高所登山

2020年7月29日 (水)

空白記録の復元

このブログは2009年6月から開始しているが、それ以前の記録については2004年6月までは以前契約していたプロバイダーのホームページに掲載してあったものは、ハードディスクに保存してあったのだが、それ以降の約5年間については海外登山以外については記録をつけてなかった。だが、よく考えてみると、自分の拙いアルパインの記録の中ではまあまあの記録を残していたのもこの時期であった。パミール登山中止、コロナ、長雨といった条件が重なった今、記録しておかなければ、忘れてしまいそうな気がしたので、錆びつきかけた記憶を呼び起こして年月とアルパインの記録の概要だけは以下のように書くことができた(一部はトレランを含む)。記録の詳細についてはおいおい書き出して、機会があれば発表していきたい。 

 

200410 瑞牆 ベルジュエール(ガイド山行) 

200504 瑞牆 調和の幻想 

200506 丹沢ボッカ駅伝 5位入賞 1区3区ダブルエントリー 

200508 瑞牆ベルジュエール 核心である大フレークは越えるも次のチムニーで敗退 

200508 ボリビア ワイナポトシ登頂

200510 錫杖二ルンゼ 

200510 大台ケ原 サマーコレクション登攀及び登頂 

200510 二子中央稜 上部の簡単な所で先行パーティーが墜落して救出

200512 涸沢岳西尾根 滝谷を狙ったが、涸沢岳登頂のみ、下山時に雪洞を見失い荷物を残置

200602 小同心クラック

200603 権現岳東稜

200605 屏風雲稜  前穂までの縦走はならず

200606 涸沢岳西尾根(前年末に残置した荷物回収)、錫杖敗退(増水で渡渉不可)

200607 富士山 高所訓練及び登山競争 

200608 シャモニ 赤い針峰群、ミディ南壁

200610 日本山岳耐久レース  自己ベスト 14時間23秒

200610 明星南壁  マニフェストの上部城塞で敗退、その翌日のフリースピリッツは完登

200704 丸山東壁右岩稜

200705 白馬主稜 強風の中での完登 

200707 グランドジョラス北壁ウォーカー稜を狙うも大量の降雪直後のため、取付き手前で敗退

200708 南アルプス シレイ沢(単独) 

200712 剣岳早月尾根 豪雪のため、早月小屋で敗退、手の指を第二度の凍傷に見舞われるも切断は回避

200802 阿弥陀岳 広河原沢右俣

200803 一ノ倉沢 一ノ沢二ノ沢中間リッジ~東尾根

200805 富士山での高所訓練(数回)

200806 富士山での高所訓練(数回) 

200807 ガッシャーブルムⅡ無酸素登頂 

200808 妙義 谷急沢(単独)

200809 北岳バットレス ピラミッドフェース~4尾根主稜

200811 富士山 頂上で吹雪に遭いまたもや同じ指に凍傷を負う

200903 鹿島槍北壁 天狗尾根~正面尾根(悪天のため、天狗のコルで敗退) 

200905 唐沢岳幕岩 S字状ルンゼ(流水のため敗退

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2018年5月31日 (木)

ある遭難

このブログは他人に見てもらうというよりも、自分が後で読むための記録としての意味が多いので、アクセス数などはあまり気にしてないのだが、たまたま管理画面を見ていたら先週始めにアクセス数が急増しているので何でだろーと考えたら原因が思い当たった。「登山家」栗城氏がエベレスト遭難したからに違いない。というのは彼が初めてエベレストに行った後に「インチキ登山家」なる一文をブログに載せたことがあり、その後もよくアクセスされているらしいからである。
そのブログの趣旨は、彼は七大陸最高峰単独無酸素登頂を謳っているが、エベレスト以外では酸素を使用した登頂など聞いたことはないし、撮影隊を連れた登山では万一の場合には救出してもらえる可能性があるわけだから、真の意味での単独登山ではないというものである。この意見は今ても正しいものと考えてるし、ヒマラヤ登山をわかっている人からは共感を得られるものだと思うが、ひとつ想定外のことがあった。それは彼が多くの人から勇気をもらったとして称賛を受けているということであった。称賛している人のほとんどはヒマラヤ登山というものを知らない人だと思われるが、だからと言って無知な人間を騙してとケシカランは思わない。どのような方法を使ったにせよ他人に勇気を与えられたということは素晴らしいことではあると思う。
そのブログの最後に「彼の実力では、エベレストの単独無酸素は無理」と書いたが、その後の経過はまさにその通りになってしまった。凍傷で手足の指のほとんどを失い、さすがにエベレストは断念したのかと思ったら、南西壁という彼の実力からすれば、自殺行為とも思える暴挙に出るとは予想できないことであった。支援者からの期待に押し流されてしまったのであろうか
とまれ、今となっては彼の冥福を祈るばかりである。

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2017年10月22日 (日)

高所登山靴ゲット

長らく使用していたプラブーツは今年の初めに壊れてしまい、もう一つの3シーズン用の靴も今月の裏剣山行でソールが剥がれてしまったので、来月に予定しているメキシコのオリサバ峰(5636メートル)に履いていく靴がなくなってしまった。履きならしも含めると時間の余裕がなく至急に代替の靴を求めなくてはならなくなり、今日、新しい靴を買い求めてきた。
2017102222170400
スポルティバのG2という高所登山靴である。6~7000メートル級の登山用として開発されたものだが、ガッシャーブルムⅡ峰(8035メートル)でも充分に使用可能であることが実証されて、その略称であるG2の名を付して登場したものである。今回のメキシコ登山ではオーバースペックではあるが、まだしばらくは高所登山は続けるつもりなので、この靴ならば買ってから後悔することはないだろう。それに自分が登った唯一の8000メートル峰であるガッシャーブルムⅡ峰の名が付されていることも正直言って心惹かれるものがあった。

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2015年11月15日 (日)

エベレスト3D

新宿アルタ前で安倍政権批判の集会が開かれるまでの時間潰しに「エベレスト3D」を見る。今まで見た山岳映画は山の世界の内側の人間として見てきたが、今回初めて山の世界の外側の人間として見ることとなった。正直言って、こんな辛さや恐ろしさをもう味わう必要はないのだと思うと、本当に気持ちが楽になる。

映画の内容自体は現場に同行していたジャーナリストのクラカワーの「空へ」で詳しく報告されていて、特に目新しいものはないが、今まで見た山岳映画とは比べらべものにならないくらいに臨場感に富んだものであった。よくぞ、撮ったりと思えるアングルが多数あり、退屈しない2時間であった。
Everest

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2014年5月21日 (水)

エベレストに思う

シェルパの大量遭難でイモトがエベレストを断念したことはテレビを通じて全国に知れ渡ったが、その中で全隊が今季のエベレストを断念したと報道されて、「何てふがいのない連中ばかりなんだ、シェルパの力を借りなくても登ろうという気概のあるヤツはいないのか」と思っていたら、おっとどっこい少数の隊は登山を継続しているようだ(以下のニュース参照)。

http://www.afpbb.com/articles/-/3014938

最難所のヒラリーステップに固定ロープがすでに張られているのかどうかは知らないが、仮にまだ張られていないとしたら、実力のある登山者にとっては千載一遇のチャンスだろう。初登頂のときはもちろんだが、それから約20年後の田部井さんが登った時でも固定ロープはなかったはずで、それとほぼ同じ条件で登れるのは今季を逃してはないのだから

でも、彼らが登っても日テレはその事実を絶対に報道しないだろう。なぜなら、イモト隊が本来のヒマラヤ登山といかにかけ離れているものかを明らかにしてしまうからだ。

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2014年5月10日 (土)

K2初登頂の真実

退院こそしたものの、まだケガの箇所が多少は痛むので、山に行ったりサイクリングをする気になれない。たまたま今朝の新聞で「K2初登頂の真実」という映画が今日から上映されるという記事を読んで、歯医者で治療を受けた後、有楽町の映画館まで足を延ばした。
K2

この映画の主人公の一人であるワルター・ボナッティは自分が若い頃に最も憧れたクライマーだったが(それに続くのはヘルマン・ブールかリオネル・テレイかな)、彼を主人公としてモンブラン・フレネイ中央岩稜の悲劇を描いた「さらば白き氷壁」も若い頃に見て印象に残っている。

K2初登頂の経緯については有名なので映画のあらすじは書かないが(知らない方は映画を見てください)、ガッシャーブルムに行った時は、コンコルディアでは、行き帰りともK2の頂上付近しか展望がなく全容を眺めるチャンスがなかったが、この映画で存分眺められたのは良かった。

本格的な山岳映画は数年前に上映されたメスナーのナンが・ルパール壁を題材とした「運命の山」以来であるが、今年はこの後に、6月にはエベレスト初登頂、9月にはアンナプルナ南壁での遭難救助を題材とした映画と目白押しである。一体どうなっちゃているんだろう。

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2013年8月17日 (土)

ストックカンリ登頂記録アップ

帰国して2晩熟睡して、ようやく疲れが取れました。
ストックカンリの登頂記録をブログ掲載ものを編集して以下にアップしましたので、よろしかったらご覧ください。

http://homepage3.nifty.com/vibram/kaigai/stock.pdf

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2013年7月28日 (日)

デリー帰還

朝5時に起床して荷物をまとめてロビーに向かう。間もなくエージェントのスタッフも迎えに来てくれて空港に向けてホテルを後にする。空港は市内から近いところだったが、一日に数便しかない飛行場も、この時間帯は3社のフライトが集中しているため、ごった返している。国際便ほどは厳しくないようだが、一般に行われているセキュリティ対策の外に、機内預け荷物について乗客が自分の荷物かどうかの確認の手続きが加わっているのが特徴である。レー市内では日本人とは会わなかったが、空港では日本人の団体客と乗り合わせたので、ラダックというのも、それほど日本人に珍しい場所ではなくなったのだろう。

超満員で飛び立ったにもかかわらず、窓際の自分の隣だけ空席だったのはラッキーだった。きっと誰かさんのようにウェイティングの人のチェックインも間に合わないほどの搭乗直前のキャンセルがあったのだろう。

離陸後しばらくは雲の中だったが、完全に雲の上に出ると、雲海の中に浮かび上がるインドヒマラヤの7千メートル級の高峰をずらり眺めることができた。その内でもインド最高峰であるナンダ・デビは双耳峰の特徴ある形をしているため注意深く探したのだが、山座同定することはできなかった。行きの行程のように峠越えをしながら、山を仰ぎ見るのも良いものだが、今回のように遠望とはいえ高峰を一度に眺められるのも良いものだ。

デリー空港に到着して荷物を回収してから出口を出たが、迎えのエージェントのスタッフがいない。今度は二度目だから自分ひとりでホテルに行けというのかな。まさかそれはないだろうと思って建物の外を見ると、最初に深夜に空港に出迎えに来てくれたスタッフが手を振っているのが見えた。なんらかの基準があって、彼は建物内には入れないのだろうと、こちらの方から建物の外に出てスタッフと合流した。この時、デリーに戻って初めて屋外に出たが、レーと比べて暑いのは当然であるが、思ったほどの暑さではなかった。

ホテルまでは1時間くらいかかったが、これでスタッフとは今日はお別れとなる。なお日程表では明日はフライト予備日となっていたが、予備日は使わなかったために二日後に予定されていたデリー市内観光(おそらくスタッフが同行するのだろう)を前倒ししてもらうことにした。

ホテルで一休みした後、今日ちゅうに片づけなければならない大きな仕事があった。それは、先ほど書いた市内観光の前倒しと同行者不参加による帰国日の空港付き添いがなくなったために、北インド周遊旅行の前に二日間の日程が空いたので、その二日間にマトゥーラというヒンズー教の聖地に行ってくるための予約を行うことであった(他の周遊旅行中のインド国内の鉄道予約は日本国内で業者に依頼済)。なぜ、それがそんな大仕事かというと、ニューデリー駅の二階にある外国人専用窓口に向かおうとする外国人を阻止して不当な値段で切符を買わせようとする悪徳業者が駅構内及び周辺にたむろしているからである。

ある人などは5回トライしながら、ある時は言葉巧みに、またある時は威圧的に二階に上がるのを阻止されて、結局は実際の価格の数倍の値段の切符を買わされたそうである。

悪徳業者と一戦交えるつもりでホテルを出発し、地下鉄を利用してニューデリー駅に向かうつもりであった。ところが、最寄りの地下鉄駅で見た光景は想像を絶するものであった。前回は乗らずに見ただけであったが、その時と違って週末の午後だからであろうか。信じられないくらいの大勢の人がセキュリティチェックの枠の中に押し込められて、潰されそうになりながら通過するのであった。あんなんでセキュリティチェックの意味があるのかなという気もしたが、それよりも命の危険を感じたために残念ながら最初から腰砕けになってオートリクシャででかけることになってしまった。だが、そんな時に限って普段は客引き攻勢の激しいオートリクシャも週末のためか空車がなく、たまに見つけた空車も、目的地を聞くと、なぜだかわからぬが乗車拒否までする始末であった。サイクルリキシャ(人力車のようなもの)ならば空車はたくさんあったが、結構な距離をこの猛暑の中で汗水たらして漕いでいく様を後ろから見ているのが心苦しいという気持ちがあって(それが彼らの仕事なんだと言えばその通りなんだけど)、利用する気にならずにいたところ、オートリクシャの空車をしばらくして見つけた。100ルピー(約180円)という言い値はちょっと高い気もしたが、大事の前の小事だと言い値どおりで乗って行くことにする。

ここでまっすぐ駅に向かう前に、腹が減っては戦が出来ぬとメインバザールで下車して遅い昼食を摂ることにする。ガイドブックに載っていた経営者の奥さんが日本人で日本食も出すという店を捜し出した。藤原紀香も来たことがあるらしい店で日本食のメニューは豊富であったが、その中でカツ丼を注文した。別に日本食に飢えていたわけではなく、肉食に飢えていただけである。味はというと、日本国内で商売してたらリピーターは期待できないかなというレベルである。その際に暑かったこともあり、日本人が経営しているという油断もあって、アイスティーを同時に注文してしまい、しばらくは飲んでいたが、やはりこれはヤバイと気がついて、半分くらいで飲むのを止めてしまった。そもそも煮沸したものを冷やしたという保証はないし、氷が溶けた部分は生水を飲んでいるのと同じことになるからである。自分はA型肝炎の抗体を持っているので、普通の人よりも生水に対する危険は低いとは思うものの、今回は長丁場でもあり注意をするのに越したことはないだろう。

さて腹も満たしたので、いよいよ本番突入である。そこから駅までは目と鼻の先の距離なので歩いていく。前回はお上りさんだったこともあり、「切符を持っていないと入れない」と言われて怪しげな旅行代理店につけこまれ、カモにされそうになったのだったが、今回は数回呼び止められたが無視していたら、外国人専用窓口まで達してしまい、後は問題なく切符を買うことができた。あんまりスムーズにいったんで拍子抜けであった。手持ちのガイドブックはちょっと古かったんで状況が変わったのか、単にカモと見られなかっただけなのかは謎である(山の帰りで服もヨレヨレになているし)。

大きな仕事?をなし終えて駅の外に出ると、オートリクシャがずらりと並んで客待ちしている。このままホテルまで帰ってしまってもいいかと思って値段交渉してみると、1000ルピー(1800円)だというので一瞬耳を疑った(もう円換算金額ではなく、現地の通貨価値に慣れてきているようだ)。「100ルピーだ」と言って立ち去ろうとすると追いかけてきて120ルピーで言いという。「ああこれがお上りさん相手の商売なんだ。主要駅や空港では気をつけなくっちゃ」と思って乗り込むと、しばらく行ったコンノート広場に差し掛かった所で降りてくれという。この値段では商売にならないと思ったのか、ここで値段再交渉をしようと思ったのか、いずれにしてもしたたかな連中である。しかし、コンノート広場といえば、ホテルの最寄り駅から直通の地下鉄の駅があることを思い出して、100ルピーだけ払って降りてしまう。ここコンノートは真ん中が公園になっていて、その周りをリング状に道路が走り、その外側を高級店がぐるりと取り囲んでいる所である。さきほどのメインバザールが庶民の街ならば、こちらはファッション街ともいえようか。

山帰りの薄汚れたスニーカーを履いているにもかかわらず、靴磨きの少年が纏わりついてくるのには参った。そのうちに少年もあきらめたようなので、そのまま歩き続ける。

ところがいつまで歩いても、地下鉄の入口にお目にかかれない。一度、公園側の地下に通じる階段を降りてみたが、中心部に通じる道にセキュリティチェックがあるので戻ってきてしまった。そのまま歩き続けて、一周してしまったところで気がついた。さきほどのセキリティチェックの先の同心円の中心付近に切符売場とホームがあることを。普通の駅ならば、切符売場の先にセキュリティチェックがあるのだが、ここコンノート広場では四方八方からやってくる乗客をひとつのセキュリティチェックで対応するとパンクしてしまうため、セキュリティチェックを先に設けて分散させているのだろう。そのため、セキュリティチェック自体はホテルの最寄り駅のような混雑はなかったが、切符売場は長蛇の列であった。だいぶ待ってようやく私の番がある。最寄り駅の発音に自信がなかったの、これで通じるか心配だったが、なんとか通じて切符が買えた。切符といってもコインのようなもので、これを日本のスイカの時のようにタッチさせて入り、出る時は穴に投入してしまうというシステムである。昨年のサンフランシスコではなまじ自動販売になっていたために切符の購入に苦労したが、地下鉄のシステムというのは日本国内でもそうだが、各地でバラバラなために要領を飲み込むまでがたいへんだ。

かんじんの地下鉄自体も猛烈なラッシュだったが、なんとか乗車して最寄り駅で下車できたのでホテルはもう目と鼻の先だと思った。というのは、午前中に空港からホテルまで送ってもらう時に、地下鉄の駅の少し先を南にまがってしばらく先にホテルがあることを確認済で自分的にはホテルの位置は頭の中に入っていると思い込んでいた。そのため、ホテルの住所や電話番号を書いた紙も持参せずGPSの軌跡もとらず仕舞いで、うっかりするとホテルの名前も忘れるほどであった(実際には何度も忘れて、道を聞くために必死になって思い出したというのが正しいが)。記憶を辿って歩いていくが、どうも午前中に車で通った記憶と一致する部分がない。交通整理かなんかで立っている警官に聞いても知らないという。ここまで迷い初めて1時間近く経っており、多少焦り始めていた。ただGPSで現在地の確認はできていたので、パニックにはならずに済んでいた。ここでやむを得ず、先ほどは乗らないと書いたサイクルリクシャにやむをえずに乗り込む羽目になった。客待ちの少年サイクラー(正式な名称は知らないので仮称である)がそのホテルを知っているというので100ルピー(ちょっと、高いと思ったが、この際、背に腹は代えられなかった)で向かってもらう。少年とはいえ、さすがにプロである。でこぼこ道を客への衝撃を最小限にしていくハンドルさばきは見事であった。ところが、なんとしたことか、さきほど下車した地下鉄の下をくぐって(この部分ではもう地上に上がって高架となっている)、北に向かおうとする。こいつ道も知らないくせに適当に走っているなと怒って、乗車した場所近くまで戻って、100ルピーを払って下車してしまう。それからしばらく右往左往したが、全くわからずに途方に暮れていると、たまたま出会った警官2人連れの一人が知っていると教えてくれた方向はなんと先ほど少年が行こうとした方向ではないか。ここで初めてもう1本北側に地下鉄があり、自分はホテルの場所を完全に思い違いしていることに気がついた。そこで下車した最寄り駅まで戻り(GPSを持ってて良かった!)、客待ちしているサイクラーの中からベテランそうな人を選んで50ルピーでホテルまで連れてってもらって一件落着となりホットした。結局3時間近くデリーの郊外を彷徨っていたことになる。Wanderrerの面目躍如である()

汗でびっしょりとなった衣服を着替え、シャワーを浴びてさっぱりしてからホテルが隣に併設しているレストランで遅い夕食を摂る。スープとヌードルと春巻を頼んだが、どれももの凄い量の上に辛さも半端ではない。水は出してくれるのだが、これは飲むわけにはいかない、辛さをじっと我慢していると、隣の家族連れは皆コーラを飲んでいる。なんでこれを頼まなかったんだと思ったが、もう腹一杯になっていたので、今さら頼む気にはならなかったところ、隣組は食後のデザーに甘そうなアイスクリームまで食べ始めた。もう目の毒なので、食事は半分ほど残っていたが、部屋に戻って、ペットボトルの水や部屋に用意されているコーヒー。紅茶を大量に飲んだ。最後の彷徨∔激辛料理でだいぶ水分不足に陥ってしまったようだ。今日は夕方までは順調だったんだが、最後で大失敗だった。疲れてすぐ寝たいところだが、書くことがあり過ぎてブログ書きに時間がかかり、なかなか寝られそうにない。山の中の平穏な生活が羨ましい!

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レーの休日

今日は登頂予備日を一日残しているので観光にあててあったが、そのスケジュールが知らされてなかったので、朝からずっと待機してなければならなかった。10時になっても相変わらず音沙汰なしだったので、ついにしびれを切らしてこちらから連絡してみることにした。といっても誰だかわからない相手に込み入った事情を電話で説明するだけの自信がなかったので、拙い英語でホテルのフロントに説明して理解してもらい、それを彼からエージェントに説明してもらった。するとほどなくして迎えの車が来たが、一体どういうつもりだったのだろうか。もし、こちらから連絡をいれなければどうなっていたのだろうか。

まあ結果オーライだからいいようなもんだし、観光は最悪中止になってもやむをえないと思っていたのだが

観光自体は4時間程度であったが、東部のゴンパ(僧院)3箇所を専用車で効率よく回ってもらった。バスで回ったら一日がかりであったろう。どの僧院もはるばるレーまで見に来るだけの価値のある素晴らしいものであった。
P1020131

運転手はガイド役までは兼ねておらず車で待っているだけだったが、その方が気楽であった、なまじ説明をされると、それを理解しようと気が疲れるからである。

車の中で運転手と言葉を交わしていてちょっと気になったのは、明日の私の帰りのフライトについて全く知らないことであった。単に係りが違うだけのかもしれないが、帰りにホテルまで送ってもらうことをせずにエージェントの事務所まで直接確認に行くことにした。すると何たることか、私のチケットはまだ確保されてないというではないか。夕方までには入手してホテルまで届けてくれるとのことなので、とりあえずはそれを信じるしかないが。こちらの方も観光の件と同様、こちらが確認をしなかったら、どうなっていたかはわからないのは同様だし、登山予備日を使い切っていたら、残り少ない時間でフライトを確保することができたかどうかも疑わしい。まあ善意に解釈すれば、ほとんどの客は往復ともフライトだろうから、帰りだけ予約するというのはイレギュラーだったのかもしれないが

午後は時間が空いたので、依然不調なままのホテルの無線LAN(よく他の宿泊客が文句いわないなあ)からのブログ投稿をあきらめ、エージェントの近くのネットカフェからの投稿を試みる。そこはWifi自体には対応してないが、私が有線を無線に変換する機器を携行してたのでケーブルを借りて接続したところ、しばらくは順調に行っていたのだが、そのうちに接続不良となってしまった。やむを得ず、カフェの日本語表示のできる(日本語入力は不可)PCを使用して入力済データのコピー&ペイストで投稿を始めたのだが、やはり一部文字化けしたりしまってうまくいかない。そこでしばらく離れたメインバザールにあるネットで評判の良いカフェに移動すると、こちらの方は無線LANが問題なく使用でき、たまったブログはひととり投稿できたので。これで一仕事は終わったと帰りにビールを買ってホテルで飲む。実に10日ぶりに飲むビールの味は格別であった。

チケットがホテルに届く時間が昼間にエージェントで行ってきた時間よりも、さらに数時間遅れるとのことだったので、夕食を食べていても本当に届くのか疑心暗鬼だったが、22時前には無事届いた。朝一番の便で5時起きとなるようだが、今回の登山で早起きの癖がついているので一向に苦にならない(というよりも明るくなるまで寝ていられない)。

さあ、明日からはインドの旅が始まるぞ!でも涼しさに慣れきってしまった体には暑さが堪えるだろうな。

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2013年7月25日 (木)

レー帰還

ラダック山中の最後の夜が明けてレー帰還の日が来た。

前日、ストック村に着いた時に腰に異常を感じた部分は依然として違和感が治らないが、もう山に登らなくてもいいのだから自然に治るまで待つしかないとあきらめる。

朝食の前にスタッフに慰労の言葉とともにチップを支払う。といっても、ガイドとコックの2人だけである。私一人になったためかキッチンボーイはつかなかったし、荷物はポーターは使用せず、全て馬を使用したからである。馬の御者はいるが、他のパーティーの荷物を運ぶ馬と合わせて見ているので、私の専属ではないためチップの対象ではないようだ(馬にはチップはいらないし)。またチップの相場はドル建て表示で聞いていたのでドルで払うつもりだったが、100ドル紙幣でしか持ってきてなかったので、やむをえず、聞いていた相場をルピーに換算して支払うことにした。もっとも、空港で日本円をかなりルピーに交換したが、全部使いきれないおそれも出てきたので、再両替という面倒なことをやらないためにもルピーはできるだけ使ってしまいたいということもあったのだが。

11時前にタクシーが来て、スタッフとともにストック村に向かった。レーまでは車で1時間もかからない距離なのだが、実は心配事が二つあった。一つは登山前にレーのホテルにノートPCその他の登山に不要なものを預けたのだが、預かり証をくれなかったので本当に戻ってくるかということである。ノートPCが手元にないままになってしまうと、今後の旅行中のブログ等の更新や仕事で打ち合わせる場合(まずないだろうが)に支障が出てしまうおそれがあった。もうひとつの心配は、ガイドと別れてしまった後、翌日のレー観光とレー最終日のデリーまでのフライトについてのエージェントからのサポートがどうなっているかということである。

ホテルにはお昼前に着いた。チェックインを済ませると、ノートPCは無事に戻った。もうひとつの心配については、ガイドが言うには、時間はわからないがスタッフが来るということ(らしい)ので、待つしかなかった。

着いて直ぐにやることはネットへの接続である。前回の宿泊時もホテルの無線LANは最初は制限付きでしか接続せずにネットには繋がらなかったため、やむをえず町のネットカフェに行った後に戻ってみたら、今度はなんとかつながったので、今回は最初から繋がるかという期待でトライしてみたが、やはり制限付接続という表示でネットには繋がらなかた。PDAやスマホという他の無線LAN機能を有する機器を使用しても接続済という表示はでるのに、やはりネットには繋がらない。PCの診断機能ではルーターの障害となっている。これではネットカフェのお世話にならなければならないと思うが、エージェントの人が来るかもしれないので、あまり遠出はできない。このホテルは繁華街であるメインバザールへは急坂を30分以上歩かなければならない辺鄙なところで、ネットカフェはメインバザールにたくさんあるが、ホテルの周辺にも小さなネットカフェが二軒あったので、そこへ行ってみることにした。ホテルでランチを食べてから出かけようとしたが、ホテルのレストランはいつまでたっても電気が消えたままだ(後でわかったのだが、実は停電だったのだ)。ついにしびれを切らして、2時に近くのネットカフッェに行ってみると、一軒の店ではノーパワーだから今はネットを使えないという。ここでインドの電力事情がわかったのだが、昼間の停電は日常茶飯事のようである。もう一軒は理由はわからなかったが、とじかくネットは使えないとのことなので(多分、停電のためだろう)、あきらめる(まだ日本にいる時に知ったネット情報によると、メインバザールのネットカフェの中には停電でも対応できるようにしている店もあるとか)。その時はホテルのネット不調も停電のためだろうと思ったので、食事を済ませてからホテルに戻ることとした。といってもホテルの近くには地元の人のための食堂が数軒しかない。いずれもサモサという野菜のコロッケみたいなものの上に辛いカレー汁をかけたものの単品しかなく、自分だからなんとか食べられるが、一般の日本人はまず口に合わない代物である。おまけに出してくれる水は生水だから日本人は勿論飲むことは出来ずに辛さに耐えなければならないのである。その代わり、一食100円以下の安さではある。

ホテルに戻ると、なるほどまだ停電中である。それではと登山中の着たものの洗濯や荷物の整理、さらには縫い目が切れてしまった荷物収容用の大型バッグの修理(こんなところで裁縫をするとは思わなかった)とひととおり終わってから、やっと自分の時間ができたとシャワーを浴びたら、期待していなかったお湯がでてきたので嬉しかった(前回はお湯がでなかったので、水を浴びるのがいやで先延ばしにしていたというのが真相なのだが)。さっぱりして着替えると時間は5時を回っていたが、エージェントの人間からは音沙汰なしである。その頃、停電がようやく終わったようなので、ネット接続を再トライしてみるが、やっぱり接続できない。どうも停電が理由ではなかったようなので、メインバザールのネットカフェに行ってみざるをえない。ただ前回宿泊時の夕食は7時半だったので、それまでだとあまり時間はないし、その間にエージェントの人が来る可能性もあるので、夕食後に出かけることにした。ところが夕食は7時半になっても始まらない。聞きに行くと、そのたびに少しづつ先の時間を言われて、実際に食べられたのは8時半を過ぎていた。ちょっと時間が遅いかなと思ったが、メインバザールなら遅くてもやっているかもと出かけてみたが、結局店も閉まっており、タクシーも見つからなかったため、帰りも夜道を歩いてきたため、ホテルに戻ってきたのは10時半となってしまった。ネット接続とエージェントの人との打ち合わせは一日かけてもなんの進展もなかったことになる。

このままホテルの無線LANが使えなければ、翌日の時間帯の良い時にネットカフェに出かけてみるしかない。ネットカフェで無線LANも日本語対応のPCも使用できないことに備えて、USBで全て対応できるように夜のうちに準備をしておいた(前回ネットカフェ利用時に、日本語入力はできないPCでも日本語表示さへできれば、USBのデータの方からのコピー&ペーストで最底限のことは出来ることは実証済)、またエージェントとの連絡は最悪の場合は観光はキャンセルとなってしまっても(王宮等の見学は終わっているし)、フライトの送迎さへやってもらえればいいということで、もし明日の午前中いっぱいになってもエージェントからの連絡がなかったならば、こちらからなんとかしてコンタクトをとることにしてみよう(こういう面倒なことになった時にもう少し語学力があればなあと思ってしまう)。

どうも、今日はたいへんな一日だった。ストレスが溜まってしまったのか、昨日からの腰痛が悪化してきているようだ。ヤバイヤバイ

 

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