旅行

2024年4月25日 (木)

ひたち海浜公園 はとバスツアー

はとばすでひたち海浜公園にネモフィラを見に行った。

大洗の水産業者直営の回転寿司での食べ放題の後、海浜公園に向かう。平日だというのにすごい人出だったが、わざわざ出掛けるだけの価値がある壮観な眺めだった。

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2024年4月13日 (土)

ロサンゼルス滞在と帰国

ロサンゼルスの1番の観光名所と言ってもいいハリウッドサインに行ってみる。宿がハリウッドの街にあるので歩いても行けない距離ではなさそうだ。グーグルマップで経路を検索すると、真東にかなり進んだ後に北に転ずるようになっている。そこで経路に従って歩きだしたが、曲る地点よりもだいぶ手前で左側の奥の方にハリウッドサインが見えて来たので、こちらから行った方が近いのではないかと思って進路を変更する。

その後は一本道が続いているように思えたので、地図で確認もせずに進み続けるが、しばらくしてどうもおかしいと思って確認すると、反対側の方にむかっているようだ。フリーウェイをくぐる前に分岐していた道をフリーウェイへの進入路だと勘違いして通り過ぎでしまったためのようである。やむを得ないので戻って正しい道を進むと、傾斜がだんだんとキツくなる。

ハリウッドサインから遠かったときは見えていたHollywood の文字が前景のために見えなくなってきたために、正しい道を外していたので、少し戻って正しいと思われる道を選んだらまたhollywoodの文字が見えてきた。傾斜はますますきつくなってきたが、なんとか頑張ってビューポイントまで上がることができた。ほとんどの人は車で上がったのだろうが、大勢の人が見物に来ていた。

下りは楽チンで三十分ほどで地下鉄駅までおりられた。ここから地下鉄の始発駅であり昨夜にグレイハウンドのバスで下車した地点でもあるユニオンステーションに向かう。日本のように現金で地下鉄の切符を買えるところは今回訪れた国には一つもなく、みな交通カードにチャージして利用するのが一般的であるが、そのやり方が各地域で微妙に違っているので、慣れるのが大変だ。ロスでは昨夜到着時に近くを清掃していたおばさんの助けを駆りて、最低運賃込のカードを買ったのだが、今回これにチャージしようと券売機で操作を試みたところ、どうしても上手くいかない。一回分のチャージはできるのだが、その都度手続きするのが面倒だなと思っていたら、老人向けの一回分利用料金は半額程度になることを発見、これを使わない手はないと複数回分をチャージするのはやめることにした。事前にチャージすると必ず使い残してしまうのが通例だったし。

ユニオンステーションから少し歩いた所にリトルトーキョーと言われる場所があり、日本料理店がたくさんあるというのでいってみる。下調べなしで店に入り、海老の天ぷらというのがあったので注文してみた。ブエノスアイレスで入った和食店でも天ぷらは今ひとつだったから、試してみたかったのだ。ところが出された料理は天ぷらとは名ばかりで単なる巻き寿司で期待はを裏切られた。これならば、サンティアゴの日本人が経営している寿司屋の方が美味かった。他の店に入っていないでこんなことをいうのもなんだが、リトルトーキョーの日本料理店は恐らく「海外の和食店」のレベルを超えるものではないのだろう。

宿に帰って、フライトの日程変更を依頼した代理店からメールが来てないかチェックしてみるも音沙汰なしである。全く対応の悪い代理店である。今夜中に納得できる返事がない場合は、フライトをキャンセルして、新規に予約を取らざるをえないだろう。この予約はアメリカ入国に際して、出国の手立てを証明しないと不法就労を疑われて入国拒否される可能性もあるということで、安いLCCのチケットを購入したもので、いわば役目を果たしたとも言えるので、キャンセルしても惜しくはないと言えるだろう。

昼食は和食店で失敗したので、夜は近くのインド料理店で口直ししようと行ってみると、サンティアゴの「最後の晩餐」で行ったような高級店ではなく、たくさんの料理の中から自分で選択するスタイルの大衆食堂的なものであったが、それでもビールともで料金が四千円程度になるという馬鹿げたもので、こんな物価高の国には長居は無用だとつくづく思った。

日本時間では営業時間終了となる5時に相当するロスの深夜1時になっても代理店からの連絡がないので、その予約はキャンセルして、別の航空会社の直近のフライトを予約することにした。これで早々に日本に帰れるということで嬉しくなった。

4月11日

実質的に今日が旅の最終日であるが、特に予定はない。宿の前に市内周遊の遊覧バスが停まっていたので少し興味をそそられたが、料金を確認すると2時間で約八千円とのことで即座に却下。お昼は近くのハンバーガー屋で済ませるが、あちこちでハンバーガーを食べたので帰国しても当分は食べたくないだろう。

ロサンゼルスは暑いので、夕方になって日差しが弱まってから大谷選手が今期から所属するドジャースのホームスタジアムを見に行くことにした。昨期まで所属していたエンジェルスのホームスタジアムは同じロサンゼルスでも郊外の時間がかかる所だったが、ドジャースの場合は市の中心部に近くて行きやすいし、それに帰りにはチャイナタウンで食事ができるというメリットもある。

本日のドジャースは敵地でのプレーで明日からはホームスタジアムでの試合なので、もう1日帰国を引き延ばせば大谷選手のプレーを見られるチャンスもあったが、日本と違って自由席はなく全て指定席で安い席でも8千円程度と、先ほどの遊覧バスと同程度するが、こちらの方は払ってもいいかなと思ってた。ところが、申込み方法等を調べると、単にカード会社を通した払込だけではだめで、スマホへ通知されたコード番号の入力で完了とのことである。ここで問題となるのは、私のスマホの電話番号である。音声通話の場合は日本の国番号の次に最初の0を除くのだが、データ通信の場合も同様かどうかがわからない。ここで間違えるとチケットが届かず宙に浮いてしまうかもしれない。今回はグランドキャニオンのバス予約に際してもコードの問題で失敗した前科があるので、止めておくことにした。特別に大谷選手のファンというわけでもないし、単に話のタネにするためなのだから。

ところが、地下鉄駅の終点から30分ちょっと歩いてスタジアムのゲート手前まで来ると、係員に前進を阻止される。やむを得ないので球場近くまできたことの証拠写真だけをとって引き返す。

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帰り道のチャイナタウンで店に入って最初の行き違いはビールを注文したところ、酒を置いてない店だったことである。次に炒飯と小籠包を注文すると、その量がどうみても二人分あることだった。小籠包はなんとか食べたが、炒飯は海老は全部食べて残りは半分近くは残してしまった。となっあようである。


帰りの地下鉄は途中で長時間停車した上、やっと走り出したと思ったら逆戻りを始めた。すぐには気づかなかったので数駅は損をしたが、明日はそうならないで願いたい。

4月12日

6時半頃に宿を出ればいいと思っていたが、4時過ぎには目覚めてしまった。そこで気になっていた空港バスのことを調べてみた。ネットの情報では、バスの切符はオンラインでの事前申込みか下車時のカード払いで現金払いはできないとなっていたので、カード払いのつもりだったが、そこには気になることが書いてあった。それは近いうちに事前申込みだけになるかもしれないという一文である。すでにそのようになっていて、事前申込みをしてないと乗車ができなくなっているとたいへんなので、事前申込みをしておくことにした。カードの情報を入力して承認をうけたので、これで終わりかと思ったらチケットのアクティベイトもしなくてはいけないようなのだ。アクティベイトって何だ?あちこち画面をいじってたら、また申込みの画面に戻ってしまい、元の画面には戻れなくなってしまった。ここで、また申込みをすると二重払いになってしまうだろうから作業は止め、領収済のメールを見せれば乗車できるだろうと考えた。

今日の地下鉄はスムーズに動いて終点に到着し、いよいよ空港バスである。しばらく待つと空港バスがやってきたので、運転手にアクティベイトに失敗したと告げて領収済の画面を見せた。ところが、運転手はアクティベイトしなければダメだと言い張り、私のスマホを取り上げると画面を切り替えて自動的にダウンロードされていたらしい空港バスのアプリを開きアクティベイトの画面を出してアクティベイトし、それをバスの乗車口の読み取り機にかざすと、OKになったようである。申込みをすると専用アプリが自動的にダウンロードされ、そのアプリの中ででないと処理が完結しないとは、なかなかわからないことであるか、若者には常識なのだろうか。

空港までの高速道路は逆コースのため渋滞はなかったが、ターミナルの手前あたりからこみだした。ロサンゼルス空港は巨大な空港でターミナルが10近くあるが、私の乗る便はユナイテッドとの共同運行で第7ターミナルのため、グーグルマップで経路を検索すると、第1ターミナルから歩くようになっていたので変だなと思っていた。その疑問はすぐに解決した。第1ターミナルから先は大渋滞で歩いた方が早いのである。

チェックインは完全に自動化されていて荷物受け入れの所に人がいるだけである。イミグレや保安検査もスムーズに終わり、ラウンジに直行だと思ったら、ネットにはあると書いてあったプライオリティパスで入れるラウンジは見当たらなかった。他の空港でもそのようなことがあり、プライオリティパスで使えるラウンジは世界的に縮小しているようである。まあラウンジといってもプライオリティパスで使えるものは、大したサービスはないので、年会費を払ってまでカードを持つ必要はないかなと思えてきた。

搭乗券に印刷されている座席はB席なので、長時間両側を挟まれているのは窮屈だなと思っていたら、最後尾の座席だったので、両側の席は二席ずつでラッキーであった。これから東京までの11時間の飛行時間は長いと言えば長いが、イクアスからブエノスアイレスまでの20時間近い夜行バスに比べればたいしたことはないようにも思われる(アメリカ横断ではさすがにそこまで長いバスはなかったように記憶しているが)

4月13日

日付変更線を越えて日本は目前に迫ってきた。長かった旅もあと少しでピリオドである。楽しかったことも多かったが、大変だったことのほうが多かったような気もする。しかしそれらのことも全て過去のことになってしまうが、ひとつだけ過去のことではおわらないことがある。それは帰国便の日程変更についての代理店の対応を究明することである。どうもこの代理店はネットで調べてみると、いろいろとトラブルを起こしている評判の悪い会社のようである。なかには10ヶ月も争ってようやく返金に応じたというケースもあったようである。今回も予定日に搭乗していれば、何も問題は起きなかったかもしれないが、日程変更権を行使したために、そこをつけねらわれたようだ。詐欺についての状況証拠は保存してあるので、違約金を要求することはもちろん、消費者庁や国土交通省に訴えて、行政罰を与えてもらう必要があると思った。

最後の最後になってトラブルに巻き込まれてしまったが、それはそれとして事故もなく無事に終えられたことを喜びたい。読者の方にはここまで長い間お付き合いをいただいてありがとうございました。

 

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2024年4月10日 (水)

アメリカ大陸横断後半戦

4月7日

デンバーからグランドキャニオンの入口であるフラッグスタッフまでは直通はなくアルバカーキーで乗り換えるのであるが、昨日ターミナルで自動券売機で検索した際には、ネットではアルバーキーからフラッグスタッフ方面のバスは2時間ほどの待ち合わせで接続するようになっているにもかかわらず、フラッグスタッフ行きはないと表示されてしまう。どうも、この機械はおかしいようなので、とりあえずアルバーキーまでの切符だけでも買おうとターミナルに向かう。す

今日はちゃんとフラッグスタッフまで乗り継ぐ切符が表示されるのでまともな状態になったかなと思われたが、1枚目の切符が最後の所で尻切れトンボになって出てきて、2枚目は出てこなかった。画面にはエラーで印刷できない旨と予約番号が表示されていたので、その画面はスマホで写真をとっておいた。近くにいた係員にそれを見せるとOKだというので、このまま前進することにした。それにしても2日続きの不具合が起きる自販機に巡り合わせてしまったものだ。

バスの発車待ちの間にターミナルの上にあるアムトラック鉄道のデンバー駅の待合室で朝食をとったが、12年前にここからサンフランシスコに向かって列車に乗り込んだところである。やっとその時の思い出に巡り会えた気がした。朝食を終えて戻ってくると、バスは発車直前で危ないところであった。

12年前にデンバーを目指した時は、ロッキーの山岳地帯を登ってきたものだが、今回は一転してロッキーの山裾を通って平原地帯を進んで行く。バスは南に向かって進路を取り、ロッキー山脈の雪景色もも次第に見えなくなってしまった 。単調な景色が延々と続くのは、シベリア鉄道に乗車した時とどこか似ている気がする。6時でもまだ日は高いが、アルバカーキーに着く頃には日は地平線に沈んでいるだろう。

時間は7時でだいぶ日は傾いてきたが、日没まてにはまだ1時間くらいはかかるだろう。終点のアルバーキーに着く頃と日没は同じ頃になるか。今、車が通っている少し北の方には観光地として有名なサンタフェがあり街並みも見えるが、バスはサンタフェは通らず南側を通過して一路アルバカーキーに向かう。

日没よりも30分ほど遅れてアルバカーキーに到着する。ここで2時間の待ち合わせでフラッグスタッフ行きに乗り換えるが、ターミナルには菓子類の自販機しかないので、街まで出てスーパーに入ったらすしが売られてたので、明日の朝食分も含めて買って戻るとターミナルの扉はロックされてたので、しょうがないから外で食べることになる。

フラッグスタッフまでのバスに乗るのに心配だったのは、デンバーで券売機の故障で2枚目の切符が印刷されてなかったため、はたしてちゃんと乗車できるかどうかという点であったが、使用済みの1枚目の切符と印刷失敗の表示がされている券売機の画面の写真を見せたら問題なく乗車できた。あとは最後の経由地フラッグスタッフに向かうだけだ。

4月8日

明け方と言うよりも、まだ深夜のフラッグスタッフターミナルで下車。ターミナルの本体には鍵がかかってて入いれないが、手前の部分だけは入れる。ただ完全密閉はされてないので多少は寒い。

夜明けまではまだしばらく時間がかかりそうだったが、出遅れるとまずいので、荷物を置くためにモーテルに向かう。方向や道を間違えたため、モーテルまでは意外と時間がかかり、身軽になってモーテルを出たときはグランドキャニオン行きのバスの発車時間までは30分となっていたが、駆け足で行けば十分間に合うと思っていた。

グランドキャニオン行きのバスは先ほど下車したターミナルよりも少し先の鉄道の駅から出るのだが、そこまで行くのに意外と時間がかかり、駅に到着したのは発車時間ギリギリとなってしまった。

駅前でバスを探すが見当たらない。しまった!間に合わなかったか。次の発車は五時間後となってしまい、現地滞在時間がほとんどなくなり、行ってきましたというだけになるが、やむをえまい。もう一日帰国を延ばして翌朝出直すということも考えられるが、早く帰国したいという気持ちの方が強かった。

次のバスまで十分時間があるので、昨夜の残りのすしを食べたり、街中を歩いたりしていたが、ふと街角の時計を見ると1時間遅れているのに気づく。さらに進むと次の時計を見つけたが、やはり1時間遅れている、あ!時差修正が必要なんだと気づく。

アメリカ入国の時にスマホの時差は自動修正に切り替えており、2回の時差修正も自動的に行われていたし、デンバーからの移動は南北が主で東西の移動距離はそれほどでもないので油断していたのだ。しかも時差修正が必要なことに気づいたのは、始発バスが出てから後のことだったのだ。

始発バスに乗れなくて現地滞在時間が短くなってしまうことは残念だが、もし時差修正の問題がなくて滑り込みでセーフになった場合には別の問題が発生したかもしれないのだ。それは往復のバス代と国立公園入園料で125ドルが現金で必要となるが、手持ちのドルはそれを若干下回っていたのだ。アメリカ入国以来、支払はほとんどカードでおこなっていたので、現金のことはついつい忘れがちであった。現地にATMがあれば問題はないが、そうでない場合には立ち往生しかねなかった。もちろん、現地にもホテルはあるが、空室があったとしても馬鹿高い料金を払う羽目になっていたことだろう。万事塞翁が馬とはこのことか

昼の便に乗るつもりで待っていると、やはりキャニオン村に向かうと思われる人が二人待っていたので、発車時間が近づいたので、私もそちらに移ったが、彼らは空港シャトルの車にのりこんでしまった。一人残された私はキャニオン村行きのバスが来るのを待ったが、ついにくることはなかった。

案内所でたずねると、空港シャトルの車が空港経由でキャニオン村に行くとのことで、一日を棒に振ってしまったことになった。それでは翌日は間違いなく乗れるだろうと思ったところ、車内で現金払いではなく、事前にオンラインで申し込まねばならないということで、アクセス先をきいておいた。

宿に戻ってから、予約しようと必要事項を入力したら、最後にクーポンコードの入力を求められた。クーポンコードとは何のことかわからないので予約も断念した。どうもこのことで、糸が切れてしまったようで、グランドキャニオンには行かずにロスにむかい、早目に帰国することした。

今夜の宿はドミトリーではなく今回初のモーテルだ。12年前に自転車で来た時は街の外れで泊まることが多かったのでモーテルに泊まることも多かったが、今回は街の中心に泊まることが多かったためモーテルに泊まる機会がなかったが、今回はたまたまターミナルが街の外れにあったためモーテルに泊まる機会を得たが、ドミトリーに比べるとはるかに居住性は優れている。

モーテルの隣はマクドナルド、そしてさらに隣はサブウェイだったが、ファストフードの店はもう食べ飽きてしまったため、さらに隣のレストランに行く。もうアメリカ滞在もわずかなので、値段は気にせずに食べたいものを食べることにした。選んだのは野菜と肉を煮込んだものをトルティーヤとともに食べるものであったが、このあたりになるとメキシコ文化の影響をかなり受けているようで、いろいろな表示にも英語とともにスペイン語も使われるようになってくる。

4月9日

早起きしたので、洗濯するとともにシャワーも浴びようと思ったが、いつまで待ってもお湯にならないので諦める。南極の梅に入る人の気がしれない。その後は帰国が早まることに伴う航空券とロサンゼルスの宿泊の変更手続きをしようとしたが、航空券については代理店での受付はされたが、要望にそえられるかどうかはわからないとのことで、帰国がいつになるかは今のところ未定である。また宿の変更は申し込んであった宿では対応できないとのことだったのでキャンセルし、別の宿を予約することにした。

久しぶりのモーテルを引き払ってフラッグスタッフのターミナルに戻る。歩いて30分くらいの距離だが何度往復したことか。結局、フラッグスタッフはなんのために滞在したのだろうか、気を揉むことだけに終始した1日であった、ターミナルでは出発まで1時間以上あったので、朝の洗濯物を柵に干して半乾きにすることができた。

フラッグスタッフに降りたときは、わずかの乗客しか降りなかったが、今回はかなりの乗客が乗り込んだ。私の席は今まで経験したことがないほどの肥満体の人と隣り合ってしまった。自分の座席から弾き出されそうなほどで、早く次のバスストップに着かないかなと待ち遠しかった。2時間ほどでフェニックスのターミナルに着き、喜んで下車した。ところがトイレに行ってからバスに戻ろうとすると、ドアに鍵がかかって戻れない。係の人に言ってもダメだと言われる。ところが、バスは動き出すではないか。置き去りにされるのではないかという恐怖心から反対側から道路に出てバスが停まっている所に回り込もうとしたが、フェンスで囲まれていて入れない。ここでネットで検索すれば、途中停車ターミナルの到着時間と停車時間が分かることに気付き、調べるとフェニックスでは80分も停車することがわかり安心する。そこで飲み物でも飲もうと自販機の所に行くが、カードで課金はされているようだが、品物の番号を押しても品物が出てこない。現金でも買えるようなので、1ドル札は切らしていたので、2ドル札をいれるが、1ドル札しか使えないようだ。飲み物は2ドル50セントのものと1ドル50セントのものがあるが、手持ちのコインは1ドル25セントしかなくて結局飲み物は買えなかった。フェニックス大嫌い!(咲)

ロサンゼルス行きの前に別の行き先のバスが発車したが、ターミナルにいた乗客のほとんどがそちらに乗ってしまい、ターミナルに残った乗客はわずかになってしまったので少し心配したが、ロサンゼルス行きの改札が始まって乗車すると車内はガラ空きであった。おかげで隣の席に半乾きの洗濯物を干すことができた。これからは下車する前にネットで停車時間を確認しておこうと思ったが(他の乗客は車内アナウンスで知っているのだろうが)、そんなことに気づくのかまグレイハウンドの旅の最後の最後になってからとは、少し遅すぎたかな。

夕方にスーパーの横に停車し食料の買出しに下車したが、今までとは明らかに違う南国の陽気であった。ここはもうカリフォルニア州でロサンゼルスまで300キロちよっとのところである。長かったアメリカ大陸横断もいよいよラストスパートである。バスに揺られる毎日が日常となってしまったが、こんな生活もあと少しで終わりかと思うと少し寂しい気もする。一生のうちで二度とできない生活だろうから、残された数時間をじつくりと味わっていきたい。

 今日は東西にかなり移動したので時差修正が必要かと思ったが、結局その必要なかったようだ。国土が広いのでしかたがないとはいえ時差修正というのはやっかいなものだ。バスは間もなく市街地に入り、ユニオンステーションと直結しているターミナルに入る。これで正味6日間に亘るアメリカ横断旅行はピリオドを打つことができた。移動総距離5500キロ、9台のバスを乗り継ぎ、時差修正3回を数える大移動だった。しかし、今晩の宿に辿り着くまでは本当のフィナーレとは言えない、ロサンゼルスは治安が悪いと聞いていたので、今回のように夜遅く着く場合はタクシー利用もありかなと思っていたが、地下鉄の始発駅がバスターミナルと直結しており、下車駅から通りに上がった向かい側に宿があるそうなので、タクシーの利用は不要と判断したが、その通りであった。

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2024年4月 7日 (日)

アメリカ大陸横断前半戦

4月3日  

ボストンのバスターミナルを夕方の4時半にバスは出発して真西に向かわず、一度ニューヨークに戻ることになる。ニューヨークまでは一度通った道なので、特に景色を見るまでもなく、ブログ書きで時間を潰す。ニューヨークに戻ると、バッファロー行きに乗り継ぐ(最終の目的地はカナダのトロントなので、トロントに行く人はパスポートチェックを受けていた)。出発時にはかなり空席があり、二人席を一人占めできたのであるが、途中でかなりこ人が、乗り込んできて満席状態になってしまった。


4月4日

深夜から明け方にかけてかなりの乗客が降りてしまい、バッファローに5時半過ぎに着いた時はがら空きになってしまい、しかもほとんどの乗客はバッファローで下車したので、終点のトロントまで行く乗客はわずかであった。バッファローのターミナルでは10数人のバス待ちの人がいたので、私もシカゴまでの切符を買おうと販売機に向かうが、メンテ状態となっており窓口もまだ係員がいないので切符が買えず、ならばネットで買おうと思ったらインターネットも通じない有り様だった(回線はつながっているようなので、ルーターの電源が入っていないのか)。こんなことなら昨夜ニューヨークのターミナルでバス待ちをしている時にネットで予約しておけばよかった。ネットの情報では、ネットで予約しても紙に打ち出さないといけないように書いてあるが、現在は改善されていて半分くらいの乗客がスマホを見せて、係員がスマホに表示されているQRコードを読み取ってそれでOKになっているようだ。

7時前にようやく係員が現れて、これで自販機が使えるようになるのかと思ったら、依然としてメンテモードのままなので、係員に言うと窓口で発行をしてくれた。間もなく発車時間になるので水と菓子類を買って車内に乗り込む。早朝のため車内はガラ空きで、料金も昼の便よりも1割以上安く設定されている、ただシカゴへの直行ではなく、途中で乗り換えが必要となるが、乗り継ぎ時間が昼時の1時間なので好都合ではある。ルートはエリー湖の南岸付近を通るようになっているので湖が見られるかと思ったら、少し離れた所を通っているようで、樹林帯の中を通っていく景色が続いていく。ちょうど東海道線が滋賀県を通っていても琵琶湖が見られないのと同じことか。ただ一瞬だけエリー湖を望める箇所はあった。琵琶湖でも淀川との分岐あたりは東海道線が通るが。

乗り継ぎ地点のクリーブランドが近づくとまたエリー湖が見えてきた。昼前に終点のクリーブランドのバスターミナルに着く。このターミナルは今までのターミナルの中で最低だ。ネットが通じるかと期待したが相変わらず繋がらず、レストランは休んでいるしターミナルの近くには店は皆無、時刻表もないしインフォメーションやカストマーサービスには誰もいないのでバスの発車に関する情報が全く得られない。係員が大きな声でがなりた立てているが何を言っているのか全く聞き取れない。シカゴ行きは何番ゲートかと聞いても明確な答えはなく何かわからないことを言っている。出発時間が間近に迫ってもシカゴ行きの乗車の列はできないので、何らかのトラブルが発生したのだろうが、残念ながらその内容はわからない。

すると、しばらくしてシカゴがなんたらかんたらというアナウンスがあり列が動く。さっき私が問い合わせした係員か私の方を見て向こうに行けと指さしている。出発ゲートではなく、到着ゲートの方から出て、グレイハウンドではない他社のバスに誘導される。やはり何らかの車両トラブルがあったのだろう。15分ほど出発が遅れたが、なんとかシカゴに向けて出発できることになった。

ニューヨークを出てから、バスもターミナルも電波自体は受信しているもののネットには繋がらない状態が続いていたが、どういうわけかある時点からネットに繋がるようになり、今晩の宿も予約できることとなった。予約なしで宿に行って泊まれなかったらどうしようと思ったが、その心配はいらなくなった。以前に自転車でアメリカを旅していた時は予約などしなかったものだが、その時は仮に泊まれなくても別の宿に自転車で移動したものだが、今は大荷物で歩きなので、そういうわけにはいかない。

また5時過ぎにファストフードの店が集まった建物にバスが停まって皆は食料を買い出しに出かけたので、私も後を着いていく。ハンバーガーやピザの店の前にはずいぶんと列ができていたので並ぶ気にはなれなかったが、その向かいにはドーナツ屋があってほとんど列はできてなかったが、甘いものは夕食代わりにはならないのでどうしたものかと思っていたら、1番奥にセブン-イレブンがあり、温めたパンがあったので買うことにした。肉を挟んだ大きなパンで、それだけで十分1食分となるボリュームだったし、朝売店で買ったパンは冷えていたが、やはり温められていると美味しく食べられる。

その後にまたネットに通じなくなる。今度は先ほどと違い、設定上は繋がっているはずなのに繋がらないという状態である。先ほど繋がっていたのは何だったのかと思ったが、一時的にせや繋がったのはよかったといえる。もう少しして宿に入れれば、ボストンで泊まったドミトリーと同一系統だから間違いなく繋がるはずなので、それまでの辛抱である。

ボストンからシカゴまでは総計1900キロにも及び、これは宗谷岬から佐多岬までの距離に匹敵するもので、これを3箇所の乗り継ぎ場所で各1〜2時間の乗り継ぎ時間でトータル28時間で走破してきたのである。アメリカ横断の中ではもっともハードな部分を終えたわけなので(その割には疲れは格別感じてないが)、明日以降はもう少し楽な行程になるだろう。

ターミナルから宿までは大した距離ではないので歩けないことはなかったが、シカゴには1時間遅れて着いたと思ったら、1時間の時差があったので予定時間に着いたことになる。暗くなっており知らない道を歩く危険もあるのでタクシーに乗ることにした。乗る前に料金を確認すると15ドルだという。すこし高いなとは思ったが、まあいいやと思って乗車する。降りる時に20ドル札を出したら釣りがないと言われる。ヤラレタと思ったが、まあしょうがない金持ち?喧嘩せずで、そのまま下車する。

4月5日

今日は寝坊しようと思ったが、やはり早起きしてしまった。いよいよ懸案となっている横断後半戦の詳細を詰める時である。まずはグランドキャニオンで予定していたキャンプをどうするかである。キャンプ場はたくさんあるようだが、ほとんどが予約が必要なので申込むサイトを調べると、まずはアカウントを取らなければならないということでアカウントをとると、なにやらたくさんの選択項目がでてきて、内容を理解するだけで丸一日かかるんしゃないかと想うほどの分量である。最初の計画的時点では、キャンプ申し込みがこれほど大変であるとは知らずにいたが、日帰りでも現地の滞在時間は8時間ほどはあるのだから、無理にキャンプすることもないかなと思えてきた。

次にモニュメントバレーについてはグランドキャニオンと並んで行きたいと思っていたが、こちらは公共交通機関がないので、レンタカーを利用できなければツアーに参加するしかない。しかし、日帰りツアーで5万円は半端でなく高いので二の足を踏んでいたが、まあ今回は人生最後の大旅行ということで、南極クルージングやイースター島訪問などに金を使ってきたのだから、こんなところで金をケチってもしょうがないと申込むことにした。ただ主催者への直接申し込みでなく、代理店への申込みをしただけなので、最終的に参加できるかどうかは、もうしばらくたたないとわからない。

下調べが一段落したので近くの喫茶店に行き、サンドイッチとコーヒーで昼食にする。食後にさらに足を延ばしてセブン-イレブンに行き夕食のパンも買ってから宿には戻り、預けてあった荷物を受け取ってからバスターミナルに向かう。ターミナルには電光掲示板は何台もあるのだが、みな午前の便のしか表示しておらず、夕方の便の情報は得られない。知りたいのは、ただひとつ何番ゲートからどのバスが発車するかということだけなのだが、こんな基本的な事項の情報提供もしないのはサービス業としては失格だと思うのだが、日本人とは考え方が違うのかな。

今回もデンバーまでの直行ではなくオマハで乗り換えるのだが、行先表示にオマハと書いてあるバスがあったので、このバズかなとも思ったが、グレイハウンドのチケットなのにそのバスは他社のバスだったので今ひとつ自信がなく、運転手に恐る恐るチケットを見せると問題がないようであった。その時、運転手の指示に従わない乗客がいたが、運転手は実に堂々とした態度で叱りつけていた。昔アメリカのバスの運転手を保安官になぞらえる記述を読んだことがあるが、まさにそれと同じ情景が見られ、古きアメリカに出会えたような気がした。

乗客は定員のほぼ半分で二人席を一人占めできていたが、発車間際におばさんが乗車してきて何処にすわるのかなと思ったら、よりによって私の横に座るではないか。まあしょうがないやと思ったら機関銃のように喋りだすではないか。もちらん何を言っているのか全然わからないが、わかったふりをしてると更に喋り続けるだろうと思い、知らん顔をしてるとつまらなくなったのかほかの席に移って行ってくれて一安心した。そちらに移ってからも、ひとしきり喋っていたが、それで気が済んだのか大人しくなってしまった。

その後、コンビニの横にバスは停まり、乗客は食料を買うために下車した。私は、一応食料は持っていたが、明日の朝の分を買い足すために下車した。買い物が終わり下車した所に戻ると、なんとバスがいないではないか。他の乗客もみな寒空で待っているので、特に心配はしなかったが、30分ほど待ってようやくバスは戻ってきた。事前に説明はあったのだろうが、ヒアリングができないと、いろいろと不都合はあるものだ。ただ、この不自由さもあと一週間ほどの辛抱だ。

4月6日

バスは深夜のハイウェイを疾走するが、いつしか眠りに落ちてしまう。気がつけばバスは一般道を走っていて次第に減速していく。終点のオマハに近づいているようだ。ターミナルは深夜にもかかわらず大勢の客が次のバスを待っている。椅子には空席はあったが、一つずつ仕切られているので横になれない。そこで、マットレスを敷いて床に寝たので多少は眠ることができた。明け方が近づいてくると、バス待ちの人が増えてきて椅子の空席がなくなりそうだったので椅子に移る。ひと眠りしようと思ったら、私の乗るバスの発車時間まではまだ時間があったが乗客の列ができていた。シカゴに戻るバスが先に出るようだ。シカゴ行きのバスが発車してしまうとターミナルは寂しくなった。ここからデンバーまで乗る客は多くないようだ。デンバー行きのバスもしばらくして発車したが、車内はガラ空きである、これから9時間のロングドライブが始まる。残念ながら今回のバスはWiFiが効かないが、モニュメントバレーのツアーに行けなくなったことによるフラッグスタッフの宿の変更の連絡は今日中にすればキャンセル料はかからないようなので、宿についてから行なうこととしよう。

昼時にマックの前にバスが停まったので、ハンバーガーとコーヒーをテイクアウトする。こちらの店員はチリのマックと違い、日本のマックと同様に手ぎわがよい。まあ本場なんだから当たり前か。バスに戻ったら運転手の後ろにWiFiのパスワードが張り付けてあるのに気付いた。そう言えば朝方に運転手がWiFiがどうのこうの言ってたのは、このことだったのか。早速、フラッグスタッフの宿のキャンセルをしようと思ったが、WiFiが完全な状態ではなく何らかの制限がかかっているようでアクセスできなかった。またモニュメントバレーのツアーも1日ツアーではなく、夕日だけを見るツアーがあることを発見したのでアクセスしようと思ったら、こちらもアクセスできなかったので、やはり宿についてからアクセスしてみよう。

時間的にはデンバーにだいぶ近づいているはずなのに距離はまだだいぶあるなあと思ってたら、時差があってデンバーの手前で1時間戻ることになっていた。アメリカに入ってから2回目の時差修正である。アメリカはさすがに大きな国である。日本との時差が何時間なのかもわからなくなってしまった。昼過ぎに通じていたネットも繋がらなくなってしまった。もしかしたら、WiFi環境に障害が発生したのではなく、端末ごとに利用できる通信量に上限があってそれに達してしまったためかもしれない。

デンバーまで70キロほどになっても依然としてあたりは平原が続いている。デンバーはコロラドの州都ではあるが、大都会というほどではないようだ。デンバーまでの距離が路肩に表示されるが、こちらは全てマイル表示なのでキロ換算するには1.6倍しなければならない。12年前にデンバーまで自転車でツーリングした時も何回騙されたことか。あと10キロだと思っていたら実際は16キロで、そのことに気がつくとガッカリしたものである。

平原の中にポツポツと家が見えてくると、遠くの方には山並みが見えてくる。ロッキー山脈の前衛の山である。12年前にはサンフランシスコ方面から一ヶ月近くをかけてロッキーの3500メートル近くの峠を越えてデンバーまで自転車でやってきたのである。それを思うと今回はバスに揺られる単調ささへ我慢すればよいのだから楽なものである。まあ当時と比べると体力もガタ落ちだから今はこれはこれで大変であるとも言えるのだが。まもなく市街地に入ると、さほど時間もかからずにターミナルに着いた、12年前に来た時はもうちょっとこじんまりとした街という気がしたが、全く違った印象を受ける街となっていた。それはともかく、ボストンから3500キロ、6台のバスを乗り継いで、丸3日間、2回の時差修正を行って辿り着いたのである。ゴールのロサンゼルスまではまだ2千キロほどもあり、もうひと頑張りが必要だ。

その晩はアメリカ横断前半戦の終了を祝ってささやかなお祝いをするつもりだったが、最初はバスから牛角の店が見えたのでそこを目指す。ところが、入口を入った所から人が溢れかえっている。これではいつ食事にありつけるかわからないので、別の店に行く。そこはNBA ロッキーズのホーム球場の前にあり、この日は試合があるため、大勢のファンが押し寄せて店の中に何台もあるテレビを見ながら応援で盛り上がっていた。少しうるさいなとは思ったが、ほかに店もないので我慢する。何店かの店があり、注文があると各テーブルに料理が運ばれるが、私はラーメンを注文し、うるさいテーブル席ではなく、カウンターで食事した。なかなか豪華版のラーメンで味もまずまずであったが、これで三千円はいかにも高い。早く物価高のアメリカを抜け出して日本に帰りたくなってしまった。









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2024年4月 4日 (木)

ボストン

4月2日

今日はボストンへの移動の日だが10時発なので、1時間前に着くとして8時にドミトリーを出るつもりだッたが、15分近く遅れてしまった。さらにバスターミナルの最寄り駅のひとつ手前の駅で10分近く停車したままになったので焦ってしまった。バスターミナルに着いたのは40分前であったがまだそれほどの行列はなかったので、上の階に食料を買いに行って帰ってきたら、係の人がチケットをチェックしてまわっていた。そこで、私もチケットをを見せると、隣の列に移れと言われる。理由もわからないまま渋々従ったが、最初の列にそのまま残った人はバスに乗り込んで行き、後から来た人まで乗っていくのに何故なんだという気がしないでもなかったが、隣の列に並ばされた人(最初からそちらに並んでいる人もいたが)からも別に不満は出てなかったので、恐らく増発のバスに乗れるんだろと思ったし、念のために前の人に「ボストン?」と聞くと、そうらしかったのでひとまず安心した。

10時少し過ぎにそのバスは発車し、それから我々は隣のバスに誘導された。こちらのバスはがら空きで1人で二人席を占領でき、結果的には大成功であった。6時間近くの行程だが、特に見所があるわけではないので、WiFiが使えることもあってNHKプラスのテレビを見ていたりしたら退屈することはなかった。

ボストンに夕方に着き、すぐに翌日向かうバッファローの切符を買うが、ここで私が買うつもりの切符よりも30ドルも安い切符を見つけて思わず買ってしまう。ところが、後から気付いたのだが、一度ニューヨークに戻ってからバッファロー行きに乗り換えるものであった。同じ道を戻るのもなあとは思ったが、キャンセル料5ドルも払って高い切符を買うのも馬鹿らしいので、ボストンは最初から往復するつもりで来たと思うことにした。

ターミナルから宿までは近いのだが、道を間違えてしまったため思いがけず時間がかかってしまった。宿はチャイナタウンに隣接しているので、久しぶりに中華料理を食べることとし、まずは荷物を宿に置いていく。宿はドミトリーではあるが、ロビーなどは先日泊まったヒルトンと遜色ないもので、ランドリー設備も備えられていた。

一休みしてから中華料理を食べに行くが、どこも客でいっぱいで値段もかなり高い。少し大通りから外れた所にあって値段も割安の店を見つけて、三品とビールを頼んだが味もそこそこであったし、値段9千円も日本から考えると高いが、現地の相場からすると安い方である。ただ最近は腹八分目を守っているので胃が小さくなってしまったのか完食はできなかった。

4月3日

昨夜はランドリーが混んでたので、今朝ランドリーを使用することにした。だが初めてなので使い方がわからない。QRコードからアプリをダウンロードするよう説明されているが、そのアプリを起動してもそれから先のやり方がわからない。すると、他の人がやってきてカードだけで簡単に動かしている。私も見様見真似でやってみるが上手くいかない。音をあげてしまい、彼にやり方を教えてもらいやっと動いたが、カードを画面にタッチさせるところがポイントのようだった。しばらく動きを見ていたが、どうもおかしい、洗濯ではなく乾燥をしているからだった。上下に4台ずつ機械があるので、上が乾燥機、下が洗濯機だと思っていたら、下の4台のうち3台は洗濯機だが、1番右は乾燥機だったのだ。そこで左隣の洗濯機に洗濯物を移して、そちらを動かしたが、右の乾燥機はまだ空で動いたままである。やがて洗濯機は停止したが、乾燥機は後20分以上動くようなので、そちらで乾燥をすることにした。ただ20分では乾燥の時間が足りなかったようで、ズボンや上着はまだ湿っていたが、着ているうちに乾くだろうと着てしまう。こうして2ヶ月半もの間、着た切り雀であった服をようやく洗えることができた。

今回、ボストンを北米横断の出発点に選んだのは、ボストンがニューヨークよりま東に位置しているということの他にボストンが自分にとって大きな意味を持っていたからである。それはマラソンを走っていた頃、走り始めの時期には、たまたま旅先でアテネマラソンに参加したことなどはあったが、記録更新を狙いだすと、わざわざ海外のレースに出ようなどという気はなかったが、記録が落ち目になってくると、海外のレースにも目がいくようになった。そんな時、ボストンマラソンには年齢別に参加資格があって、当時の自分は4時間を切れば参加資格が得られることがわかった。自己ベスト更新を狙っている頃ならば問題なくクリアできる記録だったが、落ち目になっている頃にはなかなか厳しい記録であった。当時、市民ランナーが参加できるレースとしては大田原マラソンが制限時間4時間と最も厳しいもので、これを完走できればボストンマラソンの参加資格が得られるということで、3年連続で出場したが、いずれも37キロの関門を時間内に突破できず、ボストンマラソン参加資格は得られなかった。

そんなわけでボストンマラソンには強いこだわりがあったので、全コースは無理だがゴール付近だけでもトレースしてみたいと思い、35キロ付近からゴールまでを歩くことにした。最寄りの地下鉄駅までは宿の近くの駅から乗り換えずにいけたのであるが、バスターミナルまで戻ってしまったので、だいぶ遠回りとなってしまった。名物の心臓破りの坂というのはここよりも少し手前にあるようだが、そこからだとゴールまでは遠すぎるのでカットしてしまった。35キロから先は比較的なだらかで、カーブのない一本道で走りやすそうであった。松坂大輔が所属していたレッドソックスのホーム球場があるあたりからコースがわからなくなり、グーグルマップで場所はわかっているゴール地点に向かって適当に進んでいく。

ゴール地点にはなにか標識でもあるのかと思ったら何もなく、ただ3週間ほど後に開かれる今年のボストンマラソンのポスターが掲示されているだけであぅた。

そこから比較的近かったので、そのまま歩いて荷物を回収してからバスターミナルに向かい、私のボストンの旅は終わった。世界四大博物館のひとつとされているボストン博物館にも行かなかったが、パリでもルーブル美術館には行ってない人間なのでよしとしましょう。

 

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2024年4月 2日 (火)

アメリカ入国とニューヨーク市内観光

4月1日 

 

サンティアゴを飛び立った飛行機は日付が変わって睡眠の時間になろうとしているのに夜食を運んできた。当然完食したが、まわりの連中しっかり食べていた。その後は歯も磨かずに熟睡した。

翌朝になると軽食ではあるが、朝食を運んできた。さすが国際便である。機はキューバ上空を越えてマイアミ空港に着陸。いよいよ第二部の始まりである。

ニューヨーク便の乗り継ぎ時間は1時間50分あり、余裕があったらラウンジにでも行こうかなと思ってたら、入国手続きと保安検査に思いのほか時間がかかり、手続き終了後に搭乗口までダッシュして出発8分前に着いたのであるが、既にクローズされていた。ただ便数は多いし、今日中に着けば良いのでそれほど焦らなかったが、45分後の便に空席待ちで乗ることができ、ニューヨーク空港には昼前には着いた。

ニューヨーク空港でやるべきことは二つ、サンティアゴからの荷物の回収とATMでのドルのキャッシングである。預け荷物に関しては18年前にボリビアに行った時に、最初の乗り継ぎのシカゴでは荷物の積み替えが必要だったのだが、マイアミでは積み替えが必要かどうかがわからず空港の中を走り回ったものだが、荷物のタグに受け取り空港が書いてあるということを知らなかったのである。今回はちゃんとケネディ空港と書いてあるので問題ないはずである。

またフライトに関する書類の中には荷物に関する記述が見当たらなかったので、預け荷物に関して果たして別料金が必要になるのかどうか、必要な場合はカードでも払えるのかどうか(手持ち現金が少なかったため)が気がかりと言えば気がかりであった。南米ではLCCまたはそれに類したものに乗ることも多く、荷物は別料金というケースもあったからである。ブエノスアイレスからサンティアゴに飛んだ時はLCCではなかったが、超過料金をとられたので、今回は15キロ以下となるように冬物はだいぶ処分してしまった。たださすがにAmerican AairlineはLCCではないので別料金は必要なかった。

キャッシングに関しては南極クルーズ料金を現金払いせざるを得なかったために、手持ちのドルが最終的には65ドルしか残らず心細い状態が続いており、その後にATMでキャッシングしても現地通貨が引き出せるだけだったが、アメリカのATMでは当然のことだがドルが引き出せるので、今までの心細さはようやく払拭できることになった。ただアメリカは100パーセントカード社会のようなので、多額に引き出しても使い道がないため(さらなる円安による為替差益を狙う?)、とりあえず100ドルだけキャッシングしておいた。

預け荷物に関してはもうひとつ問題があった。それは出発直前に乗る便が変わったため、私の預け荷物はどちらの便で運ばれてくるかということである。常識的に考えれば、一度積み込んだ荷物を乗客が乗り遅れたからと言ってわざわざ取り出すなどという手間をかけるということは考えられない。だから、私が乗り遅れた便で私の荷物が運ばれてくるものと思い込んでいた。それで、私が次の便で到着して荷物の受け取り場所に行った時に、前の便の荷物受取時に持ち主が現れない荷物として置き去りにされているのだろうと思っていた。ところが、そのような荷物は見当たらなかったので、係の人に聞いたところ、私の乗った便の他の荷物と一緒に出てくるというではないか。半信半疑でいたら、本当に他の荷物と一緒にでてきた。多分、荷物番号のタグでコンピューターが管理していて、私の荷物は前の便ではターンテーブルには回さず、次の便でターンテーブルに回すような仕組みになっていたのだろう。真相は不明であるが

空港から市内にでるのも大変だった。ケネディ空港は巨大な空港なため、どこから外に出るかによって、事前にグーグルマップで予定していた経路どおりにはいかないということがおきた。さらに鉄道も空港鉄道、地上鉄道、地下鉄とあり、それぞれ別に切符を買わなければならないと面倒くさい。また地下鉄は非常に入り組んでいて慣れるまではなかなかたいへんである。そんなわけで、ケネディ空港に着陸してから市内のドミトリーに入るまで4時間近くもかかってしまった。

ドミトリーでチェックインしようと思ったら、調整に時間がかかるようなので、市内見物をしてくることにした。まずはエンパイアステートビルを見て、そのあとに翌日乗るボストン行きのバスの切符を買い、次に南端まで行って9.11跡地であるグラウンドゼロを見学し、次に自由の女神を見るつもりだったが、自由の女神がある島まで行く船は予約をしないと乗れないようなので、カメラを最大限アップにして写真を撮るだけでお茶を濁した。帰りの地下鉄も迷いに迷ってしまった。

 

 

 

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2024年4月 1日 (月)

さらばチリよ、南米よ

3月28日

イースター島を飛び立った飛行機はほぼ定刻どおりにサンティアゴ空港に着陸した。これでニヶ月半近くに及んだ南米・南極の行程は全て終了し、後は北米に移動するだけとなった。この間、病気も事故もなく終えることができたことをまずは感謝したい。あす、明後日と2日間は完全にフリーなので、土産物を買ったりして過ごすことになるだろうか。最初はアルゼンチンとの国境を越えてブエノスアイレスからサンティアゴまでを陸路で踏破したことにしようかなとも思ったが、陸路での国境越えはなかなか大変であり、それを1日に二回も行うのは精神的負担が大きいので、止めるこおにした。

空港バスを降りて地下鉄を探して街中を歩いていると、ブエノスアイレスもそうだが、犬に吠えられることがないのが何よりたすかる。もっとも同じ首都でもラパスはそういうわけにはいかないが。ブエノスアイレスとサンティアゴはいずれも長く滞在した街である。ブエノスアイレスは南米のパリと言われているが、私にとっては、サンティアゴの方が洗練されたされているように思える。ただサンティアゴで困るのは、地下鉄の入口と出口が完全に別になっていることである。その結果、サンティアゴで地下鉄の入口を探すのにえらく苦労することになる。一方、ブエノスアイレスで困るのはバス専用レーンがある所では道幅が広くなっているため、青信号を一回で渡るのは至難の業となってしまうことである。一方、両国に比べて経済的に遅れているボリビアの首都ラパスは坂が多くて大変であるが、ひとついい点は公衆便所があちこちにあるてんである。旅行者にとっては非常に助かる点である。

3月29日

今日は土産を買いに行った。嵩張らず軽いものに絞って買ったが、アルゼンチンでマテ茶を買いそこねたのは返す返すも残念である。一度、宿に戻ってメールをチェックしていたら、ニューヨークまで乗る航空会社から入国に際してはアメリカ政府に対してつぎつぎの書類を提出しなければならないとのことで、その中で、ニューヨークでの宿の住所だけでなく、郵便番号はも記載しなければいけなくなっていた。住所は予約確認のメールに書いてあるのでわかるが、郵便番号はわからないので宿にメールで問い合わせたが、明日中に返事がなければ、自分で調べるか適当に書いてしまおうか?未提出のために入国拒否にでもなったらたまらないし。ESTA申請さへしてあれば、大丈夫だと思ってたのに

夜は先日行った和食店で昨夜しそこなったイースター島の慰労会をするつもりだったが(南米・南極の慰労会は明日の最終日のつもり)、お休みだったので近くの洋食店(というのも妙なネーミングだが)に変更となった。歩道に並べられたテーブルからサンティアゴの街を眺めながら海鮮料理を食べビールを飲んで、雨にも負けず犬にも負けずにイースター島から無事に帰ってこられたことを喜んだ。

3月30日

コロナワクチン接種証明に代わるアメリカ在住時の連絡先に関する情報提供が航空会社を通して義務付けられたようだが、その書類の入力に不足があるのか、航空会社に送ることができないので、最悪の場合は入国拒否となってしまうかなと考えたり(ワクチン接種証明は持っているんだけど、それじゃダメだろうな)、入手拒否されたらカナダのオタワあたりにでも行ってしまおうかなと思ったりもしたが、カナダの場合もいろいろやっかいなことがえるようなので、サンティアゴから一気に帰国してしまおうかなどと考えて悶々としていたが、なにかの拍子に航空会社で書類が受け付けられて、「」の文字が出たので、それをスクリーンショットにとって保存し、無事アメリカに入国できる見通しが立った。

その後はドミトリーをチェックアクトして予約してあるホテルに向かうことになるが、今まではドミトリーや安いホテルばかりに泊まっていたが、今晩は四ツ星のヒルトンホテルである。別に南米最後の夜だから贅沢しようと思ったわけではなく、手洗いできない分厚いものを洗うためにランドリーのある所を探していたら、結果的にそうなっただけである。

ところが何たることか、ランドリーはないというではないか、日本語表示のランドリーのあるホテルの検索画面を見せてもしょうがないので諦めたが、代わりにランドリーがあると教えてくれた場所に行ってみたが、巨大なショッピングモールであり、この中で探すのは不可能だと諦める。それにたとえあったとしても、洗濯屋である可能性も高いという気がする。まあ手洗いできないものは洗わなくてもどうということはないのだが

その後は土産物屋が多数集まっている繁華街にでかける。お目当てはラビスラズリである。この青い石はアフガニスタンと並んでチリが特産地とされている。古来、金よりも高く評価されたそうで、シルクロードを語る時、必ず出てくる特産品である。ただ偽物も多いそうで、自分にはとてもそんな審美眼はないので、偽物をつかまされてもやむを得ないと思っている。余りそうだったチリ通貨もなんとか消費できて、これで安心してアメリカに飛び立つことができることになった。

南米最後の晩餐は和食でと思っていたのだが、近くにある和食店2軒かいずれも土曜の夜は営業休止といくことで、地元以外の料理で近くで食べられるのはインド料理しかないので、先日に引き続きインド料理を食べることになった。ただ先日よりもちよっと高級な店で、今度はナンも注文した。

3月31日

5時起きをするつもりだったのに目が覚めたのは6時を過ぎていた。慌てて支度しチェックアウトをして地下鉄駅に向かう。ところが、地下へ降りる駅の入口は道の両側にある二つとも閉鎖されているではないか。始発はもう出ているはずなのだやむを得ず、タクシーで行くことにしたが、チリペソの手持ちは4万5千ペソ程度で、昨日ホテルまでタクシーに乗った距離と料金から考えると、空港までは、3万ペソくらいだろうから十分足りると判断してタクシーを止めて料金を、聞くと、やはり3万ペソという返事が返ってきた。

空港に着いて電光掲示板を観ると、私が乗るはずの午前中のフライトが掲示されてない。びっくりして、紙に印刷してあったeチケットを確認すると、私としたことが何たることか、夜の便を午前中の便と間違えるという大失態をしてしまった。まあ逆でなくてよかったけれど。最近予約したやつはネットからダウンロードして紙に印刷してないので、画面でよく見ていたが、今日のフライトはだいぶ前に予約して紙にも印刷してあったので、誤って記憶したままで、確認することを怠っていたのである。

地元の航空会社であれば、早い時間からチェックインができるので、保安検査を終えてしまえばラウンジに入れるのだが、今回はそうでないので、出発の四時間前にならないとチェックインができず、そのため通常の席での待ち時間が非常に長くなってしまうが、その間に北米横断の詳細を検討しようと思った。南米については事前にある程度は計画を詰めていたが、北米はほとんど手つかずだったからである。

北米横断計画な詳細は後日報告することとして、南米旅行の報告はひとまず終わりたい。旅行そのものについてはあまりに多くのことがあり過ぎて、今は何を書いていいのかわからないが、無事に終えられたことを妻と健康に感謝したい。

 

 

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2024年3月26日 (火)

さらばボリビア お帰りチリへ

3月24日


前日の国勢調査による外出禁止によってボリビアみやげを買う予定が果たせず、一日を無駄にしてしまったが、まあそれも旅の醍醐味だろうと頭を切り替えて、南米最後の旅行に向かう。

夜明け前に予約していたタクシーで空港に向かう。手続きを済ませてプライオリティパスが使えるラウンジに入る。飲み物と軽食くらいしかないが、通常は朝は飲まないビールを前日は外出禁止で買わなかったので少しだけ飲む。

やがて機内にはいり、これでボリビアともお別れである。アタカマ砂漠から国境を越えて、ウユニ塩湖、ラパス、チチカカ湖太陽の島という1週間以上の行程だったが、終わってみればあっという間の気もする。

飛行機が離陸する際に前日、警察の車に連行される前に遠望できたイリマニ山に再び相まみえることを期待したがかなわず、代わりにワイナポトシを遠望することができた。搭乗機は直接チリの首都サンチャゴに向かわず、ボリビア南部にある同国第二の都市であるサンタクルスに着陸して一部の乗客の乗降を行ってからサンチャゴに向かった。

乗降の際には搭乗口が開けられたので暖かいというよりも暑い外気が入り込み、一気に季節が変わってしまった印象で体が慣れるまでには暫く時間がかかりそうだ。サンチャゴに着いたらもっと暑いのだろうと覚悟した。

サンタクルスからの乗客も乗りこんでサンチャゴに向けて離陸し、しばらくするとワゴンが押されていくので、時間的にもランチの時間だろうと思っていると、配られたのはなんとスナック菓子であった。たしか同じ航空会社だと記憶しているのだが、ブエノスアイレスからサンチャゴまでのフライトの時もランチタイムだったのにスナック菓子しかでなかったようである。比較的近距離の運行に関しては食事をカットして料金引き下げに努めているということだろうか?

サンチャゴ国際空港に着陸してからドミトリーまでの経路はブエノスアイレスからサンチャゴまでのフライトの時に経験しているので、特に迷うこともなかった、ただ前回はバスターミナルが終点であったのに対して、今回はもう少し先までいったようである、ただどちらにしても、地下鉄の駅が近いので便利さに変わりはないようである。

今日のバス終点からドミトリーまではちょっと距離があったが、途中にカレー屋があり、前日に外出禁止でカレーを食べ損なったことのリベンジで立ち寄ったので、地下鉄を利用せずに歩いてしまった。

10日ぶりのチリはボリビアと比べると大都会という印象だが、ボリビアの庶民的な感じの方が自分としては好きである。チリは単に規模が大きくなっただけなようで洗練された感じがしないのである。

3月25日

今回泊まっているドミトリーは前にも泊まったことがあるのだが、前は無料で簡単な朝食が提供されていたのだが、どうもシステムが変わってしまったようで、皆は食券のようなものを出して、グレードアップされた内容の朝食を注文している。そのシステムの利用方法がわからないし、フロントできいたとしても、理解するのにすごいエネルギーを要するだろうから、諦めて外で食べることにした。

今日は土産物屋を見て行こうと思っているのだが、10時開店らしいので、それまでの時間潰しができる所として近くにあったマクドナルドに入った。注文した品かできるまでの間に店員の動きを見てると、日本ではテキパキと動くのに対して、こちらはもたもたとしており、動きにもムダが多い。国民性の違いと言ってしまえばそれまでだが、これほど効率性を高めている日本の経済が停滞しているのは、政治に問題があるからだろうか。

パン食も厭きたし、みやげを買うアテもなくなったので、贅沢してやれと日本人が経営しているという寿司屋に入ってみた。海外で寿司屋に入ってみて美味しいと思ったことはないが、今回はいかに?

注文したのは、たこといくらとエビを、2巻ずつで、さすが日本人が経営しているとだけあって、へたな日本のすしやよりも上手かったが、値段もとびきりだった。

次の地下鉄駅まて歩いて行く途中で土産物屋が並んでいるバザールのような感じの所を発見、午前中にみたショッピングモールのようなしゃれた所ではないが、イースター島から帰ったらもう一度ゆっくり見てみよう。

その後の行程については、イースター島に行くのは明朝だが、今夜中に空港に行くことにした。というのは、空港には国際線と国内線のターミナルがあり、イースター島に行くのはどちらのターミナルかわからず、朝の慌ただしい時に両方を行ったり来たりして焦るのは厭だし、最悪、乗り遅れてしまったら目もあてられない。それに前回、アタカマに行く前に早朝にカラマに飛んだ時は、前夜からにもかかわらず、保安検査は受けられて(最初はダメだと言われたのだが粘って受けられた)
、検査場の先にあるプライオリティパスの使えるラウンジを利用できたので、今回も上手くいけば前回同様ラウンジで夜を過ごせるかもしれない。

早速、地下鉄てバスターミナルまで行き、前回も買ったバスの発車場の前の切符売場に切符を買いにいくと、スペイン語で訳の分からないことを言って売ってくれない。すると、次に並んでいる人たちに対しても何かを言って切符を売らない。そして向こうの建物の方を指さしている。そういえばあの建物の中にも切符売場があったような気がした。ここで買えない理由はわからないが、あちらで買えと言うことだなと気付き、そちらに向かうとかなりの行列ができていたが、後ろの人に翻訳ソフトで、ここで空港行きの切符が帰るかと聞くと、買えるみたいなのでそのまま待つとなんとか買うことができた。時間の余裕が十分ある時だったからいいようなものの、もし朝で時間の余裕が余りない時だったら、かなり焦ったと思う。その意味でも前日に来ておいてよかった。

バスが空港に着くとまずは国内便のターミナルに行ってみる。ところが、カウンターにはだれもいないではないか。やむを得ずたくさんある自動チェックイン機でチェックインしてみる。すると画面が切り替わり、選択肢の中に番号を入れるものが二つある。一方、番号として可能性のあるものは予約番号、PINコード、eチケット番号だから、確率としては1回当たり六分の一だから順番に試してみるとヒットするものがあったが、またなにかスペイン語の文字がでてきた。翻訳ソフトで確認すると、印刷のことだとわかったので、ふたつあるボタンのうちひとつを押すと、預け荷物用のタグが印刷されてきた。今回は預け荷物はないので、もうとつのボタンを押すと、今度は搭乗券が印刷されてきた。これも時間のある時だからできたのであって朝の時間がない時ならとてもできないだろう(もっとも乗客の多い朝ならば受付に人がいないということはないだろうし、現に前回はチェックインの手続きは受付の人にやってもらった)。

次の問題は印刷された搭乗券にはまだ搭乗口の記載はされてないので、このまま国内便の保安検査口に行っていいのかどうかということである。もしかしたら、イースター島は国内便ではあっても国際線あつかいで国際線ターミナルに行けといわれるかもしれない。恐る恐る前回も行った国内線の保安検査口に行ってみると、この保安検査場ではなく、1階下の保安検査場に行けと言われたので行ってみると、たしかにイースター島という文字がみえる。ここまではなんとかクリアしたが、問題はこの時間から保安検査を受けられるかどうかである。案の定、明日の便だからまだ入れないと言われた。前回は何時からなら入れるのかという私の質問に対して係員は答えられなくて、面倒になったのか入れてくれて、その後に24時間対応のラウンジに入れたが、今回は明朝の6時からだと明確に言われてしまった以上は引き下がざるをえない。それに保安検査場が別であるということは、検査後もプライオリティパスが利用できるラウンジにはたどり着けない可能性もある。ともかく今は係員が代わっていることを願って日付が変わった時点で再挑戦してみるしかない。

 

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2024年3月24日 (日)

ボリビア北部滞在記

3月18日

バス会社の事務所に行くと、バスは事務所前に停車していた、事務所の中には先客はすでに1人いたが、東洋系ではあるが日本人ではないようだ(韓国人か?)。その後、西洋人が何人か来た後に、今度は正真正銘の日本人カップルがやってきた(受付で日本のパスポートを提示しているのが見えたから日本人だとわかった)。その後も乗客はやってきたが、出発時間直前にしては集まりが悪いなと思いながら事務所の時計を見たら、1時間遅れているではないか。ここで初めてビーンときて、さきほどの日本人に聞いてみると、やはり1時間の時差修正が必要なことがわかった。チリとアルゼンチンは時差はなく、ボリビアは両国の中間に位置しているので、時差はないものと思い込んでいた、またスマホの設定で日時が自動修正となっていなかったことも時差に気付かなかった一因ではある。そこで日時を自動修正に変えたら、正しい時刻に変更されていた。ツアーでは昨日から時間が変だなと感じていたが、これで謎が解けた。

ラバスまでのバスは各社によって運営されているが、その中でサービスと安全性の面で評価が高い(値段も高い)トド社のバスを選択したが、評判に違わず飛行機のビジネスクラスのようなゆったりとした座席で自分が選択したのは1人席なので他人に煩わされずに寝ることができ、しかも夜食のサービスまで付いているという至れり尽くせりぶりである。バスは定刻よりも5分ほど遅れてラパスに向かって出発した。

3月19日

バスがラパス直前まで着くと朝食が配られるという飛行機並みのサービスである。定刻よりも1時間ほど早くラパスのバスターミナルに到着し、これから1週間近くのラパスの滞在が始まることになる。まずはターミナル内外でWiFiが使えるところはないかと探してみたが見つからないので、諦めて市内観光に向かうことにする。

ラパスには18年前にワイナポトシという山を登った時にもきたことがあるが、その時と一番の違いは、すり鉢状になっている市内のてっぺんから底までロープウェイが張り巡らされている点である。その時は高所登山のダメージで坂道を歩くことがかなわなかったので、今回はまずはすり鉢のてっぺんまで行ってみようと思った。

てっぺんまでは一回の乗り継ぎが必要だが、一回あたり70円弱という安さである。ロープウェイは10年ほど前に作られ、住民の上下への移動の負担を減らすためであったが、観光客にもよく利用されているようで、すり鉢状の斜面にへばりつくように建てられている住居の景観はここでしか見られないものである。
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写真をとりまくりながらてっぺんに達すると意外な景観が広がっていた。てっぺんはてっきり山の中だと思っていたら、そこにも下と変わらぬ町が展開していたのである。露店もいくつかあったので、現地食を注文してみた。何の肉かわからぬがコラーゲンのかたまりのようなものをなんとか完食したが、しばらくは食べたくないものだった。

下りは歩いていこうと思っていたが、かなり迂回していかなければならないようなので、途中まではロープウェイに乗り、途中から中心街を歩いて下ったが、露店の多さには驚いた。

今晩からはドミトリーに4泊の予定だが、チェックインの14時まではしばらく時間があったので、近くの食堂に朝の口直しのつもりで入ったのだが、味が今ひとつで当地ではグルメは期待できないことがわかった。食後は市内観光の続きですり鉢の底まで行ってみようと、行きは下りだからと歩いていくことにした。

最後のロープウェイの所までは道は比較的明瞭だったが、すり鉢の底に降りる部分が道が見つからず、かなり迂回してみたが下降は不可能と判断してロープウェイを利用することにした。ロープウェイができる前までは道はあったのだろうが、ロープウェイができてからは廃れてしまったのだろう。

ロープウェイの終点まで降りたが、底まではまだかなり歩かなければならなかった。他所の土地では山の手が高級住宅地で、下町は庶民の住宅地というのが普通だが、ラバスは空気が薄いので底の部分に金持ちが住んでいるとは聞いていたが、確かに上の部分では見られない高層アパートはちらほらあったが、高級住宅地というイメージではなかった。道はいつまで経っても下っていき底の部分には辿り着けなかったが、完全なすり鉢になっているわけではなく、一箇所だけ切れ目があってそこから川が流れ出していることがわかったので、川まで降りた時点で引き返すことにした。

ロープウェイを利用して市内に戻ってから、近くの中華料理店(とグーグルマップにはでていた)にいってみるが、メニューは若干のバリエーションはあるものの基本的には単一で、中国人が知ったら怒りそうな内容である。量も半端でなく多く半分ほどは残してしまった(美味しければもうちょっと食べたんだろうが)。

3月20日

今日は天候もまずまずだったので、ラパスの北側に位置するワイナポトシという山と南側に位置するイリマニという山の両方が見られる展望台に上がることを予定していた。特に前者は18年前に登ったところだけに懐かしく、ぜひ見たいと思った。最初はタクシーで行くつもりだだったが距離を測ってみると2キロちょっとしかないので、これなら歩いても行けると考えて歩くことにした。

展望台に向かって歩きだすと、展望台方向の道はどこも車の進入が規制されている。なにかと思ったら市内の複数の高校(多分)の生徒たちによる音楽パレードが行われるためである。タクシーを利用していたらかなりの遠回りを余儀なくされていただろう。歩き出すにつれて傾斜がきつくなってくるが、それにしても足の疲労が半端ではない、これも高所に弱くなった現れだろうか。また途中で何度も犬に吠えられ、今にも飛びかかられそうになってヒヤリとさせられた。狂犬病の予防接種をしていなかったら、戦々恐々だっただろう。

展望台に着いてみると、頭上は晴れているのにまわりの山は雲に隠れて見ることはできずに残念だった。来た道を戻るつもりだだったが、すぐ近くにロープウェイの駅があり、そこから昨日も行ったすり鉢の底近くまで行けるので、来た道を戻るよりも大分時間短縮ができそうであった。すり鉢の底近くの駅まで下りて、ネットに出ていた月の谷方面に行くバスの番号のバスが来るのをまったが、やって来るのは違う番号のバスばかりであった。

時間も昼時であったため、少し先のレストランでランチを食べることにした。メニューはスペイン語でしか表示されてないので、わかるのはサンドイッチとビザだけだったか、サンドイッチはしばらく食べてなかったように思ったのでサンドイッチを注文し、飲み物はアイスコーヒーとした。しばらくして運ばれたサンドイッチはつけ合わせのサラダとともに凄い量だったしアイスコーヒーがなかなか来ないので忘れられているのかと思ったら、店員が氷が入った袋を持って来たので他所に買いに行ったようで間もなくアイスコーヒーは運ばれてきた。サンドイッチ自体の味はまずまずで、ラパスに来て初めてまともな物を食べた気がした。ただ量が半端でなく食べきれないので、残りは持ち帰ることにした。

レストランで食事中も通過するバスの番号をチェックしていたが、一向にネットに出ていた番号のバスは通らないので平行している別の道を通過しているのかもしれないと思いタクシーで行くことにした。こちらのタクシー料金はメーターではなく事前交渉が必要とのことで聞いてみると700円弱とのことである。距離からするとちょった高いかなとは思ったが、日本の初乗り料金とほぼ同額ということもあり、面倒な料金交渉はせずに乗車することにした。

月の谷への道は前日の記述ですり鉢には1箇所出口があると書いたが、その口を進んで途中から対岸の道を登って月の谷に着くと、ツアーバスが何台も停まっていて人気の観光地のようであった。

先日のアタカマ砂漠でも同名の地をツアーで行ったが、それと比べるとこちらはこじんまりした箱庭的な景観であった。ひととおり見終わったので帰るることにしたが、還りのバスの時刻がわからないのでしばらく待ったが、時刻も運転間隔もわからないため途中で次のバス停まであるいた。

次のバス停に着く前にそれと覚しきバス(番号は違っていたが)に抜かれたが、やむを得ないと割り切り、次のバス停で待つことにした。次のバス停に着く前に雨が降出し、雷も加わってほしい豪雨の様相を呈してきた。30分ほと雨宿りして少し小降りになったように思われたので、歩きだすとまた雨足が強くなり、雷も活発になってきた。この程度の雨は経験済みだが、急峻な地形のため道路を滝のように水が流れるのには参ったし、橋を渡っている時に上流から高波のように激流が押し寄せて来た時は一瞬たじろいでしまった。

やっとのことでロープウェイの駅に着いてみると、豪雨のためにロープウェイは運転を停止していたので、運転再開を駅前で待つこととなった。その間に着替えを行ったが、ザックの中に入れてあった着替えがほとんど濡れてなかったのはラッキーであった。運転再開後はロープウェイを乗り継いで最寄り駅で下車して宿に向かった。宿に着くとすぐにセーターを一番下に着込んで風邪をひかないようにした。また昼食の残りで夕食も足りそうなので食を求めて外出する面倒もなかったのはラッキーであった。

3月末21日

朝5時半に宿を出てターミナルに向かうが、ズボンと靴は前日の雨でねれたままでほとんど乾いていない。その代わり、砂漠を歩いてついてしまった砂や塩湖を歩いていてついた長靴から上の部分の塩はきれいに洗い流してくれていた。。ネットではチチカカ湖畔のコパクバナル行きのバスは7時半と8時発のものしか出てなかったが、7時発のものもあることがわかり、それに乗ることにした。恐らくネットでも把握できない零細業者のものなのだろうが、太陽の島に向かうフェリーの時刻がネットでも把握できない以上は少しでも早く現地に着いておいた方が安心できるからである。もっとも距離当りの運賃が先日のウユニからの豪華バスの半額なので全然期待はしていなかったが、実際のバスを見てそのオンボロ加減に驚いたが、まあ4時間程度のことだから我慢することとしようと思った。

出発するた前の座席の人からニーハオと挨拶される。ハポンだと訂正したが、そんなに間違われるほど中国人がたくさん来るなら、中華料理店もなんとかしてほしいものである。出発時点ではがら空きだったが、すり鉢のてっぺんの町まで来たらどっと乗り込んできて、ほぼ満席になった。しばらくすると、前日は見られなかったワイナポトシがくっきりと見られて目を楽しませてくれた。それから先は単調な景色が続くのであるが、世界一高い所にあるチチカカ湖と繋がった湖が左手に見えてきて、対岸に向かって高度が下がっていく。

対岸との間は海峡(正確には湖峡か)となっているので、そこには橋がかかっているのだろうと思ったら、橋はなくフェリーで渡るのだときづいた、たしかにフェリーというよりははしけと呼ぶ方がふさわしい船が何艘も岸辺に並んでいる。こんな小さな「フェリー」でバスに乗ったまま対岸まで移動するのは初めてだ。バス一台と一般車一台が乗ったらもういっぱいになる。エンジンはついているものの、岸から離れる時は船頭が長い棒で岸を押しているようである。こんな小さな船で大丈夫なのかと心配にはなったが、これで毎日運行しているのだから大丈夫なのだろう。

フェリーへの乗船の待機と両岸でかなりの乗客の乗り降りがあったのでかなり時間を要してコパクバナルまでの乗車予定時間4時間はかなり超過しそうであった。実際は30分遅れの11時半にコパクバナルに到着し、すぐに岸辺に下りて行った。岸辺ではなにかのお祭りらしく、民族衣装を着た男女が音楽に合わせて行進して行く。行進の合間をぬってむこう側の太陽の島行きのフェリーの切符売り場まで行くと、次のフェリーは13時半で本日の最終だという。だいぶ時間があるので、また行進を横切ってレストランに入って二階から42年振りのチチカカ湖を眺めながら名物のニジマス料理を食べることにしたが、焼き魚は南米に来てから初めてかもしれない。行進はエンドレスかのように続くので、ひょっとして同じ人間が何回も行進しているのではないかと思って、特定の人間がまた通らないかを見守ったが、確認が取れない間に行進は終了した。
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発車10分前に切符売り場に行き、指示された船着き場から太陽の島行きの船に乗り込む。しばらくしてから「日本人ですか」と若者に声をかけられる。カラファテからウシュアイアにかけては同年輩の日本人に何人かあったものだが、ウシュアイア以降は出会う日本人は若者ばかりである。その若者はラバスに一ヶ月ほど滞在していて最初は高度障害でダウンしていたそうだが、それにしても回復後は何をしていたのだろうか?彼は島の一番手前の船着き場で降りて、島には泊まらずに最終便でコパクバナルに戻って一泊してからラパスに戻るそうだ。

私は終点の船着き場から下船して今晩の宿に向かう。船着き場からいきなり急登が始まりなかなか苦しいが、30分ほどでホテルに着く。ホテルは東湖岸が一望できる位置にあり、正面にペルーアンデスの峰々が眺められて美しい。このホテルにはレストランはないので、もう少し上まで登って西湖岸が眺められるレストランで夕食をとりながらサンセットを眺めるつもりであった。残念ながら水平線に雲があってサンセットは見られなかったが、優雅な気分を楽しめた。


3月22日

ペルーアンデス方面からの日の出を期待したのだが、夜中から雷鳴を伴う悪天が続いてかなわなかった。朝食はなかなかの内容でこれが含まれて1泊3400円などというのはチリやアルゼンチンでは考えられない料金である。食後は部屋に戻って荷物の整理をしてチェックアウトを行い船着場に向かう。

港にはコパカバーナ行きの船に乗り込む人がかなりまっている。予定通り10時半に出航したが、行きはかなりの空席があったのに対して帰りはぎゅぎゆう詰めである。つぎの11時の便ならば、もう少し空いているのかもしれないが、なにがあるかわからないので、乗れるうちに乗っておくのが望ましい。

船底のような席で立ち上がらないと外が見えないが、ブログ書きをしていると、なんとか退屈せずにコパカバーナに着くことができた。上陸するとすぐにラパス行きのチケットを購入。発車までは2時間近くあったので、レストランに入る。WIFIも使えるし、今までなかなかお目にかかれなかったスパゲッティも食べられたので(ただし、味は今ひとつ)、出発間際まで滞在する。  

ほぼ定刻に出発して順調にフェリーの乗り場まで来た時に予期せぬできごとが起きる。全員にバスを降りるよう指示がでたのである。本日は波が高くて(そのようには見えないが)乗客を乗せたままでは危険と判断されたのかどうか理由は不明であるが、このような時は無理して合理性を求めるよりは、まわりの流れを読んで、その流れに身を任せるのが一番であると思うようになってきた。

降ろされた乗客はモーターボーの券を買わされて、乗客なしでフェリーで先行するバスを追いかけることになったが、幸い対岸に着くとバスは我々を待ってくれていて、全員乗車後は何もなかったかのように一路ラパスに向かって走って行った。

順調に進んで行ったので、この分ではラパスにかなり早く着くかなと思われたが、ラパスに近づくに連れて渋滞が激しくなって走るのと停まっているのと同じくらいになってきた。その代わりに街の様子をじっくり眺めることができ、従来言われてきたようなすり鉢の底には金持ちが住み、てっぺんには庶民が住んでいるというのは必ずしも当たってないように思われた。何故ならば底の部分は開発の余地が乏しいのに対しててっぺんの部分は無限の発展可能性を秘めているからである。この傾向に拍車をかけているのが2014年以降に各地に張り巡らされたロープウェイである。確かに底に住んでいる金持ちも多いのかもしれないが、その傾向は徐々に薄れていくだろう。何しろ標高差で800メートルの差があるだけだから、慣れてしまえば行動能力にそれほどの差が出るとま思えないのであるし

また車中から18年前に登ったワイナポトシの姿がじっくりと望めたのも渋滞のおかげである。数日前にワイナポトシとイリマニの展望台に上がりながら雲に遮られて展望が得られなかったことのリベンジがワイナポトシに関しては果たせたことはラッキーであった。

宿にはほぼ予定どおりの6時半には着いたが、ランチの量が多かったせいか全く食欲がなく、ビールだけで済ませてしまった。ボリビア滞在が実質的には翌日1日だけなのに対してボリビア通貨の手持ちがかなりあり、できるだけ通貨を使いたいところではあったが。まあ明日1日あるので、他に予定はないことでもあるし、消費に頑張ってみるし、最悪の場合はレートは悪いかもしれないが、チリペソやUSドルへの両替の道も残されているのだから

3月23日

実質的なラパス最終日ということで、朝食後にドミトリーを出て三つ星ホテルに移動することになるが、チェックインまでには時間があるので市内観光地に出かける。今日は快晴で先日見られなかったイリマニ山もはっきりと見えるので、後でロープウェイで展望台にでも上がってみようと思ったりした。人通りがほとんどなく警官がやたらに多いなとは思ったが、まだ異変には気付いていなかった。

夜にでも行こうと思ったラーメン屋の下見をしようと店の前まで来た時に後ろから来た警察の車に乗せられ宿泊予定のホテルを聞かれて連行される。静まりかえった街を見て外出禁止になっていることはわかったが、軍隊は出てないので戒厳令でないことは想像できた。ホテルに入ると午前中であるにもかかわらずチェックインはできた。ホテルには次々と客が入って来てロビーも客でいっぱいになる。外出禁止の理由をフロントで聞こうと思ったが、客の対応で忙しそうだったし、たとえ英語が通じても理解できない可能性が高いので、ネットで日本大使館のサイトを見てみることにした。すると、国勢調査のために本日は終日外出禁止となっていることがわかった。念のために明日の出国は可能かどうかを領事宛にメールしておいた。

外出禁止のために外に食事に出られず、せっかく今日行くつもりであったラーメン屋とカレー屋に行くことはできなくなったが、ホテルにレストランはあるので食いっぱぐれることはなさそうだ。本日の昼食は昨日に続いてのパスタとなった。ラーメンやカレーはサンチャゴに着いてからのお楽しみにとっておこう。大使館からの返信も来て、明日の出国には問題がないとの回答でホッとして明朝のタクシーの予約もフロントに頼んでおく。

この後もホテルでの滞在は今しばらくは続くが、なにも起きそうにないのでブログは一応更新することにしよう。

 

 

 

 

 

 

 

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2024年3月18日 (月)

アタカマ、ウユニ

3月12日

飲食後に奥の足置きのある席に移った時はまだ誰も座っておらず、このまま朝まで眠っていられれるはずだった。ところが、イースター島のフライトのことが気になって調べてみると、確かに3月下旬にはピーク時よりもかなり料金は下がるが、ウユニから戻って以降だと、イースター島からの帰りの便が4月になってからでないと空きはないことがわかり、どうしたものかと考えていたら目が冴えて眠れなくなってしまった。一方、このラウンジは二階にあるが、下の一般待合室を見下ろすと、さほど混んでなくて2つの座席を繋げて横になって眠れることに気づくが、ラウンジの方はそれぞれが独立した座席なので完全に横にはなれない。これならラウンジを出て下に行った方が眠れるんじゃないかと思われ、意地汚いことではとるが、ラウンジで早めの朝食を取ってから下こ階に移動する。

今度こそ寝れるぞと思ったら、カラマの空港からはアタカマ行きのバスは出ておらず、カラマの町からならばバスは出ているが、バス会社ごとにバス停が違っていて、どのバス停に行っていいかがわからない。おまけにカラマは治安が良くないので明るいうちとはいえ、あまりうろうろしたくない所らしいことがわかると少し不安になって眠れなくなってしまった。

ほとんど寝ないままカラマ行きの飛行機に乗り込み、うつらうつらしながらカラマの空港に着く。最初はカラマの町まではタクシーのつもりで、苦手な値段交渉を覚悟していたら、アタカマと書いてある紙を持った客引きを見つけたので値段を聞いてみる。一万円くらいまでは覚悟していたのだが、なんと二千円ちょっとということだしカード払いできるということだったので、すぐに飛びついた。

運転手にマイクロバスまで案内されると、すでに5、6人は乗っており、私の後に二人連れが乗り込むとすぐに出発したのでほとんど待つこともなかった。案ずるよりうむはやすしであった。あとはアタカマに着いてからのアタカマとウユニまでのツアー選びが残されている。道は砂漠の中を一路アタカマへと辿っていく。

アタカマに着いた第一印象は「町でなく村だ」である。南米の他の観光地であるカラファテやウシュアイアに比べての大きな違いは道が舗装されてない、大きな建物がなく造りも貧相である等、ネパールのトレッキング街道を思わせるものであった。その一角で遅い朝食をとってから予約した宿に行き手続きをする。久しぶりに相部屋でない個室となる。WiFiの設定をしてメールのチェックをしてから旅行代理店にツアーの申込みにいく。

まずはアタカマのツアーとしては、死の谷、月の谷の半日ツアーを申込み、次にウユニ塩湖までの3日間のツアーバスの申込みもおこなった。後者がこんなんに簡単に申込み手続きが終わるとは思わなかった。空席待ちとなることも考えて日程の余裕もみていたのだが、スムーズに行き過ぎたので、余った日程をどう消化するかも考えなければならなくなった。なお、アタカマにもウユニに次ぐ規模の塩湖があって半日ツアーの対象となっているが、世界一の塩湖を見る前に二番煎じのような所へわざわざ行く必要もないので省略することとにして、代わりに休養。

ツアーの開始は3時半なので、その前に遅い昼食をとるとにした。ピザ屋があったので、久しぶりにピザを食べたくなって、メニューにミックスなんとかと書いてあるものを注文した。ミックス以外の文字は読めなかったが、きっといろいろな種類のピザが交じっているのだろうと思ってた。

しばらくして料理が運ばれてきて、目が点になってしまった。なんと大盛りのサラダが運ばれてくるではないか。ミックスなんとかという料理はメニューの最初の方ではなく、後の方の飲物の上に書いてあるのでサラダの中の一つの料理だったのだ。仕方がないのでベジタリアンになったつもりで食べたが、以外とボリューム感があり、これだけでお腹がいっぱいになってしまった。

4時前から月の谷のツアーに参加する。アタカマの町を11人くらいの参加者がマイクロバスに乗って郊外の砂漠地帯を通ってゆくと月面を思わせる異様な岩が多数現れる場所にでる。

あたりには何箇所も展望台があって急坂を上り下りするので靴の中は砂だらけになってしまったが、靴下を履いていかなくて正解だった。一通り見終わってサンセットまでな待ち時間を利用して、マイクロバスの横にテーブルがセットされて酒とつまみが置かれたミニバーの登場である。新婚旅行のペルー以来となるピスコサワーも飲むことができた。ひととおり腹を充たした後、夕陽の展望台として有名な場所まで車で上がって沈みゆく夕陽を眺め、完全に日没となったところで車に戻り、しばらく下るとアタカマの町に帰ってツアーは終了となる。






3月14日

今日は1日休養日ということでゆっくりと寝て、昼前に起き出して町にでる。昨日食べそこねたピザを食べるために昨日の店を探したがわからず他の店に入る。今度は間違えないようにメニューでしっかり確認してマルガリータを注文する。やがて運ばれてきたピザは2人分ではないかと思われるほど大きかったが、朝食を食べてなかったので、しっかり食べられた。

その後は町をぶらついてから宿に戻り、昼寝をして外が少し涼しくなってからまた町に出かけた。ビールを買って宿に帰ってから飲もうと思ったが、どの店にも売ってない。多分、アタカマではアルコールは外で飲むもので家庭には持ち込まないというルールがあるようだ。どうしたものかと思っていたら、INCA COLAというのを見つけて買ってきた。これはペルーに新婚旅行に来た時にCMでよく聞いたので懐かしかった。


3月15日

6時半に迎えのマイクロバスがくる。私の宿は町の外れにあるので、中心部から乗り込んできた人たちで車はすでに十数人が乗っていた。後部座席はまだ空いてたのでそこに陣取る。乗客はほとんどが地元の人のようだ。町を外れて三十分ほどすると、チリのイミグレに着くが、イミグレが開くまでしばらく待たされる。

やがてイミグレが開くと手続き自体は簡単に終わり、ボリビア側イミグレへ進む。なお、この地点の標高4630メートルがこのツアーの最高標高となるかもしれない(実際はさらに数百メートル高いところがあったが)。しばらく進むとボリビアのイミグレとなるが、こちらでも事務所があくまでしばらく待たされる。こちらの手続きも簡単に終わるが、すぐには出発せず車の前にテーブルが置かれてその上に朝食が並べられる。朝食が食べ終わって、いよいよボリビア側のツアーが始まることになるが、ここでマイクロバスを降りてジープ2台に分かれることになる。結局、国境付近の標高4500前後の地点に2時間強も滞在したことになる。

ジープに乗換えたわけはすぐにわかった。マイクロバスでは通行が困難な悪路だからである。グレートジャーニーで関野さんがボリビアを通過した時の記述で「ボリビアでは車を走らせるために道を作るのではなく、車の走った跡(轍)が道になる」という部分があるが、20年経っても状況は変わってないようである。

イミグレを過ぎてしばらくすると公園の入園手続きがあるが、これが難題だった。まずはQRコードで申請フォームをダウンロードする必要があるが、WiFiのサービスがないのでダウンロードができないというピンチに陥った。同じ車に乗っていた人でモバイルWiFiを持っている人がいたので、それを借りてダウンロードだけはできたが、入力する内容がパスポート情報はだけにとどまらず旅行社名や車のナンバーまで書かせる。その度に運転手を掴まえて聞き出してなんとか全ての欄を埋めて終了しようとしたところ、どこかに入力不備があるのか先に進めない。弱ってしまって運転手に助けを求めると窓口に連れて行かれる。

窓口は二つあって、右側はダウンロードした申請フォームに入力した内容を見せて手続きをるということで大勢が行列しているが、左側には誰も並んでいない。そちらに連れて行かれてパスポートを提出すると、係員はパスポートを見ながら必要事項を入力して手続き終了となった。右側の係員は入力作業なしに処理できるが、私のようにそれに対応できない人のために左の窓口も用意してあるのだろう。さだめし私はデジタル音痴の人間だと思われただろう。

公園の入園料3000円強を払っていよいよ公園を進んでいくと、しばらくして温泉が見えてくる。初日に温泉があることはネットの情報で知っていたので、着替えしなくてすむように短パンを下に履いておいた。昨夜もシャワーを浴びたし、温泉も特別入りたいわけではないが、南極の冷たい水に飛び込むのはご免だが、温泉ならば話の種に入っておいてもいいだろう。

温泉の後は隣の建物で昼食をとり、この場所でかなりの時間を費やした。その後も間欠泉で撮影タイムをとった後、最後はフラミンゴの大群落がいる湖で大休止となった。カメラを車の上の荷物な中に入れてしまったため、スマホでは最大限に写してもフラミンゴは小さくしか写らないので、ビクーニャを前景にして移したりした。




最後はわずかの走りでホテルに着いたが、盛り沢山の1日であった。その代わり、1日の進んだ距離はあまり稼げなかったが、急ぐ旅でもないのでよしとしよう。

3月16日

本日はウユニを目指しての500キロほどのロングドライブである。スタートして間もなくして、奇岩が集まっている観光名所があったが、それから先は荒野を進むだけで、これといった見所はなかった。ただ午前中はボリビアアンデスの核心部の麓を行くので、雪に覆われたアンデスの峰々が見られて退屈しなかった。





午後になると道はアンデスを離れてしまうので退屈し、ウユニまであと何キロというのをスマホで表示させながら、なんとか退屈を紛らわした。ウユニの町近くになって町への道と離れて西の方に向かうので、このまま塩湖に行くのかと思ったら、そうでなくて機関車の廃墟を展示してある公園に立ち寄るためであった。

その晩は他の車に乗った人も交えてレストランでの会食があり、これまでの慰労と明日の塩湖訪問への期待を膨らませる場となった。

3月17日

5時出発ということで3時前からウトウトして5時前には玄関まで降りてみるが誰もいない。そのうちに何人かが降りてくるが、肝心の運転手がやってこない。どうもこちらの人は時間にルーズな人が多いようだ(後になってわかったことだが、ボリビア入国時に必要な1時間の時差修正を忘れていたのだ。文句を言ってごめんなさい)。(時差修正前の)6時近くになって運転手が現れるが、グーグルマップによると、塩湖まで2時間近くかかるようになっていたので、これでは日の出に間に合わないではないかと思ったが、その時はその時だと覚悟を決めた。

車は走り出して間もなく町を出て、あたりは真っ暗となる。しばらくすると車は停まって、他の車が運んできた長靴が配られた。するとそのすぐ先は湖で、車はタイヤの先を塩水に浸がら固い塩の地面を進んでいく。わずかな水位ではあるが、水の中を潜って進んでいくのは意外であった。てっきり塩面の上をそのまま進んで行くのだと思っていた。

塩湖を走るようになってからは自転車並みのスピードにダウンしたが、もう塩湖に達しているわけでグーグルマップの塩湖と表示されている地点まで行く必要もなくなったので、少し安心した。やがて東の空が薄明るくなった時に車は停車し、日の出を待つことになった。車の横にはテ
ーブルがセットされて、日の出とともにワインで乾杯が行われた。その後、少し先の塩のホテルで朝食をとる。




その後はパフォーマンス撮影タイムが続いたが、自分はそういうことは好きでないので、妻に頼まれた塩を取ったりしていた。ところが、岸辺に戻ると露店が立ち並んでいて、バックされた塩も200円程度で売ってたので買うことにした。

その後町に戻り昼食をとってからツアーは解散することになったのて、私は次の目的地であるラパスに向かうバスのきっぷを買うためにバスターミナルにむかったが、なかなか場所がわからずウロウロしてると、ネットで評判の良いバス会社の建物を見つけて、そこで翌日の夜行バスのきっぷを買うことができた。それから今夜の宿に向かったが、町外れにあり、途中で犬に何度も吠えられたりしながらたどり着くことができた。ホテル自体はなかなか設備は良く、なんと壁は塩でできていた!ただ近くにレストランはなかったので、近くのミニスーパーで買ったもので夕食は済ませてしまった。

3月18日

本日はラパス行きバスの発車場までに夜の8時半までに行くだけで、他に急ぎの用事はないので、ゆっくりと8時過ぎに食堂にむかう。するとまだ電気もついておらず、朝食付きとなっていた割には飲物とクラッカーが置いてあるだけのちょっと寂しい内容だった(まだ時差修正が必要なことに気づいていなかった)。しょうがないので、これで朝は済ませて昼にしっかりと食べようと思った。その後に何人かのグループがチェックインに訪れた時とほぼ同時に階下から係の人がパンとハムやジュースを持ってきたので多少は朝食らしくなった。もう一度食べ直して部屋にもどったが、部屋はハエが顔のまわりに飛んでくるので、うるさくてならない(寝ている間はフトンを頭から被っていた)。アルゼンチンやチリではハエや蚊は全くいなかったのに、ボリビアに入ると途端にハエに悩まされるのはボリビアの衛生状態を反映しているのだろうか?もっとも食堂にはハエはいなかったのを思い出して、出発の準備だけを済ませると出発するまでは食堂で待つことにした。

チェックアウトの旨を告げてフロントに鍵を返して外に出ると、後ろからホテルの人が追いかけてくる。支払がまだ済んでないということであった。昨日のチェックイン時に支払のことは何もいわれなかったのて、てっきりカード決済で支払は終わっているものだと思い込んでいたのだが、予約確認のメールを読み直してみると、支払は現地払いとなっていたので、ホテル代を現金で支払った。ホテルまで戻ればカード払もできたかれないが、面倒なので現金で払ってしまった。その結果、手元現金が寂しくなったので、キャッシングをすることにした。

昨日も行ったATMにまた行ってみる。昨日は閉店間際で後ろに行列もできていたので、ゆっくりと手続きをする余裕もなかったので、キャッシングは不調だったが、今日は落ち着いて手続きできたので、無事キャッシングができた。ただ上限額が500ボリビアーノ(一万円強)でその下にOTHERSという選択項目もあったので、もっと大きな金額もキャッシングできたのかもしれないが、とりあえずは今日はこれで足りるだろうと思った。

その後は市場を覗いたりしてたが、市場の裏の露店の店で牛丼っぽい(ただしだしはない)のを食べた、日本円で150円相当と安く、今回の旅行での最低食事代かもしれない。アルゼンチンやチリでは安く食べられる外食店が皆無だったが、ボリビアでは町のそこらじゅうにあるようだ。これから行くラパスも同じようなものだろうから、ラパスに長期滞在しても費用は嵩まないだろう。

ウユニでもうひとつ済ませておきたいことがあった。それはカミソリの購入だったが、なかなか売っているところが見つからず、外も暑かったので喫茶店に入って充電も兼ねながら1時間ばかり滞在してから、再びカミソリを探しに行くと、ようやく見つかった。前に買ったカミソリはウシュアイアで買ったもので、高級品しか売ってなかったが、こちらは普及品も売っており、私の趣味に合う町である。

その後は、道の真ん中が遊歩道になっている所で屋根のあるベンチの下で涼しい所でブログ書きをしてから、先ほど行った市場に戻って、市場の中の食堂で早めの夕食を食べることにした。ところが、食堂は午後の休みで1時間以上もまっても一向に開店する気配がないので、しびれを切らして、近くのチキン専門店に行ってしまった。

ウユニは物価も安く、インカの面影を残しているいい町であった。

 

 

 

 

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