自転車

2020年3月30日 (月)

中国地方西部旅行 10日目 自転車トラブル

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ホテルを出て自転車の所へ行って唖然とした、昨日チューブを交換して問題なく機能していたと思っていたタイヤがまたスカスカになっているではないか!空腹だったので、応急的に空気を入れて牛丼屋に行って朝食終わってから、ゆっくりとチューブ交換にとりかかる。前回は急いでいたので少々乱暴に作業してチューブに傷をつけたのかもしれないと考え、今回は慎重に作業を行う。そのお陰か、午前中は空気漏れの心配もなく順調に行程を進める。ところが、昼食後しばらくしてタイヤの空気が急速になくなってしまったことに気付く。もう予備のチューブはないので、自転車走行を断念して五キロほど先の駅まで自転車を引いていくことにするが、もう一度グーグルマップて調べると、駅の手前に自転車があることがわかり、念のために見てもらうことにする。

 

自転車屋の主人は私がつけたチューブを取り出して、セット方法が良くないと説明して、いろいろと蘊蓄を傾けてくれる。チューブの交換が終わって太鼓判を押してくれたので、これで予定どおりの行動ができるかと思ったのだが、夕方になるとまたもや後輪のタイヤの空気が抜けてしまっていることに気付く。ガーンである。あいにく鉄道と離れた峠越えの道が終わったところで、鉄道と合流している戸田駅までは五キロ近くあるので、また自転車を引いていく羽目になる。

 

これで、明日予定していた山口県最高峰である寂地山登山は中止せざるをえないことを悟る。一応、登山口までのコミュニティバスは限られた本数はあるようだが、生活用のため登山用としては利用が難しく、自転車がないと登山のアクセスは難しいことがわかり断念することにした。「♪何が悪いのか?今もわからない」っていう歌があったが、まさにその気分で、憮然とした表情になる。「非常時」に遊びにいったのでバチが当たったのだろうか。

 

その晩は寂地山登山の出発地点となる岩国まで電車で行き、居酒屋で祝杯ならぬやけ酒?を飲む。入った居酒屋はがら空きで、感染者が4人しか発見されていない山口県でも自粛ムードは浸透しているようだ。

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2020年3月28日 (土)

中国地方西部旅行 九日目 秋吉台

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今日1日は休養も兼ねて秋吉台の観光に充てることにしたので、美祢線の始発駅である厚狭駅まで自転車で行き、秋吉台観光の間は駅前に駐輪しておくつもりで、それにあわせた時間にホテルを出発すべく後輪に空気を入れようとしたところ、完全に空気が抜けていた。やはりパンクしていたようで、チューブの交換をせざるを得なくなった。久しぶりのチューブ交換にとまどって一時間近くを要してしまい遅い出発となってしまった。当初駐輪予定の厚狭までは無理だが、手前のどこかで駐輪するつもりで出発する。下関を出て海沿いに行くぬ)と、しばらくは鉄道を離れるので、鉄道との合流地点まで早く着かなければと気があせる。関門橋や長州藩の砲台跡を過ぎて間もなくすると、山陽線の長府駅の入口が見えてくる。もうひとつ先の駅までも行けるかもしれなかったが、安全のためにここに駐輪して山陽線に乗り込むことにした。

 

厚狭で美祢線に乗り換えて美祢まで行き、前日乗車した分も併せて美祢線の全線乗車は果たせた。その後はバスで秋吉台に向かうが、他の降車した人につられて一つ手前で降りてしまい、30分ほど余計に歩かされてしまった。秋吉台については事前調査が不足していて、秋吉台のカルスト台地を見るためには、もう一回バスに乗り換えなければならないことも現地に来て初めてわかった。土曜日だというのに秋吉台は閑散としていた。感染症予防の自粛の影響もあるのだろうが、設備の老朽化具合から見て、以前から客足は落ちているようにも思えた。

 

秋吉台は天気が良ければ、雄大なカルスト地形を散策するのは楽しいだろうが、風雨の強い今日のような天気では長居をする気にはならず、早々に降りて秋芳洞の見学に移った。こちらの方は秋吉台に比べるとそこそこ観光客も見られた。鍾乳洞は国内のみならず、海外でも見ているが、そのどれと比べても秋芳洞のスケールは群を抜いているように思われた。ただあまりに大きくて最後の方は少し飽きてきて、早く外に出たいと思ったのも事実である。

 

観光を終えて、バス電車を乗り継いで長府に戻る。相変わらず、雨が降り続いていて気合いが入らない。明日は天気も良さそうなので頑張って距離を稼ぎ、今日は適当な所まででお茶を濁すことにする。今回、広島まで到達すれば山陽路も走破したことになるが、どう頑張っても無理とおもわれるので、やり残した宿題が増えるだけなのだが・・・
数時間走ってお茶を濁すつもりが、適当な泊まり場がなく、やっとホテルを見つけたのは10時近かった。

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2020年3月27日 (金)

中国地方西部旅行 八日目 山陰路終了

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暗いうちにホテルを出て駅に向かい、美祢線の始発電車で美祢駅に向かう。美祢駅で下車して近くのコンビニで買った朝食を食べてからまた長門市方面に戻る。美祢線の美祢以南は明日に秋吉台に行く時に乗車予定なので、乗車し損ねた美祢線もなんとかクリアできそうだ。長門市駅でほとんどの乗客は下車してしまうが、そのまま乗車次の仙崎まで向かう。仙崎線はわずか一駅の短い路線だが、この機会にこれも乗車しておいた。車内にはもう一人乗客がいたが、私同様にまた長門市行の電車に乗り込んだので、乗り鉄の人らしい。なお仙崎線の午前中は朝しか走ってないので、ホテルを暗いうちに出ないと乗れなかったのである。

長門市駅に戻っても、しばらくは待合室で待機する。と言うのは、山口県は午前中は豪雨で昼頃には小降りになる見込みだからである。今日の行程は下関までの80キロ弱と比較的短いので、無理して早立ちする必要もないのてある。その代わりに、早めに昼食も済ませてしまい、天気が持ち直したら一気に下関まで行ってしまう予定である。

雨脚が多少弱まった頃を見計らって、駅前の駐輪場から自転車を取り出して出発する。雨も小降りになってきたのでなんとか予定どおり下関まで行けそうだ。数日前から後輪のタイヤがパンクしているわけではないのだが、へたり気味だったのがだんだん激しくなってきたので、下関までもつか心配になってくる。下関まで20キロくらいになると走行に影響がでるほどヘタってきたので、空気入れを出して空気を入れようかとも思ったが、雨の中で作業するのも億劫なので、なんとかホテルまでダマシダマシでたどり着くことができた。

山陰路が無事に終わったことを祝って、フグづくしの料理を楽しんだ。最低限の目標は達成したので、このまま帰京してもいいという気分にもなったが、週末の不要不急の外出自粛要請が出ている東京に新幹線に自転車を乗せて帰るのも気がひけるので、予定どおり行動して平日に帰京した方がいいかな?

3.11の時も北海道の徒歩縦断をしていて、津波や原発の被害について気を揉んだが、今回はそれほどではないにしても、気がかりであることには変わりはない。

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2020年3月26日 (木)

中国地方西部旅行 七日目 山口県に到達

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今日は走行距離が90キロ以内と短いので、連日使用していたライトは使わずに済むことを信じることにした。今日は時間的に制約がないので、幹線道路を通らず海沿いの道を進む。途中で海沿いが通過できずにやむを得ず山間部を行く。山を降りて海岸線に降りた所に駅があったので、お昼ときでもあり食事をしようと思ったら、駅の回りにはお店どころか人家もない「秘境駅」であった。グーグルマップで検索したところ、10キロ以上進まないと食事にはありつけないようなので、数日前のつまみの残りで空腹をまぎらわす。

 

遅い昼食をとってしばらく進むと萩に着く。こちらも人気の観光地のはずなのだが、観光客の姿はほとんど見られず、萩博物館も感染症予防のため休館となっていた。城下町の家並や高杉晋作や木戸孝允の生家を見て、今日のツーリングの目的地である長門市に向かう。長門市自体には真っ暗にならないうちには着いたのだが、今日の泊まり場は美祢線の二つ先の長門湯本である。というのは、数日前に美祢線に乗り損ねたので、温泉もあることだしと、今夜は温泉に泊まることにしたのだ。ところが、湯本行きの最終まで二時間以上待ち時間があったので、駅前の居酒屋で時間を潰した。

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中国地方西部旅行 六日目 恐羅漢山

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今日は海岸を離れて島根・広島の県境にある両県の最高峰である恐羅漢山を登った。今回の旅行は日本列島海岸線走破とJR全線乗車の他に都道府県最高峰登頂もあり、山口県最高峰の寂地山も後半に登る予定である。 恐羅漢山の島根県側の登山口である亀井谷出合までは益田市からは36キロもあるが、公共の交通機関の便がないためマイカーかタクシー利用しかアクセスできないとされているが、今回無謀?にも自転車でのアクセスを試みた。朝8時に益田市の宿を出るが、途中に雪舟の石庭があるお寺があるというので、立ち寄ってみる。水墨画で有名な雪舟は益田で生まれたということで、あちこちに記念館等がある。朝見たお寺は石庭というには、ちょっぴり寂しいものであった。 登山口までは最初は緩い登りが続いていたが、次第に傾斜が強くなってきたお昼頃には前進するのが辛くなったきたが、いわゆる「しゃりバテ」だったようで、自販機の所でパンと飲み物を摂ったら元気がでてきた。そこから200メートルほどの高さを登ったトンネルから先は下りで、ほどなく登山口の亀井谷出合に着く。亀井谷に沿って、しばらくは舗装路がつづいていたので自転車を奥まで進め、砂利道になったところに自転車を置いて歩きだした。二時間半の歩きで登頂したが、結局誰にも会うことはなかった。東京近辺の有名な山ならば、平日でも登山者は必ずいるんだけど 下りは暗くなる前に自転車まで戻れたが、行きに苦労した登りを下り始めたあたりで暗くなってしまい、怖いのでスピードを出さずに降りたものだから、宿に着いたのは九時過ぎで連続13時間の行動となってしまった。連日の移動と伴に行うのは少しハードだったので、後半の寂地山を登る際は自転車以外のアクセスを検討してみよう。

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2020年3月24日 (火)

中国地方西部旅行 五日目 楽勝のはずが大慌て

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上の写真は浜田と益田の中間点の駅、下の写真は津和野駅前


今日は益田までの42キロを走破した後は、山陰線の幡生までと美祢線全線の未乗車区間を乗車するだけの楽な1日になるはずであったが、世の中は何が起こるかわからない「一寸先は闇」?であることを実感した。

途中までは順調に行き、中間点あたりの駅にはほぼ予定どおりの時間に着き、益田到着は乗車予定の一時間以上前になるだろうことを確信した。ところが、しばらく進むと、国道は山間部を突っ切って行くのに対して、鉄道は海側を迂回するようになっていた。その時は、時間も十分あることだし、海岸線を行った方か景色もよいだろうし、アップダウンも少ないだろうと考えて軽い気持ちで悪魔の囁きに乗ってしまった。

ところが、一歩海岸の方に足を踏み入れると道は迷路のようになりアップダウンの連続である。おまけにグーグルマップは高低差がわからないので、近道だと思ったら凄まじい登りで引き返さざるをえないといった有り様で、まるで蟻地獄のようである。なんとか抜け出して必死に頑張って、乗車時間の30分ほど前に駅近くに着いたのだが、駅舎の出入口が見つからない。グーグルマップを拡大して見たら、地下道を潜って反対側に行けば出入口があることがわかり、なんとか出入口まではたどり着けた。

改札口の上の時刻表を見ると、長門市行きの山陰線はかなり前に調べてあった時刻よりも17分も早く、後数分で発車予定ではないか。この時、今月のダイヤ改正の影響だとピーンときたが後の祭りである。次の発車は一時間以上後だし、未乗車区間を回って今晩中に帰って来る電車は、もうないのである。駅前に自転車を駐輪して飛び乗れば間に合うのだが、田舎の駅と違い、駅前に駐輪場は見当たらない。かといって自転車を解体して輪行袋に入れるのは時間的にとても無理だ。万事休すと思っていたら、山口線の臨時電車が20分後に発車するではないか。これなら間に合うと思って、自転車を解体し輪行袋に詰め込んで電車に乗り込んだ。山口線自体は以前に乗車したことがあるのだが、今回また乗車することについてはふたつのことを思い付いた。ひとつは終点の山口駅からバスで秋吉台に行き、今回の旅行の後半に予定していた観光を先にやってしまうことである。ただ、バス時刻を調べてみると、現地の滞在時間が一時間くらいしかとれないし、鍾乳洞も閉園時間ということで却下。もうひとつは新山口から山陽線で幡生まで行き、山陰線に乗り換えて益田駅まで戻ることである。美祢線は未乗車のまま残ってしまうが、山陰路を長門市までツーリングした夜に長門市から美祢を往復し、その後にぐるっと回って山陽道に入った時に厚狭から美祢経由で秋吉台に行けば(当初は新山口からの予定であった)、美祢線も全線乗車になるということで、かろうじて一件落着となる道筋が見えてきてほっとした。

山口線は途中の津和野で30分くらい停車したので下車してみる(前回乗車時は素通り)。一時は女性週刊誌の旅特集の定番だったが、最近はブームが去ってしまったのだろうか。駅前には観光客もほとんど見かけなかった。昔の町並みを見るには時間がなかったので、駅前で雰囲気だけを味わうに止めて、益田駅で食べ損なった昼食をと思ったか、結局ゲットできたのは、みやげ物屋で買ったビールとつまみだけであった。

その後は山口駅でも乗り換えのついでに駅前にでてみた。戦国時代の大内氏の城下町で西の京と呼ばれ、幕末には毛利氏の居城が防衛上の理由で海岸の萩から内陸のこの地に移転されたのであるが、駅前に立ったくらいでは歴史の重みを感じることは当然ながら無理である。

下関の手前の幡生で山陰線に乗り換えて日本海に沈む夕日を眺めた後は暗闇で展望のない長い旅が益田まで続いたが、ブログを書いたり、ホテルの予約を入れたりしていたので退屈することはなかった。だいぶドタバタはしたが、とにかく山陰線の全線乗車は果たすことができたのでホッとした。

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2020年3月23日 (月)

中国地方西部旅行 四日目 出雲大社から山陰路を西へ

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午前中は出雲大社参拝にあててのんびりする。天皇家にゆかりの深い神社(伊勢神宮や明治神宮等)には行かないことにしているが、出雲大社は出雲の国譲りというオブラードに包まれているものの、天皇家との決戦(があったと勝手に信じているが)にまつわるもので、天皇家を祭るものではないので、自分の拒絶リストには入っていないのだ。
神無月に日本中の神様が集まって出会いが生まれるために、出雲大社は縁結びの神様として知られているが、自分には関係ないものの、縁遠い息子のために良縁を祈ってきた。お賽銭が少なかったので、果たしてご利益があるかどうか

 

お昼前に出雲大社を出発して、100キロ近く離れた浜田まで移動したのて、浜田到着は夜になってしまった。21キロ手前の江津には夕方に着いたので楽勝かと思いきや、浜田との間にはアップダウンが多くて思わぬ苦労をしてしまった。

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中国地方西部旅行 三日目 宍道湖一周

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今日は鳥取県から島根県にかけての海岸線のツーリングである。まずは昨夜駅前に駐輪した自転車を回収する。回収後は米子方面と別れて境港方面に向かう。途中に井上靖記念館という建物があったので、門の中に入って案内をみたら、自宅の家具のレプリカが飾ってあるとのことで、そんなものを見てもしょうがないので、すごすごと引き返す。境港の手前に以前仕事で毎月訪問していた会社があるので、懐かしくなって寄り道をしてみた。あいにく日曜日で門が閉まっていたが、顔見知りに逢うことがなくて良かったかもしれない。

境水道を跨ぐ大橋を渡ると島根半島(って言うのかな)の先端付近に達するが、今日はコース取りが悩ましい。と言うのは、島根半島は日本海に面している外海と宍道湖と内海を擁している内海があり、どちらを行くべきかということが問題となる。オーソドックスに考えれば、外海を行くべきということになるのだろうが、外海とは線で接している部分はわずかで、多数の点に行こうとすると多大の時間を要してしまうことが問題である。さらには半島の中央部にそこそこの山脈があるため、それを越えて外海に出るにはかなりの労力が必要となってくる。ただ一ヶ所だけトンネルでくり貫かれている道があるため、そこを通ろうかと思ってグーグルマップで調べてみたら、歩行者モードではトンネルは人は通れないことになっている。自転車モードはないが、同じことだろうと考え、外海に出るのは諦めて内海の宍道湖を一周(約70キロ)することにした。

松江に着いてまずはレストランで腹ごしらえ。旅に出て初めてまともな食事にありつく。松江のランドマークと言えば松江城だが、初代城主の堀なんたらという人物には興味はなかったし、見学していると時間がかかりそうなのでカット、代わりに小泉八雲記念館を見学する。小泉作品としてはみみなし芳一くらいしか知らないが、アメリカ人だと思っていたのに、ギリシャ生まれでアイルランド育ちだということがわかったのが収穫か?

その後松江をスタートして北側から回り始める。北半分を歩いたところで少し寄り道をする。出雲王国の存在を決定づける多数の銅剣発掘で脚光を浴びた荒神谷遺跡である。遺跡に辿りまで結構時間がかかったこともあり、後半の宍道湖南半分を終えた時は暗くなってしまった。もちろん、出雲市から遺跡までもちゃんとトレースはしておいた。

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2020年3月21日 (土)

中国地方西部旅行 二日目 鉄道縦断

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ホテルの朝食が6時半からだったので、ゆっくり食事をしていたら出発は7時をだいぶ回っていた。今日の行程をこなすには広島発11時5分の三次行きに乗らなければならないので、あまりゆっくりとはしていられないのだが。ただすぐに広島方面を目指すのではなく、一度南下して東広島駅に向かう。というのは前回は東広島駅まで来ているので、そこまで行かないと繋がらないからである。最初は東広島駅の入口で引き返すつもりだったのだが、前回はどういう経路で駅まで行ったか覚えていなかったので、たいした距離ではないからと駅前まで足を伸ばしてみることにした。

 

思わぬ寄り道で広島駅までの行程がきつくなってしまったが、山陽線に沿って走っている限りは、時間が足りなくなれば最寄り駅から乗車して広島駅に向かい、走り残した部分は最終日に岩国から広島に向かう際に(予定どおりに行程を消化していればの話しだが)少し足を伸ばせばいいだかである。結局、広島駅の二つ手前の海田市駅で電車に乗って、予定どおりの三次行きの乗車することになった。

 

広島駅からの芸備線は2年前の真備町ボランティアの帰りに乗るつもりだったのだが、水害で長らく不通となり昨秋ようやく復旧したものである。三次から先の新見までの芸備線はすでに乗車しているが、備後落合までは芸備線を経由して、未乗車である宍道までの木次線を乗車して山陽から山陰までの中国地方縦断をやろうというものである。なお出発間近に芸備線で脱線事故が起きて一部不通との情報が入って心配したが、不通区間は備後落合よりも先とのことで一安心した。

 

三次で乗り換えて備後落合に向かう。芸備線は備後落合から先は不通のため代行バスが出ているようだが、木次線は通常どおり運行されているので乗り換える。備後落合駅は3年前に三江線の廃線直前に乗車した後に翌朝の新見方面の始発電車に乗るためにほとんど眠れないままに一夜を過ごした懐かしい所である。そういえば三江線の廃線の次にターゲットとされているのが木次線だそうで、そのせいか鉄っちゃんが大勢来ていて元JR職員らしいボランティアの人がホーム上で木次線の由来等を説明していた。

 

木次線は最近では珍しいディーゼルかーである。喘ぎながら高度を上げて行き、標高720メートルを最高点として日本海に向かって高度を下げ、急勾配の箇所はスイッチバックで降りていく
。途中の駅にはカメラを構えている人はいるが乗降客は皆無である。乗客もマスクをしている人はほとんどいなくなるが、鉄っちゃんはどこから来た人かわからないので警戒は緩めず、他人との距離は一定の間隔を保つように気を付ける。

 

木次線の総延長82キロを三時間近くかけて山陰線の宍道駅までのんびりと辿って行く。途中見るべきものも多数あり、退屈せずに鉄旅を楽しむことがでした。宍道からは宍道湖に沿って夕日を眺めながら旅情を誘う旅を松江まで続け、そこから先は中湖沿いに米子まで進むのだが、松江到着で終わりとはならない。数年前に鳥取から米子を目指した際に、米子まで達することはできずにやり残した部分を今回終えておかなければならないからである。米子で乗り換えた山陰線を大山の麓で降りて米子に向かってライトをつけて自転車で進む。ただ米子までだと遠いし、海岸線からは遠くなってしまうので、半島の付根あたりの駅に自転車を停め、米子市内に戻って明日またツーリングの続きを行うことにした。午前中は広島までのやり残しをやらされたし、変な1日だった。

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2020年2月 9日 (日)

牛島(ウド)

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今回のチェジュ島滞在は4日間で、間の2日間のうち1日をハルラ山登山に充てていたが、出発直前になって今月からハルラ山登山には、事前に許可を取得する必要があることが判明し、あわてて申請をするも9日の日曜日は予約でいっぱい、かろうじて翌日の予約をとることはできたが、そんなわけで今日はフリーとなってしまった。今回の同行者はハルラ山に一緒に登る夫婦にその家族三人を加えた5人で、彼らはチェジュ島は初めてなので、世界遺産を含めた観光地に行きたいだろうが、私は前回に主な観光地は見ているので、前回行ってない離島の牛島に渡って島一周をした後、本島に戻って路線バスでチェジュ島一周を行うこととして、彼らとは別行動を取ることとした。

 

コンビニでバスのカードを取得してから牛島方面のバスに乗り込み、市外バスターミナルでバスターミナルで乗り換える。バスに関しては全てハングル表記のみで外国人に優しくないのは前回同様だが、バスの中でwifiが使えるようになったので、グーグルマップを利用することにより、乗り換え等は多少はやりやすくなった。

 

乗車した201路線のバスは海岸線沿いに東に向かって走っていくので、方向は間違ってないようだ。あとは途中で牛島行のフェリーが出る城山港方面に寄り道してくれるかどうかであるが、期待した通りに城山港方面に左折してくれたので城山港まで行くのかと思いきや手前で右折してしまったので、慌てて下車して港までは15分ほど歩いていく。

 

日曜日ということもあってフェリーは結構込んでいた。15分ほど牛島(ウド)着き、早速自転車を借りて島内一周サイクリングに出発する。走り出してしばらくすると、若い女の子たちにあっさり追い抜かれる。あれーと思って見たら、彼女らの自転車は電動自転車だった。その後に出会った自転車も全て電動で、電動でない自転車を濃いでいるのは私だけみたいであった。ただ、一周道路は海岸線を忠実に走っていてアップダウンがほとんどなく、人力車でも特に支障はなかった。

 

牛島は全島はリゾート地のようで観光施設ひしめいている。なかでも北端灯台のある所が人気が高いようであったが、私もそこで一休みして(レストランで食事ではなく)持参したビスケットをかじる。その後もフラットな快適な道が続いていたが、フェリーの船着き場まで後三キロばかりまできたところで岩壁を擁した山に海岸線は塞がれて、初めて登りの道になったっため、自転車を降りて歩いて行く羽目になる。だが、それもわずかで間もなく下りになりフェリー乗り場に到着した。一周15キロのところを休み休みしながら走って1時間半だったからまずまずのペースである。

 

本島に戻ってチェジュ島一周の路線バスの旅を続けることになるが、南部のチェジュ島第二の街である西帰浦市行のバスには何番のバスに乗ればいいのかがわからなかった。フェリーを下船した人のほとんどは駐車場に向かっており、そこから先を歩いているのは私だけだった。こうなったら、さきほど乗った201番のバスに乗っていくしかないと考えて下車したバス停まで戻って201番のバスに乗り込んだ。行く先知らずのバスであったが、一時間ちょっと乗ると、目的の西帰浦バスターミナルまで行くことができた。番号の三桁目が1番だったので、多分幹線路線で西帰浦まで行くのではないかという読みはあったのだが

 

西帰浦バスターミナルからチェジュ市行のバスは101番と102番の二本出ており、いずれのバスとも201番乗車中はすれ違わなかったので西回りのバスだと断定し、101番のバスの方が乗車時間が長かったので海岸線を行くバスに違いないと判断して乗り込むことにした。ところが、発車して西側に向かうと思いきや東側に向かっているではないか!そのうち、左折して西側に向かうだろうという予測は見事に外れて一路東側へと向かっている。しかも2:01番よりもさらに海岸寄りの道を通っているので、さほどはすれ違わなかったわけである。結局は牛島へのフェリー乗り場入口を経由するかしないかの違いだけで、あとはほとんど同じ路線を通っていることがわかった。

 

西帰浦バスターミナルから西回りでチェジュ市に戻るためには直通はないので乗り継ぎが必要になるということなのだろうが、路線番号の情報を事前に得てないとハングルを読めない人は西回りのバスに乗るのは難しいということなのだろう。結局ホテルに戻ったのは8時半で半日目一杯の行動となり、一日中まともな食事は取れなかった。

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