旅行

2020年3月30日 (月)

中国地方西部旅行 11日目 帰京

自転車の不調で山口県最高峰の寂地山へのアプローチができなくなったので、1日早く帰京することになった。広島で新幹線に乗り換えれば早いのだが、未乗車である吉備線(愛称 桃太郎線、なおテレビゲームの桃太郎電鉄は別物)に既乗車の伯備線経由で乗車するため、倉敷までは18切符を利用した各駅電車で行く。岩国から乗車して、糸崎、福山、倉敷、総社と何度も乗り換えなければならないのが面倒だが、中国地方の感染症の危険度は都内と比べて格段に低いので、「不要不急」の旅行も許してもらおう。なお、感染リスクを避けるために集会やデモにはしばらく参加していないので、「アベ政治を許さない」のシールを安倍晋三のお膝元である山口県でザックにぶら下げておくつもりが、すっかり忘れていたので、岩国で電車に乗り込む時に慌てて輪行袋にぶらさげておいた。もっとも岩国を出るとまもなく広島県になってしまうが、今日1日はぶら下げておこう。
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桃太郎線は桃太郎のメロディが鳴る以外はこれといった特徴のないローカル線だが、途中で織田配下の羽柴秀吉が毛利軍と対峙して、水攻めを行ったことで有名な備中高松城があった近くを通る。駅からさほど遠くないようなので、時間があれば立ち寄りたい気もしたか、残念ながら今回は素通りとなった。もっとかも、現在は公園と看板があるだけで、遺構といったものは残っていないようだが。
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岡山からは新幹線で帰京し、10日以上にわたる旅を終えることとなった。今回行き損なった所は2022年度末に開業予定の長崎新幹線に乗った帰りにでも立ち寄ってみよう。なお18切符が一枚余ったので、いつもならば自分か家族が使うところであるが、流行地域の雑踏等では感染のリスクもあるので使用は止め、ヤフーのフリマに原価で出品したところ、30分以内に落札することができた。落札者の方は気をつけて出かけてください。

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2020年3月28日 (土)

中国地方西部旅行 九日目 秋吉台

今日1日は休養も兼ねて秋吉台の観光に充てることにしたので、美祢線の始発駅である厚狭駅まで自転車で行き、秋吉台観光の間は駅前に駐輪しておくつもりで、それにあわせた時間にホテルを出発すべく後輪に空気を入れようとしたところ、完全に空気が抜けていた。やはりパンクしていたようで、チューブの交換をせざるを得なくなった。久しぶりのチューブ交換にとまどって一時間近くを要してしまい遅い出発となってしまった。当初駐輪予定の厚狭までは無理だが、手前のどこかで駐輪するつもりで出発する。下関を出て海沿いに行くぬ)と、しばらくは鉄道を離れるので、鉄道との合流地点まで早く着かなければと気があせる。関門橋や長州藩の砲台跡を過ぎて間もなくすると、山陽線の長府駅の入口が見えてくる。もうひとつ先の駅までも行けるかもしれなかったが、安全のためにここに駐輪して山陽線に乗り込むことにした。

 

厚狭で美祢線に乗り換えて美祢まで行き、前日乗車した分も併せて美祢線の全線乗車は果たせた。その後はバスで秋吉台に向かうが、他の降車した人につられて一つ手前で降りてしまい、30分ほど余計に歩かされてしまった。秋吉台については事前調査が不足していて、秋吉台のカルスト台地を見るためには、もう一回バスに乗り換えなければならないことも現地に来て初めてわかった。土曜日だというのに秋吉台は閑散としていた。感染症予防の自粛の影響もあるのだろうが、設備の老朽化具合から見て、以前から客足は落ちているようにも思えた。
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秋吉台は天気が良ければ、雄大なカルスト地形を散策するのは楽しいだろうが、風雨の強い今日のような天気では長居をする気にはならず、早々に降りて秋芳洞の見学に移った。こちらの方は秋吉台に比べるとそこそこ観光客も見られた。鍾乳洞は国内のみならず、海外でも見ているが、そのどれと比べても秋芳洞のスケールは群を抜いているように思われた。ただあまりに大きくて最後の方は少し飽きてきて、早く外に出たいと思ったのも事実である。
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観光を終えて、バス電車を乗り継いで長府に戻る。相変わらず、雨が降り続いていて気合いが入らない。明日は天気も良さそうなので頑張って距離を稼ぎ、今日は適当な所まででお茶を濁すことにする。今回、広島まで到達すれば山陽路も走破したことになるが、どう頑張っても無理とおもわれるので、やり残した宿題が増えるだけなのだが・・・

数時間走ってお茶を濁すつもりが、適当な泊まり場がなく、やっとホテルを見つけたのは10時近かった。

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2020年3月24日 (火)

中国地方西部旅行 五日目 楽勝のはずが大慌て

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上の写真は浜田と益田の中間点の駅、下の写真は津和野駅前


今日は益田までの42キロを走破した後は、山陰線の幡生までと美祢線全線の未乗車区間を乗車するだけの楽な1日になるはずであったが、世の中は何が起こるかわからない「一寸先は闇」?であることを実感した。

途中までは順調に行き、中間点あたりの駅にはほぼ予定どおりの時間に着き、益田到着は乗車予定の一時間以上前になるだろうことを確信した。ところが、しばらく進むと、国道は山間部を突っ切って行くのに対して、鉄道は海側を迂回するようになっていた。その時は、時間も十分あることだし、海岸線を行った方か景色もよいだろうし、アップダウンも少ないだろうと考えて軽い気持ちで悪魔の囁きに乗ってしまった。

ところが、一歩海岸の方に足を踏み入れると道は迷路のようになりアップダウンの連続である。おまけにグーグルマップは高低差がわからないので、近道だと思ったら凄まじい登りで引き返さざるをえないといった有り様で、まるで蟻地獄のようである。なんとか抜け出して必死に頑張って、乗車時間の30分ほど前に駅近くに着いたのだが、駅舎の出入口が見つからない。グーグルマップを拡大して見たら、地下道を潜って反対側に行けば出入口があることがわかり、なんとか出入口まではたどり着けた。

改札口の上の時刻表を見ると、長門市行きの山陰線はかなり前に調べてあった時刻よりも17分も早く、後数分で発車予定ではないか。この時、今月のダイヤ改正の影響だとピーンときたが後の祭りである。次の発車は一時間以上後だし、未乗車区間を回って今晩中に帰って来る電車は、もうないのである。駅前に自転車を駐輪して飛び乗れば間に合うのだが、田舎の駅と違い、駅前に駐輪場は見当たらない。かといって自転車を解体して輪行袋に入れるのは時間的にとても無理だ。万事休すと思っていたら、山口線の臨時電車が20分後に発車するではないか。これなら間に合うと思って、自転車を解体し輪行袋に詰め込んで電車に乗り込んだ。山口線自体は以前に乗車したことがあるのだが、今回また乗車することについてはふたつのことを思い付いた。ひとつは終点の山口駅からバスで秋吉台に行き、今回の旅行の後半に予定していた観光を先にやってしまうことである。ただ、バス時刻を調べてみると、現地の滞在時間が一時間くらいしかとれないし、鍾乳洞も閉園時間ということで却下。もうひとつは新山口から山陽線で幡生まで行き、山陰線に乗り換えて益田駅まで戻ることである。美祢線は未乗車のまま残ってしまうが、山陰路を長門市までツーリングした夜に長門市から美祢を往復し、その後にぐるっと回って山陽道に入った時に厚狭から美祢経由で秋吉台に行けば(当初は新山口からの予定であった)、美祢線も全線乗車になるということで、かろうじて一件落着となる道筋が見えてきてほっとした。

山口線は途中の津和野で30分くらい停車したので下車してみる(前回乗車時は素通り)。一時は女性週刊誌の旅特集の定番だったが、最近はブームが去ってしまったのだろうか。駅前には観光客もほとんど見かけなかった。昔の町並みを見るには時間がなかったので、駅前で雰囲気だけを味わうに止めて、益田駅で食べ損なった昼食をと思ったか、結局ゲットできたのは、みやげ物屋で買ったビールとつまみだけであった。

その後は山口駅でも乗り換えのついでに駅前にでてみた。戦国時代の大内氏の城下町で西の京と呼ばれ、幕末には毛利氏の居城が防衛上の理由で海岸の萩から内陸のこの地に移転されたのであるが、駅前に立ったくらいでは歴史の重みを感じることは当然ながら無理である。

下関の手前の幡生で山陰線に乗り換えて日本海に沈む夕日を眺めた後は暗闇で展望のない長い旅が益田まで続いたが、ブログを書いたり、ホテルの予約を入れたりしていたので退屈することはなかった。だいぶドタバタはしたが、とにかく山陰線の全線乗車は果たすことができたのでホッとした。

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2020年3月21日 (土)

中国地方西部旅行 二日目 鉄道縦断

ホテルの朝食が6時半からだったので、ゆっくり食事をしていたら出発は7時をだいぶ回っていた。今日の行程をこなすには広島発11時5分の三次行きに乗らなければならないので、あまりゆっくりとはしていられないのだが。ただすぐに広島方面を目指すのではなく、一度南下して東広島駅に向かう。というのは前回は東広島駅まで来ているので、そこまで行かないと繋がらないからである。最初は東広島駅の入口で引き返すつもりだったのだが、前回はどういう経路で駅まで行ったか覚えていなかったので、たいした距離ではないからと駅前まで足を伸ばしてみることにした。

 

思わぬ寄り道で広島駅までの行程がきつくなってしまったが、山陽線に沿って走っている限りは、時間が足りなくなれば最寄り駅から乗車して広島駅に向かい、走り残した部分は最終日に岩国から広島に向かう際に(予定どおりに行程を消化していればの話しだが)少し足を伸ばせばいいだかである。結局、広島駅の二つ手前の海田市駅で電車に乗って、予定どおりの三次行きの乗車することになった。

 

広島駅からの芸備線は2年前の真備町ボランティアの帰りに乗るつもりだったのだが、水害で長らく不通となり昨秋ようやく復旧したものである。三次から先の新見までの芸備線はすでに乗車しているが、備後落合までは芸備線を経由して、未乗車である宍道までの木次線を乗車して山陽から山陰までの中国地方縦断をやろうというものである。なお出発間近に芸備線で脱線事故が起きて一部不通との情報が入って心配したが、不通区間は備後落合よりも先とのことで一安心した。
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三次で乗り換えて備後落合に向かう。芸備線は備後落合から先は不通のため代行バスが出ているようだが、木次線は通常どおり運行されているので乗り換える。備後落合駅は3年前に三江線の廃線直前に乗車した後に翌朝の新見方面の始発電車に乗るためにほとんど眠れないままに一夜を過ごした懐かしい所である。そういえば三江線の廃線の次にターゲットとされているのが木次線だそうで、そのせいか鉄っちゃんが大勢来ていて元JR職員らしいボランティアの人がホーム上で木次線の由来等を説明していた。

 

木次線は最近では珍しいディーゼルかーである。喘ぎながら高度を上げて行き、標高720メートルを最高点として日本海に向かって高度を下げ、急勾配の箇所はスイッチバックで降りていく
。途中の駅にはカメラを構えている人はいるが乗降客は皆無である。乗客もマスクをしている人はほとんどいなくなるが、鉄っちゃんはどこから来た人かわからないので警戒は緩めず、他人との距離は一定の間隔を保つように気を付ける。

 

木次線の総延長82キロを三時間近くかけて山陰線の宍道駅までのんびりと辿って行く。途中見るべきものも多数あり、退屈せずに鉄旅を楽しむことがでした。宍道からは宍道湖に沿って夕日を眺めながら旅情を誘う旅を松江まで続け、そこから先は中湖沿いに米子まで進むのだが、松江到着で終わりとはならない。数年前に鳥取から米子を目指した際に、米子まで達することはできずにやり残した部分を今回終えておかなければならないからである。米子で乗り換えた山陰線を大山の麓で降りて米子に向かってライトをつけて自転車で進む。ただ米子までだと遠いし、海岸線からは遠くなってしまうので、半島の付根あたりの駅に自転車を停め、米子市内に戻って明日またツーリングの続きを行うことにした。午前中は広島までのやり残しをやらされたし、変な1日だった。

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2020年3月20日 (金)

中国地方西部旅行 一日目 はるばる広島へ

前々から予定していた中国地方(チャイナではない)西部の旅行に出かける。こんな時期に移動するのは「非国民」であるとの批判を受けかねないこともないのだが、中国地方は新型肺炎の感染者が見つかっているのは、岡山・鳥取・島根三県は0、広島県は一人、山口県でも三人と国内では一番「安全」な地域なのである。問題となるのは新幹線の車内での感染でリスクであるが、乗車するのはひかり号なので、のぞみ号に比べて停車駅が多いため停車時に空気の入れ替えが頻繁に行われるため、感染リスクを軽減することができ、しかも1号車の先頭座席に座ったので人の移動も比較的少なく、停車時の空気入れ替えの影響効果を受けやすい場所を確保するといったリスクを最小限に抑えるようにも努めた。

今回の旅行の一番の目的は日本列島海岸線走破計画の本州の仕上げであるが、それとともにJR全線乗車達成のために未乗車区間のいくつかに乗車することもあり、まずは因美線の智頭以南から津山線経由で岡山までを乗車するために新幹線を姫路駅で下車して在来線と智頭急行を乗り継いで智頭駅に向かった。智頭急行線は数年前に山陰東部に行った時に岡山県最高峰の後山に登るために鳥取から因美線を経由して智頭から数駅先までは往復したことはあるのだが、今回の乗車により全線乗車になるのでJR線ではなく私鉄だはあるものの乗る価値はあると言える。乗車したのは1両編成の典型的なローカル電車であるが、不思議なことに鳥取~岡山の特急は智頭~岡山は遠回りになるにもかかわらず、智頭急行経由となるのである。乗車した電車の出発を待っている間にも鳥取行きの特急が通過するところであった。

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山間を縫って一時間半強で終点の智頭駅に着く。ここは新型肺炎感染者の報告がゼロの鳥取県内ということもあるのかマスクをしている人はほとんどいない(花粉症の人も少ないのかしら?)。数ヶ月前の日本に戻ったようである。先ほども書いたように智頭から津山に向う列車は本数が少ないので、一時間半も乗継時間がある。そこで、テレビの旅番組ではないが、町をぶらりと散策することにした。智頭宿は鳥取藩最大の宿場町として栄えた所で、智頭往来は往時には多くの人が行き交う道であったようだ。さらには戦国時代末期には織田信長配下の羽柴秀吉軍と毛利軍が対峙して番屋が置かれたということもあって、歴史オタク、街道オタクの自分にとっては、たまらないところである。
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さらには試飲のできる酒造も見つけて三種類ほど試飲させてもらう。自分としては最初に飲ませてもらったのが一番口にあったが、瓶売りしかないと言われてバック売りの大吟醸を買って車内で景色を眺めながらいただき、呑み鉄の六角青児と同じになってしまった。
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酒を飲んでひと眠りをしたら因美線の終点の津山駅に着いてしまった。再び岡山県に入ったせいか、またマスク姿が多くなる。津山駅では乗り換え時間が小一時間あったので町に出てみる。夕日に照らされた川を渡ると、そこは津山藩の城下町である。本能寺の変で討死した森蘭丸の弟が築城した津山城も川畔からよく望める。城のあたりは公園にもなっているそうだが、近くまで行く時間はなかったので、遠くから写真だけを撮って駅に引き返す。
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津山駅を電車が発車すると、まもなくあたりは暗くなり景色も楽しめなくなる。その後も岡山、福山、糸崎と乗り換えたが、いずれも乗り換え時間は短かったものの、18きっぷを利用した在来線の旅のため時間がかかったので、ブログを書いたり本を読んだりして時間を潰す。

 

広島の手前の西条駅で下車したのは10時を回っていた。広島まで行かずに西条で降りたのには訳がある。数年前の真備町の水害ボランティアの後に広島までの約60キロを夜間にジョギングして翌朝の原爆式典に出席しようと思っていたら、中間あたりの東広島あたりでリタイアしてしまったため、今回は明朝に広島までの残りの区間を今回は自転車で走破するためである。前回ももうしばらく先までは行く元気はあったのだが、水害によって在来線は広島駅近くまでは不通となっていたため、前進するのならば一気に広島駅近くまで行かねばならなかったため、たまらないところである。かろうじて動いていた新幹線の始発で東広島駅から乗車するために駅舎がオープンするまで、駅前のベンチでまんじりともせずに待ち続けたものである。なお、当時は呉経由の海岸線は道路が寸断されて通行不能ということで新幹線沿いに進んだため、今回もその続きを行くことにしたが、海岸線走破という目的からは呉経由で行くべきなので、可能であればそちらからも回っていきたい。

 

在来線の西条駅と新幹線の東広島駅とは五キロほど離れているが、今夜の泊まりはちょうど真ん中辺りにあるが、自転車を組み立てたりしてから出発したので、チェックインを済ませて入室したのは11時近くになっていたが、深夜でも温泉に入れたので、入浴後にビールを飲んで快適に眠ることができた。

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2020年2月11日 (火)

帰国

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最終日は午後の便で帰国するだけののんびりした行程である。午前中は自由行動という認識だったので、9時過ぎにネットで調べたチェジュ市内の朝食人気店のN01に紹介されていたお店に行ってみる。ホテルからは歩いて15分くらいの大通りに面した店だったので、すぐにわかった。一番人気のヘジャングッという汁物料理を注文する。二日酔いを抑える効果のある料理だとのことで、昨晩飲みすぎた翌朝には最適の食事である。韓国料理だけに辛さは半端ではないが、味は一番人気だけのことはあった。

 

帰りはバスカードのチャージ残が大分残っているようなので、最寄りのバス停から行き先も確認せずに最初に来たバスに乗り込む。ところが、次の信号でホテル方向とは逆の西側に曲がってしまう。あわてて最初のバス停で下車して、反対方向のバス停に移動し先ほどとは違う路線番号のバスに乗り込むが、どうしたことかまた最初のバス停まで戻ってしまった。、こんなことをしてもらちが明かないので、帰りも歩いて帰ることにした。

 

ホテルに戻って荷物を整理し、予定どおり11時にロビーに降りて皆が集合する。このまま空港に直行するのかと思ったらレストランに行くとのこと。そう言えば昨晩そのような予定を聞いたような記憶もあるが、酔っていたので記憶が飛んでしまっていたようだ。先程の朝食から一時間ほどしか経っていなかったが、軽めの麺類を注文して完食する。

 

ホテルに戻ってからタクシーで空港に向かいチェジュ島の旅は終わる。天候にも恵まれ予定もほぼ達成できて満足できる4日間だった。

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2020年2月 8日 (土)

11年ぶりのチェジュ島

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約11年ぶりのチェジュ島である。前回はチェジュマラソンに参加した翌日に韓国最高峰のハルラ山を登るつもりだったが、足が痛くて断念したためのリベンジでもあるが、日韓関係が冷え込んでいる現在、民間レベルでの交流が少しでもできればという気持ちもあった。

 

新型肺炎騒ぎで成田空港は閑散としているかと思いきや、そんなことは全然なく飛行機もほぼ満席であった。ホテルに着いて荷物を置いた後に街をぶらついてから焼肉屋で焼肉をたらふく食べて韓国気分を満喫した。

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2020年1月21日 (火)

宮古島から渡嘉敷島へ

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宮古島を去る前にもうひとつ訪れなければならない場所がある。それは中国の脅威を大義名分とする南西諸島の要塞化の一環として島の中央部に新設された自衛隊の基地を見てくることであった。空港の少し先の基地近くのバス停に向かうバスは平良というバス停から出るのだが、同名のバス停はだいぶ離れた所にもあり非常にまぎらわしい。おまけに十分に余裕をもってホテルを出たはずなのに思った以上に遠くて、発車時間ギリギリにやっと着く有り様であった。 陸上自衛隊の基地はバス停から比較的近い場所にあり、真新しい3階建て宿舎が五、六棟が建っており、奥にはより高層の弾薬庫かなにかが建築中であった。ミサイル基地を担当する航空自衛隊の基地は少し離れた高台にありパラボラアンテナも多数見えた。あそこまで行くのは次のバス時刻を考えるとちょっと厳しいのでこのまま帰るつもりだったが、帰りのバスが基地の真下まで寄り道をしてくれて、間近に基地を見ることができたのはラッキーだった。

南西諸島への自衛隊配備の実状については与那国島や石垣島でも見てきたが、着々と進行中のようである。、尖閣近くに中国公船が進出している状況を踏まえて、その必要性を論じる意見もあるが、南西諸島の要塞化は緊張を激化するだけで平和をもたらさないという意見もある。そして何よりも住民にとっては基地の存在が攻撃の対象となるというリスクまあるし、基地の存在によって島の唯一の水源である地下水が不足しかねないという問題もあるようだ。自衛(軍)隊は本来的に住民を守るものではないということは、沖縄戦における集団自決からみても明らかであろう。

空港に移って沖縄本島に戻り慶良間諸島に移動するのだが、船の出発までの時間を利用して首里城に寄ってくる。前回、焼失した直後に訪れた時は、焼失現場は立ち入り禁止だったが、最近になって一部は立入が許されるようになったようである。平日であったが、観光客もそこそこ見られ、沖縄を代表する観光地である首里城の人気を象徴するようであった。焼失現場は報道でも目にしているが、実物を見ると悲惨さが迫ってくる。一刻も早い復旧を願うのみである。

市内に戻り那覇に近い泊港から慶良間諸島の渡嘉敷島に向けて高速船で出航する。太平洋戦争末期に米軍が沖縄に上陸する直前に、その足場とするために上陸したのが慶良間諸島なので、その戦跡を訪れるのが目的である。実は今回訪れる渡嘉敷島よりも1日早く米軍が上陸したのは西側にある座間味島なのだが、座間味島に直行する船便が季節運休となってしまったため、渡嘉敷島にせざるをえなかったのである。 渡嘉敷港は寅さんの映画にでもでてきそうなひなびた港町である。到着したのが夕方だったため、どこにも出掛けずに予約していた民宿風の宿に直行し、夕食は海の幸を肴に泡盛を味わった。

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2020年1月18日 (土)

決戦前夜

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羽田空港国際ターミナル「ホテル」で一夜を過ごして早朝の便で那覇に向かうことになるが、心配した降雪は避けられ小雨だけだったので予定通りのフライトであった。那覇に着くと、気温は一気に20度近く上がるので、防寒用の衣服を全て脱ぎ捨ててザックに詰め込んだので、荷物が膨れあがってしまった。那覇空港では宮古島便の乗り継ぎ時間が四時間近くあったので、どう過ごそうかと思っていたが、食事をしたり待合室で休んでいるうちに時間は経ってしまった。

 

那覇空港からは小一時間のフライトで宮古島空港に降り立つ。途中はずっと雲の上だったが、宮古島に近づいて高度を下げるとサンゴ礁も望まれ、宮古島初上陸となる。思っていたよりも気温が低いのは意外だったが、暑さに弱い自分としては助かる。ただ風がやや強いので明日は止んでほしいものである。市内に向かうバスに乗り込んだ人はほとんどが明日のレース参加者のようであったが、皆さんは途中で降りてしまい、受付会場行き送迎バスの始発である市役所前まで乗っていたのは私だけだった。

 

送迎バスは途中のホテル数ヵ所でピックアップするために寄り道をするので、受付会場まで一時間ほどもかかってしまった。レースのスタート地点でもある受付会場は野原の中にポツリと佇んでいる寂しい体育館であった。ここでゼッケンと参加賞であるTシャツをもらう。明日はここから長く苦しい1日が始まるというのに一向にファイトが湧いてこないのはどうしたことだろうか

 

送迎バスで市内に戻り、夕食を食べた後は早めに横になって明日に備えることにした。

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2020年1月 6日 (月)

クレムリン

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国便の乗り継ぎ時のモスクワ滞在時間は半日強となるが、ラウンジで過ごすのも悪くはないものの、貧乏性の我々はせっかくだからとクレムリンまで足を伸ばすことにした。クレムリンは以前に夏に訪れているのだが、冬はどんな感じなのかを味わってみたいと、わざわざ通過ビザをとっておいたのだ(ビザ取得料金は無料)。

 

予定ではトランジットの先にあるラウンジで朝食を澄ませてから入国するつもりだったのに、うっかりして直接に入国してしまったが、クレムリンは中に入るわけではなく外観を見るだけなのですぐに帰ってこられるだろうから、それから出国手続きをしてラウンジで食事をすればいいやと思ってた。

 

前に行ったことがあるという安心感から、中東の訪問国のように下調べもしなかったのだが、実際に行ってみると以前の記憶はあやふやで、現地の人に聞いたりしてなんとかクレムリンにたどり着くことができた。クレムリンの周辺は新年を祝うイベントで賑わっていて、イスラム暦では別の時期が新年となる中東諸国とは様変わりであった。クレムリンの裏手にある川が冬は凍りつくのではないかとの期待をもって見に行ったのだが、夏と変わらぬ流れだったので少しがっかりしながら帰途についた。

 

帰りは来た道を戻るだけだからと軽く考えていたのだが、地下鉄と空港鉄道の乗り換え駅が何と言う駅かもすっかり忘れてしまっていた。これは、駅名がキリル文字表記と英語表記の二通りあって紛らわしいことと、モスクワには我々の便が発着する北部にある空港の外にも南部に2ヶ所の空港があり、何人かの警官に道を尋ねた際にも空港名を云って尋ねたつもりだったが、空港名を勘違いして道を教えてくれた人もいたようだ。その結果、たどり着いた空港の電光掲示板に自分の乗るつもりの便が表示されてないことからインフォメーションで説明を聞いて初めて空港を間違えたことに気づき、路線図ももらって正しい経路もやっと理解できた。ちょうど外国人が羽田空港から皇居を往復するつもりが、帰りは成田空港に行ってしまったようなものだが、完全に準備不足であり空港名と空港鉄道の記載のある地下鉄路線図を見せて質問してれば間違うことはなかったと思う。

 

幸いにして時間の余裕もあったので事なきをえたが、ちょっぴりヒヤヒヤの1日であった。モスクワのラウンジは混雑してたがなんとか場所を確保して食事を摂り、成田への帰国便に乗り込むことができた。

 

 

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