旅行

2026年1月29日 (木)

ネパール旅行記

1月25日

 

ヒマラヤの旅もシッキムが終わり、いよいよ最後のネパールに移ることになる。ブータンに向かう時に利用したバグドグラ空港がネパールに向かう時の出発点ともなる。安い航空券を利用しているので、デリーでの乗継時間が半日(しかも深夜)というスケジュールだが、時間には不自由しない身分なのでやむを得ない。

出発時間の6時間ほど前なので、まだチェックインはできないかなと思ったが、地元の航空会社なので(LCCがかもしれないが)常時職員がいるため早めのチェックインも可能なようであっあ。チェックイン自体は特に問題はなかったが、チケットを購入したクレジットカードの提示を求められたのには驚いた(こんなことは初めてだ)。念のために使わないだろうと思ったが、カードを全部持ってきておいてよかった。

待ち時間が長いのでプライオリティパスが使えるラウンジを利用しようと思ったが場所がわからず、待合室で待つしかなかった。ただ空港までのタクシー代が思っていたよりも安く済んだため、余ったルピーを使うためには、待合室の売店利用を余儀なくされたことも良かったかもしれない。

長時間の待ち合わせの後に夕方6時前にようやくデリー行きの飛行機に搭乗できたが、上空に達すると西の空にはわずかに太陽の光が残っていた。しばらくして機内サービスが始まったが、一部の乗客だけに食事を配っている。あれと思ったが、LCCなので予約した人だけに食事サービスがあるのだろう。飲物も配りだしたのでコーヒーを頼んだら200ルピー(約350円)とかなんとけいっている。コーヒーも有料なんだ!「ルピーは持ってないのでクレジットカードで払う」と言ったら、向こうも面倒くさくなったのか、結局無銭飲食となってしまった(ポケットの中を調べたらギリギリ200ルピーはあったけど)。

デリー空港には夜8時頃に着いたが、カトマンズ便は早朝なので、それまでプライオリティパスのつかえるラウンジでどのくらい粘れるか(行きも利用したラウンジであまり快適ではないが)。その前にデリーの到着したのはターミナル1なのでターミナル3までシャトルバスで移動しなければならない。バス代が25ルピー必要だったので、ルピーを全部使い切ってなくてよかった。

ターミナル間の遠いことったらありゃしない。JRの何駅か分くらいの距離はありそうだ。ところが、ターミナル2に着いたところで全員降車してしまい、ターミナル3行きのシャトルバスはどこから乗るのかわからない。係の人に聞いても要領を得ない(単に自分のヒアリング力不足なのだが)。ただ上の階に行くのだというようなことは言ってるようなので、色々と試行錯誤をしてみると、同じ建物の1階はターミナル2で上の階はターミナル3だということがわかった。一件落着ではあるが、こんなこと、普通はわかんないよな。

これで問題解決かと思ったら、さらに難題がふりかかってきた。カトマンズ便は早朝出発なので、今夜中にプライオリティパスが利用できるラウンジに入って朝まで粘ろうと思っていたら、カトマンズ便は2時間近く遅れて、まだターミナルの中には入れてもらえず、ターミナルの外で待たされる羽目になったことである。国際便の乗継ならば、別のターミナルになることは通常はないので、外で待たされるということはないのだが、今回は国内便から国際便への乗り継ぎというのが落し穴であった。まさか屋外で待たせれるなどとは思わず、ダウンは預け荷物の中に入れてしまったのは失敗であった。まあデリーは日本ほど寒くはないのだけど。

おかげで今日は昼も夜もラウンジに入れなかったが、代わりに売店で食事する羽目となり、朝は朝でタクシー代が足りなくならないようにと思って粗食で済ませたので3食合わせても千円に達しないという結果となり、インド最終日は思いがけない倹約デーとなってしまった。

1月26日

日付は変わる直前に屋外にいる係員によってターミナル内に入れてもらえたのであるが、イミグレで出発3時間前までは手続きはできないと言われて追い返される。まあターミナルに入れただけでもよしとするかと思ったのだが、屋外は椅子があって仮眠もできるのに対して、屋内は椅子がないので立ちん坊かぶらつくしかなくて、どちらがよいかは判断が難しいところである。と思っていたら、しばらくして入口付近にベンチがあるのに気付きましてホッとする。

しばらく待機してから、少し早めではあるがイミグレに行ったら、今度は手続きをしてくれた。その後、セキュリティチェックも終わり、まずは搭乗ゲートの確認をしておく。次にプライオリティパスで利用できるラウンジにむかうのだが、ここで前回の記憶を思い出してと思ったら、間違ってコロンボ空港のラウンジと混同してしまい、遠くまで行き過ぎてしまった。間違いに気付いてから、かなり戻ってラウンジに入ることができた。

早朝にもかかわらずラウンジはかのりの盛況であった。料理は大したものはなかったが、昨日1日の食事に比べればご馳走である。それよりも前回は飲み放題だったビールが今回は提供されないようなことが残念であった。アルコールの提供には時間帯があるのだろうか

食後に搭乗ゲートに戻り、搭乗時間を待っていると、気づかずうちにまどろんてしまう。目を覚ますと搭乗ゲートには行列が出来ていたので、慌てて並んで機内に入る。これでやっとネパール旅行を始められることになった。

離陸してしばらくすると、ヒマラヤの大展望が展開してくる。ダウラギリ、アンナプルナ、マナスルといった8千メートル峰が屏風のように並んでいる。山好きにとっては応えられない風景である。

やがて機体は徐々に高度を下げてネパール上空に達するが、エベレストと思われる山容もはっきりととらえることができる。

空港に着陸してからはイミグレもセキュリティも順調に進んだのだが、預け荷物がなかなかでてこないのにはいらいらした。ただ考えてみればデリーでの乗り継ぎ時間が6時間以上あったのて、おそらく一番奥に積み込まれたであろうから、出されるのも最後になるのは止むを得ないと言えよう。

タクシーはプリペイドタクシーが一般的になっているようなので、昔のように運転手と料金交渉をする手間が省けて楽になったものである。空港から繁華街のタメルまでも以前ほどは渋滞せずに来れたようなきもするが、たまたまラッシュの時間帯を外したからかもしれない。

予約していたホテルはなかなかいいホテルなので、ポカラ帰った後も泊まってみたいと思った。一休み後、近くの日本料理店に行きカツ丼を食べる。日本のものと遜色のないものであったが、こんなものばかり食べていると、せっかく外国に来た意味がないのでほどほどにしておこう。

ホテルに戻ってひと眠りしてから、明日のポカラ行きのバスの集合場所を確認しに行った。集合場所とされているnayabazarという地名はいくつかあり、そのなかではeチケットがリンクしている個所と、地元の人が教えてくれた「毎朝、バスが停車している」
という個所はいずれもその痕跡はないのだが、とにかく朝行って確認してみよう。

帰り道の途中でアルコールの飲める中国料理の店があったので、モモをつまみにビールを飲むが、それだけではちょっと足りない気がしたので、帰る途中でコンビニ風の店でカップ麺とワインを買ってホテルで飲み食いしだ。

1月27日

6時前に起き出して出発の準備をし、カトマンズに戻ってから同じホテルに予約してあるので不要の荷物はホテルに預け、ホテルが用意してくれた朝食を持って集合場所に向かう。

eチケットがリンクしている集合場所にはおびただしい数のバスが停まっている。係員にどのバスなのかを尋ねても、自分のeチケットは日本語で書かれているので、係員はバス会社がわからずにたらい回しされてしまう。

取扱業者の名前を手がかりにバスが見つかるが、少々お高いツアー専用バスを申し込んであったので、いままで何度か利用したポカラ行きのバスとはグレードの違う高級バスであった。最後のポカラ行きだから、このくらいの贅沢は許されるだろう。

最初は最後部の座席に座らされたが、出発直前になって席を立たされたので、バスから追い出されるのではないかと心配したが、展望の良い最前列の席に移動させてくれたということで一安心する。

7時過ぎにバスはようやく発車し、これでポカラまでは行けることが間違いないことになった。座席は半分弱しか埋まっておらず、今まで利用してきたポカラバスのようなオンボロバスとはえらい違いである。

バスはリングロードと呼ばれる環状線を反時計回りに進み、スワントナープというボドナートと並ぶカトマンズの有名な寺院の付近からポカラに向かう道に分岐していく。このあたりは昔レンタサイクルでも通ったことがあるところである。

1時間ほど走った所でトイレ休憩になる。このあたりまでは道幅も広い舗装路なので快適に進めるが、その先は悪路が多くなり、格段にスピードが落ちてくる。

悪路は断片的に続くが、高度がサゴってくるので気温も上がり暑くなってくる。2回目の休憩では小腹が空いてきたので野菜コロッケの
サモサを食べる。ツーリスト相手の店では50円だったが、少し離れた地元民相手の店では40円だった。もちろん後者の方を買う。  

ポカラに近づくにつれて、次第に高度は上がり暑さも和らいでくる。ポカラのバスターミナルには2時過ぎに到着するが、そこから今晩のホテルまでは歩いて30分弱なので、タクシーに乗るほどでもない。ホテルまでの途中に食堂があったのでモモを食べる。モモは日常的に欠かせない食事となってしまった。

ホテルに着いて部屋に入ると今回の旅で初めてバスタフが付いているのに驚く。さらにバルコニーまで付いているのに2度驚く。よく調べてまたら、なんと五つ星のホテルだった。そんなに高い料金ではなかったはずなのだが

すっかりお大尽になった気分で、夕食は本格的な中国料理の店で食事する。ダージリンでは中国料理と銘打っていても、実質はインド料理だったことが多かったので、久しぶりに本格的な中国料理を楽しめた。

1月28日

今日はアンナプルナベースキャンプをヘリコプターで訪問する日だが、そもそもこのホテルを選んだのは、このホテルが集合場所になっていたからである。ホテルには朝食が付いているのだが、それを食べていると間に合わないので、自分の部屋でカップ麺を食べてからロビーに降りてむかえを待っ。

集合時刻をだいぶ過ぎてから、ホテルの人からフライトのキャンセルを告げられて朝食を食べるように言われる。たいして空腹ではなかったが、一通り食べてから部屋に戻り、今日の予定を考える。雨の中を自転車やボードに乗ったりしたくはないので、湖の端まで行きは歩いてみて帰りは場合によっては路線バスに乗ってみようと考えた。

家並が途切れるあたりで便意を催してきたので、どうしようかと思ったら、レストランを併設しているホテルがあり、そこにはトイレもあったので(レストランのみの場合はトイレはない場合が多い)、ホットして用を足してからミルクティーを飲みながら湖面を眺めて雨が小降りになるのを待った。

レストランを出て少し歩くとまたお店が立ち並ぶようになった。そしてバスも何台も止まっている。後から来るバスも乗客全員を降ろして駐車場に入っていく。地図でも、ここから先にはバス停の印はない。そこで、ここからバスに乗って帰ることにする。

行き先はネパール文字で書いてあるので全然わからないが、グーグルマップで進路を確認して、違った方向に行くようならば、そこから降りればいいやと乗り込むことにした。

ここのバス路線は緑色系統と青色系統のバスが走っているが、私が乗り込んだ青色系統のバスは緑色系統のバスよりもボロいようだ。このバスもドアが閉まらないのか開いたままで走り出した。

料金の支払いも先払いなのか後払いなのかわからなかったが、乗る時に何も言われないので後払いなのだろうと判断する。湖に沿って走るのかと思ったら、途中で内陸の方に曲がってしまったので、そこから降りて後は歩いていく。運賃は40円だった。

ホテルに戻る途中で日本料理店に入り、チャーシュー麺を注文したが、これは失敗だった。麺はうどんみたいだったし、チャーシューが今一つだった。本当は鯖の塩焼きを注文したかったのだが、1400円もしたので、昼食にはちょっと贅沢かなと思ってやめたのだが、やはり食べたいものを食べれば良かったと思った。

午後はしばらくホテルでやすんでから土産物屋を見て回ったが、結局買いたいものはなかった。ホテルに戻る途中にもう一軒日本料理店を見つけ、天麩羅うどんを注文するが、こちらは合格点であった。夕方には快晴となり、明日のヘリフライトへの期待が高まった。

1月29日

夜中に何度も目覚めて外を見たが、星は見えず曇っているようである。天気は予報のようにはいってないようである。集合時間の6時半前にロビーに降りてみるが、集合時間になっても迎えは来ず、時間どおりの出発とはならずに判断待ちをしているようである。ホテルのスタッフは部屋で待っているように言うが、ロビーで待ち続けることにした。

結局、本日フライト決行の連絡はなかったため、帰国前にカトマンズで2泊する予定のホテルはキャンセルし(一泊分のキャンセル料は発生)、ポカラの宿泊を2泊追加することにした。またカトマンズへ帰る翌朝のバスもキャンセルし(返金なし)、最終日の朝にカトマンズに戻るバスの予約をすることにした。まあカトマンズは何度も来ていて、特に見る所もないので、せっかくのアンナプルナベースキャンプ訪問のチャンスに賭けることにした。

ところが、昼前に突然連絡があり、これけらヘリフライトがあるので出発準備をするようにとのことで、慌ててロビーに降りて迎えの車を待つ。半信半疑だったが、本当に迎えの車は来て、他のホテルから乗り込んだ人と一緒に空港に向かう。

空港でしばらく待機しているとヘリコプターが飛来し、乗客5人が乗り込んでアンナプルナベースキャンプに向かって飛び立つ。このあたりはyoutubeで何度も見ているので、さほど感激はないが、待望の瞬間がいよいよ近づくのかと思うと信じられない気にもなる。

アンナプルナベースキャンプの滞在時間は20分程度であったが、絶景を充分に堪能できた。迎えのヘリに乗って飛行場に戻り、車でホテルまで送ってもらう。
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ホテルで一休みしてからもう一仕事が待っている。それは、前々から気になっていたポカラを見下ろす山の上に立っている日本寺妙法寺を登ることである。ポカラ中心街からはちょっと離れているので、レンタサイクルを利用することにした。

1時間200ルピーということで3時間借りることにした。しばらくは平地であるが、妙法寺方面に向かう登り道に入ると、とても漕いで登れる傾斜ではないので、自転車を降りて引いて行くことになる。

1時間ほど登っていったが、目標とした妙法寺ははるか先なので、手前にある無名の寺で引き返すことにした。


すると、その時こんにちはと声をかけられる。日本に11年働きに出て里帰り最中で横浜に住んでいるそうだ。しばらく話してから下りだすが、下りはさすがに早く登りの半分以下の時間で下に着く。

まずはモモをつまみにビールで喉を潤して目標達成を祝う。その後、湖に出かけたり、夕暮れのアンナプルナ山群を眺めたりしてから、先日食べ損ねたさばの塩焼きを食べてポカラ最後の夜を終えた。

1月30日

今日も快晴でアンナプルナ連山が美しい。朝食もそこそこにチェックアウトして大通りでタクシーを拾ってツーリストバスパークに向かう。小額紙幣がなかったので、ホテルで両替しようと思ったら手持ちがないということでできなかったので、おそらく運転手は釣りをくれないだろうから1000ルピーまるまる払ってもいいと思っていた。ところが、バスパークに着いて1000ルピー紙幣を払うとちやんとお釣りをくれるではないか。400ルピーという約束だから500ルピー札と100ルピー札をくれたのだと思って後で見直したら100ルピー札2枚だった。見事に400ルピーを騙されてしまったと思ったが、よくみなおしたら、1枚は500ルピー札だった。それにしてもネパールの小額紙幣は一見してもなかなかわけりづらい。

行きと同じくツーリストパスではあるが、少しランクは落ちるようで地元の人も少しは乗っているようである(下の写真の先頭が帰りのバス、たまたま休憩所でその後ろに行きの時のバスが停車)。

走り出すと左手にはアンナプルナ連山が望め、素晴らしい景観である。なかでもマチャプチャレの偉容は圧巻である。

間もなくすると、反対側から大勢のランナーが走ってくる。ゼッケンをつけているのでレースなのだろうが、今日は土日でないのに平日でもレースをやることや、交通規制がなくてラッシュの車の間を縫うように選手が走っているのにも驚いた。


進路を南に向けていくと山間部に入って、ガスに覆われてアンナプルナ連山も見えなくなってくる。これからは長い々々退屈な旅が始まる。1時間ほど走ってトイレ休憩となるが、したくなくてもしておかないと後で思わぬ苦労をするというのが行きの時の教訓である。

その後は長い々々悪路を耐えながらカトマンズを目指す。途中で車内WiFiが使えることに気付き、妻にラインを送ったりして時間を潰す。さらにNHK+を開いてテレビ番組も見られるのではないかと思ってやってみたが、そこまでは無理だった。そのうちにインターネットに繋がらなくなってしまった。南米のバスのWi-Fiも途中でつながらなくなったことを思い出し、車内WiFiは1人が長時間使い続けないような仕様になっているのかもしれない。

その後、道はつづら折りの登りになっていく。カトマンズから来た時はきずかなかったが、カトマンズの手前に峠があって標高差1000メートル近くを上がらなければならないのだ。上がるにつれて左側の奥にランタン方面と思われる雪をいただいた山々が見えてくる。峠に達すると前方にカトマンズの街並みを見下ろすことができる。道をゆっくりと下っていくが、たいした下りではない。カトマンズはポカラよりも標高は800メートルも高いのだ。

やがてバスはリング道路に入り、渋滞の中を終点に向かっていく。終点の前で一カ所下車する場所があったが、ホテルのあるターメに最も近いナヤバザールで降りるつもりだったところ、ナヤバザールには停まらずにかなり先の終点まで連れて行かれたので、ホテルまでは1時間近く歩く羽目となった。タクシーに乗らなかったのは、今回が最後となるカトマンズの繁華街以外の街並みを歩いてみたいという気持ちがあったからである。

1月31日

午前中は土産物を買い、午後はクライミングジムで遊んだ後、ロキシーやチャンという地酒が飲める店がネットに載っていたので探してみたが、わからなかった。手持ちルピーが乏しくなってきたので、夕食はカードが使える日本料理店として調べた店にいってみたが、前に行った日本料理店よりもかなり割安な感じであった。すし12巻の一皿で1600でシャリもネタもまずまずであった。ただカード払いだと3.5%の手数料が必要だといわれたので現金で払ったため、新たに両替が必要となった。そのため、帰りのタクシー代以外のルピーを消費するために、さらに土産を買わなければならなくなり、カードで買った方がよかったかもしれない

2月1日

ネパールを去る日がやってきた。3週間にも及ぶ長い旅もいよいよ終わりに近づく。カトマンズ市内を去る前に昨夜両替したためにルピーが余ってしまいそうなので、土産物を買い足しに街に出る。

ホテルに戻ってチェックをしようとしたが、一度キャンセルして再予約したことによる追加払いが9千円必要になると言われる。その計算過程はよくわけからないが、カードで精算できるということなので、この際は細かいことにはこだわらずにいわれるままにする。

タクシーはホテル側で呼んでくれたが、タクシー代はホテルが負担してくれるという。嬉しいことではあるが、その分だけルピーが余ってしまうので、嬉しさ半分、迷惑半分である。

空港に着いたが、チェックイン開始時間まではしばらく時間があるので、その間に小額紙幣の使い途はないかと売店で探していたら、ブラックティー80ルピーというのか目につき、これで小額紙幣は15ルピーだけとなったので一安心である。

チェックインと出国手続きが終わると、セキュリティチェックの直前にプライオリティパスて利用できるラウンジかあるので、そこでしっかりと食事をとっておく。というのは、今回利用するエアアジアはLCCのため、予約してないと飲食のサービスは受けられないからである。ここのラウンジは食事の内容はまずまずであったが、インド料理中心のため、インド料理に飽き飽きした人には辛いかもしれない。ただ自分はインド料理はこれが最後かもしれないという思いで噛み締めながら食べさせてもらった。

ラウンジを出るとすぐセキュリティチェックとなり、そこから先には土産物屋がひとつあるのみであった。その土産物屋も商品の種類は少なくバカ高かったが、手持ちのルピーを使い果たすためにお茶を二箱買うことにした。二箱で二千ルピーになるのに対して財布には1900ルビーしかなかったが、それで負けてくれることになった(ポケットにあった15ルピーも出した方が良かったかな)。

空港の発着が混んでいたためか、出発は30分以上遅れたが、バンコクでの乗り継ぎ時間が6時間ほどあるので全く問題はない。やがて順番が来て離陸して上空に上がると、エベレストからカンチェンジュンガまでの高峰が眺められたのはヒマラヤの旅の最後を飾る贈り物であった。




飛行機が高度を上げると雲の中に入って展望は得られなくなり、一路バンコクに向かって進んでいくだけである。ミャンマー上空に達する頃には夜の帳が降り始めたが、満月が飛行機の翼の横に眺められて幻想的な雰囲気であった。


間もなくバンコクの空港に降り立ち、成田空港行きの便に乗り継ぐことになる。ただし、乗り継ぎ時間が6時間近くあるので、ラウンジでゆっくりしていくことにする。プライオリティパスで無料でラウンジが使える特典も以前は回数せいげんはなかったが、今は年間5回と回数制限ができてしまったが、今回の旅行では、このバンコクのラウンジで上限の5回に達することになる。バンコクのラウンジへなかなかの質の高いラウンジで今まで入った中で最高のラウンジかもしれない。最後にいいらに入れてラッキーだった。

制限時間2時間前にラウンジを出ても成田空港行きのフライトまでは、まだ3時間以上もある。

2月2日

日付が変わっても成田空港行きのフライトの搭乗時間まではしばらく時間がかかる。搭乗口前の待合室は私が入った時はほとんど人がいなかったのに次第に人があつまりだす。それもほとんどが日本人である。この3週間、日本人には全く会わなかったのに、まわりが日本人ばかりというのは妙な気分である。

やがて搭乗開始となるが、今回は後方の座席なので、先に搭乗することになる。私の座席は通路側で隣の窓側の席の女性と通路を挟んだ反対側の席の男性とがペアにもかかわらずせきが離れてしまったようなので席を代わってあげた。

知らぬ間に眠ってしまったようで、目が覚めた時は外は既に明るくなっていた。と言っても東に進む時は時間の経過が早いので大して寝てはいないのだが。間もなく食事時間となり、予約した食事が運ばれてきた

(LCCのため、予約しないと食事サービスはない)。実はこの食事の予約が大変だった。予約画面までは行けても、そこから先には進めないのだ。一度は諦めかけたが、航空会社のアプリで予約できることに気づくまでが大変だった。食事の予約をしていたのは1割程度だったが、やはりハードルが高いためかもしれない。

まもなく、飛行機は無事に成田空港に着陸して、3週間にも及ぶヒマラヤの旅もピリオドを打つこととなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

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2026年1月20日 (火)

シッキム旅行記

ヒマラヤ訪問第二弾はインド領シッキムである。インドはあちこち行ったが、東北部に位置してかっては独立国だったシッキムにはまだ行ったことはなかったので、ブータンと繋いで行きたいとおもっていた。以前はブータンのプンツォリンから国境を越えて陸路でシッキムに入りたいと思っていたが、路線バスが走っているわけではないので、自分で車の手配をしなければならず、この年になってから、そのようなことをするのもたいへんなので、飛行機を利用してブータンのパロ空港からシッキムのバグドクラ空港まで45分で一気に飛んでしまうことにした。

わずか45分の飛行時間ではあるが、チョモラリを初めとするブータン西部の山々から世界第三位の高峰であるカンチェンジュンガの連山(支峰も含めると8千メートル峰が4つもある)までを眺められる山好きにとっては応えられないフライトである。

間もなくバグドグラ空港に着陸したが、まわりの乗客は一向に降りようとしないので、私も着席したままでいたら、CAに降りるように言われる。まわりの乗客はほとんどがデリー方面に向かう客だったのだろう。危うく降り損なう所であった。

空港からはプリペイドタクシーでシルグリの街に向かうが、目的地近くまで来ても運転手はホテルを見つけられなくなっている。というのは、ホテルのある場所は道路がこうかと地上に分かれていて、ホテルは地上に面しているのにタクシーは高架部分を走ったために通り過ぎてしまったからである。そこで、戻ってもらっえ地上部分を走ってもらったにもかかわらず、目的地の近くでもホテルを見つけられなくなっているのである。そこで車を降りてグーグルマップ上にあるホテルを目指して少し歩くと目的のホテルを見つけることができた。

これは予約したホテルがブータンで利用したようなしっかりしたホテルではなく、雑居ビルの3階にあるというわかりにくい立地のためであった(一応看板は出ているのだが)。

ホテルに荷物を置いて食事をするために街に出てみたが、パロ空港で胃腸に感じた異変がひどくなっている気がしたので、ここで刺激の強い食事をすると、胃腸には良くないだろうと考えてスナックと水だけを買ってホテルに戻ることにした。

ホテルに戻るとどっと疲れが出て食欲もなかったので、こんな時は何も食べないに限ると、そのまま眠ってしまうことにした。

1月17日朝目覚めると、依然として食欲はないので、胃腸薬を飲んで絶食を続けることにした。今日の行程はダージリンまでの1日がかりの列車の旅だが、席は予約されているので、座っているだけならば体調が万全でなくても問題ないだろうと予定通りダージリンに向かうことにした。

外国の観光列車としては一昨年に南米で乗った「地球の果て」号があるが、あちらは数時間の乗車時間だが、こちらは半日がかりである。車ならば数時間で行ける距離なのに、そんなに時間がかかるのは、機関車の性能のためなのか、観光客に長く楽しんでもらうためなのか、あるいはその両方のためこもしれない。イギリスの統治時代から走っている列車で世界遺産にも選ばれている人気列車で数カ月前から申し込む必要があるが、急ぐ旅でもないからと申し込んだものである(帰りはさすがにタクシーで直接空港まで直行するつもりだが)。

ホテルから始発駅のニュージャルパイグリまでは歩いても小一時間の距離だが、荷物が重いのと体調が万全でないためにリキシャ(オート三輪のタクシー)で向かう。

しばらく待って乗り込むと車内は満席だった。ツアーでは途中の街なかはショートカットして山岳部分だけを乗車しているものもあるが、今日の乗客は長旅を楽しむ(耐える)客ばかりのようである。もっともショートカットする客は日程に余裕のない日本人客ばかりかもしれない。実際に乗車してみると、実に遅いしよく停車する。自転車よりも遅いくらいだが、これこそが悠久の大地を進むのに適した乗物なのかもしれない。

 

列車はあえぎながら徐々に高度を上げてダージリンを目指していくが、行程は遅々として捗らない。到着予定時刻の4時半になってもまだダーリジンまではまだ40キロ近くある。インドの鉄道の時刻はあてにならないというのは、何度も経験済みなのに、そのことをすっかり忘れていた。
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ホテルまではグーグルマップでは10分ほどの歩きということだったので、急坂でもない限り歩いてもいけると思ったが、タクシーが捕まればそれに越したことはないと思っていた。ところが、終点で下車したために乗客全員がタクシー乗り場に殺到してタクシーはいつ捕まるはわけらない状態であった。やっと戻ってきたタクシーにのろうとすると、行く先を知った運転手はそんな近場はいやだったらしく、歩いていけと言われて乗車拒否に合う。

しかたなく歩き出すと、恐れていた急坂が現れる。短い距離だからと我慢して歩いていると、グーグルマップでのホテルまでの最短路は細い道に入っていくが、そこにほ放し飼いの犬が四匹も待ち構えている。南米で犬に散々吠えられた経験があるので、もし吠えられたらすぐに退散して遠回りしていこうと思ったが、大人しい犬ばかりで無事に通過できた。

ホテルに着くと真っ先に確認したのはシャワーでお湯が使えるかどうかであった。トレッキングから帰ってきた後に温かいシャワーで汗を洗いながしたかったからである。そこで、帰りのダージリンの宿は多少割高ではあるが、急遽温泉付きの宿を予約しておいた。翌朝は早いので早めにベッドに入った。

1月18日

6時過ぎに集合とのことだったので、早めに指定された場所に向かうが、指定された建物は見当たらないし、ガイドも現れない。そこで通りかかった人に聞くと、正しい場所を教えてもらった。道を1本取り違えていたようである。

やっとガイドとも合うことができ、なんとかトレッキングを始められる目途がたった。実は今回のトレッキングに関しては日程と必要な持ち物以外には知らされておらず(聞きもしなかったのだが)、持ち物にも寝袋はなかつたが、ネットの情報では冬場のロッジは寒いので冬用の寝袋が必要だとあったため、夏用の寝袋とアンダーウェアを多目にもってきたので、大きなザックと小さいザックを用意してきた。またどの程度歩くのかもわからなかったが、ガイドから行程を聞いたところでは、そこそこは歩くようなのでポーターが必要だということになって、払い込んだ料金にはポーター代は入ってないということなので、その料金を確認したところ、5日間で2万円弱とのことだったので、追加で支払うことにした。

やがて車がやってきたのて乗り込むか、途中から見知ら人も乗り込んできたので、専用車ではなく乗合車のようであった。さらに急遽依頼したポーターも乗り込んできたが、暇だったということだろうか?

途中で牛肉入りヌードルを遅めの朝食で食べたが、ホテルでの朝食が早かったので丁度良かった。

インドの公用語は英語とヒンディー語なので、ガイドにとっても英語は母国語なのだろうが、先日のブータンのガイドよりもはるかにききとりやすかった。もっともブータンの場合にはお寺巡りが中心で、聞き慣れない宗教関係の単語がたくさんでてきたことも影響しているかもしれなかったが 

登山口のリンビックからはいきなりの急坂で、ガイドのペースに合わせて登ると息が切れそうになったが、しばらくして私を先頭にして登らせてくれたので、マイペースで登れてさほど苦しまずに登ることができた。

昼食は途中の食堂で摂ったが、インド定番のタルカリ(野菜のカレー煮)とダルスープ(豆のスープ)である。久しぶりに食べたので珍しかったが、これが毎日続くと飽きちゃうだよなあ

午後は途中に一カ所急坂はあったが、2時間ほどの歩きでグルドゥムの小屋に着くことができた。途中、ガイドがカンチェンジュンガが見えると教えてくれたが、山頂付近が見えただけなので、全容の展望は先のお楽しみにとっておこう。

クルドゥム小屋てで休んでお茶を飲んでいると、小屋の人がオヤツにサモサ(野菜コロッケ)わ出してくれた。日本でもイベントで提供されることがあり、とても値段が高いが、インドでは庶民のオヤツとして食べられていて、外で買ってもたいへん安いものである。

夕食はカレー料理ではあるが、おかずのバリエーションは豊富であり、チキンも提供されているので、若い時にネパールの山中で1週間ほどタルカリとダルバートが続いて肉を食べなかったら、麓まで降りて放し飼いの豚を見た途端によだれが出てきたというようなことにはならなくてすみそうだ。

1月19日

8時半にグルドゥム小屋を出発してサンダクブーを目ざすが、標高差1200メートルも登るので急登の連続である。1時間に200メートルの高度を稼ぐペースでゆっくりと登っていく。しばらく登っていくと、手前の尾根の向こうに白い峰々が見えるようになってくる。

12時頃に休憩所に着きヌードルを食べるが、胃腸の調子が今ひとつで半分ほどしか食べられなかった。30分も休まずに登山を再開し、午前中とほぼ同じペースで登り続けたので、3時頃にはサンダクブーに着ける見込みが立った。右手の方にはカンチェンジュンガの連山が望めてくるが、樹林に遮られているので、写真を撮るのはサンダクブーに着くまでお預けとなった。

サンダクブーまでは1時間もしないあたりまできた時にここ数日調子の良くなかった胃腸かますます悪くなり吐き気もするようになった。別に頭痛がするわけでもないので高山病かどうかはわけらないが、以前は富士山くらいの高度では高山病とは無縁であったが、加齢により高山病になりやすくなったのかもしれない。

サンダクブーにはなんとか着いて小屋に入れてホッとした。昨日の小屋もそうだったが、個室で専用のトイレがあるのもうれしい。もちろん、ホットシャワーが利用できるわけではないが。部屋でしぱらく休んでいると、ガイドが呼びに来てサンセットが見えると言う。ついていくと、カンチェンジュンガの連山からジャヌーまてが真っ赤に燃えており、少し遠くにはマカルーからエベレストまで見渡せる。夢中で写真を撮ったが、これでシッキムに来た目的は果たせたような気になってしまった。

夕食時にガイドには翌朝の調子で予定どおりに山歩きを続けるか、車をチャーターしてダージリンまで一気に戻るかを決めるとは言っておいたが、気持ちはすでに決まっていた。目的を果たした以上は下界に早く降りて楽な生活をしたいというのが本音であった。それにダージリンにそんなに長居してもしょうがないので、シッキムの州都であるガントクにも足を延ばしたいという気もあった。

1月20日

暗いうちから起き出して日の出と朝焼けのカンチェンジュンガを見るために小高い場所まで行くと、既に先客でいっぱいであった。東の空が白じんでくると、カンチェンジュンガの連山が真っ赤に燃え出してくる。

ひととき、絶景を楽しんだ後に喫茶店に入ってコーヒーを飲んだが、その際にガイドに今日中に車でダーリジンまで下りたいということを告げる。当初の予定どおりにプルートまで尾根伝いに歩けば20キロほどはカンチェンジュンガに近づくことになるが、景色自体はここからと大差ないだろうとし、概ね平坦とはいえ20キロも歩くのはしんどいし、翌日以降も1000メートル以上も下降しなければならないのはたいへんである。車のチャーター代をガイドに聞くと、一万円くらいだと言ってたのが、本部に電話で確認したら、当初に払い込んだ料金でカバーされるということで良心的な旅行社である。

9時ころにジープは出発したが、まるで崖を下るようなスリル満点なドライブである。500メートルほど高度を下げたところで、ようやく普通の山道になり1時休憩となる。その後も舗装路(と言ってもあなぼこだらけだが)になってもスリルのある道が続く。ようやく谷間近くまで降りて旅行社の車に乗り換えてダージリンに着く。

ダージリンではとりあえず初日に泊まったホテルにまた泊まることにする。ダージリンでは最終2日間はスパの予約をしてあるので、その間は市内見学でもするつもりだが、早めに降りてきてしまった2日間をどう過ごすかが問題だ。当初はシッキムのガントクにでもいこうかと思ったが、シッキムの入域申請手続きがなかなかたいへんそうだし、許可がおりるまで結構時間がかかるとのことなので、それほどまでして行く価値がありそうにもないし、むしろ、許可のいらないカリンポンにでも行ってみようかとも思っている。

ダージリンの街を散策するために駅方面に向かうと、途中にfish&curryと書いてある店があり、久しぶりに魚を食べてみたくなって入ってみる。ところが、この魚が骨だらけでまともに食べられたものでなく、途中で食べるのをやめて店を出てしまう。その後、駅まで降りてみたが、駅周辺には特に見るべきものはないので、宿に戻ることにした。途中に中国料理の店があったので入ってみる。まずはビールを注文し、久しぶりに喉を潤す。料理を注文しようとメニューをみるが、写真はないのでどんな料理かさっぱりわからない。まあ料理ならなんでもいいやと適当に注文する。ところが出てきたものは、中国料理とは名ばかりでインド料理そのものだった。まあしょうがないと諦めてビールをおかわりして店を出る。

 

1月21日

 

ダージリン滞在4日間のうち、後半2日間はスパと名うっているホテルを予約してあったが、前半2日間も同じホテルに宿泊するために前日にネットで予約しようと手続きしたところ、不確定メールしか来なかったので現地に行ってみることにした。街外れにあるホテルに行ってみると、やはり予約はされてないようであった。それどころが、後半2日間の確定しているはずの予約までも通ってないということでビックリする。説明を聞いてもよくわからなかったが、クローズという単語が聞き取れたし、他の断片的に聞き取れた単語から、どうやらこのホテルは一度廃業し、オーナーが変わって再開したもので、前の予約はキャンセルされてしまだたといあことがわかった。前代未聞の事態に遭遇してしまったが、しかたがないので、1泊分だけの料金を現金で払って(カード払いは出来ないということなので)、明日以降のホテルはカード払いが出来るところをネット予約することにした。

期待していた温泉はなかったが、お湯はでるので数日間の汗を流し下着を洗濯してから街にでてみる。昼食としてモモフライイを食べてからホテル代を払って寂しくなった現金を補充するために両替をする。20ドル紙幣のうち1枚は紙幣の端が切れている、2枚は紙幣端に色がついているというこで受け取ってもらえずに別の紙幣と交換したが、レート自体も昨日ポーター代を払うために両替した時よりも悪くなっている気がした(昨日は横に現地のガイドが付いていたからか)。
お土産はカトマンズを出国する前に買うつもりだが、ダージリンでしか買えないお茶を探してみた。相場はだいたいわかったので出国直前に買うことにした。、歩き回って咽が乾いたのでスタンドで喉を潤すが、メニューには書いてあるコーラやラッシーは注文してもないといわれたので、シェイクを注文してみたが味は今ひとつだった。口直しというわけではないが、昨日の中国料理店に行きビールを注文する。つまみとしてはインド料理は嫌なので、チキンラーメンを注文しようとしたところ、スパイシーだと言われて他の麺を頼むと汁なしの大盛り焼きそばで、半分も食べられなかった。

ホテルに戻る途中に旅行代理店と日本にもあるファーストフードの店かあったので、翌朝によってみようと思った。ホテルに戻ってから残りのダージリンのホテルの予約を行い、後はNHKプラスを見て過ごした。

1月22日

今日は午前中はチベット博物館を見学し、


お昼にはちかくにある日本でもお馴染みのsubwayしてから動物園に行くつもりだったが、休園日であるということでぶらぶらして過ごした。

1月23日

朝、駅近くまで寄って翌日に予定しているカリンポン方面への交通情報を得たいと思ったのだが、特に情報は得られず翌日は出たとこ勝負するしかないと思った。その代わり、手前の山の背後に思いがけずカンチェンジュンガ連山が見られたのは儲けものだった。ただ2日間かけて到達したサンダクプーから望んだカンチェンジュンガ連山とスケールはあまり変わらないことに気づき、頑張った2日間は何だったのかなという気にもなった。

その後はレストランで朝食後に、前日は休園で行けなかった動物園にリベンジするために、1時間ほどのアップダウンしながらの歩きとなった。動物園は平日だというのに結構賑わっていた。外人はインド人の2倍近い300の入場料で、公共料金の安いインドにしては高いかなと思ったが、入園してみると全然高くないと思い直した。というのは、当地ならでわの動物が雪豹を始めとして、ベンガル虎、レッサーパンダと目白押しだったからである。先日のブータンの動物園では、広大な敷地にもかかわらず鹿と牛しかいなかったのとは大違いである。


動物園を見終わって、その隣にあるはずのエベレスト初登頂者であるテンジンが作った登山学校に行くために、一度動物園を出て周りこもうとした。ところが、地図上でその施設として表示されている建物に繋がる道は途中で立入禁止となっているのである。となると先ほどの動物園の奥にその建物があるに違いない、そこで動物園まで戻り、使用済みの入園券で再度入園させてもらって奥まで進むと、確かに登山博物館らしき物があった。エベレスト初登頂時の装備や関係者の写真が展示されていた(日本人としては女性初登頂の田部井淳子さんの写真もあった)。見学後にレストランで餃子風のモモを昼食として食べてから隣接するクライミングウォールも登っでみたが、簡単すぎてつまらず、すぐに止めて街に戻ることにした

時間は2時頃と早かったので、途中でハッピーバレー茶園に寄り道することにした。

19世紀のイギリス統治時代から続くインドの茶の生産量の15パーセントを占めるという広大な茶畑である。畑の真中に工場があったので、中でお茶を飲ませてもらおうと思ったら、そこでは飲めずに少し離れた所にある粗末な茶店で飲むはめになった。本場のお茶をじっくり味わってから街に戻ることにしたが、寄り道した道は戻らずに近道を進んだが、街に戻る直前はかなりの登りを余儀なくされた。

街に戻ると、今日一日の予定が無事に終えられたことを祝って、連日立ち寄っている中国料理の店に入ってビールで乾杯する。夕食を食べるにはまだ早かったので駅まで降りてみて朝と同様にカンチェンジュンガ連山を眺めることにした。天気が良ければ夕陽に照らされた連山が見えたであろうが、残念ながら雲のなかであった。やむを得ずホテルに戻ることにして、ホテルの手前にあるショッピングモール横の売店でコロッケ風のサモサの上に各種具材を乗せたものを150円で買って食べてみたが、これだけでお腹一杯になってしまだたので、そのままホテルに戻った。

1月24日

本日は特にやるべきこともないので、シッキムの入域許可証の要らないギリギリ端のカリンポンまで日帰りで足を延ばそうかと乗合タクシーの出発場所に行ってみるが、トイ・トレインのスタート地点であるシリグリ行きは頻繁に走っているが、カリンポン行きは1時間ほど待っても来ないので諦めて、途中で昼食を食べてからホテルに戻りノンビリすることにした。

今夜はダージリン最後の夜になるので、美味いものを食べようとホテルの近くに新しい中国料理店を見つけて、エビとイカのフライを食べる。インドに来てから一番美味い食べ物だったが、それでも千円もかからなかった。ただいつも行っていた中国料理店と違ってアルコールは置いてなかったので、休肝日となってしまった。

1月25日

長かったダージリン滞在も今日が最終日である。数日前に料金前払いのタクシー乗場で確認した空港までの料金は2500ルピー(4千円強)であったのに対して手持ちのルピーは3000ルピーを切っているので、朝食はなるべく簡単に済ませたいということで、ポテトフライで我慢することにした。そして先日のタクシー乗場にいってみると、空港までの料金はなぜだかわからないか、3000ルピーに上がっていた。仕方がないので別の乗場で料金を聞いてみて、それでも変わらなければ手持ちのドルの一部をルビーに両替してもらうしかないかなと思った。ただ両替屋はまだ開いてないかもしれないので、その場合にはお昼頃まで待たなければならないが、それでも空港のチェックインには間に合うだろうと考えた。

別の乗場まで行ってみると運転手がたむろしていたが、彼らの値段はだいたいは3000ルピーで中には4000ルピーなどと吹っかけてくるものまでいた。ところが、その中でひとりだけは「今すぐに出発するなら2000ルピー」という運転手がいたので、飛びついてしまった。

彼の車で空港に向かうと、なぜ彼だけ飛び切り安い値段を提案してきたのかがわかった。彼は猛スピードで前の車を追い抜いて時間を短縮するという、いわば薄利多売商法をやっていたのである。おかげで昼頃には空港に着き、余裕を持ってチェックインに向かうことができ、シッキムの旅も終わりを迎えることとなった。

 

 

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2026年1月14日 (水)

ブータン旅行記

1月11日

 

パロ空港に向かえに来てくれたガイドとともにパロ郊外の博物館に向かう.。博物館の内部は撮影禁止で外観しか写せず、この後も似たような所にたくさん行っているので、何があったか全然覚えてない。ガイドは仕事熱心で詳しくてくれているようだが、ガイドの英語は半分も聞き取れない。だた面倒なので、重要と思われること以外は聞き返さずにわかったふりをしている(重要なことは翻訳アプリで確認)。

 

その後、ホテルに移動して旅装を解く。夕食までしばらく時間があったので、パロの街を散策する。小さい街だからと油断してたら見事に迷ってしまったが、夕食時間までには戻ることごできた。

 

夕食はホテルのレストランで食べたが、骨付きチキンの唐揚げとヤクの焼肉(固かった)、それに各種の野菜料理だったが、スープが少し辛かった以外は日本人の口にも合うものだった。

 

ホテルはWiFiが良く効くので、インターネットは日本と同様に利用できるし、NHKプラスで地上波も見られるので退屈することはない。こうしてブータン1日目は過ぎていった。

 

 

1月12日

 

ホテルのレストランで洋食スタイルの朝食を食べて9時に出発する。最初は山の上にある大仏を見てから

動物園に行くが、広大な敷地はフェンスで囲われているが、中にいるのは鹿か牛と言った珍しくもない動物ばかりで、期待していた雪豹はいないようだった。

その後は首都のティンプーを目指して進むが、街を一望できる展望台からのティンプーは人口も10万程度なので、小ぢんまりした街である。

ティンプーの街に降りてレストランでビュッフェスタイルのランチを食べるが、テーブルにメニューがあっとので見てみると、円換算して約2倍とすると、日本の物価よりもだいぶ安いようである。

午後におとずれたのは体験型の民族博物館で、様々な生活用具に触れたり、民族舞踊を見学したりして、最後はブータンの伝統競技であるアーチェリーの試射(全然的外れだったが)も楽しんだ。



その後はホテルに移動したが、ホテルは中心街からは少し離れた街外れにあったので、居酒屋に行くことはできずに本日は休肝日となってしまった。

1月13日

本日は古都のプナカへの移動である。標高差1000メートルほど登るとチベットとの国境付近のヒマラヤの高峰が見えてくる。しばらく写真を撮ってからプナカに下るが、こちらは標高差で2000メートル近く下るので、降り立つとティンプーよりもだいぶ気温が高く感じた。

プナカのレストランでランチを食べたが、今日はビュッフェスタイルではなくオーダー方式だったので、焼きそばとビールを注文したが、ビールも少し辛いように感じた。

午後は寺院見物と名物の吊り橋を渡ったりしてホテルに入ったが、ホテルは小高い丘の途中にあったので、今晩も夜の街に行くことはできなかった。

1月14日

本日はパロに戻るのだが、途中ほとんど寄り道しなかったので、昼過ぎには戻ることができた。パロのレストランでビュッフェスタイルでランチを摂ったあと、ブータンの民族衣装をまとって写真を撮り、

その後にまた街のはずれの寺院に寄ってからホテルに向かった。さいしょに泊まったホテルと同じで、街にも近いので、夜のブナカにも出てみよう。

1月15日

本日はブータン観光の最大の目的であるタクツァン僧院に向かうほどである。ホテルから30分ほどのドライブで登山口に着く。ここから僧院までの往復は標準タイムで5時間ほどとなっている。最初から急登が続いて高度は順調に稼げる。僧院までの標高差は約700メートルで2時間半ほどでその高さまで到達したので、意外に早く到達できるかと思ったが、そこから僧院までは登り返しがあったので、結構時間がかかってしまった。おまけに登りが自分としてはややオーバーペースだったのか、高度のせいなのかはわからないが、僧院までは意外と時間がかかってしまった。僧院に着くと、すぐに下山したかったのだが、あちこちにある建物の仏像をガイドは案内して英語で説明を始めるものだから、ほとんど内容を理解できないまま時間が経過するのを待つしかなかった。



やがて、仏像の参拝も終わり往路を戻ることになったが、登り返しは完全にバテていて辛いものだった。なんとか下り道に戻れると、また元気になって最近の自分には珍しく先行者を次々と抜いていくことができた。このまま登山口まで降りることも不可能ではなかったが、途中にタクツァン僧院を真正面に眺められる展望台に食堂があったので、ランチを食べながら僧院を眺めることができた。

空腹を満たしてから下山を再開すると間もなく登山口に着き、そこからホテルに車でもどったのは1時過ぎで夕食までは時間がだいぶあったので、街を散策しながらビールが飲める店を探した。ところが他の街でもそうだったが、ブータンには外で飲酒するという習慣がないのか、居酒屋風の店はなかった。またブータン風の食べ物はイヤだなと思っていたらモモ(インドやネパールでは人気のある一種の餃子)がメインの店があったので、それにラッシー(インド等で人気の清涼飲料)をつけて注文した。久しぶりの非ブータン料理はうまかった。

夜も街に出てブータン最後の夜をたのしみたかったのだが、寒そうだったので、前夜に続いてホテルで過ごすことになってしまった。

1月16日

本日はブータン最終日で、当初は空港に戻るだけだったが、フライトは夕方でどこにも行かないのはもったいないので、ガイドの提案でブータンでもっとも人気のある7千メートルであるチョモラリを眺めにチェラ・ラ(ラとは峠のこと)まで車で行くことにした。往復5時間の行程と聞いていたが、が、実際は片道で2時間もきらずにチョモラリの大展望を楽しむことができた。


帰りは空港近くのレストランでランチを食べた後に空港まで送ってもらった際に、予定外のドライブをしてくれたことへの感謝もこめて、ガイドと運転手にはたっぷりとチップをはずんであげた。ブータンではほとんど使い途のなかった現地通貨かたくさん余ってしまったからという面もあったが

早めに空港に着いたので、時間を持て余してしまったが、ろくな土産物もなく、酒が飲める所もなかったので、時間を空費するしかなかった。まあ、これで念願のブータン旅行を終えることができたので良しとしなければないだろう。

 

 

 

 

 

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2026年1月13日 (火)

ブータンへのアプローチ

ヒマラヤは過去10回ほど訪れているが、ブータンはまだ訪れたことがなかった。それは旅行が完全自由化されておらずに全てガイド同行で、旅行社に支払う料金の一部は環境や福祉の名目で国に吸い取られるので、旅行費用が他のヒマラヤと比べてとても高いため、自由化されるのを待っていたのだが、待ちきれなくなって出かける決心をした。

1月10日

ブータンまでの直行便はないので、デリー、カトマンズ、バンコク乗り継ぎとなるが、便数や料金(他のヒマラヤ圏よりも割高だが)からデリー経由とし、デリーまでも直行便よりも安いスリランカ経由のものとした。

フライト3時間前に成田空港に着き出発までを待つ。三連休の初日だが、さすがにスリランカまで行く日本人はいないようだ。機内は満席に思えたが、隣席の人が後部座席に空席を見つけたのか移動してくれたので窮屈な思いをせずに助かった。

10時間のフライトで夕方のスリランカ首都のコロンボに着いたのは夕方であったが、さすがに緯度が低いだけあって20度以上あって暑いくらいであった。

乗継時間が6時間近くあったので、プライオリティパスが使えるラウンジで時間を潰す。

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ラウンジの滞在上限の3時間近くなったのでロビーに戻ったが、電光掲示板のデリー便はまだ搭乗口が決まってないようだが、出発時間は1時間近く遅れるとの表示であったので、ロビーのいすで時間を潰す。

1月11日

日付が変わってようやく搭乗口が決まったようなので移動するが、その後も出発時刻や搭乗口がたびたび変わり、うっかりしていると乗り過ごすところであった。

結局、当初よりも9時間遅れてデリー便に搭乗できたが、出発は2時を過ぎており、ほとんど眠れないままにデリー空港に着く。

ブータン便は6時間後なので、チェックインカウンタも決まっておらず、またもや時間待ちである。ようやくチェックインが出来てラウンジに向かうが、全くショボいラウンジで1時間ほどで退出し、搭乗口の待合室で時間を潰す。

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ブータンのパロ空港への飛行機は窓際の席だったので、ヒマラヤの眺めが得られてラッキーだった。
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ロ空港は谷間にあって危険な空港と聞いていたが、それほどのこともなかった。

無事パロ空港に着陸してブータンの土を踏むことができた。
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延べ36時間の行程であった。空港を出るとガイドとも会えてブータンの旅が始まることになる。

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2025年10月24日 (金)

上高地に全員集合

娘が1歳の誕生日の時に上高地に親族が全員集合したのに続いて、その二十年後にも上高地に集合したが、今年はさらに二十年たったので、三度目の全員集合となった。

 

10月18日

 

第一回の全員集合の時からの常宿である中の湯温泉に送迎バス、路線バス、マイカーとでバラバラに向かい、全員集合は4時半過ぎであった。夕食後にバースデーケーキで娘の41回目の誕生日を祝った。
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孫2人に星空を見せたかったが、あいにく雨模様となってしまった。明日の上高地は晴れてほしいものである。

 

10月19日

 

全員の日頃の行いが良かったせいか、雨は止み天気は回復傾向であった。宿の送迎バスで上高地に移動し、下車すると全員集合の記念撮影を行うべく河童橋に向かう。

 

河童橋に着くと、相変わらず観光客で賑わっていたが、まだ穂高の峰々は雲に覆われていたので、しばらく辺りを散策して天候回復を待つ。

 

小一時間もすると稜線も望めるようになったので、全員集合の記念撮影を行う。
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これで今回のスケジュールは成功裡に終わったが、しばらく時間を潰した後、子供たちは帰宅するためにバスに乗り込み、妻とその妹二人は平湯温泉に向かうので、ここで私は一人になって横尾のキャンプ場に向かう。

 

穂高周辺はほとんど歩き尽くしているが、まだ訪れたことがないところで、前から行きたかった氷河公園の天狗池を訪れるために横尾に泊まり、余裕があればさらに翌日に涸沢も往復してこようという欲張った計画である。

 

10月20日

 

夜中にかなり雨が降ったが、明け方になると天気は回復してきたので、7時に予定どおり出発する。天狗池と横尾の標高差は900メートルちょっとあるが、12時頃には到着し、4時頃には横尾に戻れるだろうと皮算用をしていたが、「取らぬ狸の」であることを思いしらされることになった。

 

必要最小の荷物しか持たず空身とかわらないほどの荷物鹿背負っていないにもき関わらず、まるでぺーすが上がらず、他の登山者に抜かれっぱなしになる。ここで、天狗池の到着予定時間を1時に変更せざるをえなくなった。

 

森林限界を越えると槍沢上部の視界が開けて素晴らしい眺めである。右側には若い頃に登ったことがある赤沢山の岩壁が望めて、嫌が上でも元気が出てくる。その割にはペースは依然として上がらないが・・・
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やがて道は槍沢と別れて天狗池方面に向かうことになる。到着予定時間の1時には目的地の高度近くまでは達したが、天狗池まではしばらくは高度はほとんど上げずに斜めに登っていくことになる。

 

振り返ると、今までは見えなかった槍ヶ岳の穂先が間近に望めて、ここまで来た苦労が報われた気がしてきた。間もなく天狗池に達したが、残念だったのは紅葉はほとんど終わっていたことである。こればっかりは仕方のないことである。
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わずかに残っている紅葉や池に映る逆さ槍を写したりしているうちにあっという間に時間は経ってしまい、下山を開始したのは2時半となってしまい、明るいうちに横尾まで降りられるかどうかは微妙になってきた。まあ暗くなってから下山したからといって別にどうということはないのだが・・・。熊の出没リスクは高まるが、熊ホーンという強力な武器もあることだし(登山者が通らない時間帯でないと、安易な使用には顰蹙を買いかねないが)

 

結局、横尾に戻ったのは6時を回ってしまい、真っ暗になっていたが、疲れ過ぎたためか食欲もあまりなかったため、小屋でロング缶を買い、中の湯から持ち越したツマミで無事成功を祝い、カップ蕎麦で締めることにした。

 

10月21日

 

当初の予定では、本日は涸沢まで往復するということでしたが、昨日の疲れも残っており、天狗池の様子から察すると、涸沢の紅葉も終わっている公算が強いので、涸沢までは行かずに途中の屏風岩の全容が望める地点まで行くことにした。

 

横尾から三十分ほど歩いた地点に屏風岩の全容が望める地点があったので、そこにしばらく滞在して、各ルートの確認をすることにした。四季を問わず通った岩場で10回近く登っているが、振り返れば懐かしい思い出ばかりで胸が熱くなった。30分ほど滞在してから、その場を後にしたが、もうこれで見納めかと思うと去りがたい気持ちで一杯であった。
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横尾から上高地までの下山は数え切れないほど通った道であるが、思い出に浸りながら歩いていると思いの外早く上高地に着くことができた。天気は下り坂であるにもかかわらず、河童橋からの穂高のパノラマは初日の時よりも見事であった。
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上高地のバスは今は予約制になっているので、帰りの時刻が未定で予約をしていなかったことから少し不安があったが、1時間ほど待ち合わせで乗ることができたし、ラストオーダー5分前に食堂に入れてランチにありつけたのはラッキーであった。

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2025年9月12日 (金)

下北半島から小樽までと北海道クルーズ

 

小樽発着で利尻島と知床半島を巡るクルージングに参加したが、小樽港までの行き帰りには寄り道もしてきた。

6月7日
大間崎
6月8日
仏が浦と青函連絡フェリー

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以前に下北半島を自転車で一周した際に立ち寄るつもりであった仏が浦は時間がなくて立ち寄れなかったので、今回、船に乗って訪れてみた。
その後に大間からフェリーで箱誰に渡った。
9月9日
函館から小樽へ、小樽港からクルーズ出航

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9月10日
利尻島沓形港上陸
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9月11日
知床羅臼港上陸、知床岬と夕日
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夜になってからはトワエモアのコンサートを楽しんだ。
9月12日
小樽港帰着後に石狩挽歌で歌われている鰊御殿に寄って見た。
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2025年8月17日 (日)

西日本後半戦の旅 やり残したコースの埋め合わせ

原爆慰霊の旅は終わったが、せっかくはるばる西日本まで来ているので、今までにやり残したコースをトレースしておこうと思った。

 

最初は10年前に戦後70年の原爆慰霊の旅の、ついでに日本百名山として九重山を登った際に、最高峰中岳山頂から望めた坊ガツルの展望が印象に残り、今度はぜひ坊ガツルにキャンプしたいと思ったことから、今回も坊ガツルにキャンプして300名山の大船山に登りたいと思っていた。

 

ところが本年は九州地方には線状降水帯が居残り、登山には不向きな天気が続いたので、登山は諦めて高森から阿蘇市への阿蘇高原縦断を行うことにする。もっとも、長崎原爆式典の時のような豪雨の場合には峠越えは厳しいだろうから、大人しく往路を戻って立野から豊肥線に乗り換えるつもりだったが、思ったほどの悪天にはならなかったので、予定どおり阿蘇高原縦断に向かうことにした。

 

8月10日

 

まずは高森までは南阿蘇鉄道で行かなければならないが、10時過ぎの電車に乗車する予定なので、宿をゆっくりと出発する。高森行きの電車は結構混んでいて人気のある路線のようである。高森駅で下車すると、観光客はあちこちに向かってのバスに乗り込んでしまい、自転車の組み立てが終わった頃には誰もいなくなってしまった。

 

乗り始めてしばらくは北上する道がわからず右往左往してしまい時間をロスする。正しい道を進みだしても、心配したほどには傾斜はなく順調に進んでいける。左手には阿蘇の山並みも望めて高原を縦断する気分を満喫することができた。

 

やがてつづら折りの道となってくると、峠は間近い。峠の先には阿蘇市の標識が現れて快適なダウンヒルとなる。途中には放牧している牛も見られて高原らしい雰囲気に浸れる。今晩は大分名物の赤牛料理が食べられるかな
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道は阿蘇市方面に向かう道と、波野に向かう道に分岐しているが、波野に向かう道の方が短いようなので、そちらに進路をとる。急坂が連続してほどなく波野駅に降り立つが、1日5本の便しかなく、次の電車までは3時間待ちとのことなので、次の滝水駅まで行ってみることにした。幸い下り道の連続だったので苦労することなく着くことができた。

 

滝水駅の前には酒屋もあったので、酒を買ってここで時間待ちをすることにした。2時間待ちでようやく電車に乗ることができたが、大分までの直通ではなく豊後竹田で1時間半の待ち合わせとなる。郊外にある岡城阯は荒城の月のモデルとなった所なので行きかけたが、歩きでは時間的に無理だし、自転車の組立と解体するのも面倒なため、途中から駅に引き返すことにした。

 

大分には8時頃に着いたが、事前に付近のホテルの空室情報を調べたところでは泊まれそうな所はなかったので、ネットカフェに泊まることにしたが、比較的早い時間だったので空きはあったものの、遅い時間だったら危なかったかもしれない。

 

8月11日

 

今日は何としても九州を脱出したいが、当初予定通りに竹田津からのフェリーを利用する場合は、フェリーが予定通り運航するかどうかと、最寄り駅の宇佐駅から竹田津までの30キロ弱のツーリング中にどの程度の雨が降るのかが気になるところである。前者については電話で確認すると、運航には問題がないことがわかったが、念の為に下関経由で陸路で向かうことも考えたものの、福岡県内では電車は止まっているとのことなので、多少の雨でも竹田津に向かうことを覚悟した。

 

大分を電車が出る頃はたいした雨は降ってなかったが、次第に雨は強まり、国東半島の付け根にあたる山間部に差し掛かると豪雨となってきたので、大分にまた引き返そうかとも思ったが、山を越えて宇佐まで下ってくると雨も小降りになってきたので、なんとか出発しようかという気にはなった。

 

宇佐から竹田津までは海岸沿いだから平坦な道だろうと甘くみていたが、後半はある程度のアップダウンがあったものの、フェリー出港時間の1時間半前には竹田津に着いて、なんとか九州脱出の目途が立った。乗り場には大学生の女性チャリダーが先客としていたので、あいさつを交わしたところ、はるばる鹿児島からやってきたそうで、連日雨にたたられたとのことであった。乗船時間までは、彼女と話もできたので退屈はしなかったが、宛が外れたのは、乗り場では軽食くらいは食べられるだろうと思っていたものの、自販機しかなくてランチは夕方に到着予定の徳山までお預けになりそうだったことである(船内にカップ麺の自販機があって、それを食べたが)。

 

山口県に上陸したのを待ち構えていたかのように、線状降水帯も中国山陰に移ってきたようで、土砂降りの雨の中を走らされることになる。豪雨に我慢しきれなくなって、近くにあった台湾料理屋に逃げ込んで休憩がてらに昼兼夕食を食べる。食事をしながら地図を見ていると近くにネットカフェがあることを発見して、今日はもう前進は無理と判断して、そこに泊まることにした。

 

8月12日

 

線状降水帯は山陰や北陸に向かっていて四国は雨の心配はなくなりそうなので、四国に向けて出発することにした。このネットカフェから四国に渡る柳井港までは30キロ近くあり、そこまで自転車で行くと早い時間のフェリーには乗り遅れてしまうので、光駅に駐輪して柳井港までは山陽本線で行くことにした。幸い山陽本線は下関〜山口までは不通だが、そこから東は平常どおり運転されているとのことであった。

 

柳井港から松山までの航路は島々を縫って進むもので、なかなか風光明媚な景観が楽しめる。今回はすっかりフェリーづいてしまったようで、来月に予定している北海道のクルーズはもう行かなくてもいいような気がしないでもない。
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三津浜に上陸すると、まずは腹ごしらえである。三津駅の少し手前にある居酒屋風の店に入るが、昼前という時間のせいか他の客はおらず、あまり流行ってはいないようだったが、注文した漬け丼は美味かった。空腹を満たした後は、道後温泉で汗を流すつもりだったが、着いてみると行列ができていて、1時間以上待たなければならないという。グーグルマップでみてみると、すぐ近くに別館というのがあり、こちらは待たずにはいれそうである。本館は以前に行ったことがあるので、今回は別館に行くことにする。

 

入浴後、すぐ近くにあるコインランドリーで洗濯をおこなった。洗濯の待ち時間に近くの居酒屋で名産のじゃこ天を揚げたカツを肴に生ビールで喉を潤した。飲食中にダメ元で今夜の宿を検索していたら、最後の1室をゲットすることができてラッキーだった。きっと連休の谷間に当たっていたのだろう。洗濯が終わると、明日の300名山行きのバスの出発点である伊予西条行きのバスに乗り込むつもりでバス停に向かったが、本数が少ないため、長時間待たされることになった。
 
伊予西条のホテルに荷物を置いて夕食を食べに出かける。近くに回転寿司のチェーン店が2軒あったので行ってみたが、どちらも満員で客が多数待っていたので諦めてコンビニ弁当を買って帰る。帰宅翌日が自分の誕生日なので、寿司はそれまでとっておこう。

 

8月13日

 

今日登る予定の瓶ヶ森は数年前の晩秋に四国に来た時に途中まで登ったことがあるが、その時は中腹より上は雪が積もっていて、アイゼンもチェーンスパイクも用意してこなかったので断念した山で、今回はそのリベンジでもある。

 

西之川行きのバスの乗客の大半は石槌山ロープウェイで下車してしまい、終点の西之川までの乗客は私を含めて数人であった。西之川からのコースは西之川をそのまま進むものと、東之川登山口に向かうものと二つあるが、私以外はみな西之川のコースを行くようである。私は東之川登山口経由の方が若干時間が短いので、そちらを選んだが、最終バスまでの行動可能時間が8時間半なのに対して、東之川登山口のコースタイムが8時間とかなり余裕がないスケジュールである。西之川コースに向かった人も最終バスに間に合うかどうかを気にしていた。

 

東之川登山口までは比較的緩やかな舗装路だが、そこから先は急登が連続する。今回は自転車関係のもの等、登山とは関係ないものまでザックに入っていたため、西条駅で不要なものはコインロッカーに入れておくつもりだったのだが、手違いでホテルが駅から遠く、コインロッカーに入れる時間がなかったため、軽装で往復するという目算が狂ってしまったのだ。

 

途中の通過時間を確認すると、コースタイムを上回ってしまっている。これでは最終バスに間に合わなくなるので、お昼を早めに食べて、それから先は最小限の荷物を背負うだけとしてスピードアップを図ることにした。軽装になると途端にベースは上がり、途中でタイムの遅れは取り戻し、前方の視界が開けて先行の登山者が見えてくるころになると、最終バスまでの余裕時間(以後をコースタイムで進んだ場合の到着時間と最終バスの発車時間との差)も40分になるまでになった。

 

ところが頑張り過ぎたつけが回って両足に痙攣が走るようになってしまった。やむを得ず、しばらく休んでからだましだまし歩き始める。しだいに足の状態は良くなってきたし、頂上に続く草原の景観は素晴らしいの一言なので、景色を楽しみながらゆっくりと登っていく。
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リベンジを果たせた頂上は時間があればゆっくりとしていきたい所であったが、最終バスの時間が気になるので長居はせずに下山する。下りも快調に進めたが、次第にある心配が頭をもたげてくる。それは荷物を置いた場所を見落としてしまうのではないかということである。だいぶ降りた所で荷物を発見した時はほっとした。置いた場所の高度くらいは確認しておくべきであった。

 

最終バスの発車20分くりい前にバス停に着いたが、今朝会った登山者の姿はない。1本前のバスに乗ったのかとも思ったが、3時間前に発車しているので、いくらなんでもそんなに早くは降りられないだろうから、売店乗場のあるロープウェイ乗場のバス停まで降りてしまったのかなとも思ったが、次のロープウェイ乗場のバス停かろ乗り込んできた人の中にも見当たらなかったので、どうしたのだろうと少し心配になったが、どうしようもなかった。

 

西条駅で電車待ちの間に駅前の居酒屋で地場の刺身を肴に生ビールで喉を潤してから松山行きの電車に乗り込んだ。

 

8月14日

 

本日の行き損ねのリベンジは四国最西端の佐田岬である。四国お遍路の際には行程が遅れ気味で立ち寄ることができなかった所である。八幡浜を出発点とするとすっきりするが、行程が長くなってしむうため、三崎港まではバスを利用することとし、三崎港近辺でレンタサイクルが利用可能ということなので、岬先端まではそれを利用することとして、自転車は四国には持ち込まなかった。もうひとつの問題は行程が不確かなため宿の予約がしてなかったが、お盆の時期にあたったため、行程が固まった直前では三崎港近辺の宿は全て満室となっていたことである。これに対しては雨で中止となった九重連山登山のためにキャンプ用具を持参していたので、テントを張って過ごすことで解決することにした。

 

八幡浜から三崎行きのバスは満席に近かったが、終点まで行く乗客はわずかであった。バスを降りた所の隣の観光案内所がレンタサイクルを扱っていた。草津温泉でレンタサイクルを利用した時は、途中でバッテリーを使い果たしてしまって苦労したが、案内所の人の話ではほとんどの人が半分以上使い残してきているというので安心したし、パンクした際には迎えが来てくれるらしいので心強い。

 

登りでは観光案内所を出てからすぐ先と最後の灯台の所の2箇所で登りきってからはそれほどアップダウンはない。ただ灯台の登りは半端ではなく心が折れそうになるほどであったが、バッテリーをスポーツモードに切り替えると大した負荷もなく、Eバイクの威力は抜群であった。

 

駐車場から灯台までは思ったよりも遠く、禁止はされてなかったようなので、自転車を乗り入れてしまったが、顰蹙を買うだけでほとんど効果はなく、最後は駐輪して歩いてしまった。灯台の裏側には四国最西端の碑があり、佐田岬に来た目的を果たすことができた。
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灯台の往復に思ったよりも時間がかかったために、案内所が閉まる5時までに帰れるか心配であったが、なんとか時間までに自転車を返せてホッとした。佐田岬に無事到達したお祝いしようと三崎の町を歩いてみたが、じゃこ天の弁当を売っている店くらいしかなく、あきらめて町外れのコンビニまで行きかけたら、手前に居酒屋があり、そこで刺身を肴に生ビールで乾杯した後、しらすイクラ丼を食べて、今回の四国の旅が無事に終わった(のはずだったが)ことを喜んだ。

 

今夜はテント泊まりということで、町外れの公園に出かけてみると、岸壁ではまだ釣りをしている人がいるし、近所の子供連れが花火をしていたので、コンビニまで行ったりして時間をつぶし、公園に誰もいなくなってからテントを張り、四国最後の夜を過ごすつもりだった。ところが中に入ってみると暑いったらありゃしなく、とても眠れるものでない。それでも気が付かないうちにうとうとしたが、目覚めると汗びっしょりで、とても眠れたものではない。かといってファスナーを開けると蚊が入ってくるので、それもできない。今回の旅の最大のピンチである。

 

ここで思い出したのは観光案内所の横にベンチがあることである。あそこならば、ここよりは快適だろうと夜明けまで過ごそうと移動を開始した。案内所の周りには予想に反して夜明け前にもかかわらず車がひっきりなしにやって来る。九州方面行きの朝イチのフェリーに乗船する人たちであろうか。ここも快適というわけではないが、しかたなく座り続け、薄明るくなる頃にテントに戻って片付けてからバス停に向かい、始発バスに乗って八幡浜に戻った。

 

八幡浜では、松山方面の電車に上手く乗り継げるはずであった。ところが、その電車は特急で私の18切符では乗れずに、普通の松山行きは2時間近く待たなければならない。どうしたものかと思っているうちに、特急は発車してしまう。次の普通に乗車すると、予定していたフェリーには乗れないことになり、今日の行程は滅茶苦茶になるが、約1時間後の特急でも予定したフェリーには乗れることがわかり、18切符は山口県に上陸後も使えることだからと、次の特急に乗ることにした。

 

次の特急は松山が終点なので、フェリーの乗場である三津浜までは乗り換えなければならない。乗り換えも終わって三津浜に向かっている途中で睡魔に襲われて気がついた時は、電車は三津浜駅を既に発車していた。やむを得ず次の駅で下車したが、反対方面の電車が奇跡的に時間を置かずに来てくれたので、タクシーにさへ乗れれば予定していたフェリーに乗れる可能性がでてきた。タクシーもつかまり、これで一件落着となったが、三津浜駅からフェリー船着場までは結構距離があり、行きの豪雨直後には歩いていったものの、今の炎天下では歩いていくのは熱中症のリスクがあってタクシー利用は正解であった。

 

フェリーには2時間くらい乗船していたが、さすがに眠りに落ちてしまったので退屈せずにすんだし、その間にスマホとモバイルバッテリーの充電もできたので、一石二鳥であった。

 

柳井港よりも西の光駅に駐輪してあったが
まずは本日の宿泊予定の岩国に向かい、駅近くのコインロッカーに荷物を入れて身軽になってから光駅に向かった。その間の移動にはもちろん18切符を使ったので、本日分のモトはとったことになる。光からは岩国を目指すが、前回は内陸部を進んだので、今回は海沿いに進むことにする。

 

まずは南端の柳井市を目指すことになるが、走りやすい道だったので、夕方の明るい時間に着き、早めの夕食を済ませてから岩国を目指すことになる。ところが、柳井港を過ぎて北上するようになると道は狭くなり、街灯もほとんど無くなって暗い夜道を後続の車に神経を使いながら進むのは危険を感じて、岩国市に入った神代駅で電車に乗ることにした。まだ9時前で、岩国駅までの距離は20キロほどで、ゆっくり走っても2時間はかからないが、安全を最優先として今回の旅を実質的に終えることとした。

 

8月16日

 

本日は帰宅日なので終電で帰宅してもかまわず急ぐ必要もないのだが、始発に乗ってしまった。ところが、お盆休み中の特別ダイヤにダイヤアプリが対応してないのか、アプリうえのダイヤと実際のダイヤが一致しないので、来た電車に乗っていくことにした。最初のうちはそれでよかったのだが、岡山駅で乗り換える際に失敗をしてしまった。

 

飲食物を買いに改札を出てホームに戻ってきてら、ホームには相生行きと播州赤穂行きが止まっていて、相生行きはまもなく発車だったのだが、かなり混んでいたため、それは見送って播州赤穂行きに乗り込んだ。このまま播州赤穂まで行って相生行きに乗り換えれば良かったのだが、東岡山駅で山陽本線に乗り換えようとしたとらケチが着いた。次に来た電車にそのまま乗ってしまったら、少し先の瀬戸という聞いたこともない駅(瀬戸の花嫁ならしってるけど)が終点で、登り線はホームを変えなければならず、エレベーターもないため自転車を担いで階段を登らなければならず、酷い目にあってしまった。おまけに快速は通過するので、次の電車までは1時間近く待たされた挙句、その電車は各駅停車ときているため相生駅までもかなり時間がかかってしまった。

 

幸い相生駅では野洲行きの新快速に接続できたので、これで遅れは多少は取り戻せたようである。以後は比較的順調に行程をこなし、Uターンラッシュにも遭わずに、ほぼ予定どおりの時間に帰宅できた。今回は悪天等の影響で一部消化できなかったものもあったが、以前にやり残した行程はほぼ順調に終えることができ、満足できる結果であった。後期高齢者になろうとする人間がやる行動ではないという意見もあろうが、それだけ元気が余っているということで許してもらおう。

 

 

 

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戦後80年に原爆巡礼

今から10年前に戦後70年を迎えたことをきっかけとして、広島長崎の原爆式典に参加したが、戦後80年を迎えた今年も広島長崎を訪れることにした。

 

前回の経験から式典前夜の広島近辺の宿は早くから予約しないと無理なことはわかっていたので、発想を転換して、前夜は三原〜広島を自転車でナイトツーリングで踏破することにした。同コースは日本海岸線踏破を目指していた頃に、ランニングでの踏破を試みたことがあるが、海岸線を通らずに内陸部の最短コースを通る結果となり、今回はランニングから自転車に変えてリベンジすることにした。

 

8月4日

 

青春18切符の5日間連続乗車券を利用して初日は大阪を目指すことにした。というのは、数年前に妻と関西旅行した時に大阪の地下鉄全線乗車を狙ったのだが、時間不足で半分近くしか乗車できなかったので、今回はそのリベンジも兼ねているのである。

 

数回の乗り継ぎを経て米原に到着したが、時間があるのでここで寄り道して北に進路を取り長浜に向かう。以前に琵琶湖周回ツーリングの際に秀吉の最初の居城である長浜城に立ち寄ろうとしたが、列車の時間の関係で中には入れなかったので、今回そのリベンジのつもりであった。
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来年の大河は秀吉の弟が主人公でもあり、きっと大勢の観光客がいるだろうと思ったのだが、あたりは静まり返っている。もしやと思って近づいてみると、本日はお休みとのことである。果たして三度目のリベンジはあるだろうか?

 

気を取り直して大阪に向かい、梅田の駅で早速1日乗車券を買う。どの路線でも終点の駅に着くと、改札にも向かわず折り返しの電車に乗って次の路線に急ぐというただ乗車するだけの行為を繰り返す。万博のために一区間だけ新設された夢洲までの路線は時間が遅かったので、万博の客は帰った後で最終電車は終わっているのではと懸念したが杞憂であった。ただどういうわけか夢洲駅だけは1日乗車券では改札を通れないということで(単なる嫌がらせか?)、万博会場も見ることなく、4時間近くの乗り鉄の旅を終えることになった。

青字が今回、赤字が前回の乗車路線


 

8月5日

 

今日は中国方面に向かうので、午前中に前回は開園時間に間に合わなかった二条城を目指して京都に戻ることにした。京都は大阪と同様に外国人観光客で溢れていた。

 

二条城に着いてみると、なんと二の丸の建物内には入れないという。大政奉還の方針が諸大名に申し渡された大広間に行きたかったのになんたることか。庭は見物できるのだが、猛暑の炎天下を1時間近く歩かされて少々体にこたえた。
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午後からは広島県を目指しての18切符の旅であるが、4回の乗り継ぎで広島県内の三原に到着した時は薄暗くなっていた。ここからが前半のハイライトである呉経由のナイトツーリング100キロの始まりである。以前に日本海岸線の踏破を目指した時は、三原・広島間はウルトラマラソンのトレーニングとして走ったのだが、時間不足から最短路の内陸部を通過せざるをえなかったので、今回はそのリベンジを自転車で行おうとするものである。

 

日中は暑くてかなわないので夜間に実行することにしたが、ゆむくりめで行っても三原を7時頃に出れば式典には間に合うだろうという計算をたてて、三原のファミレスでしっかりと食事をしてから式典会場を目指すことにした。気温は30度近くはあったが、直射日光を受けず、登り以外は風も受けるので、比較的快適であった。

 

8月6日

 

2時頃に呉に到着。かつての軍港であり、大和と並ぶ巨大戦艦武蔵を建造した造船所があった所でもある。今回の行程の三分の二あたりで残すは30キロほどなので、成功を確信して駅近くにあるネットカフェに1時間ほど滞在して水分補給と体を冷やした後、式典会場に向かうことにした。

 

4時半には明るくなってきて、このまま何も起こらずに終わるのかと思いきや最後にちょっとしたドンデン返しがあった。というのは、グーグルマップで原爆ドームを目標に検索した道を進んでいたのだが、徒歩モードではなく、自動車モードで検索してしまったようで、行程最後付近の大橋が自動車専用となっていたため、徒歩モードに切り替えてみると、進路は反対側に大きく迂回しており、さらにはかなりのアップダウンを越えてようやく到達するというもので、式典の始まる8時前に辛うじて到着するという危ういものであった。おまけに以前にはなかった荷物検査が行われていたので長蛇の列ができ、黙祷の時間直前にようやく会場に入れるという際どいものであった。

 

会場では広島市長から始まる挨拶が延々と続くが、前回は挨拶を聞いた後に記念館の見学までおこなったものの、今回は早々と退散して、駅前で遅めの朝食をとりながら、テレビから流れる挨拶を聞いてお茶を濁した。
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広島駅からは一路九州へ移動する。佐賀県北部は鉄道を利用して周回したことがあるが、自転車では唐津から伊万里を結ぶ線以北は未踏である。長崎の原爆記念日前の7日と8日はフリーであるが、天気も今ひとつのようだし、どうしたものだろうか?

 

8月7日

 

前夜遅くに泊まった伊万里のネットカフェはローカルなネットカフェで安いだけが取り柄な所だったので、長居は無用と早々に後にする。

 

今朝は雨模様の天気だったので休養するかとも思ったが、炎天下よりはましかと思い直して半島北部を行ける所まで行ってみることにした。天気は思ったほど悪化せず、暑さもそ れほどでもなかったが、アップダウンが激しく行程が遅々として捗らなかった。

 

道が複雑に分岐していたので、道を取り違えないようにと地図アプリを拡大して使用していたが、それがアダになって全体的な進路把握かなされずに、本来進むべき半島の真ん中ではなく、左端を進んでいることに気付いた。正しい道に戻るのもたいへんなので、ここで引き返すことにしたが、出発点である伊万里駅までの距離を調べてみると35キロもある。平地ならば大した距離ではないが、アップダウンの激しい道で行きには5時間ほどもかかっているので、帰りも同じくらいの時間をみなければならない。それならばと唐津駅までの距離を調べてみると、こちらは22キロと比較的短いので、こちらを選択す?ことにした。

 

登り口を除けは、行きほどのアップダウンはなかったので、六時前には唐津駅に着くことができ、唐津線経由で伊万里に戻ることができたが、それからの宿探しがなかなかたいへんだった。前夜のチープなネットカフェにもう一晩泊まる気にはならず、かといって駅前のホテルはどこも満室となっていてホテル難民となりかねなかった。そこで駅から少し離れたところにホテルはないかと探して電話してみると、そのうちのひとつに空きがあってなんとか最悪の事態を避けることができた。

 

8月8日

 

松浦鉄道の1日乗車券を買って、沿線の三つの最西端に行ってみることにした。まずはたびら平戸口の日本最西端の駅である。10年前にも通ったことがあり、その時は途中下車はせずに車内から眺めただけだったが、ホームにはかなりの人がいたので、鉄っちゃんにとっては聖地のひとつなのかと思ったが、今日は誰も降りる人はおらず拍子抜けであった。
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松浦鉄道を南下して小浦駅で下車、そこからバスに乗って本土最西端の神崎公園を目指す。神崎入口で下車してから最西端の碑までは30分近くも歩かされるので、小浦駅から碑までは11キロ程度であり、自転車で来た方が良かったような気もしないではなかったが、かなり気温も高かったこともあり、バス利用は正解ということにしておこう。こちらの碑は何人かの訪問者もあるようで、まあ隠れた観光地なのかもしれない。
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松浦鉄道の終点である佐世保に着くと、そこから先はJR九州の路線となるが、駅前にはJR最西端の碑があるので、ここで最西端の旅の締めくくりとして写真を撮り、朝からろくな物を食べてなかったので、居酒屋で腹ごしらえと喉を潤してから長崎に向かった。
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本来は前半の旅の終了点である長崎でゆっくりと旅装を解きたい所であるが、10年前に来た時も原爆式典参加者が1年前から予約を入れていて長崎市内には空いているホテルはなかったので、今回は鼻から諦めてネットカフェに泊まることにしていた。

 

8月9日

 

早起きしたら長崎の西の方まで往復してこようとも思ったが、雨模様なのでやめてゆっくりと出発する。雨はますます激しくなってくるので、駅近辺に駐輪してバスで平和公園に向かうつもりで駐輪場を探したが、バイク用のものはあっても駐輪禁止と書いてあるので、やむをえず平和公園まで自転車で行くことにした。公園の近くに駐輪するつもりだったが、警備の警官かいっぱいいて、下手に駐輪すると文句を言われかねないので、だいぶ離れた所に駐輪する。

 

公園入口まで行くと、整理券がないと入れないと言われる。コロナの時からの措置だそうである。もっとも大きな荷物は持ち込み禁止となっているようなので、整理券があっても入れなかったかもしれない。
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黙祷が終わってから公園前を後にして自転車を回収して駅に戻る。自転車を解体するのに手間どったりして、新幹線の出発時間が迫っていたため、おにぎりで昼食をすませることになり、長崎の名産は食べずじまいとなってしまった。

 

今晩の宿は熊本地震によって不通となっていた南阿蘇鉄道が数年前に復旧したので、終点の高森の手前の駅近くのところを予約したが、途中で少し寄り道して西鉄本線の南半分を乗車しておくつもりである。西鉄本線の北半分は数年前に妻と太宰府に行った際に乗っているので、支線はともかく本線だけでも完乗しておこうと考えたのである。

 

最初は大牟田から西鉄二日市までを往復するつもりであったが、JR鹿児島線と西鉄本線は平行して走っている部分が多いので、JRの鳥栖からは南下せずに北上して二日市で下車して西鉄本線に乗り換えて大牟田まで乗車することにより、時間も費用も節約しようとするものである。

 

大牟田からは数回の乗り継ぎで南阿蘇鉄道との乗り換え駅である立野に着く。南阿蘇鉄道は熊本地震で被害を受けて不通となっていたが、一昨年にようやく全線開通となり、満を持して今回乗り込むことになったものである。ただ観光客はあまりおらず、乗客のほとんどは地元の人のようであった(全線開通を待ち望んでいた鉄ちゃんはとっくに乗ってしまったのかな)。

 

今夜の宿は南阿蘇鉄道沿線の古民家風で、テレビは懐かしいブラウン管である。ちょっとタイムスリップしたような気分にさせてくれるのがうれしかった。
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2025年8月 1日 (金)

群馬県内への避暑と温泉巡り

草津方面に避暑に来たが、標高が千メートルを越えているだけあって、最高気温も30度を越えることはなく、過ごしよかった(さすがに日中は暑かったが)。

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ライトアップされた草津温泉湯畑


7月22日

ホテルの近くに釣堀があったので行ってみたが、入れ喰い状態で三十分もしないうちに規定の三匹が釣れてしまい、面白くもなんともなかった。

 

釣り上げた魚は調理してくれるので、二匹は唐揚げ、残りは塩焼きにしてもらったが、そばを食べるには腹も減ってなかったので、缶ビールを注文して一匹ずつ食べ、唐揚げ一匹はホテルで留守番している妻へのお土産とした。

 

7月24日

 

草津温泉から1番近い観光地を探していたらチャツボミゴケ公園というのがあってホテルから歩いても半日ほどで往復できそうなので、行ってみることにした。

 

下界ほどではないにしても、猛暑の舗装路を歩くのは嫌だなと思っていたら、バスターミナルの1階の観光案内所でレンタサイクルを利用できるということなので、早速バスターミナルに行ってみる。ところが、観光案内所に行くと、現在はメンテ中で利用できないという。

 

代わりにレンタサイクルが利用できる別の施設を教えてくれたが、ここから30分近くも登り道を進まなければならないスキー場の所ということで出鼻を挫かれたような気分であった。

 

スキー場に着いて電動付きのレンタルサイクルを借りることができたが、ここでコース取りに迷うことになる。最初歩いていくつもりの時は最短コースを考えていたが、その道は舗装が最後までされているか不明で、ある程度降りてしまってから悪路になった場合は、登り返すのも大変だし、かといって悪路を進んでパンクしてしまうのも嫌なので、遠回りではあるが、グーグルマップの検索コースのうち、車によるコースを選択することにした。

 

全体的にゆるやかな下りが続いたが、最低部の橋を渡ると今度は登りが続き、たまらずに電動のスイッチを入れることになる。ところが、バッテリーの残量があまりないことに気付き、傾斜が緩くなるとスイッチを切って節約することになる。ここまで来る時はあまりバッテリーを使わなかったつもりだったが、満タンにはなっていなかったのかしら?

 

公園に近づくとようやくなだらかになり、電動スイッチはOFFのままでも大丈夫になったが、公園の受付を過ぎ、滝に向かう道でまた傾斜がきつくなってきたので、やむを得ずまたスイッチをONにする。

 

滝の周辺は酸に強いコケが生えていて独特な風景を見せてくれている。苦労してここまで来た甲斐はあった気がする。
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滝の上部を回遊してから下りに移って帰路に向かうが、途中から行きの道と別れて最短路に向かう(もし、舗装路が途中で悪路に変わっていたら自転車を降りて引いて行くまでだと開き直った)。

 

ところが、橋を渡るまでは下り一方かと思っていたが、実際は小さい尾根を越えなければならず、なけなしのバッテリーを使ったためにバッテリー残量が最小のマークにまで減ってしまう。

 

下りきって橋を渡り登りに移るが、幸いさほど急な登りではなくバッテリーの消耗も少なくて何とか出発点まで戻ることができたし、最後まで舗装路が続いていた。自転車を返して隣のレストランでラーメンを食べていると突然の豪雨となり、小止みになるまでそこで雨宿りとなったが、自転車に乗っている間でなくてラッキーだった。

 

7月26日

 

前日に草津温泉から赤城温泉に移動したのは気分転換の外に、関東ふれあいの道の群馬県コースのうちの未踏となっている不動大滝のコースを歩くためでもある。

 

朝食後に不動大滝を目指して出発する。舗装路を進んで粕川を渡る手前で山道に移るとすぐに大滝が目の前に現れる。落差20メートルはあるかと思われる見事な滝である。証拠写真を撮影後に来た道をそのまま戻れば近いのだが、ふれあいの道コースNO24番はやや下流の忠治温泉がゴールとなっているので、そこまで歩を進めることにする。

忠治温泉までは小1時間ほどの下りであるが、ふれあいの道にしては悪い道であった。実は今回泊まっている宿は自販機以外には間食の販売はなかったので、忠治温泉まで下れば何か買えるのではないかと期待したのだが、生憎まだ開業しておらず、開業準備のためか作業員が数人働いているだけだったので、食料調達はできないまま宿に戻らざるをえなかった。宿への戻り道は気温が上がってきて辛かったが、カーブごとに番号がふられていて宿の直下のコース番号は23番であることはわかっていたので、気分的にはだいぶ楽であった。

 

7月28日

 

今日は群馬県随一のロッククライミングエリアである有笠山に行くことにした。私の現役時代には登る機会のなかった有笠山だが、高難度ルートが密集しているエリアで一度は登ってみたかった所である。後年になって日本ロマンチック街道という日光から軽井沢までをつなぐロングコースを自転車で通った際に有笠山を遠望することができ、次は間近に見たいものだと思ったのだが、今回それが実現することができた。

 

バスとJRを乗り継いで沢渡には11時頃に着き、そこから小一時間ほどの舗装路歩きで東登山口である。途中、有笠山の岩壁が間近に見えたが、登山口のすぐ上にはフェアリーロックという岩場が聳えていた。何本かのボルトラインが確認できたが、いずれもグレード的にはかなり難度が高く、自分の現役時代でも登れない代物であった。
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西登山口への分岐点から頂上への登山道に移る。途中にはハシゴやクサリもあってスリルが楽しめた。頂上は樹木に覆われて展望は得られなかったが、このあたりの山域は元々不案内なので、展望が得られてもまわりの山名はわからなかっただろう。

 

下りは西登山口に向かったが、登りの時ほどの暑さはなく、思ったより早く林道に降り立つことができた。帰りは往路と同様の経路を辿ったが、歩いているよりも往復のアクセスの方が断然時間がかかったようだ。

 

7月29日

 

草津温泉周辺の目ぼしい観光地はだいたい訪れてしまったが、少し足を伸ばして野反湖に向かうことにする。野反湖は20年以上も前に上越国境尾根縦走の一環として白砂山から下山する際に近くを通ったことはあるが、その時は暗くて湖は見ることができなかった。

 

草津温泉から最短コースを辿れば25キロほどの距離なので、最初はレンタサイクルを利用しようかと思ったが、レンタサイクルにはスポーツタイプがなく、電動アシストタイプしかないので、野反湖手前の坂でバッテリーを使い果たしてしまい、帰りの草津温泉手前の坂ではバッテリーの切れた重い車体を引っ張り上げることになりかねないので断念した。代わりに長野原草津口駅までバスで降りると、そこから野反湖までのバスがあることがわかったので、妻と一緒に行ってみることにした。

 

乗り継ぎ1回と2時間弱の乗車で野反湖に到着するが、野反湖手前の登り坂は延々と続き、自転車で来なくて良かったと思った。足下には美しい湖と高山植物が広がり、長いバス旅の疲れを癒やしてくれた。
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バス停近くにはお店もあったので昼食をとり、3時間ほど後の最終バスで帰るつもりだったが、長時間待っても退屈するだけだし、連日午後になると豪雨となる傾向だったので、1本前のバスに乗って途中で下車して、日本一美しい村と宣伝している六合(クニ)村の山村風景を楽しみながら途中まで歩いて、最終バスで帰ることにした。

 

六合村最上部の花敷温泉で下車し、道の駅までの6キロほどを歩くつもりだったが、炎天下の車道歩きは下り一方とは言え妻には過酷だったようで途中のドライブインでダウン、おまけにドライブインも定休日だったので、ここで最終バスを2時間近く待つわけにもいかず。タクシーを草津温泉から呼んて帰る羽目となってしまった。

 

7月31日

 

最終日は当初の予定では、帰宅する妻と別れて、関東百名山とふれあいの道の未踏部分を行くつもりだったが、ここまでの行動で猛暑の低山は厳し過ぎると思い直して、もう少し涼しくなってから出直すことにした。ただこのまま帰ってしまうのはもったいないので、高崎駅からバスで行くことができる白衣観音を往復してくることにした。

 

白衣観音は高崎駅が近づくと目立つ風景で、前から気になっていたものだが、ふれあいの道のコース途上にあり、コース自体を忠実に歩くと結構な時間がかかるが、白衣観音が撮影ポイントとなっているので、インチキ臭くはあるが、短時間でコース踏破?ができるという絶好の行き先であった。
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高崎駅からは30分弱の乗車時間で観音前で下車、至近距離の観音
直下まで移動して証拠写真を撮り、すぐにバス停に戻って高崎駅行きのバスに乗り込む。この間、わずか10分足らずという駆け足スケジュールであった。

 

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2025年7月 5日 (土)

北海道200名山ツアー後半戦(195座目 石狩岳登頂)

7月3日

 

前日はニペソツ山の予定だったが、天気が今ひとつのために中止となり、タウシュベツ川鉄橋遺構の観光となったが、ここは鉄道ファンに大人気の所であり、今回行く時間があるかどうか気にかかっていたが、思いかけずにゆっくりと見物できたし、長丁場となる山を連日登るのは体力的に厳しいことを懸念していたので、ニペソツ山の登山が中止となって来年に持ち越されたのは結果的には良かったのかもしれない。

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仕切り直しとなった200名山ツアーは当初予定どおりに石狩岳に向けて4時に宿を出て登山口に5時過ぎに着く。そこからしばらくは沢に沿って比較的なだらかな道を1時間ほど歩いた後に、北海道三大急登にもあげられているシュナイダーコース最大の核心部にさしかかる。

 

標高差800メートルほどを3時間かけて登り切ると主稜線と合流して傾斜はやや落ちて石狩岳は目前となるが、あいにくの天気で展望は全くない。その代わりに本州では見られないほどの見事なお花畑が目を楽しませてくれる。

 

石狩岳頂上は最後の急登を登り切ると達するが、残念ながら展望は全く得られない。10分ほど先に最高地点があるらしいが、ロートル組はここでの待機を余儀なくされる。それでも日本200名山の195座目となる石狩岳登頂とはなるので、不本意ではあるが良しとするか。

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下りは往路を戻り、登り4時間半かかったところを3時間半で降りられた。後は帯広駅に向けてのドライブ

で、途中の入浴施設に立ち寄って汗を流し(ただし、浴槽は使えずシャワーのみとなるが)、帯広駅でツアーは解散した。

 

ツアー解散後、私は札幌に移動する。最初はビール園でツアー無事終了の祝宴を上げるつもりだったが、札幌に到着する時間はビール園の閉園間近となることがわかったため、すすきのの宿の近くにあるジンギスカン料理の看板を出していた店に入る。屋上の狭いビアガーデンで巨大なラムチョップと格闘し、焼ききれないまま食べたりして、追加注文する気にもならずに店を出て、口直しにと別の店で札幌ラーメンを注文したが、こちらもボリューム満点で、普段なら暴食となりかねなかったが、山登りで栄養補給を体が要求したためか、胃腸薬のお世話にもならずにすんだ。

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