海外

2026年4月 3日 (金)

台湾からクルーズで帰国

3月28日〜4月1日

 

台湾基隆港〜東京港

 

バルコニー付きの部屋を予約したが、荒天続きで部屋にこもりっきりで、ネットフリックスからダウンロードした映画を観たり、持参した文庫本を読んで過ごす。食事はビュッフェでのバイキングを中心に、レストランでのコース料理も楽しんだが、4泊もすると少々飽きてきた。妻は期待外れのクルーズだったようで、6月に妹と行く豪華クルーズの方を楽しみにしているようだが、私は十分に堪能したので、都合4回目となる今回でクルーズは卒業という気持ちである。

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出航直後に基隆港を振り返る

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船内のエンターテイメント

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船内の通路


相模湾から富士山を望む





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2026年3月28日 (土)

基隆

3月27日

 

台北〜基隆(ハーバービューホテル)、夜市見物
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3月28日

 

午前中は基隆港を見下ろす展望台から乗船予定のクルーズ船を眺め、午後は東京を目指してクルーズ船に乗船

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2026年3月26日 (木)

北投温泉

3月26日
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グリーンワールドリンセンホテルから北投温泉へ移動

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2026年3月25日 (水)

台北 グリーンワールドリンセンホテル

3月22日

 

イースーホテルからグリーンワールドリンセンホテルに移動

 

3月23日

 

十分訪問〜夜市
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3月24日

 

猫空ロープウェイ〜動物園(パンダ見物)

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2026年3月23日 (月)

台北 イースーホテル

3月19日

 

成田空港〜桃園空港〜台北駅〜イースーホテル

 

3月20日

 

市内観光(公園、総督府他)


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総督府

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3月21日

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故宮南院

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3月22日

 

イースーホテル〜グリーンワールドリンセンホテル

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2026年1月29日 (木)

ネパール旅行記

1月25日

 

ヒマラヤの旅もシッキムが終わり、いよいよ最後のネパールに移ることになる。ブータンに向かう時に利用したバグドグラ空港がネパールに向かう時の出発点ともなる。安い航空券を利用しているので、デリーでの乗継時間が半日(しかも深夜)というスケジュールだが、時間には不自由しない身分なのでやむを得ない。

出発時間の6時間ほど前なので、まだチェックインはできないかなと思ったが、地元の航空会社なので(LCCがかもしれないが)常時職員がいるため早めのチェックインも可能なようであっあ。チェックイン自体は特に問題はなかったが、チケットを購入したクレジットカードの提示を求められたのには驚いた(こんなことは初めてだ)。念のために使わないだろうと思ったが、カードを全部持ってきておいてよかった。

待ち時間が長いのでプライオリティパスが使えるラウンジを利用しようと思ったが場所がわからず、待合室で待つしかなかった。ただ空港までのタクシー代が思っていたよりも安く済んだため、余ったルピーを使うためには、待合室の売店利用を余儀なくされたことも良かったかもしれない。

長時間の待ち合わせの後に夕方6時前にようやくデリー行きの飛行機に搭乗できたが、上空に達すると西の空にはわずかに太陽の光が残っていた。しばらくして機内サービスが始まったが、一部の乗客だけに食事を配っている。あれと思ったが、LCCなので予約した人だけに食事サービスがあるのだろう。飲物も配りだしたのでコーヒーを頼んだら200ルピー(約350円)とかなんとけいっている。コーヒーも有料なんだ!「ルピーは持ってないのでクレジットカードで払う」と言ったら、向こうも面倒くさくなったのか、結局無銭飲食となってしまった(ポケットの中を調べたらギリギリ200ルピーはあったけど)。

デリー空港には夜8時頃に着いたが、カトマンズ便は早朝なので、それまでプライオリティパスのつかえるラウンジでどのくらい粘れるか(行きも利用したラウンジであまり快適ではないが)。その前にデリーの到着したのはターミナル1なのでターミナル3までシャトルバスで移動しなければならない。バス代が25ルピー必要だったので、ルピーを全部使い切ってなくてよかった。

ターミナル間の遠いことったらありゃしない。JRの何駅か分くらいの距離はありそうだ。ところが、ターミナル2に着いたところで全員降車してしまい、ターミナル3行きのシャトルバスはどこから乗るのかわからない。係の人に聞いても要領を得ない(単に自分のヒアリング力不足なのだが)。ただ上の階に行くのだというようなことは言ってるようなので、色々と試行錯誤をしてみると、同じ建物の1階はターミナル2で上の階はターミナル3だということがわかった。一件落着ではあるが、こんなこと、普通はわかんないよな。

これで問題解決かと思ったら、さらに難題がふりかかってきた。カトマンズ便は早朝出発なので、今夜中にプライオリティパスが利用できるラウンジに入って朝まで粘ろうと思っていたら、カトマンズ便は2時間近く遅れて、まだターミナルの中には入れてもらえず、ターミナルの外で待たされる羽目になったことである。国際便の乗継ならば、別のターミナルになることは通常はないので、外で待たされるということはないのだが、今回は国内便から国際便への乗り継ぎというのが落し穴であった。まさか屋外で待たせれるなどとは思わず、ダウンは預け荷物の中に入れてしまったのは失敗であった。まあデリーは日本ほど寒くはないのだけど。

おかげで今日は昼も夜もラウンジに入れなかったが、代わりに売店で食事する羽目となり、朝は朝でタクシー代が足りなくならないようにと思って粗食で済ませたので3食合わせても千円に達しないという結果となり、インド最終日は思いがけない倹約デーとなってしまった。

1月26日

日付は変わる直前に屋外にいる係員によってターミナル内に入れてもらえたのであるが、イミグレで出発3時間前までは手続きはできないと言われて追い返される。まあターミナルに入れただけでもよしとするかと思ったのだが、屋外は椅子があって仮眠もできるのに対して、屋内は椅子がないので立ちん坊かぶらつくしかなくて、どちらがよいかは判断が難しいところである。と思っていたら、しばらくして入口付近にベンチがあるのに気付きましてホッとする。

しばらく待機してから、少し早めではあるがイミグレに行ったら、今度は手続きをしてくれた。その後、セキュリティチェックも終わり、まずは搭乗ゲートの確認をしておく。次にプライオリティパスで利用できるラウンジにむかうのだが、ここで前回の記憶を思い出してと思ったら、間違ってコロンボ空港のラウンジと混同してしまい、遠くまで行き過ぎてしまった。間違いに気付いてから、かなり戻ってラウンジに入ることができた。

早朝にもかかわらずラウンジはかのりの盛況であった。料理は大したものはなかったが、昨日1日の食事に比べればご馳走である。それよりも前回は飲み放題だったビールが今回は提供されないようなことが残念であった。アルコールの提供には時間帯があるのだろうか

食後に搭乗ゲートに戻り、搭乗時間を待っていると、気づかずうちにまどろんてしまう。目を覚ますと搭乗ゲートには行列が出来ていたので、慌てて並んで機内に入る。これでやっとネパール旅行を始められることになった。

離陸してしばらくすると、ヒマラヤの大展望が展開してくる。ダウラギリ、アンナプルナ、マナスルといった8千メートル峰が屏風のように並んでいる。山好きにとっては応えられない風景である。

やがて機体は徐々に高度を下げてネパール上空に達するが、エベレストと思われる山容もはっきりととらえることができる。

空港に着陸してからはイミグレもセキュリティも順調に進んだのだが、預け荷物がなかなかでてこないのにはいらいらした。ただ考えてみればデリーでの乗り継ぎ時間が6時間以上あったのて、おそらく一番奥に積み込まれたであろうから、出されるのも最後になるのは止むを得ないと言えよう。

タクシーはプリペイドタクシーが一般的になっているようなので、昔のように運転手と料金交渉をする手間が省けて楽になったものである。空港から繁華街のタメルまでも以前ほどは渋滞せずに来れたようなきもするが、たまたまラッシュの時間帯を外したからかもしれない。

予約していたホテルはなかなかいいホテルなので、ポカラ帰った後も泊まってみたいと思った。一休み後、近くの日本料理店に行きカツ丼を食べる。日本のものと遜色のないものであったが、こんなものばかり食べていると、せっかく外国に来た意味がないのでほどほどにしておこう。

ホテルに戻ってひと眠りしてから、明日のポカラ行きのバスの集合場所を確認しに行った。集合場所とされているnayabazarという地名はいくつかあり、そのなかではeチケットがリンクしている個所と、地元の人が教えてくれた「毎朝、バスが停車している」
という個所はいずれもその痕跡はないのだが、とにかく朝行って確認してみよう。

帰り道の途中でアルコールの飲める中国料理の店があったので、モモをつまみにビールを飲むが、それだけではちょっと足りない気がしたので、帰る途中でコンビニ風の店でカップ麺とワインを買ってホテルで飲み食いしだ。

1月27日

6時前に起き出して出発の準備をし、カトマンズに戻ってから同じホテルに予約してあるので不要の荷物はホテルに預け、ホテルが用意してくれた朝食を持って集合場所に向かう。

eチケットがリンクしている集合場所にはおびただしい数のバスが停まっている。係員にどのバスなのかを尋ねても、自分のeチケットは日本語で書かれているので、係員はバス会社がわからずにたらい回しされてしまう。

取扱業者の名前を手がかりにバスが見つかるが、少々お高いツアー専用バスを申し込んであったので、いままで何度か利用したポカラ行きのバスとはグレードの違う高級バスであった。最後のポカラ行きだから、このくらいの贅沢は許されるだろう。

最初は最後部の座席に座らされたが、出発直前になって席を立たされたので、バスから追い出されるのではないかと心配したが、展望の良い最前列の席に移動させてくれたということで一安心する。

7時過ぎにバスはようやく発車し、これでポカラまでは行けることが間違いないことになった。座席は半分弱しか埋まっておらず、今まで利用してきたポカラバスのようなオンボロバスとはえらい違いである。

バスはリングロードと呼ばれる環状線を反時計回りに進み、スワントナープというボドナートと並ぶカトマンズの有名な寺院の付近からポカラに向かう道に分岐していく。このあたりは昔レンタサイクルでも通ったことがあるところである。

1時間ほど走った所でトイレ休憩になる。このあたりまでは道幅も広い舗装路なので快適に進めるが、その先は悪路が多くなり、格段にスピードが落ちてくる。

悪路は断片的に続くが、高度がサゴってくるので気温も上がり暑くなってくる。2回目の休憩では小腹が空いてきたので野菜コロッケの
サモサを食べる。ツーリスト相手の店では50円だったが、少し離れた地元民相手の店では40円だった。もちろん後者の方を買う。  

ポカラに近づくにつれて、次第に高度は上がり暑さも和らいでくる。ポカラのバスターミナルには2時過ぎに到着するが、そこから今晩のホテルまでは歩いて30分弱なので、タクシーに乗るほどでもない。ホテルまでの途中に食堂があったのでモモを食べる。モモは日常的に欠かせない食事となってしまった。

ホテルに着いて部屋に入ると今回の旅で初めてバスタフが付いているのに驚く。さらにバルコニーまで付いているのに2度驚く。よく調べてまたら、なんと五つ星のホテルだった。そんなに高い料金ではなかったはずなのだが

すっかりお大尽になった気分で、夕食は本格的な中国料理の店で食事する。ダージリンでは中国料理と銘打っていても、実質はインド料理だったことが多かったので、久しぶりに本格的な中国料理を楽しめた。

1月28日

今日はアンナプルナベースキャンプをヘリコプターで訪問する日だが、そもそもこのホテルを選んだのは、このホテルが集合場所になっていたからである。ホテルには朝食が付いているのだが、それを食べていると間に合わないので、自分の部屋でカップ麺を食べてからロビーに降りてむかえを待っ。

集合時刻をだいぶ過ぎてから、ホテルの人からフライトのキャンセルを告げられて朝食を食べるように言われる。たいして空腹ではなかったが、一通り食べてから部屋に戻り、今日の予定を考える。雨の中を自転車やボードに乗ったりしたくはないので、湖の端まで行きは歩いてみて帰りは場合によっては路線バスに乗ってみようと考えた。

家並が途切れるあたりで便意を催してきたので、どうしようかと思ったら、レストランを併設しているホテルがあり、そこにはトイレもあったので(レストランのみの場合はトイレはない場合が多い)、ホットして用を足してからミルクティーを飲みながら湖面を眺めて雨が小降りになるのを待った。

レストランを出て少し歩くとまたお店が立ち並ぶようになった。そしてバスも何台も止まっている。後から来るバスも乗客全員を降ろして駐車場に入っていく。地図でも、ここから先にはバス停の印はない。そこで、ここからバスに乗って帰ることにする。

行き先はネパール文字で書いてあるので全然わからないが、グーグルマップで進路を確認して、違った方向に行くようならば、そこから降りればいいやと乗り込むことにした。

ここのバス路線は緑色系統と青色系統のバスが走っているが、私が乗り込んだ青色系統のバスは緑色系統のバスよりもボロいようだ。このバスもドアが閉まらないのか開いたままで走り出した。

料金の支払いも先払いなのか後払いなのかわからなかったが、乗る時に何も言われないので後払いなのだろうと判断する。湖に沿って走るのかと思ったら、途中で内陸の方に曲がってしまったので、そこから降りて後は歩いていく。運賃は40円だった。

ホテルに戻る途中で日本料理店に入り、チャーシュー麺を注文したが、これは失敗だった。麺はうどんみたいだったし、チャーシューが今一つだった。本当は鯖の塩焼きを注文したかったのだが、1400円もしたので、昼食にはちょっと贅沢かなと思ってやめたのだが、やはり食べたいものを食べれば良かったと思った。

午後はしばらくホテルでやすんでから土産物屋を見て回ったが、結局買いたいものはなかった。ホテルに戻る途中にもう一軒日本料理店を見つけ、天麩羅うどんを注文するが、こちらは合格点であった。夕方には快晴となり、明日のヘリフライトへの期待が高まった。

1月29日

夜中に何度も目覚めて外を見たが、星は見えず曇っているようである。天気は予報のようにはいってないようである。集合時間の6時半前にロビーに降りてみるが、集合時間になっても迎えは来ず、時間どおりの出発とはならずに判断待ちをしているようである。ホテルのスタッフは部屋で待っているように言うが、ロビーで待ち続けることにした。

結局、本日フライト決行の連絡はなかったため、帰国前にカトマンズで2泊する予定のホテルはキャンセルし(一泊分のキャンセル料は発生)、ポカラの宿泊を2泊追加することにした。またカトマンズへ帰る翌朝のバスもキャンセルし(返金なし)、最終日の朝にカトマンズに戻るバスの予約をすることにした。まあカトマンズは何度も来ていて、特に見る所もないので、せっかくのアンナプルナベースキャンプ訪問のチャンスに賭けることにした。

ところが、昼前に突然連絡があり、これけらヘリフライトがあるので出発準備をするようにとのことで、慌ててロビーに降りて迎えの車を待つ。半信半疑だったが、本当に迎えの車は来て、他のホテルから乗り込んだ人と一緒に空港に向かう。

空港でしばらく待機しているとヘリコプターが飛来し、乗客5人が乗り込んでアンナプルナベースキャンプに向かって飛び立つ。このあたりはyoutubeで何度も見ているので、さほど感激はないが、待望の瞬間がいよいよ近づくのかと思うと信じられない気にもなる。

アンナプルナベースキャンプの滞在時間は20分程度であったが、絶景を充分に堪能できた。迎えのヘリに乗って飛行場に戻り、車でホテルまで送ってもらう。
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ホテルで一休みしてからもう一仕事が待っている。それは、前々から気になっていたポカラを見下ろす山の上に立っている日本寺妙法寺を登ることである。ポカラ中心街からはちょっと離れているので、レンタサイクルを利用することにした。

1時間200ルピーということで3時間借りることにした。しばらくは平地であるが、妙法寺方面に向かう登り道に入ると、とても漕いで登れる傾斜ではないので、自転車を降りて引いて行くことになる。

1時間ほど登っていったが、目標とした妙法寺ははるか先なので、手前にある無名の寺で引き返すことにした。


すると、その時こんにちはと声をかけられる。日本に11年働きに出て里帰り最中で横浜に住んでいるそうだ。しばらく話してから下りだすが、下りはさすがに早く登りの半分以下の時間で下に着く。

まずはモモをつまみにビールで喉を潤して目標達成を祝う。その後、湖に出かけたり、夕暮れのアンナプルナ山群を眺めたりしてから、先日食べ損ねたさばの塩焼きを食べてポカラ最後の夜を終えた。

1月30日

今日も快晴でアンナプルナ連山が美しい。朝食もそこそこにチェックアウトして大通りでタクシーを拾ってツーリストバスパークに向かう。小額紙幣がなかったので、ホテルで両替しようと思ったら手持ちがないということでできなかったので、おそらく運転手は釣りをくれないだろうから1000ルピーまるまる払ってもいいと思っていた。ところが、バスパークに着いて1000ルピー紙幣を払うとちやんとお釣りをくれるではないか。400ルピーという約束だから500ルピー札と100ルピー札をくれたのだと思って後で見直したら100ルピー札2枚だった。見事に400ルピーを騙されてしまったと思ったが、よくみなおしたら、1枚は500ルピー札だった。それにしてもネパールの小額紙幣は一見してもなかなかわけりづらい。

行きと同じくツーリストパスではあるが、少しランクは落ちるようで地元の人も少しは乗っているようである(下の写真の先頭が帰りのバス、たまたま休憩所でその後ろに行きの時のバスが停車)。

走り出すと左手にはアンナプルナ連山が望め、素晴らしい景観である。なかでもマチャプチャレの偉容は圧巻である。

間もなくすると、反対側から大勢のランナーが走ってくる。ゼッケンをつけているのでレースなのだろうが、今日は土日でないのに平日でもレースをやることや、交通規制がなくてラッシュの車の間を縫うように選手が走っているのにも驚いた。


進路を南に向けていくと山間部に入って、ガスに覆われてアンナプルナ連山も見えなくなってくる。これからは長い々々退屈な旅が始まる。1時間ほど走ってトイレ休憩となるが、したくなくてもしておかないと後で思わぬ苦労をするというのが行きの時の教訓である。

その後は長い々々悪路を耐えながらカトマンズを目指す。途中で車内WiFiが使えることに気付き、妻にラインを送ったりして時間を潰す。さらにNHK+を開いてテレビ番組も見られるのではないかと思ってやってみたが、そこまでは無理だった。そのうちにインターネットに繋がらなくなってしまった。南米のバスのWi-Fiも途中でつながらなくなったことを思い出し、車内WiFiは1人が長時間使い続けないような仕様になっているのかもしれない。

その後、道はつづら折りの登りになっていく。カトマンズから来た時はきずかなかったが、カトマンズの手前に峠があって標高差1000メートル近くを上がらなければならないのだ。上がるにつれて左側の奥にランタン方面と思われる雪をいただいた山々が見えてくる。峠に達すると前方にカトマンズの街並みを見下ろすことができる。道をゆっくりと下っていくが、たいした下りではない。カトマンズはポカラよりも標高は800メートルも高いのだ。

やがてバスはリング道路に入り、渋滞の中を終点に向かっていく。終点の前で一カ所下車する場所があったが、ホテルのあるターメに最も近いナヤバザールで降りるつもりだったところ、ナヤバザールには停まらずにかなり先の終点まで連れて行かれたので、ホテルまでは1時間近く歩く羽目となった。タクシーに乗らなかったのは、今回が最後となるカトマンズの繁華街以外の街並みを歩いてみたいという気持ちがあったからである。

1月31日

午前中は土産物を買い、午後はクライミングジムで遊んだ後、ロキシーやチャンという地酒が飲める店がネットに載っていたので探してみたが、わからなかった。手持ちルピーが乏しくなってきたので、夕食はカードが使える日本料理店として調べた店にいってみたが、前に行った日本料理店よりもかなり割安な感じであった。すし12巻の一皿で1600でシャリもネタもまずまずであった。ただカード払いだと3.5%の手数料が必要だといわれたので現金で払ったため、新たに両替が必要となった。そのため、帰りのタクシー代以外のルピーを消費するために、さらに土産を買わなければならなくなり、カードで買った方がよかったかもしれない

2月1日

ネパールを去る日がやってきた。3週間にも及ぶ長い旅もいよいよ終わりに近づく。カトマンズ市内を去る前に昨夜両替したためにルピーが余ってしまいそうなので、土産物を買い足しに街に出る。

ホテルに戻ってチェックをしようとしたが、一度キャンセルして再予約したことによる追加払いが9千円必要になると言われる。その計算過程はよくわけからないが、カードで精算できるということなので、この際は細かいことにはこだわらずにいわれるままにする。

タクシーはホテル側で呼んでくれたが、タクシー代はホテルが負担してくれるという。嬉しいことではあるが、その分だけルピーが余ってしまうので、嬉しさ半分、迷惑半分である。

空港に着いたが、チェックイン開始時間まではしばらく時間があるので、その間に小額紙幣の使い途はないかと売店で探していたら、ブラックティー80ルピーというのか目につき、これで小額紙幣は15ルピーだけとなったので一安心である。

チェックインと出国手続きが終わると、セキュリティチェックの直前にプライオリティパスて利用できるラウンジかあるので、そこでしっかりと食事をとっておく。というのは、今回利用するエアアジアはLCCのため、予約してないと飲食のサービスは受けられないからである。ここのラウンジは食事の内容はまずまずであったが、インド料理中心のため、インド料理に飽き飽きした人には辛いかもしれない。ただ自分はインド料理はこれが最後かもしれないという思いで噛み締めながら食べさせてもらった。

ラウンジを出るとすぐセキュリティチェックとなり、そこから先には土産物屋がひとつあるのみであった。その土産物屋も商品の種類は少なくバカ高かったが、手持ちのルピーを使い果たすためにお茶を二箱買うことにした。二箱で二千ルピーになるのに対して財布には1900ルビーしかなかったが、それで負けてくれることになった(ポケットにあった15ルピーも出した方が良かったかな)。

空港の発着が混んでいたためか、出発は30分以上遅れたが、バンコクでの乗り継ぎ時間が6時間ほどあるので全く問題はない。やがて順番が来て離陸して上空に上がると、エベレストからカンチェンジュンガまでの高峰が眺められたのはヒマラヤの旅の最後を飾る贈り物であった。




飛行機が高度を上げると雲の中に入って展望は得られなくなり、一路バンコクに向かって進んでいくだけである。ミャンマー上空に達する頃には夜の帳が降り始めたが、満月が飛行機の翼の横に眺められて幻想的な雰囲気であった。


間もなくバンコクの空港に降り立ち、成田空港行きの便に乗り継ぐことになる。ただし、乗り継ぎ時間が6時間近くあるので、ラウンジでゆっくりしていくことにする。プライオリティパスで無料でラウンジが使える特典も以前は回数せいげんはなかったが、今は年間5回と回数制限ができてしまったが、今回の旅行では、このバンコクのラウンジで上限の5回に達することになる。バンコクのラウンジへなかなかの質の高いラウンジで今まで入った中で最高のラウンジかもしれない。最後にいいらに入れてラッキーだった。

制限時間2時間前にラウンジを出ても成田空港行きのフライトまでは、まだ3時間以上もある。

2月2日

日付が変わっても成田空港行きのフライトの搭乗時間まではしばらく時間がかかる。搭乗口前の待合室は私が入った時はほとんど人がいなかったのに次第に人があつまりだす。それもほとんどが日本人である。この3週間、日本人には全く会わなかったのに、まわりが日本人ばかりというのは妙な気分である。

やがて搭乗開始となるが、今回は後方の座席なので、先に搭乗することになる。私の座席は通路側で隣の窓側の席の女性と通路を挟んだ反対側の席の男性とがペアにもかかわらずせきが離れてしまったようなので席を代わってあげた。

知らぬ間に眠ってしまったようで、目が覚めた時は外は既に明るくなっていた。と言っても東に進む時は時間の経過が早いので大して寝てはいないのだが。間もなく食事時間となり、予約した食事が運ばれてきた

(LCCのため、予約しないと食事サービスはない)。実はこの食事の予約が大変だった。予約画面までは行けても、そこから先には進めないのだ。一度は諦めかけたが、航空会社のアプリで予約できることに気づくまでが大変だった。食事の予約をしていたのは1割程度だったが、やはりハードルが高いためかもしれない。

まもなく、飛行機は無事に成田空港に着陸して、3週間にも及ぶヒマラヤの旅もピリオドを打つこととなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

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2026年1月20日 (火)

シッキム旅行記

ヒマラヤ訪問第二弾はインド領シッキムである。インドはあちこち行ったが、東北部に位置してかっては独立国だったシッキムにはまだ行ったことはなかったので、ブータンと繋いで行きたいとおもっていた。以前はブータンのプンツォリンから国境を越えて陸路でシッキムに入りたいと思っていたが、路線バスが走っているわけではないので、自分で車の手配をしなければならず、この年になってから、そのようなことをするのもたいへんなので、飛行機を利用してブータンのパロ空港からシッキムのバグドクラ空港まで45分で一気に飛んでしまうことにした。

わずか45分の飛行時間ではあるが、チョモラリを初めとするブータン西部の山々から世界第三位の高峰であるカンチェンジュンガの連山(支峰も含めると8千メートル峰が4つもある)までを眺められる山好きにとっては応えられないフライトである。

間もなくバグドグラ空港に着陸したが、まわりの乗客は一向に降りようとしないので、私も着席したままでいたら、CAに降りるように言われる。まわりの乗客はほとんどがデリー方面に向かう客だったのだろう。危うく降り損なう所であった。

空港からはプリペイドタクシーでシルグリの街に向かうが、目的地近くまで来ても運転手はホテルを見つけられなくなっている。というのは、ホテルのある場所は道路がこうかと地上に分かれていて、ホテルは地上に面しているのにタクシーは高架部分を走ったために通り過ぎてしまったからである。そこで、戻ってもらっえ地上部分を走ってもらったにもかかわらず、目的地の近くでもホテルを見つけられなくなっているのである。そこで車を降りてグーグルマップ上にあるホテルを目指して少し歩くと目的のホテルを見つけることができた。

これは予約したホテルがブータンで利用したようなしっかりしたホテルではなく、雑居ビルの3階にあるというわかりにくい立地のためであった(一応看板は出ているのだが)。

ホテルに荷物を置いて食事をするために街に出てみたが、パロ空港で胃腸に感じた異変がひどくなっている気がしたので、ここで刺激の強い食事をすると、胃腸には良くないだろうと考えてスナックと水だけを買ってホテルに戻ることにした。

ホテルに戻るとどっと疲れが出て食欲もなかったので、こんな時は何も食べないに限ると、そのまま眠ってしまうことにした。

1月17日朝目覚めると、依然として食欲はないので、胃腸薬を飲んで絶食を続けることにした。今日の行程はダージリンまでの1日がかりの列車の旅だが、席は予約されているので、座っているだけならば体調が万全でなくても問題ないだろうと予定通りダージリンに向かうことにした。

外国の観光列車としては一昨年に南米で乗った「地球の果て」号があるが、あちらは数時間の乗車時間だが、こちらは半日がかりである。車ならば数時間で行ける距離なのに、そんなに時間がかかるのは、機関車の性能のためなのか、観光客に長く楽しんでもらうためなのか、あるいはその両方のためこもしれない。イギリスの統治時代から走っている列車で世界遺産にも選ばれている人気列車で数カ月前から申し込む必要があるが、急ぐ旅でもないからと申し込んだものである(帰りはさすがにタクシーで直接空港まで直行するつもりだが)。

ホテルから始発駅のニュージャルパイグリまでは歩いても小一時間の距離だが、荷物が重いのと体調が万全でないためにリキシャ(オート三輪のタクシー)で向かう。

しばらく待って乗り込むと車内は満席だった。ツアーでは途中の街なかはショートカットして山岳部分だけを乗車しているものもあるが、今日の乗客は長旅を楽しむ(耐える)客ばかりのようである。もっともショートカットする客は日程に余裕のない日本人客ばかりかもしれない。実際に乗車してみると、実に遅いしよく停車する。自転車よりも遅いくらいだが、これこそが悠久の大地を進むのに適した乗物なのかもしれない。

 

列車はあえぎながら徐々に高度を上げてダージリンを目指していくが、行程は遅々として捗らない。到着予定時刻の4時半になってもまだダーリジンまではまだ40キロ近くある。インドの鉄道の時刻はあてにならないというのは、何度も経験済みなのに、そのことをすっかり忘れていた。
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ホテルまではグーグルマップでは10分ほどの歩きということだったので、急坂でもない限り歩いてもいけると思ったが、タクシーが捕まればそれに越したことはないと思っていた。ところが、終点で下車したために乗客全員がタクシー乗り場に殺到してタクシーはいつ捕まるはわけらない状態であった。やっと戻ってきたタクシーにのろうとすると、行く先を知った運転手はそんな近場はいやだったらしく、歩いていけと言われて乗車拒否に合う。

しかたなく歩き出すと、恐れていた急坂が現れる。短い距離だからと我慢して歩いていると、グーグルマップでのホテルまでの最短路は細い道に入っていくが、そこにほ放し飼いの犬が四匹も待ち構えている。南米で犬に散々吠えられた経験があるので、もし吠えられたらすぐに退散して遠回りしていこうと思ったが、大人しい犬ばかりで無事に通過できた。

ホテルに着くと真っ先に確認したのはシャワーでお湯が使えるかどうかであった。トレッキングから帰ってきた後に温かいシャワーで汗を洗いながしたかったからである。そこで、帰りのダージリンの宿は多少割高ではあるが、急遽温泉付きの宿を予約しておいた。翌朝は早いので早めにベッドに入った。

1月18日

6時過ぎに集合とのことだったので、早めに指定された場所に向かうが、指定された建物は見当たらないし、ガイドも現れない。そこで通りかかった人に聞くと、正しい場所を教えてもらった。道を1本取り違えていたようである。

やっとガイドとも合うことができ、なんとかトレッキングを始められる目途がたった。実は今回のトレッキングに関しては日程と必要な持ち物以外には知らされておらず(聞きもしなかったのだが)、持ち物にも寝袋はなかつたが、ネットの情報では冬場のロッジは寒いので冬用の寝袋が必要だとあったため、夏用の寝袋とアンダーウェアを多目にもってきたので、大きなザックと小さいザックを用意してきた。またどの程度歩くのかもわからなかったが、ガイドから行程を聞いたところでは、そこそこは歩くようなのでポーターが必要だということになって、払い込んだ料金にはポーター代は入ってないということなので、その料金を確認したところ、5日間で2万円弱とのことだったので、追加で支払うことにした。

やがて車がやってきたのて乗り込むか、途中から見知ら人も乗り込んできたので、専用車ではなく乗合車のようであった。さらに急遽依頼したポーターも乗り込んできたが、暇だったということだろうか?

途中で牛肉入りヌードルを遅めの朝食で食べたが、ホテルでの朝食が早かったので丁度良かった。

インドの公用語は英語とヒンディー語なので、ガイドにとっても英語は母国語なのだろうが、先日のブータンのガイドよりもはるかにききとりやすかった。もっともブータンの場合にはお寺巡りが中心で、聞き慣れない宗教関係の単語がたくさんでてきたことも影響しているかもしれなかったが 

登山口のリンビックからはいきなりの急坂で、ガイドのペースに合わせて登ると息が切れそうになったが、しばらくして私を先頭にして登らせてくれたので、マイペースで登れてさほど苦しまずに登ることができた。

昼食は途中の食堂で摂ったが、インド定番のタルカリ(野菜のカレー煮)とダルスープ(豆のスープ)である。久しぶりに食べたので珍しかったが、これが毎日続くと飽きちゃうだよなあ

午後は途中に一カ所急坂はあったが、2時間ほどの歩きでグルドゥムの小屋に着くことができた。途中、ガイドがカンチェンジュンガが見えると教えてくれたが、山頂付近が見えただけなので、全容の展望は先のお楽しみにとっておこう。

クルドゥム小屋てで休んでお茶を飲んでいると、小屋の人がオヤツにサモサ(野菜コロッケ)わ出してくれた。日本でもイベントで提供されることがあり、とても値段が高いが、インドでは庶民のオヤツとして食べられていて、外で買ってもたいへん安いものである。

夕食はカレー料理ではあるが、おかずのバリエーションは豊富であり、チキンも提供されているので、若い時にネパールの山中で1週間ほどタルカリとダルバートが続いて肉を食べなかったら、麓まで降りて放し飼いの豚を見た途端によだれが出てきたというようなことにはならなくてすみそうだ。

1月19日

8時半にグルドゥム小屋を出発してサンダクブーを目ざすが、標高差1200メートルも登るので急登の連続である。1時間に200メートルの高度を稼ぐペースでゆっくりと登っていく。しばらく登っていくと、手前の尾根の向こうに白い峰々が見えるようになってくる。

12時頃に休憩所に着きヌードルを食べるが、胃腸の調子が今ひとつで半分ほどしか食べられなかった。30分も休まずに登山を再開し、午前中とほぼ同じペースで登り続けたので、3時頃にはサンダクブーに着ける見込みが立った。右手の方にはカンチェンジュンガの連山が望めてくるが、樹林に遮られているので、写真を撮るのはサンダクブーに着くまでお預けとなった。

サンダクブーまでは1時間もしないあたりまできた時にここ数日調子の良くなかった胃腸かますます悪くなり吐き気もするようになった。別に頭痛がするわけでもないので高山病かどうかはわけらないが、以前は富士山くらいの高度では高山病とは無縁であったが、加齢により高山病になりやすくなったのかもしれない。

サンダクブーにはなんとか着いて小屋に入れてホッとした。昨日の小屋もそうだったが、個室で専用のトイレがあるのもうれしい。もちろん、ホットシャワーが利用できるわけではないが。部屋でしぱらく休んでいると、ガイドが呼びに来てサンセットが見えると言う。ついていくと、カンチェンジュンガの連山からジャヌーまてが真っ赤に燃えており、少し遠くにはマカルーからエベレストまで見渡せる。夢中で写真を撮ったが、これでシッキムに来た目的は果たせたような気になってしまった。

夕食時にガイドには翌朝の調子で予定どおりに山歩きを続けるか、車をチャーターしてダージリンまで一気に戻るかを決めるとは言っておいたが、気持ちはすでに決まっていた。目的を果たした以上は下界に早く降りて楽な生活をしたいというのが本音であった。それにダージリンにそんなに長居してもしょうがないので、シッキムの州都であるガントクにも足を延ばしたいという気もあった。

1月20日

暗いうちから起き出して日の出と朝焼けのカンチェンジュンガを見るために小高い場所まで行くと、既に先客でいっぱいであった。東の空が白じんでくると、カンチェンジュンガの連山が真っ赤に燃え出してくる。

ひととき、絶景を楽しんだ後に喫茶店に入ってコーヒーを飲んだが、その際にガイドに今日中に車でダーリジンまで下りたいということを告げる。当初の予定どおりにプルートまで尾根伝いに歩けば20キロほどはカンチェンジュンガに近づくことになるが、景色自体はここからと大差ないだろうとし、概ね平坦とはいえ20キロも歩くのはしんどいし、翌日以降も1000メートル以上も下降しなければならないのはたいへんである。車のチャーター代をガイドに聞くと、一万円くらいだと言ってたのが、本部に電話で確認したら、当初に払い込んだ料金でカバーされるということで良心的な旅行社である。

9時ころにジープは出発したが、まるで崖を下るようなスリル満点なドライブである。500メートルほど高度を下げたところで、ようやく普通の山道になり1時休憩となる。その後も舗装路(と言ってもあなぼこだらけだが)になってもスリルのある道が続く。ようやく谷間近くまで降りて旅行社の車に乗り換えてダージリンに着く。

ダージリンではとりあえず初日に泊まったホテルにまた泊まることにする。ダージリンでは最終2日間はスパの予約をしてあるので、その間は市内見学でもするつもりだが、早めに降りてきてしまった2日間をどう過ごすかが問題だ。当初はシッキムのガントクにでもいこうかと思ったが、シッキムの入域申請手続きがなかなかたいへんそうだし、許可がおりるまで結構時間がかかるとのことなので、それほどまでして行く価値がありそうにもないし、むしろ、許可のいらないカリンポンにでも行ってみようかとも思っている。

ダージリンの街を散策するために駅方面に向かうと、途中にfish&curryと書いてある店があり、久しぶりに魚を食べてみたくなって入ってみる。ところが、この魚が骨だらけでまともに食べられたものでなく、途中で食べるのをやめて店を出てしまう。その後、駅まで降りてみたが、駅周辺には特に見るべきものはないので、宿に戻ることにした。途中に中国料理の店があったので入ってみる。まずはビールを注文し、久しぶりに喉を潤す。料理を注文しようとメニューをみるが、写真はないのでどんな料理かさっぱりわからない。まあ料理ならなんでもいいやと適当に注文する。ところが出てきたものは、中国料理とは名ばかりでインド料理そのものだった。まあしょうがないと諦めてビールをおかわりして店を出る。

 

1月21日

 

ダージリン滞在4日間のうち、後半2日間はスパと名うっているホテルを予約してあったが、前半2日間も同じホテルに宿泊するために前日にネットで予約しようと手続きしたところ、不確定メールしか来なかったので現地に行ってみることにした。街外れにあるホテルに行ってみると、やはり予約はされてないようであった。それどころが、後半2日間の確定しているはずの予約までも通ってないということでビックリする。説明を聞いてもよくわからなかったが、クローズという単語が聞き取れたし、他の断片的に聞き取れた単語から、どうやらこのホテルは一度廃業し、オーナーが変わって再開したもので、前の予約はキャンセルされてしまだたといあことがわかった。前代未聞の事態に遭遇してしまったが、しかたがないので、1泊分だけの料金を現金で払って(カード払いは出来ないということなので)、明日以降のホテルはカード払いが出来るところをネット予約することにした。

期待していた温泉はなかったが、お湯はでるので数日間の汗を流し下着を洗濯してから街にでてみる。昼食としてモモフライイを食べてからホテル代を払って寂しくなった現金を補充するために両替をする。20ドル紙幣のうち1枚は紙幣の端が切れている、2枚は紙幣端に色がついているというこで受け取ってもらえずに別の紙幣と交換したが、レート自体も昨日ポーター代を払うために両替した時よりも悪くなっている気がした(昨日は横に現地のガイドが付いていたからか)。
お土産はカトマンズを出国する前に買うつもりだが、ダージリンでしか買えないお茶を探してみた。相場はだいたいわかったので出国直前に買うことにした。、歩き回って咽が乾いたのでスタンドで喉を潤すが、メニューには書いてあるコーラやラッシーは注文してもないといわれたので、シェイクを注文してみたが味は今ひとつだった。口直しというわけではないが、昨日の中国料理店に行きビールを注文する。つまみとしてはインド料理は嫌なので、チキンラーメンを注文しようとしたところ、スパイシーだと言われて他の麺を頼むと汁なしの大盛り焼きそばで、半分も食べられなかった。

ホテルに戻る途中に旅行代理店と日本にもあるファーストフードの店かあったので、翌朝によってみようと思った。ホテルに戻ってから残りのダージリンのホテルの予約を行い、後はNHKプラスを見て過ごした。

1月22日

今日は午前中はチベット博物館を見学し、


お昼にはちかくにある日本でもお馴染みのsubwayしてから動物園に行くつもりだったが、休園日であるということでぶらぶらして過ごした。

1月23日

朝、駅近くまで寄って翌日に予定しているカリンポン方面への交通情報を得たいと思ったのだが、特に情報は得られず翌日は出たとこ勝負するしかないと思った。その代わり、手前の山の背後に思いがけずカンチェンジュンガ連山が見られたのは儲けものだった。ただ2日間かけて到達したサンダクプーから望んだカンチェンジュンガ連山とスケールはあまり変わらないことに気づき、頑張った2日間は何だったのかなという気にもなった。

その後はレストランで朝食後に、前日は休園で行けなかった動物園にリベンジするために、1時間ほどのアップダウンしながらの歩きとなった。動物園は平日だというのに結構賑わっていた。外人はインド人の2倍近い300の入場料で、公共料金の安いインドにしては高いかなと思ったが、入園してみると全然高くないと思い直した。というのは、当地ならでわの動物が雪豹を始めとして、ベンガル虎、レッサーパンダと目白押しだったからである。先日のブータンの動物園では、広大な敷地にもかかわらず鹿と牛しかいなかったのとは大違いである。


動物園を見終わって、その隣にあるはずのエベレスト初登頂者であるテンジンが作った登山学校に行くために、一度動物園を出て周りこもうとした。ところが、地図上でその施設として表示されている建物に繋がる道は途中で立入禁止となっているのである。となると先ほどの動物園の奥にその建物があるに違いない、そこで動物園まで戻り、使用済みの入園券で再度入園させてもらって奥まで進むと、確かに登山博物館らしき物があった。エベレスト初登頂時の装備や関係者の写真が展示されていた(日本人としては女性初登頂の田部井淳子さんの写真もあった)。見学後にレストランで餃子風のモモを昼食として食べてから隣接するクライミングウォールも登っでみたが、簡単すぎてつまらず、すぐに止めて街に戻ることにした

時間は2時頃と早かったので、途中でハッピーバレー茶園に寄り道することにした。

19世紀のイギリス統治時代から続くインドの茶の生産量の15パーセントを占めるという広大な茶畑である。畑の真中に工場があったので、中でお茶を飲ませてもらおうと思ったら、そこでは飲めずに少し離れた所にある粗末な茶店で飲むはめになった。本場のお茶をじっくり味わってから街に戻ることにしたが、寄り道した道は戻らずに近道を進んだが、街に戻る直前はかなりの登りを余儀なくされた。

街に戻ると、今日一日の予定が無事に終えられたことを祝って、連日立ち寄っている中国料理の店に入ってビールで乾杯する。夕食を食べるにはまだ早かったので駅まで降りてみて朝と同様にカンチェンジュンガ連山を眺めることにした。天気が良ければ夕陽に照らされた連山が見えたであろうが、残念ながら雲のなかであった。やむを得ずホテルに戻ることにして、ホテルの手前にあるショッピングモール横の売店でコロッケ風のサモサの上に各種具材を乗せたものを150円で買って食べてみたが、これだけでお腹一杯になってしまだたので、そのままホテルに戻った。

1月24日

本日は特にやるべきこともないので、シッキムの入域許可証の要らないギリギリ端のカリンポンまで日帰りで足を延ばそうかと乗合タクシーの出発場所に行ってみるが、トイ・トレインのスタート地点であるシリグリ行きは頻繁に走っているが、カリンポン行きは1時間ほど待っても来ないので諦めて、途中で昼食を食べてからホテルに戻りノンビリすることにした。

今夜はダージリン最後の夜になるので、美味いものを食べようとホテルの近くに新しい中国料理店を見つけて、エビとイカのフライを食べる。インドに来てから一番美味い食べ物だったが、それでも千円もかからなかった。ただいつも行っていた中国料理店と違ってアルコールは置いてなかったので、休肝日となってしまった。

1月25日

長かったダージリン滞在も今日が最終日である。数日前に料金前払いのタクシー乗場で確認した空港までの料金は2500ルピー(4千円強)であったのに対して手持ちのルピーは3000ルピーを切っているので、朝食はなるべく簡単に済ませたいということで、ポテトフライで我慢することにした。そして先日のタクシー乗場にいってみると、空港までの料金はなぜだかわからないか、3000ルピーに上がっていた。仕方がないので別の乗場で料金を聞いてみて、それでも変わらなければ手持ちのドルの一部をルビーに両替してもらうしかないかなと思った。ただ両替屋はまだ開いてないかもしれないので、その場合にはお昼頃まで待たなければならないが、それでも空港のチェックインには間に合うだろうと考えた。

別の乗場まで行ってみると運転手がたむろしていたが、彼らの値段はだいたいは3000ルピーで中には4000ルピーなどと吹っかけてくるものまでいた。ところが、その中でひとりだけは「今すぐに出発するなら2000ルピー」という運転手がいたので、飛びついてしまった。

彼の車で空港に向かうと、なぜ彼だけ飛び切り安い値段を提案してきたのかがわかった。彼は猛スピードで前の車を追い抜いて時間を短縮するという、いわば薄利多売商法をやっていたのである。おかげで昼頃には空港に着き、余裕を持ってチェックインに向かうことができ、シッキムの旅も終わりを迎えることとなった。

 

 

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2026年1月14日 (水)

ブータン旅行記

1月11日

 

パロ空港に向かえに来てくれたガイドとともにパロ郊外の博物館に向かう.。博物館の内部は撮影禁止で外観しか写せず、この後も似たような所にたくさん行っているので、何があったか全然覚えてない。ガイドは仕事熱心で詳しくてくれているようだが、ガイドの英語は半分も聞き取れない。だた面倒なので、重要と思われること以外は聞き返さずにわかったふりをしている(重要なことは翻訳アプリで確認)。

 

その後、ホテルに移動して旅装を解く。夕食までしばらく時間があったので、パロの街を散策する。小さい街だからと油断してたら見事に迷ってしまったが、夕食時間までには戻ることごできた。

 

夕食はホテルのレストランで食べたが、骨付きチキンの唐揚げとヤクの焼肉(固かった)、それに各種の野菜料理だったが、スープが少し辛かった以外は日本人の口にも合うものだった。

 

ホテルはWiFiが良く効くので、インターネットは日本と同様に利用できるし、NHKプラスで地上波も見られるので退屈することはない。こうしてブータン1日目は過ぎていった。

 

 

1月12日

 

ホテルのレストランで洋食スタイルの朝食を食べて9時に出発する。最初は山の上にある大仏を見てから

動物園に行くが、広大な敷地はフェンスで囲われているが、中にいるのは鹿か牛と言った珍しくもない動物ばかりで、期待していた雪豹はいないようだった。

その後は首都のティンプーを目指して進むが、街を一望できる展望台からのティンプーは人口も10万程度なので、小ぢんまりした街である。

ティンプーの街に降りてレストランでビュッフェスタイルのランチを食べるが、テーブルにメニューがあっとので見てみると、円換算して約2倍とすると、日本の物価よりもだいぶ安いようである。

午後におとずれたのは体験型の民族博物館で、様々な生活用具に触れたり、民族舞踊を見学したりして、最後はブータンの伝統競技であるアーチェリーの試射(全然的外れだったが)も楽しんだ。



その後はホテルに移動したが、ホテルは中心街からは少し離れた街外れにあったので、居酒屋に行くことはできずに本日は休肝日となってしまった。

1月13日

本日は古都のプナカへの移動である。標高差1000メートルほど登るとチベットとの国境付近のヒマラヤの高峰が見えてくる。しばらく写真を撮ってからプナカに下るが、こちらは標高差で2000メートル近く下るので、降り立つとティンプーよりもだいぶ気温が高く感じた。

プナカのレストランでランチを食べたが、今日はビュッフェスタイルではなくオーダー方式だったので、焼きそばとビールを注文したが、ビールも少し辛いように感じた。

午後は寺院見物と名物の吊り橋を渡ったりしてホテルに入ったが、ホテルは小高い丘の途中にあったので、今晩も夜の街に行くことはできなかった。

1月14日

本日はパロに戻るのだが、途中ほとんど寄り道しなかったので、昼過ぎには戻ることができた。パロのレストランでビュッフェスタイルでランチを摂ったあと、ブータンの民族衣装をまとって写真を撮り、

その後にまた街のはずれの寺院に寄ってからホテルに向かった。さいしょに泊まったホテルと同じで、街にも近いので、夜のブナカにも出てみよう。

1月15日

本日はブータン観光の最大の目的であるタクツァン僧院に向かうほどである。ホテルから30分ほどのドライブで登山口に着く。ここから僧院までの往復は標準タイムで5時間ほどとなっている。最初から急登が続いて高度は順調に稼げる。僧院までの標高差は約700メートルで2時間半ほどでその高さまで到達したので、意外に早く到達できるかと思ったが、そこから僧院までは登り返しがあったので、結構時間がかかってしまった。おまけに登りが自分としてはややオーバーペースだったのか、高度のせいなのかはわからないが、僧院までは意外と時間がかかってしまった。僧院に着くと、すぐに下山したかったのだが、あちこちにある建物の仏像をガイドは案内して英語で説明を始めるものだから、ほとんど内容を理解できないまま時間が経過するのを待つしかなかった。



やがて、仏像の参拝も終わり往路を戻ることになったが、登り返しは完全にバテていて辛いものだった。なんとか下り道に戻れると、また元気になって最近の自分には珍しく先行者を次々と抜いていくことができた。このまま登山口まで降りることも不可能ではなかったが、途中にタクツァン僧院を真正面に眺められる展望台に食堂があったので、ランチを食べながら僧院を眺めることができた。

空腹を満たしてから下山を再開すると間もなく登山口に着き、そこからホテルに車でもどったのは1時過ぎで夕食までは時間がだいぶあったので、街を散策しながらビールが飲める店を探した。ところが他の街でもそうだったが、ブータンには外で飲酒するという習慣がないのか、居酒屋風の店はなかった。またブータン風の食べ物はイヤだなと思っていたらモモ(インドやネパールでは人気のある一種の餃子)がメインの店があったので、それにラッシー(インド等で人気の清涼飲料)をつけて注文した。久しぶりの非ブータン料理はうまかった。

夜も街に出てブータン最後の夜をたのしみたかったのだが、寒そうだったので、前夜に続いてホテルで過ごすことになってしまった。

1月16日

本日はブータン最終日で、当初は空港に戻るだけだったが、フライトは夕方でどこにも行かないのはもったいないので、ガイドの提案でブータンでもっとも人気のある7千メートルであるチョモラリを眺めにチェラ・ラ(ラとは峠のこと)まで車で行くことにした。往復5時間の行程と聞いていたが、が、実際は片道で2時間もきらずにチョモラリの大展望を楽しむことができた。


帰りは空港近くのレストランでランチを食べた後に空港まで送ってもらった際に、予定外のドライブをしてくれたことへの感謝もこめて、ガイドと運転手にはたっぷりとチップをはずんであげた。ブータンではほとんど使い途のなかった現地通貨かたくさん余ってしまったからという面もあったが

早めに空港に着いたので、時間を持て余してしまったが、ろくな土産物もなく、酒が飲める所もなかったので、時間を空費するしかなかった。まあ、これで念願のブータン旅行を終えることができたので良しとしなければないだろう。

 

 

 

 

 

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2026年1月13日 (火)

ブータンへのアプローチ

ヒマラヤは過去10回ほど訪れているが、ブータンはまだ訪れたことがなかった。それは旅行が完全自由化されておらずに全てガイド同行で、旅行社に支払う料金の一部は環境や福祉の名目で国に吸い取られるので、旅行費用が他のヒマラヤと比べてとても高いため、自由化されるのを待っていたのだが、待ちきれなくなって出かける決心をした。

1月10日

ブータンまでの直行便はないので、デリー、カトマンズ、バンコク乗り継ぎとなるが、便数や料金(他のヒマラヤ圏よりも割高だが)からデリー経由とし、デリーまでも直行便よりも安いスリランカ経由のものとした。

フライト3時間前に成田空港に着き出発までを待つ。三連休の初日だが、さすがにスリランカまで行く日本人はいないようだ。機内は満席に思えたが、隣席の人が後部座席に空席を見つけたのか移動してくれたので窮屈な思いをせずに助かった。

10時間のフライトで夕方のスリランカ首都のコロンボに着いたのは夕方であったが、さすがに緯度が低いだけあって20度以上あって暑いくらいであった。

乗継時間が6時間近くあったので、プライオリティパスが使えるラウンジで時間を潰す。

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ラウンジの滞在上限の3時間近くなったのでロビーに戻ったが、電光掲示板のデリー便はまだ搭乗口が決まってないようだが、出発時間は1時間近く遅れるとの表示であったので、ロビーのいすで時間を潰す。

1月11日

日付が変わってようやく搭乗口が決まったようなので移動するが、その後も出発時刻や搭乗口がたびたび変わり、うっかりしていると乗り過ごすところであった。

結局、当初よりも9時間遅れてデリー便に搭乗できたが、出発は2時を過ぎており、ほとんど眠れないままにデリー空港に着く。

ブータン便は6時間後なので、チェックインカウンタも決まっておらず、またもや時間待ちである。ようやくチェックインが出来てラウンジに向かうが、全くショボいラウンジで1時間ほどで退出し、搭乗口の待合室で時間を潰す。

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ブータンのパロ空港への飛行機は窓際の席だったので、ヒマラヤの眺めが得られてラッキーだった。
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ロ空港は谷間にあって危険な空港と聞いていたが、それほどのこともなかった。

無事パロ空港に着陸してブータンの土を踏むことができた。
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延べ36時間の行程であった。空港を出るとガイドとも会えてブータンの旅が始まることになる。

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2025年1月22日 (水)

ベトナム旅行記(後半)

1月21日

ベトナム旅行もいよいよ後半に入り、ホーチミンを拠点として各地を巡る旅が始まる。初日の本日は夕方涼しくなってから市内観光バスに乗るだけなのだが、午前中は妻は部屋で休養してもらって、私は空港まで行くバスの乗車体験をしておくことにした。

ホテルからバス停までは何度も曲がって10分以上歩かなければならないが、屋外でのインターネット接続を可能にするesimを設定してグーグルマップを利用すれば迷う心配はない。

バス停に着いてすぐに空港行きがやってきたので、乗車しようと立ち上がったが、素通りされてしまう。他の行き先のバスもたくさん停まるので、手を上げたりして合図しないと停まってくれないようだ。

10分以上待ってようやく空港行きのバスが来たので乗車する。均一料金ではないらしいので、乗車したバス停を表すチケットはどうやって入手するのかと思ったら、車掌がいて30円でチケットをくれた。タクシー料金の何十分の安さである。

終点まで乗って下車したら、そこは国際空港前で、国内空港はひとつ手前で降りる必要があった。といっても歩いても5分くらいの距離であるが。

帰りもバスを利用し、昼食用のおにぎりと寿司をコンビニで買ってホテルに戻る。部屋で昼食を摂ってから郵便局に行き、孫にエアメールを出した後、高島屋の冷房の効いたレストランで氷を食べたらすっかり身体が冷え、夏日の暑さも大してこたえなかった。

その後は、先月開通したばかりのベトナム初の地下鉄で郊外の公園まで行ってみる。事前の情報では、開業後しばらくは無料とのことだったが、無料期間は過ぎてしまったのか有料となっていた(といっても片道120円程度だが、バス代の4倍はする)。終点には公園があるとのことであったが、草ボウボウの広場があるだけだったので、往路をそのまま帰ることにした。

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ベンタイン駅に戻ってオペラハウスに移動して、予約してあった二階建てバスに乗って市内観光を行う。45分程度の観光であったが、日没を挟んで夕闇にそまっていくホーチミン市内の風景が眺められたので正解であった。

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バスから降りてホテルに帰る途中、日本人向けの居酒屋風レストランがあったので、寄ってみる。カツカレーを注文したが、カツが少し固かったのは減点対象であったものの、数日前に隣のテーブルで見て羨ましかったイカのリングのフライは美味った。ホーチミンに来るまではベトナム料理ばかりを食べていたが、ホーチミンでは各国の料理が何でも食べられそうなので、ベトナム料理からは足が遠のいてしまうもしれない。

1月22日

本日は日本から予約しておいたメコンデルタの1日ツアーである。ガイドさんはフエからダナンまで同行してくれたガイドさんよりは日本語が上手そうなので安心した。一昨日、駅からホテルまで送ってくれたガイドさんの話ではこのツアーは我々二人だけの参加と聞いていたが、もう1人日本人の女性も参加していた。妻と1週間べったりだったから、気分転換にはなるかな。

2時間ほど走ってメコン川の支流に着き、船で島に渡る。養蜂が盛んな島で、ロイヤルゼリーから蜂蜜まで各種製品を販売していたが、日本での売値の5分の1という言葉につられて、ロイヤルゼリーのセットを購入する。

その後は南国の果物を味わったり、ニシキヘビを首に巻いて記念撮影をしたり、ボートでマングローブに囲まれた川を進んだりした後、島を後にして陸地に戻り、レストランで食事を済ませてから、ホーチミンに帰ることとなった。

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1月23日


本日の訪問地であるクチトンネルはベトナム戦争の際にベトコンが隠れて米軍を攻撃した戦跡である。ホーチミン中心部から50キロ程度の距離なので路線バスでも行ける距離なのだが、グーグルマップで調べると3時間以上もかかるようだし、格安の現地ツアーもあったので、ツアーを利用することにした。

連絡を受けた案内ではホテルで7時半にピックアップしてもらえるはずだったが、7時から8時まで待っても迎えが来ないため、旅行社にキャンセルと返金請求の通知をして、妻は部屋に戻ってしまった。私はもうしばらく待ってみようとフロントにとどまっていると、しばらくして迎えがやってきて、遅れたことを詫びるでもなくピックアップしてクチに向かってはしりだした。

乗客は30人弱で西洋人ばかりで日本人は他にはおらず、我々が最後のピックアップ対象であった。バスは途中でトイレ休憩を兼ねて貝を加工した壁掛けの工房を見学してからクチに向かう。グーグルマップで史跡クチトンネルと表示されている所よりもだいぶ手前に施設はあって、そこでガイドからチケットを渡される。

施設に入って全体的な説明を受けてから、個々の施設の見学に移る。有名な草でカムフラージュされた穴や底が剣山となっている落とし穴などを見た後にトンネルの中を匍匐前進させられて見学は終わる。終了後にタロイモがお皿に並べてあったので、ツアーの説明にあった軽食というのは、このことかなと思ったが、バスに乗ってから菓子パンは別に配られた。

帰りも渋滞があり、ホーチミンの中心街にもどったのは3時過ぎとなってしまったが、土産物を買う時間もあって、有意義な時間の潰し方ができた。

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1月24日

実質的にベトナム観光の最終日となる本日はベトナム南部のリゾート地であるフーコック島に日帰りで足を延ばすことにした。フーコック島へは午前中に2便のフライトがあるので、早い方の9時55発を予約して7時前にホテルを出てバスで空港に向かったのであるが、1時間弱の遅れでホーチミン空港を飛び立つこととなった。まあフーコック島に行っても、これと言った予定があるわけではなく、海を見ながら食事をする程度なので、このくらいの遅れは全然問題とならないなのであるが。

フーコック空港には1時間ほど遅れて到着。空港からはタクシーで最も近いビーチであるロングビーチに向かい、ちょうどお昼時だったのでレストランに入り、海の見える席でランチを食べる。ちょっぴり豪華なランチだったが、二人で二千五百円程度と割安だった。

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このあたりの海岸は人気のビーチが連続しており、このロングビーチも家族連れで賑わっていて、我々もせっかく来たのだから、ビーチサンダルで水際を少し歩いてみた。時間は、まだ十分あったが、手持ち無沙汰になってきたので、少し早めに空港に戻ることとし、東南アジアで普及しているタクシーアプリのGrabの利用してみることにした。一昨年、マレーシアでもトライしたが、アカウントを作るところまではやったが、カードを認証させるところでつまずいてしまった過去がある。今回はタクシーを呼べないと戻れなくなってしまうので背水の陣で臨んだところ、なんとか成功して空港に戻れたし、行きのタクシー(メーターで動いていたはずだが)よりも、かなり安い料金で済むことができた。

フーコック空港ではかなりの待ち時間があったが、行きの時のような大幅な遅れはなかったので、8時半頃にはホーチミン空港に着き、そこからはまたグラブを利用したタクシーで10時前にはホテルに戻ることができ、今回の旅行の全ての行程はほぼ予定どおり終えることができた。 

1月25日

本日は空港に向かう以外は予定がないので朝はめずらしくゆっくりと起きる。チェックアウトの正午まではホテルに滞在していたが、正午前にホーチミンからハノイまでバイクでツーリングするという日本人の10人ほどのグループがホテルに到着した。きっとテトの休みを利用してのことだろうが、この時期はさぞ空港は混雑するだろうと覚悟する。

今回もグラブを利用して空港までタクシーを利用したが、空港は思ったほどではないものの混んでいた。我々のチェックインできる時間まではまだ8時間以上あるので、時間のつぶし方が悩ましい。何軒かの喫茶店をハシゴするしかないが、一度離席してしまうと次の喫茶店で空席が見つかるかどうかわからないので、見せの人に退席を迫られるまでは座席に留まっているつもりである。本当は荷物はホテルに預けて昼中は観光をしていればいいのだが、ホーチミンの市内や近辺の観光はあらかた終えているし昼間は暑いので、混んでいても涼しい空港内の方がマシなのである。

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