市民運動

2020年1月22日 (水)

辺野古ゲート前座り込み

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今回の沖縄遠征の最終日は例によって、辺野古ゲート前の座り込みである。今までは個人で参加していたので、朝の資材搬入阻止に間に合うためには前夜に名護に泊まらなければならなかったし、帰りは時間のかかる路線バスに乗るので、最終便で帰京するためには安全を期して3時過ぎの資材搬入阻止はスルーせざるをえなかったが、今回は市民グループの用意したバスを利用させてもらい、往復高速経由だったので1日3回の資材搬入阻止全てに参加できたし、那覇空港にも出発3時間に到着することができた。

 

現地に到着して暫くして第一回の資材搬入阻止行動が始まる。バスに乗車したきた14人を含めても30人ほどの座り込みなので、搬入自体を阻止するまでには至らないが、それでも工事車両100台近くがゲート手前に集結し、基地内に待機していた機動隊が整列して、中隊長の号令一下ごぼう抜きを開始し、座り込みを全て排除して車両が基地内に入るのには一時間以上要していたので、もし座り込みがなければ1日の資材搬入回数は増えていただろうから、座り込みの存在が工事を遅らせている効果があることは間違いないだろう。

 

お昼の第二回搬入の前には「島ぐるみ」という沖縄の反基地団体の仕立てたバスでやってきた20人が加わり、さらに福島からやって来た30人近い団体も加わったのでかなりの人数となったため、ある程度は搬入時間を遅らすことができるのではないかと期待したが、機動隊が座り込みの市民の前に整列すると、福島の団体は座り込みを止めて一斉に帰ってしまったので拍子抜けしてしまった。やはり初めての人にとっては、機動隊にごぼう抜きされるというのはかなりハードルの高いことなのだろうか?自分にとっては慣れっこになってしまったことだが、久しぶりに座り込みに参加してみると、機動隊のごぼう抜きも以前ほど手荒でなくなった気がするし、以前はごぼう抜きした後にフェンスと機動隊の人垣で作られた臨時の「留置場」に長時間収容されるという人権無視があったが(夏などは脱水状態になりかかった)、今はそれもなくなったのは警察内部になんらかの反省があったということであればいいが

 

最終の搬入までは時間があったので、テント前では芸達者の連中が得意ののどを披露してくれたりして楽しんだ。なかでも安倍晋三が演じる寅さんの替え歌は秀逸で、もしこれが放送されれば(たちまち放送禁止だろうが)大ヒット間違いなしという代物であった。その後に二人の地方議員がテント前に現れたが、なんと私の地元の区会議員であった。なんでも明日、沖縄の地方議員との合同のイベントがあるそうである。間もなく最後の資材搬入があり、同議員らも加わって阻止行動が行われて本日の行動は終了し、朝と同じバスで那覇に戻ることとなった。

 

自分が初めて辺野古ゲート前の座り込みに参加したのは安保(=戦争)法制の強行採決が行われた2015年の12月であるから、早いもので足かけ5年がたつことになる。それ以前は沖縄の問題というのは、どこか自分とは縁が薄い問題だという意識があったのかもしれない。しかし、アメリカの言いなりになって民意を無視して政策を強行するのは戦争法制も辺野古新基地建設も根幹は一緒であることに気づいて自分なりに勉強する中で、辺野古新基地建設は間違っており絶対に阻止しなければならないと確信するようになった。

 

すなわち日本政府のいう都市部にある普天間基地の危険性を除去するために辺野古に移転する必要があるという説明は真っ赤な嘘なのである。なぜならば普天間基地に駐留する海兵隊は米軍の海外侵略を行う尖兵として展開するものであり、日本を防衛する能力は有していないのである。防衛力とは直接的には敵国の海や空からの攻撃(日本は島国なので陸からはありえない)に応戦して、これを無力化することであり、それとともに相手本国に直ちに反撃して甚大な被害を与えうる攻撃力を有することによって、相手に攻撃を思い止まらせることだが、海兵隊はこれらのいずれの機能も有していないということは、軍事専門家にとっては常識となっていることなのである。それゆえに日本の防衛力には無縁の海兵隊は日本から出ていってもらって普天間基地の危険性を除去するというのが取るべき対応なのである。そして、それによって世界に類を見ない大浦湾の貴重な自然も保たれるのである。

 

さらには、基地建設予定地の大浦湾に軟弱地盤があることが判明したことにより二つの大きな問題が生じるようになった。ひとつは前例のない大幅な地盤改良が必要となってくるが、技術的に可能であるという御用学者の意見は根拠に乏しく、仮に可能だとしても設計変更については知事の承認が必要となってくるのである。当然、玉城知事は承認しないだろうし、基地反対派の知事が存在する限りは工事はストップしたままとなるだろう。一方、国側は裁判その他の法的対抗を取ってくるかもしれないが、その場合には泥沼化してしまい、万一国側の主張が認められるにしても非常に長期間を要することになって、いずれにしても普天間周辺の住民は長期にわたって危険性を甘んじなければならなくなってしまうのである。

 

もうひとつの大きな問題は、当初は数千億円と言われていた基地建設費用が地盤改良工事によって大幅な増額は避けられないことである。国はその金額を明らかにしていないが、県の試算では二兆円にのぼるとも言われている。国家予算の2パーセントにもなる金額をアメリカの歓心を買うためにだけで浪費し、しかも完成後に地盤沈下で使用不能になるかもしれないということを知ったら、いかにお人好しの国民でも反対の声が強まるであろうから国も金額を明確にせずにあいまいのままでごまかしているのである。つまり、国は明確な長期的ビジョンを持っておらず、その場しのぎの対応をとっているということだろう。

 

以上のような状況を踏まえると、当面は現在の膠着状況がしばらく続かざるをえないだろう。私の沖縄行脚も、体力的・経済的な面からいつまで続けられるかはわからないが、可能な限りはやっていきたいと思っている。

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2019年12月 2日 (月)

辺野古と那覇マラソン

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早朝のバスで名護を出発して辺野古に向かう。ところがゲート前のテント着いてみると、人っ子一人いない。早く来すぎたのかと思って辺野古の海岸に降りると大勢のカヌー隊の人がいて、今までどおり変わらないようである。それからゲート前に戻るが、やはり誰もいないし、ゲート前の警備員も少しいるだけである。これで今日の搬入はないことがはっきりとしたが、何故なのか?とネットで必死に検索すると、少し前からゲート前への搬入がなくなったので、運動はもっぱら本部港の安和桟橋に絞られているということであった。そう言えば、昨日本部港に行った時に安和セメントの前で数人の人が抗議行動をしていたが、あの後に大勢が集まったのだろうか?今から本部港に行ってみようかと思ったが、那覇から毎日バスを現地に出している団体があって、そのホームページに出ているバスのスケジュールでは土日は書いてなかっので、多分土日の行動はないのだろうと判断して那覇に戻ることにした。その際に那覇で今日の3時から辺野古の勉強会が開かれることがバスを運航している団体のホームページに載っていたので、那覇マラソンの受付手続きをしてから参加することにした。

那覇に到着して受付手続きを終えても3時の勉強会までは大分時間があったので、ホテルに荷物を置いてから勉強会に参加することにした。2時間の勉強会の内容は多岐に亘っていたが、結論としては、オール沖縄側の知事が続く限りは、政府側の思惑通りに事が運んでも、技術的困難性と法的対応の必要から完成までに20年はかかるということで、両者の我慢比べが続くことになるのだろう。私自身は年齢的にもそれほど長くは運動には加われないが、果たして結末を見ることができるだろうか

勉強会の後は、同じ場所で忘年会ならぬ望年会が開かれた。参加者はほとんどが地元の常連のようであったが、県外からも私を含めて3人が参加していた。料理は地元の名産がたくさん用意され、アルコールも泡盛からマッコリ、ワイン等と各種あったが、明日のレースに影響しないようにとビールだけにとどめておいた。散会後にホテルに戻ったが、酒が効いたのかバタンキューであった。

前夜に早く寝すぎたため、深夜から目覚めてしまい、寝過ごすことを恐れてそのまま起きてしまった。会場にはまだ暗い内に到着して夜明けを待つ。そのうちに参加者が次々とやって来て賑やかになってくる。前回の那覇マラソン出場は15年以上前で、前の日に地元のクライミングジムで登り過ぎたために足にダメージを受けてしまい、当時としては失敗レースとなる3時間41分という記録だった。今となっては夢のような記録で、今回はマラソン復活後初の5時間切りを目指すタイムで申告したが、それでも後ろのグループに回されてしまい、レース開始後スタート地点に到達するまでに15分かかってしまった。

最近は捻挫の古傷が悪化して、関節が温まって痛みがなくなるまではスローペースで進んだため後続のランナーにも抜かれっぱなしとなったが、国際通りが終る頃には関節も温まってきたのでペースアップし、東海岸に出るまでの登り坂でもどんどんとランナーを抜いて、この分なら5時間を切れるなと思ったのも束の間、気温がどんどん上昇して25度まで上がったために急激に足が動かなくなり、歩きも入る有り様であった。

完走に赤信号が灯り始めた頃、33キロの関門手前で突然「後1分」のアナウンスがなされる。回りが一斉に全力疾走に移ったので、つられて自分も全力疾走となる。関門横に待機していた高校生が一斉に横になってランナーの進入を阻もうとするが、なんとかかいくぐって障碍を突破したと思ったのも束の間、いきなり足に強い負担がかかったために足に痙攣が起きて激痛が走る。多少の痙攣ならば、しばらく休んで走り出せるのだが、今までに経験したことがない激しい痛みで、レース続行は不可能と判断して、関門をクリアできなかったランナーたちと一緒にリタイアバスで帰ることにした。もし症状が軽くてそのまま走ったとしても、あのペースでは時間内に完走できなかっただろうから、競技場まで9キロを目標もなく自力で帰らなければならないところで、リタイアしたのはある意味でラッキーであった。今回は思いがけずリタイアという不本意な結果に終わってしまったが、意欲はあるものの体力の衰えはいかんともしがたく、「老兵は消え去るのみ」ということであろうか

競技場に戻って着替えてから、先日火災事故があった首里城に行ってみる。守礼門が火災を免れたことは知っていたが、本殿は全焼したものと思っていたら、本殿あたりと思われる建物も下から望むことができたのは意外だった(本殿付近には立ち入れなかったので、全容は不明であるが)。首里城の帰りに近くにある石畳道にもよってみたが、こちらはどこにでもある感じで、世界遺産ではなく県の文化財に指定されているというのは、首里城に関連付けられて価値があるということだろうか

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2018年4月26日 (木)

座り込み二日目

座り込み二日目

今日は最終便で帰るので午後の座り込みに参加して長時間の拘束をされると飛行機に間に合わなくなるおそれがあるため、座り込みは午前中だけ行うことにする。
ゲート前に着いて驚いたのは警備体制がさらに強化されていることだった。国道の片側車線が100メートル近くにわたって警察によって封鎖されて何台もの警備車両が並べられ巨大な仮留置所のスペースが用意されていたのである。
今日も500人以上の参加者があったが、機動隊も300人近くまで増員されたために1時間近くで全員が仮留置所に閉じこめられてしまった。その中には前名護市長の稲嶺さんの姿もあったのには驚いた。
今日もまた長時間の拘束かと覚悟していたが、リーダーが警察と交渉して「解放後はゲート前には戻らずにテント方向に向かうということで話がついたようで、昨日ほどの長時間の拘束にはならずにほっとした。
午後は座り込みには参加しないことは先ほども書いたが、反対側から抗議の声をあげるだけではあまり意味がないので、工事車両がやって来る途中で進行を妨害してやろうと、名護の方に向かって歩きだした。第二ゲート(米軍車両専用で工事車両は使用しない)まで来ると10人近くがたむろしている。私もそこにとどまっていると、しばらくして基地内から大型の米軍車両が出てくると、彼らは進路をさえぎってしまう。すかさず、基地内の日本人MPが出てきて警告を発し続けるが、彼らには基地外の警察権はないので手も足もでない。そのうちに連絡を受けた機動隊の車がやってきて我々を排除したので米軍車両は道路に出られたが、我々がなにかまた「悪さ」をするとでも思ったのか機動隊車両はそのままそこに待機してしまう。まあ機動隊の力を多少なりとも分散できたと思えばそれなりの効果はあったとことにはなるが
その後もしばらくはそこに留まっていたが、本日の2回目の資材搬入は夕方になりそうだとの情報が入ったので、そんなには待てないということで、那覇に向かうことにした。

当初考えていたような「奇跡の1週間」とまではいかなかったが、通常は1日3回行われる搬入を2回に抑えることはできたし、マスコミにも報道されて辺野古の闘いはまだまだ続いていることを国民に知らせることができたという意味で、遠路はるばるやってきたことは決して無駄ではなかったと思う。
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仮留置所に入れられた稲嶺前名護市長(真ん中の青い服)


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2018年4月24日 (火)

座り込み初日

ドミトリーは隣のベッドのいびきがうるさくて暗いうちから出発する。昨日の座り込みの記録で第一回の資材搬入は9時頃でまだ時間があるようなので、距離も10キロ程度だし走って行くことにした。道は途中から緩い登りが続くようになりトレーニングには最適と思っていたところ、座り込みに向かう人たちの車から乗っていけという誘いが相次ぎ、丁重に断るのに苦労する。

ゲート前に到着すると今日も500人近い人が集まっているので、昨日の五時間近くトラックをストップさせた成果を今日もあげられると思ったら、敵もさるもので機動隊を増員し、排除した参加者を歩道に囲いこむために壁代わりに使用する警察車両を増やしたために「仮留置所」の収容人員が増えて午前午後とも二時間くらいしかトラックをストップさせることができなかった。

「仮留置所」での扱いもひどいものだった。従来は工事車両が全部基地内に入ると「仮留置所」から解放していたのに、今回は資材の搬入が終わっても一向に解放せず三時間も閉じ込めたままでトイレにも行かせないという非人道的な弾圧が行われた。

思ってたような「奇跡の1週間」というわけにはいかなかったが、1日三回行われる資材搬入を二回に抑えられただけでもよしとしなければならないのだろうか。明日はもう少し善戦したいものだが
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座り込み参加者の前に機動隊員が並んで威圧する

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ゴボウ抜き開始

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警備車両による仮留置所

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2018年4月23日 (月)

奇跡の一週間

GW直前の1週間連続で500人以上が辺野古ゲート前に座りこんて工事車両の進入を阻止して新基調建設をストップさせようという呼び掛けが行われたので、1週間連続は無理だが数日ならば可能なので参加することにした、名護や各地のな市長選で基地反対派が相次いで敗れ、翁長知事を支えるオール沖縄陣営からの離反者も目立つ一方で、基地建設工事ま本格化してきているという厳しい状況の中で、連続して工事を止めるという「奇跡」が実現できれば、状況を反転させるキッカケとなることが期待できるし、自分自身も過去十数回の辺野古ゲート前座り込みでは数十人程度の参加者しかなかったため、簡単に排除されて工事車両の進入をストップできなかったという悔しさがあったので、自分の手で工事をストップさせたいという思いも強かった。

那覇空港から辺野古までは高速バスを利用しても二時間以上かかるので、東京からとなると1日がかりとやる。辺野古には宿泊施設はないので通常は名護市内泊まりになるため、名護行きの高速バスを利用することになるが、乗り継ぎまでな時間を利用して空港で早めの夕食をとる。沖縄で最もポビュラーな食事である沖縄ソバを注文するが、よく似たものでソーキそばというものもある。違いは何だろうと前から疑問に思っていたのだが、店内の張り紙によると、両者の違いはトッピングで沖縄ソバは三枚肉、ソーキそばは骨ソーキというちがいだそうである。いずれも特別旨いというものではないが、これを食べると沖縄に来たなとという気はしてくる。

名護では前にも利用したこともあるドミトリーに宿泊することにしたが、2泊で五千円と安い割には快適である。今回は飛行機もLCCなのでバス代を入れても総費用は三万円以内という格安だが、別に遊びにきたわけではないので、衣食住は最低限のものがあればそれで十分なのである。
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2018年1月31日 (水)

辺野古座り込みと名護市長選応援

与那国島から飛行機とバスを乗り継いで半日がかりで沖縄本島の名護に移動し、旅の最後の2日間を辺野古座り込みと名護市長選応援に充てる。

 

ホテルを暗いうちから抜け出して辺野古ゲート前に向かうが、市長選の応援に行っている人が多いせいか、座り込み参加者は数十名と少なめである。

 

9時前に工事関係の搬入トラックが次々とゲート前に到着する。以前は最初に機動隊が出場して、座り込みを排除してから工事車両がきていたものだが、座り込み参加者が少なく排除に時間はかからないと舐められてしまったのだろうか?その通りにあっというまに排除されて、例のオリの中に閉じ込められて、工事車両が基地の中に次々と入っていく。

 

搬入は午後にも2回ほどあるようだが、オリから解放されるとすぐにバス停に移動し、名護市の稲嶺事務所に向かうことにする。

 

事務所に飛び入りで選挙ボランティアを申し出るが、団体でないと受付は難しそうだだったので、たまたま事務所前にいた団体の練り歩きに飛び入りで参加させてもらうことにした。練り歩きというのは、東京ではあまり見られないが、沖縄では一般的な選挙運動のようで、ある程度の人数で幟りやプラカードを持って、候補者の政策や氏名を連呼しながら街中を練り歩くというものである(そう言えば宜野湾市長選の時もやった記憶がある)。

 

練り歩きをしながら出会う運動員は稲嶺候補側の者ばかりだし、市民の反応も良好で勝利間違いないとの感触を得たが、辺野古新基地建設反対という沖縄の民意を政府に見せつけるには、ただ勝つだけでは足りず圧勝しなければならないのだ。

 

午後も別の団体に入れてもらって練り歩きをしたが、3時過ぎに離脱してホテルに戻る。というのはホテルで自転車を借りて名護市を付け根とする半島を一周するつもりなのだ。沖縄本島をこまぎれながら人力(徒歩、ランニングまたは自転車)で一周した際にも、時間が足りなかったため半島の先端には行かずに付け根を横断するだけだったので、今回一周しておこうと思っていたのだ。もっとも、家内と一緒に美ら海水族館を訪れた際にバスでなら半島を一周しているが、あくまで人力に拘っているのだ。

 

半島一周50キロ弱のコースだが、名護まで15キロまできたところで「事件」は起きた。チェーンがギアの溝にはまってしまってペダルをふめなくなってしまったのだ。なんてか直そうとしたが、工具なしでは無理と判断して、自転車をホテルまで引いて帰ることにした。長い々々行程だった。ホテルに着いたときはさすがにホッとした。2018021309220100

 

 

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2017年9月18日 (月)

安部政権を退陣に追い込もう!

急転直下の臨時国会冒頭での衆議院解散見通しを受けて、ワイドショーでは御用ジャーナリストを総動員して、自民党の勝利が規定事実であり、早期の解散が野党には大打撃であるかのような「印象操作」が行われている。これは安部政権に反対している有権者に諦めの気持ちを起こさせ、投票所に足を向かわせないための策略に違いないが、そうは問屋が卸さない。たしかに野党にとっては逆境の中での厳しい戦いには違いないが、この解散が森友・加計隠しのためであることを各選挙区で訴えて行けば、何の裏付けもないにもかかわらず回復基調にあると言われる安部政権の支持率を再び下落に向かわせるに違いないであろう。また民進党の前原新代表は就任当初は野党共闘には否定的な方針であったが、多くの共産アレルギーの強い議員の離党と選挙区情勢の厳しさから野党共闘に柔軟な姿勢に転ずる可能性は十分あり、そうなった場合には安部政権に打撃を与えて退陣に追いことも可能となるであろう。もちろん野党共闘は野党だけの力で行うのでなく、あくまで市民が主導権を握って候補者を擁立し、それを各野党が推薦するという形が望ましい。

東京や各地の選挙区では野党統一候補の擁立する市民の運動が昨年から着々と進んでおり、候補者の絞りこみも行われている。私の住んでいる杉並区(東京第8区)では過去7、8回連続して自民党の石〓伸〓が当選しているが、過半数を取ったのは数えるほどしかなく、大半は野党の分裂に乗じて当選したにすぎない。なんといっても、担当大臣在任時に東北震災の避難者に向かって「金目(当て)でしょう」と暴言を吐いたとんでもない人物である。石〓軍団の総出の応援があろうとも、市民と野党の団結によりこれを打ち破らなければならない。

早ければ来月10日公示、22日投票と言われるが、自分もその期間は全力で選挙運動に取り組むつもりだ。もしも選挙後も軍国主義化を進める安部政権の延命を許したならば、日本の未来はないのだから。

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2017年7月14日 (金)

辺野古座り込み

7時前にペンションを出発するが、今日も朝から暑い。8時頃に第二辺野古のバス停に着き、そこに自転車を止めてテントまで歩いて行く。今は水木が集中抗議日ということで多数の参加者があるようだが、谷間である金曜の今日は20人ほどの参加者で少数精鋭?の闘いである。

9時頃に第1回の資材搬送のトラックがやって来る。朝の攻防は反対側の歩道からの撮影を行うつもりだったが、座り込みが少なすぎて寂しく感じたのでゲート前の座り込みに加わる。座り込みの倍以上の人数の機動隊員によって、あっという間に排除されて、車列と機動隊員の列によって作られた囲いの中に閉じ込められる。その間も、少数精鋭?だけに囲いこみをしている機動隊員に対して抗議したり、食って掛かる人が多かったが、抗議の意思表示だけが目的の自分は囲いこみが終わるのをじっと待っ。囲いこみは車両の出入りが終わるまでの30分くらいの時間なのだが、直射日光をまともに受けるので、じっとしているだけでも結構つらい。囲いこみから解放された後、またゲート前で集会が始まるようであるが、軟弱な私はテントまで戻ってしばらく休憩する。

テントの中は涼しくて快適なため長居してしまったが、気がつくと機動隊員があわただしくゲートの方に移動している。第2陣の搬入が始まるに違いないとゲートに急ぐと、もう座り込みの排除が始まっている。出遅れてしまったので、やむを得ず座り込みには参加せずに動画撮影をおこなう。最後の座り込みが排除されると、入れ替わりに工事車両の搬入が始まるが、振り返ると20台近くの工事車両が列をなしているのには驚いた。
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2回目の搬入車両の搬出が終わると11時近かったので、午前中にはもう搬入はないだろうと判断して海の方に行ってみる。フェンス越しに埋め立て予定地の方を見ると抗議活動中の多数のカヌーは見えるが、取締りの海上保安庁の船は見当たらないようだ。その後、辺野古の町で昼食を摂るが、涼しい室内にいると外に出るのがいやになってくる。

気を取り直してテントに戻るとみなさんくつろいでいらっしゃるので、午後の座り込みはいいのかなと思ったら、辺野古の海を見に行っている間にもう1回搬入があったようで、午前中に3回というのは過去最多のようである。

午後は1時半に4回目の搬入があり、30分ほどの囲いこみ内での留置の後、解放される。時間的にもう一度は搬入があってもおかしくないので、テント内でしばらく集会を行ったが、基地内に待機していた機動隊員が宿舎に帰ってしまったので、本日の搬入はないと判断され解散となった。

今晩の民宿までの間にはコンビニはないようなので、少し戻ってコンビニで酒とつまみを買ってから民宿に向かう。途中、大浦湾の西側に降り立つと、埋め立て予定地に張り巡らされたフロートが真正面に見える。この美しい大浦湾が軍事基地で埋め立てられてしまうことに改めて怒りが沸き起こる。しばらく進んでから飲食店に立ち寄り、夕食を摂った後に民宿に到着する。今年の3月にも泊まった所でなかなか快適な宿である。シャワーを浴びて汗をかいたものを洗濯し、持参した酒で一人で乾杯をすれば至福のひとときとなる。

 

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2017年6月 2日 (金)

共謀罪廃案には全審議拒否しかない!

アベ友ジャーナリスト山口某のレイプ逮捕を官邸の意向を受けてもみ消した刑事部長がこともあろうに組織犯罪対策部長になって、共謀罪捜査の責任者になるというではないか!「公正な捜査が行われる」という政府答弁がいかにデタラメかが明らかになった。

数の力で会期内成立を目指す政府与党に対しては通常の方法では対抗できない。森友・加計疑惑の関係者全員の国会喚問を求め、それが拒否された場合には野党議員は国会に立て込もって全審議を物理的に阻止するしか共謀罪を廃案にすることはできない。野党、特に民進党は政府の主張を真に受けたバカな国民からの批判を恐れて及び腰になるだろうが、心ある国民は必ず支持するであろうから心配は無用である。支持率低下を恐れて審議拒否を躊躇して共謀罪を成立させてしまったら、あの悪代官ならぬ組織犯罪対策部長の陣頭指揮で野党議員も逮捕されちゃうかもしれませんよ。

それにつけても、安倍晋三を筆頭に女房役の菅、問題発言を繰り返す大臣たち、挙げ句のはてにはお友達ジャーナリストまで、揃いも揃って悪相ばかりが集まったものだ。
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2017年5月15日 (月)

安倍晋三の改憲発言は戦争法廃止の切り札になりうる!?

共謀罪その他の市民運動に関する日々の抗議行動はフェイスブックにまかせて、このブログでは市民運動関連については原則として意見表明を中心にしたいと思う。

安倍晋三の自衛隊明記発言については野党は集団的自衛権否定を前提とするという主張をすべきであることは前のブログで述べたところであるが、この問題を突き詰めていくとある興味深い結論をもたらすことに気付いた。

すなわち、安倍は国民に対して自衛隊を認めるかどうかの二者択一を迫れば十分に勝機ありと判断して、改憲発言に踏み切ったわけであるが、これに対しては野党を始めとする護憲勢力は「集団的自衛権を行使しうる」自衛隊を認めるべきかどうかという論点から改憲反対論を国民に訴える必要がある。その結果、集団的自衛権を認める戦争法に対しては各種の世論調査ではいずれも反対が優勢であったにもかかわらず、国会での数の力で強行採決を行って成立させてしまったものであるが、改憲の国民投票が集団的自衛権に対する国民投票にも繋がることにもなるのである。

その後の国際情勢の変化等により、国民投票の結果については余談を許さないところではあるが、国民投票で改憲が否決された場合には単に政権に大きなダメージを与えるだけでなく、戦争法の正当性も大きく損なわれることになるであろう。安倍晋三はとんだ大バクチを打つ羽目に落ちるわけだが、本人は果たしてそのことに気づいているのだろうか?

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