼らの到着を待って記念撮影をしてから下山する。頂上でのんびりしてもよいのだが、周りを見ても見知らぬ山ばかりだし、喧噪の頂上は苦手なので早々と下りてしまった。
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同じ道を下るので道に迷うこともなく、スムーズにおりられたが。沢に降り立った時は真っ暗になっていた。そこから行きと同じく2時間ほどで登山口に着いたが、当然のことながら車は1台も停まってなかった。今夜はホテルの予約をしてないので、ここにテントを張ってもよいのだが。自販機を利用したかったので、1時間ほど進んだ公園にテントを張ることにした。

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2022年10月 2日 (日)

鳴子温泉と奥の細道

妻と宮城県の鳴子温泉に連泊することになったので、その前後を利用して奥の細道の未踏部分である平泉~酒田を自転車で走破することにした。
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平泉付近の北上川

初日は一ノ関で始発の新幹線から在来線に乗り換えて平泉に向かう。平泉からは中尊寺は目と鼻の先であるが、何度も行ったことがあるので、パスして南下することにした。芭蕉が石巻から中尊寺までどうような行程を辿ったかは、はっきりしていない。ただ奥の細道の記述では、現在では最短路となる北上川沿いの道を忠実には辿らず(今とは流れが違っていたためかもしれない)、西側の登米という所に長期滞在したようだ。現在では登米市とされている所だが、そのどこに滞在したのかも判然としてない。また、中尊寺から酒田に向かう際も、鳴子温泉の手前の岩出山までの経路も判然としていない。

 

そこで今回は、以前に北上川を河口から水源を目指した際に、時間切れからショートカットしてしまった部分を通って、途中から北上川を離れて登米市を通って、岩出山に向かうことにした。北上川に沿う道は国道ほどの交通量はなく快適である。途中、気仙沼線と交差するが、北上川にかかる鉄橋を列車が通過すれば絶好の撮影ポイントとなるものの、ネットで調べてみると上り下りとも次の列車までは1時間くらい待たなければならないので、撮り鉄ではない自分は先を急ぐことにする。
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道はいつしか北上川を離れて登米市内に入り、遠くの方に東北本線を走る列車が見えてくる。まもなく当初予定していた初日のゴールである新田駅に着くが、まだ時間が早かったので先に進むことにする。ふたつ先の瀬峰駅に着いたのは4時前で岩出山までは20キロちょっとであり、十分に行ける時間であったが、途中でパンク事故があるとチューブ交換で時間を要してしまい、夕食に遅れる心配があったので、本日はここまでとし駅の駐輪場に自転車を置いて電車で鳴子温泉に向かった。

 

翌日は鳴子温泉発の8時台の電車は途中駅の接続が悪かったので、10時過ぎの電車に乗ったため、駐輪した瀬峰駅に着いたのは12時近くと遅くなったが、本日の行程は40キロ弱と短いため問題はないはずであった。実際走り出して見ると、途中、多少のアップダウンはあったものの概ね平坦で順調に行程は捗り、早い時間帯の夕食にも十分間に合うことを確信した。ただ余裕があったにもかかわらず、途中にいくつかあった芭蕉関連の記念碑等に立ち寄らなかったのは残念であった。

 

最終日は妻と別れて新庄に向かう。その前に標高差数百メートルある山刀伐峠を越えなければならないが、その登り口の手前に奥の細道にも出てくる尿前の関跡がある。 
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その先は緩やかな登り坂が続き、やがて本格的な昔の峠道が始まるのだが、自動車道はトンネルで山刀伐峠を通過しているのだ。
どちらを行くべきか迷い、最初は旧道を進んだが、途中で舗装が終わっていたら引き返さなければならないと考えると弱気になってトンネルを選んでしまった。楽ではあったが、少し残念な気もした。

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旧道の登り口

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新道のトンネルを降りた先の旧道との合流地点

トンネルを抜けて大石田まで下り、そこから新庄の手前まで最上川に沿って行く。といっても、最上川はこのあたりは激しく蛇行しているので忠実に川沿いに進むことは出来ず、蛇行している部分のほぼ真ん中あたりを出来るだけ真っすぐ進む。20キロほど進んで新庄の手前で最上川と別れて、本日の泊まり場の新庄に向かう。

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2022年9月 9日 (金)

九州後半戦

前半はほぼ予定どうりに進んだ今回の旅行も後半は台風の影響で予定が大幅に狂ってしまったが、コロナ前からの懸案だった沖縄~鹿児島フェリー乗船と熊本・宮崎県境の登山はできたので良しとしよう。宮崎を出て二百名山である尾鈴山の最寄り駅である都農駅に向かうが、当日の天気予報は午前中は雨、午後は曇りということだったので、わざと宮崎出発を昼頃まで遅らし、都農駅から登山口まではタクシーを利用してサクッと登ってくるつもりであった。ところが、都農駅に近づくに連れて雨が本降りとなってきたので、尾鈴山は断念して急遽ホテルの予約を入れて延岡まで足を延ばすことにした。その晩はホテルの前にある居酒屋で焼酎とおでんを賞味する。

翌日も台風は沖縄方面にあって九州は直接の影響はないが、登山のコンディションではないので延岡市内に滞在する。実は東京を出発する時からくたびれていた運動靴が末期的な状態となってしまったため、購入しょうと駅周辺を探したが、グーグルマップではあるはずの店がなかったり、あっても運動靴は売ってなかったりという具合で買えず仕舞いであった。その時、昨日の居酒屋でタクシーで千円もかからない所にイオンがあると聞いたことを思い出したので、タクシーで行って見る。そこは、各種の店が入っているショッピングモールでイオンで運動靴を買えた他、100円ショップで何点かを購入した。帰りは少し離れた所から駅行きのバスが出ていたので、それに乗っていく。

午後は駅の待合室に行ってみると 書棚には旅行関係の本ばかりがかなりの分量あった。全国各地の駅を訪れているが、こんな設備のある駅ははじめてだ。冷房も効いているので、暇つぶしにはもってこいだ。飛ばし読みした本の中にネパールでロックアウトに遭遇した時のことが書いてある本があり、そういえば去年の夏は十日間の強制隔離があったことを思い出したが、それに比べれば延岡でロックアウトされているのに近い今の状態はずっとマシだなと思えてきた。もっとも、台風接近で今日明日は食事付きの宿としたので、缶詰状態に近くはなるのだが翌日は終日籠城生活となることを覚悟していたのだが、九州最接近は今夜半から明日早朝とのことであり、今のところ雨も降ってないので、せっかくだからと午前中に高千穂峡に行ってくることにした。
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宮崎交通の一日乗車券を買うとお得とのことなので、始発となるバスセンターに行ってみると、なんと今日はお休みである。車内で買えばいいやと、しばらく待って高千穂峡行きのバスがやって来たので、運転手から一日乗車券を買おうとすると、車内では販売してないということでビックリ。ただ、コンビニでならば買えるとのことで、運転手さんも一緒にコンビニまで来てくれて販売機の前で格闘するが、なかなか難しそうで、お店の人まで来てくれてやっと買えた。発車間際にバス停に来たのではアウトになるところであった。

車内はがら空きで、さすがにこんな天気の日に高千穂峡まで行く人はいないんだろうと思ったら、高千穂峡の最も人気のあるスポwwットの真名井の滝のあたりは観光客でいっぱいで、滝の下にはボートが何そうも浮かんでた。みんな車で来るんだろうな。高千穂峡の次の人気スポットとしては高千穂神宮を初めとする天孫降臨にまつわる所だが、天皇制に関連するものは全て拒否している自分は、どこにも寄らずに延岡に戻った。
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午後は一日乗車券を利用して市内を一望できる城山に出かけた。戦国時代の猛将・立花宗茂の実父である高橋紹運と同族の高橋氏を経て城主は次々と代わり、最後は内藤氏の居城となったとのことである。城郭は残っていないが、野面積みの石垣は壮観である。もっとも、お城に興味のない人には観光の対象とはならないようで、誰も見学者はいなかった。見学後も時間はあったが、台風が近づいていることもあり、早めに宿に戻った。
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台風は深夜に九州に最接近したようで、朝には雨は止んでいた。今日は二百名山の大崩山の登山口の少し先にある小屋まで行くだけだから、駅近くで昼食後に出発するつもりであったが、天候も回復してきたことであるし、何があるかわからないので早めに出かけるに越したことはないと昼前に出発することにした。その代わり、小一時間ほど先にうどん屋があるとグーグルマップに出ていたので、電話で営業時間を確認してから出かけた。そろそろうどん屋に近いと思われるあたりに来たが、目指すうどん屋はいっこうに現れない。グーグルマップを拡大すると、道路から奥まった所にあるようなので、まわりを一周してみたが発見できなかった。たまたま近くに郵便局があったので聞いてみたが知らないという。郵便局でもわからないのであれば、しょうがないと諦めて少し先にある温泉でも食事ができそうだったので、もう一頑張りすることにした。キャンプ場手前までは緩やかな登りだったので漕いで行くことができたが、キャンプ場直前の登りでは自転車を降りて引いて行く羽目になる。さらに少し上の温泉まで引いて行くと、入り口には「支度中」の札がぶら下がっている。水木が休みで火曜の今日はやっているはずだとしばらく立っていると、中から人が出てきて「今日は休みにしました」とのこと、ガーンである。仕方ないので、持参したパンで腹を充たす。温泉前の広場に腰を下ろし、休憩がてら大崩山の景観を眺める。頂上より少し下には小積ダキという岩場があり、フリークライミングが登場する前は九州を代表するすけーるの大きい岩場として全国的にも知られていたが、フリークライミングの普及とともにすっかり名前を聞かなくなってしまった。温泉からさらに小一時間自転車を引いて登山口に着き、ここに自転車を置いて大崩山荘(無人小屋)を目指す。コースタイムは40分となっているが、自転車を漕いだり引いたりしてきた疲れのせいか1時間以上かかってしまった。ここまで来る途中で気になっていたのは、小屋から対岸の尾根の登り口までの沢の横断であった。地図から判断する限り橋はなく徒渉となる見込みだが、大雨により果たして可能かどうかということである。夕食前に水汲みを兼ねて沢まで降りてみる。沢は小屋の前で二手に分かれえいるが、水量の少ないと思われる手前の沢でもかなりの水量であり、ここからは見えない奥の沢は推して知るべしである。

翌朝は外が薄明るくなった頃に小屋を出て沢に向かう。手前の沢の水量は昨日よりも多少少なくなったようで希望が出てきた。ところが中洲に上がって奥の沢を見ると絶望的になった。激流でとても渡れる状態ではないのだ。どこか渡れそうなところはないかと目を凝らすと、少し下流に川幅が広くなって流れが多少は緩やかになっているところがあった。そこでズボンを膝まであげて水に入ってみたが、思った以上に深く優に腰まできそうである。流れもそこそこあり、この深さで徒渉するのは危険であると判断して退却することを決断した。登山口まで戻る途中で下から登ってくる登山者に出会う。沢の状態を話したが、とりあえず行くだけ行ってみるとのことだったので、気をつけるように言って別れる。

登山口まで戻って自転車を回収して後は延岡まで下るだけである。だいぶ下りたところで、このまま延岡まで下りても時間が余るばかりなので、寄り道して行縢(むかばき)山という山を登ることにした。1000メートルにも満たない低山ながら圧倒的な大岩壁を有していて全国的にも知られている(クライマーだけかな)山である。駐車場までは例によって自転車を引いて行き、そこから登山開始となる。登り出してしばらくすると、足にチクリと痛みを感じたのですぐに足を見ると、ちょうどヒルが足に食いついたところであった。すぐにふるい落としたので傷は浅かったが、久々のヒルの洗礼であった。別に毒があるわけではなく、しばらくは血が止まらなくなってしまうだけだが、夏の低山のジメジメしたところでは要注意である。危険のある山ではヒル避けの薬を持っていくのだが、飛行機搭乗時に没収されるかもと思って持参しなかったのが裏目となってしまった。
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少し高度を上げて吊橋をわたると上部に行縢の滝が眺められる。全国各地にある滝の名所には名前倒れの所も多いが、ここは、今まで見た滝のなかでは上位に入る見事な景観であった。さらに登ると雄岳と雌岳の分岐点に出るが、両方を登る時間の余裕はないので、最高点である雄岳を目指すことにする。遠くからは岩山のようにみえるが、実際は樹林帯ばかりを歩くと思ったら、頂上直下には少しだけ岩が出てきて、頂上は岩山のてっぺんであった。頂上からは延岡市内が一望でき、360度の展望といいたいところだが、背後の今回敗退した大崩山方面は樹木が繁っていて展望が望めなかったのは残念であった。下りは往路を戻ったが 、結局誰にも会うことはなかった。平日ということもあるのかもしれないが、アプローチも短く展望も素晴らしくお手軽に登れる山なのにどうしてだろう。
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延岡駅には6時前に着き、今回の旅の実質的最終日になるので、無事終了の祝杯をあげたいところであるが、今日の宿を予約してある佐伯までの列車が1時間以内に発車し、それを逃すと次の列車は随分と遅くなるので、とりあえずコンビニで酒とつまみを買って祝杯の練習を行い、佐伯に着いてから祝杯をあげることにした。明日は福岡空港までJRで移動して飛行機で帰るだけなので、後半戦のブログもこれで終わりとしたい。

 

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2022年8月31日 (水)

高千穂峰

午後の便で帰京する妻をホテルに残して、二百名山の高千穂峰の登山口である高千穂河原を目指して自転車で出発する。霧島神宮の鳥居付近までは下りのはずだからと西に向かう下り坂をなんの疑問もなく下り始めた。ところが下りがいつまでも続き、一向に鳥居が見えてこないし、行きの送迎バスの時の車窓の景色とも違うので地図で確認すると、なんと一本南の駅に直接つながる道路を下降中であった。あわててホテルまで登り返したが、40分ほど時間と体力を浪費してしまった。

仕切り直しでホテル前から再スタートとなる。反対側の東に向かう道は二手に分かれ左の道に入ると大きく迂回して進路を西に変えて鳥居に向かうというもので、全く紛らわしい道である。登山口に向かう道は鳥居の手前で右に曲がり、そこから登りが始まる。さほど急な登りではないが、荷物が重いこともあり、勾配がきつい所では自転車を下りて進み、1時間半程度で登山口に着いた。
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高千穂峰は登山口からは往復3時間半程度と比較的近いのだが勾配はかなりある。下から見ると二つのピークを尾根は繋いでいるように見えるが、実は外輪山なのである。外輪山に登って最高地点まで行けば終わりかと思ったら、その背後に本当のピークがあって数百メートル登らなければならないのである。
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頂上を往復して高千穂河原に戻り、そこから霧島神宮駅に下りたが、そこから先が忙しい。JRに乗って西都城で下車して自転車を駐輪場に預けてからバスを乗り継いで人吉駅に移動し、駅前のホテルに入る。予約は一泊しかしてなかったが、テントの支柱代わりに使うストックを自転車のフレームにつけたまま預けてしまったのでテントを張れないのため、連泊に変更してもらおうと思ったら、明日は満室だという。
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部屋に入ってからネットで検索すると、人吉近辺の宿は全て満室であった。夏休みも終わろうとしているこの時期に何故だと思ったがやむを得ない。そこで、明日は二百名山の市房山を登りにバスを1時間以上乗るので、その途中の宿を検索したら空いてる宿があり、一件落着となった。

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2022年8月29日 (月)

沖縄~鹿児島

コロナ前には年に数度は辺野古ゲート前の座込みに参加していたが、2年半前の宮古島マラソンに出場した帰りに立ち寄って以来の沖縄に9月11日投票の知事選の公示日に併せて訪れた。


まずは那覇市内のボランティアセンターに出かけてチラシの封筒入れ等の雑用を行う。ただ運動初日ということもあり、ボランティアの数はまばらでスタッフ(彼らもボランティアだろうが)の方が多いくらいだ。夕方には県庁前でデニー候補の那覇市での出発式の街宣があり、支持者を中心に数百人が集まった(デニーさん自身の第一声は当日朝に出身地のうるま市で行われ、辺野古を経て各地を南下しながら街宣して那覇市に戻ったようだ)。


前回は急逝された翁長前知事の弔い合戦ということもあってデニーさんが相手候補に圧勝したが、その時の主張である「観光立国の沖縄に基地は不要」というものが、コロナ禍での観光不振では通りにくくなっていることもあり、今回は激戦が予想されている。万一、ここで敗れれば、その影響は単に沖縄のみならず日本全体民主勢力への打撃となるだけに、何としても勝ってほしいものである。


翌日は久々のゲート前座込みをするために那覇を去って辺野古に向かう。辺野古でバスを下りてまずは海岸に向かう。ここには海上での工事阻止を行うカヌー隊の出撃基地であるテント村があるのだが、行ってみると無人でありあたりにも人の気配はない。次にゲート前近くのテント村に行ってみるが、以前は百人以上もいた参加者が数名しかいない。そこで常連さんらしい人に聞いてみると、最近はゲートからの搬入はめっきり減り、海上からの土砂搬入あ中心となってるとのことである。すっかり浦島太郎になってしまったが、座込みのない辺野古にいてもしょうがないので立ち去ることにする。


途中、幾度となく座込みをしたゲート前を通るが、警備員だけが意味もなく前と同様に整列していた。その後、辺野古の反対側の二見海岸に下りて大浦湾を眺める。数隻の浚渫船が浮かんで埋め立て工事を行っているようだが、海底90メートルという箇所に軟弱地盤があって地盤改良工事は技術的に困難と言われており、基地完成の目処は全く立っていない状態である。


結局、座込みは空振りとなったので早めに名護に着き、ホテルで妻と合流し、翌朝、鹿児島行きのフェリー乗船するため本部港に向かった途中で安和港という県外等から運ばれた土砂を辺野古沖に向かう船に積替える地点にも行ってみたが、土曜日で作業も行われないためか反対行動もみられなかった。


本部港から鹿児島港までは途中、奄美大島その他三箇所に立ち寄り、ほぼ丸一日かけて移動する。鹿児島では、南の指宿、北の霧島という温泉に泊まり、両者の間を自転車で移動して、大分から長崎までの南回りの走破が完成することとなった



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2022年8月17日 (水)

子持山

関東百名山にも選ばれている群馬県の子持山に登ってきた。とい
子持山というと一般的にはあまり知られていないようだが、フリークライミングの岩場のある山ということで以前から名前は知っていたものの、遠方ということもあって訪れたことはなかった。
最寄り駅の敷島駅から子持神社までは約五キロだが、バスは通ってないので徒歩か自転車かタクシーとなるが、タクシー会社は遠方にしかないので追加料金が必要となることから除外、歩けない距離ではないが日帰り登山の上に往復のJRが18切符利用で時間がかかるためアプローチの時間を短縮したいということから、今回も自転車  を利用することにした。

 

神社まではたいした登りはあるまいと思っていたが、案外急な登りが続き急坂では自転車を下りて歩いてしまう。地元のスピーカーからは「熱中症の危険が高いので高齢者は外出しないように」とのアナウンスがあり苦笑する。神社から登山口までの数キロの道も舗装されていたので、帰りが楽だろうと自転車を下りて引いて行く。車止めのある駐車場には数台の車が停まっているが、車止めの先も舗装はされていたので、登山口まで自転車を引いていく。

 

登山道に入ると直ぐに屏風岩に突き当たる。正面のハング帯にはフリークライミング以前に開拓されたルートがあり、古いハーケンやボルトが残されており、その左側の垂壁には数本のフリーのルートが開かれている。屏風岩と別れて沢沿いの七号登山道を登って行く。
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1時間ほどの登りで稜線に上がると、しし岩に上がる道としし岩の下を巻いて子持山へ続く尾根を行く道に分かれる。しし岩にもフリーのルートがあるらしいので行ってみたい気もしたが、帰りに時間があれば寄ることにした。子持山までは1時間ほどの登りであったが、途中からは振り返るとしし岩の偉容が見事であった。

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子持山の登山道は何本かあり、まだ3時なので駐車場に停めてあった車の登山者がいるかなと思ったが無人だった。帰りの電車の本数も限られているし、展望もえられなかったので早々に下山する。しし岩も十分に眺められたし、帰りの電車の時間もかぎられていたので、しし岩には寄らずに同じ道を登山口まで下る。駐車場にはすでに車はなかった。途中で出会わなかったのは、子持山で一番人気のある岩場は登山道からは外れた所にあるらしいので、そちらに向かったクライマーの車だったのかもしれない。

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ここから敷島駅までは自転車で一気に下りたいところであるが、ブレーキの調子が悪くなってしまったので、スピードを抑えてゆっくり下りる羽目になってしまったが、なんとか予定の電車にはまにあって帰ることができた。

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2022年8月14日 (日)

南アルプス300名山周回 最終日

予定を1日早めた最終日は伊那から下諏訪に移動して300名山の鉢伏山をサクッと登って帰宅するつもりだった。ただ鉢伏山は以前に登り損ねた山ではあった。その時は妻と美ヶ原温泉に泊まった際に、自転車で登山口まで行き鉢伏山に続く尾根の末端から登ろうとしたが、時間が足りなくなって登頂を諦めたものである。下諏訪側から登山口まで自転車でアプローチすればコースタイムは六時間程度となっていたので、時間的には問題ないと考えた。

 

下諏訪駅で荷物をコインロッカーにしまったり、自転車でのアプローチに手間取ったりして、登山開始が10時と予定よりも一時間遅れてしまった。登山口には崩壊のため通行止めの立札があったが、実際には明瞭な道が通じていた。どうも行政側は責任逃れからか、人気コース以外は通行止めとしてしまうことが多いようだ。

 

道自体はよいものの、緩やかな登りが長く続くので、のんびりと歩きすぎてしまったようである。途中から急登に変わるので、そこからはしっかりと登ったものの、二ツ山の山頂に着いたのは1時過ぎとなり、登山口から三時間を要してしまってコースタイムを一時間オーパーする不覚をとってしまった。ここから鉢伏山までは四キロ強という表示があったので、往復三時間とすると、最終に間に合わなくなるかもしれないと考えて焦りだしたが、もう少し先までは進んでみることにした。
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稜線から諏訪湖方面を望む
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二ツ山頂上
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鉢伏山はまだ遠い

すぐ先には二人の登山者がいたが、追い抜いてかなり離すことになった。このベースならば鉢伏山までいけるかなともおもったが、しばらく登っても、まだ鉢伏山かなり遠くに見えたので、ここで諦めて下山することにした。先ほどの登山者とすれ違った際に、鉢伏山に行くのかと聞いたら、鉢伏山に車を置いてあるというので驚いた。鉢伏山は車で登るのが一般的なので、登山口に通行止めの立て札があったのかもしれない。逆に私が下諏訪の方から登ってきたといったら、その登山者は驚いていた。

 

下りは順調に進み、最終まではだいぶ時間を残して下諏訪駅に着いたので、居酒屋で今回の周回登山が無事に終えたことを祝って1人で乾杯をした。今回は宿題をいくつか残してしまったが、次の機会にまたトライしてみよう。

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2022年8月11日 (木)

南アルプス300名山周回 七日目

今日は大桑村から分杭(ぶんき)峠を越えて仙丈岳の地蔵尾根コースの登山口である市野瀬に向かい、そこから地蔵尾根途中の松峰小屋まで達する予定であった。百名山の仙丈岳は別コースから2度登っているにもかかわらず今回地蔵尾根を登ろうとしたのには訳がある。それはトランスジャパンアルプスレース(TJAPRと略)という日本海から太平洋までの日本アルプスを八日以内に完走するという日本一過酷なレースがあり、市野瀬のチェックポイントから地蔵尾根を登って南アルプス主脈に達するというのがコースになっているので、地蔵尾根上で選手を応援し翌日に市野瀬に戻って最終の関門通過者を迎えるつもりであったからである。前日の奥茶臼岳でのフル行動の疲れが抜けず予定どおり行動できるか心配であったが、とりあえず出発することにした。

 

分杭峠は日本随一の断層帯である中央構造線が通過していて地球内部のエネルギーがほとぼり出るらしくパワースポットとして有名である。因みに中央構造線は西に延びて伊勢湾から紀伊半島を通り、四国を横切って九州に達しているが、そこでエネルギーを気として感じとることが出来た人が神秘的な場所であるとして伊勢神宮や高野山の創建に繋がったということである。
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峠自体は標高差600メートルほどであり、大桑村側からは徐々に傾斜がきつくなっていくため比較的登りやすい

はずであるが、昨日の疲れが大きいために少し傾斜がきつくなると自転車を下りて歩いてしまう羽目となり15キロを3時間近くかけてようやく登りきった。峠付近には、パワーを感じ取れるらしい施設もあったが立ち寄らずに伊那市側に下りたか急傾斜の連続で、こちら側から登らなくてよかったと思った。

 

傾斜が弱くなったあたりに食堂があったので昼食をとり、そこから少し先にはTJARの市野瀬のチェックポイントがあった。もう荷物を背負って松峯小屋まで登る元気は残ってなかったので、明日の最終関門通過者を見届けることはあきらめ、たまたま入ってきた30人中12位の選手にエールを送って先に進むことにした。 
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ここから伊那市街地までは20キロちょっとなのだが、少し立ち寄るところがあった。それはTJARではないが、日本海から太平洋までの日本アルプスを30年ほどかけて縦走した際に戸台口から戸台バス停(当時)の五キロほどが未踏となっていたため、この際に踏破しておこうと思ったのだが、三分の一はど進んだ所で通行止めとなっていたために引き返して、途中の日帰り温泉に入ってから伊那市街地に向かった。

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2022年8月10日 (水)

南アルプス300名山周回 六日目

今日は長丁場となるので4時に出発する。しばらく歩くと道が上下に分かれる。地図では分岐するようにはなっえないので、どちらを行くか迷ったが、地図の道は大きく迂回しているので、上の道を行けばショートカットできるのではないかと思って上の道を行くことにした。上の道は途中で消えてしまったので、斜面を適当に登ってたら、さきほどの分岐した道と思われる道に這い上がれたので、一応ショートカットできたのだと思うことにしよう。

 

林道はまもなく終わり、奥茶臼岳という立札はあったが、道は途端に不明瞭となりガレ場の横断が何ヵ所もでてくる。ネットの地図では林道の終点から稜線までは40分となむていたが、実際には二時間 以上もかかってしまった。

 

ネットの地図では稜線から奥茶臼岳までは一時間半となっていたが、これも二時間以上かかってしまって頂上に着く。頂上は思った通り誰もいなかった。メインコースのシラビソ平からの道は地蔵峠が通行止めとなっているので、浜松方面からしか来れないが、ちょっと遠すぎるのだろう。
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下りはちょっと間違った方向に降りてしまったが、すぐに修整して正しい道を降りることができた。問題は稜線鞍部から林道までのおり方であった。最初は順調に行くかなと思ったのだが、どこまで降りれば林道に辿り着けるのかが、皆目見当がつかないのである。そこで地図とGPSで検討すると、現在地からほぼ水平に移動していくと林道に突き当たることが判明して問題解決の糸口が掴めた気になった。

 

最初は不確かな踏み跡であったが、次第にはっきりした踏み跡となり、だだっ広い倒木帯に出て、その奥に林道はあった。これで帰れる目処はたったが、今まであえて考えないようにしていた何時に町に戻れるかということを考えてみた。林道を17キロ歩き、さらに自転車で13キロ進んで予約していた民宿にたどり着くことになる。もうキャンセルせざるをえないのだが、ずっと圏外で連絡がつかないのだ。どうにもならないことにヤキモキしても仕方ないので、目前の課題をひとつづつ片付けていくだけだ。

 

暗くなってしまった林道下部の崩壊箇所を慎重に渡ること、急傾斜の夜道を自転車で慎重に下ること、電波の通ずる所に出てからの民宿へのキャンセルの連絡、これらをひとつづつこなして行ってから、今夜のねぐらの確保である。町外れの通行のない道端の草地が今晩のねぐらである。

 

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