旅行

2023年9月21日 (木)

クルージング

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関門海峡

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 釜山港に入港したダイアモンドプリンセス

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軍艦島遠望

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軍艦島上陸

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 東シナ海の夕日


ダイヤモンドプリンセスの6日間のクルーズに妻と二人で参加してきた。 釜山と長崎に半日上陸し、釜山は駅周辺を歩いただけで観光らしきことはしなかったが、長崎では世界遺産の軍艦島のツアーに参加した。ツアー後の長崎名物の食事(チャンポンと皿うどん)をした店が超満員で長時間待たされ、出港ちょっと前になんとか船に戻ることができた。 本格的なクルージングは小笠原以来であるが、どうも自分の趣味に合っているとは言い難いので、また参加することがあるかどうかは?である。

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2023年7月26日 (水)

毛勝山

富山県にある日本二百名山の毛勝山(2407メートル)に登ってきた。元々は山仲間と残雪期に毛勝三山を縦走する計画を立てたのだが、コロナで三年連続で中止となり、今年のGWにやっと登山実行にたどり着けたが、体力の衰えから毛勝山だけを日帰りで往復する計画に変更して臨んだものの、時間切れで手前で引き返すこととなってしまったので、今回はビバーク覚悟と言うことで単独でリベンジすることにした。前回は夜中の2時に出発しても時間切れとなってしまったので、今回は夜中の零時にスタートさほ。登山口の1時間ほど手前までは自転車を利用し、そこから舗装路とダートが入り混じった道を歩いて夕方には登山口に着く。

 

零時出発ということで1時間ほどしか眠れなかったが、零時には登山口を出発する。前回と違い一人歩きの夜道はとても長く感じられた。夜が明けると、見覚えのある場所が現れて多少は気が紛れる。前回の到達点には朝の8時半に着いたが、二千メートルラインをようやく越えるかというあたりで。休んでいると下から登ってきた登山者に追い抜かれる。何時に出発したのかは知らないがかなり健脚のようであった(単に私が遅いだけかも)。少々のアップダウンを繰り返すと、いよいよ山頂への標高差400メートルの急登が始まる。

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ビバーク覚悟で来たためビバーク装備や食料などでそこそこ荷物が重かったので、必要最小限の物だけを持って残りの物は置いて行くことにした。その時、下から単独の人が登って来るのて、先に行ってもらうことにした。その時、さきほど私を抜いた単独の人がもう降りてきた。やはりかなりの健脚家のようであった。空身同然となったので、二番目に抜いていった人を抜き返せるかと思ったが、差は開くばかりであった。

 

頂上まではかなり遠く、正午きっかりにやく登頂できたが、二番目に抜いていった人は丁度下山するところであった。剣方面は雲に隠れて見えなかったが、毛勝三山の残りの二山も眺められて、コロナがなかったらあそこまで行けたのだろうかなどと考えてしまった。

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帰りはウンザリするほど長く、最後で遠回りしてしまったこともあり、登山口に戻ったのはなんと9時を回ってしまい、往復21時間(休憩時間を含む)のロングコースとなってしまった。

 

前夜は夕食も摂らずにバタンキュワとなってしまったが、朝になっても全く食欲がない。昨日の行動中の水不足の反動で下山してから水をがぶ飲みしたために胃の具合が悪くなったためらしい。朝食も摂らずにそのまま降りて麓の温泉で一風呂浴びたらようやく元気を回復して、ビールで乾杯することができた。

 

帰りは上田で途中下車して別所線に乗って別所温泉まで往復してきた。これで中部地方の私鉄は地下鉄も含めて全て乗車したことになる(関東地方は既に完乗済)。別所温泉から上田まではほぼ下る一方なので、帰りは自転車で帰っても良かったのだが、この猛暑では下りといえども外にいるだけでツライので、自転車は上田駅の新幹線ホームにケースごと置いたままにしてきた。

 

帰宅してから風呂に入ったら、午前中の日帰り温泉の時は気づかなかったのだが、ダニに喰われているのを発見する。翌朝皮膚科に行って大事には至らなかったが、毛勝山は大変だっただけでなく、とんだお土産付きとなってしまった。

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北海道以外の二百名山(北海道は熊が怖いので敬遠)は残すところニ座のみとなったが、二百名山の中の日帰り登山の対象としては最長の時間を要する山であった。富山県にはもう一つ難関の二百名山が残っている。二百名山で唯一登山道のない山である笈ヶ岳(オイズルガタケ)である。登れる時期は藪が雪で覆われる残雪期のみで(厳冬期は豪雪と猛吹雪で超困難)、今年のGWに毛勝山の前にトライしてみたのだが、全く雪がなく超困難な藪山となっていたために登山を断念したが、次回は3月か4月にトライしてみたいものである。

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2023年6月26日 (月)

チェンマイ、アユタヤ観光

キナバル登頂とマレー半島鉄道縦断を予定通り終え、後は付録のようなものであるが、チェンマイとアユタヤの観光をしてバンコクに戻るという周遊で今回の旅を締めることとなった。

バンコクには二つこ空港があるが、チェンマイ行きはサブ的なドンムアン空港からの出発である。市内中心からはスワンナプーム空港よりも若干遠いので、前夜に空港近くに宿を取り余裕で出発することができた。今回はラウンジが無料で使えるプライオリティーカードは成田空港で使っただけて、インチョンとコタキナバルの両空港では諸事情により使えなかったので、今日は思う存分使おうという賎しい根性で朝食もとらずにホテルを早朝に出る。

チェックインを済ませると、制限区域外にあるラウンジのミラクルスペースに向かう。ネットに載っていたとおりに進むとそのラウンジがあったので、搭乗券とプライオリティーカードを見せると、カードは使えず1時間500バーツ(二千円強)と言われる。またしても失敗かとガッカリしながら進むと、同名のラウンジがあって今度はカードが使えた。紛らわしいことである。

まずは小手調べということで小腹を満たす程度にしておいて搭乗ゲートの近くのラウンジで本格的に朝食をとる。普段は朝はビールを飲まないのであるが、今日は二缶も飲んでしまった。腹も脹れてこれなら昼食はいらないかなと思うほどである。けっしてケチっているわけでなく、観光時間を有効に確保したいからなので誤解のないように

飛行機は予定どおり飛び立ち1時間ほどでチェンマイ空港に降り立った。ここから市内へはバスが出ているようなのでそれを利用することにした。今回の旅行でバスに乗るのは初めてである。ところが、グーグルマップで表示されているバス停はタクシー乗場の先にあるのだが、実際には乗場はみつからない。リムジンバスは廃止された可能性が大きいが、今さらタクシー乗場に戻るのは、さきほどタクシー運転手の勧誘攻勢をかいくぐってきた身としては格好が悪い。市街地までの距離は先日のコタキナバル空港の時の半分にも満たないのだから歩いてしまうことにした。

ここでひとつ問題が生じた。GPSに対応したオフライン地図のうちmaps-meについてはタイ北部のダウンロードを忘れてきたことと、グーグルマップについてはダウンロードこそしてあったが、オフラインの場合は自動車モードしかないことである。すなわち歩行者モードが使えないので、遠回りのコースを選択してしまう可能性があるということである。

ただそんなに長く歩くわけではなく、1時間も歩けば寺院群に着いてしまうので、実際問題としては特に影響はなかったといえる。タイの寺院は昔も見ているので目新しさはないが、あの金ぴかはどうも好きになれない。もっとも奈良の大仏も装建当時は金ぴかだったのが今は禿げてしまったと言われているが、タイの寺院は禿げないのだろうか。まさか純金というわけではないだろうに
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旧市街の有名な寺院を三箇所見た後に新市街の市場に向かう。市場に近づくと雨が降り出したが、土砂降りになる直前にはからくも市場に逃げ込むことができた。市場は屋根付きなので、どんなに激しい雨でも平ちゃらだ。雨宿りを兼ねて端から端まで見て回った。食料品と衣類が中心だが一部玩具もあったので孫に買っていけるものはないかと探したが、なかなかこれというものは見つからなかった。

雨が止んでから歩きだすと、しばらくしてチェンマイ駅近くまでやってこれた。結局、乗り物は一切使わずに西端の空港から東端の国鉄駅まで歩いてしまったことになる。夜行列車の発車まではだいぶ時間があったので、駅前の飲食店でてんぷらとサラダのセットにビールを注文した。サラダはスパイスが効いていて美味かったが、天ぷらはカリカリし過ぎて具の味が全くせず、半分以上を残してしまった。夜中に空腹になると困るので、コンビニでパンと飲み物を買っておいた。

飛行機だと1時間のバンコクとチェンマイも列車だと半日がかりとなる。もっとも今回はバンコク手前のアユタヤまでなので下車は早朝となる。今回は二等寝台にランクダウンしたので個室ではなく開放型(カーテンはあるが)だが、こちらの方が気楽である。座席番号で寝台の上下が決められているらしく、前回同様に上段となってしまった。寝相が良い(?)ので落ちる心配ないし、上段への上り下りもお手の物であるが、私の年配ならは上段の利用には困難を感じる人もいるだろうに、下段にさっさっと入ってしまった若者は上下の交替を申し出る配慮がなかったのが残念だった。

翌朝 アユタヤには20分遅れで到着。タイ国鉄にしてはまずまずか。遺跡群があるのは駅から4、5キロ離れた辺りだが、その時はまだ暑くなかったので、行きは何カ所かをはしごしながら歩き、帰りはツクツクに乗ればいいやと考えた。だが歩くに連れて暑くなり、コンビニに立ち寄って飲み物を補給しながらの前進となる。

有名なアユタヤ朝時代の遺跡を二カ所見て回ったが、昨日の金ぴかの寺院よりも見応えがあった。
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午前中で観光を終えアユタヤ駅に戻ることにする。歩き出してしばらくするとツクツクが待ち構えていたので、それに乗る。駅までの料金は約700円との言い値で、本来ならば値下げ交渉を行うべきだが、面倒になったのでそのまま乗ってしまう。そのためバーツの手持ち残が寂しくなったが、駅に着いてから小額外貨の両替をすればいいやと考えていた。
ところが駅についてみると、チェンマイでは至る所にあった両替屋がアユタヤには一軒もない。ホームにATMがあるというのでカードで手続きしてみるが、このカードは使えませんとの表示が出てピンチとなる。手持ちの現地通貨は300円程度しかないので、これで果たしてバンコクまで戻れるのか心配になっだが、エアコンなしの三等車は100円程度だったのでホッとした。おかげでバンコク近郊の田園地帯を各駅停車でのんびりと旅することもできた。今回は個室の一等寝台から二等寝台を経て三等車両まで経験することができた。

この路線はチェンマイに行くときに空港のあるドンムアンまで乗った線に繋がるもので、テレビて放映されることがある線路ぎりぎりまでお店の商品が並べられる名物路線とは残念ながら違うようである。ドンムアンに行く時は各駅停車だったのだが、今回はドンムアンを過ぎるとノンストップとなった。しかもドンムアンに行く時はバンコク駅(実際は別の駅名なのだが)の新装された構内から発車したのに、今回は構内から少し離れた路面電車のようなホームに到着したのだ。駅名がバンコクとは違っていることも含めて、初めてだったらバンコクに到着したとは知らず降り損ねてしまうところだが、前に来てバンコクの駅の外観は記憶にあったので、なんとか下車することできた。

バンコクまでは辿り着いたが、所持金200円程度では空港まで辿り着けないので両替する必要がある。地下鉄の切符売り場付近に各社のATMが何台もあるが、どのATMでも現金引き出しができない。日本語表示されるATMでは「このカードは支払停止になっている」とのメッセージが表示される。数日前のイポーでは支払に使えたのに、何と言うことか。同じ機械で何度も失敗するとカードが吸い込まれて出て来なくなるということを読んだことがあるので、違う機械で試しても同じである。

駅のインフォメーションでどこかに両替できるところはないかと聞くと、二つ先の駅で両替できると教えてもらい、5ドル札と併せて二千円程度をバーツと交換できたのでメデタク空港まで行くこどができるようになった。最後の最後にえらい苦労をさせられてしまった。教訓として「両替はできる時にしておけ」、元の教訓は「酒は買える時に買っておけ」だったが(アメリカ自転車横断中に作ったもの)

空港には早めに着いたものの、チェックインまでは3時間以上待たれることになり、ラウンジはそれまでお預け。最後までなかなか楽をさせてくれないようだ。

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2023年6月25日 (日)

鉄道によるマレー半島縦断

昨日、キナバルで一緒だった人からマレーシアやタイで使える格段に料金か安くなるタクシーアプリを教わったので、インストールしようとしたがうまくいかず、ホテルでタクシーを呼んでもらうと割高になるので、どうしたものかと思っていたところ4時前に目が覚めてしまったので、これならば歩いて行っても出発3時間前には空港に着けると判断してホテルを出発する。

空港の近くまで来たところで、反対側に渡らないといけないことに気付くが、横断歩道はなく交通量が激しいのでとても道路を渡ることはできない。そこでGPS対応地図を大縮尺にして歩行者モードで国際空港と表示されている地点までを検索すると、少し戻った所にある立体交差を通っていくように指示されている。この立体交差はさきほども気付いていたのだが、自動車専用だと思っていたので、通り過ぎてしまったのだった。しかし、歩行者モードで経路として表示されているのだから問題はないのだろうと、向こう側に移動することができた。

次に空港の建物への入口を探さなければならないのだが、gps対応地図のうちオフライン用のグーグルマップには歩行者モードがなくmaps-meにはあったため、こちらをホテル出発から使用してきたが、空港建物の位置が判然としないため適当な所で右折したところ迷路にはまってしまい、放し飼いの犬には吠えられるわで散々な目にあった挙げ句、さきほど通った場所に戻ってきてしまった。

グーグルマップに切り替えると、空港建物への経路が明瞭となったので無事空港建物に入れたが、この時点で出発1時間半前となっていて、eチケットの注意書きにあった3時間前には着いているようにとの指示からは大きく遅れることとなった。さらにエアアジアのチェックインカウンターに着くと長蛇の列であった。自分の順番が回ってきた時には出発1時間前を切っており、タイムアウトとなることも覚悟し、便数も多いし値段も安いので次の便でもいいやと思ったが、ラッキーなことにチェックインすることができた。

次は遅めの朝食をとることだが、プライオリティーパスが使えるラウンジがあるとの情報がネットにあったので、あまり時間はないが、大急ぎで簡単な食事くらいはできるだらうとラウンジを探す。ネットの情報ではマレーシア航空のラウンジの近くにあると書いてあるが、マレーシア航空のラウンジは見つかったが、目的のラウンジは見つからないので諦めて軽食コーナーに入る。喉がカラカラだった のでビールを飲みたいところであるが、イスラム教のお国柄かビールは置いてないようなので、コーラを注文するとそれもなくホットコーヒーしかないと言われる。頭に来て売店で缶コーヒーとナッツを買って待合室の椅子で空腹をほんの少しだけ癒す。

出発時間が迫っているのにゲート前は静まり返っている。不思議に思って係の人に聞くと40分の遅れとのこと。だったら、あんなに慌てなくてもよかったのだ。やがて飛行機が到着して、三日間過ごし二度と来ることはないだろうと 思われるコタキナバルを後にすることになる。キナバルに登れたので、もう何も思い残すことはない。、

2時間ちょっとのフライトでクアラルンプール空港に着陸する。空港は市内からだいぶ離れており、 市内までのアクセスはバス、タクシー、鉄道のいずれかになるが、今回は鉄道が中心の旅行となるため、ノンストップのエクスプレスで行く。二千円弱の料金を払ったら手持ちのマレーシア通貨は400円程度となってしまった。いまさら両替しても使い切れなくなるので、今夜の夕食はカードの使える所にしか行けなくなる。

空港からのエクスプレスの終点で下車して、日本で予約した国境方面のeチケットを自動改札にタッチしたらブザーがなってしまう。一瞬慌てたが、係の人が来てくれてハンディの端末で処理してくれた。私の予約したのはクアラルンプール駅からだったが、セントラル駅はちょっと手前にある駅だったためにエラーとなったようだが、料金は変わらないようであった。電車に乗り込むとコーヒーとお菓子のサービスがあった。現地通貨をほとんど使い果たしていたので、現金でしか払えなかったら困るなと思ったが、サービスであった。フリーwifiも使えるし接続用の端子も備えていてビジネス用のフライト並であった。
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この電車は有名な観光地であるペナン島への連絡港であるベターワース行きで、コロナ前のバンコクまでの直通列車があった頃はベターワース発バンコク行きが出ていたことがネットには多数出ていたので、ベターワースまでの切符を予約したのだが、直通列車が廃止されてからはベターワースからは国境行きの列車もなくなったことを後になってから知った。そのためキャンセルして切符を取り直そうかとも思ったが、キャンセル料15パーセントはともかくとして手続きは出発駅まで出向く必要があることがわかったので、キャンセルはせずに途中下車して、クアラルンプール発の夜行電車に乗り換えることとした。

どこで乗り換えることにするかを考えたが、ベターワース行きと国境行きの分岐点近くで乗り換えた方が無駄となる区間が少なくて経済的であるが、国境が近すぎてほとんど寝る時間がなくなるので、もう少し手前のイポーで乗り換えることにすれば、イポーはマレーシア第三の都市であり、食事場所に困ることもないだろうと考えたからである。

イポーに着いたのは6時半頃ですっかり暗くなっていた。駅前は旧市街で官庁や企業事務所が多く商店は少ないので、コタキナバルの中心街の方が賑やかだったなと思ったりしたが、川を渡った新市街の方に行くと商店がたくさん現れて賑やかになってくる。昨夜はホテルに戻ったのが遅くてキナバルの登頂祝いができなかったので、イポーの名産とされているチキンとモヤシ料理て祝おうと考えた。ただひとつ問題があったのは、マレーシア通貨をほとんど使ってしまったのでカードが使える店しか利用できないことであった。

新市街の中心まで来るとたくさんの飲食店が軒を連ね地元の人で賑わっていたが、前述の制約条件があるためどの店にでも入れるというわけではない。夜市が開かれている通りに面した中国料理店の入口にVISAが使える旨の表示があったので、そこで食事をすることにした。名産のチキンとモヤシを使っていそうな料理を注文し、味もまずまずだったが、マレー料理だったら、もっと名産らしい料理をたべられたのかもしれないが、制約条件があるのでやむを得ない。

帰りに夜市も覗いてみたが、店の数の多さの割に はお客さんは少なかった。この程度の人出で毎日やっているとしたら採算がとれるのか心配になってきた。駅に戻ってから夜行電車か到着するのには3時間ほどあったので、時間待ちの間は退屈な上に睡魔にも襲われてなかなか大変だった。

深夜に到着した国境の街ペダンバザール行きの電車はクアラルンプールから乗車してきた電車と同様に指定のリクライニングシート付きの一人席なので快適である。飲み物とお菓子付きなのは同様であるが、さらに弁当まで付いてきたのには驚いた。これで朝食の心配もなくなったことになる。

早朝に10分遅れでペダンバザールに電車が到着したときはまだ真っ暗であった。改札を出ると人だかりがしてたので、なにかと思って除くとタイで利用できるSIMカードの販売所であった。外に出てみると、案の定、何もない町であった。イミグレーションの扉はまだ閉まっており、何時に開くかは わからないが、数時間は待つ覚悟が必要である。こんなことならイポーで途中下車せずにペダンバザールまで行き、早朝の電車でここに来た方がよかったかなとも思えてきた。

30分ほど過ぎると人の動きがあり、半数くらいの人が外に出て行ったが、ツアーかなにかの人のようでタイへ出国する人ではないようだ(もしかしたら団体用の出国窓口があるのかもしれないが)。車内でもらった弁当を食べていると第二陣の動きがあって車に分散して消えてしまい、待合室に残っているのはわずかとなってしまった。あれほど大勢の人がSIMカードを買ってたわけだから、やはり団体用の出国窓口が別にある可能性が高いように思えてきた。自分の理解できない事態が進んでいるのは愉快ではないが、人数か減ってイミグレの待ち時間が減ったと前向きに考えるしかない。

そうこうするうちに電車が到着して、また待合室が混みはじめた。国境なんたらと書いてあってイミグレの事務所かと思っていたのはワッフルの売場とわかってがっかり。マレーシア鉄道の切符売り場は開いていて隣のタイ国鉄の売場は閉まっているので、何時に開くのかと聞いたら9時(タイ時間では8時)に開くという。ついでにイミグレの場所を聞くと下の階だと言われたので、降りようとしたら階段の扉が閉まっている(鍵はかかってないが)。ちょうど下から警官が上がってきたので、イミグレが開く時間を聞くと10時(タイ時間では9時か)ということで2時間以上待たなければならないことになる。それに近いことは最初から覚悟していたし、バンコク行きの夜行寝台は夕方発なので全然焦らないが、マレーシアの人はタイと行き来するにはイミグレを通らなくてもよいようだ。

9時近くなってタイ国鉄の切符売り場に行列ができはじめた。ようやく同類の人が現れたようで少し安心した。その後も続々と人が増え、9時の切符売出時には長蛇の列となっていた。無事切符も入手し、出入国カードを書き終えてイミグレオープンを待つだけとなったところでひとつの疑問が生じてきた。以下はタイ時間で記すが(タイの方が1時間遅れ)、列車は8時55分発なのにイミグレが9時始まりでは多少出発時間を遅らしても、これだけの人を乗せられるはずがないということである。

イミグレに通ずる階段前は人であふれかえっているのに、9時をだいぶ過ぎてもオープンしない。一日に二本しか動かないのに乗客を置き去りにして列車が発車してしまうはずはないと思ったが、9時15分にオープンすると拍手が湧き起こる。皆もじりじりしていたのだろう。乗客全員の手続きを待っていたようなので、一時間半遅れの出発である。まあダイヤはあってないようなものなのだろう。なお今回は虫眼鏡を持参して大正解であった。出入国カードに印刷されている小さな文字は裸眼では読むのに苦労したに違いないからである。

列車はマレーシアで乗ったものと比べるとかなり質は落ちる。列車に限らず多くのものがマレーシアがヨーロッパ的なのに対してタイはアジア的である(といっても程度の差に過ぎないが)。どちらかどっちというわけではないが、反対コースで行った方が体力的精神的には楽だったかもしれない。列車は昼過ぎに終点のハジャイに着く。夕方の夜行寝台までこの街で過ごさなければならないが、暑さの中で外歩きはしたくないので、まずは昼食がてらにケンタッキーで涼むことにした。次は駅前の喫茶店で引き続き涼むが、街を探訪しようという意欲が全く湧いてこない。

ネットの情報では小高い丘の上にある金ぴかの仏像をイチ押しの観光地に上げてたが、時間的には可能なものの、今ひとつ魅力に欠ける上、連日のハードワークで疲労が溜まっているだろうし、今回の旅行の最大の山場である国境越えを無事成し遂げた直後なので、十分休養して鋭気を養った方が旅行の後半戦に向けて得策であると判断して、夜行寝台の出発まで駅前の喫茶店に留まることとした。

出発時刻の1時間ほど前に喫茶店を出てホームに向かう。その際に売店で飲食物を買っていったが、ビールを含めたアルコール類が全然売っていないのである。イスラム教の 国であるマレーシアでさへコンビニではビールを売っていたのに、仏教の国であるタイでアルコールを売らないのはどういうわけだろう。おかげで意図せざる休肝日を過ごすことになってしまいそうだ。

今回は出入国手続きが無事に終わったことの慰労とお祝いを兼ねて個室の一等寝台でバンコクまで行くことにした。一等寝台に乗るのは妻と行ったシベリア鉄道以来だろうか(一等寝台に乗っている人がLCCを利用するとは誰も思わないだろう)。ところが、個室であることをすっかり忘れてしまい、車体に書かれている2の文字を2等車ではなく、2号車と誤認して乗り込んでしまい、車掌さんに間違いを指摘されることになってしまった。どうも慣れないことをするとろくなことがないようだ。
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6時前に定刻通り列車は出発し、マレー半島縦断後半戦が始まる。弁当の注文に来てくれて届けてくれる。私の乗っている二号車から食堂車までは遠いので、届けてくれるのはありがたい。夕日に染まっていく空や町明かりを眺めながらの食事は格別である。これに酒があれば最高なのだが、贅沢を言ったらきりがないか。食事が終わったら音楽を聴きながらブログを書いたりするのが通例だが、今夜は半世紀前にマレー半島を私とは逆方向から縦断した沢木さんの「深夜特急」を再読してみる(たまたまこの巻はタブレットにダウンロードしてあった、)。
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深夜特急を読みながら眠りに落ち込んでいると、係員に起こされてしまい、2段ベッドの上段への移動を迫られる。個室の独り占めができると踏んでいたのだが、同室者が乗り込んできたようである。知らない者との同室となると個室車両よりも開放車両の方がよいように思える。まあ、今夜は寝るだけなので、翌朝ちょっとの時間我慢するだけだ。

 

翌朝目覚めると同室者はまだ睡眠中のようだ。個室で窮屈な思いをするよりも、多少遠くても食堂車で食事した方がよいように思えたので移動する。朝食用のメニューがあったので、サンドイッチのセットを注文する。車窓を流れる景色を眺めながらの食事は旅情を誘ってくれる。左側には帯状に広がった岩壁が見えてくる。10年以上前に行ったプラナンの岩場を思わせるが、今走っているのは半島の東側であるのに対してプラナンの岩場は西側にあるはずだ。同じような岩場は外にもあるということなのか
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部屋に戻ったのは9時過ぎなので、もうベッドはしまってあると思ったら、同室者は眠っていてベッドはそのままだ。係員がベッドをしまいにきた時に、同室者は寝ていたのでそのままにされたのだろう。それならそれで構わない。

バンコクには定刻よりも2時間ほど遅れて到着する。マレーシアの鉄道はほぼ定刻通り到着していたが、インドでもこの程度の遅れは普通だったから、アジアの王道を歩んでいると行ってよいだろう。バンコクに着いて最初にすべきことはwifi環境のある所へ行ってバンコクに無事到着したことを妻に報告することであるが、駅構内はwifi環境はなかったし、周辺にも襲われたwifiが使えそうな店はなかったので、日本に帰る時に利用する空港への乗り継ぎ駅近くで不要な荷物をコインロッカーに入れるつもりなので、その近くで探すことにした。
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地下鉄の乗り継ぎ予定駅で下車し、スタバの前まで来るとwifiの表示が見えたので、店の前で接続しようとしたら店の人が出てきて、手伝ってくれる上に店の中まで招き入れて水まで出してくれる。悪いのでコーヒーとパンを注文したが、しっかりつながって我が家の様子がわかった外、近くのコインロッカーの位置や今夜のホテルまでの経路もスクリーンショットで保存しておいたのて、効率的に動けるはずであった。

まずはスクリーンショットした地図を頼りにコインロッカーを探しに行く。ところが近くとおぼしき所へ行っても全く見当がつかないのである。だが、よく考えてみると当面の不要品としてコインロッカーに入れようとしたのは五キロ程度に過ぎないので、それを背負っても別に負担にもならないし、ロッカーの一日使用料か500円とこちらの物価水準からすると割高で三日分となると結構な額になるのでコインロッカーは利用しないことにした。

 

次に市内観光をどうするかであるが。王宮は西の方で遠すぎるし、30年ほど前の事務所の旅行で大体は行ってるはずなので(どこに行ったかはよくはわからないが)、近くの夜市に行くこととし、それが始まるまでは隣のショッピングモールを覗いてみることにした。さすがにコタキナバルよりも格段にスケールは大きかった。

 

適当な時間になったので夜市に移動する。こちらもマレーシアのイポーのものとはスケールが違っていた。
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一通り見てからお店に入ってビールと食事を愉しむ。ほろ酔い気分になったので、ホテルに向かうことにした。そこでスクリーンショットしておいた経路図に従ってホテルに向かうことにした。最短コースは地下鉄を降りてから別の路線に乗換えるようになっているのだが、別の路線の駅がわからないのである。結局、遠回りの経路の国鉄利用でホテルに辿り着けたのだが、ホテルに着いてから調べると、別の路線は鉄道ではなくてエアポート バスであった。

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2023年6月19日 (月)

コタキナバル

当初予定していた時間よりもだいぶ早く成田空港に着いたので、どう時間を潰そうかと思ったが杞憂であった。というのは、今回キナバル登山に際して向かったコナキタバルには直行便ではなく韓国インチョン空港乗り換えであるところ、航空会社を確認したつもりが二番目のものしか確認しておらず、最初の便も当然同じものと思い込み第三ターミナルに向かったのだが、最初の便は第一ターミナルだったので戻る時間が必要となったからである。ただLCC専用の第三ターミナルにはラウンジがなく、ラウンジを利用するために取得したプライオリティーパスが成田空港では使えないと思っていたのだが、最初の便はLCCでありながら第一ターミナルなので、ビジネスラウンジが利用できてラッキーであった。
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ただいいことばかりは続かない。インチョン空港には1時半には着いたのだが、次の便とは航空会社が違うため成田では搭乗券はもらえずインチョンでチェックインする必要があったところ、4時半までチェックができなかったため搭乗券無しではラウンジに入れなかったのである。ようやくチェックインができて搭乗券を持ってラウンジに向かったところ、3時クローズの看板が・・・。やむを得ず売店で軽食を買う羽目に。国際線では初めてLCCに乗るということで、良きにつけ悪しきにつけたいへんな一日だった。

搭乗して1時間半ほど経ったところでビールとつまみを注文しようと思った。LCCでは水以外は有料なのでメニューの値段を見ると、ウォン、ドル、円の三種類で標記してあり両方で千円だったので、千円札を出すと使えないという。ドルはないかと言われるが、100ドルを出してウォンでおつりをもらっても困るので、マレーシアに向かうのだからマレーシアの通貨ではダメかと聞くとダメだと言われる。それならクレジットカードで払おうとしたら、今度はハンディリーダーで読み取れないと言われる(空港の売店では使えたのに)。全く踏んだり蹴ったりでいい加減に頭にきたので、チェジュ航空では絶対に物は買わないぞと心に誓う。

飲まず食わずでコナキタバルの空港まで頑張り、売店でサンドイッチを食べてから空港のタクシー受付所で行き先を行ってクーポンを買う。この方法だと運転手にぼられる心配もないので、よその空港でも真似してほしいものである。空港からホテルまでは地図で見ると近そうにみえたので、帰りは朝だし歩いてもいいかなと思ったが、とても歩ける距離ではなかった。近そうに見えたのは滑走路の先端からの距離であってターミナルからだとそれなりの距離はあった。ホテルは中心街からは遠いが、一泊三千円にしてはまずまずのホテルであった。
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翌日は休養日であったが、ホテルの近くで食事してから中心街まで歩いて行ってみることにした。思った以上に遠い外、強い太陽に長時間照らされて少々グロッキー気味になったので、中心街に着いてからは涼みがてらにショッピングモールに入り、スターバツクスで長時間の休憩をとり、同じ階のレストランでランチを食べて充分な休養を取ってから意を決して外に出た。幾分は気温が下がったのか体が慣れてきたのか、午前中ほどは暑さが気にならなくなっていた。

中心街を更に東に進み、ネットに出ていたイチ押しの観光地サピ島への渡航地であるジェッセルトン・ポイントに向かう。ところが、桟橋の待合室に行ってみても誰も待っていない。嫌な予感がして近くの店の人に聞いてみると、クローズで明日だという。ネットの情報では島の施設の入園は5時までとなっていたので、島までは15分かかるらしいから3時に桟橋に着けば充分間に合うと思っていたのが大誤算であった。まあ暇つぶしに行こうと思っただけだから、行けなくてもどうということはないのだと気持ちを切り替える。
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ホテルに戻るには歩くには少し遠いので、途中でタクシーを捕まえようと歩き出したが、すぐ手前にもショッピングモールがあったので寄ってみる。午前中にショッピングモールに寄った時もストックがないかとスポーツ店を探したのだが見つからず諦めていたのだが、帰りのお店では一発で見つかった。今回、後半の旅行でじゃまになるからとストックは持っていかないことにしたのだが、やはりストックはあった方が楽なので、安物があれば使用後は処分してもいいかなと思っていたのである。サピ島に行っていれば帰りは遅くなるのですぐにタクシーに乗ってしまい、このショッピングモールに寄ることはなかっただろうから、万事塞翁が馬である。

 

しばらく歩くと空港行きのバス停があり、そう待たずに次のバスが来るようなので乗っていくことにした。途中で下車すれば、ここからよりははるかに短い歩きで済むだろうし、バス代は200円程度でタクシー代は千円ちょっとだろうからだいぶ安いし、タクシーを捜したり値段交渉する煩わしさもないのが好都合であった。ところが16時15分のバスはいつまで待っても現れず、次の17時のバスも15分待っても現れないので痺れを切らして歩きだした。ホテルまで4キロだから途中で食事をすれば気にならない距離になると考えたのである。

 

中間点あたりで夕食をとり、あとちょっとだと思って歩き始める。とかろが大きな団地に差し掛かったあたりで、またもや問題が起きる。団地は自動車道路と接しているのだが、鉄条網でしきられていて行き来ができないようになっている。ホテルは団地の裏側にあるので、どこかに入口はあるのだろうとそのまま進んでみたが、いつまでたっても鉄条網に囲まれたままである。そこでGPS対応の地図を取り出してホテルまでの最短経路を調べてみると、このまま進んでもホテルには到達せず、一度戻って大きく南側に迂回しなければならないことがわかった。しょうがないので、その通りにしたが、あの団地は一体なんだったのだろうか。裏通りに面した方に一箇所だけ人と車の出入口があったが、門番が居て厳重にチェックしているようであった。

 

なんか今日は良いことと悪いことが交互にある一日だったが、今回の旅行の中では唯一付録のような一日だったので、退屈しなかったことがなによりなのかもしれない。

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2023年4月19日 (水)

九州旅行最終日

九州旅行の最終日は福岡空港への移動がメインであるが、途中であちこち寄り道をしていくつもりである(大部分は乗り鉄の旅であるか)。

 

宇佐駅から日豊本線で北上するが、福岡空港方面に向かう鹿児島本線には小倉では乗り換えずに日豊本線の終点である門司港駅まで乗車する。というのは、関門トンネルには歩行者専用のトンネルかあるので、一度そこを通ってみたからである。

 

門司港駅で下車してバス乗り場に向かうとバスが停まっていたが、果たしてトンネル入り口まで行くバスかどうかわからずにぐずぐずしていたら発車してしまった。結局そのバスでよかったのだが、次のバスは1時間後ということで、それまで待てないのでタクシーに乗ってしまった。運転手にいろいろ教えてもらったので、それはそれで良かったのだが。

トンネルを歩くなんて物好きだけがやるのかと思ったら、結構な人が歩いていた(走っている人もいたが)。別に景色が見えるわけでもなく、全くの自己満足なのだが。
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下関側に上がると、源平合戦、巌流島、下関砲台といった歴史上の名所が多いのだが、山陽道をツーリングした際に一通りは見ているので、最初に来たバスで下関駅に向かいJR線に乗り込む。

 

本日後半の目的は博多駅周辺のJR、西鉄、地下鉄の未乗車区間を乗車するということで、まずは西鉄に乗り換えるためにJRを博多の手前で下車して西鉄貝塚線の始発駅に移動。終点の貝塚駅で地下鉄に乗り換える。地下鉄は1日乗車券を買ったほうかだいぶ得するようなので買うことにした。博多の鉄道は西鉄が鉄道と相互乗り入れをしてないどころか駅間の距離も離れているし、地下鉄間の接続もよくないといった改善べき課題が多い。
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博多市内を東西に走る二本の路線のうち、海沿いを走る路線は以前に唐津から帰ってくる時に乗っているの今回は内陸を走る七隈線に乗車した。終点の橋本駅では折り返し運転になるので乗車したままでもよいのだが、改札を出て街の様子を見ないと乗車したことにはならないような気がしたので外に出てみる。

 

帰りは博多駅まで直通となるが、これは先月終わりに七隈線が博多まで延伸されたために可能となったことで、以前は乗換を余儀なくされたようで、先ほど乗り継ぎが不便だと書いたが、少しは改善されているようだ。

 

博多からは博多南線で博多南駅を往復する。昨年の九州ツーリング後の乗り鉄でJR全線乗車は達成したつもりになっていたが、博多南線は九州新幹線の線路は使用するものの、JR西日本の管轄で別路線であるということで、この際に乗車しておくことにした。
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無事に博多南線も乗車して、予定はほぼ完了して福岡空港に戻ることができ、10日間に渡る九州旅行も終わりを迎えた。

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国東半島と傾山

妻との旅行の最後は国東半島の史跡めぐりだ。前回、自転車で国東半島に来た時も行ってみたかったのだが、登りがかなりありそうなのであきらめたのだが、今回は定期観光バスを利用することにした。

最初の訪問は宇佐神宮である。全国の八幡神社の総本山だそうである。

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その後に訪れた国東半島の山寺の多くも神仏混合のた関係で宇佐神宮のゆかりのものだそうである。圧巻は岩壁に彫られた熊野摩崖仏と言いたいところだが、期待が大き過ぎたので思ったほどの迫力はなかったものの、それでも路線バスでは来られない所に来られたのは観光バスならではである。
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夕方には観光が終わり大分空港で下車し、そのまま帰京する妻と別れてJR杵築駅まで20キロの道を歩く。前回、断念した国東半島一周を今回は歩きで行うためだが、その前に祖母山系の300名山である傾山を登るために一度大分に戻る必要があるので、逆コースとはなるが前回国東半島で到達した北端のJR杵築駅と大分空港の間を歩いておこうと思ったわけである。

翌朝は大分駅から1時間ほど熊本方面に戻って緒方駅で下車。ここから傾山登山口行きのコミュニティーバスに登るつもりだったのだが、駅前のコミュニティーバスの乗り場に行ってみると、乗車予定のバスが見当たらず「4月1日ダイヤ改正」の文字がある。そういえば、ネットで調べた時刻表には「最新の時刻改正には対応していない」とあり、嫌な予感がする。結局、乗車予定の時間を過ぎてもバスは現れず、やむをなくタクシーに乗車する。六千円の出費だったが、バス停から登山口までの1時間ほどの歩きを免れただけでも良しとするか。

登山口には多くの車が停まっていて、ほとんどの車が地元だったが、中には本州ナンバーの車がも停まっていて、さすがに300名山だけのことはある。私の到着時間は10時半だったが、マイカーの人たちは早朝スタートだろうから、彼らと会うのは彼らの下山時だろうが、なるべく山頂に近いあたりで会いたいものである。

 

登山口の標高は400メートルで頂上は1600メートルだから標高差1200メートルを登るわけだが、標高600メートルあたりからは緩やかな巻き道が続き標高が稼げなくなるので少々焦ってくる。このあたりで早くも下山してくるパーティーと出会う。いくら早くてもこんな時間に下山できるはずはないので途中で登頂を断念したのだろうと勝手に決め込む。  

標高800メートルあたりから急登が始まり、左手には傾山の岩峰が見えてきてファイトが出てくる。九折越まで登りきると標高は1200メートルを越えるが、ここから先は緩やかなアップダウンが続き、山頂がなかなか近づかない。下山するパーティーとたくさんすれ違うようになり、なかには心配して「頂上まで行くのですか」と尋ねられることもあったが、下山の途中でテントを張りますからと答えるが、その時は絶対に今日中に登山口まで下山すると決めていた。

山頂に近づくにつれて風が強くなってきて、冬山なみの強風となってくる。少し弱気になってきて、双子峰となっている頂上のうち手前のピークだけでお茶を濁そうかなどと考えたりもする。ところが、手前のピーク(後ろ傾)に着くと、そこには標識も何もなく登頂の証拠写真が撮れないので、隣のピークまで行かなければと思っていると、隣のピークまではしっかりとした道が付いているので行かざるをえなくなる。

隣のピークに達すると時間は四時半で明るいうちに登山口までたどり着くのは難しくなる。相変わらず強風が吹き荒れており、写真を撮って早々に下山を開始する。時間との競争で下ったが、標識800メートルまで下った所で暗くなってきたのでライトをつける。その先で沢を渡った後に道がわからなくなる。明瞭な踏み跡はなく、標識の赤テープもライトの弱い明かりでは見つけられないのだ。

しばらく歩き回ったが、暗闇の中でルートを見出すのは困難と判断してテントを張る場所を捜すことにする。といっても沢の周辺には平ら所はないが、少し登った岩壁の下に上半身くらいは横にできそうなスペースを見つける。普通のテントならとても張れそうもないが、愛用のストックシェルターは出口の幅分さへ確保できれば居住性はともかくとして張ることはできるのだ。また背後の岩壁は前傾しているので 、上からの落下物に対しても安全性は問題ない。とにかく、今夜はここで一夜を明かすことにする。

 

翌朝は暗いうちから行動を開始する。薄明かりの中で目をこらせば、前夜発見できなかった赤テープも見つけられて登山口までの下山は問題はなかった。ただ7時過ぎのバスには間に合わなかったので3時間以上行程が遅れることになり、国東半島一周が予定どうり行けるかどうか微妙になってきた。

 

大分経由で空港まで戻って半島歩きを再開するのだが、JRの通し切符が買ってあるので日出駅まではJRで行き 、そこから空港行きのバスに乗り換えることにした。日出駅からバス停までの乗り継ぎがグーグルマップではわずかとなっていたので息を切らして駆けつけてみると、バス停の時刻表では20分ほど余裕があり、4月改正の文字が。グーグルマップは最新改正には対応していなかったようだ。

 

空港で下車して半島一周を再開することになるが、当初予定よりも3時間半の遅れとなる。歩き出してみると山の疲れが残っていてペースが上がらない。結局、空港から17キロ進んだ所で脇道にそれた空き地にテントを張ることになるが、半島一周には赤信号が点り始めた。

 

翌朝も暗いうちから行動するが、依然として疲れが抜けておらずペースが上がらないうえに、左足の踵に豆ができてしまい、杖なしでは歩行に支障をきたすほどになってしまった。それでも半島最先端の竹田津から5キロ手前の道の駅まで到達し、今後の予定を検討する。足の豆は水を抜いたにもかかわらず痛みはやわらかず、気温も30度近くまで上がっていることを考慮して竹田津まで行って一周を断念することにした。

 

国東半島一周は東側が距離も長い上にアップダウンもあってたいへんなのだが、そこは踏破でき最先端の竹田津まで到達できたので良しとしよう。なお竹田津港から対岸の山口県の徳山港まではフェリーが通っているが、以前に山陽道をツーリングした際には徳山と岩国の間の半島は先端まで行かずにショートカットして半島付け根を横断していたので、今度こちら方面に行く機会があるならば、国東半島西側と掛け合わせて行けば好都合なことがわかった。
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竹田津からはバス乗り下車した豊後高田で予約してある旅館に向かったが、そこは多数の部屋のある一棟がまるまる私一人の貸切という妙な経験をした。今回は唐津のホテルでも似たような経験をしたが、妙なことが重なるものである。前回、豊後高田に来た時は国東半島の付け根を自転車で横断するのに疲れ果てて、コンビニ弁当を食べてバタンキューだったが、今回は「昭和の町」と名付けられた界隈にある居酒屋で今回の旅が実質的には終わったとして祝杯をあげた。
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2023年4月14日 (金)

九州横断旅行

佐賀から大分までの九州横断旅行は唐津をスタートして、伊万里、有田と焼き物の産地を巡って資料館の見学や陶磁器店のウインドショッピングを楽しむ(ただし、荷物になるので、お買い上げはせず)。
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その後は吉野ヶ里遺跡に立ち寄る。日本の古代遺跡の見学としては、子供が小さかった頃に行った三内丸山遺跡以来である(三内は縄文時代、吉野ヶ里は弥生時代の違いはあるが)。吉野ヶ里遺跡が発見された当時は卑弥呼の邪馬台国のものではないかと言われて邪馬台国=北九州説が有力になりかけたが、その後に奈良地方で纒向遺跡が発見されて邪馬台国=畿内説が盛り返しているようである。

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王や大人(有力者)の住居か多数復元されていて、最初は興味深く見ていたが、次第に飽きてきて中には入らずに外から見るだけになる。それでも1時間近くは見て回って駅に戻る。その後は宿泊地の熊本に向かったが、夕食を熊本城の近くでとったため、何度も熊本城を訪れていて(熊本地震のボランティアに何回か訪れたことがあるため)初めてライトアップされた熊本城を眺めることができた。
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翌日は阿蘇に立ち寄って大分まで九州を横断する予定であるが、あいにく悪天が予想されたため阿蘇はあきらめた方が良いかなとも思われた。たた天気予報を詳しく調べると午前中は下り坂ながらも、なんとか雨には逢わずに済みそうな感じであったので、予定よりも早い電車で出発することにした。

出発時間を早めたことが奏効して、今にも降り出しそうな天気ながら何とか雨は免れただけでなく、阿蘇の荒々しい山並みも堪能することができた。阿蘇登山そのものは若い時に最高峰の高岳に登頂しているのだか、火口を見たかどうかは記憶がさだかでないので、火口往復バスにも乗って火口見物もしておいた。
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阿蘇駅に下山後は再び カルデラ横断に乗って大分を目指して、九州横断の旅は成功狸に終わることとなった。

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2023年4月12日 (水)

対馬・壱岐「クルージング」

福岡発着のニッポン丸による隠岐・五島クルーズに申し込んだところ完売だったためキャンセル待ちとなったが、キャンセルが出ることを見越して福岡までのフライトは確保しておいていた。なかなかキャンセルがでないので、その場合は確保したフライトを活かすため対馬・壱岐旅行に切り替えることにした。結局キャンセルは出なかったので思いがけずの対馬・壱岐旅行に行く羽目となってしまった。

 

初日は博多に到着後に太宰府天満宮に立ち寄ったが、日曜日ということもあってか、大勢の参拝客であふれていた。あいにく、本殿は修復中ということで実物大の写真が飾られていたが、裏手に回ると実物が眺められ、有名な「東風ふかば~」の和歌で名高い梅の木も植わっていた。
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帰りは博多随一の繁華街である中洲で郷土料理を楽しむつもりが、お目当てのイカが入荷していないということで、急遽川端でのビュッフェスタイルでの食事となり、明るいうちにホテルに帰り着いた。

 

2日目は対馬までの「クルージング」であるか、ニッポン丸での豪華船旅とは真逆の二等での貧乏船旅である。対馬までの航路は高速船により直行するものとフェリーによる壱岐経由のものがあるか、前者は当初自転車を輪行する予定だったので(妻の反対で断念したが)、高速船が対馬北部到着後に中心部である南部の厳原までの90キロの1日での走破は時間的に厳しいと判断して、南部に向かうフェリーを選択していた。
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フェリーに乗船していた客のほとんどは壱岐で下船したので、対馬まではがら空きで行くこととなった。壱岐を離れると完全に外洋に出た雰囲気となり、周辺には島影も見えなくなるが、しばらくして遠くに島影が現れると対馬であった。フェリーが到着した対馬南部の厳原(いずはら)は対馬全体での中心地である。ホテルに着いたのは三時頃だったので、近くの博物館などを見て回った後に寿司を食べに行ったが、回転寿司しかなかったのは残念であった。

 

三日目は対馬旅行のハイライトとなる和多都美神社と烏帽子岳展望所が主目的となるが、バスの発車が11時頃となるため、それまでにレンタサイクルを利用して市街地周辺にある朝鮮使節の資料館、対馬藩主の墓地、武家屋敷跡を回ったが、効率的に時間を活用できた。対馬交通のバスは1日乗車券が1040円で購入できるが、前記の観光名所の近くまで行くだけで軽く元が取れるという便利なものてある。ただ展望所まではかなりの距離と登りがあるのでタクシーを利用た。

 

展望所付近はコロナ前は韓国の旅行者を中心に大賑わいで、2坪程の展望所は立錐の余地もないほどだったそうだが、今日は我々だけの貸切で静かなものであった。ただあいにく霞がかっていることもあり、韓国まで見渡せることはできなった。その代わりというか、島々が浮島のように散在している風景は他所では見られないものであった。
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展望所から下りて待ってもらっていたタクシーで和多都美神社まで送ってもらってから参拝したが、こちらも他の参拝者はいなかった。竜宮伝説に由来しているとのことてわあるが、海の中に鳥居があったりしてユニークなところであった。
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参拝後に小一時間歩いてバス停に戻ったが、このままホテルに戻っても時間を持て余すし、1日乗車券もあることだしと、北部の比田勝まで往復してから厳原に戻った。

 

最終日は壱岐経由で唐津に向かう。3日間滞在した対馬を離れるが、随分長くいたようにも感じられる。壱岐はわずかの滞在の駆け足であるが、対馬からの到着は東側の芦辺港であるのに対し、唐津への出発は南側の印通寺港で、その間は20分ほどではあるがバスで移動するため小旅行の気分も味わえる。
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途中で横を通った遺跡公園は、印通寺港での待ち時間を利用してレンタサイクルで行ってみようかとも思った所であるが、休館との表示がでていたし、バスからも復元した住居は見られたので(明日の吉野ヶ里遺跡ではもっと本格的な遺跡が見られるだろうし)、パスすることにした。おかげでママチャリで急坂を登ることは免れることができた。

 

印通寺港では海の幸を味わおうと寿司屋を探したが、2軒とも昼間は営業しておらずラーメン屋で済ませることになった。食後に港近くの観光名所を何カ所か廻ってから唐津行きのフェリーに乗り込んで、対馬・壱岐の「クルージング旅行」を終えることになった。

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2023年2月 3日 (金)

沖縄・座間味島

老後は冬場は 暖かい場所で過ごすことが理想ではあるものの経済的理由等によりなかなか実現は難しいが、可能な限りそれに近づけるということで、前回の房総に続いて今回は沖縄方面に出かけることにした。沖縄は本島の有名所はほとんど行っているが、離島となるとまだ訪れてない所も多く、その中で今回は座間味島を選んでみた。座間味島は、沖縄戦で米軍が最初に上陸した島ということで以前にも訪れようとしたことがあったが、欠航訪れることができず手前の渡嘉敷島に変更となったため今回はそのリベンジでもあるが、今回はホエールウォッチングが主目的である。

 

今回は出発前に10年に1度の大寒波に襲われて海上も大しけが続き座間味航路も欠航が続いたので本島に待機することも覚悟していたが、出発当日は運よく冬型が一時的に弱まり座間味航路は復活したので、なんとか座間味島に渡ることができたのはラッキーであった。今回の座間味島での宿泊はコンドミニアムなので、おにぎり弁当が提供される朝食以外は自炊を考えていたが、隣が島内では数少ないレストランであったこともあり、ほとんどが外食続きとなってしまった。
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二日目からは冬型がまた発達したようで、本島との航路はフェリーも高速船も欠航し、予定していたホェールウォッチングも中止となったので、午前中は宿の自転車を借りて半島北部に一人でサイクリングをしてきた。結構アップダウンもあったが、一応は変速ギアは付いていたので何とか北端までは行くことができた。最後は山道となったので歩いていったが、島内最高峰まではヤプ道となるのであきらめた。座間味島にはハブは棲息してないようだが、それよりも大人しいとはいえヒメハブはいるらしいので御身大事を考えて自重した。

 

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午後は妻と一緒に島の西部の展望台巡りをした。展望台は何カ所かあり、ここからクジラの活動状況をチェックしてホェールウォッチングの出航先等を判断しているとのことだが、相当の倍率の双眼鏡でしているに違いなく肉眼ではクジラの観察をすることは全く不可能であった。展望台からは来た道を戻らずにそのまま海岸線(といっても海面ははるか下たが)をぐるっとまわったので、今日一日て座間味島はほぼ踏破したことになった。
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三日目も波浪注意報は解除されず、本島との航路やホェールウォッチングは引き続き中止となったが、座間味村に属する阿嘉島への村内交通は運航するとのことなので、 行ってみることにした。10分ほどで阿嘉島に着いたが、そこからは更に対岸の慶留間島まで橋で結ばれていて渡ることができるので、レンタサイクルを借りて行ってみることにした。宿の自転車と違いギアの切り替えができないという代物であったが、阿嘉島の海岸線を走る道は比較的アップダウンが少なかったため、なんとか走ることはできた。ただ更に南にある外地島とも橋で結ばれていたために渡ってみたが、飛行場までは激坂が続くのて自転車下りて歩いてしまった。

 

飛行場は現在は定期便はなくチャーター便だけなので休業状態で(島全体も多分無人か)、チャーターした場合は一人12万円かかるのが、本島との航路が欠航した場合は村の補助があって一人3万円で利用できるそうだが、そうならないことを祈るのみである。午後の出航まではしばらく時間があったので、近くのビーチでのんびりしてから座間味島に戻る。もう行く所もなくなってしまったので、明日は是非ともホエールウォチィングをしたいものである。

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四日目は朝目覚めると久しぶりに晴れ間が見えているので日の出を見に行く。残念ながら水平線から上がる日の出ではなく渡嘉敷島の山稜から上がるものたったが、幸先の良い一日の始まりだった。宿に戻って朝食を終えると電話があり、今日はホエールウォッチングの船が出航するとのことでヤッター、待ったかいがあったというものである。
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ウォッチング船は我々の他に数人の人も乗り込んだが、いずれも今朝の高速船で那覇からやってきた人たちの様である。船着き場から出航してしばらくはスビードあげたが、観察地が近くなるとスピードを落としてクジラが浮上する場所を探す。やがてあちこちでクジラが観察されるようになるが、写真を撮るとなると広い海面から短期間に浮上するだけなので、決定的なシーンを撮るのは難しい。間近て眺められたことも何度かあったが、写真におさめられなかったものの、脳裏に焼き付けたもので我慢しよう。1時間以上にわたるウォッチングに大満足して港に戻ったが、午後は目的を果たした安堵感で何もせずに一日を終えた。

 

最終日は当初の予定では、午前中はウォッチングのスペアとして確保し、午後のフェリーで那覇に戻るつもりだったが、前日にウォッチングも無事終えたことでもあるので、対岸の渡嘉敷島には妻は行ったことがないので、早朝の船で渡嘉敷島に渡ることにした。渡嘉敷島については予習してなかったので、9時過ぎに島に到着してから調べてみると、那覇行きの船が出ている山向こうの渡嘉敷港行きのバスは3時までないことがわかり、こちらの船着き場付近に長時間いてもしょうがないので、タクシーで山越えをして渡嘉敷港に移動することにした。前回、私が一人で来てレンタサイクルで苦労して山越した道もタクシーはスイスイと越えていき、10時の那覇便には余裕で間に合った。渡嘉敷島自体にはこれといった見所もないので、夕方の便を待たずに那覇を目指すことにした。

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那覇への船からの渡嘉敷島

那覇のホテルは座間味のコンドミニアムと違って四つ星の我々としては高級ホテルなので、早めに入ってゆっくりしたいと思ったが、3時までは入れないということで近くの公園で時間をつぶし、途中のスーパーで買ったパンを昼食代わりとする。高級ホテルのレストランで食事をして時間をつぶすということをしないところが我々らしい。3時前にホテルに戻り部屋に入ってから温泉で汗を流してから、ホテル近くのリーズナブルな店をグーグルマップで見つけて夕食をする。

 

翌日は妻はホテルでチェックアウトまで温泉三昧のようだか、私は久々の辺野古ゲート前の座り込みに参加するために県庁前から平日は毎日9時に平和団体が出している貸し切りバスに乗って辺野古に向かう。現在、辺野古では9時、12時、3時と三回のトラックによる基地内への資材等の搬入がそれぞれ100台以上で行われており、搬入前には座り込みを行っているが、以前と比べると緊迫感が薄くなっている気がするものの、理由はいま一つはっきりしない。参加者が前よりも減っているせいかもしれない。

 

貸し切りバスを利用する人は朝の座り込みには間に合わないので昼と夕方の座り込みに参加するのが通常だが、私は今日は昼の座り込みだけにして、夕方の座り込みには参加しないつもりた。というのは、辺野古からバスを乗り継いで本部港に移動して伊江島に向かうフェリーの17時の最終便に乗りたいからである。伊江島には以前に一度行ってレンタサイクルで一周したことがあるのだが、その時に眺めた伊江島を代表する城山という城塞を思わせる山が岩登りをしなければ登れない山だと思い込んで登らずに帰ったら、後で調べると裏側からは容易に登れることがわかり、機会があったら是非とも登りたいと思っていたからである。

 

伊江島港に着いた時はだいぶ日は傾いてはいたが、まだしばらくは明るさがつづきそうだったので、真っ暗になる前に山頂にたてるかどうかが気掛かりであった。柄にもなく夜間登山を避けたく思っているのは、山頂付近の道にヤブがあるとハブを見つけにくくなるからである。その場合は翌朝に出直そうかとも思っていたが、登山口まで来ると暗くはなってきたものの、階段が続いているようだったので、これならばハブの心配をせずに登れると安心した。無事に登頂して宿に着いたので、明日は朝の便で辺野古方面に戻ることができるそうであった。

 

翌日は8時の船に乗ったので、昼の座り込みに間に合わないこともなかったが、途中で寄って行きたいところがあった。というのは最近は辺野古とは反対側の西海岸にある琉球セメント前の積み出し港から埋立用の土砂を搬出した後に、辺野古まで海上輸送を行って埋立中の海に投棄しており、その積み出しの抗議行動が行われているからである。

 

現地に行ってみると、抗議行動はごく少人数で行われており、一度行動に加わると途中では抜け出しにくい雰囲気だったため、反対側の歩道から眺めるだけにした。というのは、辺野古の午後からの座り込みに参加したかったからである。その後、名護に戻って昼食をとったが、すぐに辺野古に向かうと3時頃の座り込みまで時間を持て余してしまいそうなので、名護城址の満開の桜を見物してから辺野古に向かった。

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辺野古の座り込みが終わった後、帰京するために那覇空港に向かったのだが、いつもは名護市内に戻って高速バスに乗るのだが、そうすると空港でかなりの待ち合わせとなりそうであったため、辺野古から出ている路線バスに乗ってみることにした。ところが、途中で渋滞に巻き込まれ飛行機の時間に間に合うかどうかヤキモキさせられた。結局は十分に間に合ったのだが、今回の旅行中でもっともヒヤヒヤした時間であった。

 

 

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