旅行

2022年9月 9日 (金)

九州後半戦

前半はほぼ予定どうりに進んだ今回の旅行も後半は台風の影響で予定が大幅に狂ってしまったが、コロナ前からの懸案だった沖縄~鹿児島フェリー乗船と熊本・宮崎県境の登山はできたので良しとしよう。宮崎を出て二百名山である尾鈴山の最寄り駅である都農駅に向かうが、当日の天気予報は午前中は雨、午後は曇りということだったので、わざと宮崎出発を昼頃まで遅らし、都農駅から登山口まではタクシーを利用してサクッと登ってくるつもりであった。ところが、都農駅に近づくに連れて雨が本降りとなってきたので、尾鈴山は断念して急遽ホテルの予約を入れて延岡まで足を延ばすことにした。その晩はホテルの前にある居酒屋で焼酎とおでんを賞味する。

翌日も台風は沖縄方面にあって九州は直接の影響はないが、登山のコンディションではないので延岡市内に滞在する。実は東京を出発する時からくたびれていた運動靴が末期的な状態となってしまったため、購入しょうと駅周辺を探したが、グーグルマップではあるはずの店がなかったり、あっても運動靴は売ってなかったりという具合で買えず仕舞いであった。その時、昨日の居酒屋でタクシーで千円もかからない所にイオンがあると聞いたことを思い出したので、タクシーで行って見る。そこは、各種の店が入っているショッピングモールでイオンで運動靴を買えた他、100円ショップで何点かを購入した。帰りは少し離れた所から駅行きのバスが出ていたので、それに乗っていく。

午後は駅の待合室に行ってみると 書棚には旅行関係の本ばかりがかなりの分量あった。全国各地の駅を訪れているが、こんな設備のある駅ははじめてだ。冷房も効いているので、暇つぶしにはもってこいだ。飛ばし読みした本の中にネパールでロックアウトに遭遇した時のことが書いてある本があり、そういえば去年の夏は十日間の強制隔離があったことを思い出したが、それに比べれば延岡でロックアウトされているのに近い今の状態はずっとマシだなと思えてきた。もっとも、台風接近で今日明日は食事付きの宿としたので、缶詰状態に近くはなるのだが翌日は終日籠城生活となることを覚悟していたのだが、九州最接近は今夜半から明日早朝とのことであり、今のところ雨も降ってないので、せっかくだからと午前中に高千穂峡に行ってくることにした。
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宮崎交通の一日乗車券を買うとお得とのことなので、始発となるバスセンターに行ってみると、なんと今日はお休みである。車内で買えばいいやと、しばらく待って高千穂峡行きのバスがやって来たので、運転手から一日乗車券を買おうとすると、車内では販売してないということでビックリ。ただ、コンビニでならば買えるとのことで、運転手さんも一緒にコンビニまで来てくれて販売機の前で格闘するが、なかなか難しそうで、お店の人まで来てくれてやっと買えた。発車間際にバス停に来たのではアウトになるところであった。

車内はがら空きで、さすがにこんな天気の日に高千穂峡まで行く人はいないんだろうと思ったら、高千穂峡の最も人気のあるスポwwットの真名井の滝のあたりは観光客でいっぱいで、滝の下にはボートが何そうも浮かんでた。みんな車で来るんだろうな。高千穂峡の次の人気スポットとしては高千穂神宮を初めとする天孫降臨にまつわる所だが、天皇制に関連するものは全て拒否している自分は、どこにも寄らずに延岡に戻った。
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午後は一日乗車券を利用して市内を一望できる城山に出かけた。戦国時代の猛将・立花宗茂の実父である高橋紹運と同族の高橋氏を経て城主は次々と代わり、最後は内藤氏の居城となったとのことである。城郭は残っていないが、野面積みの石垣は壮観である。もっとも、お城に興味のない人には観光の対象とはならないようで、誰も見学者はいなかった。見学後も時間はあったが、台風が近づいていることもあり、早めに宿に戻った。
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台風は深夜に九州に最接近したようで、朝には雨は止んでいた。今日は二百名山の大崩山の登山口の少し先にある小屋まで行くだけだから、駅近くで昼食後に出発するつもりであったが、天候も回復してきたことであるし、何があるかわからないので早めに出かけるに越したことはないと昼前に出発することにした。その代わり、小一時間ほど先にうどん屋があるとグーグルマップに出ていたので、電話で営業時間を確認してから出かけた。そろそろうどん屋に近いと思われるあたりに来たが、目指すうどん屋はいっこうに現れない。グーグルマップを拡大すると、道路から奥まった所にあるようなので、まわりを一周してみたが発見できなかった。たまたま近くに郵便局があったので聞いてみたが知らないという。郵便局でもわからないのであれば、しょうがないと諦めて少し先にある温泉でも食事ができそうだったので、もう一頑張りすることにした。キャンプ場手前までは緩やかな登りだったので漕いで行くことができたが、キャンプ場直前の登りでは自転車を降りて引いて行く羽目になる。さらに少し上の温泉まで引いて行くと、入り口には「支度中」の札がぶら下がっている。水木が休みで火曜の今日はやっているはずだとしばらく立っていると、中から人が出てきて「今日は休みにしました」とのこと、ガーンである。仕方ないので、持参したパンで腹を充たす。温泉前の広場に腰を下ろし、休憩がてら大崩山の景観を眺める。頂上より少し下には小積ダキという岩場があり、フリークライミングが登場する前は九州を代表するすけーるの大きい岩場として全国的にも知られていたが、フリークライミングの普及とともにすっかり名前を聞かなくなってしまった。温泉からさらに小一時間自転車を引いて登山口に着き、ここに自転車を置いて大崩山荘(無人小屋)を目指す。コースタイムは40分となっているが、自転車を漕いだり引いたりしてきた疲れのせいか1時間以上かかってしまった。ここまで来る途中で気になっていたのは、小屋から対岸の尾根の登り口までの沢の横断であった。地図から判断する限り橋はなく徒渉となる見込みだが、大雨により果たして可能かどうかということである。夕食前に水汲みを兼ねて沢まで降りてみる。沢は小屋の前で二手に分かれえいるが、水量の少ないと思われる手前の沢でもかなりの水量であり、ここからは見えない奥の沢は推して知るべしである。

翌朝は外が薄明るくなった頃に小屋を出て沢に向かう。手前の沢の水量は昨日よりも多少少なくなったようで希望が出てきた。ところが中洲に上がって奥の沢を見ると絶望的になった。激流でとても渡れる状態ではないのだ。どこか渡れそうなところはないかと目を凝らすと、少し下流に川幅が広くなって流れが多少は緩やかになっているところがあった。そこでズボンを膝まであげて水に入ってみたが、思った以上に深く優に腰まできそうである。流れもそこそこあり、この深さで徒渉するのは危険であると判断して退却することを決断した。登山口まで戻る途中で下から登ってくる登山者に出会う。沢の状態を話したが、とりあえず行くだけ行ってみるとのことだったので、気をつけるように言って別れる。

登山口まで戻って自転車を回収して後は延岡まで下るだけである。だいぶ下りたところで、このまま延岡まで下りても時間が余るばかりなので、寄り道して行縢(むかばき)山という山を登ることにした。1000メートルにも満たない低山ながら圧倒的な大岩壁を有していて全国的にも知られている(クライマーだけかな)山である。駐車場までは例によって自転車を引いて行き、そこから登山開始となる。登り出してしばらくすると、足にチクリと痛みを感じたのですぐに足を見ると、ちょうどヒルが足に食いついたところであった。すぐにふるい落としたので傷は浅かったが、久々のヒルの洗礼であった。別に毒があるわけではなく、しばらくは血が止まらなくなってしまうだけだが、夏の低山のジメジメしたところでは要注意である。危険のある山ではヒル避けの薬を持っていくのだが、飛行機搭乗時に没収されるかもと思って持参しなかったのが裏目となってしまった。
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少し高度を上げて吊橋をわたると上部に行縢の滝が眺められる。全国各地にある滝の名所には名前倒れの所も多いが、ここは、今まで見た滝のなかでは上位に入る見事な景観であった。さらに登ると雄岳と雌岳の分岐点に出るが、両方を登る時間の余裕はないので、最高点である雄岳を目指すことにする。遠くからは岩山のようにみえるが、実際は樹林帯ばかりを歩くと思ったら、頂上直下には少しだけ岩が出てきて、頂上は岩山のてっぺんであった。頂上からは延岡市内が一望でき、360度の展望といいたいところだが、背後の今回敗退した大崩山方面は樹木が繁っていて展望が望めなかったのは残念であった。下りは往路を戻ったが 、結局誰にも会うことはなかった。平日ということもあるのかもしれないが、アプローチも短く展望も素晴らしくお手軽に登れる山なのにどうしてだろう。
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延岡駅には6時前に着き、今回の旅の実質的最終日になるので、無事終了の祝杯をあげたいところであるが、今日の宿を予約してある佐伯までの列車が1時間以内に発車し、それを逃すと次の列車は随分と遅くなるので、とりあえずコンビニで酒とつまみを買って祝杯の練習を行い、佐伯に着いてから祝杯をあげることにした。明日は福岡空港までJRで移動して飛行機で帰るだけなので、後半戦のブログもこれで終わりとしたい。

 

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2022年9月 2日 (金)

五箇荘から宮崎へ

今日は宮崎まで移動するだけだからノンビリしてもよいのだが、宿の都合で8時過ぎの出発となる。おかげで五木村の道の駅で人吉駅行きのバスを2時間以上待つこととなる。五木村はいわずとしれた五木の子守唄の五木であるが、延々と同じメロディーが流されるのは参った。童謡風、ポップス調と多少変化はつけてあったが。

 

平家の落人伝説のある五箇荘から五木村、さらには人吉とくだってきたが、まだまだ山深さを感じさせる所である。人吉駅は肥薩線とくまがわ鉄道が接続する所だが、数年前の水害で両線とも運休となっており、このまま復旧が進まないと地域の一層の地盤沈下は避けられないだろう。

 

宮崎まではさらにバス三台とJRを乗り継いだが、宮崎駅に着いた時にはすっかり暗くなってしまった。

 

 

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2022年8月 7日 (日)

南アルプス300名山周回 四日目

 テントの外が明るくなってきた頃、広場に駐車していたバイクが上流を目指して走っていく。羨ましい限りだが、やむを得ない。黒法師岳を目指したのは2回目だが、前回は反対側の寸又峡温泉から登り、前法師岳までで時間切れとなってしまった。次回、黒法師岳にトライする時は、前回同様のコースならば雪のある時期か水を豊富に持って行き2日行程とするか、今回と同じコースならば友人の車に乗せてもらうか往復ともタクシーを利用することになるだろう。いずれにしてもヒルの多い時期は避けるのが賢明だ。この山域では過去にも二回ヒルにやられた経験があるのだから
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後ろ髪を引かれる思いで水窪に下り、飯田線で平岡に移動する。平岡で今回宿泊する龍泉閣は過去にも二回宿泊したことがある。最初は愛知県最高峰を登るために訪れ、二回目は200名山の熊笹山を登るために来たもので、その際に周辺はほぼ行き尽くしているので、午前中に着いたもののホテル内での温泉三昧となった。山歩きに来たのか温泉巡りに来たのかわからなくなってきた。
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南アルプス300名山周回 三日目

今日の予定を検討した結果、黒法師岳登山は明日に回し、午前中は湯谷温泉までの移動、午後は湯谷温泉での休養、夜は黒法師岳登山口までの移動とすることにした。湯谷温泉は昨日キャンセルした宿に罪滅ぼしで行くことも考えたが、その宿の日帰り温泉の営業時間は短く料金も割高だったので、別の施設に行くことにした。また、長野県南部の降水確率は50パーセントで簡易テントを登山口付近に張るのは如何がものかとも思えたが、登山口手前に無人の小屋があって開放されているという情報をネットでえたので、今夜中に登山口まで行ってしまえば、明日の行程が楽になるので、30キロ以上だけど頑張ることにした。

 

朝、ネットカフェを出て駅隣の駐輪場から自転車を回収しようとしたら、なんとカギが開かないではないか。ここの所、カギの開きが悪くなっていたので、そろそろ新品に変えようかと思っていた矢先であった。予備のカギも試して30分近く経っても開く気配がない。

 

自転車を放置していかなければならないかなとも思ったが、ネットで調べてみると潤滑油を差すと治ると書いてある。自転車用の油は持参しているので、藁にでもすがるつもりで差してみる。だが、指した直後には状況が改善する気配がなかったので、もつひとつの対策として書いてあったワイヤーカッターを隣町にあるダイソーに買いにいかなければならないかなと考えたが、しばらく経ってから試すと今までのことがウソのように開いて一件落着となった。油が奥の方まで染み込むのに多少時間がかかったのだろう。

 

一時間ほど時間を要したが、なんとか昼前に湯谷温泉に着き、風呂に入った後にアユのフライをつまみに生ビールで喉を潤す。湯谷温泉は東海自然歩道の愛知県コースを歩いている時の最終日に寄るつもりが、時間が足りずに行けなかった上に、昨日も行けずに鬼門となっていたが、なんとかリベンジを果たすことができた。その後は休憩所で休んだ後に早めの夕食を食べてから、黒法師岳の最寄り駅である水窪に移動する。
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水窪駅で下車して水窪川に沿ってしばらく進むと右に橋を渡って急傾斜になる。たまらず自転車を降りて歩き出す。大きく迂回してトンネルをくぐると水窪ダムに出る。ここまでは駅から八キロ、標高差300メートルだが先は長い。しばらくは舗装路を行くが、その先で道が二つに別れて黒法師岳に向かう湖水沿いの道はダートとなっているではないか。しばらく進んでみたが舗装路が現れる気配はないので、黒法師岳を断念することにした。なにしろ登山口まではまだ20キロ近くあり、歩いていくには遠すぎる。ダム広場に戻って屋根のある休憩所にテントを張ることにした。

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2022年4月15日 (金)

東海自然歩道 番外編 城めぐりと近江鉄道

3日間歩き続けたので今日は休養日ということで、彦根近辺の観光をすることにた。まずは彦根城に向かう。彦根の町は以前にも中山道歩きや琵琶湖一周自転車走の時にも訪れたのだが、時間がなくて行かずじまいとなっていたものである。

 

東海自然歩道を歩いている際も、愛知県から西では城に立ち寄ることも何度かあったが、いつも時間の余裕がなくてゆっくり見学することがでしなかったので、今日は時間無制限で天守閣だけでなく、資料館その他の施設も見学できるセット件を購入した。

 

ちょうど修学旅行生と鉢合わせたので、彼らの見学が終わるまで外でゆっくり待ち、静かになってからじっくり見学した。観光客がほとんど行かない大手門の方にも足を伸ばした。
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見学後は城下町を散策し、近江牛のステーキならぬ牛丼を食べた。値段は吉野家の倍以上するが、味も倍とはいかないものの、まあ旨かった。
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午後は彦根の東側にある佐和山城跡に出かけることにした。関ヶ原の戦いで西軍を実質的に率いた石田三成の居城だったが、関ヶ原の戦いで石田三成が敗れた後は彦根城が完成するまでは井伊直政の居城となり、彦根城に移転後は取り壊されてしまった。

 

彦根城が近世の幕開けとなる典型的な平城なのに対して佐和山城は中世最後の山城である。標高差200メートル近くを一気に登るので、彦根城と違って観光客はまず行かないところだ。途中でおばさんたちを追い抜いたのだが、下りの時には出会うことがなかったので、諦めてしまったようだ。
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本丸があった頂上からは彦根の街と彦根城が眺められ、背後に は琵琶湖がひろがっていた。4時半前にには彦根駅に戻れたので、ついでにもうひとつ城めぐりをするつもりだった。それは、三成が絶対的な忠誠心を捧げた豊臣秀吉の最初の居城となった長浜城である。だが、ネットで調べると、隣接する資料館が5時に閉館することがわかったので、 他日を期すことにした。

 

その後は 二時間少々をかけて、近江鉄道の本支線を完乗して一日の観光をしめくくった。
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2022年3月16日 (水)

最後の難関

最終日となり、長崎空港から飛行機で戻るだけだった。長崎空港はだいぶ以前に仕事で何度か利用したことはあるのだが、すっかり忘れてしまっており市内から遠いのにビックリした。仕方ないのでJRで大村まで行き、そこから自転車で空港まで行こうかなと思ったが、空港のある島に渡る橋が自転車走行禁止になっているではないか。まあ自転車を降りて歩道を引いていく分にはかまわないらしいか、随分と時間がかかりそうた。一番楽なのは大村駅からタクシーに乗って行くことだが、タクシー代がかなりかかるだろう。

 

他のアクセス方法を調べてみると、長崎郊外の船着き場からフェリーで行く方法と、長崎のバスターミナルからリムジンバスに乗って行く方法もあった。これだとバスにはトランクがあるので自転車を運ぶこともできるようだ。ただいずれの方法も、昨日乗った特急かもめの続きである黒かもめには乗れなくなる。それにフェリーだと船着き場にたどり着くのもたいへんそうだ。さらに調べてみると、諫早駅からも空港行きのバスが出ていることがわかり、これなら黒かもめに乗ることも出来るので一石二鳥だということになり、これを選択することにした。

 

長崎駅に着くと先発の白かもめが既にホームに停車していたが、もちろんそれは見やって開業間近の新幹線ホームを眺めたりして時間を潰す。見たところではほとんど完成しているようにも見え、なぜ秋まで開業を待っているのだろうと不思議に思えてしまう。しばらくして入線した黒かもめに車内清掃が終わってから乗り込むが、違いは白かもめにあったようなデッキがロビーのように広いスペースはないことだった。新幹線開業後に走るリレーかもめはどういう車両が走るのだろうか。どうも今回、わざわざ長崎まで来て宿泊したのはかもめに乗るためだけだったような気もするが、まあいいか!
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諫早駅に戻ってバスターミナルに行くと、なんと諫早からは空港行きのリムジンバスは通っておらず(長崎駅行きはあるのだが)、空港行きのバスは路線バスで当然トランクはないとのことである。ただ車内持ち込みは認めてくれたので(二人分の料金は必要だったが)、車椅子用のスペースに置くことにした。途中、病院にも立ち寄った際には車椅子の人も見かけたが、乗り込んでくることはなかったのでホッとした。
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路線バスだけに空港までは随分と時間がかかったが、早めに出発したので、フライトのチェックインには余裕をもって間に合った。これでトラブルはもうないと思いきや、土産を買って早々と保安検査をすませてしまうと、その先には売店しかないではないか。ちょうどお昼時だというのに大失敗であった。なんとか腹の足しになりそうなものを選んで、夕方に羽田に着くまで我慢することにした。トラブル続きだった今回の旅は最後にもトラブルを残してくれていた。

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2021年12月12日 (日)

ホリデイ イン ギフ

今日は休養日ということで8時過ぎまで寝て、コインランドリーで洗い物をしてからホテルを出る。今日は初日の小牧山城に続く「信長の城めぐり」第二弾の岐阜城巡りである。駅前から岐阜城公園行きのバスもでているが、時間はじゅうぶんあるので、市内見物がてらに1時間ほどかけて歩いていく。
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岐阜城公園は日曜日ということもあるのか、大にぎわいである。ここから金華山山頂の岐阜城までは標高差が数百メートルあってロープウェーも利用できるが、往時の面影を求めて歩いていく。岐阜城までの登りはメインの七曲がり道とサブの馬の背道があるが、今日は休養日ということなので、楽そうな後者を行く。
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城が近づくと昔の石垣な跡も現れて面白くなる。岐阜城の天守閣自体は比較的新しく再建されたもので歴史的価値はないのでパスするつもりだったが、近くにある岐阜城資料館に入ろうとしたら、天守閣のチケットを見せる必要があるというので、天守閣まで戻ってチケットを買う。だが肝心の資料館はNHKの大河ドラマ関係の展示が中心でガッカリであった。
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下りは本来ならばメインの七曲がり道を行くべきであるが、南側の道を降りる。というのは、南側の道を降りた先には岐阜では数少ないローソンの100円ショップがあるからである。明日からの自然歩道後半戦で使うレトルトご飯を温めるのに使う小さい容器でも可能な二つ折りのレトルトご飯は一般のコンビニでは売ってないからである。ローソンの100円ショップに着いた時は暗くなっていたが、振り返るとはるか彼方の岐阜城がライトアップされているのが印象的であった。

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2021年11月21日 (日)

蒜山

5、6年ほど前に日本百名山登頂を達成し、次は二百名山に向かう人も多いと思われるが、自分の場合はそういう気にはならなかった。というのは百名山の時は北海道の山でのヒグマの恐怖にはなんとか耐えたが、もう一度あの恐怖を味わう気にはならなかったので、はなから二百名山登頂達成はあきらめていたのだ。しかし、その後二百名山の山をいくつか登って、百名山を除く二百名山の登頂済みの山が70近くになったこともあって、北海道を除く二百名山を全て登頂することを目標にすることにした。そこで今回は少し足を延ばして中国・近畿地方の二百名山3山と都道府県最高峰のうち、本州で唯一登っていない山口県の寂地山を登り、併せて日本列島海岸線走破の旅のうち、山口県から広島県にかけてと大阪府から和歌山県にかけても自転車で走破しておくことにした。

 

旅の最初は伯耆大山の南東に位置する二百名山の蒜山である。山自体は1200メートルほどしかないが、中国地方のほぼ中央に位置しているため、登山口までのアプローチが非常に長いものになる。まずは岡山までは新幹線である。大人の休日倶楽部の三割引の切符のため、のぞみには乗れずにひかりとなるが、静岡や名古屋まで何回か利用した時は、のぞみに追い越されるのは停車駅では一回だけだったと記憶しているけれども、相生駅では二回も追い越されたのには驚いた。次の岡山駅がひかりの終点なのだから、岡山駅で追い抜いてくれよと言いたくなった。

 

岡山からは津山線で津山に向かう。去年の山陰行の際にも乗っているはずだが全然記憶になく、川に沿って奥深く入っていく情景が新鮮に感じられて旅情を誘うものであった。タレントの六角精児ならば、早速かばんからビールを取り出すはずであるが、残念ながら岡山でビールを買い忘れたので六角さんにはなれなかった。

 

津山駅周辺には津山城、電車庫など見るべきものはあるのだが、近くからじっくり見るにはそれなりの時間がかかり、今回は時間が足りないので遠くか眺めるだけにとどめた。残りの時間で津山駅のコンビニで翌日の行動食までまとめて買い、待合室で遅い昼食を食べる。姫新線に乗り換えて中国勝山で下車。ここからバスで蒜山高原に向かう。バスは学校帰りの高校生で満席て、乗車時に整理券が出ないので変だと思ったら一律200円であった。1時間以上の乗車でもこの料金というのは多分市が補助しているのだろう。
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バス停で下車したときは真っ暗になっており、今晩のホテルまでは1時間近く歩かなければならないのだが、幸か不幸か今晩は部分月食のため、ライトなしでは前進は困難であった。ホテルでは風呂に入った後、コンビニ弁当で夕食を済ませて明日のために早めにベッドに入った。

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翌日はコースタイムでは7時間程度の行程だが、12時過ぎのバスに乗らないといけないため、余裕を見て4時過ぎにホテルを出発する。月食は終わっており、満月の明かりの中を歩けたのはラッキーであった。登山口から中蒜山までの標高差は700メートルほどしかないが、そこに一合目から順番に合目の表示がされていて次の合目がさほど時間を置かずに現れるので精神的には楽であった。

 

八合目あたりで明るくなってきたのでライトを外してザックにしまっていると、かなり早いピッチで登ってくる後続者に追い抜かれる。この登山者には中蒜山の山頂で一度は追いついたが、その後は姿を見ることはできなかった。中蒜山の山頂に着いた時はあたりはすっかりガスに包まれて全く展望はなかった。最高峰の上蒜山まではなだらかな草原が続いていて、天気が良ければ気持ちの良い所だろうが、今日は残念であった。
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上蒜山山頂には8時半過ぎに着き、これで帰りのバスには余裕で間に合うことが確信できたので、山頂から少し離れた所にある三角点まで往復してくる。せっかく東京から来ながら三角点を踏んでないことを後で悔やみたくなかったからである(山頂1203メートルに対し、三角点は1199メートル)。
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上蒜山から蒜山高原まで下る途中では弱いながらも雨まで降り出す。雨が降るなんて聞いてなかったぞと言いたくなったが、上下雨具にザックカバーまで付けたので、少々の雨ならばへいっちゃらである。登山口までは一時間半ほどで下りられたが、バス停までは30分以上歩かされた。バス発車時刻までは一時間半ほどあったので、近くのレストランで食事をしたりして時間を潰して予定のバスに乗る。今日は学校がお休みなので、料金体系が違うのかと思ったが、やはり一律200円であった。

 

中国勝山まで帰る途中、いかつかの温泉街を通るが、途中下車して次のバスに乗ると予定の電車に乗れなくなるので、やむを得ず中国勝山まで乗っていく。ただ中国勝山では次の列車までは3時間近くの待ち時間があるので、時間潰しを考えなければならない。昨日ちらっと駅前を歩いたら「町並み保存地区」という看板を発見したので、そこに行ってみることにした。

 

全国各地にある昔の町並み風景と格別変わりはないが、時間潰しには最適だった。その中に作り酒屋があったので、六角さんではないが寄ってみた。あいにく試飲は感染対策で中止となっていたのは残念だった。かといって瓶で買うのはツーリングでは携行が無理なので諦めた(六角さんなら一列車で飲み干してしまうかもしれないが)。結構観光客も出ていて、何人かはレンタルサイクルを利用していたか、自分の自転車は早々と袋にしまってしまい、もう一度組み立てる気にはならず、午前中の山はハイキングに毛が生えた程度のもので疲れもほとんど残っていなかったので、歩いての観光はノープロブラムであった。
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その後は新見で乗り換えるため下車して街に出て、駅近くの店で備中そばなるものを食す。あんかけ風の肉野菜そばといったら良いだろうか。
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その後はコンビニで酒とつまみを買って駅に戻り、出雲市行きの特急に乗る。本当は今夜は明日の三瓶山の最寄り駅となる大田市駅まで行き最寄りのホテルに泊まりたかったのだが、大田市だけでなく出雲市でも今夜は全てのホテルが満室だった。感染が下火になってからの初の飛び石四連休の初日だからやむをえない。そこで今夜は出雲市駅近くで、コロナ流行以来、利用を控えてきたネットカフェの利用を解禁することにした。ネットカフェは熟睡はしがたいが、明日の三瓶山はコースタイムが今日の半分以下の本当のハイキングなので問題ないだろう。

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2021年11月13日 (土)

白峰南嶺の空白部分を埋める

湯の島温泉は今春の桜(タイミングが合わず)に続いて紅葉を狙ってやってきた。ただそれは表向きの理由で、本当の目的は日本アルプスを日本海に突き出た山稜から太平洋に落ち込む山稜の末端まで縦走する計画の仕上げとしてやってきたのである。

 

南アルプス第二位の高峰である間ノ岳から南に延びる稜線は白峰南嶺と呼ばれているが、赤石山脈という名前の起源ともなっている赤石岳を盟主として多数の三千メートル峰を連ねる南アルプス主稜と比べると訪れる人も少なく地味な存在である。しかし、南アルプス主稜は太平洋に近づく前に山稜の形が失われてしまうのに対して、白嶺南嶺は海岸線ちまで山稜の形を保っている貴重な存在である。

 

白峰南嶺は山伏より北は踏破してあるが、南側は踏破したところと未踏破がまだら模様となっているので、今回は青笹山より北側を全て踏破することを目的としている。先ずは山梨百名山ともなっている山伏と八紘嶺を結ぶ稜線については今春に片付けるつもりが、山伏の手前で時間切れとなってしまったため、その部分だけをトレースするために、わざわざ山伏を登る羽目となってしまった。

 

後半の食料等は登山口付近にデポしておくことにした。結果的にはその時間帯だけだったのだが、結構下山者が通ったので、万一デポ品を持ち去られたら大変なので、葉っぱや木の枝でカムフラージュしておいた。もっとも自分自身がわからなくなっては困るので、現場は写真を撮っておくのも忘れなかった。

 

デポして担ぐ荷物が軽くなったので、明るいうちには避難小屋に着けると思ったのだが、思ったほどにはペースは上がらず、小屋に着いた時は真っ暗になってしまった。最近は簡易テント(ストックシェルター)のことが多いが、やはり居住性は小屋が断然いい。ただ一人で無人小屋に泊まると薄気味悪いのも事実だ。出口の開き戸が固くて開け閉めに苦労していたことが記憶に残っていたのか、扉が独りでに開いてしまいゾッとしたら夢だった。そんなわけで熟睡はなかなかできなかった。

 

翌朝は3時半に小屋を出発、山伏山頂を経て未踏の尾根に足を踏み入れると問題が起きた。ネットからダウンロードした地図でも紙の地図でも稜線上に登山道が通っているのに、テープや布によるマーキングを辿っていく道をGPSで確認すると稜線を離れて支尾根に迷いこんでいるように見えるのである。山頂まで戻って「正しい」道を探すも発見できず、明るくなるまで待機することにした。

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明るくなってから、「正しい」道があるはずの稜線上を探すが踏跡さえ見当たらない。これはやはり、マーキングされた道が正しい道で、何らかの理由で地図上の道とは異なってしまったのだろうと考えたが確信が持てないので、とりあえず稜線上を進んでみて、マーキングされた道と合流するのを待つことにした。しばらく稜線上を進むと案の定マーキングされた道と合流したので、無駄な時間をかけてしまったが問題は解決されたことになった。

 

前回の到達地点までは間もなく到着したので、そこから引き返し山伏を経て来た道を戻り、デポ品も無事回収でき、予定したバスにも乗れて、湯の島温泉で妻と合流することとなった。
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翌日は朝は雨模様であったが午後には晴れるという予報なので、予定どおり安倍峠から南下する稜線歩きに向かう。雨のために出発を遅らせて様子を見るが、一向に止みそうもないので、予定より1時間遅れの9時半に宿を出発する。

 

安倍峠までの自動車道は崩壊のため通行止めだが(4年前から通行止めのままで復旧するつもりがないのかしら)、八紘嶺方面への登山道は登れるので、途中から安倍峠に向かうことにする。傘をさしながらストックを突いて登るが、どうも調子が上がらず、安倍峠手前までのコースタイム1時間20分のところを2時間もかかってしまう。こんなことては宿の夕食時間に間に合わなくなるのでぺースを上げることにした。

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林道から安倍峠に降り立つといよいよ本格的な登りがあ始まる。雨もほとんど上がり傘も必要なくなったので、ペースも上がってきてコースタイムの7~8割で歩くことができ、下降点である奥大光山の手前には3時に着いたので、宿には5時頃には着くかなと思えた。ところが気が緩んだわけでもないのにベースが上がらず、宿に着いたのは予定よりも1時間遅れの6時となってしまい妻からお目玉をくらう羽目となってしまった。

 

翌日は午前中のバスで妻と一緒に宿を後にする。今日中に帰京するため静岡まで行く妻と別れて、六郎木で下車し十枚山に向かう。昨日と異なり天気は良いし時間にしばられることもなく、のんびりと景色を眺めながら登っていく。だか、呑気な気分は長続きはしなかった。肝心の登山口が見つからないのである。紙の地図上で登山口と書いてある付近まで行って見るがそれらしきものは見当たらない。そこで手前に林道と交差していたのを思いだして戻って見る。だが林道の入り口には登山道についてのことが何も書かれてない。おかしいとは思ったが、登る尾根はわかっているので、林道の適当なところで尾根に取り付けば正しい道と合流するだろうと進んで行くと、案の定、正しい道と合流した。登山口は地図に書かれている地点よりももう少し奥の方にあったらしい。

 

一件落着と言いたいところだが、次の難題が待ち構えていた。尾根の途中で山腹を巻き気味に登る道が分岐しているが、そちらの方は沢を横切る所で水を補給できるようなので、炊事用の水は持たずにきていた。ところが、巻き道の方は崩壊箇所があるということで通行止めになっているでさないか、どうすべきか思案した結果、通行止めとなっていると言っても、今までの経験上では全く通れないという可能性は低いし、仮に通れそうもないと判断した時は、崩壊箇所は沢を横切る所だろうから、そこで水を補給してから戻って尾根コースを歩けば言いだろうということになった。

 

巻き道コースに入ると直ぐに一ノ沢の出合で、上流からの土石流が登山道を押し流したようで、あたりは岩が散乱していた。ただ下の方まで続く巻き道が作られていて、ローブも張り巡らされていたので通過は特に問題はなかった。「自己責任でご利用ください」との注意書きはあったが。巻き道からも水を汲むことは可能であったが、まだ時間は早かったし、次の沢で汲めばいいやと素通りする。

 

一ノ沢を過ぎるとジグザグの道が続いて高度を上げていき、なかなか二ノ沢に着かない。薄暗くなった頃にようやく二ノ沢に着いたが、そこには予期せぬサプライズで避難小屋があった。地図には記載されてなかったので、簡易テントを張るつもりだったのだが、いい意味での想定外だあった。

 

最終日は暗いうちに小屋を出る。夜道だとどうしてもベースが上がらず、コースタイムをだいぶオーバーして十枚峠に着く。重い荷物は峠に置いて軽装で十枚山の山頂を目指し、標高差200メートル弱の緩やかな登りで99座目の山梨百名山に登頂する。前二回は時間不足等から登れなかった山にようやく念願が叶って登ることができた。だが、前回は十枚山手前の所で引き返したので、そこまで行かないと白嶺南嶺の縦走はつながらないのである。

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前回の到達点の記憶は定かではないが、このあたりだろうという所で引き返し、十枚山を再び越えて峠を目指す。途中で軽装のパーティーとすれ違い、こんな早い時間にどこから来たのだろうと思って地図を見たら、これから向かう地蔵峠のすぐ下まで林道が延びていて、小一時間の登りで稜線に達することができるので、十分日帰り可能な山になるようだ。

 

十枚山のすぐ南には下十枚山という山があって、こちらの方が十枚山よりも20メートルほど高い上、地蔵峠からの眺めも雄大で立派な山容なのだが、なぜか山梨百名山には十枚山が選ばれてしまい、山名もおまけのような名前となってしまった不遇な山である。下十枚山から先は下り気味にアップダウンを繰り返して岩岳まで下りると、後は地蔵峠までは急降下が続く。その間にも二人の単独行者とすれ違った。

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地蔵峠から南下して青笹山に達するまでは以前に歩いているので安倍川方面に下山する。30分ほどの下りで林道に降り立つが、バス停まではまだ2時間近く歩かなければならない。バス停近くにわさび飯で評判となっている店があるとのことでぜひ行ってみたかったが、営業が3時までということでのんびりとはしていられない。途中、近道をしようと思ったら行き止まりとなっていて引き返すというアクシデントもあったが、なんとか閉店30分前に間に合い、看板メニューのサビ飯定食を注文し、
Dsc_0243_copy_430x242 食後は近くのバス停から静岡方面に向かうことができた。

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2021年8月29日 (日)

強制隔離

いよいよ十日間の強制隔離がはじまる。

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デルタ株流行国として指定された国からの帰国者に対する取扱は次のようになっている。

デルタ株流行国として指定された百カ国近い国からの入国は原則禁止となり、帰国者は例外的に次の条件を守ることを条件に帰国が認められることになった。
・出発72時間以内に献体採取したPCR検査についての陰性証明書(厚労省所定の書式を含む)の提出
・誓約書の提出、健康状態や現在地を報告するアプリのインストールと隔離期間中の報告
・空港での抗原検査が陰性であること
・10日間の施設隔離とその間の3回のPCR検査で陰性判定が得られた場合の公共交通機関を利用しない自宅への移動と四日間の隔離

71年生きてきて幸か不幸か塀の中で暮らした経験はなかったが、今の生活はそれに近いのではと思えてくる。飲酒が禁じられていることはまだ我慢できるが、部屋を一歩も出られないというのが、非常にストレスになっている。その結果、外部とのつながりらしきものはネットやテレビを除くと、窓から見える空港の景色だけである。隔離されているホテルは成田空港第三ターミナルに隣接しており、朝は日の出を臨め昼間は広大な空港が一望でき、夜になれば滑走路灯が幻想的な美しさを見せる。そして昼間は出払ってた飛行機が翼を休めに戻ってくると、我が子が帰ってきたようにホッとした気分にさせてくれるから妙なものである。

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部屋から見える日の出
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同じ経験をされる方のために参考となることを書いてみる。ただし、私の滞在した東横イン成田空港についての経験だけなので、他施設では違う取扱がされる可能性があることは承知ください。
・提供される弁当について私自身は特に不満はないが、それ以外には食料は調達できないので(出前も認められていないようだ)、嗜好品等を希望する人は出国前に用意するか、家族等に差し入れ(酒は没収)を頼む必要がある。
・テレビは利用できるが、テレビに組み込まれているオンラインビデオは利用できないようになっているので、時間つぶしの方法を考えておいた方がよい。
・健康状態報告や現在地報告が毎日義務づけられているが、それとは別にビデオ通話への応答が不定時に求められている。これに応じると、こちらの様子が相手方に筒抜けとなるので、それが気になる人は、慌てて応答せずに身だしなみを整えてから応答するか、普段からあまりリラックスしすぎないようにすることも必要かもしれない。

日々の生活は三食の弁当が最大の楽しみであり(だんだんと飽きてはくるが)、後はテレビとネットで時間つぶしはできる。特にkindleで本のダウンロードができるのはありがたい。さわりの部分だけならば無料なので立ち読み感覚で読めるのが良い。

そうこうするうちに(といっても長い時間だったが)強制隔離最終日である十日目の朝が来た。7時前にPCR検査の採取容器が配られる。ホテル隔離後、三日目、六日目に続く三回目の検査である。キルギス出国直前の検査から数えると、二週間の間に五回の検査である(うち一回は成田空港での抗原調査)。検査はこれでおしまいにしてほしいものだ。

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朝食後にゆっくり風呂に入ってから荷物の整理を行う。これでいつでも退所できる準備は整った。その後に昼食として入所後30回目となる弁当の配布を受ける。いやー、よくも飽きもせずに食べて来たものだ(そんなことを言ったら罰が当たるか)。
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1時前に昼食を食べ終わると、後は何もやることがないのでテレビを見ながら検査結果の通知を待つ。事前に確認したところでは2時半から3時の間くらいに連絡が来るということだったが、3時近くなっても連絡が来ない。しびれを切らしてコールセンターに館内電話するが誰も出てこない。よもや陽性判定(たとえ、そうでも僞陽性に違いないので、再検査で陰性となることは間違いないとは思ったが)で、今日は退所できないから連絡が遅くなっているのではと悪い方に考えが行ってしまう。

3時15分過ぎにようやく連絡があり、すぐに退室してキーを返してバスに乗るようにとのこと。あわてて1階に降りて退所手続きを取ってバスに乗り込むと間もなくバスは空港に向かって動きだす。そうだ、十日間も隔離されたホテルの外観くらいは写真に撮っておかなきゃと思ったが、バスの窓は行きと同様に全て目張りされて景色が見れない(まだ感染者扱いかよ)。仕方ないので、覆いの間から撮ったものだから、ピンボケしてしまった。

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バスはすぐに空港第二ターミナルに着き、ここで自宅隔離の注意事項の説明でもあるのかと思ったら、別に係の人がいるわけでもなく、ここで解散ということのようだ。自宅までは公共交通機関の利用は禁じられているので、ハイヤーを予約しておいたが、そのチェックがあるわけでもないので、公共交通機関で帰ろうと思えば帰れたようである。もっともあんな重い荷物を担いで、猛暑の中を帰るのは大変なので、ハイヤーで帰るのも悪くはない気がした。  

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ハイヤーはホテル隔離者専用みたいで、運転席と後部座席差透明シートで完全に仕切られていて、感染者扱いはまだ続いているようだ。成田空港を出発したのが4時ちょっと前という時間だったのが幸いして渋滞にも会わずに2時間もかからずに帰宅できるこどできた。こうして、コロナが下火になっている「安全な」キルギスから一定人口あたりでは、1日の感染者がキルギスの10倍となっている「危険な」東京への移動は何故か10日間の隔離を挟んでようやく果たすことができた。
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