海外

2020年2月11日 (火)

帰国

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最終日は午後の便で帰国するだけののんびりした行程である。午前中は自由行動という認識だったので、9時過ぎにネットで調べたチェジュ市内の朝食人気店のN01に紹介されていたお店に行ってみる。ホテルからは歩いて15分くらいの大通りに面した店だったので、すぐにわかった。一番人気のヘジャングッという汁物料理を注文する。二日酔いを抑える効果のある料理だとのことで、昨晩飲みすぎた翌朝には最適の食事である。韓国料理だけに辛さは半端ではないが、味は一番人気だけのことはあった。

 

帰りはバスカードのチャージ残が大分残っているようなので、最寄りのバス停から行き先も確認せずに最初に来たバスに乗り込む。ところが、次の信号でホテル方向とは逆の西側に曲がってしまう。あわてて最初のバス停で下車して、反対方向のバス停に移動し先ほどとは違う路線番号のバスに乗り込むが、どうしたことかまた最初のバス停まで戻ってしまった。、こんなことをしてもらちが明かないので、帰りも歩いて帰ることにした。

 

ホテルに戻って荷物を整理し、予定どおり11時にロビーに降りて皆が集合する。このまま空港に直行するのかと思ったらレストランに行くとのこと。そう言えば昨晩そのような予定を聞いたような記憶もあるが、酔っていたので記憶が飛んでしまっていたようだ。先程の朝食から一時間ほどしか経っていなかったが、軽めの麺類を注文して完食する。

 

ホテルに戻ってからタクシーで空港に向かいチェジュ島の旅は終わる。天候にも恵まれ予定もほぼ達成できて満足できる4日間だった。

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ハルラ山登頂

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11年ぶりのハルラ山リベンジに行って来ました。城山岳尾根からの

韓国最高峰(1950メートル)の登頂は北八ヶ岳の山旅を思い出させるものであった。市内に戻ってからは海鮮料理に舌鼓をうって、チェジュ最後の夜を終えた。

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2020年2月 9日 (日)

牛島(ウド)

今回のチェジュ島滞在は4日間で、間の2日間のうち1日をハルラ山登山に充てていたが、出発直前になって今月からハルラ山登山には、事前に許可を取得する必要があることが判明し、あわてて申請をするも9日の日曜日は予約でいっぱい、かろうじて翌日の予約をとることはできたが、そんなわけで今日はフリーとなってしまった。今回の同行者はハルラ山に一緒に登る夫婦にその家族三人を加えた5人で、彼らはチェジュ島は初めてなので、世界遺産を含めた観光地に行きたいだろうが、私は前回に主な観光地は見ているので、前回行ってない離島の牛島に渡って島一周をした後、本島に戻って路線バスでチェジュ島一周を行うこととして、彼らとは別行動を取ることとした。

 

コンビニでバスのカードを取得してから牛島方面のバスに乗り込み、市外バスターミナルでバスターミナルで乗り換える。バスに関しては全てハングル表記のみで外国人に優しくないのは前回同様だが、バスの中でwifiが使えるようになったので、グーグルマップを利用することにより、乗り換え等は多少はやりやすくなった。

 

乗車した201路線のバスは海岸線沿いに東に向かって走っていくので、方向は間違ってないようだ。あとは途中で牛島行のフェリーが出る城山港方面に寄り道してくれるかどうかであるが、期待した通りに城山港方面に左折してくれたので城山港まで行くのかと思いきや手前で右折してしまったので、慌てて下車して港までは15分ほど歩いていく。

 

日曜日ということもあってフェリーは結構込んでいた。15分ほど牛島(ウド)着き、早速自転車を借りて島内一周サイクリングに出発する。走り出してしばらくすると、若い女の子たちにあっさり追い抜かれる。あれーと思って見たら、彼女らの自転車は電動自転車だった。その後に出会った自転車も全て電動で、電動でない自転車を濃いでいるのは私だけみたいであった。ただ、一周道路は海岸線を忠実に走っていてアップダウンがほとんどなく、人力車でも特に支障はなかった。
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牛島は全島はリゾート地のようで観光施設ひしめいている。なかでも北端灯台のある所が人気が高いようであったが、私もそこで一休みして(レストランで食事ではなく)持参したビスケットをかじる。
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その後もフラットな快適な道が続いていたが、フェリーの船着き場まで後三キロばかりまできたところで岩壁を擁した山に海岸線は塞がれて、初めて登りの道になったっため、自転車を降りて歩いて行く羽目になる。だが、それもわずかで間もなく下りになりフェリー乗り場に到着した。一周15キロのところを休み休みしながら走って1時間半だったからまずまずのペースである。

 

本島に戻ってチェジュ島一周の路線バスの旅を続けることになるが、南部のチェジュ島第二の街である西帰浦市行のバスには何番のバスに乗ればいいのかがわからなかった。フェリーを下船した人のほとんどは駐車場に向かっており、そこから先を歩いているのは私だけだった。こうなったら、さきほど乗った201番のバスに乗っていくしかないと考えて下車したバス停まで戻って201番のバスに乗り込んだ。行く先知らずのバスであったが、一時間ちょっと乗ると、目的の西帰浦バスターミナルまで行くことができた。番号の三桁目が1番だったので、多分幹線路線で西帰浦まで行くのではないかという読みはあったのだが

 

西帰浦バスターミナルからチェジュ市行のバスは101番と102番の二本出ており、いずれのバスとも201番乗車中はすれ違わなかったので西回りのバスだと断定し、101番のバスの方が乗車時間が長かったので海岸線を行くバスに違いないと判断して乗り込むことにした。ところが、発車して西側に向かうと思いきや東側に向かっているではないか!そのうち、左折して西側に向かうだろうという予測は見事に外れて一路東側へと向かっている。しかも2:01番よりもさらに海岸寄りの道を通っているので、さほどはすれ違わなかったわけである。結局は牛島へのフェリー乗り場入口を経由するかしないかの違いだけで、あとはほとんど同じ路線を通っていることがわかった。

 

西帰浦バスターミナルから西回りでチェジュ市に戻るためには直通はないので乗り継ぎが必要になるということなのだろうが、路線番号の情報を事前に得てないとハングルを読めない人は西回りのバスに乗るのは難しいということなのだろう。結局ホテルに戻ったのは8時半で半日目一杯の行動となり、一日中まともな食事は取れなかった。

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2020年2月 8日 (土)

11年ぶりのチェジュ島

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約11年ぶりのチェジュ島である。前回はチェジュマラソンに参加した翌日に韓国最高峰のハルラ山を登るつもりだったが、足が痛くて断念したためのリベンジでもあるが、日韓関係が冷え込んでいる現在、民間レベルでの交流が少しでもできればという気持ちもあった。

 

新型肺炎騒ぎで成田空港は閑散としているかと思いきや、そんなことは全然なく飛行機もほぼ満席であった。ホテルに着いて荷物を置いた後に街をぶらついてから焼肉屋で焼肉をたらふく食べて韓国気分を満喫した。

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2020年1月 6日 (月)

クレムリン

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国便の乗り継ぎ時のモスクワ滞在時間は半日強となるが、ラウンジで過ごすのも悪くはないものの、貧乏性の我々はせっかくだからとクレムリンまで足を伸ばすことにした。クレムリンは以前に夏に訪れているのだが、冬はどんな感じなのかを味わってみたいと、わざわざ通過ビザをとっておいたのだ(ビザ取得料金は無料)。

 

予定ではトランジットの先にあるラウンジで朝食を澄ませてから入国するつもりだったのに、うっかりして直接に入国してしまったが、クレムリンは中に入るわけではなく外観を見るだけなのですぐに帰ってこられるだろうから、それから出国手続きをしてラウンジで食事をすればいいやと思ってた。

 

前に行ったことがあるという安心感から、中東の訪問国のように下調べもしなかったのだが、実際に行ってみると以前の記憶はあやふやで、現地の人に聞いたりしてなんとかクレムリンにたどり着くことができた。クレムリンの周辺は新年を祝うイベントで賑わっていて、イスラム暦では別の時期が新年となる中東諸国とは様変わりであった。クレムリンの裏手にある川が冬は凍りつくのではないかとの期待をもって見に行ったのだが、夏と変わらぬ流れだったので少しがっかりしながら帰途についた。

 

帰りは来た道を戻るだけだからと軽く考えていたのだが、地下鉄と空港鉄道の乗り換え駅が何と言う駅かもすっかり忘れてしまっていた。これは、駅名がキリル文字表記と英語表記の二通りあって紛らわしいことと、モスクワには我々の便が発着する北部にある空港の外にも南部に2ヶ所の空港があり、何人かの警官に道を尋ねた際にも空港名を云って尋ねたつもりだったが、空港名を勘違いして道を教えてくれた人もいたようだ。その結果、たどり着いた空港の電光掲示板に自分の乗るつもりの便が表示されてないことからインフォメーションで説明を聞いて初めて空港を間違えたことに気づき、路線図ももらって正しい経路もやっと理解できた。ちょうど外国人が羽田空港から皇居を往復するつもりが、帰りは成田空港に行ってしまったようなものだが、完全に準備不足であり空港名と空港鉄道の記載のある地下鉄路線図を見せて質問してれば間違うことはなかったと思う。

 

幸いにして時間の余裕もあったので事なきをえたが、ちょっぴりヒヤヒヤの1日であった。モスクワのラウンジは混雑してたがなんとか場所を確保して食事を摂り、成田への帰国便に乗り込むことができた。

 

 

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ビラミッド見学後に帰国へ

今日は今回の旅行のうち中東については最終日であり、今回の旅行ではカッパドキアに次ぐ目的であったピラミッド見学のひである。全荷物を持って移動するわけにはいかないので、市内中心部に宿泊は予定していない荷物置場目的の安宿わ予約してあったので、そこまで移動するためのタクシーをホテルに依頼すると六千円だという。昨日ルクソールで1日チャーターしても九千円程度だったのに高すぎると思われ、時間に制約される帰国時ならばともかく、今日はピラミッド見学だけで時間に余裕があるため、空港からは少し離れてはいるものの市内中心部まで行くであろう路線バスに乗ることにした。バス停を見つけるのに一時間以上かかってしまい、やって来たバスに行き先も確認せずに乗り込んでGPSで確認していると、案の定市内中心部に向かっているようなので一安心する。

 

市内中心部で下車してタクシーをつかまえホテルまで移動して荷物を置いて身軽になって市内中心部の広場に向かう。「地球の歩き方」ではそこからビラミッド行きのバスが出ているように書いてあったが、広場に差し掛かると日本人の若者に呼び掛けられ、地元の人でも広場のピラミッド行き乗り場を探し出すのは至難の業なので、地下鉄でギザ駅まで行き、そこからはピラミッド行きの人集めをしている業者がいるからそれについていくのが良いと言われてその通りに従うことにした。

 

ギザ駅で下車してうろうろしていると、自分もピラミッドに行くという地元の人から誘われて一緒にタクシーでピラミッドに向かうことにする。その男は英語の教師だと云っていたが、どうもうさんくさい気がしたので、ピラミッド近くで下車して喫茶店に誘われた時に強引に振り切ってその男から離れた。

 

ピラミッド入場口前のケンタッキーで昼食をとったが、その店の三階からはビラミッドやスフィンクスが見渡せる絶好の展望台であった。食事を終えてチケットを買おうとすると、代わりに買ってやるという男がいたので金を渡すとチケットは買ってくれたが、このままだとガイド料を請求されかねないと考え、彼からチケットを奪い取ると、制止を振り切って入場してじまい悪徳業者の魔手から逃れることができた。

 

こうして無事にビラミッドにたどりつき、間近に見ることができた。メキシコでもピラミッドはみたが、エジプトのものはスケールが違っていた。こんな巨大なピラミッドを数千年前に作り上げた古代エジプトのパワーには畏敬を感じざるをえない。まさに今回の旅行のラストを飾るに相応しいものであった。
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ピラミッドからの帰りは二キロほど歩いてmapsmeに記載されているバス停からギザ駅方面に戻るつもりであったが、そこからはミニバスしかないことがわかり、今回の旅行で初めてのミニバス体験ができた。ギザ駅で下車して地下鉄で市内中心部の広場に戻り、考古学博物館に寄ったら、地球の歩き方では年中無休でまだやっているはずの時間なのにクローズとなっていて見損なってしまった。その代わりにナイル川のほとりで夕日を眺めながらのひとときを過ごせたのでまあよかったことにしよう。
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これで無事にエジプトを去ることができると思ったら、最後でどんでん返しが待っていた。まずは、ナイル川沿いのレストランで「最後の晩餐」でデイナーを注文したつもりだったのに、さいしょにスィーツらしきものが出て来て変だなと思ったら、その後はいくら待ってもなにも出て来なくて、とうとうしびれを切らしてどなり散らしたら注文が通ってないことがわかり、提供されたものだけの料金を払ってチップもおかずに退散した。その後はホテルで荷物を回収し、残金が現地通貨で九千円相当あったので、これならタクシーで帰れるだろうと、流しのタクシーをつかまえて料金交渉も成立し、ひと安心したところ運転手曰く「空港に立ち入るには四千円近くかかるので、別途払ってくれ」とのこと、最悪の場合は空港手前で下車して歩かなければならないかなと覚悟したが、空港手前でタクシーに何らかのトラブルが発生して前進が不能となる事態になってしまう。そこで折よくやって来た路線バスに乗り移り、さらにシャトルバスにも乗り継いで空港に無事に着くことができた。ただその間も本当に乗り継ぐことができるのかとの半信半疑の連続であった。帰り歩便は初めての正式なビジネスクラスだったので(以前にソウルでの乗り継ぎ時時に誕生日祝いで無料でビジネスクラスにグレードアップされたことはあったが)、出発前はラウンジでくつろぎ、搭乗後はゆったりとした座席でサービスを受けられるはずだったのだが、バターン急となってしまいサービスを受ける間もなかったのは残念だった。

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2020年1月 4日 (土)

ルクソール

カイロ空港の近くで便利だと思って予約したホテルが前夜に歩いてみたら意外と遠かったことから、始発のルクソール便へのアプローチはタクシー利用にするつもりだったが、出発に戸惑って出遅れたこともあり、いつ来るかわからないタクシーを待つよりも、時間の読める歩きの方が、チェックイン締め切りまで余裕がない現状ではリスクが少ないと判断して、歩いていくことにした。空港到着までは順調だったのだが。出発ロビーが見つからずに少々あせる。日本国内と異なりチェックイン前にも簡易セキュリティチェックがあるため、その装置の作動している唯一の入口からしかロビーに入れないのだった。ロビー前の道を右往左往してやっとロビーに入れる入口がわかり、なんとかチェックインはできた。

 

ルクソール空港に到着して観光に移るわけでるが、当初の予定でさルクソールの真ん中を流れるナイル川の西側を午前中に済ませるため、まずはフェリーの船着場までのタクシーに乗るつもりだったのだが、そこまでの料金が想定の倍の金額を提示され、協定料金なのか、どの運転手も全く値下げに応じない一方、東西両方の観光地周遊の1日チャーター料金は想定していたものと大きくは異なっていなかったので、日本円で約8千円でチャーターすることにした。

 

タクシーの場合もフェリーを利用して西側に移るのかと思いきや、はるかに南方の橋がかかっている所まで移動して西側に移ってからフェリー船着場あたりまで戻るもので、フェリーは利用しないものであった。フェリー利用と比べて走行距離はだいぶ増えるが、チャーターなので料金には影響しないし、時間的にも早いようであった。ナイル川をフェリーで渡るという経験をしたい気持ちもちょっひりはあったのだが・・・

 

いくつかの遺跡を観光後に西側最大の目玉である王家の谷に向かう。古代エジプト王家の墓が各所にあって、なかでも有名なのはツタンカーメンのものである。ただ現在はツタンカーメン関係のものは博物館に移されて当地にはないそうである。観光客は1日に三つの墓を見られることになっているので、最初は入場してすぐのラムセスⅣ世の墓に入ったが、壁に描かれたレリーフが鮮やかで、後から見た二つの墓よりもはるかに見事であった。また王家の谷では妙な体験もした。それは休憩所のことであるが、アイスクリームを注文して百ポンド紙幣で支払い釣りをもらおうとしたら、「you give me」と云って釣銭を渡そうとしないのである。文句を云ってなんとか釣銭はもらったが、釣銭を払わないという文化は他国では経験したことがない。同じ中東でもヨーロッパの影響が強い所と違いエジプトはアフリカの影響が濃いためであろうか?もちろん一般商店ではそのようなことはなく、観光客相手の商売に限ったことではあるが釣銭部分はバクシーシ(喜捨)と考えているのだろうか
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西側の観光を終えて東側に移動し、運転手ご推薦の店で魚のフライ料理を注文したが、今回の旅行中に食べた料理の中で一番日本人の口に合う料理でとても美味しかった。食後は近くにあるカルナック神殿を観光したが、今まで見た世界の遺跡の中でも断トツの荘厳さで、はるばるルクソールまでやってきて良かったと思わせるものであった。「事件」はこの後に起きた。観光を終えて通りに戻り運転手に電話して待っていると、別の人がやって来て、「あなたの運転手は用事ができて来れなくなったので私の車に乗れ」というのである。半信半疑でいるとタクシーの運転手が戻ってきたので男は立ち去り難なきを得たが、もう少しで騙されるところであった。

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最後の観光は市の中心部に近いルクソール神殿であるが、これはこれで素晴らしかったもののカルナック神殿の後だとスケールの小ささが目立ってしまい、やはりルクソール神殿の後にカルナック神殿を観光した方が感動が高まっていくので良かっただろうと思えた。以上でルクソールの予定を全て終えて空港に戻りカイロに帰ることになるが、充実した1日を過ごさせてくれた運転手には「たっぷり」とチップをはずんでやり、彼も喜んでくれた。

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2020年1月 3日 (金)

死海体験後にエジプトへ

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本日はペトラを後にして死海経由で空港に戻り、エジプトのカイロに至るという変化に富んだ1日である。このような経路は路線バスはもちろんツアーにもなく、タクシーの遠距離利用にならざるをえない。料金は大体の予想はつくが、悪徳ドライバーに ぼられたらいくらになるかはわからない。運賃交渉をするにしても、こちらには早い時間にベトラを脱出して夕方には空港に着いていなければならないという事情があるので、足許を見られる心配がある。そこで割高になるのは覚悟の上でホテルにタクシーを紹介してもらうことにした。予定していたよりもだいぶ高い二万四千円かかることになったが、やむを得ないと考えることにした。

 

アンマンからペトラに来たときと違い、死海に向かうためには山越えをしていくので変化に富んだ魅力的なコースであった。ほどなく死海につき、一時間ばかり休憩をとって死海の浮遊体験を行った。高い塩分による浮力は思っていた以上で、海中から突きだした足を海底につけようと思ってもかなわず、一時的に溺れた状態になるしかなかった。

 

死海を後にして一路アンマン空港に向かう。早い時間に着き過ぎたので、チェックイン開始までかなり時間があり、チェックインしないことにはイミグレの先の免税店に行けないということで、チェックインカウンター側のカフェで軽食を摂りながらチェックイン開始を待った。二時間以上待たされてチェックインを済ませ、もう二度と来ることはないであろうヨルダンを後にしてエジプト航空の機内に乗り込んだ。

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2020年1月 2日 (木)

ペトラ遺跡

早朝にホテルを出てペトラ遺跡に向かう。観光用のペトラ行きバスは朝の1便だけということで乗り遅れてはたいへんなので日本から予約していったのだが、乗場がわからず不安であった。ホテルのロビーやタクシーの運転手に聞いてたどり着いた所は、予約書に書いてある所とは違い始発の場所であったが、そこからでも乗車できたしホテルからも近かったので結果的にはよかった。

 

ペトラまでは砂漠状の平原を三時間あまりかけて進んで行く。バスに乗り合わせた人はほとんどが夕方発のバスで帰る日帰り観光と思われるため、すぐに遺跡方面に向かって行くが、我々はペトラ泊まりで荷物があったので、遺跡と反対方面のホテルまで行き、荷物を置いてレストランで食事をしてから遺跡に向かう。

 

ペトラ遺跡の入場料は円換算で八千円とバカ高いことで有名であるが、一生に一度だけのことだからと我慢する。インディージョーンズの舞台ともなった宝物殿までは入口からシークと呼ばれる大峡谷を一キロちょっと歩いていく。ペトラ遺跡の最大の目玉である宝物殿の前には多くの観光客がたむろしている。テレビや写真でよく見る風景ではあるが、実物を目の前でみるとなかなかの迫力である。
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宝物殿の奥にも円形劇場や教会といったナバタイ王国の遺跡が多数見られるので、半日で見て回るとなるとかなりの強行軍にはなる。2日券や3日券も売っているが、宝物殿までの長い道を毎日歩くことを考えると、1日で観光を済ませてしまった方が得策であると思われる。そう言いながらも夕食後にまたペトラ遺跡に出かけることになった。、宝物殿前で週三回行われる「音と光のショー」(別料金)を見るためである。今晩は開催の日に当たっていたものの、元日なのでどうかなとも思われたが、イスラム圏では正月は関係なかったようである。家内は昼の観光で疲れてたので行きたくないということで一人で出かけたが、派手な演出こそなかったものの、まあまあ面白かったということにしておこう。
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2020年1月 1日 (水)

イスタンブールからアンマンへの移動

本日はイスタンブールからヨルダンのアンマンまでの移動だけである。直行便に乗れば早いのだが、直行便は安い便は売り切れていて高い便しか残っていなかったので、レバノンの首都ベイルート乗り継ぎの便を選択した。その場合にはベイルートの乗り継ぎ時間が四時間近くとかかるので、かつては中東のパリと謳われ、その後は内戦やイスラエルからの攻撃を受けて大きな被害を受けながらも復興の途上にあるベイルートの街を眺められるという興味もあった。街は空港に隣接していてタクシーを利用すれば、乗り継ぎ時間内に市内観光もできると踏んだのだが、家内が疲れ気味だったので乗り継ぎ時間は空港内で休養し、ターミナルから街並みを眺めることに甘んじることにした。折しも、昨日カルロス・ゴーンがレバノンに逃亡したそうなので、この視界のどこかに彼が潜んでいるのかと思うと興味深かった。
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また空港は海岸に面しているので、地中海に沈む今年最後の夕日を眺められることも期待したが、またもや悪天でかなわなかった。ただ離陸して雲の上に出ると、地上線上に残照が認められたのでよしとしよう。
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アンマン空港に着いてバスで市内中心部に向かうところまではよかったのだが、ホテルまたでのタクシー代は渋滞が激しかったことも影響していたかもしれないが、ネットに書いてあるものよりだいぶ高いものになってしまった。ヨルダンのタクシードライバー恐るべしで、明後日のペトラ遺跡からのタクシーチャーター料金を巡ってのタクシードライバーとのバトルを考えると気が重くなってしまう。

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