旅行

2025年10月24日 (金)

上高地に全員集合

娘が1歳の誕生日の時に上高地に親族が全員集合したのに続いて、その二十年後にも上高地に集合したが、今年はさらに二十年たったので、三度目の全員集合となった。

 

10月18日

 

第一回の全員集合の時からの常宿である中の湯温泉に送迎バス、路線バス、マイカーとでバラバラに向かい、全員集合は4時半過ぎであった。夕食後にバースデーケーキで娘の41回目の誕生日を祝った。
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孫2人に星空を見せたかったが、あいにく雨模様となってしまった。明日の上高地は晴れてほしいものである。

 

10月19日

 

全員の日頃の行いが良かったせいか、雨は止み天気は回復傾向であった。宿の送迎バスで上高地に移動し、下車すると全員集合の記念撮影を行うべく河童橋に向かう。

 

河童橋に着くと、相変わらず観光客で賑わっていたが、まだ穂高の峰々は雲に覆われていたので、しばらく辺りを散策して天候回復を待つ。

 

小一時間もすると稜線も望めるようになったので、全員集合の記念撮影を行う。
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これで今回のスケジュールは成功裡に終わったが、しばらく時間を潰した後、子供たちは帰宅するためにバスに乗り込み、妻とその妹二人は平湯温泉に向かうので、ここで私は一人になって横尾のキャンプ場に向かう。

 

穂高周辺はほとんど歩き尽くしているが、まだ訪れたことがないところで、前から行きたかった氷河公園の天狗池を訪れるために横尾に泊まり、余裕があればさらに翌日に涸沢も往復してこようという欲張った計画である。

 

10月20日

 

夜中にかなり雨が降ったが、明け方になると天気は回復してきたので、7時に予定どおり出発する。天狗池と横尾の標高差は900メートルちょっとあるが、12時頃には到着し、4時頃には横尾に戻れるだろうと皮算用をしていたが、「取らぬ狸の」であることを思いしらされることになった。

 

必要最小の荷物しか持たず空身とかわらないほどの荷物鹿背負っていないにもき関わらず、まるでぺーすが上がらず、他の登山者に抜かれっぱなしになる。ここで、天狗池の到着予定時間を1時に変更せざるをえなくなった。

 

森林限界を越えると槍沢上部の視界が開けて素晴らしい眺めである。右側には若い頃に登ったことがある赤沢山の岩壁が望めて、嫌が上でも元気が出てくる。その割にはペースは依然として上がらないが・・・
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やがて道は槍沢と別れて天狗池方面に向かうことになる。到着予定時間の1時には目的地の高度近くまでは達したが、天狗池まではしばらくは高度はほとんど上げずに斜めに登っていくことになる。

 

振り返ると、今までは見えなかった槍ヶ岳の穂先が間近に望めて、ここまで来た苦労が報われた気がしてきた。間もなく天狗池に達したが、残念だったのは紅葉はほとんど終わっていたことである。こればっかりは仕方のないことである。
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わずかに残っている紅葉や池に映る逆さ槍を写したりしているうちにあっという間に時間は経ってしまい、下山を開始したのは2時半となってしまい、明るいうちに横尾まで降りられるかどうかは微妙になってきた。まあ暗くなってから下山したからといって別にどうということはないのだが・・・。熊の出没リスクは高まるが、熊ホーンという強力な武器もあることだし(登山者が通らない時間帯でないと、安易な使用には顰蹙を買いかねないが)

 

結局、横尾に戻ったのは6時を回ってしまい、真っ暗になっていたが、疲れ過ぎたためか食欲もあまりなかったため、小屋でロング缶を買い、中の湯から持ち越したツマミで無事成功を祝い、カップ蕎麦で締めることにした。

 

10月21日

 

当初の予定では、本日は涸沢まで往復するということでしたが、昨日の疲れも残っており、天狗池の様子から察すると、涸沢の紅葉も終わっている公算が強いので、涸沢までは行かずに途中の屏風岩の全容が望める地点まで行くことにした。

 

横尾から三十分ほど歩いた地点に屏風岩の全容が望める地点があったので、そこにしばらく滞在して、各ルートの確認をすることにした。四季を問わず通った岩場で10回近く登っているが、振り返れば懐かしい思い出ばかりで胸が熱くなった。30分ほど滞在してから、その場を後にしたが、もうこれで見納めかと思うと去りがたい気持ちで一杯であった。
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横尾から上高地までの下山は数え切れないほど通った道であるが、思い出に浸りながら歩いていると思いの外早く上高地に着くことができた。天気は下り坂であるにもかかわらず、河童橋からの穂高のパノラマは初日の時よりも見事であった。
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上高地のバスは今は予約制になっているので、帰りの時刻が未定で予約をしていなかったことから少し不安があったが、1時間ほど待ち合わせで乗ることができたし、ラストオーダー5分前に食堂に入れてランチにありつけたのはラッキーであった。

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2025年9月12日 (金)

下北半島から小樽までと北海道クルーズ

 

小樽発着で利尻島と知床半島を巡るクルージングに参加したが、小樽港までの行き帰りには寄り道もしてきた。

6月7日
大間崎
6月8日
仏が浦と青函連絡フェリー

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以前に下北半島を自転車で一周した際に立ち寄るつもりであった仏が浦は時間がなくて立ち寄れなかったので、今回、船に乗って訪れてみた。
その後に大間からフェリーで箱誰に渡った。
9月9日
函館から小樽へ、小樽港からクルーズ出航

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9月10日
利尻島沓形港上陸
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9月11日
知床羅臼港上陸、知床岬と夕日
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夜になってからはトワエモアのコンサートを楽しんだ。
9月12日
小樽港帰着後に石狩挽歌で歌われている鰊御殿に寄って見た。
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2025年8月17日 (日)

西日本後半戦の旅 やり残したコースの埋め合わせ

原爆慰霊の旅は終わったが、せっかくはるばる西日本まで来ているので、今までにやり残したコースをトレースしておこうと思った。

 

最初は10年前に戦後70年の原爆慰霊の旅の、ついでに日本百名山として九重山を登った際に、最高峰中岳山頂から望めた坊ガツルの展望が印象に残り、今度はぜひ坊ガツルにキャンプしたいと思ったことから、今回も坊ガツルにキャンプして300名山の大船山に登りたいと思っていた。

 

ところが本年は九州地方には線状降水帯が居残り、登山には不向きな天気が続いたので、登山は諦めて高森から阿蘇市への阿蘇高原縦断を行うことにする。もっとも、長崎原爆式典の時のような豪雨の場合には峠越えは厳しいだろうから、大人しく往路を戻って立野から豊肥線に乗り換えるつもりだったが、思ったほどの悪天にはならなかったので、予定どおり阿蘇高原縦断に向かうことにした。

 

8月10日

 

まずは高森までは南阿蘇鉄道で行かなければならないが、10時過ぎの電車に乗車する予定なので、宿をゆっくりと出発する。高森行きの電車は結構混んでいて人気のある路線のようである。高森駅で下車すると、観光客はあちこちに向かってのバスに乗り込んでしまい、自転車の組み立てが終わった頃には誰もいなくなってしまった。

 

乗り始めてしばらくは北上する道がわからず右往左往してしまい時間をロスする。正しい道を進みだしても、心配したほどには傾斜はなく順調に進んでいける。左手には阿蘇の山並みも望めて高原を縦断する気分を満喫することができた。

 

やがてつづら折りの道となってくると、峠は間近い。峠の先には阿蘇市の標識が現れて快適なダウンヒルとなる。途中には放牧している牛も見られて高原らしい雰囲気に浸れる。今晩は大分名物の赤牛料理が食べられるかな
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道は阿蘇市方面に向かう道と、波野に向かう道に分岐しているが、波野に向かう道の方が短いようなので、そちらに進路をとる。急坂が連続してほどなく波野駅に降り立つが、1日5本の便しかなく、次の電車までは3時間待ちとのことなので、次の滝水駅まで行ってみることにした。幸い下り道の連続だったので苦労することなく着くことができた。

 

滝水駅の前には酒屋もあったので、酒を買ってここで時間待ちをすることにした。2時間待ちでようやく電車に乗ることができたが、大分までの直通ではなく豊後竹田で1時間半の待ち合わせとなる。郊外にある岡城阯は荒城の月のモデルとなった所なので行きかけたが、歩きでは時間的に無理だし、自転車の組立と解体するのも面倒なため、途中から駅に引き返すことにした。

 

大分には8時頃に着いたが、事前に付近のホテルの空室情報を調べたところでは泊まれそうな所はなかったので、ネットカフェに泊まることにしたが、比較的早い時間だったので空きはあったものの、遅い時間だったら危なかったかもしれない。

 

8月11日

 

今日は何としても九州を脱出したいが、当初予定通りに竹田津からのフェリーを利用する場合は、フェリーが予定通り運航するかどうかと、最寄り駅の宇佐駅から竹田津までの30キロ弱のツーリング中にどの程度の雨が降るのかが気になるところである。前者については電話で確認すると、運航には問題がないことがわかったが、念の為に下関経由で陸路で向かうことも考えたものの、福岡県内では電車は止まっているとのことなので、多少の雨でも竹田津に向かうことを覚悟した。

 

大分を電車が出る頃はたいした雨は降ってなかったが、次第に雨は強まり、国東半島の付け根にあたる山間部に差し掛かると豪雨となってきたので、大分にまた引き返そうかとも思ったが、山を越えて宇佐まで下ってくると雨も小降りになってきたので、なんとか出発しようかという気にはなった。

 

宇佐から竹田津までは海岸沿いだから平坦な道だろうと甘くみていたが、後半はある程度のアップダウンがあったものの、フェリー出港時間の1時間半前には竹田津に着いて、なんとか九州脱出の目途が立った。乗り場には大学生の女性チャリダーが先客としていたので、あいさつを交わしたところ、はるばる鹿児島からやってきたそうで、連日雨にたたられたとのことであった。乗船時間までは、彼女と話もできたので退屈はしなかったが、宛が外れたのは、乗り場では軽食くらいは食べられるだろうと思っていたものの、自販機しかなくてランチは夕方に到着予定の徳山までお預けになりそうだったことである(船内にカップ麺の自販機があって、それを食べたが)。

 

山口県に上陸したのを待ち構えていたかのように、線状降水帯も中国山陰に移ってきたようで、土砂降りの雨の中を走らされることになる。豪雨に我慢しきれなくなって、近くにあった台湾料理屋に逃げ込んで休憩がてらに昼兼夕食を食べる。食事をしながら地図を見ていると近くにネットカフェがあることを発見して、今日はもう前進は無理と判断して、そこに泊まることにした。

 

8月12日

 

線状降水帯は山陰や北陸に向かっていて四国は雨の心配はなくなりそうなので、四国に向けて出発することにした。このネットカフェから四国に渡る柳井港までは30キロ近くあり、そこまで自転車で行くと早い時間のフェリーには乗り遅れてしまうので、光駅に駐輪して柳井港までは山陽本線で行くことにした。幸い山陽本線は下関〜山口までは不通だが、そこから東は平常どおり運転されているとのことであった。

 

柳井港から松山までの航路は島々を縫って進むもので、なかなか風光明媚な景観が楽しめる。今回はすっかりフェリーづいてしまったようで、来月に予定している北海道のクルーズはもう行かなくてもいいような気がしないでもない。
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三津浜に上陸すると、まずは腹ごしらえである。三津駅の少し手前にある居酒屋風の店に入るが、昼前という時間のせいか他の客はおらず、あまり流行ってはいないようだったが、注文した漬け丼は美味かった。空腹を満たした後は、道後温泉で汗を流すつもりだったが、着いてみると行列ができていて、1時間以上待たなければならないという。グーグルマップでみてみると、すぐ近くに別館というのがあり、こちらは待たずにはいれそうである。本館は以前に行ったことがあるので、今回は別館に行くことにする。

 

入浴後、すぐ近くにあるコインランドリーで洗濯をおこなった。洗濯の待ち時間に近くの居酒屋で名産のじゃこ天を揚げたカツを肴に生ビールで喉を潤した。飲食中にダメ元で今夜の宿を検索していたら、最後の1室をゲットすることができてラッキーだった。きっと連休の谷間に当たっていたのだろう。洗濯が終わると、明日の300名山行きのバスの出発点である伊予西条行きのバスに乗り込むつもりでバス停に向かったが、本数が少ないため、長時間待たされることになった。
 
伊予西条のホテルに荷物を置いて夕食を食べに出かける。近くに回転寿司のチェーン店が2軒あったので行ってみたが、どちらも満員で客が多数待っていたので諦めてコンビニ弁当を買って帰る。帰宅翌日が自分の誕生日なので、寿司はそれまでとっておこう。

 

8月13日

 

今日登る予定の瓶ヶ森は数年前の晩秋に四国に来た時に途中まで登ったことがあるが、その時は中腹より上は雪が積もっていて、アイゼンもチェーンスパイクも用意してこなかったので断念した山で、今回はそのリベンジでもある。

 

西之川行きのバスの乗客の大半は石槌山ロープウェイで下車してしまい、終点の西之川までの乗客は私を含めて数人であった。西之川からのコースは西之川をそのまま進むものと、東之川登山口に向かうものと二つあるが、私以外はみな西之川のコースを行くようである。私は東之川登山口経由の方が若干時間が短いので、そちらを選んだが、最終バスまでの行動可能時間が8時間半なのに対して、東之川登山口のコースタイムが8時間とかなり余裕がないスケジュールである。西之川コースに向かった人も最終バスに間に合うかどうかを気にしていた。

 

東之川登山口までは比較的緩やかな舗装路だが、そこから先は急登が連続する。今回は自転車関係のもの等、登山とは関係ないものまでザックに入っていたため、西条駅で不要なものはコインロッカーに入れておくつもりだったのだが、手違いでホテルが駅から遠く、コインロッカーに入れる時間がなかったため、軽装で往復するという目算が狂ってしまったのだ。

 

途中の通過時間を確認すると、コースタイムを上回ってしまっている。これでは最終バスに間に合わなくなるので、お昼を早めに食べて、それから先は最小限の荷物を背負うだけとしてスピードアップを図ることにした。軽装になると途端にベースは上がり、途中でタイムの遅れは取り戻し、前方の視界が開けて先行の登山者が見えてくるころになると、最終バスまでの余裕時間(以後をコースタイムで進んだ場合の到着時間と最終バスの発車時間との差)も40分になるまでになった。

 

ところが頑張り過ぎたつけが回って両足に痙攣が走るようになってしまった。やむを得ず、しばらく休んでからだましだまし歩き始める。しだいに足の状態は良くなってきたし、頂上に続く草原の景観は素晴らしいの一言なので、景色を楽しみながらゆっくりと登っていく。
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リベンジを果たせた頂上は時間があればゆっくりとしていきたい所であったが、最終バスの時間が気になるので長居はせずに下山する。下りも快調に進めたが、次第にある心配が頭をもたげてくる。それは荷物を置いた場所を見落としてしまうのではないかということである。だいぶ降りた所で荷物を発見した時はほっとした。置いた場所の高度くらいは確認しておくべきであった。

 

最終バスの発車20分くりい前にバス停に着いたが、今朝会った登山者の姿はない。1本前のバスに乗ったのかとも思ったが、3時間前に発車しているので、いくらなんでもそんなに早くは降りられないだろうから、売店乗場のあるロープウェイ乗場のバス停まで降りてしまったのかなとも思ったが、次のロープウェイ乗場のバス停かろ乗り込んできた人の中にも見当たらなかったので、どうしたのだろうと少し心配になったが、どうしようもなかった。

 

西条駅で電車待ちの間に駅前の居酒屋で地場の刺身を肴に生ビールで喉を潤してから松山行きの電車に乗り込んだ。

 

8月14日

 

本日の行き損ねのリベンジは四国最西端の佐田岬である。四国お遍路の際には行程が遅れ気味で立ち寄ることができなかった所である。八幡浜を出発点とするとすっきりするが、行程が長くなってしむうため、三崎港まではバスを利用することとし、三崎港近辺でレンタサイクルが利用可能ということなので、岬先端まではそれを利用することとして、自転車は四国には持ち込まなかった。もうひとつの問題は行程が不確かなため宿の予約がしてなかったが、お盆の時期にあたったため、行程が固まった直前では三崎港近辺の宿は全て満室となっていたことである。これに対しては雨で中止となった九重連山登山のためにキャンプ用具を持参していたので、テントを張って過ごすことで解決することにした。

 

八幡浜から三崎行きのバスは満席に近かったが、終点まで行く乗客はわずかであった。バスを降りた所の隣の観光案内所がレンタサイクルを扱っていた。草津温泉でレンタサイクルを利用した時は、途中でバッテリーを使い果たしてしまって苦労したが、案内所の人の話ではほとんどの人が半分以上使い残してきているというので安心したし、パンクした際には迎えが来てくれるらしいので心強い。

 

登りでは観光案内所を出てからすぐ先と最後の灯台の所の2箇所で登りきってからはそれほどアップダウンはない。ただ灯台の登りは半端ではなく心が折れそうになるほどであったが、バッテリーをスポーツモードに切り替えると大した負荷もなく、Eバイクの威力は抜群であった。

 

駐車場から灯台までは思ったよりも遠く、禁止はされてなかったようなので、自転車を乗り入れてしまったが、顰蹙を買うだけでほとんど効果はなく、最後は駐輪して歩いてしまった。灯台の裏側には四国最西端の碑があり、佐田岬に来た目的を果たすことができた。
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灯台の往復に思ったよりも時間がかかったために、案内所が閉まる5時までに帰れるか心配であったが、なんとか時間までに自転車を返せてホッとした。佐田岬に無事到達したお祝いしようと三崎の町を歩いてみたが、じゃこ天の弁当を売っている店くらいしかなく、あきらめて町外れのコンビニまで行きかけたら、手前に居酒屋があり、そこで刺身を肴に生ビールで乾杯した後、しらすイクラ丼を食べて、今回の四国の旅が無事に終わった(のはずだったが)ことを喜んだ。

 

今夜はテント泊まりということで、町外れの公園に出かけてみると、岸壁ではまだ釣りをしている人がいるし、近所の子供連れが花火をしていたので、コンビニまで行ったりして時間をつぶし、公園に誰もいなくなってからテントを張り、四国最後の夜を過ごすつもりだった。ところが中に入ってみると暑いったらありゃしなく、とても眠れるものでない。それでも気が付かないうちにうとうとしたが、目覚めると汗びっしょりで、とても眠れたものではない。かといってファスナーを開けると蚊が入ってくるので、それもできない。今回の旅の最大のピンチである。

 

ここで思い出したのは観光案内所の横にベンチがあることである。あそこならば、ここよりは快適だろうと夜明けまで過ごそうと移動を開始した。案内所の周りには予想に反して夜明け前にもかかわらず車がひっきりなしにやって来る。九州方面行きの朝イチのフェリーに乗船する人たちであろうか。ここも快適というわけではないが、しかたなく座り続け、薄明るくなる頃にテントに戻って片付けてからバス停に向かい、始発バスに乗って八幡浜に戻った。

 

八幡浜では、松山方面の電車に上手く乗り継げるはずであった。ところが、その電車は特急で私の18切符では乗れずに、普通の松山行きは2時間近く待たなければならない。どうしたものかと思っているうちに、特急は発車してしまう。次の普通に乗車すると、予定していたフェリーには乗れないことになり、今日の行程は滅茶苦茶になるが、約1時間後の特急でも予定したフェリーには乗れることがわかり、18切符は山口県に上陸後も使えることだからと、次の特急に乗ることにした。

 

次の特急は松山が終点なので、フェリーの乗場である三津浜までは乗り換えなければならない。乗り換えも終わって三津浜に向かっている途中で睡魔に襲われて気がついた時は、電車は三津浜駅を既に発車していた。やむを得ず次の駅で下車したが、反対方面の電車が奇跡的に時間を置かずに来てくれたので、タクシーにさへ乗れれば予定していたフェリーに乗れる可能性がでてきた。タクシーもつかまり、これで一件落着となったが、三津浜駅からフェリー船着場までは結構距離があり、行きの豪雨直後には歩いていったものの、今の炎天下では歩いていくのは熱中症のリスクがあってタクシー利用は正解であった。

 

フェリーには2時間くらい乗船していたが、さすがに眠りに落ちてしまったので退屈せずにすんだし、その間にスマホとモバイルバッテリーの充電もできたので、一石二鳥であった。

 

柳井港よりも西の光駅に駐輪してあったが
まずは本日の宿泊予定の岩国に向かい、駅近くのコインロッカーに荷物を入れて身軽になってから光駅に向かった。その間の移動にはもちろん18切符を使ったので、本日分のモトはとったことになる。光からは岩国を目指すが、前回は内陸部を進んだので、今回は海沿いに進むことにする。

 

まずは南端の柳井市を目指すことになるが、走りやすい道だったので、夕方の明るい時間に着き、早めの夕食を済ませてから岩国を目指すことになる。ところが、柳井港を過ぎて北上するようになると道は狭くなり、街灯もほとんど無くなって暗い夜道を後続の車に神経を使いながら進むのは危険を感じて、岩国市に入った神代駅で電車に乗ることにした。まだ9時前で、岩国駅までの距離は20キロほどで、ゆっくり走っても2時間はかからないが、安全を最優先として今回の旅を実質的に終えることとした。

 

8月16日

 

本日は帰宅日なので終電で帰宅してもかまわず急ぐ必要もないのだが、始発に乗ってしまった。ところが、お盆休み中の特別ダイヤにダイヤアプリが対応してないのか、アプリうえのダイヤと実際のダイヤが一致しないので、来た電車に乗っていくことにした。最初のうちはそれでよかったのだが、岡山駅で乗り換える際に失敗をしてしまった。

 

飲食物を買いに改札を出てホームに戻ってきてら、ホームには相生行きと播州赤穂行きが止まっていて、相生行きはまもなく発車だったのだが、かなり混んでいたため、それは見送って播州赤穂行きに乗り込んだ。このまま播州赤穂まで行って相生行きに乗り換えれば良かったのだが、東岡山駅で山陽本線に乗り換えようとしたとらケチが着いた。次に来た電車にそのまま乗ってしまったら、少し先の瀬戸という聞いたこともない駅(瀬戸の花嫁ならしってるけど)が終点で、登り線はホームを変えなければならず、エレベーターもないため自転車を担いで階段を登らなければならず、酷い目にあってしまった。おまけに快速は通過するので、次の電車までは1時間近く待たされた挙句、その電車は各駅停車ときているため相生駅までもかなり時間がかかってしまった。

 

幸い相生駅では野洲行きの新快速に接続できたので、これで遅れは多少は取り戻せたようである。以後は比較的順調に行程をこなし、Uターンラッシュにも遭わずに、ほぼ予定どおりの時間に帰宅できた。今回は悪天等の影響で一部消化できなかったものもあったが、以前にやり残した行程はほぼ順調に終えることができ、満足できる結果であった。後期高齢者になろうとする人間がやる行動ではないという意見もあろうが、それだけ元気が余っているということで許してもらおう。

 

 

 

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戦後80年に原爆巡礼

今から10年前に戦後70年を迎えたことをきっかけとして、広島長崎の原爆式典に参加したが、戦後80年を迎えた今年も広島長崎を訪れることにした。

 

前回の経験から式典前夜の広島近辺の宿は早くから予約しないと無理なことはわかっていたので、発想を転換して、前夜は三原〜広島を自転車でナイトツーリングで踏破することにした。同コースは日本海岸線踏破を目指していた頃に、ランニングでの踏破を試みたことがあるが、海岸線を通らずに内陸部の最短コースを通る結果となり、今回はランニングから自転車に変えてリベンジすることにした。

 

8月4日

 

青春18切符の5日間連続乗車券を利用して初日は大阪を目指すことにした。というのは、数年前に妻と関西旅行した時に大阪の地下鉄全線乗車を狙ったのだが、時間不足で半分近くしか乗車できなかったので、今回はそのリベンジも兼ねているのである。

 

数回の乗り継ぎを経て米原に到着したが、時間があるのでここで寄り道して北に進路を取り長浜に向かう。以前に琵琶湖周回ツーリングの際に秀吉の最初の居城である長浜城に立ち寄ろうとしたが、列車の時間の関係で中には入れなかったので、今回そのリベンジのつもりであった。
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来年の大河は秀吉の弟が主人公でもあり、きっと大勢の観光客がいるだろうと思ったのだが、あたりは静まり返っている。もしやと思って近づいてみると、本日はお休みとのことである。果たして三度目のリベンジはあるだろうか?

 

気を取り直して大阪に向かい、梅田の駅で早速1日乗車券を買う。どの路線でも終点の駅に着くと、改札にも向かわず折り返しの電車に乗って次の路線に急ぐというただ乗車するだけの行為を繰り返す。万博のために一区間だけ新設された夢洲までの路線は時間が遅かったので、万博の客は帰った後で最終電車は終わっているのではと懸念したが杞憂であった。ただどういうわけか夢洲駅だけは1日乗車券では改札を通れないということで(単なる嫌がらせか?)、万博会場も見ることなく、4時間近くの乗り鉄の旅を終えることになった。

青字が今回、赤字が前回の乗車路線


 

8月5日

 

今日は中国方面に向かうので、午前中に前回は開園時間に間に合わなかった二条城を目指して京都に戻ることにした。京都は大阪と同様に外国人観光客で溢れていた。

 

二条城に着いてみると、なんと二の丸の建物内には入れないという。大政奉還の方針が諸大名に申し渡された大広間に行きたかったのになんたることか。庭は見物できるのだが、猛暑の炎天下を1時間近く歩かされて少々体にこたえた。
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午後からは広島県を目指しての18切符の旅であるが、4回の乗り継ぎで広島県内の三原に到着した時は薄暗くなっていた。ここからが前半のハイライトである呉経由のナイトツーリング100キロの始まりである。以前に日本海岸線の踏破を目指した時は、三原・広島間はウルトラマラソンのトレーニングとして走ったのだが、時間不足から最短路の内陸部を通過せざるをえなかったので、今回はそのリベンジを自転車で行おうとするものである。

 

日中は暑くてかなわないので夜間に実行することにしたが、ゆむくりめで行っても三原を7時頃に出れば式典には間に合うだろうという計算をたてて、三原のファミレスでしっかりと食事をしてから式典会場を目指すことにした。気温は30度近くはあったが、直射日光を受けず、登り以外は風も受けるので、比較的快適であった。

 

8月6日

 

2時頃に呉に到着。かつての軍港であり、大和と並ぶ巨大戦艦武蔵を建造した造船所があった所でもある。今回の行程の三分の二あたりで残すは30キロほどなので、成功を確信して駅近くにあるネットカフェに1時間ほど滞在して水分補給と体を冷やした後、式典会場に向かうことにした。

 

4時半には明るくなってきて、このまま何も起こらずに終わるのかと思いきや最後にちょっとしたドンデン返しがあった。というのは、グーグルマップで原爆ドームを目標に検索した道を進んでいたのだが、徒歩モードではなく、自動車モードで検索してしまったようで、行程最後付近の大橋が自動車専用となっていたため、徒歩モードに切り替えてみると、進路は反対側に大きく迂回しており、さらにはかなりのアップダウンを越えてようやく到達するというもので、式典の始まる8時前に辛うじて到着するという危ういものであった。おまけに以前にはなかった荷物検査が行われていたので長蛇の列ができ、黙祷の時間直前にようやく会場に入れるという際どいものであった。

 

会場では広島市長から始まる挨拶が延々と続くが、前回は挨拶を聞いた後に記念館の見学までおこなったものの、今回は早々と退散して、駅前で遅めの朝食をとりながら、テレビから流れる挨拶を聞いてお茶を濁した。
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広島駅からは一路九州へ移動する。佐賀県北部は鉄道を利用して周回したことがあるが、自転車では唐津から伊万里を結ぶ線以北は未踏である。長崎の原爆記念日前の7日と8日はフリーであるが、天気も今ひとつのようだし、どうしたものだろうか?

 

8月7日

 

前夜遅くに泊まった伊万里のネットカフェはローカルなネットカフェで安いだけが取り柄な所だったので、長居は無用と早々に後にする。

 

今朝は雨模様の天気だったので休養するかとも思ったが、炎天下よりはましかと思い直して半島北部を行ける所まで行ってみることにした。天気は思ったほど悪化せず、暑さもそ れほどでもなかったが、アップダウンが激しく行程が遅々として捗らなかった。

 

道が複雑に分岐していたので、道を取り違えないようにと地図アプリを拡大して使用していたが、それがアダになって全体的な進路把握かなされずに、本来進むべき半島の真ん中ではなく、左端を進んでいることに気付いた。正しい道に戻るのもたいへんなので、ここで引き返すことにしたが、出発点である伊万里駅までの距離を調べてみると35キロもある。平地ならば大した距離ではないが、アップダウンの激しい道で行きには5時間ほどもかかっているので、帰りも同じくらいの時間をみなければならない。それならばと唐津駅までの距離を調べてみると、こちらは22キロと比較的短いので、こちらを選択す?ことにした。

 

登り口を除けは、行きほどのアップダウンはなかったので、六時前には唐津駅に着くことができ、唐津線経由で伊万里に戻ることができたが、それからの宿探しがなかなかたいへんだった。前夜のチープなネットカフェにもう一晩泊まる気にはならず、かといって駅前のホテルはどこも満室となっていてホテル難民となりかねなかった。そこで駅から少し離れたところにホテルはないかと探して電話してみると、そのうちのひとつに空きがあってなんとか最悪の事態を避けることができた。

 

8月8日

 

松浦鉄道の1日乗車券を買って、沿線の三つの最西端に行ってみることにした。まずはたびら平戸口の日本最西端の駅である。10年前にも通ったことがあり、その時は途中下車はせずに車内から眺めただけだったが、ホームにはかなりの人がいたので、鉄っちゃんにとっては聖地のひとつなのかと思ったが、今日は誰も降りる人はおらず拍子抜けであった。
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松浦鉄道を南下して小浦駅で下車、そこからバスに乗って本土最西端の神崎公園を目指す。神崎入口で下車してから最西端の碑までは30分近くも歩かされるので、小浦駅から碑までは11キロ程度であり、自転車で来た方が良かったような気もしないではなかったが、かなり気温も高かったこともあり、バス利用は正解ということにしておこう。こちらの碑は何人かの訪問者もあるようで、まあ隠れた観光地なのかもしれない。
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松浦鉄道の終点である佐世保に着くと、そこから先はJR九州の路線となるが、駅前にはJR最西端の碑があるので、ここで最西端の旅の締めくくりとして写真を撮り、朝からろくな物を食べてなかったので、居酒屋で腹ごしらえと喉を潤してから長崎に向かった。
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本来は前半の旅の終了点である長崎でゆっくりと旅装を解きたい所であるが、10年前に来た時も原爆式典参加者が1年前から予約を入れていて長崎市内には空いているホテルはなかったので、今回は鼻から諦めてネットカフェに泊まることにしていた。

 

8月9日

 

早起きしたら長崎の西の方まで往復してこようとも思ったが、雨模様なのでやめてゆっくりと出発する。雨はますます激しくなってくるので、駅近辺に駐輪してバスで平和公園に向かうつもりで駐輪場を探したが、バイク用のものはあっても駐輪禁止と書いてあるので、やむをえず平和公園まで自転車で行くことにした。公園の近くに駐輪するつもりだったが、警備の警官かいっぱいいて、下手に駐輪すると文句を言われかねないので、だいぶ離れた所に駐輪する。

 

公園入口まで行くと、整理券がないと入れないと言われる。コロナの時からの措置だそうである。もっとも大きな荷物は持ち込み禁止となっているようなので、整理券があっても入れなかったかもしれない。
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黙祷が終わってから公園前を後にして自転車を回収して駅に戻る。自転車を解体するのに手間どったりして、新幹線の出発時間が迫っていたため、おにぎりで昼食をすませることになり、長崎の名産は食べずじまいとなってしまった。

 

今晩の宿は熊本地震によって不通となっていた南阿蘇鉄道が数年前に復旧したので、終点の高森の手前の駅近くのところを予約したが、途中で少し寄り道して西鉄本線の南半分を乗車しておくつもりである。西鉄本線の北半分は数年前に妻と太宰府に行った際に乗っているので、支線はともかく本線だけでも完乗しておこうと考えたのである。

 

最初は大牟田から西鉄二日市までを往復するつもりであったが、JR鹿児島線と西鉄本線は平行して走っている部分が多いので、JRの鳥栖からは南下せずに北上して二日市で下車して西鉄本線に乗り換えて大牟田まで乗車することにより、時間も費用も節約しようとするものである。

 

大牟田からは数回の乗り継ぎで南阿蘇鉄道との乗り換え駅である立野に着く。南阿蘇鉄道は熊本地震で被害を受けて不通となっていたが、一昨年にようやく全線開通となり、満を持して今回乗り込むことになったものである。ただ観光客はあまりおらず、乗客のほとんどは地元の人のようであった(全線開通を待ち望んでいた鉄ちゃんはとっくに乗ってしまったのかな)。

 

今夜の宿は南阿蘇鉄道沿線の古民家風で、テレビは懐かしいブラウン管である。ちょっとタイムスリップしたような気分にさせてくれるのがうれしかった。
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2025年8月 1日 (金)

群馬県内への避暑と温泉巡り

草津方面に避暑に来たが、標高が千メートルを越えているだけあって、最高気温も30度を越えることはなく、過ごしよかった(さすがに日中は暑かったが)。

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ライトアップされた草津温泉湯畑


7月22日

ホテルの近くに釣堀があったので行ってみたが、入れ喰い状態で三十分もしないうちに規定の三匹が釣れてしまい、面白くもなんともなかった。

 

釣り上げた魚は調理してくれるので、二匹は唐揚げ、残りは塩焼きにしてもらったが、そばを食べるには腹も減ってなかったので、缶ビールを注文して一匹ずつ食べ、唐揚げ一匹はホテルで留守番している妻へのお土産とした。

 

7月24日

 

草津温泉から1番近い観光地を探していたらチャツボミゴケ公園というのがあってホテルから歩いても半日ほどで往復できそうなので、行ってみることにした。

 

下界ほどではないにしても、猛暑の舗装路を歩くのは嫌だなと思っていたら、バスターミナルの1階の観光案内所でレンタサイクルを利用できるということなので、早速バスターミナルに行ってみる。ところが、観光案内所に行くと、現在はメンテ中で利用できないという。

 

代わりにレンタサイクルが利用できる別の施設を教えてくれたが、ここから30分近くも登り道を進まなければならないスキー場の所ということで出鼻を挫かれたような気分であった。

 

スキー場に着いて電動付きのレンタルサイクルを借りることができたが、ここでコース取りに迷うことになる。最初歩いていくつもりの時は最短コースを考えていたが、その道は舗装が最後までされているか不明で、ある程度降りてしまってから悪路になった場合は、登り返すのも大変だし、かといって悪路を進んでパンクしてしまうのも嫌なので、遠回りではあるが、グーグルマップの検索コースのうち、車によるコースを選択することにした。

 

全体的にゆるやかな下りが続いたが、最低部の橋を渡ると今度は登りが続き、たまらずに電動のスイッチを入れることになる。ところが、バッテリーの残量があまりないことに気付き、傾斜が緩くなるとスイッチを切って節約することになる。ここまで来る時はあまりバッテリーを使わなかったつもりだったが、満タンにはなっていなかったのかしら?

 

公園に近づくとようやくなだらかになり、電動スイッチはOFFのままでも大丈夫になったが、公園の受付を過ぎ、滝に向かう道でまた傾斜がきつくなってきたので、やむを得ずまたスイッチをONにする。

 

滝の周辺は酸に強いコケが生えていて独特な風景を見せてくれている。苦労してここまで来た甲斐はあった気がする。
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滝の上部を回遊してから下りに移って帰路に向かうが、途中から行きの道と別れて最短路に向かう(もし、舗装路が途中で悪路に変わっていたら自転車を降りて引いて行くまでだと開き直った)。

 

ところが、橋を渡るまでは下り一方かと思っていたが、実際は小さい尾根を越えなければならず、なけなしのバッテリーを使ったためにバッテリー残量が最小のマークにまで減ってしまう。

 

下りきって橋を渡り登りに移るが、幸いさほど急な登りではなくバッテリーの消耗も少なくて何とか出発点まで戻ることができたし、最後まで舗装路が続いていた。自転車を返して隣のレストランでラーメンを食べていると突然の豪雨となり、小止みになるまでそこで雨宿りとなったが、自転車に乗っている間でなくてラッキーだった。

 

7月26日

 

前日に草津温泉から赤城温泉に移動したのは気分転換の外に、関東ふれあいの道の群馬県コースのうちの未踏となっている不動大滝のコースを歩くためでもある。

 

朝食後に不動大滝を目指して出発する。舗装路を進んで粕川を渡る手前で山道に移るとすぐに大滝が目の前に現れる。落差20メートルはあるかと思われる見事な滝である。証拠写真を撮影後に来た道をそのまま戻れば近いのだが、ふれあいの道コースNO24番はやや下流の忠治温泉がゴールとなっているので、そこまで歩を進めることにする。

忠治温泉までは小1時間ほどの下りであるが、ふれあいの道にしては悪い道であった。実は今回泊まっている宿は自販機以外には間食の販売はなかったので、忠治温泉まで下れば何か買えるのではないかと期待したのだが、生憎まだ開業しておらず、開業準備のためか作業員が数人働いているだけだったので、食料調達はできないまま宿に戻らざるをえなかった。宿への戻り道は気温が上がってきて辛かったが、カーブごとに番号がふられていて宿の直下のコース番号は23番であることはわかっていたので、気分的にはだいぶ楽であった。

 

7月28日

 

今日は群馬県随一のロッククライミングエリアである有笠山に行くことにした。私の現役時代には登る機会のなかった有笠山だが、高難度ルートが密集しているエリアで一度は登ってみたかった所である。後年になって日本ロマンチック街道という日光から軽井沢までをつなぐロングコースを自転車で通った際に有笠山を遠望することができ、次は間近に見たいものだと思ったのだが、今回それが実現することができた。

 

バスとJRを乗り継いで沢渡には11時頃に着き、そこから小一時間ほどの舗装路歩きで東登山口である。途中、有笠山の岩壁が間近に見えたが、登山口のすぐ上にはフェアリーロックという岩場が聳えていた。何本かのボルトラインが確認できたが、いずれもグレード的にはかなり難度が高く、自分の現役時代でも登れない代物であった。
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西登山口への分岐点から頂上への登山道に移る。途中にはハシゴやクサリもあってスリルが楽しめた。頂上は樹木に覆われて展望は得られなかったが、このあたりの山域は元々不案内なので、展望が得られてもまわりの山名はわからなかっただろう。

 

下りは西登山口に向かったが、登りの時ほどの暑さはなく、思ったより早く林道に降り立つことができた。帰りは往路と同様の経路を辿ったが、歩いているよりも往復のアクセスの方が断然時間がかかったようだ。

 

7月29日

 

草津温泉周辺の目ぼしい観光地はだいたい訪れてしまったが、少し足を伸ばして野反湖に向かうことにする。野反湖は20年以上も前に上越国境尾根縦走の一環として白砂山から下山する際に近くを通ったことはあるが、その時は暗くて湖は見ることができなかった。

 

草津温泉から最短コースを辿れば25キロほどの距離なので、最初はレンタサイクルを利用しようかと思ったが、レンタサイクルにはスポーツタイプがなく、電動アシストタイプしかないので、野反湖手前の坂でバッテリーを使い果たしてしまい、帰りの草津温泉手前の坂ではバッテリーの切れた重い車体を引っ張り上げることになりかねないので断念した。代わりに長野原草津口駅までバスで降りると、そこから野反湖までのバスがあることがわかったので、妻と一緒に行ってみることにした。

 

乗り継ぎ1回と2時間弱の乗車で野反湖に到着するが、野反湖手前の登り坂は延々と続き、自転車で来なくて良かったと思った。足下には美しい湖と高山植物が広がり、長いバス旅の疲れを癒やしてくれた。
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バス停近くにはお店もあったので昼食をとり、3時間ほど後の最終バスで帰るつもりだったが、長時間待っても退屈するだけだし、連日午後になると豪雨となる傾向だったので、1本前のバスに乗って途中で下車して、日本一美しい村と宣伝している六合(クニ)村の山村風景を楽しみながら途中まで歩いて、最終バスで帰ることにした。

 

六合村最上部の花敷温泉で下車し、道の駅までの6キロほどを歩くつもりだったが、炎天下の車道歩きは下り一方とは言え妻には過酷だったようで途中のドライブインでダウン、おまけにドライブインも定休日だったので、ここで最終バスを2時間近く待つわけにもいかず。タクシーを草津温泉から呼んて帰る羽目となってしまった。

 

7月31日

 

最終日は当初の予定では、帰宅する妻と別れて、関東百名山とふれあいの道の未踏部分を行くつもりだったが、ここまでの行動で猛暑の低山は厳し過ぎると思い直して、もう少し涼しくなってから出直すことにした。ただこのまま帰ってしまうのはもったいないので、高崎駅からバスで行くことができる白衣観音を往復してくることにした。

 

白衣観音は高崎駅が近づくと目立つ風景で、前から気になっていたものだが、ふれあいの道のコース途上にあり、コース自体を忠実に歩くと結構な時間がかかるが、白衣観音が撮影ポイントとなっているので、インチキ臭くはあるが、短時間でコース踏破?ができるという絶好の行き先であった。
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高崎駅からは30分弱の乗車時間で観音前で下車、至近距離の観音
直下まで移動して証拠写真を撮り、すぐにバス停に戻って高崎駅行きのバスに乗り込む。この間、わずか10分足らずという駆け足スケジュールであった。

 

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2025年7月 5日 (土)

北海道200名山ツアー後半戦(195座目 石狩岳登頂)

7月3日

 

前日はニペソツ山の予定だったが、天気が今ひとつのために中止となり、タウシュベツ川鉄橋遺構の観光となったが、ここは鉄道ファンに大人気の所であり、今回行く時間があるかどうか気にかかっていたが、思いかけずにゆっくりと見物できたし、長丁場となる山を連日登るのは体力的に厳しいことを懸念していたので、ニペソツ山の登山が中止となって来年に持ち越されたのは結果的には良かったのかもしれない。

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仕切り直しとなった200名山ツアーは当初予定どおりに石狩岳に向けて4時に宿を出て登山口に5時過ぎに着く。そこからしばらくは沢に沿って比較的なだらかな道を1時間ほど歩いた後に、北海道三大急登にもあげられているシュナイダーコース最大の核心部にさしかかる。

 

標高差800メートルほどを3時間かけて登り切ると主稜線と合流して傾斜はやや落ちて石狩岳は目前となるが、あいにくの天気で展望は全くない。その代わりに本州では見られないほどの見事なお花畑が目を楽しませてくれる。

 

石狩岳頂上は最後の急登を登り切ると達するが、残念ながら展望は全く得られない。10分ほど先に最高地点があるらしいが、ロートル組はここでの待機を余儀なくされる。それでも日本200名山の195座目となる石狩岳登頂とはなるので、不本意ではあるが良しとするか。

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下りは往路を戻り、登り4時間半かかったところを3時間半で降りられた。後は帯広駅に向けてのドライブ

で、途中の入浴施設に立ち寄って汗を流し(ただし、浴槽は使えずシャワーのみとなるが)、帯広駅でツアーは解散した。

 

ツアー解散後、私は札幌に移動する。最初はビール園でツアー無事終了の祝宴を上げるつもりだったが、札幌に到着する時間はビール園の閉園間近となることがわかったため、すすきのの宿の近くにあるジンギスカン料理の看板を出していた店に入る。屋上の狭いビアガーデンで巨大なラムチョップと格闘し、焼ききれないまま食べたりして、追加注文する気にもならずに店を出て、口直しにと別の店で札幌ラーメンを注文したが、こちらもボリューム満点で、普段なら暴食となりかねなかったが、山登りで栄養補給を体が要求したためか、胃腸薬のお世話にもならずにすんだ。

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2025年5月31日 (土)

関東百名山 黒斑山と高峰温泉

関東百名山も未踏峰は残り少なくなったが、浅間山中腹の黒斑山(くろふやま)が未踏であったので、近くにあってなかなか予約がとれない高峰温泉のランプの湯の宿泊とあわせて出かけることにした。

5月28日

早朝の新幹線を利用すれば一泊でも不可能ではないが、今回の高峰温泉は家内同伴ということもあり、余裕をみて初日は小諸で一泊することとし、軽井沢郊外の白糸の滝を見物してから駅近くのこ洒落たレストランでランチを楽しんだ後、小諸に移動する。





小諸は何度も来たことがあって観光するまでもなかったので、ホテルに直行する。ホテルは90分以内での食べ放題飲み放題であったが、1時間もしないうちに満腹となって部屋に引き上げた。

5月29日

高峰温泉までのバスは午前午後1本づつあるが、黒斑山に登る私は小諸駅を9時前発のバスで出発し、高峰温泉だけに行く妻は午後のバスで向かうことになった。

バスはつづら折りの坂道を登って車坂に到着し、ほとんどの乗客はここで下車するが、私もここから黒斑山を目指すことになる。日本百名山である浅間山は噴火活動のため登山が禁止されていて、隣の前掛山登頂で浅間山登頂の代わりとされているが、私も10数年前に前掛山までは登っているが、その時は最終バスで帰るために外輪山である黒斑山には登ってないので、今回はそのリベンジの意味もある。

最近はあまり人のいかない山ばかり登っているため、山で人に会うことは稀であるが、さすがに百名山の浅間山だけあって大勢の登山者が登っている。ツアーのパーティーや若者のグループとも一緒になったが、彼らとも遜色なく歩けたので、まだまだやれると多少は元気づけられた。

トーミの頭で浅間山への登山道と分かれるが、200メートルほどの登りで、黒斑山の山頂に達する。当初の予定では、ここでひきかえすはずだったが、ついでだからと、少し先の蛇骨岳まで足を延ばすことにした。蛇骨岳まで行く人は少ないようで、雪がまだ少し残っていて多少歩きづらかった。

蛇骨岳から先の外輪山はほとんど歩く人もないようで、私もここから引き返すことにした。トーミのあたままでは往路をそのまま引き返し、そこから車坂峠までは行きとは別の道を下りたが、こちらの方が若干距離が短いようである。

車坂峠に戻り、高峰温泉までは小諸からバスで来る妻と合流するつもりであったが、バスが遅れているとの連絡があったので、温泉まで二十分ほど歩いて先に着いて待っていることにした。

高峰温泉はランプの湯として有名で満室のことが多いが、この日は天気が悪いこともあるのか、ガラ空きであった。しばらく待って妻と合流してから風呂に入って汗を流し、夕食を済ませた後、スライドで宿周辺の景色や星空を楽しんだ。天気が良ければ屋外で星空見物が楽しめるらしいが

5月30日

昨夜からの雨が今朝も降り続いていたが、昨夕、野天風呂に入った時に写真を撮り忘れたので、また野天風呂に出かける。風呂までは野外を数分歩かなければならないし、脱衣所は屋根も壁もないので…雨のなかで傘をさしながらの着替えはなかなかたいへんである。

宿からの帰りのバスは1日2回の発車で、妻は軽井沢に立ち寄るために小諸で下車し、私は東京駅近くで午後から開かれる元職場の同期生の集まりに間に合うように新幹線に乗車するため、終点の佐久平まで行くことになった。佐久平での乗継時間が8分しかなく、それに乗り損なうと40分ほど待たなければならない。行きのバスでは、途中で乗り込む人が大勢いて、10分ほど到着が遅れたために帰りのバスがどうなるか心配したが、結局はバスの乗客は我々だけの貸切状態で、予定時間どおりに佐久平駅に着いて、東京駅近くでの集まりにも間に合うことができた。

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2025年1月22日 (水)

ベトナム旅行記(後半)

1月21日

ベトナム旅行もいよいよ後半に入り、ホーチミンを拠点として各地を巡る旅が始まる。初日の本日は夕方涼しくなってから市内観光バスに乗るだけなのだが、午前中は妻は部屋で休養してもらって、私は空港まで行くバスの乗車体験をしておくことにした。

ホテルからバス停までは何度も曲がって10分以上歩かなければならないが、屋外でのインターネット接続を可能にするesimを設定してグーグルマップを利用すれば迷う心配はない。

バス停に着いてすぐに空港行きがやってきたので、乗車しようと立ち上がったが、素通りされてしまう。他の行き先のバスもたくさん停まるので、手を上げたりして合図しないと停まってくれないようだ。

10分以上待ってようやく空港行きのバスが来たので乗車する。均一料金ではないらしいので、乗車したバス停を表すチケットはどうやって入手するのかと思ったら、車掌がいて30円でチケットをくれた。タクシー料金の何十分の安さである。

終点まで乗って下車したら、そこは国際空港前で、国内空港はひとつ手前で降りる必要があった。といっても歩いても5分くらいの距離であるが。

帰りもバスを利用し、昼食用のおにぎりと寿司をコンビニで買ってホテルに戻る。部屋で昼食を摂ってから郵便局に行き、孫にエアメールを出した後、高島屋の冷房の効いたレストランで氷を食べたらすっかり身体が冷え、夏日の暑さも大してこたえなかった。

その後は、先月開通したばかりのベトナム初の地下鉄で郊外の公園まで行ってみる。事前の情報では、開業後しばらくは無料とのことだったが、無料期間は過ぎてしまったのか有料となっていた(といっても片道120円程度だが、バス代の4倍はする)。終点には公園があるとのことであったが、草ボウボウの広場があるだけだったので、往路をそのまま帰ることにした。

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ベンタイン駅に戻ってオペラハウスに移動して、予約してあった二階建てバスに乗って市内観光を行う。45分程度の観光であったが、日没を挟んで夕闇にそまっていくホーチミン市内の風景が眺められたので正解であった。

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バスから降りてホテルに帰る途中、日本人向けの居酒屋風レストランがあったので、寄ってみる。カツカレーを注文したが、カツが少し固かったのは減点対象であったものの、数日前に隣のテーブルで見て羨ましかったイカのリングのフライは美味った。ホーチミンに来るまではベトナム料理ばかりを食べていたが、ホーチミンでは各国の料理が何でも食べられそうなので、ベトナム料理からは足が遠のいてしまうもしれない。

1月22日

本日は日本から予約しておいたメコンデルタの1日ツアーである。ガイドさんはフエからダナンまで同行してくれたガイドさんよりは日本語が上手そうなので安心した。一昨日、駅からホテルまで送ってくれたガイドさんの話ではこのツアーは我々二人だけの参加と聞いていたが、もう1人日本人の女性も参加していた。妻と1週間べったりだったから、気分転換にはなるかな。

2時間ほど走ってメコン川の支流に着き、船で島に渡る。養蜂が盛んな島で、ロイヤルゼリーから蜂蜜まで各種製品を販売していたが、日本での売値の5分の1という言葉につられて、ロイヤルゼリーのセットを購入する。

その後は南国の果物を味わったり、ニシキヘビを首に巻いて記念撮影をしたり、ボートでマングローブに囲まれた川を進んだりした後、島を後にして陸地に戻り、レストランで食事を済ませてから、ホーチミンに帰ることとなった。

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1月23日


本日の訪問地であるクチトンネルはベトナム戦争の際にベトコンが隠れて米軍を攻撃した戦跡である。ホーチミン中心部から50キロ程度の距離なので路線バスでも行ける距離なのだが、グーグルマップで調べると3時間以上もかかるようだし、格安の現地ツアーもあったので、ツアーを利用することにした。

連絡を受けた案内ではホテルで7時半にピックアップしてもらえるはずだったが、7時から8時まで待っても迎えが来ないため、旅行社にキャンセルと返金請求の通知をして、妻は部屋に戻ってしまった。私はもうしばらく待ってみようとフロントにとどまっていると、しばらくして迎えがやってきて、遅れたことを詫びるでもなくピックアップしてクチに向かってはしりだした。

乗客は30人弱で西洋人ばかりで日本人は他にはおらず、我々が最後のピックアップ対象であった。バスは途中でトイレ休憩を兼ねて貝を加工した壁掛けの工房を見学してからクチに向かう。グーグルマップで史跡クチトンネルと表示されている所よりもだいぶ手前に施設はあって、そこでガイドからチケットを渡される。

施設に入って全体的な説明を受けてから、個々の施設の見学に移る。有名な草でカムフラージュされた穴や底が剣山となっている落とし穴などを見た後にトンネルの中を匍匐前進させられて見学は終わる。終了後にタロイモがお皿に並べてあったので、ツアーの説明にあった軽食というのは、このことかなと思ったが、バスに乗ってから菓子パンは別に配られた。

帰りも渋滞があり、ホーチミンの中心街にもどったのは3時過ぎとなってしまったが、土産物を買う時間もあって、有意義な時間の潰し方ができた。

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1月24日

実質的にベトナム観光の最終日となる本日はベトナム南部のリゾート地であるフーコック島に日帰りで足を延ばすことにした。フーコック島へは午前中に2便のフライトがあるので、早い方の9時55発を予約して7時前にホテルを出てバスで空港に向かったのであるが、1時間弱の遅れでホーチミン空港を飛び立つこととなった。まあフーコック島に行っても、これと言った予定があるわけではなく、海を見ながら食事をする程度なので、このくらいの遅れは全然問題とならないなのであるが。

フーコック空港には1時間ほど遅れて到着。空港からはタクシーで最も近いビーチであるロングビーチに向かい、ちょうどお昼時だったのでレストランに入り、海の見える席でランチを食べる。ちょっぴり豪華なランチだったが、二人で二千五百円程度と割安だった。

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このあたりの海岸は人気のビーチが連続しており、このロングビーチも家族連れで賑わっていて、我々もせっかく来たのだから、ビーチサンダルで水際を少し歩いてみた。時間は、まだ十分あったが、手持ち無沙汰になってきたので、少し早めに空港に戻ることとし、東南アジアで普及しているタクシーアプリのGrabの利用してみることにした。一昨年、マレーシアでもトライしたが、アカウントを作るところまではやったが、カードを認証させるところでつまずいてしまった過去がある。今回はタクシーを呼べないと戻れなくなってしまうので背水の陣で臨んだところ、なんとか成功して空港に戻れたし、行きのタクシー(メーターで動いていたはずだが)よりも、かなり安い料金で済むことができた。

フーコック空港ではかなりの待ち時間があったが、行きの時のような大幅な遅れはなかったので、8時半頃にはホーチミン空港に着き、そこからはまたグラブを利用したタクシーで10時前にはホテルに戻ることができ、今回の旅行の全ての行程はほぼ予定どおり終えることができた。 

1月25日

本日は空港に向かう以外は予定がないので朝はめずらしくゆっくりと起きる。チェックアウトの正午まではホテルに滞在していたが、正午前にホーチミンからハノイまでバイクでツーリングするという日本人の10人ほどのグループがホテルに到着した。きっとテトの休みを利用してのことだろうが、この時期はさぞ空港は混雑するだろうと覚悟する。

今回もグラブを利用して空港までタクシーを利用したが、空港は思ったほどではないものの混んでいた。我々のチェックインできる時間まではまだ8時間以上あるので、時間のつぶし方が悩ましい。何軒かの喫茶店をハシゴするしかないが、一度離席してしまうと次の喫茶店で空席が見つかるかどうかわからないので、見せの人に退席を迫られるまでは座席に留まっているつもりである。本当は荷物はホテルに預けて昼中は観光をしていればいいのだが、ホーチミンの市内や近辺の観光はあらかた終えているし昼間は暑いので、混んでいても涼しい空港内の方がマシなのである。

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2025年1月18日 (土)

ベトナム旅行記(前半)

 昨年はマレー半島からタイ北部までの鉄道による縦断を行ったので、今度はベトナム統一鉄道を利用してベトナムを南北に縦断することにした。ただ今回は妻と一緒なので前回のような貧乏旅行ではなく、個室寝台による「豪華」旅行に格上げされ、さらには避寒を兼ねてホーチミンに数日滞在してから帰国することにした。

 1月15日 

 羽田空港ではプライオリティパスを利用してラウンジでビールとつまみで出発間際までのんびり過ごす(ただし、パスは本人しか無料にならないので、妻は自分のカードで利用できるラウンジで飲物だけで過ごしたようである)。ハノイまでの空路はベトナム航空のプレミアムエコノミーを利用したので快適なフライトが楽しめた。ハノイの空港には約6時間のフライトでほぼ定刻通りの21時(日本よりも時差2時間遅れの現地時間)前に着いたが、イミグレが混んでいて通過には三十分ほどを要する。ただその後は両替した所でタクシーの手配までやってくれたのでスムーズに事が運び、22時頃にはホテルに着いて旅の第一日を終えることとなった。 

 1月16日

 宿泊したホテルはネットで適当に選んだもので、小ぢんまりしているが食事も設備も良くて当たりであった。本日は夜行列車まで時間が十分あるので、ホテルでのんびりしてから市内観光に出かける。ハノイの観光としては郊外にある世界遺産のハロン湾が有名であるが、10年ほど前にクルーズ観光をしたことがあるので、今回はもうひとつの世界遺産であるタイロン城に行くことにした。ホテルからは徒歩で二十分ほどの行程と聞いていたので、時間も十分あることだしと、荷物はホテルに預けて軽装で歩いていくことにした。ところがGoogleマップで検索した経路通りに進むと、城の敷地に入れるはずの入口の扉にはカギがかかっていて入ることがてきない。やはり同じ所で立ち往生している西洋人のカップルが来た道を戻って別の所から入るような仕草をしていたので戻りかけたが、別の観光客と思われるグループがそのまま前進していくので、戻るのもしゃくなので、後をついて行くと城の敷地に入れる道があり、チケット売り場もあった。ところか敷地に入ったにも関わらず、世界遺産らしき建造物は全くなく、見すぼらしい建物が続くばかりで拍子抜けであった。おまけに休憩しようとしたレストランでは、空席が十分あるにもかかわらず、休憩を断られる始末で散々であった(旧正月であるテトを控えて忘年会の貸切りとかち合ったためか?)。仕方なくそのまま進むと敷地の端まで来てしまい、いったん道路に出ざるをえなくなった。道路に出てみると観光客のグループが歩いていたので後をついて行くと、前方には城の敷地への入口と思われるところがあり、そこでチケットを見せて入場すると、今度は多少は世界遺産らしい景観に出会うことができた(先ほどまで歩いてきた敷地はいったん何だったのだろうか)。今度はレストランでの食事もできたが、出されたのはインスタントのようなラーメンでガッカリした。他に見るべきものもないので、城跡を後にしてハノイ駅に向かう。途中、踏切があってテレビによく出てくるような線路の両側に店がある風景であったが、テレビでは線路の両側に露店が並んで列車が近づくと商品を片付け、列車が通り過ぎると商品を線路の上に並べ直すというのが定番となっているが、目の前に展開しているのは、それとは違って線路の両側には観光客相手の店が立ち並び、露店の代わりに飲食する観光客の椅子が並んでいた。テレビで見られる定番のシーンは別の場所なのだろうか?

その後、ハノイ駅まで移動して、市内周遊のバスが発着していれば、市内観光がてらに乗ってみようと思ったが、駅からはバスは発着せず、1キロほど離れたところから発着していることがわかったので、そちらに移動しようと思ったが、ハノイ駅はwifiが使えることがわかったので、やりかかっていたesimの設定の続きを行い、wifi環境がなくても現地のネット回線を利用できる環境を目指すことにした。 

esimの設定が一段落したので、バスターミナルに移動してみると、最終の市内周遊バスは既に終わってしまっていたので、旧市街まで歩いていってしまうことにした。旧市街は土産物屋が林立しているが、荷物になるので買うのはホーチミンでとし、見るだけにした。夕食には少々早かったので、一度ホテルに戻り、妻は併設しているスパに行き、私はesimの設定の仕上げをすることにした。1時間ほどで両方とも完了したので、ホテルの近くのレストランで食事をしてホテルに戻り、しばらくすると迎えの車が来てハノイ駅に移動し、フエに向かう夜行列車に乗り込んた。ぜいたくにも個室の2人部屋を予約したので、他人に気兼ねすることもなく、のんびりと過ごすことができた。 

1月17日 

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夜中に何度も目覚めながらも朝を迎える。朝食はフォー(ベトナム風のそば)が配られる。前日のホテルの朝食でも食べたが、日本人の口に合う味で毎日食べても飽きないようだ。食後は荷物の整理をしたりしていると、まもなく目的地のフエに着く。駅にはガイドが迎えに来ていて、運河の船着場に向かう。船の帆先が龍の頭の形になっているドラゴンボートに乗って下流に向かう。下流の船着場で降りて寺に向かうのだが、ここでアクシデントが発生する。足元にロープが張られていたのだが、妻がそれに気づかずに足を引っ掛けてしまい、うつ伏せに転んて左手を強打してしまったのである。幸い大事には至らなかったように見えたので、そのまま行動を続けることとなった。

寺院をひととおり見学した後、レストランで宮廷料理を楽しむ。写真にあるようなメニューのコース料理だが、個人旅行ではなかなかお目にかかれないような味だけでなく目も楽しませる料理であった。

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午後は本日のハイライトである世界遺産の王宮見学である。昨日に続く世界遺産であるが、その見事さは比較にならないものであった。ガイドも詳しく説明してくれるのだが、その日本語にはやや難があり、半分ほどしか聞き取れなかったのは残念であった。

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ひととおり見終わってホテルに向かったが、ホテルに着くと、妻が腕の痛みを訴えるので、薬局に湿布薬を買いに行く。かなり遠くまで歩いて薬局に辿り着いたが、湿布薬は置いてないという。仕方ないので、別の薬局を教えてもらって行くと、その薬局には湿布薬があるばかりか、痛み止め等の薬も用意してくれるだけでなく、アフターケアのためのLINE交換の手続きもしてくれるという親切な対応であった。帰り際にホテルの近くにピザの持ち帰りができる店があったので、腕の痛みで食事に外出するのもしんどそうな妻のために持ち帰りをすることにした。夕食を食べて薬も使用すると、腕の痛みも多少は和らいだようで、まずは一安心である。

1月18日

本日はダナン駅乗り継ぎで世界遺産の町ホイアンまで移動するだけのゆっくりした行程である。妻の腕の状態もだいぶ良くなったようなので、旅行は予定どおり続けられそうである。予定どおり10時20分に迎えにきたガイドとともに車でフエ駅に向かう。ホイアンは世界遺産観光だけでなく湿布薬を求めて町中を歩き回ったので思い残す所はない。

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列車は昨日のガイドを帯同して小一時間遅れてフエ駅を出発する。ダナンまでは90キロ程度の距離だが、3時間ほどかかるという。なぜ、そんなにかかるのだろうと思ったが、電車が山間部にかかると理由がわかった。自転車に毛の生えた程度のスピードしかでないのである。地盤の問題なのか登板力の問題なのかはわからないが、海岸線近くまで進むとまたスピードアップしてきた。

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ダナンはベトナム第五の人口を有する百万都市だが、私の世代にとってはベトナム戦争の際の米軍の北爆基地としての記憶が生々しい。現在はベトナム屈指のビーチリゾートとして世界的にも知られているらしいか、今回はそちらには寄らずに小一時間南下した所にある世界遺産のあるホイアンに向かう。

ホテルに到着したのは4時頃で夕食には早かったので、しばらくはベッドに横になって寛ぐ。今日は車に乗っているだけで、ほとんど歩いてはいないのだが、連日の行動となると知らないうちに疲れがたまってきているようである。2時間近く休んでから夕食を食べに外に出る。海岸近くなので魚を食べたいと思い魚料理で検索した店に行ってみるが、やはり肉料理が中心で、エビのサラダと魚のすり身のフライが辛うじて魚料理と言えるものであった。

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帰りは夜市の露店を見ながらホテルに戻った。

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1月19日

午前中はホイアン中心から車で1時間ほど西に行ったところにあるチャンバ王国のミーソン遺跡を見学に行く。駐車場から遺跡の入口までは歩くと1時間はかかりそうだが、連絡カートが運転されているため歩きはわずかで済む。仏教国のベトナムにあってチャンバ王国はヒンズー教国のため、遺跡の印象は前に訪れたことがあるカンボジアのアンコールワットの規模を小さくしたようなものに感じられる。

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一通り見学し終わって入口に戻ったのは正午を過ぎていたので、この近くでランチかと思ったが、また1時間ほどかけてホイアンまで戻り、旧市街のレストランでコース料理を食べることになった。初日の宮廷料理ほどではないが、珍しいベトナム料理を味わうことができた。

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食後はしばらくガイドと一緒に町を散策した後、夕方まで世界遺産の町ホイアンでのフリータイムとなったが、土産物屋を覗いてもホーチミンに着くまでは荷物を増やしたくなかったので、買い物はせずにをベンチで休んで町を眺めるだけであった。ホイアンはかっては交易の町として栄えた所で中国風の建物が立ち並び、御朱印船が行き交った頃は日本人が1000人以上も住んでいたそうである。今は欧米人や中国人が多数観光に訪れる外、地元のベトナム人も若い女性はアオザイで着飾って目を楽しませてくれる。

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ガイドと落ち合って絹織物の工場兼売り場を見学した後、ダナンに戻るが、駅に着く前に夕食を摂ることになる。ランチからさほど時間が経ってないので、あまり食欲はなかったが、無理やり詰め込み、食べきれない分は車内用として持ち帰ることにして駅に向かった。駅には出発の2時間以上前に着いてしまったので、まだ閑散としていて退屈な時間を過ごすことになる。

ガイドの説明では列車は1時間ほど遅れているとのことでさらに待ち時間が長くなるようだ。待合室では次第に改札待ちの乗客も多くなり、ガイドに改札口を通るように言われる。ここでガイドは自分は改札内に入れないので、後は自力で乗車するようにと言われるが、これは早く帰りたいがための言い訳のようだ。何故なら、ハノイから乗車した時は、ガイドが個室まで案内してくれたからである。まあ、こちら側としても、ガイドがついていると、聞き取りにくい日本語に付き合わされて疲れるので、早めに別れた方が楽でもあるのだが。

改札内の待合室も満室になり、やがて列車の到着を告げているのであろうアナウンスの後に皆が動き出したので、我々も列車に乗り込むことになる。切符に印刷された寝台個室に辿り着くが、今まで乗ってきた車両よりも明らかに設備が悪い。そういえば、日本での旅行会社とのやりとりで、予定していた寝台の確保ができなかったので、連結している私鉄の車両にせざるを得なかったと言われたのは、このことだったのかと気がついた。まあ4人分のベッドを二人で使用するので、他人との同室がないだけでも良しとしなければならないだろう。後はホーチミンまでの長い旅を楽しむ(苦しむ?)だけである。

1月20日

夜中に何度も目が覚めたが、朝が近づいているようである。といっても、まだ外は真っ暗であるが。当座の問題は、朝の弁当が予定どおり支給されるかどうかである。ハノイからフエに向かった時は朝はフォーが支給されたので、今回も同様だと思われるが、寝台車のランクが落ちているので、一抹の不安はある。もっともホームに降りれば露店はたくさんあるのだが、停車時間もわからないので、列車に乗り遅れることなく買い物ができるかが問題である。

幸い車内販売があって弁当、水といった当座の必要なものは買えたので、ホームに降りる必要はなくなり、まずは一安心である。ネットでベトナム鉄道の時刻表を検索してみたが、ここまでの所ではダナン時点での遅れ1時間は取り戻せているどころか、むしろ拡大しているようである。

昼飯は持参したカップ麺で済ませればよいと思っていたら、昼前にまた弁当を売りに来たので一人分だけを買い、これでホーチミンまでは心配がなくなり、結局は1時間少しの遅れの18時ちょっと前にホーチミンに到着することができた。延々19時間をかけてのダナンからの、そして5日間をかけてのハノイからの長旅はピリオドを迎えることができた。

迎えの車でホテルまで送られて旅装を解いたあと、連日のベトナム料理に少し飽きがきていたこともあり、日本から進出しているラーメン屋で妻はチャーハン、私はラーメンを食して元気を取り戻して明日からの後半戦に向かうことにした。

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2024年7月16日 (火)

小樽からの帰京

7月15日

ガイド登山ツアーを離脱して今日は函館まで行くだけで余裕があるので、マッサンで有名になったニッカ余市工場に寄ってみる。

前に来た時と異なり、予約がないと正面入口からは入れず、10分以上遠回りする裏口まで歩かされた。しかも、無料試飲には予約が必要とのことで踏んだり蹴ったりだった(3連休なので予約は一杯)。まあここ1週間は飲み過ぎた気がするので、今日は休肝日とすることにした。

その後は倶知安乗り継ぎで長万部に到着。ここで遅めの昼食として駅前で名物のかに飯弁当を買う。以前にも買ったことがあり、見た目ほどカニの風味はしないことはわかっていたが、昼時を過ぎていて営業している飲食店もないことはわかっていたが、他に選択肢はなかった。ただ前回は気がつかなかったが、売店の隣の建物の中には特急の座席の再利用で自由席が設けられていて、壁にはスクリーンがあって先頭車両の風景やドライブやフライトの動画が流れていて旅気分を味わえるようになっていた。

長万部からは室蘭本線と合流するので特急もそこそこ走っているのだが、早く函館に着いてもやることがないので、各駅を待ったものだから2時間も待つことになってしまった。

 

函館ではホテルに荷物を置いてから函館ラーメンを食べに外に出る。居酒屋系のラーメン屋はたくさんあるが、みな騒がしそうだし、今夜は休肝日なので、酒の臭いのしない所で食べたいと思い、ラーメン専門店に入る。本当は海鮮ラーメンを食べたかったんだけど、入った店にはなかったので海鮮は明朝の海鮮丼で我慢することにした。メニューには海鮮のものは見つけられなかったが、注文した後に海老ワンタンというのがあるのを発見したが、後の祭りだった。

 

7月16日

 

早起きが習慣になってしまってきるので、早朝の朝市に向かう。海鮮料理の店はたくさんあるけど、一番手前の店に入って特上の海鮮丼を注文する。メニューの写真ほど豪華じゃないけど、まあいいか。

函館から新函館北斗まで戻って新幹線に乗るが、そのまま東京まで直行せず奥津軽いまべつで下車してタクシーで津軽中里まで移動し、津軽鉄道に乗車する。東日本の私鉄の中では唯一未乗車となっているからである。

 



ただひとつ合点がいかないのは、津軽中里よりも数10キロ北方の海沿いにある小泊という港町から秋田方面に向かって自転車でツーリングした際に、そこまでどういう経路で行ったのかはブログを読み返しても書いてなく、記憶にも全く残っていない。ひとつの可能性としては、津軽鉄道を利用して中里まてわ行き、そこから小泊まで自転車で移動したということも考えられるが、それならば日本海を南下中にわざわざ海岸線を離れて津軽鉄道の金木駅近くにある太宰治記念館に立ち寄ったりせず(この時は閉館後だったため入場できなかったが)、行きに金木駅で途中

下車して立ち寄ったはずだし、津軽鉄道経由で小泊に行くのは非常に時間がかかるので、合理的に考えれば先ほどタクシーに乗ってきた経路で奥津軽いまべつから小泊まで自転車で移動してきたはずで、そうであるならば津軽鉄道は東日本で唯一の未乗車として残されている私鉄であるという記憶は正しいことになる。

 

津軽鉄道は津軽中里から五所川原までを繋ぐ鉄道であるが、途中の金木駅で下車して、前回は入館し損ねた太宰治記念館を見学してくることた。記念館は太宰治(本名は津島修二)の生家を改修したものであり、戦前は大地主であった津島家も戦後は没落して邸宅も人手に渡り、一時は旅館として使われた後に現在に至っている。記念館には津島家時代の遺品が多数展示されていて、3連休後の平日であるにもかかわらず、多くの見学者が訪れていた。

金木駅に戻って終点の五所川原駅まで行き、後は五能線、奥羽線と乗り継いで新青森まで行き、そこからは新幹線で帰京することになった。

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