旅行

2024年2月22日 (木)

南米最南端の町を目指して

2月17日


足かけ4日間滞在したプエルトナタレスを後にして南米最南端を目指す旅に出る。ウシュアイアまで行けるバスは数日後でないとないということで、まずはプンタアレナスを目指すことにする。プンタアレナス行きの本数は多いので予約なしでも先発のバスの切符がとれた。もっともプンタアレナス行きのバスは既に停車していたが、このバスではなく、次の10時発のバスが私の乗るバスらしい。


定刻の10分ほど前にバスはターミナルに入ってくる。私の座席はラッキーなことに2階席の最前列で素晴らしい展望が得られる。そこそこ満席に近かったが、私の隣は空席だし、通路を隔てた席は若い女性の二人連れというこれ以上ない条件だが、3時間ほどで終点のプンタアレナスに着いてしまうのが惜しいくらいだ。


やがてブンタアレナスの手前の空港に着く。ここからもウシュアイアにフライトがあるんだけど、数日先まで満席だし、直前の購入だとバス代の5倍くらいしてしまうようだ。車掌が先ほどの女性を起こしにきたので親切なことだと思ったら、結局、女性客は降りなかった。単に女性客と話しをしたかっただけかもしれない。 


プンタアレナスのバスターミナルは街の中心地にあり、下車するとすぐに翌日のウシュアイア行きの切符を買いに窓口に向かった。ところが、3日先まで満席というではないか。まあ、休みはいくらでもあるのだし、安宿に泊まって自炊もするようにすれば、たいして滞在費もかからないので二日間の足止めくらいはいいか


この日のドミトリーはよく考えずに選んでしまったので、中心街から小一時間も歩かなければならないところだった。当初の予定どおりに翌日の出発だとしたら、朝のバスに乗るために相当早く宿を出なければならず大変だった。そのため、翌日以降の宿泊は中心部の近くにとることとし、安宿ではあるがドミトリーではなく個室にした。


今晩のドミトリーは前面がマゼラン海峡で眺望が素晴らしく、内部も清潔で広く、朝食の内容もそこそこの割には1泊18USドルと安く、今まで泊まったドミトリーの中では一番といえ、これで中心部に近ければ言うことないんだけど。特にマゼラン海峡が眺められるのが最高で、ここを越えて太平洋に達したマゼランやカヤックで渡って南米大陸に上陸した関野さんのことを思うと感無量であった。


2月18日 


このドミトリーは場所以外は文句の付けようがないのだが、朝早く出発するにはターミナルまて遠すぎることと、周りに店が全くない(そのために前日は休肝日となってしまった)ことが欠点となったいる。そのため、中心街近くのホテルに移動することにする。


昨日と同じ道を歩くと、ターミナルの少し先の公園にマゼランの銅像があり、観光名所になっているようだ。だが考えてみれば、マゼランは後のスペインによる南米植民地化の先兵になったともいえるわけで、ヨーロッパ系の人はともかくとして、(混血も含めて)先住民の子孫にとってはどういう思いなのか知りたかった。


本日の宿は場所はグーグルマップでわかったのだが、看板がでてないので少々迷ってしまった。料金は現地払いだが、代理店からのメールよりも15パーセントくらい高いものを請求されたので文句を言うと手数料だという。釈然とはしなかったが、それでも1泊六千円くらいだから「泣き寝入り」をしてしまう。


荷物を置いて食材を買いに行く。外食ばかりだと滞在費が馬鹿にならないからだ。あいにく、日曜日のため休みの店が多かったが、大きなスーパーが開いていたので助かった。チリ南部は最後の街となるのでチリワインも併せて買う。


ホテルに戻ってワインを飲み始めたが、温度もさほど高くないので2日は持つだろうと買ったチーズやサラミをかなり食べてしまい、明日の分は買い足さなければいけなくなってしまった。


2月19日


翌日のウシュアイア行きの予行演習で八時前にバスターミナルに行ってみることにする。経路は明確だが、出発場所がターミナルに間違いないかどうかを確認する意味もある。八時前にバスターミナルに着くとウシュアイア行きのバスが停まっていて乗客も乗り込んでいた。今日の予約が取れていたならば、途中乗り換えせずにウシュアイアまでの直通に乗れたんだし、プエルトアナレスに着いた直後に予約すれば、このウシュアイア行きが取れたかもしれない。ただその場合はプンタアレナスまで行かず、手前でこのバスに乗り継ぐことになるので、マゼラン海峡を体感せずにいたかもしれないので、やはり自分の選択は正しかったかなとも思えた。


帰りにスーパーに寄るつもりだったが、まだオープンしてなかったので、観光名所にもなっている街を見おろせる展望台に上がってみることにした。街を見おろすと、さすがに空港がある街だけあってかなり大きいことが実感できた。またマゼラン海峡の対岸の陸地もはっきりと見ることができた。


下に降りて喫茶店で朝食を食べることにした。コーヒーとウィンナーを挟んだパンを注文したが、先に運ばれてきたコーヒーを飲んでいると、店の人が何か聞いてくる。その中にマヨネーズという言葉があったようなので、多分マヨネーズをかけるかどうか聞いているんだなと思って頷くと、案の定、マヨネーズのかかったパンが運ばれてきた。これだけで千円程度だから、レストランで食べるよりも随分と安い。そのためか、店は地元の人で大賑わいだった。


帰りに大型スーパーで夕食用のウィンナーと翌日のバスの中での食料を買ってホテルに戻り、前日に近くのミニスーパーで買った日本製でないカップ麺を食べてみると結構いける味だったので、ミニスーパーが開店したら買い足すことにした。


昼前から雨が降り始めたので、外出が億劫だったが、夕方になって近くのミニスーパーにカップ麺を買いだめに出かける。結局6個を買い、前日に買った分も含めて9個をアルゼンチン用に持っていくことにした。もし南極クルーズに乗れたら、クルーズ中は豪華なバイキングなので、カップ麺を食べる機会もないだろうから、もっぱらウシュアイアとブエノスアイレス用である。 


その晩は、昨日に引き続き、パンに野菜、チーズ、ソーセージの自炊である。プンタアレナスでは、一度もレストランには行かなかったし、ツアーにも参加してないので安上がりの滞在であった。もっともウシュアイアで南極クルーズに参加することになれば、桁外れの費用になるのだけど


2月20日


いよいよ南米最南端の町ウシュアイアを目指しての旅の始まりだ。7時過ぎにターミナルで待っていると、リオグランデ(途中の乗り継ぎ地点)と書かれたバスが入ってきた。途中でマゼラン海峡はフェリーに乗り換えたり、アルゼンチン側では別の会社のバスに乗り継いだりして、乗車予定時間は11時間だが、全然長いとは思わなくなった。さらにこのバスでは珍しくフリーwifiが使えるので退屈しなくてすみそうだと思ったら、wifiが使えるのはターミナルの周辺だけでぬかよろこびであった。


ほぼ満席に近い状態だが、自分の隣は空席となっているものの、それもわずかの時間でプエルトナタレスからのバスの乗り継ぎ客が座ることになるだろうと思っていたら、案の定、ガソリンスタンドの前で停車すると、プエルトナタレスからのバスが来て、10人近くの乗り継ぎ客で満席になり、私の隣も空席ではなくなった。ここのところ、隣席は若い女性のことが多かったが、今回は見上げるような大男である。まあ、その方が気を使わなくてよいのだが


バスはマゼラン海峡沿いに走り、海峡が大西洋側ではもっとも狭くなるところでフェリーに乗り換えて対岸のフェゴ島に移ることになる。これで南米大陸ともお別れである。対岸のフェゴ島は間近に見え、大西洋から海峡に入ったマゼランが、こんなに海峡が狭くなってきたのによく前進したなと感心する。西側の太平洋に出るところでは、もっと狭くなっているところもあるが、そこまで進めば前進せざるを得ないだろうが。


バスを収容してフェリーは出発する。バスから降りて船室に行ってみたら波が荒いのに驚く。こんな荒海をよく関野さんはカヤックを漕いでいったものだと感心する。


やがてフェゴ島に上陸したバスは視界を遮るものが何もない平原の中を疾走していく。まもなくアルゼンチンとの国境に達し、まずはチリ側のイミグレで手続きを行い、税関はなにも申告するものはないので、そのまま通過する。チリは入国するときは、食品の検査が厳しく今回のように大量のカップ麺を持ち込めば即没収だが、出国の際は特に支障はないようだ。


次にアルゼンチン側の入国手続きに移るはずなのだが、バスが発車していくら行ってもイミグレが現れないので省略なのかと思った。もともとアルゼンチンは入出国に際してパスポートに判を押さないから省略でも不思議はないと思っていたところ、国境から12キロも離れたところにイミグレはあった。手続き自体は簡単に終わりバスに戻ったら、今度は荷物を持って検査を受けさせられた。麻薬犬とエックス線検査が行われたが。なんで1度で済ませられないのだろうか。それに私は車内持込の荷物を持っていくのを忘れたが、それについてはノーチェックであり、どうもザル検査のように思われる。それに何度も車の乗り降りをするのは時間の無駄であり、アルゼンチンとウルグアイの間のように同じ場所でやってもらうわけにはいかないのだろうか。


アルゼンチン側の検査が思った以上に時間がかかったこともあり、リオグランデでの乗り継ぎ時間が当初予定では30分あったものが、5分程度しかないことになり、円滑に乗り継ぎが間に合うか気がかりだが、このバスの乗り継ぎ客は相当いるだろうから、それを置いて先に出発してしまうなんてことはまずないだろと考えて安心することにした。


リオグランデの出発時間の5分前に終点の広場に着いたが、乗り継ぎバスはまだ来ていない。果たしてここで乗り継ぐのか別の場所で乗り継ぐのかもわからない。まあ他の乗り継ぎ客の動きを見るしかない。すると、マイクロバス2台が広場に入ってきたので、ここで乗り継ぎができることがわかった。


マイクロバスに乗り込みさへすれば、後は時間がたてば自然にウシュアイアに運んでくれる。カラファテからここまで何台もバスに乗り継いでやって来たが、徒歩や自転車に比べればはるかに楽ではあるものの、言葉の壁を乗り越えてなんとかここまでやって来られて、まずはホッとしている。



グーグルマップの経路で予想したバスの終点の近くの宿を予約したつもりが、急な登りを結構登らせられる羽目に。初めての土地の初日なので私としては比較的ランクの高い宿を予約したつもりだが、どうも個人経営で他の客は泊まってないみたいだ。予め近くのレストランを調べてあったので、そこに向かったが、辺りは別荘地らしく高級ムードで結構なお値段であった。まあレストランは久しぶりだし、南極クルーズのことを考えたら、これくらいでぴびってはいられない。





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2024年2月17日 (土)

チリ・パタゴニア

2月14日


一月近く滞在していたアルゼンチンに一時お別れしてチリに向かうことになる。細かいアルゼンチンペソが450ペソ(それも10ペソとか20ペソという少額紙幣が多数)あったので、これに1000ペソ紙幣を足して買えるものはないかと探したが、一番安いと思われる水の小ペットボトルでも1500ペソ(300円弱)したので、結局カードで買わざるを得なかった。まあウシュアイアまで行けばまた使えるのだけど


チリは検疫が厳しいらしく食料品、特に生ものは全て没収されるとのことなので、キャンプに持っていた残りは国境までのバスの中で食べてしまうつもりだが、日本から持参した乾燥米とスポーツドリンクがどうなるかは不明である。まあ没収されたらされたで仕方ないが


チリのプエルトナタレスまでの経路は前日のモレノ氷河付近を海沿いに行くのかと思ったら、内陸部を通って行くものであった。荒涼たる平原を進み、野生のアルパカかそれに類するものが、そこら中で草を食んでいた。


2時間ほど進んだところで停車したので国境かと思ったら、まだ大分手前でトイレ休憩だった(車内にもトイレはあるのだが)。どうも地図のGPSでの経路を見ると、プエルトナタレスまでの最短路ではなく、かなり寄り道して走っているようである。まあ急ぐ旅でもないし、ホテルのチェックインに間に合うくらいの方が都合がいいのかもしれない。


アルゼンチン側のイミグレの出国手続きは問題なく終わる。国境を越えてしばらく進むとチリ側のイミグレがあり、入国手続き自体は特に問題はなかったが、検疫が厳しいということがネットに書かれていて多少は緊張したよのの、実際は大したことはなく、麻薬犬云々ということもなく、特に食料を没収されるということもなかった。手続きが緩和されたのだろうか


全員の手続きは無事終わり(私が最後だったけれど)、バスは一路プエルトナタレスに向かって進んで行く。道路脇に家がたて込んでくると、ブエルトナタレスの市街地である。バスターミナルで荷物を整理してからチリペソへの換金を行った。日本を出発する時はアルゼンチンペソの方がチリペソよりも若干高かったのだが、ここ一ヶ月の間に逆転してチリペソの方が高くなっているようだ。さすがに年率40パーセント以上物価が上がっているアルゼンチンだけのことはある。興味深かったのは、アルゼンチンペソとチリペソの売買の価格の比である。通常の場合は売買のレートの差は1割程度なのだが、アルゼンチンペソについては倍となっていた、これはインフレの激しいアルゼンチンのペソについては誰も持ちたがらないので、このような差がついたのだろう。アルゼンチンペソで支払ったウルグアイで物価がやけに高く感じたのも、アルゼンチンペソが不人気だからであろう。


予約したホテルはバスターミナルから歩いて10分ほどのところにあった。ドミトリーが4泊、キャンプが二泊と続いたので、今夜は珍しく三ツ星ホテルを選んだ。また10日近く連続で行動してきたため、明日は完全休養日とすさることにした。


プエルトナタレスは海岸沿いなので、おいしい魚が食べられると思って魚料理店に行こうと思ったが、海岸近くまで行かなければならないので、それは後日として、ホテルの近くにあった中華料理店にはいることにした。ところが、メニューが漢字表記ばかりで麻婆豆腐以外は何の料理かわからない。あてずっぽで魚へんの料理を注文したら、イカのフライだった。チリ人がよくこんなメニューで注文できるのか不思議だった。隣のテーブルの家族連れは、チャーハンとおかずを3品注文していて、入れ替わりたいぐらいだった。なお、ここもカードで支払ったのであるが、今まで使ってたカードは月の使用限度額が少額なので、上限に達する前に限度額の多いカードを使うことにしたら、こちらはタッチ認証もできてpinコード入力の手間が省けて便利であった(落としたり盗られたりした時の不正使用のリスクはあるが)。

帰りにスーバーに寄ったらカップ麺を売っていたので、思わず買ってしまったが、ホテルの部屋には湯沸かしがなく食べられなかった。翌日のホテルはワンランク下なので、多分、自炊用のな設備が共同であると思う。なお、スーバーにはレトルト食品まであった。どうもアルゼンチンよりも生活レベルが上のように感じられた。


ホテルに帰ってしばらくすると、今まで使えていたインターネットが繋がらなくなった。スマホもタブレットも繋がらないので、多分システムの故障で、明日、ルーターの再起動をしてもらえば直るかもしれない。それまではダウンロード済みのデータで過ごすしかないだろう。



2月16日


翌朝にはネットも復旧して妻ともwgfiで連絡することができた。昼前にホテルを出て10分ほど歩いて今夜の泊まるホテルに向かう。ちょうどメインストリートを歩いていくことになるので、ウインドウショッピングしながら行ったが、前日までのカラファテが観光客のための街て、お店もレストラン、ツアー関係、お土産屋くらいしかなかったのに比べて、こちらは生活用品のお店がたくさんあるのが大きな違いだ。


ホテルの隣がレストランで水産物も食べられるということで早速入り、カニのサラダを食べたが、なかなか美味であった。ホテルのチェックインは3時なので、荷物だけを置かせてもらってバスターミナルまで行き、ウシュアイア直通バスの運行日を確認したが、翌日のパイネツアーの日以外はだいぶ先になってしまうようなので、直通はあきらめプエルトアナレス泊まりの二日か行程にすることにした。


その後、ホテルまで戻る途中でホテルの部屋と翌日のパイネツアーでの食事の材料を買うことにした。今日一日は行動したのはバスターミナル往復くらいで、すっかり休養できたので、多分、元気は取り戻せただろう。


2月16日


本日のパイネツアーは本当は日帰りツアーでなくフィッツロイ、セロトーレと同様に個人でキャンプをして行きたかったのだが、パイネの場合は国立公園内への入場やキャンプについての許可等の手続きが面倒で、また公園までのアプローチの問題もあるのでツアー参加もやむなしと判断した。その結果、パイネのモルゲンロートは見られなくなるが、やむを得ないだろう。


7時前に集合場所に行くと参加者は女性が一人いただけなので、少人数パーティーになるのかと思いきや、先のホテルで次々と乗り込んできて、最終的には十数人の大人数となった。ただほとんどが私よりは若かったが、ある程度の年配者のようなのでまずは遅れを取ることはあるまいと安心した。


道路を北上していくと、左側にパイネ山群が見えてくるが、まだどの山がトーレスデスパイネなのかは確認てわきない。やがて道はカラファテ方面への道と別れる。3日前に国境を越えてカラファテから来た道だ。


その先でもビューポイントで何カ所か停車して撮影タイムがあり国立公園入口に到着。ここで入場料US35ドルを払うのだが、数年前から現金ではなくPayPalで事前に払うように変わって面倒になったので、ツアー申込時の説明には事前支払が必要とは書いてないことからツアーにしたという面もあったのだが、そこがいまひとつ不明確だった。


他の参加者は皆、スマホの画面を見せていたので、PayPalで支払ったのだろうか。私はそれをしてないのでどうしたものかと思ったら、奥に連れて行かれてパソコン画面に個人情報を入力してチップを缶に入れるように言われる。五ドル札があったので、これでも良いかと聞くと、良いと言われる。入場料との差額30ドルはどうなるのかと思ったが、ツアー参加者に対してはお目こぼしがあるということだろうか?それなら一ドル札を入れておけばよかったかな。


その後も景勝地を巡っては撮影休憩を繰り返したが、ここではたと気づいた。トレッキングツアーを申し込んだつもりでいたのだが、間違って観光ツアーに申し込んてしまったことを。まあアルゼンチンと違ってチリのトレッキングは日数がかかり、日帰りトレッキングではモルゲンロートが見えないだけでなく、たいして奥深く入れないようなので、観光ツアーでも良かったかなとも思えてきた。


トレッキングツアーを想定していたため行動食を用意していたが、昼食はレストランで食べるようである。私は外がで持参した行動食を食べようかなと思っていたところ、食費はツアー料金には含まれてないが、席は人数分予約してあるみたいで、レストランの係の人に半ば強制的に席まで連れて行かれてしまった。しょうがないから、一番手軽なハンバーガーを注文し、飲物は頼まず持参したコーラを飲むことにした。


食後も何カ所かで撮影タイムを取った後、一路プエルトナタレスに向かうのかと思いきや、プエルトナタレス手前の有料の天然記念物(先住民の居住跡?)の所で停車する。この入場料11USドルはツアー料金には含まれてないということは、事前の旅行社の通知に書いてあったが、これも国立公園入場料と同様に当日払いができず、事前払いした証明書をスマホ画面で呈示しなければならないことは全然知らされておらず、他の参加者がスマホを見せて進んで行くのに対して、外で待っているしかなかった。プンプン


その日の晩は、まずは初日にも来たスーバーでアルゼンチン用にカップ麺を四個買い、次にこれも初日に来た中華料理店に入り、今度は麻婆豆腐を注文する。途中で何か言ってくるのでできないというのかと思ったら、向こうも翻訳アプリを持ってきて、「肉を入れますが」だって、肉の入ってない麻婆豆腐なんてあるか?なお、先日、漢字のメニューでよくチリ人がわかるなと書きましたが、スペイン語(多分)のメニューは別にありました。私が東洋人だから漢字のメニューを渡したらしい。


明日はウシュアイア行きの直通バスはなく、かなり手前のプエルトアナレスまで行くだけで、バスの本数も多いようだから予約はせず、適当な時間に起きて出発することにした。


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2024年2月14日 (水)

アルゼンチン・パタゴニア

2月8日

ブエノスアイレスには随分と長くいるような気がするが4日間に過ぎないのだ。しかし、それも今日でしばらくのお別れだ。ホテルに不用な荷物を預けて空港に向かう。前日の失敗に懲りてタクシーは使わず、地下鉄で終点まで行き、そこから路線バス(コレクティーボ)に乗って空港まで行くことにする。乗車するバスの番号はグーグルマップで調べてきたのだが、地下鉄終点のバス停はたくさんありすぎて、どこから乗っていいのかわからない。そこで係の人に聞くと、だいたいの方角は教えてくれたので、そちらに向うと大きな旅行カバンを持った人がたくさんいたので、ここに違いないと確信し、次にきたバスに乗りこむ時に、運転手にも確認をとった。

これで第一関門はクリアしたものの、乗継時間が40分しかないため、果たしてスムーズに乗り継げるかという問題は依然クリアできてない。ところがもっと深刻な問題が発生した。時ならぬ雨で出発が1時間半以上遅れて、予定便よりも後の運航次第では今日中にカラファテに着けない可能性もあることである。まあ最悪の場合は空港で一夜明かしても構わないし、 カラファテに着くのが1日遅れても何の問題もおきないのであるから、なるようにしかならないという気分である。空港には日本の若者グループもいたので、なにか情報でも持っているかと思って聞いてみたが、特にはないようである。

1時間ほどのフライトでロサリオ空港に着き、さてこれからどうなるかが一勝負である。だが、私のそんな気持ちとは裏腹に、通常の乗り継ぎと同様に進行していき、乗継便が遅延便を待って出発するというだけのことのようである。まあ考えてみれば、ロサリオからカラファテまで行く乗客のほとんどはブエノスアイレスからの乗継客であり、その乗客を乗せずに空に近い形で出発してしまうという方がありえないことなのだろう。今夜の宿には特に到着時間は伝えてないので、多少遅くなっても問題はないであろう。

空港から宿まではシャトルバスを利用した。タクシーと違い料金が固定されているので安心だ。ネットでは2人以上ならタクシーの方が安いと書いてあったが、ペアで乗っているカップルも多かったのは何故だろう。空港から10分ほどのドライブでカラファテの街に近づくが、シャトルは乗客全員の宿泊先に寄っていくが、中心部に宿を取った自分と違い、周辺部で降りる乗客が多く、自分が下車したのは最後から2番目となってしまい、結構時間がかかった。ただカラファテの街をドライブしていると思えば、それも悪くはなかった。

今夜の宿はやけに安いなと思ったら6人用のドミトリーであった。ただメンドーサで泊まったドミトリーと比べると清潔感はあり、ホールなどの施設も充実しているので連泊する気にはなった。ただ到着したのが遅く、まわりにはレストランもあまりないようだったので、ビールとつまみを買ってホールで食べて夕食代わりとしてしまった。こうして、憧れだタゴニア第一日の夜は無事に終わっていった。


2月9日


朝食を食べに行ったら、同年輩の日本人二人と一緒になった。一ヶ月くらいの予定で前半は陸路をのんびり、後半はクルーズでこれまたゆったりと過ごすそうだ。彼らからみたらハードスケジュールの私とは好対照である。とまれ、日本人と久しぶりにゆっくりと話ができたのはよかった。

このドミトリーにもう一泊しようかと思ったら満室で泊まれないということで、さきほどの日本人が聞いたらびっくりするかもしれないが、一気にエルチャルテンまで行き、さらにフィッツロイ方面のキャンプ場まで足を延ばすことにした。

朝食後にフロントに延泊を申し込んだところ、空きがないと言われる。さあ、どうする。ここで発想の一大転換をし、今回一番見たかったのはフィッツロイなんだから、この際、一気にエルチャルテンまで行ってしまい、フィッツロイ近くのキャンプ場まで今日のうちに行ってしまおうと思い立った。


早速、チェックアウトの手続きをし、手持ちが少なくなってきたペソを100ドル分だけ両替してバスターミナルに向かうが、宿でターミナルまでの経路をグーグルマップに徒歩モードで表示したものは、オフライン地図になると消えてしまって方向を見失ったので、細い道を無理矢理東に進んでいく。すると、たくさんの犬が出てきて吠えられてしまう。みな飼い犬で野犬ではないだろうが、こちらは放し飼いが多いようだ。出発前に狂犬病の予防注射をしていったからいいようなもの、そうでなかったら、ちょっと心配になるところであった。


途中、キャンプ場の横を通ったが、ここならばバスターミナルにも近く、中心部にもそう遠くはないので、エルチャルテンから戻ったら、ここにテントを張ろうと思った。


バスターミナルには10時半過ぎに着き、早速、切符を買うことにした。往復で買うと割引があるらしいが、帰りの予定は不透明なので片道だけ買う。11時の切符が買えたので大して待たずに乗ることができた。私の席がある二階は半分以下の乗客しか乗っていないがら空き状態だった。


バスはいよいよパタゴニアの荒涼たる平原を進んでいく。とうとうここまで来たんだなあという感を深くする。やがて、遠くの白く輝く峰々の右端に憧れのフィッツロイが見えてきた。今回の旅で一番見たかったシーンである。


wifiの使えるレストランに入って家にlineで連絡を入れる(と言っても日本は深夜だが)。牛肉のサンドイッチを食べてから出発の準備に入る。本当はもう少しボリュームのあるものを食べたかったけど、こんなものしかない店だった。


日本からはフリーズドライ食品を持ってきているが、それだけでは足りないのでスーパーで食料品を買い足す。日本のようにカップめんとかレトルト食品が売ってないので、買えるものには限りがある。


次にガスコンロの燃料カートリッジ(飛行機には積み込めないため持参せず)を買おうとして3軒目の登山用品店でようやく見つけるが、日本では見かけないメーカーのもので、持参したバーナーのノズルと互換性があるかどうかが不明である。また小型のカートリッジはなく中型しかないので、仮に互換性に問題がなくてもお湯を沸かすだけでは大半を余らすことになるうえ(飛行機には積み込めないため持ち帰れない)、値段が日本の倍近くするようなので、お買上にはならず地図だけを買うことにした。なおフリーズドライ食品は時間はかかるが、水だけでも食べられるので、まあなんとかはなる。


最近はGPSに頼り切りで地図の読図力が落ちているのか、最初は自分がどちらの方向に向かっているのかわからなかったが、やかてセロトーレ方面に進んでいることがわかった。最初はフィッツロイ方面に行くつもりだったが、時間的なことを考えると最初はセロトーレで正解だったようである。


出発が4時であったにもかかわらず、次から次へと上から人が下りてくる。9時頃まで明るいから不思議ではないのだが


だらだらした登り下りが続き、なかなか目的地に着かなかったが、8時過ぎにようやくセロトーレの展望台ともいえるキャンプ場に着いた。ここは無人のキャンプ場なので。当然料金はいらない。そのせいもあるのか数十張りのテントが張ってあった。さすがに私のようにストックを支柱代わりにしたテントはなかったが、雨さえ降らなければ、それほど居住性が悪いわけではない。ビールを飲んで食事を済ませれば何もやることもないので、明朝のセロトーレのモルゲンロート(ドイツ語で、山が朝日で染まること)を期待して寝るだけである。


2月10日


期待どおりの快晴でセロトーレのモルゲンロートがバッチリ撮影できた。撮影後はすぐに出発してもよいのだが、今日の行程は短いので外が暖かくなるまで待ってから行動を開始する。最初は昨日来た道を行くつもりだったが、ちょっと北の方に行き過ぎたことに気がついたので、北回りの道経由で引き返すことにした。


本来の北回りの道は湖の畔を通って行くのだが、そのためにはちょっとした丘を越えて行かなければならないので、ショートカットして直進したのだが、あまり良い道ではなく果たして短縮できたのかどうかは不明である。ともかく湖の方から続くと思われる道とは合流でき、しばらく進むと前日の道とも合流できた。


前日の道はセロトーレに向かう人で朝早くから大賑わいであった。ところが、途中でフィッツロイのビューポイントに進む道に進路を変えると途端に人の数が少なくなった。セロトーレとフィッツロイのビューポイントは別々に行く人が多く、2つを繋ぐ人は少ないからだろう。だが、この道は前半は草原、後半は湖と絶景を辿る素晴らしい道であった。


4時前にはフィッツロイのビューポイントであるキャンプ場に着いた。前日歩き始めた時間よりも早く、まだ太陽は高かったが、これ以上進む所もないので、早めの夕食をとった(と言っても水で戻したパスタだけだが)。当地でも350mlのビール瓶があれば今夜の分も持ってきたのであるが、さすがに500ml2缶は重かったので今夜は久々の休肝日となってしまった。やることもないので明日もモルゲンロートが見られることを期待して早めに寝ることにした。


2月11日


夜半から強風が吹き荒れていて心配した通り、朝方は小雨が降っていて手前の山は見えるが、フィッツロイは全く見えない。出発の準備をして早々に下山する。天気が良ければモルゲンロートを見に来る人で賑わうのだろうが、今朝はそれほどでもないので、煩わしさが少なくて助かる。それでも天気が回復傾向にあるためか、下るにつれて登ってくる人が増えてくる。


ましょうゆっくり下っても四時間ほどで街に下りられる。途中で菓子を食べたため、腹は空いてなかったので、初日にも入った喫茶店でビールを飲んで休肝日を打ち切る。その後、予約してあるドミトリーに荷物を置いてからターミナルに行き、明日のカラファテ行きの切符を買う。一日3便あるとのことなので、一番早い8時の便にする。


その後、ドミトリーに戻ると、4人の定員のところ、カップル二人が同部屋で二人でいちゃいちゃしているのにはまいった。早々に街に出て、ぶらついたりして、ほどよい時間になったので、レストランに入り、ハーフサイズのピザと赤ワインのグラスを注文する。ベエノスアイレスを出てから、初めてまともな食事をした気がする。明日は麓からもフィッツロイのモルゲンロートが見られることを期待して、今夜はNHKプラスでも見ながら夜をすごそう(と思ったが、ネットの電波状態が悪くみられなかった)


2月12日


暗いうちから起き出して通りに出て、フィッツロイのモルゲンロートを待つ。東の空が明るくなってくるとともにフィッツロイにも赤みが差してきたが、その後に東の空に雲がかかってきたため、フィッツロイの赤みも消えて今日はこれまてと思って帰りかけたが、せっかくだからもう少し粘ろうと思い直したところ、フィッツロイに再び赤みが戻り、先ほどよりもモルゲンロートらしくなってきて、写真もほぼ満足できるものが撮れたので宿に戻る。


荷物をまとめてバスターミナルに向かう。カラファテ行きのバスはほぼ満員に近かったが、2階の後部座席だけは空席となっていたので、ゆったりと座れてラッキーだった。足かけ4日間の滞在であったエルチャルテンにもお別れである。車窓から遠ざかっていくフィッツロイに別れを告げてカラファテに向かった。


カラファテのターミナルではまず、明後日に向かうチリのプエルトナタレス行きの切符を買い、次に翌日のモレノ氷河への往復切符を買う。ターミナルからカラファテ初日にも泊まったドミトリーまでは30分強の歩きであるが、今回は街に下っていくのでよいのだが、ターミナルに向かう時は坂道を登っていくので少々きつい。後、登り二回、下り一回はしなくていけないことになる。なお当初はカラファテでキャンプするつもりだったが、ドミトリーな空きがあったので予定を変更した。


ドミトリーの近くにガイドブックおすすめのレストランがあるとのことで探して見たが見当たらなかった。ガイドブックはコロナ流行直前にパタゴニアに行こうと思って買ったものの、コロナ流行で今回まで出発が延びたものだが、日本でも流行中に多くの飲食店が廃業を余儀なくされたように、その店も廃業してしまったのかもしれない。


しょうがないので、店の前に写真が張りだしてある所があり、その中にスパゲッティ風のものがあったので、それに誘われて中に入りメニューを見たら、その料理が見つからない。しょうがないので、パスタの中から適当に選んだら、今回もまたスパゲッティを食べ損ねてしまった。


食後にホテルに行きチェックインをしていると、声をかけられたので振り返ると、私と同年輩の日本人男性でひと月ほど前から南米を放浪しているそうた。しばらく話をした後、夕食を一緒にすることを約束して別れて部屋に戻った。


8時過ぎに日本人男性と再び落ち合って夕食に出かける。昼食べた所と同じ店に行き、ビフテキ風の料理を食べる。こんなにボリュームのある料理は久しぶりである。海外旅行談義は食後も続き、エンドレスになりかねなかったが、明日のこともあるので10時前には店を後にする。宿に戻る途中、音楽が聞こえてきたので寄り道をすると、民族舞踊をやっていたので、しばらく観てから宿に戻った。



2月13日


昨日、会った日本人男性とは朝食会場でまた会いましょうと言ったものの、食後もしばらく待ったが姿を現さずバス発車時間も迫ってきたので挨拶もせずに別れることとなった。旅の出会いと別れは常にあるものなんだけど


バスターミナルまで歩いてモレノ氷河行きのバスに乗る。1時間近く走った所で止まり、入場料約二千円を現金で支払う。そこから少し進んだ所でバスは停まり、連絡バスに乗り換えて展望台の上に着く。


展望台からは遊歩道が下っており氷河の全容が眺められる。氷河の上には薄いながらも虹もかかっており、絶景ムードを高めている。最初は氷河の末端の崩壊は頻繁にあるのかと思ったら、1時間近く近く待っても全く崩壊はなく、時折、崩壊らしき音は聞こえても、遊歩道からは見えない裏側の方ばかりであった。七千円ほどでボートに乗って下から氷河を眺めるオプションもあったが、氷河に近づき過ぎると崩壊した時に被害受ける恐れがあるためか、氷河から随分と遠い所までしか行かず、これなら遊歩道から見るのと大差ないように思われた。また氷河歩きのオプションもあるらしいが、いやというほど氷河は歩いているので、今更というものであった。


帰りのバス発車まで四時間ほどの滞在時間があるが、2時間もしないうちに

飽きてしまい、休憩所で休んで時間を潰すことになった。展望台にはレストランというほどではないが、軽食程度は出す所と売店はあったが、山の食料の残りがあり、翌日の国境越えに際しては、チリ側の検査が厳しく食料品は没収される可能性が高いので、極力残りものを消費するようにしたため、なにも買うことがなかった。


最後にまだ30分ほど時間があったので、先程は通ってなかった下側の遊歩道から氷河への接近をしてみた。こちらの方から崩壊の音が聞こえた気がしたのだが、特に崩壊の跡はみられなかったので、先ほどの崩壊の音は別の所でしたのだろう。先端近くまで行ってしばらく滞在してみたが、結経、崩壊は見ることはできなかったので、諦めてバス停に戻る。するとバス停の手前で昨日の日本人男性とバッタリ会う。午後のバスで来たようだが、バスの出発時間が迫っていたので、挨拶だけして別れる。でも最後に挨拶だけでもできてよかった。


これでアルゼンチン・パタゴニアの行程は全て終わり、次はチリ・パタゴニアとなるため、明日はバスで国境を越えてチリに入る予定である。



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2024年2月 8日 (木)

ブエノスアイレス

2月4日

帰りのバスも次第に混んできて隣の席には又もや若い女性が座り、夕方にその女性が降りると入れ替わりに別の若い女性が座って翌朝まで隣合わせだった。日本ではまずないことだが、言葉が通じないのは残念なことである。おそらく私はトイレに行きやすい前方の通路側に座席を取るのに対して、女性は防犯上前方の席を希望し、たまたま空いている窓側を希望してそうなったものと考えられるのである。


2月5日

まずまず眠れて翌朝ほぼ定刻どおりの9時過ぎにブエノスアイレスのバスターミナルに着く。そこからホテルに向かうために地下鉄に乗り換えるのだが、日本のように地下鉄乗換の表示はない。Googleマップで見当をつけて、大きい荷物はターミナルにおいたまま偵察に行く。盗まれはしないかという心配もないわけではないが、仮に持っていかれても今後の行動に著しい支障はないし、むしろ身軽になって行動が楽になるくらいの気分である。しばらく進んで、このまま行けば地下鉄まで行けることを確信してターミナルに戻ると荷物は「残念ながら」無事であった。

地下鉄や近郊バスは現金では乗れず交通カードが必要になるので、まずは交通カードを買って一定額をチャージするシステムである。アルゼンチンの地下鉄は日本最古の地下鉄である銀座線が開業する時にモデルにしたと言われるほどの古い地下鉄である。もっともアルゼンチンではブエノスアイレス以外では、まだ地下鉄はないそうである。なお、アルゼンチンでは車は右側通行だが、地下鉄はどういうわけか左側通行である(路線バスも専用レーンでは左側通行のの所があった)。

最寄り駅で降りてホテルに向かうが、グーグルマップに保存しておいた場所を間違っていたらしく、該当するホテルが見当たらない。予約確認のメール自体はダウンロードしてあったのだが、そこから所在地に辿り着くにはネット環境がないとどうにもならない。たまたま通りかかった喫茶店にWiFiのマークがあったので中に入り、インターネットにアクセスして正しい所在地を確認する。だいぶ行き過ぎてしまったようなので、正しい所在地と思われる地点まで戻る。

ところが、正しい所在地と思われる地点まで戻っても、ホテルの看板は見当たらない。その付近で人が入れそうなのは肉屋だけだったので、出てきた客に聞いてみるがホテルのことはわからないようである。あたりをウロウロしていると肉屋の隣がどうも怪しい。建物の外観がグーグルマップの写真とも一致する。間違いないと確信してブザーを押す。ホテルの人が出て来てチェックインがようやくできた。

一休みしてから早速、昼飯に出かける。ホテルの近くに和食屋があるのだ。日本円で三千円弱とちょっと高めだが、幕の内を注文する。おかずは刺し身と天ぷらに焼き魚と大和煮で、これにご飯と味噌汁が付いている。天ぷらは今ひとつだったが、あとはまあまあであった。カツ丼とか寿司もあったので、今度はそちらを食べてみよう。

夕方に明日出かけるウルガイへ出港する港まで予行演習で行ってみる。こちらも、予約したホテルが偶然最短距離のホテルであった。切符を買うのに随分と時間がかかったので、今日のうちに買っておいてよかった。ところが、帰ってからネットで見ると、私が払った往復のフェリー料金よりも安い料金の日帰りツアーの募集があってショックだった。多分早売りの切符を使っているもので、安い料金分は売り切れとなっているのかもしれない。いや間違いない、そうに違いないと思うことにしよう。


2月6日

前夜は早く寝たので5時前に目が覚め6時過ぎにホテルを出る。前日に下見してあるので港まで迷うことはなかったが、一本道ではないので初めてだと苦労したかもしれない。切符を買った時に7時までに来るように言われてギリギリで間に合ったが、チェックイン受付の前は長蛇の列である。もしかしたら7時からチェックインが始まったのかもしれない。切符売り場はまだ無人となっていて、前日に切符を買っていなかったらどうなったのだろうか?

フェリーで1時間ほどの距離だが、一応国境越えにはなるのでイミグレでの手続きが必要になる。ユーロ圏内は別として、空路以外の国境越えはそれなりにたいへんなものだが、今回は極めて簡単だ。アルゼンチンの出国窓口の後側にウルグァイの入国窓口があり、いずれもフリーパス同然である。船室内は8割方が埋まっている状態であり、まだ空席はあるようなのでギリギリに来ても乗船できたのかもしれない(ヒヤヒヤするかもしれないが)


ウルグァイのコロニアに着いても予備知識がないので、他の乗客の後を着いて行く。ツアー客はガイドの説明のたびに立ち止まって聞いているが、聞いてもなんのことかわからないので先に進む。岬の先端の方に灯台が見えてきたので、ネットの情報では登れるように書いてあったが、違う灯台があるのか知らないが、この灯台は登れないようだし誰も登ってなかった。

セントロの方に出ると古い街並みがあったので、ここが世界遺産なのだろうとは思うが、ポルトガルとスペインの両方の統治の特徴が見られるという所は全くわからなかった(猫に小判である)。坂を登っていくと、観光客向けのレストラン街となる。そのうちの一軒で食事をしたが、ウルグァイの通貨を両替しなかったので、クレジットカードの使える店を探しだすのに結構たいへんだった(アルゼンチンペソやUSドルも大概の店では使えるらしいが)。

港に戻っても予約してある最終便までは7時間もあるので、出港の早いフェリーに変更できないか窓口で聞いてみたがダメだと言われる。港の待合室でもネットに繋がるし、ホテルで休んでも待合室で休んでも同じようなものなので仕方ないか。ここで考えが変わって午前中には行かなかったセントロから北の海岸線を歩いてみると、なにか新しい発見があるのではと考え出かけてみることにした。

結局、格別目新しい発見があったわけではないが、静かな海岸線を散歩するのは気持ちよかったし、行きに海岸線にある食堂が出している縁台でビールを飲んでいる人が羨ましかったので、帰りにアルゼンチンペソが使えるかと聞いて使えるとの返事だったのでビールを注文してしまったが、至福の時間であった。

セントロに戻った時点ではまだ食慾がなかったので、港で食べようと思ってスーパーで飲食物を買うことにした、入口にはVISAのマークが表示されているのに、何らかの理由でキャッシュでしか払えないという。咄嗟にアルゼンチンペソで払えるかと聞いてしまい、払えるという返事だったので払ってしまった。だが、さきほどのビールと言い明らかに割高な値段である。そういえば、ネットの情報では、定期的にアルゼンチンからウルグァイに渡って為替で儲けているという投稿を見たことがある。詳細は不明であるが、どうも両国の為替関係はいびつで、そのことが、ウルグァイ国内でアルゼンチン通貨を不当に低く評価することに繋がっていらのかもしれない。まあ一回きりのことだからいいんだけど・・・

港に戻る直前にまさに風雲急を告げるという空模様となり、港の建物に辿り着く前に土砂降りに会うのは避けられないかと思ったがなんとか無事に帰り着いてヤレヤレと思ったら、風もやんで天気もそれ以上悪くてなることはなかった。一体あの風は何だったんだろう。

港まで着ければ後は時間さへたてばフェリーで帰れるはずだ。だが、そうは問屋が卸さない。イミグレの手続きが終わり、待合室でしばらく待ったあとに乗客が動き出したので、それに付いていき乗船手前の所まできたが、そこで搭乗券のチェックをしている。行きの時は、そんなことはしてなかったのになあと思い券を見せると、乗船を制止されなんとかかんとか言われて向こうに行けと言われる。一瞬、なにか必要な手続きをしてなかったのかなあと思いながら、言われた方向に向かうと別の列があり、その先には私が乗船予定のフェリーの船名が書いてある船体が見える。同じ時間帯に二隻が出航するという紛らわしいことをしていたのだ。そういえば、行列に並ぶ時に最後尾から並ばず途中から並ぶというズルをしたが、最後尾に並んでいれば行き先のチェックを受けたのかもしれない。とまれ、これで予定通りにブエノスアイレスくらうに戻れることになって、まずは一件落着である。


2月7日

今日は翌日のパタゴニア行きを前にして確認しておきたいことがあるので空港に行くことにした。地下鉄で行けるのかと思ってたら、バスに乗り換えないことがわかり、面倒なのでタクシーで行くことにした。今までタクシーには良心的な運転手にばかりあたっており、今回は街なかの流しのタクシーでありメーターもつけていたのでぼられることもあるまいと、事前の料金交渉なしに乗ってしまった。

さほど時間がたたないうちに空港に着いたが、請求金額を見て飛び上がりそうになった。なんと7千円以上である。先日、空港を越えた先にあるターミナルまで倍以上の距離があるにもかかわらず四千円くらいで行ったにもかかわらずである。そのことも翻訳アプリで表示してみせ、四千円を渡してこれ以上、払わないという態度を示した。一方、運転手もノーノーといって負けない姿勢である。5分くらい膠着状態が続いたが、私がもう千円払うということを提案してようやく決着した。

本題の空港での用件とは、明日のパタゴニア方面のフライトは途中の乗継空港での乗継時間が40分しかないが、もし乗継空港で自分で預け荷物の積み替えをするとなるととても間に合わないので、機内持込み(8kg)だけで済むように計画を組み直さなければならないからである。係員に確認したところでは、積み替えは会社の方だけでやるということでひと安心したが、まだ完全に安心できないので預け荷物が届かないことも想定した計画で臨むことにした。

帰りはまたタクシーに乗ることは考えられないので、バスで帰ることにした。バス停は空港からは少し離れた所にあり、グーグルマップでの表示よりも空港寄りであった。行きのタクシーよりも恐らく100分の1ほどの料金で帰ることができた。ホテルに帰る途中で先日の和食店でカツ丼を食べる。少し味が濃かったが、まあ美味かった。

ホテルに戻ってひと眠りしてから、明日からのパタゴニア行きに必要な物品を買いに商店街に行き、帰りにまた同じ和食店で今度はラーメンを食べる。明日から一ヶ月くらいは現地食しか食べられなので、いわば食いだめである。

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2024年2月 4日 (日)

イグアスの滝

1月31日

私一人だけ乗車して出発したと思ったら、すぐ近くのターミナルから次々と乗客が乗り込んできて、ほぼ満席となった。私の隣は若い女性だったが、もちろん言葉が通じないのでお近づきにはなれなかった。今日は二階席なので前方の展望が良く効いて退屈しのぎにはなった。昨日と比べると途中に大した町はないのか途中停車することもほとんどなく、夜9時を回った頃にようやく飲食物が買えそうな所で停車したので車外に出てみた。きっと昨日のように30分くらいは停車するのだろうと思って発車時間を確認しようと思っていたら、5分程度しか経っていないのに、もう車内に戻るように促されて飲食物を買いそこねてしまった。20時間近くの乗車時間があるのだから、10分20分停車時間が伸びたからといって大勢に影響はないだろうにと思われるのに、一体何を考えているのだろう(実際、翌朝の終点前のターミナルでは時間調整の停車を長時間していたというのに).。もっとも私は昼にしっかり食べてきたので、夜は抜いても支障は感じなかった。こちらに来て以来、タンパク質は肉ばかり食べているが、イグアスの滝近くでは川魚が食べられるそうなので、明日はそれを期待して今夜の夕食は我慢することとしよう。

2月1日

(ほぼ定刻どおりの9時半にイグアスのバスターミナルに到着。昨日の昼から何も食べてないが、その割には腹は減ってない。ホテルに直行してもすぐにはチェックインできないだろうからターミナルで食事をしながら情報収集でもして時間を潰すことにする。

ホテルの場所がわからなかったので、遠かったらタクシーをぼられても仕方ないと思っていたが、至近距離で日本円で六百円程度であった。ホテルは古いけれども清潔でお湯も出るし、ネットも弱いながらも通じていて朝食付きで六千円以下と安いので、宿泊を3泊に延長することにした。

今日中に滝に行くつもりだったが、オフライン地図をダウンロードし忘れたので道に迷ってしまい、イグアスの町を右往左往するだけで1日が終わってしまった。


2月2日

今日はいよいよハイライトのアルゼンチン側の滝見物である。まずは公園入口にまで路線バスで移動するが、ツアーバスもあるので、間違ってそちらに乗ろうとして係員に制止される。公園に着いてチケットを買って入ると、奥まで行くには鉄道と徒歩に分かれる。鉄道にも興味が湧いたが、実物を見てみると遊園地の汽車のようなものだったので、歩いていくことにした。

ひとつひとつの滝のスケールはナイアガラに劣るが、屏風のように続く滝の落口近くを次々と渡っていく遊歩道を進んでいくのはイグアスの滝ならではのものである。悪魔ののど笛とあわれるあたりで滝の列は終わり、引き返すことになる。昨日も道に迷いさへしなければ時間的には十分行ってこれたと思うが、そうなると1日が丸々余ってしまうので、日程的にはよかったかもしれない。


2月3日散

今日はブラジル側の滝を目指したが、トラブル続きであった。まずは昨日と同じ場所に切符を買いに行ったが、ブラジル行きと書いてあるにもかかわらず、ここじゃないと言われる。やむをえずバス乗場の前にある切符売り場の方に行くと、フォㇲ・デ・イグアス行きと言っているにもかかわらず、何という都市かと何度も聞かれる。押し問答を繰り返してなんとか切符は買えたが、その切符を持ってフォㇲ・デ・イグアス行きと書かれたバスに乗り込もうとすると係員に阻止される。何でと思いながらも次のバスを待っていると、30分後に隣の番線に入ってきたバスに乗れることになり、一件落着かと思った。

アルゼンチンの出国手続きは問題なく終わり、再びバスに乗って国境の橋を渡りブラジルの入国手続きとなる。手続き自体は問題なく終わったが、戻ってみるとバスが見当たらない。なんてこった。私一人かと思ったら、取り残された外国人が何人もバス停で待っている。次に来たバスに乗ろうとしたら、待っている外国人からそれはパラグアイ行きだからだめたと言われ、だいぶ経ってからきたバスに乗ろうとしたら、それはブラジル側の滝べ直行するバスだから、私の切符では乗れないと言われる。当初の予定ではブラジル側の滝の後にパラグアイまで足を延ばすつもりだったので、滝への直通切符は買わなかったのだが、私の場合は最初に来たパラグアイ行きに乗ればよかったように思われる。地球の歩き方にはアルゼンチン側からブラジル側の滝への直通バスがあるようには書いてなかったので、事情が飲み込めなかったのである。

しばらくして来たバスに外人は乗り込んで一難去ってと、その時は思ったのだが、終点に着いて外人の後を着いていこうと思ったら、外人が二手に別れてしまったのである。どちらについきていこうか迷っているうちに、どちらも見失ってしまった。しょうがないから腹ごしらえをしようとグーグルマップで検索すると、近くに中華料理店を見つけたので喜んで出かけた。店内に入って、まずはカードが使えるか聞いてみると使えないらしい。 次にアルゼンチンペソが使えるか聞いてみると、これもだめらしい。国境近くの街だから隣の国の通貨くらい使えるだろうと思ったのだが、考えが甘かった。、弱ったなと思ったらUSドルなら使えという。10ドル札は持っていたのでなんとか食事にありつけることができた。半月ぶりの東洋食で満足した。

食事しながら考えたのは、運よく滝行きのバス停を見つけたとしても、ブラジル通貨を持っていないと切符を買えない可能性が高いことである(アルゼンチン側から直通切符を買っていれば別だが)。今回はいろいろとトラブルが多かったので、こういうときは無理をすると碌なことはないと考え、ブラジルの街歩きをできたことと中華料理を食べられたことを成果として大人しく引き下がることにした。

そうは言っても、まずはアルゼンチン側に戻るバス停を見つけなければならない。バスターミナルの中をあちこち捜しても、それらしい行き先表示が見当たらない。係員らしい人がいたので聞いてみると、このターミナルの向こうだという。それで行ってみると、たしかにインターれナショナル云々と書いてあるので、しばらく待っているとアルゼンチン行きのバスがやってきた。今回もブラジルイミグレの所では、乗ってきたバスが待ってくれないというハプニングがあったが、朝のことがあったので、さほど慌てることはなかった、

バスはターミナルまで行くのかと思ったら、中心街で打ち切りとなってしまったので、柄にもなくウィンドウショッピングの真似をしながら宿の方に向かった。これでイグアスの旅もおわりである。明日はブエノスアイレスまでの20時間の長いバス旅がまた始まる。

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メンドーサからブエノスアイレスまでの移動

1月30日


今日から明日にかけてはメンドーサからブエノスアイレスまでの長いバス旅である。メンドーサ州はアコンカグアも含むはずなので、随分と長く滞在したことになるが、とうとう離れることになった。


当初はアコンカグアが終わってから、まずはブエノスアイレスに移動し、その後にパタゴニア方面に行くつもりだったが、早めに下山してしまって日程が余ってしまったので、イグアスの滝見物を前倒しすることにした。そのため、以前に予約していたメンドーサからブエノスアイレスまでのフライトが日程変更可能となっていたので変更しようとしたら、手数料が当初支払った金額の倍以上かかることがわかり、この先予定しているアメリカ横断やチリ・ボリビア縦断バス旅行の予行演習を兼ねてバスを利用することにした。


バスターミナルがホテルから比較的近く、出発時間も午後からと遅かったので、チェックアウトを済ませてからも比較的余裕を持ってバスターミナルに向かうことにした。ただ日本のようにターミナル内に案内表示がたくさんあるわけではないので、目的のバスがどこから出発するのか、わかりにくかった。そこで、係の人に予約したスマホ画面を見せて紙に書いてもらって出発ゲートを知ることができた。


また予約画面の下の方を読むと、預け荷物は1つのみと書いてあることに気づいたので、2つの荷物を結束バンドで繋いで無理矢理1つにして預けることにした。飛行機だったら、機内に運ぶ途中で分解しかねないが、バスはその場で積み込むので、その心配はない。ただ係の人に荷物を預けた時にスペイン語で何か言われてわからなかったが、受付シールを貼る必要があるのだろうと思い、スマホを出したら裏にシールを貼って荷物を車内に運んでくれた。また車内に乗り込む時にも係の人に何か言われて、多分座席のことだろうと思って紙に書いてもらったものを車内に入ってからタブレットの翻訳アプリで読んでみると、「シートNO?」とある。たしかに予約時に座席は指定したはずだが、車内はがら空きだったので、どこに座ってもいいよということらしいのであった。


しばらくして運転手二人が乗り込みドアは閉まって、約18時間にも及ぶブエノスアイレスまでの長距離バス旅行が始まる。エアコンは効いていてトイレも完備し(飛行機と比べてドアの開閉やカキの閉め方が分かり難いが)、がら空きの車内はリモコンを倒せばホテルのようなものだが、残念なのはwifiが通じてないこととバッテリーチャージができないことであった。ただ今回のように山と兼ねた旅行の場合はモバイルバッテリーをたくさん持参してきているし、ネットに繋がらないのは山でも慣れているので、それほど苦にはならない。また車内灯のつけ方もよくわからなかったが、ヘッドランブと予備バッテリーもあるので、持参してきているグレイトジャーニーを読み直していれば退屈することもない。ただトイレが完備している代わりにトイレ休憩を利用して飲食物を買ったりすることは難しく、事前に準備しておかなければならないようだ。この先、夕食がどうなるかが差し当たり心配ではあるが


途中、数時間おきにターミナルで停まるが、その時に飲食物を買いに行けるかどうかが問題である。各ターミナルでは10分ほどは停車しているようなので、ダッシュすれば軽食程度は買えそうだが、日本のように人数確認はしていないので、乗り過ごしたらそれまでである。


実際に次のターミナルで試してみたが、その時は5分くらいしか停車せず、私がバスに戻るや否やドアが閉まって発車し、危ないところであった。もっとも運転手席からは売店が見えていて、私が戻ったのを確認して発車したのかもしれないが・・・。ネパールの長距離バスには何度も乗ったが、その際は食事時間中は30分近くは停車していたので、乗客はほとんど下車して食事していた記憶がある(もっともその際も置いていかれるのではないかとハラハラしながら食事をしていたが)。こちらの人はヨーロッパの影響でやはり肉食人種で食いだめができるため、一食くらい抜いても平気なのだろうか


と思ったら、次のターミナルでは乗務員は二人ともバスを降りてしまい、乗客もほぼ全員パスを降りて売店に向かったので、私もまた買い物に出かけた。売店は今までのターミナルよりも商品の数が多くていろいろ買えたし、なによりも近くの席のおばさんがレジで私の後ろに並んでいたので、安心して買い物ができた。もっとも、売店では軽食も注文てきたようだが、さすがにそこまでする余裕はなかった。


快適なリクライニングシートのおかげですぐに眠りに入る。夜中に1回トイレに行った以外は熟睡できた。五時過ぎに目が覚め、終点のブエノスアイレス到着まではまだ2時間ちょっとあって一眠りできる時間ではあるが、そろそろ東の空が白じんでくる時間であり、東に向かって行く旅のハイライトでもあるので、起きていることにした。


やがてバスはブエノスアイレスのバスターミナルに到着する。メンドーサよりもだいぶ大きなターミナルで店の数も多い。昨日からずっとサンドイッチか菓子しか食べてなかったが、ようやく多少はましなものが食べられた。と言ってもハムとチーズをクロワッサンで挟んだシンプルなものだが。ここは中心街からはさほど遠くはないようだが、まわりにお店はないようなので、ターミナル内で六時間ほどイグアス行きのバスを待つほかはない。南米のパリと言われるブエノスアイレスはイグアスの帰りに数日は滞在する予定なので、その時に観光すればよいだろう。


実はブエノスアイレスの到着ターミナルと出発ターミナルは異なっていることは前から認識していたのだが、乗り継ぎに六時間以上あることから、のんびりとブログを書いたり、本を読んだてのんびりとしていた。しかし、ターミナルは早めに移動しておいた方がいいだろうと考え直して、係の人に聞くと、どうもタクシーで行かなければ行けない距離らしいので、ターミナルの出口に停まっているタクシーを掴まえる。目的地を告げて料金を聞くと、二万五千ベソだと言う。高いのか安いのがわからなかったが、お得意のムーチョカーロ(とても高いと言うこと)と言うと、二万ペソ(四千円弱)に下げてくれた。実際は1時間以上かかったので、決してぼられたわけではないと思う。


途中、ガス欠となってスタンドで降ろされた時は、ここで打ち切りになるのか、ガソリン代を払わされるのではと思ったが、そのようなこともなく無事目的地に着く。先ほどのターミナルに比べて建物は新しいが、内部はほとんど人がおらず閑散としている。本当にここで良いのが心配になってきたご、入口の案内で予約票を見せて確認すると間違いないようなので一安心する。きっと先ほどのターミナルは海にも近く、ブラジルやパラグアイとの行き交いに利用する人も多いが、こちらは少し内陸にあるため、奥地との行き来はそう多くはないからなのだろう。イグアスの滝は南米随一の観光名所ではあるが、観光客はほとんど飛行機で往復するであろうし、20時間近くかけてバスに揺られていく人はいないからだろうか。そうこうするうちにバスが来たら、なんと乗客は私一人で発車することになった。前回以上の珍道中になるのだろうか。

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2024年1月21日 (日)

メンドーサの休日

こ初日のホテルは街の外れで買い物等に不便だったので、中心街の方へ移ることにする。ダウンタウンの方へ歩いて行くと、さすがに真夏だけあって標高が800メートルほどの高地であるにもかかわらず、さすがに真夏だけの朝だというのに暑く感じる。といっても、日本の真夏よりははるかにすごしやすいが。


カードの使えるカフェテラスで朝食をとってから、両替できるところをさがしに行く。少し先にあった銀行で両替しようと思ったら、ここではできないといわれる。両替できる場所を教えてもらって、そちらに歩きかけたが、よく調べると今日の泊場の近くなので、荷物を泊場のドミトリーに置いてから両替に行くことにした。ところが、ドミトリーの場所がどうしてもわからない。予約確定時のメールにあった略図で病院の裏手にあることは間違いないのだが、どの建物にもなんの表示がないので、どの建物が目的地なのかがわからない。ところが、向こうからバックパッカーらしき人がくるので、聞いてみると、すぐそこだと言う(実際は色々な説明をしていたようだが、よくわからなかった)。そこで、メールにあった住所も頼りに捜すとなんとかたどり着くことができた。


8人部屋に案内されて荷物を整理してから、再度両替屋の場所を確認して出かける。両替所の近辺まで来ると、両替に来たのかと大勢の人に聞かれる。多分、よからぬ事をたくらんでいる人に違いないと無視を決め込む。目標の両替屋には着いたが、1軒しかなく長い行列ができている。日本の両替屋と違い、一人当たりの処理に時間をかけている。しかも、窓口での対応が終わると別室に連れて行かれて、なかなか帰ってこない。もしかしたらサラ金も兼ねているのかもしれない。私の場合は別室に連れて行かれることはなかったが、150ドルを渡したら172と書かれた計算書が出てきて、なんだかわからないが50ドルを追加でだすと、分厚い札束を渡された。そのせいでお大尽にでもなった気分となり、近くのカフェテラスで昨日のビールお預けの仇を取って、料理もたらふく食べることになった。


食事を済ませてからは、アコンカグア登山を運営している会社を訪問して費用の支払と情報入手を行うことにした。場所は住所から探しあてたが、入っている建物の1階のカギがかかっていて中に入れない。そこで電話してカギを開けてもらって、会社の階まで行って無事用件を済ませてきた。


これで今日終えたのでの用件はひととお終えたので宿に戻ってのんびりするつもりだったのだが、ベッドに横になってウトウトしていると、足の前方がつった状態になって痛み出した。しばらくして痛みは治まるが、しばらくして両方の足の前部がつってしまう。やはりしばらくすると元に戻るが、エコノミー症候群かなとも思ったが、その後は再発はしないので、エコノミー症候群とも違うようである。症状的には昔アメリカ大陸を自転車で横断した時に、毎晩睡眠時に足の前部がつってしまった時と症状は同じである。今回は疲労があったわけではないが、足が自由に動かせなかったことによるダメージのためだろう。いずれにしても、アコンカグア登山を前にして幸先の悪い事である。


翌日は日程の余裕があるので、チリとの国境に近いアツコンカグアの展望台までいくツアー申し込んであったので、暗いうちから宿を出る。このつあはホテルまでの送迎つきなのだが、さすがにドミトリーまでの送迎はしてくれないだろうと思って初日に泊まったほてるを送迎場所として連絡しておいたが、かなり距離があるので、このくらい早くから出発しないといけないのである。


初日のホテル前にはピックアップ時間の5分前に着きバスを待つが、一向にバスは現れない。30分ちょっと経過して、諦めて帰ろうとした矢先にツアーバスが現れてビックアップしてくれる。危ないところであった。


車内はほぼ満席だったが、最後尾の四人席が空いてたので、そこを独り占めかと思ったら、最後に乗り込んできた男女のペアか私の横に座りこんできた。乗客は私以外は全員アルゼンチンのようで、ガイドがスペイン語でまくし立てるが、ムーチョ(英語のvery)以外は一語もわからないが、ちょうど良い子守唄にはなる。


途中の見所には必ずといっていいように立ち寄るのは、土産物屋に誘導するとともに高所順化も兼ねているのだろう。アコンカグアが正面に見える所でも小休止したが、本番ではこの谷を詰めて行くのだろう。さらに進むと国境越えする舗装路と別れて、展望台に向かう未舗装路の急坂を登って行く。つづら折りの道は運転を誤れば谷底に真っ逆さまだが、道が広いので特に怖さは感じない。やがて、ちょっとした広場に着くとクリスト像が建っており、ツアーのゴールのようである。


クリスト像の少し上まで登って高度を測ると3850メートルであった。低酸素室で6000メートルの酸素濃度を経験している自分にとっては、富士山程度の高度に達したからといって特に意味はないのだが、まあ暇潰しと時差ボケ解消のための日程消化としておこう(ルートも途中までは本番と同じなのだが)。


帰りは少し降りた所にあるレストランでバイキング料理を食べてからメンドーサ市内に戻る。アルゼンチンワインの一大産地であるメンドーサではワインとパスタを食す。日本ではワインなどほとんど飲んだことがなく、ワインについて語る資格は全くないかわ、これから山に入るとワインを飲む機会もなくなるだろうから、メンドーサ滞在中にしっかりとワインを味わっておこう。


ドミトリー最終日は登山エージェントが予約しているホテルに移動してガイドと登山の打合せをするだけだが、時間が余るので今後のスケジュールを再検討することにした。まずはアコンカグア登山を終えてメンドーサに戻った翌日のブエノスアイレスまでのフライトを予約した。次に南米最南端のウシュアイアまでのフライトを予約しようとしたら、空席があまりないか、あってもすごく高い便しかないのに驚く。ここでピーンときたのは春節の時期に当たっており、中国人旅行者が大挙して押し寄せているに違いないということである。この分ではホテルの空室も多分見込めないだろうから、予定を変更してまずはパタゴニアに行き、春節が終わってからウシュアイアに行くことにした。今回の旅行の最大目標はパタゴニアなのだから、パタゴニアに先に行くことの方が自然だろうと思える。

ドミトリーとエージェント予約のホテルとは歩くと小一時間はかかるようなので、一般的にはタクシーで行くのだろうが、ホテルならばともかくドミトリーではタクシーを捕まえるのも大変だし、メンドーサでは流しのタクシーもほとんど見かけない。路線バスはたくさん走ってるし、グーグルマップで路線番号もわかるのだが、こちらのバス料金は現金払いではなくプリペイドカード払いということのようで、カードの売り場もわからないし、いくらチャージしたらよいかもわからないので旅行者にとってはハードルが高く思える。そこでやむを得ず歩いていくことにしたが、大きな荷物を携えてやってきたのでホテルの従業員も呆れていたかもしれない。

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2024年1月19日 (金)

南米大旅行がいよいよ始まる

南米までの直行便はほとんどないのて、南米へのアプローチは北米乗換が一般的だが、今回はパリ乗換となる。ウクライナ戦争に対する経済制裁への報復で、西側の飛行機はシベリア上空の飛行ができなくなったので、ベーリング海峡から北極圏を通ってヨーロッパに向かうことになる。そのため、一度日付変更線を跨いで前日に戻ってから、北極圏の経度間隔が狭い所を東に向かうため短時間で翌日になって日付が元に戻るので時差ボケが激しくなる。


パリのドゴール空港は巨大な空港だが、乗り継ぎ便のゲート表示が見当たらないので迷ってしまう。係員に聞いて乗換ゲートはわかったが、ラウンジのあるゲートとは随分と離れているようだし、ラウンジも飲物しかないようなので、3時間以上ある乗り継ぎ時間をラウンジですごすという予定はパヤとなってしまった。


パリ到着直前に機内で軽食が出たので特別空腹ではなかったが、売店を覗いて見ると、ジュース缶でも300円近くするので買う気を失った。円安の影響を肌身で感じたが、これから行く南米は日本同様に通貨が暴落しているようなので、こんなことにはならないだろうと期待する。


長い待ち時間を経て深夜のフライト便に乗り込み南米に向かうことになるが、今度も12時間以上の長いフライトである。眠ってしまえば、長時間のフライトも気にならないだろうが、時間の感覚がが完全におかしくなっているので、目が冴えて全然眠れない。今回の時差ボケ解消にはある程度の日数が必要なようだ。


サンチャゴ空港に着いて、まずはチリの通貨を少額換金しようと両替屋を探したが見つからず、空港の係員に代わりにATMを教えてもらう。チリの通貨ペソのレートも知らずに最低単位の一万ペソ(ネットで調べたら約1600円くらいだった)を引き出すが、8千ペソほどの手数料がかかっているのに驚く。金額に比例してかかるわけではないだろうが、手数料が高いとは聞いていたが、これではATMのキャッシングはカードが使えない買い物専用とし、通常の支払はカード払いとせざるをえないだろう。


昼食後に登山口のメンドーサ行きのフライトのチェックインをしに行ったが、私が買ったチケットは荷物代は入っておらず別料金が必要であった。航空券1万8千円に対して預け荷物二個で103ドルは高い気がしたし、登山靴を履いて乗れば預け荷物を一つとして、荷物代を半減することもできるのだが、元々大した金額ではないので、二つとも預けることにした。


飛行機の出発まではしばらくは時間があったので、プライオリティパスで利用できるラウンジに行く。軽食の内容はそこそこであったが、アルコールがなかったのが残念だった。


夕方に登山口メンドーサ行きの飛行機に乗る。1時間のフライトであったが、これでも国際線であり、アルゼンチンに入国したことになる。メンドーサの空港には迎えの車を頼んでいたので、ホテルに直行するが、ホテルの周りにはATMはないとのことなので、近くの比較的大きなレストランに行ってクレジットカードが使えることを確認してから入店する。メニューを見たが、スペイン語で書かれているので、何を注文してよいかわからない。辛うじてパスタの文字が見えたのでとりあえずそれを注文する。併せてビールも注文しようとしたのだが、全く通じない。タブレットをホテルに置き忘れなければ翻訳アプリを使えたのだが、これほど英語が通じないとは思わなかった。おかげで、ラウンジで飲み損ねたビールをまた飲めずに意図せざる休肝日となってしまった。


さらにパスタを注文してから30分近くしても一向に持ってこないので、注文が通ってないのかと心配したが、こちらは遅まきながら持ってきてくれたので、最悪の事態は避けることができた。

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2023年12月 6日 (水)

四国の私鉄完乗するも三百名山登頂はならず

早朝にホテルを出て徳島行きのバス停に向かう。昨夜に場所を確認してあったので迷う心配はないが、そうでなければ違うバス会社の徳島行きのバス停に行きかねないところである。しかんしわも随分と離れた所にあるのだ。出発5分前にバス停に到着すると程なくして明石大橋を渡って淡路島に渡る。淡路島経由で四国に渡るのは何回か経験があるか、いずれも夜行だったので明るい時は初めてである。自転車で淡路島を一周したことはあるが、自転車では橋を渡れないのでフェリーを利用した。

徳島駅に着いたのはJR阿波海南行きの電車の発車1時間前だったので、駅ナカの喫茶店でモーニングを食べて時間をつぶす。海南駅からは阿佐海岸鉄道に乗り換えるが、これが今回の目玉であるDMV(デュアルモードビーイクル)搭載車である。レールのある所は気動車として走り、レールのない所はタイヤが上から降りてきてバスとして走るというものである。ただ残念だったのは、切替時に乗客を降ろしてはくれないので、切替操作を生で見ることはできないことである。
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室戸岬からは奈半利までバスで移動した後、四国で唯一未乗車だった私鉄のくろしお鉄道で御免まで行き、そこからはJR土讃線と予讃線を乗り継いで伊予西条まで移動した。JR区間は200キロを下回るので、大人の休日倶楽部の割引対象外だと思っていたら、少し先の石鎚山駅までの切符を買えは三割引の対象となるということでラッキーだった。ただ午前中から体調が下降気味だったのが、この間にさらに悪化し、伊予西条駅に着いた時は食欲がわかない状況で、少量食べただけで寝てしまった。

夜中にはかなり咳き込んで熟睡できない状態で、翌日の三百名山瓶ヶ森に果たして行けるかが危ぶまれたが、とりあえず歩いてみて調子が悪ければ引き返そうということで出発することにした。9時前にバスを降りて、歩きだしてみると特に辛くもなくなんとか歩けそうであったが、標高差1500メートルを往復するには登り5時間半、下り3時間半として2時半には登頂しないと行けないことになる。

雲に覆われていて全容は望めなかったが、一瞬晴れ間が出て山が望めた時は思いがけず雪に覆われた山容を見てイヤな気がした。というのは雪を予期してなくアイゼンを持参してなかったからである。この時点で山頂に達するのは無理だなと思えたが、もう少し進んで見ようと考えた。しばらく進んでいると、上から女性の登山者がチェーンスパイクをつけて降りてきたので、上部の雪の状態を聞いてみると雪がかなり多そうで、引き返す地点はどこにするかを考えるようになる。

急登を登りきり台ヶ森を越えて山頂まで標高差が350メートルとなった時点で荷物を下ろすと道端には氷まででてきたので、この時点で下山を決意する。
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下り始めは雪で滑りやすいのでスピードがでなかったが、雪が消えてしまうと登りの時の倍ほどのスピードでくだれて暗くなる前に林道に降り立つことができた。予約した下の温泉宿への到着予定時間である6時まではだいぶ時間があったので、林道をもう少し登ってみて瓶ヶ森の山頂が見える所まで行ってみて、今回、初めて山頂を目にして、次回の登頂を期することにした。
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温泉宿に着いて風呂に入ってからビールで喉を潤し料理に舌鼓をうったが、登頂ができなかったことに加えて体調が不良なこともあって、今ひとつ気分がすぐれなかった。その晩は相変わらず咳が止まらず熟睡できなかった。

翌日は当初の予定では四国山地の盟主である石鎚山に登ることになっていたが、体調不良と雪の状態からこのまま帰京することにした。岡山で新幹線に乗り継いたが、それでも丸一日かかってしまった。

 

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2023年12月 5日 (火)

関西地区の私鉄未乗車区間の乗車と三百名山登頂

トロッコ嵯峨駅で京都を後にする妻と別れて、阪急嵐山線に乗車するために再び渡月橋を渡って同線の嵐山駅に向かう。渡月橋はこの時間はすごい人出かと思ったら朝とは大した違いはなかったのは意外であった。

阪急嵐山線は桂までの短い区間であり、ここからは阪急京都線、地下鉄を経由して嵐山鉄道に乗車する。嵐山鉄道のもう一つの路線である北野線に乗車するためである。北野線は帷子の辻で分離する短い区間の路線だが、独立の路線であるため乗らないわけには行かない。終点の北野白梅駅は他の鉄道とは接続していないため、バスを利用して二条城に向かうことにした。

二条城は中学の修学旅行で行った記で憶はあるのだが、大河ドラマでやっている家康と秀頼の会見や幕末の最大事件の一つである大政奉還の舞台ともなっているので、現時点でまた行ってみたいと思ったのである。ところが、二条城に着いたのは4時半で駆け足ならば行けるかなと思ったら、入場は4時までだったので諦めることにした。

その後は地下鉄を利用して京都駅まで行き、そこからは未乗車の近鉄京都線に乗ることにした。明日は三百名山のひとつである具曽爾山に登る予定のため、できるだけ南の方まで行きたいところである。ただこの機会に近鉄線の未乗車区間の乗車のために寄り道もするつもりなのでなかなか忙しいのである。

まずは田原本駅で下車して隣接している西田原本駅から未乗車の田原本線を生おわやいなやなをと07g駒駅まで乗車、生駒駅からも二本の未乗車路線があるが、今晩は時間がないので次回に回すこととして、大阪線経由で京都線に戻ることにした。

大阪線への乗り継ぎに際して、急行への乗り継ぎができれば、その後の行程がスムーズにいくのであるが、時刻表で調べた限りは無理に思えたが、ラッキーなことにはその急行が3分遅れということで乗り継ぎが可能になった。おかげで京都線に戻ってからも余裕ができて、未乗車の天理線も往復することができた。

その晩は京都線の終点である橿原神宮駅の少し手前にある笠縫駅で下車して、翌日の登山に備えることとした。

翌朝は大和八木駅で乗り換えた後に名張駅で下車して始発のバスで具曽爾山の麓の集落まで行き、そこから登り始めて登頂後ははんたいがわに降りてバスで名張駅まで戻るつもりだった。ところが、11月末までは登山口の曽爾高原までバスが運行しており、今日がその最終日であることかわかった。ただその便は行き帰りとも1日1便しかなく、行きは1時間半後に発車するということなのだが、1時間半もあれば麓から登山口まで歩ける気もしたのでどうしたものかと迷った。帰りは反対側に降りるに登山口まで戻る方が断然有利だが、行きは名張駅で1時間半も待つのも退屈だなあと思った。

そこで始発で麓まで行き、そこから30分ほど歩いた所にある道の駅のような所で飲食をしてれば、さほど待つことなく登山口までのバスに乗れるだろうと考えた。ただ実際はかなりの時間を待たされて登山口までのバスに乗るなったが、バスに乗ってみるとかなりの登山者が乗り込んでいるのには驚いた。そこそこ人気のある山らしい。

終点の曽爾高原は九州の久住高原を思わせるような広々とした気持のよい所であった。マイカーで来ている人も多く、結構人気のある山のようである。実は以前に東海自然歩道の派生コースを走破しようと自転車で麓まで来た時に時間があれば登ろうと思ったのだが、時間不足で登れなかった時は訪れる人もほとんどない不遇の山だと思い込んでいたのである。

峠までは階段が整備されて歩きやすく?(普通の道の方が歩きやすいのだが)なっていて、大勢の人が登っていたが、そこから上は緩い登りが続いて登り安そうであるにもかかわらず、誰も登っていないのである。風が強いせいかもしれないが、冬山を考えればたいした風ではないのだが、皆は風で怖じけ付いたのだろうか。


実際に登ってみると、風は強いものの歩行を妨げるほどのものではなかった。結局この日は頂上手前で三人組のグループとすれ違っただけで、他の人は登山を断念したようである。無人の頂上はだだっ広いがあまり展望はきかなかった。頂上から降りてくる途中の階段道で中学生の遠足らしい集団とすれちがったが、彼らが頂上まで登ったかどうかはわからず終いであった。

登山口まで降りてきたのは、帰りのバスの発車時間の1時間ほど前だったが、帰りのバスは停まっているにもかかわらず、一緒に乗ってきた人たちは誰もいない。時間を持て余したので麓まで歩いて下山してしまい、早い時間のバスで駅まで降りてしまったのかなとも思った。そのうちに一人の登山者が歩いて来たので聞いてみると、他の人は私が行きに休んだところまで降りて飲食をしているとのことで、彼もそこにいたのだが、暇をもてあまして、ここまでまた登り返したそうである。彼に頂上の写真を見せたら、少しうらやましかれた。

そのうちにバスが動きだし、次のバス停では例の人たちが乗り込んで来て、ほぼ満席状態に戻った。名張駅では接続も上手くいき、その後も順調に乗り継ぎ、高野山に行った時に利用した高野線のうちの未乗車であった後半部分を乗車してなんばに着き、予約しておいたホテルにとまった。

本日は関西の都市部の私鉄未乗車区間を乗車するだけなので、チェックアウト時限の10時までホテルにとどまり、それから行動を開始する。まずは一昨日に時間不足で見送った生駒駅からの近鉄支線に乗車し、地下鉄でなんば駅に戻ってから阪神線で尼崎方面に向かい、途中で乗り換えて梅田駅に到着。ここからは阪急線で宝塚駅に向かい、そこで乗り換えて今津に向かう。今津からは阪神線で武庫川団地に向かう。

大阪府内の私鉄未乗車区間は地下鉄がほとんど手付かずの他、いくつかの支線も未乗車のままだが、再来年の関西万博を控えて新線の開業も予想されるので、後日に再度のトライを行うこととして、大阪方面は一応の区切りをつけて神戸方面に向かうことにする。

三宮駅に到着してから、この後どうするかを思案する。神戸市内及び周辺部には未乗車の私鉄が何本かあるが、いずれも乗車後に戻ってくるとなると時間がかかりそうなので、今回は地下鉄のみの全線乗車を行うことにする。神戸市の地下鉄は本数も少なく距離も短いので、全線乗車してもさほど時間はかからないだろうと思って、一日乗車券を購入して全線乗車に向かう。

全線乗車を終えて三宮に戻り、明日の徳島行きのバスの出発場所を確認してから遅めの夕食をとる。神戸と言えばステーキが有名だが、ネットで調べると馬鹿だかいのに驚き、牛は牛でも牛丼でお茶を濁す。その後に予約しておいたカプセルホテルに向かい、明日に備えて早めに寝ることにした。


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