4月3日
ボストンのバスターミナルを夕方の4時半にバスは出発して真西に向かわず、一度ニューヨークに戻ることになる。ニューヨークまでは一度通った道なので、特に景色を見るまでもなく、ブログ書きで時間を潰す。ニューヨークに戻ると、バッファロー行きに乗り継ぐ(最終の目的地はカナダのトロントなので、トロントに行く人はパスポートチェックを受けていた)。出発時にはかなり空席があり、二人席を一人占めできたのであるが、途中でかなりこ人が、乗り込んできて満席状態になってしまった。
4月4日
深夜から明け方にかけてかなりの乗客が降りてしまい、バッファローに5時半過ぎに着いた時はがら空きになってしまい、しかもほとんどの乗客はバッファローで下車したので、終点のトロントまで行く乗客はわずかであった。バッファローのターミナルでは10数人のバス待ちの人がいたので、私もシカゴまでの切符を買おうと販売機に向かうが、メンテ状態となっており窓口もまだ係員がいないので切符が買えず、ならばネットで買おうと思ったらインターネットも通じない有り様だった(回線はつながっているようなので、ルーターの電源が入っていないのか)。こんなことなら昨夜ニューヨークのターミナルでバス待ちをしている時にネットで予約しておけばよかった。ネットの情報では、ネットで予約しても紙に打ち出さないといけないように書いてあるが、現在は改善されていて半分くらいの乗客がスマホを見せて、係員がスマホに表示されているQRコードを読み取ってそれでOKになっているようだ。
7時前にようやく係員が現れて、これで自販機が使えるようになるのかと思ったら、依然としてメンテモードのままなので、係員に言うと窓口で発行をしてくれた。間もなく発車時間になるので水と菓子類を買って車内に乗り込む。早朝のため車内はガラ空きで、料金も昼の便よりも1割以上安く設定されている、ただシカゴへの直行ではなく、途中で乗り換えが必要となるが、乗り継ぎ時間が昼時の1時間なので好都合ではある。ルートはエリー湖の南岸付近を通るようになっているので湖が見られるかと思ったら、少し離れた所を通っているようで、樹林帯の中を通っていく景色が続いていく。ちょうど東海道線が滋賀県を通っていても琵琶湖が見られないのと同じことか。ただ一瞬だけエリー湖を望める箇所はあった。琵琶湖でも淀川との分岐あたりは東海道線が通るが。
乗り継ぎ地点のクリーブランドが近づくとまたエリー湖が見えてきた。昼前に終点のクリーブランドのバスターミナルに着く。このターミナルは今までのターミナルの中で最低だ。ネットが通じるかと期待したが相変わらず繋がらず、レストランは休んでいるしターミナルの近くには店は皆無、時刻表もないしインフォメーションやカストマーサービスには誰もいないのでバスの発車に関する情報が全く得られない。係員が大きな声でがなりた立てているが何を言っているのか全く聞き取れない。シカゴ行きは何番ゲートかと聞いても明確な答えはなく何かわからないことを言っている。出発時間が間近に迫ってもシカゴ行きの乗車の列はできないので、何らかのトラブルが発生したのだろうが、残念ながらその内容はわからない。
すると、しばらくしてシカゴがなんたらかんたらというアナウンスがあり列が動く。さっき私が問い合わせした係員か私の方を見て向こうに行けと指さしている。出発ゲートではなく、到着ゲートの方から出て、グレイハウンドではない他社のバスに誘導される。やはり何らかの車両トラブルがあったのだろう。15分ほど出発が遅れたが、なんとかシカゴに向けて出発できることになった。
ニューヨークを出てから、バスもターミナルも電波自体は受信しているもののネットには繋がらない状態が続いていたが、どういうわけかある時点からネットに繋がるようになり、今晩の宿も予約できることとなった。予約なしで宿に行って泊まれなかったらどうしようと思ったが、その心配はいらなくなった。以前に自転車でアメリカを旅していた時は予約などしなかったものだが、その時は仮に泊まれなくても別の宿に自転車で移動したものだが、今は大荷物で歩きなので、そういうわけにはいかない。
また5時過ぎにファストフードの店が集まった建物にバスが停まって皆は食料を買い出しに出かけたので、私も後を着いていく。ハンバーガーやピザの店の前にはずいぶんと列ができていたので並ぶ気にはなれなかったが、その向かいにはドーナツ屋があってほとんど列はできてなかったが、甘いものは夕食代わりにはならないのでどうしたものかと思っていたら、1番奥にセブン-イレブンがあり、温めたパンがあったので買うことにした。肉を挟んだ大きなパンで、それだけで十分1食分となるボリュームだったし、朝売店で買ったパンは冷えていたが、やはり温められていると美味しく食べられる。
その後にまたネットに通じなくなる。今度は先ほどと違い、設定上は繋がっているはずなのに繋がらないという状態である。先ほど繋がっていたのは何だったのかと思ったが、一時的にせや繋がったのはよかったといえる。もう少しして宿に入れれば、ボストンで泊まったドミトリーと同一系統だから間違いなく繋がるはずなので、それまでの辛抱である。
ボストンからシカゴまでは総計1900キロにも及び、これは宗谷岬から佐多岬までの距離に匹敵するもので、これを3箇所の乗り継ぎ場所で各1〜2時間の乗り継ぎ時間でトータル28時間で走破してきたのである。アメリカ横断の中ではもっともハードな部分を終えたわけなので(その割には疲れは格別感じてないが)、明日以降はもう少し楽な行程になるだろう。
ターミナルから宿までは大した距離ではないので歩けないことはなかったが、シカゴには1時間遅れて着いたと思ったら、1時間の時差があったので予定時間に着いたことになる。暗くなっており知らない道を歩く危険もあるのでタクシーに乗ることにした。乗る前に料金を確認すると15ドルだという。すこし高いなとは思ったが、まあいいやと思って乗車する。降りる時に20ドル札を出したら釣りがないと言われる。ヤラレタと思ったが、まあしょうがない金持ち?喧嘩せずで、そのまま下車する。
4月5日
今日は寝坊しようと思ったが、やはり早起きしてしまった。いよいよ懸案となっている横断後半戦の詳細を詰める時である。まずはグランドキャニオンで予定していたキャンプをどうするかである。キャンプ場はたくさんあるようだが、ほとんどが予約が必要なので申込むサイトを調べると、まずはアカウントを取らなければならないということでアカウントをとると、なにやらたくさんの選択項目がでてきて、内容を理解するだけで丸一日かかるんしゃないかと想うほどの分量である。最初の計画的時点では、キャンプ申し込みがこれほど大変であるとは知らずにいたが、日帰りでも現地の滞在時間は8時間ほどはあるのだから、無理にキャンプすることもないかなと思えてきた。
次にモニュメントバレーについてはグランドキャニオンと並んで行きたいと思っていたが、こちらは公共交通機関がないので、レンタカーを利用できなければツアーに参加するしかない。しかし、日帰りツアーで5万円は半端でなく高いので二の足を踏んでいたが、まあ今回は人生最後の大旅行ということで、南極クルージングやイースター島訪問などに金を使ってきたのだから、こんなところで金をケチってもしょうがないと申込むことにした。ただ主催者への直接申し込みでなく、代理店への申込みをしただけなので、最終的に参加できるかどうかは、もうしばらくたたないとわからない。
下調べが一段落したので近くの喫茶店に行き、サンドイッチとコーヒーで昼食にする。食後にさらに足を延ばしてセブン-イレブンに行き夕食のパンも買ってから宿には戻り、預けてあった荷物を受け取ってからバスターミナルに向かう。ターミナルには電光掲示板は何台もあるのだが、みな午前の便のしか表示しておらず、夕方の便の情報は得られない。知りたいのは、ただひとつ何番ゲートからどのバスが発車するかということだけなのだが、こんな基本的な事項の情報提供もしないのはサービス業としては失格だと思うのだが、日本人とは考え方が違うのかな。
今回もデンバーまでの直行ではなくオマハで乗り換えるのだが、行先表示にオマハと書いてあるバスがあったので、このバズかなとも思ったが、グレイハウンドのチケットなのにそのバスは他社のバスだったので今ひとつ自信がなく、運転手に恐る恐るチケットを見せると問題がないようであった。その時、運転手の指示に従わない乗客がいたが、運転手は実に堂々とした態度で叱りつけていた。昔アメリカのバスの運転手を保安官になぞらえる記述を読んだことがあるが、まさにそれと同じ情景が見られ、古きアメリカに出会えたような気がした。
乗客は定員のほぼ半分で二人席を一人占めできていたが、発車間際におばさんが乗車してきて何処にすわるのかなと思ったら、よりによって私の横に座るではないか。まあしょうがないやと思ったら機関銃のように喋りだすではないか。もちらん何を言っているのか全然わからないが、わかったふりをしてると更に喋り続けるだろうと思い、知らん顔をしてるとつまらなくなったのかほかの席に移って行ってくれて一安心した。そちらに移ってからも、ひとしきり喋っていたが、それで気が済んだのか大人しくなってしまった。
その後、コンビニの横にバスは停まり、乗客は食料を買うために下車した。私は、一応食料は持っていたが、明日の朝の分を買い足すために下車した。買い物が終わり下車した所に戻ると、なんとバスがいないではないか。他の乗客もみな寒空で待っているので、特に心配はしなかったが、30分ほど待ってようやくバスは戻ってきた。事前に説明はあったのだろうが、ヒアリングができないと、いろいろと不都合はあるものだ。ただ、この不自由さもあと一週間ほどの辛抱だ。
4月6日
バスは深夜のハイウェイを疾走するが、いつしか眠りに落ちてしまう。気がつけばバスは一般道を走っていて次第に減速していく。終点のオマハに近づいているようだ。ターミナルは深夜にもかかわらず大勢の客が次のバスを待っている。椅子には空席はあったが、一つずつ仕切られているので横になれない。そこで、マットレスを敷いて床に寝たので多少は眠ることができた。明け方が近づいてくると、バス待ちの人が増えてきて椅子の空席がなくなりそうだったので椅子に移る。ひと眠りしようと思ったら、私の乗るバスの発車時間まではまだ時間があったが乗客の列ができていた。シカゴに戻るバスが先に出るようだ。シカゴ行きのバスが発車してしまうとターミナルは寂しくなった。ここからデンバーまで乗る客は多くないようだ。デンバー行きのバスもしばらくして発車したが、車内はガラ空きである、これから9時間のロングドライブが始まる。残念ながら今回のバスはWiFiが効かないが、モニュメントバレーのツアーに行けなくなったことによるフラッグスタッフの宿の変更の連絡は今日中にすればキャンセル料はかからないようなので、宿についてから行なうこととしよう。
昼時にマックの前にバスが停まったので、ハンバーガーとコーヒーをテイクアウトする。こちらの店員はチリのマックと違い、日本のマックと同様に手ぎわがよい。まあ本場なんだから当たり前か。バスに戻ったら運転手の後ろにWiFiのパスワードが張り付けてあるのに気付いた。そう言えば朝方に運転手がWiFiがどうのこうの言ってたのは、このことだったのか。早速、フラッグスタッフの宿のキャンセルをしようと思ったが、WiFiが完全な状態ではなく何らかの制限がかかっているようでアクセスできなかった。またモニュメントバレーのツアーも1日ツアーではなく、夕日だけを見るツアーがあることを発見したのでアクセスしようと思ったら、こちらもアクセスできなかったので、やはり宿についてからアクセスしてみよう。
時間的にはデンバーにだいぶ近づいているはずなのに距離はまだだいぶあるなあと思ってたら、時差があってデンバーの手前で1時間戻ることになっていた。アメリカに入ってから2回目の時差修正である。アメリカはさすがに大きな国である。日本との時差が何時間なのかもわからなくなってしまった。昼過ぎに通じていたネットも繋がらなくなってしまった。もしかしたら、WiFi環境に障害が発生したのではなく、端末ごとに利用できる通信量に上限があってそれに達してしまったためかもしれない。
デンバーまで70キロほどになっても依然としてあたりは平原が続いている。デンバーはコロラドの州都ではあるが、大都会というほどではないようだ。デンバーまでの距離が路肩に表示されるが、こちらは全てマイル表示なのでキロ換算するには1.6倍しなければならない。12年前にデンバーまで自転車でツーリングした時も何回騙されたことか。あと10キロだと思っていたら実際は16キロで、そのことに気がつくとガッカリしたものである。
平原の中にポツポツと家が見えてくると、遠くの方には山並みが見えてくる。ロッキー山脈の前衛の山である。12年前にはサンフランシスコ方面から一ヶ月近くをかけてロッキーの3500メートル近くの峠を越えてデンバーまで自転車でやってきたのである。それを思うと今回はバスに揺られる単調ささへ我慢すればよいのだから楽なものである。まあ当時と比べると体力もガタ落ちだから今はこれはこれで大変であるとも言えるのだが。まもなく市街地に入ると、さほど時間もかからずにターミナルに着いた、12年前に来た時はもうちょっとこじんまりとした街という気がしたが、全く違った印象を受ける街となっていた。それはともかく、ボストンから3500キロ、6台のバスを乗り継いで、丸3日間、2回の時差修正を行って辿り着いたのである。ゴールのロサンゼルスまではまだ2千キロほどもあり、もうひと頑張りが必要だ。
その晩はアメリカ横断前半戦の終了を祝ってささやかなお祝いをするつもりだったが、最初はバスから牛角の店が見えたのでそこを目指す。ところが、入口を入った所から人が溢れかえっている。これではいつ食事にありつけるかわからないので、別の店に行く。そこはNBA ロッキーズのホーム球場の前にあり、この日は試合があるため、大勢のファンが押し寄せて店の中に何台もあるテレビを見ながら応援で盛り上がっていた。少しうるさいなとは思ったが、ほかに店もないので我慢する。何店かの店があり、注文があると各テーブルに料理が運ばれるが、私はラーメンを注文し、うるさいテーブル席ではなく、カウンターで食事した。なかなか豪華版のラーメンで味もまずまずであったが、これで三千円はいかにも高い。早く物価高のアメリカを抜け出して日本に帰りたくなってしまった。
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